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1989-12-14 第116回国会 参議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年十二月十四日(木曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  十二月十四日     辞任         補欠選任      森山 眞弓君     井上 章平君      笹野 貞子君     新坂 一雄君      勝木 健司君     足立 良平君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         柳川 覺治君     理 事                 木宮 和彦君                 田沢 智治君                 粕谷 照美君                 山本 正和君     委 員                 井上 章平君                 井上  裕君                 石井 道子君                 大浜 方栄君                 狩野 明男君                 世耕 政隆君                 会田 長栄君                 小林  正君                 西岡瑠璃子君                 森  暢子君                 塩出 啓典君                 高木健太郎君                 高崎 裕子君                 新坂 一雄君                 足立 良平君    国務大臣        文 部 大 臣  石橋 一弥君    政府委員        文部大臣官房長  國分 正明君        文部大臣官房総        務審議官     佐藤 次郎君        文部省初等中等        教育局長     菱村 幸彦君        文部省教育助成        局長       倉地 克次君        文部省高等教育        局長       坂元 弘直君    事務局側        常任委員会専門        員        菊池  守君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育職員免許法の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付) ○私立学校教職員共済組合法及び昭和六十二年度及び昭和六十三年度における私立学校教職員共済組合法年金の額の改定の特例に関する法律の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付) ○私学助成に関する請願(第六三号) ○現行義務教育費国庫負担制度堅持に関する請願(第一六九号外四件) ○義務教育費国庫負担堅持等に関する請願(第一二一六号) ○新学習指導要領白紙撤回等に関する請願(第七三四号外二六件) ○四十人学級完全実施等に関する請願(第七九一号外七件) ○新学習指導要領白紙撤回に関する請願(第一三三九号) ○文化政策拡充に関する請願(第一五六三号外一二七件) ○文化政策拡充に関する請願(第一六五二号) ○学校図書館法の改正に関する請願(第一六八八号) ○小・中学校四十人学級早期完全実施等教育条件改善に関する請願(第二五六二号外一三件) ○私学共済年金改善に関する請願(第三二七六号外一件) ○義務教育費国庫負担制度維持に関する請願(第三三一六号) ○大学の学費値上げ反対育英奨学金充実等に関する請願(第三六〇七号外一三件) ○改訂学習指導要領・新検定制度撤回に関する請願(第四〇七四号外三件) ○改訂学習指導要領撤回等に関する請願(第四二一〇号外八件) ○義務教育費国庫負担制度堅持と削減・除外された費用の復元に関する請願(第四四二〇号外三件) ○小中学校事務職員栄養職員に対する義務教育費国庫負担制度維持に関する請願(第四七〇九号) ○教科書無償制度継続等に関する請願(第四七四一号外三件) ○私学に対する公費助成大幅増額民主的公費助成制度確立に関する請願(第四九八三号) ○現行育児休業制度改善等に関する請願(第四九九一号) ○継続調査要求に関する件     ─────────────
  2. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る十二日、池田治君が委員を辞任され、その補欠として笹野貞子君が選任されました。     ─────────────
  3. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題とし、前回に引き続き質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 小林正

    小林正君 この間のこの法律案にかかわっての質疑並びに参考人の御意見等を踏まえまして、質問をさせていただきたいと思います。  中曽根元首相の教育臨調路線に基づく臨教審答申、それの具体化としての教課審、そして学習指導要領改訂社会科解体に象徴されます戦後教育の総決算が急ピッチで進められ、教育現場はもとより、父母国民日本教育の将来に対する不安が広がっております。憲法教育基本法に基づく戦後教育を、占領政策所産として清算しようとする試みでありますが、私は、戦後教育理念戦前から、生活つづり方運動自由教育実践など教育改革論議としても既にあり、連合軍占領政策と相まって開花したものであると思っております。  やや長くなって恐縮ではありますが、一つ論文を要約して御紹介をし、後に大臣から御感想をお聞きしたいと思います。  現在の教育は、「文部大臣と、それに属する官僚的教育者とによって支配されている教育です。臨時教育会議というような文部大臣諮詢機関が出来て、官民の間から委員が選ばれることもあるようですが、その実際は真の国民の代表は参加しておらず、国民の中の特権階級である少数の財閥者がそれもほんの申訳だけに一、二の人たちが加っているに過ぎません。」  このように実態を分析し、民主的な教育を実現するための具体的な提言として、「県、市、町、村に民選の教育委員を設けて、我国教育制度を各自治体におけるそれらの教育委員自由裁量に一任し、これまでの官僚的画一制度を破ると共に、普通高等の一切の教育国民自治の中に発達させて行きたいと思います。教育委員としては、その三分の一を教育界経験家から選挙し、三分の二はすべての階級にわたる家庭にあって現に数人の子女教育しつつある父母から選挙せねばなりません。こういう家庭教育経験者——実際に我子教育責任を感じている父母——をして国民教育に参加せしめるということは、教育を以て国民自発的要求たらしめることであり、これに依って教育国民自身のものとなることができ」るとして、「今日は文部省専制的裁断に属従した教育です。」と断じております。  さらに、「学校教育子女教育の機械たらしめるものではなく、子女をしてその年頃に必要な一つ生活を創造せしめることです。」として、発達段階に応じた教育重要性指摘いたしました上で、「国民の参与を許さない教育であればこそ、今日までのように家庭父母学校教育に対して冷淡になっていますが、教育委員として各自治体教育に参与する権利が多数の父母に容認される暁には、子女教育に対する国民の自覚が俄かに尖鋭となり、その権利を立派に行使するだけの実力が備わって行くことを私は予断します。こういう風に国民自発的要求に支持されてこそ初めて国民教育の意義を実現することができると思います。只今のように、学校から父母に対して時々の参観や学校に対する注意を形式的に求めているに過ぎない間は、決して教育国民化せず、官僚任せの孤立的教育に停滞するのはやむを得ないことだと思います。」と述べておるわけでございます。  実はこの文章は一九一九年、大正八年、七十年前ですけれども、「中央公論」に掲載されました「教育民主主義化を要求す」という与謝野晶子の当時の中橋文部大臣にあてた一文であります。今日の教育行政と関連づけて考えますと、臨教審委員選任経過教育委員公選制から任命制になり、文部官僚による支配・統制が強化され、学歴社会における過熱した受験教育が荒廃を招き、「子女をしてその年ごろに必要な一つ生活を創造せしめること」ができない今日の状況に思い至るのであります。  晶子はこの文章を書いた二年後、文化学院を創設して、教育理念としての自由教育実践いたしました。この文化学院運営については「中等教育国文読本」の中で、第一次大戦後という時代背景に、今日なお多くの示唆に富む指摘がされておるわけであります。  そこの部分を若干引用いたしますと、当時のドイツ文部大臣へルニッシュが出した教育に関する施政方針の宣言、一九一八年のものですが、この中から、「教師及び生徒自治権を有す。」「すべての教授には極端にして盲目なる愛国心を説くことを禁ず。歴史教授において特に然り。」「校長の職務は従来の独裁的性質を去り、同僚の意見を基礎として行うべし。」「体育より軍隊的性質を撤去すべし。」この四カ条を引用し、「我国教育にもこれに類した弊害のあるのを、この際ドイツの新しい教育に学んで除き去らねばならないと思います。」と述べているわけでございます。  大正デモクラシーという時代的背景において試みられた自由教育運動は、第一次世界大戦後の国際秩序経済体制の諸矛盾の深まり、そして大正から昭和への転換という中で、ドイツにおいてはワイマール体制が崩壊してナチスが台頭し、我が国においては軍部独裁という時代の大きな暗転の中で、押しつぶされていきます。二つの国において自由教育がたどった歩みは、今日において、特に歴史の教訓としての重みを増してきていると思います。  大臣の御感想をお聞きしたいと思います。
  5. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 一九二〇年以前のことに例をとりましてのお話でありますが、頭脳明敏ではありませんので、なかなか一度お伺いしただけでは感想と言われても言うに困るわけでありますが、ただ私といたしますと、当時のことから考えますと、少なくとも教育委員会制度というものが市町村都道府県にできたということは、やはり当時の事柄から考えてみますと一つの進歩であるな、こう考えております。  それからさらに、文部官僚の独裁的な管理体制という事柄のようでありますが、私はそこら辺のところは、現今教育についてはそのようなことにはなっておらないな、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、あるいはその基本法、あるいは憲法等と照らし合わせてみて、少なくとも当時の考え方から比較いたしますとはるかに民主的であり、しかも基本的人権を尊重するような教育に、大正中期から比較しますと大変なさま変わりをしているのではないかなと思います。  しかも、現今において、文部省そのものがすべてを左右するというわけにはとてもまいりません。制度的にあっても、文部省の役割は指導性がほとんどであります。全部と言っても過言ではないほど指導性であります。実際の権限、これがどこにあるかといいますと、間違いなく都道府県市町村教育委員会にある、法制度上からも私はこう考えております。  一九二〇年前のいろいろな論文、いろいろなことが、今、発表されましたが、さすがにその当時からそのような考え方が多くあったということに敬服をいたしております。  以上です。
  6. 小林正

    小林正君 私が特に前段で申し上げましたように、戦後教育を根こそぎ総決算するという発想の中には、それがすべて占領政策所産であるというような視点の中から指摘がされているというふうに思います。  しかし、戦前から、日本教育運動なり教育実践、そして教育理念の中にはそういうものをつくり上げてきた下地が基本的にあってそれが占領政策と相まって開花したというふうに申し上げましたけれども、私たちはそういう視点からとらえているわけでございまして、その点については、大臣としてはいかがお考えでしょうか。
  7. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) いわゆる昭和の初めのころから不幸な戦いが起きる以前の問題、文部行政教育行政教育という理念の中において明らかに自由を求める、学問の自由あるいは自治、この考え方は、私は、各内閣行政府の中において文部省は最もその点において自由を求めることを考えておったな、そのような認識を持っております。
  8. 小林正

    小林正君 それでは、今日、争点になっております問題との対応から、もう少し与謝野晶子にこだわって質問を続けます。  今、御紹介いたしました一文よりさらに時代をさかのぼって一九〇四年、明治三十七年に、与謝野晶子は「旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて」、かの有名な「君死にたまふことなかれ」を「明星」九月号に発表いたしました。余りにも有名な歌ですから御紹介は控えさせていただきたいと思います。  この翌月、大町桂月は「太陽」誌上で、「戦争を非とするもの、夙に社会主義を唱ふるものの連中にありしが、今又之を韻文に言いあらはしたるものあり。晶子の「君死にたまふことなかれ」の一篇是也。」「草芥の一女子、「義勇公に奉ずべし」とのたまへる教育勅語、さては宣戦詔勅を非譲す。」「家が大事也。妻が大事也。国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしと言ふは余りに大胆に過ぐる言葉也。」「晶子の特徴は、短歌にありて、文章にあらず。新体詩にあらず。妄りに不得手なることに手を出さざるは、本人にありても得策なりとす。」と批判したわけであります。  これに対して晶子は「明星」の十一月号で「ひらきぶみ」と題して、公開討論というのでしょうか、夫、鉄幹への手紙の形式で手厳しく反論をいたしました。「私が「君死にたまふことなかれ」と歌ひ候こと、桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ——と申し候こと、またなにごとにも忠君愛国などの文字や、畏おほき教育勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへって危険と申すものに候はずや。私よくは存ぜぬことながら、私の好きな王朝の書きもの今に残りをり候なかには、かやうに人を死ねと申すことも、畏おほく勿体なきことかまはずに書きちらしたる文章も見あたらぬやう心得候。いくさのこと多く書きたる源平時代の御本にも、さやうのことはあるまじく、いかがや。」  以後の論争の中で、桂月晶子を「乱臣なり、賊子なり」と極言するに至りました。日露戦争の勝ち戦の宣伝の中で、晶子は家を焼き討ちされるという事件も起きたわけであります。  この論争が行われたのは、間もなく終わりを告げる二十世紀の初頭のころのことでございます。私たち日本人はそれから八十有余年の間に、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦日本にとって十五年戦争となったこの戦で三百万人の同胞を失い、近隣諸国歴史から消し去ることのできない戦いの傷跡を残しました。八十有余年のちょうど中間点から現在の憲法が生まれ、教育基本法が制定されて、大正期先駆者たちが夢見た新しい時代を迎えることができたのであります。先ほど文部大臣も御指摘をされていたところだと思います。  国民主権者となって日本歴史に主体的に責任を負うところから、新しい時代はスタートしています。余りにも有名なこの論争と以後の歴史について、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  9. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) これも極めて難しい問題でありますが、「君死にたまふことなかれ」のことも頭の中にあります。あるいは大町桂月さんとの論争のことも、幾らか記憶の底にあるわけであります。  私は、感想ということでありますから極めて率直に申し上げますが、日露戦争時代と、いわゆる第二次世界大戦、大東亜戦争のときの考え方というのは大変基本的に違っていたなと。例えば歌の中においても、あの戦いのころは、「ひとあし踏みて夫思ひ、ふたあし国を思へども、三足ふたたび夫おもふ、女心に答ありや。お百度まうであ、答ありや。」というあの歌、日露戦争のときにはあれを堂々と国民が全部歌っても政府は何も言わなかったんです。人間至情の心理なんだからいいよということであったわけです。  大東亜戦争のときとは違った、そのような中に人間性本性というものが常にいつの時代にも脈々としてあったことは、これはもう間違いない史実であろう、こう私は考えているわけであります。  ただいまの「君死にたまふことなかれ」の歌、ただ、あの歌の中、全部を見ますと、さていかがなものかなというようなところも私には感じられます。そのような人間本性の叫びというものをやはり教育の一番もとに据えてやっていかねばならないな、こう考えます。  以上です。
  10. 小林正

