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参考人(
江橋崇君) 私は大学で憲法や国際
人権法を教えておりまして、きょうはいわば
人権政策
的な観点からこの法案に対する意見を述べるとともに、法案の具体的な
内容に及んでみたいと思っております。
まず一番初めに申し上げたいことは、この法案を
審議するに当たって、
日本における外国人就労に関する政策ということをはっきりと考えてみる必要があるだろうと思っております。どうもその場その場の
対応だけに追われているのがこれまでの立法の例でありますので、それでは今日の
状況には
対応できないのではないかと思っております。
まず一番目に、今日
日本で起きている問題の国際的な広がりというものが必ずしも理解されていないのではないかという疑問があります。
日本では外国人就労の問題はいわば台風来襲型の事件として理解されているように思われます。大変だ大変だ、早くしなきゃ大変だということでありますが、しかし実態は、アジア全域で交通革命と通信革命の結果非常に人の移動が活発になったという、その面として広がっている人の移動の一部が
日本にも及んできているのだということだと思います。
具体的な例で申し上げますと、フィリピンは労働力輸出政策をとっており、現に百万以上のフィリピン人をまさに労働力として海外に輸出している、そういう国であります。フィリピン
政府の高官によれば、フィリピン人はまじめでよく働いて雇い主の言うこともよく聞く、海外では高い評価を得ておりますというとんでもないことを言っておりますけれども、そういう国がありますと、フィリピン人は例えばシンガポールにお手伝いさんに行く。香港にお手伝いさんに行く。韓国にも行く。西ドイツにも行く。アメリカにも行く。その一部として
日本にも来ているのであります。
あるいは、玉突き現象もあろうかと思います。タイの農村地帯の女性がバンコクに働きに行く。バンコクの人は台湾あたりに出かける。台湾の女性が
日本にやってくる。一種のすごろく構造になっていると思います。しかし、
日本は決して上がりではないのでありまして、多くのアジア人にとって本当に行きたい上がりはアメリカであります。
日本は上がりのちょっと手前にあるところかと思います。
先ほどドイツの話が出ましたけれども、ヒールシャーさんがおっしゃいましたように、ヨーロッパでも
状況は同じだと思います。例えば西ドイツの場合、トルコからガストアルバイターを呼ぶ。しかし、それにかえてEC諸国の人を呼ぶ。あるいはギリシャから呼んでいたところを、ギリシャがECに入る、それに加えて今後は東ヨーロッパからも大量にやってくるとなりますと、どの外国人を限られたキャパシティーの中に入れるのか、あるいは既にドイツに来ている人をどの程度優先させるのか、そういうことの
関係で新規のEC諸国外からの入国をストップするということはあるわけですけれども、それは一種の玉突き現象の中でどこから入れるのかという選択の問題でありまして、決して一国だけで孤立しようとしているわけではないのであります。そういった
意味で私は、面として人口移動の問題が発生しているということをおなかにおさめて事柄に当たっていただきたいと思うのであります。
具体的に申しますと、まず第一に、アジアで非常に活発に労働力の移動が行われているときに、
日本の
政府が突然十万人計画だ、若者やっていらっしゃいというふうに急に審査を甘くしてみたり、今度は突然締めてみたり、これは広くあげてみたり、しめてみたり、一部でそういうことが起きればその混乱はアジア全域に波及するわけであります。上海事件などはまさにその一例であったと思います。
もう一つ、
日本の場合は何か
日本にやってくるアジア人のことを
日本というおいしいケーキに群がってくるアリのような感じで見ているというとんでもない差別があると思いますけれども、その自意識過剰になってしまうのも、国際的な広がりの中の一部のものなんだということがわからないというところからきているのではないかと思います。
さらに重要な
問題点は、私が二番目に申し上げたいことでありますが、
日本は要するに外国人の問題に関しては国境の外に追い出すかそれともある程度入れるかということだけしか考えていない。そこでは、アジアの一国としていわば国際的な責任、アジアにおけるさまざまな経済的、社会的な問題に関して協力し合って解決していくという責任というものが全然はっきりしていないということであろうかと思います。
例えば難民の
認定の問題がございます。
日本国
政府はかねがね難民
認定に対して厳しい
政府として有名であります。しかし、
日本政府の行っている厳しい難民
認定は、難民条約に違反していると言う人もいますけれども、大方の人は難民条約に違反していないと言います。私もそうだと思います。なぜならば、難民条約というのは結局は主権
