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参考人(
唯是康彦君)
千葉大学の唯是でございます。座ったまま発言させていただきます。よろしくお願いいたします。
私の
意見は、お手元に配付いたしました「「
わが国農業の直面する
課題と
対応」に関するメモ」というところに箇条書きしてございます。
我が国農業の直面する
課題はいろいろございますけれども、何と申しましても
日米の
経済摩擦絡みの
農業交渉、これが最大だと思いましたので、それをきょうはテーマとして私の
意見を述べさせていただきたいと思います。
それにはまず前提がございまして、一国が
国際社会で行動する場合にはその属する
国際グループの
ルールに従わなくてはいけない、これは
一つの前提でございます。もちろん、
国際ルールといえども欠陥はございます。人間のやることですから欠陥があるわけですけれども、それに対して
対応する場合にはその
グループを脱退するか、あるいは
グループにとどまるならばその
ルールの改善に努力をする、いずれかでなければいけない、こういう立場をとります。
さて、問題を
農産物貿易に限定いたしますと、
ガット規約が一応
国際ルールであるというふうにここでは考えます。これ自体もいろいろ問題ございますけれども、当面これを
一つの
国際ルールと考えていきたいと思います。
きょう呼ばれたのは、恐らく私は
自由化論者の代表であり、
今村先生は
保護論者であり、
加倉井先生はその中立だという仕組みで立てられたと思いますけれども、今一〇〇%即時
自由化しろと言う人は非常に少ないだろうと思いますし、逆に
完全自給を実現するということを考えている人も少ないでしょうし、単純にそれを足して二で割るということもできないわけで、これはむしろショーとして、見せ物としてこういう
一つの
構造をつくってやるのはそれはそれでおもしろいでしょうけれども、やはり
農業問題を真剣に考える場合はそういう
既成概念というものはひとつお持ちにならないでそれぞれ話を聞いていただきたいと思います。
その場合に往々にして混乱に陥ることは、ある
一つの事実がありまして、その事実だけはひとつ確認しておきたい、こういうふうに思います。そこで、私はここに挙げましたaからgまでの事実は認めているという立場でお話ししますので、その点ひとつ御了承いただきたいと思います。
まず、
昭和三十九年、
東京オリンピックの年から
国際収支が改善いたしまして
日本はIMF八条国になり、
ガット十一条国に自動的に移行したわけですから、この時点からまず
市場開放努力というものは義務づけられたと考えます。
二番目に、その結果、鋭意
農林水産物の
自由化は進められました。
自給率が非常に低下し、またそのために
食糧の
安全保障や
生態系の維持というものが心配になっている、この点についても私は異論はありません。むしろ、
食糧の
安全保障という言葉は恐らく私が一番最初に使ったんだろうと。
昭和四十七年に「
安全保障としての
食糧」という論文を書いたことがございまして、それ以来この言葉が使われるようになったので、むしろ私は
自由化をある面で主張しますけれども、
食糧の
安全保障に対しての
先駆者であるというぐらいに自負しております。
三番目に、
我が国の
農業就業構造は非常に高齢化しまして、したがって、それはもちろん
農業保護そのものもありますけれども、
高齢者対策といいますか、そういう社会福祉的な政策を非常に持っておりまして、これはこれでやはり重要なことであろうというふうに私は考えております。
四番目といたしまして、
日米経済摩擦絡みで
農業貿易交渉が行われているわけですけれども、
日本側の
農産物の
市場開放が十分行われたとしても
アメリカの膨大な赤字がそれによって解消するものではない、これは事実ですから、これもまた事実として確認したいと思います。
五番目に、
農業保護政策は
経済発展の過程で不可避的なものであると思います。ですから、
先進国であればどの国もやはり
農業保護を維持している、今日まで温存している、これも事実なので、
アメリカが
農業は
自由化しているなどということはございませんので、その点も確認しておきたいと思います。
六番目に、とはいいながら
