○山本正和君 私は、
日本社会党・護憲共同を代表して、海部
総理の
所信に対し、
総理並びに関係大臣に
質問を行います。
〔
議長退席、副
議長着席〕
まず第一に、今日
国民の間に広くかつまた深くある
政治不信と、
総理の
所信表明に言う公正で人間性豊かな社会の追求との矛盾についてであります。
総理は、今日の
我が国民の
政治不信、特に
政治家に対するあきらめとも言える
不信の横溢をどのように受けとめておいででしょうか。単に言葉の上で謙虚に受けとめるとか、自己撞着に満ちた
政治改革関連法案を
国会に提出することによって糊塗し得るとお
考えでしょうか。前回の
参議院選挙の結果は、多くの
国民の
皆さんが自由民主党に対し、その名の示す自由と民主とは裏腹に、リベラルではなくリベートであり、デモクラシーではなくデマゴギーであることに怒りと
不信を表明したのではないでしょうか。
私は、
自民党内にあって、故三木
総理や故木村外相を初め
国民に敬愛された幾多の
政治家の
皆さんが、
我が国政治のために献身された事実を否定するものではありません。しかしながら、
自民党結党以来の三十余
年間に醸成された一党支配下のうみは、まさに元中曽根
内閣の言う民活路線の中で一挙に噴き出したのではないでしょうか。
総理を初め与党の
首脳と言われる
皆さんが、
参議院選挙の中で自由社会を守るために
自民党への支持をと訴えられました。しかし、
国民の
皆さんは、今日の
自民党の言う自由社会の何たるかを賢明に見抜いていたのではないでしょうか。
自由な市場経済の発展のためには適正な枠組みの
整備が必要であり、その役割を果たすことが自由社会における
政府の任務でなければなりません。
企業活動は、市場経済を発展させるため、また国力を維持増強するために不可欠であり、当然尊重されるべきであります。そして、
我が国の中小
企業が
我が国経済の活力の源となっていますし、また松下や本田等、大
企業の中でも
国内外で社会的貢献を積極的に行っていることも事実であります。しかし、
企業活動は、国家権力や特定の
政治家との利権に絡む癒着によって優先や独占を図るようなことは許せません。また、
政治家がその
政治家であるがゆえは知り得る情報を
企業に提供し、それによる見返りの利益を得るようなことは断じて許されないのであります。
民活と言い、規制
緩和と称して、公共性の最も強い、また国家の基盤たる土地に対する投機を放任し、株式市場における不公正を温存し、その他あらゆる利権のはびこる事態を事実上容認し、さらに
老人医療の改悪に見られる
福祉の切り下げなど、
国民の不満が頂点に達しようとするとき、政官財の癒着の醜い姿をあらわしたのが
リクルート事件ではなかったのでありましょうか。そして、
国民は今、
リクルート事件の背後にあるものに
不信の念を募らせています。何ゆえに日経連を
中心とした財界が
消費税を守るために力を入れているのであろうかと、何ゆえに財界はアメリカでは全く
考えられない、アメリカでは
法律で
禁止されている
企業からの
政治献金を易々として、それも庶民からは
考えられない巨額を
寄附し続けるのであろうか。それは、巷間伝えられる庫出税の論議、中曽根
総理はその構想の中にあってこれを提起したときに、財界から厳しく差しとめられた庫出税の論議の復活をとどめるためではないか。
我が国の大
企業が、その納税実額や社会的
負担が一部を除いてアメリカと比して余りにも少なく、それを許容しているのが今日の
税制であり、
自民党政権であること、
自民党はしょせん財界の意向には逆らえないのだと言われること、このような
国民の疑念に
総理はどうお答えになるのでありましょうか。
GNPに象徴される国際的な
我が国の経済的地位、
国内外での高価な美術品や資産買収等の
企業の財力と比較して、庶民の高い物価の中における不安な
生活、公園や上下水道を初めとする社会資本の貧困さ、世の中から見放されはしないかという社会的弱者、特にひとり暮らしのお年寄りの不安などは、この数
年間の
自民党三百余議席下の強権
政治のもとにあらわになったものと言えるでありましょう。教育や医療、さらに就職といった人間
生活の
基本とも言える部分も
企業のどん欲な利潤追求の場となっていること、このことが
リクルート事件の中で
国民の前に明らかにされたのであります。自由と民主の
政治ではなく、金権腐敗の
政治と言わなくて何でありましょうか。
自由
経済社会における
政治の役割、すなわち市場経済の枠組みの
整備、不公正取引の排除、私的独占の
