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1989-12-12 第116回国会 参議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年十二月十二日(火曜日)   午前十時三分開会     ─────────────   委員異動  十二月十二日     辞任         補欠選任      池田  治君     笹野 貞子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         柳川 覺治君     理 事                 木宮 和彦君                 田沢 智治君                 粕谷 照美君                 山本 正和君     委 員                 井上  裕君                 石井 道子君                 大浜 方栄君                 狩野 明男君                 世耕 政隆君                 会田 長栄君                 小林  正君                 西岡瑠璃子君                 森  暢子君                 塩出 啓典君                 高木健太郎君                 高崎 裕子君                 池田  治君    国務大臣        文 部 大 臣  石橋 一弥君    政府委員        文部大臣官房総        務審議官     佐藤 次郎君        文部省初等中等        教育局長     菱村 幸彦君        文部省教育助成        局長       倉地 克次君        文部省高等教育        局長       坂元 弘直君        文部省高等教育        局私学部長    野崎  弘君    事務局側        常任委員会専門        員        菊池  守君    参考人        東京大学教養学        部教授      木村尚三郎君        横浜国立大学教        育学部教授    市川  博君        武庫川女子大学        文学部教授    梶原 康史君        福島大学教育学        部助教授     臼井 嘉一君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育職員免許法の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付) ○私立学校教職員共済組合法及び昭和六十二年度及び昭和六十三年度における私立学校教職員共済組合法の年金の額の改定の特例に関する法律の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付)     ─────────────
  2. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る七日、小西博行君が委員を辞任され、その補欠として勝木健司君が選任されました。     ─────────────
  3. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として、東京大学教養学部教授木村尚三郎君、横浜国立大学教育学部教授市川博君、武庫川女子大学文学部教授梶原康史君、福島大学教育学部助教授臼井嘉一君の四名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人方々一言ごあいさつを申し上げます。  皆様には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。当委員会では、教育職員免許法の一部を改正する法律案審査を進めているところでございますが、本日は、本案に対し皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  つきましては、議事の進め方でございますが、まずお手元の名簿の順序でお一人十五分程度御意見をお述べいただき、全部の参考人から御意見を伺った後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず木村参考人よりお願い申し上げます。木村参考人
  4. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) ただいま御紹介いただきました東京大学教養学部教授木村尚三郎でございます。西洋史が私の専門でございます。  このたびの高等学校教員免許状に係る教科につきまして社会地理歴史及び公民に改めるという案につきまして、私は賛成立場から意見を述べさせていただきます。  教育課程審議会のメンバーにもさせていただきまして、この問題につきましては終始、賛成意見を述べさせていただきましたが、その趣旨は、現代という時代が大きな歴史転換期に差しかかっているということでございます。  技術文明それ自体が、今、世界的に成熟いたしておりまして、前途がいま一つはっきり見えない。大思想が今どこにもないという状況がございます。そういう中におきまして、過去の人のさまざまな生きる知恵を掘り起こす、そういった意味で、今、掘り起こし時代が来ているということが全世界的に言えるように思うわけでございます。ヨーロッパにおきましても日本におきましても、そのよう意味におきまして、現在、歴史に対する関心が非常に大きくなっている状況でございます。  かつてヨーロッパにおきまして、十四世紀、十五世紀イタリアルネッサンスというものがございました。これもまた、その時代におきまして開墾運動がストップし、人々に食物が渡らなくなり、栄養失調に陥り、ペストがはやる、こういった状況の中で、昔のギリシャ、ローマの人たち知恵を掘り起こす、そしてその時代に生かす、それがイタリアルネッサンスというものであったと思います。ルネッサンスはまさに掘り起こしという意味でございます。  そういった意味では、今また再び全世界的に掘り起こしが必要な時代に来ているのではないか。つまりセカンドルネッサンスのときが来ているというふうに言っていいと思います。どの国も、今、自力だけで未来に向けて自分主義、主張を実現していくという状態ではないはずでありまして、調和連帯、対話と協調というものを一方で求められ、そして、それぞれの地域知恵も必要であり、また過去の知恵も必要であるという意味で、現在セカンドルネッサンス時代、第二の掘り起こし時代が来ているというふうに言っていいと思うわけであります。  つまり、生きる上での常識問い直しといいますか、あるいは生きる知恵掘り起こしというものが、今、大事でありまして、先ほど申しましたように、大思想がないだけに過去の知恵を掘り起こ すということが、今、切実に求められていると思うわけであります。  ところで、現行の高等学校社会科教科書世界史教科書を見ますと、まさに社会科という枠が一つはめられているせいもあると思いますが、全体に社会経済についての記述は非常に詳しいわけですが、肝心の今申しました生きる知恵を掘り起こすための文化あるいは宗教思想、こういった面での記述が極めて乏しい。あるいは技術歴史を掘り起こすという意味での技術史記述も乏しいと思うわけであります。  今、人間の学としての歴史学はまさに諸学の基礎でありまして、もちろん文科系、例えば人文諸科学にとりましても歴史掘り起こしが大事であると同時に、社会科学におきましても概念とか概念操作の方法についてやはり過去からの問い直しが大事でございます。自然科学におきましても、御承知のように、例えば都市工学というものは、かつての日本の町屋の研究などを通しまして、狭い場所にどのようにして自然の太陽を取り入れるかということを、今、研究しているわけでございまして、どの分野におきましても、今もう一度歴史を問い直す、そして新しい常識をつくっていくということが必要ではなかろうかと思うわけであります。  その意味では、やはり社会科の中に歴史研究とか歴史教育というものを枠の中に置いておくということは、今、必ずしも適当ではない、むしろそういったものから外して、歴史、そして歴史と深く関係のあります地理、これを独立教科とすることが必要であるまいかということが言えるだろうと思うわけでございます。このことが、現在大きな転換期の中におきます学問教育の点で、歴史地理というものを新しく社会科の枠からは外してそして独立教科にする、あるいは地理歴史公民とに社会科を改めるということの必要の第一だろうと思うわけでございます。  第二は、現在、転換期と申しましたが、これは日本だけではないわけでありまして、世界じゅうが今そういう状況にございます。ことしはフランス革命二百年祭でございましたが、フランス革命が起こりました二百年前なるものは、カトリックの普遍主義の中から国民国家をつくり出すということが当時の人々の大目標でありました。それこそがフランス革命意味だったと思うわけでございます。今はそれは全く逆転いたしまして、国民国家ヨーロッパの場合には大陸の中に生かす、つまり大陸的な複合国家の中に自分たち国家のありようを生かしていく、そして繁栄を図っていくというのが現代でありまして、その精神のあらわれが一九九二年のECの市場統合ということでございます。  アメリカはもともと複合国家でございますが、ことし一月から米加自由貿易協定によりましてカナダとの一体化が図られ出したわけでございます。どこでも先進諸国大陸型の複合国家の中で自国を生かさざるを得ない。それは先ほど申しましたように、大きな意味技術文明が成熟し、一国だけで未来を実現するということが、今、不可能になってきたからでございます。  日本ももちろん、これから後、国際社会の中に、世界の中に生きていくために、たくさんの友達国をふやし、そしてまた相互依存関係あり方について真剣に考えねばならないというふうに思うわけであります。いかにして日本外交能力を高めていくかということが、多分これからの日本にとりまして一番大きな課題の一つであろうというふうに思います。  そのためにも、ほかの国の生き方特性というものを、我々は今、知らなければいけないわけでございます。中国人たちはどのよう生き方というものをかつての歴史を通して培ってきたか、あるいはイスラムの人たちがどのよう考え方というものを過去の歴史を通して培ってきたかといったことを、今、知らないわけにはいかないわけでございます。  もちろん、一般社会といいますか政治とか経済を通しましてもアメリカとかヨーロッパについてのさまざまな生き方というものは十分に理解できると私も思うわけでございます。つまり、そこでの自由の概念であるとか、議会制民主主義あり方であるとかはもちろん政治経済を通して理解できるわけでございますが、こういった先進諸国以外の国々、今申しました中東は一体何を考えているのか、あるいは中国は一体どういうメンタリティーを持っているのか、ラテンアメリカはどうかという問題になりますと、現在の政治経済を履修するだけでは、実際、十分ではないものがあるように思うわけでございます。  こういったものを実際、今、考える場といたしましては世界史しかないわけでありまして、世界史で初めてその国々あるいはその文化圏におきますところのさまざまな思想であるとか宗教であるとか、あるいは生活態度であるとか、こういったものを履修できるわけでございます。  これまで私どもは、世界の一員として日本人がどのよう公民的意識を持つべきであるかということについてさまざまに教育し、また議論をしてきたわけでございます。しかしこれからは、今まで私たちが未知といいますか余りよく知ることのなかったさまざまな国々一つ一つにつきまして、それぞれそこでの生き方を考えた上で、これからのおつき合いの仕方、相互依存関係相互扶助関係というものを新たにつくっていかなければならない。先ほど申しましたように、そういった国家間の新しい形での調和連帯時代が、今、始まりつつあるわけでございます。  国民国家時代から、新しい、世界の中で国民国家を生かしていく、こういった時代へと、今、移りつつあるわけでありまして、私たち歴史にとりましてもまさに明治以来と言っていい大きな歴史的な転換期が来ているのではないか。それは同時に新しい常識の形成ということでありまして、これまでの公民教育を受けまして、それを新しい常識の場の中でさらに生かしあるいは発展させていくということが、今、望まれているように思うわけであります。  その点から申しますと、やはり世界史というもの、これをこれから重視していく必要が大いにあるだろう、それ以外に高等学校におきましてさまざまな諸地域常識を履修する場はほかには十分に見当たらないのではないかというふうに思うわけでございます。  ところで、歴史教育は今まででもそれなりに重視されてきたわけでございますが、これからのあり方といたしましては、小学校では、まず地元の地域地理歴史を重点に置きまして、同時にまた近代日本を形づくるに当たりまして功績のありました人物などを履修する。中学に入りますと、今度は日本全国の成り立ち、そして今日に至る過程、これを教え、そしてそれとのかかわりにおきまして、特に十六世紀、十七世紀以降の世界の動向もある程度教えていく、これが中学校だろうと思うわけであります。  高等学校になりますと、今度は世界地域のさまざまな成り立ち、そしてそこでの考え方特性、こういったものを学ばせ、そしてそれを通して日本の私たち生き方特性というものをはっきりさせる、外側から日本特性をはっきりさせ、同時にこれからの相互依存関係のありよう生徒に考えさせていくというふうになるのではないかというふうに私は考えているわけでございます。  その意味におきましては、世界史というものを本格的に習う場所高校しかないということになりますので、この際、今これを必修ということにさせていただきたいということでございます。  もちろん日本史は私たち日本人にとりまして一番大事なものでございますが、しかし、小学校中学校におきまして概略を習ってきているということがあるのに対しまして、世界史の方はどちらかというと人名、地名等なじみのないものも多く、今のまま選択としておきますと新しい常識をつくる上で欠けるよう教育になるのではないかということでありまして、世界史の方が日本史よりも重要という意味ではございませんが、今まで必修に当たるものが世界史についてはありませんもの ですから、世界史必修とさせていただくことが大事ではないかというふうに思うわけでございます。  全体といたしまして歴史勉強するに際しましては、地理的な素養といいますかあるいは知識といいますか、これは不可分でございます。もちろん地理の方からいたしましても歴史的な理解の中で地理というものを学んでいくということが不可分でありまして、もともとフランス歴史研究というものはまさに地理歴史一体となったものでございます。  全体に、アメリカを除きますと、今、高等学校におきまして歴史という教科独立に扱いますのはソ連も含めてヨーロッパでは一般的でございます。したがいまして、大きな歴史転換期の中におきまして、歴史そして地理というものを教員免許法におきましても独立させたものとし、そして教員のより専門性を高めていくということが、今まさに歴史転換期であるからこそ求められているのではないかというふうに思う次第でございます。  十五分でございますので、一応、私の意見を述べさせていただきました。  ありがとうございました。
  5. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 木村参考人、ありがとうございました。  次に、市川参考人にお願い申し上げます。市川参考人
  6. 市川博

    参考人市川博君) 横浜国立大学社会科教育研究教育に当たっております市川でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  私は小学校二年生のときに終戦を迎えまして、それ以降、戦後の新教育のもとで育てられ、大学入学後は社会科教育研究を一貫して続けてまいりました。そして昨年度は勤務校教育学部教務委員長を努め、入学試験責任者としてその問題の対応にも当たってきました。また今年度は、新教育職員免許法の施行に対応するために本学の教育学部のカリキュラムの再編成をどのように行うかについてずっと仕事をしてまいりました。  そうした経験を踏まえましてこれから私の意見を申し上げたいと思いますが、生徒にとって学習とは何かという根源にあくまで立ち戻って申し上げたいというふうに思っております。  さて、この法案は、高等学校の従来の社会科教科構造を根本的に変更して地歴公民に分化し、教科として独立させて教育ようとするもので、教育上多くの大きな疑念があり、非常に大きな問題点があるのではないかという立場から申し上げたいというふうに思っております。  そこで、先生方にあらかじめ資料をお配りいたしましたけれども、それに沿いながら、大きく五つの柱に分けて話をさせていただきたいというふうに思っております。  その第一の柱は、社会科意義についてでありますが、今日、戦後教育の総決算として社会科がやり玉に挙がっておりますけれども、私は今日でも、いや、今後ますます、社会科高等学校段階でも教育基本的理念を体現するものとして重視されていくべきだというふうな考えでおります。  社会科が正式に成立したのは一九四七年、昭和二十二年の三月でありますが、その契機はGHQの下部機関であったCIE指導にあったことは確かであります。しかし、日本側にもかつて教育遺産としてそういう社会科の理論と実践が積み重ねられてきておりますし、また戦前教育についての反省から、やはり新しい教育一つの方向として社会科が、主体的に日本の方からも考えられていたのではないかというふうに考えることができます。  その戦前教育についての反省につきましては、お手元資料の②にありますけれども、戦前教育は、青少年に与えていた知識学問の成果に立脚していたかどうかいろいろ検討の余地はありますけれども、少なくともいわゆる学問知識の注入を図るものだったということ、また、知識自分なりに統一して個性的に把握していきながら、状況を的確に分析、理解し問題解決に生かしていく力として育てることができなかったという反省であります。  それからいま一つ戦前遺産についてでありますが、社会科は戦後あらわれたというふうに、またアメリカによって押しつけられたと言う方もいらっしゃいますけれども、実はそうではなくて、その原点は既に明治の二十年代の末から三十年代以降に、そういう社会科原点とされていいものが理論的に実践的に高められてきたというふうに考えられております。③のbに挙げている樋口勘次郎とか、木下竹次の「学習原論」、それから生活つづり方運動とか国民学校下総合学習、そういうものによくあらわれているのではないかと思います。  しかし、そういう社会科原点に当たるものがいわゆる軍国主義的で画一的な教育のために開花できなかったわけですけれども、戦後になってやっとそれが可能になった。だからこそ、文部省公民科のためのプランづくりをした勝田守一らの原案が、CIEによって、余りにもアメリカのソーシャルスタディーズに似ていると評価されたことが契機となって社会科が成立してきたわけであります。こうしたことも私たちとしてはきちっととらえておく必要があるのではないかしらというふうに考えております。  そして、そうした立場に立って新しい社会科が新教育の花形として登場してきたわけであります。それは一言で言うならば、学問系統よりも教育系統ということが重視されてきたというふうに考えることができます。  それは具体的にはどういうことであるかといいますと、昭和二十二年の学習指導要領に出ていますけれども、「社会科はいわゆる学問系統によらず、青少年現実生活の問題を中心して、青少年社会的経験を広め、また深めようとするものである。したがってそれは、従来の教科寄せ集め総合ではない。」ということで、青少年日常生活そのものを充実させるということであります。その下の引用のところにありますけれども、「その日その日の生活それ自身が、もっと人間らしいものへという追求」が必要であるということ、これは今日においても非常に大切なことではないかというふうに思っております。  登校拒否とか非行とか、教育の荒廃が叫ばれておりますけれども、まさにこの原点を私たちはもう一回再確認し、またそれを具体的に教育の場で明らかにしていく、また実行していくということが大切なのではないかしらと思います。  旧来のように、学問の体系に即して教育を行うということでは生徒は育たないわけであります。これも昭和二十二年の学習指導要領に、「別々な教科で教え、その結果、生徒自分の力でいろいろの材料を総合して全体を理解できるようになるのは、、限られた経験しか持っていない生徒にとってはほとんど不可能な仕事である。」とありますように、系統的にということは地歴科ができる大きな理由になっておりますけれども、やはりそれは高等学校生徒においてもまだ難しいのではないか。大学に行っても最近の大学生で本当にできるかどうかわからないと思うのですけれども、ともかくこれは非常に難しいことである。もっとそれよりも子供たち問題意識に即した形で教科編成を行うべきではないかというふうに考えております。  その今の生活そのものを充実させるということによって、将来への生きる力、また学問する力というものが育つのだというのが社会科原点であります。同時に、これは今日もますます尊重していかなければいけないことではないかしらというふうに思います。  そういう視点から、今度は第二の柱、高校社会科意義の方にいきたいと思いますけれども、ここでは高等学校社会科意義、また地歴公民科に分化した問題について話をしたいというふうに思っております。  選択になってしまった現代社会でありますけれども、これは今日においても社会科理念を体現するものとして非常に大事なことではないかしら と思います。  その重要であるということにつきまして私は五点に分けて話をしたいと思うのですけれども、一つ現代社会について豊かな知識体験を獲得するということ、これは非常に大切なことです。そして二番目に、その豊かな知識体験をもとにして生徒関心問題意識を喚起する。そして三番目として、その上に立って二年次以降の諸科目学習視点問題意識というものを育成する。自分は例えばフィリピンのバナナ栽培のことを学んだがいろいろ大きな問題がありそうだということから、経済勉強をしたり地理勉強をしたり、または歴史勉強をしたりするというような形のやはり問題意識の喚起ということが必要ではないか。  それからまた、四番目に、問題解決に必要な知識能力教科科目の枠を超えて獲得し生かしていく力、単に教科だけの勉強をするのではなくて、それを総合していく、統合していくという力が非常に大切なのではないかというふうに思います。それから五番目でありますけれども、わからないものを執拗に追求していく力であります。最近の学生を見てみますと、難しい問題をどうも逃げてしまう、そういう傾向があります。ちょっと考えさせたりすると頭が痛くなったとか、わからない問題に入っていくと泥沼に入っていくようで怖いとか、そういうことを学生が言っております。それはやはり高等学校段階までの、社会科だけではありませんけれども、教育に大きな問題点があったのではないかというふうに思います。  今、私が申し上げましたのは現代社会のことについてでありますけれども、これがやはり社会科全体に貫かれていくべきではないかというふうに思います。しかし、そういう現代社会学習した上における科目ということは必要になってくるわけでありますけれども、このたびそれを地歴公民科という形で新しい教科として独立させた。しかしどうも学習指導要領を読んでみましても、どうして地歴科ができたのかそれについての納得のいくような回答とか、それがどうも明確になっていないようであります。  また、諸沢氏の「現代のエスプリ」二百五十一号の発言を見てみましてもこういうことをおっしゃっております。これは多分懇談会でいろいろ問題になったところだと思いますけれども、林健太郎さんの後でこのように言っています。地理歴史が大切なんだということに対して、   その点については、審議の過程ではあまり地歴一体を主張するとかえって社会科存続論を強化させることになるのではないかと思いました。時間と地域といいますが、やはりその中の政治経済もみんな結びつきがあるという意味においては、一つのグループにしてなぜ悪いのだと、今の通りで目標をもう少しはっきりすれば、社会科だっていいわけではないかということになりかねないと思いました。 ということでこれを余り触れなかったとおっしゃっております。  まさにここに諸沢さんの苦しみがあったのではないかというふうに私は考えております。私もまさに、社会科の中で、今、木村先生のおっしゃったことだって十分できるのではないかしらというふうに考えております。  そしてまた、世界史必修にするということでありますけれども、どうも教科の論理が先行している、科学の論理が先行してしまう、知識を与えればいいではないかという論理があるようでございます。やはり「現代のエスプリ」で林健太郎さんと諸沢さん両方とも、ともかく知識を与えておけばそうすればそれが視野を広げていくのだというふうになっておりますけれども、果たして本当にそうなんでしょうか。  私はそうとは思わない。かえって問題意識を喪失させてしまう、または問題を解決する力を喪失させてしまうのではないかしらというふうに思っております。これは「世界」の十一月号で私が、新潟大学社会科教育研究室の調査をもとに、知識を与えれば与えるほど歴史への関心が低くなってきているということを紹介させていただいたところでもあります。  それから第三番目の柱として、地歴公民が分化したことによる教育現場への影響であります。  それは幾つかあるのですけれども、まず、小規模校、それから商業や工業などの職業を主とする高等学校、または定時制、こういう学校においては相当困ってくるのではないかしらというふうに思っております。中学校でも今、免許状を持たない教科で授業を行っている先生が一三、四%いるというふうに言われております。教科が分かれれば分かれるほど学校の現場でそれに対応するのは非常に難しいわけであります。  そのことについても「現代のエスプリ」で、そういう現場の声もあるけれどもそれは大したことはないんだとおっしゃっていますが、私はやはり現場の混乱を起こさないで行うということが非常に大切なことではないか、教育を充実させるためにはやはり先生方教育しやすいような体制をつくっていくということが非常に大切なことではないかというふうに考えております。  また、いわゆる学力の低い生徒が入学している高等学校におきましては、ただ自分世界史が得意だから世界史だけやっていればいいというわけにはいかなくなっている、また地学が好きだから地学だけやっていればいいというわけじゃない、やはり自分の得意なところではなくても全科目、それからまた学年持ち上がりで、高等学校一年生から持ち上がっていかないとクラス経営ができない、生徒をきちっと掌握できないということを私は何回かそういう高等学校からお聞きしております。  そういうことを考えますと、やはりこのよう教科を分けるということは教育上大きな問題があるのではないかというふうに思っております。  それから四番目の柱でありますけれども、このたびの社会科の解体というか地歴公民科への分化、これは決定のプロセスに非常に大きな問題があったと言わざるを得ないのではないか。  それについてはマスコミその他でいろいろ紹介されておりますし、また、私たち社会科教育学会、私もその一会員でありますが、その学会とか地理教育学会とかその他の学会から、また現場からもいろいろ意見が寄せられておりますけれども、やはりそういうことについてももう少しお聞きいただいて慎重な審議が必要だったのではないかしらというふうに思っております。  また、私は、先ほど申し上げましたように教免法の改定に伴うカリキュラムの再編成大学で行っておりますけれども、非常に大きな問題点を抱えております。そういう点でもう一回これについては再検討していただきたいというのが私の意見でありまして、このたびの法案についてはやはり大きな疑義があるということを申し上げたいと思います。  どうも失礼いたしました。
  7. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 市川参考人、ありがとうございました。  次に、梶原参考人にお願い申し上げます。梶原参考人
  8. 梶原康史

