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島田参考人 私は、長野県の農村で十一年間にわたって
社会教育活動の実際に従事したことと、その後、大学で
社会教育及び
教育法学を研究している
立場から、この
法案は慎重審議をし、抜本的に組みかえなければならないものであるという見解を持っております。その
立場から、以下四点にわたって
意見を申し上げたいと思っております。
その第一は、
教育の本質に立って生涯
学習の
あり方を考えたいということであります。第二は、本来あるべき生涯
学習政策に期待される性格と
内容についてであります。第三には、本
法案に即して幾つかの問題点を述べたいということであります。それから第四は、先ほども
海老原参考人がおっしゃられましたが、生涯
学習の国際的展開、
動向に即して今後の
あり方を考えてみたいという点であります。
第一点の、
教育の本質に立って生涯
学習の
あり方を考えたいという点については、何といっても戦後の
社会教育活動が本物の
教育を生み出してきたという点を
確認したいことであります。それは、
自己の
課題を解決できる知恵と力を
自分の
努力や
人々のつながりの中で高めていき、まさに
自己教育の主人公として
自分自身を育て上げてきたという成果を戦後
社会教育活動は持っているわけであります。古くは青年団、婦人会の
活動、そのほかさまざまな
生活問題、社会問題に取り組んだ中から民主的な社会の進歩を支える有為な人材が多く生まれてきております。国
会議員の先生方の中にもそのような
活動を通して今日の立派な
活動をなされている
方々が少なくございません。
このような
学習活動の広がりが多くの
社会教育活動関係者を励まし、今日の
社会教育を生み出してきていると思いますが、このような
活動を支えてきたのは実は
教育基本法であり、
社会教育法であったということが
確認されるべきでありましょう。それは、
人々の
人間的発達とその
可能性に期待をしてよりよい世の中をつくろうという高い理想が掲げられており、この理想に励まされて多くの
人々が
活動に従事してきたということでありまして、引用するまでもなく、
教育基本法の前文、一条、あるいは
社会教育法の三条にみずから実際
生活に即する文化的教養を高める、これを国や地方自治体は援助すべきだという、この
理念と原則が
社会教育活動を発展させてきたと思います。
お手元にお配りしました
参考資料の
社会教育法の制定趣旨説明の中にも、そのような意図がるる述べられております。それは抜粋でございますが、
社会教育の
自己教育性、公共性、
施設が独立的に運営されるべきこと、
社会教育活動は自主的に発展させられるべきこと、そのためのサービス機関としての
施設は
住民参加によって運営されるべきこと、国や地方自治体の
行政機関による指導は求めに応じてなされるべきであることなど、戦後
社会教育の自主的発展を支える諸原則が昭和二十四年の
社会教育法制定時に明確に語られておりまして、当時の
社会教育課長みずから解説を試みられました「
社会教育法解説」という昭和二十四年発行の本にも明らかでありまして、資料の一ページ、二ページにわたって引用してございます。特に二ページの下の段に、公民館の運営
審議会という
住民参加機関の意義を強く述べて、例えば公民館長の選任に際してもあらかじめ
意見を聞くというのは、ほぼ公選と等しいようなものであるという、
住民参加の原則を強く訴えていることに注目したいと思います。
このように、
社会教育の自主性、共同性、自治原則、
人々に身近な
市町村が第一線に立って条件
整備をするということ、国や
都道府県はあくまでも後ろ盾になるということ、そして
社会教育委員や公民館運営
審議会のような
住民参加機関があるということ、そしてまた
教育行政は政治に干渉されることのない独立性を持つべきであるということ、そしてまた、
社会教育活動は公的な制度で支えられてこそすべての人に開かれ、公共性を持つものであるということ、こういう原理が
確認されるべきだと思います。
このようなことがありますので、今
社会教育活動を通してその
活動領域は、
教育、育児はもちろん、社会福祉、健康、自然環境あるいは婦人の社会的自立や
職業技術訓練、こういった
領域にまで手を広げて、総合的な中身を持つに至ってきているわけであります。
さて、第二点の生涯
学習政策に期待される性格と
内容は、今も申しましたけれども、
現代にふさわしい総合性を持つべきこと、
教育行政として、
教育行政機関がその中間に座って
教育行政としての充実を図るために他の
関連分野の
協力を仰いで総合性を発展すべきこと、しかしそこには自主的、自発的かつ国民の
参加に支えられた
教育文化活動であるべきでありますから、
教育機関が中心であるべきこと。例えばこれはイギリスにおいて地方
教育委員会が設立をするカレッジ・オブ・ファーザー・エデュケーションという
施設がございますが、ここは
地域のさまざまな
人々の代表が
参加をすると同時に、地元の
教育研究機関や県議会なども代表を送りながら独自の運営
委員会を持ち、かつその独立した
教育施設は
技術訓練から趣味、教養あるいは教員免許資格などのような大変広範な
教育内容を持つことが可能になっておりまして、もちろん低廉な受講料、場合によっては無料という極めて公共性の高い運営をなしているわけであります。
このことから考えてみますと、現在の
社会教育法を一層充実した形で運用する、国の補助も年々公的
施設の補助が減額されるというような
現状を改めてすべての
人々が
参加し得る
基本的な
社会教育条件を
