○
伊藤(英)
委員 先ほ
ども申し上げましたけれ
ども、私は、実はきょうの論議もそうでありますが、あるいは今日までずっと
国会での
議論も聞いていましても思うのですけれ
ども、この
国連平和
協力法、これができて実行しようというふうにしたときも、今までの答弁のされ方あるいは
政府の
姿勢あるいは
憲法の解釈等々、そういうものから見たときに、実際に例えばあの湾岸
地域でできることは非常に少ないんだろうな、限られてしまうんだろうなという気がいたします。恐らく
最初に
総理なりあるいは
皆さん方が、あるいは関心ある人たちが、現在の状況の中で
日本の果たす
役割は何だろう、その中で、金やあるいは物だけじゃいけなくて人の面でも
貢献をしようというふうに考えたときと、そしてそういうものを実際にやろうとしたときのギャップを私は非常に
感じるのですよね。恐らく私は
総理もそうだろうと思うのですよ。だから、この
法律のいわば実効性というか、目的とするところの実効性というのは極めて限られたものになってしまうというふうに私は思うのです。本当にこれでいいのかなというふうに思うのですよね。本当にいいんだろうかというふうに私は思います。
それで、
総理が今申し上げたような格好でいろいろ
努力をされたんでしょうけれ
ども、私は、この問題のためのアプローチというか、やり方がやはり問題じゃないのかなという気がするのですよ。それは、見ていまして、これは多分
国民の多くの人もそう思っていると思うのですが、今回のことをやろうとしたときにいかにも小手先じゃないんだろうかしらん、あるいは近視眼的に物をやっているんじゃないかしらん、あるいはこそくなやり方をしていやせぬかしらん、そして、
最初に申し上げましたけれ
ども、言葉遣いでも、あるいは派遣と派兵がどうの、あるいは
協力と参加がどうだとか、あるいは
武力行使と一体であるか一体でないかというような話もしたりしますけれ
ども、こういうものも何か詭弁じゃないんだろうかなというふうに映ったりするのですよ。なぜなんだろうか、なぜそんなふうに思うんだろうか、あるいはその課題に対して本当に本質的にやっているかな、あるいは長期的な
視点でやっているかなといったときに、なかなかそういう
感じが見えない。なぜそうなんだろうということだと思うのですよね。
それは、私はこういうことだと思うのですよ。
総理自身が、じゃ
世界の中で
日本の
役割をどういうふうに果たすかという見識のもとに、その政治、
外交における強い、よく言われることですが、哲学というか信念というのがどうもよく見えないなということだと思うんですね。だから、発言についても、どうするかといったときに何回も変わったり、これはもちろん
総理だけの問題じゃありませんが、いろいろ変わったりするということが起こったりするのです。
だから私は、この自衛隊の問題にしてもそうですが、これからどうしようかというふうに考えたときに、本当に
日本がこれから本心からどういうふうにしよう、こう思ったならば、まず一つは、正々堂々と、例えば
憲法改正ということもあるかもしれない、あるいは
世界情勢の変化を踏まえて
憲法の解釈をこういうふうに考える、あるいはそういうこともあるかもしらぬ。そして、あるいは自衛隊法の問題についても、ちゃんと自衛隊法の改正をするというようなやり方もある。あるいはまた、今までのいろんな
憲法を初めとしたそういう解釈の範囲内で国際
外交を進めようとしたときに、
世界の
理解を得ようと思ったらほかのやり方もあるかもしれない。それは例えば、非常にわかりやすい原則のもとに、あるいは限られた分野で自衛隊を送るよという考え方もある。あるいは、自衛隊の派遣はこれは全然やりません、
日本は全然やりません、そのかわりといいましょうか、やらないけれ
ども、例えば経済やらあるいは技術やらあるいは文化やら、こういうものでこういうふうにちゃんとやっていきますということも考えられると思うのです。いわば、見ていますといわゆる
日本がこれからどうやってやっていくんだというドクトリンといいましょうか、そういうものがよく見えない、あるいはいろいろなものをやっていくことのタイミングもそうだということだと思うのです。
したがって、こういうのを見ていますと、
日本がこれから本当に
世界から信頼をされる国になるだろうか、あるいは尊敬される国になるんだろうか、あるいはそれなりに威厳もある国として
世界の国から見られるんだろうかというふうに考えたときに、私は本当に大丈夫かなということを思ったりするのです。そういう
意味で、
総理の
責任は極めて大きいのだと思うのですが、そのことをお伺いをして、
質問を終わります。