    参考人梶原康史君) 梶原でございます。  私は、今回の教員免許法の改正がスムーズに行われますことについて賛成する立場から意見を申させていただく次第でございます。  私は高等学校教員生活を十四年間やりまして、その後、教育委員会指導主事をやりましたり事務局の中の課長とか次長をやってまいりました。現在、大学におきまして教育系の学科を教えているわけでございますが、昭和二十四年から三十八年にかけて私が高等学校社会科を直接教えておりましたときの経験から申させていただきたいと思います。  社会科というのは、先ほどからもお話のありましたように、民主社会における正しい人間関係というものを理解させていく、そして有能な社会人として必要な態度とか能力、技能等を身につけさせるのでございまして、従来の公民とか地理歴史等の教科をただ寄せ集めてやっていくというだ けではなくて、それをうまく融合して、そして生徒がその中から社会的な良識といいますか社会認識を身につけていく、そういう総合的な性格を持った教科と承知しているわけでございます。  そういう教科としての社会科の中で、一般社会とか世界史とか日本史というものを卒業したての私が教えていったわけでございますが、その場合、例えば世界史をやっておって、本当に子供たちの理解を深めさせていく、子供たちが本当に興味づいてくれるというところに持っていきますためには、どうしてもその教科の中に、歴史系統、あるいは地理なら地理の、例えば気候なら気候区分のそういう広い視野からのものを基盤に据えてやらないというと、子供たちの納得がうまくいかなかったわけでございます。  このことは、単に歴史の分野だけではなくて一般社会におきましても、一般社会は比較的この目標に迫りやすいので私も案外その点はやりやすいなと思ったのでございますが、中を考えていけばいくほど、経済学とか法律学とかあるいは歴史学とかといったものなどのそういう基盤を十分に私の方が持っておって、そしてそのことを子供たちの方にぶつけていくのでなかったら、高等学校子供たちというのは本当にそういう教科に対して親しんでくれないなという気持ちをつとに持ったのでございます。  その後、私は、先ほど申しましたよう昭和三十八年から指導主事として県下の高等学校先生方とも接する機会がございまして、私のこういう考えというのはどうなのだろうということでいろいろと話し合いをいたしますときに、ほかの先生方もそういうことにおいて疑問を持っておる方もいろいろとございましたりするものですから、それでは、私も所属しておりました当時の高等学校社会科研究会でこういう問題についていろいろともんでいったらどうだろう。  もう一つ、この社会科研究会のほかに高等学校歴史教育研究会とか地理教育学会といったものなんかがあるのでございますが、そういうことで学会が分かれておるからうまくいかないのじゃないのか、学会というもの、学会といいますか教育研究会というものは一つになっていって、そして大同団結の中で社会科の中身をいろいろと見ていくべきじゃないかということを提唱いたしまして、指導主事としての立場上いろいろと先輩たちに申し上げ、当時の会長さん方にもお願いしたりしたわけでございますが、ところがやはりそれはお家の事情というのがございましたのでしょう、うまくいきませんでして、結果どうにもならなかったわけでございます。  しかし考えてみますというと、高等学校というところはそういう教科というくくりと同時にもう一つ、むしろ科目の性格というものが強くあるように思うのでございます。この辺のところかどうも私には、社会科というものを担当しておきながら腑に落ちないというか、うまくまとめていけない課題でございました。  ところが、指導主事でございますから中学校の方も見るのでございますが、中学校は、地理的分野、歴史的分野、公民的分野と分かれてはおるのですが、その分かれておる中に、社会認識とか正しい人間関係というものを貫いていくいわゆる社会科としての精神をうまくまとめておるのでございます。  それでは中学校よう高等学校が分野的な扱いでいけるかとなりましたときに、先ほど私が申しましたように、高等学校生徒というのはかなりそこのところが、何も程度を高くするというのではありませんが、グラウンドの広いしっかりした基盤の上に立って物を見ていくということをしてやらなかったら子供たちは納得しないということを私は痛感した次第でございまして、中学校社会科の成立のあり方というものについては、これは十分に考えなきゃならないというより、むしろこれはよくできておると私は考えるわけでございます。  それから私は五十一年から義務教育課長として小学校のカリキュラムを見ることになったわけでございます。この五十一年という時期は現行の学習指導要領ができ上がってくるときでございます。したがって、その当時の小学校のカリキュラムを見ますと社会科というのは、低学年において身の回りの生活からそして身の回りの人たちの暮らしというものを見ていって、それからだんだんと市町村あるいは都道府県のそういう政治とか経済的な仕組みというものに触れていって、そして郷土の産業とか歴史にかかわりながら国の産業とかあるいは国の成り立ちというものなんかを見ていくというように、実にその構成が発達段階に即してうまくできておる。  社会科が言っている総合的に物を見ていくという見方も、歴史とか地理とか公民とかいったよう一つに偏るのではなくて、本当に融合して、子供がその中に座り込んで、自分を中心に据えて物を見ていくという見方が本当によくできておるなという感じを持ちました。これこそ私は本当の社会科だ、私が愛すべき社会科だという感じを持ったものでございます。  ところがその当時も、実はそうとはいいながら問題があるわけでございまして、だんだんとそういう社会科も机上の社会科になりつつございました。社会科というのは本当のところ、人間というものがどういう暮らしをしておるか、どういう関係にあるかということを事実に基づいて観察し調べて、そこから物事を見きわめていく目を育てなければならないわけでございますが、だんだんとこれが机上化していっている、教科書だけで学んでいっている。  ということになりますというとこれはゆゆしい問題だと。だから、覚える社会科じゃなくてもっと足を運んで調べる社会科、観察する社会科にしなきゃならない。となりますというと、それこそ低学年においてしっかりと自分たち生活にかかわっていく、自分たち経験を生かしていく、そういう社会科を本当に考えなきゃならない。  そうなりまして、これは後のことになりますけれどもコミュニティー生活科が誕生いたしました。そして身の回りのそういう物事の見方、あるいは人々の暮らしというものなんかを率直に見ていくという中で、自己を中心に据えて、自分とのかかわりにおいて物を考えていく考え方、そういう自立性の基礎がここにつくられていくということは、本当にこれは時宜を得たといいますか、要を得たねらい方である。だから、生活科ができて、これによって社会科というものがこれから存立していく基盤あるいは土壌ができ上がったということで、私はその意義を感ずるものでございます。  さて、その後、教育次長ということなんかをさせられたものでございますから、小学校中学校高等学校学習指導要領全体に触れながら、先生方の御授業なんかも見せてもらう、また勉強しなきゃならないということが起こったわけでございます。  その際に、中学校公民の分野というものと高等学校現代社会というのが、公民は三年生で、現代社会高等学校一年生と非常に接近した中で行われるのでございます。だからやっていきますときによく高等学校の方から、これは親たちからも言われましたり先生方からも聞いたり、いろいろと意見があったわけでございますが、高等学校現代社会というのは中学校公民の焼き写しなのか、復習なのかとか、あるいは中学校の方がおもしろく展開できたけれども高等学校というのは何でこんな羅列的なことばかりやるのだとか、あるいはもう少しその中に本当に高等学校にふさわしい系統的なものなんかを入れられないのかとか、いろんな意見が出てきたりした次第でございました。  しかし、この現代社会というのは高等学校で各科目を学んでいきます一番の基礎として、その総括的な立場を踏まえそれをもとにしてそれから高等学校の各科目がずっと展開されていくのでございますから、そういう意味から申しましたらこの現代社会の持っておる意味は大きく取り上げなきゃならない。ところがその現代社会というのが中学校の三年生の公民科と非常に接近した中身に なってくるというと、そこのところのいわゆる発達段階に即した物の見方というのが果たしてどうなっておるのかなということが、私にとってみましたら一つのやはり疑問として残るのでございます。  そういうことなんかを踏まえて考えてみますときに、カリキュラムというものは、学問の論理ではなくして教育の論理として、子供の総合的に物を見ていくという段階から、だんだんと大きくなっていくにつれてそれが分化していって、そしてその中に徐々に専門的な内容が入っていくのが、私はこれが教育の論理に踏まえられたところのカリキュラムではないのかということを思うのでございます。子供の発達段階ということを基盤に据えて物事を考えていく、これが私は教育の上で一番大事だと考えるものでございます。  そうして考えますと、中学校のあの分野別の上に立って、今、科目別になっておる高等学校のその科目をもう少し、どう言いますか、系統化といいますかあるいは専門性といいますか、そういういわゆる裏づけというものをしっかり持たせて、子供たちが学んでいく上で興味づいていく、あるいは中身を本当に十分に理解していける、そういう体制をこそとるべきではないかというように考える次第でございます。  とするならば、今までずっと社会科という帽子をかぶってまいりました。その帽子は子供のときには好きだ、大事だ、きれいだ、いい帽子だと思ってかぶっておりますけれども、高等学校段階ではもう頭が大きくなってきておりますからちょっと上に乗っかっただけである。とするのだったら帽子を取って、そのかわりに、社会科の中で築かれてきました公民的資質に先ほど申しました系統的な、あるいは専門性を生かすようなそういう中身をしっかり盛り込んでいく。  先ほどいろいろ出ておりましたけれども、今の子供たちにとって社会認識の非常に大事なときでございますから、したがって公民的資質はより一層充実していかなきゃならない。一方、世界的に国際化が進んでいっておる中でございますから、そういういわゆる人文科学の中に関する知識についてといいますか学び方についても、あるいはそれをもとにした態度形成というものなどについても、今しっかりと子供たちがやっていってくれなきゃ困る。高校生が身につけてくれなきゃ困る。  ですから、社会科学的な内容あるいは人文科学的な内容というものは、この際、分けておいて、そしてそのかわりに、何も私は専門性によって程度の高いものをせよと言うのじゃなく、本当にそういうものの裏づけを持った教科の中身、科目の中身というものを構成していく必要があるということを考える次第でございます。そのことは国際化が進んでいきます時代的な要請でもございますし、一方また、今日の社会というものが非常に社会認識を大事にしておる時期でございますから、その面からの要請でもございます。  そしてこのことは教員の養成という点から考えましても、社会科はいろいろな学問のそういう裏づけというものを背景にしておりますから、社会科先生方というのは非常に御苦労です。法律知識経済知識も、あるいは歴史学の内容も地理学の内容も、そういういろいろなものを含め、特に先ほど申しました社会科学と人文科学の両方を踏まえてやっていらっしゃるのですから本当に御苦労です。ですから何とかこの際二つに分けてあげて、そして本当に専門性を生かして授業に臨んでもらえる先生をつくってこそ私は教育行政上の意義を持つだろうと思うのでございまして、そういう立場から今回の法律案の改正について賛成するものでございます。
  9. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 梶原参考人、ありがとうございました。  次に、臼井参考人にお願い申し上げます。臼井参考人
  10. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 福島大学教育学部の臼井と申します。  社会科教育を主な研究領域としておりますが、とりわけ社会科教育内容、カリキュラム編成について関心を持ち続けておりまして、ちょうどこの十二月に学文社という出版社から「社会科カリキュラム論研究序説」という著書を出しました。また、現在、教育学部に勤務していることなどで、大学における教員養成教育の充実発展についても深い関心を持っております。  本日は、教育職員免許法の一部を改正する法律案に対し反対の立場から、大きく四つの柱で私の意見を申し述べさせていただきたいと思います。  第一の柱は、世界史重視・専門性重視と高校社会科とのかかわりについてでございます。  改訂学習指導要領においてもこの世界史重視・専門性重視が強調され、それゆえに地理歴史科、公民科という新しい教科が設置されるということでございますが、私はこの世界史重視・専門性重視についてはそれ自身もっともなことだと考えておりますし、そしてまた今後、充実発展させるべき点であると考えています。例えば昭和二十四年の高校社会科出発時に、昭和二十二年の指導要領では、日本史が欠落し、東洋史、西洋史、人文地理となっていたのに対しまして、東洋史と西洋史を統合して世界史を新設し、日本史も新たに加えて、世界史日本史、人文地理として始まっておりますが、その世界史重視・専門性重視の立場は今日まで続いておると考えております。  ただし現行の昭和五十二年・五十三年改訂版では、内容の精選ということで、小学校六年では世界地理が削除され、中学校歴史分野が日本史中心に精選され、高校では世界史選択必修から外され現代社会のみの必修となったことで、確かに世界史重視の立場がやや後退しましたが、それも高校社会科そのものの問題ではありません。なぜなら、世界史という科目高校社会科の中に存在していますし、それを必修にするということができるからでございます。  また専門性重視に関しましても、例えば昭和三十一年改訂版の日本史世界史、人文地理の部分で次のように述べられております。まず日本史では、「中学校よりも程度の高い歴史知識を与え、日本史をより深く、科学的、系統的に理解させる」とありますし、世界史でも、「中学校におけるこれらの学習の成果をじゅうぶん生かしながら、世界史をより深く、科学的、系統的に理解させ」とあります。さらに人文地理でも、「人文地理学を主とする関係科学の業績を背景に、より深く、系統立てて理解させる」となっております。すなわち、小学校中学校段階とは異なる高校段階独自の専門性重視についても、小学校中学校と異なる世界史、人文地理などの設置というように、高校社会科において強調されていたと言えます。  したがって、今回の改訂学習指導要領で強調されております世界史重視・専門性重視は、世界史日本史、人文地理などの系統学習というよう高校社会科そのものが内在的に持っていた観点でありまして、決してそのことのみの理由で地理歴史科、公民科への分割を根拠づける観点とは言えないと思います。ただし、申し上げるまでもないところでございますが、そのよう日本史世界史あるいは人文地理などの内容をどのような内容にするのかということは、今までも検討されてまいりましたし今後も検討する必要があるということは言うまでもありません。  第二の柱は、今日までの高校社会科社会科として存在してきた基本原理は何かということでございます。私は、その基本原理を次の二点でとらえております。その一つは、地理的、歴史的、公民的諸領域の相互関連づけという原理であります。そしてもう一つは、子供を取り巻く社会的現実、社会的問題を多角的に学習するという原理であります。  前者の地理的、歴史的、公民的諸領域の相互関連づけという原理は、社会関係学問を、いわば系統的のみならず総合的にも内容編成し子供に教授していくという成果を積み重ねてまいりましたし、また、後者の子供を取り巻く社会的現実、社会的問題を多角的に学習するという原理は、子供自身に自分の身の回りの社会的現実、社会的問題に目覚めさせ、自分自身の力でその実態を調べさせ ながら自分自身の考え方を形成するという主体性をはぐくんできたと言えます。  私は、以上の二つの原理が、社会科においては教育基本法の要請する国民主権を担う主権者の育成を保障してきたのではないかと考えております。かかる観点からしますと、今回の地理歴史科、公民科への分割は、地理歴史領域と公民領域の相互関連づけを分離するという点で第一原理に背きますし、子供自身に社会的問題を主体的に学習することを保障してきた科目現代社会地理歴史科から切り離し公民科科目に限定したりその必修制を取り外したことは、第二原理に背くのではないかと思います。その点では、社会科から地理歴史科、公民科への変更は、高校社会科の解体と言っても過言ではなかろうと私は考えております。  第三の柱は、従来の社会科あるいは今日の社会科における科目構成と、今回の地理歴史科と公民科における科目構成の違いについてでございます。  私はその最も大きな違いは、ただいま申し上げました二つの原理、すなわち地理歴史公民諸領域の相互関連づけの原理と、子供を取り巻く社会的現実、社会的問題を多角的に学習するという原理に基づいてなされているかどうかということでございますが、それにつけ加えてもう一つの原理について申し上げたいと思います。  それは高校社会科全体の構造的特徴に関することでございますが、さきに申し上げました子供を取り巻く社会的現実、社会的問題を多角的に学習するという原理に基づく現代社会よう科目を中核として、それとのかかわりで社会関係学問系統学習が組み立てられているという原理でございます。すなわち、現代社会という高校生を取り巻く社会的現実、社会的問題を高校生自身が主体的に学習することを大切にしながら、それとのかかわりで、世界史日本史地理政治経済、倫理の系統的な学習を進めるという構造でございます。このような構造的原理を踏まえることによって、高校社会科において社会関係学問系統的に、なおかつ相互関連的に学習することが保障されるものと私は思います。  第四の柱は、大学における教員養成教育の充実、発展という点に関してであります。ここでは二つのことに限定して述べさせていただきます。  一つは、社会科教科専門科目教育において、社会科という総合教科を意識した上での総合教育の努力や、社会科教育法での歴史地理公民領域の関連づけへの総合的努力というものが、今回の改正においてややもすると無にされかねない効果を生み出さないかということでございます。私どもは、単なる個々の学問のみにとどまらない総合化への成果を少しずつ生み出すことによって広い視野に立つ社会科教員を養成し始めてきておりますのに、今回の措置は、専門性重視の名のもとに再び古い殻に閉じこもっていくおそれなしとは言い切れなくなりそうでございます。  二つ目は、地理歴史科と公民科の新設によって、今まで他教科と同じく中学校社会科のみで高校社会科の免許も同時取得が可能であったのが、別教科になることによってそのことは不可能となり、中学校社会科教科専門科目四十単位に加えて地理歴史科の四十単位と公民科の四十単位が加えられ、あわせて、社会科教育法に加えて地理歴史教育法と公民科教育法が純増することによって、学生教員の大きな負担増が生じることになります。  特に教員はこの新しい事態での人員増が必ずしも見込まれていない状況で、甚だ遺憾な状況に陥ると思われます。結局は特定の教員の負担増に終わるのかと思いますが、果たしてそのような人員増を含めた条件整備の不十分なままで真の教員養成がなされるのか、心配な状況でございます。したがって、大学にいる立場からも今回の教科名変更は望ましいものとは言えず、できるだけそのことを避けてほしいと願っております。  以上、四点にわたって参考意見を申し述べてまいりました。以上で私の意見陳述を終わります。  どうもありがとうございました。
  11. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 臼井参考人、ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取を終わりました。  これより質疑を行います。  なお、参考人皆様に申し上げます。  各委員の質疑時間が限られておりますので、恐れ入りますが、お答えはできるだけ簡潔にお願い申し上げます。  それでは、質疑のある方は順次御発言を願います。
  12. 小林正

    ○小林正君 年末の大変お忙しいときに私どものためにおいでをいただき貴重な御意見を賜りまして、大変ありがとうございます。幾つかの点についてお尋ねをしたいと思います。  まず、どなたもお触れにならなかった問題として、今の大学入試へ向けてのいわゆる高校の受験体制というものが、社会科教育とかかわって、今日までどういう影響を社会科教育はこうむってきたのか、その点について各参考人から手短にコメントをいただきたいと思います。
  13. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 高校社会科におきましては、私は歴史が商売でありますが、ともかくも一応、基礎知識をすべて学ばねばならないという点が中心になっておりまして、したがいまして、先ほど申しました例えばキリスト教の問題であるとか、あるいは文学についての動向であるとか、そういったことの中身には入れないということがございます。つまり、形は記憶するのですがしかし、例えば世界史の中でのそれぞれの国とか民族の心といいますか、こういったものまでは、今、踏み込めない状況ではないか。いわゆる知識偏重といいますか、こういったことが現在の体制では強いられているように私には思えます。  以上でございます。
  14. 市川博

    参考人市川博君) 急なことであれですけれども、一つは、やはり共通一次試験の問題点があるのではないかしらというふうに思います。それまでは各大学で独自に試験問題を出しておりました。例えば東洋史の古代の先生が非常にそろっている大学では古代を中心に出したり、あるところでは近代史を出したりする。それぞれの大学の独自性が確保されていたのじゃないか。受験生もそれに向かって、自分は古代史をやりたいとか近代史をやりたいといってそこに行けた。ところが今度、共通一次、また新テストになりますとそれが不可能なんですね。  そういう特殊性が出せなくなって、ともかく単に知識を覚えるということになってしまっている。従来ですと、採点委員先生方の努力によりまして記述式の試験もできたわけでありますけれども、そういうことができなくなってしまっている。  それからあと三番目に、その記述式の試験と重なってきますけれども、考える力というものを試そうと思ってもそれができないということが大きな問題ではないか。  ともかく共通一次という知識中心のあの関門を通過しないと次のところに行かれない、それが非常に大きな問題じゃないかと思います。記憶力のいい者、わからないけれどもともかく記憶してそれを書いてくる、そういう生徒が有利なよう教育、そこら辺に大きな問題点があるのじゃないかと思います。  私たち大学でもいろいろ問題になっていますけれども、共通一次になってから悪くなったという意見が随分あります。やはりそれは高校以前の教育が共通一次のそういう体制の中に丸め込まれてしまっている、がんじがらめにされているというところに大きな問題があるのじゃないか、こういうように思っております。
  15. 梶原康史

    参考人梶原康史君) 大学の入試問題の質というものがいろいろと影響するわけでございますが、多くの場合、どちらかと申しますと知識の断片的なものといった、言葉が悪いかもしれませんけれども、それに類するような問題といいますかそういう性格が出てきておりますものですから、そのことのために、つい記憶中心的な学習になり がちであるというような欠陥を招きかねない。  本来、社会科が今までとってきました学習あり方というものは、もっと社会認識といいますか、それを考えていく力というものを持たさなければならないのでございますから、そういう点から見ていきますというと、問題が非常に出しにくい点もあるのじゃないか。  したがって、今度は逆に、先ほど申されました共通一次じゃなくて大学における二次の問題なんかによって、エッセースタイル的な形において問題を出していこうという傾向があるように見受ける次第でございます。
  16. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 受験体制と社会科ということで申し上げますならば、受験体制の中で知識を単なる知識として受け身的にとってしまうというような問題と、そしてその知識が非常に断片的な知識にとどまってしまうというような問題があると思います。そしてなおかつ、受験に役立つこと以外は捨て去ってしまうというよう状況も生まれてきているように思います。  とりわけ共通一次試験の中でこのような問題の一番の反映として私は考えておりますのは、先ほど申し上げました現代社会という高校社会科の中の最大の魂として設けられたものが、結局は政治経済と倫理の知識をただ修得させるようなものに読みかえられてしまう、そのような悲しい状況までもたらしたのが今度の受験体制ではないのかなというふうに考えております。
  17. 小林正

    ○小林正君 そういうお話を伺いたかった理由は、高校教科すべてにわたって、高校教育として本来それぞれの教科の目的によって完結をしている内容であるべきものが、子供たちにとっては現在の受験体制というものの極めて対策的な選択になっているということが言われているわけでございまして、そういう点から考えますと、今回、世界史必修という問題が出ているわけですが、この世界史必修がなぜ求められてきたのかといえば、この受験体制の中で、知識の詰め込み、暗記しなきゃならない部分が領域的に非常に広いから子供たちにとっては不利な選択になるということで敬遠されてきた実態があったというふうに思うわけです。  したがって、今日的に世界史が重要な役割を担っていることはだれも異論を挟まないところだと思いますけれども、子供の側から見れば、今日の受験体制の中でより有利にパスをしていくための一つ選択として彼らが追い込まれた上での対応にならざるを得ないという部分がある。このことについては子供の立場からすればなるほどということになるわけですけれども、本当の意味世界を認識するというようなことになってまいりますと大変大きな問題になるだろうと思います。  そのこととあわせまして、各参考人の皆さんから社会科についていろいろ御意見を賜りましたが、しかしどうも世界史必修にするということと社会科を解体するということの必然性がよく理解できません。この問題について、木村参考人並びに市川参考人から御意見を賜りたいと思います。
  18. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 現代は、先ほども申し述べさせていただきましたように、世界全体が新しい歴史的な段階といいますか転換期に入っているというふうに思うわけでございます。その中で、新しい世界に生きる常識というものが今、求められつつあるのではないか。それを生徒自身に考えていただくということは非常に大事なことでございます。  先ほど受験の問題が出ましたが、知識偏重になってしまうのは、例えばヨーロッパ人たちがなぜこれまでキリスト教というものをとってきたのか、そういうことにつきましての中身の把握というものが専門の先生によってなされるということがこれまで非常に少なかったということがあるだろうと思います。それはイスラムについてもそうでありますし中国についてもそうでありまして、こういったものを少しじっくりと掘り下げて、そして知識をふやすのではなくて、その土地土地の生き方についての理解を深めていくというのがこれからのあり方だろうと思うわけでございます。  そういった意味におきまして、先ほども申し述べましたように、今までのよう社会科の枠の中で歴史をとらえるのではなくて、歴史それ自体の教科をいわばほかの教科のむしろ基礎としてこれから新しく独立させていくということが求められているということではないだろうか。つまり、世界の諸地域の、その土地土地の生き方というものを知り、そして私たちのこれからの生きる常識を新たに培っていくという意味におきまして、今申し述べましたように、社会科の枠の中から歴史独立させる。  と同時に、世界史というものの中身をこれから充実させていく。確かに今の教科書におきましては世界史の中身が必ずしも魅力あるものになっているとは思えません。先ほど申し述べましたように、文化史とか宗教とか、あるいは技術歴史とか、こういった分野が欠けているわけでございます。全体に今、時代が大きく変わりつつあるということのためには、社会科地歴公民に分ける。そして同時に、その世界史の中身を大きくこれから変えていく。両方が必然的に連関し合っているのが今の私たちの置かれている状況であろうと思うわけでございます。  以上でございます。
  19. 市川博

