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星川保松君 重大な
事故等にならないように十分ひとつ気をつけて対処していただきたいと思います。
防衛庁は以上で終わります。
次に外務省にお尋ねをいたしますが、まず戦後処理問題にかかわって特に抑留者の問題でございます。
いわゆる抑留者は、六十万余の兵士その他がソ連に抑留をされまして、強制労働をさせられて、六万人以上の人々が飢えや寒さで亡くなったという大変悲惨な
事態になったわけであります。
それで、先日の朝日新聞に、その抑留された一人であります大阪のいまいげんじさんという七十六歳の人が文章を載せておったわけでありますが、その結びに「死者はそりで運び、密林の雪中に埋めた。死体はオオカミのえじきに——。冬が来るたびに、あのシベリアの雪風に交じる犠牲者たちの悲愁の叫びが今もなお、老残難聴の私の耳朶を貫く。」という言葉で結んであるわけでありますが、こうした抑留者の方々の苦しみというのは、いろいろ国の方でも手当てをしておるようでございますけれ
ども、残り火がまた燃え上がるように燃え上がってくるわけであります。それはやはり、戦中は皆さん苦労したわけでありますけれ
ども、戦後にまた戦中よりもこういう悲惨な体験をした。戦中のことであれば国民からいろいろ評価されるわけでありますけれ
ども、このシベリア抑留の苦労というものはだれからも評価もされないままになっておるというところにその大きな原因があるというふうに私は思います。
それで、これに対するいわゆるソ連の態度でありますが、これがだんだん変わってきておるようでございます。そこで、ことしの四月に日ソ・シンポジウムがモスクワで開かれたようでございますが、そのときにソ連側のリポートが出されたわけであります。それを見ますと、なぜ長期間抑留したかということについては、いわゆるソ連が戦争状態の終結したのは五六年の十月である、日ソ共同宣言に調印したその時点までだという解釈をしておるわけでありました。それから、帰還がおくれたのはいわゆる日本の国内事情、国内の食糧が不足だったとかあるいは日本の船を回すのが足りないためにおくれたというようなことを言っておるわけでございます。
それから、多数の死者が出たということについては、一番多かったのがいわゆる終戦の年の四五年の十月、十一月、十二月の三カ月に多かったんだと。これは満州の食糧庫は満杯だったけれ
ども、食糧三カ月分持ってこいと言ったのを聞かないで積み込みをサボったために食糧が不足になった。そのときソ連は穀倉地帯であるウクライナがヒトラー軍に三年も占領されてソビエト国民も食糧が足りなかったんだということを言っておるわけであります。こうした、ソ連側はソ連として責められるということはないんだというような態度だったわけでございます。
それがだんだん変わってきておるようであります。例えばウラジミール・ツベトフという人が言っておるんでありますが、抑留問題についてソ連では一切の研究が行われてこなかったと。今度いわゆるグラスノスチというようなことで歴史文書あるいは古文書等も閲覧も可能になりつつあるというようなことで、やはりこの研究は始めるべきだということをおっしゃっているわけです。特にウクライナや中央アジアの日本人の抑留者はほとんど死者が出ておらない。ところがシベリアの方が多くの死者が出たということはやはり人道的責任があるということを言い出しているわけでございます。
さらにノーボエ・ブレーミヤという
機関紙でありますが、これにアレクセイ・キリチェンコという人が、抑留者のうち六万人もが死亡してソ連領内に埋葬されている、ソ連はこの問題を無視してきた、しかし日本人の祖先に対する尊敬と供養の念、これを考慮するならば北方領土問題よりも深刻な問題であるということを言っておるわけであります。日本人の感情をもっと素朴に理解し尊重すべきである、日本側の話をもっと聞いてやる態度をとるべきである、そしてまた日本人の埋葬地の整備のために何らかの措置をとってあげなくちゃいけない、こうして対ソ観をよくしていかなくちゃいけないということをおっしゃっておるわけでございます。
さらには、現在来日中のヤコブレフさんが十三日に私
ども参議院の議長を訪問したときに同席をいたしまして、日ソ関係について北方領土に触れたわけでありますが、そのときに、体の一部を治すお医者さんよりも体全体を治すお医者さんの方がいいんだと、こういうことをおっしゃっておりました。それは日本国民の対ソ観、対ソ感情の好転に配慮しておられるようであります。こういうふうにソ連も、今まではもう存在しないというような態度だったわけですけれ
ども、いわゆるペレストロイカとかグラスノスチというような波に乗って抑留者に対する研究が開始されたり歴史的な評価が今度明るい方向に向いてきたのではないかと思うわけでございます。
以上のような動きに対してやはり外務省として
もこたえていかなければならない。したがって、こういう流れを外務省はどういうふうにとらえておられるかということですね。
それから二番目には、今度こういうことになりますと、今までは出してもらえなかったソ連側の資料、例えば死亡者の名簿あるいは埋葬箇所、そういったその他の資料など、これをソ連側に求めていく段階ではないか。
さらには三番目としては、ソ連とこの関係についての合同
調査を行うとか、あるいは既に日本の抑留者団体が
調査を開始するということも聞いておりますので、こうしたことにやはり外務省としても援助をするなり一緒にやるなりすべきではないかとこう思いますが、外務省のひとつ見解をお伺いいたしたいと思います。