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1989-12-07 第116回国会 参議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年十二月七日(木曜日)    午前十時一分開会     ─────────────    委員異動  十二月六日     辞任         補欠選任      勝木 健司君     小西 博行君  十二月七日     辞任         補欠選任      小西 博行君     勝木 健司君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         柳川 覺治君     理 事                 木宮 和彦君                 田沢 智治君                 粕谷 照美君                 山本 正和君     委 員                 井上  裕君                 石井 道子君                 大浜 方栄君                 狩野 明男君                 会田 長栄君                 小林  正君                 西岡瑠璃子君                 森  暢子君                 高木健太郎君                 高崎 裕子君                 池田  治君                 小西 博行君    国務大臣        文 部 大 臣  石橋 一弥君    政府委員        文部大臣官房長  國分 正明君        文部大臣官房総        務審議官     佐藤 次郎君        文部省初等中等        教育局長     菱村 幸彦君        文部省教育助成        局長       倉地 克次君        文部省学術国際        局長       川村 恒明君        文部省体育局長  前畑 安宏君    事務局側        常任委員会専門        員        菊池  守君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育職員免許法の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付)     ─────────────
  2. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨六日、勝木健司君が委員辞任され、その補欠として小西博行君が選任されました。     ─────────────
  3. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は既に聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 山本正和

    山本正和君 今度の教育職員免許法の一部を改正する法律案は、高等学校教育課程の変更が学習指導要領改訂に伴いまして行われたことから発しているわけでございますが、そういう関係からいいますと、やはり学習指導要領等の問題について若干文部省見解をお聞きし、あるいは私どもの考えておる事柄等も申し上げてそしてこの法案についての審議に入りたい、こういうふうに思うわけでございます。  ただ、その前に文部省予算について、私、実は今国会代表質問でも申し上げたのでありますが、いろいろな数字の計上の仕方はあるとしても、いわゆる教育関係者全般の中にある気持ちとしては、どうも何か国の予算位置づけの中で低く低くされているのじゃないかというふうな印象を強くいたしております。やがて来年度予算編成等もぎりぎりの大詰めになってくるわけでございますけれども文部省としてはひとつそういう問題については格段のお取り組みをいただきたいと思っているところでございます。この際、大臣予算編成に関する御決意をまず冒頭に伺っておきたいと思います。
  5. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  委員指摘のとおり、文教行政を行っていく上にいろいろなことがありますけれども、やはり予算の総枠というものはこれはもう多いにこしたことはなく、これがまた事実的に、効果的にも、大変な影響を及ぼすわけであります。  そこで、何とかして私初め文部省全員予算大枠を、文教予算というものの大枠をまず獲得すべきであるという考え方、これは端的に申し上げるならば、来年度予算をつくるに際して政府の特別な柱が五、六本あります。あの中へ次代を担うのだから当然一本入れていいではないか。これをやることによってシーリングの枠というものをある程度外すことはできるわけですから、まずこれに向かって大変な努力を傾注いたしましたが、残念ながら力及ばず、あの中には入ることができなかったわけです。そこで、今度はシーリングの枠の中ということになりますから、その中においていかに重点的に効率的に予算配分をしたらいいかということで一生懸命やったわけであります。  今からいよいょ本番が始まるわけでありますので、御指摘のとおり一生懸命にやらせていただきますので、委員長初め皆様方の御協力、御後援をお願い申し上げます。
  6. 山本正和

    山本正和君 予算に関連しましてもう一つだけ重ねて大臣に御決意を承っておきたいのでありますが、いわゆる義務教育というものに対して、これは我が国のまさに戦後誇り得る政策として、義務教育費国庫負担という原則をずっと貫いてまいっております。  その中で学校事務職員やあるいは栄養職員等の問題が毎年議論になりまして、大蔵省から常にこれを削るぞとか削らぬとかいうふうな話が出てまいりますが、今度の予算編成に当たってこの義務教育費国庫負担の問題については文部省は毅然とした態度でお取り組みだということを聞いておるのでございますけれども、その点についてひとつ大臣の御決意を伺っておきたいと思います。
  7. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  御指摘のとおりであります。文部省といたしますと、あの義務教育費国庫負担法に基づく特に人件費、それは財政当局はいろいろな考え方があると思いますが、文部省一致して、一体になって、きちっとこれは守り推進をするという考え方であります。
  8. 山本正和

    山本正和君 ひとつ格段のお取り組みをお願いしておきたいと思います。  それから、これも本法案に直接関係ございませんけれども文部行政に対する国民信頼という観点から伺うのですが、さきのリクルート事件等の問題がいろいろございまして、その後、前大臣、また石橋大臣も、文部省綱紀粛正、さらには国民文教行政に対する信頼回復ということではかねがね御決意を伺っておるわけでございます。しかしながら、また新聞紙上等に前事務次官衆議院選に出る出ないの問題等が出ておりまして、そのことをめぐってまた、特に当該県教育関係者あたりにいろんな動揺があるやに聞いておるところでございます。  文部行政信頼回復、こういう観点からいった場合に、いやしくも文部省あるいは教育関係団体といいましょうか、そういうふうな人は前回の反省に立ってきちんとした対応をされるべきだというふうに私は考えておりますし、また福岡県内教育関係者の方々もそういうことについて大変懸念をされておられる向きがございます。したがいまして、前文部事務次官という立場で、この際大臣として、衆議院選挙に立候補する、しないというふうな問題についての御見解がありましたら伺っておきたい、こう思います。
  9. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 教育に、背中を見て育つという言葉がありますが、まさに教育に携わっている先生方はもちろんのこと、その行政を行っております文部省そのものも、一番基本はやはりそこにあると思っております。ですから、このようなことが、しかも前事務次官という肩書の中において起きたこと、全く遺憾に思っております。そこで、省内といたしましても綱紀粛正にますます力を注いで国民信頼をまず取り戻さなければならないという考え方であります。  そこで、お尋ね選挙に出るということでありますが、報道で私も承知をいたしておりますけれども、今申し上げました政治への信頼文教行政への信頼という観点からいたしますと、全くいかがなものかな、こう思います。そこで、ぎりぎりいっぱいのところにまいりますとこれは個人の判断に属する事柄でありますので、文部大臣としての意見は差し控えさせていただきたいと思います。
  10. 山本正和

    山本正和君 国民常識からいえば、国のさまざまな行政の中で特にモラルの問題が最も重視されるべき文部行政の責任あった方が現在被告人である、この被告人の方があえて立候補するというようなことは当然あり得ないだろうというのが一般的な常識だろうというふうに私は思うのでございます。そういう意味から、ただ教育関係団体等はそうはいいましてもいろいろな人間関係もございますしさまざまな関連の中で、もし立候補された場合にどうかというようなことについての動揺がある。こういうふうなことがもしあるとしますと大変でございますので、いわゆる国民常識の範囲内で少なくとも教育関係団体はきちんとした対応をすべきだというふうに私は思うのでございますけれども、このことについての大臣見解はいかがでございますか。
  11. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 全く同意見であります。
  12. 山本正和

    山本正和君 結構でございます。ありがとうございました。  今の大臣の御発言を私どもとしても関係団体には十分伝えてまいりたいと思いますし、いやしくもそんなことでの福岡県内における教育団体動揺等がないように、これまたいろいろな問題がございましたら文部省としての格段の御指導をお願いしておきたいと思っております。  さて、学習指導要領の問題に入るわけでありますが、学習指導要領というものの性格、これを文部省としてはどうお考えなのかということをまず一般論としてお聞きしておきたいわけであります。  といいますのは、私も戦後、昭和二十四年に高等学校教員になったときに、新しい民主主義あるいは民主主義教育、こういうふうなことについて一斉にみんなで勉強し始めました。そしてカリキュラムの問題もいろんな議論がございました。いきなり片仮名言葉が随分はやりまして、やれコアカリキュラムだとかコース・オブ・スタディーだとか、さまざまな問題をみんなで議論をしたことがございます。そういう中で、どうしてもやはり国として一定基準日本国民として一定基準というものが必要だろう、こういうことはその当時から議論され、そして学習指導要領が当初は試案、それからその試案という言葉が外されたという中で何回もの改訂が行われてきているわけです。  そういうふうなことも含めまして、現在、文部省としては、学習指導要領というものの性格をどういうふうな受けとめ方をされ、そしてこれを定めていくのか、またそのあり方、こういうふうなことにつきましての御見解を承りたいと思います。
  13. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学校教育公教育として行われておりますので、これはやはり全国的に一定教育水準を保つ必要があると思います。  教育機会均等ということが言われますが、これは学校教育を受ける機会が均等であるというだけではなくて、全国どこの地区に住んでおりましても、どの学校に参りましても、またはどの先生に御担当いただきましても大体同一水準教育が保障されるということがやはり教育機会均等を保障することであろうと思います。国が教育基本法学校教育法を定めまして、それに基づきまして教育課程基準として学習指導要領を定めているわけでございます。したがいまして、その学習指導要領に準拠して各学校でやっていただくことが、公教育としての機会均等教育機会均等を保障するゆえんであるというふうに考えております。  しかし、学習指導要領は御案内のように大変大綱的な基準でございます。したがいまして、その枠内におきまして地域学校において子供たち実態対応したさまざまな創意工夫があってしかるべきだろうと思います。そうでなければ本当に豊かな教育実践はできないということも事実でございます。学校とか先生とかが創意工夫を十分発揮して、そして豊かな教育課程を編成し実施していただきたい、学習指導要領はそういう性格のものであるというふうに考えております。
  14. 山本正和

    山本正和君 そこで、ちょっと具体的にお尋ねをしたいわけでありますが、小学校中学校学習指導要領の問題に触れる前に、実は私が化学教員になった昭和二十四年にはまだ高等学校教科書がなかったんです。私はそのときに、学校化学を教えるのに自分でプリントを切っていわゆるテキストをつくってそして生徒に教えた。と同時に、実験器具も戦争で負けて何もないときですから、フラスコやビーカーなんかも全部自分で、まさに実験室の倉庫に置いてあるやつをみんなかき集めてそれで組み立てて教えた記憶があるわけなんです。  そういうときに、高等学校で教える教科書もない、しかしこういうことは教えようじゃないかという議論は当然文部省でも行われておって、そういうものを私どもももらっていろいろやっていたわけですが、その当時の大変難しい概念に相律なんというのがありました。フェイズですね。これはひょっとしたら局長クラスぐらいの年配の方がちょうど私のその当時の教え子だろうと思うんですけれども、あるいはもうちょっと下かもしれませんが、大変生徒が苦労して、どう理解させていいか弱った。  それから今度はかなり立派な教科書ができたんですけれども、その教科書でも次から次にいろんな変遷があるわけですね。そうすると、学習指導要領の中に具体的にいろんな問題が列記してあります。例えば高等学校化学に「原子構造」というところがある。原子構造について何をやるかといったら、構造模型、それから周期律表というのが書いてある。ところが周期律表というのはそもそもどういう概念かといえば、原子構造から周期律表ができるというふうな教え方をするわけですね。元素番号一番からずっとある、そういう原子構造から周期律表位置づけをしている。だから周期律表を使って教えることによって、別にモデルを使わなくてもいいんです。  ところが、学習指導要領の中にモデルがあるとしたら、今度は必ずモデルを教えなきゃいけない。私は必ずしもそれは必要じゃないと思うのですね。学習指導要領というのは大綱を示している。ですから、例えば原子構造というようなことは教えなければいけない。しかし原子構造を教えるについて、別にモデルを使わなくても周期律表意味をきちんと教えれば原子構造理解できるわけです。ところが、学習指導要領の中にモデルというのが書いてあってモデルを使って教えなきゃいけないと思うとしたら、私は必ずしもそれは必要ではないというふうに思うんですよ。ですから、あくまで原子構造というところにポイントがあるのであって、その下に書いてあることは全部教えなきゃいけないということにならない。  だから学習指導要領というものの性格は、先ほど局長がおっしゃったようにあくまで大綱を示すものである。そして、教えなきゃいけないという中身をきちんとやっていくために、教師には、それぞれの生徒条件、それにふさわしい教え方というものがやはりあると思うのです。ガモフという科学者、大変立派な科学教育者ですけれども、この人が漫画のような形でもって原子構造を教える。本が出まして随分読まれたわけです。科学の勉強をする人は大体知っていると思うのですが、そのガモフのように、漫画化というか戯画化して教えていく教え方もある。さまざまな教え方があるわけです。しかし、要は原子構造を教えなきゃいけないということなんですね。  だから、そういうふうに学習指導要領というものはあくまで大綱であって、学習指導要領の中に書いてあるすべてのものが、これはもう最低基準であってみんなで教えなきゃいけないというふうなものじゃないというふうに私は思っているんですけれども、そういう問題についてはいかがでございますか。  大変、現場教師は誤解して受けとめているのじゃないか。学習指導要領を、もうその指導要領の中に書いてある項目はすべて教えなきゃいけない最低基準である、こういうふうに受けとめるとしたら問題なので、原子構造を教えればいいのであって、原子構造を教えるのに、この三つの手段といいましょうか、もちろん三つを通して教えることもできます。しかし一つでも教えることができる。要は、その場その場における生徒理解力教師指導力、そしてその地域条件というものをあわせて本人が考えなきゃいけない、こういう問題だろうというふうに私は思うんですね。  だから、学習指導要領はこれは基準である。その基準であるということの意味をきちんとみんなが理解すればそれで済む問題であるというふうに私は思うのですが、その辺の問題についていかがでございますか。
  15. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領大綱的な基準でございまして、それは「目標」と「内容」が基本でございます。したがいまして、各学校におきます指導方法に関することば原則としてここには盛り込まないという基本的な原則でつくっております。  ただ、今御指摘原子構造につきまして、原子構造モデルないしは元素周期表が、これが要するに教育方法の問題か教育内容の問題なのか、私も専門家じゃございませんので、恐縮でございますがちょっとわからないのでございますけれども、ただ、この化学に関しまして学習指導要領が定めておりますのは御案内のようにここの一ページちょっとでございます。したがいまして、これが実際には教科書として数百ページの教科書に書かれていくわけでございます。それをまたもとにして先生が百数十時間を費やして教えていらっしゃるわけでございますから、この基準からその実際の授業の間には相当の、何といいますか、先生方指導方法において、指導内容もそうでございますが、主として指導方法においては創意工夫の余地といいますか、いろいろな教え方があるだろうというふうに当然わかるわけでございます。  それからまた、「内容取扱い」でやや教育方法に類することも実はここにあるわけでございますけれども、これは本当は書きたくないのですが、とかく詰め込み教育といいますか受験競争影響もございましょう、教科書がどんどんどんどん膨れていく。教育内容盛りだくさんになっていく。それをどうやって歯どめをかけて教育内容を精選できるかということで私どもも随分悩んでおりまして、今回の指導要領では、特に高等学校部分にこの「内容取扱い」で教育方法に関する部分が若干細かく出ているところがございます。  例えば今の原子構造では、ボーアモデルというのでしょうか、の程度にとどめるなんということを書いていますのは、本当はこんなことは要らないのだと思うんですけれども教育内容が余り詰め込みにならないようにという観点からこういう一種の歯どめ的な規定を置いているわけでございまして、基本的には、先生のおっしゃいますように、先生方がそれぞれ指導方法を工夫なすってそして教えていただくのが学習指導要領の本来ねらっているところであるというふうに考えております。
  16. 山本正和

    山本正和君 大体私の言っていることについては御理解願えたというふうな気はいたしますが、要は、学習指導要領というのは例えば小学校において何をみんなが知識として持たなきゃいけないか、理解をしなきゃいけないか、そういう基準を示し、したがって少なくともその程度のものはそれぞれ理解してもらうだけのことはしなきゃいけないけれども、あくまで学習指導要領というのは、日本国民として小学校教育を受けた、中学校教育を受けた、それについては少なくともこの程度のことはみんな履修しておいてくださいよ、こういうのがその趣旨だろうと私は思うんです。  したがって、いろいろ学習指導要領に基づいて教えていく、この基づくということについての取り組み方もそれぞれ個性的な立場があっていいだろうというふうに思うんです。ですから、一年から六年までずっと学習指導要領がありますけれども、例えばある地区では一年から六年までを、一年・二年、三年・四年と複式学級なんかでやる場合もありますね。そうすると、一年生のときに二年生のことを教える場合もあるし、三年生のときに四年生のことを教えるということもあるわけです。同じように、学年を通じて全体として理解した方がいいという問題も出てくるわけです。  だから学習指導要領というものの扱い方は、その学習指導要領で示されているところの中身について、とにかく小学校の六年間の間に最低これだけのことはやってくださいよというのがねらいであって、一年生のときにここからここまできちっとやりなさいよ、二年はこれだけのことをやりなさいよということを強調しているものじゃない、こういうふうに私は受けとめたいと思うんですね。  また、文部省でもいろいろ実験校指定校等で随分お取り組みをいただいていますが、その中には大変個性的な教育をやっているところもあるように私は聞いているわけですね。そういうことも含めまして、学習指導要領というものはあくまで大綱を示しているものだ、したがって基準性はきちんとあるけれども、あくまでこれは大綱であって、それぞれの現場でその地域条件に応じて学校教師創意工夫を凝らしながら取り組むべきものである、こういうふうなまとめ方でいいのじゃないかというふうに思うんですが、私が今申し上げました最後のまとめ方についてはいかがでございますか。
  17. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 趣旨においては全くそのとおりだと思いますが、ただこれは、指導要領は小中は主として学年別で決めております。高校はちょっと別でございますが、それは子供たち発達段階からいいましてやはり一応この辺はこういうところで押さえたいというねらいとか内容がございますから、それが一年も六年も、何といいますか、ごっちゃになるのは学習指導要領趣旨としているところではありませんし、その点はやはり指導要領基準性からいって困ると思います。  ただ、子供たち実態から、例えば一年生に教える漢字がある、しかしそれは三年生で関連する言葉があってついでにこの点は指摘しておいた方がいいのじゃないかというときは、子供たちに無理がなければ、例えば「開」という字には同じように「閉」という字もあるんだよということを触れてやるのはこれは一向構わないと思うんですね。これは四年や五年の漢字であるから一切教えちゃいけない、教えたら違法であるなんというものでは、もちろん教育基準でありますからそんなことはございません。  ただ、子供たちが余り盛りだくさん漢字をここに定めております基準以外にどんどんやるということは、子供たちのやはり発達段階からいって無理があるという場合がしばしばございます。ですから、そこは先生子供たち実態をよく見ながら、ここでこの点に触れておいた方がいいのじゃないかということは、たとえ上学年のものであれ、ないしは、昔、習った下学年のものであれ、適宜それに触れていくなんということはもちろん当然あってしかるべきことであろうと思います。  ですから、学習指導要領学年別に定めておりますねらいとか内容とかというものは、それを基本としてしっかり押さえて授業を展開していただく、しかしそれは非常に大綱にとどまっておりますから、その具体的な授業の展開といいますのは教師のまさに腕にかかっている、創意工夫にかかっているということであろうと思います。
  18. 山本正和

    山本正和君 どうも局長も言わんとするところは私と共通部分があるように思うんです、おっしゃっている精神は。  ただ、どうしても私ちょっとひっかかりますのは、じゃ例えば今、全国複式学級というのはないか、複々式はないかといえばそうじゃないんですよ。一年生の子供、二年生の子供を一緒に教えなきゃいけない、また場合によっては一年から三年まで教えるということもある。いろんなことがありますから、だから、学年をこういうふうに指定してあるけれども、これは発達段階に応じて、平均的にいえば小学校一年生にはこの程度、二年生にはこの程度という形で配置されてあるというふうに私は思うんですね。  ですから、何といいましょうか、その条件条件に合わせて、学習指導要領に定められた小学校の一年から六年までに示されているいろいろな基準、これをどこでどう教えるかということについては当然その学校条件によって変更することはあり得る、これはもうごく普通の話だというふうに私は思うんですよ。  これ以上、余り細かいことを聞くつもりはありません。恐らく局長の言っている意味も、基準だから、その基準というものについては少なくともきちっと触れて指導してくださいよ、こういうことと、しかしそれをどこでどう教えるかということについての教師の、あるいは学校条件に合わせたところの対応の仕方というものはおのずから当然違ってしかるべきだ、この二つのことを恐らく理解しておられながら言われておるというふうに私は思うんです。  もっと極端に言うと、また高等学校に戻りますが、例えば高等学校の理科というのを戦後つくったときに、物理、化学、生物、地学と四つの教科だった。しかしその物理、化学、生物、地学の四つの教科の中で何を求めたかといえば、例えば分子の運動なら分子の運動という概念を教えるときに、これは生物でも地学でも物理でも化学でも教えられるわけです。しかしもっと言えば、理科的な教養を身につけるということなんですね。だから、かつては、その中で一つとったらよろしい、あるいは二つとったらよろしいということをやっているのも、いわゆる理科的な教養を身につける方法として、物理でやってもいい、化学でやってもいい、あるいは地学でやってもいい、生物でやってもいい、こういうことになっていた。もともとが理科的な教養を身につけるということが目的だった。  しかし、それが今だんだん変わってきました。実は私も昭和二十年代にはこういう種類の問題を随分議論したことがあるんです。実際に教育現場高等学校生徒が理科的な素養を身につけるために何をやるかということも随分議論した記憶もあるんですね。そういうことからいえば、むしろ現場教師がそういう問題について真剣に議論できる場を提供してやることの方が大事じゃないか。そのことが教師の力をつける。資質を高めることにもなる。現場での教育にもそれが一番重要な役割を果たす。  私も実は十八年半、三重県の教員組合の委員長をしておりまして、これは文部省の調査にも出ていますけれども、三重県の場合、幼稚園から高等学校まで全部教職員組合の組合員なんですよ、一〇〇%。これは日教組けしからぬという議論があったときには大変困った存在だったらしいんですけれども、私の県ではそういうふうに全部の者が組合員でありますから、教育問題でも何でもどんどんどんどん出てくるわけですね、悩みや苦しみが。そういうことでいろんな意見を聞きますと、その中で何が一番重要かといえば、もちろん教師というのは勝手気ままじゃいけません。だから当然、教える基準として一定のものは必要だ。しかしその基準というものはあくまで大綱として定めているものであって、その基準をみんなが身につけるための方法、手段としては現場教師の自主性というものがかなり尊重されなければ教育というものは死んでしまう、こういうふうに私は思っているんです。  ですから学習指導要領というのは、私はここで最後に、今までいろいろ申し上げた意見も含めて申し上げておきたいのですけれども、この前の私の代表質問に対する海部総理大臣の御答弁は、そういういろいろな議論も含めていろいろと教師が考え得るなかなかいい答弁だったというふうに思うんです。ですから、海部総理大臣学習指導要領に対する答弁をもって、文部省はその答弁のとおりで結構でございますと、こういうことをここで言っていただければ、私の今まで申し上げたいろいろな議論も含めまして大変かみ合う話になってくるだろうと思うんですけれども、いかがでございますか。
  19. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 多言は要しません。学習指導要領考え方につきましては、海部総理が御答弁をなさったとおりであります。よろしくお願いいたします。
  20. 山本正和

    山本正和君 それで結構でございます。そういうことでまた現場は、それぞれまさに創意ある、活力ある取り組みをするだろう、こう思いますから。  そこで次に、これも代表質問のときに申し上げたのですけれども、どうも学習指導要領の中における農業の取り扱いが私はおかしいという気がしてならないんですね。特に小学校において農業をどうやって扱っているのか大分調べてみたんですが、こんなことでいいのだろうか。日本の国の農業問題が大変難しい問題に遭遇している。特に、農家の子供が農業を受け継がない、もう嫌ですと言っている。あるいは高等学校の農業高校を卒業した子供たちの一%も農業に従事しない。大学の農学部もそうだ。そういう中で、何か知らないけれども我が国の教育の中で農業軽視があるような気がして仕方がないんです。  恐らくそんな気はないと思うんですけれども、私どもが読んでいくと、何でこうなっているのだろうか。日本の文化というのは、別に私はやおよろずの神様の話をするつもりはありませんけれども、もともと米文化だと私は思うんです。ですから農業を文化としてとらえて、日本文化としてとらえて教える、こういう発想が学習指導要領の中にないように思うのですけれども、これについてはどうお考えでございますか。
  21. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学校教育におきましても農業は重要であるという観点からとらえているつもりでございます。これは御指摘のように国民の生活や文化の上でも大きな役割を果たしているものでございますので、そういう認識のもとに、子供たち発達段階ということが教育では常にございますから、小学校小学校なりに、中学校中学校なりに、高校は高校なりにということで指導しているわけでございます。  現在の状況をごく簡単に申し上げますと、小中高を通じまして主として社会科でこの問題を取り扱うことになります。その場合には、一つは地理的な視点というのがございます。例えば小学校では我が国の農業の特色などを教える。それから中学校では、地理的な条件と関連づけまして農業のいろいろな様子などを指導しているわけでございます。  もう一つは歴史的な観点として教えるわけでございますが、小学校では、歴史的に見て農耕の始まり、さらには当時の人々の生活など、それから中学校になりますと、鎌倉時代から農業が発達し新しい都市の形成などが出てきたというようなことも教えますし、高等学校になりますと、江戸時代における農村の生活、文化などということも、高校の日本史は主として文化史中心でございますので、そういう観点から農業の問題を文化史的に扱うというようなこともしているわけでございます。  こうした農業に関します教育を最も集中的にやっているのはもちろん農業高校でございますが、高等学校の農業に関します学科では、農業の各分野におきまして生産、経営等につきましての必要な知識、技術を修得させる、そういうコースを設けて充実した教育をやっているつもりでございます。  そのほか、小中高を通じまして社会科以外でも、農業の基本になります働くことのとうとさと申しますか、勤労のとうとさ、意義というものにつきましても教える、ないしはその勤労の、働くことの喜びというようなことも学校教育で教えたいということで、現在、特別活動とかそれからゆとりの時間などを活用しまして各学校で農作物を実際に栽培してみる、それから勤労体験でそれを実地にやってみるというようなことも重視しているところでございます。  したがいまして、学校教育におきましてはいろいろな視点、いろいろな観点から農業に関連します教育をしている、重視しているというつもりでおります。
  22. 山本正和