    参考人市川博君) 今、木村先生がおっしゃったことは、私も賛成であります。異論はありません。ただ、なぜそれを従来のよう社会科の中でできないのかということが私にはどうも納得ができないわけであります。確かに私は世界史は大事だと思いますけれども、今、先生がおっしゃったように基礎が大事だと。基礎というのは非常に大切ですけれども、ほかのいろいろな科目との関連の中で生かされてこなければいけないのじゃないかというふうに考えております。  先ほどちょっとフィリピンのバナナのお話をいたしましたけれども、一本二百円のバナナがある。フィリピンの農家にはたった八%、十六円しか渡ってこない。そういうことにつきまして、では、なぜ十六円のバナナが二百円になっていくのだろうか。そこで、バナナがどう栽培されているのだろうかという形で地理勉強をする。まさにそこでフィリピンの勉強をしたり地理勉強をしたりする。また、それがどういう流通機構で来るのか、それからまたそこに多国籍企業がどう絡んでくるのか、そういうところで経済勉強をしたり、またなぜフィリピンでそういうことが行われたのだろうかという形で、歴史的な背景として世界史勉強が行われる。  やはりそのような形でいろいろな知識相互関連してくる。先ほど臼井先生が科目相互関連ということをおっしゃいましたけれども、科目にも知識をそれぞれ関連させていくということが非常に大切なことではないかしらというふうに思っております。  先ほども申し上げましたように、確かに系統的に基礎的な知識は必要でありますけれども、やはり系統的に基礎的な知識を学ぶための耕しの時期が高等学校までの段階じゃないかというふうに私は考えております。まさに高等学校はその巣立ちの準備をしているのである。そういう意味におきまして、現代社会できちっと問題意識を持って、そして世界史知識と結合させていく。そういう目配りのきいた授業をやっていかなきゃいけない。  それが教科を別にしてしまうと、その目配りが非常に薄くなってくるということが大きな問題ではないか。そういうところで果たして本当に問題意識を持ち、また、問題解決のできる力または生きる力というのが伸びるのかどうなのかということは、私にとってはどうしても何か疑問として残るわけであります。
  20. 小林正

    ○小林正君 十一月二十日に国連で子供の権利条約が採択されたわけでございますが、いわゆる子供というのはゼロ歳から十八歳まで、チャイルドという言い方で言われているわけです。そして日本では児童とか生徒というふうに教育界では使い 分けてきているのですけれども、十八歳までをいわゆる子供というふうに言っている。  その子供の発達段階、認識、そうした点を含めて考えてみて、より専門性を高めていくのだということが一つの大きな要素になっているようでありますけれども、高等学校教科というのは、どうなんでしょうか、いわゆる教育的な視点でとらえていくのか、それとも学問としての専門性が厳密に追求される場としての位置づけになっているのか、その辺の認識といいますか御意見が二つに分かれているわけですけれども、お伺いをしたいと思います。これは木村先生と、今度は臼井先生にお願いしたいと思います。
  21. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 今の御質問に対しまして私自身の体験から申し述べさせていただきますと、私は十五歳のときに終戦でございました。大きなショックを受けたわけでございます。  つまり、今まで鬼畜米英と言っていた先生方が急に米英は民主主義の神様であるというふうに言い出されまして、そこから私は先生は信用しなくなったのでありまして、それで自分が教師をやっているのは非常に矛盾しておりますが、ともかくも十五歳のときの体験が一生を支配する、こういう意見もございます。まあ十五歳に限らない、十五歳前後と言っていいのではないかと思いますが、ちょうど子供から大人への成りかわりといいますか移り変わりのときでございまして、ある部分では子供、ある部分では大人ということで、自分自身もどうしようもないような感じが実は高等学校段階ではないだろうかというふうに思います。  そこにおきましては、つまり自分自身でも考えようというこういった力のようなものが大きく芽生え、かつ育つ時期でございまして、そういった中で専門性を重視する、例えば世界史について教育するということは、必ずしも、難しいことといいますかあるいは高度の知識といいますか、を教え込むということではないと思います。  今まで習ってきたことをもっと広い視野のもとで、はてなと考えさせる。つまり、ヨーロッパではこうであってもまたイスラムでは違った考え方があるんだよ。例えばヨーロッパ日本と同じように農業社会を長く経験してきており、そこから共通の日本ヨーロッパとの考え方特性もございます。例えば城を中心に一円的な支配領域ができる、こういったものは実は日本ヨーロッパに特徴的でございます。  ところがイスラムのよう世界は最初から都市の社会でありまして、イブン・ハルドゥーンという「歴史序説」という本を書いた人がいますが、繰り返し繰り返し説いておりますのがつまり連帯ということでございます。イスラムの人たちはなかなか連帯ができない。都市民であるからでありまして、こういった今まで私たちの中学まで教育されてきた常識とは違った生き方というものをそこで教えるというわけであります。  それぞれの専門の領域を持った人が可能な限りわかりやすくそういったものを教えていく、そして考えさせるというのが実は高校段階ではないだろうか。そういった意味での専門性ということでございまして、決して難しく教えるということでは私はないというふうに思っております。  そのためには、現代社会の話もございますけれども、現代社会という学問はないはずでありまして、学問立場に立って現代を教えるということはちょっとこれは非常に難しくて中身が中途半端になる。それぞれ歴史歴史専門に立ち、そしてまた地理地理の視野から、歴史地理相互に非常に深い関係がありますから、その立場から現代というものを説いていくということがこれからのあり方でありまして、それぞれの専門性を基礎にしながらつまり現代あるいは世界を語るというのは、何も教育の場だけではないように思うわけでございます。  高校はそういった意味で人間の一生の中でも大きな転換期でありますだけに、それぞれの専門立場から先生方が新しい見方というものを教えていく必要があるのではないかというふうに私は考えます。  以上でございます。
  22. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 私は学問系統教育系統という点について補足させていただきたいと思うのですが、人間と社会に関する諸学問は、日本のみならず世界的な水準で非常に蓄積がなされてきている。そのよう学問的成果を高校生にどのように再編成するのか、つまり学問系統教育系統としてどのように再編成するのかということが教育現場にいる者の責務であると思います。そういう点で、高等学校における社会科という一つの枠組みが、人間と社会に関する学問教育系統として再編成していくものとしてとらえております。  そして、その学問系統教育系統として再編成する際に、現代社会と身の回りの諸事実を子供自身が学ぶことを通しながら学問を深めていく。そのよう教育系統が非常に重要ではないか。そのよう教育系統というものは、子供が社会学問について主体的に、なおかつ柔軟に、なおかつ広い視野でとらえていくことができる。  そのよう教育系統高等学校で実現することによって、そのような力が大学においてより深い人間と社会に関する諸学問に向かっていくことになるのではないか。そのような役割を高等学校が担わされているのではないかなというふうに思っております。
  23. 小林正

    ○小林正君 今の質問について市川参考人からもお伺いしたいと思います。
  24. 市川博

    参考人市川博君) お答えいたします。  教育学問というふうに分けていいかどうか。勝田守一さんが最初に社会科学習指導要領をつくるときに、今度は子供たち学問させようじゃないか。従来の教育は一定の学問の成果を教えていた。それにも一応、限定がありますけれども、そうではなくて、これからは子供たち自身に学問させようじゃないか、その力をつけさせようということであったわけであります。ですから、教育というのは学問を教えるのではなくて学問する力を育てるのだということであります。  その学問する力とは何かといいますと、やはり事実をしっかりと認識する。事実をしっかり認識する中で問題意識をはっきりさせる。そしてみんなでその事実を検討し合いながら疑問を出し合って、その疑問をみんなで検討し合う。そしてその疑問についての仮説をみんなで出し合ってまたその方法論を追求する。検証していく方法論を吟味し合っていく。またその結論についても吟味し合っていくということが非常に大切なことではないかしらというふうに私は思っております。  そのときに、では知識は必要じゃないのかというとそういうことではないわけであります。私ちょっと簡単に申し上げますけれども、例えば中学校公民分野で家庭の問題というのがあります。例えば老人ホームに老人を行かせるのはかわいそうじゃないかとか、いや行かせた方がいいのじゃないか、年寄り同士は年寄り同士の方がいいのじゃないかとかいろいろ問題が出てきて子供たちはいろいろ検討し合っております。  そういう中で、老人ホームは一体幾らお金がかかるのだろうか。そして随分お金がかかっているということがわかってきて、そんなにかかるのだったらばそれは教育費に回した方がいい、老人よりもこれから育っていく子供たちに回した方がいいのじゃないかとか、また防衛費に回したらいいのじゃないかとか、そういう問題が出てきたり、また老人ホームは楽しければいいというものじゃない、生きがい問題なんだというようなことで、じゃ生きがいとか何だろうか。まさにそういう中で、生きがいというような形で倫理的な勉強や、それからまた防衛の問題から国際平和の問題へ、それからまた、その老人ホームの予算は一体だれが決めるのか、どうやって決めるのだろうかという形で政治の問題へと、そういうふうな形で知識を拡大していきながら視野を拡大して、そしてまた学問していく力を育てるのが社会科であります。  現代社会学問にはないというのですけれど も、確かにないんです。それでいいのじゃないか。まさに事実をしっかり見詰めさせるのが現代社会であります。その現代社会の中からいろいろ問題意識をくみ出して、また新しい知識をたくさん入れて問題意識をくみ出す、そしてその成果に乗っかって、まさにそれを基礎にして、高等学校の二、三年生でより分野的な、もっと科目に分かれた学習をしていくということによって初めて分化と総合というまさに学問一つの基本的なあり方がそこでつくられていく、まさに教育の中でつくられていくのじゃないかというふうに私は考えております。
  25. 小林正

    ○小林正君 時間がなくなってまいりましたが、最後に、この社会科解体ということが出てきた背景というものを考えてみますと、臨教審の答申というものが一つございます。私は、臨教審というものが、国民の中に教育論議を巻き起こす、関心を高める、そういう一定の役割を果たしてきた、このように思いますし、同時にまた、その論議の経過というものがかなり明らかにされてきたということも事実だと思います。  しかし、それを受けた形で教育課程審議会等がこの社会科問題を扱う経過というものについては、最近になっていろいろな文書を通して私たちがうかがい知ることができるという状況になっているわけですけれども、当時は密室というような印象を強く持っている一人でございます。  そういう点で考えてみますと、養成課程の大学とかあるいは高等学校の現場段階で、いろいろ今、参考人の皆さんから御指摘をいただきましたような大変大きな問題点、混乱というものが惹起されるという事態を迎えているだろうと思いますが、そうした大きな問題に発展をするきっかけをつくっているこの論議経過というものが何ら知らされていなかった、このことにやはり大きな問題があろうと思います。  やはり何といいましても、教育現場の主体性というものを含め考えてみても、その意思決定のプロセスというものが全体としてきちんと理解をされながら一つの結論に導かれる、全体の合意形成の中でそれがなされていくということがあってしかるべきだし、特に憲法、教育基本法が定めている日本教育のありようからいたしましても当然だろうというふうに思うんです。  しかし、現実は、まず中曽根元首相のいわゆる教育大臨調の大号令から発して臨教審が設置をされ、そして、現場代表とかあるいは教育学者、教育法学者といったような、いわゆる教育専門的な分野でかなり大きな実績を上げてきた皆さん方が排除される中で審議が行われてきた、そのことについて一つ疑問を持つと同時に、今申し上げました審議会の経過というものが全体に知らされないという状況の中でこの間推移をして重大な結論に導かれた。その中では委員をおやめになった皆さん方もいらっしゃるというようなことで、マスコミもなぜ社会科解体なのかという疑問を強く投げかけた経緯があるわけであります。  したがいまして、この問題については、何よりもまず教育現場の声というものが尊重をされ、そして、社会科が持っておりました正しい科学的な社会認識を育てる教科としての本来の使命というものを発揮できるような体制をつくっていく必要があるだろうと思います。  時間がなくなって大変恐縮ではありますけれども、その意思決定のプロセスに関して、それぞれ一言ずつ、皆さんからお伺いしたいと思います。
  26. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 私は教育課程審議会のメンバーの一人として参加させていただきましたが、教育課程審議会それ自体におきまして、この社会科を今度二つに分けるということにつきまして積極的に何というのですか激しい議論があるとか、急に今回の改訂の方に決まったとかいうことはないというふうにはっきり申し上げていいと私は思っております。  つまり論議は十二分に尽くされまして、ただその中で新聞に報道されておりますのは、この教育課程審議会の中の高校分科会長の諸沢さんが主宰いたしました非公式の意見聴取というのがございまして、現場の高等学校学習指導要領作成協力者の方々からこういった活発な議論が出たことは事実でございます。  しかしそこにおきましても、今、例えば歴史学それ自体がどのように変わりつつあるのか、かつての近代国民国家とかあるいは近代市民社会の形成といった問題は、今、背後に退きまして、そして社会史とか、生活史とか、意識の歴史とか、それから家族の歴史とか、そういうふうに大きな転換を遂げているということについて私が述べさせていただき、それについて積極的な御反論はございませんでした。したがいまして、私は十二分にこの教育課程審議会における論議は尽くされたものと存じております。  以上でございます。
  27. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 市川参考人、簡単にお願いいたします、時間がございませんものですから。
  28. 市川博

    参考人市川博君) 三点だけ。  一つは、意思決定の前に教育課程審議会委員が、果たして本当にこれからの教育を考えるのにふさわしい人が選ばれているかどうか、リクルート問題がきょうも出ておりましたけれども。それからまた、社会科教育につきましては専門家が一人であります。その方も実は文部省のお役人であります。そういう方が果たして本当に自分考え方を話せるでしょうか。  それから二番目に、反対派の人たちを切って、例えば私も学習指導要領委員を解任されたわけでありますけれども、そういうふうな形で果たして本当にいいものができるのかどうなのか。  それから、先ほど申しましたように学会、それから社会科の教師、あるいはまた高等学校先生方、例えば全国高等学校長協会会長の小田島哲哉さんも疑問に思っている。現場の先生方も納得できない。そういうことで果たして本当によかったのだろうかということが大きな問題であります。
  29. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ちょっと時間の関係がございますものですから、失礼でございますが……。
  30. 小林正

    ○小林正君 時間の関係で今のお二方で結構でございます。  どうもありがとうございました。
  31. 田沢智治

    ○田沢智治君 木村参考人にお伺い申し上げますが、国際化の進展する日本において新しい良識を形成発展するためには高等学校生徒に対して世界史を履修させ、基礎、基本となる国際的知識を養うことが重要であるというお話でございますが、私も極めて同感に思います。  今回の学習指導要領の改訂によって世界史必修にしたことは高く評価できるのではないかと思うのですが、問題は、魅力のある世界史にするためにどのような創意工夫が必要であるか、お考えがございましたら、二、三御提言をいただきたいと思います。
  32. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 現在の世界史教育並びに教科書は、必ずしも現代の先ほど申しました要請に適合的ではないように思うわけでございます。  例えば、アメリカについては非常に詳しく書いてありますがソ連あるいはロシアの記述というものが必ずしも十分ではない。あるいは系統的に記述されていない。これは今の世界常識からしますと大変おかしなことでございます。その一方でフランス革命記述などは、日一日と言ってはちょっと言い過ぎですが、非常に詳しく書いてあるわけでございます。そういった意味で、まず現代の世の中といいますか国際社会あり方、これを踏まえた上で新しく教科書並びに教育あり方を考えていくということは、これはどうしても今やらなくてはいけない。それがありませんと、やはり世界史教育というのは魅力がないというふうになるのではないかと思うわけでございます。  普通、大学の受験に出ないからということで、現代について、特に戦後については余り教えないうちに終わってしまうということがあるのは非常に遺憾でございまして、まず現代の、今どういう変化が起こっているかということを踏まえた上で過去にさかのぼっていくということがこれから必要ではないかというふうに考えております。した がいまして、今申しました近代重視から現代重視へというふうに世界史の中身を変えていくことが大事だと思います。  そしてまた、先ほど申し述べさせていただきましたが、地域ごとに文化の特色というのがあるわけでございまして、なぜその地域にそのよう宗教が一般的であるのか、またこれはどういう意味を持っているのか、こういった中身の問題が非常に大事でありまして、特に文化とか宗教ですね。先ほども申し上げさせていただきました技術歴史、どういう知恵がこれまで生活とのかかわり合いの中で生み出されてきたか、こういう点も非常に手薄でございます。また、これが今私たちが一番関心を持っておりますところの内容なわけですから、こういった点もこれからはやはり充実させていかなければいけない。いわゆる日常生活史といいますか、この分野が非常に欠けていたと思うわけでございます。  もう一つは、現在私どもは国際的なお互いの結び合いの中で生きているわけでございますが、こういった広い意味のコミュニケーションといいますかお互いの相互関連ですね。例えば、同じ十三世紀ヨーロッパとアジアそれに日本がどういうふうに関係し合っていたかといった相互の横の交流の記述がこれまでかなり手薄ではなかったかと思います。世界の諸事件をテレビ、新聞その他で瞬時にして知ることができる現代からしますと手薄でありまして、そういったことからいたしますと、広い意味のコミュニケーションに関する交通も含めましての記述、これもまた大いに拡充していかなければいけないと思います。  こういった日常生活史、そしてまた、今申しましたコミュニケーションの関係、さらに現代それ自体の大きな変化というものを踏まえた上での学習、この三点がこれからの世界史教育にぜひとも不可欠で、それこそが魅力を大きく増すゆえんではないか、こういうふうに存じております。  以上でございます。
  33. 田沢智治

    ○田沢智治君 市川参考人にお伺いいたしますが、学問系統より教育系統を重視し、青少年現実生活の問題を中心とした社会的経験を広め、また深めようとしなければならない、従来の教科寄せ集めではだめであるというような御見解のようにとらえておりますが、そういうお考えは私も理解はできます。しかし私は、社会経験の少ない青少年への教育は、国際化時代を迎える二十一世紀を展望するとき、世界各国の過去の歴史や各民族の文化国家の形成に果たしてきた役割などを広く理解させるということが大変大切な時代に来ているのではないだろうか。そういう意味では、今回、社会科を再編成したということは、私は私なりに評価できるのであります。  そこで、やはり教育は人なりと申しますが、教員をどのように養成するか。これによって大変魅力ある教科もつくれるし、生徒もその教員の物の見方、考え方に大きく左右されるということを思うとき、生徒の発達状況に対応した経験豊かな授業をするために大学教育の中でどのよう教員養成が必要であるか。これは非常に大事なところでございますが、何か具体的な提言があれば、二、三お伺いさせていただきたいと存じます。
  34. 市川博

    参考人市川博君) 今、私も大学委員の一人としてそういう仕事をやっているわけですけれども、例えば小学校教員養成で百二十四単位を前提といたしますと、大学で実質的にカリキュラムが組めるのは十六単位か十八単位であります。ほとんど高等学校並みの授業、高等学校の方がもう少し選択の幅があるのじゃないか。ともかくそれぐらい非常に選択の幅がない。それで果たして本当に魅力ある教師ができるかどうなのかということが非常に問題であります。  と同時に、私たち小学校教員養成課程だけ考えるわけにはいきませんで、現場の要請といたしましては、小学校教員の免許状だけではなくて中学校の免許状もやはり取ってきてほしい、そうしないと対応できない、うまく人事交流ができないと言われています。そうなりますと小中の免許状を取らさざるを得なくなってきますが、果たしてそれで時間割りが組めるのだろうかと考えてみますと、今は四時間で組んで大体四時十分で終わっていますけれども、もしかしたら六時間目までやらなきゃいけないのじゃないかというようなことが出ております。  学生大学教育でそれだけ時間を食われてしまう、また大学の教師もそれで疲れてしまう、果たしてそういう状態で魅力ある教師ができるかどうなのか、私は非常に大きな問題があるのではないか。そういう意味では、基本的な問題として、この教員免許法の今回の改正が果たして本当に教員養成にとってよかったかどうなのか非常に大きな疑問を感じております。
  35. 田沢智治

    ○田沢智治君 梶原参考人にお伺いいたしますが、先生は高等学校の校長さんも兼務され、また教育行政にもかかわられた経緯があるようでございますので、そのよう経験を踏まえて、教育行政にとってすぐれた教員を養成するためにはどういうようなことが大切なのか、御意見がございますれば、二、三お聞かせいただきたいと思います。
  36. 梶原康史

    参考人梶原康史君) 一つは、大学の養成課程においての基礎学、これにつきましては本当に徹底して身につけさせるということを念頭に置いてやっていくことが必要でございますが、大学を卒業して採用しましてから後になりますと、どうしても学校の中で校内研修というものを中心にいたしまして先生方が研修に励んでいかなければならない。このことがもう何をおいても大事な課題でございます。  大学において身につけますものというのは、それはしっかりやっていくにこしたことはないのでございますけれども、時間的な制約がございますし、またいろんな幅を身につけるにしましても制約がございますのですが、それから後の、教師同士がいろいろ切磋琢磨し合って身につけていく、このことが現場にとりましては非常に大事な課題であると考えております。
  37. 田沢智治

    ○田沢智治君 臼井参考人にお聞き申し上げますが、戦後の社会科教育理念を大切に考えていくということは私も同感です。現在の社会科教育はその理念を発展させることができているかというと多くの問題を残しているということも事実ですね。例えば受験勉強偏重というような形の中で、受験に必要ないというととらない、たくさん集めた資料あるいは広領域の中で学ぶということは受験勉強にとってプラスにならぬといって余りそういう授業に出ないというような大きな欠陥を残しているのではないだろうか。  しかし、新しい時代を担う若者にとって、世界がどう変化していくのか、過去の歴史と伝統の中でなぜそれがこのような変化を来しているのか、二十一世紀はどういう社会をつくることが世界の平和と人類福祉にとって大切なのか、こういうことを理解させる、あるいはみずからの物の見方、考え方の中で形成させていく基礎的な知識を教えていくということも私は大事じゃないかな、私はこう思うのでございますが、そういうような過程の中で戦後の教育理念を大切にしていく社会科を形成する上において、今、何が欠けているか、今後どうしたらいいかというような提言があれば、二、三お聞かせいただきたいと思います。
  38. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 戦後の社会科というものは、先ほど申し上げましたように、日本社会あるいは世界の問題というものを非常に柔軟に、かつ多角的にとらえていく、そういう力を形成するようなものであったという点では、やはりこの戦後の初期の社会科理念というものを大切にしていきたいなと、これは先ほど申し上げたとおりでございます。  しかしながら現実には、委員が申されましたように、受験体制の中で知識が非常に受け身的になったり断片的になっている。こういう状況を克服するものとして、やはり戦後の社会科の中で言われてきた主体的かつ柔軟に知識総合的に見ていくというようなことが、むしろ今日の国際化社会であればあるこそもっとこのような観点が必要なのではないかな、このように考えています。  同時に私は、世界史という点から申しますと、 今の高等学校世界史が今日の大きく動く現代世界というものを本当に正しく教えるのに十分な内容構成になっているかという点についてはやはり今後改善していく余地があるかと思いますが、そのよう世界史の内容を含めつつ総合的、全体的に学んでいく、そのよう理念がこの変動する世界の中に対応する子供を育てていく上で大事なのではないか、このように考えております。
  39. 高木健太郎