整備することを通して、そして
都道府県、
市町村の
教育委員会がその
地域の実情に即して知恵を出し切って、
市町村の公民館、図書館、博物館、その他の
社会教育施設とともに
連携を進めて総合的な生涯
学習推進の
体制をつくるべきである。
この点について、第三番目に、この
法案に即して若干の問題点を申し述べてみたいと思います。
第一点は、総合
行政化で
教育行政の独立性が失われることが心配であります。二条、五条、十条、十一条にそのことが考えられるわけでありますが、求められるべき
人間像や社会像を打ち出した生涯
学習理念がなく、むしろ
海老原参考人が申しておりましたように、
地域から見た生涯
学習には、
地域活性化政策の一環として生涯
学習が位置づくというような順序の逆な発想というものは改められるべきであろう。したがいまして、
教育行政の独立性というものは何といっても保障されなければならない。なぜならば、
教育行政というのは
教育という
人間の精神的内面にかかわる
学習活動を支え、援助する
行政でありますから、一般
行政と同質に論じられない。一般
行政に見るような指導助言原則は貫かれるべきではないのでありまして、あくまでも法制定時に述べられた求めに応じた指導という自主性が前提になっていなければならない。またその自律性が保障された
教育文化
施設にあってそれを自主的、共同的に運営する
住民の意欲的な
参加があって
教育活動は発展するわけでありますから、そのような
施設の設立とその充実、予算、
職員等を含めた充実策こそ大事なのであります。
時間がございませんから、あとは極めて簡単に申しますが、二番目の問題点としては、中央集権化、これが自治体の
教育文化
行政の自主性の後退を生む、個性を喪失させるということを憂えるわけでありまして、三条、四条、五条、六条、八条に見られるように、国の指導強化と
都道府県主導型によって
市町村自治の
振興が否定されることが心配であります。
第三点は、特に三条にかかわり、また八条にもかかわりますが、
都道府県の
教育行政機関が直接
教育活動を行う。これは今までの原則とは全く逆でございまして、
教育施設が
教育活動を行うべきである。これは、
教育施設の
教育機関としてのとらえ方については、昭和三十二年六月一日に
文部省の初等中等
教育局長の解釈が示されておりまして、みずからの意思をもって継続的に
教育事業を行う。みずからの意思をもってという独立性、継続性というものが強調されていることに留意したいと思っております。
四番目は、民間
事業者の
教育文化
事業への導入による常利
事業化、これは
海老原参考人が詳しく申されたので私は繰り返しませんが、ただ、大阪大学
人間科学部の調査をお手元の資料に入れておきました。公的な
施設の行う
事業ほど、
学習経験が少なく、あるいは所得が低い人にとっては開かれたものであって、公的な
施設の
整備が今大変必要である。とにかく「費用がかかりすぎる」「近くに
施設がない」、このような阻害条件のために多くの
人々が
学習から遠ざけられている
現状を見たときに、公的
整備は非常に必要であるということであります。
五番目に、自主
団体への指導強化が三条、八条をめぐって心配されますが、これはあくまでも求めに応ずる指導というもの、これは
社会教育主事設置を決めた二十六年の法改正時も、文部当局から繰り返し強調されていた点でございます。
そして六番目に、既に触れたように
住民参加原則というものが著しく後退されることについて危惧を
感じております。
このような危惧を
感じておりますだけに、四番目に申し上げたいことは、国際的
動向に沿った水準の高いものをぜひ私
たち国民共同の力で生み出していかなければいけないということを痛感するわけでございます。
ユネスコ学習権宣言については
海老原参考人がおっしゃられました。資料のその次に載せてありますノルウェー
成人教育法は、
成人教育の伝統の長い北欧の一国の例でございますが、ここでは、
成人教育の目的は、一人一人がより価値ある人生を送れるように助力するところにある。
人々に
自分自身の価値を見出すように促し、一人一人の
人間的発達を助ける。
労働の場でも
地域社会でも
自己の確立と他人との共同をなし遂げる基盤がつくられるように、知識や洞察力や技量を身につけるための平等な機会を
人々に保障することがこの法律の目的であるという、
日本の
教育基本法にも匹敵すべき高い理想と情熱と、
人々が
学習活動に
参加しようという気分を高めさせるような法律があることを大変うらやましく思うわけであります。
また、私も在外研究で勉強の機会が与えられましたときにしばらく滞在しておりましたイギリスで
成人教育学部の設置の
歴史が一番長いノッティンガム大学のトーマス教授が「ラーニング・デモクラシー・イン・ジャパン」という本を書きました。「
日本における民主主義の
学習」というふうに訳せるのでありましょうが、この
日本語版が今準備中でございます。そこに寄せた序文では、「戦後
日本人は、
社会教育活動を通してホワイを学んだ。」と言っております。なぜだ、どうしてだ、どのようにしたらよいか、こういうことを学んだ。「これは専制政治を許さぬ大事な保証であった。」こういうことを言っております。
社会教育における視野広い総合的な生涯
学習の意義が改めてとらえ直されなければならないことを、このような国際的な
動向あるいは
日本の
社会教育に注目している海外の研究者の発言からも読み取れるわけでございます。
速やかに根本的な練り直しをして、広く国民の前に、国民共同でつくる生涯
学習の
あり方を示すこと、これが必要であろうかと思っております。
以上で私の発言を終わります。(拍手)