○堀
委員 今皆さんお聞きのように、この一—三月の、特に月別の一、二、三のデータをごらんになれば、明らかに輸出は二百二十六、二百三十一、二百四十六とふえてきつつあるわけでありまして、恐らく今のままなら四月、五月、どんどんふえていくのだろう、こう思うわけであります。ですから私は、この
為替の問題などということを短期にどうこう考える必要はないのであって、ある一定のタームで物を考えれば十分だ、こう考えているのであります。
そこで、この
為替というのも実は
市場でございますね、
為替市場、非常にたくさんの
取引がここで行われた結果が
一つの
為替の価格として出てくるわけであります。
ちょっとその問題について、何か講義めいた話をして大変恐縮なんでありますけれ
ども、私は、祖父も父も医者の家に育って、大学は大阪大学医学部を卒業した医師でありますけれ
ども、実はいろいろな経過がございまして、
昭和三十三年五月の社会党が左右両派統一をいたしましたときの統一候補として選挙に当選をいたしまして、そのときは、実は社会党は百六十六名当選をいたしました。そのときの議員定数は四百七十八名で現在より大幅に少ないわけでありますから、四百七十八名の中の百六十六名、パーセントにしてたしか三四%余りでございまして、社会党と自民党以外には共産党の志賀義雄さんが一人という、まさにこれが五五年体制と言われる形でございまして、あの議場の中で、私や、ここに写真が出ておりますけれ
ども、今度やめていった角屋君だとか安井君だとか、彼らと一番前列に並んで実は当選をした経緯がございます。
私は、その医者の立場として、
経済の勉強をするのに非常に役立ったという問題が
一つございますのは、実は我々の体は、自分で動かそうとする、例えば手は動かせる、目もぱちぱちできる、こういろいろ自分で動かせる
部分があるのですが、自分では動かせないものが動いているのがたくさんあるわけです。例えば心臓などというのはちょっととめようといったってとまらないし、これはコントロールは意思ではできないのですね。それから消化管、要するに胃や腸も皆オートマチックに全部動いておる。血液も全部です。呼吸も、我々寝ていてもちゃんと呼吸できるというのは、そういう自律神経というシステムによって実は我々の体は機能しているわけです。
ですから、例えば大変暑いときは御
承知のように汗が出ます。汗が出るということはどういうことかといいますと、表面がぬれてくると、この水分が蒸発するときに気化熱を奪うということで、体温をここから放散するというふうに物理的にちゃんとなっているのですね。寒いところへ行きますと、顔面蒼白といいますか、そこらじゅうが白くなります。それは、体温を保持するためにはオートマチックに、温度がある程度下がったところへ行けば、血を一番脂肪の多いおなかのところに全部やっている、末端血管が自動的に縮小して、血液を一番温度が下がらない脂肪の多い腹部に集める、こういうふうに自律神経系統というものが私
どもの生存の最も重要な働きを実はしているわけであります。この自律神経というものは、交感神経というのと副交感神経という相互に括抗した神経の作用がオートマチックに外の状態に応じて対応できる、こうなっておりまして、その交感神経という方は心臓をしっかり動かす方、そして副交感神経というのは逆に心臓をゆっくり動かす方、交感神経というのは要するに血圧をぐっと上げる、そして副交感神経というのは血管を拡張して血圧を下げる、そういうふうなオートマチックな仕組みがあるのです。
それで、私は大蔵
委員会に
昭和三十五年の一月に参りまして、旧制高等学校以来のマルクスの信奉者でございましたけれ
ども、大蔵
委員会へ来ていろいろ勉強をしておりまして、ははあ、
経済の中における
市場、要するにプライスメカニズムという機構が人間の自律神経と非常に共通しているところがあるなということに気がついたわけであります。これはアダム・スミスが言う「見えざる手」ということで、
市場の中で、いろいろな出合いの中で、要するに物が非常に生産量が減ってくれば、買い手の方が高くても買いたいということで価格は上がる。生産がたくさんできて過剰になれば値段が下がる。それが行き過ぎたときに過剰生産恐慌というのが、実はマルクスやエンゲルスが生活していたロンドンで起きているわけであります。
そういう過剰生産が起きるというのは、大体
一つの工場の中では分業は極めて適切に行われるけれ
ども、会社が
幾つもあると分業はそういうふうにならないので、もうかるとなるとみんながその