    高木健太郎君 きょうは本当に御苦労さまでございました。  皆さんのお話を聞いておりますと、確かにこれは難しい問題だなと思います。教える側から立って物を考える、教えられる側から立って物を考える、あるいは研究者として物を考える、また教育者として考える、あるいは専門家として考える、いろいろの立場によって少し考え方が根本的に初めから違っているのじゃないかなという気もいたしましたが、非常に大事なことでございます。大変長い間いろいろの委員会で御活躍になったということにまず敬意を表したいと思いますが、いまだにまだどちらとも決着がつかぬということはまことに問題じゃないかなと思っております。  まず木村先生と市川先生にお聞きいたしたいと思いますが、木村先生の「諸君」の六十三年一月号にお書きになったもの、それから市川先生の「世界」のことしの十一月号にお書きになったもの、読ませていただきました。そういう点でちょっとお聞きしたいわけでございますが、この木村先生の百六ページのところに、世界史が初めは必修であったのが四十四年ごろから選択になってきた、最初は世界史は九五・八%であったのが、五十八年にはそれが六〇・五%に下がって、最近は六八%ぐらいになった、県によっては三〇%ぐらいしか履修していない、こういうことについて自分は危機感を覚えるというふうに書いてございます。  そして世界的視野で物を見、物を考える時代というふうに書いてございまして、私はこれはおっしゃるまでもなく非常に重要な時代になってきている、こう思います。  ところが、ただ世界史必修にして、物を教える、教え込ませる、暗記させるということになるのじゃないかという危惧が一方にはあるわけでございます。あるいはまた、受験対策としてしか生徒が授業を見ていない、そういう高校生が多いのじゃないかと思いますので、たとえ必修にしても大学の入試科目になければそれは頭の中を抜けてしまうだけで、先生のおっしゃるように、本当に世界史を学んでそれが土台になって日本を見ていく、世界を見るということにはならないのではないかということが一つございますが、こういう先生のおっしゃるように、生徒が本当に理解してそれに興味を持っていくようになるだろうか、そういうことが本当に可能なのだろうかというふうに思います。  それから、教科書で教えるということは、理科とかそういうものは現物がありますからそれでもって教えることができますが、歴史というものは自分のそばには何もない、特に世界となると自分のそばにはないものである。そうすると、人間というものは情感だとかあるいはほかの感覚器官だとかそういうものが一緒に加わらないと自分の物にならない。こういうことを考えますと、たとえ必修にしましてもそういうことでは先生のおっしゃるような理想が達せられない懸念があるのではないか、こう思うのです。  そういう意味から言うと、市川先生の言われるように現実の生活、先ほどバナナの話がありましたが、あの有名なバナナ教育というもので現実からだんだんそれを敷衍していく、こういうことの方が頭に入りやすいのじゃないか、あるいはそれが残って自分の物になるのじゃないか。といって、そんなことでは知識がばらばらになって系統的ではなくなるのじゃないか。両方いい面もありますが、両方欠陥もあるのではないか。その点についてまずお二人にお伺いをいたしたいと思います。
  40. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) ただいまの御質問に対してでございますが、確かに実感がないというのは事実でございます。先ほどヨーロッパのキリスト教とかあるいはイスラムの世界あり方についてお話しさせていただきましたが、これは確かに私たち常識とは違いますから、肌で感じるということはなかなか難しいと思います。  しかし、例えばイスラムの場合、中東の世界ですが、お金をもうけて故郷ににしきを飾るという気持ちは存在いたしておりませんで、お金がたまれば自分の好きな都市、ロンドンであれニューヨークであれ、あるいはパリであれジュネーブであれ、自分の好きなところに住んでしまう、これはいわゆる農民の考え方とは違うんだと。例えばそういったことを教えてやることとそれから全然そういうのを教えないことではやはり大きく違うのではないか。日々テレビ、新聞などで世界の情勢が伝えられているわけでございますから、それに対する一応の理解といいますか、これがやはりどうしても不可欠だろうと思うわけでございます。  そして、確かに世界史あるいは歴史学におきましても、先ほど申し述べさせていただきましたように、私たち自身の日常生活史、社会史ですね、家族の問題であるとか衣食住の問題であるとか、こういったことが、今、一番大きな問題となりつつあるわけですが、こういったものはやはり自分の、何といいますか、今の生活を基準にしてしか判断できないわけでございまして、同じ日本人でも例えば江戸時代生き方などにつきましては実感がございません。どのようにして火をつけたかなどということにつきましても、今となってはなかなかその苦労なるものは実感できないわけでございまして、その点でいえば、日本の過去についてもあるいはほかの世界地域の過去につきましても実は同じことではないか。  ただし、世界の諸地域につきましては日本の過去を理解するよりはもうちょっと困難が大きいということは、それは事実おっしゃるとおりでございます。そのためにも基本的な見方といいますか、これを教えてやることが私はやはり高校段階では一番大事なことじゃないかなと思います。  そしてまた、おっしゃるとおり受験に出なければそれは頭を通り抜けてしまう、これもまた事実でありまして、大学の二次入試からは世界史はやらないところがふえているのは事実であります。でありますが、一次入試あるいはそういう共通の入試におきましてこういった歴史を取り上げていただく、特に世界歴史を取り上げていただく。確かに人名その他なじみがございませんから、ほうっておくと、何といいますか、全然履修しないまま過ぎてしまいますが、たった一言でも、専門先生方がおっしゃったその地域、その歴史についてのことが後に大きく心に響くということもございます。  私は戦時中、中学でございましたが、日本史の先生が、江戸時代を封建社会というのは間違いです、あれは近代に至る過程ですということをぽつりとおっしゃった。これは全然受験には関係しませんでしたが、私の心の中に今でも食い込んでいる言葉でございまして、やはり専門の方が生徒一言でも、わかりやすい形で自分なりの何といいますか確信を持って言ったことというのは、心の中にいつまでもとどまり響くのではないか。その意味では、世界史教育を単に生徒の側に任せた自由選択ではなくて必修にする意味はやはり画期的に大きいのではないかと私は存じております。  以上でございます。
  41. 市川博

    参考人市川博君) いろいろ御質問いただいたのですけれども、私、先生が先ほど、教育は木を育てるようなもの、人を育てるというのは木を育てるようなもの、私もそのとおりだというふうに思っております。枝を伸ばしていく。問題意識を持った枝を伸ばしていく。そして必要な知識、まさに葉っぱが知識だろうと思います。そして炭酸同化作用によってこの栄養分が根へ行って、それからまた幹を太らせていくということが大事なのじゃないか。要するに、大切なのは枝をきちっと伸ばしてそれに葉をつけていくということであります。  今、木村先生が、いろいろこういう内容が必要だとおっしゃいました。確かに必要でありますけれども、果たして教えた知識というものがきちっと枝につくのかどうなのか。そしてそれが養分となって栄養を補給してくれるのかどうなのか。大切なのはきちっと枝を伸ばすことではないか。その枝を伸ばすことは何かといいますと、私は性能のいいアンテナをつくる力だろうと思うんですね。ここからさっき、必要な知識を獲得する力というものが非常に大切なことではないかしらというふうに申し上げたわけです。  性能のいいということはどういうことになるかといいますと、やはり事実をしっかりと見詰めさせるということであります。経験がないとだめなわけですね。例えばお米の花ということを子供に聞いたってわからない、写真を見せると、ああそうかと思うんだけれども、それは写真という概念とか経験があって初めてわかるわけです。大切なのはその経験を豊かにするということであります。まさにそういうことがこれからの教育にとって非常に大切なのじゃないか。  要するに、知識よりも大切なことは経験を豊かにすることである。戦後の社会科は、はい回る経験主義だというふうに批判されましたけれども、実は、はい回りながら経験を豊かにする、そしてまた必要な知識を獲得する力を身につけていくということが大切なのじゃないか。  例えば、小学校二年生でお店屋のおばさんのところに見学に行ったり聞き取りに行ったりする。聞き方が悪ければ怒られたりする。また時間が忙しいときだと怒られたりする。それからまた商品にむやみにさわったら怒られてしまう。そういうことの中で必要な知識を身につけていく。まさに地域の中ではい回りながら、さっき申し上げました学問する力を身につけさせるということが大切になってくるのじゃないかしらというふうに思います。
  42. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  次に、梶原先生にお伺いいたしますが、先生はいろいろ教育の御経験もおありなようでございまして、中学校あるいは高等学校日本史を教えるということもあるのだと思いますが、現在の日本歴史というものは、諸外国から見た日本歴史とかそういうものは取り入れてできているものでございましょうか。時々問題になる、中国教科書と韓国、朝鮮の教科書日本教科書と違うわけなんですけれども、それは今どういうふうに、あるいは外国から見た日本歴史というものも参考にしておつくりになっているわけでございましょうか。どのよう日本歴史になっているか、その点をお聞かせ願いたいんです。
  43. 梶原康史

    参考人梶原康史君) 教科書の編さんにつきましては文部省教科書調査官の方で審査をしておるわけでございますから、その中身のことについては私、知る範囲ではございませんが、実際に学校現場におってそういうことに関与いたします場合には、教員といたしましては極力いろんな資料なんかを用意いたしまして、そして、一方に偏った見方じゃなくて広くその見方というものを取り入れながら指導しておるわけでございます。ですから、そういう資料をうまく手に入れる努力をするかしないかということがこれまた教員の資質にかかわってくる問題でございます。  物の見方につきましては、指導要領なんかではそういう多面的な見方をするよう指導しておるわけでございますから、それから先のことになりますと、私たち教員にそれぞれ課せられてくる課題でもあるわけでございます。
  44. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  もう時間がございませんが、最後に臼井先生にお伺いいたしますけれども、先生のお書きになったもので、融合分野と学問分野という言葉を随分お使いになっております。理想的には、専門知識も十分持っておる、それから融合的な知識も十分持つ、これはまあ天才でなきゃできないようなことなんですけれども、それの論議が現在やられているように思うんですね。  先生は、その融合分野といわゆる学問分野というものを社会科教育の文脈の中で何かうまくそれを位置づける、それが問題なんだと。それは具体的にはどういうふうにお考えでございましょうか。
  45. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 今おっしゃった融合分野と学問分野といいますか、その問題と、現在議論になっております地理歴史科と公民科という問題とはやや違うことでございます。  つまり、地理歴史科というのは地理歴史のいわゆる学問的な分野、公民分野ということになりますと、現代社会という私の言う融合分野と、政治経済、倫理という割合に学問分野とが重なっていますから、そういう意味ではややそういう問題とは違うのですが、私の申し上げております融合分野というもの、現行の現代社会という、つまり生徒をめぐる現実の問題というものを見詰めながら、そして子供自身が調査学習しながら、それを歴史的な視点から、あるいは地理的な視点から、それを私は多角的と申し上げましたが、そういう現実を見る目をさまざまなアプローチから学習する。そういうことによって、ひいては学問分野である日本史世界史、そして思想文化などの入っています倫理というところまで広げて系統的に学習する。  そういう、現行の指導要領で申しますならば高校一年の現代社会でそのようなことをやりながら、二年、三年の科目のところに発展させる。その一年のものが、現在ですと、残念ながら政治経済と倫理の何か知識詰め込みのよう現代社会にややもするとなるのでございますが、本来の現代社会として復権させながら進めるならば、二年、三年のものと結びつく。そして現在の指導要領においてもそのような理想を高く掲げて作成されているのではないかなと思っておりますので、確かに困難な課題ではございますが、そのような課題を進めることによって、高校生を主権者として、日本国民として形成していく一つの基礎的な力がつくられていくのではないかな、このように考えております。
  46. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。
  47. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 日本共産党の高崎と申します。よろしくお願いいたします。  私は時間が十分間ということで限られておりますのですべての参考人にはお伺いできませんので、あらかじめ御了承ください。  まず木村参考人にお伺いしたいと思います。  社会科地歴科公民科に区別するということですが、この区別する原理は一体何なのでしょうか。なぜ地歴科公民科という区分の仕方になるのでございましょうか。
  48. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 今の時代に生きる新しい常識を私たち日本人もこれからともに考えていかなければいけないわけで、自分の国だけのことを中心に考えるというわけにいかないと思います。そのためには今、歴史的に培われた何といいますかこれまでの生き方というものをしっかり確かめ、そしてその上にそれのまた掘り起こしをして、その上にこれからの新しい常識を積み重ねていくということでございまして、今ほど過去の掘り起こしが大事なときはないのではないか。  卑近な例で申しますと、例えばいわゆる大河ドラマ風のテレビでもかつての人物像の掘り起こしということを今やっているわけでありますが、私たちが忘れていた生きる知恵とか勇気とか愛情ですね、特に、戦後の復興期並びに高度成長期に私たちがある意味で欧米一辺倒の生き方をしてまいりましたが、それに対しまして私たち自身の培ってまいりましたいい知恵、これを今、掘り起こすときが来ているのではないか。と同時に、ヨーロッパその他の世界地域についての知恵掘り起こしが大事だということでございまして、その意味では、この歴史、そしてまたそれと不可分に結びついております地理、これを独立させていただきたいということでございます。  同時に、もちろん公民につきましても、これからの時代に適合した新しい常識、これを政治経済その他の分野からきわめていくということはこれまた不可欠のことではないか。  いずれにいたしましても、それぞれのしっかりした専門性といいますか、ヨーロッパ史であれアメリカ史であれロシア史であれ、専門性に立脚してその視点から現代を問い直すということが、今、一番大事なことではないかということで地歴公民とに分けさせていただく、これが趣旨だと私は確信いたしております。  以上でございます。
  49. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 それでは次に、臼井参考人にお伺いしたいと思います。  臼井参考人には二点お尋ねしたいと思うのですが、まず第一点目は、高校生にとって社会科はなぜ重要なのでしょうか。  それから第二点目ですが、歴史というのは人文科学としての性格を持っている、だから社会科学としての性格を持つ社会科にはなじまない、したがって社会科から独立した教科にすべきという意見がありますけれども、この点についてどのようにお考えなのか、お伺いしたいと思います。
  50. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) まず第一番目の高校生にとって社会科はなぜ必要か。私は、今日の高校生の現状、受験体制下の高校生の現状というものについて三つぐらい問題点を考えているわけでございます。一つは、先ほど申し上げましたよう知識を受け身的に受け取るだけで自分なりの歴史像、社会像に結びついていないというような問題。あるいは、これは高校生自身の責任ではないのですが、自分の回りの問題に非常に疎くなってきている。つまり受験に役立つことだけで自分の回りのことに非常に疎くなっている。あるいは、社会のとらえ方が非常に紋切り型になっている。  そのよう現代高校生の状況を見ますと、なおさら社会科教育の精神というものを生かしていかないとまずいのじゃないか。そういう点では、私は社会科の、系統的な学問というものを現実の問題と切り結びながら学んでいく、そういうふうなことが必要ですし、なおかつ現代社会でやるような主体的に学習するということが必要になっている、そういうような役割を一つ持っているなと思います。  なおかつ、社会科の中で非常に強調されている、一つの問題を非常に多面的、多角的に見るというそのような柔軟な社会認識の形成ということが今日の高校生にとって非常に求められている。そういう点では、高校生にとって社会科の必要性というのは、現在の受験体制を考えれば考えるほど大事になっているのではないかな、このように考えております。  次の、歴史教育が人文科学としての性格を持っているというような問題、これはいろいろ議論はされていたようでございますが、確かに歴史教育は人文科学的な性格を持っておりますし、ある意味では社会科学的な性格でも語れることもございます。地理学に至っては、御承知のとおり理学部で地理学をやったりするようなところもありますから、自然科学的な側面も持っている。  そういう意味では、人間と社会を考えるそういう社会科の基礎となる学問というのは、非常に人文科学的あるいは社会科学的、場合によっては自然科学的な側面も含み込みながら立てられていると思いますので、それを機械的に、人文科学的なものはこちら、歴史は人文科学的だから地歴科にやってそれ以外は公民科というふうにはできないし、社会科の精神からは問題ではないか。  現に公民科の中には、倫理というのはこれは一番、歴史学以上に人文科学の性格を持っているわけでございますが、やはり公民科の中に置かれておりますし、そういう意味では地理歴史科、公民科というのは、そのような観点ではなくて、人間と社会をとらえるさまざまな学問的なものを踏まえながら社会科として押さえる、そういう点が必要なのではないかなと考えております。
  51. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 それでは次に、市川参考人にお尋ねしたいと思います。  社会科地歴科公民科に区分することについて、これはいろいろなプロセスがあっても教育課程審議会で結論が出たとの見解があるわけですけれども、この点についてどのように思われますでしょうか。
  52. 市川博

    参考人市川博君) 結論が出たということについて、どういうようにお答えしていいかわかりませんけれども、私としては、先ほど申し上げましたよう委員の選任または審議のプロセスにおいて非常に大きな問題がある。そういう点で、やはり少なくとも地歴科公民科の分化につきましては、まだ完全実施まで時間がありますのでもう一回再検討していただきたい。そしてもう一回再検討した上で、あるべき姿でもう一回、本当の意味生徒にふさわしい教育あり方というものを考えていただきたい、そのように考えております。
  53. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 終わります。
  54. 池田治

    池田治君 今まで参考人先生方のいろいろなお話を聞きまして、歴史が必要である、特に国際化の時代に向けまして世界知識を体得することがいかに重要であるかということはよくわかりましたし、また、現在は国の転換期でもあり世界転換期でもある、特に世界が重要だということもよくわかりますが、その世界史必修にされた理由、並びに、現在の教育課程の中でこれが取り扱われずにわざわざこれだけを分離されて独立させたという理由、これを木村参考人並びに梶原参考人にお聞きします。
  55. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) 日本歴史の方は、小学校から学んでおりますし、何せ日本歴史でございますからなじみがございますが、世界史につきましては、中学のときに近世の十六、十七世紀から後、日本関係する限り世界歴史についても学ぶということでございまして、世界史それ自体を全体として学ぶという場は小学校中学校では与えられていないわけでございます。  したがいまして、高校段階で初めて、より広い視野、世界地域の視野から日本を考え直すという意味では世界史を初めて全体として学ぶという意味で、やはり必修にすることが大事ではないか。ほうっておきますと、そういった諸地域についてわからぬまま何といいますか日本を愛するとなりますと、偏狭な国家主義も出てきかねないわけでございますので、したがいまして世界史必修にすることは今の教育状況からいたしますと不可欠だと思うわけでございます。  と同時に、地歴公民につきましては、先ほど先生の御質問の中にございましたように、やはり歴史的な物の見方というものが今ほど求められているときはないのではないか。単に自分の国の過去の栄光とか失敗を記憶するのではなくて、これから後の生き方というものを今までと違った視点から掘り起こしをする。  例えばヨーロッパ史ですと、今まで成功した時代歴史が掘り起こされておりまして、十二、三世紀ヨーロッパの中世、ロマネスクとかゴシックの時代、あるいは革命の時代、こういったものは非常にスポットライトは強く当たっておりますが、十四世紀、十五世紀から十七、八世紀時代、ここのところが、近代国民国家も成立せず封建社会が崩壊するということで……
  56. 池田治

    池田治君 先生、簡単で結構です。
  57. 木村尚三郎

    参考人木村尚三郎君) はい。  ということで、何といいますか、余り今までスポットが当たっていなかったところであります。そこにこれからスポットを当てていき、新しい知恵を掘り起こすということが大事だと思うわけでございます。  以上でございます。
  58. 梶原康史

    参考人梶原康史君) 第一点の世界史必修にする件についてでございますが、先ほど木村先生の方からお話がありましたように、小学校中学校におきましては十分な世界史指導というものはなされていない。今日、国際化が非常に進んでおります中で、世界国々の成り立ちとかあるいは地域文化圏なんかにつきまして、これは私たちといたしましては十分に国民教育の上に位置づけなきゃならないということの必然性から特にそういうことが求められてきておると思っております。  もう一つ地歴公民との分離でございますけれども、高等学校になってきますというと、私が 先ほど述べましたように、教えていきます中で基礎的に基本的に専門性とかあるいは系統性というものを教師の方で身につけてなかったら、本当に子供たちに豊かなそういう教育内容を与えることができない。といたしますというと、非常に幅広い教科の中でございますから、この際にそういう二つの分離を考えることによって先生方専門性を深めていく必要があるという観点からこの必要性を思うわけでございます。
  59. 池田治

    池田治君 学問専門性ということと教育専門性学問系統性ということと教育系統性、これを臼井先生がお話しになりましたけれども、私はまだ高等学校生徒の発育段階では、教育的な視野といいますか、学問をするための力を養う能力、こういうものを磨き上げれば足りるのじゃないかと思っておりますが、それはそれとしまして、しからば世界史のみを必修にして日本史必修にしない、これが一つの問題だし、また地理も、今は地球的な規模で公害が発生しておりまして、地球温暖化の問題なんかも日本だけでは解決できない問題になりました。その意味では地理もまた必修にしなくては、歴史のみではちょっと片手落ちではなかろうか、こういう意見を持っておりますが、市川先生、臼井先生にお願いします。
  60. 市川博

    参考人市川博君) 先生のおっしゃっているとおりであります。それ以上つけ加えることはないわけであります。  教科というのは、実はその文化遺産をある枠でもって枠づけしたものにしかすぎません。本当の意味教科をやろうと思ったら合科的にせざるを得ないということがあります。例えば公害の問題でもそうですけれども、排気ガスとかそれから工場排水の問題がどうしていけないのか、あるいは農薬の問題がどうしていけないのかという理科的な勉強をしなければ社会科勉強になっていかない。  そういう意味におきましては、大切なことは、そういう科目教科、またそこにおける知識というものを結合して問題解決に生かしていく力であります。そのことが一番大切なことであります。内容を教えるということが教育ではないということを改めて申し上げたいと思います。
  61. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 世界史とかあるいは地理とか社会科の中の系統的な領域というものをどれを必修にするかどうかという点については、私の所属しております社会科教育学会の中でもいろいろな議論がございますし、私は今、委員がおっしゃいましたように、場合によっては地理だとか、あるいは現行のよう現代社会をむしろとる。そういう意味では、どれを必修にするかという議論はさまざまあるかと思います。そういう点では、どれも必修にしながらあるいは世界史というものを必修にするという議論はやはりあるのではないか、私も同じように考えております。  ただし、その際に、世界史必修にするということと、それを社会科という教育的な系統性の枠の中で考えるかどうかという点については別の問題がございまして、やはりあくまでも世界史重視ということを社会科という教育的な系統性の枠内で考える、そのことを、高校生というやがて社会人になりあるいは大学専門的な学問をするための重要な段階において組み立てるべきではないだろうか、このように考えております。
  62. 池田治

    池田治君 いろいろお話を伺ってわかってまいりましたが、今、参議院で法案の審議をやっておりますのは免許状の改正問題、地歴公民との分離ということの問題になっているわけですけれども、このままいけば分離してしまってそして教育免許状も改正になるということになっております。もしこのまま進んで地歴のみを中心とした教育が行われるとすれば、それの生徒に及ぼす教育効果といいますか、どういう結果が生じるだろうか。特に日本国憲法並びに教育基本法との関係で、臼井先生にお願いをいたします。
  63. 臼井嘉一

    参考人臼井嘉一君) 私は、地理歴史科、公民科というふうに別々に系統を分けてしまうという方式をとってしまいますと、ややもすると現在の受験体制における系統知識の詰め込み的なそういう問題等も出てくるかと思いますし、何よりも、私が強調しておりますなぜ社会知識を学ぶのかという際に自分の身の回りの現実の問題と結びつけながら系統的な知識を組み立てていくという、そのよう社会科の精神というものがこのままだと失われていくのではないかなという問題が一点でございます。  もう一点は、私は大学における教員養成に携わる者といたしまして、今、新しい教科が二つつくられることによって、それに対応するために私も大学においていろいろな関係委員をやったりしておりますが、非常にやりくりして、結局は人員増にもならないまま、条件整備もならないまま非常に片手間になってしまうような、あるいは非常勤講師で賄ってしまうような、そういうおそれを今考えております。以上です。
  64. 池田治

