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1990-11-01 第119回国会 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二年十一月一日(木曜日)     午前九時開議  出席委員    委員長 加藤 紘一君    理事 高村 正彦君 理事 西田  司君    理事 浜田卓二郎君 理事 宮下 創平君    理事 山崎  拓君 理事 池端 清一君    理事 上原 康助君 理事 高沢 寅男君    理事 日笠 勝之君       井出 正一君    石井  一君       植竹 繁雄君    古賀  誠君       自見庄三郎君    鈴木 宗男君       近岡理一郎君    中川 昭一君       中村正三郎君    中山 正暉君       野中 広務君    鳩山 邦夫君       浜田 幸一君    牧野 隆守君       三原 朝彦君    渡辺 省一君      石橋 大吉君    宇都宮真由美君       上田 利正君    小澤 克介君       大木 正吾君    岡田 利春君       川崎 寛治君    左近 正男君       水田  稔君    和田 静夫君       井上 義久君    遠藤 乙彦君       冬柴 鐵三君    山口那津男君       児玉 健次君    佐藤 祐弘君       和田 一仁君    楢崎弥之助君  出席公述人         元国際連合日本         政府代表部特命         全権大使青山学         院大学総合研究         所顧問     齋藤 鎭男君         日本大学法学部         教授      浅井 基文君         東京大学東洋文         化研究所助教授 田中 明彦君         軍事評論家   前田 哲男君         東京大学教養学         部教授     佐藤誠三郎君         独協大学法学部         教授      山内 敏弘君  出席政府委員         外務省条約局長 柳井 俊二君         外務省国際連合         局長      赤尾 信敏君  委員外出席者         国際連合平和協         力に関する特別         委員会調査室長 石田 俊昭君     ───────────── 委員の異動 十一月一日  辞任         補欠選任   佐藤 祐弘君     古堅 実吉君     ───────────── 本日の公聴会意見を聞いた案件  国際連合平和協力法案内閣提出第一号)      ────◇─────
  2. 加藤紘一

    加藤委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国際連合平和協力法案について公聴会を行います。  この際、御出席公述人皆様に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。国際連合平和協力法案に対する御意見を拝聴し、本案審査参考にいたしたいと存じますので、忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  御意見を承る順序は、まず齋藤公述人、次に浅井公述人、次に田中公述人、次に前田公述人、次に佐藤公述人、次に山内公述人順序でお願いいたします。なお、御意見はお一人十五分程度お述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  念のため申し上げますが、発言する際は委員長の許可を受けることになっております。また、公述人委員に対し質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきを願いたいと存じます。  それでは、まず齋藤公述人にお願いいたします。
  3. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 ただいま御紹介いただきました齋藤でございます。  私、きょうこの協力法案について卑見を述べる機会を得ましたことを大変光栄と同時に喜んでおります。と申しますのは、以下述べるように、私昔からこの問題に関係しているためでございます。  まずお話を、私の体験を申し上げておきたいと思いますが、最初体験は、一九七三年、私常駐代表として国連におりましたが、そのときにいわゆる第四次中東戦争、すなわちイスラエルとエジプトの間の戦争がございまして、これに対してアメリカキッシンジャー国務長官がいわゆるシャトル外交をやって停戦に導いたわけでございます。国連としては、早速いわゆる第二国連緊急軍というのを派遣いたしました。この決議は、それまでにほとんど例を見なかった米ソ共同提案に基づくものでございました。それで、日本はそのときにはまだ安保理事会理事国ではございませんでしたが、国連アークハートといいます平和担当事務次長から連絡がございまして、実はこの緊急軍ネパール軍隊派遣することになった、そこで、ネパールには輸送機がないので日本から航空機派遣していただけないかという要請がございました。私早速東京連絡したのでございますが、なかなか返事が来ないうちに、まことに残念な思いをしたのですけれども、またアークハート事務次長から電話がございまして、もう結構です、実はカナダの陸軍が軍用機を出してくれることになったのでもう必要ありませんということでございました。  御承知のように、一番最初国連から同じような要請がございましたのは、一九五八年ですか、ハマーショルド事務総長から日本政府に対して、レバノン平和監視団に対して自衛隊の将校十名を出してもらいたい。というのは、日本はどちらにも加担してないので中立的な立場にありますし、その訓練は非常に行き届いているという評判だからという注釈がございました。これに対しては、そのとき日本憲法を理由に直ちに拒否しておりまして、有名な話でございますが、ハマーショルドは遺憾の意を表したというふうに言われております。それが一つの私の体験でございます。  引き続いて第二の体験は、私が帰りましてから、一九八三年、今のデクエヤル事務総長から日本政府に対して、国連自体平和維持機能に対して何かその強化案について意見があったら言ってきてもらいたいという話がございました。政府民間人の有識者の研究グループというものをつくりまして、私その一員になったのでございますが、そこで研究をして、ひとつ勧告をしてくれということでございました。そこでその研究の結果、グループは、安保理事会強化とそれから事務総長調停機能強化ということを中心にした意見書をつくったのでありますが、一部の研究グループ委員から、こういうものを出しても、日本がその中でどういう役割をするかということをつけ加えなければ、見る方はまじめに見てくれないからということで、第二部として、その場合に日本としての役割というものを書いてつけたわけでございます。  ところが、その明くる日新聞にそれが出ましたところが、賛否両論非常に大騒ぎになりまして、今日御出席先生方もそれを御存じだと思うのですが、国会でも非常に問題になりまして、実はその第一部の方の本文の方は早く出さないと機を失してしまいますので、残念でしたけれども、一部、二部を分けまして、一部だけ提出してございます。で、第二部の方は継続審議ということでそのまま研究していただくことになっておりますけれども、その後全然進展してないという事実がございます。  この二つの経験から、体験から、私は教訓といいますか示唆を得ているわけでございますが、第一の示唆というのは、航空機というのはすぐに出せと言っても民間はおいそれと応じてくれない、そこでそれを待っていると事実上できなくなる、訓練されていてすぐに出してくれる飛行機というもの、輸送機というものを常に留保しておく必要があるということが一つ。それから、こういうものはある程度制度的、組織化していないと役に立たない、それを組織化を怠って後に延ばすと、再び何か事件が起こらない限りそれは審議する機会がないということを一つ教訓として得たわけでございます。  もう一つ申し上げれば、ハマーショルドから言ってきたときは、これは三十年前でございますから、そのころはまだ日本は弱いものとして大目に見られていたときでございますけれども、その大目に見ていただいていた日本が断ったのに対してハマーショルドが遺憾の意を表したということは一つのやっぱり問題があったわけである、こういうように思っております。  以上、私の体験を踏まえて現実的な立場から、皆様の御議論とちょっと違うかもしれませんけれども、私の体験及び現実的な立場から、以下幾つかこの法案についての問題点を申し上げてみたいと思います。  第一点は、国際義務ということでございます。国際義務というのは放棄できない。日本憲法九条によって交戦権あるいは武力行使ということを放棄しておりますけれども、これはいわば権利の放棄あるいは不戦の誓いでありまして、国際義務というのを放棄したのではない、また国際義務というものは放棄できるものでもないということであります。  そこで、憲法九条は大事な条項でございますから、これを当てはめるときにかなりそれの解釈には幅があると思うのです。そこで、幅の中の幾つかの選択肢、これはかなりの選択肢があると思いますけれども、国際義務というものを考えますれば、その選択肢のうちの最大限のものを使って国際義務に応ずる、そういう必要があるということを私は日ごろ痛感しております。  それから第二の問題は、何が求められているかという点を考えなければいけない。これは私自身の反省でございますけれども、日本ではこういう協力隊のような問題については国内問題として考える傾向があると思うのです。ところが、この問題は本質的には国際問題ですね。相手がある問題なんでございまして、したがって何が求められているか、今日本は何をする必要があるかということをまず考えて、それについてのニーズがはっきりしましたならばそれを日本の国策として、日本対策として採用できるかどうか、憲法ないしは関連法律に照らしてそれが法的に可能かどうかという問題、それから国民感情がございますから、世論が受け入れてくれるかということを考慮して考える必要があるということであります。まず相手ニーズというものを考えるということが大事だと思います  それから第三の問題点は、組織化団体経験といいますか訓練を含めた団体経験というものが必要でございまして、従来日本財政援助のほかに要員派遣をしてきておりますけれども、組織化しようという試みは今度が初めてなんですね。よく考えてみますと、人が一人、実は御承知と思いますけれども、アフガニスタンの場合も一人なんですね。ナミビアの選挙のときには三十一人行きましたけれども、その前の要員というのは大体一人なんです。一人行っても何ができるかということでありますし、あるいは数人行ってもそれが烏合の衆では意味はないので、組織化することが必要だ。しかも、ほかの国から出ている人たちは皆部隊から出ておりますから、団体訓練を積んでいる。その中でそういうことをやったことのない人が一人いるということはかなり問題があると思うのであります。そこで私は、この組織化されているということと団体訓練を必要とすることからいって、今度の法案にはそれが盛られている点を高く買っております。  ただ、その場合に自衛隊のことが非常に問題になってまいりますが、実は自衛隊使用については、私も衆議院の御議論を伺っておりまして大変だなあと思っているわけでございますけれども、ひとつ法案をそれから読み直してみますと、戦闘部隊を出せということではなくて、この法案に書いてあります幾つかの業務のうち例えば輸送ということについて輸送機、これは初めの体験で申し上げましたように、輸送といって一番やはり大事なのは飛行機なんですね。その輸送機を出すときに必要な操縦士整備員あるいは管理要員というもの、これはその飛行機についてないとどうも適切、迅速な対応ができないという意味自衛隊関係が出てくるわけでして、言いかえますと、自衛隊派遣ということで非常に問題が大きくなってしまっておりますけれども、自衛隊機能の一部の使用、私はそういうように了解しております。そういう意味でしたらば、私の体験からいってぜひそうあってほしいということでございます。  その次、第四の問題として、この法案に述べております協力の態様の問題でございます。  第一は、今申し上げましたように、要員についても一人二人ではなくて組織化して出すという場合でありますが、それは単に今までのPKOと言われるいわゆる平和維持活動、これは平和維持活動平和維持機能というのは分けて考える必要がございまして、かなり混乱していると思うのです。私も大学で試験問題に出したのですけれども、平和維持活動について記せというと、平和維持機能ということで安保理事会の権能とかいろいろなものが出てくるのですけれども、平和維持活動というのは一つ組織による行動であって、それは一般の機能のことではないのですね。その平和維持活動だけでは今の米ソの冷戦が終結したという今日においては不十分であることは事実でございまして、きざなことを申しますと、ピースキーピングからピースメーキングと、平和をつくるという意味まで行く必要がございまして、今度問題になっております経済制裁、あるいは将来運輸制裁というようなものも出てくる可能性があると思いますけれども、そういう制裁に対する協力というところまで幅を広げる必要があるわけであります。  そこで、幅を広げた結果、いろいろ御議論を聞いていて私もょっと気になりますのは、時間がございませんので簡単に申しますけれども、多国籍軍に対する協力ということが問題になっておりますけれども、これは大変釈迦説法だと思いますけれども、多国籍軍という軍が一つあるわけではないのですね。米軍アラブ軍フランス軍英国軍というのがあって、それが並立しているわけですね。例を申し上げますと一番わかると思うのですけれども、かつてレバノン事件のときにレバノン国籍軍というものが出たのですが、これも米軍、英軍、フランス軍イタリー軍という四つの軍隊が別個に独立の部隊として存在したわけですね。これでは用をなさないというので、その間に連絡調整委員会というのができて、これは文民統治でありますからその委員駐在大使がそれに当たる。ただ、日常の軍事的な連絡を図るためにその下に軍人の委員会があったということでございまして、日本協力隊を出した場合も、日本の主権に基づく協力隊でありますから、どこかに入るということではないのですね。それに並ぶもの。もし協力するものが何かといえば決議そのものでありまして、ただ、決議協力するという意味でほどの部隊、どの隊も皆共通でありますから、お互いに連絡し合う、その意味協力というものは相互に行う、こういう釈迦説法でございますけれども、申し上げておきたいと思います。  それから第五に、姿勢と具体的な対策の別、違いの問題です。  これは、私は非常に重要だと思いますので、特に強調しておきたいと思いますが、今皆様の御審議されているのは姿勢だと思うんです。従来日本は、こういう問題を議論するのはタブーだということで議論ができなかったんですね。それを、この際姿勢をはっきり見せようということで、法案という最もはっきりとした姿勢を出したわけですね。それと具体的な対応策というのは別でございまして、具体的対応策は、例えば将来国連から要請がありましたときに、日本国際関係、というのはほかの友邦とのいろいろ関係がございますから、そういうものを考慮したり、国内の世論を考慮したり、あるいは日本適性といいますか、ある協力に不適当なものもあるわけですね、そういう適性というものといろいろかみ合わした結果いろいろ問題が出てきたらばそのときに断っていいんです。断っていいんです。ただ、また注文をつけてもいいという点をひとつお知りおきいただきたいと思います。  それから最後に、国連協力ということは、単に今度問題になっているような直接協力だけではなくて、関連した協力、すなわち財政上の協力がやはり必要だと思うんです。それは今まで言われているようなお金方々に配るというのではなくて、国連のこの平和維持機能のためにお金を考えてあげるということで、今実は分担金滞納金が随分たまっておりますので、それをひとつ払うように環境づくりをしてあげるとか、あるいは一九七七年にカーター政権のときにアメリカ平和維持基金をつくるということをアメリカ議会に提案しているのです。そういう基金もつくることがやはり一つ考え方だと思うんです。もう一つの関連問題というのは……
  4. 加藤紘一

    加藤委員長 ちょっと参考人に申し上げます。  時間が参りましたので、そこでおとめいただきます。
  5. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 では、もう一つだけ、南北問題というものがございますので、これを忘れないようにひとつお願いいたします。  以上、私の考えていることを申し上げました。ありがとうございました。(拍手)
  6. 加藤紘一

    加藤委員長 ありがとうございました。  次に、浅井公述人にお願いいたします。(発言する者あり)御静粛にお願いいたします。  浅井公述人、お願いいたします。
  7. 浅井基文

