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岡部三郎君
ODAに関しましては、このほか透明度の上昇とか、さまざまな問題について実はお尋ねをしたいと思っておりましたが、ちょっと時間がなくなってまいりました。御準備いただいてまことに申しわけございませんが、また次の機会にすることにしまして、
大臣もOECDの閣僚
会議に御
出席、急遽お帰りになったということで、大変お疲れなことだと思いますが、その
関係の問題をちょっと
質問させていただきたいと思い
ます。
けさOECDの共同宣言というのが出て、私も拝見をいたしたわけでありますが、あの中で、
日本がかねてから主張をしておりました食糧の安全保障という言葉が入らないで、いわゆる非貿易的
関心事項、ノントレード・コンサーンという言葉が入った、こういうことでございますが、実は私、きのう
外務省にきょうの
質問要旨を出しましたときに、農業の問題というのはその公益的な機能等を
考えてひとつ非貿易的
関心事項として扱うべきではないかということを申し上げたんですが、期せずしてOECDの共同声明の言葉と一致をしてしまったわけでございますが、これについて若干私の
考え方を述べさせていただきたいと思います。
私は、本来、農産物というものは、やはり工業製品と同じ貿易ルールで論ずるということ
自体がこれは大変問題であるというふうに思っております。これは何も最近経済評論家なんかが盛んに言われるように、農産物が
日本で競争力のない
分野だから、したがって別のルールでやろうとするんだというような、そういった
考え方で言っているわけではないわけでありまして、やはり農業というのはどこでも、農産物を生産する機能というもの以外にも、やはり国土保全とか
環境の浄化とか、そういった多くの公益的な機能というものがあるわけでありますし、特に
日本ではそうした面が、農産物生産機能というよりもむしろ大きな面があるんではないかというふうに思うわけです。
だからこそプンタデルエステ宣言でも農業の特殊性ということが言われ、あるいはガットにも非貿易的
関心事項、ノントレード・コンサーンという言葉が入っておるのだと思うんです。例えば東京で言えば、神田川がちょっとした雨でもすぐはんらんをする。それはなぜかといえば、やはり大正から昭和の初めごろまではあの上流には相当広大な水田地帯がありまして、降った雨の六割ぐらいはそこに貯留されて四割が出てくる。ところが、今は全部これが市街化されまして、雨が降れば九割は一度に出てきてしまうんです。そのことがやはり下流の
地域の
人たちの生活に非常に大きな
影響を与えておるわけでありまして、私はこうした問題は、当
委員会でもしばしば議論をされました
ODAによる
開発と
環境保全といった問題に非常に
関係があるというふうに思っております。
環境破壊を防ぐために
開発をやめると言うことは、これは簡単でございますけれども、しかしなかなか
発展途上国はどこも人口がどんどんふえてくる。また、その
人たちは何とか雇用していかなきゃいかぬ。さらに、多少でも生活水準を上げるということになれば何らかの
開発を図らなければならない。それを
環境と十分調和を図りながら進めていくということが大事なわけでありますけれども、実際にはなかなか難しい問題がある。
ところが、この
環境を破壊するどころか、むしろそれを向上させながらしかも
開発を進めてきた、いわば理想的な方式が、実は二千年来行われてきた
日本の水田
開発であったのではないかというふうに思うわけであります。水田は、面積当たりの最も多くの食糧を生産するということだけでなくて、さっきも申しましたような治水の効果であるとか、あるいは土壌保全の効果であるとか、あるいは地下水涵養、水質の浄化、国土の美観等々
環境をよりよくする大きな機能を持っておるわけでありまして、少なくともこの
アジア・モンスーン
地域というところにおいては最高の土地利用方式である。もし、この水田を目先の貿易ルールに合わないからということで壊してしまったのでは、
日本の
自然環境が大きく破壊される。その結果は、やはり農民が困るだけではなくて、国民全体が将来にわたって大きな損失をこうむるのではないかと思うわけであります。
OECDで最近農村
地域開発というスタディーを初めた。これは、いつでしたか
新聞にもちょっと出ておりましたが、要するに農業、農村の持つこういった広域的な機能というものを公共財として
考えていこうという
考え方のようでありまして、こういう動きがあったからこそ今回のノントレード・コンサーンというような言葉があるいは入ったのかなとも思うわけでありますが、
日本では食糧の安全保障という言葉が非常に普及しておりまして、ノントレード・コンサーンなんといっても何のことだかよくわからぬということでございますけれども、やっぱり今申しましたような広域的な機能というふうなものを
考えると、
日本の場合にはむしろこの方が実態に合っておるのではないかとも思うわけでありまして、私はやっぱり今回共同声明にノントレード・コンサーンという、どういう形で使われているのか、実は原文をまだ見ていないものですからよくわからないわけでありますけれども、これを機会にそういう面を踏まえてひとつ今後の折衝、特にガットでの折衝に当たっていただきたい。
そのことを申し上げまして、もし御感想でもあれば一言お伺いできれば幸いでございます。