    小林正君 私は大臣大町桂月派だとは思っておりませんけれども、与謝野晶子大町桂月の間の中で日本教育が揺れ動いてきた、こういうふうに思っております。  次に、今までに申し上げましたことを踏まえまして幾つかの御質問をさせていただきたいと思います。  まず初めに、この三月十五日に告示されました学習指導要領改訂に当たって、小学校社会科六年の歴史教育で教えるべき人物として四十二人の名が例示的に挙げられました。その一人に東郷平八郎が入って、マスコミもこれを大きく取り上げました。当時の新聞は特大の見出しでこのことを伝えていたわけでございます。また同時に、以後の教科書からこれによって消えていく人についても報道がされていたわけであります。今お話をいたしました与謝野晶子も消される一人であります。  この問題の経過については、二月時点でのマスコミ各紙、並びに中島文相月刊Asahi九月号で独占手記ということで述べておられるのがあるわけです。この報道の中で、教科書問題を考え議員連盟文部省の関係が指摘をされているわけですが、議員連盟が要望されたことがそのとおり現実になるという状況というのは、教育基本法十条をまつまでもなく、重大な問題だと考えているわけでございます。  私は中島文相の、日本海海戦日露戦争一つ局地戦であり、その司令官を入れるのであればハワイ奇襲作戦山本五十六元帥なども入れなければならなくなる、山本元帥で太平洋戦争全体を語れるか、日露戦争も同じだ、戦争を開始し終結したときの日本政府対応とその後の社会考えることによって初めて子供に正しい歴史観が身につく、という発言は、高い見識を示したものとして敬意を表しているところであります。  また東郷平八郎については、ロンドン軍縮会議等でとられた態度、晩年の生きざまをめぐってもさまざまな議論があることも事実でございます。  この問題の経過及び前述いたしました与謝野晶子教科書から消えることについて、文部大臣としての御見解を承りたいと思います。
  11. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  与謝野晶子の歌、反戦教育を意味しているではなかろうかなと、こう考えておりますが、学校教育におきまして、教育基本法を踏まえて、平和的な国家及び社会形成者としての必要な資質を養うようにしているわけであります。小中高等学校におきましても社会科において、世界平和の必要性日本国憲法平和主義の原則、このようなものについて、児童生徒発達段階に応じて指導しております。  今後ともこの指導充実に努めていきたい、こう考えております。
  12. 小林正

    小林正君 今お話しになったこと、それは一つのお考えですからそのままお伺いしておきますけれども、私が伺っているのは、中島文相がおやめになるときに西岡文部大臣に、拘束はしないがと言って東郷平八郎について申し送りをされ、それが実態としては例示的人物の中に加えられていった経過、そして、以後それを引き継いだ文部大臣としてどのような感想をお持ちかということをお聞きしたいということでございます。
  13. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 御指摘のように、今回の学習指導要領におきましては人物に関する学習として東郷平八郎等四十二名の人名を入れております。  これは、小学校歴史学習といいますのはやはりあの年代の子供たちにとりまして興味関心を持つものでなければならないということで、従来から議論がございました。現行学習指導要領でも人物中心ということは掲げているのでございますが、実際の教科書を見ますと、政治経済史に沿った通史というような形の記述が多いわけでございます。これでは小学校という段階子供たち歴史学習としてはいかがなものであるかという御議論がございまして、今回の学習指導要領では、もう少し子供たち興味関心に応じた人物中心とする学習ができるように四十二名を掲げ、そしてその中に東郷平八郎を入れたわけでございます。  これにはもちろんいろいろな御議論がございました。中島大臣お話もございましたが、その決める過程にはいろいろな御議論がございましたけれども、これを決めましたのは、日露戦争というのが近代日本発展過程学習する上で欠かすことのできない歴史的事象であるということでございます。  そして、その日露戦争について人物中心学習を徹底するためには、今回、東郷平八郎小村寿太郎を掲げているわけでございますが、これは歴史学晋専門家やそれから教育の実際の場で実際に教えていらっしゃる先生方がたくさんお集まりになりまして、学習指導要領協力者会議という数十名の方でこの問題を十分議論して、歴史上、小学校段階でどういう人を掲げたらいいかということを審査した結果、この名前が出てきたものでございます。  その間、いろいろな御議論は御指摘のようにございますけれども、今回の学習指導要領といたしましては、子供たち発達段階に応じた本当に身につく歴史学習をどうするかという観点からこれが決められたものでございます。  なお、与謝野晶子が今回消されるというお話でございますが、与謝野晶子は確かに現在の教科書を見ると出てまいります。「君死にたまふことなかれ」という歌も、その抜粋が出たりしております。  これは現在の指導要領与謝野晶子を教えるべしという規定があって出てくるものではなくて、その歴史学習ないしはそのほかのいろいろな憲法平和学習のようなところで関連して出てくる場合が多いわけでございますが、これは別に今回消したとかそういうことではございませんので、今後とも、もし著者、編集者教科書でこれを載せるのが適当であるという判断でございましたならば、その執筆方針に基づいてこれが挙がってくるであろう。この歌自体は、先ほど来先生が御指摘になりますように、当時の真情を吐露した歌でございますので、教育上も意味のある歌であろうと思います。  ですから、今回の指導要領改訂によりまして与謝野晶子を消して東郷平八郎を入れたというようなことではないのでございます。
  14. 小林正

    小林正君 では一つだけ確認をさせていただきますが、この四十二人の例示的な人名以外の方が教科書に載った場合に、その四十二名から外れていることを理由として教科書でこれが問題になるということはありませんね。
  15. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) そういう理由で外れることはございません。  ただ、子供歴史学習でありますから、やたらに人名のみ多く出てくるという教科書子供たち教育にとって適切とは思われませんので、そういう教育内容の精選という観点からはいろいろ教科書検定において指摘されることはあるかもしれませんけれども、この東郷平八郎が入ったことによって与謝野晶子教科書検定等で問題になるというような性質のものではないということを申し上げておきます。
  16. 小林正

    小林正君 私は、東郷平八郎が国際的には、フィンランドとかあるいはトルコ等ではつとに名声があるということも承知をしております。これは、帝政ロシア時代の被圧政民族の立場から日本海海戦あるいは日露戦争というものに対して特別の思いを抱いているそれらの国々の問題だというふうに思いますし、同時にまた、中島文相が言われるように、一局地戦としての日本海海戦というものにおける東郷平八郎という人物についての評価もそれなりにあるというふうに思います。  しかし、そのことと、今、局長が申されましたような、それぞれの発達段階子供にその時代社会をどう正しく認識させるかという意味での適切な人物としてこれが選定をされたということについては、引き続き私は異議を唱えてまいりたいと思いますし、同時に、今、御答弁をいただきました四十二人の例示的人物以外の扱い、特に与謝野晶子が今後、教科書の中でたどる運命については十分見詰めてまいりたい、このように考えているわけでございます。  次に、今回の学習指導要領改訂の特徴は道徳教育充実強化にあると思いますが、この指導要領策定経過の中で、文部省を巻き込んだリクルートスキャンダルが、公判が開始された高石前文部次官を中心に惹起されました。教育界全体が大きな衝撃を受けたことは言うまでもありませんが、文部省に対する疑惑と不信が国民の間に高まっていることもまた事実であります。  西岡文部大臣の手によって異例の人事異動が行われましたが、これがリクルートスキャンダルへの対応ということにはなっていないばかりか、それぞれの方は既に有力なポストについておられるわけであります。さらに高石前事務次官は、マスコミ報道によれば衆院選出馬の準備を進められているようであります。  綱紀粛正という言葉は、この間の質疑の中でも、あるいはまたマスコミへのコメントの中でもお聞きをしているわけでありますけれども、これでは全く無責任体制そのものではないでしょうか。信頼回復への具体的な措置と高石氏の問題について、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  17. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 御指摘のような報道がなされていることは承知をいたしております。いわゆるリクルート事件に関連して高石前事務次官が刑事訴追を受けたということ自体、全く、文教行政に対する国民の信頼を著しく損なった、遺憾のきわみであると私は断言をいたします。彼にかかわる公判が去る十一日に開かれましたが、公訴事実についてはこれは今後の司法当局の判断をまつべきものである、こう考えております。  文部省といたしますと、今回の一連の事態を深刻に受けとめて、そして全省挙げて綱紀粛正の徹底に努めてまいりましたが、今後ともその徹底を図るとともに、文教施策の推進に全力を挙げて国民の信頼にこたえねばならない、こう考えております。
  18. 小林正

    小林正君 今のお話は、これからの取り組む姿勢としては理解いたしますけれども、お伺いしたいのは信頼回復への具体的な措置、例えば、これはリクルート社との間のさまざまな情報の問題があったわけでありますが、今後、新たな時代社会の要請にこたえる意味で、さまざまな教育機器産業と言われるような企業との問題がいよいよ出てくるというふうに思いますし、生涯教育というような視点に立ってみましてもさまざまな、情報産業だけではなくて、教育機器を含んだそうした業界との対応という問題もいよいよ出てくるのではないか。  そういう全般的な今日の状況を踏まえまして、再発防止のための具体的な対応としてどういうことをお考えなのか、この際お伺いをしておきたいと思うわけでございます。
  19. 國分正明

    政府委員(國分正明君) ただいま大臣からお答え申し上げましたように、今回のいわゆるリクルート事件に関しまして文教行政の信頼が損なわれたということについては、文部省自体としても大変厳しく受けとめておるわけでございます。  先ほどお話にございましたように、人心一新という人事も行いましたし、また、リクルート社との関係について私ども厳正に調査をいたしまして、懲戒処分を含む処分も行いました。さらにまた、今後の綱紀粛正を一層徹底するという観点から服務規律委員会というものを設けまして、今日まで十回ほど開催いたしております。また、下の補佐レベルの委員会も十回ほど開催いたしているわけでございますが、その中で、ただいま御指摘のように、民間企業との対応と申しますか、いわゆる接待あるいは贈答品等々についての自粛ということも強く申し合わせをしたところでございます。  また、内部で申し合わせをしただけでなくて、関係の団体等につきましても、時には文書で、あるいは時には会合等でそういう趣旨を徹底いたしまして、先方におかれましても文部省の置かれた立場というものを十分御理解いただく努力をしておるところでございます。  ただ、先生お話しのように、これからの文教行政は、狭い意味の教育界というだけでなくて、生涯学習一つをとりましても、いろいろな形で民間との情報の交換等々が一層必要になってくるわけでございます。ただ閉じこもっているだけでは真の意味の開かれた教育行政も展開できないわけでございますので、その中で節度ある対応ということを肝に銘じつつやっていかなければならないなと、こんなふうに考えているところでございます。
  20. 小林正