    浅井公述人 ただいま御紹介にあずかりました浅井でございます。  国際連合平和協力法という非常に重要な問題に関し、意見を申し述べる機会を与えられまして、ありがたいことと感謝申し上げます。時間が限られておりますので、ポイントを四点に絞り、用意いたしました文書を読み上げる形で申し上げたいと存じます。  なお、最初にお断りしておいた方がよいと思われますことは、私がこれから申し上げることのうち、事実にかかわる部分はおおむね新聞報道に基づいているということであります。事実誤認があるとすれば極めて申しわけないことでございますが、その際は御容赦願いたく、また、御指摘いただいて私自身の考えを再考させていただく材料にいたしたいと存じます。  最初に申し上げたいことは、今日本は本当に国際社会が長期にわたって歓迎するに足る国際協力の道を歩み出そうとしているのかという点でございます。  何を今さら当たり前のことをという印象を持たれる方もおられるかもしれません。確かにこの国会におきましても、国際協力を積極的に行うべきだという点に関しましては、与野党を通じて広い合意があるように理解しております。しかし、私の理解に間違いがなければ、国際協力の中身に関しては、各党の考え方理解にかなり本質にかかわる違いがあるように思われます。率直に申し上げれば、自民党指導者方々発言からうかがいますと、自民党の中でもこの点に関してかなり本質にかかわる相違が見受けられるように感じられます。  ある最高指導者の方は、次のように語っておられます。すなわち、中国初めアジア諸国の反応に関しまして、以下引用いたします、「きちんと説明すれば絶対納得すると思う。きちんとした判断法律ができてから、特使にしろ役人にしろ、誤解を招かないよう説明に出した方がいい。」、これは読売の十月十七日から引用いたしました。  しかし、他の最高指導者の方は、次のように述べておられます。中国朝鮮民主主義人民共和国訪問を通じて、以下引用いたします、「自衛隊が海外へ行くことに脅威を感じているのをこの目と耳で感じた」「自衛隊の専守防衛は金科玉条であり、絶対に守っていかないといけない」、これは東京新聞十月三十一日から引用いたしました。  以上は、最も端的かつ象徴的な例でございますが、私の申し上げたい点を明確に反映していると思います。  私が注意したいのは、最初に御紹介した首脳の御発言でも、アジア諸国意向を無視するとは言っておられないことであります。では、後に紹介申し上げた発言にございますように、自民党として、アジア諸国脅威を感じていることを目と耳で感じているのであれば、なぜ法律が成立する前にアジア諸国説明し、絶対得られるはずの納得を得ようとされないのでしょうか。そのような説明は事前には必要でないということは、アジア諸国意向はそれほど重視する必要がないということなのでしょうか。もちろん、そうではないと思います。といいますのは、最初首脳の方もきちんと説明するということの必要性を認めておられるのでありますから。では、なぜ法律ができてからでなければならないのでしょうか。  以上に申し上げましたことは、一つの例としてお受け取り願いたいと思います。  要するに私が強調申し上げたいことは、日本が今歩み出そうとしている貢献策国連平和協力法に基づく国際協力の道は、本当にその名にふきわしいものと言えるのかという点について、私は十分に納得がいかないということでございます。  次に私が感じておりますことは、貢献策及び国連平和協力法の双方に共通する重要な法律的問題点であって、今次国会審議において当然に払われなければいけない注意と関心が寄せられていないものがあるのではないかということでございます。  それは、後方支援集団的自衛権のかかわりという問題であります。この点につきまして、今次国会で全くおろそかにされていると申し上げたいのではありません。私が強調したいのは、一部で出てきた国連協力法に関する、以下引用いたします、「対立点は、一点に集約できる。自衛隊を参加させるかどうか、である。」、これは朝日「座標」十月二十四日の発言でございます、という見方あるいは整理の仕方に大きな疑問を覚えるからであります。  八月二十九日に発表された貢献策では、輸送、物資、医療、資金の四分野での協力が掲げられました。今度の法律案でも、資金協力は明示されていないようですが、全般的にはこれら分野を含めたより広範な協力を行うことが予定されていると理解いたします。これは法律第三条に基づいて理解しております。  時間がございませんので詳しいことは省略いたしますが、要するに、これらの協力国際社会の軍事的な通念で言う後方支援に該当するものが多くございます。政府側見解では、後方支援は必ずしも集団的自衛権には当たらないという御説明のようでございますが、国際的常識として私が理解してまいりましたところに従いますと、このような説明は国際的には通用しにくいのではないかと思われます。  少なくとも確実に申し上げざるを得ないことは、今回のケースに即して言えば、イラク日本側行動アメリカ中心とする多国籍軍行動への参加とみなし、敵対行動が勃発した際に、日本をも攻撃対象としても、日本としてはこれに対して、当面これに法的に対抗する余地は少ないのではないかということであります。  このように申し上げると、悪いのはイラクではないかと思われる方もあるかもしれません。しかし、イラクが悪いということは、イラク以外の立場に立った場合に言えることであります。イラクはそう思わないであろうし、思わない場合もこれをいかんともしがたい状況があると思います。イラク以外の国々イラクに対してその判断に基づいて審判を下すことができるのは、これらの国々の主張が支配する形で決着がつけられたときに限られるというのが私の理解でございます。  このような結論は、多国籍軍国連憲章集団安全保障機能の発動としてではなく、集団的自衛権に基づいて行動する限りは不可避の結論であるように私には思われます。  ということは、憲法違反という批判を回避するために政府国会答弁でいろいろな工夫をされているという御事情はそれなりに理解されるのでありますが、座標軸を変えて見ますと、その努力は国際的には通用しないという結果になってしまうのではないかということであります。  以上のような私の論点から申し上げますと、例えば公明党が一時的にせよ主張しておられた、引用いたします、「時限立法で対処すべきだ」、公明党見解として十月五日でございます。こういう見解につきましても、私は本質的な疑問を覚えざるを得ません。緊急に対応が迫られているからといって、以上に述べた根本的問題が時限立法で法的に解消するとは思えないからであります。この点では、実は社会党が提起された国連平和協力機構設置大綱につきましても、私は必ずしも全面的に支持する気持ちにはなれません。幾ら非軍事的、民生分野と強調されても、問題は具体的中身であります。  第三番目に申し上げたいことは、第二番目の点とかかわるのでございますが、このたびの国会での審議を拝見しておりますと、余りにも国内次元の問題に目を奪われた内容の議論に終始しているのではないかと思われてならないという点でございます。今申し上げました後方支援集団的自衛権関係に関する議論もそうであります。類似の例といたしましては、例えば次の二つのケースを挙げたいと思います。  まず、昭和五十五年当時から続いてきた自衛隊派遣と派兵との区別に関し、武力行使の目的をもって派遣とするか否かを基準とするという議論がございます。また、今回争点として浮上してまいりました自衛隊協力と参加との区別に関し、国連軍の司令官の指揮下に入りその一員として行動するかどうかが基準とされるという議論もそうであります。  これらの議論が全く意味がないと申し上げようとするのではありません。すべての政党が憲法を尊重する立場に立っている以上、合憲性、違憲性をめぐって議論を闘わせることが重視されるのは当然であります。しかし、冒頭で触れましたように、今日本に問われていますことは、日本がどのような国際協力を行う用意があるのかということでございます。そうであるといたしますと、私は、権威ある国会での議論におきましては、合憲性、違憲性という基準に加えて国際的通用性という基準もぜひとも加えていただきたいと思うのであります。  さきに触れました後方支援集団的自衛権の場合と同様、協力と参加、派遣と派兵の双方について政府側が示されました区別の基準というものの内容が果たして国際社会で通用するのか、私は寡聞にして肯定できる材料を持ち合わせておりません。言葉をかえて申しますと、日本協力と言い派遣と言っても、今回のケースでいいますと、イラクが、ああそうか、日本の平和協力隊派遣協力だから他の多国籍軍とは性質が異なるのか、では攻撃を控えようとうなずくことを期待することができるのかということであります。この問題点に関する判断は、皆さんにお任せいたしたいと思います。  最後に、貢献策国連平和協力法が発動された結果、不幸にして巻き込まれの事態が発生したらどうなるのかという問題をもっと真剣に考える必要があるのではないかという点に触れさせていただきたいと存じます。  貢献策の場合でも、また国連平和協力法の場合でも、日本人、日本の艦船、航空機が紛争、戦闘に巻き込まれる可能性があります。これはイラクの場合に限りません。社会党が主張しておられる国連平和維持活動に参加する形でのいわゆる国連平和協力に関しても起こり得ることであります。この種活動に参加する人などが紛争や戦闘に巻き込まれた場合、その人たちの安全や、非友好的、敵対的な勢力によって自由が奪われた場合の保障は確保されるのでありましょうか。この問題についての議論が尽くされた上での人の派遣を必要とする議論となっているのでしょうか。  私は、人の派遣を考えなければ国際協力を行うことにはならないという考え方を必ずしも持っているわけではありません。しかし仮にそうであるとしても、その点に関する国民的議論を尽くし、国民の納得が得られることは、合憲性の問題をはっきりさせることとともに人的貢献を考える際の不可欠の前提であると考えます。率直に申し上げますが、これまでの国会での議論を拝見している限りで言えば、この点に関する議論が尽くされているとは考えにくいのです。  しかも、アメリカは、海上封鎖だけではなく、クウェート奪回を真剣に考えていると伝えられています。アメリカにとっては集団的自衛権の行使ということになるのかもしれません。しかし、そのとき日本はいかなる選択肢が現実的に残されていると言えるのでしょうか。巻き込まれは不可避ではないでしょうか。ましてやアメリカによるイラク侵攻が現実の事態になったとき、アメリカはその行動を正当化するべく努めるでありましょう。では、日本はどうするのでしょうか。日本は本当にそのときになった時点で再考する余地があるでしょうか。仮に日本が再考したいと言ったとしても、そのようなことがアメリカに受け入れられる状況があるのでしょうか。アメリカ日本協力の限界を前もって明確に伝えてあるのでしょうか。私は、このような最も基本的なポイントが、これまでの国会の論戦の過程で十分に国民が納得できる形で答えを与えられていないのではないかと懸念しております。  以上、私は四点の理由だけからいっても、このたびの国連平和協力法の扱いは慎重の上にも慎重に考えてしかるべきであると判断する理由が十二分にあると信じております。  ありがとうございました。(拍手)
  8. 加藤紘一

    加藤委員長 ありがとうございました。  次に、田中公述人にお願いいたします。
  9. 田中明彦

    田中公述人 ただいま御紹介にあずかりました田中であります。本日、お招きにあずかりまして私の意見を申し述べさせていただくこと、まことに光栄だと存じております。  私は、国際政治とりわけ国際システム及び世界システムの変化というものを中心研究してまいったものでございますが、本日は、最近の世界システムの変化との関連で、国連平和協力法について、関連する事項を述べさせていただきたいというふうに思っております。  まず、世界システムをどのように特徴づけるかということについてはさまざまな方法があるわけでありますが、本日は、第一に世界システムにおける影響力、どういう手段でもって物事が動くかということ、そういう影響力の性質がどのようなものであるかという観点から第一に検討いたしまして、次に、第二にそのような影響力は現在のところ世界にはどのように分布していて、その分布にはどのような特徴があるかということを検討して、その後に日本の政策というのはどのようなものであるべきかということを申し述べたいと思います。  第一に、影響力の性質はどのようなものであるか。一九八九年十一月、ベルリンの壁の崩壊、そしてソ連における共産党の指導の放棄などによって、いわゆる冷戦が終結した、あるいは終えんしつつあると言われておりますけれども、この冷戦の終えんはどのようなパワーによってもたらされたか。言うまでもなく、アメリカを初めとする西側同盟の結束した軍事努力が、ソ連をしてこれ以上の軍拡をすることの無益さを悟らせたのであります。しかし、ここで特徴的なのは、米ソの間あるいは西側同盟とワルシャワ条約機構との間に実際に全面戦争は行われなかったということであります。これまでの歴史において、これほどの大変化が戦争を伴わずに達成されたということは全く大きな出来事であります。そして、なぜこのようなことが起こったかといえば、核兵器の登場のもと、戦略的な安定が維持される中、西側同盟が経済的に破綻を来すことなく軍事努力を継続させることができたのに対し、東側陣営が軍拡の結果、経済破綻を生じさせてしまったことにほかなりません。つまり、核の安定のもとで大規模戦争が非合理的なものとなった中、決定的だったのは経済力であったのであります。つまり、東西対立に決着をもたらしたのは経済力であったと言うことができるかもしれません。  また、戦後の先進工業諸国の間では、紛争の解決に軍事力が使われることはなくなりました。そして今回、冷戦の終えんが軍事力以外の手段によってもたらされたことにより、東西間でも軍事力行便の有効性は低下したと言えるでありましょう。  そして、これは軍事力行使の正当性に対する国際社会考え方の変化とも、大きく言えば符合しております。御存じのように、第一次世界大戦以前の世界においては、戦争は国家の政策遂行の当然の政策として考えられていました。国際紛争を解決する手段として、戦争は当然の最終手段でありました。これが第一次世界大戦の惨禍の反省の中から、侵略戦争の違法化という流れが出てきたわけで、一九二八年の不戦条約はそのような考え方一つの帰結であります。日中戦争及び第二次世界大戦における日本の侵略行為が国際社会であれほど非難されるのは、戦争違法化の流れというこのような時代背景を無視した日本行動にあったわけであります。一九四五年の国連憲章も、このような考え方にのっとったものでありました。そこでは、自衛権に基づく武力行使及び国連の集団安全保障の措置としての武力行使以外の武力行使は違法であるとされたのであります。しかし、国連のシステムは、そもそも安全保障理事会の常任理事国である五大国の同意の存在を前提として機能し得るシステムであって、冷戦の激化は、国連が十分機能することを阻害してきたのであります。したがって、冷戦の終えんは、国際社会における戦争観、戦争に対する見方という観点からすると、ちょうど四十五年前に戻ったことになります。  すなわち、まとめると、冷戦の終えんによって西側先進工業国間のみならずソ連も含んで、軍事力の政策手段としての価値は低下した。そして、国際社会において国際紛争を解決する手段としての武力行使の違法化という考え方は再び表面に浮上したと言えます。  しかしながら、このことは、今や影響力として非軍事的な手段のみが有効であって、軍事的手段はことごとく無効になったということを意味しているわけではありません。既に述べましたように、冷戦にソ連が敗北したのは西側の経済力に敗北したといっても間違いではないかと思いますが、あくまでもそれは、アメリカが戦略核バランスを維持し、通常兵力において西側同盟がそれなりの軍事力整備を行ったという背景があってのことなのであります。  また、先進工業国間での政策手段としての軍事力の有効性は低下しつつありますが、これは、世界すべての国、すべての地域においてそうだということを意味しません。イラクのクウェート侵攻及び併合は、このことを白日のもとにさらしました。そして、このような侵略的現状打破国家が今後も出現する確率は決してゼロではないのであります。もちろん、このような侵略的現状打破国家の出現を非軍事的手段で阻止できれば最良でありますが、世界はいまだそのような万能の非軍事的手段を発明してはいません。侵略的現状打破国家が出現した場合、現実的に国際社会にできることは、軍事的及び非軍事的な封じ込めであり、そのような国家の侵略行為には、軍事的に防衛策を講ずるしか方法はないのであります。そして、国連憲章は、まさに侵略という、国連憲章に言う違法な武力行使に対しては、安全保障理事会を中心として武力を行使することも正当であるとの規定を設けているのであります。  さて、それでは、現在の世界における影響力の性質がこのようなものであるとした場合、現在における影響力はどのように分布しているのでしょうか。十九世紀あるいは第二次世界大戦以前であれば、影響力といっても軍事力を考えていれば大過なかったわけでありますが、現在の世界を考える場合には、少なくとも三つの次元、異なるタイプの影響力を考える必要があります。  第一は軍事力、第二は経済力、そして第三に正統性を発揮する力の三つであります。そして、この三つの次元において、冷戦の終えんは一部に大きな変化をもたらしました。  第一に、ワルシャワ条約機構の事実上の解体と、ソ連の遠方海洋行動の削減によって、軍事の次元で世界は今やアメリカのみによる単極あるいは一極という状態になっています。世界で遠方投入能力を大規模に持つ国家は、今やアメリカのみであります。第二に、経済力の次元においては、冷戦の終えんいかんにかかわらず、世界は米日独の三極というふうになっております。そして、正統性の付与能力、どういうことが正しいかということを付与する能力という観点からすると、冷戦の終えんと国連の復活によって、安全保障理事会の常任理事国の五カ国の地位が上昇してきました。つまり、米ソ英仏中であります。したがって、軍事力ではアメリカの一極、経済力では米日独の三極、そして正統性付与能力では米ソ英仏中の五極、つまり、世界は現在、一と三と五のシステムになっているわけです。  それでは、この一と三と五のシステムの特徴は何でありましょうか。  まず第一に言えることは、影響力のすべての次元に関係している国はアメリカしかないということであります。つまり、世界的な問題解決にとってアメリカがイニシアチブをとるのは当然であり、かつ必要であるということになります。世界にとってアメリカは必要不可欠であります。第二に、とりわけ安全保障面においては、アメリカの影響力が決定的だということです。地域的な抑止の構造が崩れ、侵略的現状打破国家が侵略行為をした場合、あるいはしそうになったとき、これを抑止するには高度の兵器を持つ機動的な軍事力の存在が不可欠であります。そして、このような能力を現在保持しているのはアメリカのみであります。しかし第三に、経済力において他の二極を構成する日独がアメリカ協力しなければ、アメリカがいつまでも軍事力を維持することは不可能になるか、あるいはそのような軍事力を利用して安全保障の維持をするために努力をしていこうとするやる気がなくなるであろうということであります。  それでは、今回のイラクのクウェート侵攻、併合のような場合及び今後の一九九〇年代における安全保障政策において、日本はいかなる政策をとるべきでありましょうか。  第一に、現在の趨勢として述べました武力行使の違法化という趨勢を考えれば、これに反するイラク行動を断固として糾弾しなければなりません。せっかく冷戦が熱戦にならずに終結した現在、イラクの今回の行動を容認することは、世界を再び、戦争を国策遂行の手段として当然視する十九世紀的国際秩序に逆戻りさせる可能性があります。この点を考慮するならば、アメリカが迅速なる部隊展開を湾岸地域に敷いたことに、私は世界は感謝すべきであろうと考えております。したがって、このようなアメリカ行動に、一定の節度を保ちつつも、人的にも協力することは、同盟国としては当然のことであり、仮に同盟国でなくとも望ましいことであろうと考えます。  第二に、経済的な次元ではかった場合の世界の三極の一つである日本は、少なくとも経済的には、安全保障問題に関連する分野においても圧倒的な貢献をする必要があるでしょう。今回のイラクのケースにおいても、実質的な意味において現在の膠着状態を生み出し、経済制裁を実効あらしめているのがアメリカ軍であってみれば、これに資金援助するのは世界のため及び日本のために必要なことでありましょう。  しかし、経済面の努力のみでは十分ではありません。イラクの侵攻への世界的な糾弾に対するコミットメントを示す意味でも、目に見える人的貢献が不可欠であります。とりわけ国連の活動が十分に復活しつつあるかに見える現在、このようなことをするのは極めて適切なことと考えます。しかしこの点は、これ以外のいわゆる現実主義的な国際政治における国益を考えてもそうであります。つまり、第一の点と第二の点と関係しますが、現在の世界にとって、長期的に安全保障面で最も不安定化をもたらす事態があり得るとすれば、それはアメリカが孤立主義になることであります。  先ほど述べました一と三と五のシステムにおいて、三と五からの協力が得られないとすれば、アメリカが安全保障面での一極としての責任ある行動を放棄する可能性は十分あり、現にアメリカ国内にそのような意見は強くなっております。そして長期的に見れば、アメリカは比較的には孤立に耐え得る国家でありまして、アメリカの孤立主義によって国際秩序が不安定化しても、アメリカは世界の中では相対的に生活水準を高く維持できる国家であります。国際秩序の不安定化は、むしろ日本にとっての方が影響は大きいのであって、アメリカの孤立主義はむしろ日本の国益にとっての方が危険が大きいと言わざるを得ないのであります。つまり、アメリカの孤立主義を防ぐためには、アメリカがやる気を出しているときに連帯感を示すシンボルが必要であります。  これまで述べました点を考慮しますと、今回の国連平和協力法案のような法律は、むしろ遅きに失した感があると思われます。しかし、遅くともないよりははるかにましなのでありまして、ぜひ成立させていただきたいと考えます。ただいまの報告では、意図的に法律的な議論をいたしませんでした。私の専門が法律でないこともその一つの理由でありますが、より重要なことは、諸先生方に、より大局的な観点から世界の平和と日本の国益について考慮いただきたく思い、このような不十分な見解を申し述べさせていただきました。日本国内の法律的な議論が大事なことはもちろんでありますが、国際社会の中で現在日本がいかなる行動をとるか、それがどのような影響力を持つかということもまた重要であるということを申し上げたいと存じたからであります。  ありがとうございました。(拍手)
  10. 加藤紘一