先進国の
農業保護というのはいろいろ問題を起こしている。通常、
財政負担ということをよく言いますけれども、そのほかにECと
アメリカのような
補助金つき輸出の
泥沼化といいますか、そういう状態も発生しますし、
先進国が
保護をして安い
農産物を
世界市場にほうり出しますと価格が暴落しますから、
開発途上国の
農業はつぶれてしまう、それでは
開発途上国の開発ができないという問題もございます。等々いろいろ問題がありますし、また
農業保護自体が
国内の
農業を劣弱化しているという面もあるわけです。ですから、やはり長期的にはこの方向というのは改めていかなきゃいけないだろう。これはOECDでもサミットでも
先進国が集まって確認していることですから、これもやはり事実としてお考えいただきたい。
といって、現在の
農業の極めて先進的なあり方というのがいいかどうか、これは大きな問題で、いわゆる
農業の
工業化ですけれども、
安全性の問題や
環境破壊あるいは資源問題という観点からこのままでいいということはないんでして、やはり何らかの形で農法の転換を求めなきゃいけない、これもまた事実として確認いただきたいと思います。
ですから、こういう事実の中には、例えば
自由化を言うのであれば、言わなくてもいいような例えば
農業の
工業化を否定するとか、あるいは
日米の
経済摩擦の赤字の解消にならぬとか、あるいは
日本の
保護政策が
福祉政策として大事だとか、あるいは
安全保障や
生態系の維持も守らなきゃいかぬ、こういうふうなことは
自由化論者としては普通言わないんですけれども、私はそんなことは毛頭ございません。これはもう十分重要な問題として考えておりますので、これからの御質問にはそういった点も考慮の上でしていただきたいと思います。
大体以上のことを踏まえまして、当面二つの
問題点をお話ししたいと思います。
一つは既に終わった
オレンジ・
牛肉自由化決定の問題、それから現在進行中の
米市場開放に関する問題、この二点について私の私見を述べさせていただきます。
オレンジ・
牛肉に関しては、これは終わったことですから私のこれに対する評価ということになります。
まず、
オレンジ・
牛肉は
ガットの
規約で言う
残存輸入制限品目ですから、これは
日本が十一条国に移行してからはやはり
自由化義務を持っているわけですから、早晩
自由化の
対応を迫られる、これはもう非常にはっきりしていたことなんですね。この点は、後に指摘しますように、どうも
日本国内ではしっかりした認識がなかったんではないかというふうに私は考えます。この弱点を
アメリカはついてきた、それは非合法であると。したがって、
日本は
国際ルール、
ガットにとどまってその
ルールの中で動こうとしますと、これは最初から
勝ち目はなかったというふうに私は思います。
そういう状況にもかかわらず、これに対する
一つの
反対運動を起こした。絶対
自由化させない、おれの目の黒いうちはそんなことはさせぬといったようなことを指導的な立場の方がいろいろおっしゃったんですけれども、こういう態度というのはやはり私は非常に問題ではないか。つまり、そ
れは
ガットルールに違反をするということを堂々と言っているんであって、それであればなぜあなたは
ガットから脱退しないのかという反論ができますし、そういう気がなければ、まず
ガットの中にとどまって、その
ルールの改定をやって
オレンジ・
牛肉の
自由化を防ぐという
対応があってしかるべきなのに、何も
対応しないでただ
反対運動をやや狂信的にやっていったということは、これは非常に私は残念なことであった。
このことによって、やはり
日本というのは国際的には
国際ルールを守らない国だということになりますし、また
生産者にとっては、
指導者が絶対
自由化させないと言っているんですから、それを信じて
経営計画を立てたにもかかわらず、突如として土壇場で
自由化に転換してしまった。これは非常に
生産者にとっては不満といいますか、情けない話だったと思いますね。現地を回って私はいろいろそういう
人たちから苦情を聞きました。そんなわけですから、本当はもっとちゃんとした方向、それを立てた上での運動をしてくださった方が
生産者自身のためにも最終的には役立ったんじゃないか、こんなふうに考えております。