    小林正君 私は、いわゆる次官候補と言われるようなナンバーツー以下の皆さん方がおやめになったその経過、そしてそれが公式にはどういう扱われ方になっているかといったような点については、今のお話の筋とは極めて違うのではないかというふうに考えているわけでございますが、先へ進めます。  次に、初任者研修制度の問題でございます。  臨教審の答申を受けてこの制度の導入が本格実施段階を迎えているという今日の状況でございますが、私自身も長い間教育現場に身を置いてきた者の一人として、自分が一人前の教師になる道筋というものがどういうものであったかということを振り返って考えてみましても、やはり入った当時は極めて不安があるわけです。そしてちょうど、大学生に五月病なんというのがあるそうですけれども、それと似て、教師にも、自分は職業選択を誤ったのじゃないかなというようなためらいやさまざまな不安というものが、入って一カ月ぐらいたちますといろいろ出てまいります。そういう五月病現象的なことがあって、私の出身の神奈川でも何人かの自殺者が出たという経緯もございました。  こういうことからいたしますと、その不安を何とか取り除いて元気と自信をどうつけるかというのが、一歩を踏み出す新しい教師の皆さんにとって大事なことではないかなと思うわけでございますが、そういう意味で考えてみますと、この初任者研修制度、研修実態、内容、そしてなかんずく洋上研修という方法があるわけですけれども、このことについては再検討すべきではないか、こう思うわけです。  それぞれ地域に取り巻かれている学校の中で、その地域について十分理解をし、子供たち生活実態を知り、その上に立って教育実践が進められていく、まさに教師と子供の間でもまれながら一人前になるというのが教育現場から見た場合の教師の生い立ちではないかというふうに思うわけでございますが、そういう点から考えてみますと、この制度というのは、一つの発想として、実力をつけてもらう、そしていろいろな人との触れ合いというものを大事にしたいという考え方も一方にあるかもしれませんけれども、具体的には、子供と同じ地域社会の中でより多くの人と触れ合いながら一人前になっていく経過というのが何よりも尊重されなければならないと思うわけです。  研修の目的が、先ほど言いましたように、まず不安を取り除き自信をつけさせて元気になってもらう。元気になった教師が元気な子供を育てることができるわけでありますから、そういう意味から考えますと、そうした環境をどう条件的に保障するかということがまず求められてしかるべきだ、こう思うわけでございます。そういう点で考えてみますと、今の制度自身が本当に研修を受ける身になって考えられ構想されているのだろうかという点に強い疑問を持つと同時に、この中で最も早急に改善への検討をすべき問題はやはり洋上研修であろうというふうに思います。  ことしは特に台風の発生が多かったものですから、洋上研修に参加された皆さんは大変だったろうと思います。文部省が今度の学習指導要領で「われは海の子」を復活させたということで、海国日本の立場から何としても若いやつをしごいてやろう、少しぐらいの吐き気で何だというようなしごきの精神で引き続きおやりになるのかどうか知りませんけれども、これはそういうことであって、研修の場として集中力を持って勉強ができるような状況ではないわけです。そういうことを含めて、これは方法の問題としても基本的にはやめるべきだというふうに思います。  現在、各県各市でそれぞれ主体的に現場実態を踏まえて研修のメニューがつくられ、それに基づいてさまざまな研修というものが、私たちが所属しておりました教職員団体も含めて、いろいろ手だてと努力がされてきたわけです。神奈川段階でも、いろいろ騒然たる教育論議等の経過を踏まえて、教師の研修問題についても、教育委員会との間にラウンドミーティングを繰り返しながら一定の合意形成の中で授業を進めているわけですけれども、神奈川では、洋上研修という形式に文部省がこだわるのであれば自前のメニューを持った船を仕立てようではないかということで、実はそれもやったわけです。  広島でもやったという経緯があるわけですが、実際に行ってみて、そういうやり方というのは極めてふさわしくないということが率直な印象として語られておりますし、何よりもまず大事なのは、その各県各市段階でつくられたメニューに従ってそのことが行われるということが大事ではないか、こういうふうに思うわけです。  初任者研修という制度は、身分上の問題も含めまして大きな問題を抱えているわけですから、この抜本的な見直しというものを私は求めたいというふうに思いますし、なかんずく洋上研修については早急に再検討に入るべきだということを実態を踏まえて申し上げておきたいと思いますが、この問題についてどういうお考えを持っておられるのか、承りたいと思います。
  21. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 初任者研修について幅の広い御質問でございますと同時に、洋上研修の問題でございますけれども、これは昨年の五月に法律改正をいただきまして、本年から小学校について本格実施しているところでございます。新任の先生方につきまして実践的な研修ということで、新任の先生方にはクラスを担当いただくと同時に研修をしていただくことになっているわけでございますけれども、一年間、指導教員がつきまして、授業を見たりいろいろ実践的な指導をしていただいているわけでございます。  私ども、いろいろなルートでその評価についてもいろいろお聞きしているわけでございますけれども、率直に申し上げまして大変高い評価を受けているというふうに考えている次第でございます。今後とも、これについては十分意味のあるように運んでまいりたいというふうに考えているわけでございます。  それから洋上研修の問題でございますが、これは船上におきます講義だとかミーティングによる研修と同時に、寄港地における産業・文化施設の視察を行うということで新任教員の知見を広める、それから、教員同士、寄居をともにすることで相互扶助の精神や連帯感を養うということを目的としているものでございます。また同時に、全国各県市からいろいろな先生方に御参加いただきまして、県市の枠を越えた相互交流、それから地域の相違による教育上の配慮とか工夫、そういうものを相互に理解し合うということにつきましても非常に意味のあることというふうに考えている次第でございます。  率直に申し上げまして、これにつきましても毎年参加していただいた方から無記名のアンケート調査をしているわけでございますけれども、九〇%以上の方から、大変得るものがあったという回答を得ている次第でございます。特に、無記名の自由に意見を記述する欄があるわけでございますけれども、他県市の先生や異なった校種間の先生とコミュニケーションができ交流が深まってよかったということが書かれているのが一番多いのが実情でございます。  私どももそうしたアンケートのほかに、直接いろいろ係の者がお会いして意見をお聞きしているわけでございますけれども、私どもとしては大変意味のある研修であるというふうに考えているわけでございまして、この趣旨を各県市に御理解いただくように努力しまして、参加をしていただくように努めているわけでございます。今後ともそうした方針でやってまいりたいと思っている次第でございます。
  22. 小林正

    小林正君 今の御説明を承っておりましても、参加者の感想というのは、船だからよかったということはないというふうに思うんですね。交流その他ということは確かにあると思います。しかし船だからよかったということなのかどうか。と同時に、なぜ洋上にこだわるのかというそのあたりについてもちょっとお伺いしておきたいと思います。  これは一般的に、神奈川でも経験があるのですけれども、教職員団体のサイドから研修についてのいろんな意見や何かをアンケートその他の方式で取りまとめる結果と、教育委員会がその結果をフォローする意味でいろいろ聴取をされる中身との間には、デリケートなといいますか、差があるわけです。それはそういうものだろうというふうに思います。  ですから、もっと各県の実態、そして研修参加者の中に入ってその実態というものを把握されて再検討されるのがいいのではないかなというふうに思いますが、前段の問題について御答弁をいただきたいと思います。
  23. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 洋上研修につきまして、船でなければならない理由というお尋ねもあるわけでございますけれども、先生の初任者研修に限らず船を使っての研修というのはいろいろあるわけでございまして、先生のおっしゃいますような御批判も、そうした研修についてはいろいろあることは十分承知しているわけでございます。  ただ、船による研修というものは、実際乗ってみないとなかなかわからないところがあるわけでございますけれども、陸上で一定の施設に合宿して行う研修とは実際問題として随分差があるというのは実情でございます。そういうことが、その参加した先生方のこの研修への評価を非常にされている面に大きく作用しているのではないかというふうに考えているわけでございまして、大変、船による研修というのは貴重だというふうに考えているわけでございます。  いろいろ御意見もあることは十分承知しているわけでございますけれども、私どものやっております実感といたしましては本当にこれは意義のある研修だということでございまして、将来ともこれをぜひ続けてまいりたい、そのように考えているわけでございます。
  24. 小林正

    小林正君 まあ、すごい決意をお伺いしたわけですけれども、やっぱり日本近海というのは相当な荒海なんですね、灘というのがついているように。そして船に乗ってみますと、波の谷間で前を進んでいく船が突然見えなくなるというような大変大きなうねりの中で、ピッチング、ローリング、さまざまその中にもまれて研修をするわけですから、これはとてもじゃないけれども、一緒におつき合いをして乗った人間からの報告としてそういうことも聞いておるわけです。本当の参加者の声が文部省に届いていないのだとすればやはりこれは問題だというふうに思いますから、あえてそういうことを申し上げて、なおそのことについてよく御検討いただきたいなというふうに思うわけであります。  それで、きょうの議案になっております教免法に関する問題としては、一昨日の参考人からの御意見とそこでの質疑、さらにはこの間の質疑経過、衆議院での対応というものを含めて考えてみますと、受験体制というものと、いわゆる社会科の問題と指摘をされている課題というものの間には大変大きな相関性があるということがはっきりしたというふうに思いますし、四人の参考人の皆さんも、賛成、反対を問わず、受験体制というものが社会科という教科を知識偏重に追い込んでいったということについては異口同音に仰せられていたわけであります。したがって、今日の社会科があるがゆえにそれぞれの専門的な分野における教育が制約を受けているということには到底なり得ないというふうに思うわけであります。  そうした点から考えてみまして、今回の経過あるいはいろいろな昨年来の審議の経過についてマスコミ報道等の中で指摘をされておりますように、まず社会科解体という結論があって、その結論に導くためのさまざまな審議経過が生まれてきたというふうに逆にたどらざるを得ないような無理を重ねてこられているのではないかというふうに思うわけであります。委員が辞任されたりあるいは更迭をされるというような人事上の問題があったり、さまざまな問題がこの問題から派生をしていることも指摘されているとおりだというふうに思うわけです。  教育改革の問題というのは、この教免法に象徴的にあらわれております社会科解体ということを含んで考えてみましても、本来、下からの積み上げによって、教育現場、親と子と教師という関係の中でつくり出されているさまざまな課題をどういう形で解決をし、そのための財政的な援助と調整を図っていくのかということがやはり教育行政として求められている課題ではないかな、このように考えているところでございます。  そういう点からすれば、九〇年代を迎える新たな時代社会というものを考えてみますと、従来の、国策としての教育というものを中心に据えて、それを上意下達、トップダウン方式でやっていってこれに従えというところから、地域尊重、そして個性重視ということも言われているわけでありますから、本当に創造的にそれぞれの地方教育委員会が主体性を発揮して、現場の教師たちが元気で生き生きと、そして子供たちも生き生きと教育活動ができるようなおぜん立て、手だて、努力をするということがやはり一番大事ではないか。そのためには、教育行政のあり方というのは基本的にボトムアップで、積み上げ式で、そしてそれを受けて全体を調整する機能を発揮していく、こういうことで文部省がリーダーシップを発揮されるようになれば、文部省に対する物の考え方も変わってくるのではないかと思うわけであります。  臨教審が設置された当初、私たちは、臨教審の各委員の皆さん方のそれぞれの個人的な御発言等を承りながら、これは文部行政の今までの形を変えていく上で大きなインパクトを与えるのかなという期待も一部にございました。しかし、最終答申が出てからの今日の状況、その答申から教課審学習指導要領と至る経過というものを考えてみますと、どうもそうではなかったなという感を深くするところでございます。文部行政の、この間、日本教育にかかわって大変大きな指導的役割を果たしてこられた一つ責任、あるいはまたその評価というものも一方にあろうかと思いますが、私は基本的な発想の転換がなければ、これからの時代社会の中で、文部行政の硬直化という問題からして要請にこたえ切れないのではないかということを大変懸念するわけであります。  そういう点について端的にあらわれております今回の教免法、社会科解体というこの一連の経過というものについては、何としても私たちは、現場、そして教員養成を行っている大学の立場からいたしましても反対せざるを得ないわけですが、この問題について大臣の答弁をお願いいたします。
  25. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 本問題につきましては既に何人かの委員の方々とお話し合いを進めてまいっているわけでありますが、私たちのとっていることは、決して社会科の解体廃止という考え方ではございません。  小学校、中学校においては今までどおり、小学校の一、二年生に生活科ができたわけですが、今までどおりの考え方に沿ってやっているわけであります。そして、いわゆる国際化というような考え方、もう一つは、ある程度専門的なことに掘り下げていく、子供たち発達段階に応じて掘り下げていくということで、世界史、もちろん日本史そしてまた地理、全体の歴史、地理というものをきちっと持っていかなければ、さらに深く持たなければ国際化の時代に沿わないものである、このような考え方であります。
  26. 小林正