    加藤委員長 ありがとうございました。  次に、前田公述人にお願いいたします。
  11. 前田哲男

    前田公述人 前田でございます。  私は、この国連平和協力法案に反対の立場からいささか意見を開陳いたしたいと思います。  既に当委員会において法律的な側面、個々の問題点については十分洗い出されていると考えますので、私は概論風に、法案制定過程における問題点法案の持つ問題点、あるべき国際貢献について意見を述べてみたいと思います。  まず、法案制定過程についての問題点でありますが、第一に、極めて唐突な情勢認識、国際情勢認識における転換が指摘されなければならないと思います。  海部総理は、所信表明演説の中で、「新しい国際秩序」あるいは「冷戦時代の発想を超えて」という表現を盛んにお使いなさいました。そのこと自体、そういう認識に立つこと自体私は賛成であります。極めて正しい情勢認識であろうと思います。しかし、奇異に感じますのは、この法案が提出される以前の政府の情勢認識、国際情勢認識に関して、そのようなはっきりした「冷戦時代の発想を超えて」あるいは「新しい国際秩序」の必要性を言っていなかったという事実であります。極めて唐突にこういった情勢認識の転換が出されてきたことに不透明な感じを抱きます。  例を挙げますと、九月十八日に公表されました今年度の防衛白書の中には、我が国周辺地域の厳しい軍事情勢に依然変わりはないという、冷戦いまだ終わらずの認識が示されております。湾岸危機突出後の八月七日、安全保障会議に提出された外務省及び防衛庁の情勢認識を見ましても、やはり同じように、冷戦いまだ終わっていないという認識が示されている。このような認識が示されていた中で、今回の法案提出後にわかに「新しい国際秩序」ないしは「冷戦時代の発想を超えて」という認識が出されてくる、これにはにわかについていけない。「新しい国際秩序」、「冷戦時代の発想を超えて」ということであれば、まずなすべきこと、軍縮、自衛隊の縮減ということが必要でありますし、そのことをもってまず我々の新しい発想としなければならない。その上に国際貢献があるのだろうと思うんです。そういうことをせずに、あれもこれも、スクラップしながらビルドアップしていくという手法を忘れて、一方で軍事力を増強することをやめない中で新しい国際責任を軍事力をも含めた形で提示していくというのは、アジア諸国に対して極めて刺激的な問題であろうというふうに思います。そういう唐突な情勢認識の転換をまず指摘したい。  二番目は、言うまでもなく、この法案が確定するまでの朝令暮改と申しますか、二転、三転ぶりです。  私たちは、八月二十九日の海部総理大臣の記者会見、テレビで、自衛隊を海外に派遣することは考えていない、しっかり聞きました。それが九月二十七日の記者会見の段階では、原則非武装で行ってもらうという形で自衛隊派遣示唆され、そして本法案では部隊ぐるみの自衛隊派遣が提示されている。これはやはり一種の食言と言わなければならない。このような形で法案が確定していくことに対しで、国民は非常に不安を持たざるを得ないと思うのです。  三番目に、目的の不透明さであります。「国連決議の実効性を確保するため、」という表現で平和協力隊の海外派遣が規定されております。実質的に多国籍軍への協力が目的でありまして、そこには前提として、多国籍軍国連決議を受けた形で展開し行動するのだということが含まれているように思います。しかし、これも、ブッシュ大統領が八月八日にテレビを通じてアメリカ国民に発表した派兵の目的に沿いますと、そのようなことは出てこない。ブッシュ大統領はサウジアラビア防衛を掲げて派兵の目的としました。四原則を挙げておりますが、その第一は、クウェートからのイラク軍の即時撤退であります。第二は、クウェートの合法政府の復帰であります。第三は、ペルシャ湾の安全であります。第四は、在留米人の保護であります。これがブッシュ大統領の派兵の目的であり、かつそれらを総合して、大統領は、サウジ防衛という形で派兵の目的をアメリカ国民に告げたわけでありまして、決して国連決議を受けるという派兵の目的ではなかったことに注目したいと思います。ここにおいても本法案の目的の持つ不透明さを感じざるを得ません。  次に、この法案の持つ問題点幾つか指摘してみたいと思います。  第一は、これによって、日本外交の基調であった中東政策において大きなこれまでとの不整合を生ずるということであろうと思います。  言うまでもなく、日本外交は一九七三年以来親アラブ政策をもって中東外交の基調としてきました。八年間に及んだイラン・イラク戦争においても注意深くこの政策は維持されてきたと考えます。しかし、今回このような形で湾岸危機に対処し、人員が派遣されるということになりますと、これまでとってきた日本外交の中東に対する対応は崩れざるを得ない。これは重大な問題であろうと思います。  私ここに外務省が一九八一年発行した「中東紛争 その背景と現状」というパンフレットを持っておりますが、この中には、日本の基本的な立場として、アメリカと中東政策が違っている、しかし、それを「進んでいる」という表現であらわしています。「パレスチナ人の権利に関する日本立場は、アメリカはもちろん、ECよりも進んでいるといえます。」というふうに表現されています。次に、中東和平の枠組みに関するこの当時の日本政府の政策の基調として、こういうふうに述べられています。「したがって、パレスチナ問題の公正な解決とイスラエルの生存権の承認を含む中東紛争の包括的な解決なくしては、同地域における安定を実現することは困難であり、他方、同紛争の解決への展望が開けることは、それだけでも同地域の政治的緊張を大幅に緩和させるものとなりましょう。」という形で日本の中東政策が説明されているわけであります。  このとき、この著を編んだ背景としてあったのはイラクとシリアの緊張、それが中東全体に波及するのではないかという中でこのパンフレットは編まれたのでありまして、そこで我が外務省は、全体的な中東問題の包括的な解決なくしてアラブの安定はないということをはっきり言い切っております。そこにおいて日本の政策がアメリカやECより進んでいるという見方も示されています。このような政策を持ちながら、今回のような形での対応しかできないということになりますと、いささか政策の連続性、継続性に対して疑問を感じざるを得ない、そういうことがあります。  法案の持つ問題点、もう一つ挙げますと、やはりこれは日米安保協力を中東に拡大するという側面の方が強いのではないか。中東貢献策というふうに言われてはおりますが、しかし、やはり日米安保条約の中東への拡大と受け取れる側面の方が強いのではないのかという懸念であります。  言うまでもなく、防衛計画の大綱によって示された日本自衛隊の活動内容、範囲は極めて限定的、抑制的なものであります。しかし、確かに国連平和協力隊自衛隊組織としての違いはありますが、しかし、実質的に編成される部隊自衛隊中心であることを考えますならば、この防衛計画大綱の枠外で日本自衛隊の構成員が行動すること、これはやはり実質的に安保協力の中東地域への拡大ととらえるべきではないのか。同時に、日米安保協力のこれまでとってきた措置、これを規定した一九七八年の「日米防衛協力のための指針」、通称ガイドラインの中においても極東の範囲ということが明記されているわけでありまして、これからも逸脱、拡大することになる、そういった懸念を抱きます。これらは当然アジア諸国への刺激とならざるを得ないわけで、私たち今日知っておりますアジア諸国からこの法案への懸念は、こうした背景があるだろうと思うのです。  具体的に申しますと、既にこの法案の適用事例として、中東湾岸のほかにカンボジア問題が指摘されておりますが、同時に、もしこの法案が成立され、いろいろな協力がなされるということを仮定しますと、韓国に駐屯している米軍は法形式上は国連軍という帽子をかぶっているということを忘れてはならないと思います。国連軍司令官としての在韓米軍司令官が存在し、かつ韓国に駐屯する国連軍の後方司令部は神奈川県の座間に今日なお現存しております。そのような朝鮮国連軍と本法案との関係がどういうふうになっているのか、物資協力はこういった形の協力にも文字面を追うだけでは当てはまるのではないかというふうに思えてくる。このあたり、やはりきちんとした説明がなされない限り疑念は解消しない。これも法案のはらむ問題点ではなかろうかというふうに考えるわけであります。  最後に、では、あるべき国際貢献とは何であろうかという点について申し述べてみたいと思います。  まず、国際貢献をする環境整備として自衛隊の縮減、軍縮が必要であろうと思います。今日、湾岸危機に対処する米ソ英仏、ことごとく軍隊派遣しながら、しかし一方ではデタント後の軍縮を開始しております。海部総理がおっしゃるように、「新しい国際秩序」、「冷戦時代の発想を超えて」というのが日本のこれからの国家目標となるのであれば、とりもなおさず、それはまず自衛隊の縮減という形で示さなければなりません。そうすることによって初めてアジア諸国の、もし無用とおっしゃるのならば無用の困惑、懸念は解消されるわけでありまして、まず大方向としての自衛隊の縮減、軍縮が必要であろうと思います。そして冷戦後の新しい国際秩序を担う日本役割が見えてくると思うんです。  二番目は、そのような方向が示された後でも、やはり日本の国際貢献は国連中心とし、国連総会あるいは国連安全保障理事会の決議を直接的に受けた国連事務総長の行う平和維持活動に重点が置かれるべきだということであります。国連平和維持活動は一九八〇年代末期から特に目覚ましい活躍をしているように思います。アフガニスタンにおける停戦監視、イラン・イラク戦争の停戦条約の監視あるいはニカラグアにおける、ナミビアにおける、アンゴラにおけるさまざまな活動は、国連の復権を私たちに告げているように思います。そのような中で日本役割を見つけていく、自衛隊と別個の組織をつくることによって、そのような国連平和維持活動国連のシビリアンコントロールのもとで活動するということが必要になってくると思います。  さらに、より長期の日本の国際貢献としては、世界的な軍縮が達成された後に新しい役割を見つけていくことではないでしょうか。一九六一年、アメリカとソビエトはゾーリン・マクロイの協約によって「軍備全廃のための八項目合意」というのをつくっております。これには軍隊の解散、海外基地の撤去、軍事費の全廃ということも含まれております。さらに一九六二年には、軍備全廃条約のための条約草案も国連において十八カ国軍縮委員会によって採択されています。このような既に着手された全面的軍縮への日本の貢献を大きな国家目標とすること、それを展望しつつ、その中で、当面日本のあるべき貢献を探ることが重要であろうというふうに考えます。  以上であります。ありがとうございました。(拍手)
  12. 加藤紘一

    加藤委員長 ありがとうございました。  次に、佐藤公述人にお願いいたします。
  13. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 東京大学佐藤誠三郎でございます。  私は、この法案日本が平和国家としての責任を果たすために最低限必要なものであるというふうに考えております。私は、この法案が十分である、完全無欠であるなどとはいささかも思いません。極めて不十分であると思っております。しかし、この不十分な法案でも、日本が平和国家として本当に世界に責任を果たすためには絶対に必要不可欠であると信じております。フランスのすぐれた外交官であり今世紀最大の劇作家の一人でありますジャン・ジロドーは、真の平和主義者は必要な場合戦争を阻止し侵略を阻止するために戦う用意のある者であると言っております。私はまさにそれは名言であると思います。この法案さえ成立しないようでは、日本は、憲法の前文に書いてあります「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占め」ることは到底できないと私は信じます。  国連中心主義という言葉は日本では大変評判のいい言葉になっております。与野党でほとんど合意ができていると思います。大変結構だと思います。ただし、国連とは本来侵略を阻止し平和を実現するために戦う組織であるということをお忘れになってはいけないと思います。それは国連憲章第二条及び第七章の各条項をお読みになれば直ちにおわかりになることであります。世界はなお非軍事的手段のみによって平和が守られる、侵略が阻止できるほど安全なものではございません。これまで国連中心主義と非武装主義があたかも矛盾しないように日本で考えられておりましたのは、東西の冷戦的対立の激化により国連平和維持機能が事実上解体していたからにほかなりません。国連が真に平和維持の機能を果たし得るように徐々になっていくならば、非武装主義と国連中心主義とは完全に矛盾する、原理的に矛盾するという事態がより明らかになる。今回のイラクによるクウェート侵略はまさにそのことを示しているというふうに私は考えます。  以上が私の基本的な考え方でございます。  第二に、現在の国際関係の構造変化について述べさせていただきます。  現在は、一言で言って、世界は冷戦と戦後の二つのシステムが終わった時期、その意味で新しい時代に入りつつある、しかしまだ新しい秩序は形成されていない不安定な過渡期に入っていると私は考えております。ドイツの統一は、この二つの終わり、つまり冷戦と戦後の終わりを象徴的に示しております。     〔委員長退席、高村委員長代理着席〕  冷戦の終結については申し上げるまでもないと思います。戦後の終結とは、とりもなおさず、アメリカが圧倒的な軍事的経済的優位をもって単独で世界の秩序維持の主要な責任を果たせる時代が終わったということでもあります。そして、事実として日本とドイツが少なくとも経済力に関してはアメリカと並んで世界の三大柱として世界の平和と安定のために役割を果たさなければならない時代が来たということを意味するものでもあります。そして、現在はまだ、戦後と冷戦の終えんによって従来の秩序は崩れたにもかかわらず新しい秩序は十分形成されておりません。こういう不安定な過渡期には、情勢認識に対する過ちないしはこの不安定な時期を自分の勢力拡大のために利用しようとする野心的な指導者等の危険な試み等が多発するおそれがございます。現在の中東における事態はまさにその適例でございます。現在とりわけ必要なことは、以上の国際関係の構造変化を前提といたしますと、侵略は合わない、侵略はペイしないということを世界にはっきりと示すことであります。  以上が国際関係の構造変化についての私の考え方でございます。  第三番目に、それでは現在の湾岸危機に対して世界はそして日本は何をすべきでありましょうか。  まず第一に強調しなければならないのは、サダム・フセインの侵略を成功させてはならないということであります。もちろん戦闘は可能な限り防がなければなりません。戦闘を防ぐ一番いい方法は、サダム・フセインに国連決議を受け入れる以外に道のないことを明確に自覚させることであります。そのためには国連加盟国が団結をし、強力なイラク包囲網をつくることが不可欠であります。口先だけでイラクの侵略を批判していては決して問題の解決にはなりません。それは極めて危険な道でさえあります。もし日本アメリカその他の国々と十分協力をせず、アメリカが世界平和を維持する主要な責任を担う用意、意思を失ったならば、事実としてサダム・フセインの侵略は認められることになってしまいます。その場合に起こり得る世界秩序の混乱、世界経済の不安定を考えると私は慄然とする思いを避けることができません。  第四番目に、私はこの法案が成立しなかった場合の国際的なマイナス効果を強調したいと思います。  この法案が成立しない、ないしは自衛隊の部分を骨抜きにした形で、重要な修正を伴った形で成立した場合、それは日本は侵略阻止に熱意がないということを世界に伝えることになります。そうしうメッセージを事実として伝えることになるということを法案審議に当たられる皆様はくれぐれもお考えいただきたいと思います。当然、その結果、日本は国際的な非難の的となるでありましょう。  さらに私は、アメリカを孤立主義に追いやる危険を決して過小評価してはならないと思います。私はごく最近もアメリカに行ってまいりましたが、アメリカに確かに現在孤立主義の危険な方向が出ております。そして、世界の秩序維持の主要な責任を単独で果たすのはもう御免であるという気分が高まっております。もし世界の国々、特に世界第二の経済大国である日本が十分な協力をせず、したがってアメリカが孤立主義に返っていった場合、世界はどうなるでありましょうか。それは、サダム・フセインがことしの八月二日にクウェートに侵略した直後にアメリカが機敏に大量の軍事力を展開しなければ、現在のようなイラクの包囲網も、それからイラクに対する経済制裁も決してできなかったであろうということを考えればおのずから明らかであります。  世界は極端な不安定と地域紛争の多発する時代を迎えるでありましょう。そして、そのような世界で最も重大な打撃を受ける国の一つが、世界的に経済活動を行い、ごく控え目の軍事力しか持たない我が日本であることは言うまでもありません。したがって、現在の中東の問題をあたかもサダム・フセイン、イラクアメリカとの対立であり、日本はその中で両者に巻き込まれないようにすればいいというように考えるのは、侵略者に対して極めて毅然とした態度をとらないという意味で間違っているだけでなく、日本の国益に基本的に反する態度であるということを私は強調せざるを得ません。  最後に、これまでの国会におけるこの法案についての審議新聞その他を通じて拝見しておりまして、今までの議論が、戦後が終わったという事態を十分踏まえて行われているとは私には率直に申し上げまして感じられません。現在行われるべきことは、このような国際社会の大きな変動の中で、そして日本の国際的地位の事実としての著しい向上の中で我が国が世界の平和と繁栄のために何をすべきなのであるかということであります。その上に立って、必要ならば従来の政府答弁、従来の国会決議、従来の法律も変えるという、そういう態度をもってぜひ御審議をいただきたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  14. 高村正彦

    ○高村委員長代理 ありがとうございました。  次に、山内公述人にお願いいたします。
  15. 山内敏弘

    山内公述人 ただいま御紹介にあずかりました山内でございます。  私は、現在政府によって提案されております国連平和協力法案は日本憲法の平和主義に著しく違反するものであると考えますので、そのような観点から若干私の考えを述べさせていただきたいと思います。  まず最初に申し上げておきたいと思いますのは、この法案は、いろいろと粉飾あるいは工夫を凝らしておりますが、結局のところは、自衛隊の海外派兵を容認し、海外における自衛隊戦争協力あるいは武力行使を認めるものとならざるを得ないということでございます。  確かにこの法案の二条二項には、「平和協力業務の実施等は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。」と規定されております。しかし、この法案が現実に適用されるであろう事態を考えてみますと、海外に出動する自衛隊武力行使を行わざるを得ないのは避けられないと思います。改めて指摘するまでもなく、武力行使自衛隊の本来的な任務に属しております。そのような自衛隊をわざわざ部隊として、また自衛官の身分を併任させた形で、しかも武器を持たせた形で武力紛争地域に出動させ、紛争当事国の一方の側の戦争協力の業務を行わせた場合、紛争の相手国はそのような自衛隊をも敵側とみなして武力攻撃、武力行使を行ってくることは十分にあり得ることでありましょうし、そうなった場合には、自衛隊も応戦し、結局はみずから武力行使をせざるを得なくなると考えられるのであります。その場合には、単に平和協力隊員個々人の警察的な武器使用の域にはとどまり得ないことは明らかであると思われます。  この点に関連いたしまして、政府は、平和協力隊を戦闘地域には送らないと述べておりますが、そのような地域的な限定は法案のどこにも規定されていないのであります。また、平和協力隊員が保持、使用できる武器についても、何をもって小型武器とするかについての法律上の限定は何もご ざいません。さらには、部隊参加する自衛隊に適用されることになります自衛隊法八十七条や九十五条も、保有し得る武器については何の限定も行っておりません。この点に関して法案二条二項は何ら歯どめの機能を果たし得ないと思われます。  さらには、例えば平和協力業務の一つとされております輸送の中身についても、政府自身認めておりますように、法案上何らの限定もつけられておりません。兵員や武器弾薬の輸送が当然に想定されておりますし、武器については、核兵器の輸送さえも非核三原則の適用地域外であるとして正当化されることになりかねません。また、これも協力業務の中に含まれております機械器具の備えつけ、検査もしくは修理、あるいは紛争によって生じた被害の復旧のための活動について言えば、これらが前線における戦闘基地の構築、復旧と無関係であるとする保障は法案の規定上は何ら存在していないのであります。このような活動は、それ自体憲法九条が禁止しております武力行使と不可分一体のものとみなさざるを得ないと思います。  ところで、この法案に関して次に指摘しなければならないと思われますのは、この法案では、本来その法的性格が異なるさまざまな活動に対する協力業務が混在した形で規定されており、その中には政府の従来の憲法解釈からしても違憲とせざるを得ないものが含まれているということでございます。  すなわち、平和協力業務の協力対象とされておりますのは国際の平和及び安全の維持のための活動でございますが、法案の三条一号の定義はこの点で極めて漠然、不明確なものとなっているため、この中には例えばPKOの活動のみならず、国連軍の活動やいわゆる多国籍軍の活動なども全部含まれてしまうとする解釈が可能な規定となっております。  しかし、改めて申し上げるまでもなく、国連軍への武力行使を伴う自衛隊の参加は憲法九条のもとではできないということは政府自身も従来とってきた解釈であります。この点に関連して、このたびの国会政府が出しました国連軍への参加と協力の違いに関する見解は従来の政府解釈の枠を一部変更しようとするもののように思われますが、しかし憲法立場からすれば、参加にしろ協力にしろ、いずれにいたしましても国連軍への参加、協力武力行使と不可分一体になったものであり、ともに認められないと解釈するのが正当と思われます。この法案は、このような参加、協力をも包含し得る規定となっている点で違憲とみなさざるを得ないと思われます。  また、いわゆる多国籍軍の活動に対する協力業務も憲法九条のもとでは認められないと思われます。政府見解によれば、現在サウジアラビアに駐留する多国籍軍国連安保理決議六百六十の実効性確保のための役割を果たしているとされておりますが、しかし、例えばアメリカ軍に関して言えば、アメリカ自身もサウジへの駐留を集団的自衛権に基づくものと説明しております。このような集団的自衛権の行使への協力、加担は、それ自体集団的自衛権の行使であり、日本憲法のもとでは認められないと思われます。そして、つけ加えれば、このような中近東での米軍への協力は、日米安保条約五条の枠組みをもはみ出してしまうものと言わざるを得ないと思われます。国連平和協力法案は、このように、従来の政府解釈によっても否認されております集団的自衛権の行使をも国連決議の実効性を確保するためにという名目のもとに容認しようとするものであり、この点からしても憲法に抵触する内容となっていると思われます。  この法案に関してさらに指摘しなければならないと思われますのは、この法案では平和協力隊及び協力隊員の性格が極めてあいまい、不明確であるということでございます。国会での政府答弁によれば、協力隊自体は軍隊ではないが、協力隊を構成する自衛隊部隊、自衛官は、国際法上、軍隊または軍隊の構成員という地位を有するとのことでございますが、率直に申しまして、このように首尾一貫しない説明では国民を納得させることができないだけではなく、国際法的にも平和協力隊の性格を明確にしたことにはならないというふうに思われます。  政府がこのように不明確な説明をせざるを得ない理由は、一つには、平和協力隊協力業務の対象の中に、先ほど述べましたように、その性格が質的に異なるさまざまな活動が混在しているということがあると思われますが、もう一つには、結局のところ、平和協力隊武力行使を行う事態を想定し、武力行使を行う可能性を留保しておきたいという事情があるからであると私には思われます。  もし、平和協力隊が本当に武力行使を行わないのであれば、わざわざ平和協力隊を構成する自衛隊部隊そして自衛官を軍隊そして軍人と説明する必要は何らないと考えられるのであります。そのような説明をするのは、結局、これら自衛隊そして自衛官が武力行使を行った場合、戦時国際法によって軍隊としての取り扱いを、そして交戦資格を持った軍人としての取り扱いを受けることが必要だからであるというふうに私には考えられます。  平和協力法案に関して、なお指摘しなければならないと思われますのは、この法案にはシビリアンコントロールを貫こうとする姿勢がほとんど見られないということでございます。この点を国会で追及されました政府は、平和協力隊の海外派遣については平和協力会議や閣議によるチェックがあるとしておりますが、しかし、事柄は日本がわざわざ自衛隊を海外に出動させて戦争を行うかどうかという、文字どおり日本国民の生存にかかわる重大事でございます。そのような重大事の決定を行うに当たって、国権の最高機関である国会の承認を事前にも事後にも一切必要としていないこの法案は、シビリアンコントロールの要請を満たしたものとは到底言い得ないと思います。この点、現行の自衛隊法でさえも、防衛出動命令が下令される場合には、事前または事後における国会の承認を必要としていることが留意されるべきだと思います。  以上、ごく簡単でございますが、この法案問題点を述べさせていただきました。  この法案に関連して、あわせて指摘しておきたいと思いますのは、仮にこの法案が成立し、一たん自衛隊の海外派兵が認められました場合には、そのこと自体が一つの既成事実となって、次には、国連決議とはいかなる意味でも関係がない場合においても自衛隊が海外派兵するという事態がやってくるであろうということでございます。例えば在外邦人が生命の危険に陥っている場合には、それを救出するのは国家の責務であり、自衛権の行使であるといった名目によってでございます。  その意味では、このたびの法案に対してアジア諸国がほぼ一様に反対し、あるいは危惧の念を表明しているのは極めて当然のことと思われます。このようなアジア諸国の人々の気持ちを私たちは決して無視することがあってはならないと思います。  もちろん、日本といたしましても、自国のことのみに専念することは許されないのであって、国際社会に対する貢献は真剣に考えなければならないと思います。しかし、国際社会に対する本当の意味での貢献とは、自衛隊を海外に派兵することにあるのではなく、まさにその逆のことをすることに、すなわち、平和憲法の理念に従って日本の内外における軍縮を徹底的に推進していくことにこそあると言わなければならないと思われます。  今日の国際社会には、飢餓と貧困に苦しんでいる、またさまざまな人権侵害に苦しんでいる多くの人々がおります。これらの人々に本当に役に立つ協力を行い、これらの人々の人権の保障と実現のために非軍事的な形で協力することこそが、日本国際社会において名誉ある地位を占めるために要請されていることであると私は確信しております。  以上をもちまして、私の公述とさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  16. 高村正彦