    山本正和君 私の出身県は三重県でございまして、かつては農業県だったんです。高等農林もあって大変農業の盛んな県だった。ところが三重県でも、ちょっと全県的に調べてみたんですが、これは割合によくやっているようなんですけれども小学校では農業はどこで教えているかというと、これは特に与党の先生方にも聞いていただきたいんです、与野党含めて今、取り組まなければいけないのは農業問題ですからね。ところが、小学校の五年生で「私たちの生活と農業」というテーマで二十五時間教えるだけなんですよ。小学校できちっと体系的に教えるのは二十五時間しかない。  これはまだ三重県は余計教えている方で、東京あたりではどういうふうに教えているのか私は知らぬですけれども、恐らくもっと少ないのじゃないか。というのはなぜかというと、私立の中学校を受験する場合に、こんな問題は絶対、試験に出ないんです。  それから中学校では地理で教えているんですが、何と「日本の農業」というのを十四時間しか教えない。そして「世界の農業」というのを十三時間、合計二十七時間しか農業問題には触れない。しかもその教科書を見てみると、農業というものがその地域の文化にどういうふうに影響してきているか、特に私たち日本人の精神にどのような影響を与えてきたかというようなことについて、これは学習指導要領には全然ないんですよ。学習指導要領の農業の部分はだれが書いたか知らぬけれども、こんなことじゃ私は困ると思うんですね。  大臣、どうお考えでございますか。全くこれは、素人が見たらおかしいと思いますよ。いかがでございますか。
  23. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  学習指導要領中身あるいは学校教育現場におきますところの時間数の割合、そうしたことにつきまして今、政府委員からお話があったわけですが、私は基本的に、今、委員のおっしゃる農業、日本人は農耕民族、西欧人はどちらかというと狩猟民族、その中から生まれてきたところの考え方の差異、いろいろなことから申し上げまして、特に稲文化というものがどう考えてみても日本文化の原点であるという考え方を常に持っております。  過去、私が政務次官をやっておったころでありますが、人は自然の中から生まれて自然の中に生活をし、自然と調和を図ってそしてまた自然に帰っていく、そこで、自然との結びつきを大きく取り入れた予算もつくるべきだ、学校現場にもそうしたことをすべきだ。あるいはまた、いわゆる農耕民族というものの中から日本文化が生まれたわけだから、お芋をつくったり稲をつくったり、そうしたことそのものを一つの体験学習として入れるべきであろうと言って、あのときから幾らか予算がつき始めたわけであります。  そういうことで、私の考え方そのものが、自分自身が農業の中で生まれて農業を自分みずからがやって、あの土地、私のふるさとに居ついて十九代もの長い間農業を営んでやってきたものであります。これでそのような考え方が生まれたものかはわかりませんが、若いころから農本自治運動、これに身を投じていろいろなことをやってまいりました。であるだけに、委員の御指摘、まことにごもっともであるな、こう考えるわけであります。  学習指導要領の中にその考え方、そうしたものが薄いではないかという御指摘、私もさてなとは思いますですが、とにかくこの三月、前大臣のときに脱稿し公布されたものであります。現場においての各学校学校におきまして、予算等もつけてあるわけでありますから、できる限り日本人の文化、これは稲作文化が原点であるということで、いわゆる職業としての農業だけではないよという意味、私は本質的には農業というものは商業主義で律して果たしていかがなものかなという考え方も持っておりますですが、それはとにかく別として、農業というものはただただ食糧だけではないよ、日本人が長い間培った文化というものはここから出ていますよということを現場において教えていただくように努力をするつもりです。
  24. 山本正和

    山本正和君 これは実は我が国だけの問題じゃないのでありまして、ぞれそれの国がその国の農業というものを大変大切に位置づけをしておる。  二年前に私ヨーロッパへ与党の議員お二人と一緒に参りまして、オランダの農家へ行ったんです。もちろん干拓地で大変な広さの農家ですが、ところがそれで平均的農家、牛も飼っているしいろんな、まさに多種農業といいましょうか、やっているんですね。そして子供がおった。ちょうど小学校の一年生か二年生ぐらいの子供です。そうしたら、大きくなったら何になるのと聞いたらお父さんと同じように私は農業をやるんだ、こう言うんですね。誇りを持っているんですよ。まさに、一粒の麦という言葉がありますけれども、そういうことを前提に置いて、ぞれそれの国が農業を大切にしながらその国民性というものをきちんと守っている。  ところが、これはもう本当に私も今まで勉強しなかったのが悪いんですが、日教組もこういうところをもうちょっとやっておれば国民の支持を得られたのかもしれませんけれども、こう書いてあるんですね、農業の目標が。「我が国の食料生産、工業生産の特色及び運輸、通信などの産業の様子やこれらの産業と国民生活との関連について理解できるようにし、」と、これが目標なんです。その中で農業を教える。  どう教えるかといったら、「我が国の農業や水産業の現状に触れ、それらの産業に従事している人々が生産を高める工夫をしていることを理解できるようにするとともに、国民生活を支える食料生産の意味について考えることができるようにする。」  これでは、農業というものが我が国で成立してずっと長い間続けられてきた、それが日本人の精神に、あるいは文化に影響を与えているというようなことは全然教えぬでいいわけですよ。村の祭り、村のさまざまな風習があります。水産業でも同様です。そういう文化に触れて農業をきちっと位置づけしないとやはり魅力がないんですね、子供たちにとって。うちのお父さんがやっている百姓というのは何か知らんけれども毎日毎日苦労して苦労して、都会の人はいい格好してちゃんとやっているのに、都会へ行ったらもう遊ぶところもたくさんあるのに、農家で、寂しいところでこんなにしている、何かお父さんはもう疲れた顔している、何で農家を引き継ぐか、こうなるんですよ。  だから私は、やはり学習指導要領というのを、これは確かに文部省が決めなきゃいけないことはよくわかります。しかし、同時に、この学習指導要領というのを国民の前に明らかにして、国民からのさまざまな提言、意見、批判も聞きながらやっていくべきであろう、こういうふうなことを思うんです。  実は学校ではそれぞれの県ごとにさまざまな苦労をして、例えば福島県の何とかいう、ちょっと私、町の名前を忘れてしまいましたけれども、二千五百戸あって、そのうちの二千戸までが全部農業という町がある。そういうところで子供たちを教えるときにどうやって教えていったらいいのだろうか。これは東京の下町で教えるのとは当然違うと私は思うんですね、いろいろの条件が。  そういうことも含めて思うのですけれども、ひとつ、今、大臣がおっしゃったように、今後は農業を文化という立場から、あるいはその他の立場からさまざまに位置づけて検討すべきだ、こういうことで今後、学習指導要領の中における問題点の検討を今から始めていただけますですか。
  25. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 先ほど申し上げましたように、この学習指導要領では地理的な視点から農業の問題を扱う、そういう場合にはどうしても産業、産業学習ということが中心になるわけでございますが、歴史的な視点としましても発達段階に応じて取り上げておりまして、例えば中学校指導要領をごらんいただきますと、「農村の生活と文化」というようなところで、農業の発達、そして農村における自治的な組織の成立ないしは農業技術の発達、それに伴う人々のいろいろな生活の変化などにつきましても触れておりますし、高校では農村の文化などというものも取り上げているわけでございまして、子供たちは小中高と育っていくわけでございますので、全体の中でいろいろそういう先生が御指摘のようなことも十分学習する機会があると思います。  それから、もちろん、先ほど来申し上げておりますように、教育課程というのは地域実態学校生徒実態に応じて編成されるものであるということがこの指導要領の冒頭にも書いてございます。したがいまして、各学校の工夫によっていろいろそうした授業に重点を置くということはあり得ることだと思います。事実、教科書を見ましても農業にかなりページを割いているのと余り割いてないのもございますから、それも地域実態に応じて採択されるわけでございますが、その教科書に基づいてまた実際に指導する場面においては、それこそ先生方の、教えられる教師創意工夫ということが大いに発揮できるわけでありますので、ぜひ、先ほど来先生の御指摘ないしは大臣から御答弁申し上げておりますそういう趣旨で農業に関します教育が充実されるよう、私どもも努力してまいりたいと思います。
  26. 山本正和

    山本正和君 局長立場からいえばそれ以上はちょっとお答えにくいだろうと思うのですが、ここで私が申し上げたことはこれはもうよく局長もおわかり願っていると思いますから、やはり学習指導要領の中における今後の論議の中にはひとつ十分加えていただきたい。  確かに、今、局長が言われたように、全体として何とかしようという気持ちはわかりますけれども、あくまで産業としての位置づけなんですね。そして、中学校では地理の中にありますが、これを読んでみれば、もし農業振興に政治生命をかけている政治家がおったら恐らく情けないと言いますよ、これだけ読んだら。我が国の農政に一生懸命取り組もうという政治家が読んだら、こんなのでいいのかと言うと私は思いますよ。  だからそういうことも含めて、大臣は本会議において農林水産文部大臣といってやじが出たぐらい農業に対して大変な御所信をお持ちでございますから、特に石橋大臣のときにこの問題についてはひとつ記録にとどめていただいて今後の課題にしていただきたい。これはお願いしておきたいと思います。  ところで、学習指導要領を私が見ておりまして、実は農業だけじゃないんです、もっときちんとやってほしいと思うところがたくさんある。というのは税金なんですね。  我が国の、これはひょっとしたらサラリーマンでも一部そういうのがおりますけれども、商売で成功しようと思ったらいかに節税するか、脱税を巧妙にやるかと言うとちょっと語弊がありますけれども、いかに節税するかというのが商売の秘訣である、こうなっている。ところがアメリカやヨーロッパでは、少なくとも企業人であれば脱税をやるのは恥なんです。その国の中で、その国民の中で企業を営む以上は、それによって利益が上がってその利益が課税対象になれば、当然払うのは義務である、払って初めて紳士である、こうなるんですよ。ところが我が国の企業はそうじゃないんですね。なるべく節税しよう節税しようとする。したがって消費税問題の論議でも、間接税がいいか悪いかという議論よりも税の不公平が一体どうなんだということで先にかっかと来る。  これは私はどうも教育にどこか欠陥がないかと思って、これを学習指導要領に基づいて小学校で一体どれだけ教えているか調べてみたんです。そうしたら、「私たちの生活と政治」というのが小学校の六年生にあって六時間教えるんですが、税金の問題というのはそこで、その六時間のうちの限定はないんです、五分しゃべっても構わない、それでいいんですよ。  やっぱり子供のときから納税ということについての意味をきちんとわからせる。一番大切なものはやっぱり小学校で教えるものだと思うんです、心にきちっとわからせるのは。こんなものは大して教えぬでいいと。なぜ教えぬでいいかといったら、これも今の我が国の高学歴社会、入学試験万能の影響でこうなる。大体、私立の中学校の試験問題で税金のことに触れた問題ありますか。一つもないですよ。こういうことで一体、学習指導要領が本当に我が国の国民最低必要なものをちゃんとしていると言えるのか、こう私は思うんです。  それから中学校、何と中学校では、これはもう皆さんびっくりされる。公民の財政の単元で四時間教えるだけなんです。たった四時間ですよ。ところが教科書を見ると、教科書はあることはあるんです、たくさん書いてあるんですが、まず「納税の義務」というのでこの辺に一行触れているのがある。その次に「国民経済」の中で、家計、企業、政府から税金をもらう、こういうのがちょこっとある。その次に、今度はちょっと難しくなって、法人税、相続税、所得税、こうあるんです。  それから間接税にも触れているんですが、大変おもしろいのは間接税はこう書いてある。「間接税の場合には、購入者の所得の多少にかかわらず、同じように税金を負担するので、生活必需品が課税される場合には、所得の少ない人ほど負担の割合が重くなるという弊害がある。」と、はっきり間接税の欠陥が書いてあるんです。これはもう小学校中学校でちゃんと教えているんですから、これ。だからやっぱり消費税反対の声が大きくなるのはこれは当たり前のことなんです。  ところが、実は聞いてみたんです、中学校教師に。これを教えるのかと言ったら教えてない。なぜ教えないかと言ったら、高等学校の試験に全然出ないからと。要するに今の学校教育では、学習指導要領で云々と書いてあっても教えていないんです。  しかも、学習指導要領の中で税金に触れている部分を、私、調べてみたんですけれども、まことにお粗末です、これも。中学校学習指導要領ではこういう一行だけ。「国民生活と福祉」というところで、「租税の意義と役割及び国民の納税の義務についての理解を深める。」たくさんある項目の中でちょこっとこれだけなんですね。それでも教科書の方は割合ちゃんとしてありますけれども、だから私は、学習指導要領というのが国民生活において少なくとも必要な最低限のものをいろいろやっていくというのならば、もっといろいろなこと、やらなきゃいけないことがたくさんあるんですよ、世の中の常識から見たら。  ところが、今の学習指導要領の最大の欠点は何かといったら、学習指導要領が出されても、現実問題、学校現場では何が中心かといえば受験教育なんですよ。例えば中学校教師が担任になったときに親が何を思うかといったら、まずあの先生はちゃんと進学指導をうまくやってくれるかどうかなんです。進学指導が中心になったら、学習指導要領を忠実にやっておっては間に合わない。専ら受験問題の傾向と対策をやらなきゃいけない。特に三年生になったらそうなんですね。  こういう問題がある中における学習指導要領なんです。このことをひとつ大臣にぜひ御理解いただきたいと思うんです。我が国の教育基本としての学習指導要領がないがしろにされるような今の受験体制をほうっておいて、学習指導要領の問題はできないんです。  それでまた校長先生というのが、大変優秀なすぐれた校長先生はおるんですけれども、なりたての間は地方教育委員会の方に気兼ねするんですね、やっと校長になれたということで。校長おれらのなれの果てと言われたその校長になったというのでうれしいんです、教師は。そのうれしさの余り、何でもかんでもお上の言うことを間かなきゃいけないと思って、自分学校におる先生たちをつかまえて教えることについてぶつぶつ言う校長もおるんです。大校長になるとそうじゃないですよ。大校長になれば威おのずから備わってちゃんとうまいこといくんですがね。  だから、文部省学習指導要領を扱うときに大切なことは、あくまで子供たち発達に合わせて、本当に立派な日本人にするために自信を持って教えてくださいよ、文部省はその大綱を示したんですよ、どうぞ皆さん本気になって取り組んでくださいよということが、国の文教行政の最高責任者として文部省が示すべきことだろうと思うんです。  もちろんそれは、今まで現場でいろいろな問題がありました。何かイデオロギーのみ押し立てて、日本国憲法よりもイデオロギーの方が大切だという人も中にはおるわけですから、いろいろやったこともある。しかし、その一、二の例をもって現場教師をつかまえて束にしてくくってしまうというまるで縛るようなことをやったら私はいかぬと思うんです。  だからやはり文部省がやらなきゃやいけないことは、本当に日本人としてしなきゃいけないことは何なのだということを基準として示したんですよと、大綱なんだから、皆さんしっかりこれを運用して頑張ってくださいよ、こういうことだと思うんです。ひとつ、大臣はそういう私が今までぶち上げたことを含めて御理解願ったと思うんです。だから海部総理大臣の答弁というのはまことに見事な答弁で、大綱を示したものなんだと、それはひとつ御理解願っておきたい。  しかし、と同時に私は、学習指導要領というのはもっとオープンにして、国民の批判を受けて、国民の皆さんの意見を聞いてこれを十分取り入れていきますよと、そういう構えを文部省としては持ってほしいと思うんです。今後の学習指導要領、これはもうしばらく、また五年か六年改訂せぬでしょうけれども、今後学習指導要領の作成に当たってはそういう国民全体の中の声や何かをどういうふうにお酌み取りになるつもりなのかちょっと承っておきたいと思うのですが、どうです
  27. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 大変御激励をいただいて、ありがとうございます。  学習指導要領を決めます際には、案をつくりましてこれを公表しまして、そしていろいろな御意見をいただくわけでございます。それで農業に関しましても税金に関しましても、それぞれ担当の役所とかないしは外部の方から意見をちょうだいしております。そういうのを入れまして最終案を固めるという手続をとっておりますので、これまでも指導要領の案の段階で相当の御意見をいただいているということをまず申し上げたいと思います。  それから授業時数のことで、先ほど来、農業に何時間、税金に何時間というお話がございましたが、これは学習指導要領でそこまで細かいことは決めていないことは先生も御案内のとおりでございます。これは結局、教科書会社が先生方指導用のために指導書をつくっているわけでございますが、その中でそういうことを書いている会社もある、それによって、学校はそれを目安にして授業をなすっていらっしゃいますからあるいは少ないという印象があるかもしれませんが、ここは税金にうんとやろうと思う先生がいらっしゃれば、その時間をふやして授業をするということはこれは自由でございます。  それから、税金にしても農業にしても指導要領の記述が薄いという御指摘、おしかりをこうむったわけでございますけれども、それは今後改訂の際には、十分、本日の御意見は心にとめまして参考にさせていただきたいと思いますが、ただこれは大綱基準でなければならないと私どもは思っています。なるべく指導要領は、余り細かいことは決めない方が本来いいのだろうと思っています。そのためにはどうしても余り詳しいことは書き切れないわけでございまして、それこそ税金についても本当はいろいろ書けばいいのかもしれませんが、指導要領では税金の意義と役割について教えるという程度しか触れていない。  ですから、あと税金についてどのように教えていくかというのはまさに教科書執筆者の創意工夫、ないしはそれをもとに授業をなさる先生方創意工夫である。そういう何といいますか教育の共通性の確保の要請と、それから実際に教えられる先生方実態に応じた弾力的な扱い、その弾力性、その調和点においてこの指導要領はできているわけでございますので、その辺も御理解をいただきたいと思います。  それから、入試に出ないから教えないというのは、そういう傾向は非常に強いと思いますが、ただ入学試験問題につきましてはこれは御案内のようにもう各部道府県でやっていることでございまして、入試に税金を出せとか出すなとかということは文部省はそこまで言う立場ではございませんので、学習指導要領に従って適正な試験をやってほしいということは言えますけれども、これは各都道府県の判断すべき事柄であるというふうに私ども考えておりますので、念のために申し上げます。
  28. 山本正和

    山本正和君 それは、文部省が都道府県にまるで重箱の隅をつつくような形で言うことはやはり問題があると思いますから今の局長のでいいんですけれども、ただ全体としての姿勢、要するに、国民の義務としての税金の問題はきちっと扱わなきゃいけないよ、我が国文化の根本である農業の問題はきちっと扱わなきゃいけないよという姿勢が文教行政のトップとしての文部省にあってほしい、こういうことを私は思っているわけですね。  それからもう一つは、今の入学試験制度の弊害の根本はもちろん大学教育です、高等教育です。しかし高等教育の問題はまた別の機会に触れたいと思いますからきょうは言いませんけれども、せめて高等学校の試験ぐらいは、これは高等学校進学率が九十何%という段階ですから、やはりそこで何とか考えなくてはいけない。要するに高等学校の入学試験というのが本当の知育偏重、知育というよりも偏差値偏重の入学試験なんですね。各学校の内申も全部偏差値です。そして今度は入学試験も全部偏差値ですね。  だからそういう中に、少なくとも国民常識として当然持たなきゃいけない部分については、高等学校の試験というのは義務教育六年間の成果をはかるわけですから、なくてはいけないだろう。それがないとしたら、これはいかがなものかというぐらいの問題提起をやはり文部省としてもおやりになってもいいのじゃないかというふうなことを私は思うんです。いろんな会合の席上でこうせいと言うのじゃなしに、何かそういうことがあってもいいように私は思うんです。その辺はひとつ今後の課題として要請をしておきたいと思います。  次に、今の子供たちの生活が、家庭において、学校において、社会においてということでいろいろ言われるんですけれども、今、最近は中学校までかなり普及したわけですが、小学校ではもう一〇〇%になっている学校給食の問題です。  これは学習指導要領には全然触れていません。しかし、学校給食というのはたしか今度の教育白書で、学校教育における重要な位置を占めているというふうにされていると思うんです。文部省学校給食というものを教育として扱うべきだというふうに考えていると思うんですけれども、その辺の見解をまず承っておきたいんです。
  29. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 御指摘のとおり、私ども学校給食は、端的に申し上げますと、正しい食事のあり方を体得させるとともに、食事を通して好ましい人間関係を育成し心身ともに健全な発達を図ることを目指しているという、学校教育活動の一環であるというふうに考えております。  御案内のとおり、教育課程は各教科、そして道徳、特別活動で編成されるわけでございますが、特別活動の中には学級活動、クラブ活動、児童会活動等々ございまして、その学級活動のねらいといたしまして、「日常の生活や学習への適応及び健康や安全に関すること。」ということを取り扱うことにいたしておりますので、まさしく学校給食はここに当たるということで、特別活動の学級活動の中で学校給食を取り扱うということを指導要領に明記いたしておるところでございます。
  30. 山本正和

    山本正和君 給食の回数というのは年間大体どれぐらいというふうに報告を受けていますか。
  31. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 給食は基本的には週五日の実施でございますが、いろいろな都合で欠ける場合もありますので、平均的には百九十日程度というふうに承知いたしております。
  32. 山本正和

    山本正和君 これは実は、国語の授業というのは小学校においては大変重要な位置づけをしておるんですけれども、国語の授業は百九十日ないんです。給食の方が時間が多いんです。小学校において子供たちが触れる学校指導といいますか、学校の中における生活時間と言ってもいいですが、その中で給食の時間というのは大変重要な位置づけをしている。これはもうそのとおりでございますね。  そこで、私はちょっと心配になったので聞くのですけれども、何で学校給食課というのをなくしたんですか、ちょっとそれを教えてください。
  33. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 御指摘ございましたように、従来は体育局の中に学校給食課というのがございまして学校給食に関する事項を取り扱っておったわけでございますが、そのほかに体育局の中には学校保健課というのがございまして、学校における保健教育、安全教育を所管いたしておったところでございます。  ところが、この両課とも所管をいたしておりますことは子供の安全と健康、まさしく給食につきましても、これは先生方案内のように、従前は栄養をいかに補給するかというのが主眼でございましたが、今日におきましては飽食の時代ということで、子供たちにも肥満であるとか等々の好ましからざる逆の方向の問題が出てきております。したがって、給食もその観点から、生涯にわたって健康な生活を維持するためにはどういうふうな食事をとることが必要であるかという、健康という観点から給食指導を進める必要があるというふうに考えまして、学校保健、学校安全、学校給食のこの三つの事項を所管しておりました二課を統合いたしまして、学校における健康教育という観点から三者を統一的に推進する、こういう観点から学校健康教育課を設けたところでございます。
  34. 山本正和

    山本正和君 そうすると、教育の一環としての位置づけをより一層明確にする、こういう意味もあるわけですか。
  35. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 御指摘のとおり、健康教育という観点から給食も取り扱っていこう、こういうことでございます。
  36. 山本正和

    山本正和君 また学校給食については、これも私が余り細かいことを言う必要はないと思うんですけれども、それぞれの学校で随分態様が違うわけですね。例えば担任の教師が給食時間中ずっと一緒におって、一緒に御飯を食べながらいろいろな話をしたりして、低学年であればマナーも含めていろんなことをやりながら、またその間に子供性格もよく理解できるというようなことでやっているところもあります。そうかといって、都市化してどうにもならないようなところではそれはできません。また教師が大変きりきり舞いで忙しいというような場合もある。ですから態様がまちまちなわけです。  そこに一つ問題がありますけれども教育の一環として位置づけるとなれば栄養士さんの役割というのは極めて重要だと思うんですけれども、栄養士さんの問題については、前畑局長、どういうふうにお考えでございますか。
  37. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 御指摘のとおり、学校給食に対する取り組みが必ずしも教科活動と同様に全国統一的に行われていないというのは、私どもも大変残念に思っております。  そこで、学校栄養職員の役割というものが大変大事になるわけでございますが、学校栄養職員は、学校給食に関する基本的な計画の策定、献立の作成等の栄養管理は申すまでもございませんが、給食指導といったような具体の指導内容にも十分な関係を持っておりますので、今回の学習指導要領の具体の説明の際にも、学級活動の際に具体に給食指導を取り上げる場合には必要に応じて学校栄養職員等の参加を求めるというようなことも十分検討してほしいということを指導いたしておるところでございます。そういう観点から、いろいろと御議論もございますが、学校栄養職員についても研修の充実を図りたいと考えまして、来年度の概算要求には所要の経費を要求しておるところでございます。
  38. 山本正和

    山本正和君 ぜひひとつ、これはそういう方向でさらに伸ばしていっていただきたいと思います。  そこで、学校給食というのはこれまた農業問題に関係するので私申し上げたんですけれども、若い人がお米を食べぬとか米食が嫌いになったとかいろんなことを言います。ところが、ある年齢になると米がまた好きになるんですよ。このごろ特に若い人たちの間では、すしバーに行ってすしを食べる、お茶漬屋に行って喜んでおにぎりを食べる。ところが子供の間は米を嫌うんですね、割合に。なぜ嫌うかという原因をいろいろ調べていくと、学校給食における米飯がいかにまずいかということが出てくる。冷たい御飯、それから、ことしや去年はやっていないようですけれども、数年前に古々米をまぜて食わしたというんですね。  まずい米を食わして、しかも米飯には米飯がおいしくなるようなおかずがあるんです。我々の時代は梅干し弁当で、梅干しだけでもこんなにお米がうまいかと言って食べた。菱村さんや前畑さんの時代になると、アメリカの放出物資で何か馬か牛の飼料を食わされて喜んだ時代があったんですね。今のまた課長さんたちになると、少々はパンらしいものや本物の牛乳なんかも飲ませた。こういう給食の歴史があるんです。  ありますが、要は、給食というものを教育として位置づけるならば、御飯はおいしいものだ、パンもそうです、本当に学校の食堂は、お昼御飯は自分たちの楽しみだというところまで持っていかなければ私は教育にならないと思うんです。私アメリカの給食の状況を報告を受けたことがあるんですけれども、本当に子供たちが喜んでいるんですね。何か選択もできるらしい。そこまで一挙に持っていけとは言いませんけれども、そうしていかなきゃいけない。  そこで、私はちょっと給食の状況を東京と三重県と両方とってみた。そうしたら、何と東京はパンが圧倒的に多いんですよ。パン、パン、パン、パン、パンと、こう五日ぐらい続いてそれから米とくる。三重県の方はやっぱり、私の出身県だから褒めるわけじゃありませんけれども、ちゃんと米の飯を食わしている。パン、パン、米、パン、米、パンと、こうくる。  それは地域によって違いはありますけれども、私が申し上げたいのは、米飯給食の中で御飯を食べながらお米の重要性を教えるということの方が、教科書で教える、それも必要ですけれども、もっとぴんとくるんですよ。米というものは実はこの一粒の種からこんなことになるんだよというふうな話から始まって、米にもいろいろな種類がある、長いやつも短いやつも、それから外米も日本の米も、同じ日本の米でも東北の人は東北の米が一番うまいと言うし、私は三重県の一志米が一番うまいと思うんだけれども、それぞれその地域の特性に合わせた米作がある。そんないろいろな話もしながらやっていくということによって米に対する関心を持たせる。それが重要だと思うんです。  米飯給食の単に回数を、現在の平均二・三回から、この前、大臣は週三回程度に持っていきたい、こういうふうなお話がございました。大変結構なことだと思うんですけれども、同時に、米飯給食に魅力を持たせるためには文部省としてもいろいろな施策をお考えにならなきゃいけないと思うんです。その辺についてはいかがでございますか。
  39. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 先ほども指摘ございましたけれども、私どもも給食ということを通じましていろいろなことを期待しておるわけでございますが、その中の一つには、我が国伝統の食文化である米飯というものを継承していくということが一つの大きな役割であろうと思っております。そういうことで、米飯給食を通じまして、米や魚を中心とする我が国の食生活、そして農業の重要性を理解してもらう、それらに従事する人々に感謝する気持ちを育てるというふうなことも給食の大変大きな役割であると考えております。  御指摘のように、週五日のうちに三回は米飯給食をしてほしいということで指導をいたしておりますが、おかげさまで、米飯給食を始めましてからおかずのバラエティーが豊富になったとか、あるいは先生が今御指摘になりました郷土食というものが取り入れられて、そしてランチルームの整備等も伴いまして、お年寄りの方と学校子供が一緒に食事をしながらいろいろな地域の文化を語り合うというようなこともこの米飯給食を通じてできるようになったわけでございます。  あるいは、できるだけその地域のおいしい米を提供したいということで農林水産省の方とも相談をいたしまして、御案内のとおり、この元年度から自主流通米を学校給食に使う場合においても所要の助成の措置が農林水産省において講じられたところでございます。今後とも米飯給食の推進に努力をしてまいりたいと思います。
  40. 山本正和