禁止など市場経済のルールを設定し、
審判の役割を果たさなければいけないという
政府の使命を裏切ったものと言わなければなりません。
さらに、
国民の
政治不信に対する怒りを爆発させたものが三百余議席の
公約を踏みにじった
消費税の強行
導入であり、この強行
導入は政財の癒着そのものの不公平
税制の温存のためではなかったのかという疑いがあることであります。
リクルートにまみれた手でもって
国民の浄財を懐から奪い取るようなことは断じて許されません。施行後半年もたたないうちに抜本的
見直しを
政府の責任者が表明するような
法律は、その例を見たことがありません。
この
法律は、税法として憲法上の疑義もあることを私は指摘いたしました。憲法のいう租税
法律主義の意味するところは、明確、公平、応能の三原則の貫徹であります。このいずれの原則にも背反しているのが
消費税法であります。おまけに、納入した税金が
国庫に入らないことが保証されている、このような税法は古今東西例を見たことがないのであります。あまつさえ独禁法の趣旨を曲げ、カルテルを許容するにおいては、自由な市場経済を否定し、法治国家の名を汚すものと言わなければなりません。
国民が今真に求めているのは、口先だけの公正な社会の実現ではなく、
消費税を含めた抜本的な不公平
税制の
改革であり、政官財の癒着の解消であります。
海部
総理、あなたが
国民の皆様の前に、今日この煮えたぎる、それでいて冷め切った
政治不信を解消するために行うべきことは、まず次の二つではないでしょうか。
一つは、
リクルート疑獄につながる一切の調査の
内容を
国民の前に明らかにし、関連する
議員に対し辞職を勧告することであります。二つは、
総理として、また
自民党総裁として速やかに
消費税廃止法案を提出し、その成立を図り、
国民の前に謝罪することであります。
総理の御
決意を伺います。
次に、
農業問題についてお尋ねいたします。
総理、七月の
参議院選挙における
自民党惨敗の大きな要因の一つに農村の
自民党離れがあったことは御承知のことと思います。ある県の農協青年部の委員長は次のように語っています。
農政に対するふんまんは今さらの問題じゃない。六〇年代の
減反に始まり、米価の据え置き、切り下げ、農機具の借金、一つずつ進行する農産物の輸入自由化、挙げれば切りがない。でも、それが
限界に達したと感じるようになったのは、
政府が、
自民党が守ると
公約したオレンジ・牛肉が一遍にほごにされて自由化されたことだ。
自民党は今米を守ると農民に言っても当てにならない、こう言っているのであります。
総理、この農民の声にどのようにお答えになりますか、お聞かせください。
このすさまじい
農政不信の爆発につながったのが一九八六年秋の
農政審議会報告「二十一世紀へ向けての
農政の
基本方向」以降の
農政の大転換ではないかと私
どもは
考えるのであります。国の政策によって自給率を高めるのではなく、国境
措置をどんどん
緩和して
日本農業を丸裸で国際競争にさらす、そして自由化されていない作物についても急激で乱暴な価格
引き下げを行っていく。加えて、牛肉・オレンジの自由化に見られるように、本来一定の国境
措置によって守る予定だったものについても予定を急に変更して自由化してしまう、そういう転換が行われたのであります。なし崩しに国際競争にさらし、価格はむちゃくちゃに下げる、こういう不安定きわまりない
農政ではやっていけないというのが現在の農民の叫びではないかと
考えるのですが、いかがでしょうか。
今こそ、農民に約束をしてはこれを破る従来の
農政を転換すべきであります。そして、
農業に対する
国民的
理解を得る
努力を行いながら、確固不動の目標を掲げた安定感のある
農政を
確立すべきであります。
現在、
我が国のカロリー換算の自給率は四九%、穀物自給率は三〇%であり、食糧輸入にかかわる不測の事態に際して、
我が国厚生省の示す一日
国民一人当たり最低限必要な二千カロリー、この六五%前後しか供給できない
状況にあります。そして、不測の事態に際しても最低限必要なカロリーを供給するためには、
我が国の場合、穀物ベースで六〇%、カロリーベースで七〇から八〇%の自給率を達成しなければならない。これが私
どもの分析でございます。
政府としても、このような明確な自給率の目標を掲げ、これに向かって邁進すべきときと存じますが、いかがでしょうか。
そして、自給率向上のためには
水田の有効利用が必要であります。
水田農業後期対策においては
減反面積を九十万ヘクタールまで
拡大する