    ○高村委員長代理 ありがとうございました。  以上で御意見の開陳は終わりました。     ─────────────
  17. 高村正彦

    ○高村委員長代理 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の際は、公述人を御指名の上お願いいたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山崎拓君。
  18. 山崎拓

    ○山崎委員 自由民主党の山崎拓でございます。  本日の各公述人のそれぞれ御見識をお述べいただきまして本法案審議に御協力いただいておりますことを、心から敬意を表します。  まず、齋藤公述人にお伺いをいたしますが、齋藤公述人がみずからの体験としてお述べになりました事実関係の中で、一九五八年に当時のハマーショルド事務総長からレバノン監視団に対する自衛隊将校十名の参加を要請された、しかし、そのときは憲法上の事由でお断りしたという陳述がございましたけれども、これは憲法上の理由ではなくて我が国の自衛隊法上等の法律上の理由でお断りになったのではないか、そのように思いますが、いかがでございましょうか。
  19. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 有益な質問をありがとうございます。  当時憲法の問題が非常にやかましくなっておりまして、内外でそれを議論しておりましたので憲法と私申し上げたのですけれども、国会における議論を通じて、正確に言うと、自衛隊法上こういう業務というものは自衛隊の業務ではないという、自衛隊の業務とは書いてないということがありますから、あるいは法律上の問題というように訂正申し上げてもよろしゅうございます。訂正申し上げます。
  20. 山崎拓

    ○山崎委員 せっかくそういう御発言がございましたので、ついでながら齋藤公述人の御所見を承りたいと存じますが、実は本法案審議の中で時折出てまいります議論といたしまして、現行の自衛隊法、自衛隊法の三条で自衛隊は専ら国土防衛の任に当たるのみであって、海外に派遣されるべきではないという意見がございます。自衛隊法の任務規定で仮に海外における新しい任務が追加されるということであれば、私どもといたしましては当然自衛隊は海外に出かけていってその新しい任務を果たすことができると考えているのでございますが、従来の南極観測とかその種のことは認めておられるのでございましょうが、また現に自衛隊法、通っておるわけでございますが、今回考えられておるような新しい任務については追加されるべきでない、こういう御議論がございます。これについていかが思われますか。
  21. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 お答え申し上げます。  自衛隊は確かに委員のおっしゃるとおりに自衛の目的で設置されたものでございますが、実は今問題になっておりますのは、新しい法律のもとで別の目的あるいはまた別の組織自衛隊を使うということでございまして、その場合には新しい組織の責任者の指揮に基づいてその法律に基づく業務を行うのでありますから、全然別になると思うのです。ただ、事実上自衛隊の同じ人間が両方の業務に携わるということで問題があるということはあるいは言えると思いますけれども、国際義務を遂行するために国内に適当な機関がないときにある機関を使うということは、私は国家としてできると思いますので、自衛隊使用されるけれどもそれは全然別の責任者の指揮に基づいて別の任務を行うということだと思います。
  22. 山崎拓

    ○山崎委員 同じ質問を佐藤公述人にいたしますけれども、ここで行われております議論の主たるものは、憲法上の制約があって自衛隊は今回のような国連の活動についても海外に出るべきでない、そういう議論なんでございますが、一方、ただいま申し上げましたように、自衛隊法上の制約があって出られないんだ、こういう議論も、もっと限定的な議論が実はございます。この点について、主として自衛隊法三条でございますが、佐藤先生の御意見を承りたいと思います。
  23. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 確かに御指摘のように、自衛隊法三条には今回のような事態を前提にしたような文言はございません。しかし、自衛隊法の精神を全体として見るならば、私は、現在の自衛隊法でも十分今回の対処についてもっとさまざまなことができるというふうに考えております。それは、自衛隊法の八十二条によって当然自衛官をしかるべき場所に、中東のしかるべき場所に派遣することは可能でございます。さらに言えば、法律の解釈として、法律に明確に示されてないことは、許可されてないことはできないという解釈から禁止されてないことはできるという解釈までございます。ほかの各省庁の設置法について言うならば、禁止されてないことはできるという考え方が支配的であります。それでなければ、行政指導など大部分のものはできなくなります。なぜ自衛隊法に関してだけ明確に許可されてないこと以外はできないという解釈をおとりになるのか。私は、その解釈はもうそろそろ変えるべき時期に来ている。最も望ましいのは、もちろん自衛隊法の改正であります。
  24. 山崎拓

    ○山崎委員 前田公述人にお伺いをいたしますが、第一点はポスト冷戦期という新しい国際情勢、これについては各公述人はそれぞれ、お述べにならなかった方もいらっしゃいますが、かなりの方が、特に田中公述人あるいは齋藤公述人佐藤公述人からお話があったところでございますが、ポスト冷戦期の特色、そしてその新しい情勢の中で世界の安全保障はいかに守られていくべきかという点について御意見をお伺いしたいと思います。
  25. 前田哲男

    前田公述人 私も、冷戦が終わって世界が新しい秩序形成期に入ったということに関しては全く同じ認識を持っております。  しかし、これまでこの認識に関して極めて消極的、限定的にしか解釈してこなかったのが防衛庁及び外務省、つまり日本政府であろうと思います。どのような文章を読みましても、日本周辺における依然とした軍事的な緊張の継続を主張しておりまして、それに対応する措置、つまり防衛力整備の必要性を強調しております。来年度から始まります中期防衛力整備計画策定に関する安全保障会議の議論もやはりそうであろうと思うのです。しかし、現実に進行しております世界の情勢はそうではなしに、ヨーロッパにおけるCSCEがそうでありますし、CFEもそうでありますが、明らかに緊張緩和、軍備から経済へというふうになってきている。日本周辺においても、もしことしじゅうにSTARTIが発効し実施されるようなことになりますと、これは実質的な海軍軍縮につながっていく。すなわちSLBM、潜水艦発射弾道ミサイルの半減計画を含むものでありますから、当然それを搭載する潜水艦の縮減が必要になってくる、それを護衛する水上艦艇の縮減が必要になってくるということでありまして、STARTI条約がとりもなおさず日本周辺における海軍軍縮条約としての性質も帯びてくる、これはもう必然の勢いであります。したがって、日本周辺に冷戦がなお残っているという認識そのものがやはりフィクションであろうと私は考えるわけです。そのような新情勢に対応する日本の大戦略、国家目標の再設定こそ今望まれている状態でありまして、この法案は残念ながらそれにこたえていないというのが私の判断であるわけです。お答えになりましたでしょうか。
  26. 山崎拓

    ○山崎委員 ただいま世界がポスト冷戦期に入ったということはお述べになったと思います。そして、まだなお我が国周辺に冷戦構造が残っているという認識は誤りだというお話でございました。  私が承りたいのは、私は今の御議論に対しても異論があるのですが、というのは、我が国の自衛隊は基盤的防衛力なんでございまして、先生のお考えはどちらかと申しますと所要防衛力的なお考えをおとりになっているのではないか。つまり、冷戦の構造がなくなって圧力が減った分だけ我が国も軍縮を行うべきであるという、そういう所要防衛力的なお考えをおとりになっているように感じます。それは私はとりません。私はとりませんが、その議論はさておきまして、要するにポスト冷戦期に、それではイラクのクウェート侵攻のような、そういう新しい国際秩序を乱す動きがなぜ起こったのか。それから、地域紛争はこのことに象徴されるようにこれから多発する可能性があると考えておられるのか、ないと考えておられるのか。もしあるとお考えになっておれば、一体これにどう対処すべきであるとお考えになっているのか、その点についてお伺いしたいと思います。
  27. 前田哲男

    前田公述人 先生おっしゃいました基盤的防衛力構想が日本の防衛政策の基本であるということに関して、私は若干意見を異にしております。なるほど、そう書いてあります。そう説明されております。しかし、一九八〇年代に実際に日本の防衛政策がとってきたのは、紛れもなく所要防衛力構想に基づく防衛力整備であったろうと思います。議論は避けますが、防衛白書にこの十年間一度も基盤的防衛力構想なる用語すら掲載されなかった事実がそのことの一端をあらわしているのではないか。あれは捨て去られた構想でありました、少なくともことしあるいは昨年の段階まで。こう私は理解しております。  クウェート侵攻がどうして起こったのだということに関しては、確かに冷戦崩壊期における一つの地域紛争の典型としてとらえる見方もありましょうし、また、中東における個別の背景と構造を持った地域紛争であるという見方もありましょうし、必ずしもこの時期必然性を持って起こった冷戦崩壊期における典型的な一例であるかどうか、そのようには思っていません。  ただ、私が不審に思いますのは、アメリカとソビエト、東西の冷戦緩和、緊張緩和、冷戦終結に向けてあれほど忍耐と互譲、和解と妥協の精神で臨んだ両超大国、とりわけアメリカが、そしてそのことによってドイツの統一に見られる、ヨーロッパにおける新しい安全保障の枠組み導入に見られる新時代を開いたアメリカが、なぜ南北関係において旧来と同じ冷戦的手法をもって対応するのであろうかということであろうと思います。  今回のイラク湾岸危機に対する国際連合の対応は極めて迅速でありましたし、効果的であったろうと思います。八月六日までにイラク非難決議経済制裁決議がなされました。しかし翌日に、八月七日にアメリカは、この湾岸に軍隊派遣するという形で従来と同じような、八〇年代と同じような対応をしている。これは極めてまずいのではないか。新しい国際関係がヨーロッパを初め東西の間では確立したその瞬間において、旧来と同じ冷戦型手法を南北関係に適用するアメリカのやり方はやはり間違っていると思います。その間違っていることに対して日本がこういう法律で追随していくことは、やはり日米関係の真のあるべき姿からも逸脱するのではないかという印象を持ちます。  地域紛争がこれから多発していく要因は確かにあります。インドとパキスタンのカシミール紛争を初めとして、現にいつでも発火しておかしくない地帯を残念ながら抱えております。しかし、この背景を見てみますと、一つは、とめどなき武器の拡散があります。ミサイルと核の拡散へとそれは移行していこうとしている。これを従来と同じような多国籍軍、武力による鎮圧ということで抑えようとしても抑え切れないような状態が目前に迫っている。インド・パキスタン戦争がもし発火すれば、これは地域紛争というより地域核戦争になっていく。多国籍軍派遣したぐらいでは到底鎮火し得ないような状態になっていく。そのことに思いをいたすならば、地域紛争が発火する情勢であればあるほど、東西関係で導入された互譲と忍耐、対話と妥協の精神を南北関係に適用することの方が、そしてそのことに日本が国家目標を置くことの方が極めて重大であるというふうに考えます。
  28. 山崎拓

    ○山崎委員 私は、前田公述人意見を異にする点が幾つかあるのですけれども、前田公述人の御意見に実は非常に期待している向きもございますので、御質問申し上げているわけでございます。  一つは、基盤的防衛力という言葉はこのところ出てきてないのだという御指摘がございましたけれども、言葉は出てこなかったことはないわけでございまして、防衛計画の大綱の中に定めてあることでございますから、その点は正確に申し上げておきたいと思います。  それから、ただいまお話しになりました中で、どうも国際情勢に対する認識やあるいは新しい枠組みについて、前田公述人の考えは非常に楽観的に私には聞こえます。  そこで、後で御質問いたしますが、この同じ質問、新しい国際情勢の中で新しい平和の枠組みをどうやってつくっていくか。先ほど田中公述人は、一・三・五体制の、大変わかりやすい示唆に富んだお話がございましたけれども、もう一度田中公述人の御意見を承りたいと思います。
  29. 田中明彦

    田中公述人 現在の世界において、安全保障問題、どういう脅威があるかということを考えますと、いろいろあると思います。中には、脅威を起こす主体のはっきりしているもの、それから脅威を起こす意図のはっきりしているもの、これは侵略行為であります。これ以外にももちろんございます。これ以外には、例えば国境紛争とか民族問題とか、主体ははっきりしているけれどもお互い侵略しようというふうに思っているかどうかはっきりしないというものもあります。それから、あるいはテロのように、余りだれがやっているかよくわからないというのもあります。それから地球環境の破壊とか世界経済の崩壊とかいうように、だれがやっているかもはっきりしないし意図もないというのもあります。ですから、今後の安全保障問題を考える場合は、これらすべての問題に対してどうやって対処するかということが求められているのであります。  それで、先ほど前田さんがおっしゃったことで、インド、カシミールの問題というのは、これは実は国境問題とか民族問題とかさまざまなものが絡んでいますから、これが必ずしも今回のイラクのケースと似たようなものであるというふうにとらえるのは間違っていると思います。ですから、こういうケースについてはいろいろな国連中心の話し合いのシステムとかそういうものをつくっていくということが必要であります。それから、世界経済とか地球環境から来る安全保障問題についてどうやってやるかというのは、これも地球的規模の協力が必要です。ただし、一番最初に申し上げましたように、侵略する国家がはっきりしていて意図もはっきりしているというような脅威もいまだなくなってはいないのですね。現にあるわけです。それで、このようなものに対処する場合に、非軍事的手段でもってすべてはできるというふうに言うのは、私は幻想でしかないというふうに思います。
  30. 山崎拓

    ○山崎委員 そこで、もう一度前田公述人に話は戻りますが、先ほど冒頭にもお述べになりましたあるべき国際的貢献の中で、一つ自衛隊の軍縮、これは私は賛同いたしませんが、もう一つ国連中心主義、それも決議を直接受けた活動、国連の厳正なシビリアンコントロールのもとでやる、それはどういったものであるかということになると、先生はPKOをお挙げになったように思いますが、間違いございませんか。——そうであれば、今度の法案は、実は先生がただいまの公述の中で否定されました多国籍軍への協力、私は否定されたと思うのですが、これが一つございます。しかしもう一つは、先生が積極的に評価しておられるPKOへの参加、協力という、二つのパートに今度の法案は分かれていると思うのですね。そうすると、半分は肯定的であると考えてよろしいですか。     〔高村委員長代理退席、委員長着席〕
  31. 前田哲男

    前田公述人 その点にだけ限定して言うのでありますれば、半分ではなしに三分の一だろうと思います。「国際連合その他の国際機関又は国際連合加盟国その他の国」というふうに出されておりまして、決して二つではありませんので、三分の一というふうに限定して、その限りにおいて賛成であります。
  32. 山崎拓

    ○山崎委員 三分の一でも結構なんですが、PKOへの参加、協力は評価していただいている。そうすると、今先生がおっしゃった、公述人がおっしゃった三分の二を取り除いた場合は、その三分の一だけ残すということになれば、この法案でよろしいですか。
  33. 前田哲男

    前田公述人 はい。私は完全に、先ほど冒頭に申し上げましたように、国際連合の総会もしくま安全保障理事会の決議に従って、国連事務総長要請に基づいて参加する非軍事の協力であれば是認さるべきであるというふうに考えております。
  34. 山崎拓

    ○山崎委員 今、非軍事というお言葉を使われましたが、PKOの活動は、これはよく御案内と思いますけれども、平和維持軍あるいは停戦監視等に分かれていると思います。それはすべて非軍事と考えてよろしいですか。
  35. 前田哲男

    前田公述人 もちろん違います。私より御専門の方を横に置いて恐縮でありますが、PKOの活動が、停戦監視に見られるようなシビリアン中心の非軍事的な活動と同時に、レバノンでありますとかキプロスでありますとかに配置されているような、平和維持軍という名であらわされる軍事を含んだ活動もあることは承知しております。
  36. 山崎拓

    ○山崎委員 それはお認めにならないわけですな、その点への協力はだめでございますか。平和維持軍に対する、今おっしゃった、例示されました平和維持軍に対する協力はできない、すべきでないとお考えですか。
  37. 前田哲男

    前田公述人 いえ、すべきでないとは考えておりません。それも含めて日本の責務、国際貢献の中に入れておりますが、それを自衛隊の任務あるいは国連平和協力隊の任務というふうにするのは間違っている。先ほど申しましたように、別個の組織としてそういう専門の機関、組織をつくり、それをもって充てる、これがあるべき姿であろうというのが私の考えでございます。
  38. 山崎拓