    山本正和君 その辺のお取り組みは大変私もありがたいことだと思いますが、実際に学校現場で給食に当たっている人たちのお話をいろいろ聞いてみたんです。そうしたら、今の地場産業あるいは地域社会の中でその土地の特色ある食物を取り入れるというようなことに取り組もうとしているんですけれども、まだ若干、今の局長のお話と、ちょっとまだそれが徹底してないのかもしれませんが、米を買うにしてもいろいろなものを入れるにしても、給食会を通さないと補助金が出ない。  親の負担が食材料費という名前で大体三千円から四千円払っているらしいんですが、そういう中で予算にやはり限定がありますから、いろんなおいしいもの、バラエティーに富んだものを入れていこうと思っても、米とか牛肉とか、こういうものを買うに当たっては給食会を通さなきゃいけない。  給食会が完全に機能してきちっとすればそれは問題ないのかもしれませんけれども、牛肉なんかは煮沸肉と称するものが入るそうですね。何か見たら気持ち悪いそうですよ、こんなものが食べられるのか。ボイリング何とかと言うんでしょうかね、アメリカで。そんなものがぽんと来るんです。それがカレーライスや何かでもうまぶしてしまえば味はわからぬですから、肉の香りがしますからなんでしょうけれども、しかしこんなものを食べさせていいのかしらなんと思いながら、やっぱり給食の担当の方々は随分苦労をされる。  ですから、いわゆるアメリカの放出物資をもらって、そして当初は牛や馬に食わす飼料を砕いて食べたという名残がまだ残っているのじゃないかというような気がするんですけれども、どうなんでしょう、この学校給食会がそういうことも含めてきちんとした機能を果たしているのかどうか、ちょっとお伺いしておきたいんです。
  41. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 今、御指摘のこと全体について詳しくは承知いたしておりませんので、今後具体に事情を調査して対処をさせていただきたいと思いますが、例えば先ほど申し上げました自主流通米の問題につきましても、必ずしも学校給食会を通すというようなことでもないように承っておりますし、いろいろな改善の方向は検討してまいりたいと思います。
  42. 山本正和

    山本正和君 ぜひひとつそういう形での御指導をいただきたいと思っております。  それから、ちょっとこれは文部省としての見解を承っておきたいのですが、私は一遍厚生省に聞こうと思っているんですけれども学校給食の設備を使ってひとり暮らしの老人の給食を実施するというふうなことが東京等でぼつぼつ出てきているということを聞くわけです。  もちろん高齢者対策といいますか老人問題というのは我が国の国政において一番大切にしなきゃいけない事柄ですが、そのことと学校給食の設備を使って云々とは必ずしも一致しない。発育期の子供には歯ごたえのあるものを食べさせたり、いわゆる発育期の子供にふさわしい栄養のある食べ物の献立というものが必要になってくる。ところがお年寄りの場合には当然違うわけですね。  これは品川でしょうか、何か二百五十円でお世話しますというものだからかなり希望者も多い、結構なことだ、こういうふうに言っている人が多いようなんですが、区の福祉課や学校の用務員がこれを運搬するとか、そんなことをさせられる。  本来、学校給食というものの位置づけとこれとは別だというふうに思うんですけれども、この種の問題について文部省は、今後とも頼まれたら学校はそういうものを引き受けてもいいというふうにお考えなのかどうなのか。行政としてのきちんとした、何といいますか役割分担について、これはこうですというものをお持ちになっているのか、その辺をちょっと伺っておきたいんです。
  43. 前畑安宏

    政府委員(前畑安宏君) 今、御指摘のようなケースが幾つかあるというようなことは私ども仄聞はいたしておりますが、具体にこういうことをやる場合にどういうふうになるかというような相談を受けたことはまだございません。  ただ、考えてみますと、今、先生指摘のように、学校給食という教育活動のために所要の補助金を投じて施設、設備等を整備し、また学校の職員ということで自治体の方が調理員を配置し、また栄養職員も配置しておるわけでございますので、それが学校給食以外の範囲に使われるということになりますれば、そこのところの負担の区分であったり、あるいは人員の配置の問題であったりについてはかなり大きな問題があろうかと思いますので、よく検討させていただきたいと思います。
  44. 山本正和

    山本正和君 今、局長がおっしゃったように、教育という問題とそれから社会保障という問題と、それが場合によっては相互に相もたれ合う部分もあるかもしれませんけれども、しかし、きちんとした対応をやっていただく、こういうことでお取り組みをいただきたい。  それからちょっと要望しておきますが、学校給食は実はもう一兆円産業なんて言われているくらい全国的には大変な状況になっているようでございまして、それだけに、ともすればまた利権に群がることを考える人が出ないでもないということを私は心配しております。若干いろんなことを聞いたりもしておりますので、そういう問題については今後ともひとつ行政としての毅然とした対応でもって対処されますように、これはちょっと要望にとどめておきたいと思います。  最後に、もう時間が参りましたが、ボランティアの問題を取り上げるつもりでおったんです。  というのは、小学校中学校高等学校においてボランティア活動をするということが大変その人間の将来にとって大きな役割を果たす。今も青年海外協力隊とか、若い人たちが盛んに行って大変苦しいところで頑張っています。そういう人たちを見ると日本という国に対する国際的な評価も高まるんです。ところが、そういうことができるという根底は、やはり小中高の間に社会奉仕あるいはボランティア、こういうふうなことをずっと植えつけていかなきゃいけないだろうと思うんです。だからアメリカあたりでは、ボランティア活動をやった者は大学においてこれを単位としてきちっと保証する、あるいは入学のときにそのボランティア活動というものを正式のあれの中にきちっと入れるということまでやられているというふうに聞いておるわけです。  ところが我が国の場合はこの種の問題についてはほとんどない。要するにただひたすら偏差値、偏差値とこうきておる。最近、面接等をちょっとやるようになりました。しかし、人間の成長、発達というのは単なる知育だけじゃないんです。ボランティアをやっておった人が今度は学校の中で勉強していくとまたすばらしい能力を発揮するということがあるわけですから、ひとつ文部省においても、今度は私、高等教育の段階で、機会がありましたら、ボランティアの扱いというか位置づけというものを教育の場でどうするか、この辺についてお伺いしたいと思いますので、また資料等も整えておいていただきますように要望しておきまして、これで私の質問を終わります。  ありがとうございました。
  45. 会田長栄

    ○会田長栄君 会田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  私はこの文教委員会発言するのは初めてでございますから、文部大臣、そして局長を初め文部省の方々には初めてお会いするわけでございます。したがって、十二月五日の文教委員会文部大臣のあいさつというのは所信表明も含まれて長時間になるのではないか、こう期待していたところでありますが、そのあいさつはまことに簡潔でございました。そういう意味を含めまして、どうしても幾つかの質問をこれからしていきたい、こう思いますから、率直な誠意ある答えをいただきたいと思います。  それにつけましても、十二月五日の日にこの文教委員会で田沢先生から、教育は民衆とともにあるというまことに新鮮な、原点に返ったような言葉を聞かされまして強く印象に残りました。印象に残ったと同時に、今、お父さんやお母さんや、あるいは子供たちや教職員、そして勤労国民は何を教育に期待しているのであるかということを深く考えさせられましたし、とりわけ今度の臨時国会で一体どのような審議が行われるのだろうかとつくづく考えさせられました。  文部省は、これは私、決算委員会でもお聞きしましたけれども、きょうは文教委員会でありますから率直にお聞きしたいわけでありますが、「我が国の文教施策 社会の変化に対応する初等中等教育」という平成元年度の教育白書を発表しております。これは学校教育について、制度や運営について硬直的に過ぎる、あるいは指導法も画一的で詰め込み教育という傾向が強い、深刻化する受験問題あるいは偏差値教育、高校入試問題等、多々挙げているわけでありまして、これは決算委員会でも文部大臣から直接、強く反省を打ち出しているところでございますということをお聞きいたしました。  反省することは私も大賛成でございまして、今日の子供実態なり教育現場実態なり、あるいは父母の教育に対する願いなどを考えますと当然過ぎるほどだと感じていましたから、その点では共感を持ちました。しかし、その次に文部大臣から、処方せんはまだなんですということを聞いて、これには幾ばくかの物足らなさを感じた一人でございます。その処方せんについては白書に基づきましてこれから中央教育審議会あるいは臨時教育審議会などを通して考えていただくという答弁でございました。  そこで、私が考えるのは、実は中央教育審議会の先生方に日本のこれからの教育について今日まで相当いろいろと議論をしていただき、またいろいろと提言もしていただき、その上に立って文部省が施策として全国的に指導してきたわけでございますが、これが教育予算、十二月五日から本日まで、我が党の山本先生あるいは粕谷先生、そして西岡先生も森先生もおっしゃいましたけれども教育予算問題一つとってみても、まことに中央教育審議会以降、教育改革が論じられてきましたが、叫べば叫ぶほど、提言すれば提言するほど、政府の一般会計予算の中に占める教育予算の割合というのが下がっていくわけであります。下がっていくからそれではどこでそれを補てんするかといえば、これはすべて父母負担にかえられているわけでございます。  これは私学助成の問題もそうでございます。国庫助成を二分の一に近づけなければいけないということを言いながらも、結果的には、二分の一に年々近づくのではなくて年々遠のくという状態になっているという事実でありまして、この点におきましては高校の多様化問題についても同様であります。  高校多様化問題が論じられて、その後、専門学校、専修学校というようなものが全国的に多々設置されてきております。しかし、これは文部省自身も御承知のとおり、総務庁から勧告も出ておりますが、まことに看板倒れの専修学校というのも多くなっているわけでありますから、その意味では、子供たちにとっては決していい改革ではなかったのではないかという印象さえ受けている状況でございます。  こういうような情勢の上に立って白書を出したわけでございますから、この白書に基づきまして期待をしているわけでありますが、文部大臣基本的な観点に立って二つ、あいさつの中で述べられませんでしたからお聞きしておきたい、こう思っております。一つは憲法の問題でございます。現憲法について文部大臣としてどのような御所見をお持ちなのか、お聞きしたい。もう一つは、憲法に基づいて教育基本法というものが存在し、その教育基本法によって今日の教育が行われているわけでありますが、これについての御所見を承りたいと思います。
  46. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 御指摘のとおり、憲法と教育基本法、我が国の教育の理念と基本原則を定めたものであります。極めて重要なものであると認識をいたしております。私としては、このような憲法、教育基本法の精神にのっとって、そして教育行政に真剣に取り組んでまいる所存であります。
  47. 会田長栄

    ○会田長栄君 日本国の最高法規である憲法について、あるいは教育の目的を明示している教育基本法について遵守をするというお答えでございますから、今後ともこのことを基本にして教育施策を進めてほしいということを申し上げておきたい、こう思います。  私はなぜこの憲法と教育基本法の問題をまず文部大臣にお聞きしたかといえば、教育基本法で明示されているその内容、特に第一条「教育の目的」、第十条「教育行政」についてお聞きしたかったからでございます。私はその点で、どうしてもこの教育の目的と教育行政のあり方という問題については、これは文部省文部大臣がみずから自覚をして今日の教育を進めなければならないと思っている一人でありますから、この点について、特に第一条と第十条について御所見を承りたい。
  48. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 第一条「教育の目的」でありますが、これはもう先ほど教育基本法及び憲法に対する私の考え方を述べたわけでありますが、全く、目的そのものにきちっとして述べられているわけでありますので、同じであります。  そして十条関係でありますが、これは教育の政治的中立性を確保するということです。教育が党派的な不当な支配に服したり一部の勢力の利益のために行われてはいけませんので、国民全体のために行われるべきものであることを示しています。教育行政はこの自覚のもとで、教育施設の整備、教育内容や方法についての基準の設定等、第一条「教育の目的」に掲げてありますその目的の遂行に必要な諸条件の整備、確立を期して行われるべきものである、こう理解をいたしております。
  49. 会田長栄

    ○会田長栄君 明快にお答えいただきまして、ありがとうございました。  まことに今、日本の教育改革を進める上において、教育基本法教育の目的並びに教育行政のあり方について明確に位置づけているわけでありますから、その点についてどうぞ今後ともその姿勢を守って頑張ってほしい、こう思います。歴代内閣あるいは歴代文部大臣には教育基本法について若干の不満はあった方もございますが、おおよそ教育基本法と憲法については政府としてこれを最高法規として遵守していくという姿勢が明確になっておりますので、その点についてはわかりましたので次にお伺いしていきたいと思います。  次に質問したいのは、教育職員免許法の一部改正案に関連をいたしましてどうしても学習指導要領との問題でお聞きしておかなければならないことでございます。  その一つは、今、学習指導要領改訂になって公示された、こういうことでございますが、社会科の問題について、一体この社会科というのは戦後なぜこの教育基本法の線に沿って、憲法の精神にのっとって設定されたのか、その理由などをまず第一にお聞きしたい。
  50. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 現在の社会科は、戦前は修身とか公民とか地理とか歴史の教科でやっていたわけでございますが、戦後の新しい学校制度のもとでそれらの内容を統一といいますか融合といいますか、一体として学ばせる教科として設けられたものでございます。  従来の修身、公民、地理、歴史等の教科は、ともすれば倫理学とか法律学とか経済学、地理学、歴史学等の知識を子供たちに教え込むことに偏るというような反省も戦後なされまして、そしてこれらのものは統一した形で、実際生活に働かせる力を養う面が欠けているのではないかというようなことから、この新しい社会科ができてきたわけでございます。社会生活を理解させ、社会的態度や社会的能力を養う、そういうねらいでもってこれが設けられたと承知しております。
  51. 会田長栄

    ○会田長栄君 一九四七年すなわち昭和二十二年に日本国憲法、教育基本法が施行されました。同時に学習指導要領試案が示されました。社会科については、戦前の倫理学、歴史学、地理学の知識のみを上から画一的に教えた反省に立って、青少年の現実生活問題を中心として、青少年の社会経験を深めて基本的人権の主張に目覚めさせることを重視して、下からみんなの力でつくり上げ、再び権力に屈服しないような政治を求めていかなければいけないというところからこの社会科が設定されたもの、こう私は思っています。  その意味では、社会科というのはいわば憲法、教育基本法に基づく戦後教育の原点だったと私は思っているわけでございまして、その点で、今回の学習指導要領改訂に基づきまして社会科が解体されるということは非常に残念であり、何としてももう一度考え直してもらわなければならないという決意でございます。  その意味で次にお伺いしたいのは、これに幾つかの経過がありますが、学習指導要領というものについて試案という言葉を外された理由をもう一度ここでお聞きしておきたい、こう思います。
  52. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 昭和二十二年に、戦後新しい学校制度に基づきます教育内容基準として試案という名のついた学習指導要領が出されたわけでございます。当時の試案と銘打たれました学習指導要領は、戦後間もなくの間にとにかく新しい学校制度に間に合わせるということで大変な苦労をしてつくられたものでありますが、社会科につきましては、主として当時の占領軍の指示等もございまして、アメリカのコース・オブ・スタディー、これは州によって違うわけですから、いろいろカリフォルニアプランとかミズーリプランとかあったようでございますけれども、アメリカの学習指導要領といいますか、コース・オブ・スタディーを急遽翻訳してつくるというようなこともあったと先輩から聞いております。いずれにしましても大変混乱期の中で急いでつくったものでございますので、いわゆる試案という形でこれが出されたわけであります。  また、当時の学習指導要領をごらんいただきますとおわかりになりますように、総則で一冊、あと国語、数学、理科というふうに各冊がございまして、それを全部合わせますと二千八百ページぐらいになったかと思いますが、とにかく二千数百ページになります大変な膨大なものでございまして、これは今の学習指導要領とは違いまして、子供たちの実際なアクティビティーといいますか、教育活動そのものを具体的に指示したり、それから先ほど来御議論がございました指導方法にわたってこういう本を読ませなさいとか、それからこういう教材を使いなさいとか、さらには評価の仕方としてはこういう観点で評価しなさいという具体的な評価の内容まで示したものでございますので、大変厚くなったわけでございます。  ですから、当時の学校教育法施行規則、いわゆる法制上からいいますと、現在と同じように学習指導要領基準とするということになっていたのでありますけれども、今申し上げました指導内容の詳細、評価の詳細にまでわたったそういう大部な分厚い指導要領というものがいわゆる基準という形になるのはやはりかなり無理があったというふうに考えます。  そういうこともございまして、当時、試案という形で銘打たれていたわけでございますが、昭和三十三年になりまして、日本が独立した立場から独自の立場でこの教育内容を見直した、それが昭和三十三年の学習指導要領改訂でございます。そのときには、従来、教科ごとに分かれ、そして非常に指導方法、評価方法にまで立ち及んでいた内容をすっきりとした形にしまして、小中高一冊ずつの現在ございますような学習指導要領基準に改めたわけでございます。  したがいまして、法制的には当時から、昭和二十年代の初めから、今日と同じように、学校教育課程は大部省の示す指導要領による、基準によるということでございましたけれども、戦後のそういう今申し上げました事情によって当時は試案とした、しかし昭和三十三年になって独自の立場でその内容を見直して、そして基準としてのすっきりした形にしてこれを告示にし試案という言葉を外した、こういうふうに私ども理解しております。
  53. 会田長栄

    ○会田長栄君 一九五八年すなわち昭和三十三年に社会科というのは改訂されて、実は先生方は知識中心主義というような言い方で呼んだわけであります。いわゆる詰め込み教育の出発点だとこう言われたわけでありますが、今までの社会科の中では社会経験ということが大変重視されてきましたけれども、この改訂によってゆがめられてしまった、こういう声が集約されております。  社会科というのは楽しい、生活経験のできる、人間同士のつき合いもできる、こういうものでありましたけれどもつまらないものになった、多くの社会科の先生方がこう話していますが、その話はお聞きになっていましょう。
  54. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 先ほど申し上げましたように、戦後の社会科は大変急いだ形で、主としてアメリカのコース・オブ・スタディーを翻訳し参考にして我が国にアレンジしてつくったわけでございますが、私もそれを受けた一人でございますけれども、当時は単元学習、生活に即した単元学習ということで、子供たちの生活経験を重視して授業を行うという内容でございました。そのねらい自体はもちろんそれはいいわけでございます。子供たちにみずから活動させて、そしてそれによって問題を見つけ問題を解決していくという問題解決学習の手法を取り入れた理論でございますから、理論としては大変、今日でも十分参考にすべき、指導に当たっては心すべきことであろうと思います。  しかし、実際の授業はどうであったかといいますと、私もそれを受けた一人として体験をしているわけでございますが、当時、はい回る経験主義というような批判もされております。要するにお店屋ごっこをしたり何かを考えましょうというような形でやったわけですが、実際の結果としては、系統的な知識が身につかない、何にも基礎的なことを知らないではないかという批判が当時大変出ました。昭和二十年代の後半から昭和三十年代の初め、当時の新聞紙上そのほかいろいろな雑誌を見ましても、この戦後の社会科の単元学習というものには批判がございます。  当時、読売新聞が連載でこの問題を取り上げまして、これで本当にいいのだろうかという疑問を投げかけているのを読んだこともございます。「六三制野球ばかりが強くなり」なんという川柳か当時はやったといいますのもこうした背景がございまして、系統的な知識をもう少し子供たちにしっかり教えるべきではないかという反省が起きたのであります。  そこで、昭和二十七年だったと思いますが、教育課程審議会でこの問題を取り上げまして、戦後の社会科のあり方についていろいろ御審議があったわけでございます。その二十七年の審議は、たしか二十八年だったと思いますが答申が出まして、その中で、やはり小中、特に小中学校ではもう少し系統的な、体系的なといいますか、地理とか歴史とかそういうものをしっかり、基礎的なことをしっかり教えるべきじゃないかということで御答申が出まして、それに基づきまして昭和三十年の地理・歴史教育の一部改正になるわけであります。昭和三十年に学習指導要領の一部を改正しまして社会科を改正しました。そのときには地理・歴史教育などについてもう少し系統性を図る授業をしようというふうに改めたわけでございます。  そこで、小学校ではこのときに、歴史について日本の各時代の大きな流れをつかませるということも入れました。それから中学校では、地理的な分野、歴史的な分野、政治・経済・社会的な分野の三分野に分けまして指導内容を整理し、その系統性とそれから基礎、基本的な教育内容を教えるということに改めたのであります。  この昭和三十年代の一部改正が昭和三十三年の全面的な学習指導要領の改正に引き継がれまして、ここで先ほど申し上げましたように指導要領基準性を明確にするとともに、戦後教育の反省、戦後教育といいますか、当時の戦争直後の教育、混乱した教育の反省に立って地理・歴史教育などの一層の系統化を進める、そして国民として必要な基礎、基本はしっかり身につけさせるというふうに改められたのであります。
  55. 会田長栄

    ○会田長栄君 学習指導要領試案というものがいわゆる基準として明示されて、その中身については先ほど我が党の山本先生が質問をしてお答えいただきましたから省きますが、要するにこの改訂から、その後、昭和五十二年に改訂されるまでの間に、この指導要領基準を明示したがゆえに、学校子供たちの上にどのような状況がつくり出されたかというのは、ことしの白書でも明らかにしているとおり、ここが出発点でございました。その点では文部省としてはどのようにとらえておりますか。  この学習指導要領基準として改訂された以降、今日まで引き継がれている問題が多々あります。その引き継がれている多々ある問題についても平成元年度の文部省の白書の中ではきちっと反省をしているということでございますが、もろもろの問題というのはこの学習指導要領改訂したときから始まっていると私は見ているのです。その意味では、単に学習指導要領基準だけで述べるのも硬直的過ぎますが、ただ学習指導要領改訂の話でありますから、その点でどのように押さえているかお聞きしたい、こう思います。
  56. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領で幾つかの問題点を挙げておりますが、まず、学校教育の画一化の傾向、硬直化の傾向について指摘しております。  これは、近代学校制度が始まりました明治期から我が国は教育の共通性ということを大変重視してまいりました。そのために日本の今日の経済的な発展の基礎もつくったと自負しているわけでございますが、世界の中でも最も教育の共通性、要するに国民として必要な基礎、基本をしっかり身につけさせようということで、明治以来多くの先人が努力されてきた。その結果、我が国の初等中等教育、とりわけ学校教育の中で初等中等教育は非常にしっかりしたものになってきた。国民全体として非常に力がある。世界的な学力調査をしましても、数学でも理科でも常に日本がトップになる。これは外国の人から見ると大変驚異でございます。どうして日本はこのように高い学力水準を、しかも国民共通に与えているのか。  アメリカやイギリス、フランスでは、最近、機能的文盲、ファンクショナル・イリタラシーということが指摘されております。これは学校に行くけれども、結局、字が読めない、文が書けない子供がふえている。その点、日本では非常にしっかりしている、その教育の秘密ほどこにあるのかということで、アメリカでも教育全国基準の必要性というのを強く意識しておりますし、イギリスでは従来、学習指導要領という国の基準が全然なかったのを、それではいかぬというのでこのたびサッチャー首相のもとで法律をつくってナショナルカリキュラムを定めようというようなことで、日本が明治以来やってきたことを、今、欧米諸国で注目してその方向に直そうとしている。  我が国はその共通性を強調し重視してきたがために、全体的には学力は非常に上がっておりますけれども、ただいろいろやはり弾力性に欠ける面がある。この反省はやはり率直にしなきゃいけないと思うのです。これはあらゆる制度、例えば高等学校の編入学制度一つをとっても、各学校教育課程という制度を非常に大事にするがために編入学がなかなかうまくいかない、外国から帰ってきてもなかなか日本にうまく編入できないというような問題がございます。ですからそういう制度は少し弾力化しなきゃいけない。  それから高校入試だって、全県一斉にやるというような制度できているけれども果たしてこれでいいのだろうか、もう少し弾力化しなきゃいけない。それから校則の問題でも、我が国ではどうしても硬直的な校則の扱いをしている、もっと子供たち実態に即した見直しが必要ではないか。そういう意味でこの画一化、硬直化の問題を挙げております。  それから第二に問題行動の問題を挙げておりますが、これは日本の指導要領がこうだから問題行動ができたということではもちろんないわけでございまして、この豊かな社会の中で子供たちを育てるのがいかに難しくなっているかということの一つの証左であらうと思います。事実、アメリカにしましてもイギリスにしてもフランスにしても、日本よりもはるかに校内暴力もそれから青少年非行も多いわけでございます。日本が校内暴力で大変苦しんでいた数年前、このとき全国で千四百人の先生生徒に襲われた、それで大変問題になりました。しかし、当時アメリカでは十万人も先生生徒に襲われるというので、大変、日本以上に深刻な問題を抱えていたわけであります。  ですからこの問題は日本の教育の風土の中で特殊な問題ではなくて、むしろ豊かな先進諸国共通の悩みである。ですから、この豊かな社会の中で子供をどう育てていくかということをこれから私どもは考えなきゃならない、そういう観点でこの問題を取り上げております。  それから受験競争問題等も挙げておりますが、これは確かに日本で少し特殊的な問題であろうと思います。これは日本の国民の熱心な教育風土の中で、そして学歴偏重の社会風潮の中でこうした問題が大きな課題となっているわけでございまして、これは入試改革の改善ないしは学校教育の充実という形で今後私どもが一生懸命取り組んでいかなければならない。  抱えました課題はいずれも私どもは課題として率直に認め、これから一生懸命それに取り組んでいきたいというつもりで掲げているものでございます。
  57. 会田長栄

