○会田長栄君 私は、日本
社会党・護憲共同を代表し、生涯
学習の
振興のための
施策の
推進体制等の
整備に関する
法律に反対の
立場で討論を行います。
本
法律案は、国の説明にもありますように臨教審、
中教審の
答申を踏まえてつくられたはずであります。したがって、本
法律案には、臨教審や
中教審が強く指摘していた科学技術の高度化、情報化の進展、産業構造・就業構造の変化、さらには本格的高齢化
社会の到来などの急激な
社会変化に伴って高まっている
国民の
学習要求にこたえるための
施策が盛り込まれなければなりません。あわせて学歴偏重
社会の是正、
学校以外の
学習成果も正当に評価される
社会の建設、高齢者が豊かで
充実した人生を送れる
社会の建設を目指すものであったはずであります。
しかるに本法案は、こうした諸課題に何らこたえることなく、単に
民間活力の
導入に終始しております。私は、本法案が生涯
学習事業者の
振興に関する
法律案であるなら、事の是非は別としても、それなりの体系を持つものと
考えますが、本
法律案が生涯
学習の
振興のための第一歩を踏み出すものとの国の説明に大きな疑問を抱かざるを得ないのであります。
本
法律案は、当初は臨教審、
中教審の
答申を踏まえ、生涯
学習の体系を示す
法律案となるはずであったと伝え聞いております。事実、一九八八年に
文部省内で作成されたと言われる
法律原案は、生涯
学習の定義から始まる立派なものであったと聞きます。今次の法案作成におきましても、四月十五日付で閣議決定の予定であったものは本法案よりまだましなものでありました。しかるに実際に提出された本法案は、その後の十六省庁にまたがる調整と自民党内の調整の末、実に残念な姿になってしまったのであります。
私は、本
法律案が当初に予定した生涯
学習の体系を示す法案ではなく、単なる生涯
学習事業者
振興法案になってしまった時点で、この
法律案の作成は中断すべきであり、
関係者は改めてさらに周到な準備と十分な努力を払い、
国民の理解が得られる法案として次の機会を待つべきであったと
考えるものであります。本
法律案が
教育を利権の巣としかねない姿で提出されたことを極めて遺憾に思う次第であります。
さて、本
法律案の最大の欠陥は生涯
学習の定義がないことであります。この点について
文部省は、生涯
学習は今や
国民の常識であり、定義をするまでもないと答弁されました。しかし、民主主義の
社会と言われる今日ですら、民主主義の理解は
国民の中でさまざまであります。まして、生涯
学習の概念が
国民すべてに共通であるなどと
考えることはできないのであり、そのことは本
委員会における本法案の
審議を通じましても明らかになったものと思います。
生涯
学習は、一九六〇年代にユネスコで問題提起され、以来ユネスコ、ILO、OECDなどでさまざまに議論されてきました。この論議を通じて明らかにされてきた生涯
学習の理解で最も重要な点は、どの国においても
学習することは
国民の
権利であるという点であります。生涯にわたって学び続けることは
国民の
権利であり、そのための体制
整備を行うことは国や自治体の責務であると思うからであります。
こうした国際的な生涯
学習の理解に立てば、生涯
学習の
振興を
目的とする
法律案に定める定義は明白であります。ところが国は、さきの本
委員会の答弁においても
国民の
学習権を認めようとはしておりません。
国民の
学習権を認めない
立場からは、どうしたら
国民の
学習権を保障するか、すなわち働き中毒と言われる日本の勤労者に
学習のゆとりを保障するか、
学校五日制の時代を目前に
子供たちの
学習環境をどう
整備するか、家庭介護で一歩も家を出られない人々の
学習機会を保障するにはどうしたらよいか、高齢者の
学習意欲にどうこたえるかなど、国や自治体の責務という発想は出てこないのであります。
私は、生涯
学習の
振興を図る
法律には、このように
国民の
学習権と国や自治体の責務を明確にすべきであると
考えます。その上で、ILOの
教育有給休暇の勧告の早期批准と国内法
整備、勤労時間の短縮、週休二日制の定着、家庭介護の負担からの解放、学歴
社会を変革するための官民の努力、とりわけ省庁の雇用政策の抜本的改革などが不可欠であると
考える次第であります。
にもかかわらず本
法律案では、こうした点は労働行政や厚生行政に関して、別に講じられる
施策と相まつ存在にすぎません。生涯
学習の本質的な
部分は完全にスポイルされてしまっているのであります。このような
法律案に生涯
学習の
名前を冠することは到底容認できないところであります。
次に、生涯
学習と
社会教育の
関係についてであります。国の答弁は、生涯
学習の主要な
部分は
学校教育、
社会教育、文化であるというものであります。生涯
学習がもしそういうものであるなら、その主要な
部分は今日までの
文部省行政でできるものということになり、改めて生涯
学習を云々する必要はないものであります。
また国は、
社会教育は
組織された
教育であり、生涯
学習には
学習塾の
教育を除く個人レベルでの
学習が含まれると答弁しています。しかし、図書館や博物館などが
社会教育法に明記されているように、本来、
社会教育には個人レベルの
学習も含むものであります。したがって、国が従来の行政において個人レベルの
学習をバックアップする体制が弱かった、今後はそうした分野も大事にしていきたいとするなら、本
法律案には個人が行う自発的な
学習に対して国がいかなる援助ができるのかが具体的に提起されるべきであります。残念ながら、本
法律案にはこのような具体的提起は全く認められません。
最後に、ユネスコは
義務教育の無償提供を宣言し、中等
教育の無償化を促進すべきだと勧告し、高等
教育ですら無償化に向けて努力されるべきであるとしている点について言及いたします。こうした国際的な
教育権保障の流れの中に生涯
学習を
位置づけるなら、生涯
学習も可能な限り経済的負担を負うことなく行われることが目指されねばなりません。このことは、私がさきに指摘したように、障害者の
学習の保障、高齢者の
学習の保障等を
考えるなら、これが国や自治体の
施策として無償でまたは廉価で提供されることでなければならないのは当然のことであります。
にもかかわらず本
法律案が提起しているのは
民間活力の
導入であります。私は
民間活力を無視せよと言っているのではありません。初の生涯
学習の
法律なら、まずもって国や自治体が
国民に無償であるいは廉価で提供できる
学習機会は何かこそが提案されるべきものであると言っているのであります。こうしたことには全く言及されず、
民間活力、
民間教育事業者についてのみ言及される
法律が生涯
学習の
法律であるというのでは、全く残念と言わざるを得ないのであります。
最近、将来の職業や
社会的身分に関し、
教育コストによる再生産の構造が生まれていると言われ始めておりますが、本法案はそれを生涯
学習にまで拡大することになっているのではないでしょうか。私はそのような構造を到底容認できないものであります。
本
法律案に関しては、まだまだ指摘しなければならない欠陥が数多くあります。このような法案は速やかに撤回し、真に
国民が熱望する生涯
学習振興法案が提案されるべきであります。このことを強く指摘して私の反対討論を終わります。