    小林正君 それでは、以上で終わらせていただきます。     ─────────────
  27. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) この際、委員異動について御報告いたします。  本日、勝木健司君及び笹野貞子君が委員を辞任され、その補欠として足立良平君及び新坂一雄君が選任されました。     ─────────────
  28. 山本正和

    山本正和君 文教委員会では、法案が出されてその法案に基づいていろいろな議論をするわけでありますが、本来私は、これは大臣と、教育の基本といいましょうかそういうふうなこと、あるいは教育ということについての考え方、そういうことを率直に意見交換する場が絶対に必要である、こう思いますけれども、いつも法案が先に出てしまうものですから、つい法案中心議論になる。今後の運営の中でひとつ私どもとしてもそういうことを考えていきたいと思いますから、大臣も省内においてそういう形での議論をしていただくように、冒頭にお願いしておきたいと思います。  今度の教員免許法の改訂にかかわって今さまざまな論議がされているわけですが、私はこれで思いますのは、学校で働く、これは幼稚園ももちろん大学もあるわけですけれども、学校で人を教えるということをやるときには、やはりお互いにいろいろな議論をしながら、教育とは何かということをみんなで考えるわけですね。ですから、私どもの世代、六十を越えた世代は新しい教育というのは余り知らなかった。それでもペスタロッチだとかルソーだとか、そういう人がいろいろ言われた教育論というものを若いときには随分議論したものです。今はもっと新しいさまざまな教育の学説が出ていますから、それについても論議しなきゃいけない。  しかし私がここでお願いしておきたいのは、文部省もぜひひとつ初任研修をやっていただきたい。要するに、文部省に入ったらまず教育論をやらなきゃいけない。確かに法律専門家でなくてはいけない部分があります。行政府ですから行政は勉強しなければいけない。しかし、文部省に入ったらまず教育論はみんな一遍議論するのだと、それをひとつ根底に置いて臨んでいただきたい。私は、文部省をもう卒業された方々で私自身が本当に心から尊敬している方が何人かおみえです。その人たちと酒を飲みながら話をすると教育論がぼんぼん出て、現場の教師が恥ずかしいと思うぐらい勉強されておった。恐らく省内にもそういう人はたくさんおありになると思うんですけれども、まず前提として文部省に入ったら教育論をやる、そこが出発であってほしい。それが日本教育を支えるまず出発じゃないかというふうに私は思うわけです。  実は教免法の改正についてのいろいろな審議を見ていきまして、その前提がどこから出てきたかとちょっと調べてみたんです。そうすると、まず審議会でいろいろ議論するわけですね。それじゃ文部省にどういう審議会があるのかとこう見ていくと、これは中教審というのがもともと出発でございますが、しかしその前に実は教育刷新審議会というのがあるんですね、戦争が終わった瞬間に。  それで中教審の歴史をずっと見ていきますと、そしてその中で出されたさまざまな論文、報告を読んでいくと、随分すばらしいものがあるんです。しかし、いいところはちっとも行政あるいは立法としてなかなか出されずに、どうもこれは論議を呼ぶのじゃないかというやつが割合すぐ法律になって出てくる、あるいは行政として志向されていくというような傾向があるように思えてならないんです。  かつて日教組と文部省といえばすぐ対立した。日教組は運動方針にすぐ中教審路線粉砕とかなんとか書いて、言葉だけ粉砕で中身はやらないんですが、文部省の方も何か知らないけれども中教審というものをにしきの御旗にして一生懸命やっている。それで空中戦をやって、結局、現場の教育というものはなおざりにされるという感じがしてならなかったわけです。  そこへもってきて、私がちょうど国会に出たそのときに一番の問題が臨教審です。なぜ臨教審なるものが出てきたのか、そうしたら国家行政組織法だというわけです。そうしたら、文部省はいつの間に国の教育行政についての主導権を内閣総理大臣に委任したのだ、こういう話になってくるわけですね。私、その辺も含めてどうもわからないので、ちょっと一遍、ここで中教審それから臨教審、あるいは文部省内にあるさまざまな審議会の行政に対する位置づけの問題についてまず御説明をしていただきたい、こう思うんです。
  29. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) まず、中教審でございます。中教審は文部省に設置されております文部大臣の諮問機関でございますが、文部大臣の諮問に応じまして、文部省の所掌に係る教育、学術または文化に関する基本的な重要施策について調査し答申を行う、あるいは建議を行うことを任務としておるわけでございます。  一方、臨時教育審議会でございますけれども、昭和五十九年の八月から昭和六十二年の八月までの三年間、総理府に臨時に設置されましたこれは内閣総理大臣の諮問機関でございます。これは政府が一体となって教育改革を推進していこう、こういう目的で総理大臣の諮問機関として設けられたわけでございます。したがいまして、内閣総理大臣の諮問に応じまして教育及びこれに関連する分野に係る諸施策の改革方策に関する基本的事項について調査審議しそれを答申する、あるいは意見を述べることができる、こういうことになっておるわけでございます。  ただいま申し上げましたように、中教審と臨教審の主な違いというのをもう一度繰り返して申し上げますと、一つは、中教審は文部省の所掌事務に関する施策について調査審議をしている、臨教審は政府全体にかかわる教育改革関連施策について調査審議をするという違いがございます。また、臨教審は臨時的な機関でございましたけれども中教審は常設の機関でございます。さらに諮問権者が、中教審が文部大臣、そして臨教審が総理大臣、また委員の任命に当たりましても、中教審は文部大臣、臨教審は総理大臣文部大臣意見を聞いて任命する、こういうふうになっていたわけでございます。
  30. 山本正和

    山本正和君 役所としてはそういう御答弁になろうかと思うんですが、一般的に国民感覚で見ておると、中教審で随分文部省は頑張ってきたけれどもどうにも役に立たぬから、この際、中教審を休ませておいて臨教審というのをつくった、こういうふうにしか見えないんですね。そしてその臨教審がいろんなことをやってきて、そのうちの一部に今度の教免法もあるというふうな流れが見える、そういうふうに見てしまうわけです。  私がここで申し上げておきたいのは、やはり文部省はもっと自信を持って、たとえ総理大臣が何と言おうと、文教行政に文句を言うなと、これぐらいのことでやらぬことには私はだめだと思うんですよ。教育というのはそのときそのときの政治の動向とかなんとかにかかわりなしにまさに国家百年の大計で、そしてずっと長い未来を見通してその行政というものを考えていくというのが文部省なんです。それを、今の政治の流れとか社会のさまざまな問題の中で一々場当たり的にああだこうだと言われたのでは、これでは教育はできませんと言って文部大臣は辞表を持ってそういうものを排除するということでなけりゃいけない。  今度の中教審のメンバーを見ましても、なかなか立派な方が随分おみえでございます。ですから、今後は少なくとも他の省庁からつまらないことは言わせません、これぐらいの決意を持って臨んでいただけるかどうか、大臣の見解を承りたいと思います。
  31. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 私は臨教審のことについては、一言で言って臨時であるという考え方でございます。いろいろな答申をいただいてありがたいなと思いますが、これは臨時であるという考えです。どこまでも中教審ですね。中教審は、私の感ずるところでは、四六答申を初めとして大変立派な答申をいただいてきております。これからも中央教育審議会、中教審というものを一番の土台にしてやっていきたいと思います。  特に、山本委員おっしゃるように文部省はまさに教育中心であるわけですから、総理を利用すると言うと語弊がありますが、文教施策の中において総理を文部省側に引き込んで力にすることは、私、大いに必要だと思います。でも、向こうのおっしゃるままにすべてをとるというのは果たしていかがかなということをいつも考えている一人であります。
  32. 山本正和

    山本正和君 もう少しこの問題を議論していきたいのでありますが余り時間がありませんから、ひとつぜひ、中教審というものがどういう歴史的経緯でもって生まれてきたか。これはまさに戦後教育といいましょうか、あるいは新しい憲法教育基本法の中で生まれてきた、もともとは。その一番初めの出発点の思想を大切にしていく中教審であっていただきたい、こういうことを特にこれは要請しておきまして、審議会行政の問題についてはもっとまた別の機会に議論をしていきたいと思います。  そこで、教免法で地歴と公民になったということでいろいろ言われるわけですが、しかし従来もいろいろと、例えば高等学校における単位教科も三単位を四単位にとかあるいは五単位を三単位にとか、今までもいろいろな変更があったわけです。そして中学校でも今度は高等学校の単位に合わせていろいろ変わっていく、教育課程の変更がどんどん行われるわけですね。  しかしそういうものについて、確かに理屈は、子供発達段階に応じてとか時代の進歩に伴ってとかいういろんなきれいな言葉をつけるんですが、ところが実際は必ずしもそうじゃない部分がある。特に私が心配するのは、今の日本教育の画一性だとか、あるいは何か知らないけれども子供たちが本当に生き生きと楽しい学習ができないというその一番根本原因は、今、親が見てもあるいは子供たちが見ても、簡単に言えば、私は大学入試制度というものが非常に大きな影響をしている、こういうふうに思うんです。  この大学入試制度も、これは随分昔から議論しているんです。例えば昭和四十七年の段階で中教審の答申にも出ていますし、それから永井文部大臣が随分苦労して考えられたあの統一テストの問題とか、さまざまな取り組みはしてきているんです。ところが依然としてこの大学入試問題が解決しない。この解決しない最大の理由はどこにあるかということですね。  私も高校の教師をしておったのでよくわかります。やっぱり東大に何人か入ったら、そうか、ことしの学年から五人入ったかというようなことでみんなで祝杯を上げたりする。まことにこれはけしからぬ話なんですが、そこで一番心配なのは、そういう状況の中でどうしてこの問題を我々はほうっておくのだろうか。これは党派を超えて、今、大学入試問題が教育において横たわっている最大の障害であるということはみんな知っているんです。  その原因の一つに大学側の対応があると思うんですね。もちろん学問の自由とか大学の自治とかいうことは侵してはならないと思うんですが、しかし入学試験の弊害というのはもうそういうものを乗り越えているぐらいの大変な問題がある。例えば、この前も木村先生でございましたか、世界史を勉強する者が少なくなった、何としても世界史を必修にしてもらわなくては困る、こういうお話がございましたが、それじゃなぜ高校生が世界史を選択しないのか。世界史を選択したら受験勉強をする量が物すごくふえるわけですよ、大変な量がありますから。大学の方は世界史から入試問題をつくれば選別が非常にしやすい。そんなことでみんな受けなくなるんですね。  そういういろんな入試制度からくるひずみ、学校に対する問題というのは、この段階ではもう行政において放置できない、あるいは国会も放置できないというふうに私は思うんですが、そこで、実は我が国の問題だけで見ているとおかしくなるので、諸外国のこういう高等教育の入試制度というのは一体どうなっているのか、一遍これは文部省側で持っておられる資料をひとつ御報告いただきたいと思うんです。
  33. 坂元弘直