    ○会田長栄君 私がもっと率直に聞きたかったのは、この学習指導要領改訂された以降、次の改訂までの間、実は社会的に大きく問題になったことは、要するに勉強嫌いの子供を多くつくった、同時に親からは落ちこぼれ教育をやっているという批判を教職員が受けた、そしてとりわけ今の学校教育は新幹線教育だなどということを言われて大変父母から批判された時代でございます。もちろん高校の偏差値教育による入試選抜問題もここで生み出されてきました。こういうもろもろの問題が出てきているきっかけをこの学習指導要領がつくり出してしまったということを私は忘れてはならない。  それはなぜかというと、その後の学習指導要領改訂するときには、これは午後の時間に回しますけれども文部省の姿勢というのは変わってきました。  ここからは午後にします。
  58. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時まで休憩いたします。    午後零時三分休憩      ─────・─────    午後一時一分開会
  59. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  60. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、もう簡潔にお聞きしていきますから簡潔にお答えいただきたいんですが、昭和三十三年に学習指導要領改訂されまして、その後昭和五十二年に再度改訂されました。このときのキャッチフレーズは何でございました
  61. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 昭和四十年代の改訂は、キャッチフレーズとしては調和と統一のある教育課程、それから昭和五十年代の改訂では、ゆとりと充実のある学校生活ということであったと思います。
  62. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、この昭和五十二年に改訂されたとき、ゆとりある充実した教育というキャッチフレーズを出さなければならなかった点はどう押さえておりますか。
  63. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 昭和三十年代、四十年代を通じまして、特に四十年代の教育の現代化ということで教育内容がかなり盛りだくさんになってきた。それでその反省の上に立って、五十年代はもう少し教育内容を精選しようということだったと思います。
  64. 会田長栄

    ○会田長栄君 実は、三十年代、四十年代、要するに知識の詰め込み教育というのがあって勉強嫌いあるいは落ちこぼれという問題が現場の中に出てまいりまして、結局、教育内容、教科内容を精選せざるを得なくなってきたというところに私はあったと思います。  この昭和五十二年の学習指導要領改訂するときの内閣総理大臣はどなただったですか。文部大臣はどなただったですか。
  65. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 指導要領によって違いますが、高等学校のときは砂田先生でございました。それから小中のときは現在の海部総理でございます。
  66. 会田長栄

    ○会田長栄君 その後はどなたですか。要するに、ゆとりある充実した教育というキャッチフレーズにしたときは海部さんだったんですか。
  67. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領の告示のときは海部文部大臣、現在の総理でございます、小中学校は。  それから高等学校学習指導要領、その翌年ですか告示しておりますが、そのときは砂田重民先生です。
  68. 会田長栄

    ○会田長栄君 要するに、このときはロッキード疑惑問題というのが出てまいった時代でありまして、当然そのときの総理大臣は三木さんであり、文部大臣は永井さんであった。  この二十年間の教育というものについて反省を加えて、戦後民主教育の原点に立ち戻る必要があるだろうというときがあったのじゃないんですか。
  69. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領は、教育課程審議会の答申に基づきまして、多くの学校先生とか専門の方々によって十分な審議を経てつくられるものでございまして、そのときの大臣がどなたであったかということとは直接関係がないと存じますけれども
  70. 会田長栄

    ○会田長栄君 私は、二十二年、三十三年、四十二年、五十二年と学習指導要領改訂されるたびごとに、実は戦後の民主教育というのが一歩ずつ後退するように感じてきました一人であります。しかし、三木内閣、永井文部大臣のときには憲法、教育基本法に基づく方に一歩近づいていった時期だと私は見ているんです。それだけに、今回、学習指導要領改訂されまして、その改訂されたおおよその概略というものは申し上げませんけれども、最もやりたかったのは社会科を解体したいという考え方があったのではないかと見ていたわけであります。結果的にやりました。  そこで、この社会科を解体させた学習指導要領というものを公示した、これは前の、前と言った方がいいでしょう、中曽根元総理、高石前文部次官のときが私は最も重要だと見ているんです。中曽根元総理と高石文部事務次官がリクルート疑惑問題で揺れ動いているときにこの問題が議論されて最終的に決着されたと聞いております。  この学習指導要領改訂するに当たって当然教課審が開かれているわけでございますが、その諮問に当たっての文部大臣のあいさつで社会科を解体したいという趣旨が説明されましたかどうか、お聞きいたします。
  71. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 文部大臣のあいさつは、その諮問いたします四つの項目を示しているわけでございますが、その諮問の趣旨につきましてその理念とかそれからその大筋についてあいさつで申し上げることになっているわけでございます。それで、大臣のあいさつだけでは十分意を尽くせませんので、同時に補足説明として、その諮問の当日、初等中等教育局長が説明をするということで従来からやっているわけでございますが、この初中局長の説明では、改訂の具体的な問題点についてある程度触れるわけでございます。  そこで、高等学校の社会科につきましては、その局長の補足説明におきまして、諮問当日、「高等学校の社会科の科目構成の在り方について再検討すべきであるなどの意見があります。これらの教科・科目の構成やその教育内容について御検討をお願いしたいと存じます。」と、この問題について触れているところでございます。
  72. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、その次にお聞きいたします。  社会科解体問題については教課審の中間まとめはどうでございましたか、結論だけ聞かせてください。
  73. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) この問題につきましては、五十八年の中央教育審議会、さらには臨教審等の答申も受けまして、昭和六十年から議論を教課審で始めたわけでございますが、六十一年十月の中間まとめにおきましては、この問題はなお「引き続き検討する。」ということでございました。
  74. 会田長栄

    ○会田長栄君 「引き続き検討する。」でございましたでしょう。  それでは、その教課審の特別委員会、社会科委員会の結論はどうだったでしょうか。
  75. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) この教育課程審議会の審議の方法としましては、当初、親委員会を決めまして、これは人数が少ないわけでございますが二十七人で、ここで課題別委員会を四つ設けました。その課題別委員会の中で社会科についても御議論をいただいたわけでございますが、ここでは、社会科の枠を外すことについては引き続き検討するということでございました。そしてそれが総会に報告されまして中間まとめになって、先ほどの「引き続き検討する。」という審議会自体の中間的なまとめであったわけでございますが、その後、教科別委員会というのを各教科別に教育課程審議会に設けました。  このときには、教育課程審議会の当初の親委員会と申しますか二十七人の委員会を拡充しておりまして、六十四人の拡大委員会になっております。そして高等学校中学校小学校とそれぞれ分けて分科審議会を開いて検討しておりました。この高等学校の分科審議会でも社会科の問題はずっと検討を続けております。  それと並行して、今、御指摘の教科別委員会で社会委員会がございましてそこでいろいろ御審議をいただいたわけでございますが、それのまとめが、そこの委員会では歴史を独立の教科とするかということについては両論併記という形で総会に報告されています。
  76. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、教課審総括委員会で解体問題には触れておりませんか。どうですか。
  77. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) ただいまの御質問の総括委員会といいますのは、当初の二十七人で組織しております親委員会の主として会議の運営に関する委員会でございまして、教科別の議論はする場所ではございません。
  78. 会田長栄

    ○会田長栄君 十月二日に中曽根元総理と高石前文部次官が会談をしたことを知っていますか。
  79. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 当時の新聞報道によりますと会談した事実はあったようでございますが、その内容については私は存じません。
  80. 会田長栄

    ○会田長栄君 高校社会科担当の小西高校課長が突然転出されたことは事実ですね。
  81. 國分正明

    政府委員(國分正明君) 御指摘小西高校課長が昭和六十二年の十月に横浜国立大学の事務局長になった事実はございます。
  82. 会田長栄

    ○会田長栄君 これは報道によれば突然だそうでございますが、高校社会科担当の小西高校課長が突然転出するというのは、これほど重要な問題を議論しているときに出るはずは私はないと思うんです。行政の継続性からいって、あってはならないことなんですね。ところが突然出された。そのわけをお聞きしたい。
  83. 國分正明

    政府委員(國分正明君) 人事というのは常に本人にとってはいわば突然でございますが、そういう意味では突然かと思いますけれども、この人事は何もこのケースだけではなくて、文部本省の課長クラスと国立大学の事務局長の交流というのは常に行われているわけでございます。特に国立大学事務局の活性化というような観点からも行われているわけでございまして、ごく普通の人事というふうに御理解いただきたいと思います。
  84. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、この社会科解体の問題について文部大臣から諮問したときとそれから六十二年の十月二日までの間はどのぐらいの期間だったですか。
  85. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 教育課程審議会の発足は昭和六十年九月でございます。このときからいろいろ新しい教育課程はどうあるべきかという議論が進みまして、六十一年の三月には先ほど申し上げました課題別委員会ができまして、社会科教育のあり方について集中的にここで審議をいたしております。そして、その後、中間まとめを六十一年十月に出しまして、引き続きまして同十月に高等学校の分科審議会が開かれました。このときは、先ほど申し上げましたように当初の二十七人の委員を六十四人にふやして、小中高それぞれ分科審議会を設けたわけでございます。そして、この高等学校の分科審議会におきまして社会科は引き続き御議論をずっといただいております。  その間、六十二年三月に教科別委員会の先ほどの先生指摘の社会委員会が発足しまして、ここで主として社会科教育のあり方につきまして継続して議論をいただいたわけでございます。この議論が六十二年三月から三カ月ございまして、六十二年六月に、社会委員会の審議をとりあえずそれまでの議論をまとめまして高校の分科審議会に報告をいたしました。そして、その報告に基づきまして高校の分科審議会でその後ずっと御議論をいろいろいただきまして、六十二年の十一月に教育課程審議会の審議のまとめをまとめまして公表したわけでございます。  そのときに社会科を再編成するという内容をまとめておりますので、結局、昭和六十年九月から六十二年十一月まで二年間かけて、この問題だけではございませんが、この社会科の問題も含めまして教育課程のあり方について審議を継続してきたということになります。
  86. 会田長栄

    ○会田長栄君 実は、高校分科会でもあるいは教課審委員会でも、約二年間かけて社会科の解体問題については結論が出ないで検討を続けるというまとめになっていると聞いております。しかし、十月二日、先ほど申し上げた総理大臣と次官が会合するや否や、大変な経費と労力と論議を経て高校社会科の問題について継続して検討するとなっていたものが、急にこの二カ月間で解体させる結論が出るようになってしまった。ここに私は大きな政治的な圧力があったもの、こう思っています。  そこで、もう一つ、知っていればこの機会でありますから知らせてほしいわけでありますが、この十月二日以降、文部省高石次官と局長クラスが高校分科委員会の委員に、歴史独立、社会科解体の物すごい電話攻勢をかけたそうです。その事実はございますか。
  87. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) まず初めの件でございますが、二カ年かけて議論して最後の二カ月で突如とおっしゃいますけれども、こういう社会科の再編成、これは解体ではなくて再編成だと思っておりますが、この再編成のような重要な課題はゆっくり時間をかけて議論を重ねて、そしてちょうど熟したときに結論が出るというのが当然であろうと思います。それだけ慎重に審議をしてきたということであると私たちは思っております。そういうことでございます。  もう一つ、後段の、局長、次官等が電話をかけたかどうかということは、私は存じません。
  88. 会田長栄

    ○会田長栄君 余りに急な変化で文部省自身が対応し切れなかったというのが率直なところだと思いますが、その点についてはどう思われますか。これは文部省自身の身内の問題でありますから率直に答えてもらいたい。
  89. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) この社会科再編成の問題は大変長い歴史がございまして、社会科の発足以来、常に教育課程審議会の教育課程改訂のたびに議論されてきたテーマでございます。  私は、昭和五十年代、高等学校教育課長をしておりまして、そのときに学習指導要領改訂の作業に携わったわけでございますが、そのときでも大変大きな課題でございました。しかし、そのときはこの問題は結局できなかったわけでございますが、今回の改訂で二カ年かけて長く議論を重ねて、ちょうど熟したカキが落ちるようにこの総会の最終のところで結論が出た、これは全会一致で出ております。高校分科審議会でも全会一致でございますし、それから教育課程審議会の総会におきましても異論がなくこの方針がまとまっているわけでございます。  したがいまして、これは教育課程審議会の多くの委員の一致した意見ということでございますので、私どもはその答申に基づきまして今回の学習指導要領を作成した、こういうことでございます。
  90. 会田長栄

    ○会田長栄君 実は私が聞いている範囲では、前高石文部次官が衆議院選挙に出馬するために無理やり事務局にやらせたと聞かされております。しかし客観的には、そういう状況がこれからおいおい前高石文部次官のリクルート疑惑裁判と絡んで出てまいりましょうから、ここではこれ以上触れません。  次にお伺いしたいのは、高石前文部次官の衆議院選出馬問題と絡んで、文部省はリクルート疑惑問題にけじめをつける、こういう気持ちでその後対応したと思いますが、文部省の言うリクルート疑惑にけじめをつけるというのはどういう内容でございましたでしょうか。
  91. 國分正明

    政府委員(國分正明君) リクルート事件に関します一連の事態というのは、大臣もしばしば申し上げておりますように、大変遺憾なことであるというふうに考えております。  けじめの問題でございますが、文部省といたしましてはこの事態を深く反省いたしまして、これにつきまして厳正に対処するということで、リクルート社とのいろいろなかかわり合いについて調査をいたしまして関係者の処分も行いました。また、人心の一新を図るための人事異動を行ったわけでございます。さらに、服務規律委員会を設置いたしまして官庁の綱紀の点検調査を行うというような措置も講じているわけでございます。  これらの措置により、文部省としては、損なわれました文教に対する信頼というものの回復に全力を挙げているという状況でございます。
  92. 会田長栄

    ○会田長栄君 実は、余り言いたくないのでありますけれども、このリクルート疑惑問題に関連をして、社会的には、前文部次官と局長三人を含めまして文部省としては教育信頼回復のために一定の人事上のけじめをつけたと伝えられている。しかし司法の上では、高石前文部次官はこの問題について無罪を主張している。私は関知しない、これは部下のやったことですと言っていることについて、文部大臣、どういう感想をお持ちです
  93. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 午前中もこの問題で御答弁を申し上げたわけでありますが、やはり何と申し上げましても教育行政の頂点の一人である文部省事務次官であったわけであります。それが司直の手を煩わすということになったそのことが、これから裁判で争われてどうなるかそれはわかりません、でも司直の手を煩わすということになったそのことが文部行政に対する国民の批判、不信を買ったことはこれは事実であるなと、深く反省せねばならないことである、こう考えております。
  94. 会田長栄

    ○会田長栄君 リクルート疑惑問題のその中身については今とやかく私も申し上げません。ただ、部下がやったということを司法の上で申されるというのは、私は教育信頼を損ねたことについて全然反省をしていないと思うんですよ。恐らく前次官とそれぞれの関係する局長とで相談をしてやったのでありましょうけれども、前事務次官が無罪を主張し、部下のやったことですということを証言するようになったらそれは不信の上に不信を重ねることだ、こう私は思っています。その上に立って、地元の人たちの要望にこたえて今度は衆議院選に出るなどということは、私はけじめがついたものとは思っていません。  そういう意味で、大臣がけさほど、子供は大人の背中を見て育つ、こう申されました。まことに適切な表現でありますが、子供や父母は、まさか文部省のお偉い人たちにそんなことはあってはならない、なかったことだろうと信じていたところに出た問題であります。その点についてはあの当時、このことだけは申し上げておきますが、学校現場の校長さん、教頭さんは子供たちを集めて指導するときに、子供の目を見てちゅうちょする期間であったと今も言っています。それぐらい大きな影響を与えたわけでありますから、この点について最後に一つだけお聞きしておきます。  前の文部大臣の西岡さんは、この疑いが持たれている期間中、衆議院議員に立候補するということについてやめてくれ、こういう要請をしたと伝えられています。文部大臣は十一月二十四日の衆議院文教委員会で、高石前文部次官の次期衆議院選出馬要請の動きについて、高石君が本当にやる気があるなら、政治、文教行政への信頼の上でいかがなものかと思う、本人と接触するように努力すると答えています。接触されましたか。
  95. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 私自身どう考えてみても、この時点においての衆議院の選挙に出馬を仮にもしするとすれば、まだ私はするしないはわかりません、そういう報道がありますので申し上げますが、するとするならば、これはどうも何とも言いようがないなと極めて残念に思います。  そこで、接触をしたかということでありますが、事務局をいたしまして高石君と接触をとるよう努めました。そしてまた接触ができたわけでありますが、本人からはこのようなことを言ってきております。いろいろと大臣を初め皆様方に御心配をかけて申しわけなく思っています、しかし、初公判を控え、お会いすることは難しいと考えておりますと、このようなことをこちら側に言ってきております。  以上、御報告いたします。
  96. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、その次にお伺いしますが、文部大臣教科書問題を考える議員連盟の事務局長というのは今もやっておられますか。
  97. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 大臣就任と同時にやめております。
  98. 会田長栄

    ○会田長栄君 それでは、この教科書問題を考える議員連盟の会長林健太郎先生、事務局長石橋一弥氏、こう並んでいたわけでありますが、一九八五年、昭和六十年に発足した会合でありますけれども文部省学習指導要領改訂案を発表する二月十日の後、文部省に五点、この議員連盟が要求したと聞いておりますが、その五点の内容をお聞かせ願いたい。
  99. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 私はどこまでも事務局長という立場で、議連のまとめた御意見——要求という言葉は使っておりません、要望であります、要望を申し上げたわけであります。  その五点は、一つは、北方領土は我が国の固有の領土であるとより明確に表記をお願いいたしたい。第二点は、太平洋戦争を第二次世界大戦と表現を適正化していただきたい。第三点は、神話伝承について、古事記、日本書紀、風土記などの中から適切なものを取り上げていただきたい。第四点は、人物のことでありますが、神武天皇が入らないなら卑弥呼も削ってほしい。第五点、中学社会で、日本国憲法の平和主義について理解を求め云々というところを平和主義と自衛権に変えてほしい。以上、五点をお願いに上がりました。
  100. 会田長栄

    ○会田長栄君 この五点の文部省に対する要請について議員連盟自身が、三点は修正すると受け入れられた、あとの二点は受け入れられなかったと発表していますが、これは事実でございますか。
  101. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) そのとおりであります。
  102. 会田長栄

    ○会田長栄君 実は、けさほどまず文部大臣に憲法と教育基本法の問題について所見を伺ったのはここにあるわけでございます。教育内容にいかなるものも介入してはならないということははっきり明示されているわけでありますから、この点、教育基本法の第一条あるいは第十条から考えてみて私はあってはならないこと、こう思っているわけであります。その点、憲法と教育基本法については遵守をするという回答を得ておりますから私もその点で安心しておりますけれども、こういう経過があったということだけはやはりきちっとしておかなければ今後問題が起きるであろう、こう思っているわけであります。  この学習指導要領改訂するに当たって、文部省教育内容改訂する場合に相当そういう力が働いてきたものと私は見ているんです。そういう点は何としても、学習指導要領あるいは社会科解体、再編という答弁でございましたけれども、二年間かけて検討を続けて早急に結論が出せないというものを残りの二カ月で変えてしまうなどというのは、あらかた私から見ればその疑いが相当濃いと言わざるを得ない。したがって、そういうことのないようにしてもらいたい、こういう主張であります。
  103. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) ただいまの御意見は御意見としてありがたくちょうだいいたしますが、今回の学習指導要領の作成に当たって、いわゆる要望書が出たのは四百団体もあります。私が事務局長をやっておりました教科書問題を考える議員連盟、これも政党活動として、議員活動として私は当然なことであると思います。その意見を要望として出したわけであります。  ちなみに申し上げますと、公立幼稚園協会でありますとか、小学校校長会でありますとか、日本中学校校長会でありますとか、あるいは普通高等学校校長会でありますとか、日本教職員組合でありますとか、日本高等学校教職員組合左派でありますとか、日本高等学校教職員組合右派でありますとか、このような、読めばたくさんあるわけでありますが、それぞれから要望は出ております。そして、日本教職員組合から出された要望の中にも取り上げられているものがあることを御報告いたしておきます。
  104. 会田長栄

    ○会田長栄君 文部大臣見解としてはわかりました。しかし私も、こういう主張を持っているということも理解してもらいたい、こう思います。  ところで、最後に免許法改正問題について三点、御質問申し上げます。  一つは、地歴、公民の一方的免許では小さい学校ではどうにもならない運営になっていくのではないか、そういう点はどうするかという問題。  それから二つ目は、この免許法が成立すれば、一九九〇年四月一日以降、大学入学者が新免許状取得の際、専門科目の単位数いかんによっては地歴、公民の双方の免許取得が困難になるのではないか、これをカバーできるだけの条件というのは、今、国公立、私学大学を通じて整備される見通しがあるのかどうか。  それから三つ目、これはもう学習指導要領改訂あるいは社会科再編成、私は解体と言っているわけですが、重要な問題を含めてこの免許法というものが当然継続されてきているわけでありますが、今、国会に提出されている免許法改正案が今度の国会で通らなかったら、既に改正した省令とか公示というのはどう受けとめたらいいのか。以上三点でございます。
  105. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) まずお尋ねの第一点、小さい学校において教員が確保できるかということでございますが、社会科が地歴、公民になったわけでございますけれども、今回の教育課程改訂に当たりまして、週当たりの総授業時数は三十二単位ということでそれは変わっていないわけでございます。そういうことでございますので、現行の教員定数でこの問題については対応できるというふうに考えているわけでございます。  現に社会の免許を持っている教員が今後も本法の附則によりまして地理歴史と公民の双方を担当できるわけでございますので、当面は格別問題はないわけでございますけれども、将来におきますと、いろいろと定数の算定の基礎などを見てまいりますと、標準的な適正規模の学校六学級の規模におきましては、地歴、公民それぞれ担当の教員が標準的に一人確保できることになっておりますので、これは格別問題はないというふうに考えている次第でございます。ただ、普通科の三学級のような小規模の学校になりますと、これは地理歴史について定数を一人確保できますけれども、公民については週当たり授業時数が四時間ということでございますので、非常勤講師で対応することになるかというふうに考えているわけでございます。  それから、大学におきまして地歴と公民と双方の免許状が取れることになるかどうかということでございますが、これは各大学の講座の設定状況などを見てまいりますと、いわゆる教員養成大学・学部におきましては、そうしたことはさほどの困難もなく可能だというふうに見られるわけでございます。ただ一般大学におきましては、地歴と公民のそれぞれの取得すべき専門教科の科目の構成にもよるわけでございますけれども、相当困難になるのではないかというふうに推測している次第でございます。  それからもう一つが、免許法が成立しなかった場合の対応はどうかということでございますけれども、若干説明が長くなるわけで大変恐縮でございますけれども……
  106. 会田長栄

    ○会田長栄君 いや、短くしてください、時間がないから。
  107. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 教育課程上の教科とそれから免許法上の教科というのはこれは密接に関連しているわけでございまして、現在の法制度におきましても両者は原則として対応するような形になっているわけでございます。そういうことで、私ども今回、法案をお願いしているわけでございますけれども、両方の整合性を考えるとぜひこの法案を通していただくのが一番妥当ではないかというふうに考えているわけでございまして、通らなかったことにつきましていろいろと検討したことはないわけでございます。そういうことでございますので、ぜひこの法案につきまして御審議いただき、速やかに成立させていただくことを、この際、心からお願い申し上げる次第でございます。
  108. 会田長栄