    池田治君 ありがとうございました。
  65. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 他に御発言もなければ、参考人に対する質疑はこれをもちまして終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお聞かせくださいましてまことにありがとうございました。本委員会を代表し、厚く御礼申し上げます。(拍手)  午前の審査はこの程度とし、午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時二十六分休憩      ─────・─────    午後一時三十分開会
  66. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  私立学校教職員共済組合法及び昭和六十二年度及び昭和六十三年度における私立学校教職員共済組合法の年金の額の改定の特例に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は既に聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  67. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 私は、私学共済組合法の問題にかかわって幾つかお尋ねしたいと思います。  私の出身県、高知でも、教育振るわざれば国家衰うなどという誇り高い建学の理念を掲げまして、公立不振の教育界で健闘している特徴的な私立学校が数多くございます。いろいろ種類はありますけれども、十八校ぐらいございます。私もまた私立学校に学びました。ですから、そこに働かれる教職員の方々社会保障や福利厚生の充実を図ることは、私学振興政策の最も重要な柱であると理解しているわけでございます。  さて、私学共済組合が設立されるまでの私学の教職員は、短期給付は財団法人私学教職員共済会または健康保険、長期給付は財団法人私学恩給財団及び厚生年金の四つの制度に任意に加入していたと伺っています。しかも、これらの制度はいずれも、給付の種類や内容の点で、あるいは財政的基盤の面で不十分な実情にあったと聞いております。  そこで文部省に、長期、短期それぞれどのような実態にあったのか、年金とか医療の実態についてお伺いしたいと思います。
  68. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) お答え申し上げます。  私学共済組合が設立されるまでの間、私立学校の教職員は、今、先生御指摘がございましたように、医療給付につきましては財団法人私学教職員共済会または健康保険、また年金給付につきましては財団法人私学恩給財団または厚生年金の四つの制度に任意加入をしていた状況でございます。  これらの制度につきましては、給付の種類あるいは内容の点、また財政基盤の点で大変不十分な実情にございました。そういうことから、当時、私立学校の教職員の関係者から、私立学校の全教職員を包含して国公立学校の教職員の共済制度との均衡を保てるような制度をぜひつくってほしいという声が大変高まってきたわけでございます。そういう状況のもとで、昭和二十八年に私立学校教職員共済組合法が制定されまして、昭和二十九年 一月一日に私学共済組合が発足した、こういう状況でございます。
  69. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 二十九年に私学共済組合が実際にスタートしたわけですけれども、それらの制度でどの程度給付水準が向上したのでしょうか、お尋ねいたします。
  70. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済組合が二十九年に発足いたしました当時は加入の学校数それから組合員数は非常に少のうございまして、当初は加入の学校数は約三千四百校、組合員数は約五万人でございました。年金受給者は千二百人程度ということであったわけでございます。今日では、六十三年度末におきまして加入学校数が約一万三千校、加入組合員数が三十八万六千人、受給者数は八万九千人を超えるということでございまして、受給権者等から見ましても数十倍の伸びを示しているわけでございます。  また、この私学共済制度は国家公務員共済組合との均衡を考えまして制度につきましてもいろいろ改善をしてきたわけでございまして、その給付の内容また負担につきましても、最近では、被用者年金制度全体の一元化に向けまして給付、負担の公平を保つという観点でいろいろ検討が加えられている、そういう状況にございます。
  71. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 私学の教職員はこの私学共済組合の誕生を大変喜んだと思いますし、また今後もその発展を期待していると思うのですけれども、現在、私学共済組合の長期、短期の給付水準は他の共済組合や制度と比較してどうなのでしょうか、また発足当時と比べていかがなものでしょうか、お尋ねいたします。
  72. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 先ほど申し上げましたように、私学共済組合の年金につきましては国家公務員共済組合法を準用しております。その給付の水準におきましても、現在は国家公務員共済組合の年金と同じ水準にあるというふうに考えております。  制度の発足当初から制度をいろいろ充実をしてまいりましたので、給付の水準は高まっているというふうに考えております。
  73. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 それでは、私学共済の掛金について伺いたいと存じます。  私学共済組合の長期、短期の掛金は、事務費財源、福祉財源を含めて、労使の合計で、それぞれ千分の百四・五、千分の八十・五となっていますが、これは他の共済に比べていかがでしょうか。
  74. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 他の共済組合の掛金との比較ということでございますので、二、三、他の共済組合の例を申し上げたいと思います。  国家公務員共済組合でございますが、本人の負担ということに限って申しますと千分の七十六、これは本年の十月からの引き上げを含んだ数字でございます。なお、そういう意味で申しますと、私学共済につきましては、事務費を除きますと本人の負担が千分の五十一ということでございます。それから公立共済につきましては、本年の十二月から引き上げがございまして千分の八十八、農林共済は、六十一年の四月からでございますが千分の六十七、それから厚生年金につきましては六十年十月から千分の六十二でございますが、これは現在、法案が出ておりまして、掛金の引き上げの方向で検討が進められているというふうに聞いているわけでございます。  今申しましたようなそういう数字から見ますと、私学共済の掛金率というのは、長期の場合、他の制度に比べましてかなり低いということが言えるのではないかと思うわけでございます。これは、私学共済年金制度の発足が比較的新しいこと、そして、発足当時は先ほど申しましたように五万人の教職員で発足したわけでございますが、私立学校がその後急速に発展をいたしまして組合員が現在三十八万を超す、こういう状況にございまして、全体の年金財政を支える基盤が大変大きくなっているということ、また年金の受給者が現在のところは比較的、他の年金に比べますと割合が低いということがあるわけでございますが、年金は長期的に見なければいけないわけでございまして、今後はそういった受給者が多くなってくるわけでございますので、十分そういった点を考慮して長期財政に取り組んでいかなければいけないというふうに考えております。
  75. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 長期の掛金は他の共済に比べて比較的低いけれども、短期の掛金率については余り低いところに位置する水準ではないとおっしゃるわけでございますね。
  76. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 長期に比べますと短期につきましては、他の共済年金等と比べまして若干低いという状況でございます。
  77. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 いずれにいたしましても、私学共済につきましては制度発足以来、長期、短期ともに順調に運営されてきているというふうに理解いたしました。  その健全財政運営ができた原因というのは、先ほどちょっとお触れになりましたけれども、どこにあるとお考えでしょうか。組合員の年齢構成とかあるいは成熟度が低いということも要素だとは思いますけれども、ほかに何か具体的な要因がございますでしょうか。
  78. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 先ほど申し上げましたとおりでございまして、歴史が浅くて、組合員が当初五万人であったのが急速に三十八万と、こういうことでございますので、年金の対象者がまだ少のうございます。そういう意味で、組合員全体が非常に広がりがある、その中で少ない年金の受給者を支えていくということが一番大きな原因になっておるわけでございます。
  79. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 比較的順調に推移をしてきた私学共済であると言えるかと存じますけれども、今もおっしゃいましたように、今後は必ずしもそうはいかないのではないか。というのは、子供の数の減少に伴って学校数、教職員数の減少が余儀なくされているということ、そして法律改正によって六十五歳以上の在職支給制度が導入されていること、また組合員の高齢化によっても、今おっしゃいましたように将来の給付総額がふえていくということは明らかであると思います。  こうした成熟度の高さにつれていろいろな要素が出てくると思われますけれども、短期、長期に分けてそのさまざまな要素、統計的なといいますか数理的といいましょうか、推計も含めてそういったものを具体的にお示しいただきたいと思います。
  80. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) まず短期経理の方から申し上げたいと思います。  短期経理につきましては、昭和四十六年の十月に掛金率を千分の七十三に改定して以来、昭和六十年度までは毎年黒字を計上していたという状況にあったわけでございます。しかし、昭和五十八年に導入されました老人保健制度による老人保健拠出金の増ということもございまして、六十一年度から単年度で赤字を出す、こういう状況になってまいりまして、六十三年度には約八十三億円の赤字を計上したわけでございます。したがいまして、そういう状況の中で掛金率を千分の五引き上げまして千分の七十八とさせていただいたところでございます。  今後の見通しでございますけれども、依然として全体の短期財政につきましては悪化が続いておるわけでございますので、本年、千分の五上げたわけでございますが、来年も引き続き引き上げざるを得ない、こういう状況でございます。
  81. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 厳しさの状況はよくわかりましたが、その短期経理の円滑な事業運営ということで、当面、千分の十程度の掛金率のアップが必要だったけれども、余りにも急激過ぎるということで、平成元年度からは千分の五引き上げたということでございますね。その厳しさの最も原因とするところは何でしょうか。
  82. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 短期経理につきましては、従来、掛金率を据え置いてきたわけでございますが、昭和五十八年度から老人保健制度が実施に移されまして、その老人保健の拠出金がだんだんふえてきたわけでございます。そういう関係で短期の財政もなかなか苦しくなってきている、こういうのが一番大きな原因の一つかと思われます。
  83. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 その私学共済の短期経理のこうした厳しさから、標準給与の上限を政令で決める場合、他の共済より高く決定することもあり得るでしょうか。平成元年十月実施では七十一万円と伺っていますけれども、今後の方針としていかがでしょうか。
  84. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今回、法案改正の主要点の一つといたしまして、標準給与表の改正をお願いいたしているわけでございます。その中で短期の標準給与につきまして現在の四十七万を、長期の方は今回五十三万に改善をお願いするわけでございますが、その五十三万にさらに上積みした等級を政令で定めるところにより置かせていただく、その上限を一応七十一万というふうに考えているわけでございます。  これは健康保険の場合に既にそういう上限が七十一万という実態を見ており、なお国家公務員共済組合もそういった横並びの改善を今回行おうということでございまして、私学共済もそれに倣ってそういう改善を行おうというものでございますが、これは応分負担の考え方に立っておりまして、特に、短期財政の悪化、掛金の引き上げということが若い組合員の大変な負担になっておるわけでございますので、給与に応じまして短期の掛金を引き上げさせていただくということを考えているわけでございます。
  85. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 それでは、私学共済の未加入校についてお聞きしたいと思いますけれども、現在どのくらいございますか。
  86. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済の加入校についての状況でございますが、先ほど私学共済が設立される前の事情については御答弁申し上げたとおりでございまして、当時、短期についても長期についても、厚生年金とか健康保険とか、既にそういう制度に入っていた学校があるわけでございます。そういう意味で、制度ができましてからもそういう学校につきましては私学共済組合に入っても入らなくてもよろしいという選択の道が与えられていた。そういうこともございまして短期と長期の未加入のところがあるわけでございます。  その状況を申し上げますと、全体で五十校でございますが、このうち三十校が短期、長期いずれにも加入していない学校でございまして、その代表的なものとしましては、早稲田とか慶応とかそういった大学がございます。それから短期のみの非加入が十六校、長期のみの非加入が四校、こういう状況にあるわけでございます。  この加入の問題につきましては、私どもも、私学振興の観点に立ちますとできれば全私立学校が加入していただくということが一番望ましい姿ではなかろうかと思っているわけでございますし、現在の法律でも、新しく新設した学校については強制加入という形にさせていただいているわけでございます。この加入問題については、昭和四十八年にも議員提出におきます法律で、現に加入をしていないところの学校につきましても組合員の合意が得られればそういった加入の道を開くということの措置をとったわけでございますが、現時点ではそういう学校がなおかつ非加入の状況にある、こういうことでございます。
  87. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 未加入校が加入をしないという理由については、他の制度、例えば厚生年金とかあるいは健康保険の制度に加入していて、それがもう既に定着をしていると見ていらっしゃるわけですね。未加入校が私学共済に加入をする意思はないというふうに見られて、加入の門戸をお開きになるというお考えはないわけでございますよね。
  88. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 先ほど申し上げましたように、昭和四十八年の制度改正の際に加入措置が講ぜられた法律が施行されたわけでございますが、そのときに学校法人には、これが最後の機会なのでよく御検討の上結論を出してほしいという旨、御連絡をしたわけでございます。先生の御指摘がございましたように、この未加入校におきましては既に厚生年金、あるいは短期の場合は独自で健康保険組合というものを持っておりますし、また保有財産もあるわけでございます。長い間そういう形で定着をしてきておる、また掛金も個々の健康保険組合で独自に定めておりますので、現在の私学共済よりも不利になるとか有利になるとか、個々の学校の判断があろうかと思うわけでございます。  いずれにしても、これは四十八年のときもそうでございましたが、組合員の御意向といいますか合意といいますか、そういったものをもとにして私どもは進めているわけでございますので、これが今後、年金制度の一元化を平成七年を目指してやっているわけでございますが、そういった強い御意向があった場合には、またその時点でいろいろ考えさせていただきたいというふうに考えております。
  89. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 わかりました。  それではちょっと問題を変えまして、私学共済組合の事務所移転の問題が起こっているようでございます。昨年七月の閣議決定で俎上に上がっているということを伺っていますけれども、現在どのよう状況になっておりますでしょうか。
  90. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 先生お尋ねの点は、国の行政機関等の移転の問題であろうかと思いますが、これは東京の一極集中の是正を図って国土の均衡ある発展を進めていこうということで、昭和六十三年七月に閣議決定を行いました。政府全体として四十九機関十一部隊が移転対象機関、三十特殊法人が移転要請機関というふうにされたわけでございまして、これらにつきましては本年の八月二十四日に移転先地または移転候補地の取りまとめが行われたところでございます。  一方、お話がございました私学共済を含む三十の特殊法人につきましては、ただいま申し上げましたグループとは別に、同じ閣議決定におきまして、関係省庁においてその機関の性格を配慮しながら、移転の趣旨を踏まえて移転を推進する方向で別途検討を行うこととするというふうにされたわけでございます。その後、この閣議決定を受けまして文部省及び私学共済組合におきましても検討体制を整えましていろいろ検討を進めてきているわけでございます。また政府レベルにおきましても国の機関等移転推進連絡会議におきまして検討を続けておるわけでございますが、現在はこの国の連絡会議におきまして、閣議決定の趣旨を踏まえて引き続き検討を行うことというふうにされているところでございます。  なお、この問題につきましては私どもは私学共済組合と密接な連絡をとって検討を進めておるわけでございますが、私学共済組合からは、業務の遂行に当たりまして特に中央省庁とか私学関係団体と密接な連携が必要であろうということ、また年金財源の運用に当たりましていろいろな金融機関等との情報交換、連絡が必要であるということ、また、本部事務所が湯島会館にあるわけでございまして、そういったものの転出がなかなか難しいのではないかというようなこと等、いろいろ問題点があるということは報告を受けておりますので、私どもとしてはこれらの問題点を十分踏まえてこの問題には対処してまいりたいというふうに考えております。
  91. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 ただいまその移転に伴ういろいろなデメリットを述べられたわけですけれども、そのほかにも、本部共済に勤めていらっしゃる職員の方が通勤交通上いろんな不便をかこつようになるとか、あるいは資産運用の面で今言われました金融機関との連携上効率が悪くなるといったようなこととか、あるいは地方へ出ますとどうしても学校の配置状況から遠くなりますから文書通信費もかさむとか、さまざまなデメリットが出てくると思うわけです。どちらにいたしましても、さっきおっしゃいましたように私学共済の意向というものを十分に反映して対応していただきたいと思います。  この点について大臣のお考えをお聞かせいただきたいのですが、どうしても移転する方向で検討を進められていらっしゃるのですか。
  92. 石橋一弥

    ○国務大臣(石橋一弥君) お答えいたします。  この問題につきましては、政府の一極集中排除の考え方、その排除の仕方といたしましても私も いろんな意見は持っております。例えば中央集権的ないろんな意味における各制度、法律、これを徹底して地方団体に権限を移譲する、これなんかは大変効果があらわれるものではないかなという意見等もあります。  いずれにいたしましても、本問題は既に前任者の当時に話がついておるという中に立たされております。でも私といたしますと、行政改革そのものの目的はスムーズに仕事ができることにあるわけですから、当然この問題につきましても、この場合は私学共済でありますが、私学共済の意見を十分尊重しながら対処しなければならないな、こんなふうに考えております。
  93. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 最後に、私学の父母負担の軽減に関しまして、毎年、予算編成時に教職員や父母の方々が助成金の増額を求める署名活動などに取り組んでいる姿を私もかつて見てまいりました。そういう立場で、私学に対する国の積極的なバックアップ体制をぜひとも要望したいと存じます。  また、今後とも、私学の果たす役割の重要性に照らして、私学教職員の福利厚生や労働条件の改善も含めまして私学共済の充実のために積極的に取り組んでいただきたいと存じますが、文部大臣の御決意のほどを伺って、質問を終わりたいと思います。
  94. 石橋一弥

    ○国務大臣(石橋一弥君) 今の御質問、一つは私学助成のことですが、これにつきましては基本的な問題でありますので、大変厳しい国の財政事情でございますけれども、今後とも私学の役割の重要性をよく考えまして私学助成の推進に努力をしてまいる所存でございます。一番もとはパイを大きくしなければなかなかうまくいかないわけでありますが、とにかく一生懸命にやっていきたいと思います。  それから第二点の年金制度のことでありますが、一元化の問題その他ございますけれども、要は、私どもの立場は、私学共済組合の設立の経緯及びこれまでの同組合の果たしてきた役割を十分念頭に置きながら、長期的に安定した制度を維持できるようこれからも一生懸命にやりたいと思います。
  95. 西岡瑠璃子

