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高桑栄松君 今、
大臣言われた中で私も大変賛成だと思うことの
一つは、我が国が
福祉のレベルを今のような
状況に持ち込む前に、まず
国民皆保険があったと、これは私は先進国として大変立派なことであった、こう思うんです。ですから
国民皆保険をベースにして、我が国はそれにどういう付加をしているのかということなんだなと思っておったんですが、
大臣もそのような
お話をされたようでございます。だからその点は厚生省なかなかしっかりやっておられる、こう思うんです。全部というわけにいきませんから、また後でそれはちょっと注文させていただきます。
そこで、先ほどの
国民のイメージ、なぜそういう豊かだけれども、暗くて活気のない将来をイメージしているのかということに対して、私なりの分析をちょっと申し上げてみたいと思うんです。これは厚生省と論戦をしておりますと、時間を大変食うことだと思いますし、多勢に無勢ということもありますので、勝手に私の意見をまず言わしていただきたいと思います。
我が国の
高齢化は未曾有のスピードで進んでいる。これは確かに新聞にも
高齢化社会急ピッチとあります。これは事実ですね。これはちゃんと統計をとりながら年代別で見ていったら急ピッチである、これはもう確かであります。即
高齢化人口だけがぐんぐん伸びていくと思うから、暗いとか活気がないということになるのでありまして、
高齢化人口が総人口に占める比、これを見るとどうなっているかといいますと、
高齢化人口六十五歳以上という今までの三段階分割で、年齢三分割で今見ているんでありますけれども、六十五歳以上人口が総人口に占める割合は一九八七年、一〇・九%です。ところが、フランスは一九八五年、二年前で一二・八、西独一四・七、英国一五・〇、スウェーデンは一七・九、
日本から見ると二、三年前の統計でございますけれども、それは北欧等の二年前よりもまだ少ないということであります。それが
一つであります。
それから、人口問題研究所の
日本の推計を見ますと、一九九〇年一一・九、これは推計ですから若干の狂いがあると思います。二〇〇〇年で一六・三、二〇一〇年で二〇。これを見てみますと、スウェーデンが一九八五年で一七・九、我が国が二〇〇〇年で一六・三。だから、
日本の方が二〇〇〇年になっても一九八五年のスウェーデンよりもまだ少ないということが言えるわけであります。したがいまして、老齢化スピードが急ピッチであるということがイコール
老人だけがふえていくということになってはいないということになるわけであります。ここが
一つのポイントであろうと思うんですね。
それから、よく生産人口分の
老人で、何人が何人を養うんだというのがあります。例えば一九八七年は七人に一人の
老人を養う、二〇〇〇年になると四人に一人だ、これは大変だと。だから、若い人ほど暗くて活気がないイメージになるわけであります。ですから、本当なんだろうか、つまり、生産年齢人口というのは、全
国民の総収入、GNPというのは生産されているわけですが、それにタッチしているのが生産年齢人口でありますから、生産年齢人口が全人口の何%であるかということでいいわけで、
老人だけを割ってみる必要はないと思うんです。
老人がふえていった、だから生産年齢人口が同じであればどんどん扶養
老人がふえていくというけれども、扶養というのは本人も食って寝て家に住んでいるわけだし、子供も扶養しているわけでありますから、生産年齢人口が全人口に占める割合を見てみますとほとんど六〇%なんですね。これは非常に古い昔からなんです。百年昔ぐらいから我が国の生産年齢人口はすべて約六〇%なんですね。もちろん最高六九・五というのが、一九九〇年がそうなりそうだという予測がありますけれども、しかし六〇%台であることはほとんど変わりがないということがございます。
老人を生産年齢人口で割ってPRをされるから
老人ばかりふえて、穀つぶしだけがふえていくといううば捨て山を想定させるわけでありますから、これはPR上いかがなものかと私は思っているわけです。
三番目を申し上げます。生産年齢人口は今十五歳から六十四歳までになっています。中学生で金の卵ともてはやされたのは大変昔の話でありまして、今はまずまず十五歳以上の生産年齢人口としての加算は非常に寄与が少ないと思います。高等学校でもそうであります、九五%が高校に行くんですから。だから、十八歳未満はまず問題にならないと見るのが本当でしょう。そして、実際に六十歳以上で働いている人というのを見ましても、かなりなパーセントがあります。パートタイムでしょうけれどもあるわけです。
だから、実情に近いのが五歳ずつ滑らせて、二十歳から六十九歳というあたりが本当の
意味の生産年齢人口ではないかということでありますが、これは今までどおり十五歳から六十四歳でも二十歳から六十九歳でも五年の違いがあるだけです。つまり、全人口の中でここにあった山が五年こっちへ動くだけであります。そしてこれが全人口を扶養しているわけでありますから、その
意味で生産年齢人口に変わりがないということが私は
一つのポイントであろうと思うんです。