    ○会田長栄君 時間が来ましたのでこれで私の質問は終わらせていただきますが、次回に引き続いてやるようにしていきたいと思います。  ありがとうございました。
  109. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 それでは、私から教免法についての質疑をさせていただきたいと思います。  まず最初に、大変恐縮でございますが文部大臣に一、二伺いたいと思います。  日本の教育は、先ほどもお話がございましたが、明治以降、先進国に追いつけということで一生懸命先輩たちが築いてまいりまして、今や世界に冠たる教育実態があると思います。これは明治以降だけではなくて、江戸時代にも幕府が学問を奨励し、特に寺子屋などはおおむね当時五万あったそうでございます。今、学校数は、大学から幼稚園まで、各種学校全部入れてもまだ六万六千しかございません。そうやって見ますと、規模は違うと思いますが、いかに江戸時代に先輩が一生懸命、学問そして教育というものに力を入れたかという一つの実証だろうと私は思います。  戦後四十年間、我々は欧米に追いつけ追い越せで一生懸命頑張ってまいりました。そのために、大変優秀な労働力、しかも均等な労働力をたくさん提供できて、今日の日本の経済界の発展があると私は信じております。ただしかし、欧米に追いついてしまった現今、果たして、明治以来あるいは戦後、我々が食べていけない時代の教育をそのまま踏襲していいのか、私はそれについては非常な疑問を持っております。これからは、世界の国をリードすると言うと大げさでございますが、やはりリーダーシップを持っていかねばならない立場にある日本は、どういう意味におきましても、人のまねをするのじゃなくてむしろ独創的なことが考えられる人、あるいは情緒、感情の豊かな人、あるいは価値判断がしっかりできる、そういう人間を養っていかないと尊敬されていかないと思います。  そういう意味で、今の教育行政が一元化し過ぎておる。よく言われますが、金太郎あめみたいにどこを切っても同じだ。例えば北海道から沖縄まで同じような校舎で同じようなクラス編制で同じカリキュラムで、そして同じ給食で同じようなものを食べて、これでいいのか、私は実は素朴に感ずるのでございます。  先に私の考えをちょっとだけ申し上げますと、義務教育でも、もっともっと国民が、親が選択できていいのじゃないか。今、学区できちっとがんじがらめにしてありますが、むしろ三つか四つ、自分の家から通える範囲内の学校で選択をするということが私はこれから大事じゃないか。先ほど山本委員から話がありました給食の問題もそうですが、やはり給食も、弁当も持っていっていい、学校で給食を食べてもいい、ともかく選択の余地を与えるということが活性化につながるのではないか。あるいは修学旅行でもそうでございますが、何百人もの大きな団体が新幹線を貸し切って、そしてあちこち見物して帰る。  私どもも若いときに経験しましたが、自分で金を持って、旅館でお金を払って領収書をもらって、そしてまた電車の団体切符をあらかじめ買っておいてその切符を使うというようなことをよくやりましたけれども、今そういうことを一切やらぬ。手づくりの教育がなっておらぬというか、言ってみれば機械的にオートメーションの上に乗っかったような教育が果たしていいのか、私はそういうことを素朴に感ずるわけです。なかなかこれは言うは楽ですが、ともかく能率のよい、金のなるべくかからないように、しかも均等にいい結果を生むには今まででよかったと思いますが、しかし、これからの教育はそれに甘んじておってはいけないのではないかというのが私の主張でございます。  文部大臣、今後、将来の日本の教育についていかなる御抱負を持っていらっしゃるか、お聞かせをいただきたいと思います。
  110. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 大変示唆に富む御意見、まことにありがとう存じます。  そこで、私は先般ある人といろんな教育上の話をしたことがあります。そのときにおっしゃいますには、明治の時代、そしてまた戦後の時代、全般の日本国、日本社会のレベルアップをするという考え方の中において、スタンダード、基準というものを設けて、国民全般の教育的レベルをそこまで上げることに一生懸命であった。でもこれからは、大臣、それではいけませんよ、やはり個性というもの、一人一人の考え方、一人一人の個性、それを尊重して、レベルの中から、そっちからもぽこっと、こっちからもぽこっと芽が出てきたもの、これを大いに尊重してやらなければ、日本はまねをするところはなくなって独創的になったわけだから、それに大いに意を用いてやった方がいいと思いますよという御指摘を受けて、今の委員のお話を聞いて全く同感だな、こう思ったわけであります。  例えば、エリート教育という言葉を使えば日本の今の社会からは全く指弾をされるものと思います。でも、大学を卒業して修士課程、博士課程のいわゆる大学院、ここに行って科学技術の進歩を中心として学んでいる数を国際的な比較をとってみますと、高等学校までは全く日本国は世界に冠たるものです。これで大学に行って修士、博士課程のところまで科学技術をやっているということになりますと、残念ながら非常に劣っております。これでは、まさに我が国、我が民族のいわゆる頭脳の部分がおくれていってしまうではないかなということを考えるものであります。  そしてまた、いわゆる人類の発展というものは科学技術の進歩に負うところが非常に大きいと私は考えます。そしてまた、その科学技術の進歩、発展というものが一体二十一世紀以降どの程度までなっていくのかは、だれもこれはわかりません。今、教育を受けておる方々はその時代に生きる方々ですね。ですから、いわゆる暗記でありますとかそうしたことでなく、新たな物事が起きても自分で考える力、自分で物事を考える力というものを養成していかなければ、二十一世紀は日本の世紀だというようなことにはとてもならないなというような感じで、全く委員考え方と同じであります。  そこで、中教審の検討すべき課題でありますとか、いろいろなことで、今、御審議をしていただいているわけでありますが、結局は、やはり子供たち一人一人の個性を最大限に尊重して、心豊かでたくましい青少年を育成するのだ、その特色を発揮して切磋琢磨してやっていくことが一番もとなんだな、このような認識を持っております。
  111. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 ありがとうございます。これからの日本の教育はいろいろ大事なことがあると思いますが、次代を担う子供たちをいかに健全に育てるかということが、国運と言うとおかしいですが、国の勢いを最も左右するものだと私は思いますので、ぜひひとつ文部省は今後とも真剣に取り組んでいただきたいと思います。  もう一つ大臣にお伺いしたいのですが、今、学校教育において、それぞれ小学校中学校高等学校、大学によって適正規模というのがあると思うんですね。特に高等学校ですと千人くらいとか、中学なら八百人、小学校は六百人とか、それは別に科学的根拠があるわけではございませんが、いずれにしても千人もあるいは千何百人も小学校にいるということは、私はやはり一人の校長が全体の生徒と親を把握できるような、クラスも大事ですけれども学校自体に今後そういうものが私は必要だと思うんですよ。  ですから、よく小さな町の学校に行きますと、地元の人たちのコミュニケーションも非常にいいように見えます。私どもがかつて昔、経験したことでございますが、宿直をしていると親がわざわざ夕飯のおかずを子供に持たせて、きょうはおまえのところの先生が宿直だからこれを持っていって置いてこいと言って宿直室まで届けてくれたような経験がございます。それを食べながらまた子供と違う意味でいろいろと話ができる。私はまさに教育というものは、教室でもって先生が教壇の上から教えるだけではなくて、むしろ意図せざるところに本当の教育があるような気が最近してならないのです。  そういう意味で、立派な施設も大事でしょうけれども、また先生方の給料を上げることも大事でしょうけれども、しかしそれ以上にやはり子供先生との信頼関係、もっと極端なことを言えば先生の質的向上、同時にまた人間的なそういう温かい先生をこれから養っていただきたい。これが私は教育委員会あるいは文部省にとって一番大事な問題ではないかな、こう思うのですが、その辺の所感をひとつお伺いしたいと思います。
  112. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 先生のお話の中に学校の適正規模などというのがあったわけでございますけれども、私ども学校の規模というものを大変大切に思っているわけでございまして、数年前から大規模枝の解消ということを精力的に進めているわけでございます。大規模校を解消するために学校分離を行う場合には、その土地の買収費でございますとか建物の補助などについて精力的に施策を進めてまいりまして、現在におきましては相当程度減っているように考えておる次第でございます。  また、ただいま先生のお話の中には教員の資質の問題もあったわけでございますけれども、この点につきましては、昨年、ちょうど今ごろ教育職員免許法の改正をいただきまして、専修免許状などを設けると同時に、社会人の活用ということで特別免許状などを設置していただきまして、いろいろと教員養成の面でも改善を図っている次第でございます。  また、初任者の研修につきましては、これも昨年の春でございますけれども法律の改正をいただきまして、本年度から小学校について初任者研修の本格実施をいたしているわけでございまして、いろいろ私どもヒアリングをしてまいりますと、これは大変有効な効果があるという評価を得ているわけでございますので、こうしたいろいろの面を通じまして教員の資質の向上に努めると同時に、今後ともその点について十分努力してまいりたい、そのように考えておる次第でございます。
  113. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 ぜひひとつ先生の資質の向上と、それから、俗にサラリーマン教師ということが言われますが、そうならぬように、やはり先生生徒の間にはお互いの信頼関係がいつも持たれるようなそういう関係でありたい、私はそう思いますので、今後ともひとつ、これは文部省だけの責任ではございませんけれども、御尽力を賜りたいと思います。  それでは教免法についてこれから質疑をさせていただきますが、まず最初に、今度の免許法の一番大きな改正点は、社会という高校の科目免許状を地理歴史と公民に再編成しております。今なぜこれが必要なのか、ひとつその理由をお聞かせいただきたいと思います。
  114. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 今回の学習指導要領の訂でございますけれども、それによりまして高校の社会が地理歴史と公民に再編成されたわけでございます。  この趣旨でございますけれども、これは高等学校生徒発達段階に即しまして専門性、系統性のある教育を実施しようということであったわけでございます。こうした社会科の編成の目的を十達成するためには、教員の免許制度の上においてもその専門性を一層高めることがぜひ必要であるというふうに考えるわけでございます。そうしたことで、免許法上の教科、社会を、地理歴史と公民に改めまして、教員養成におきましても一層その専門性を高めたいというふうに考えたわけでございます。  また、高等学校の社会の再編成の実施は平成六年からでございますので、平成二年から教員養成を地理歴史、公民で始めますと、ちょうど平成六年の実施に新しい免許状を持った教員教育界に送り出すことができるわけでございますので、ぜひこの国会で御審議をお願いしたいというふうに考えている次第でございます。
  115. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 端的に、社会科の方がいい場合もあるし悪い場合もある、それぞれお互いにメリット、デメリット両方あると私は思うんですね。これを二つに分けるということは、今お答えになりましたように専門性の上からいうと、教える側も楽だし、教わる方も高校生の場合楽だと思うんです。そういう意味では私は学習上は非常にいいと思います。  逆に社会科という一つの総合科目にしてしまいますと、教える方もなかなか工夫が要るし、教わる方もなかなか頭へ入ってこないということもあると思いますが、また違う意味のメリットもあるのではないかなと思うんです。私は、これは確かに人間それぞれの考え方の違いでどちらがいいとか悪いとかということは言えないと思うので、今回の改正についてはいいところを強調してこれを伸ばしてもらいたいというのが私の気持ちでございます。  ただ、これは社会科だけじゃない、まだほかにもたくさんある。社会とか理科というのは、大体似たような科目と言ってはおかしいですが、理科の中でも専門性を求めれば生物・地学とかあるいは物理・化学というふうに分けた方がいいのかもしれぬし、分けない方がいいのかもしれぬし、教える側からすればむしろ分けた方が教えやすいような気もするわけで、現実に多少規模の大きな学校では、物理をやる先生はほとんど物理をやるし、生物をやる先生は生物をやるというふうに大体なっているのではないかと思うんです。  いずれにしても、今回これを分けてやる上において、今後、免許法において、今までオープン性といいますか開放性といいますか、どこの一般大学でも教科課程をとれば取得できた。かつては専門的に、師範学校とか高等師範でもってちゃんと教員養成を専らやったという時代もあります。これもまた、何といいますか、いい点と悪い点、メリット、デメリットあると思いますけれども、将来、日本の教員養成については、文部省としては今後またこれを変えていく必要があるとお思いなのか、あるいは一応現状でこのまましばらくやって、将来のことは将来また皆さんにいい知恵を出していただいて対応していくというお考えなのか、その辺ひとつお聞かせをいただきたいと思います。
  116. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 昨年の教育職員免許法のときにもいろいろ御議論があったわけでございますけれども、私ども、戦後の教員養成の大きな柱としての開放性という制度は維持していくべきであるというふうに考えている次第でございます。これは、いわゆる教員養成大学・学部と一般大学がそれぞれの特色を発揮して多様な教員を養成するという制度でございまして、この基本的な考え方はぜひ維持することによって教育界での活性化を図っていくべきだというふうに考える次第でございます。  ただ、時代の進歩に伴いまして、そうした基本を維持しながらもそれぞれの時代に適応したやり方をもちまして教員の養成を図ることが合理的でございますので、昨年の改正におきましても、専修免許状、一種免許状、二種免許状をおつくりいただくと同時に、社会人の活用ということで特別免許状などを設けていただいた次第でございます。今後におきましても、原則は維持しながらも、なおかつ時代の要請にこたえて弾力的に制度の整備を図っていくべきだというふうに考えている次第でございます。
  117. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 もう一つ教員免許状取得の方法ですが、昔は文検といいまして国家試験で教員の試験をやって、それに合格した者については免許状を与えるという制度があった。今はないと思うのですが、もしあれば結構ですが、なければやはり将来は、そういう方途といいますか、教員を何らかの国家試験にかわるようなものでもって養成していくような、そういう意図はございますか。
  118. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 現在におきましても教員資格認定試験制度というのがあるわけでございまして、ただその運用におきまして、現在におきましては、小学校の免許状と高等学校の看護料、それから領域の一部に係るものについて試験を実施して教員の免許を与えている次第でございます。  ただ、最近の実態を見ますと、教員養成の本来の制度におきまして十分の数の教員養成ができておりますので、この免許制度、教員資格認定試験制度によりまして免許をお取りになる方が比較的少ないのが実態でございます。  そういうことで、今のところはこれをさらに広げるという趨勢にはないわけでございますけれども、将来いろいろな要素を考えつつ、この問題についてもしかるべき、その時期に応じて措置すべき問題ではないかというふうに考えるわけでございます。
  119. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 余り活用する人は少ないかもしれませんが、ただこれからいろいろ、例えばコンピューターなども学校の中にかなり導入されていくと思うので、今どういう先生が教えているか、商業の先生なのかあるいは数学の先生なのか私も知りませんが、やはりいろいろな意味で多方面の分野の人が教壇に立てるような機会をつくるということは今後必要なことじゃないかな、私はそう思いますので、またひとつ御検討をいただきたいと思います。  次に、この法律が成立しますと、来年から地理歴史とそれから公民の担当教員を養成しなくてはならないわけですけれども、地理歴史と公民の教員養成課程で履修科目をどうやるのか、ひとつ具体的にその内容をお示しいただきたいと思います。
  120. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 地理歴史の免許状を取る場合の科目並びにその単位数と、それから公民の免許を取る場合の科目とその単位数につきましては大変重要な問題であるというふうに私ども認識しているわけでございます。そこで、法案の改正をしていただきますと、私どもといたしましては教育職員養成審議会におきましてこの点について十分な御審議をいただきたいというふうに考えておるところでございます。  ただ、その傾向でございますけれども、何と申しましても学習指導要領の改定に伴いまして教員の専門性を高めるということでございますので、地理歴史については地理歴史系の科目が重点になるというふうに考えておりますし、また公民につきましては公民系の科目が重点になっていくだろうというふうに考えているわけでございます。ただ、教育職員養成審議会でこの点については十分御審議をいただきたいというふうに考えているわけでございます。
  121. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 今現在は、何をどれだけ何単位とればいいかということは決まっていないんですね。これから決めるんですね。
  122. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 私どもといたしましては、いろいろと腹案については検討しているわけでございますけれども、養成審議会でこの点については十分御審議いただきたい、そういうふうに考えております。
  123. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 平成六年にこの新しい学習指導要領が始まるわけですね、高等学校は。特に地理歴史と公民がそういうふうに移行していくと思いますが、そうなるとやはり教員現場に配置するというか送り出さなきゃならないわけでして、そうしますと、大学を出るには四年かかりますから、もう来年からその公民とかあるいは地理歴史の免許状を取得できるような教員養成課程というものを確立していかなきゃいかぬと思うんです。  そうすると、来年の四月というともう何ぼもないし、学生が大学へ入って僕はこれをとりたいというときに非常に混乱をするのじゃないか。しかも、学校も恐らく教養審かどこかに申請してその免許状を交付できるように認可をとらなきゃいかぬだろうと思うんですが、その辺はどうなっていますか。
  124. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 御指摘のように、来年の四月までには余り時間がないわけでございまして、大変私どもも苦慮しているのが実態でございます。  ただ、先ほど申し上げたように養成審議会でいろいろと御議論いただくこともございますので、法律が成立いたしました場合ほはできるだけ早く養成審議会を開催して教科専門教育科目などについて御審議いただき、その結果をもとにして省令の改正を行いたいというふうに考えるところでございます。その上でできるだけ早急に大学側にその内容を周知徹底いたしまして養成教育の開始に支障がないようにしていきたい、そういうふうに考えているところでございます。  特に一年次から教科専門教育科目を開設している大学も一部にあるわけでございますので、そうした大学につきましては、新入生に地歴、公民の免許を取るためにどんな単位が必要であるかということを十分周知徹底するように大学側に対してもお願いしてまいりたい、そのように考えているわけでございます。
  125. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 そうすると、教員養成課程の認可がなくても新しい科目をつくってそれを取得していけば、大体学生に苦労させないというか、とった学生に対してそれは免許状に連動して単位を認めていくというふうになりますか。
  126. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 単位の修得でございますけれども、これは免許法によりまして、文部大臣の課程認定を受けた課程でないと単位の修得はできないわけでございます。そういうことでございますので、実態的には先ほど申し上げたような手順によりまして進めるわけでございますけれども、課程認定という手続がやはり必要になるわけでございます。  ただ、これを正式に行うためには大学側におきましても大変な事務量が要るわけでございますし、その間に相当の日数も必要になるというふうに考えているわけでございます。そこで、便宜の措置ではございますけれども、大学側の対応状況を見ながら適当な時期に課程認定の申請を来年度していただきまして、それに基づいて正式の課程認定をしたいというふうに考えているわけでございます。  そういうことでございますので、今回の法律を来年四月一日から施行していただきますと、課程認定は若干おくれるわけでございますけれども、その時点に効果がさかのぼるような措置をとってまいりたい、そのように考えているわけでございます。
  127. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 学生にとっては非常に死活問題でございますので、課程認定をひとつさきに戻して四月から有効なような措置を、臨時的でもぜひやっていただく方が私は非常に親切ではないかと思うし、これは学生の怠慢でそうなったわけではございませんので、ぜひそれをお願いいたしたいと思います。  今回の改正は、先ほど来ずっと問題になっておりますけれども学習指導要領がもとになって、これを施行するために必要な法案であるというふうに私は理解をしております。この学習指導要領というものは省令に基づいて基準をつくられたのだろうと思うんですが、一体これが現場学校にどの程度の拘束力を持つのか、それから、それにもしも違反したようなことを意図的にやられたような場合には文部省としてはどういうふうに対処するのか、その辺をひとつ明確にお答えいただきたいと思うんです。
  128. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領は、全国的な教育水準の確保と実質的な教育機会均等を保障するために文部大臣が定めているわけでございますが、これは根拠は学校教育法にございまして、学校教育法で、小学校の教科に関しては文部大臣が定める、中学についても高校についてもと、こういう条文があるわけでございます。  そこで、文部大臣が定めます内容としましては、まず学校教育法施行規則に、小学校ではこういう時間でやります、こういう教科でやりますというごく大まかな柱が決まっております。そしてその詳細、教える中身については文部大臣が告示する学習指導要領によるというふうに決めてございまして、それに基づいて告示をする。ですから、学校教育法の委任を受けて施行規則が定められ、その委任を受けて告示が定められる、こういう一連の法律的な流れになっておりますので、これは法律的には法規命令の一種というふうに理解されております。したがいまして、学校ではそれに準拠してと申しますか、それを遵守して指導していただくというものでございます。  ただ、学習指導要領は、そういう法規的な形で定められておりますけれども、これはやはり教育基準でございますので、その具体的な運用はかなり弾力的なものであるということは午前中の御論議でも言われ、御指摘を受けたところでございます。教育基準としての共通性、国民の全体の基礎的、基本的な内容をしっかり身につけさせるという共通性の要素でこれをきっちり決める、そのことによって全国的な教育水準を確保し、そして適正な教育内容を確保しようということでやっているわけでございますが、同時に、子供たちは毎日成長を続けている存在でございます。そして、授業教師創意工夫があって初めて効果のある営みでございますので、教師の弾力性というものも非常に重要になってくる。  ですから、この確保すべき共通性の要素とそれから教師が運用すべき弾力性の要素、その調和点をどこに見つけるかということでなかなか難しいわけでございます。私どもは、今の学習指導要領がその両方の調和点に立っているものである。ですから、先ほど来大綱基準、教える指導内容の要するに大綱を定めたものであるというのはそういう意味であろうと思うのであります。  この学習指導要領はそういう性格のものでございますので、学習指導要領違反というのはなかなか実は具体的にはそんなにないわけでございまして、戦後多くの授業が重ねられているわけでございます。教育が行われているわけでございますが、指導要領違反で問題になったのは非常に数が少のうございますし、そして、ましてや裁判になったのは、私の知る限りでは、山口の毛沢東語録事件とか伝習館高校事件とかというごく限られたものでございます。  教育課程基準としてそういうふうに全国各地でそれに準拠して行われているのでありますが、本当に違反が問われるというのは、何といいますか、たまたま指導要領に定められていたことをやらなかったからなんということじゃなくて、そもそもこの指導要領には反対だというのでこれを一切拒否しよう、無視しようというようなときに初めてそういう問題になっているわけでございまして、ある一つの事項について違反があったからというようなことではそんなに問題になる基準ではないというふうに考えております。
  129. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 そのとおりだと私も思います。やはり現場教員の自主性というものを私は文部省教育委員会も大いに尊重していただきたい。しかし、その反面、やはり法の精神、憲法あるいは学校基本法に言われていること、それからまた学習指導要領に記載されていることについてはしっかりとひとつその精神を体してそして教育に専念していただきたいというのが私の願望でございます。これは左にも右にも偏向的な教育をするということは百害あって一利なしであって、そういう意味現場では先生がそれぞれの良識を持ってひとつ教鞭をとっていただきたいと私は切に願う一人でございます。  次に、学習指導要領改訂で、幼稚園、小学校中学校高等学校教育内容の一貫性を図るために、小学校で、特に小学校の中でも低学年に生活料というのを設けた。これはたしか社会と理科にかえて新たに生活科を設けたと思います。それから高等学校の社会科を今回、地理歴史それから公民に再編成したわけですが、その小学校学年の社会と理科にかえた生活科というものの意義づけ、それからまた今回新しくできる地理歴史あるいは公民科と生活科との関連性といいますか一貫性といいますか、そういうものについてひとつお教えをいただきたいと思います。
  130. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 今、御指摘がございましたように、小学校の低学年では、今回、生活科というのを新たに設けております。これも今、先生がおっしゃいましたように、理科と社会科をやめましてこの新しい教科が設けられたわけでございますが、それは、小学校に入ったころの子供たちというのは余り教科を分化して教えるのになかなかなじまない。と申しますのは、幼稚園ではこの教育活動全体をとらえて指導しておりますので、それがいきなり小学校へ入った途端に各教科に分かれていくというのは子供たちから見ればなかなかなじめないところがございます。ただ、教育をしっかりやろうとすれば、ある程度そういうまとまりのあるもので教科に分けて教えるということもまた重要でございます。ですから、そこのちょうど接点に位置するのが小学校の低学年だろうと思います。  そこで、小学校では、従来、理科、社会というふうに分けておりましたのを、これをまとめる形で生活科ができているわけでございますが、これは多くの国でも、なるべく小学校の低学年では合科的な科目・教科ないしは合科的な指導でやろうということになっているわけでございます。今、一番これをやっているのはお隣の韓国でございますが、韓国では小学校の教科を三つに統合しましてずっとやってきて、ごく最近、ことしからやはり国語と算数だけは独立しようというので、結局、今、五つになっておりますけれども、かなり思い切ったそういう統合の教科を設けております。また西ドイツでも早くから、一九七〇年代から社会と理科というようなものを統合した形で教えております。  そういうことで、この小学校の低学年の教科をどうするかということはこれまでも、社会科の再編成ではございませんが、ずっと教育課程改訂のたびに議論になってまいりました。それで今回ようやく実現したというものでございます。これは児童が自主的、主体的に学習し、そして基礎的な能力や態度の育成を図って自立への基礎を培おうというねらいでできているものでございまして、児童の直接体験をこの学習活動の基本に据えることにいたしております。  子供たちの身近な社会や自然、そういうものにかかわる活動を通しまして、自分のところの社会、社会と申しましても子供たちの身近な家庭とか学校とかその地域の周辺でございますが、それとその中にあります自然とのかかわりについて学習する、そして地域の自然や社会を生かした学習活動を展開し、それによって子供たちの自立の基礎を培おう、こういうねらいで行っているものでございます。  そういうことで生活科を小学校の低学年に置きましたが、それを終わってからは、今度は従来どおり社会それから理科というような学習に発展させていくということで、全体的なバランスといいますか、統一性、調和性はとっているつもりでございます。
  131. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 今、小学校の低学年の諸外国との比較がちょっと局長からお話がありましたけれども、日本の高校と外国の高校の教科・科目の編成について、国々によってそれぞれ千差万別かもしれませんが、共通点あるいは相違点といいますか、どこの国とどこの国とが大体似たような教科構成だとか、あるいはこことここは全く違うとか、あるいはこの国とこの国はこの点では非常によく似ているがこの辺がうんと違うんだよというような検討をされているかどうか、おわかりの範囲内で結構でございますからお教えいただきたいと思います。
  132. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 諸外国の高等学校の社会科に関連して御説明をさせていただきたいと思いますが、先生、今、御指摘のとおり、外国におきます教育制度というのはそれぞれの国によって違いますので、その教科の立て方等についてもまた国によりさまざまでございます。しかし、学校教育におきます教科につきまして、ある程度、おおよそのところではいずれの国もコンセンサスがあると思います。  高等学校社会科の地理歴史、公民という点に関しまして申し上げますと、地理歴史、公民を統合して扱う、いわゆる従来の日本の社会科のような形で実施しておりますのはアメリカでございます。これは日本も戦後アメリカの影響を受けてこういうことにしたわけでございますが、アメリカ以外の先進諸国では、社会科という形で一本で行っている国はないと理解しております。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕  例えばイギリスでは、これは小学校段階から地理、歴史を分けておりますし、中学校ではこの地理、歴史に加えまして公民的な教科を実施しております。またイギリスの高等学校では、地理、歴史というふうにやはり分けて、これを選択科目でさせるというようなことになっております。  またフランスでも小学校段階で歴史と地理と公民を既に分けておりまして、中学校ではそれに政治経済という科目が加わるというようなことになります。  また西ドイツでも、小学校で、これは先ほどちょっと申し上げましたが、総合教科としての事実教授という、ちょっと変な名前なのですが、事実教授という教科名がございまして、これが日本の生活料のような科目でございます。ただ西ドイツも、中学校高等学校といいますか、向こうの学校制度はギムナジウムという中高一貫の学校でございますので、そこでは地理、歴史と政治を分けて行っているということでございます。  ソ連でも、小学校段階から歴史、地理を分けて行っておりますので、いずれの国も、アメリカを除きますと、欧米先進諸国、ないしはソ連も含めまして、発達段階にもよりますけれども、地理、歴史、公民というものは分けて教えているというのが全体的な傾向でございます。  我が国でも、今回の学習指導要領改訂におきまして、小学校中学校までは従来どおり社会科という一体的な総合的な科目で教えておりますけれども、今回、高等学校では、その専門性、系統性を強めて社会科の再編成を行った、こういう次第でございます。
  133. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 次に、この地理歴史で、歴史の中でも世界史、日本史がありますが、たしか学習指導要領では世界史が必修になっている。何で世界史だけを取り上げて必修になすったのか、私は非常に不思議なんです。日本史を必修というのは、日本人だから日本のことをよく知らなけりゃ国際人にもなれないんですけれども、国際人をつくるために世界史を必修にするというのはちょっと解せないんですが、これはどういうお考えか、もし私の解釈が違っておったらお許しいただきますが、その辺をひとつお伺いしたいと思います。
  134. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 今回の高等学校指導要領改訂では地理歴史科と公民科に分けてございますが、地理歴史科では世界史、これはA、Bとございまして、世界史Aというのは少し近現代に重点を置いた科目で、世界史Bが従来どおりの世界の流れを全体的にとらえる科目でございますが、それとあと日本史もA、Bと分けまして、子供たちの興味、関心に応じて選択できますように二種類の科目を用意しております。それから地理に関しましてもA、B、これも子供たちが選択できるようにそういう二種類の地理を用意しているわけでございますが、この中から世界史だけ御指摘のように必修にしております。  これは、いずれの科目も大事なのでございますけれども、世界史を必修にいたしましたのは、やはり国際化がこれだけ進んでまいりまして、今、学校で学んでいる子供は二十一世紀に生きる子供たちでございますが、二十一世紀は今よりもさらに国際化が進むであろう。この国際化が進む中で生きていく子供たちには、やはり世界の異文化を理解する、そして日本というものを、何といいますか、世界の中から見る、相対化して見るというそういう認識ができるようにする。それがこの国際社会に主体的に生きる日本人として必要な資質ではなかろうかということで、この世界史の履修が極めて重要であるということで必修になったわけでございます。  しかし、同時に日本史も地理ももちろん重要でございますので、これは結局どういうことになるかといいますと、今、小学校で歴史学習を六年でやっておりますが、これは日本史でございます。子供発達段階に応じますので、人物、それから人物を中心にした日本史の学習をしておるわけでございますが、その子供たちが中学に行きますと、中学校でやはり学びます歴史は日本史なのでございます。中学校になりますと世界史の要素も少し入れまして、世界から見た日本ということで、日本史を中心としながら世界史的な学習も少し織り込んでいくという形で行っておりますが、基本的には小中を通じて日本史を学んでおりますので、高等学校に行ったらせめて世界史は必修でやってもらいたい。  それと同時に、これは子供たちは、多くの場合は日本史か地理、ないしは両方、日本史、地理も選択するということは可能でございます。科目は用意して開設しておるわけでございます。  それならばいっそのこと日本史も世界史も必修にしたらどうだという御意見が当然出るかと存じますが、実はカリキュラムの何を必修にし何を選択にするかというのは大変難しいわけでございまして、必要なものは何でも必修ということになりますと子供たちにとりましては全部それを食べなきゃいけないということで、かなり窮屈なカリキュラムになっていくわけでございます。高等学校の年齢段階になりますと、やはりその発達段階からいいまして能力も適性も興味も関心も進路もいろいろ分かれてまいります。ですから、そういう子供たちの特性に応じた選択というのはなるべく広く認めてやるというのが高等学校段階では大事だと思うのであります。  したがいまして、なるべく国の基準としては必修を小さくしよう、そしてその分、選択を広げて、学校の自由度やないしは生徒のその選択の幅というものを広げてやろう、そういう基準の要請が片やございますので、今回、小中学校で日本史をやってきているということと、それから高等学校ではなるべく選択の幅を広げてやりたい、広げたいということでこの世界史を必修にして日本史を選択に回した、こういう理由なのでございます。
  135. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 確かにおっしゃるとおりの点がたくさんあると思いますけれども、ただ、そうすると世界史は、今までの世界史の学習要領の内容と新しい世界史というのでは、やはり日本との相対関係といいますか、そういうものが色濃くあちこちに関連性が出てくるような世界史でないと必修にした意味がないような気がするのですが、その辺の配慮というものは、私も不勉強で知らないけれどもおありなんですか。それとも今までの世界史を必修にしていらっしゃるんですか。その辺はいかがでございますか。
  136. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 先ほど申し上げましたように、今回、世界史にはAとBをつくりまして、世界史Aでは近現代史が中核になる内容構成に改めております。近現代史の学習をする際にはどうしても、第二次大戦一つとりましてもこれは日本というものが深くかかわってまいりますし、日本との関係というのは従来以上に入ってくるということでございます。  それから世界史Bでも、文化圏学習と申しまして、それぞれ個別の国というよりはもう少し文化としてまとまりのある圏、それの交流という形で、時代の流れの中でそれがどう交流してきたか、それはどういう特色を持っているかということを学習させるわけでありますから、当然そういう中で日本というものも従来以上に取り込んでくるという内容構成でやっているつもりでございます。  しかし、いずれにしましてもこれは世界史でございますので、やはり日本史をしっかり勉強しようという生徒は日本史をとるでありましょうし、実際の選択、生徒の選択がどういうふうになるかはこれは今後でございますが、従来からの生徒の選択行動を見ておりますと、日本史をとる者は相当多いのではないかというふうに考えております。
  137. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 ぜひひとつよろしくお願いいたします。  最後に文部大臣にお伺いしたいことがございますがそれは後にいたしまして、私学共済組合の改正法、きょうは質疑に入っておらない、次回やることになっていますけれども、自民党は遠慮して質問しないということになりましたので、きょうちょっとお伺いをさせていただきます。  今度の改正で標準給与の改正が行われて現行の上限を上げたわけですね、金額は幾らか忘れましたけれども。ただ、その中で私は非常に不思議に思うのは、今までは長期と短期、いわゆる年金と健康保険の掛金がみんな一緒だったわけです。上限も一緒、下限も一緒だったのですが、今回の改正では短期の方だけが、七十一万円だったか、えらい掛金がたくさんで私なんか損しちゃうんですけれども、別に私のことを言っているわけじゃございませんが、これは何で、恐らくそれは健康保険組合が財政的に相当かかるということだろうと思います。思いますが、しかし今まで長年の間同じでやってきたのが急に変わるということは、これはむしろいろいろな支出の上で考えるべきであって、その辺がちょっとどうしてもわからないんです。何かそれについて意図がありましたらお教えいただきたいと思います。
  138. 佐藤次郎