方針と伝え聞きます。そうなれば、
減反の割り当てで膨大なエネルギーが浪費され、農村に一段と暗い影が差すことになります。
減反面積を
拡大するのではなく、単位
面積当たりの収量の多い品種を飼料用米として本格的に
導入し、自給率の向上と
減反政策の
緩和の一石二鳥を目指すべきときと
考えますが、いかがでしょうか。
なお、自給率向上のため、これ以上の農産物自由化は許されません。ガットのウルグアイ・ラウンドの
農業交渉においては、いわゆるミニマムアクセスによる輸入も含めて米の
市場開放には応じない
姿勢で臨むべきと存じますが、いかがでしょうか。
また、
日本農業の再生のためには、二十一世紀に向けての担い手
確保のための
対策が必要であります。
現在の
農業後継者不足の大きな要因に文化と教育の問題があります。すなわち、東京から発信される画一的文化が、
国民に工業的、商業的、都市的論理とその価値観を優先させ、
農業・農村的なものをべっ視する気持ちを植えつけている。そして、これが
農業に対する
国民的
理解を妨げる要因にもなっている。このことを見逃すわけにはまいりません。
農業にかかわる教育に関して言えば、米飯給食についてその
拡大と活用を図り、
我が国の
農業についての
理解を求めてもらう一助とする。あるいは学校教育、社会教育を通じて、現場視察も含めて
日本の農林漁業の重要性を
理解させるなどの
対策が必要ではないでしょうか。また、文化の面では、
農業、農村の側からの文化運動に対して奨励策を講じたりという新しい発想に基づく政策が必要ではないでしょうか。
そして、農村内部あるいは農村からほど近い場所に病院、集会所その他の文化施設などを
導入し、また兼業のための職場を
確保し、あわせて農村内部の
生活環境整備を行う農村
整備政策を強化するとか、さらに、一定の枠内に入る担い手
農家に対しては、所得保障のために思い切って一定額の財政
資金を
農家個人に定期的に交付する賃金補助的な政策を
導入するなど、
農業後継者、担い手の
確保のための万全の
対策を講ずるべきときであると
考えますが、いかがでしょうか。
教育問題についてお尋ねいたします。
総理、今日
我が国の教育は、
日本国憲法の
理念とこれを受けた教育
基本法のもとに推進されるべきものと思いますが、いかがお
考えでありましょうか、御
所見を伺いたいのであります。
また、
我が国の文教
予算は、一九八〇年に国家
予算の一〇%を割り、今日では七・七%に落ち込んでいます。文化
予算に至っては、
我が国の国家
予算規模よりはるかに少ない
予算のフランスの文化
予算の十分の一にも満たないありさまであります。
国民教育の
充実、文化立国に向けた文教
予算として、せめて国家
予算の一〇%を
確保すべきだと
考えますが、
総理はいかがお
考えでありましょうか。
次に、教育行政の
あり方についての
見解を伺いたいのであります。
アメリカ、カナダは言うに及ばず、西ドイツを初めヨーロッパ各国においても、教育は学校を
中心に父母と市町村がその責任の多くの分野を持ち、また州や県がそれぞれの特色を持っていることは御承知のとおりであります。全体主義国家は知らず、民主主義を奉ずる国のほとんどが地方自治体に教育をゆだね、また教育の
方法は学校にその多くをゆだねているのも実態と言えましょう。
我が国は、もちろん
我が国としての伝統や特性を尊重することは当然でありますが、今日の
状況は余りにも画一的、また地方の特性を殺していると言えないでしょうか。
この意味から、地方教育委員会と文部省の
あり方について
検討を加えるべき余地があるのではないかと思いますが、御
所見を伺います。
さらに、学習指導要領の問題であります。
北海道から沖縄まで、また巨大都市東京から人口数百人の村に至るまで、児童生徒はそれぞれの
環境の中で育っています。その一方、学習指導要領は、その
内容の多さと画一性から、学校現場はその扱いに苦しんでいるのであります。児童生徒の置かれた
状況に応じ、学習指導要領はこれを基準とはし得ても、拘束性を持つことは不可能であり、また、教育の本質からも拘束性を強調し得ないと
考えるが、御
所見を承りたいと存じます。
総理に教育観についてお尋ねいたします。
教育
基本法にいう「能力に応ずる教育」の意味についてであります。例えば、ハンディキャップを食っている子供、あるいは能力の発現の遅い子供にはより丁寧な教育をしていく。例えば、十の手だてではわからないけれ
ども二十の手だてをすればわかる子供には、そのことを保障するために