これも人口問題研究所の推計を御紹介いたしますと、生産年齢人口十五歳から六十四歳まで、それから二十歳から六十九歳と滑らして、そして従属人口というそれ以下の年齢と以上の年齢を足したものを分子にしたその指数を見てみますと、これは現在から将来にかけて生産年齢人口を動かしてもほとんど変わりがないということが書いてありますね。事実付表を見るとそういうふうになっています。なるほどそうなんだろうと思うんです。
つまり、生産年齢人口を六十四歳までと区切って六十五歳以上を
老人に入れて、そして暗いイメージをまた演出したのではないか、こういう私は危惧を持っているわけでございます。しかも生産年齢人口というのは——おしんというのは何年の人だったか忘れましたけれども、あれ
昭和の初めですか、おしんは十歳で労働生産年齢補助員になっているわけですからね。だから今とは違うんですよ。あのころの生産年齢人口というのは上は、老齢者は少なかったんでしょうね。私のおじいさんなんか四十歳代で隠居していますから、隠居してても目を光らせていたようでありますけれども。しかし、子供の方は子守に出るのというのは小学校も行くか行かないでというのがあったわけですね。だから、生産年齢人口の
考え方というのは大正から
昭和、現在に至るまで十五歳から六十四歳というのは大変おかしな話であります。しかし、国際的な比較ではそうしないと比較ができないんだろう。つまり、生産年齢を含んだこれだけの人口がどれくらいかという
程度の割合のことになるのじゃないかと思うんです。
そしてもう
一つ重要な点は、
老人人口を生産年齢人口で割っているということに対する反論でありますけれども、重要な問題は労働時間の短縮であります。労働時間がなぜ短縮されたか。これは組合員が運動したからかち取ったものじゃないはずなんです。生産性が非常に上がったから、これに対して余剰は労働を少し切り詰めてもいい、操業短縮が起きた、不景気のためではなかった、こう思うんです。そして現在もまだ働き過ぎだと言われているじゃありませんか。ですから生産性が上がった、生産年齢人口は同じだと物すごく豊かになるわけです。だからイメージは絶対豊かなはずなんです。そしてなぜ暗いのか、これを私はさっきから問題にしているわけであります。
ですから私
たちは、私ももう老年人口に入っておりますけれども、若干口も達者で無事に務めさせていただいておりますけれども、頭もぼけちゃ困るので、後で痴呆の話はきつく質問をさせていただきます、ぼけないようにと。
ついでに
思い出したので、今笑う人がおるものですからちょっと申し上げますと、頭がぼけないことの大事なポイントの
一つは、何でも珍しがるというか興味を持って勉強する。私
たちは興味を持とうが持つまいが、質問が迫ってきますと勉強させられるわけです。しかも多勢に無勢なんだから、専門家集団の高級官僚がおられてこっちは一人でやろうというんですから、これはやっぱりよっぽど勉強しないといけません。ですから、細胞も
一つで動くのではなくて
一つを三倍ぐらい働かさないといかぬものですから、ぼけている暇がない。つまり政治家というのはその
意味ではぼけないんじゃないかなと思うんです。だから、その点で頭に刺激を与えるというのは大事なんですから、いや笑っていただくのもやっぱり大事なんです、刺激が入っているんですよ。聞いておられるからなるほどと思われて、あるいはおかしいと思っているかもしれません。だけどもそういうことがあるわけであります。
何だか話が飛んじゃいまして、どこへ行ったのかわかんなくなっちゃったけれども、私は
高齢化指数をさっきのイメージに反論したくて言っているのでありまして、富と繁栄のシンボルというか指標だと言っています。そうだと思うんです、富と繁栄の
一つのあらわれ。だけども、もう
一つ忘れちゃいけないのは
医療です。
高齢化というのは、病気にならないんじゃないでしょうが、予防するとか治すとかということで
医療が入っているから
高齢化になっているんですね、ここにお医者さんおられますけれども。
医療というのが
高齢化社会に対して重要なんです。そして、先ほど話しておられましたが、たくさん子供を産むことが明るい未来をイメージさせるということでありますけれども、一方では、一人っ子では死んだらどうしよう、そういうことがありますので、たくさん産んで、たくさん死んでも残るのがいる、こういうことであったと思うんです。私の子供のころは十二人産むとゴールドですよ。親が表彰されたんですから。十一人でシルバー、十人だとカッパーとかって。金、銀、銅というのが何かあったんですよ。そういう時代がありました。だから、そういう時代は多産であったが多死だったわけであります。今は
医療が進歩いたしましたので、非常に向上しましたので、このごろ連日テレビでも
医療のことが、今注目を集めているようでありますが。
ですから、
高齢化指数というのは富と繁栄とそして
医療の
一つの水準を示すものだ、こういうふうに私は思っているんです。決して貧困の指標ではない。暗いとか活気のない、そういうイメージをさせるものではない、私はこう思って、
大臣にひとつこれについてのコメントを伺いたいと思うんです。