    政府委員(坂元弘直君) 諸外国ということで、アメリカ、フランス、西ドイツなどの大学の入試制度を見ますと、一つは、統一テストの成績とともにその他の資料、これは大学が行うテスト、高校の調査書などでございますが、に基づき選抜を行うというやり方、これはアメリカ合衆国あるいはイギリスなどでございます。それから、統一テストによりましてその合格者に中等教育の修了資格を認定し、同時に大学の入学資格も付与して大学に入学させているというのがフランス、西ドイツなどでございます。大体この二つぐらいに大別できるのではないかというふうに考えております。  ただ、後者の方法をとるフランス、西ドイツにおきましても、最近、大学進学の希望者が大変増加してきておりますので、大学入学資格者が志望する大学・学部への入学が困難になりまして大学機関による調整等が行われておるということで、統一テストによって即入学資格を付与して希望する大学あるいは学部に入学させるという従来の方法を再検討しようという動きが出ているところでございます。  日本において、例えばフランス、西ドイツと同じように大学入学に係る資格試験制度を導入するということにつきましては、我が国の実情から見て果たしてどうだろうか。  一つの問題点は、例えば、今のような情報化社会でございますので高校別の合格者数というのがはっきり出てくるわけでございます。そうしますと、高校間の格差というのがいわゆる大学入学資格試験に合格した数によって顕在化してしまう。言いかえれば、一〇〇%合格した高校とそれから二、三%しか合格しなかった高校と、五千数百の高校がその入学者数で画然として高校間格差が顕在化してくるのではないかということ。  あるいは、資格試験に合格しなかった者は一切進学の機会が閉ざされているわけでございますが、これに対する不満というのもこれまた社会から出てくるのではなかろうかというようなこと。  それからさらに、これは技術的な問題なのですが、合格点をどういうふうに設定するか、言いかえれば七割を合格させるか六割を合格させるかあるいは五割を合格させるかというようなことが、資格試験を実施する機関、この場合はそれぞれの国家になるわけでありますが、国がその合格率を、大学進学の率を決めてしまうということが大変難しいのではなかろうかという気がするわけでございます。  細かく各国ごとの様子につきまして御説明しますと時間が足りませんので省略させていただきますけれども、それぞれ、特にフランスのバカロレア、それからドイツのアビツール試験などで、かつては合格した場合に自由に自分の行きたい大学・学部に行けたわけでありますが、ところが、例えばフランスのバカロレアですとパリの大学に集中してしまう、その結果、収容し切れなくなるというようなこと。  あるいはドイツのアビツール試験ですと、合格者が医学部あるいは歯学部に集中してしまう、そのために、かつては合格すれば大体、医学部に行きたいと思えばそれぞれの大学の医学部に入れたわけですが、そこに集中してしまって定員よりオーバーしてしまうということで、試験を合格しても二年あるいは三年を待機するというようなこともございまして、むしろアビツールの試験と同時に個々の大学あるいは学部で個別の試験もやるべきではないかというような動きも一部に出てきておりまして、統一試験によって処理していくということもいろいろな難しい問題を抱えているんだなというようなことを私どもも感じているところでございます。
  34. 山本正和

    山本正和君 私も外国の大学入試制度についてはいろいろ問題点があることはよく承知しておるんです。だから我が国にそのまま持ってこいなんということを言うつもりはないんですね。  ただ、日本とヨーロッパ、アメリカとの発想の違いが一つある。というのは、日本の場合は偏差値で上のいい方からずっと何番までと採っていくわけですね。ところが、少なくともアメリカでほとんどの州がやっているのは、ある点数まで取った者から上、そこから上は全部平等なんです。六十点なら六十点、七十点なら七十点、全体を平均して、そこから上はみんな平等なんです。そしてそれに対して、例えばボランティア活動をやったとかクラブ活動をやったとか、その生徒生活体験あるいはその生徒の勉学意欲というふうなものをプラスしていって学校がそこで選考する。点数はもう言わないんです。日本のように、百点取ったら確実に九十九点より優位に立つということにはならないんですよ。  だから、問題はどこで見るかということなんです。今のようにやったら、いやでも応でも偏差値の順番に採るようになってくるんです。そういう問題が一つあるだろうと思うんです、違いが。これは我が国で直し得ないかといえば、直し得ないことはないと思う。ただ、大学の先生は大変ですよ、面接せずに選んでいますから大変だけれども、しかしそれぐらいの労苦をいとっているんだったら大学の教員はやめてもらったらどうかというぐらい、私は本当にこの問題は大変だと思うんです、今の状況を見たら。  それから、この大学入試改革の問題では文部省も大学入試改革協議会といういわゆる私的諮問機関を設置されて議論しておられるわけですが、しかしそこでどんなに議論しても煮詰まらないのは、大学が本気になって、今の教育の根本問題についてこれなんだということで取り組まないことなんです。これは高等教育局長は、それこそ蛮勇を振るってでもやっぱり大学側に対して話し合いをしてやってもらわなければ困ると私は思うんですね。  そして、この教免法の改定の問題、学習指導要領の問題、その背景にある教育課程の今までの流れ、そういうものを全部含めて、現場で子供たちを教えている者あるいは親たちの気持ちからいえば、一体何をやっているのかさっぱりわからないとしか思えない。ですから私は、文教行政の一番基本は、親や教師や教育に関係する者が一番困っている問題に、障害があろうとぶつかっていくことだというふうに思うんです。そういう意味で、ひとつこれは、特に石橋大臣はいろいろ教育の問題について御見識をお持ちでございます。私も論文も拝見いたしましたが、ひとつ大臣の、とにかくおれの決意でこの問題には取り組むというぐらいのきょうは答弁をいただきたい。  私どもは教免法のこんなつまらぬことでちょこちょこやるというのが実はおかしいと思うんです、教育という問題は。そういう意味で、教免法の問題はこれはもう粛々と随分長い間論議しました。参議院では特に長い時間をかけて論議しました。これは私どもは反対ですけれども、もう時間が切れますからやむを得ません。しかし私どもの反対の背景は、単に今の部分的な技術的な問題でない、教育行政の一番根っこにあるところに文部省が真剣に当たっていただきたい、こういう意味からの反対である、このことを申し上げて、最後に大臣から一言、私がいろいろ言いっ放したことについて御所見を伺いまして、私の質問を終わりたいと思います。
  35. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  委員指摘のとおり、大学入試のあり方、これはいわゆる高等教育だけでなく、高等学校以下の教育全体に実際問題は大変大きな影響を与えているところであります。いわゆる自由主義、競争社会であります。社会主義体制の中においても、人間でありますから私はやはり競争という原理はどうしてもあると思います。  そこで、入試ということがございますが、教育委員会制度を持っているアメリカ——欧州はないと思いますが、あの国においては、大学入試というのをできるだけ門戸を広げてそしてある線以上の人を入れる。でも、卒業するまでの間にどんどん留年をさせ、あるいは放校までして、卒業生はせいぜい半分でしょう、その程度にしてしまうというやり方が確かに一つあります。  私もそのことを一生懸命に研究して、日本国で取り入れられないかということを考えてみたこともあります。でも、今、大学審議会で一生懸命に入試のあり方をやっております。今の大学入試センターをつくるときにも、与野党とも委員を出し合って、高校で教わったこともない、考えられもしないような難問奇問というものが出る、この入試で一体いいだろうかということの中において、いろんな意味で批判がありますけれども、入試センターができたことも私も十分承知をいたしております。  ただ、世の中の進歩といいますか、社会の人材を求める質あるいは広さ、こうしたものが変わってきたことによって大学の中身もまた変わってきた、したがってまた入試も変わるということに私はなると思います。ただ、余り毎年のようにくるくる変えられてしまっては、入試する本人も、御家族も、あるいはまた高校の先生方もこれは大変なことだな、そんなには変えられないなと。しかし、今言ったような社会全体あるいは大学全体が変わりつつあるわけでありますから、これからも中長期的な観点から大学審議会において研究を今させている最中でありますから、この結論を見てから対処していきたい、こう考えます。
  36. 山本正和

    山本正和君 終わります。
  37. 高木健太郎

    高木健太郎君 社会委員から大変いい質問がございまして、私も大学で教育に携わっておった者の一人として大変感銘深くお伺いしたわけでございます。  きょうここにお見えの傍聴人の方々は、大抵、高等学校先生方だと思いますが、大学の先生は一人も来ておられないというのはまことに残念なことでございます。もしできれば、大変いいお話でございますし、大臣お話もございますから、大学の評議会あるいは評議委員会あるいは学部長会にこういう官報といいますかそういう記録を送りつけて、よく研究するようにというようなこともされてはいかがでしょうか。私は大学在職中、余りこの委員会の記録というようなものは読んだことがございませんので、自分の反省を込めて、ひとつ文部省の方でもそういう働きかけも必要じゃないか、こう思います。これは余談でございますが、少し感じたことを申し上げたまででございます。  本題に入りますが、今回の改正に対しまして大学を含む教員養成機関の中には今もなお、反対あるいはこの改革に対して疑問視している大学もあると思います。そうしますと、そういう反対している大学の中では、地歴の教師の養成に対して本気で熱意を持って取り組むようなことを渋る、あるいはひとりでにそうなる、そういうことがあるかもしれない。そういう意味では、この養成機関に対して本気で取り組むような何か体制をおつくりになるとか、財政の援助をするとか、その他のきめ細かい配慮が私は大切であると思います。そうでなければ仏つくって魂入れずでありまして、かえってこの再編成によりまして悪い結果をもたらすことになるのではないかと憂えるものでございます。  従来の社会科教育のよい面はやはり私はとっておくべきだ。この間の参考人お話を聞きましても、分離しろというのではなくて、それを統合し融合しながら地歴を教えるということを強調しておられたように思いますので、地歴のみが分離しないように、他科目との連携についても十分な配慮が必要であると思います。この点について、まず御意見をお伺いしたいと思います。
  38. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 私の方は高等学校指導観点から申し上げたいと思いますが、地歴、公民に再編成いたしましてもその相互の関連等は十分それは図って、教育としては、学校教育全体がそうでございますが、教科・科目に分けて教えておりますけれどもそれらは相互にやはり密接な関連がございますので、当然一体として子供たちに確実な力として身につくように教えるのが必要であろうと思います。  特に今回のこの社会科の再編に伴います地歴科、公民科の指導に当たりましては、その点につきまして学習指導要領の「内容の取扱い」というところで、「地理歴史科の目標を達成するため、教科全体として調和のとれた指導が行われるよう、適切に留意する」という規定とともに、これは中学校社会科とかそれから高等学校の公民科との関連にも十分配慮して指導するということを、特にそういう記述を置いているわけでございます。  ですから、御指摘のように、教科はもちろんそれぞれ専門性の観点から分けておりますけれども、学校教育の当然の一つ指導の問題として、相互関連して一体的なものとなるように指導していただきたいと思っております。
  39. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 今、先生の御質問の中に、地歴、公民に分けた場合の養成機関へのどのような指導をするかというお話があったわけでございますけれども、私ども、法律の改正をしていただきますと教育職員養成審議会の御意見を十分伺いまして、地歴についてはどのような科目を何単位程度、公民についてはどのような科目を何単位程度というようなことを決める次第でございます。その上で省令改正を行うわけでございますが、そうした手続が済み次第、各大学の方にその内容、趣旨などを十分御説明しまして、各養成機関におきまして適切にその授業の開始ができるような措置をしてまいりたいと思うわけでございます。  さらに課程認定の手続もあるわけでございますけれども、そうしたいろいろな段階を通じまして、今回の法律の改正の趣旨を十分御理解いただくように努力してまいりたいというふうに考えております。
  40. 高木健太郎