    西岡瑠璃子君 よろしくお願いいたします。  終わります。
  96. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 西岡委員の質問に引き続きまして、ダブる部分もありますけれども質問をいたします。  最初に、大体この私学共済法は国家公務員の共済組合法を準用する形でつくられておりますが、衆議院の方から回ってきたものも含めまして、ちょっと御説明をいただきたいと思います。
  97. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今回、政府から御提案いたしました法案の主な改正点及び衆議院における修正の内容について申し上げたいと思います。  まず標準給与表の改正でございますが、先ほど申し上げましたように、標準給与の等級の上限を四十七万から五十三万に引き上げさせていただく、短期につきましては政令で定めるところによりましてさらに上位の等級を加えることができるようにさせていただきたいというふうに考えております。この改正規定の適用でございますが、政府案では元年の十月でございましたけれども、衆議院の修正によりまして、法案の施行日の属する月ということに現在なっているわけでございます。  次に、標準給与の再評価のことについて申し上げますが、退職共済年金等の額の算定の基礎となります標準給与の月額につきまして、社会経済情勢の変動を勘案したいわゆる再評価を行うことにより給付水準の改善を図ることといたしているわけでございます。これにつきましても実施時期は、政府案では本年の十月でございましたが、衆議院の修正によりまして本年の四月に繰り上げて行うということになっておるわけでございます。  次に、六十五歳以上の在職教職員に対する年金の支給措置の関係でございますが、これは私学共済独自の改正でございます。私学共済の教職員の雇用の実態及び厚生年金保険における取り扱いとの均衡を考慮いたしまして、今回、私立学校に在職する教職員に対し、六十五歳に達した日の前日に退職したものとみなして年金を支給することとしておるわけでございます。なお、この支給に当たりましては、一定以上の高額の給与を受ける者につきまして政令によりまして、その給与の額に応じて年金額の一部を支給を停止するという措置をとることといたしておるわけでございますが、これにつきましては平成二年の四月から実施を予定しておるところでございます。  次に、理事の任命方法の変更でございます。私学共済組合の役員の任命につきましては、行政改革の趣旨に沿いまして、理事は理事長が文部大臣の認可を受けて任命するという改正をお願いいたしてございます。  また、先生御指摘のよう国家公務員の準用規定が多くあるわけでございますので、その関係について次に申し上げさせていただきたいと思います。  年金額のうちで基礎年金相当の定額部分及び配偶者等に係る加給年金、そういった額の改善が行われております。これの実施につきましては、政府案では十月でございましたが、四月に繰り上げて実施するということになっております。  また、年金支払い回数でございますが、現在、年金支払い回数は四回、三カ月に一度ということになっておるわけでございますが、これを年六回、二カ月に一度にふやすことを御提案申し上げておるわけでございます。なお、この実施時期につきましても、政府案では本年の十月でございましたが、これは法案の時期との関係もございまして、衆議院の修正によりまして平成二年の二月からということになっておるわけでございます。  次に、完全自動物価スライド制の実施についてでございます。従来もこの物価スライド制は実施されていたわけでございますが、消費者物価指数が五%以上変動した場合に政令でそういう改定措置がとられることになっていたわけでございます。今回は、消費者物価指数の上昇率に応じまして政令で自動的に年金額の改定を行うことができるようにしようという改正の内容でございます。これにつきましては平成二年四月から実施を考えておるわけでございます。  さらに、在職中の低給与者に対して支給する年金の支給割合の変更の問題がございます。現在、給与の低い方々に例外的に在職中でも年金の一部が支給されておるわけでございます。この支給率の刻みが現行では三段階でございまして、政府案ではこの刻みを五段階にふやすということを御提案したわけでございますが、衆議院の修正によりまして、さらに二段階ふやして七段階の刻みにするということに現在相なっているわけでございます。  次に、出産手当金の支給期間の延長でございますが、健康保険法による支給対象期間等を勘案いたしまして、多胎妊娠の特例及び出産日以後の期間の延長を行うという改正も同時に行うということにいたしてございます。これにつきましては公布の日から実施をするということになっているわけでございます。  最後に、物価スライド関係の規定の関係でございますが、先ほどの標準給与の再評価等との関連もございまして、政府原案では年金額の改定特例法の改正を提案していたわけでございますけれども、再評価の実施時期が十月から四月に繰り上がりましてこれに吸収されましたので、関係規定の削除及び題名を改めているということでございます。  以上でございます。
  98. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私どもこれを見て、法律が随分おくれて送られてきましたから、これがいつ成立するかということで自動的に月が違ったものもありますし、また保革伯仲というようなことが前提になりまして、いろいろと議論のあったものがとにかく一応の結論を見てこのような形になって提案されてきた、逆に言えば前進面もある、こういうふうに考えているわけですが、この修正で送られてきたもので、財源上、収入、支出、変化をもたらすようなものが何かありますか。
  99. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) これは財源の問題でまいりますと、実施の時期が十月から四月に繰り上がってくるということで、再評価に伴います給付改善、それから基礎年金等の改善に要する経費というのは当然必要な経費になってくるわけでございます。
  100. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 では後で少し具体的にお伺いすることにいたしましょう。  先ほど説明のありました国家公務員等共済組合法の準用により改善措置が講じられる事項の中で、出産手当金の支給日数の延長というのがありますね。労働基準法が変わったわけですから、産後の四十二日というのが五十六日、多胎妊娠の場合は七十日になるというのは当然のことだというふうに思うわけであります。これは労働基準法上は、出産で休んでも給料は支払わなくてもいい、こういうふうになっておりますね。それは最低の基準でありますから、組合が強いかどうか、あるいは労働協約がどういうふうに決まるか、あるいは使用者の側の理解がどうであるかによりまして、給料というのはいろいろな形で支給をされていると思います。  まずその出産手当について、出産のために休んだ休業手当というようなものがあったらそのことについて説明をしていただきたい。
  101. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今回、改正でお願いしておりますのは出産手当金の支給期間の延長でございますけれども、これは健康保険法におきます支給対象期間等を勘案しまして改正を行おうというものでございます。今回の改正では支給対象となります日数を、産前につきましては多胎妊娠の場合に限り七十日まで、産後につきましては一般的に五十六日まで延長することができるというものでございます。  私学共済におきましては既に昭和六十一年度から、組合独自の付加給付といたしまして今回の改正と同様の内容の措置をいたしてございます。その状況をちょっと申し上げますと、法定給付でございます出産手当金につきましては昭和六十三年度の実績で三千百五件、経費にいたしまして九億四千万が支給されております。また、今回の改正案でお願いしておりますが、組合独自の付加給付、出産手当金付加金といたしまして、同じく昭和六十三年度実績で二千九百一件、金額にして一億六千万が支給されている、こういう状況でございます。
  102. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 この「私学共済の概要」というパンフレット、これは毎年精力的に出していらっしゃるんですけれども、若い方がつくられるのでしょうか、虫眼鏡でないと見えないような感じがするんですが、これを見ますと、私、私学共済においては子供を産みながら働き続けている女性が多いのではないかと思うんです。手当金だけいただいて、はい、あとは御勝手にという方もいらっしゃるかもしれませんけれども、そういう女性がふえている。逆に言えば私学がそういう女性を採用して働いてもらっているという形になりますが、労働するということが当然のようになってきていることをこのパンフの中の出産費件数を見ながら大変喜ぶわけであります。  しかしその一方で、二十五、二十六になったらもうやめなきゃならないよう状況もつくり出されている。幼稚園だとか、あるいはもっともっと厳しい労働条件での各種学校あるいは専修学校というものがあることもまた具体的に見てはいるんですけれどもね。  この給付一覧表を見ておりますと、出産手当というのは欠勤して給与が減額されたときに支給するというふうになっていますね。したがって減額されないで満額出た場合にはこの出産手当金、休業給付は出されないというように読めるわけであります。そしてその支給の内容は、標準給与の日額の八割または六割、こういうように書いてありますから、逆に言うと全額は保障されないというふうに読めるんですね。そして出産費については、これはいわゆる保険給付として月額の一カ月分、最低保障が二十万円という形で出る、こうなっているわけであります。  大体この私立学校等におきまして、労働協約とかあるいは就業規則とかいろいろな規則があると思いますけれども、そういう中で、出産をしたときの給料が保障されているというのは一体どのくらいの率であるのでしょうか。
  103. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) ただいま先生の御指摘がありました実態でございますが、私どもちょっとつぶさに掌握をいたしておりませんので、恐縮でございますがそういう状況でございます。
  104. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 この出産手当ですが、休業給付の方はその母体、私立学校とか大学あるいは幼稚園、そういう母体で二割の給料を出さなければ支給しないということを聞いているのですが、それはわかりませんですか。
  105. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 御指摘のとおりでございます。二割出さないといけない、こういうことでございます。
  106. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そうしますと、労働基準法の最低ははるかに突破をして、私学共済は女性が子供を産み働き続けるための条件整備がある程度整っているように私は読み取りました。これがぜひ、八割だの六割などということでなしに一〇〇%出てくるような条件ですね。国公立準用なんですから、義務制の例えば小学校中学校の先生、国公立の先生が出産したときにはきちんと保障されているんですから、そういうものが準用できるような形をとっていくことが私は大事なのではないかという考え方を持っているわけであります。  しかしそういう意見は、使用者側の方からいえばとんでもない話ですね、たくさんお金を出さなきゃならない。お金をたくさん出すということは、別に営利事業じゃないわけですから授業料という問題が出てくる。あるいは国からの補助金、助成金が必要になってくる。こういうことになろうかと思うんですけれども、でも、やはり働く人たち意見というのを大事にしなきゃいけないと思うんですね。  そこで、組合員の意見などが入るような条件というのが大変必要になってくるだろうと思うんですが、運営審議会の中でこういうようなことが問題になったことはございますでしょうか。
  107. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) ただいま突然のお話でございましたので、過去において運営審議会で具体的にこの問題が取り上げられたかどうかということは承知していないわけでございますが、ただ運営審議会は、共済組合の長期、短期、特に短期についてはいろいろな角度から検討していただいているというふうに伺っておりますし、また、現在、出産手当金につきましても、法律の制度はないわけでございますけれども六十一年度から既に今回の改正案の措置を私学共済で実現に移しているということを考えますと、制度としては十分積極的に取り組んでいただいているというふうに理解をいたしております。
  108. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 次に、私学共済独自の、先ほど御説明のありました六十五歳以上の教職員に対する年金の支給措置、支給措置と書いてありますが支給停止なんですね。支給停止と書くのと支給措置と書くのでは全然受けるイメージが違うわけでありますけれども、もっと具体的にこれを説明していただけますか。
  109. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今回、私学共済独自の改正といたしまして六十五歳以上の在職者に対する年金支給措置をお願いしているわけでございますが、これは具体的には、当分の間の措置といたしまして、長期給付に関しまして、二十五年以上の組合員期間等を有する組合員が六十五歳に達したときは、その達した日の前日に退職したものとみなして退職共済年金の受給権を発生させ年金の支給を行うものでございます。  また、この年金支給措置につきましては、受給者が引き続き私立学校に在職し一定以上の給与を受ける場合は、その給与の額に応じて年金額の一部を停止しようということで、これは具体的には政令で定めていくわけでございますが、その政令の内容としましては、支給制限対象者は短期給付に係る標準給与の等級に応じまして最高八〇%から最低八%まで十段階の刻みを設けていきたいと 考えております。
  110. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 先日、説明のありましたこの法律案の提案理由の中に、「私立学校教職員の雇用の実態及び厚生年金保険における取り扱いとの均衡を考慮し、私立学校に在職する教職員に対し、六十五歳に達した日の前日に退職したものとみなして、年金を支給することといたしております。」こう書いてあるわけですが、これを簡単に言えば、六十五歳に達する前の日にみんな退職をしてもらいますよ、退職をしてもらった形にして年金を支給いたしますよという、総退職というように読んでよろしゅうございますか。
  111. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) この制度は、六十五歳以上の在職の教職員、例えば私学の大学方々が厚生年金等で既に支給を受けている、そういうアンバランスがあるではないかということ等もございまして今回こういう改正に踏み切ったわけでございます。  この制度は、六十五歳以上の在職している者がそのまま年金を受けるということでございます。それで私学共済組合の制度の上では組合員としての資格を喪失させるということでございまして、学校の身分はそのまま存続をしていくということでございます。
  112. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 組合員は六十五歳になっても今までは長期の年金をもらえなかった、しかしこの法律ができますと給料ももらえてそして年金ももらえます、しかしその給料の額によりまして、年金の方は八%減らされる人もいるし、最高は八〇%減らされて二〇%しかもらえませんよと、こういうことになるわけですね。
  113. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 御指摘のとおりでございまして、六十五歳の在職のままで年金が受けられる。従来は、六十五歳以上の者でもそういう制度がございませんでしたので年金はもらえない、しかし掛金は払わなきゃいけない、こういうことであったわけでございますが、今回のこの改正案によりますと、年金は受けて掛金は払わなくてもいい、こういうことになるわけでございます。  それで、先ほど来申し上げておりますように全体のバランス等も考えまして制限措置を加えているわけでございますが、この制限措置の基本的な考え方は、標準給与の平均が四十一万でございまして、そこの標準給与を上回る者につきまして、八%から、最高七十一万の高い給与の方については八〇%というものを支給停止させていただくという内容になっているわけでございます。
  114. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そうしますと、この法律が通ることによって今度は六十五歳以上で私学に勤めている方には年金が、私学共済の方は今までなかったけれどもそれが支給され、逆に掛金は私学共済の財源の中に入らない、こういうことになるわけですね。年金を出すけれども掛金はもらわない。  そうしますと、財源の上で今までと違いまして狂いが出てくると思うんです。その狂いは読み込んで財源を計算したものと思いますが、いかがですか。
  115. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 先生おっしゃるとおりでございまして、この六十五歳の支給の制度を実施した場合には今まで支給をしなかった者に対して支給をしていくことになるわけでございますが、この六十五歳以上の対象者が約一万六千人おります。そういう一万六千人の方々に年金を支出し、またその方々が従来払っておりました掛金が支払われない、こういう状態になるわけでございます。  そういう意味で、財政面におきましては大きな負担になってくるわけでございますが、平年度で申しますと、このために必要な経費は約百億程度となるわけでございます。
  116. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 大変問題がたくさんあってどこから質問していいかわからないのですけれども、そうしますと、詳しいことを知らない普通の共済組合員は、今度は六十五歳になったら給料ももらえて年金ももらえるんだ、大変得をするな、こう思うかもしれませんけれども、標準給与の高い人は年金を大幅に支給停止、削減をされるわけですから、逆に言うと大変損をするというような形になりはしませんでしょうか。
  117. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今、先生御指摘のございましたように、中には損をする人がいるのではないか、こういうことでございますけれども、これはあくまでも、現在、給与を受けながらプラスアルファとして年金を受ける、こういうことでございますので、そういうことはないわけでございます。
  118. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 この提案理由に「厚生年金保険における取り扱いとの均衡を考慮し」こうありますけれども、これは具体的にどういうことを言うのでしょうか。
  119. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) この六十五歳の在職教職員に対しての新しい制度改正を行う理由の一つは、厚生年金等との不均衡を是正しようということが一つの大きな理由になっているわけでございます。  これは、先ほど来出ておりますけれども、早稲田大学とか慶応大学とかそういった幾つかの大学が、設立の当初の経緯もございまして厚生年金に加入をいたしているわけでございますが、厚生年金におきましては昭和六十一年の制度改正におきまして、六十五歳になると老齢という理由で全員に年金が支給される、こういう仕組みになっているわけでございます。したがいまして、同じ私立大学の教職員の中でも、厚生年金に入っている私立大学の教職員と私立学校共済組合に入っている私立大学の教職員との年金受給におきましてアンバランスがあるではないかということが特に指摘を受けていたわけでございまして、厚生年金との均衡を保つというのはそういう意味でございます。
  120. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 確かにこの文教委員会でも、私学共済の先生方が年齢に達しても年金をもらえないのはおかしいではないか、もらえるようにしなさいという決議をしたように思いますけれども、支給停止などというようなことについては全然触れなかったと思うわけでございます。そこで、それでは私学共済に加入していた方と厚生年金に加入していた私学の教職員との間に均衡がとれて差がなくなってくるのかどうか、その辺についてお伺いをいたします。  まず、私学共済の加入者が厚生年金に加入した場合、つまり、例えば青山は私学共済ですね、その青山の先生が、さっきから早稲田、早稲田とおっしゃっているから、厚生年金適用の早稲田に行かれてそして六十五歳になられた、こういうときに、私学共済の適用からは外れてしまって所得制限の対象にならないのじゃないか、こう思いますが、いかがですか。
  121. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 先ほど申し上げたのですが、厚生年金の場合は六十五歳になると老齢という理由で年金がすべての者に支給される、こういう仕組みになっているわけでございます。したがいまして、今挙げられました事例につきましては、厚生年金の該当者ということで、その方がほかの大学へ行った場合でも年金は支給される、こういうことでございます。
  122. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 それでは、同じ私学の教職員で、厚年適用私学の六十五歳以上の在職者とそれから私学共済適用私学の六十五歳以上の在職者との間では、標準給与四十四万円以上の者にとっては依然として格差が残るのではないでしょうか。
  123. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) そういう意味の格差は依然残ろうかと思います。  といいますのは、先ほど来ちょっと申し上げているのですが、私学共済の年金制度というのは国家公務員の共済制度と同じように共済年金制度でございます。一方、厚生年金は、先ほど六十五歳になったら老齢ということで全員に支給されるという意味で、その取り扱いが異なっているわけでございます。一方、私学共済年金制度というのは共済組合の年金制度全体の中でのバランスを考慮して制度を運営していかなければいけない。そういうことで、厚生年金とのアンバランスも考慮に入れ、また共済年金全体の均衡ある制度の維持ということも念頭に置いてこの制度をつくっていかなきゃいけないということで大変苦労した点でござ います。  例えば国家公務員の場合でも六十五歳以上の現職の方は、例えば裁判官とか、数は少のうございますけれどもいろいろいるわけでございますが、そういう方は、今回そういう制度ができておらないわけでございますので支給の対象になっていないわけでございます。また、国家公務員で六十五歳以上で他の私立大学等に勤務したような場合におきましても、年金の支給の制度というのがございます。そういうこともございまして、そういった教職員とのバランスというのも十分考慮していかなきゃいけないということで今回の措置がなされているわけでございますので、御理解をいただきたいと思います。
  124. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 確かに共済ですから、いい給付をやっていけば結局お金が必要になってくる、そのお金はどこから持ってくるかといえば組合員から出してもらわなければならない、そうすると掛金の引き上げと、まあこういうふうにストレートこは結びつかないと思いますが、理屈で考えればそういうことになろうかと思いますから苦労するところだと思うのですけれども、これで十分やっていける、このことによって特に掛金率を高めるというようなおそれはない、こうお考えですか。
  125. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) この六十五歳の在職支給の問題は、国会での決議もございました。また、私学関係者からも多年にわたる強い御要請でございました。そういったことを受けまして、制度的には、先ほど来申し上げておりますようにバランスからいいますと大変難しい点もあるわけでございますが、そういう中で今回、制度改正を御提案できるような状態になったわけでございます。  いろいろな意味で問題があったわけでございますので、実施の時期が多少ずれ込んできたのもそういう理由によるわけでございます。また、財源の問題も確かにあるわけでございます。特に私学共済は若い層の組合員の方も多くおられるわけでございます。そういったことも総合的に考えてこの制度を運営しなきゃいけないということもございまして、制限措置をとるとか、あるいは短期の標準給与についてはかなり上限を上に上げて収入を図り、全体として若い方々にも今以上に負担をさせないように配慮をしたということもあるわけでございます。  毎年の支出につきましては、先ほど申しましたように約百億円程度の経費がかかるわけでございますが、これは制度の改善をやる以上、必要な経費は見込んで、財政再計算の際にこれを全体としてどういうふうに掛金に上乗せしていくかということは当然検討しなきゃいけない問題というふうに考えております。
  126. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私学における定年の実態などを調査なさったことはございますでしょうか。
  127. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私立学校の定年の状況でございますが、昭和五十六年に私学共済が行いました調査がございます。  その概要を申し上げますと、私学共済は組合員全体の平均定年年齢は六十三・四歳ということになっております。このうち教員だけを取り上げて見ますと六十四・五歳ということでございます。さらに大学についてこれを見ますと、組合員全体では六十四・三、教員については六十五・九ということになっております。幼稚園について見ますと、組合員全体で五十七・一、教員については五十六・五歳ということになっておるわけでございます。  今申し上げましたように、私立学校の教職員の場合の定年といいますのは、他の民間企業や国家公務員というものの定年とは非常に異なりまして、特に大学等を中心として六十五歳を超えるというよう状況にもなっているわけでございます。ただ、私立学校の中でも幼稚園から大学というさまざまな機関を抱えておるわけでございますので、大学は高いわけでございますが、一方、幼稚園は五十代である、こういう状況でございます。
  128. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 今の幼稚園の平均ですけれども、もう一度言っていただけますか、何かちょっと信じられない数字を言われたように思うので。
  129. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 幼稚園について見ますと、組合員全体で五十七・一歳、教員は五十六・五歳、こういう数字が出ております。
  130. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 幼稚園を見ますと、若い短大を出たばかりの先生がいっぱいいらっしゃるわけですね。それでいて平均すると五十七だの五十八だのというのは、一体どこでどういう計算をなさったんですか。
  131. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今、大変誤解をお与えして恐縮でございましたが、これは定年の年齢ということで各学校法人が定めている年齢の平均でございます。
  132. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 了解いたしました。  そうしますと、幼稚園は六十歳末満の定年が随分ある、こういうことと、そしてまた確かに教員と事務職員との間には定年の差もあるということが明らかになったわけでありますが、労働省の雇用管理調査、八九年度のものが出ましたので、私、調べてみたのですけれども、六十歳以上の定年制を持っているのが六一・九%といいますから、三八・一%、四割近くが六十歳以下の定年制だということになりますね。  そして、今後六十歳以上にします、または改定の予定がありますという企業を含めて七九・三%ですから、八割に近い企業が六十歳以上にしたいと思っている。逆に言うと、まだまだ二〇%が六十歳以上に定年を延ばすことはとても考えられない、そういうふうに思っているわけであります。しかし、その七九・三%の六十歳以上に近いうちにしたいという企業、改定の予定があるという企業も、いつ改定するかということになると、もう八割ぐらいが相当後のことだ、こう答えているというんですね。そうすると、六十歳定年ということはもう非常に遠いように思うわけであります。  そうしますと、二〇一〇年には年金は六十五歳にならなければ支給しませんよなどというのは大変過酷な数字だなと、私はこう思っております。文部大臣、今度の法律からはこの六十五歳の問題は外されてこっちへ来ましたからそれでよろしいのですけれども、六十五歳にならないと年金が支給されませんよということになれば、当然、国立も公立もそうですけれども私立においても、そのあたりまでちゃんと勤められて、そしてやめたら年金をもらえるというような条件をつくるべきだというように思いますが、そうお考えでしょうか。いかがですか。
  133. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) ちょっと大臣の答弁の前に御説明をさせていただきたいと思います。  今回、私学共済関係での改正案では六十五歳の支給の引き上げの問題については御提案をしていないわけでございます。これは厚生年金の関係の法案では、御承知のように六十歳から六十五歳に引き上げるスケジュールについての規定を御提案申し上げたわけでございますが、これは衆議院の段階で修正がございまして削除され、附則で次期財政再計算の際に見直す旨の規定がなされたというふうに承知をいたしてございます。  この六十五歳への引き上げの問題につきましては、私学共済では、厚生年金あるいは国家公務員の六十五歳への引き上げ問題の検討事情も十分に勘案して、その整合性等も考慮して検討していかなければいけない問題でございますが、特に御指摘いただいておりますように雇用問題と極めて密接なつながりがございますので、十分これは慎重に検討すべき課題と考えております。
  134. 石橋一弥

    ○国務大臣(石橋一弥君) お答えいたします。  結局、支給開始年齢の引き上げは、将来のことを考えますと避けて通れない問題であるなと、そんな認識を持っていますが、私は党の政調会長代理をやっていたころ、やはり六十五歳まで勤められるように、国家公務員もあるいは地方公務員も、いずれもそこまで勤められることと並行しなければ、六十五歳支給年齢それだけが先行するのは果たしていかがかという論者でございました。内閣に入りますとそのようなことで厚生年金改正法案の中に入れたわけでありますが、修正をされたということであります。しかし、避けて通れないから、いつかはやはり雇用と年金支給とを一緒にしてしなければならない、こんな考え方でおります。
  135. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 大臣の力強いお考えをお伺いしまして、ぜひそういうことで頑張っていただきたいと思うのです。  先ほどから申し上げておりました私学共済の六十五歳の問題ですね、六十五歳になったらあなたは標準給与四十四万円以上取りますと一部分停止しますよ、こういうことになっているわけでありますけれども、逆に言うと、今まで出なかったのが出るようになりますから、例えば四十一万円とかそういうことになりますと、今度は給与をちょっと下げたいなと、年金がもらえるんですから、今までは出なかったのがもらえるんですから、その分給料を下げましょうと、あるいは六十五歳になったらそこのところで一たん退職をしていただいて非常勤というような形でどうでしょうというようなことになりはしないかと心配をするものですが、その辺の心配はございませんでしょうか。
  136. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) この六十五歳支給問題につきましては、いろいろ制度上も問題はある中で工夫をしてここまでこぎつけたわけでございまして、そのねらいとするところは教職員の年金の給付の改善ということを目指しているわけでございます。私どもといたしましては、そういった今回の制度改正の趣旨を現場の機関においても十分御理解いただくように周知徹底をさせていただきたいというふうに考えております。
  137. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私、先ほどから支給停止の問題についていろいろと意見を言いましたけれども、この支給制限については厚生年金相当の給与比例部分についてのみなされる、そういうことでしょうか。停止率が実際はそのまま停止率になっていないのではないかと思いますが、どうでしょうか。
  138. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 停止の対象になる部分でございますが、退職共済年金及び障害共済年金のうちで、いわゆる厚生年金相当部分のみが支給停止の対象になる、こういうことでございます。
  139. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そうしますと、最高の八〇%停止率の標準給与月額は七十一万円ですね。この七十一万円の方が実質的に八〇%停止をされるかというと、そうではないと思いますが、計算はありますか。
  140. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) ただいま申し上げましたように、これは厚生年金相当部分というのが対象でございます。そのほかに、私学共済の場合は職域年金相当部分それから加給年金等があるわけでございますので、これは今、突然の御質問でございましたので数字はちょっとはじいてございませんけれども、約五割程度ではなかろうか、こういう感じでございます。
  141. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 支給制限が八〇%というけれども、その方の経歴によっていろいろ違うと思いますが、実際は五割程度と。私の計算したのでは六八%程度という数字も出ておりますので、その辺の実害といいますか、これは八〇%といっても表どおりの数字ではないのだということが明らかになったわけであります。  ところで、確かにこういうような条件になるんだと、いろいろやったり取ったりしていけばもうしようがないんだというよう考え方をお持ちになる方もいらっしゃるでしょう。しかし、どうしても納得がいかないという考え方を持つ共済組合員もいらっしゃると思うんですけれども、そのよう意見については、上の部分といいますかトップクラスの部分でいろいろと話し合いをされたものか、あるいは組合員にこういうような問題がありますよということを戻して吸い上げ戻して吸い上げる、こういう形の討論をなさったものか、その辺はどうでしょうか。
  142. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今回の改正案を作成するに当たりましては、私学共済の中の運営審議会、それから理事長の諮問機関でございます年金制度の研究会等で十分御意見をいただきまして、御賛同いただいて御提案をしているということでございます。  また、それぞれ運営審議会におきましては学識経験者のほかに組合員の代表、この組合員の代表は私学団体の御推薦で出ていただいておりますので、幼稚園から大学までの関係の機関の代表の方が入っているわけでございます。そういう中で、また諮問機関であります年金制度の研究会におきましてはかなり専門的な観点からの御意見をいただいておる。  そこでまとめていただいた御意見を今回の改正案としてまとめたわけでございますが、そういった内容についても、さらに私学共済の方から各私学の団体にも御意見を伺って、この内容についてはすべての団体から御賛同いただいて進めさせていただいているというものでございます。
  143. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 すべての団体から御賛同いただいた、大変いいことだと思うんです。多方面にわたって問題点を討議していただいて意見を集約した。しかし、この私学共済に加入をしている学校は、大学、短大、高専、高校、中学、小学、幼稚園、盲聾、各種学校、それから専修、そして組合、こういうふうになっているわけでありまして、こういう多様なところがみんなそれで賛成というようになったというふうには考えられないんです。  それで、私は運営審議会の内容についてお伺いしたいのですが、このパンフを見ますとお名前は挙がっているのですけれども、一体このお名前の方はどういう方なのか、どういう層を代表していらっしゃるのかというのが全然わからないわけですね。やはりこれは親切に組合員にわからせるようにすべきではないかと思いますけれども、どうですか。
  144. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済組合の運営審議会があるわけでございますが、この委員につきましては三者構成という形になっておりまして、組合員の関係、それから法人の関係、それから学識経験者という三分野から選ばれるようになっているわけでございます。  特にそのうちの組合員関係及び法人関係委員につきましては、私立学校共済組合が昭和二十九年に発足して以来、私立学校側の意向を十分酌むために私学団体の推薦によって文部大臣が委員を委嘱するという慣行になっているわけでございます。この推薦団体は現在の全私学連合という団体から推薦をいただくわけでございますが、御推薦に当たりましてはそれぞれの私学団体が、所属の団体はもちろんでございましょうけれども、幅広く全私学また年金制度全体の重要性を御理解いただけるという方を御推薦いただいているのじゃないかと思うわけでございます。  私ども、個別にこの方はこの学校の代表であると、そういったことで選んだというふうには受け取っていないわけでございますので、その点はそういうふうに御理解をいただきたいと思います。
  145. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私もここにお名前の挙がっている方々をちょっと調べてみたんです、どういう肩書を持ってここに出ていらっしゃるのか。そうしますと、学校法人代表、これはよろしいですね、法人から出ていらっしゃるんですから、それぞれのところで御推薦いただくのはわかります。学識経験者もこれは三分の一ということになっていてよろしいんですが、ところが組合員代表、つまり共済組合員を代表するというよう方々の中に、どうも管理者といいますか、どちらかといえば法人の代表のような肩書を持った方が入っていらっしゃるように思いますけれども、その辺はいかがですか。
  146. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) この推薦をいただきました委員の中には、理事長の肩書の方もございますしあるいは教授の肩書の方もございます。また事務局の部長であったり、あるいは学校の教諭の方もおられるというふうに見受けられるわけでございます。いずれにいたしましても、先ほど申し上げましたようにこの委員の推薦につきましては全私学連合の方から御推薦をいただいておるわけでございまして、創立以来そういう推薦の仕方をして私どもは委嘱をさせていただいておるわけでございますが、この長い期間、特に年金制度の運用に当たりましては特別大きな支障はないということでございます。  ただ私どもは、候補者の推薦に当たりましては組合員の意向を十分に反映し組合員の代表にふさわしい方を御推薦いただくよう、これはかねがね お願いをいたしておるところでございます。
  147. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 個人個人が悪いというのじゃなくて、例えば全私連が推薦をするにしましても、私はもっと考えてもらいたいと思うんですね。  このお金、掛金については労使折半でしょう。ですから使用者側が半分出す、しかし、労、労という言い方はまずいかもしれませんが、いわゆる一般組合員の人たちも半分お金を出しているわけでありますから、そういう層から私は出してもらいたいと思うんです。それはその一般の組合員の中に一人ぐらい管理者がいらっしゃってもいいでしょう。しかしあとはそうでない方々が入っていくというのが普通なんですね。  今までずっとやっていて何も問題はなかったとおっしゃるけれども、私もたしか一九七五年、当選した翌年にこのことについて質問いたしまして、あのとき政府側から御答弁をいただいているんですが、日教組の私学部に電話しましたと言うんです。あのころ私もまだ十分によく勉強していなかった部分もあって、どういう連絡をしたのかという追及をすればよかったんですが、ああ、それじゃ日教組の私学部に連絡をとったのかというだけで、日教組の各県の委員長あるいはそういう関係の執行委員人たちが県の運営審議委員になっているように、私学共済もそういうことをやってくれるのかと思って信じちゃったんですね。そうしたらとんでもない、それはそのままで今に至っている。  こういうことがございますので、そういう経過もきちんと踏まえて、これから運営審議委員を出すに当たっては私は配慮をしてもらいたい、こう思いますが、文部省としてそんなようなお話し合い、指導なんて言うとちょっとあれですから、お話し合いの中において、国会の中でこんな意見が出たということをちゃんとお伝えいただけますか。
  148. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) この運営審議会は共済制度の運営に当たりまして非常に重要な機関でございます。その委員の委嘱に当たりましては、私どもとしましては従来どおり全私学連合の御推薦をいただき進めてまいりたいというふうに考えているわけです。ただ、推薦するに当たりましては、共済組合の組合員の意向を十分に反映するよう方々、組合員を代表するにふさわしい方々をぜひ推薦していただきたいということをこれから強くお願いしてまいりたいと思っております。  なお、本日、粕谷先生からお話がございました点についてはお伝えをしたいと思います。
  149. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 このことは私ばかりじゃなくて、衆議院の議事録を読みますと衆議院でもそういうことが問題になっておりますし、毎年この法律を審議するに当たってはほとんどどちらかの委員会意見が出ているわけでありますから、口だけの答弁でなくて、きちんとやっていただいて姿が見えるようにしていただくことを強く要望しておきます。  それから、今度、学生の国民年金への強制加入の問題がありますね。これは一年間、施行日を延ばしているようでございますけれども、この点についての説明と、どのように考えるのかということについてお伺いします。
  150. 坂元弘直

