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柳沢委員 ちょっと手元に持ってきた本を読ませていただきたいのですけれ
ども、これは司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の「愛蘭土紀行」の一節なのです。司馬遼太郎さんがロンドンのユーストン駅からリバプール行きの列車に乗り込んだところの描写なのですが、「走りだすと、ほどなく英国の田園風景が展開しはじめた。牧草におおわれた野や丘、それに林、あるいはわずかに点在する田園の住宅。ときにあらわれる古い領主の館。車窓が切りとってゆくどの瞬間も、よく構成された絵画というほかない。ただ一種類なのだが、見飽きることがないのは、秩序がもつ魅力としかいいようがない。」「文明というのが秩序
世界であるとすれば、こういう村を国中にたっぷりもっている英国こそ依然として大文明国かもしれない。」という一節があるわけです。イギリスの田園というのはまさにイギリス人が誇っているものでありますけれ
ども、これは自然にできたものじゃないのですね。自然にできたものじゃなくて、最近におきましても実は大変な努力が傾注されているということがあります。
これは東畑精一
先生がお始めになられたそうなのですが、
我が国にあります農村開発企画
委員会というところがこの種の研究をしているわけですが、そこの研究者の
発言もこれま
たちょっと読ませていただきたいと思うのです。イギリスについては「農村に対する投資の重要な部分である農地整備(
日本の
土地改良事業に相当)についても、生産性向上という目的ではなくて、むしろ農地を減らして、より自然を豊富にするというような事業を具体的にやり始めた。」こういうことがあります。それから今
大臣もおっしゃられた余暇利用との関係で「イギリス人の田舎好きが、一点集中型の農村観光から、分散型の面としての農村観光というところに発展してきた。」こういうことも出ておるわけです。
これは単にイギリスにとどまらないのですね。フランスでも同様であります。フランスについての研究員が「フランス的な農村景観をつくっていくということについては、
農業大臣もフランス農村の景観はフランスを代表するものと言っている。特に一九八四年グルノーブルで行われた景観全国大会で、時の
農業大臣ミッシェル・ロカールは「景観は地方の発展計画や農村整備・農地整備を実行していく中で、その姿を鮮明にする。それは整備の上につけ加えられるものではない」と述べ、農村の整備の全体像が景観として表出される」、こういうことを言っております。「フランスの場合には、農村の景観をつくるということは、都市住民に対する余暇空間の場所を提供するのだという
考え方が非常に強く出ている。」最近我が党でもリゾートについて熱心な議員の
先生がたくさんいらっしゃいまして、そこでモデルとしてよく挙げられるラングドック・ルションという地域があることは御承知のとおりだと思いますけれ
ども、ラングドック・ルションだけが観光地ではない、こう言っているのですね。フランス人はみんな、ここに行く間に農村に寄って、そこでむしろ本当にキャンピングサイトでもって余暇を楽しんでいる、こういう
指摘がこの研究員からもされているわけであります。
ドイツもしかりでございまして、一九七六年の自然保護及び景域保全法というようなものがあって、これは都市も農村地域も景域保全法を実現しなければいけないということになっているのですが、
実態はどうかというと、この研究者がやはり言っているのですが、都市計画でこの景域保全法にマッチしたような地域をつくり出しているところはほとんどない、そうではなくて、農村の
土地改良事業でむしろこの景域保全法に適合した地域がっくり出されている、それが大半である、こういうことを言われているのですね。我々、農村民宿とかなんとかということで山間地対策の重要な柱にしようということで今やっていることなんですが、全部そういう方向になってきているわけです。これは、
土地改良あるいは
農業基盤整備というものの思想が歴史的に変わってきた。戦争直後は
土地の生産性を上げる、これは
食糧不足に対応するものである。それから次に労働生産性を上げる、その意味で
構造改善をやった。それから次は、都市との格差を埋めるということで集落整備や農村工業導入をやった。そして最後に今やこういう段階に来ている。こういう歴史的な歩みを、実は
土地改良事業も欧州では歩んできているということのようです。
我々は、あえて申しますと、実はこのことにつとに気がついていたわけなんですけれ
ども、せっかく今
日本の農水省で
土地改良をやって生産性を上げて国際競争力をつけた
農業を実現しようということで一生懸命やっておられますので、その施策に混乱をもたらしたのでは申しわけないなという気持ちで、こういう
側面を
指摘することをあえて控えてきたのですよ。ところが今回事態がこういうように展開してきまして、生活重視の公共投資をやろうというようなことになってきたこの段階では、もうここを控える必要ないのじゃないか。
農林水産省の施策においてもここを堂々と打ち出していって、
土地改良というのはこういうものなんですよと。もう欧米では、地域の
人たちに合意を求めるのに、生産性をアップするためにこの
土地改良をやりますなんて言ったって賛成する人はだれもいないと言っていますね。そういうことではなくて、景観とか生態系を維持するためにこういう
土地改良をやりますということでなければもう
土地改良計画が地域の人間から承認されない、そういう
状況になっているんだそうです。我々は下手をすると余りにもおくれをとり過ぎるかもしれない。こういう事態になって生活重視の公共投資を大いにやろうということになったのは非常にいいチャンスじゃないか、私はそのように思います。
これはもう、先ほど私フランスの例で読みましたように、
土地改良事業に当たってそういうことも配慮します程度の話じゃないのですね。同等あるいはそれ以上の、もちろん生産性向上のための
土地改良というものもゼロにするということは
我が国の
農業の実情からいっても到底あり得ないわけなんですけれ
ども、しかし、非常にそこに力点を置いた
土地改良というものが行われるんだということを今やはっきり打ち出しまして、だから我々の公共投資十カ年計画で
農業基盤整備の事業費というのは大変大事なんだということをぜひアピールすべきだ、このように私は
考えるのでありますけれ
ども、いかがでございましょうか。