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常松克安君 そういう答え方もあるでしょう。それはそれでいただきますけれ
ども、例えばここにこういうものがございます。我がふるさと三重県におきまして、私が誇れる一つの町なんです。「紀宝町総合
保健対策
事業計画書」、これをおつくりになりましたのは、京都大学医学部を卒業されまして、四十数歳にして三重県の
保健所長を棒に振って途中退職して、住んでいる町づくり、すなわちそれはもう健康からだ、医療費が云々じゃない、レセプトがどうのこうのじゃない、健康であるということは病気にかからないことです、それを実践しようじゃないか。そういうふうな今
計画をお出しになりましたこと、どれほど活字を羅列し、論理的に組み上げられようとなさいましょうとも、それをやる人が本当の人材
確保と申しますか、一人の立ち上がる人がなければこれは実現できないわけなんです。言葉ばっかり走ります。数字ばっかり走ります。データだけに頼ろうとします。
しかし、この
計画書というものの実態がどこにあるか。大臣、これからちょっと聞いていただいてもらいたいんです。これは、たった一人の、十数年前、
保健婦になられまして、すぐさま一番悪いこの紀宝町に赴任した人が二村恵美子さんでいらっしゃいます。なぜそんなところへ行くんですか。それは私はその町で生まれ、生まれて今日生あったがために町にお返しをしたい。国保は三重県じゅうでけつから五番目、ワーストファイブ、十年間赤字が続いております、だから行くんです。一人のそういうヒューマンというものはなかなか得がたいものでございます。
そうして、この方が中心になりまして一生懸命頑張って十数年間、そして国保が剰余金を出すまで十年かかりました。三重県では第三位まで健全
財政、剰余金は出る、疾病率はぐんと下がる、受診率は下がる、ぼけは少なくなる、こういうふうなものを現実データとして示して、自分一人じゃいけないので、その方の御主人であったのがこの京都大学の御主人です。この人が町長さんの熱烈たる要請で
保健所をおやめになって、ともにこの
事業計画書をつくった。私、三重県内にこういうものをつくっている
市町村を探したらあらせんのです。ようつくらぬのですわ。失礼な言い方ですが、こんな細かく、明確なものです。さすが公衆衛生学科を出た方でありますから、見事なものです。その
基本は何か、病気を云々じゃないんです。病気にかからないようにするには第一予防、第二予防、第三予防を十年間かけて蓄積されてきた。そして見事なデータが、今厚生省が頭を痛めていらっしゃる国保の
財政というものを
財政という見方じゃなく、この人は人の命、健康にすることがすなわちその町づくりにつながると。こういうふうなものを一読しておいていただきたい。
どういうふうなことに私は感銘したのか。例えばやまびこ会、やまびこのように次から次へと共鳴して、みんなで高血圧を予防して健康になり、会員をふやす。ところが、行政のレクチャー、行政から受けたものを教えても全然失敗しているんです。受け付けないんです。これは高血圧で本当に苦しんで病院を退院した人が会長さんになって、三十名の枠で一生懸命食
生活からやっているわけです。だからなじみがいい。行政がやったら全部失敗します。頭からいきません。活字では動きません。
第二番、みどり会、これはどういうことか、貧血を予防しようと五十九年にできました。栄養
調査の結果、野菜がとても不足しているので緑を食べましょうから会が始まりました。第三番目、つくしんぼう会、ツクシのようにスマートに、健康へと伸びて、ちょっぴり辛抱もしながら
学習し合い、糖のコントロールをして健康な
生活を送るためにつくしんぼう。その次、たけのこ会、一枚一枚タケノコのようにはいで、肥満を予防しようとする会であります。
そして、この人が十数年たっての結論が、先生は住民です。我々じゃございません。はっきりと先生は住民です。住民の直接参加、これはもう各県にいろいろこういうような奇特な方がいらっしゃるのを知っています。これだけじゃありません。しかし、もう明確に、今おっしゃっていただいた字では保険料は下がりません、疾病率は下がりません。こういう方がいなければ、またこういう方こそ大臣表彰として私はライトを当てるべきだと思うんです。こういうふうな結論として、一番最後には、スズメの学校からメダカの学校へ、ピーチクパーチクむちを振って教えるような時代ではない。メダカの学校だ、みんながともにやる。一年一回の健康祭なんてすごいことです。
これを聞かれまして、
課長さんに質問いたします。こういうふうな成功の要因は三つあると思うんですが、一体何と何と何とだと思われますか。