    政府委員(佐藤次郎君) お答え申し上げます。  私立学校教職員共済組合法の改正案を提案いたしておりましてこれから御審議をいただくことになっておるわけでございますが、ただいま先生指摘いただきました標準給与の改正の事項について、改正の内容及びその理由を申し上げたいと思います。  今回の標準給与の長期給付の上限につきましては、従来四十七万円のものを五十三万円に引き上げるということにいたしておるわけでございますが、これは厚生年金の標準報酬の上限の改正に合わせまして私学共済におきましても改正をさせていただきたいというものでございます。これは、従来の厚生年金におきましては標準報酬の上限につきましては現役の被保険者の平均標準報酬月額の約二倍程度ということでございまして、今回こういうような引き上げをさせていただくということにいたしているわけでございます。  そのほかに、短期給付の関係におきまして標準給与の上限を、今回の改正案によりますと、政令で定めるところによりまして五十三万円の等級の上にさらに等級を加えて改定することができるようにお願いをいたしてございまして、政令においてはその上限を七十一万円というふうに予定しておるところでございます。  この引き上げの理由でございますけれども、今、先生から御指摘いただきましたように、私学共済におきましても短期給付の関係では、最近、財政が大変悪化をいたしてございます。昭和六十三年度では約八十三億円の赤字を出している。したがいまして掛金にいたしましても、私学共済の場合、昭和四十六年以来ずっと据え置いてまいったわけでございますが、本年度それを引き上げざるを得ない、また来年度も引き続き引き上げを検討せざるを得ない、こういうような財政事情にございまして、そういう観点から応分負担の観点で見直しをいたしまして、今回、民間の健康保険との均衡を勘案いたしまして短期給付の上限を定めさせていただきたいということでございます。  なお、これらの措置につきましては国家公務員共済組合等各共済年金の共通の措置としてお願いをしておりますところでございますので、どうか御理解をいただきたいと思います。
  139. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 やむを得ないことだとは思いますけれども、一言言わせていただいたわけです。  ただ、これはお答えいただかなくて結構ですけれども、地方団体というか県が補助を少し出していますが、それは短期でもって今後どういうふうにするのか、これは後ほど聞きたいと思います。  それでは、最後に文部大臣にお伺いして終わりたいと思います。  日本は国際化が叫ばれて久しいのですが、先ほど世界史のときのお話にもございましたけれども、国際的資質の育成ということがこれからますます必要なことだと私は思います。そういう意味で、今後、日本の教育の中で国際化にどう対応されるのか、文部大臣に一言お伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
  140. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  国際化への対応のことでございますが、子供の国際的資質の育成を図っていくということは今後極めて重要なことであると考えております。このため、本年の三月に公示した新学習指導要領は、これからの情報化、国際化など社会の変化に主体的に対応して生きていく資質を養う観点から改訂をいたしたところでございます。  国際化の進展に対応するためには、まず自国の文化や伝統、歴史をしっかりと身につけること、その上で他国の文化や伝統、歴史を知り、尊重することが必要であります。この観点に立って、今回の改訂におきましては、古典学習など我が国の文化と伝統の尊重、国旗・国歌の指導の充実、歴史教育の重視、外国語教育の充実、このことの改善を行ったところであります。  このような中において子供の国際的資質の育成を図ってまいりたい、こう考えております。
  141. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 終わります。
  142. 高木健太郎

    高木健太郎君 午前中から午後にかけて委員の方々から御質問がございまして、大体ダブっているところもございますので、簡単に、私の疑問に思うところだけをお尋ねいたします。  この問題は中教審から始まったと聞いております。中教審でそういう問題の提起があった。先ほど局長のお話ではもう初めからこの問題はあったということでございましたけれども、書類の上では中教審から始まった。そして臨教審におきましては両論を併記するということで、将来の検討が必要である、こういうことでこの問題が始まったように思います。それで最後に教育課程審議会で社会科の中の地歴と公民が分離したということでございますけれども、これがそのようになった本当の原因というところをもう一度お聞かせいただきたいと思います。
  143. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) この問題は、戦後、歴史・地理教育が社会科という一つの教科の中で実施されることになりました当初から、昭和二十年代から議論がございまして、これまでもその議論が繰り返されてきたわけでございますが、今、先生からお話がありましたように、近年、文書の形で出ておりますのは中教審の昭和五十八年の審議経過報告でございます。そこでは「社会科の科目構成の在り方については再検討すべきであるとの意見が出されているので今後検討が必要である。」という指摘になっているわけでございます。  この中央教育審議会は、審議経過報告を出しました時点でちょうど臨教審が始まったものですから、これは最終答申にはならずにしばらく中教審がお休みになったという経緯がございます。したがいましてここは審議経過報告どまり、ですから中教審がそのまま議論していればもう少しこれが深まった議論になったのかもしれませんが、そういう事情がございましてこれはここまでの指摘になっております。  そこで、臨時教育審議会が発足いたしましていろいろな御議論があったわけでございますが、この社会科の問題につきましては、六十一年四月の第二次答申や、六十二年、翌年の四月に出ました第三次答申でいろいろ指摘をしております。そこでは、例えば「歴史教育については、系統性や専門性を重視する視点から、教科としての「社会」科の枠を外すべきであるとの意見と、現行どおり「社会」科の枠の中で指導することを適当とする意見がある。」と、社会科としてまとめておくべきかどうか見直しなさいという指摘が第二次答申で出ておりますし、第三次答申では、「比較文化的視点を重視し、地理教育とあわせつつ日本および世界の歴史教育の中に織り込んでいくことが必要である。」というような指摘もございます。  中教審にしましても臨教審にしましても、これはもう少し大きな視点で御議論をいただく場でございますので、教科の一々の具体的なあり方についてまでは本来細かく結論を出す場ではないと思います。したがいまして、こうした大きな観点からの指摘にとどまっているのだろうと思います。  結局、この教育内容につきまして審議をいたしますのは教育課程審議会というのが法律で決まっているわけでございます。これは従来から教育課程審議会で教育内容につきましては専属的に専権的に取り扱うということになっているのであります。そこで、中央教育審議会の審議経過報告や臨教審のこうした答申を受けまして本格的に教育課程審議会でこの問題を議論することになった。  そして教育課程審議会では約二年間近い慎重な審議を経ましてこの社会科の再編成が決定したわけでございますが、その分離といいますか再編成いたしました理由につきましては、高等学校生徒発達段階からいえば科目の専門性とか系統性というものをもう少し強める必要があるであろうということがまず基本でございます。  そして、そうした専門性、系統性を強める必要があるという背景としては、一つは、国際的な資質の育成が重視される。国際化が進展してまいりまして、国際社会に主体的に生きる日本人として必要な資質の育成を重視しよう。そのためには我が国の文化、伝統を理解することが大事である。先ほど大臣から申し上げましたように、日本の国の文化、伝統、歴史を理解するということが重要でございますが、同時に、世界的視野のもとに日本というものを比較文化的視点から相対化して見ることができるような資質というものも求められている。そのためにはこの地理と歴史をまとめて一つの教科とする。  さらにこの二つ目の背景としましては、公民的資質の育成が一層重視される。社会が急激に変化しております。青少年の社会連帯感とか責任意識というものの低下が昨今指摘されるわけでございますが、国家社会を構成する一員としての自覚を深める。そして民主的な平和的な同家社会の進展に寄与するそういう公民を育成するためにはやはり公民科を分けて学習させるのがいいのではないか。こういう時代的な要請の一種の背景でございますが、そういう視点から今回の社会科の再編成が行われたというわけでございます。
  144. 高木健太郎

    高木健太郎君 先ほどからの御説明と、ただいまお聞きしましたのでよくわかるわけでございますが、こうやってお聞きすればわかるのですけれども、実際この問題が出ましたときにはいろいろと新聞紙上でもこれへの疑問が投げかけられて、先ほど社会党の委員からも御質問がございましたが、何か裏に絡んでいるのじゃないかという疑惑が持たれたり、つまらないいろいろの憶測が生まれたというふうに私は感じます。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕 私は新聞で読ませていただいたりあるいは雑誌も見ましたけれども、その中に何かすっきりしないものがあって、最終的にはうまく押し切ったというか、そういう感じを率直に申して受けるわけなんですね。  その一つの原因としては、大変、組織が入り組んでいるということなんでして、私ちょっと見ましてもなかなかおのおのの関係がわからない。例えば教育課程審議会はその専門の審議会であるからここに任した、これはよくわかるのですけれども、その下に高等学校分科審議会というものがある。これが非常に強い審議会のようにお見受けします。そのほかに課題別の検討委員会あるいは教科等別委員会というものがありまして、なおそのほかに、私的の懇談会のような感じを受けます高校社会教育懇談会というのですか、そういうものがある。これには文部省の次官が設立の音頭をとっている。  こういうふうにたくさんありまして、それが指導要領委員会というようなものとまた御相談をされるというようなことがある。その上下関係もわかりませんし、どれが親であってどれが子供であるかわかりませんが、このようなものが国民の前にその使命がはっきりしておればいいんです。  それからもう一つは、そのメンバーの名前であるとかあるいは審議の経過というようなものが公表されなかったのではないか。ただ新聞にそういうものが出てくるだけで国民は知る。  そこで、お聞きしたいわけですけれども、こういう委員会の討議の経過をほとんどクローズドにされたその理由はどういうことでありましょうかということです。これは国民の合意を得べき問題ではなくて専門家に任せるべきものであるというふうにお考えであろうか。  あるいはまた、高校の審議会では歴史というものを知っている先生は田村先生と木村尚三郎教授のお二人だけで、あとはそういうことを何も知らない方がそこにお入りになって最終的にはそこで決まったというようなこともございますので、今お聞きしましたように、これがどうしてオープンでなくてクローズドにしなければならなかったか。また、国民的な合意といったって合意の得方がこれは大変でございましょうけれども、そういうものを知らせる手段をどうしておとりにならなかったのか。そういうことについてお考えをお聞きしておきたいと思います。
  145. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) お答えをいたしますが、その前に、かなり複雑なものですから御指摘のようにわかりにくいということは事実だろうと思います。  そこで、実はこれは、審議会は要するに審議一つでございまして、その出てくる結論がその審議会の結論でございますが、そこに至るには、従来からカリキュラム開発というのは小中高全教科を一遍にやるものですから非常に大きな組織で大変時間をかけてやっている、そのためにかなり複雑な組織をとらざるを得ないということが一つのわかりにくさの原因であろうと思います。  そこで、ちょっと時間をいただきまして組織のことを御説明させていただきたいのですが、この審議会が始まりますときは、当初は親委員会といいまして二十七人の限られた人で始まるわけです。これはなぜかといいますと、要するに、初めから専門家をたくさん入れて議論すると、この教育課程というのは各教科の専門家が出ていってそこで綱引きをして、結局、従来どおりといいますか、教科エゴみたいなもので教育内容がよくならないのじゃないかという指摘が従来からございました。そこで、とりあえずは有識者とか、もちろん専門家もある程度は入りますが、一般の代表とか有識者とかマスコミ関係とか、そういう観点からまずごく常識的な議論をしようということでスタートするわけでございます。  そこで、大きな課題を四つに分けまして、今回は六年制中等学校の問題が出ておりましたのでそれをどうするかということと、道徳教育が最近非常に問題になっているがそれをどうするかということと、それからこの社会科をどうするかということと、もう一つは男女共通必修ということで家庭科がこのとき大変問題になりました。これは条約の関係がございました。ですから、そのときの大きな課題を四つ決めまして、この当初発足する二十七人の親委員会で四グループに分けて、これを課題別委員会と言っているのですが、粗ごなしをしたわけでございます。  その粗ごなしをしたのをまとめたものが審議会の中間まとめという形で公表しているわけでございます。これはなるべく国民に広く途中経過をわかってもらえるようにということで、六十年に親委員会が発足しまして、ちょうど一年たちまして翌年の十月にこの中間まとめを、それまでの間議論してきたものを詳しく書きまして世の中に公表した。  そして、同時にこのときに、審議委員が二十七人であったのを六十四人にふやしまして、今度は学校別に分けて審議しよう。小学校教育課程をどうするかというので小学校の分科会、中学をどうするかというので中学校の分科会、そして高校をどうするかというので高校の分科会、三つの分科会に分かれまして、それぞれこれまで親委員会で積み重ねた議論をもとに学校段階別に審議を深めていく、こういうことをしたわけです。  それと同時に、これは要するに高等学校教育をどうするかという大きな議論と同時に、実際上は高等学校も国語だ、数学だ、社会だ、理科だというふうに分かれていますので、その教科のまた議論を深める委員会をつくったわけです。これは従来からそうしているわけですが、この教科別委員会というのを、一年たった後いよいょ学校段階別に審議を深めようというときにつくりましてそして議論を深めていくという形をとっているわけです。  この教科別の委員会というのはもちろん審議会の委員が入ってやるわけでございますが、それだけではなかなか専門性が足りないということでございます。学校先生意見もたくさん聞かなければいけない、教科の専門家意見をもっと聞かなければいけないというので、この教育課程審議会の一つの下部機構と言っては失礼になりますから、下部機構というよりは内部の機構として協力者会議というのをつくるわけです、この審議会とは別に。各教科ごとに、専門家とか、学校現場先生が一番多いわけでございますが、その協力者会議をつくりまして、これを審議会の下部機構というより作業部会といいますか、審議を深める部会として置くわけでございます。そこの代表者の方がこの教科別の委員会に入られまして議論を深めていくという形をとっているわけでございます。  先ほど来話が出ております社会科委員会で両論併記であったではないかという御指摘があったのはここでございまして、ここは、ですから審議会の委員のほかにそういう学校先生とかそれから大学の先生とかが入られまして、拡大委員会のような形でここで議論を深めるという形でございます。ただ、これらはいずれも決定機関ではございません。これは審議を深める機関でございますから、そこで審議を深めた内容を、本来の審議会であります、この場合は高校分科審議会が中心になりますがそこにフィードバックして、そこで決めるという形になるわけであります。  したがいまして、この間ずっと決まっていないではないかという先ほど来御論議があって、最後でばたばたと決めたじゃないかという御指摘がございましたけれども教育課程審議は本来そういうものでございまして、いろいろな専門家の知恵をかりながら議論を深めていって、そして教科別の委員会で外部の方をまた入れたりして議論を深めていって、最後にもとになります高等学校分科審議会で結論を出し、それを今度は最終的に、小中高決まりますと審議会総会で決める、こういう形をとっているわけでございます。これはかなり複雑に見えますけれども、やはり小中高、しかも教科別に国語、数学、社会、理科、特別活動、道徳まで含みますから、これだけ膨大な内容をつくるにはそういう作業が要るのでございます。  それで、指導要領の作成にかかわります人たちは、そういうわけで総計約六百人になります。これは多くは学校先生が入られるわけです。そして、この六百人の方々のお知恵をかりてそして教育課程審議会のまとめができ、それを受けて学習指導要領ができる、こういう何といいますか膨大なエネルギーと英知と時間をかけてつくってきているものでございます。したがいまして、ある人がどうこう言ったから、この人がこう言ったからといって決まるようなものではないということをまず御理解いただきたいのであります。そしていずれにしましても、こうした経緯を経て、決定機関であります高等学校分科審議会と、そしてそのもとになります教育課程審議会の総会では、この社会科の再編成についてはいずれも異論なく、満場一致で決まっているということを申し上げたいのであります。  そこで、その間なぜ審議の経緯を公表しないのだという御質問でございましたけれども、先ほど申し上げましたように、中間的な形で中間まとめを出したり、それから審議会のまとめにつきましても、まず総会の案を出しまして公表しまして、そしていろいろな方の御意見を聞きまして最終的に答申にするというふうに、途中の期間、二回審議の経緯を公表しているわけでございます。  それから歴史の専門家が少ないというふうに言われましたが、確かに親委員会では少のうございました。これはもともとの趣旨が、なるべく専門家を入れないで教育というものを常識的な立場から議論しようということから始まっているわけでございますから、一番当初には専門家は確かに少のうございます。ですから課題別委員会のときには専門家は少ないわけでございますが、高校分科審議会が始まり、さらにそれを深めるために教科別の委員会が始まりましてからは、先ほど言いましたように数多くの専門家が集まった代表がこの中の教科別に入っておりますので、実は歴史の専門家も相当入っていらっしゃるわけであります。  そういう形で教育課程審議会の答申がつくられ、それを受けた指導要領がつくられるということを申し上げたいと思います。
  146. 高木健太郎

    高木健太郎君 非常に苦労されておつくりになりましたし、また六百名にも上る委員の方が二年間にわたって議論をされてきたわけでございますから、私から今ここで申し上げるとかえって過ちを犯すことになるかと思いますけれども、こういう組織は、これを改革しようと思われたときに既にこのような組織でやらなければならぬということがわかっておるとしたら、少なくとも委員はどのような人か、種類だけでもいいですが、そしてどのような組織でやるのだというようなことがあらかじめ多くの人にわかっておればいろいろなことを言われないでも済んだのじゃないか。  せっかくいいものをおつくりになっても、そのやり方、手続といいますか、そういうものが何か暗い。だから、何か陰でやっておるのじゃないか、こういう疑惑を招くのじゃないかと思いますので、このほかにもいろいろまた問題があると思いますけれども、そういう場合にはこういう組織でやるのだという、組織を決めるときに一応みんなの前にそれを明らかにして、こういう順序でやりますというふうにしていただいたらよかったのじゃないかというような気がいたします。  同じようなことなんですけれども、例の学習指導要領の作成協力者会議というのがございますね。これとそれから教科審とはボールの投げ合いのように絶えず協力してやっておったのが、今度の場合には教科審の方で決めてしまって、決まったぞというので協力者会議の方々は余りそれがわからなかった、突如としてその結論が出てきたという感じを受けられたように私は思います。  そのために、御存じのように上越教育大学の朝倉隆太郎さん、広島大学の平田嘉三さん、このお二人がおやめになった。それで朝倉さんは、くたびれたというような言葉を残されておるようですけれども、それよりも、「新しい教科を作る時には、手続きを踏み、時間をかけて論議すべきなのに、『世界史必修』への突然の傾斜は、私も十月二十八日の新聞報道で初めて知った。高校社会科とともに歩んできた人間としては、いくらボロ船(社会科)であっても、一緒に沈みたい」、こういう感想を述べている。こういうことを学者の人に漏らさせるというのは少し不手際じゃなかったか。  それで先ほどのように、審議官が辞表を出されたとか、あるいはどこかに転勤させられたというようなことまでこれに絡めて何もかもが悪い方へ悪い方へ持っていかれるから、せっかくいい案であるにもかかわらずそれに汚れがついたというような気がするのですが、その点についてはどのようにお考えですか、初中局長にお伺いします。
  147. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 役所は、確かに私どもはパブリシティーが下手くそなものでございますからいろいろ誤解を招くことも多いかと存じますが、先生の御指摘を踏まえまして、今後は私どももなるべく世の中にわかりやすい形で仕事をしていきたいというふうに思っておるところでございます。  今お尋ねのございました朝倉先生は、これは審議会の委員ではなくて、先ほど申し上げました協力者の方でございます。要するにたくさん入って意見を聞きながら審議会が進むわけでございますが、その協力者のお一人でございました。朝倉先生は確かに十一月二十五日に辞表を出されております。ただ辞表理由について、私どもは正式にはこれに反対だからという形の理由は聞いていないわけでございますが、新聞等では、朝倉先生高等学校社会科を再編成するということについては賛成しない立場をとっているということは報道されておりますので、私どももそうかなと思っているわけでございます。  その点は承知しているわけでございますが、ただ朝倉先生は正式の委員ではございませんので、要するに決定の場であります高校分科審議会ないしは最終的に決めます総会にはもちろん入っていらっしゃいませんし、決定に関与されていらっしゃいませんから、先ほど先生が御指摘になりましたような、知らなかったというか、そういうことは聞かされていなかったというような新聞報道になったのだろうと思いますが、それはそういうことからなのでございます。  私どもとしましては、朝倉先生に引き続きぜひ協力者をお願いしたいということで再度お願いはしたのでございますが、どうしても辞意がかたくて協力者をおやめになったというわけでございまして、私どもは大変残念な気持ちでおります。
  148. 高木健太郎

    高木健太郎君 ちょっと私、やはり余り複雑なものだから間違えているのじゃないかと思いますけれども、朝倉先生というのは学習指導要領作成協力者会議というところの委員でいらっしゃるんですね。この指導要領の作成の委員というのは、いつも教課審とどうだというようなボールの投げ合いをしていろいろ決めておった。この場合は何の相談もなくて一方的に数課審で決められたということに何か朝倉さんは不満があったのじゃないか、こう思いますが、そうじゃないんですか。
  149. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領作成協力者会議といいますのは審議会と実は並行して進むわけでございまして、指導要領を、将来、答申が出ましたらつくっていただく方に協力者になっていただいて、その意見を吸い上げながら教育課程審議会が審議を深めていくわけでございます。  そういうわけで、朝倉先生は協力者でございましたから教育課程審議会にいろいろそれまで意見を言われてきたわけです、協力者会議を通して。ですが、審議会の委員ではないものですから、それを最終的に決定するときにはいらっしゃらない、決定に参加できないというお立場でございましたから、御不満はあるのだろうと思います。十分推察できるわけでございます。  特に社会科を分けることには御賛成じゃなかったと思いますので、そういうお立場から、最終的に決められるときに協力者ということであったために決定に参加できなかったということで御不満があったのだろうというふうに私どもは推測するわけでございますが、いろいろな御意見の方がございますので、それはちょっと私どもとしましても……
  150. 高木健太郎