    高木健太郎君 その点、ぜひきめ細かく、よく大学側と相談して、大学側が本気でやるというような気持ちにしていただきたい、こう思います。ただ押しつけだけでは私は大学の教官は動かない、こういうことを心配するからであります。  第二問でございますが、今回の社会科見直しの原点として、参考人意見あるいは新聞報道、雑誌等の論議から考えますと、一つは専門的、系統的、学問的立場と、一つは観念的、包括的、教育的立場の論争のように見えます。今回このように、なぜここに来て社会科というものの再編成に踏み切るようにされたのか、これはもう何回も論議が尽くされたことでございますが、改めて御意見を伺いたいと思います。
  41. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) この社会科の再編成につきましては、これまでも御説明いたしましたけれども、これは戦後の社会科が発足した当初からの一つの大きな課題でございました。昭和二十年代から、特に高等学校段階社会科のあり方としましては、その発達段階からいいましてもう少し専門性を高めて、歴史、地理、公民等につきましてそれぞれ分けて行うべきではないかという議論がずっときたわけでございます。そして十年ごとに行っております学習指導要領改訂のたびに、この議題は大きな課題として審議会でも議論されてまいりました。  そして今回の改訂におきましてこの社会科の再編成が決まったわけでございますが、その背景には、やはり諸外国の状況を見ましても、アメリカは別にいたしましてヨーロッパ諸国、先進諸国、例えばイギリスにしましてもフランスにしましても西ドイツにしましても、それぞれこれらは分離して教えているということが一つございます。  それから、今回特にこの社会科の再編成が行われました背景には、やはり一つの大きな流れとして国際化の進展ということがございます。国際社会に主体的に生きる日本人をこれから養成していかなければならない、その資質を一層重視する必要があるわけでございますが、国際化の進展に当たりまして重要なことは、やはり日本というものを広い世界的視野に立って比較文化的視点から相対化して見れるようなそういう資質を育成するということが重要である、そのためにはやはり広い視野に立ちました歴史・地理教育というものを、これは時間的にも空間的にも大変関連の深いものでございますのでまとめて一つの教科にするということでございます。  それからもう一つは、その時代的な要請としまして公民的資質の育成の一層の重視ということがございます。社会が急激に変化しておりまして、青少年の社会連帯感の問題とか責任意識の低下の問題などがしばしば指摘されるところでございます。民主的、平和的な国家社会の進展に主体的に寄与できる公民としての資質を育成するということがやはり今日の時代の要請として強く求められている、その観点から公民科というものを高等学校段階ではやはり教科として設けたらどうであろうか。  そして、この社会科を地理歴史科と公民科に再編成することによりまして、教員養成も、今、法案に提案しておりますように分かれてくるわけでございますが、当然、教師の専門的な指導力というものの高まった形で専門的な教育が高まりますし、その指導力も高まってくるということが期待できるわけでございます。  このようなことを総合的に勘案しまして、現行社会科の枠内で対応するよりも、高等学校段階ではやはり地理歴史科と公民科に再編成することがより適切であるという観点からこのような対応になったわけでございます。
  42. 高木健太郎

    高木健太郎君 今、局長お話の中で、お言葉を返すようですけれども、諸外国ではということはちょっと合わないのじゃないかと思うんですね。日本は第二次大戦で非常に軍国主義的であった、そういう反省の上に立って社会科が生まれたわけでございますから、その反省を忘れてしまったのでは何にもならないわけで、諸外国がこうあるんだから地歴を分離するというような考え方は私はとらないところでございます。  今おっしゃったものの中に含まれているかもしれませんが、私はこの問題の背景には、戦後教育の総決算として、自由を履き違えたといいますか責任感が薄くなったといいますか、そういう行き過ぎた民主化の是正というものの志向、そういう考え方と、社会科を戦後民主化のとりでとして、戦前のあしき教育統制への、あるいは軍事国家体制への回帰を恐れる、そういう考え方との論戦であったろうと思います。  どれが正しかった、どちらが正しいかということは、これはよく言われるように後世の歴史が証明することでありましょうが、論議の経過を見ていますと、非常に多くの委員会をつくりそこで論議されたのは結構でございますけれども、どうも最後のところは竜頭蛇尾に終わった感があるような気がいたしまして、各種委員会の持っていき方ということに関しましては遺憾の意を表せざるを得ないわけでございます。  長年にわたって定着して、それになれ切った構造というものの改革、教育とは限らないいろいろの構造の改革には、上意下達の方法あるいは下意上達の方法がありまして、いずれの場合にも、現在の東欧社会に起こっておりますように、力によるにしろあるいは民意によるにしろ、産みの苦しみというものが伴うものでございますけれども、上意下達の場合には私は公開性を重んじて、あとう限り国民の理解を得るように、委員の選任あるいは委員会の調整、あるいは公開性等に関して今後より一層慎重な配慮を傾けられるということが必要だと思いまして、この点を強く要望するものでございます。  今、世界は大きく変化しつつありまして、しかも学問の急速な進歩の中にありまして、社会科の改革、見直しも必要であったと一面私は考えるものでございますが、社会科のみにとどまらず、その他の学科の再編成も考えるべきではないか。それは必ずしも変革を意味するものではありませんけれども、戦後四十年のこの際、あらゆる学科の再検討の時期に来ているのではないかと考えますが、この点はいかがお考えですか。
  43. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 教育課程の改定の際には、もちろん社会科だけではなく、先生指摘のように全教科にわたって検討すべき問題であるというふうに考えております。  今回の学習指導要領改訂におきましても、他の教科のあり方につきましても時代の変化、社会の変化に応じて見直すべき点はないかということを個別に審議したわけでございます。結果としましては、小学校の低学年の理科と社会というものは、やはりあの段階子供たち教育としてはもう少し合科的な教科の方がいいということで生活科という見直しがございました。しかしそれ以外につきましては、国語、数学、理科、その他の教科につきましても、個別のそれぞれの委員会を設けまして教科の見直しも含めて議論されたわけでございますが、結果としては、小学校の低学年の生活科と高等学校社会科の再編成の二つにとどまったわけでございます。  この社会科との関連で一番再編成の問題が意識されるのは、理科などにもそういう議論がないのかということが当然考えられるわけでございます。理科でも従来からこの問題は改訂のたびに議論をしておりますけれども、これは社会科と異なりまして、理科は物理、化学、生物、地学とございますがこれは理科という教科でまとめるのがいいということで、これまでその再編についての特別な動きといいますか要請はなかったわけでございます。  しかし、この理科に限りませずその他の教科もそうでございますが、やはり時代の変化、社会の変化ないしは子供たちを取り巻きます状況の変化によりまして、科目の見直しは全般にわたって行っているところでございます。詳細を御説明しますと長くなりますので省略させていただきますが、科目の見直しはその他の教科につきましても今回かなり大幅な見直しをしているということを付言させていただきます。
  44. 高木健太郎

    高木健太郎君 私は自然科学の出身でございますから言うわけではございませんが、自然科学の発達というものは本当に目覚ましいものがございますから、今後ともそういうことを込めてひとつ委員会で十分検討を続けていかれるように要望をしておきます。  次に、人間形成という大きな見地から見ますとすべての学科というものは相互に密接に関連しているということは先ほど局長からもお話があったとおりでございますが、おのおのが切り離されて存在しているものではありません。例えば胃腸外科の専門であるといいましても、外科全般、医学全般、そして人間性というものの育成が大切なように、医学全般の知識と経験の上に特に胃腸外科に練達であるというのが専門ということでございます。そういうように、医学も、有機的な構造を有しているものはみんなそういう形でございます。  今度の社会科の、再編成と言われますが、解体といいますかそういうときでも、例えば家の畳の一部を入れかえますというと全部を入れかえたくなる、あるいは壁を塗りかえるというとほかの道具も入れかえたくなる、そういうふうに、一部を変更するということが全体に響くということは当然のことでございます。特に総合的知識とその上に立った判断力の養成に重点が置かれる学校教育におきましては、社会科というものの一部の変更は高校の教育課程の全般に影響して、それは今度は縦に大学の入試、教養部のあり方にも響くことは必定であろうと思います。  教養部の改革につきましては、西岡文部大臣の改革意見もありましたが、その後、立ち消えになっております。この際、大学の入試、教養部のあり方等につきましても考えるべきときに来ていると思いますが、この点に対して文部大臣の御所見をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
  45. 坂元弘直

    政府委員(坂元弘直君) 大学の入試の抜本的な改革につきましては、先ほど山本委員からの御質問に対しまして大臣がお答えしたとおりでございまして、現在、中長期的な観点で大学審議会で鋭意検討しているところでございます。  具体的な問題としまして、今回の高等学校学習指導要領改訂に伴いまして大学入学試験の実施教科・科目に影響が出てくるわけでございます。これは新しい教育課程による最初の卒業生が出てまいります平成九年度入学者選抜からでございますが、この点につきましては私どもは適切な時期に各大学等に指導を徹底してまいりたいと考えております。  それから、教養部あるいは一般教育を含めた大学教育全般のあり方の問題につきましては、これまた現在、大学審議会で審議をお願いしているところでございまして、先般七月の末に、四年間を通じて各大学が自由にカリキュラムを設計できるような方向で大学設置基準をむしろ大綱化して、各大学が特色ある教育課程が展開できるような方向を考えるべきではないかという審議経過の概要を発表されたところでございます。この審議経過の概要に基づきまして、現在、各関係者から御意見を拝聴いたしておりまして、この意見を参考にしつつ、今後、大学審議会で一般教育を含めた大学教育のあり方について審議が進められていくというふうに考えております。  当然、各大学で行う一般教育は現在でも高校段階とダブりがあるではないかという批判が聞かれるわけでございます。大きなその改革の中でさらに具体的に、一般教育と高校段階でのダブりの問題という批判につきましては、新しい高等学校学習指導要領改訂の趣旨を今後とも各大学に徹底して、注意を喚起してまいりたいというふうに考えているところでございます。
  46. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 教養学部のことでございますが、確かに委員おっしゃるとおり、特に科学は大変な進歩を来しているなと。学問の分野が大変広範で、しかも突っ込んだものになってきている。しかも、将来二十一世紀を見てみた場合に、これがその国、その民族の興廃を決する部門になりはしないかという考え方、それを日本においても特に私は考えるものでありますので、いわゆる教養学部ということについてもうちょっと、その部分を例えば一年なら一年にして、大学教育の中における突っ込んだ学問の方に向けてみたらいかがかなというのは個人的にいつも考えております。  そうしたことを個人的には考えておりますが、とにかくいずれも今、逃げ口上ではありませんが審議会で一生懸命やっているところでありますから、もうしばらく研究をさせていただきたいと思います。
  47. 高木健太郎

