○國弘正雄君 ブッシュさんが
議会における保護主義の台頭の可能性について非常に懸念しているというのは、私もよくわかるような気がするんです。と申しますのは、アメリカの議員さん、特に外交問題に直接関係のある上院議員の人たちの例えば公聴会その他における発言を見ておりますと、本当に何というのでしょうか余りにも無知に過ぎるのではないかという、これは強い
言葉ですが、感じをしばしば持たされるわけですね。
例えばこの間も材木関係の公聴会で、ある議員が日本の住宅が高いのはアメリカ材を買わないからだなどというまことにもって無知な発言を行った。そして、そこに出てまいりました木材関係の可といいますか業者が、いやそうじゃありません、議員、日本の土地が高いからなんであって決して米材を買わないからではない、こうたしなめて満座の失笑を買ったというようなことがつい最近もありました。あるいはこれまた別のある上院議員ですが、対日赤字は何年でなくなるのかはっきり答えを出せと言って、証人の大学の経済学の先生に五年か十年かというような迫り方をして、これまた失笑を買ったというようなことがいろいろあるわけですね。
ですから、私はブッシュさんにしても
議会対策というのは大変に頭の痛いことであろうし、その意味においてこれを放置しておくにおいてはあしき保護主義みたいなものが台頭する。しかも選挙はもうあと数カ月のうちに迫っているというようなことで焦慮しているというか、非常に苦慮しているということは容易に想像できるわけでございます。その意味においては、私は西高東低という
言葉をもじれば、今までは米高日低であったものがむしろ日高米低である、日本の方が高くてアメリカの方が低いというような、そういうような感じすら出てきたわけで、だからこそ非常に慌ただしい形で
海部総理に訪米を依頼するというようなことになったんだろうと思うんです。
そこで、この構造
協議の問題について伺いたいんですけれども、まず最初に、この構造
協議に入る前に、私はそれぞれの国の構造が違うからこそ貿易というか通商ということの意味があるのであって、ですから構造の違いというものは決して悪いことではない、むしろこれはもう通商というものの前提として必要な条件だというふうに思うんです。第二点は、ストラクチャー、構造というのはいわば一軒の家で申しますと柱とかはりのようなものであって、これをみだりに変更する、変えることは非常に難しい、そういうたぐいのものが私はストラクチャーだと思うんですね。そして第三点として、日本とアメリカとのいわば構造上の違いというのは非常に大きゅうございますから、ちょっとやそっとでこの両者の間の調整はこれは不可能だと私は
考えているわけです。
そういうような前提の上で、しかし伺いたいことが一つあるのは、この構造
協議という
言葉なんですけれども、英語ではストラクチュラル・インペディメント・イニシアチブ、こう言っております。ところが、日本語ではこれが構造
協議というふうに実にとげのないといいますか、毒を含まないと申しますか、非常に平板な
言葉に訳されているわけですね。私はこの構造
協議という訳、つまりストラクチュラル・インペディメント・イニシアチブという原語を構造
協議と訳したのは、これは私は限りなく誤訳に近い訳だというふうに
考えているわけですし、何かその背後に意図があったのではないかとすらげすの勘ぐりをしたくなるわけです。
なぜ私がこの問題にこだわるかといいますと、
言葉というものは言うまでもなく意識を規定いたしますし、意識は次いで行動やらあるいはその対応を規定するわけでありますから、たかが誤訳されど誤訳という感じが私は非常に強いわけです。過去の日米関係を振り返ってみましても、
言葉の問題が原因になって、いわば誤訳が問題になって日米関係で非常に深刻な事態が招来されたということが幾つもあるわけです。例えば近くは核の持ち込み、英語でイントロダクションと言いますけれども、この両者は似て非なるものであるということが言えますし、もう少し古くは敗戦直前の鈴木貫
太郎当時
総理が、ポツダム宣言に関連してこれを黙殺するというふうに言われた。その黙殺という
言葉が英語でイグノアというふうに訳された。これは、黙殺というのは非常に含みのある
言葉でありまして、イグノアではないと思うんですけれども、この鈴木貫
太郎提督苦心の作が非常に心ない英語によって連合国に伝えられて、あるアメリカの研究者のごときはそれが広島、長崎の、あるいはそれがソ連の侵攻の一つの原因、失礼、朝鮮半島分割の一つの原因であったなどということを言う人もおる。ですから、私はたかが誤訳されど誤訳だというふうに思うんです。
特に私心配しますのは、さっき申し上げた
言葉は意識を規定する、意識は行動を規定するということであれば、構造
協議というような非常に何といいますか静的というか、ダイナミズムを欠く非常に簡単なルーチン的な訳を与えることによって、この問題は簡単に事務方レベルで対応できるんだ、処理が可能なんだというような、これは実に誤った印象を皆が持ってしまった。非常に安易な印象を持ってしまった。ところが、この構造
協議、いわゆる構造
協議というのはトップの
政治的な強い意思とそれからリーダーシップというものがどうしても必要になるわけで、それを欠いた場合にはいわゆる構造
協議というものはうまくいくはずがないというふうに思うわけです。
これはある方の発言ですが、この構造
協議について、上に立って構造
協議を押さえるたくあん石みたいなものがなければ、これは構造
協議なんというのはうまくいかないんだということをおっしゃった。この方はほかならぬ金丸元副
総理でありまして、さすが老巧だなとこう思うんですが、このたくあん石が一体あるのかないのかということを私は実は伺いたいわけなんです。
なぜそういうことを申し上げるかというと、今回の構造
協議というのは私の見るところ、間違っているかもしれませんけれども、どうも正攻法ではない、まず第一に。正攻法というのは、いわゆる八五年九月のプラザ
合意で始まる金融ないしは為替の調整というようなこと、あるいは八八年の包括通商法のいわゆる例のスーパー三〇一条に結実する部分別商品別のいわゆるMOSS
協議、前者はマクロの立場、後者はミクロの立場に発するものでございますけれども、この二つは正攻法だと思うんですね。
ところが、SIIと呼ばれる構造
協議というのはマクロでもないミクロでもない非常にあいまいなものでございますし、しかもさっき申し上げたように、一つの経済社会のいわば柱に当たるような部分を手直ししようというかなり何といいますか、冒険的というよりも何かかなり乱暴な
議論だというふうに思うんです。
私自身は、アメリカの抱えておるこの問題の究極の解決というのは、やはりアメリカ産業界自身の供給力とそれから競争力を強化していくよりほかにないのであって、それ以外の手だては為替もうまく余り効果を示さなかったし、MOSS
協議も余り効果を生まなかった。それで、やむを得ないで、言ってみれば正攻法でなくてけれんわざを使って、まあとったりみたいなものですな、そんなようなものを使って何とかこの問題を解決しようと、今アメリカが非常に焦っているという感じなんです。
随分長いおしゃべりをしたんですけれども、今の私のそういう構造
協議観といいますか、構造
協議に対する私の判断が大筋において正しいとおぼしめすか、あるいはいやそれはもう全然見当外れだというふうにお
考えになるか、
総理あるいは大蔵大臣の御所見をぜひ承りたいと思います。