    高木健太郎君 いや、私が申し上げたいのは、朝倉さんとしては、今までは指導要領作成協力者会議の方に絶えず情報を流してはこちらの意見も聞きながら教課審が進めておったのに、今回に限ってはもう大事なことをぽんと決められてしまって、それが後で自分の方へ来たということが何か御不満の原因じゃないかな、こう思いましたので、従来はそういうキャッチボールのように指導要領の方と、協力というけれども、連絡をとりながらやっておったのが、この前まではまだわからないと言っていたのが急に決まってきたというようなことがあったのじゃないか。  そういう感じでございまして、マスコミはこういうものを取り上げてやるということがよくございますけれども、つまらないことが針小棒大に報道されるということがございますから、先ほど申し上げましたようにできるだけオープンにして、その経過をみんなに知らせていくというふうにしておかれることが私は一番大事だと思います。  そこで、文部大臣一つお伺いいたしますけれども、今度、社会科を再編成して地歴と公民というものに分けたということで先ほどからも御感想をいただいたわけですが、世界史の教育に対する大臣基本的なお考え方をお伺いしたいと思います。  社会科をそのままに置いたらいいのじゃないかという考え方は、これは名古屋大学の重松という教育学の専門の方ですけれども、私もよく知っておって、非常にまじめな、教育に熱心な方でございますが、戦後の日本の教育について、いわゆる日本がああいう戦争を起こして過ちを犯したというようなことは、結局、教育に原因があったのじゃないかということから、基本的人権に目覚めさせることを重視して、再び時の勢いに欺かれないような人間の育成を目指す、こういうことで重松さんは、社会科を一つとして融合的に、あるいは全体がまとまった学問としてこれを学校で教える方がいい。  そして、こういうことをすることによって国民の一人一人が自己の生活あるいは社会生活の充実を図り、みずから考えそして判断する力をここで養成する、こういうことが社会科というものを一つにした原因であったのだ、これによって健全な批判力、あるいはそういうことを養う、それの中核となるのはこの社会科という学問であった、教科であった、こういうことですね。  一方、木村教授は「社会科は民主主義を育成する役割を果たし終えた。」こういうふうに書いておられます。社会科は終えた。「日本ほど階級差がなく、民主主義の国はない。もう社会科の理念は時代遅れ」であるということを言っておられるわけですね。これは両方とも、見方ですからいろいろ私はあると思います。  これについて大臣は、御自身率直にどういうふうにお考えでしょうか。この世界史というものを分けた、社会科というものがなくなってしまったわけですから。これはいろいろ議論して二十年もかかったというのですからなかなか根は深いものだと思いますけれども、そういうものについて大臣ほどのようにお考えでしょうか、御自身。
  151. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたしますが、私は社会科を否定してなくなったという考え方はとっておりません。小学校の一、二年生が生活科になって、三、四、五、六、そして中学の一、二、三、これはずっとそのまま社会科としてやっているわけでありますから、否定をしたという立場ではありません。  ただ、高校に参りましてから、これは子供たちが大きくなってより専門的に学ぶ必要があるだろうという考え方、そして世界各国の高校課程を見てみますと、アメリカだけが特殊に社会科でやっていますが、ほかの国々はいずれも、日本の高等学校に類する制度の中においては、地理、歴史、きちっと分けてやっておるんですね。ですから、そのような中においてやはり考えた方がいいだろうという私は基本的な考え方を持っております。  そこで、委員指摘のとおり、今までの社会科については民主的平和国家の形成者を育成することをねらいとして設けられた教科であり、我が国における民主主義の育成に対して重要な教育的役割を果たしてきた、これはまことにごもっともなことであると私も肯定をいたしております。さらに、今回の社会科の再編によって従前行われてきた民主主義教育が損なわれるだろうかというお考えが先生の御意見あるいはまたそれぞれの権威者の御意見の中にあると、こう考えられますが、私はやはり変化に対応した改善を図るべきものであると考えております。  そこで、今回の高等学校学習指導要領改訂に当たって、社会科にかえて設けることとした地理歴史科と公民科、そこにおいて民主的、平和的な国家社会の形成者としての必要な資質を養うことをやはり同じように目的といたしているわけでありますから、こうした意味から、今まで進められてきた民主主義教育をさらに一層推進できるものである、このように考えております。
  152. 高木健太郎

    高木健太郎君 ここで一時間もない間に議論しても、恐らくこれだけ大勢の方がおやりになったことを繰り返すのはなかなか容易でないと思いますが、どうも私、日本はもう民主化は終わったというふうに考えているところがあるのじゃないかと思いますが、果たしてそうなんだろうか。  何か知らないけれども日本はお金持ちにはなりました。しかし本当の意味の自由主義というものがあるだろうか。自由というと、奔放、自己中心というような片方に流れやすい。というと、今度は統制や規制が非常に強くてそれを抑え込もうとする。いわゆる個人の確立が十分できていないとか、そういうところが個人としてはまだあるのじゃないかと思うんです。だから本当の自由主義というものがこの日本の中に育っているとは私はまだ考えられないのではないか。  それからまた国家として、今度、国旗・国歌というものがありまして、まあそれは国というもののシンボルですからあってもいいのですが、しかし国としての理念、どういう国にするんだ、日本人が畏敬されるべき点はどこなんだ、そういう国の理念が何もないと言ってはそれは言い過ぎですけれども、そういう理念が、私自身、何を理念にすべきか、これこそは日本だということ、国のアイデンティティーというものはどこにあるのだというようなことになると何となくあやふやである。  ただ形だけは民主主義をとっておりまして、複数の政党があってやっている。今は東欧の方で社会主義あるいは共産主義が少し衰えて、共産党一党独裁を排して複数政党にしていこう、これはやはりああいう政党独裁は悪かったんだというようなんで、自由主義はいいんだというふうになっておりますけれども、果たしてそれじゃこの日本の自由主義だけでいいのだろうかと考えると、これはうたた寂しい、これじゃいけないのじゃないかなというような反省をさせられるわけでございます。  質問にはございませんかもしれませんが、大臣はこういうことについてどのようにお考えでございましょうか。
  153. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 極めて何といいますか哲学をも含めた難しいお問いかけであったと思います。  いわゆる憲法を遵守するのだという考え方、その憲法の中に何があるかということは、もう御承知のとおり、一つは主権在民だよと、そして平和国家を建設するんだよと、そして民主主義をどこまでも伸ばしていくことなんだよと。そして福祉国家をつくり上げて世界の平和に貢献するのだということ、これは確かに我が国の憲法に定めているところでありますし、また、戦後は、戦争中の反省をその上に託して、このような平和国家建設、世界の平和のお手伝いをするのだという考え、これでいいわけでありますが、では、今、先生指摘のとおり、日本として独自なものは何だ。今言った四つ、五つのものはどこの国に持っていったってみんなつながるものじゃないか、日本は一体その中の独自性はどこにあるのだということになってきますと、確かにいろんな意味で私も考えさせられる点が非常に多いなと、こう思っております。  そこら辺のところがきちっといたしませんから、なかなか青少年教育の問題一つ取り上げてみても、さて心棒をどこに置いたらいいか、世界に通ずることだけをやっておいてそれでいいんですかという問いかけが若者からたくさん寄せられております、私のところにも。どうであるということを断定できなくてまことに恐縮でありますが、委員の御指摘を十分これからも考えさせていただきたいと存じます。
  154. 高木健太郎

    高木健太郎君 私にもなかなかわからないことを大臣にぶつけましてあれですけれども、国旗・国歌というものはシンボルですから、これは国としてあっていいもので、それが小学校でも歌われないというふうなことは私は余りよくない。アメリカへ行ってもどこへ行っても国旗がひらめいている。また実際に国際的に日本が出たときにはやはり日の丸が上がるということを喜ぶ。何となくあれは、私は古い人間ですからあれですが、心の中に入ってくる。  ところが、今度のように指導要領で国旗と国歌を入れますよと言われると何かちょっと抵抗がある。これは戦争のときにあの旗を持って走りましたからそういうこともあるのだろうと思いますが、何か持っていき方をよほどうまくやらないといけないなという感じもしているわけです。この問題はそれでおきます。  そこで、もう一つ私はここでぜひ大臣にお聞きしておきたいと思うことは、指導要領の中でいつも問題になる、あるいは教科書なんかで問題になってくることは歴史の教科書が一番多いんですね。家永裁判にしましてもそのほかの事件にしましても、いつも歴史の記載が韓国あるいは中国からいろいろ批判されている。かつて藤尾文部大臣が、何かあれはどこの国でもあんなことはやったんだよ、植民地のときにはああいうことはやったよ、日本だけじゃないよというようなことでおやめになったのじゃないかと思うんですけれども、だからこの歴史というものが非常に重要なことに、これは国際化になってくればくるほどそうなんです。  それから、日本がこのように割と繁栄するということになるとなおさら他国からの目が厳しい。例えば、私が知っておりますのは石井部隊、例の七三一部隊というのが満州にございました。私の友人といいますか同僚といいますか、それがあの七三一部隊におったわけですけれども、そこで凍傷の実験をしたわけです。それは兵隊がたくさん凍傷にかかるものですから、それでどれくらいの凍傷の度合いになったときにどういう治療をすればそれが治るのかということを実験したわけですね。  捕虜は使ったのじゃないと思いますけれども、向こうの人を使ってそういう実験をした。それは聞いてみますというと御本人の承諾を得てそういう実験をしたのだということですからそれはいいのですが、中に赤ん坊がいる。それも日本人の赤ん坊なんですが、赤ん坊の手を氷水に入れてある程度凍傷に、凍傷までいっちゃ困るのですけれども、そういう実験をした。  私が日本学術会議におるときにそれについて極めて鋭い反駁を受けたわけです。私も論文を読んだり、それから実際そのときに実験をしたという人に電話でお尋ねしたりしました。ところが、そういうものは一般には、あれは七三一部隊が凍傷の人体実験をしたというふうにすぐ伝えられてしまうのですが、実際私が調べてみますと、その赤ん坊はそこにおった実験者、ある軍人のお子さんだったわけです。お母さんが抱いて指を氷水につけさせたということなんですね。今でいえばそれは児童虐待でして、この前お話がございました児童の権利を侵すわけですけれども、そのころはお母さんがやったんだからいいと、それで私はそういう説明をしてその場は過ぎたわけです。  こういう七三一部隊で割とわかっていること、ハバロフスク裁判がありましてその記事を見ますと非常にひどいことが書いてあるわけで、だからそれを読んだ者は、ああ日本人はああいうことをしたんだというようなふうにすぐ思ってしまうわけですが、中身をよく調べてみるとそうでなかったというようなことも私はあるだろう。だから歴史の記載というものはなかなか難しい。視点が変わったり時代が変わったり政体が変わったりすれば幾らでも、まあ幾らでもじゃないですけれども、見方というのは変わってきてその記載も変わってくるというふうに私は思います。  同じようなことがほかにもたくさんございますが、例えば中国に侵略したというのを進出と書き直した。これがまた問題で、まだあれは実際片づいていないんですね。それからまた、日中戦争というのも今度は日華事件と書き直したんですかね、そういうふうになっていて、それがまた向こうからこっちへ返ってくるのじゃないか、こう思うわけです。  これが何かいつまででも私たちには重荷になりまして、中国や韓国の人に会いましてもどうもこう胸を張って物が言いにくい、お前悪いことをしたんだぞと言われているようでいつでも罪人のような気持ちがしているわけです。  そこで、この前、御存じだと思いますがマイクM・マサオカという人、この方はサンフランシスコにおられる日系アメリカ人市民連合の代表の方ですけれども、このマサオカさんが大統領、議会にいろいろ交渉して、四十五年前の日系人の強制収容所送りを誤りだったと公式に議会が認めたというんですね。ここにありますが、大統領が国民に公式に謝罪するなどアメリカ以外に考えられるか、賠償金も出すんだ、四百三十五人の上下両院議員で法案に賛成する手紙を多くもらった人など一人もいない、みんな反対だったのだけれども、大統領も議会もアメリカが大きな過ちを犯したと結論づけてその賠償もした、こういうことなんです。  最近、例のプラハの春について、ワルシャワ条約国の人が集まって、あのチェコスロバキアへの軍隊の介入というのは主権国家チェコスロバキアへの内政干渉だった、まことに相済まぬということをはっきり出したわけですが、これが私は中国に対して、それは残虐な行為をした、南京事件はどうだといろいろありますけれども、はっきり総理大臣が、あるいは文部大臣が、これこれこういう記載があった、まことにこの点は自分は間違っていると思うというようなことが、今まで言われたことがあるのかもしれませんけれども、この大統領と比べてどういうふうなことをされたのか。  今後こういう問題のときに、例えば中国の学者と日本の学者が集まって、その歴史の記載のときにあらかじめおれはこう思うんだというちゃんとした議論をしておいたらどうか、こうも思うんです。そうでないといつまででもびくびくしている。幾ら八千億の借款をしたってそれで罪がなくなるというわけでもない。あんなお金をやるよりも、アメリカのように、アメリカは謝ってそれで貿易交渉で日本に相当ひどいことを、ひどいと言っては怒られますけれども、日本にかなり厚かましいことを言ってくる。言うことは言う、しかしやることはちゃんとやるというような態度がアメリカにはあると思うんです。  歴史の問題につきましても、今後また問題が出てくるかもしれませんが、ひとつ文部省として、あるいは国として今後どのような形でこういうわだかまりを解いておくか、これが私、大事だと思うのですが、大臣、何かひとついいお考えがございますでしょうか。
  155. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) これもまた大変難しいことだと思います。  ただ、私は、過去において侵略、進出のことでお隣の中国、韓国から物言いのついたときの自由民主党の文教部会長でありました。そこで大変このことについては頭も悩ましたし、いろんなことをやったつもりでありますが、最終的にはあのときは官房長官談話で、我が国の責任においてこれを是正するという声明を出しました。その結果が、昭和五十七年の十一月に教科用図書検定基準の改正をいたしまして、その中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という一項を入れまして終止符を打った経験を持っております。  よく言われますが、また衆議院の本委員会においても大変いろいろ各委員先生方から教わったわけでありますけれども一つの戦い、国と国、あるいは一つの事件が起きた、これも国と国、この場合は全く相反することの方が多いですね、その事象に対して。  例えば、私も演説等によく使わせていただきますが、朝鮮民族の中で安重根という方がいらっしゃいましたですね。あの方はたしかハルピン駅頭で伊藤博文侯を暗殺して、そして日本の裁判にかかって死刑の執行を受けた方です。でも韓国の皆様方の民族的な立場からいいますと、安重根さんはまさに民族独立の英雄であります。そして今は韓国の方々に銅像が建っておりますね。事それほど、日本の立場、韓国の立場ということになりますと正反対になるのがたくさんあります。  戦いのことを見てみますと、どこまでが侵略戦争であったか、どこまでが防衛戦争であったかというのは、全く委員は学問の深い方でありますから、なかなかその線引きというのは本当は難しいと思います。ただ、どんなことがあっても戦いというものをやったという事実、これはもう近隣諸国に大変な迷惑をかけたことでありますから、アメリカの大統領ではありませんけれども、このことについては深く反省し、申しわけないということをこれは堂々と言って、そしてまた一方、我が国の国民に対しても、今、委員がおっしゃるように、何かこうびくびくしているということでなく、常に、嗜虐者主義ですね、これをあらわすような国民でなく、やはり謝るべきことはきちっと謝り、そして自己のやらねばならないことはやるというふうにいつかのところでやりませんと、どうもこれはお互いのために不幸だなと。  西欧各国の国境というものは常に長い歴史の中で動いております。そして国境というものは、私どもの父、あるいはおじいさん、あるいは恋人が血を流して画定したものであるという極めて強い信念をどこの国民も持っております。そうした中において、たしかポーランドと西ドイツであると思いますが、お互いに民間が学者を出し合って、そして起こされた戦いの中はどのようなところがどうであったということをやって、自国民の特に教育の中にそれを取り入れようという動きがあって、既にやっているということを私も聞いております。国と国とがやりますとどうしても何か権力というのが出てきます。ですから民間の学者同士でそうしたことを議論する場をつくってやっていくのがいいではないかな、こんな考え方を持っていますので、よろしくどうぞ。
  156. 高木健太郎

    高木健太郎君 もう時間がなくなりましたが、大変いいことを聞きました。私もそう思うんです。民間同士あるいは学者同士がそういう会議の場を持つというようなことでひとつ今後も進めていただきたいと思います。国と国とでやればどうしてもとんがることになりますから、そういうことじゃなくて、純客観的に正しくこれをお互いに認識し合うというための懇談会なり会合を持っておいたらどうか、そうでないといつまででも根を引くのじゃないかと私は思います。  同じことは北方領土についても言えるわけなんでして、北方領土はおまえのところのものだと言うまでロシアは不法占拠しているということになりますし、今、返すとなれば何で返すのだということになりますし、今度は北方領土についても、ソ連がこういうふうになってきましたからいろいろまた問題が起こってくると思うんです。日本はあれは我々の国土なんだと、そんなことをただ突っ張っていたのではこれもなかなかうまく片づかないのじゃないか。  教科書にはどう書いてあるかわかりませんけれども、それがまたソ連の方からも問題が提起されてくる時期が来るのではないかと思いますので、いろんな意味において、歴史の教科書の編さんに当たりましては今後とも、そういう両国の間で学者のミーティングを持つなり、あるいはお互いによく話し合っておいてからおやりになって、後で訂正するとか謝ったりということはしないということをひとつお願いしておきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  157. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 それでは質問いたします。  今回、社会科を解体して地歴と公民に分けるという問題について、これは社会科の理念からいっても大変な問題である、そう考えるわけです。そこで、私はまず社会科の理念についてお尋ねしたいと思います。  戦後の新しい社会科の理念は何であったか。戦前の公民教育の反省に立って、新しい民主主義社会を担うにふさわしい主権者としての教育をまず何よりもすること、そして現実社会に起こるさまざまな問題、それは人と人との問題、人と自然環境との問題、あるいは個人と社会制度あるいは施設との問題とかさまざまあるわけですけれども、この現実社会のさまざまな諸問題について興味や関心を持たせようというものではなかったのでしょうか。この点について特に大臣お尋ねいたします。
  158. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) お答えいたします。  戦後の社会科の設置ということの意義については全くそのとおりであります。
  159. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 そこで、午前中も出ましたけれども昭和二十二年五月二十日の戦後の最初の学習指導要領社会科編というものがございます。これを今回、私は改めて読んでみました。戦前の教育の反省に立って民主主義社会を建設していくのだという熱い思いが伝わってくるということで私は大変感動したわけですけれども、例えばこの昭和二十二年学習指導要領社会科編にはこう記述されています。  今度新しく設けられた社会科の任務は、青少年に社会生活を理解させ、その進展に力を致す態度や能力を養成することである。 また、こうも書かれています。  従来のわが国の教育、特に修身や歴史、地理などの教授において見られた大きな欠点は、事実やまた事実と事実とのつながりなどを、正しくとらえようとする青少年自身の考え方あるいは考える力を尊重せず、他人の見解をそのままに受けとらせようとしたことである。これはいま、十分に反省されなくてはならない。 そして、さらにこうも言っています。  自主的科学的な考え方を育てて行くことは社会科の中で行われるいろいろな活動にいつも工夫されていなければならない。  これらの観点は今日も極めて大切なものと思いますが、この点、大臣はいかがお考えでございましょうか。
  160. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 先ほどの議論の中にも既に申し上げたわけですが、私は今度の指導要領改訂について、社会科の否定ではないという考え方でございます。今、委員の御指摘のような考え方をそのまま今回の新指導要領の中にも受け継いでいっている、こういう考え方です。  ただ、高校のところに地理歴史、公民というものを分けて、世界各国との比較、あるいはまた専門性というものを入れたにすぎない、こんな考え方なんです。
  161. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 今、指摘した観点が大切であるということを御確認できたと思いますが、続けてこの指導要領社会科編ではさらにこうも述べているんです。   社会生活がいかなるものかを理解させ、これに参与し、その進展に貢献する能力を養うということは、そもそも教育全体の仕事であり、従来も修身・公民・地理・歴史・実業等の科目は、直接この仕事にたずさわつて来たのである。けれども、それらの科目は、青少年の社会的経験そのものを発展させることに重点をおかないで、ともすれば倫理学・法律学・経済学・地理学・歴史学等の知識を青少年にのみこませることにきゆうきゆうとしてしまつたのである。したがつてこれらの科目によつて、生徒は社会生活に関する各種の知識を得たけれども、それがひとつに統一されて、実際生活に働くことがなかつたのである。いいかえれば、青少年の社会的経験の自然な発達を促進することができなかつたのである。 こう述べています。さらに、   今後の教育、特に社会科は、民主主義社会の建設にふさわしい社会人を育て上げようとするのであるから、教師はわが国の伝統や国民生活の特質をよくわきまえていると同時に、民主主義社会とはいかなるものであるかということ、すなわち民主主義社会の基底に存する原理について十分な理解を持たなければならない。 こう述べているわけです。  長く引用しましたけれども、つまり、戦後の社会科は民主主義社会を担うにふさわしい資質、民主的社会の形成者にふさわしい資質を育てるということを目的としたものである、だからこそ従来の歴史、地理、公民などを一つに統合するということがあったわけですし、それから一般社会科というのは統合して、かつ小中高校一年まで必修とされていたということではなかったのでしょうか。この点、大臣、いかがでございますか。
  162. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 戦後、社会科の発足に当たりまして学習指導要領が出されておりまして、今、御引用になりましたようなことが書かれているのはそのとおりでございますし、今日もその考え方基本的には変わっていないと思います。  ただ、午前中も申し上げましたけれども昭和二十二年の発足しました社会科につきましては、いろいろその後問題点が指摘されました。そして、戦後これまでの間に、その都度必要に応じて修正をされ改訂をされてきて今日に至っているわけでございます。  しかし、基本的に、先ほど御指摘になりましたような、社会生活についての理解を図って、民主的、平和的な国家社会の形成者として必要な公民的資質を養うのだという観点におきましては、これは一貫して現在の新しい学習指導要領にも目標に掲げられているところでございまして、今回の改訂によりまして戦後の社会科が、大臣も申し上げましたように、否定されたり解体されたりしたものではないというふうに考えております。
  163. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 私は、戦後の社会科の理念を貫く上で大切なのは、一つ一つの科目をばらばらにすることではなくて、それをすべて必修として総合的に学ぶということが不可欠だったと思うのです。そして、だからこそ必修だと、そして、総合してやるのだということではなかったかということで質問したのですが、その点いかがでしょうか。
  164. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) ですから、これも大臣からお答えがありましたけれども小学校中学校は従来どおり社会科という一体的な形で実施しております。そして、高等学校になりましたら子供発達段階に応じてもう少し専門性を高めたらいいではないか、系統性を高めたらどうであろうかということで、今回、地歴科と公民科に分けたわけでございます。しかし、地歴科、公民科に分けたからといって、従来から引き継いできた考え方基本的なねらいというものがなくなったわけではなくて、新しい学習指導要領の地歴科の目標及び公民科の目標をごらんいただければ、ずっと一貫して同じ基本的な考え方に立ってきているということはおわかりいただけるだろうと存じます。
  165. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 それでは、高校の社会科についてお尋ねいたします。  今回、社会を解体して地歴と公民にするというのは系統性と専門性を深めるためである、これが大きな理由であるということでございましたが、これまで長く私も引用し、そしてそのとおりであるとお答えもいただきましたこの昭和二十二年の学習指導要領基本的な考え方を踏まえるのであれば、そして本来的な意味での系統性、専門性を踏まえた上で言うならば、戦後創設された総合的な教科としての社会科の理念の発展として、小中高の社会科をこそ一貫した系統性を持たせたものにするということが必要だと思うのですけれども、その点いかがですか。
  166. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 社会科ということで、小中高、二十二年の当時には一緒に書かれているわけでございますが、そこでは小学校中学校も含めた書き方、どちらかといえば小学校中学校に少し視点を置いた書き方であろうと私は思います。  したがいまして、今回そこに書かれておりますことはずっと引き継いできておりまして、繰り返しになりますが、小学校でも中学校でも社会科という一体の中でやっている。高校になって発達段階から地歴科と公民料に分けて、より専門性を強めて教えるわけでございますが、従来から高等学校でやっておりました社会科の基本的なねらいといいますか目標というものは、今回の新しい地歴科ないしは公民科でも基本的に引き継いできているということでございますので、先生お尋ねの解体とかそういうことには当たらないというふうに考えているわけでございます。
  167. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 基本的には引き継いでいないということについては後で憲法との関係でまた質問もしたいと思うのですが、次の質問に移ります。  戦後四十年間の教育現場での実践あるいは研究でどうだったかという点からお聞きしたいのですが、社会科として現に現場で教えてこられた教師の方々、あるいは社会科研究を歴史、地理、政治経済、文化など総合的な教科として研究をされてこられた大学の教員の方々など、いずれも戦後の社会科教育の理念を具体化するという観点から四十年間それぞれ教育実践もされてこられたし研究もされてこられた、積み重ねをされてこられたと思うわけですけれども、これらの現場教師、あるいは社会科の教育研究者の方々、あるいは団体の方々が高校社会科の解体に反対をしているのではありませんか。その点いかがでしょうか。
  168. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学校現場先生方と言われましてもたくさんいらっしゃいますので、それぞれいろいろな御意見をお持ちの方がいらっしゃいます。もちろん反対の御意見の方もいらっしゃることは承知しております。しかし、今回そうした先生方もたくさん、先ほど教育課程審議会の組織ないしは学習指導要領をつくるその経緯を細かく申し上げましたけれども、その中にもたくさんの先生方が入っていらっしゃいまして、そしてそうした方々の御協力を得て今回の学習指導要領ができているわけでございますので、賛成の方もたくさんいらっしゃると思います。  いずれにしましても、今回の学習指導要領改訂に当たりましては教育課程審議会で十分御審議いただきまして、それの異議のない一致した御意見として決まったわけでございますので、私どもはその答申を忠実に受けまして今回の学習指導要領を策定した、こういうことでございます。
  169. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 この社会科の解体に反対をしている方々のその理由、どのような理由で反対されているのか、具体的にお聞かせください。
  170. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 反対されていらっしゃる方に聞いていただいた方がよくわかると思うのでございますが、私が推測して申し上げるのもなんでございますけれども、先ほど来、先生が御指摘になっていらっしゃいますように、要するに戦後の社会科の理念から見て今回の措置には賛成できないということであろうと推測しております。
  171. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 解体に反対という意見は、あるいは声明あるいは要望書という形で寄せられていると思うのですけれども、具体的にはそれは見ておられないのでしょうか。
  172. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 社会科教育に関します要望書というのはいろいろ出ておりますが、私どもに出ておりますものを拝見いたしております。
  173. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 それは先ほど簡単に言われましたけれども、もう少し詳しく、そこで触れられている理由について述べてください。
  174. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) いろいろございますけれども、例えば、今、私が手元に持っておりますのは埼玉県高等学校社会科教育研究会でございますが、「社会科の枠の撤廃、歴史、地理の社会科からの分離独立については反対します。」ということで、   戦後出発した社会科は、戦前の教育の反省の上に立ち、総合的な教科として地理、歴史、政経的分野の関連性を重視してきました。社会科の枠を外すことは、こうした歴史的、学問的成果を無視したものとなります。   社会科を人文科学系と社会科学系というように分けることは学問的にも問題があります。歴史、地理の科目を単位数によってABと分ける方法は、内容の不十分な授業、差別と選別の教育を生み出し、教育の荒廃をもたらすことは過去において実証済みです。   歴史においていたずらに我が国の伝統と文化を強調することは、偏狭な愛国心につながり、国際社会においてさまざまな弊害をもたらす危険性があり、慎重な扱いが必要です。 こういうふうに書かれております。
  175. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 今、言われたような中身の要望書あるいは声明というのは本当にたくさんあるわけですけれども、例えば一九八七年十一月五日、歴史教育者協議会からは、私が先ほど引用しました二十二年の学習指導要領など、四十年間のそれに基づいて「つくりあげてきた社会科から、歴史をきりはなしてゆくならば、それは社会科そのものの大きな変質をもたらすことになるといわねばなりません。」という「高校社会科の解体に反対する要望書」もございます。  あるいは昭和六十二年十二月一日、日本社会科教育学会の「高等学校「社会科」の改定に関する質問書」でも、「わが国における民主主義の発展のためには、高等学校においても総合的な教科としての社会科を尊重しなければならないと考えるものであります。」そして、「国際化のためには、世界地理を充実した「地理」、現代の国際社会を学ぶ「現代社会」等、社会科の全ての科目を通して総合的に履修させることが必要であると私どもは考えます。」というふうに述べているわけです。  ところで、次の質問に移りますが、社会科から地歴と公民を切り離すということが戦後の社会科の理念の解体につながる、このように言って多くの団体が強く反対しているわけですが、この反対にもかかわらず、今回、教科としての高校の現代社会が必修から外される、選択科目として現代社会を残すというわけです。  その点で文部省お尋ねいたしますが、今はこの必修のために一〇〇%近くの高校生が現代社会を学んでいるわけですけれども、選択に変わることによってこの数字がどのように変わると文部省としては見ているわけでしょうか。
  176. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 現代社会は現在は必修でございますが、これはこういう考え方に基づくものであります。  前回の学習指導要領昭和五十年代の改訂でこれが必修になったわけでございますが、当時、私は高等学校教育課長をしておりましてこの作業に携わった一人でございます。そのときの考え方は、高等学校の第一学年では、大体全教科を通じて総合的な科目で教えたらどうであろう、そしてその総合的な科目の上に立って、二年、三年の選択というものをうまくさせるという基本的な理念がございました。したがいまして、国語は国語I、数学は数学I、それから理科は理科I、社会科はこの現代社会という形で、各教科を通じて総合科目を原則として構成し、それを必修にしてみんなに高校の基礎、基本をしっかりして、その上で二年、三年の選択を適切にやろう、こういう理念で行われたものでございます。  しかし、今回の教育課程改訂におきましては、先ほど来御論議が交わされておりますように、社会科につきましては高等学校段階の専門性というものをもう少し重視して地歴科と公民科に分けようということになっているわけであります。したがいまして、今回、地歴科の方では世界史を必修にしておりますが、公民科の方では現代社会または倫理・政経どちらかをとるということになっておりますので、従来からの経緯からいいますと、現代社会をとる人の方が多いのじゃないかなという気がいたします。  ただ、従来も現代社会は必修にしておりますが、当時、現代社会を必修にすることについて教育の実践の場から大変反対がございました。私も担当課長としてその反対をいつも聞いていたわけでございますが、そういうこともございまして、この前の改訂のときも例外的な措置として、特例措置として、現代社会かまたは倫社・政経をとってもいいという一つのバイパスもつけてあるわけです。  したがいまして、公民科に関していいますと、従来とほとんど選択のアローアンスといいますか選択の幅は変わっていない。従来も現代社会が必修でありますが、どうしてもそれができない、いろいろ問題があるときはそれにかえて倫社・政経でもいいですよという道がつけてある。今回は、公民科というのをつくりまして、公民科の中において現代社会か倫理及び政経を選びなさいということになっておりますから、その選択の方法自体は基本的に変わっていない。そういうわけでございますので、今度実際にどういう選択のパターンになるかは私も推測がつきませんけれども、現在既に現代社会が九〇%以上の履修になっておりますので、公民科においては現代社会がとられるのではないだろうかと推測します。
  177. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 どの程度になるかという数字としての予測は出ないでしょうか。
  178. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) はい。
  179. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 出ないということですね。  次にお尋ねしますが、現在、現代社会の中で中核とも言うべき憲法の学習なのですけれども、これはどこで教えられているのか、その学習体系についてお答えいただきたいと思います。
  180. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 高等学校の御質問だと思いますので高等学校でお答えをしたいと思いますが、憲法に関します学習は、公民科の中でまず現代社会、先ほど来御議論いただいております現代社会の科目の「内容」の中に「日本国憲法と民主政治」という項目がございます。ここで「基本的人権の保障と法の支配、国民主権と議会制民主主義、平和主義と我が国の安全についての理解を深めさせ、日本国憲法の基本原則について国民生活とのかかわりから認識を深めさせる。」こういうことが書いてございます。  それからもう一つ、その下の項目で「民主社会の倫理」としまして、「生命の尊重、自由・権利と責任・義務、人間の尊厳と平等などについて考えさせ、民主社会において自ら生きる倫理について自覚を深めさせる。」というようなことが定められております。  それからもう一つ、政治・経済の科目の中で「現代の政治と民主社会」という項目がございまして、「基本的人権と議会制民主主義を尊重し擁護することの意義や民主政治の本質について深く理解させるとともに、政治の在り方について広い視野から考察させる。」とございまして、その細目に「民主政治の基本原理 政治社会の特質、国民の参政の意義、人権保障の発達、法の支配の原則、権利と義務の関係などについて理解させる」とございます。  もう一つ、その下に項目として「日本国憲法と民主政治」とございます。その内容として、「日本国憲法の基本性格基本的人権の保障及び国会、内閣、裁判所、地方自治などの機構と機能について理解させるとともに、政党政治と選挙行政機能の拡大と民主化、世論と現代政治の課題などについて考察させる。」  こういうところで学習させることになります。
  181. 高崎裕子