    ○山崎委員 齋藤公述人にただいまの議論の延長としてお伺いをいたしますが、そういたしますと、PKOに対する参加、協力はいいが、国連平和協力隊自衛隊はだめだ、新しい組織をつくるべきだと前田公述人は今お述べになりました。この点についてお伺いいたしたいと存じます。  それは、齋藤公述人が御体験上、今までの御経験上、大変精通してあると存じますのでお伺いいたしますけれども、世界の各国のPKOに対する参加は軍人によって行われておりますか、あるいは民間人によって行われておりますか、その点についてお伺いしたいと思います。
  39. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 各国の対応でございますか。(山崎委員「はい、日本でなくて」と呼ぶ)失礼、質問して申しわけありません。  日本の場合は特殊事情でございまして、ほかの国は恐らく、コスタリカのような日本と同じような立場をとっている国はありますが、ほかの国の相互の間に私は差はないと思うのです。ただ、国によっては違った立場をとっていたところが憲法を改正して、そしてとれるようにした。オーストリーがその例でございますけれども、そういうことをしない限り大体どこの国も同じ立場で、特に軍事行動についてはそれを控えるということはないと思います。  なお、今の公述人のお話に関連して、国連決議に基づく協力について、一つは直接行動ですね、国連が行います直接の行動と、その国連決議は通常各加盟国に協力を求めているわけでございますから、国連自身が行うかわりに各加盟国に任せているものがございまして、それが今度の多国籍軍、私はいい言葉と思いませんので、加盟国の個別的な協力部隊、軍と言うべきだと思うのですけれども、それが今度はいわゆるPKOのほかに対象に入ってくる。というのは、PKOと同じように決議に基づく行動であるからであります。
  40. 山崎拓

    ○山崎委員 今齋藤公述人がお述べになりました点は、私の理解だと、各国の国連要請に基づくPKOへの参加要員はほとんどが軍人である、一部その他の者が要員として派遣されているけれども、大部分は軍人が派遣されている、それはなぜであるかということをお伺いしたいのでございますが、その理由の一つとして、やはり国連平和維持活動ではあるが、危険を伴うからではないか、かように私は一つの要素としてそのように考えているわけでございます。それでなければノーベル平和賞をもらうことはなかったのではないかなという気もするのですが、その点について、事実をよく御存じの公述人にお伺いしたいと思います。
  41. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 ただいまの質問にお答えいたします。  各国の協力を行っている主体は軍人というお話がございましたけれども、それは職業軍人に限らないわけです。一般人を募集して一つ部隊をつくって、それが一種のやはり部隊あるいは軍になるかもしれませんけれども、そういう例はございますけれども、いずれも部隊として一つの団体として出ていきます。それはなぜかと申しますと、すぐに個人が役に立つということは常識で考えてもありませんので、団体的な訓練を受けた者でなければいざというときにはむしろ足手まといであって役に立たないということでございます。ですから、今度の私の率直な意見は、どういうことであってもとにかく組織化された点、すなわち隊として協力できるようになったということは私は大変なことだと思うのです。そして、そのためには訓練をしなければその隣もまた役に立たないと思いますので、早くつくっていただいて、訓練機会を設けるということが大事だと思います。
  42. 山崎拓

    ○山崎委員 ただいまの御議論浅井公述人お聞きになっていたと思いますけれども、浅井公述人は、社会党の案、機構法案でございますかをごらんになって、それすらも——機構案でございますか、それすらも必ずしも賛同できないという御陳述があったように記憶いたしますが、それはどういう意味なのか。これは専らPKOを対象にした案のように私は受けとめておりますが、浅井公述人はどう考えておられますか。
  43. 浅井基文

    浅井公述人 お答え申し上げます。  私は、問題の根本は、我が国の憲法のもとでは集団的自衛権の問題にかかわるかどうかという点を考えなければならないと思っております。その点におきまして、先ほど前田公述人がおっしゃったように、このPKO、平和維持軍の活動の中には、例えば今度の例に見られますように、かなり平和維持軍としては異例なほどの規模の活動を行った、しかも大量の兵器を伴って行動したというケースもございます。そういうような場合に、日本の平和協力隊と称して自衛隊が参加した場合には、当然そのオペレーションに参加するというようなことになる。その点の歯どめというものは原則論としてこのPKOの中にはございません。ケース・バイ・ケースということになっております。  そういたしますと、今の社会党さんの大綱を拝見いたしますと、そういう点、大綱という性格もございますでしょうけれども、その点が明確にはなっていない。そういうことであれば、やはり憲法問題ということが絡まってくる可能性はあるのではないか。したがって、私は全面的に賛成するというわけにはいかないということを申し上げました。  もう一つ申し上げたいのは、山崎先生も御指摘になっていた点だと私は理解したのでございますけれども、やはり日本の国民かこういう国際的なオペレーションに参加する、そのときにいろいろ犠牲を伴う、私も先ほどの冒頭の発言で申し上げましたけれども、巻き込まれという事態は必ずあり得るわけでございます。そういう点についての国民意識の成熟というものが本当にあるだろうか。その点について全く見切り発車で、国会審議という形だけである特定の法案をつくって、それを国民に押しつけるという形で本当に問題解決するのだろうか。本当に我々が国際協力ということを真剣に考える、国民を巻き込んで考えるということであるならば、そういう前提となる国民的な意識の成熟といいますか、そういう問題についての意識の成熟ということも当然にやった上でやらなければいけないのではないかと思う次第でございます。
  44. 山崎拓

    ○山崎委員 私は、ただいまの御意見を承っておりまして、まさに国民世論のこの法案審議を通じましての反応を見ておりますと、特に御婦人方の反応を見ておりますと、ただいまの浅井公述人の御意見のラインのものが多いと感ずるのですね。つまり、平和というのは実は空気や水のようなものではないので、これはただではないのですね。これはお認めになると思うのです。そこで、コストは払わなくてはならぬ。コストを払う必要はない、そんなものはもう自然に手に入るものであるから、わざわざただいま御指摘のような危険を冒してまでも平和を守り平和を維持し、あるいは国際社会の中で我々の平和があるんだというもっと広い概念も含めまして、そういう考え方が今の国民の中に失われてしまっているのではないかと私は考えます。私どもは平和ぼけと呼んでおりますが、それを浅井公述人はどのように考えておられるか。  そうすると、我々は国民のそういう考え方の成熟を待つまで国際的貢献は何らすることはない、必要かないとおっしゃっているのか、できないとおっしゃっているのかわかりませんが、国際貢献はできなしという意味にとれますが、その点いかがですか。
  45. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 お答え申し上げます。  私は、ただいまの国民の感情というのは尊重しないといけないと思うのです。ただ、尊重する場合に一つ問題点がございますのは、今の時代というのを少し考慮に入れなければいけないということと、それから先ほど私の冒頭の説明に申し上げましたように、危険だから嫌だという考え方は今はもう通らないと思うのです。憲法九条が武力行使をしないと言っているのは、日本が再び侵略を起こさないという誓いの言葉でありまして、怖いから武力行使をしないのだというのではないのですね。  最初に申し上げた時代的な意味というのは、占領後しばらくは外国は日本大目に見てくれたわけです。大目にということは、食糧もあるいは工業の材料も全部提供してくれていました。それで、日本人としては、まあみんなやってくれるんだという感じもありましたし、外国もそういう目で見てくれましたけれども、経済大国と言われた今日において、外国はむしろ日本を迷惑に思っている国もあるくらいでございますから、私は、いわば日本人のそういう特別扱いに対する希望というものはなくなりましたので、それは率直に国民にお話しした方がいいと思うのです。私の知っている限りにおいては、若い方はもう前のそういう歴史的な経緯に御存じでも関心を払わないという方がかなり多くなっておりまして、物をもっと率直に見られているのではないかというように思います。
  46. 山崎拓

    ○山崎委員 これで私の質問は終わりますが、最後に佐藤公述人、ただいまの点並びに我が国の危機管理体制について御所見があればお伺いしたいと思います。  私は、どうも外交と安全保障の問題がばらばらになっているのじゃないか、例えば官邸に外政審議室と安全保障室があるというふうにですね。私はこれからの新しい国際情勢の中では一体となりました対処というのが必要なので、その危機管理組織について先生の御所見があれば最後に承って、私の質問を終わりたいと思います。
  47. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答えいたします。  民主主義において、政治の基本的な方向が国民の意思によって最終的に決まる、これは言うまでもございません。ただし、そのときには国会その他を通じて十分な議論が行われ、国民に対して十分な情報が伝えられているということが前提になっております。でありますから、民主主義における非常に重要な点はリーダーシップの責任ということであります。リーダーシップなき民主主義は、全くかじを失った船のごとく迷走する以外にありません。リーダーシップの本質は何か。それは政府国会が真剣な議論をすることであります。それなしに、ただ世論調査的な意味での世論に従って、それの成熟を待つまでは何もしないというのは、最も民主主義社会におけるリーダーシップの責任の放棄にほかならないというふうに私は思います。民主主義社会における政治家たる者は、自分の信念に従ってはっきりと世論に訴えるということが不可欠であります。それなしに、国民の反対を恐れて言うべきことを言わないというのは、政治家として非常に無責任な態度であるというふうに思います。もしそれであるならば、国会などは不必要であります。  それで第二の、その危機管理体制の問題でございますが、私は、日本は法制的にも、また政治制度的に見ても、それから関係者の意識の面でも、危機管理体制は極めて不備であるというふうに思います。それについては、これまでの冷戦体制の中でのアメリカの圧倒的な軍事的、経済的優位の中で安住してきたという点が事実としてございます。しかし、もはや世界は変わりました。私たちはその危機管理体制について真剣にその体制の整備をしなければいけない。とりわけ内閣においてもっと機敏に行動ができるような体制をつくる必要がある。内閣安全保障室がそのためにつくられたと思いますが、今回決して十分にその機能を果たしているとは思いません。甚だ残念に思っております。
  48. 山崎拓

    ○山崎委員 終わります。
  49. 加藤紘一

    加藤委員長 次に、池端清一君。
  50. 池端清一

    ○池端委員 日本社会党の池端清一でございます。  本日は、公述人の皆さん、大変御多用中のところ御出席を賜りまして、貴重な御意見をいただきました。本当に感謝にたえません。厚くお礼を申し上げる次第でございます。  まず最初に、私は前田公述人山内公述人にお尋ねをいたしたいと思うのでありますが、先ほどもちょっとお触れになりましたけれども、今般の国連平和協力法案による自衛隊派遣は、武力による威嚇または武力の行使を目的としていない部隊の出動なので派兵ではない、したがって憲法には違反をしないというのが政府見解であることは御了承のとおりでございますが、この点につきまして前田公述人山内公述人のお考えを承りたいと思うのであります。
  51. 前田哲男

    前田公述人 法律の条文にそのように書かれ、またそのように主観的に思ってこの法律ができ上がって施行されるということはあり得るでありましょうが、しかし、実際にこれが運用され、日本国内ではなしに多国籍軍が展開するアラビア半島に場を置いて考えてみますと、状況次第によっては武力による威嚇もしくは武力の行使が避けられない、あるいはそのような状態に不本意ながら巻き込まれてしまう、もう避けられない状態で、それをいかに行わないというふうに条文に決めたからといって、それがあり得ないこととはならない。国会の論議を聞いておりますと、危険なところには行かせないというような形でそれを回避するような答弁が行われておりますが、しかし、イラクが持っております武器の種類及びその性能を判断してみましてもそうですし、近代戦一般、とりわけ第二次世界大戦以後における戦闘様相から判断しますと、危険でない場所とか、あるいは前線近くに、戦争地域、交戦地域に交戦員を派遣しておきながら、武力による威嚇または武力の行使が避け得るというふうに考えてしまうのはいささか現実的でないように考えます。
  52. 山内敏弘

    山内公述人 私も、基本的にはただいま前田公述人がお話しになったと同機の見解を持っております。  先ほどもお話しいたしましたように、自衛隊は本来的に武力行使を行うことをその任務としておるわけでございます。それで、もし仮に武力行使を行わないということであるならば、どうしてこの本来的に武力行使を行う自衛隊部隊として、そして自衛官の身分を併任させた形で、しかも武器を持たせた形で、さらには武力紛争が行われている地域に出動させるのか、この素朴な国民の問いに対する答えは何ら得られてないと思うわけであります。  それで、仮にその点は百歩譲ったといたしましても、先ほど来言われておりますように、現実にこの自衛隊部隊として出ていった場合においては、そしてその業務の中に例えば輸送業務といったものがありまして、その中には先ほど私が申し上げましたように輸送する内容についての限定は一切ございませんものですから、武器、弾薬、兵員といったものを輸送する、しかも紛争当事国の一方の側に立った形でもっての、いわばそちらの側に協力する形でもっての武器、弾薬、航空機等を運んだ場合においては、これはやはり武力による威嚇という形でもって相手側に受け取られても国際的にはやむを得ない。したがいまして、相手方がそれに対して武力行使を行ってくるということは国際的に十分にあり得ることだと思われます。そういたしました場合に、自衛隊の側が応戦するということになりました場合には、これは即武力行使とならざるを得ないであろうというふうに考えますので、したがいまして、仮に法案に形の上で、武力による威嚇または武力行使は行わないと規定しておりましても、この法案が発動される現実の事態を想定し、また平和協力業務の内容といったものを考えてみました場合には、先ほど申し上げましたような意味において、武力による威嚇または武力行使といったものにならざるを得ないであろうというふうに考えておりまして、そのような行為は私は憲法九条では禁止されている行為であるというふうに考えております。
  53. 池端清一

    ○池端委員 重ねて前田山内公述人にお願いをいたします。  政府は、いわゆる多国籍軍国連決議の実効性を確保するためのものであると言っております。この点についても先ほどお触れになりましたけれども、この多国籍軍というのは、今サウジに展開しております多国籍軍は、果たして国連決議に基づくものであろうかどうか。この点についての御見解と、この多国籍軍協力することは集団的自衛権の行使に当たるのではないか、こう考えるわけでありますが、この点についてどのような御見解をお持ちでありましょうか。
  54. 前田哲男

    前田公述人 目下サウジアラビア周辺に展開しております多国籍軍の派兵目的に関しましては、先ほどブッシュ大統領の全米向けテレビ放送を引用して私申し上げましたけれども、国連決議をそのまま受けたものではありません。そのように大統領は説明しておりません。サウジ防衛のためというふうに言っております。  そして御承知のように、国連決議要請しているのは、イラクに対する経済制裁、空域制裁も含みますが、経済制裁で、それを妨害するものに対する最小限度の武力行使ということであります。つまり、イラク周辺にピケットラインを張って、それを被ろうとするものを排除するというのが、たかだかそれが最大、国連要請に基づくイラクに対する実力行使であろうと思います。  しかし、現実に展開している多国籍軍は、そのような範囲を超え、目的を超えた形で既に配備を終結し、なお増強されつつあるわけであります。しかも、多国籍軍と申しますが、多国籍軍司令部がどこにあるのかだれも知らない、多国籍軍司令官がだれであるのかに関してもだれも知らない、どのような指揮命令系統が存在し、統帥権が発動されるかについてもはっきりした説明を受けることがない。となりますと、実態として、状況に沿って推測してみますと、多国籍軍が動くということは実は米軍が動くことにほかならない。目下の指揮系統の中では、米軍とともにイギリス軍が米軍の指揮下に入ることを表明しておりますので、米英軍が動くことにほかならないということになっております。しかも、国連から授権されたあるいは国連決議を受けたというふうに自己認定をしておりませんので、二重の意味で多国籍軍国連とは違う独自の行動をとる軍隊であるとみなさざるを得ない。そのような軍隊日本が貢献をする、協力隊派遣するということは、もう言うまでもなく集団的自衛権日本が攻撃を受けていないにもかかわらず日本の軍事力を派遣するという集団的自衛権に明白に該当するというふうに考えます。
  55. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  私も、現在サウジアラビアに展開しておりますいわゆる多国籍軍は、国連安保理決議六六〇とも六六一とも六六五とも何ら関連がない行動であるというふうに理解しておりますし、そしてまた、その理解アメリカ自身がとっておる理解であるというふうに了解しております。ということになりますと、これはアメリカ自身が言っていることだと思いますが、やはりサウジアラビアに展開しておるアメリカ軍は、集団的自衛権の行使に基づいて展開しているということになろうかと思います。  そういたしました場合に、集団的自衛権の行使に多国籍軍への協力という形でもって日本自身がかかわる、あるいは加担するということになるわけでございまして、これ自体、やはり集団的自衛権の行使というふうに考えざるを得ないかと思います。少なくとも日本自身が急迫不正の侵害を受けた場合でないにもかかわらず、そのようないわば多国籍軍への協力を軍事的に行うということになるわけでございますから、政府自身が認めております、従来認めてまいりました自衛権行使の必要最小限という要件をも逸脱することになるのだろうというふうに私は理解しております。  にもかかわらずと申しますか、そのように実態的には集団的自衛権の行使にほかならないような多国籍軍へのいわば軍事的な協力といったものを、国連決議の実効性を確保するためにという言葉を援用いたしまして正当化するというのが今回の立法の一つの主眼であろうというふうに私は考えております。その意味におきましては、この国連決議の実効性を確保するためにという言葉は、それ自体極めて不明確、あいまいなものであるということは先ほど申し上げましたけれども、このあいまい、不明確な言葉が憲法で禁止されておりますところの集団的自衛権の行使を実は正当化する役割を果たす意味においては、これ自体やはり違憲というふうに判断せざるを得ないというふうに私は考えております。  以上でございます。
  56. 池端清一

    ○池端委員 それでは最後に、浅井公述人山内公述人にまたお尋ねをしたいと思うのであります。  今回のこの法案は、国連平和維持活動への協力と、いわゆる多国籍軍への協力という全く異質のものが混在をしている、一緒になっている、こういう奇妙きてれつな法案なわけでございますが、こうした法案のあり方について、かつて外務省におられて法案作成の実務にも当たってこられた浅井先生、並びに山内先生の御見解を承って、私の質問を終わりたいと思います。
  57. 浅井基文

    浅井公述人 正直申しまして、外務省というところは国内法というのはほとんど扱わないところでございまして、私は条約というものは少しやったことがございますけれども、そういう意味では、申しわけございません、そういう点では余り御期待に沿うような回答はできません。  ただし、私はこれまでのほかの公述人の方の御発言と同じ感じを持っておりまして、やはりこのような、目的がほかのところにあることが実質的に非常に明らかである法律国連平和協力というような名目で正当化するということは、立法の本来の建前からいって私としては到底是認できないものであると申し上げたいと思います。
  58. 山内敏弘