国家がお互いに難民問題に協力し合っていこうということですから、おのおのの
国家が協力し合って問題を解決していこうという
基本的な骨組みであります。したがって、難民は保護しようという条約上の義務は
日本にもありますけれども、だれが難民なのかという難民の
認定権、これは主権
国家の
各国に分担されているわけでありますから、
日本が厳しくあなたは難民でないと言えばそれまでの話ではあります。つまり、条約に違反するかしないかということがもし難民政策にとって問題だとするならば、
日本政府のやっていることはセーフで、アウトではないわけであります。
しかし、
日本政府のこの厳しいやり方は結果において、難民条約に加盟してから約十年たちましたが、わずか二百人を
認定しただけであります。二百人のうち百五十人余りは、ベトナム戦争が終わった直後にというか、難民条約に入った直後に
認定したベトナム人及びその後のインドシナ半島の人々であります。それ以外に若干名、十数名のイラン、十数名のイラク人がいるだけであります。難民条約に違反しない、難民条約を厳格に執行する、難民の
認定に厳しい、それはそれで結構でございます。しかしながら、それは条約には違反していないけれども、政策として見た場合十年かかって二百人しか認めなかった
国家という評価を受けるわけであります。難民条約における難民
認定権というのは主権
国家の裁量事項だということは、逆に言うならば、どういうふうにこの裁量権を行使するかということについて
国際世論の前に常に体をさらしているわけであります。
したがって、まさに
日本が問われているのは難民条約に違反するかどうかという細かなことではなくして、アジアにおける難民の発生という非常に憂慮すべき事態に
日本政府としてどう
対応するのか。まさに人道的あるいは
人権的な視点が問われているわけでありまして、それに対する回答がゼロ、私たちは条約に違反していないからこれでいいのですと言えば、ああそうですかと言われるだけであろうかと思います。
二つ目に、国際
国家としての協力の姿勢が出ていないというのは、まあ法案の
審議の中で多少出ていますけれども、こういう
日本にアジア人が押し寄せてくるという事柄の背景はそのおのおのの国の経済の
状況及び
日本との経済格差にあるわけですから、各種の援助政策などを通じて問題を根元から解決するようなそういう発想をとるべきなんであります。ところが、入管の問題というのは往々にして入管政策だけが先行して、締め出してしまえばいいじゃないかという結論に終わりそうであります。そこが二番目の問題であり、援助政策に関するダイナミックな展開というものが必要なのだということであります。
三つ目に、私の商売のことを申し上げて申しわけございませんけれども、国際的に協力をし合うというときに、
日本のそれは
政府だけでなくして、失礼ながら
国会審議でもそうでありますが、一貫して抜け落ちるのが現在国際的に徐々にできつつある
人権に関する
基準というものを念頭に置いて考えるという態度であります。これがなかなか出てこないのであります。衆議院における法案の
審議の議事録を読ませていただきましたけれど
も、その中にILO条約のことがややかすかにかすめられている以外には、およそ問題は
議論されていないのであります。
具体的な話からしますと、一九八五年、
日本政府も
賛成して
国連で外国人の
人権宣言というものが
定められております。この外国人の
人権宣言というものは、外国人の
人権を三つのレベルに分けました。一つは、およそ
人間であればどんな人でも認められなければいけない
権利、例えば正当な
裁判にかけられたときに自分の
権利を守るためにいろいろ保護が与えられる
権利であるとか、あるいは拷問されないとか、そういう
人間として最低限認められなければいけない
権利は在留資格のいかんにかかわらず全員に認める。このレベルを一つ保障しました。二つ目に、正しく入国した正規の入国者に認める
権利のレベル、例えば受け入れられた国で国内を自由に行き来する自由、これもそうであります。三つ目のレベルが、労働許可を持って入国を認められたものに認める
権利のレベル。この三層にレベルを分けて、おのおの主権
国家はその国に滞在する外国人の
権利をどのように守らなければいけないのかということについて国際的に約束し合ったわけであります。
この外国人の
人権宣言は、条約ではなくして
国連の
総会決議ですから、法的に
日本を拘束するというよりはまさに政治道義の指針であります。この政治道義の指針が、例えば法案の準備及び
審議の場あたりでなぜ参考にされないどころか言及もされないのか。これは外国人から見ると極めて不思議な現象であろうかと思います。
日本のような大きな国が、このような問題を
議論しているときに国際的なこういう
