○
小澤(克)
委員 私は、
日本社会党・護憲共同を代表して、
商法等の一部を
改正する
法律案並びに同
法律の
施行に伴う
関係法律の
整備に関する
法律案について、反対の立場からの討論を行うものであります。
今次
商法改正案については、我が国に多数存在する小規模
会社の実情に照らして、
会社に対する
各種の規制を緩和し、あるいは手続等を
整備改善し、また
会社の資金調達の方法を合理化するなど、評価すべき面も少なくないと思われます。
しかし、その一方で、
株式会社及び
有限会社について
最低資本金制度を導入することについては、重大な問題を含むものであります。
最低資本金制について、
法案提出者である政府は、これが
会社債権者の
保護を図るものであると説明しております。しかし、実際に
債権者の
保護に資するのかどうかについては十分な
検討を要するものであります。
資本金は
会社の物的基礎の
基準となる額ですから、これに一定程度以上の大きさを要求することは、
有限責任制を原則とする
会社制度において
債権者の
保護につながるとの論理は一見もっともらしく聞こえます。しかし、注意すべきは、資本とは一定の
計算上の数額であって、その
意味では形式的な存在にすぎず、
現実に存在する
会社資産とは別の概念であることです。確かに
商法は、
会社設立や増資に際して資本が
現実に充実されるよう図っておりますし、その後においても違法配当の禁止や自己株式取得の制限などにより資本が維持されるようにも配慮しております。しかし、
会社の事業活動の結果損失が生じ、
会社純資産額が
資本金額を割り込む事態の生ずることは避けられず、これに対して法はもはやいかんともなしがたいのであります。
ところで、
会社債権者の
保護が
現実の問題となるのは、
会社の経営
状態の悪化により欠損を生じ、ついには
債務超過に至る局面においてであります。そして、右局面においては、その
会社の形式的な
資本金額が幾らであるかは全く
意味を持たないのであります。
このように具体的に
検討いたしますと、
最低資本金制度が
債権者の
保護に資するという説明は全く説得力に欠けるものと言わなければなりません。事実、本
法案の提出者からは、
資本金の多寡による
企業倒産率の比較など、統計的、実証的な資料に基づいた説明はついになされず、かえって参考人からは、
資本金一千万以下の
会社がそれ以上の
会社よりも倒産率が低いという統計的事実も
指摘されているのであります。本
法案の提出に至る過程において、
最低資本金とすべき金額が浮動した事実も、この
制度導入の必要性についての明確な論理と根拠に欠けたことを示すものと言わなければなりません。
最低資本金制度導入の真の目的は、いわゆる零細
会社の乱設防止にあると言わなければなりません。本
法案審議の過程でも、提出者側は少なくとも副次的にはそのような目的があることを認めざるを得なかったのであります。
ところで、事業を行う者が
会社制度を利用する目的には多面的なものがあります。例えば、我が国における中小
会社設立の一典型であるいわゆる法人成り、すなわち既存の
個人企業が
会社形態へと移行する場合を例にとるならば、
会社制度を利用することによって、まず第一に
企業会計と家計を分離し、
企業会計を明確にすることができます。その結果、
企業経営を合理化し、また、計画的な経営が可能にもなります。そのことからまた、
企業の
信用が増し、金融機関からの融資も受けやすくなり、有力相手方との
取引な
ども可能になってくるのであり、さらに
経営者の社会的ステータスも向上することになります。第二に、
会社とすることにより、営業主が死亡した場合にも営業主体の継続性を維持することができます。第三に、率直に言って節税にもなります。
これらの利益は決して否定されるべきものではなく、零細
企業者のみがこれら利益の享受から排除されなければならない理由はありません。なお、右のうち節税に関しては、給与生活者、いわゆるサラリーマン層との権衡も問題となりますが、この問題は、本来は給与所得課税について是正していくことにより解決すべきものであると考えます。
中小企業者にとって
有限責任制による利益は、実際には副次的なものにすぎません。なぜなら、これら
企業の
経営者は
個人保証や担保提供により
個人責任を負っているのが常態であるからであります。
このように、我が国
中小企業の
実態に即して
検討するならば、いわゆる乱設防止論もまた説得力に欠けるのみならず、
中小企業者への理解を欠く冷酷な論と言わなければなりません。
以上総じて、本
法案における
最低資本金制度は、その目的、効果が不明確であり、場合によっては有害ですらあります。他方、中小
会社に負担を生ずることは確実であります。
一般に、新たな