私は、
昭和五十七年、この前の
日米交渉の段階で
段階的自由化というのを提案したんです。一度に
自由化ということはできませんから、
輸入の枠を徐々に広げて、そして
自由化しても大丈夫だという
国内状態になったときに
自由化を宣言すればいいじゃないか。そうしますと
十分生産者には
対応の時間がありますし、また
アメリカにとっては、いずれ
自由化するという
一つの
日本の姿勢を示したわけですから、
妥協案としては大変いい案であろうと思ったんですが、これは
関係者から猛烈な
反対を受けまして、それ自体は採用されなかったんですけれども、来年から
自由化が決まり、それに向けて
輸入枠を段階的に広げているわけですから、その限りにおいては私の
提案どおりになったのではないか。私は、自分のことですから当然ですけれども、私の提案を受け入れていただければもっと円滑に事が運んだのではなかろうかなという感じがいたします。
ただ、私がこの
段階的自由化を提案したときに
一つ大きな問題になったのは、
牛肉や
オレンジに対する
消費の
見通しですね、
需要見通しです。私は専門が
計量経済学なものですから、
シミュレーションモデルをつくっていろいろやって一応出したんですけれども、その結果は、
自由化反対を唱える人からも
自由化に賛成する人からも、両派から非常に非難を受けました。もっと
自由化すれば
値段が安くなるという考え、私はそれほど大量に入ってこないんじゃないかということで、そこには大きなギャップがございました。それはもちろん大量に入ることになりますと
値段が暴落して
消費者は喜ぶでしょうけれども、
生産者は恐慌を来すわけですね。ですから、極端な
自由化賛成と極端な
自由化反対へと走っていく
一つの原因になったんだろうと思います。この
見通し自体は、今日
輸入の枠を広げてみて多くの方が御確認いただいていると思いますけれども、大体私の
見通しどおり、そんなに大きな
輸入になりそうはないという
見通しになってきております。
オレンジにつきましては、例えば十二万トンから十四万トンへ枠を広げても、その二万トンの増は消化できないですね。結局業者はこの割り当てを返上するという形になりました。これは、
日本の果物の
消費構造というのは非常に多様化しているんですね。欧米に比べ物にならないぐらい多様化しているんです。その中で
オレンジだけ入れたからといってそんなに食べられるものじゃないんですね。ですから私は、
オレンジはせいぜい十六万トンで頭打ちだろう、
為替レートが非常に安くなっても二十万トンという
見通しを立てたんですけれども、当時の
人たちは五十万トン入る、百万トン入るとべらぼうな話をおっしゃるんで、これはとても話にならなかった。ただ、
ミカンが非常に
消費が落ちたという事実はあるんです。それで、
オレンジを
輸入したために
ミカンの
消費が落ちたと、こういう
ロジックになっているんですけれども、数字をよくごらんになると、そうとは必ずしも言えない。
つまり、例えば
オレンジを十二万トン入れたという時点でどういうことが起きているかといいますと、
昭和五十年に約三百五十万トンぐらいの
ミカンの
生産・
消費が、
昭和六十年になりますとこれが二百五十万トンです。百万トン減るんですね。
オレンジ十二万トン入れて
温州ミカンが百万トン減ったらこれはおかしいですよ。それは
一つの理由かもしれないけれども、
温州ミカンが百万トン減る背景はもっと別なところにあったと、こういうふうに考えるべきだと思います。それを、よく実態を見ないで、単純に結びつけて
反対運動を起こす、これはやはり今後十分注意していただきたいなという感じがいたします。
牛肉につきましても、例えば
日本の
牛肉の
値段は
オーストラリアの五倍だ、こういう
議論がある。そうすると、
自由化すれば
牛肉の
値段は五分の一になる。
消費者は喜ぶでしょうし、
生産者は絶対
反対するでしょうね。当たり前ですよ。ところが、その中には
品質格差という問題がありまして、
霜降りはそんなに簡単に
オーストラリアの
グラスフェッド、牧草ででき上がった肉と代替できるものじゃないわけです。ですから、そういう
品質格差の問題を考えれば決してそんな単純な
議論にはならないはずなんです。もちろん