努力する、こういうことが教育の立場から見た「能力に応ずる教育」の原点だと思いますが、御
所見を伺います。
先般、
総理と相前後して、岡野、久世、喜屋武の三
議員とともにカナダ、アメリカに参りましたとき、ボストンにおいて、アメリカの自閉症に悩む子供たちを、
我が国の武蔵野東学園から派遣された校長以下の教職員がハーバード大学の教授との連携のもとに立派に育て上げている
状況を見ました。また、多くのアメリカ人のお父さんお母さんから、大変な感謝の気持ちを私
どもを通じて
日本と
日本の教育者に伝えるよう表明されました。女性校長を先頭に、
我が国の教職員はアメリカ社会の、人権を大切にし、ハンディを持った者を
援助するのは当然の義務であるという社会的風土の中で、生き生きと活躍しておったのであります。
我が国の教職員に教育の仕事をしているという喜びを与えるためには何が必要か、管理と統制ではなく、教育という営みのすばらしさ、人間が生命をうけて成長していくことを
援助し、カルチャーライズすることのすばらしさを自得するために何が必要かを探ることこそが文教行政の役目ではないでありましょうか。
今日、
我が国から海外に出て活躍している人のは増加の一途をたどっております。この海外子の教育問題は、今、大変な難しい問題を抱えているわけであります。この人たちは
我が国にとって極めて貴重な存在であります。しかし、海外においても帰国した後も、その
対策は極めて不十分であることは御承知のとおりであります。在外公館を含めて海外滞在者の
皆さんは、こういう海外滞在というハンディキャップを背負った者をも切り捨てる
我が国の教育体制に対して大変な悩みを持っておるわけであります。
我が国の公教育が、過密な枠づけされた教育
内容を受験体制下の競争の中で、条件の不利な者は切り捨てていくという
状況にあること、そして、これは全く教育とは異質なものであるというこの教育の体質を強く指摘しておきたいのでございます。
今日、
我が国の教育の
状況に満足している人は極めてまれだと言えるでありましょう。偏差値、非行、登校拒否、いじめ、親と教師の悩みは尽きません。一方、教育産業は隆盛をきわめ、十兆円産業と言われて久しい
状況にあります。公教育以外に要する子供の教育の経費は親の
生活を圧迫し、家庭破壊まで起こしているのであります。
私は、今日の教育を
改革するためには、初等中等教育における父母と教師の真剣な話し合いとともに、高等教育における教員と学生の大学
改革のための話し合いが必要だと思います。また、
政府は、特定の立場に偏らず、広く
国民の
意見を求めるべきだと思います。いたずらに
審議会にのみその提言を求め、
審議会の名により政策を提言するにとどまる、このことの繰り返しであってはならないのであります。
教育
改革についての
総理の御
所見を伺います。
最後に、
国会運営に対する
政府の
協力について伺います。
その前に、
衆議院における
自民党三塚政調会長の野党の
審議拒否云々の発言について、その誤りを厳しく指摘しておきます。
私
ども社会党は、昨年暮れの
税制国会において、野党一致して
消費税を
中心とする
税制改革法案に対し慎重
審議を要望し、与党も含めて
日程を決定いたしました。私
どもは、大蔵省の十分なる資料提供がなかなか得られない中で、それでもお互いに懸命に勉強し、
法案の
問題点を指摘し、十日を超える集中
審議の中で厳しい論戦を展開しておったのであります。
国民の前に
税制改革の
問題点を明らかにするための徹底
審議を行っておったのでございます。しかしながら、
日程が残され、しかも理事会において認められていた野党
議員の質疑中に突如強行
採決をし、
審議を拒否したのは
自民党であったことを厳しく指摘しておきます。
さて、昨年のこの
国会において痛感したことは、
政府の資料提出要求に対する不誠実さであります。国政調査権の発動をするまでもなく、重要
法案審議の際に要求資料の提示に積極的に応ずるのが
政府の任務であると思います。しかしながら、
国会論議の最も重要な資料の提示に対して、従来
政府が極めて消極的であったことを私はここに強く指摘しておきたいのであります。
総理が、
国会で十分な
審議をしてほしい、こう
所信の中で言われたこととのかかわりから、ぜひとも
総理はこの
法案審議に際する資料の提示に積極的に応ずるよう表明をしていただきますことを期待いたしまして、私の
質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣海部俊樹君
登壇、
拍手〕