○沓脱タケ子君 もう一遍負けぬと
和解の
テーブルに着けぬという話のようですけれ
ども、
和解勧告が出たという、しかも三地裁一高裁で出たということの重みというのは、
水俣病の今日の
状況というものをいかに深くつかんだ上での
和解勧告であったかということを私自身も改めて深く胸に刻んだわけでございます。
そこで、
和解勧告の中で言われている点を一、二見ましても、これはもう皆さんよく御承知だから多く申し上げませんが、
東京地裁の
勧告では、「本件のような多数の
被害者を生んだ歴史上類例のない規模の
公害事件が公式発見後三四年以上が経過してなお未
解決であることは誠に悲しむべきことであり、その早期
解決のためには
訴訟関係者がある
時点で何らかの決断をするほかにはない」というふうにお述べになっておられます。
熊本地裁で国が負けて控訴されたあの
福岡高裁での
和解勧告の中にも、こういうふうに言われています。多くが高齢である上、各地の
裁判所に多数係属している現実にかんがみて、本件
訴訟のより早期の抜本的なかつ適切妥当な
解決を図るために
和解を
勧告する。
和解の場においても
裁判所が
対立点について
見解を表明し、調整を図る余地もある。そこまで
和解勧告の中では言われているわけでございますから、まさに人道上の立場から見て一刻も放置できないという立場でこの
和解勧告というのが出されたということを端的に示していると思うんです。
時間がありませんから、私ちょっと続けて申し上げます。
こういった三地裁一高裁の
和解勧告というのがまさに今日の
時点での極めて賢明な、常識的なというんですか、極めて常識的な
和解勧告であったからこそ世論があれだけ大きく支持を表明したし、さっきも
お話があったように、全国紙、地方紙を含めて三十九の新聞でも社説を掲げて
和解勧告に応じるべきということが言われてきたというのはそこだと思うわけでございます。
そういう中でチッソ、これは加害者ですね、直接の加害者であるチッソも、
熊本県も
和解の
テーブルに着くと言って了承しているわけですよ。国だけが
東京地裁の
判決が出たらと。
判決が出たってさっきの
局長からの話を聞いていたらわかりませんな。
判決が出たって
和解の
テーブルにその
時点で着きますとちっとも言わぬからね。これはやっぱりその着く腹を固めてもらわぬと話にならぬと思うんですよ。私は、ここまで世論が高まり、しかも客観的な情勢では極めて常識的であり、賢明な
和解勧告が出されているという中で、国だけがかたくなに
和解勧告の
テーブルに着かないやり方というのは、これは今や七十歳になんなんとする
被害者の皆さん方が命がなくなるまで拒否するという冷酷無比なやり方なのかと言われてもしようがないと思うんですよ。
長官、つらいでしょう、そう言われたら。いかがですか。――いいです、答えられなかったら、時間がありませんから。私はそう言われてもしようがないというふうに、私自身も怒りを感じます。
それで、
和解を拒否する理由として国が掲げておられる国の
責任論、それから平等論、こんなものはもう既に六十二年三月の、さっきも言うたように
熊本地裁の第三次
訴訟の中で明確にこれは論破されています。御承知でしょう。決着済みなんだ。それがかなわぬから控訴しているんやないか。その控訴した高裁の
裁判長が、これではほっておけぬから
和解をしなさいと言うているんだから、これはよっぽど国は頑迷固陋だというふうに言われてもやむを得ない。
私は細かいことを、平等論あるいは
責任論についてはもう云々する時間はありません。しかし、どのように
裁判の席上であれこれ言おうとも、これは事実というのは消えませんよ、事実というのは。あの
昭和三十二年の二月に熊大で八匹の猫を実験した。そうしたら、三十二日目から次々みんな魚を食べて死んだ。これは現実の事実ですよ。水俣の保健所でも同じように実験したけれ
ども、皆死んだ。早いのは一週間で死んだそうですな、発病したそうです。あるいはきょう午前中も言われておりましたが、
熊本県が食品衛生法の四条二号の適用をしたいというて申請をしたのに、しかし
厚生省は認めなかったという事実は――私は来てもらっていませんからおいででないかもしれません。事実は消えないというのですよ。
裁判の中でどのように言い逃れというか、あるいは言い抜けをしようとも事実は消えない。そのことは肝に銘ずるべきだと私は思います。
もう
一つは、平等論だって、これ、私医者の端くれですが、十六年前に水俣へ伺いました。そこへ行って
水俣病の
患者さん
たちに初めてお目にかかったんですが、多くの
患者を診てきた医師の一人として、私は息をのむ思いをいたしました。一遍も見たことのないような胎児性水俣の方、重症の
水俣病の方、こんなひどいことをと、罪とがのない
人たちがこんな目に遭っていいのかと怒りを感じました。だからこそ
被害者は一人残らず
救済しなければならないという熱意をそのときも胸に刻んだわけでございます。
それが、
指摘をされてまいりましたように、五十二年のいわゆる保健
部長通達以降、これは切り捨て法だと私
どもはたびたび追及をしてまいりましたけれ
ども、現に今日の
状況になってしまっておるわけでございます。
裁判の席上でも平等論は、これはもう一回じゃないですね、幾つかの
裁判で既に明確に
指摘をされております。
そこで、もう時間がありませんので最後に私申し上げておきたいし
見解をお聞きしたいと思うのは、六月の参議院の本
委員会で、
長官は
水俣病の問題の
解決が最優先課題だと言明をなさいました。今その最優先課題ということの実行は、
和解の
テーブルに着くことこそがその
長官の言明に沿う唯一の道だと私は
考えます。
そういう点で、これは世論が非常に厳しいですよ。十月二十二日の毎日新聞の社説にも書いてありました。「
患者救済を忘れた
環境行政」という題ですよ。
解決を図るべき
役所が
解決を引き延ばそうとしている。〃仲間″の自治体や企業までがホコを収めようとしているのに、独り頑張っている。なんともおかしな図だ。
水俣病訴訟の
和解勧告を拒み続ける国・
環境庁のことである。
このおかしさを同庁は自覚できないのだろうか。とすれば、一般の
考え方から離れ過ぎている。
ということを毎日新聞の社説で論評していますよ。
ですから
環境庁はいつまでもかたくなな態度を続けるのじゃなくて、ここで
解決を逡巡させるということになれば
環境行政に対して
国民の不信はますます高まるに違いありません。したがって私は、この
国民の声を慎重にお酌み取りをいただいて
和解の
テーブルに着いて、一日も早く
水俣病の
被害者、
患者救済のために
環境庁長官として決意を固めていただきたい。心から要請をいたします。決意を伺って終わります。