    山内公述人 おっしゃるとおりだと思います。  この法案の適用対象となります国際の平和及び安全の維持のための活動として考えられますのは、国連軍の活動、それからいわゆる多国籍軍の活動、それからPKOの活動、この三者が解釈的には含まれざるを得ない規定となっておると思います。ところが、御承知のように、国連軍の活動へのいわば参加、協力の前提、手続と、それから多国籍軍への参加、協力のための手続と、それからPKOのための手続とでは本来全くその性格が違うわけでございまして、その全く違った性格のものを、そしてまた部隊の性格としても三者は違うわけでございまして、例えばPKOについて言うならば、それは中立的な立場に立って武力衝突といったものを抑える、あるいは兵力の引き離しを行うということでございますけれども、それに対しまして多国籍軍は紛争当事国の一方の側に立った軍事的な行動を行うということでございますから、こういった性格が違うものに対する参加、協力といったものを、手続的にも実態的にも違うものに対する参加、協力といったものを、平和協力隊という名のもとに一本で規定しようとするところに私はそもそも立法的な誤りがあるというふうに思うわけであります。  関連してお話をしてよろしいかどうかわかりませんが、あえてお話しさせていただきますと、先ほど自衛隊法との関連の問題がございましたし、安保条約との関連もございましたけれども、自衛隊法の三条は、明らかにこれはやはり我が国を防衛するということを主たる任務とするということでございまして、今回のような事態に自衛隊部隊としてあるいは自衛官が自衛官の身分を併任した形でもって出動するということは、明らかにこの自衛隊法の三条の任務・目的といったものから逸脱するということは、私は一九五四年の参議院決議に照らしても事柄は明らかではなかろうかというふうに考えておりますので、もし今回のような法律をつくるのであるならば、そのためには自衛隊法の三条をまず改定しなければならない。あるいは、さらに申しますならば、安保条約の五条、先ほど安保条約の五条の適用範囲、日本にとっては、自衛隊が出動する前提条件は、言ってみれば日本の施政下におけるいずれか一方に対する武力攻撃が加えられた場合、それからアメリカにとっては極東という形の地域的な限定があるわけでございますから、今回のような法律をつくるとするならば、その前提としてはこの安保条約五条といったものの規定を改めなければ本来できないことである。あるいは、より根本的に言うならば、やはりこれは憲法第九条を改定しないとできない立法といったものをこのような形でもってやろうとしている、そこに基本的な矛盾、問題点があるというふうに私は考えております。
  59. 池端清一

    ○池端委員 ありがとうございました。終わります。
  60. 加藤紘一

    加藤委員長 次に、川崎寛治君。
  61. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 六人の公述人の皆さん、本当にありがとうございます。御承知のように大変限られた時間で公述人の皆さんにお話を伺うということは、私は大変失礼だと本当は思います。本来ならもっと時間をかけて制限なしにむしろ公述をお願いすべきだろう、またお答えもお願いすべきだろうと思いますが、その点失礼をお許しいただきたいと思います。そのために大変限られた方にお尋ねをします失礼をお許しいただきたい、こういうふうに思います。私の時間は三十九分までなものでございますから、大変限られた中で幾つか準備もいたしましたが、限られておりますので、まず浅井参考人にまとめて御質問をさしていただいて、その範囲内でお願いをいたしたい、こういうふうに思います。  それはまず第一には、アジアの諸国の反応については浅井先生もまた前田公述人もいろいろお述べになられました。そこで、アジアの安全保障ということが具体的に論議の時期に入ってまいりました。朝鮮も動いておりますし、カンボジアも動いておりますし、そしてそういう中でこれからアジアの安全保障というのを議論をいたしてまいりますと、日本は加害者であった、このことはもう厳然たる事実でありますし、ドイツが統一をいたしますときに、ワイツゼッカー大統領もコール首相も、ヒトラーの罪を背負っていくんだ、こういうことを明確にいたしておるわけです。そういう立場でアジアの安全保障というのをこれから具体的に私たちは議論をしなきゃならない。つまり、ポスト冷戦後のそういう議論なしにこの法律に入ったということが非常に不幸であったと思います。  そこで私は、そういう観点からいたしますと、この協力法というものがアジアの諸国と日本との関係をよくするのか悪くするのか、それがまず第一点であります。  それから第二点は、国連中心の世界の平和、これがポスト冷戦の非常に大きな柱になってまいりました。ベーカー米国務長官とシェワルナゼソ連の外務大臣とが共同声明を出しました。ようやく創始者の立場に立ってきた。だから、九〇年代の世界の平和を国連中心にやろうという点について米ソの外相が新しい協力の方向として共同声明を出しているわけでございますが、そういう中で、じゃ国連中心の世界の平和というものを確保していく道筋は何なのか、どうあるべきかというのが第二点でございます。  私たち社会党も、日米友好ということが大変大事な基本である、国際政策の基本であるという点を踏まえております。しかし、この多国籍軍への後方支援ということが果たしてこれからの新しい国際情勢の中における日米協力のあり方の基本なんだろうかという点について、私は疑問がございます。でありますから、日米協力の真のあり方はどうあるべきか、この協力法との関連も含めまして、三点お尋ねをいたしたいと思います。
  62. 浅井基文

    浅井公述人 このような機会を与えていただきましたので、考え方を述べさせていただきます。  先ほども佐藤公述人田中公述人の方から国際情勢に関する認識、そして国際関係の構造的な変化等について御説明があり、また前田公述人の方からも同じような問題点の指摘がございました。私は時間が限られておりましたので、その点を冒頭の発言では割愛させていただきましたのですが、その点も含めて、まとめて御返事申し上げたいと思います。  まず、アジア諸国の反応といいますか、この国連協力法に対して、国連協力法日本アジア諸国との関係をよくするのかという問題の御提起であったと理解いたしますが、私はまず結論から申し上げて、それは決してそういうふうにはならない、むしろ逆である、非常に大きな意味で逆であるということを申し上げざるを得ないと思います。  と申しますのは、先生も御指摘のように、日本は第二次大戦まででアジア諸国に対してとんでもない惨害を与えた、この軍国主義の惨禍というものはアジア諸国の人々の中において今なお生きた記憶であります。そういうような生きた記憶というものを我が日本が戦後いやすべく心からの努力を行ってきたのかという点に関しまして、私は率直に申して日本の努力というのが極めて至らなかった、至らなかったというよりもほとんどなすところがなかったのではないかと、これは私自身も実務をやった経験がございますので、反省の気持ちを込めて申し上げたいと思います。  特に私が申し上げたいのは、例えば西ドイツと日本とを比較すればよいと思うのでございますけれども、あの西ドイツにおきましては、ナチスの犯罪的な行為の追及というものをずっとやってきております。そして最近では、これはもう未来永劫にわたって追及するんだという姿勢を政策としてもう確立しております。もちろんそれは時の経過とともに難しくなる問題はございましょうが、しかし、大事なことはその基本姿勢だと思います。そういう基本姿勢を確立することによって初めてほかの西欧諸国、欧州諸国が、ドイツは恐れる必要はないんだ、友好国として関係を結んでいくことができるんだ、そういう安心感を持つことができる、そういうことになっていると思います。  これに対して日本の場合はどうか。日本アジア諸国に対して西ドイツと同じような反省の気持ちをあらわしたことがあるのかということであります。もちろん一九七二年の日中国交正常化の際に田中元総理が遺憾の意をあらわしたとか、いろいろなケースにおいて遺憾の意をあらわしたというケースはございます。しかし、それが本当に心からのものであるのかということをアジア諸国は見ていると思います。そういう点におきましては、私は、戦後の日本行動というのは決して褒められたものではない、むしろ本当にこれからどうしたらこの取り返しをつけることができるのかということで暗たんたる気持ちにすらなる状況であります。そういう点では、教科書事件、それから政府の閣僚の靖国神社公式参拝、GNP比一%枠突破という防衛費の拡大傾向、そして世界第三位の軍事支出大国化、こういうような問題をアジア諸国はいや応なしに次々と見せられる状況が近年続いてきている。そして今、私は、この国際連合平和協力法という非常に美しい名のもとでの日本の海外派兵の歩みということを見てとっているんではないかと思います。そういうことを全体の脈絡の中で考えましても、私は、この協力法というのは日本とアジアの関係にとって非常に有害なものにならざるを得ないということを強く感じます。したがって私は、この一点からだけでもこの法律というものはやはり廃案にされなければおかしいのではないかと思っております。  第二点でございますが、いわゆる国連中心主義、これは御指摘のように米ソ外相共同声明でも取り上げられる表現、そしてこの国会におきましても、与野党を問わず国連協力という点ではどなたもが一致している、その言葉においては一致しているということは私も理解しております。しかし問題は、国連中心主義あるいは国連協力というものは一体どうあるべきものなのか、中身は何であるべきなのか、その点を詰めないことには本当の国連中心主義あるいは国連協力という問題を議論することはできないと思います。  そして私は、この点では一つだけ申し上げておきたいのは、強調しておきたいのは、第三点ともかかわるわけでございますけれども、今国連中心主義、国連協力ということを盛んに言っておりますのは、米ソ両超大国のうちではソ連であります。そして、アメリカにつきましては、今回の多国籍軍をその国連軍に編成がえしようというようなことすらも全く出てこないように、アメリカ側から出てくるはずがないように、それはアメリカが多国籍軍というものを国連軍に衣がえした場合に、みずからが指揮命令権を握ることができなくなる、それでは自分の思うように動かせないというようなことも非常に大きな考慮になっているということを私は聞き及んでおります。それはむしろアメリカの発想からしてみれば当然でございまして、やはり世界の秩序を維持するのはアメリカである、その力を担うのはアメリカである、この点の現実認識においては私は田中公述人と同じ考えでございますが、しかし問題は、それでいいのかということであります。その点を考えないことには、国連中心主義といって今ある、アメリカが進めている形での国連協力、それが即国連協力のすべてであるというふうに考えることには私は同意しかねます。やはり我々が、平和憲法のもとで国連協力というのはどうあるべきものなのか、国連平和維持活動というのはどうあるものか、それに対して日本は主体的にどうかかわるかということを日本みずからが考える、そういう姿勢が必要であろうと強く感じております。  第三番目でございますが、私は非常に重要なポイントとして、川崎先生御指摘のように、日米友好関係というのは我が国の外交にとって最も重要な、決して無視できない関係であると強く信じております。日米関係が破壊されたならば、あるいは崩壊したならば、その害は日本アメリカ両国に及ぶだけではなくて、国際社会全体に及びます。そういう意味で、私は日米関係を推進していくということに強くコミットする一人であります。  しかし問題は、その日米関係のあり方であります。私は、今申し上げましたように、アメリカが現在推進している政策というのは、米ソ・デタント、ポスト冷戦とは言われておりますけれども、あくまでアメリカの力、これが国際秩序を維持する根底にある。そういう意味では田中公述人が申されました一・三・五の一でございますが、そういう現実がある。しかし、それが正しいのか、それでいいのかという点を私は強く考えたい。  アメリカが戦後やってきました国際社会での行動というのは決して褒められるものばかりではない、むしろ問題が非常に多かった。特に近年におきましては、ソ連が足腰が弱くなったということもございまして、非常にアメリカの一存で国際関係において力を行使するケースがふえております。そういうことが私たちにとって、国際社会にとって安定に資するものであるのか、平和を促進する要素になっているのかということは、我々はじっくり考えてみる必要がある。そういう点におきましては、私は日本が日米安保条約を維持し、それによってアメリカの世界戦略を支持する、あるいは強力に支援するという体制がアメリカをしてそのような戦略を堅持する大きな要因になっていると思います。  私は去年から日米安保清算論というのをぶっておるわけでございますけれども、まさに日本が考えを主体的に改めなければ、アメリカのこの危険な戦略を改めることもできないではないか。単に我々、自国の安全保障という観点からだけではなくて、アメリカの戦略を変えてもらわないとアメリカの経済の破綻も回避できないであろう。そうなれば世の中全員が苦しむことになる。そういうようなことを考えて日米安保清算というのを総合的に問題提起しているつもりでございます。そういう意味で、日米友好は維持しなければいけない、推進しなければいけない、しかし、その基礎は日米安保という現在の体制を維持することではないはずである、新しい道をつくっていかなければならないと思っております。
  63. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 ありがとうございました。残り時間わずかになりましたが、田中先生にお願いをいたしたいと思います。  今の発展になると思いますが、つまり米ソの冷戦終結、米ソの新しい協力の時代、それで国連が新しい創始者の精神にと、こうなってきたわけです。そうしますと、これは中山外務大臣もこの間の国連総会でも提起をいたしておるのですが、中身ははっきりしませんが、地域紛争、つまりこれからの地域紛争というのは南北問題だ、前田先生の御指摘もございました。そういたしますと、そういう地域紛争の予知、予防、そういうものの機能をどう国連の中で強化をしていくかということがシステムの問題としてもこれから大事だろうと思うのですね。ですから、そういう国際システムの議論をお進めの田中先生のお立場から、これをどう強化をしたらいいというふうにお考えになるのか伺いたいと思います。
  64. 田中明彦

    田中公述人 お答えいたします。  川崎先生のおっしゃるように、今後の地域紛争をどうやって解決していくか、そのために国連という枠組みをどうやって使っていくかということは、今後の国際システムの中に新しい秩序をどうやってつくっていくかということに関して極めて重要な点だと私も思います。  それで私が思いますのは、先ほど申し上げましたように、現実として見ると、一番あからさまな侵略行為が起きたときに、それに対応できるというのはアメリカの軍事力ぐらいしか今のところないのですね。これは事実として認めないといけないと思うのです。それ以外の地域紛争の可能性というのはまだほかにもいっぱいあるわけですね。これは地域紛争が、武器輸出がいろいろなところから出ていて、高度武器が発展途上国のいろいろなところに回っているということが、その地域紛争を極めて破壊力に富んだものにする可能性というのがあるわけですね。ですから、第一の点の侵略的現状打破国家の登場に関しては、私はアメリカに責任ある行動をとってもらうということしか当面はないと思います。長期的に言えば、恐らく国連における、例えば常設的な国連軍をつくるというようなことも考え得るというふうに思っております。  それからその次の、第三世界における軍備拡張、軍拡、それから民族紛争、そういうものをどうやって解決するかということに関しては、私の見方は、新しい米ソ、それ以外の武器輸出国その他を巻き込んだような武器拡散を何とかして防ぐような、国際政治学ではレジームと言いますけれども、レジームをつくるような形の方策というのをとらなければいけないと思っています。そのために例えば、日本は武器輸出をしないわけですから、これは世界に誇っていいことだと私は思いますけれども、ただこれだけでは、私はしない、だからほかの国は私のようにしなさいというだけではなかなかいろいろな国の武器拡散というのを防ぐということはできない。そのためにも私は、これは何も軍事的手段は多分必要ないと思うのですが、さまざまな日本の持てる力、経済協力その他を使って武器の拡散というのが第三世界に起こらないような方策を考えていく必要がある。これは米ソとともに協調してやっていく必要があるというふうに思っています。
  65. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 これは問題指摘だけに終わるかもわかりませんが、今の田中先生のお説のとおりですが、イラクがこれだけの軍事大国になったのは、ソビエトであり、フランスであり、アメリカであり、中国であったわけですが、サウジが今また大変な軍事大国になりつつあるわけですね。エジプトが軍事大国になりつつあるわけです。しかもサウジの場合には、国境軍と正規軍という二つがありますし、王様の争いがある。そういうことになりますと、アメリカがやっておるそのことは実際には、当面の問題に対処しているかもわからないが、むしろ次の紛争の原因をつくっておる。そういう意味では、武器輸出禁止の問題は、本当にこれは日本が先頭に立ってやらなければいかぬ問題だろうと思うのです。  これも皆さんこそれぞれ伺いたかったのでございますが、時間が参りましたので終わります。ありがとうございました。
  66. 加藤紘一

    加藤委員長 次に、井上義久君。
  67. 井上義久

    ○井上(義)委員 本日は、お忙しい中、公述人皆様には御参加をいただきまして、意見を述べていただぎまして、心から御礼申し上げる次第でございます。きょうは本当にありがとうございました。  まず、齋藤公述人にお伺いいたしたいと思いますけれども、お話の中で、いわゆる協力には組織化と団体的な経験が必要である、そういう立場から自衛隊の一部の機能使用はいいのではないか、こういうお話でございました。今回の法案議論している中で、国際協力をどうするかということが本来の議論でなければならなかったのですけれども、実際は自衛隊派遣がいいのかどうかというふうに議論が終始をしてしまいまして、ということは、今回政府自民党がこの法案を出してきた経過を見ますと、最初は海部総理、自衛隊派遣する考えはない、こうおっしゃっていた。ところが、だんだんそれが変わりまして、特に政府のリーダーシップというものが非常に弱体化しているといいますか、自民党のリーダーシップでこの際と言わんばかりに自衛隊派遣ということが前面に出てきてしまった。そういうことから、自衛隊派遣ということについては国民の反対も非常に強いわけでございますし、またアジアの諸国の懸念も非常に大きなものがあるわけでございます。  私は、自衛隊は戦後、二十九年にできましてから三十六年間、ともかく海外に派遣をしない、役割をいわゆる専守防衛ということで極めて自己限定してきた、それが今日のある意味での国民的な自衛隊の存在に対するコンセンサスになってきたと思うわけでございます。今回、そういう協力の名のもとに自衛隊の海外派遣を認めるということになれば、この国民的なコンセンサスというものが壊れてしまうのではないかということと、それから法案そのものをずっと見てみますと、先生がおっしゃったようなそういう機能を一部活用するというようなものではなくて、いわゆる組織派遣、しかも身分は併任で、自衛隊員の身分のまま海外に出ていく、しかも武器を携帯する、攻められれば応戦も可能であるというようなことで、自衛隊派遣そのものが目的じゃなかったかというふうに思えるわけでございまして、私は、先生のおっしゃるようなそういう役割として自衛隊の参加を認めるということであれば、これはそういう国民的なコンセンサスの上からいっても、やはり時間をかけて、自衛隊とは別な、自衛隊自衛隊として専守防衛という役割があるわけでございますから、別な、そういう協力隊のような機構をつくって時間をかけてやるべきじゃないか、自衛隊の参加というのはこれは認めるべきではない、このように思うわけでございますけれども、御所見を承りたいと思います。
  68. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 大変示唆に富む御質問をいただいたのですが、私は私の体験に基づいて、ぜひ迅速に適切な協力ができるようにということから出発しているわけでございます。その観点からいきますと、今までの歴史的な経緯からいうと、どうしても迅速に、しかも、例えば輸送機を例に挙げますと、輸送機を操縦し整備する人というのはくっついているのじゃないかという感じがしますので自衛隊と考えたわけでございますけれども、先生おっしゃるとおりに、自衛隊のほかにそれに類するものがあるないしはできるならばそれは一緒に考慮すべきものだと思います。ただ、私は、すぐ次にカンボジアの問題もやがて遠からず出てくると思いますし、これからゆっくりというわけにはいかないと思うのです。だから逆に言えば、とりあえずはそういう形で出すということも考えられると思いますので、私の体験からいいますと、ぜひそういうようにする必要があると思うのです。  それからもう一つの理由は、ほかから出ておりますのは、先ほど申し上げましたように皆、部隊軍隊から出ているわけですね。日本からもし民間中心としたものが出ていって果たして十分な、私は協力というのもちょっと問題、先ほどの多国籍軍に対する協力という言葉もちょっと問題があると思うのですけれども、そういうことを連絡をしていく上において果たしてうまくいくかどうかという懸念を持っております。  私は、自衛隊という発想から出たのではなくして、そういう協力隊の業務を迅速適切にやるにはこれしかないんではないかという感じを申し上げた次第でございます。
  69. 井上義久

