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浜田(卓)
委員 努力をなすっていると思いますが、今日の
政府の
農業政策に対する不信というのは、例えば、何も
輸入しませんと言い続けてきて、ある日突然、それはできなかったのだ、そういうところに大きな
原因があると私は思っております。ですから、これは農林省も含めて
政府全体で
交渉に当たっていることでありますけれども、特に
外務省は、
世界的な全体
状況を
日本にどういうふうにソフトランディングさせていくかという重要な
使命を担っているわけでありますので、絶対やらない、それが突然やるといった繰り返しにならないように、この
ルール化の問題についても、十分国際的な動静を踏まえながら、
国内世論の
情勢も含めて、全体の
まとめ役として頑張っていただきたい。
外務大臣もそういうお気持ちで
ウルグアイ・ラウンドに臨んでいただきたいということを申し上げておきます。
次に、同じ
経済問題で、
日米構造協議について若干の質問をさせていただきます。
この
日米構造協議の
背景についてはいろいろな
議論があります。私なりに整理してみますと、
一つは
経済の
ボーダーレス化といいますか、
マーケットが
世界じゅうでだんだん
一つになってきている。特に
日米の
マーケットは、政治的な
国境は厳然としてあるわけですけれども、実際の物の動き、金の流れという面から見ると、もうほとんどボーダーレスという
実態に近づいている。そうすると、
アメリカの
マーケット、
日本の
マーケットは、海を隔てた遠い国の別々の
マーケットというわけにはいかなくなってきている。
一つの
マーケットの問題として
お互いに考えていかなければならなくなりつつある。それが私は大きな問題の
背景の
一つだと思っております。
それと、きのう実は
日米議員連盟で
アマコスト大使を招いていろいろ意見を交換したわけであり
ますけれども、その中で
アマコスト大使がいみじくも言っておられましたが、
日本は力がついたんだ、力がついた
日本と同じ
ルールでやらせろということがあるのです。
日本は自由自在にやっているけれども、
アメリカからやってきたらどうも全く別の要因で自由自在にやれないじゃないか、それは何なんだというのが私が二番目に
指摘する大きな
背景だと思うわけです。結局
日本にも
マーケットの
事情がいろいろあるわけですけれども、向こうの
マーケットについては自由自在に入っていって自由自在に活動しているということであれば、少なくとも
ルールは同一化していくということは当然
日本側も考えるべきことである。
と同時に、そのスタンスですけれども、私はよくわかりやすい例えで言うのですが、
日本は力がついてきた
息子であって、力もつき過ぎた
息子であって、
おやじから見ると頼もしいところはあるけれども、若干生意気で抑えつけたくなる。
アメリカは、こう言うと失礼かもしれませんが、少し衰えてきた年とった
おやじだ。それが
一つの
家庭の中にいるという
考え方で
日米関係というのはやっていくのがよかろう。
加害者はどっちかといったらむしろ
日本だというぐらいの意識でこの問題に取り組んでいくべきだと私は思うのです。
おやじの言い方が少しいたけだかで腹に据えかねるというところはどんな
家庭でもあるわけですから、そこは力のある
息子としては、若干寛容の
精神を持って臨んでいくことが私は必要だと思います。
それと、もっと深いところで言えば、これだけ力のついた
日本がなぜ
安全保障の問題で
アメリカに大きく依存しているのか、国家としてどうなんだという非常に根深い問題が私はあるような気がするわけです。これは
経済の問題だから
経済の
分野だけで解決するというアプローチではなくて、まさに
安全保障の問題、
米軍基地の問題も含めた広い
日本のあり方の問題として
米国と対応していくことが大事だ、そういう
背景を持った問題ではないかと私は思います。
きのうの
アマコスト氏の
発言を続けて引用いたしますと、ソ連とか東欧との
関係は変わってきているのだ、つまり
東西対立の
緊張感というのが薄れてきた、そうすると国民の
関心はどこに向くかというと、
経済に向くんだ、
経済といえば
日本だ、実はそういう図式も背後にあるのだろうという気がいたしております。
いずれにせよ、一体化しつつある
マーケットの問題であり、かつ今申し上げたような各種の
背景のある問題ですから、この構造
協議が、例えば四月何日までで終わったら問題がなくなるということではないんだ、一種のモグラたたきみたいなものであって、
一つ解決すればまた
一つ出てくる。だからといって、じゃ解決しなくていいかというと、私は解決すべきだと思うのですけれども、絶えずそういうことがあるんだということも覚悟していく必要がある。つまり、一時、摩擦の常態化という言葉も使われましたけれども、構造
協議の常態化というと妙かもしれませんが、そういった
認識で、絶えずある問題、絶えずある同じ
マーケットの問題を
お互いに除去し合いつつ行くんだ、それを基本に据えて対応していく必要がある。だから、一回だめだったからこれでもう終わりだみたいな悲壮感を持った対応というのもまた
生産的ではないし、しかしそれはどうでもいいよということもまた
生産的ではない。御苦労でありますけれども、絶えず苦労していかざるを得ない問題だというふうに考えるわけです。ですから、そういう中で必要なことは、そういう絶えざる
交渉というものが
双方のナショナリズム的な対立に発展しないような工夫というのが必要だと私は思うのですね。
そういうことを
背景に置きながら二、三質問をさせていただきますが、もう
一つの
背景は、やはり
貿易収支ですね。
日本の
貿易収支の黒字は大き過ぎる、
アメリカの赤字が大き過ぎる、だからどうしてくれるかというのがもう
一つありますね。ただ、私はそれをずっと前提に考えていくことがやはりおかしいんだということをあえて言いたいわけです。
というのは、
我が国の
貿易黒字の動向には変化があるのです。一九八六年がピークでありましたけれども、経常収支の黒字がGNP比で四・六%になっております。ところが昨年は二%台なのです。それからことしの一月は、実に経常収支は六億ドルの赤字になっておるわけです。そして、これはまだ正確な見通しは難しいんですけれども、一九九〇年のGNP比というのは一%台であろう、そういう予測が多くなりつつあります。つまり経常黒字の対GNP比で見る限り、
日本の
貿易構造というのは完全に変化しつつある。そしてよく言われるのは、経常黒字幅がGNP比の二%を超えると、国際的にいろいろ摩擦を生ずるということは言われてきていたわけですけれども、ことしは多分二%も割るであろう、そういう
状況になりつつある。ですから私は、
貿易収支が
日本はずっと黒字なんだ、
アメリカは赤字なんだ、だから何とかしなくてはいけないという前提でこの
交渉に臨んでいると間違いが起こる。黒字幅縮小の
努力というのをこれから
日本がさらにするということは、むしろ
日本経済全体からいってマイナスだ、そういうふうにも私は考えざるを得ないと思うわけでありますが、この辺の
日本の経常収支の動向を
大臣はどう
認識されているか。そしてその
認識をどのようにSIIの中で生かしていこうとされているのか、その点について御所見を伺います。