輸入をすれば
値段は下がりますけれども、
霜降りの、あるいは和牛の
値段の低下というものは
グラスフェッドの
値段まで落ちるということはないわけですね。その辺の
見通しというのは非常に悪かったんじゃないかと思います。今日、
牛肉の枠を広げてみて、和牛の
値段はなかなか下がらない、
輸入牛肉は量をふやすとどんどん下がっていってしまう、こういう事態が出てきて初めてそういう事実に気づくんですね。いずれも、結局
日本の
食糧の
消費構造は欧米とは違うんですよ。そこのところを同じに考えて非常に単純な
見通しを立てたというところに
一つ大きな問題があったと私は判断しています。
ですから、
日本の食生活の
構造は欧米とは非常に違っている。どちらが正しいかということは言えない。こういうことは頭ではわかっているんですけれども、具体的に
オレンジ・
牛肉という問題になってくると結びつかないんですね。そこら辺がやはり今後この問題を考えていく上で十分注意しなけりゃいけない事態ではないか、こんなふうに考えます。
次に、お米の問題に移りますけれども、私の持ち時間が大分減ってまいりましたので、時間が来ましたら後に回させていただきます。
お米につきましては、これは
国家貿易品目ということに
ガットの
規約でなっておりますので、当面
自由化する義務はないわけですね。つまり、
日本のお米の
輸入制限というのは合法的なんです。ここのところは
大変オレンジ・
牛肉とは違うんですね。
オレンジ・
牛肉は
残存輸入制限品目ですから、
ガットの
規約に照らしてこれは非合法なんです。だからこそ
アメリカ政府自身が
日本の政府にその開放を迫った。言うことを聞かなければ
ガットに訴えてクロの裁定をとる、そしてそのクロの裁定を踏まえてスーパー三〇一条を適用しよう、こういう
ロジックでくるわけです。これは仕方ないですよね、これでこられても。
ところが、お米についてはそんなことはないんですよ。ですから
アメリカ政府も直接
日本に交渉できない。したがって
RMA、
民間機関に提訴させて、それを踏まえて
日本に
市場開放を迫ってくる。
日本が断れば、これは合法的ですから
アメリカ政府としてもどうもできませんから、結局二度の
RMAの提訴も却下せざるを得なかった、こういうことですね。ですから、この問題については
日本は何も
自由化反対と言う心要はないんです。
自分たちは合法的なことをしているということを主張すべきであって、ここで
自由化反対ということを言えば
牛肉・
オレンジと同じ線にお米を考えていることになる。これは
ガットの
規約にとっては全然違う話ですよ。
それを、
オレンジ・
牛肉の次は米だと、こういうことを言って大騒ぎをする、これは全く醜態だと思います。知らない外国では、ああそうか、
牛肉・
オレンジと同じように
日本は米についても非合法なことをやっている、そして後ろめたいからそうやってめちゃくちゃな
反対をしていると、これまた非常に国際的な信用を落とすことをやっているわけです。こういうことをして一体何の得があるんだろうと私は思うんです。これは、この問題が出た当初から幾ら言っても多くの人は聞いてくれないんです。もう先入観なんでしょうかね。そういうふうな形でこれについて間違った
対応をしてきた、こういうふうに私は考えます。これはやはりこれから改めるべきだというふうに思っております。
ただしかし、
ミニマムアクセスの問題がある。
最低輸入量というものは必要ではないか、こういうことになります。この
ミニマムアクセスの
議論というのは
ガットの
規約を読んでみてもよくわからないんですけれども、やはり
輸入制限があったとしても
相当量の
輸入はすべきだという
一つの姿勢をとっているんです。ところが、なぜ
輸入制限を許すかというと、例えばお米について言えば、
国内で
生産調整をやっている、したがって
生産調整をやっているときに
自由化されては
国内の
生産が混乱しますから、そこで
輸入制限を認めているわけですね。そうであれば、
ミニマムアクセスというものはあくまでも
生産調整との関連の中で考えるべき問題だと思います。
この
ミニマムアクセスの
議論には二つあって、現在
日本では、お米のおせんべいとかあるいはピラフのような
加工調製品、