    ○井上(義)委員 次に、浅井公述人にお伺いしたいと思います。  ポスト冷戦構造の中での新しい平和秩序を構築しなければいけない。その場合に、いわゆるアメリカ一辺倒ではなくて、やはり日本国連平和維持機能というものを強化するような形で、国連中心の新たな機構というものをつくらなければいけないというふうに考えるわけでございますけれども、先生のお話の中で、いわゆる人の派遣ですね、このことについて必要とは思えないというような御趣旨のお話があって、余り明確じゃなかったのですけれども、いわゆる自衛隊員以外の、例えばPKOに協力するための特別に編成された文民の派遣、それを可能にするような法整備というものが必要なんじゃないかな、このように思うわけでございますけれども、浅井公述人のいわゆる日本の貢献の仕方ということについて、特に人の面でどのようにお考えであるか、この辺をお伺いしておきたいと思います。
  70. 浅井基文

    浅井公述人 お答え申し上げます。  私が申し上げましたのは、人の派遣について必ずしも積極的でないという趣旨でございますけれども、一つには、私は、そもそも初めに金だけでは足りない、人も出せという発想から物事が出発したような印象を強く受けるものでありますから、それを申し上げておるということが一つございます。  といいますのは、私は、国際協力のあり方というのは、何もその現地に行くだけがすべてであるというふうには考えないからであります。むしろ日本の場合、そういうような紛争地域にそもそもそういうふうにどっぷりつかっていくことがいいことなのかどうかという点を果たして真剣に議論されている状況があるのかということを問題提起したいわけです。むしろ私は日本としては、例えば今度の紛争によって被害を受けたアジア諸国、いわゆる出稼ぎ労働者をたくさん出しているフィリピンとかバングラ、イン・パキとか、それらの国々が非常に経済的に困っている、そういうような面でも日本としてはやることは幾らでもあるのじゃないか。そういう意味では、本気でやるのであったならば、四十億ドルなんていう数字ではとてもいかないような貢献が日本としてなし得るし、またなさなければいけないという問題意識を持ってもしかるべきではないのかということを私は初めから考えていたということがございます。  それからもう一つだけ加えますと、先ほども申し上げましたように、果たして国民的な意識としてそういうような紛争地域に行って何か血を流すかもしれないというようなことについてのコンセンサスができ上がっているのかどうかという点について、私は間違っているかもしれませんけれども、まだ若干懐疑的でございます。ですから、そういうことを本当にやろうとするのであれば、その問題に即して本当に国民的な議論を尽くすということがまず前提としてあってしかるべきではないのか、それが国会議論だけで決められるという形というのは、私としてはちょっと納得がいかないという問題意識を持っております。
  71. 井上義久

    ○井上(義)委員 今のお答えに関連いたしまして、そうしますと、いわゆる現状は、日本としては経済的な支援、そういったことを中心に行う、それからそういう人の貢献については国民的なコンセンサスをつくる方向で時間をかけて議論すべきである、こういうふうにお伺いしたわけでございますけれども、その上に立ってどういう方向性が考えられるのか、もし御所見ございましたらお伺いしておきたいと思います。
  72. 浅井基文

    浅井公述人 私は、現在日本の平和憲法というのは、ほかの公述人も述べられましたような国際環境の大きな変化の中で、非常に新しい生命力というものが出てきているという感じはしております。したがいまして、我が日本のこの平和主義というものを貫く形で国連の、平和維持機能だけではなくて、国連機能強化するということに向けて日本がさまざまな貢献をするということは、一々分野を挙げて言っていくと時間がございませんので省略いたしますけれども、本当に限りなくある。今こそ我々は本当の国連機能強化ということを、国連平和維持活動とか平和活動というのはその一部でありますから、それらをも全部視野に含めて活動するということを大きな具体的政策課題として設定すべきだろうと思っています。
  73. 井上義久

    ○井上(義)委員 次に、前田公述人にお伺いしたいと思います。  今回の議論を通して、国民の間に自衛隊派遣ということに対して非常に不信感が強い。国連平和協力は、国連協力しなければいけないということのコンセンサスはできているわけでございますけれども、今回の議論がいわゆる自衛隊派遣法と言われるような、国連平和協力という名のもとに自衛隊派遣していくんじゃないか、こういうことに国民が非常に大きな不信を持っている。このことは日本の防衛政策全般について言えることじゃないか。いわゆる専守防衛ということでGNP比一%枠を撤廃して、いわゆる増強がとどまるところを知らない、あるいは冷戦終了と言いながら新たな次期防を考えている、目に見える軍縮をしていない、こういったことを敏感に感じとっていらっしゃるんじゃないかなというふうに思うわけでございまして、それが今回の批判に通じているというふうに思うわけでございます。  この日本の防衛政策ということについて、前田先生の御所見をまず伺っておきたいと思います。
  74. 前田哲男

    前田公述人 今回の国連平和協力法が国民にとって非常に違和感を持って受け入れられた非常に不幸な出会いであったのは、幾つかの無理な混同が行われてきた、言葉をちょっと強めて言いますと羊頭狗肉というような形で提出された、そのことに対する反発と違和感が強かったのではないのか。アメリカに対する協力であるのを中東政策の枠組みの中で説明しようとしたり、あるいは人を出すことが最初に、それも武装した自衛隊を出すことが念頭にあって、それに対していろいろな理屈がつけられたということがあります。さらに、一番安易な方法として自衛隊法あるいは憲法を全くいじらずにその枠内でやろうとした無理、いろんな無理と混同が国民との間に鋭い違和感をつくって今日の状態に至ったと思うのですが、もし総理大臣が所信表明演説の中で言われましたように旧来の冷戦思想を超えてということであるのならば、まさに私たちが今国際社会に向かって発信するシグナルはたくさんあるわけでありますし、浅井さんも言われましたように、日本憲法は今新しいメッセージを発し得るものとして我々の前にある、国際社会の前にあると思うわけです。  ですから、まず我々は、この日本憲法のもとで、しかし肥大化させてしまった自衛隊、防衛政策をどうするのかということを、まず隗より始めよではありませんが、みずからの問題としてきちっとしなければならない、それが国際社会に対するメッセージであり、アジア諸国に対するとりわけ我々の気持ちの発現になろうかと思うわけです。西欧諸国ことごとく冷戦後の軍縮の状態に入ったにもかかわらず、冷戦期、アジア・太平洋一九八〇年代の中でまさに冷戦太りと言えるような肥大化をなしてきた自衛隊に関して何一つメスを入れようとしていない、その中で新しい任務を付与しようとしている、これはいかにも本末転倒であろうと思います。冷戦思想を少しも超えていないと思います。冷戦思想の依然とした延長線上に、しかも新しい安保協力をみずからに課そうとしていることにしかならないと思うわけです。  その意味で、まず防衛政策における大胆な見直し、これはもう自衛隊の縮減というテーマを掲げた見直しが必要であろう。あのアメリカでさえこの五年間に兵員の二五%、軍事費の二〇%を削減するという方針を掲げております。統一したドイツは、六十六万人の国防軍を五年後に三十七万人に削減するという方針を掲げております。イギリスは一八%、五万七千人の兵力削減の方針を議会に通告しました。フランスもドイツから撤収する軍団を軍縮の対象にしております。およそ五万人になろうかと思います。  これらの事実を見ますときに、私たちが、冷戦が終わったと一方で言いながら、なお来年度から五年間の防衛政策を年率平均四%強、総額二十三兆円もの予算で編成して、そしてなお国際社会における新たな任務を国連平和協力法のような形で自衛隊の参加によって果たそうとする、これはやはりとるべき姿ではない。まず防衛政策の全面的な見直しが前提的な環境整備として必要であろうというふうに考えます。
  75. 井上義久

    ○井上(義)委員 前田公述人にもう一点。  大変御示唆に富むいわゆる貢献策ということをお話しいただきまして、私も全くそのとおりだなと思うわけでございますけれども、これからの日本国連協力のあり方ということにつきまして、特に憲法との関連で、例えば四十二条による国連軍がつくられた、こういう場合に、これからのケースとして考えられると思うのですけれども、そういう場合でも例えば日本協力のあり方はどうあるべきなのか。それからさらにまた、国連中心とした、いわゆる各国が軍縮をして国連警察軍に移行するような理想的な国連がつくられるというような方向にやはり日本としても今後働きかけていかなければいけない、こう思うわけでございますけれども、その国連とのかかわりということにつきまして御所見をお伺いしておきたいと思います。
  76. 前田哲男

    前田公述人 二つの側面から考えられようかと思います。一つは、今日の状況における国連軍への参加問題ということがあります。これに関しては私やはり否定的な感じしか持てないわけですが、しかし、私たちが今申しましたような大胆な軍縮、冷戦後の世界に向けたみずからの環境整備、軍縮をもって国際社会に貢献できるような体制を整えるという前提が一つあり、かつ国際連合がさらに機能強化し、平和維持の目的のために体質を改善したその段階において、その二つの前提、つまり日本の軍縮と国連機能強化というダイナミズムの中で将来のことを考えますと、その中で四十二条の国連軍が編成される場合、日本の活動の余地は今日以上に拡大していくのではないか、あるいはそのように日本国連協力の活動が拡大していくように日本の外交方針、国連外交は進められていくべきではないのかというふうに考えます。  具体的に申しますと、国際連合の意思を決定する重要な機関である安全保障理事会は五つの常任理事国から成っているわけですが、その五つの常任理事国ことごとくが核の保有国であるという事実、ことごとくが巨大な武器輸出国として今日の地域紛争の遠因、潜在的重大要因をつくってきたという事実、これを没却することはできないと思うのです。にもかかわらずこれらの国が国連の安保機能の重大な地位を占め、拒否権によってみずからを聖域に置きながら他国に対する制裁権を発動できるという事実は、やはりこれからの国連中心の平和維持機構をつくっていこうとするのであれば真剣に問い直され、かつ是正されなければならない。その中に日本でありますとかインドでありますとかあるいは第三世界の国々が入っていくような、非核の国家、第三世界の国家が入っていくような大きな改革がなされるべきであろうと思います。そのような改革がなされた暁における国連平和維持機能、なかんずく四十二条の発動がなされます場合には、今日と違った次元での議論がもう当然あり得べき状態として出てくるわけですし、私たちみずからも自衛権を極めて限定的にしか、領域防衛にしかしないという形でみずからの防衛政策を修正していくならば、そこにおける関係はおのずと別のものになっていく、そういう発展的な展望は私たちは持っていかなければならないのではないかというふうに考えます。
  77. 井上義久

    ○井上(義)委員 最後に、佐藤公述人にお伺いしたいと思います。  国際協力相手があるということでございますけれども、私は、この平和協力法案についてアジア諸国が大変強い懸念を持っているということは、まことに重大であると思います。といいますのは、やはり戦後四十五年間、日本の努力といいますか、それがいわゆる第二次大戦に対する日本政府の反省なりあるいはその反省ということがいかにも表面的であったというふうにアジア諸国が受けとめているということであろうと思うわけでございまして、私はこのことの決着なしに平和貢献というのはあり得ないというふうに思うわけでございまして、公述人の御意見を伺っておきたいと思います。
  78. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答えいたします。  アジア諸国といいましても、一色で議論することは非常に難しいと思います。とりあえず東アジアだけに限らせていただきます。  中国でございますが、これははっきりと今度のことについて懸念を表明しているのは御存じのとおりでありますが、中国日本の防衛政策ないしは安全保障政策についての態度は、歴史的に非常に大きく変わってきた。一九七〇年代の初頭までは、日本軍国主義の復活、日米安保条約に対する非常に強い批判をしておりました。ところが、ソ連に対する脅威の認識が中国で高まりますと、今度は一転して日米安保条約を支持し、かつ日本はもっと防衛力を強化すべきである、一時は日本のGNPの五%まで防衛費をふやすべきであると北京政府は言っておりました。ところが、ソ連との間にある種のラプローシュマンが出ますとまた態度が変わる。しかも、中国について非常に困るのは、私が接している、私も中国人の友人はいっぱい持っておりますが、政府の態度が変わると一斉に全部一色に意見が変わるということであります。そういう中国日本の安全保障政策に対する態度は、中国の側の政治的配慮によるものであって、私としてはこれは何ともしようがないというのが率直なところであります。  第二は、東南アジアであります。フィリピンについては多少の制限が必要でありますが、私も東南アジア等においても非常に多くの友人を政府及び学界等に持っておりますが、その人たちとこの問題について率直に議論した経験に基づいて申し上げますと、大部分の、私が知っている限りのほとんど例外なくあるASEANの人たち意見は、日本アメリカといい関係にあり、日米安保条約がきちんとしている限り日本の軍事力について何の懸念もない、ですから日米安保条約をきちんとするために必要な限りでの貢献は大いにやっていただきたいというのが彼らの意見であります。日米安保条約が破綻し、日本が不安に駆られて軍事大国になるというのは困る、あくまでもアメリカと一緒にやってほしいというのがASEAN諸国の私が知っている限りの意見でございます。  韓国につきましては、これは日本が三十五年間植民地にしたということがございまして、事情はまた特別でございます。ですから、アジア諸国の反応といっても、一色で議論するのはいけない。  さらに言いますと、日本のGNPは統一ドイツのGNPを合わせたものよりも五〇%も大きい。しかも、この東アジアにはイギリスやフランスやイタリアに対応するような経済が発展した大国はございません。そういうところでアジアの国々日本について漠然とした脅威感を感じるというのは、戦争のときの行為のいかんにかかわらず、ある程度やむを得ないことだろうと私は思っております。  そのためにも、アメリカ日本がきちんと手を組んでいくということが、アジア諸国の人々が安心し合える大前提である。私はアメリカとの関係をよくするためだけに国際貢献をしろとは申しません。国際貢献は日本の独自の判断でやるべきでありますが、しかし、アジアの諸国が期待しているのは、まさに日米が手を組んで平和の維持のために努力することであると私は自分の経験から確信しております。
  79. 加藤紘一

    加藤委員長 次に、佐藤祐弘君。
  80. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 浅井公述人にお伺いします。  先生は後方支援集団的自衛権のかかわりについても述べられまして、参加でなく協力であるとか、派兵でなく派遣である、こう言っても国際的には通用しないとおっしゃいました。そして、巻き込まれの可能性が大変ある、これを真剣に考えるべきだ、非常に重要な御指摘だと思うわけでありますが、なぜ国際的に通用しないのか。国際的に非常識といいますか、そういう点についてもう少し詳しくお話を聞きたい、それが第一点であります。  それから二番目は、国際的貢献の問題なんですが、イラクの暴挙に対しましては、私たちは戦争という重大事態に至らない段階で解決しなければならぬ、国連決議経済制裁の徹底ということがございます。その問題で私たちは、経済制裁の抜け穴、これを防ぐ問題でありますとか、イラク糾弾の国際世論の喚起、難民救済などなど、やるべき課題が大変多いのじゃないかというふうに考えておりますが、憲法の平和原則を持つ国として日本がなすべき国際的貢献、どういう国際的貢献をなすべきか、これが第二点でございます。  以上、まずお伺い申し上げます。
  81. 浅井基文

    浅井公述人 お答え申し上げます。  私が申し上げました第一点に関する件に関しましては、冒頭でも若干触れましたように、なぜ協力であって参加でないのかとか、そういう議論の立て方が、要するに憲法第九条とのかかわりにおいて許される行為か許されない行為かという形で常に問題が設定される。そうすると、憲法違反だという立場からはそれはその中に含まれるではないか。そうすると、政府側の答弁というのは、いかにして含まれない形のものであるかということを言うために、そういう言葉の、本当に失礼な言い方かもしれませんけれども、言葉の上でのもてあそびと言ってはいけないかもしれませんけれども、言葉の上での操作として物事をすりかえようとする、そういうことが、私は、何も今国会に限ってのことではなくて、もうずっとこの日米安保論議を通じて蓄積されてきた一つ国会の文学かなというふうにすら思っております。  しかし、私は、そういうような答え方あるいは質問の仕方というのは、確かに国会としてはあるいは憲法論議としてはいいのかもしれませんけれども、私が申し上げましたように、要するに国際的に、国際法的な観点からいって、そのような区別づけの基準というのがそもそも国際的に議論されていることなのか。初めから議論もされていないことをただ日本の国内での憲法論議として登場させる、入り込ませるというのはそもそも国際的にもう全くないことであって、したがってその点については、恐らく国際的に聞かれれば、日本語がすぐ英語に通訳されてこの論議が世界に伝われば、皆さんほかの国の人たちは首をかしげることになるのではないかというふうに思っているわけでございます。  二番目のことでございますが、国際的貢献、戦争に至らない段階で解決というのは、実は国際社会は、そして国連は、経済制裁決議ということで現実に成果を上げた先例を持っているわけであります。私が申し上げたいのは、南ローデシアに対する経済制裁であり、南アフリカに対する経済制裁でございます。このときにはともに武力行使は伴っておりません。武力行使に最も反対したのはアメリカとイギリスでありました。アフリカ諸国はむしろ軍事的な手段を使うことを強く要求した経緯がございます。しかし、アメリカ、イギリスがこれに反対してそれがなかったということ。しかし、それにもかかわらず長い年月国際社会が一致して粘れば、現に南ローデシアというのはジンバブエ政権としてかわりましたし、南アフリカにおいてもアパルトハイトの原則的な修正という成果を国際的にもたらす結果を生んでいる。したがって私は、この先生の御下問に対するお答えというのは、まさに経済封鎖ということが、まだイラク制裁の場合にほとんど始まったばかりのときに、それが打ち消されるようなおかしな話になってしまったというところにそもそもの問題があるのではないか、もっと経済制裁を徹底する、そういうところで日本としてなすべきことが多々あったのではないか、また今もあるのではないかと思います。
  82. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 浅井公述人に引き続き今の点ですが、経済制裁の徹底の問題が重要で、これをまだまだ強めていかなければならぬというお話があったのですが、もう一点お聞きしたかったのは、今回のことも含めてですが、平和原則を持つ日本としていわゆる国際貢献、今後いろいろな事態があり得るわけでありますけれども、どういう国際的貢献をなすべきか、中心に据えるべきか、そういったあたりの御見解をお伺いしたい。
  83. 浅井基文