    高木健太郎君 終わります。
  48. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 十二日に参考人も述べられましたが、戦後の社会科、とりわけ高校社会科もそうですが、子供を民主社会主権者としてはぐくむために科学的で総合的な教科として生まれたものであると言われました。ばらばらに教えられる独立教科ではなく、地理的、歴史的、公民的な諸領域を相互に関連づけながら、子供が自分を取り巻く現実の社会問題を科学的に統合的に見て働きかけることができるような教育を行うものとしてこれまで社会科は位置づけられてきたわけです。  ところが、高校社会科は今度は地歴と公民に分離するということで、これまでの質疑参考人質問を通しても納得できる説明はいまだにないわけですが、そこで、きょう私に与えられた時間はわずか十四分ということでございますのでこの点に限って質問をさせていただきますので、簡潔にお答え願います。  まず第一点目でございますが、高校社会科を地歴と公民に分ける、つまり、地理、歴史、公民と分けるのではなくて地歴科と公民科に分ける、このことが一体どこでいつから審議されたのか。社会科から歴史を独立させるというお話は当初から審議されてきたわけですが、地歴と公民に分けるということがいつからどこで審議されたのかということがこれまで明らかにされていないわけです。そこで、この点について明確にお答え願います。
  49. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) この社会科の再編の問題はいろいろな要素がございますが、一つ歴史社会科から独立させるという問題とか、ないしは世界史をもう少ししっかりやるというような問題、いろいろな議論はその間ございました。しかしこれらは相互に関連している話でございますので、それぞれの中にあります議論が、教育課程審議会のどの時点でどこからどういうふうに議論がされたのかというふうに分けてこれをすることは難しいと思います。  社会科のまず枠を外すかどうか、それから現行社会科の中でやるかどうか、外す場合に地理と歴史と公民を分けるのかどうか、ないしは地歴は一本で公民と二本立てにするのかというような議論は、ただいま申し上げましたように、審議会を通じまして相互に関連した事柄として議論されてきたというふうに理解しております。
  50. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 高等学校分科会の座長である諸沢さんは、御自分が出席した雑誌「現代のエスプリ」の座談会でこう述べているわけです。  一般に歴史学者は地歴独立とは言わないと思います。だけど、時間的にも大変切迫したこともありましたし、委員の西洋史の専門の方も、地理と歴史は密接な関係があるから、地歴独立でどうですかとおっしゃったのです。要するに、社会科から出ることが先決であって、地理と一緒であっても構わないというようなことがありましたから、地歴科か歴史科かについてはそう深い議論はなかったように記憶します。 ここまで言っておられるわけですね。  ですから、今はっきりお答えできないということでしたが、そうはっきり答えられないはずはないと思うんです。地歴と公民に分けるということはいつから審議されたか、そこを端的にお答え願います。
  51. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) これはもう前回からの繰り返しになりますが、審議会の審議の経過につきましては、その間さまざまな御議論がございます。ですからその一々についてここで申し上げるということは事実上不可能でございますし、審議会の性格上、その審議の経過については従来から中間まとめという形で御報告はその都度出しておりますが、その個々の議論の詳細につきましては出さないということになっておりますので、御了解いただきたいと思います。  やはり重要なことは、最終的に審議会としてどういう結論を出したかということが私は重要だと思います。その審議会の最終的な結論は答申という形で出ているわけでございますので、その点から御理解を賜りたいと存じます。
  52. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 高等学校分科会の座長である諸沢さんはここまではっきりと事実を述べられているわけですけれども、これは承知しているわけですね。
  53. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) その「現代のエスプリ」ですか、それに書かれましたことは、ただいまお聞きしましたからそれはそれでわかりました。  しかし、諸沢会長もその委員の一人でございますので、その他大勢の委員がいらっしゃいますから、それぞれ個別の意見があってそれの集約としてこの答申になったというふうに御理解いただきたいのであります。
  54. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 この「現代のエスプリ」については衆議院の教免法の審議の際に資料としても配られておりますし、目を通されていないというはずはないんですね。ですからちょっと今のお答えは納得できませんが、時間がございませんので次に進みたいと思います。  戦後の社会科は民主社会主権者をはぐくむにふさわしいものとして生まれました。これは既に何度も述べたとおりですけれども、いわばこの社会科の基本的な原則にかかわる命とも言うべき問題を、深い議論はなかったというような状態で社会を地歴科と公民科に分けると決めたということなのですが、十二日の当委員会の市川参考人が、雑誌「世界」十一月号でこう述べられているわけです。「十一月十三日の高校分科会にその結論「地歴科、公民科構成案」が原案として出され、そこで原案どおりに決められた、という経緯」だ、こう語っておられますが、事実そのとおりだったのでしょうか。
  55. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 市川先生のそれは御意見だろうと思います。  いろいろ先ほど来申し上げておりますように関係されました方がたくさんございますので、それぞれに個別の御意見をお持ちでございますからいろいろな御意見が出てくるのは当然かと思いますが、私どもは、先ほど来申し上げておりますように、社会科の再編成につきましては高校分科審議会において全員一致で決まった、そしてそれが教育課程審議会総会において全員一致で異議なく異論なく決まったということが大事だと思っておりますし、それに基づきまして今回の学習指導要領をつくっているわけでございますので、その点、御了解を賜りたいと存じます。
  56. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 市川参考人が述べられたこのことについて事実そのとおりだったのかどうかという質問についてはお答えいただけなかったのですが、その点はいかがですか。
  57. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) これも先般来、また本日も繰り返して恐縮なのでございますけれども、審議会のそのプロセスの一々については控えさせていただきたいということでございます。これは他の審議会も皆、同じでございます。
  58. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 お答えできないということなわけですね。  十一月四日に、専門家意見聴取ということで設けられた公的でもない全くの私的懇談会で、しかも深い議論も行われず結論が出された、私的諮問機関で結論を出したということでこれは大変問題だというふうに考えるわけですけれども、この点はいかがでしょうか。
  59. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 私的諮問機関で結論を出すわけではございませんので、今回の教育課程審議会で結論が出たのは、高校分科会の決定と、それを受けまして教育課程審議会総会で決めたその答申の内容が決定なのでございます。ですからそれに基づいて学習指導要領ができているわけでございますので、その点は、繰り返して本当に恐縮なのですが、十分御理解を賜りたい点でございます。
  60. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 説明がどうも繰り返しでよく理解できないので私も繰り返しの質問になるわけですけれども、違う角度からお尋ねいたします。  八六年の十月二十日に教育課程審議会の中間まとめ、それから八七年六月二十六日に教課審社会委員会のまとめ、この段階では論議が分かれているわけですね。そして八七年八月七日の臨教審の第四次答申でも、この問題については検討する、こうなっているわけです。  これが実は急変するのは、この点については共産党の山原議員が衆議院の文教委員会でも明らかにしたわけですけれども、リクルート事件にかかわった中曽根元首相と高石前文部次官が政治的に関与して、それで十一月四日の専門家意見聴取なる私的懇談会で社会を分割するということが固まって、そして本当はこれは四日だけではなくて十日にももう一度この教育懇談会を開くということになっていたようですが、四日ですんなり決まったので十日の教育懇談会は開かれないで、十三日の高校教育課程審議会で地歴と公民の分離が決められた。  そこで、私はお尋ねしたいのですけれども、この十一月四日の専門家意見聴取というのはどのような内容であったのかということと、それから十三日の審議内容がどうであったのかということについて明らかにしていただきたいと思うのです。そうでなければこの文教委員会での審議はできないというほどこれは非常に重要な問題だと考えるわけですので、この点を明確にお答え願います。
  61. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 前半におっしゃいました臨教審の答申とか中教審の審議まとめ等で結論が出ていなかったではないかというのは、これはまあ当然でございまして、これらは非常に大所高所から大きな議論をするところでございます。教育内容議論して詰めるのはこれは教育課程審議会でございますから、臨教審等ではその点を検討しなさいという問題指摘にとどまったのは当然だろうと思います。  それを受けまして教育課程審議会が二カ年を費やして慎重に審議してきたわけで、御指摘のように十一月の四日に突如決まったということではなくて、その間にずっと議論が積み重ねられて、重要な問題であるから軽々に結論は出せないということでずっときているわけでございます。  そして社会科教育懇談会なるものは、先生も今、御指摘がありましたように、教育課程審議会の正式の機関ではございません。しかし、教育課程審議会を開きますときには、これは約六百名の学校先生とか教科の専門家が入ったその教科別の審議をする委員会がございます。それがいわば教育課程審議会の下部機関になっているわけでございます。
  62. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 それは前回、高木先生質疑でお答えいただいていますので、結論だけお願いします。
  63. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) ですから、そういうことも含めて、こういう懇談会もそういう関連でいろいろな方の意見を聞くという形で置かれているものでありますから、ここで決定したとかここで決まったということでない、そのことを十分御理解いただきたいのであります。  この十一月四日の議論ではそういうことで、社会科のもちろん枠の問題とか社会科の必修のあり方について専門家意見が聞かれ、そして議論が交わされていたことは事実でございます。
  64. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 私がお尋ねしているのは経過ではなくて、戦後四十年、本当に民主社会主権者を形成する理念を持って社会科がずっと積み重ねられてきた。それが地歴と公民に解体されるということについては国民にとって極めて重大な問題である、憲法教育が後退するということも含めて極めて問題であると考えるわけです。そうであるならば、その中でどのような話がされたのか、その内容が国民の前に明らかにされることが必要だと思います。そういうことを知る権利国民にあるはずなんですね。  ですから私がお尋ねしているのは、この専門家意見聴取あるいは十三日の審議内容がどんな内容であったのか、その中身をこそ知りたいということで、その中身を資料として提出していただきたいということをお尋ねしますので、その点について端的にお答えいただきたいと思うんです。
  65. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 端的でございますけれども、主権者教育理念が今回否定されたなんということは全くございませんのでその点をまず付言しておきますが、この十一月四日の会議の内容につきましては、これは教育課程審議会、そのほかの正式の教育課程審議会の全体の記録もそうでございますが、従来から、他の審議会と同様、外部には出さないということになっておりますので、御了解賜りたいと思います。
  66. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 もう時間ですので質問をやめなければなりませんが、どなたがどういう意見をおっしゃったかということを私たちは知りたいのではなくて、どんな内容で議論をされてこの結論に至ったのかということこそ知りたいわけですね。  そうであれば、だれがどの意見を言ったかということについて、名前を挙げないで、一、二、三とかA、Bとか、そういう形で書いたものを資料として出すということも可能なはずなんですね。それを、出さないことになっているということで出さないというのは、何か出せない理由、不都合なものがあるのではないかというふうにも思わざるを得ないということで、私は、本当にこれは大切な問題であるので資料を出すということが文部省責任であるというふうに強く要望したいと思います。  そこで、委員長に、これはぜひ資料を委員会に提出するということでお計らいいただきたいと思います。
  67. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 理事会で相談いたします。  他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  68. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認めます。  午前の審査はこの程度とし、午後一時十分まで休憩いたします。    午後零時七分休憩      ─────・─────    午後一時十二分開会
  69. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  この際、委員異動について御報告いたします。  本日、森山眞弓君が委員を辞任され、その補欠として井上章平君が選任されました。     ─────────────
  70. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 私立学校教職員共済組合法及び昭和六十二年度及び昭和六十三年度における私立学校教職員共済組合法年金の額の改定の特例に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案に対する質疑は既に終局いたしておりますので、これより直ちに討論に入ります。  御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。——別に御発言もないようですから、これより直ちに採決に入ります。  私立学校教職員共済組合法及び昭和六十二年度及び昭和六十三年度における私立学校教職員共済組合法年金の額の改定の特例に関する法律の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  71. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  粕谷照美君から発言を求められておりますので、これを許します。粕谷照美君。
  72. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私は、ただいま可決されました法律案に対し、自由民主党、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議、連合参議院、民社党・スポーツ・国民連合の各派共同提案による附帯決議案を提出いたします。  案文を朗読いたします。     私立学校教職員共済組合法及び昭和六十二年度及び昭和六十三年度における私立学校教職員共済組合法年金の額の改定の特例に関する法律の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、次の事項について検討し、特段の配慮をすべきである。  一 日本私学振興財団及び都道府県からの助成については、私学振興の見地から、その財源確保に努めること。  二 私立学校教職員共済組合の公的年金制度としての重要性にかんがみ、その制度等の重要事項を審議するための諮問機関の設置を検討すること。   右決議する。  以上でございます。
  73. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいま粕谷照美君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。  本附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  74. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 多数と認めます。よって、粕谷照美君提出の附帯決議案は多数をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  ただいまの決議に対し、石橋文部大臣から発言を求められておりますので、これを許します。石橋文部大臣
  75. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) ただいま御決議がございました事項につきましては、御趣旨に沿って十分検討いたしたいと存じます。
  76. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  77. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  78. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 次に、教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案に対する質疑は終局いたしておりますので、これより直ちに討論に入ります。  御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
  79. 会田長栄

