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久保田真苗君 ただいまの
田委員の
韓国大統領の訪日に関連しまして、私も一言だけ申し上げたいと思うんです。
私は
外務大臣の国会の御答弁や、それからテレビの御
意見なんかも拝見いたしました。問題はその御
発言の
内容のようなことに内閣ないし与党の
姿勢がなっていないということなんですね。そして、法務省は帰られましたけれ
ども、法務省が一番古い役所だということが、そのツケが全部外交に回ってきているということだと思うんです。私、今度土井
委員長のお供をしてヨーロッパへ行ってまいりました。社民党の党首のフォーゲルさんにお会いいたしました。もちろん両ドイツの統一について今非常に話題になっております。フォーゲルさんが言われるには、八千万のドイツが
一つになるということに近隣は不安を感じて当然だと思う。でも幸いなことにドイツはこれまで
努力して全欧の友人の好感を寄せてもらうようにしてきた。だから、これからも軍事ポテンシャルを大幅に低めて民主構造を堅固にすることに党として貢献したいと、つづめて言えばそういう
趣旨の御
意見も伺いました。私は、こういう
努力がなかったら、今ドイツの統一などということはとても問題にならないことじゃないかと思うわけです。
帰ってまいりまして、私またテレビや新聞を見ました。そこで余りにも何か違う二つの世界のような、そんな印象を率直に受けたのでございます。新聞には
天皇のお
言葉がどうなるかというようなことで非常に何日もごたごたしている状態でございました。マスメディアの方でもまるでそういうところ、海部
首相がどこまで踏み込むかというようなことがクイズのように焦点になっているわけでございます。私はこういう問題はどこまで踏み込むか片言隻句をとらえて言うようなこととは事柄が違うと思うし、単なる外交の問題だけでもないと思うんですね。ですから、これはもう当然国会決議になるべきだと思っております。
そもそもこういうことの根っこにありますのがやっぱり長年朝鮮半島の
方々たちの法的地位の問題、先ほど
田委員が挙げられましたような事柄を要求されてもされても渋々出し惜しみ、そういう状態が続いて、どれだけ
韓国、朝鮮の方のいら立ちが強まったかということを考えなきゃならないんだと思うんです。そして何でそういう必要な
言葉を惜しむのか、なぜ権利を認めるのを惜しむのか。アメリカにはノーと言えなかったのにアジア諸国にはノーを言い続けて、不合理にもですね。だから、私
どもはやはりこれは本当に貧しい外交国家にしかなりようがないと思うんです。
この一日、二日のうちに本当に好ましからざる嫌がらせが
日本に起こっております。一部なら幸いです。
韓国でも訪日への疑問の声、反発の声などがあるという
報道がなされております。私はこういうものが出てくる素地として、やはり
政治家や行政当局の責任は本当に重大だと思うんですね。もし両方の
国民の間に敵対的な感情がこの訪日を
機会に広がるというようなことが万が一にもあるとするならば、それはもうどんなにきれいな
言葉でおしまいを飾ろうとも、それはもう成功とはとても言えなくなってしまうと思うんですね。これじゃ、もう
外務省の外交はできないし、大臣がいろいろ心を尽くしていらっしゃることもそれは水泡に帰してしまう、そう思うんです。
両方の間でもっと有好的な機運をつくる、そこが一番大事なことだと思いますし、言うべきことは本当に心が通るように言う。西ドイツの
大統領があの八五年五月八日の敗戦記念日に、すべての犠牲者に向けて
自分の非を認め、そしてこれからの決意を語った。あれだけの長い
言葉を使ってやっているのに、なぜ本当に遺憾、遺憾という
言葉がいかぬのかどうかというような、そういう次元に私たちはとどまってなきゃならないのか。私は、やはりこれは
中山外務大臣に閣内で外交という
立場から強いリーダーシップをとっていただかなきゃならないんだなということを痛切に感じております。
このことは
韓国だけじゃございません。北朝鮮も同じです。東南アジアも
中国もやはりそういう
気持ちがあるわけでして、聞くところによりますと、米軍がアジアから削減されていくということで一番心配なのは、
日本軍がまた出張ってこやしないかという、そういう新聞論調があるということで、これはすぐにそういう反発を引き起こすような素地をまず何とかしないことには、大臣の外交は非常に困難だと思うんですね。その素地つくりのためにも、やはり
国民と一緒に
国民外交をやっていく。友好の基盤を広げていく。それを基本にしてぜひやっていただきたいなと、それが私の最近の感想なんですね。
私、必ずしもお返事をいただこうとは思いませんけれ
ども、もし御感想がございましたらおっしゃっていただけたらと思います。