商品をつくる、そうすると生産が過剰になる、過剰になると売れなくなる、売れなくなると自分の会社から労働者を首を切って外へ追い出す、ますます消費が落ちて、やがて恐慌が来る。エンゲルスは「反デューリング論」という
論議の中で、これはまさにフーリエが言っておるような過剰生産恐慌なんだ、十年に一遍ずつやってきて、今五回目の恐慌が起きておるということを言っているのであります。
そういうものをずっと勉強してきて私が感じましたことは、どうもソ連のやっておりますあのやり方、ノルマを決めて、そしてノルマを達成したらそれに見合う賃金だけを渡しているということでは生産は伸びないのじゃないか、生産性は上がらないのじゃないか。人間は人よりもいい暮らしをしたいという欲望がある。しっかり働いたら働いただけの収入がもらえるのならば、それはみんながやる気になりますけれ
ども、決まった仕事で決まった賃金で、それ以上やっても別にどうもないということならば、できるだけ楽をしてそのノルマを果たせばいい、こういうことになる、こういうふうに気がついたものですから、
昭和三十六年ぐらいから、どうもソ連の社会主義というのは問題がある、こう考えたわけであります。
そこでマルクスをもう一回ひっくり返してみますと、マルクスは「ゴータ綱領批判」という中で、第一段階の社会主義、いわゆる我々がこれまでの言葉で言っておる社会主義の段階は、
資本主義のいろいろなものを引き継いでおる、モンゴリアン・フレッケンのような、母斑という言葉を使っていますけれ
ども、そういうものを引き継いでいるから、この段階は能力に応じて働き、能力に応じて取るということが必要なんだ。しかし、これが一定段階へ行くと第二段階の社会主義で、我々は旗の上に、要するに能力に応じて働き、必要に応じて取れるようになる、大変楽観的な話でありますけれ
ども、そういうことを書いているわけですね。
社会党の中で私が
市場経済だ競争原理だなんて言ったって通るわけはありませんが、マルクスがこう言っているというのは、これは私の党の中ではすぱっと通るわけでして、これはちょうど水戸黄門の葵の紋章みたいなものですから。そこで私は、競争原理、
市場経済というのは、
資本主義、社会主義を分ける基準ではないんだ、
経済の基本的な
ファンダメンタルズなんだということを党内でやり始めたわけであります。
ですから、そういう
意味では——私ちょっとここで古い
会議録を、簡単に
ポイントだけを読みますけれ
ども、これは
昭和四十年十二月二十三日、佐藤総理との間の
論議でございますけれ
ども、
○堀
委員 最後に、今度の公債の利回りが六分五厘ということで、発行価格によって応募者利回りは変わりますけれ
ども、利子は六分五血ときまりましたようですね。このことは、やはり私は
日本の今後の金利政策を含めての問題に、公債の表面金利の問題はかかわりがあると思っておるのです。ここで、公債問題について私
どもが非常に考えておかなければならぬのは、公社債
市場がない形であれば強制割り当て方式のようなものはどうしても続くのではないか、どうしてもこれは公社債
市場を——私は大蔵
委員会、
予算委員会、いろいろなところを通じて過去四年にわたってこの問題を論じてきたけれ
ども、いつまでたってもできないのですよ。なぜできないのか、金利が自由化してないからできないのですよ。現在は何だかんだといいながら、金利が固定化しているために、固定化している限りでは私は公社債
市場というのはできないと思うのです。
資本主義というのはどこにメリットがあるかといえば、需要供給によって価格がきまるというところに、メリットがあって、需要供給で価格がきまるところから、全体が自律的に働かない限り、金利が固定しておる限り、いまの
日本の
金融の不正常は直らないと思うのです。何か国債を発行したら
金融が正常化するようなことの手始めだなんという
経済評論の人もありますが、私はそれは逆ではないかと思う。もうちょっとすみやかに公社債
市場ができておるならば、国債発行というものは非常にスムーズにいくけれ
ども、公社債
市場のないところで年間七千億くらいの公債を発行する、あるいは一兆二千億から三千億の政保債、地方債を含めて発行するなんということは、ほんとうは常識では考えられないことなんですね。総理、これは大蔵
大臣からもお聞きいただいて、総理からも伺いますが、あなたも
資本主義の
政府を代表しておるならば、
資本主義は
資本主義らしくやるということに踏み切ったらどうですか、その点は。
資本主義の一番肝心な金利が、ともかく統制的に戦後のまま置かれて、自由化してないようなそんなところがいま
世界の