    ○高崎裕子君 高校の現代社会の憲法の学習は今言われたとおりなのですが、学習体系として、小中高校ということでこの憲法の学習をお尋ねしたわけなんです。その点では、小学校六年の政治単元で、民主政治、日本国憲法、それから国際理解という点で憲法を学びます。そして中学校では、高校受験の勉強で大変忙しくなる時期で余り十分できないと言われておりますけれども、三年生の公民で学ぶ。それから高校は、現代社会が必修ということで四単位で学ぶという憲法の学習体系になっていると思うんですね。  それが高校社会を解体してこれを必修から外し選択に変えるという点で私は後退だということを指摘したいのは、今詳しくお話もされましたけれども、現行の学習指導要領で現代社会の憲法を学ぶ基本というのは、憲法の基本原則国民生活のかかわり、国民主権の問題、それから平和主義の問題という三つの柱が必ず出ているわけなんですね。ところがこれが解体されて選択になるということになると、現代社会の四単位を取る方は、この三つの柱が今回予定されている改訂指導要領の中でも含まれているので一応学ぶことになります。しかし、政治・経済、倫理の選択をとられた方は、各二単位ということで、政治・経済でも憲法が入ってくるわけですが、この政治・経済は単位が二単位ということで時間数が減るという点での後退と、それから憲法の原則からいうと、国民生活とのかかわり、平和主義の問題、それから国民主権の問題については項目を見た限りでは触れられていないという重大な問題があるんです。  時間がないのでこの問題をちょっと指摘して、きょうのところは質問を終わりたいと思います。
  182. 池田治

    ○池田治君 最後の一人でございますので、大臣、頑張ってください。  指導要領改訂によりますと、国旗を掲揚したり国歌斉唱を「指導するものとする。」と、「させることが望ましい。」というところからこういう形に変わってきたということでございます。国歌を斉唱したり国旗を上げたりするのは何も特殊な問題はないと思いますし、日本人としての自覚や誇りを持ったり国を愛する心を養うことも重要だと思いますけれども、それにもかかわらず反対者があるということは、日の丸とか君が代の意味が、真に民主主義国民主権主義、基本的人権尊重主義を掲げた憲法の精神と一致したシンボルと言えるかどうかというところが問題だろうと思っております。  したがいまして、一つ一つお尋ねしていきたいと思いますが、まず国旗の話からいきます。  アメリカに行きますと、五十の星を掲げた星条旗がどこにでもたなびいております。これは各州を統合するシンボルとして星条旗がつくられたと伺っております。またフランスへ行きますと、自由、平等、博愛の三色旗が掲げられております。これも皆、立派な意味を持っております。またソビエトへ行きますと、人民の血のしたたる赤地にハンマーと金づちを持った労働者と農民を象徴した旗があります。日本の旗は、白地に赤い丸があります。この意味は、私は小学校のころに、「白地に赤く、日の丸そめて、ああ美しや、日本の旗は」、これを習っただけでございまして特殊な意味は習っておりませんが、文部省、どのような意味があるとお考えですか、ひとつ御所見を伺います。
  183. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 日の丸につきましては、これは明治三年でございますか商船規則で、一般的に日の丸を我が国の国旗とするという法令上の規定はないわけでございますが、この明治三年の商船規則で日の丸を船舶に掲揚する国旗として規定しているということがございます。  ただ、その前から、長年の慣行によりましてこの日の丸が我が国の国旗であるという認識は広く国民の間に定着していたと思います。歴史上でいいますとかなり古くから、日の丸といいますか、長い旗に赤い丸をつけたのを、たしか御朱印船のころからだったかと思いますが掲げたという例もございますし、時代をさかのぼりますとこの日の丸を掲げていたのはかなり古い時代からであったというふうに理解しております。  いずれにしましても、明治以降、商船には日の丸を国旗として掲げるということにしましたし、その後、陸海軍などではこれを国旗として定めてきております。それからその後、学校で明治二十年代から使用されてきておりまして、祝祭日には国旗を掲揚するというような形で、おのずと国民の間に定着をしてきたと思います。  ただ、日の丸の意味と言われますと、ちょっとこれは私もどういうふうに説明していいのか詳しいことは存じませんが、(「太陽だ」と呼ぶ者あり)日の丸というわけでございますから、恐らく太陽といいますかお日様をシンボライズしたものであろうというふうに考えるわけであります。
  184. 池田治

    ○池田治君 自民党の席から太陽だという声がありましたけれども、あなたは私の心の太陽と、こういう歌もありまして、太陽というのはなくてはならない存在である、中心である、こういう意味があろうかと思います。  そういうものを日本の国旗とするということに定めた法令の根拠もしくは出発というのはどこにあったんでしょうか。
  185. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 一般的に日の丸を国旗と定める法令の規定はないわけでございますが、先ほどちょっと触れましたが、明治三年の商船規則で、船舶に掲揚すべき国旗という限定はございますが、日の丸を国旗としているというのが一つございます。それからその後、いろいろ陸海軍の規則等で国旗としたものもございますし、学校関係で申し上げますと、明治三十七年に修身教科書で国旗として記載されておりまして、その後、明治四十四年に唱歌の教科書で、日の丸の旗を掲げて、先ほどの御指摘のありました白地に赤くというような唱歌が出てきていると思います。  そのほか、紀元節とか天長節等の祝祭日に日の丸を掲げるというようなことが行われてきたわけでございまして、法律の規定はございませんけれども、長年の間に国民の間で、慣習法といいますか、慣習法的なものといいますか、事実たる慣習といいますか、言い方はいろいろあろうと思いますが、慣習法的に国旗として定着してきたということであろうと思います。
  186. 池田治

    ○池田治君 慣習化されたことはよくわかりましたが、これと天皇家のシンボルである菊の御紋章とはどういう関係があるのでございましょうか。
  187. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 私は不敏にしてちょっと存じませんので、御容赦いただきたいと思います。
  188. 池田治

    ○池田治君 大臣も御存じないですか。
  189. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) よくわかりません。
  190. 池田治

    ○池田治君 それでは、国旗につきましてはそういうことであるということですが、これについては私自身は、国のシンボルとして掲げることには何ら問題はないと思うし、国の象徴はつくらなければいけないと思っております。  しかし、それにもかかわらず沖縄の方へ行きますと、上がっておる国旗を引きおろしてそれを破ったという事件も数年前にございましたが、これはどうしてそういうことが起きるか、文部省の御回答をお願いします。
  191. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 私どもは、国旗・国歌というものが大変大事なものであるし、学校教育ではそれは適切に指導されなければならないという立場でずっと一貫してきているわけでございます。今回の新しい学習指導要領におきましても、学校においては学校行事等において国旗を掲げ国歌を斉唱するよう指導するということで、その扱いを明確化して、各学校で適切な指導が行われるようにお願いしたいと思っております。  特にこれから国際化が進みますと、向こうの人たちは国旗・国歌に対して敬意を表し威儀を正してそれに対応するわけでありますが、日本の若者が最近外国に行きまして、私はこの間こういう話を国際交流をしている人から聞いたのでありますが、青年海外協力隊員は発展途上国で大変活躍している、そして大いに尊敬されているのだけれども、ただ一つ、どうして日本人はあんなにぶしつけなのかそれがわからないと言って非難されることがある。  それは要するに、向こうの国旗が掲揚され国歌が斉唱されるときにきちっと立ってそれに敬意を表さないとか、ないしは座ったままでいるとか、あれたけ立派な青年たちがどうしてこうした対応をするのだろうということで、主として開発途上国ではナショナリズムが強いわけでございますからそういうことに対して非常に敏感である、日本の若者の傲慢さといいますかぶしつけさというものが我慢ならないというようなことを指摘されて、これは学校教育でしっかりやれということでございますので、私どもはしっかりやっていきたいと思っているわけでございます。
  192. 池田治

    ○池田治君 海外の方でもそういう若者のぶしつけさ、沖縄においては国旗を引きおろして破られる。私はなぜそうなるかということをお尋ねしているんですよ。
  193. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) ですから、これから申し上げようと思ったのですが、実はそういうふうにして学校で国旗・国歌をしっかり指導していただきたいと思っているわけでございますけれども、それに反対される方々がございまして、そして、単に反対の意思を表明されるだけならともかく、実際の行動としてそういうことまでされる、そこはやはり学校の場にはあってはならないことだというふうに考えているわけでございます。
  194. 池田治

    ○池田治君 局長の話もわかるんですが、しかし基本的な考え方が、あなたたちは知っておられるのか、知っておられてもわざとおっしゃらないのか、あるいはお知りにならないのかわかりませんが、日本の国というのは日の丸の旗のもとに何千何万という人が死んでいったわけですよ。この御旗に続けと、それで戦死した不幸な人たちが幾多おられるわけです。その家族、子弟がおるわけです。旗を見るとその都度、いや、戦争でうちのおやじも死んでかわいそうだったなと、こういう気持ちがあるから国旗に対しても不遜な態度をとるわけです。私はそう思っております。  したがって、国旗掲揚を義務づけられるならば、文部省は、国旗は国のシンボルである、平和国家を守るための一つのシンボルであるということを附則をつけ加えてこの指導要領をおつくりにならないと私は賛成できないと思っておりますが、文部大臣、いかがでございますか。
  195. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 確かに戦争中あるいはそれ以前の国旗日の丸に対する者は、上がっただけでどこにいても直立不動の姿勢をとりました。私もそのとおりであります。  そして、日の丸のもとに我が国を守るという戦いをやりました。それによってたくさんの犠牲者ができた。特に犠牲者のできたところ、先ほど委員は沖縄の話を出されましたが、沖縄はまさに国土の上で戦ったところ、日本のただ一カ所のところであります。それだけに、あの旗のもとでということがすなわち戦争につながり、自分たちの親兄弟が亡くなった、殺されたもとになったのだというところが確かに私はあると思うんです。  ただ、それなら日本だけがなぜそうなったのか。アメリカの星条旗、あの旗のもとでというのは星条旗に関する言葉であります。あるいはフランスの三色旗、どこの国々の国旗も、そのもとで戦いをやり犠牲になった国がみんなであります。日本だけがなぜこうなったかということ、そこにやはり思いをいたし、そこから出発いたしませんとなかなかもってということであります。  委員指摘のとおり、日本国の国旗はこれである、このもとに忠節を尽くせというところは、私の考え方といたしますと、やはり自然法的な中から慣習法として成り立ったものでありますから、そのような縛りをかけない中において、これからの長い歴史の中でだんだんその気持ちをはぐくむようにしていった方がいいな、このような考えであります。
  196. 池田治

    ○池田治君 大臣、お言葉ですが、日本の同盟国であったドイツでは戦争に負けて国旗を変えておりますね。  日本は天皇制のもとに軍国主義にいったということで、聖戦という目的のもとに死んでいったわけです。アメリカの星条旗はなぜ輝いているかといえば、これは民主主義、自由のとりでとしての世界の先頭に立って戦ったという気持ちがあるから、この星条旗のもとに集まれと言ったら今でも集まる。日本やドイツは軍国主義というのが非常に強かったから、民主主義を踏みにじるものであるということで今の若い世代はついてこない。この違いがあるのじゃありませんか。  それでドイツは旗を変えておるわけです。日本も本来ならば終戦のときに旗と君が代を変えるべきだった。これがそのまま残っておるのが今の議論の的になる問題であろうと私は思っておりますが、どうですか。
  197. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 私もその事実を知っておりましたので、アメリカ、フランスまでは言いましたがドイツだけは言わなかったわけです。よく知っておりましたから言わなかったわけであります。  そこで、じゃ一体きちっとしたことを定めてやる方がいいのか、あるいは長い時日をかけてゆっくり話し合ってやっていく方がいいかということになりますと、私は、今までの歴史の中からいって後者の道を選んだ方がいい、こういう考え方です。
  198. 池田治

    ○池田治君 大臣のお考えもわかりますが、ドイツは知っていたけれどもわざと黙っていたとおっしゃるんですから、だからそのように、やはり現代の風潮に合う民主主義国民主権主義というもとに立って、これを象徴するものでなかったら真の国を代表する国旗とは言えないのではなかろうか、こういう考え方が依然強いわけでございます。  これについて国旗掲揚を義務づけられるならば、私は文部当局の指導のもとに、これは旧来の戦争中の意味する国旗ではない、日本の真の民主主義を代表する旗であるということを付言していかなければ、ただ単に上げろ上げろと言われてもまた国旗引きおろし事件のようなことが起こるであろう、こう思っておりますが、どうぞそこを御注意してください。  次に、今度は旗が済んだから歌に入りますが、「君が代は千代にやちよにさざれ石の」と、こういう歌を小学校の時代から習っております。この「君」とは何を意味するものか、文部省はどう理解されますか。
  199. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 君が代の意味につきましては、私どもは、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇をいただく日本の繁栄を願ったものであるというふうに考えております。
  200. 池田治

    ○池田治君 この歌はいつごろからできて、いつごろから国歌とされたんでしょうか。
  201. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 君が代の歌詞につきましては、古今和歌集のころからでございますから、もう千百年ぐらい前から歌い継がれてきているものでございます。これが明治期に入りまして日本にも何か国歌が要るのではないかということで、この古今和歌集にございます「君が代」の歌詞に作曲をつけまして、これは宮内省の奥好義氏が作曲され、それに林広守氏が手を加えられまして、さらにエッケルトという外国人が編曲して今日の君が代のもとがつくられたというふうに理解しております。
  202. 池田治

    ○池田治君 大体、歴史はわかりましたが、もともと古今和歌集に出た「君が代」というのはこれは天皇家の歌ではなかったんですか。
  203. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) もともとこの古今和歌集に出ております歌、ないしはそれが歌い継がれてずっときておりますが、これは幾つか本によりましては歌詞が違っておるようでございまして、「我が君は」で始まるのやら、「君が代は」で始まるのやらいろいろあるようでございます。ただ、いずれにしましても当時の歌としましては、これは「君」という場合には天皇を指す場合ももちろんございますが、相手の長寿を意味して「君が代」といった場合もあるというふうに学問上はなっているようでございます。
  204. 池田治

    ○池田治君 文部省もなかなか立派な学問をされておりますので、そういう学問上の論拠があるならば、もっと教育委員会を通ずるなり、直接現場先生方に「君」とはこういう解釈もあるんだぞということを懇切丁寧に教えられれば、これは反対して何も歌わせないというような先生は一人もいなくなりますよ。なぜ反対者が出てくるかといえば、国旗と同じように、天皇の世の中だけがいつまでも続いて庶民の世の中はどうでもいい、こういう反対解釈をする方々がたくさんあるからこうなるわけです。これはおわかりですね。
  205. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 国歌君が代に対します反対意見が、いろいろ今、先生の御指摘のような点から行われていることは承知しております。
  206. 池田治

    ○池田治君 反対意見があることを承知しながらあなたたちは、「させることが望ましい。」から「指導するものとする。」という強権的、圧力的なことに指導要領改訂されたということですので、かなりの人はこれについても反発を感じております。もう少し順を追った説明をして改訂をすべきじゃなかったかと思いますが、この点はどうです
  207. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 国旗・国歌につきましては、先ほど申し上げましたように、やはりいずれの国でも学校教育で適切に教えているわけでございますので、我が国の学校教育においてもこの国旗・国歌を適切に指導していただくということは従来から行ってきたところでございます。  ただ、学習指導要領上は、前は「望ましい」という形で規定されておりましたけれども、「望ましい」という形ではかえってはっきりしないという御指摘もございまして、学校教育ではやはり指導するのだというその扱いを明確にすべしということで、今回、教育課程審議会等の御答申もいただきまして、学習指導要領上その扱いを明確化したわけでございまして、この方針自体は従来からもずっと一貫してとってきているところでございます。
  208. 池田治

    ○池田治君 私は、方針をとやかく言うよりも中身について言っているわけです。中身も交えた方針をとっていただきたい、こういうふうに言っておるわけですが、これはできますか。
  209. 菱村幸彦

    政府委員(菱村幸彦君) 学習指導要領の解説書を文部省で山しておりまして、その中で「君が代」の意味につきまして、先ほど申し上げましたような日本国及び日本国民統合の象徴である、これは憲法第一条の規定でございますが、象徴である天皇をいただく日本国の繁栄を願うものであるということをはっきり書いて、そういう観点からの指導を各学校にお願いしておるところでございます。
  210. 池田治

    ○池田治君 最後に文部大臣にお伺いしますが、ある雑誌によりますと、これには新国家主義、国民思想の統制ではないかということで、石橋文部大臣の議員連盟の事務局長をされていた当時のことが書いてあります。教育基本法の上に教育憲章をつくる、そういう一環として君が代を歌わせたり国旗を上げたりして思想統制をやるのだというようなことが書いてあるんですが、本当の大臣のお気持ちをお聞かせ願って、終わりにしたいと思います。
  211. 石橋一弥

    国務大臣石橋一弥君) 提言のことを委員はおっしゃっていると思いますが、私は、しかられるかもわかりませんが、これほど義務教育課程、小中高、その教育中身においても、その普遍性においても、教えていることにおいても、まさに世界に冠たるものがあると私は思います。それであるならばこそ、先だってもサッチャーさんが参りまして、日本国の指導要領、このようなものを我がイギリスにおいてもやっとつくりましたよということで、昨年イギリスにおいて教育改革法というものをつくり上げた。日本の指導要領に倣いたいのだということ。  そこまでいろいろなことがよくなっているにもかかわらず、非常に一般国民の間からは一体何をやっているのだと。おはしの持ち方一つ知らないよ、あいさつもできないよ、お父さん、お母さんに対する礼もないよ、兄弟のこともないよ、友達とのこともないよ、一体それでいいのかというので、世界から一番いいと言われているのに日本の国民の中からは何をやっているのだということで非常な批判が多かったわけであります。それは一体何だろうかということを私なりに考えてみますと、日常生活の規範、毎日毎日生きている中において今申し上げたようなことについての規範がない。倫理、道徳がない。そのようなことの中から大変な批判があるんだなと。  そこで、私といたしますと、当然、倫理、道徳等はこれは法律の中に定めるべきものではない、こういう考え方であります。そこで、教育憲章のようなものをつくりまして、そして法律ではないわけでありますから、精神規定のようなものでありますから、そうしたものをつくってやった方がいいなという考え方を非常に強くあの当時持って、そこで教育憲章を制定したらいかがかという考え方を言ったものであります。  今度の新学習指導要領、まず道徳の問題、そしてそのようなことについて非常に詳しく具体的になってきておりますので、私は現時点において憲章のようなものを定める必要はもうないなと、こんな考え方になったわけであります。
  212. 池田治

    ○池田治君 まさに文部大臣の御所見のとおりにひとつ実現をお願いしたいと思いますが、ただ一つ言えるのは、そこで教育勅語に絡むようなものをつくりたいというふうに背の例を例えて言われると誤解をしますので、やはり日本国憲法と教育基本法文部省の大黒柱であるという考えのもとに今後教育行政をしていただくようお願いいたして、質問を終わります。
  213. 柳川覺治

    委員長柳川覺治君) 本日の質疑はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後四時四十一分散会