基準に全然触れないで
議論している、これはまたけったいなものやと思われているだろうと思います。
ほかにも幾つかこの
関係に関して資料はありますが、時間の
関係で後に機会があればお話しすることとして、ここでは飛ばさしていただきます。
ヨーロッパの
各国は、例えば
国連におけるこういう外国人の
権利を守ろうということに関して以前は大変冷たかったのであります。なぜならば、
国連でこういうことを決めるとこれを盾にとって自分たちがいろいろ責められる。アジア・アフリカ諸国からそれ見ろと、あなたたちが
国連で約束した
決議、
国連の
人権宣言を先進資本主義諸国は守っておらぬではないかというふうに責められる、だから嫌だというのでアメリカとかヨーロッパ諸国もやや消極的でしたが、最近はヨーロッパ諸国の
政府も風向きが変わってきたと言われております。
それはどういうことかといいますと、国際交流が非常に進んできますと、例えばフランス人で第三
世界へ出かけていってそこで雇われている人がふえてきた。そうすると、第三
世界はいろんな問題がありますから、さまざまなトラブルが起きます。フランス
国民が第三
世界の
政府なり第三
世界の会社なりに雇われて出かけていって現地で働いているときに
人権侵害が起きた、そういうときに先進資本主義国側としてその問題をどういう足場から発言をしようかというときに、この外国人の
権利宣言を第三
世界の国々と先進資本主義国がともに結んでいることから、今度は先進資本主義国、例えばフランスが、アフリカのある国においてアフリカの企業に採用されているフランス人が
人権侵害されたときに、困るではないかと、このフランス人の
権利は外国人の
権利宣言によって守られているんだという形で、いわば外国人の
人権宣言を足場にして第三
世界における自
国民の雇用における
人権侵害を防止したいと最近ヨーロッパの
政府は考えるようになってきているわけであります。
今日
日本は、
日本に来ている外国人よりは海外に出かけて働いている
日本人の方がはるかに数が多いのでありまして、そういう人々の
人権、先行きいろんな国ですからいろんなことがありますから、そういうときの
人権などを少しでも考えれば、
日本国内においてもあるいは国外においても、こういう国際的な
基準に沿った形でお互い
人権を認め合っていこうというようにしておくことの方が、自
国民に対する責任という
意味でも私は大事だと思っていますが、残念ながらその
議論はなされていないのであります。
次に、政策的観点ということでもう一つ、国内政策との関連についても一言申し上げたいと思います。
よく言われることですが、入管法だけで突出するなということであろうかと思います。その点につきましては、入管法と外登法の
関係を整理する必要があるだろう。外登法をあるときは入管法とは別の外国人の国内処遇法だと言い、あるときは広い
意味での入管法だと言い、使いたいときは使い、使いたくないときはお蔵にしまうというような
対応をこれまで
日本政府はしてきていますが、どうもそれはぐあいが悪いという
意味で、入管法と外登法の
関係を整理すべきだということ。
二つ目に、ヨーロッパ諸国がそうなのですが、社会保障、社会政策、社会福祉が細分化されてきて外国人にも
適用するケースがふえてきますので、どういうタイプの外国人にはどこまで保障するのかということを詰めて考える必要があるだろう。
三つ目に、今度の
改正によって
出入国管理基本計画というものがつくられるということでありますが、私はこれを
基本的に疑ぐってかかっております。まず第一に、今まで
日本国
政府は
日本国内に在留する外国人の
生活実態についてまともな
調査をしたことすらない。こんな
政府が
出入国管理基本計画を立てるといっても、どのようなデータに基づいて立てるのだろうか。戦後四十年、
日本国
政府が在日韓国・朝鮮人の
日本社会における
権利状況あるいは差別の
状況等についてなさった実態
調査がもしあるとするならば、お見せいただきたい。そういう日ごろからきちっと
事情を把握しようとしているところでない限り、
出入国管理基本計画なるものはたちまちのうちに外国人労働力動員計画になってひとり歩きしてしまうだろうと私は思っております。
四つ目に、先般の難民事件で明らかになったことでありますが、入管法に関する国内政策というものは、自治体にしわ寄せをしてはいけないということだと思います。二つの点があると思います。
一つは福祉サービスですけれども、現に外国人が東京などにも大量にいますので、行き倒れだとかいろんなことがあります。医療の面一つ考えても、自治体は現に行き倒れてしまった外国人を、あなたは不法滞在だから