資本主義国のどこにありますか。
日本だけじゃないですか。要するに、金利が自由化をしたときに、私はプライスメカニズムが働いて、これこそほんとうの歯どめになるのではないか、こう思っておるのです。それでなければ、これはほんとうの歯どめにならないのです。私は、きょうはこの時間を通じて歯どめについての言質を総理からだいぶいただきました。しかし、ほんとうの歯どめは、金利が自由化をして、プライスメカニズムが働いて、公社債
市場ができたときに、金利の情勢に応じて発行できる限度がおのずからきまるということになる。これがほんとうのオーソドックスな歯どめですよ。この点について、ひとつ大蔵
大臣、総理
大臣から明確なお答えをいただきたいと思います。
○福田(赳)国務
大臣 お考えは全く同感です。しかしその手順は、そう簡単にはなかなか取り運ばない。そこで私は、まず公社債
市場というものをつくるほうから手がけてみたい、こういうふうに考えています。ぽつぽつ政保債の値つけ
市場というものをつくる、これが完熟した時期にこれを
市場に上場する、そうすると、大体国債への地ならしができるわけでありまして、その時期を見まして、国債の値つけ
市場、次いでこれを上場する、こういうような手順を踏みながら、お話のような国債消化の正道をつくっていきたい、かように考えるわけです。
○佐藤内閣総理
大臣 ただいまの大蔵
大臣のお答えでおわかりだと思いますが、私は大蔵
大臣時分から公社債
市場の育成強化というようなこともいろいろ
論議してまいりましたが、なかなかできない。このもとが、ただいま御
指摘になりました金利が自由化されない、そういうところにあるのだ、かようなことでございます。あらゆる面において統制がはずされてきておるが、金利については依然としてこれが続いておる、こういうことについてどうしてもメスを入れなければならない。そういう時期にくるのだ。しかし、いま大蔵
大臣が申しますように、どういう道をとるか、どういう手段をとるかということが
一つの問題なんだ、かように申しておりますが、これで私
どももまず公債を発行する、また、今日の状態のもとにおいては、金利の自由化は完全ではございませんが、そういう方向に向かうものだ、かように私
どもは思っております。
○堀
委員 私は、この金利の問題というのは、事務当局の皆さんは非常に慎重だと思うのです。しかし、これは実はきわめて政治的な問題なんですね。勇気を持ってどこかで環を切らない限りは、この環は続いているわけです。どうしても切れないのです。私はもうほんとうに、大蔵
委員会の
会議録をごらんいただけば、この問題について大半を費やすくらいやってきて、なおかつ今日だめだというのはふしぎでならないのです。はたして
日本は
資本主義の国家なのかどうか、(中略)
資本主義である限りは、
資本主義がうまくメカニズムが相互に働いて、自律的にいってもらわなければ
国民は迷惑するんですよ。私はさっきこうこうこうなったと
経済成長のクオーター別の伸び率を申し上げたのは、金利が固定化しているからああいうことが起きるのです。
ああいうことというのは異常な高度成長です。
諸
外国でなぜ起きないのか。金利が自由化されているから、当然そこで歯どめがかかって、そうならない仕組みがある。
日本はそうなっていない。私は佐藤さんが安定成長をおっしゃるなら、安定成長のきめ手は金利の自由化以外にないですよ。私はあなたが少なくとも在職中に金利の自由化をなされなければ、あなたのおっしゃった安定成長というのは、あれはにせものだ、こういうふうに理解せざるを得ないと思います。ひとつあなた、在職中やるということを御
確認願って、私は質問を終わります。
○佐藤内閣総理
大臣 私は、社会党の堀議員からこの話を伺うことを非常に愉快に思っております。私もそういう状態をぜひともつくりたい、かように考えておりますので、御協力を願いたいと思います。ありがとうございました。
これが実は
昭和四十年十二月ですからね。今は
昭和で言えば六十五年ですから、実は二十五年前から、池田さんの管理低金利政策というもので
日本は異常な高度成長ができた、それはそれなりの功罪がありますけれ
ども、これは、まさに私が二十五年かかってやっている
経済の自由化、これがいかに時間がかかっているかということをちょっと御紹介したのであります。
そこで、角谷さんは
証券局長、
市場というのは、これはどういうものなんでしょうかね。あなたは
証券市場を管理していらっしゃるから、
市場というものについての皆さん方の認識をちょっとお答えいただきたいと思います。