○足立良平君 通信料金というものを考えてみますと、これはまさに総括原価主義といいますか、そういう考え方でこの通信料金というものは設定をされていくべき性格のものである、このように認識をいたしているわけでございまして、そういう面では公正な競争の観点からもコストに見合った料金設定ということは大原則でなければならない、このように思うわけであります。
そういう観点からいたしますと、昨年の
経営状況というものを見てまいりましたときに、同じ装置産業であるこの通信
事業の場合におきましても、地域系
事業者はこれは赤字、しかもそれは相当先まで赤字が見込まれる、こういう状況でございますが、それに反しまして長距離系の
事業者というのは、既に単年度におきましては黒字を計上する、こういう状況になってきている。したがいまして、
郵政省としてこういう現実というものを一体どのように認識されているのかということが第一点目でございます。
それから二つ目にちょっとお聞きをいたしたいと思うのでありますけれ
ども、市内料金と市外料金との
関係でございますが、直近の為替レートの換算ですからこれは若干いろんな、ストレートに簡単に比較はできませんけれ
ども、昼間の三分間の市内料金でありますと、日本を十円にいたしますと、アメリカの方は十二円、イギリスが三十円、このようになるんではないかと思っているわけであります。そして、この遠距離料金を三百二十キロメートル程度で概算をいたしてみますと、日本が三百三十円、これは既に
NTTさんが値下げを発表されておりますけれ
ども、これは二百八十円ということで、大した大きなことにはなりません。これは三百三十円。それに対しましてアメリカの方が百三十九円、イギリスが百一円というふうに、これは為替レートを機械的に換算した金額からいいますと、そういうふうな金額になるだろうというふうに認識をいたしております。
いわゆるこれは、レートですから、購買力なりいろんな
関係でちょっと違いがあると思いますけれ
ども、例えば国内だけでこういう比較いたしますと、市内と遠距離とを比較いたしますと、遠近格差で見ますと、日本が一対三十三、仮に申請どおり値下げをされるとすると一対二十八になる、日本の場合。そしてアメリカが一対十一。イギリスが市内と遠距離とは一対三。日本は仮に引き下げされたとしても一対二十八。したがって、そういう面では相当格差といいますか、先進諸国との遠距離と市内の場合における格差というものは大変高いということが言えるのではないか、このように思うわけでございます。
実際的に、それぞれちょっと単純な比較でございますから、これだけをもってすべてを論ずるということは実際問題それは難しい点があろうかと思いますけれ
ども、これから言えますことは、我が国の通信料金というものがコスト見合いになっていないのではないか。
一つの仮説として申し上げるなら、それぞれのコストに見合って料金というものが設定されていないということが一番問題なのではないか、こういうふうに思うわけでございます。
そういう面で、これからの料金体系の問題は、将来的には、先ほどの
議論でありますと例えば五年後に遠距離は大体二百円程度にしたいとか、こういうふうにおっしゃいますけれ
ども、総括原価主義という公共料金の立場からして、原価がこれだけかかっていて、その上でこのような料金というものをきちんと設定するというものが明らかになってまいりませんと、本来のどんぶり勘定の料金あるいはまた午後からずっと山田
委員からも
指摘されていましたけれ
ども、競争すればそれは競争しただけで単に料金は下げていきますよというんではなしに、本来きちんとあるべき料金というものは原価を基準に置いて設定していくという姿勢がこの通信料金の場合に極めて必要なのではないか、こんな感じを実は受けるわけでございます。
それと、ちょっと時間もございませんのでもう一点だけ申し上げたいと思うんですけれ
ども、原価主義ということで、先ほ
ども一〇四番ですか、
案内電話料金の
案内問題でこれも若干
議論がございましたが、私は、やはり公共料金というものの基本的な考え方は、先ほ
ども言いましたように、原価をきちんとしてそれに合ったものが必要だ。同時に、もう
一つ忘れてならないのは、料金をどんぶり勘定で決めておいて、そして一方では政治的な
要素だけで、例えば仮に百九十円要る原価を三十円にしますよというふうなことだけでどんぶり勘定で料金を決めていったといたしますと、本当にそこに働いている
NTTの職員の
皆さん方というのは、自分たちの、自分の会社を愛し、そして社会的なそういう公正のために一生懸命
努力をしている。
努力をしているけれ
ども、その原価を全く無視して料金を設定されるということになってしまうと、一体自分は何のために今働いているのかということが、それが失われてしまう。
あるいは、まじめに一生懸命働けばそれだけの労働者、勤労者の側で処遇がきちんと一方でされていくという状態の裏づけがありませんと、本来公共
事業としての効率をきちんとしていくという社会的な責務を
NTTとしては果たすことができない、こういう問題点が私は出てくるんではないかと思いますので、そういう観点で、時間が少しオーバーいたしましたけれ
ども、考え方をお聞きいたしたいと思います。