    政府委員(坂元弘直君) 御承知のとおり、今、国民皆保険制度ということで、二十歳以上の成年者につきましては何らかの形で公的年金に加入させるというのが国民皆保険制度の基本的な考え方でございます。ただ、二十歳以上でありましても学生については、国民年金への加入は負担能力の問題もございまして、この法案が提出されるまでは任意加入という形になっていたわけでございます。  ところが、先生も御承知だと思いますが、昭和六十年に国民年金法が改正されまして、国民年金に加入していない二十歳未満の、例えば十八歳、十九歳の学生などが疾病または負傷して障害者になった場合には障害基礎年金というものが、これは障害の程度に応じまして、一級は年額七十八万円、二級は約六十三万円出すような制度改正が行われたわけでございます。そうしますと、二十歳以上の学生だけが国民皆保険の中でぽっかり穴があいてしまうという状況になっておりまして、そこでその国民年金法の改正の規定の中に、将来二十歳以上の学生については保険料の負担能力の問題をも十分勘案して何らかの措置を講ずることとするという規定が入れられたわけでございます。  そこで、今回、その規定の趣旨をも踏まえまして、二十歳以上の学生についても国民年金を任意加入ではなくて当然適用するという改正が行われたわけでありまして、これによりまして、仮に二十歳以上の学生が障害者になった場合には障害基礎年金が支給されますし、あるいは老齢基礎年金についても満額支給される、そういう制度改正が行われているわけでございます。  ただ、問題は、当然適用とされた場合に、先般の六十年の法律改正の中でも、負担能力に十分考慮しながらという規定が入れてございましたとおりに、国民年金の加入に伴って新たに年額約十万円の掛金の負担がかかってくるわけでございます。この点につきまして年金審議会が本年の二月二十七日に、学生を当然適用することは差し支えないが、ただし、学生に対する国民年金の適用に当たっては、親の保険料負担が過大とならないよう適切な配慮がなされるべきであるということを指摘して答申をしているわけでございます。また、先般十一月三十日にこの年金法の改正が衆議院で成立したわけですが、そのときに「保険料負担が過大なものとならないよう保険料の免除基準につき、適切な配慮を行うこと。」という附帯決議が同時に付されているわけでございます。  今回の国民年金法の改正を行うその素案の段階で、当然のこととして厚生省から各省に協議がなされてきたわけでございますが、私どもも、まず、学生に適用することは趣旨そのものは賛成であるけれども、しかし負担能力の問題で父兄に過重な負担にならないように掛金の軽減については適切に配慮してもらいたいということを厚生省に申し入れをいたしまして、厚生省もその趣旨を了としているわけでございます。  現在、厚生省は、これらの答申等の趣旨を踏まえて対応していきたいという立場に立って、国民年金保険料負担能力調査というものを、サンプル調査でございますが行っている最中でございます。そこで、その調査結果を見て適切に対応するというふうに姿勢を明らかにしておりますが、私どももこの学生の負担能力の問題、軽減の問題につきましては、これからも厚生省と十分協議をして適切に対応してまいりたいというふうに考えているところでございます。  ただ、学生に当然適用する点について一年適用を延ばしたという趣旨は、学生に国民年金の当然適用になるその趣旨の徹底を図るためには一年ぐらいの猶予が必要であろうということで、そこの部分だけに限って施行を一年延ばしたというふうに聞いております。  私どもとしましては、国民年金法の一部改正案そのものの趣旨徹底は、本来、第一義的には厚生省の所管ではありますけれども、厚生省と協力いたしまして遺憾のないように趣旨の徹底を図ってまいりたい、かように考えております。
  151. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 免除規定についてはどんな考え方をお持ちですか。
  152. 坂元弘直

    政府委員(坂元弘直君) 免除規定は、現在の規定は収入のない者は免除になるというふうになっております。そうすると、世帯が分かれておりまして、例えば下宿で本人が世帯主になっておる。そこで生活している者については免除がされる。ところが親元から通っておるという学生になりますと、当然、世帯主が、親がいるわけでございますので、その扶養者ということで、その親権者、親の方が収入があるということから収入がない者という範疇には入らないわけでございまして、そこで免除規定が適用されないということになるわけでございます。  そこで、私どもは、それは余りにもアンバランスではないかというようなことで、免除規定そのものはそういう形で適用がないわけですが、軽減する措置のところでぜひとも軽減措置が行われる よう考えてもらいたいということで、現在、厚生省と鋭意折衝しているところでございます。
  153. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 下宿の学生は無収入だ、貧しい、親のところにいれば所得がある、こういうふうに言われますけれども、私なんか、今の高校じゃありませんが、高等女学校と言われた時代にいわゆる県立女学校に入った。田舎で遠いものですから、それに二時間に一本ぐらいしか汽車が通りませんでしたのでみんな寮に入るわけです。お金のある人は寮に入るんですね。ところが、高校の校長をしていた父親一人で七人の子供を持っていますと、私と一つ違いの妹二人を寄宿舎に入れるというお金がないわけです。だから貧しい人は通学したんですよ。  そういうことを考えてみますと、下宿しているからどうだ、家にいるからどうだなどということは私はできないのじゃないんだろうか、こういう感じがいたします。それと同時に、例えば医療費の場合なんか、下宿をしておりましても遠隔証明をもらいまして扶養者ということでちゃんと医療保険が受けられるわけですから、この辺の矛盾もあるわけです。  今おっしゃるように、適切という言葉は非常にいいんですけれども、確かに難しいんですね。今の学生を見ていますと、スキーの時期なんか神田でもう何十万というお金でウエアを買い靴を買いスキーを買い、そして向こうでホテルに泊まってなんというのを見ますと、年間十万円が高いのか安いのかという判断は非常に難しい感じもするわけです。でも、必死に働いている親もいるんですね。そして必死で頑張って学校に通っている子供たちもいる。そういうものを考え合わせるときに、やはり私は最低の人たちがきちんと保障を受けられるような条件というものをつくってやるべきだろうというふうに考えているわけであります。  このごろ何か夜間大学というのは、これはみんな仕事を持っていて行くのかというとそうじゃなくて、仕事はいわゆるアルバイトで、自分の目指す学校に入れなかったから夜間大学勉強しながらまたねらうなどという、そういうよう学生もいるわけです。だから非常に危険な仕事についているという実態もあるわけですね。  高等学校中学校小学校なんというのは、何か事故が起きますときちんと上に報告されてそして補償金が出るという制度ができておりますけれども、大学生の場合はなかなかそういうことにもいっていませんから数字もつかめないと思いますが、例えば、中学生できのうまで元気だった子供が柔道で首の骨を損傷して、もう十年寝たきりで親が面倒を見ているとか、あるいはラグビーでやはりそういうよう状況に遭った息子を抱えて、監督であった親が本当に涙の中で面倒を見ている、こういう事故もあるわけでありますから、それは高校、中学、小学校は別としても、大学生の場合にもそういう保障が一生なされるということについては私は賛成であります。  しかし、自分のやりたいことについてはお金を惜しまないけれども、四十年も後になってやっともらえるかもしれないなんというそういう国民年金に毎月八千円、あるいはこれは八千四百円と、こう上がっていくわけですね。そして普通の方々でも、希望して入ったんだけれどももう掛金がとっても掛け切れないというので途中でやめる方々もいらっしゃるわけですから、そういうことを考えてみますと、本当に学生に掛金を納めるのだというきちんとした理念教育する必要があろうと思います。  これは厚生省の仕事になりますか文部省仕事になりますか、文部省仕事ということになると大学あるいは学校側の責任ということになろうと思いますが、この辺はこの一年間にどういうシステムできちんと体制を整えていかれるのか、お伺いいたします。
  154. 坂元弘直

    政府委員(坂元弘直君) 国民年金法そのものの所管は厚生省でございますので、この法案が通ってその趣旨徹底を行うのは第一義的には厚生省でございますが、今、先生が御指摘のような点もありますので、私どもとしましては厚生省と協力して、どういう形、例えば各大学、団体を通じて行いますか、あるいは都道府県知事を通じていろいろお願いするか、その仕組みはこれから考えなきゃいけないと思いますけれども、厚生省とも協力して趣旨の徹底を図ってまいりたいというふうに考えております。
  155. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 時間が来ましたから私これでやめますけれども、平成七年度から年金制度が一元化される見通しになっています。財政調整もそのための地ならしである、こういうふうに考えるわけですが、大変大きな問題が含まれている重大事項だというふうに私は思いますので、やはりこの年金制度の一元化に対しては、学識経験者、私学関係者、それからさっき申し上げました一般職員の代表等を入れて構成する特別の新たな諮問機関のようなものをつくる必要があるのではないか、こういう考え方を持っているということを申し上げまして、最後に今の質問に対して大臣の感想などをお伺いして終わりたいと思います。
  156. 石橋一弥

    ○国務大臣(石橋一弥君) 公的年金制度の一元化につきましては、昭和六十年の制度改正において全国民共通の基礎年金、いわゆる一階部分でありますが、その導入がされたところであり、今回の改正案はこれに向けてのいわゆる地ならしの措置を行うものである、こう理解をしております。  平成七年度一元化の具体策については、今後、関係各省間で相談しつつ成案が得られていくものと理解しておりますが、私立学校教育の振興に資する、そういう私学共済の本来の目的が損なわれないように、十分検討して誤りなきを期してまいりたいと考えております。  最後の御提案のものにつきましては、だんだんこの私学共済が成熟して大きくなっていくということでありますので、委員の今おっしゃられましたことについて、前向きに検討いたしていきたいと思います。
  157. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 終わります。
  158. 高木健太郎

    高木健太郎君 社会党の委員方々から今までいろいろお話がございまして、私のお聞きしたいことも大抵聞いていただいたようでございますが、お聞きすると想像以上に難しい問題だなという気がいたします。  例えば、六十五歳までは仕事があるように今後ぜひ努めたい、こういう話でございますけれども、私なんかが今までの経験で考えますというと、あれはもうやめてくれぬかなというのがなかなか長生きをしましていつまでもその職にへばりついている、そのために若い人の活力がだんだんなくなる。要するに年寄りが余り長生きをすると若い人がもう出る幕がない、せっかく二十五、三十ぐらいで非常に創造的な仕事をしようというのが、上がつかえているために何にもできないということも一方ではある。長生きすることは大変結構なことでございますけれども、一方では非常に邪魔になっているということもあるわけで、両方考えられるので難しい問題だなというふうに思います。  もう一つは、今、学生に対しても年金が適用されて払わなきゃならぬということになってきているようでございますが、学生もあれですが、このごろは、大学を卒業しまして一たん会社へ入りましてもすぐやめてしまって職がないという人もおるわけです。そういう人がやはり掛金は払っていかなきゃならない、月にして国民年金であれば八千円、年間十万円ぐらいを払っていくということになるわけですね。そうすると、本人たちに聞いてみますと、職もなくてぶらぶらしていて、それでその八千円ずつを払っていくというのはちょっと負担だということを言っているわけです。  そういうことと、その人たちが六十五、そのころは年金が六十五になっているかもしれませんが、になって、それから生きるとしても七十五、そうすると十年間もらうわけですが、それで大体計算が合うのかなという気もするわけで、その人たちの話を聞きますと、当然それは物価が上がっているから余り役にも立たぬぐらいの年金だろうというようなことを言いまして、いやそれにはスライド制というものもあるんだと。  こういうようなこともございますから、先ほど も粕谷委員からお話がありましたように、国民皆年金になったらばこれはこういうふうだということを国民全般にもう少しよくわかるように説明をしておかないと、やはり消費税みたいなことになるのじゃないかというふうにも思うわけです。だから私、まだ説明が不足しておるのじゃないかというふうに思うんですが、まあ六十年にできたばかりですからそう全体にこれが理解されるというのには時間が足りないのかもしれませんけれども、いろいろの場合がございますからして、そういうことをもう少しわかりやすく理解されるような努力をひとつしていただきたいと思うわけです。  そこで、まずお聞きしたいことは、一つは、掛金を掛けていって途中で亡くなった場合、奥さんがなければそれはどこへ行ってしまうか。奥さんがあれば振りかえということがありますが、奥さんがない場合にそれはどうなっていくのだろうか。  それから、六十歳なり六十五歳まで掛け終わって支給開始になるという場合に、大体六十五歳から十年もらうとしてその収支はどういうふうになっているのだろうか。そのことについてまずお聞きしたいと思います。
  159. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) まず初めのお尋ねの件でございますが、配偶者がいなくなって御本人も亡くなられるという場合は、受給権者がいないということになるわけでございます。  それから後者の方でございますが、六十五歳から十年間は年金をもらうとした場合に、一体、掛金と受ける年金との様子はどういうふうなぐあいになるかというお尋ねでございますが、年金の算出というのは一人一人の経歴によりまして大変違ってくるものですから非常に難しい推計になるわけでございますけれども、大ざっぱな推計で恐縮でございますがお示しをしてみたいと思います。  夫が私学共済年金を受給し、夫婦ともに満額の老齢基礎年金の支給を受けるものと仮定いたします。それから、ベア率それから年金改定率は四%、利回りは五・五%、こういう条件のもとでまいりますと、二十歳から六十歳まで掛金を納付するということで考えますと、本人の掛金の総額は約一千二百九十万円、これに対しまして十年間の給付総額が約二千七百三十万円となりまして、給付総額は掛金総額の約二・一倍というふうに見込まれるわけでございます。  なお、年金財政の計算上、年金の受給期間は一般的には平均余命によりまして計算をされますので、六十三年の簡易生命表におきますと、年齢六十五歳の者の平均余命というのは男性で約十六年、女性で約二十年、こういうふうになるわけでございます。それに基づいて推計をしてみますと、給付総額は約四千六百三十万円で掛金総額の約三・六倍になる、こういうふうになるわけでございます。  いずれにいたしましても、その条件のとり方によって大変数字が異なってくるということを御理解いただきたいと思います。
  160. 高木健太郎

    高木健太郎君 大ざっぱに言って二倍から三倍になるということなのでしょうが、そんなことを聞かせていただくと少しは若い人も、払っておっても損ではないという感じがするのじゃないか。  しかし、これはいわゆる共済ということですから、自分のためというよりも次の代のために、あるいはその先の先輩のためにというような考えでやられているので、自分のためというよりもそういう精神があるのだろうと思いますから余り何倍になるというようなことには重きを置かない方がいいのじゃないかとも思いますが、これは後で大臣にもお聞きしたいと思います。  私学共済の年金の収支状況はどうなっているか、それから積立金はどうなっているかということをお聞きしたいのですが、これで見ますと私学年金の総額はかなりの額になっているわけです。長期の方はかなりプラスになっておって、一兆四千億円ぐらいですか、その一兆四千億円をどのようにだれが運用しているのか、そこからどのようないわゆる利益を上げられているのかということをひとつお聞きしたいと思います。
  161. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済の長期経理の収支の見通しについてでございますけれども、昭和六十三年度の決算額によりますと、収入が二千六百五十三億円、支出が千二百億円で、差し引き千四百五十三億円の黒字となっているわけでございます。この黒字は将来の年金給付の財源として積み立てられていくわけでございまして、その累積額は約一兆四千百四十八億円ということになっているわけでございます。  この積立金の運用の状況でございますが、その運用に当たりましては安全かつ効率的に行う必要があるということでございます。そういう観点から、現在この積立金を以下のような形で運用いたしてございます。  一番大きな割合を占めておりますのは、国債それから地方債等の有価証券の購入でございまして、これが八千八百十二億円、資産総額の六二%を占めております。次に日本私学振興財団への貸付金でございますが、これが一一%に当たります千五百五十七億円でございます。それから預貯金が七百一億円、これが五%に当たります。そのほか、貸付信託、生命保険、それから不動産取得、及び医療経理、それから短期関係の宿泊経理等の貸付金や組合員に対する貸付金というようなことに運用させていただいているわけでございます。
  162. 高木健太郎

    高木健太郎君 そこから上がってくる利益というのはどれくらいあるのでございましょうか。
  163. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 全体の運用の利回りでございますが、平均にいたしまして六・四七%という数字が出ております。
  164. 高木健太郎

    高木健太郎君 御存じのように、福祉事業の一環として積立共済年金というのがあるようなんですが、そのことについてお話しいただきたいと思います。
  165. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) ただいまお尋ねのございました積立共済年金でございますが、これは本来の私学共済年金制度として公的にやっている年金ではございませんけれども、職員の方々の福利厚生という観点で、私学共済組合が契約者となりまして生命保険相互会社と提携してやっている内容でございます。  現在のところ、加入をしておりますのは約二万二千人でございます。一口、月、約一万円程度でございまして、四十一歳で入った場合は六十歳まで二十年間ということで、その後はいろいろ選択がございます。年金の形で受け取るような形、また一時金で受け取るような形、それから医療関係の保障を受けるというような形等いろいろあるわけでございまして、あくまでもこれは組合員の福利厚生のための一環として実施をしているものでございます。
  166. 高木健太郎

    高木健太郎君 二万二千人というと、全体で三十八万人でしたか、ごくわずかな人が入っているということでございますけれども、何かこれに魅力があるんですね、バラエティーが多くて魅力がある。例えば四十歳から入って二十年間で掛金が四百四十万円、ところがそれが二十年で千二十九万円になる、だから倍以上になっているわけですね。それから途中で亡くなればそれを戻してくれるというわけです。御存じのようにいろいろの種類があって、私がちょっと見ましてもこっちの方がいいわというような感じがするんです。  というのは、私学共済年金の方は、何かやっぱり昔のお上がおやりになって強制的にお金を取られるということが一つちょっと嫌な気持ちがしますのと、その上に利回りが悪くて、それから余り枝葉がなくて年金しかもらえないという、何か魅力が非常に少ない。こういうふうな魅力があるようなことができるというのは、その資金の運用が非常にうまいのじゃないかなという気がするんですね。  しかしこれはどこか危険なんでしょうかね。そういう運用の仕方ができぬものだろうかというふうに思うんですが、どうなんでしょうか。
  167. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 長期保有財産の運用につきましては、将来の年金の一番の基盤になるものでございますのでいろいろ制限があるわけでご ざいます。そういう中で、できるだけ利回りの多いような形で各共済制度が工夫をして運用をさせていただいているというのが実態でございます。
  168. 高木健太郎

    高木健太郎君 私、これが魅力があるから二万何千人の人が入っておられると思うんですね。だから私は、幾ら国民皆年金といっても何かもっと魅力があるものにできるのじゃないか、やろうと思えば。だから工夫があってしかるべきじゃないかなという気がするのでこういう例を挙げたんですが、これはどうにも、にっちもさっちもいかないものなんてしょうかね。非常にリジッドで、もうそれ以外にお金を使っちゃいかぬぞ、危ないことには決して手を出しちゃいかぬぞと。もちろん危ないことに手を出しちゃいかぬでしょうけれども、もう少し運用面で将来考えていけるという余地はないものなんでしょうか。
  169. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 今後、高齢化社会の到来を控えまして豊かな老後生活をしていくためには、公的年金もその主柱であろうと思いますが、公的年金だけでは不十分であるという統計上の数字が出ているわけでございます。そういう意味で、今後、公的年金を中心にしながら、個人年金あるいは職域等における年金、こういったものを活用して全体として老後に備えていくということが必要ではないかと思うわけでございます。  そういう意味で、いろいろな形の年金が組合員のために用意されていくということは必要なことと思います。私学共済においてもそういった観点で、ただいま御紹介いただきましたように、私学共済の組合員個人の福利厚生のためにそういう保険会社と提携して積極的にそれに取り組んでいるということでございますので、今後ともそういった面に配慮をしてまいりたいというふうに考えております。
  170. 高木健太郎

    高木健太郎君 私、最初に申し上げましたように、この共済年金というのはお互いが助け合っていこう、次代に対して考えていこう、自分が年をとったときのことを考え、今の年をとった人のことを自分たちがまた考えていく、こういうふうにお互いに助け合っていこう、そういうことで皆年金制度というのができていると思うんですけれども、しかし一方では、今の人たちは非常に功利的になっておって計算高いですからして、損なことはやらないというそういう考え方もあるし、またそれはある程度許容しなきゃならぬことである、人のためばかりというわけにもいかない。  だから今、審議官が言われるように、やはり個人年金というようなこともある程度両立でいかないと魅力が少ないのじゃないか。これについて文部大臣、公的年金制度というものの基本的な考え方、それから、将来、個人年金制度というようなものがつくられるかもしれないので、そういう両立的な物の考え方というものがないかどうか、基本的な考えについてお伺いしたいと思います。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕
  171. 石橋一弥

    ○国務大臣(石橋一弥君) 委員、御指摘のことでございますが、老後生活を支える経済的基盤として、公的年金はどうしても基礎的なものとして必要だと私は考えております。ただ、高齢化社会を迎えるに当たって、世代と世代との助け合いの仕組みのもとで老後の所得保障を行う公的年金制度全体の長期的発展と整合性ある発展を図っていくことが必要である、こう思います。  委員のお話の中での問題でありますが、基礎年金としてだれでも、収入の多寡にかかわらずだれでもというのを今度やった。そして二階部分を入れて、自分の収入に合わせて将来の年金支給を余計もらえるような仕組みをつくった。そしてまた、そのほかにもう一つ企業年金等、そのまた上にもっと老後のことを考えてやろうと思えばそこにまた入れるという仕組みもつくったと思います。  生意気なことを言うようでありますが、うば捨て山には人類はもうならないと思いますよ。どんなことがあったって若い世代で、世の中をよくしてくれた先輩、長寿の方々に助け合いという形の中で老後の安定をしておあげしなければならない。長塚節さんであったですかだれであったですか、早くうば捨て山に行きたいということで歯を折って連れていかれたいんだというようなことに人類はもうならないと私は思うし、またあってはならないと思います。そういうことが、お互いの共助、助け合いの中においてやられねばならない。  その中において公的年金の果たす役割、基礎年金、二階建ての部分、そしてまたさらに企業年金等もいいだろう、そこらをいろいろ勘案しながら、また年金間の格差、支給の格差、掛金の格差いろいろありますので、それらを総合的に勘案しながらやっていかねばならないだろう、こう考えております。
  172. 高木健太郎

    高木健太郎君 ありがとうございました。  ただ、それには、非常に今は物の時代になっているものですから若い人にはなかなかのみ込みにくいところがある。だからこれを、何か厚生省はそれを知らせるということですけれども、やはり文部省としてもそういう思想なり気持ちというようなものを若いときから教えていく必要が私はあると思う。そうでなければ、おれは損をした、得をしたと、そういう考えだけしかこれからは受けないわけですね。だからもっとお互いに助け合おうというようなそういう精神が基礎になければ、私はこれは仏をつくって魂を入れないことになる、こういうことでお聞きしたわけでございます。  細かいことはよく私もわかりませんし、また粕谷委員からも十分お聞きいただきましたので、医師である関係上、組合員の健康管理について一、二お伺いしておきたいと思います。  現在いろいろな新しい機器が導入されております。ワープロであるとか、あるいはOA機器であるとか、あるいはタイプライターというようなものであるとか、そういうものでスクリーンを見て目を悪くするというようなこともありますし、あるいはまたタイプライターで指に非常に障害を起こす、そういうことがありまして、労働省あたりからこれに関するいろいろな基準が出されているのじゃないかと思いますが、そういったものの指導、あるいは現場の管理職の指導というものはどういうふうにされているか、お聞きしておきたいというふうに思います。
  173. 野崎弘

    政府委員(野崎弘君) 私立学校の教職員につきましては個々の学校法人との雇用契約、こういうことでございますので、その労働条件につきましては労働省所管の労働基準監督署等が指導しているところでございます。  今、御指摘のいろいろなOA機器、こういうものの導入によりまして、肩が凝るとか目がちらちらするとか、いろいろなそういう障害ということがございまして、労働省の方におきましても昭和六十年十二月に「VDT作業のための労働衛生上の指針について」、こういうものが通達として出されております。  この通達の中でそういう最新の機器に係ります作業の指針等が示されると同時に、労働基準監督署を通じまして各事業所への指導が指示をされている、このように私ども聞いておりまして、先生の御指摘の点は労働基準監督署を通じて十分な指導がなされている、このように思っているわけでございます。
  174. 高木健太郎

