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安恒良一君 わかればということじゃない。検事調書には、何月何日、だれとだれと、あなたの名前まで書いてあるんですからね、調べてくださいよ。
それじゃ、結論的なことをこの際申し上げておきます。
深谷氏は、三月二日の記者会見で、スタッフを動員して調べたが、御心配なくと。あの時点で調べたが全然ないと言った。同じく三月十四日、リクルート事件の公判の直後にも、記憶にはない、六十三年以降
パーティー券、陣中見舞いなど受けたことはない、それ以前も私には記憶がないと全面的否定。
続いて、同じくあなたの牧野秘書官は三月十七日に、毎月二万円の
会費について、事務所でそういうたぐいのものは見当たらなかった、銀行
口座の
調査や
リクルート社へ問い合わせるつもりはない、こう語った。続いて、牧野秘書官は三月十九日、資金提供は一昨年の夏以降はないと思う、
パーティー券については毎年のように百枚も購入してもらうことはあり得ない、盆暮れの資金提供は少なくとも六十三年以降あるはずがない、
後援会費も六十三年夏以降は絶対にない、六十三年より以前のことはよく調べてみないとわからないと語った。
同じく
深谷氏は三月二十日、
資金援助について、一昨年夏以降についてはないという確認がとれていると否定し、それ以前の資金提供については、再
調査し、できるだけ早く公表すると語る。そして、三月二十三日のこの前の私に対する答弁、きょうの答弁、この一連をずっと見ますと、全くあなたの答弁には一貫性もないし疑わしいところばかりであります。
すなわち、あなたが労働政務次官になった五十五年には
リクルート社は就職情報誌「とらばーゆ」を創刊し、五十七年には同「ベルーフ」を創刊し、五十八年七月には就職情報誌業界十四社で
日本就職情報出版懇話会を結成して、江副氏が代表になり、九月にはいわゆる「とらばーゆ」の愛人バンク事件が起こって、総評全国一般が「リクルートトラブル一一〇番」を開設するなど、就職情報誌の規制問題が大きな焦点となった。政務次官以降も
自民党の社労族として発言力を持っていたあなたが、
リクルート社とのいわゆる法規制問題で接触がなかったというのは不自然であります。しかも、きょうまでいろいろ私があなたに聞いたところの一連のつじつまの合わなさには大変驚きます。
そこで、あなたにこの際聞きたいんですが、長谷川峻元法務
大臣は十二年以上にわたり
リクルート社から六百万円をもらったということで責任をとられました。それから、原田元経企庁
長官は月に一万円、十年以上、六十三年十一月まで受領。六十三年八月、コスモス社から中元として二百万円を受け取ったということで、これも責任辞職をされました。こういう事実を見ると、あなたの場合にはこの二人を兼ね合わせたよりも深い事実だというふうに私は一連の
関係を見るものであります。
そこで、あなたにこの際、記憶がないとかなんと
かいうことじゃなくして、
大臣としてみずから職を辞される考えがありますか。私はこの際潔く
大臣としての職を辞されるべきだと思いますが、いかがですか。