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箱崎参考人 御
紹介いただきました
箱崎でございます。若干の
意見を述べさせていただきたいと思います。
私は、ジャーナリストの立場でいろいろこの問題を経験し、見聞してきましたけれども、やはり最近の
住宅問題の異常さというのは大変なものだろうと思います。このままでほうっておくと、これから
日本経済を背負う、あるいは福祉を背負っていく勤労者の士気が一体保てるのかどうか、そういうことを非常に深刻に思わざるを得ません。
それで、
日本の
住宅問題、特に
大都市圏の
住宅問題というのは、
一つは、住まいそのものであると同時に、
環境整備の問題としてとらえる必要があろうかと思います。それは、大きく言うと
公共事業の問題とも関連するかと存じます。私は過去二十数年間、大手町の勤務先にドア・ツー・ドアで大体一時間ぐらいのところから通っているのでありますが、この二十年間、私の住まいの
環境というのはほとんど全く変わっていません。狭い道路というものが走って、そこを自動車だけがどんどんふえていきますけれども、ある
意味では本当に毎日生命の危険さえ感じながら通勤しておるわけであります。歩道などももちろんなく、下水道などの
整備というものはなされておりますけれども、非常に深刻な問題だと思います。
一方、私はよく地方にも出ますけれども、地方の方は非常に
整備されている。県庁所在地というのは立派な近代
都市となっており、常に交通も非常によくなっている。こういうのを見ますと、
日本の首都圏あるいは
大都市圏のベッドタウンがなぜこのように放置されてしまったのかということを非常に疑問に感じざるを得ません。
確かに
東京にも、奥の方に行きますと、ニュータウンというところはかなり
整備されております。しかし、それはごく一部でありまして、例えば練馬、世田谷あるいはちょっと先の都下などは、まさに昔の馬車道がそのまま実際に使われているというような
状況になっているわけであります。こういうことを
東京と地方を比較しますと、本当に最近は、一時
都市の反乱という言葉が言われましたけれども、都会の勤労者が納めた税金が一体どこで使われているのかということをかなり不満に思い出すであろうと思わざるを得ません。
このように、
東京を初めとする大阪あるいは中部という
大都市圏の
住宅問題が貧困のままに放置された原因は何かといいますと、実は、
住宅に対する関心がある
意味では本当になかったんじゃないかと思います。人間は、残念ながら、自分が
住宅を取得してしまいますと、人の
住宅を持つことには
余り関心を示しません。ですから、
東京も含めまして
自治体というものは、
住宅問題はメーンの政策にはなり得ません。
住宅を持たない
人たちはまた持たない
人たちで、団結して圧力団体というような力を発揮した例はこれまでも非常にない、ほとんどないと言っていいと思います。
そういう
意味では、地方に
都市計画とか
住宅計画というものを任せていて、本当に実効ある政策ができるのか。私は、地方自治の
理念もわかりますけれども、ほとんど今までできなかったんだから今後もできないのではなかろうかと思います。今回の
法案では、
大都市法で大臣が
供給基本方針を出して、それに
都府県が
供給計画を定めていろいろ
整備地区を定めるとか、そういう形にはなっております。そういう点では非常に前進だと思いますけれども、これが
方針なのか
計画なのか、本当言うと、もうちょっと強制力のあった方が望ましいのではないかという気がいたします。とにかく地方自治に任せておいて
都市計画というのが一体進んだ例があるのかということを残念ながら指摘したいと思います。
もう
一つ、
大都市圏の
住宅が貧困なまま放置されたという原因には、
一つは
日本の
公共事業の運営に原因があるかと思います。
日本の
公共事業は常に景気対策に偏重した運用をされてまいりました。一言で言いますと、景気が悪くなると発動する、そして言葉としては、
東京は
民活で地方は
公共事業で景気を引き上げますよということがよく言われます。しかし、
住宅環境とか
住宅対策というのは、とても
民活でできるような代物ではございません。それからもう
一つ、
公共事業が景気政策に重点を置いて運営されますと、とても
都市計画あるいは
住宅計画といった、着実に、安定的にやっていく
施策というものはなかなかなじみにくい、そういう
意味で常に放置されがちであったのではなかろうかと思います。
もう
一つ公共事業のあり方について言いますと、これは
住宅建設にもかかわる問題でございますが、例えば私は