    ○会田長栄君 私は、日本社会党・護憲共同を代表して、教育職員免許法の一部を改正する法律案に対して、反対の立場から討論を行います。  今日の教育を取り巻く状況とその問題点については、文部省教育白書でも多くの点が明らかにされております。すなわち、学校教育における画一的な指導、知識偏重の詰め込み教育、制度や運営の硬直化現象、激化する受験競争、高校中退、児童生徒の問題行動といった多くの点が指摘されております。  また、国の一般会計予算に占める文部省予算の割合は、昭和三十年代の一二ないし一三%台を頂点に年々低くなり、平成元年度は七%台となっております。この間、教育費の父母負担は増大し、私学に対する助成も年々低く抑えられているところであります。  このように、教育を取り巻く状況は非常に厳しいものがある上、さらにリクルート事件で痛手を負った文部省が、多くの人々の批判を顧みずこのような法案を提出したことが、私には残念でなりません。  以下、法案の内容に沿って反対の意見を述べていきます。  まず最初に、本法律案は、学習指導要領改訂により高校社会科が解体され地理歴史と公民に再編成されたことに伴って、教員免許法上の変更を行うものであります。しかし、学習指導要領は、文部省令である学校教育法施行規則に付随する基準にすぎないものであります。その学習指導要領法律を拘束し国会に法改正を強要するというのは、国会を国権の最高機関と定める憲法に違反する疑いがないのでありましょうか。私は、このことを第一に指摘しなければならないと考えます。  第二に、今回の社会科の解体は、国際化と日本人としての自覚を大義名分に行われたものであります。  しかし、昭和五十二年版の「高等学校学習指導要領解説」によれば、現行科目の現代社会のねらいは、「社会と人間に関する基本的な問題についての理解を一層深め、現代社会に対する判断力の基礎と人間の生き方について自ら考える力を養い、」云々、そして「国際社会に生きる現代の日本人としての在り方について考えさせるところにある」としております。このように、社会科の目標には今日の国際化社会にも通用する理念が存在しておりました。だとすれば、なぜ社会科を解体する必要があったのでしょうか。  伝えられるところでは、教育課程審議会の社会科委員会では大多数の委員社会科解体に反対だったとされております。ところが、社会科委員会が社会科存続のまとめをしようとしていたのを高校分科会の諸澤会長が押しとどめ、結論は高校分科会に引き継がれることとなり、その高校分科会では、諸澤会長の私的委員会として設けられた高等学校社会科教育懇談会が社会科解体の方向性を示したと言われております。全く不明朗な審議経過と言わざるを得ません。  さらに、教育課程審議会の審議が行われている中、当時の中曽根首相が高石文部事務次官を呼び、歴史の独立と世界史の必修を指示したとも伝えられております。また、その後も文部省内では社会科存続の方向で仕事をしていた高校課長が更迭され、高校分科会の委員には文部省から歴史の独立を実現するように圧力が加えられたとも言われております。  このように、社会科解体に至る論議は実に不明朗で、政治的な圧力とそれを代弁する者の意向で進められたと考えざるを得ないのでございます。このことは、学習指導要領の作成協力者であった朝倉上越教育大学教授や平田広島大学教授の辞任、中島文部審議官の辞表提出などの事実からもうかがい知ることができます。  第三の問題は、四十年の歴史を持つ社会科の解体を行うのに、国民的な論議もなく、また、教育現場教育関係者の意見もほとんど聞いていないということであります。  日本社会科教育学会の異例とも言える全役員一致による社会科存続の申し入れが行われた理由もここにあるのではないかと思いますが、これに対して文部省は、学習指導要領作成協力者委員から社会科教育学会の役員を追放し、社会科存続の立場に立つと思われる委員を解任したとも聞きます。このような常軌を逸した事態は、到底、教育をまじめに考えた結果であるとは言えないものであります。  以上、法案の内容に沿って反対の意見を申し述べましたが、今回の改訂学習指導要領は再検討されなければなりません。当然、この法律案もまた撤回されるべきものであります。このことを強く訴えて、私の反対討論を終わります。
  80. 田沢智治

    ○田沢智治君 私は、自由民主党を代表いたしまして、教育職員免許法の一部を改正する法律案につきまして賛成の討論を行います。  本改正案は、学習指導要領で高校の社会が地理歴史及び公民に再編成されるため、教員の免許教科もそれに合わせようとするものであります。この措置は、時代の要請、社会背景を踏まえたものであり、諸外国における教科構成のあり方にも合致する適切な措置と確信するものであります。  その理由の第一は、やがて来る二十一世紀社会の中でたくましく生きる日本人を養成するため、国際性の涵養、公民的資質の育成といった社会的要請にこたえるものであるからであります。  我が国の経済の発展や貿易の拡大などに伴い、諸外国に在留する日本人は激増する傾向にあります。また、我が国に滞在する外国人も、留学生や研修生の増加もあって急増の一途をたどっているのが現状であります。こうした状況の中で、我々日本人は、外国人と心から接することができる国際的感覚、国際協調の精神が求められる時代が到来しているのであります。  しかしながら、貿易摩擦を起こしたり、現地にうまく溶け込めなかったり、外国人留学生が反日感情を持って帰国したりするなど、国際性の欠如に起因する多くの問題が指摘されているところであります。また、我が国の青少年の意識や行動に眼を転じてみますと、余りにも自己中心的で、連帯感や社会形成者としての自覚と誇りが乏しいことも現実でありますり  我が国がこうした課題を克服し、今後とも世界の中で重要な役割を果たしていくためには、世界の国々の異なる社会や文化について十分な理解と認識を持ち、国際性豊かで公民的資質を兼ね備え、世界の人々から信頼される日本人になることが不可欠であります。こうした背景のもとで、従来の社会を地理歴史と公民に分け、世界史を必修にすることは、それぞれの教科の性格や目的が明確になるなど、国際的感覚や公民的資質の涵養に大いに資するものであると思うのであります。  第二は、今回の学習指導要領において社会科は、子供発達段階に応じて適切に統合、分化が図られているという点であります。  すなわち、教科の枠にとらわれず生活体験の中で総合的に学習することが重要な小学校低学年においては社会と理科を統合して生活科が新設され、その後、中学校までが社会、さらに高校においては専門性、系統性に着目して地理歴史と公民に分化させ、大学の専門教育にもつながりやすくしているのであります。  こうした教科の分化によって、狭い専門性に偏ったり、知識偏重の教育に陥ったりする誤りは避けるべきであるのは当然であります。人文科学、社会科学、自然科学の範疇を超えた統合的な学習が必要なことは、何も社会科に限って言うまでもないところであります。  第三には、教員養成の観点からも系統化、分化が望まれると思われるのであります。  御承知のように、高校の社会科教員は、日本史、世界史、地理、現代社会など専門分野ごとに分かれて授業を行っているのが実態であります。それにもかかわらず教員養成課程においてそれら全領域の修得を義務づけているため広く浅くの養成にならざるを得なくなっており、それがまた高校の社会科をおもしろくなくしている一因でもあります。  また、現在、小規模枝や職業高校などでは専門外の科目の担当を余儀なくされておりますが、今回の改正で地理歴史、公民の同系続の範囲での担当に限定されるため、質の高い授業が確保しやすくなっていると思うのであります。  このように、適切な専門分化、系統化は教員の資質向上につながり、社会科教育の活性化にも資するものと確信しております。  以上申し述べました理由から本案に賛成いたしますが、この改正が円滑に実施されその実を上げるように、教員養成の面で、高校の教育条件の面でも最大限配慮されることを心から希望して、討論といたします。
  81. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 私は、日本共産党を代表して、本法律案に対して反対討論を行います。  本論に入る前にぜひ指摘しなければならないことは、本法案の衆参両院での審議及び参考人意見聴取を通し、本案の核心とも言うべき高校社会科の分離について、なぜ地理歴史科と公民科に分けなければならないのかという理由が明らかではありません。そして、どこで審議されたのかについても極めて不明朗で、しかもその審議内容についても明らかにされておりません。それにもかかわらずわずか二日足らずで審議を打ち切ろうとすることに、私は強く抗議をいたします。  さて、本法案についてですが、その内容は、第一に、高校社会科の地歴科と公民科への分離は戦後のいわば民主主義教育の象徴とも言うべき社会科理念を破壊するものと言わざるを得ません。  社会科は、戦前の修身、歴史、地理などが、国家主義思想を一方的に子供たちに注入した非科学的な軍国主義教育子供たち戦争に駆り立ててその犠牲にしてまいりましたことへの深い反省、二度とこの過ちを繰り返してはならないという立場から、関係者がその内容を充実させてきた教科でもあります。憲法教育基本法に基づいて民主社会主権者を育成すること、科学的で総合的な社会の見方を培い、子供が主体的にみずからを取り巻く社会的現実を発展させる能力を養うこと、これを原理としてきた社会科理念を、本法案は文字どおり解体しようとするものと言わなければなりません。  戦後、この社会科を吉田首相初め歴代の自民党政府が一貫して敵視し、指導要領の改悪、高校現代社会などに見られる検閲的な教科書検定によってさまさまな攻撃をしてきたことは広く国民の知るところです。この点は衆議院でも日本共産党の山原健二郎議員が指摘したところでもあります。  政府は、この高校社会科の解体の理由は、新しい時代の国際化に向けて世界に生きる日本人をつくるためと説明されます。けれども、その内容は、耳ざわりのよい言葉とは全く異なるものとなっています。新学習指導要領の目指す世界に生きる日本人とは、例えば小学生に、大日本帝国憲法、日清・日露戦争、条約の改正などによって国力を次第に充実させ国際的地位が向上したことを理解させるため、日露戦争の軍神東郷平八郎を教えるというものです。これは侵略戦争を二度と起こさないという反省を忘れ、戦争賛美へとつながるものと言わなければなりません。  日の丸・君が代も、国際理解や国際協力の教材という形で一層強制しようとしています。戦後の社会科が目指した目標、憲法平和主義に基づいて国際親善に貢献する素地を養う、これと全く相入れないものです。これはまた、教育基本法八条のいう「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」というこの精神に基づいた社会科理念に逆行することは明らかです。  この臨教審教育改革が目指す戦後教育を総決算した世界に貢献する日本人づくりに、私は強く反対であるという意思を表明したいと思います。  第二の問題は、高校社会科を地歴科と公民科に分離することを決定する際、教育関係者など主権者である国民の声を全く無視しているという点です。  戦後四十年、社会科を科学的で総合的な教科とするために研究し、また教育実践を積み重ねてこられた現場の教員、教育研究者、また日本社会科教育学会、歴史教育者協議会、地理教育研究会など最も密接に関係する団体の反対や疑問などの声に、耳を傾けるべきではなかったのでしょうか。これらの意見がほとんど無視され不明朗な形で決定されたことは、関係委員などの辞任問題などからもこれはうかがえるところでございます。  第三に、戦後の広い視野に立つ社会科の教員養成が、専門性重視という名のもとに再び狭い視野に閉じ込める社会科免許制度に解体する危険を指摘しなければなりません。また、地歴科、公民科の免許に必要な修得すべき内容も明らかにされないまま本法案の審議を求めること自体、全く納得できないところでございます。  これらの理由から明らかなとおり、本法案は民主社会形成の主権者をはぐくむことを目指した社会科を解体するものであり、戦後の民主主義教育社会科理念を破壊するものです。したがって、本法案に強く反対をして、私の討論を終わります。
  82. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 他に御意見もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  83. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認めます。  これより採決に入ります。  教育職員免許法の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  84. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  この際、山本正和君から発言を求められておりますので、これを許します。山本正和君。
  85. 山本正和

    山本正和君 私は、ただいま可決されました法律案に対し、自由民主党、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議、連合参議院、民社党・スポーツ・国民連合の各派共同提案による附帯決議案を提出いたします。  案文を朗読いたします。     教育職員免許法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、教育職員の免許と高等学校教育重要性にかんがみ、次の事項について、特段の配慮をすべきである。  一 社会科を「地理歴史」及び「公民」に再編成するに当たっては、知識偏重の教育に陥ることなく、戦後の社会科教育理念を尊重するとともに、国際理解と国際強調の精神の育成について配慮すること。  二 高等学校における教科・科目の設定に当たっては、生徒の様々な学習要求にきめ細かく対応した教育ができるようその条件整備に努めるとともに、教員養成課程が円滑に対応できるよう配意すること。  三 第四次公立高等学校学級編制及び教職員定数の改善計画について、その計画期間内達成を図るとともに、その後の改善計画について検討を進めること。   右決議する。  以上でございます。
  86. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいま山本正和君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。  本附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  87. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 全会一致と認めます。よって、山本正和君提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  ただいまの決議に対し、石橋文部大臣より発言を求められておりますので、これを許します。石橋文部大臣
  88. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) ただいまの決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処してまいりたいと存じます。
  89. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  90. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  91. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) これより請願の審査を行います。  第六三号私学助成に関する請願外二百二十七件を議題といたします。  速記をとめてください。    〔速記中止〕
  92. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 速記を起こしてください。  それでは、第六三号私学助成に関する請願外八件は採択すべきものにして内閣に送付を要するものとし、第七三四号新学習指導要領白紙撤回等に関する請願外二百十八件は保留と決定することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  93. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  94. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  95. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 継続調査要求に関する件についてお諮りいたします。  教育、文化及び学術に関する調査につきましては、閉会中もなお調査を継続することとし、本件の継続調査要求書を議長に提出いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  96. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、要求書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  97. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後一時四十四分散会