    高木健太郎君 こういうものを起こさないようにする予防についての医療費というものはどういうふうになっておるんでしょうか。これは厚生省がおられないからわからないかもしれませんが、いわゆる健康診断であるとか、これは治療ということに対しては医療費は払われると思いますけれども、予防ということについては余り注意されていないのじゃないかと思いますし、それに対してはいろいろな給付あるいは医療保険というようなものが十分でないのじゃないかと思うんです。  例えば健康相談に行くというような場合、私学共済加入の私立医科大学の病院と相談をしてやっておる、これは非常にいいわけですけれども、医療行為を伴わない相談ですから、これは大浜先生よく御存じですけれども、無料でやっておるんでしょうかね。しかしこれは、非常に結構なことですけれどもお医者さんにとってはなかなか大変なことじゃないかと思うんです。  あるいは提携している私立大学が近所にない場 合、あるいは非常に遠隔の場合、あるいは全くないというような場合、そういう場合はこれはどういうふうになるんでしょうか。そういう意味で不公平になるのじゃないかということなんですが。
  175. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済の短期経理の中で、組合員の健康管理ということを配慮いたしまして健康相談等の事業を実施いたしているわけでございます。私学共済の組合員あるいは被扶養者の日常生活上のいろいろな健康についての不安あるいは疑問について、いろいろ日常的に健康相談の窓口になる、そういう事業を実施いたしております。  現在は、私学共済組合加入の私立医科大学病院と契約を結びまして、全国で一都一府九県の二十二病院で今申し上げましたような健康相談の事業を実施しているというのが現状でございます。  具体的にどういう形でそれをやっているかということでございますが、窓口で健康相談を無料で受けるということでございます。そして、その結果医療行為の必要が生じたような場合につきましては、医師や診療科の紹介をしていただいてそこで医療行為を受ける、こういう仕組みになっておるわけでございます。
  176. 高木健太郎

    高木健太郎君 その相談が無料だというのは、それは何の経費も払わないで医療機関の方のサービスということになっているんですか。
  177. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) これは受ける組合員等は無料でございますけれども、先ほど申し上げましたように私学共済が加盟の医科大学の病院等と契約を結んでおるわけでございまして、そういった病院に対して私学共済の方から必要な経費を計上している、こういう実情にございます。
  178. 高木健太郎

    高木健太郎君 そういう契約をしていない組合もあるのじゃないかと思うのですけれども、それはどうなんでしょうか。あるいは、しておってもなかなかそこには行きにくい、利用がしにくいというようなこともあると思うんですけれども。
  179. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済の加盟の大学で医科系の大学につきましては、ごく一部の大学を除きましてほとんど入っている、こういうことでございます。
  180. 高木健太郎

    高木健太郎君 それは結構なことですから、ぜひ全組合員の人たちが利用できるようなそういう病院なりあるいは国立大学なりと提携をされて、そして病気にならないようにする、予防相談を受ける、そういうようにひとつ進めていただきたい、こういうように思います。  私の質問はこれで終わります。
  181. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 本日は私学共済年金法案についての質疑ではありますが、その私学共済年金を支える私学が今後の生徒の急減によって経営危機を迎えようとしています。これから迎えるこの生徒の急減期対策を抜本的にとらなければ私学共済の発展もないという立場から、急減期対策について政府の見解をお伺いしたいと思います。  まず、多くの都道府県では、この急減期を迎えて十年後には生徒数が今年度の約三〇%も減る、つまり三分の二ぐらいになるだろうと言われています。経常経費の大半を生徒の授業料などの納付金に依存せざるを得ない私立学校にとってはこれを学校収入の大幅減であり、したがって深刻な経営危機となることはもう明白なことだと思います。また、学費の点でも際限のない値上げが余儀なくされるということでへ試算では、十年後には現在の二倍になるのではないかという予想もされています。これは私学の教職員の身分を大変不安定な状態に置くことにもなるということで、私学にとっては文字どおり生き残れるかどうかがかかっている大変深刻な問題だ、そう考えるわけです。  この点、文部省がどのような対策を考えておられるのかをまずお尋ねいたします。
  182. 野崎弘

    政府委員(野崎弘君) 先生御指摘ございましたように、いわゆる高等学校段階でございます十五歳人口はことしがピークでございまして、来年度から減少に転じていくわけでございます。そういうようなことはかねてから予想されておりましたが、いわゆる急増して急減する、こういうことでございます。  したがって、文部省といたしましては従来から各都道府県に対しまして、公私立高等学校協議会を設けまして、高等学校の適正配置について調整を図るため、十五歳人口の動態を十分勘案した上で、公私協調の立場から、進学者の動向あるいは公私立学校の役割分担、公私立高等学校の配置計画あるいは入学定員等の問題について十分協議し適切な措置を講ずるよう指導してきたところでございまして、各都道府県におきましてもそういう急増を迎え急減になるという長期的な展望に立って計画的に対処していただいているもの、このように考えておるわけでございます。  文部省といたしましては、今後迎えますこの十五歳人口の急減期に当たりまして、個性的で魅力ある学校づくりを推進するなど、従来にも増して各私学におきます経営努力というものを期待しているところでございます。なお、私学助成につきましては、なかなかこの財政的な全体的な厳しさという中で、経常経費に占めます補助割合というものが年々減少してきておるわけでございますけれども、文部省といたしましては、やはり全体の規模を確保する必要があるというようなことで、マイナスシーリングがかかっておるわけでございますが年々増額要求というものをしておるわけでございまして、来年度におきましても、高等学校関係で申しますと対前年度二十四億の増要求をしておるわけでございます。  今、先生の御指摘ございました十五歳人口の減少というのは全国的な傾向でございますので、私どもとしましては、やはり全体の額というものをできるだけ確保していく、こういうことが基本的に大事なことである、こういうことで取り組んでいる次第でございます。
  183. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 先日の衆議院の文教委員会の議事録も見せていただきました。私は文部省は極めて消極的な姿勢であるということで、正直に言って、残念というよりはむしろその姿勢に憤りさえ覚えたわけです。  今のお答えも、私学助成の増額で一応対応していくのだということのようですけれども、私学の助成増というのはこれはいわば当然のことだと思うわけです。問題は、今の学費を抑えてそして私学の経営を維持していくということにあるということなんです。つまりもっと端的に言いますと、一校たりともつぶさないのだと、文部省にそういう決意がおありなのかどうかということを私はここで明確にお答えいただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  184. 野崎弘

    政府委員(野崎弘君) 高等学校段階、これは御承知のように各都道府県知事が所轄庁になっておるわけでございます。  高等学校教育あり方というのは各都道府県におきましても事情が異なるわけでございますので、それぞれの県の実情に応じて各県におきまして、先ほど申しました公私立高等学校協議会の場などを通じまして十分計画的に対処をしていただいている、このように考えているわけでございまして、文部省といたしましてはそういう県の努力というものを、私学助成という高等学校以下の経常費助成、これは都道府県に対して補助をしておるわけでございますが、そういうものを通じてそれを支援していく、このように考えている次第でございます。
  185. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 衆議院の文教委員会での御答弁の域を出ないということで、本当に明快な答弁がいただけないという思いでいっぱいでおります。  私立学校振興助成法の目的を見ますともうはっきり書かれているのですけれども、この法律は学校教育における私立学校の果たす重要な役割にかんがみて、一点は、私立学校の教育条件の維持及び向上、第二に、修学上の経済的軽減を図ることによって私立学校の経営の健全性を高め、もって私立学校の健全な発展に資する、こういうことが明確に書かれているわけですが、今後の生徒の急減という状況の中で、この法律の目的がいわばことごとく踏みにじられようとしていると言わざる を得ないわけです。生徒の急減期を迎えるという状況の中で文部省として何らかの具体的な対策を立てるということこそ、この法律の目的から見ても当然なことと言えるわけです。  先ほども個々の学校の経営努力にゆだねるというお言葉がありましたが、こういう状況の中で文部省は、淘汰される高校、私学があってもやむを得ないというふうな考えに立っていらっしゃるのでしょうか。その点、結論だけ簡単にお答えいただきたいと思います。
  186. 野崎弘

    政府委員(野崎弘君) 私どもは、各私学がそれぞれ個性的で魅力ある学校づくり、そういう形で、厳しい状況にあるということは私どもも十分承知をしておるわけでございますが、そういう経営努力の中で十分その役割を果たしていっていただきたい、こう思っておるわけでございます。  やはり基本的には、これは各都道府県で事情が違うわけでございますので、各都道府県段階でどのような助成措置をしていくかということも十分これに関係をしてくる問題でございまして、今の国からの助成の措置というのは、都道府県の助成水準に応じて国の補助もそれに対応する、こういう措置になっておるわけでございます。  したがいまして私どもといたしましては、そういう都道府県の助成水準というものをできるだけ、各県の財政事情もあろうかと思いますけれども、努力をしていただく、それに応じて国の助成につきましても十分努力をしていく、こういうことで臨んでまいりたい、このように思っております。
  187. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 同じ答弁の繰り返しなわけですけれども、私は端的に伺ったのですが、このよう状況の中で淘汰されていくこともやむを得ないというふうに文部省としては考えていないというふうに伺ってもよろしいのでしょうか。
  188. 野崎弘

    政府委員(野崎弘君) 淘汰をどういう形で考えるか大変難しいわけでございますけれども、各私学がそれぞれ地域におきましてその役割を果たしておるわけでございますので、今後ともその地域におきます役割を果たしていっていただきたい、このように思っておるわけでございます。
  189. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 私がおります北海道の過疎の町に北星余市高校というのがございます。ここは一九八八年、昨年の春ですけれども、高校中退者もやめた学年から受け入れるという、これは恐らく全国でも初めてであろうと思われる「小さな学校の大きな挑戦」という取り組みをしています。このような表現は朝日新聞あるいは地元の北海道新聞などでも紹介されて有名にもなっているところです。  実はこの北星余市高校という学校は、町自体が過疎ということから、過疎とそれから生徒の急減対策ということで本当に全教職員が真剣に取り組んできて、将来展望のための対策プロジェクトチームをつくって次のような方策を立てたわけです。  六点あるのですけれども、第一は生徒数を確保するための必死の方策をとること、第二に資産運用を行うこと、第三は経費の節減、第四は人事異動、第五が寄附金の募集、第六が全学園的な財政的援助ですが、このうち一から三については、もうやるところまでやって限界でこれ以上はやれない、四と六、人事異動あるいは全学園的な援助というのはなかなか実際には難しいということで、五の寄附金募集ということをこのように決めたわけです。自分たちの学校は自分たちの力でできるところまで運営しなければならない、近い将来の予想される赤字補てんのために教職員が本俸の四%を寄附金として積み立てる、こういうことを全教職員の会議で決議して、これをもう三年間も続けているわけです。  賃金カットをみずから行うのじゃないかという批判も受けながら、けれども、そう簡単にはいかない問題である、何とか学校を残したいのだということでこういう取り組みを行ってきたわけです。これだけ必死になっても、拍車のかかる過疎化、生徒減少の中で好転しないということで、理事会はこの余市高を廃校というところにまで持っていかざるを得ないという時期に、今、最初に申し上げました中退者も受け入れる、こういうことで、言ってみれば北星余市高校がサバイバルをかけて打った手ではあったわけなんですね。  このような中で、おれは北星がなかったらくず星だったろう、あるいは、この学校には人の心をきれいにする何かがある、それは先生の純粋な心、真心だと思うと言う男子生徒、あるいは女子生徒は、受験体制についていけず負けました、決められた道を外すとして許されなかったこの社会から、私のよう生徒に人として生きるチャンスを与えてくれたこの学校の挑戦がとてもうれしい、私は愛のこもった教育勉強だけでなくどの生徒生活にも温かい目が注がれていること、それを今感じていると。  何とかこの子たちのために親とともにという思いに支えられた教師集団があったからこそその教育を続けたいと考え、それが日本じゅうの熱い教育に対するニーズにこたえるということで今現在この北星余市高校があるということなんです。  しかし、この中退者を受け入れるということは言葉で言うほど簡単ではなくて、現実にお話を伺ってきたのですけれども、先生方は朝の七時、八時には学校に行き、家に帰るのが夜中の十一時、そしてその十一時に帰宅するのを持ち受けていたかのように、全国から生徒が来るわけですから親が長距離電話をかけてくるというような中で体も壊している。この次は自分ではないか、そういう不安に駆られながらも、学校が生き残れるかどうかということがかかっているのだという生徒急減期を迎えて、教師も親も学校ぐるみで必死になって取り組んでいるというのがこの北星余市高の実情なんです。  しかし、ここで私は言いたいのですけれども、必死だけれどももう限界に来ている。そして、先生方が本俸の四%を積み立てなければならない、教育になかなか専念できずに経営のことを必死になって考えなければならないというそこまで追い詰められているということ、これは本来文部省仕事ではなかったのかということを私は強調したいわけです。  文部省としてももっと私学の現状をつぶさにごらんになって急減期対策をとるべきだと思うのですけれども、この点、特に文部大臣の見解をお伺いしたいと思います。
  190. 石橋一弥

    ○国務大臣(石橋一弥君) ただいま一つ高校の例を引かれてお話があって、私も感激をいたしたものでございます。  ただ、私学全体、我が文部省といたしますと、平成元年度七百五十五億で二十四億増ということですが、高校関係は、何度も私学部長から話がありましたとおり知事さんですね。そこで、それに対する財源をどうやっているかということは、いわゆる地方交付税交付金の算定基礎の中に私学に対する補助を十分頼むよということで、交付税交付金で三千三十九億円を見込んであります。つまり文部省の補助金の四倍以上、それだけのものを、各知事さん方ひとつ私学振興のため、高校以下でありますが、よろしく頼むよということに相なっております。  これは交付税でありますから、これよりも余計にやってくださっている県もあります。また、この交付税のところまで出さない県もあるんですね、はっきり言いますと。大体、関東の中でどことどことどこがこうだ、どことどこの程度はこうだというのも、委員各位、皆さんみんな御承知だと思います。  そこで、もちろん文部省としては、これはもうつぶれるよう高校がないように一生懸命に努力をせねばならない、当然のことだと思います。ただ、一緒になって、都道府県の知事さん、あるいは県によって知事部局にあるところもあるし、教育委員会部局にあるところもありますから、よく相談し合って、その目的を達成できるようにできる限り努力をいたしたいと思います。
  191. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 時間がありませんのであれですけれども、要するに急減問題というのはもはや通常の問題ではなくて特殊な社会現象である。ですか ら、過疎地の私学特別補助並みの急減期に対応する特別助成対策というものがどうしても心要ではないかというふうに考えるわけで、その点強く要望して、次の質問に移りたいと思います。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕  急減期というのは一方で、視点を変えれば、私学の劣悪な教育条件を改善したり進学率を向上させる、四十人から三十五人学級を実現するいわば絶好のチャンスだというふうに思うわけです。そのためにも、文部省が四十から三十五人学級を実現しそれに見合う補助を行うとか、学級増の適正化、縮小に見合う助成を確立する、あるいは父母負担を軽減するための授業料の一律助成などを含めて、これはもう文部省の責任で対策をとっていただきたいと思うわけですが、いかがでしょうか。
  192. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 今、先生のお話しでございます四十人学級を三十五人というようなお話でございますけれども、これは実は率直に申し上げまして、今、義務教育諸学校におきまして四十人学級の実現ということで、私ども予算の要求など随分苦労しているわけでございます。  それで、今、先ほど来のお話を伺っておりますとどうも義務教育諸学校というよりも高校の問題のようなお話でもございますけれども、高校につきましては今やはり教職員の第四次改善計画というのが進んでおりまして、これもやはり平成三年で完成するということになっておりますが、これも現状では六〇%の進捗率ということでございまして、四〇%をあと二年間で整備したいということで私ども懸命に努力している次第でございます。今後ともその計画の達成に十分努力してまいりたいというふうに考えているわけでございます。  ただ、これは公立の関係でございまして、公立のさらにその後ということになりますと、やはり現在の計画を完成することに最大限の努力をしている実情でございまして、まだそういうことについては言及する段階ではないというふうに考えておるわけでございますので、その辺のところをひとつお含みおきいただきたいというふうに考えるわけでございます。
  193. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 時間ですので質問はもう終わりたいと思うのですが、四月六日の参議院の大蔵委員会で西岡文部大臣は、この点では推進の努力をしたい、基本的な検討が必要とも答えておりますので、ぜひその方向で進めていただきたいと思います。  それで最後に、これは委員長に御要望なんですけれども、私学の問題というのは、今私がそのほんの一部ですけれども問題点を指摘もしてきたのですが、委員長御自身が私立大学御出身ということで、大学も含めた私学の問題についてはもうよく御承知だとも思います。もう手をこまぬいていられるような状態ではないと思いますので、文教委員会としてこの私学問題についての対策委員会をぜひ設置していただいて、集中審議をして意見をまとめるというような形で進めていただければと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  194. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 高崎委員のただいまの御提案につきましては、理事会においてまた皆さんと御相談していきたいと思います。
  195. 池田治

    池田治君 年金法等の制度間調整法案が今国会に提出されておりますが、これによりますと私学共済組合も、最初は三十億、後で修正して二十四億を拠出されるということのようでございます。  我々が所属しております厚生年金におきましては、一般サラリーマンが積み立てた金を何で旧国鉄共済組合の救済のために出さなきゃいけないのか、どうしてもこの金は国もしくは国鉄清算事業団が支出すべきであって厚生年金から支出すべきではない、こういう声が多数でございます。私もその一人でございますが、それにもかかわらず、私学共済におきましては気前よく三十億ないし二十四億、こういう金を拠出することに決定されている様子でございますけれども、これはどなたとどなたが協議されて、どういう根拠でこの最初の三十億という数字が出されたのか、これをお教え願いたいと思います。
  196. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) ただいまお尋ねされました点でございますけれども、これは政府といたしまして、被用者年金制度間の負担調整をどう進めていくかということが年金制度全体の一元化の一つの大きな課題でございますので、これは各省庁間で話をいたしまして、そして各関係の審議会の御意見等も伺いました上で政府提案といたしまして国会に御提案をしたものでございます。  先ほどお話がございました私学共済の三十億円というのは、この政府提案によります被用者年金制度間の費用負担の調整に関する特別措置法という、今、御提案して御審議をいただいている法案があるわけでございますが、これの規定に基づく算定方式によりまして、これは政令で算定方式を定めて算出をすることになっているわけでございますが、厚生省の試算によりますと、平成二年度から平成六年度までの間の調整による収支見込み、五年間の試算でございますが、私学共済の場合五年間で平均三十億というものを拠出金として支出をする、こういうことになったわけでございます。  これは衆議院の審議の結果この算定方式につきまして修正が行われたわけでございますが、この新しい修正に基づく算定方式によりますと、各被用者年金制度の拠出金がおおむね二割程度軽減をするということになったわけでございまして、したがいまして私学共済についても三十億のところ二十四億になったわけでございます。  また、当初五年間ということでございましたが、この期間につきましても修正がございまして、三年間の間にこの算定方式を見直しをする、こういうことになったわけでございます。そういうふうに承知をいたしてございます。
  197. 池田治

    池田治君 根拠についてはわかりましたが、今、高崎委員からもお尋ねのように、将来、児童生徒数が減少していく傾向の中で、現在の私学共済の年金財政、これは将来にわたって三十億近い金を出しても大丈夫やっていけるわけでしょうか。将来の見通しをひとつ述べてください。
  198. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済の長期経理の見通しでございますが、先ほど来申し上げておりますように、現時点におきましては他の年金制度と比較いたしまして比較的安定した状況にある、こういうことが言えるのではないかと思っております。具体的に申しますと、昭和六十三年度の決算額の収支差が千四百五十三億の黒字となっておりまして、累積額が一兆四千百四十八億でございます。これを年金財政の将来見通しとして見てみますと、いろいろな条件があるわけでございますので一定の仮定条件を置きまして試算をしてみたいと思いますが、その仮定条件といたしまして、利率五・五%、年金改定率四%、消費者物価上昇率二%、それから今回提案をいたしております六十五歳支給を実現するということを含めまして、現在の掛金率をそのままに据え置くという前提で粗い試算をしてみますと、私学共済の長期経理は平成二十年度に単年度収支が赤字となる、また平成三十二年度におきましては積み立てた保有資産をすべて吐き出し赤字になる、こういう長期見通しになるわけでございます。  当然のことでございますが、五年ごとにそれぞれ財政再計算をいたしまして掛金率について見直しを行っていくわけでございますので、ただいま申しました状況につきまして、仮に五年ごとに千分の十五ずつ掛金率を引き上げるということを考えた場合には、先ほど申しました平成三十二年度には掛け金率が千分の二百八となります。それから平成五十二年度には千分の二百六十八、これが最終的な掛金率となりまして、以後、安定した年金財政が維持できる、こういう状況になっているわけでございます。
  199. 池田治

    池田治君 今回の改正案では六十五歳以上の教職員に対しても在職支給を提案されておりますが、提案理由の中で「私立学校教職員の雇用の実態及び厚生年金保険における取り扱いとの均衡」とありますけれども、「雇用の実態」というのと「取り扱いとの均衡」、この両点について御説明を 願います。
  200. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) まず私立学校教職員の雇用の実態について申し上げたいと思います。  私立学校共済組合の組合員の年齢構成でございますが、他の共済年金制度の組合員と比べまして大変高齢者が多いというのが特徴的でございます。その中で、特に六十五歳で在職しているという方々がほかの制度に比べてはるかに多いのでございます。具体的な数字で申しますと、約一万六千人の方々が六十五歳以上で在職されておる。他の公務員等について見ますとその数はごくわずかでございます。最高裁の裁判官とかそういった方々に代表されるようなごくわずかの方々しかいない。そういう意味で、私立学校教職員の雇用の実態ということから、六十五歳支給というのは非常に大きな課題となっていたわけでございます。  第二の点でございますけれども、厚生年金における取り扱いとの均衡についてでございます。  厚生年金におきましては昭和六十一年四月の制度改正の際に、在職者についても六十五歳に達した時点で被保険者の資格を喪失させて年金を支給するということにいたしたわけでございます。私立学校の中には、昭和二十九年に制度ができました際に厚生年金に入っていたり健康保険に入っていたり、制度の切りかえの際に選択の道を設けたわけでございまして、この私学共済にその当時入らなかったという学校があるわけでございます。この学校の中には、特に早稲田大学とか慶応大学とか明治大学とか、むしろ古い伝統を持った大きな大学がございまして、それ以来厚生年金に加入をしているという状況にあるわけでございます。  そういう同じ私立大学の組合員の中で、一方において厚生年金で六十一年からそういう制度が発足をしたということになりますと、同じ私学の中で六十五歳以上の者は、厚生年金に加入している大学については支給される、私学共済に加盟している大学は支給されない、こういう不均衡が生じていたわけでございまして、この点につきまして私学の関係者から強い御要請があったわけでございます。また、国会の附帯決議におきましてもそういった御要請があったわけでございまして、私どもはそういう御要請なり国会の決議を受けまして、今回、政府部内でこの制度についていろいろ話し合いをいたしまして提案をさせていただいた、こういう経緯でございます。
  201. 池田治

    池田治君 最後にお尋ねしますが、資金運用の面で、先ほど高木先生の質問に対して、一兆数千億の基金の六〇%を国債並びに有価証券の利回り運用に充てておる、こうおっしゃいましたが、国債はわかりますが有価証券はどういうものを持たれておられるんでしょうか。まさかリクルート株は買っておられないと思いますが、お答えをお願いします。
  202. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 保有資産の運用に当たりまして、国債とか地方債等の有価証券というのは約六割程度購入をいたしているわけでございます。この中で主なものは政府保証債というのがございますけれども、そういうリクルート株というのは承知をいたしていないということでございます。
  203. 池田治

    池田治君 リクルート株は冗談半分でございますが、投機用の株等もお買いになっていないんでしょうか。
  204. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) 私学共済におきましては、そういったことについては現在のところまだ購入していない、こういう実態でございます。
  205. 池田治

    池田治君 ありがとうございました。
  206. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  207. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 御異議ないと認めます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十分散会