    浅井公述人 私、去年以来、そして特にこの国連平和協力法が問題になってからいろいろな集会、本当に市民団体とか地域の団体とか、非常に小さなサークルを含めていろいろなところから話をしに来いと言われております。そして、その中で私が受けております非常に強い印象というのは、とにかく平和のとうとさであり、戦争を忘れてはいけない、戦争において悲惨な経験を味わったことを忘れてはいけないというその記憶が非常に国民的に、私が接触している草の根レベルでありますけれども、非常に強烈に盛り上がってきているということではないかと思います。私は、そういう人たちが今度の国連平和協力法とか貢献策とか、そういうときにおいて、人が派遣される、日本人が派遣される、そして日本人が巻き込まれる可能性があるという問題に対しては非常に敏感に反応するということを感じております。ということは、私が先ほど申し上げましたけれども、こういうような人の犠牲を伴う貢献、それは集団安全保障とか集団的自衛権にかかわらない範囲でも、例えば平和維持活動というような国連の編み出した方法のもとにおける参加ということであっても、果たして国民的なコンセンサスができる状況があるのかどうかという点には私は非常に確信が持てません。そして、私自身は、確かにそれぐらいの国連平和維持活動、この軍事的な分野を除くことは厳格に保ちたいと思いますけれども、その軍事的以外な分野、例えば監視団でございますね、こういうようなところにおける貢献というのは日本としても積極的に考えるべきではないかということを私自身は思っております。  しかし、そのことも含めて、やはり国民的に徹底した議論が行われるということが私は先決条件として確保されるべきではないかということを強く感じております。そういうことがなしにいかなる構想を考えても、私はそれはエリートのひとりよがりになってしまう、そういうことは許されるべきではないと強く思っております。
  84. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 山内公述人にお伺いいたします。  本来的に武力行使を任務とする自衛隊部隊ごと、装備ごと危険な地域、紛争地域へ派遣する、こういうことではもう武力行使は避けられないということをおっしゃいました。政府の答弁では、そういう問題が議論されますと、二条二項があるから歯どめになるんだ、こういうことが繰り返されてきておるわけでありますが、山内公述人は、あれは歯どめにはならないというようにおっしゃったわけであります。どうして歯どめにならないのか、法律的に。まあ実態的な面からお話があったという感じがしておりますが、その点をお聞きしたい。
  85. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  先ほど既に若干申し上げたかと思いますが、例えば平和協力業務の中に輸送業務が含まれておりますけれども、輸送業務の中には、政府の解釈からいたしましてもそうでございますが、あるいはこの法案の規定からいたしましてもそうでございますが、武器、弾薬、兵員等の輸送が可能とされておるわけでございます。このような武器、弾薬、兵員の輸送といったものを例えば多国籍軍に対する協力業務という格好でもって行いました場合には、これはそれ自体やはり多国籍軍による武力行使と不可分一体の関係にあるあるいは武力による威嚇に当てはまるという形でもって相手国から受け取られても、国際的にはいたし方がないのではなかろうかというふうに思うわけでございます。  それから、そのような形でもって受け取られて、相手方が武力行使を行ってきた場合にこちら側が交戦するという事態を想定いたしました場合には、そのような交戦あるいは応戦は、これは決して平和協力隊員個々人の警察的な武力行使というよりはむしろ国家間の武力行使それ自体である。つまり、この法案はそのような事態なり可能性といったものを既に法案自体において想定しているという意味において、二条二項の規定は歯どめにならないというふうに申し上げました。  それから、私が先ほど申し上げましたことのもう一つのいわば繰り返しにあるいはなるかと思いますが、平和協力隊の性格といたしまして、これはたしか外務省の条約局長の御答弁だったかと思いますけれども、協力隊軍隊ではないけれども、協力隊を構成する部隊としての自衛隊は国際的に軍隊であるし、また自衛官は国際的に軍人であるという答弁をなさったわけですね。通常私たちがごく素朴に考えますならば、協力隊がいわば隊として軍隊でないとするならば、協力隊を構成する構成員もこれはやはり軍人ではないし、軍隊であってはならないというふうに思いますし、逆に協力隊を構成するところの部隊としての自衛隊が国際的に軍隊でありあるいは個々の構成員である自衛官が国際的に軍人であるとするならば、そのような部隊、自衛官によって構成される協力隊軍隊という格好にならざるを得ないわけでございますね。この点で明らかに政府の条約局長の答弁は首尾一貫しない、矛盾したものとなっておるわけでございますけれども、どうしてそういう説明が出てきたか。これは私の憶測と申しますか推測でございますが、先ほど浅井公述人のお話もございましたけれども、先ほどのような事態を考えました場合においては、やはりこの平和協力隊は応戦せざるを得ない。応戦いたしました場合に、戦時国際法の適用を受けなければならない。受けるためにはやはり軍隊でありあるいは軍人であるということを主張しておかなければならない。そうなりませんと戦時国際法の適用が受けられないということになるわけでございます。つまり、その意味においては明らかに外務省の条約局長の答弁は、協力隊員という形でもって参加する自衛官なり部隊として参加する自衛隊といったものが武力行使を行うということを、そのような事態、可能性を想定した上でもっての御答弁であった。そのような事態において戦時国際法が適用される、交戦団体としてあるいは交戦資格を持ったものとして適用されるという可能性を留保しておきたいということでそのような首尾一貫しない答弁になったんだろうというふうに考えております。  以上でございます。
  86. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 最後に、前田公述人にお伺いします。  先ほど今回のこの法案は、日米安保協力を中東地域に拡大するものだということを指摘をされました。私もまさにそのとおりだと思いますし、さらに中東地域ということにとどまらずに、こういう仕組みができますと、世界のどの地域で別の事態が起きても、自衛隊が別の衣をまとうにせよ、米軍支援といった形で派兵されていくということになっていくのではないかというように考えるのですが、その点についてお聞きしたい。
  87. 前田哲男

    前田公述人 私も、先ほど申しましたように、そのように考えます。  日米安保条約は、第五条と第六条によって地域的な限定を持っているわけでありますし、ガイドラインという一九七八年の防衛協力の指針によって一つの枠組みを与えられているわけですが、今回はそれを地理的にも実態面でも乗り越えてしまうおそれがある。そうではないというふうに言っておりますが、しかし、多国籍軍協力は事実上は米軍協力になりますし、平和協力隊は事実上の自衛隊ということにならざるを得ませんから、これは別の見方をしますと、日米安保協力が従来の枠組みを超えて中東地域まで広がっていくことになる、そうならざるを得ない。  思うに、日本周辺でもデタントが進行していく。私は先月ウラジオストクに行きましたが、そこに入ってきたアメリカ太平洋艦隊の司令官は、ソ連の太平洋艦隊司令官に向かって、ソ連海軍はもはや我々の敵ではないというふうに言いました。そうしますと、太平洋においてもアメリカにとってエネミーレスといいますか敵がない状態が続いてくる、つまり安保条約の意味合いがアメリカにとって従来より変化してくる、つまり利用価値がなくなってくる。それに対する危機感が今回日本政府に無謀とも言えるあるいは従来の枠組みを超えた形の日米安保協力をこういう法案の形にしたのではないかとさえ私は憶測したい。隠された側面としての日米安保の中東への拡大ということを見落としてはならないというふうに考えます。
  88. 佐藤祐弘

    佐藤(祐)委員 終わります。どうもありがとうございました。
  89. 加藤紘一

    加藤委員長 次に、和田一仁君。
  90. 和田一仁

    和田(一)委員 民社党の和田一仁でございます。  きょうはそれぞれ明快な御論旨を伺わせていただきまして、ありがとうございました。私にいただきました時間は大変短いので、すべての皆さんに御質問できない御無礼はぜひお許しいただきたいと思います。  初めに、齋藤鎭男公述人にぜひお伺いしたいのでございますけれども、国際社会の中で今日本は大国である、これはもう自他ともに目されるに至りました。その我が国の国際社会の枢要な一員としての責務はますます大きく重い、こういう御趣旨でございました。これでもうこれから軽減されることはない、かつてはまあまあというような時代もあったかもしれませんが、もうこれからはそれは許されない。そういう中で、国際義務は一方的には放棄できるものでないと極めて明快にお話がございました。ほかの重要な国と私どもが肩を並べて貢献ができるならばいいのですけれども、我が国には、一方、憲法の制約もございます。そういう意味で、先ほどのお話では、憲法九条を当てはめるときに、その幅の中の選択肢がいろいろあるけれども、そのうち最大限の選択肢を使ってこの国際的義務を果たすべきだ、こういうお話がございました。なるほどそのとおりだと私も思いますが、そこで、最大限というのはどの程度のことをお考えになっているのかなということが一つと、それから九条解釈というのは幅がございますけれども、やはり一番ネックというか根っこのところにあるのは、集団的自衛権の行使は、あってもできないという法解釈があるわけなんで、この幅の中のお話をされるのか、この辺も含めて、この解釈も弾力性があるんだというお考えのもとに選択肢を示されたのかなと、その辺をまずお伺いしたいと思います。
  91. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 最初の、これは質問でないかもしれませんけれども、日本分担金世界第二の大国でありますし、また常任理事国になりたいという意見も述べてくれているくらいであって、いろいろ期待があります。先日国連の幹部と電話で話をする機会がございましたけれども、国連も非常な関心を持って今度の日本の論議を聞いているわけでございます。  私が提起いたしました選択肢、いろいろあるけれども、できるだけ広くというのは、非常に抽象的に申し上げて、具体的な例は持っていないのでありますけれども、例えばいわゆる自衛権あるいは集団的自衛権まで踏み込めということではなくて、従来、要するに第九条の論議にかかわることは、かかわるという意味は、そのものだけではなくて平和維持活動を論議することもやめた方がいいという狭い解釈ですね、そういうところから、今日行われておりますように自衛隊の併任あるいはほかの形もあるかもしれませんけれども、自衛隊機能を使うということまで、その間には私はいろいろあると思うのですね。併任という形もありますし、そのほかの形もあると思いますので、その中でだれが考えても常識的にこれはここまでは広げるべきではないかというところをひとつむしろ真剣に議論をし合って、そこまで広げる必要があるのではないかということでございます。一々例を挙げてお答えすることはただいまできませんので、御了承くださいませ。
  92. 和田一仁

    和田(一)委員 国際的な問題はすぐれて相手があって、その相手ニーズを無視した対応はないんだ、こういうお話がございまして、何を求められているかをしっかり把握した上で、それが国策として採用できるか、そしてそれが法的に可能か、あるいは物理的に可能か、あるいは国民のコンセンサスがそこで求められるか、これは大変なことをやはり条件としてお考えになっていると思うのですね。しかし、そういうことを踏まえながらも、将来的には今言われているPKOへの協力では足らないよ、もっともっとPMO、メーキングまでのことを考えないとこれからの国際社会の中での日本立場というものは維持できないというように私は伺いました。そのPMOということになりますと、果たして、今私がお聞きしているのは、この解釈の範囲内でそれが可能かどうか、どんなふうにお考えでしょうか。
  93. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 ただいまのお話、非常に微妙な点を含んでいるわけでございますけれども、現在もなお国際機関を含めて日本には非常に厳しい憲法九条があるということは知っているわけでございます。従来は日本に何かやってもらいたいということを国連事務局も考えていたのでございますけれども、この九条との関連で、せいぜい輸送、通信あるいは医療というところまでだなということまで言っておりました。そして、その後新しい事態の発展で、米ソ関係の対立の終結ということから、日本憲法九条についてどう考えているかということに私は非常に関心を持っていると思いますので、今のところ私はまだこの範囲、まあ今度の法案というのはかなり私は進んだものであるというように考えております。
  94. 和田一仁

    和田(一)委員 佐藤公述人にちょっと関連してお伺いしたいのですけれども、今私のお伺いしております点について御意見を伺いたいと思います。  先ほどは、やはりこれは将来的に日本の国益がかかっている、国益の問題だと。そのためには従来の国会決議やら解釈にとらわれるなというような御趣旨があったと思うのです。今度の法案審議の過程を見ておりまして、一番根っこのところでぶつかっているのは、この集団的自衛権が発動できるかできないか、この一点が大変なこれからの課題になるというふうに私は感じ始めておりますが、その点について御意見を伺いたいと思います。
  95. 佐藤誠三郎

    佐藤公述人 お答え申し上げます。  現在の平和協力法案に関する限りは、集団的自衛権の発動に至らなくても十分対処可能であると私は考えます。しかし、長期的に日本が世界において平和国家としての責任をその経済力に見合った形で十分に果たすためには、私は、現在のこれまでの政府憲法解釈は、憲法を改正する必要は全くございませんが、憲法解釈は九条について若干改正されるべきであると考えております。  日本国と連合国との間のサンフランシスコ平和条約の第五条には、その当時まだ日本国連に加盟しておりませんでしたけれども、連合国は、日本が個別的または集団的自衛権を持つことを承認すると明確に書いてあります。ですから、サンフランシスコ条約を締結した段階で、日本集団的自衛権を持っていることは既に国際的に承認されていることであります。権利は持っている、しかしその行使はしないというのは、それは国会対策上の必要から、野党との妥協の必要からこれまで答弁で行われておりましたが、権利についての本来の解釈から言うと私はおかしいと思っております。行使できない権利は権利ではございません。ですから、これまでは集団的自衛権を発動する必要はなかったのです。しかし、現在、国際関係は変わり、日本の国際的地位は変わり、将来の平和のために日本はそれをする必要が出てくると思います。ですから、現在からその問題について真剣に考え、従来の解釈や従来の決議にとらわれない自由な発想が必要であると私は信じております。
  96. 和田一仁

    和田(一)委員 田中公述人にお伺いいたしますが、先ほどは大変明快に世界システムにおける影響力とその影響力の配分、分配について、分布についてお話がございました。その中で、アメリカが大変大事な立場にあって、もうアメリカを抜いて新しいシステムというものは考えられない。そのアメリカが今やっていることでもしやる気をなくすと大変だ。やる気をなくすと、それこそこれは世界の、アメリカが孤立化すれば世界情勢の不安定化につながり、それが日本の危機だよ、こういうお話はもっともだと思います。  それで、今の湾岸のこの危機状態にこの法案が間に合っても早急に役立っていくか、それから間に合うか、その点も私は非常に疑問に思っておるのですが、こういう環境の中ではどういう、何か方法があるか、あったら教えていただきたい。  それと、将来的には、今私も気にしております集団的自衛権についてはどういうお考えかをお伺いしたいと思います。
  97. 田中明彦

    田中公述人 お答えいたします。  アメリカの重要性について私は先ほど申し述べさせていただいたわけですが、今の御質問のとおり、この法律が間に合ってもそれで具体的に何ができるかということになりますと、必ずしも明らかではないわけですね。ただ私は、この問題は、アメリカの責任ある世界国家としての役割を維持させるためという観点から考えますと、具体的に何をやるかということよりは、先ほど齋藤公述人がおっしゃられておりましたけれども、姿勢が問題だと思っています。とりわけ今回の法律についても、日本の地位がこれだけ上がってまいりますと、世界的ないろいろなニュース、新聞にしょっちゅう出てますね。ですから、この法律が全然通らないあるいはこの法律が通らなくてそれに類する法律もできない、だから国連については日本は何も協力はしないのであるというメッセージが出るということは、これは大変危険だと思います。ですけれども、この件に関して、そういう方向で日本国連協力するために一生懸命努力していくのだという方向が国会で継続的に出てくるのであれば、幾分かはましかという感じがしております。  それから、集団的自衛権については、私は、佐藤公述人がおっしゃられたように、現在の法律に関する限り、これは憲法集団的自衛権とは問題を起こさないというふうに思っております。  ただし、今後の、先ほど前田公述人がおっしゃられたような形の展望まで踏まえて国連中心の世界の安定的なシステムをつくっていくという十年先、二十年先のことを考えますと、現在の政府解釈が唯一のものであって、これは絶対変えられないという形でいつまでも続いていくというのは問題があるのではないかというふうに思っております。もちろん、憲法が国の政策を決定するのに対して重要であるあるいは決定的であるというのは間違いありませんけれども、それによって、憲法によって日本があれができてこれができないということは、日本国民に対してはそれでいいわけですけれども、国際社会日本がその後どうやって扱われていくかということに関しては何の保障ももたらさないわけであります。
  98. 和田一仁

    和田(一)委員 時間がもうなくなってまいりましたので、最後にちょっと一つだけ齋藤公述人にお伺いしたいのです。  私、この法案が成立してでき上がる部隊は、先ほど公述人がおっしゃっていたような集団的訓練も、それから国際的なオリエンテーションも何もない、そういうものが編成されて、それをやって、それですぐ出ていって、そしてまた終わると解散、こういうことを繰り返してしたんでは、これからおっしゃるようにあちこちでいろいろなものが出てきたときの対応として余り上等な対応じゃないと思います。したがって、常時待機部隊的なものがあればいいなというふうにも思っておるのですが、その点についてのお考えがおありのようなので、ございましたらお聞かせいただいて、終わりたいと思います。
  99. 齋藤鎭男

    齋藤公述人 お答え申し上げます。  これにつきましては大変いい御示唆をいただいたのですが、今から二十年ほど前に当時のハマーショルドさんから各国に要請がありまして、各国国内にそういう部隊をイヤマークして置いてもらいたい、そしていつでも必要が起こったらば派遣できるようにという、非常にその当時としては驚くほどの強い調子で言ったわけです。それに応じたのが北欧とカナダとアイルランドとオランダですか、もう一、二カ国ございますけれども、それは現在もやっております。そのおかげで今いろいろのPKOがありますと出ていくわけですね。その国が出ていくために、ほかの国が余り自分のところでそういうことを考えない傾向が出てきているのでございますけれども、過日国連当局と話をしてみますと、今度の関係で何か出てくるかという、恐らく非常に大きな期待があると思うのです。というのは、一人一人で出ているけれども、彼らはそれだけ必要な役割を果たしていますかと聞いてみますと、それはそうだけれども、しかしこの問題は非常に政治的な問題のようだからそれ以上聞かないでくれと言われました。私は、あるグループで、経験の積んだ者を期待していることは間違いないというように思います。
  100. 和田一仁

    和田(一)委員 ほかの先生方もどうもありがとうございました。これで終わります。
  101. 加藤紘一

    加藤委員長 次に、楢崎弥之功君。
  102. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 皆さんには御苦労さんです。進民連の楢崎弥之助です。五分間ですから、一問だけ山内先生にお伺いをいたします。  せんだって当委員会の質疑の中で、もし協力隊、幻の多国籍軍でございますが、お話しのとおりでありまして、実態は米軍でしょう。その後方支援体制、これに協力するわけですから、そういう場合にアメリカの大統領なり国防長官は最悪の事態が起こるかもしれないという可能性を絶えず示唆しております。もしそういうことになれば、米軍後方支援体制にある協力隊イラク側から見ると攻撃の対象になる、その可能性もある。もし攻撃されたときにその協力隊、主として自衛隊ですが、国際法的には軍隊ということを答弁されておりますけれども、それは攻撃をされたときには当然集団的、個別的自衛権が発生する、そのように私は質問しましたところ、法制局長官は、他国の領域でそういうことは想定されないというような意味の答弁をされましたけれども、非常にあいまいでしたが、私は確実にそれは集団的、個別的自衛権が発生する、そのように思いますが、いかがでしょうか。
  103. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  私も明らかにそのような事態の場合においては集団的自衛権の行使を行わざるを得ないであろうというふうに考えております。  ただし、そのような場合に、例えば自衛隊がサウジアラビアに出動いたしまして、イラクからの攻撃を受けてそれで行使する、応戦する行為が私は集団的自衛権の行使にかかわってくると思いますが、果たしてその個別的自衛権という概念で言い得る範囲内のものであるかどうかと言えば、私は、従来政府がとっておりました個別的自衛権というのは、あくまでも日本に対する急迫不正の侵害が加えられた場合に、それに対して必要最小限度のやむを得ず行うところの武力行使が個別的自衛権の行使でございますから、今のような事態のもとにおいては、集団的自衛権の行使には私は当てはまると思いますけれども、それは既に個別的自衛権の範囲を超えたいわば行為ではなかろうか、そのように考えております。
  104. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 終わります。
  105. 加藤紘一

    加藤委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人皆様には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  これにて公聴会は終了いたしました。  次回は、来る五日午前九時三十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時四十一分散会