昭和四十七年ごろ、たまたま大蔵省担当の記者をやっておりましたけれども、例のスミソニアンの厳しい不況を受けまして、このとき当時四十七年の大型補正、四十八年にも非常に
公共事業を拡大した時期がございます。その拡大をきっかけとしまして、物価は非常に高騰しまして建設資材も上がったのでありますが、このとき大蔵省の主計局の幹部の方がこう言ったことを今でも記憶しております。その話というのは、
公共事業を大きくしたんだけれども、これは大工さんなどの技能工の要員の三割ぐらい需要が高まることを見越したんだ、それから二、三年前のことですけれども、たまたま
昭和四十五年には大阪の万博がありました。そのとき働いた
人たちがまだいっぱいいるはずであるという前提に立ったのでありますが、その後のスミソニアンに至る不況もありまして、わずか三割多く技能労働者を集めようとしたところが、実際それができなかったわけであります。それで賃金は上がり、建設資材は上がりまして、その後のオイルショック後のインフレにつながる前提の最初の物価高騰が起こったということがございます。
やはり
住宅政策あるいは
公共事業、
環境整備も含めまして、もうちょっと安定的にやらなければこれからはできないのではないか。いつでも大工さんが余っている時代は既に過去のものになっております。ですから、今後の
住宅対策というのはもっと安定した長期
計画によってやっていかなくてはならないのではなかろうかと存じます。
もう
一つ、首都圏の、特に
東京の
住宅をよくすることは一極集中をますますひどくするのじゃないかという声がございます。確かにそういう面もあるのですが、しかし、この問題はまた別だろうと思います。
私が思いますには、地方は一極集中というものを本当に是正しようという考えはないことが
東京の一極集中を招いている原因だろうと思います。地方が、実際には人口減に悩んでいるとか
東京だけが繁栄するとかいうことをいろいろ言っておりますけれども、地方の政策を見ますと、大体経済成長を高めようという政策はとっておりません。例えば東北におきましても農業県と言われるところ、あるいは九州においてもそうでございますけれども、その各
自治体の予算を見ますと、第一が教育費で二〇%以上を占めておりますし、その次は
公共事業費が一八%ぐらい占めておりますし、それに続くのが農政水産費、これが大体一三%ぐらいを占めているのが普通でありまして、工場を招くとか工業立県を目指すとかソフト化、サービス化を目指すための予算という商工費というのは、全予算の三%ぐらいになっております。要するに、各県は
東京の一極集中というものを批判しながらも、自分たちは人口をふやすとか新しい経済に乗った道を探るというような政策は全くとっていないわけであります。
ですから、
東京の
住宅がよくなろうと悪くなろうと、
日本の一極集中は現状では変わらないというふうに思います。地方は、財政そのものがある程度補助金をもらえるものにつけているというような姿でそのままの政策をやり、いわば東南アジアの各国のように工業化を進めるというような政策をとっておりません。ですから、
東京一極集中化は、ある
意味では永遠にこのままで進んでいくのではなかろうかと私は思います。その中で、
住宅政策というのは、
日本経済を支える勤労者とかそういう
人たちのことを考えますと、非常に深刻だと思わざるを得ません。先ほども申しましたけれども、この問題はもう
自治体に任せておく政策ではないというふうに存じます。
私は、今回の
大都市法を初めとする二法の先進性というものは非常に多く感じます。
賛成でございますけれども、本当を言いますと、もうちょっと強力なものであってほしいと思います。この
都市計画法及び
建築基準法の一部を
改正する
法律案によりますと、
開発すべき遊休地の問題に絡みまして、これを指定し、勧告し、そして勧告に従わなかった場合は買い取り協議を求めることができるとなっておりますが、皆さんから
意見を聞きますと、これはもっと強制力を持たせない限り効果は期待できないのではないかというような声も耳にいたしました。これは全く個人的な考えなのですけれども、これほど大きくなった首都圏というものには首都圏独自の困難な広域的な問題がたくさんございます。できれば、いわば
大都市圏法みたいな、首都圏法みたいなものをつくって対応していくことが本当を言うと実効あるのではなかろうかと思います。
しかし、この
法律案二法が今までなかった点を大きく埋めておることは大いに評価できると存じますし、そういう
意味でおおむねいい前進だと恩っております。
以上でございます。(拍手)