権利がないと言っておっぽり出すわけにもいきませんから、どうやってその人に医療サービスを与えるのか、そしてその費用はだれが負担するのかということで四苦八苦しているわけであります。入管当局の方は国境を通せばいいと言うと怒られますが、実際には外国人の福祉を考えると現場の各自治体が大変なわけでありまして、自治体の抱えている
問題点がそこに出てくるかと思います。
さらに、外国人が
日本に入ってきますとどうしても住み分けという現象が起きます。
日本人も外国では固まって群れて
日本人村という悪口を言われながら住むのと同じことでありまして、外国人も住み分けが起きてきます。そうすると、思いがけない地域に思いがけぬ数が集まる。一つの例として中国残留孤児があったかと思います。中国残留孤児はおのおの出身のふるさと、長野とかそういうところに行きましたけれども、結局その中でうまいぐあいにいかなくて、東京に出てきた。東京都庁に中国残留孤児がみんな来て、住宅を世話してくれと。ついに東京都の公営住宅はパンクしました。パンクした末、神奈川県と
千葉県に残留帰国者が流れていくようになったということでありまして、住み分けが起きる以上、
日本のどこかの地方自治体に集中的にこういう外国人管理の問題、外国人処遇の問題が登場してくるということはやむを得ないことになるんだと思います。そこにしわが寄らないような形の政策を展開していただかなければいけない。
つまり、以上を取りまとめて言えば、
出入国管理政策という観点からすると、もう少し全体的な
政策に対する目配りが法案の
審議の過程で必要だったのではないかというふうに私は考えておるのであります。
時間がありませんので、いわば目次を述べる程度になってしまいますが、以下、多少ほかのことについても触れておきたいと思います。
まず第一に、法案の中身の問題に関して申しげますが、研修生及び就学生の問題に関してはいろんな問題があろうかと思います。具体的な法の中身のことは先行きの機会に任すとして、私の
基本的な
考え方を申し上げますと、私はいわゆる単純労働者の導入は不可避、避けて通れないと思っております。現に、既に都心における外食産業であるとか夜勤などは外国人によって担われているわけでありまして、これを全員追い出すということを言われたのは聞いたことがありません。また単純労働者、つまり今日ではアジア人は安いから雇うという非常に問題の多いことがあるんですが、そのうちに
日本国民並みの賃金を払ってでも採用したい、あるいは場合によっては
日本国民よりも優遇するから来てもらいたいという事態にもなるだろうと思っております。これだけお金を出しているんだからいいじゃないか、雇いたいという圧力もそれだけ強まると思います。
そして三つ目に、あの大工の手不足みたいな解決方法は困るという問題があります。御承知のとおり、大工さんに関しては数が非常に少ないということで、東京を中心に建設会社等がいわば高い賃金を出して地方から引っこ抜いてくる。そのために、地方の方では大工不足で家が建たない。場所によっては半年とか一年待たされるケースがふえてきております。つまり、今日私たちは建設労働者不足という社会問題を、私たちが家を建てたい、商店を建てたい、そういう個人のいわば気持ちあるいは希望を半年延ばし一年延ばしすることで何とかやりくりをつけているのであります。
家の問題に関しては、そういうことで建設労働の不足を
日本の地方の方にしわ寄せをする格好で何とかカバーされていますが、こういう現象はもうだんだん我慢の限界に達してくると思うんです。各種の事柄に関して現に労働力がない、そのために仕事が進まないということになれば、やはり雇えという圧力は強くなってくるんだと思います。長期的に見た場合、単純労働力の導入は不可避である。不可避だという結論がまず
最初にあったとしたら、どのようにしてなだらかに抵抗なく、かつ
日本国内でも問題なく、やってくる人々の
人権にも支障がないような形で問題がつくっていけるのか、そういうふうに発想を転換していただきたいというふうに私は考えているのであります。
今回の法案の
審議の中で、先行きについて入れるか入れないかはわからないけれども、現在は入れないと、それは結構でございます。ある日突然、もうたまらぬから入れるというふうに言えばまたまた大混乱が起きるのでありまして、先行きどっちみち入れなければいけないんですから抵抗感のない形で入れる、それがいわばヨーロッパ型の先行きの展望なしに入れた結果大混乱したことから得るべき我々の教訓なのであって、ヨーロッパでは労働者を締め出しているんだという架空の結論が得るべき教訓ではないと私は思っております。
時間が超過しますので、一番最後のところは一言だけ言っておきますと、もう一つ、私はこの手の問題に関しては
日本国内の教育と啓発活動が極めて重要だと、この問題を抜きにして
国民合意を云々したりすることは不用意のきわみだと思っております。
以上、とりあえず私の意見、はしょってしまって申しわけございませんが、終わらせていただきます。