法規制を加える場合には、その規制を正当化するに足る具体的で明確な
保護法益が存在することが必要であります。そうでなければ、
意味もなく寝台の長さに合わせて人々の足を切ったり引き伸ばして殺してしまったギリシャ神話の登場人物であるプロクルステスの誤りを犯すことになりかねません。
最低資本金制度を
現実に導入するとするならば、これに達するまで増資を余儀なくされる既存
会社への配慮が重大な問題となります。提案者の説明によっても、
株式会社で八十三万社、
有限会社で六十万社強に上る既存の
会社がこの最低資本
金に達していないということが言われているわけであります。増資それ自体、既に大きな負担であります。したがって、特に税制上の配慮は十分になされなければなりません。税制上直ちに問題となるのは、
登記事項である
資本金額の
変更等に伴う登録免許税の減免措置であります。さらに重大なのは、内部留保の資本組み入れにおけるみなし配当課税の問題であります。後者については、今次
改正案において株式配当の
制度を廃止し、配当可能利益の資本組み入れと株式分割に明確に分離、整理するのでありますから、資本組み入れそれ自体に対してみなし配当課税をすることの当否が
一般論としても大きな問題となりますが、それはさておいても、
最低資本金額に達するまでの増資についてはみなし配当課税をするべきでないことは言うまでもありません。そのほか、現物出資における
資産譲渡税も問題となります。
このように、税
制度との関連は極めて重大であるにもかかわらず、本
法案審議の過程において、これらの点に関して提出者は明確な答弁を回避するのに終始いたしました。すなわち、法務省の担当者は、大蔵省にお願いしておりますと言うのみで、一方大蔵省は、政府税制
調査会等において
検討していただきます等と言うのみなのであります。言うまでもなく、本
法案は
内閣提出の
法案であり、したがって、
法改正に伴い直ちに派生する事項については内閣自体として意思統一をしておくことは当然であるにもかかわらず、このような答弁に終始することはまことに無
責任と言わなければなりません。これでは、立法府に籍を置く私
どもとしても、国民に対して
責任を持って本
法案の当否について
判断することすら困難だと言わなければならないのであります。
以上の理由により、本
法案については冒頭に述べた評価すべき部分を
考慮してもなお、残念ながら請求棄却の判決を書かざるを得ない、すなわち反対をせざるを得ないのであります。
さて、私たちも
会社債権者の
保護のための
制度整備が必要であることは十分に認識しております。ところで、
会社債権者の
保護の最も直接的で具体的な手段は、
会社の
計算の外部監査もしくは
調査などその適正を担保する
制度とその内容の
公開制度であります。これらにより、その
会社の現時点における経理内容、
資産状態等を
会社と
取引関係に立つ者が正確かつ容易に知り得ることこそが
債権者の
保護に資することは、さきに述べたことから既に明らかでありましょう。
最低資本金制度が多少でも
意味があるとすれば、それは
債権者が
会社の
資産状況等について正確に知り得ることを前提に
純資産額と
資本金額とを対比、
検討し得る場合でありましょう。
したがって、
会社債権者を真に
保護しようとするならば、外部監査、
調査制度と
計算公開制度こそを導入しなければならない道理となります。これらを欠いたまま
最低資本金制度のみを導入することの不合理さは既に
指摘したところでありますから、もはや繰り返しません。
ところで、これらの
制度も、その一方で中小
会社に
各種の負担や不安をもたらすことも否めない事実であります。そこで、これら中小
会社の立場との調和を図る一手法として次のような方法は
検討に値すると思われます。すなわち、これらの
制度を中小
会社に直接強制するのではなく、これら
制度の要請する事項を履践しない
会社については、
有限責任の原則を制約して
取締役等に一定の
責任を求めていく方法であります。このような方法は、実は判例法として積み上げられている法人格否認の法理とも相通ずるものがあります。けだし、法人格否認の法理は、法的人格の存在自体を否認するものではなく、
会社の
責任主体としての独立性を否認するにすぎないからであります。前述の方法は、どのような場合に
責任主体としての独立性が否認されるかを法文上で明確にしていく手法とも言えましょう。もちろん、このような手法は、
有限責任原則の根幹にもかかわる事柄だけに、十分な
検討の必要があると思われます。
我が党は、今般
商法改正案に対して対案を提出することができなかったことについての率直な反省を含めて、
会社債権者の
保護と中小
会社の利益の調和点を求めて今後とも主体的な努力を重ねていくことを表明し、私の討論を終わります。(拍手)