調理品、こういったものは
自由化していますから入ってきている。これは
消費量のまだ一%以下、〇・六%か〇・七%ぐらいです。そういう
輸入ですけれども、これは
加工品だから、お米というのは生の形で入るものではない、だから
ミニマムアクセスは
加工品ではなくて生の原形のままの米の
輸入でなきゃいかぬという
議論があるんです。
しかし、私は、
生産調整ということを考えた場合には、結局
加工品、
調理品であっても最終的には原料を使っているわけですから、それだけ
国内の
生産量にダメージを与えるわけです。ですから、
加工品で入れていても
調理品で入れていても、これはやはり
ミニマムアクセスを充当しているというふうに考えたいんです。現在もう入れているわけですから、
日本は合法的なことをやっているんですね。これについても別に後ろめたいことはないわけですから堂々としていればいいのであって、それをあえて一粒も入れないということになると
ミニマムアクセスの
規約を破ることになりますから、むしろ
ガット規約違反という極めて危険な状態に追い込むことになるんですね。こういうことも言う必要はないんです。
日本は何
一つ悪いことをしていないじゃないかということをまず第一に強調すべきであって、
ミニマムアクセスをするのしないの、そういうことを
議論する前に、もうしているんですから、そのことをまず言うべきである。
じゃ、どのぐらい入れたらいいか。これは
ガットの
規約に何も書いてありません。そこでまた三%がいいとか一〇%がいいとか五%がいいとかという
議論をしますけれども、私は全くくだらないと思うんです。なぜかというと、これは
生産調整との絡みの中で
ミニマムアクセスというものを許すんですから、そんな簡単にパーセントを決められるものじゃないはずなんです。そのときどきの状況の中でこれは決定すべき問題であろう。現在はこれでいいんです。それ以上のことをあえて騒ぐ必要は全くない。こういった意味で、これを騒ぐとかえって国際的には何か
日本は非常に後ろめたいことをやって、非合法なことをやって、それで騒いでいるというふうに逆の評価を受けますし、
国内では
生産者を浮き足立たせて、先祖伝来非常にいい稲作をつくり上げてきたのにそれを放棄させてしまう、非常にマイナスの効果を生んでいると私は思うのです。こういう態度はぜひやめるべきである、こういうふうに思うんです。
ただ、現在
ガットでウルグアイ・ラウンド交渉が行われ、九〇年代の世界の貿易のあり方がいろいろ
議論されています。その中で確かにお米の
自由化ということは問題になっている。しかし、これは
アメリカのウエーバー条項やECの可変課徴金などとともに、
ガットの例外規定を相当長期間かけて撤廃しようじゃないかという
議論なんであって、今すぐ決まるものじゃないんです。仮に決まるとしても恐らく二十一世紀初頭の問題ですよ。これから十年以上、二十年、そういうオーダーで考えるべき問題だし、特に
日本の場合は急速な経済成長の中で
農業というものの変革を迫られていて非常に苦しい立場にある。やはり
食糧の
安全保障、
生態系の維持、その他いろんな問題を解決しながら国際化をしていかなきゃいけないわけですから、できるだけお米の
自由化の問題については私は時間を延ばした方がいいと思います。
自由化しないということではない。
ガットに入っている限り、十一条に
自由化原則があるんですから、
日本はそれに対して前向きに取り組みましょう、こういう姿勢は失うべきじゃない。それを失ったらこれは
ガットを脱退する以外にないですね。ですから、とどまる限りはそういう姿勢を保つけれども、その
自由化の時期というものは、これは
食糧外交によってできるだけ延ばすべきである。また
ミニマムアクセスについても、できるだけこれは少量にとどめるべきだと。そういう中で
国内の体制整備を進めていく、これがやはり
日本の
食糧戦略であろうと思います。
そこで、あとお米を基礎
食糧とする政府側の
対応等の問題がありますけれども、私だけしゃべっているわけにいきません。もう二十分ちょっと超えましたので、基礎
食糧の問題あるいはその他お米を今後どうするかという問題は質問の中でお答えすることにいたしまして、一応私の基調報告は終わらせていただきます。
ありがとうございました。