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1989-12-08 第116回国会 参議院 社会労働委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年十二月八日(金曜日)    午後一時一分開会     ─────────────    委員異動  十二月六日     辞任         補欠選任      前田 勲男君     田代由紀男君      小西 博行君     勝木 健司君  十二月七日     辞任         補欠選任      勝木 健司君     小西 博行君     ─────────────   出席者は左のとおり。    委員長          浜本 万三君    理 事                 小野 清子君                 佐々木 満君                 糸久八重子君                 高桑 栄松君    委 員                 木暮 山人君                 清水嘉与子君                 田中 正巳君                 西田 吉宏君                 前島英三郎君                 菅野  壽君                日下部禧代子君                 深田  肇君                 堀  利和君                 木庭健太郎君                 沓脱タケ子君                 乾  晴美君                 小西 博行君                 西川  潔君    事務局側        常任委員会専門        員        此村 友一君    参考人        慶応義塾大学商        学部教授     庭田 範秋君        東京都八王子自        立ホーム職員   今岡 秀蔵君        帝塚山大学経済        学部助教授    跡田 直澄君        全国労働組合総        連合国民運動局        員        草島 和幸君        日本労働組合総        連合会生活福祉        局長       五十嵐 清君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民年金法等の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付) ○被用者年金制度間の費用負担調整に関する特別措置法案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付)     ─────────────
  2. 浜本万三

    委員長浜本万三君) ただいまから社会労働委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る六日、前田勲男君が委員辞任され、その補欠として田代由紀男君が選任されました。     ─────────────
  3. 浜本万三

    委員長浜本万三君) 次に、国民年金法等の一部を改正する法律案及び被用者年金制度間の費用負担調整に関する特別措置法案を便宜一括して議題といたします。  両案の審査のため、本日、参考人としてお手元に配付の名簿の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人の皆さんに一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。参考人方々から忌憚のない御意見を承りまして、法案審査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人方々から御意見をお述べ願うわけでございますが、議事の進行上、最初参考人方々からお一人十五分ずつ御意見をお述べいただきまして、その後委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと思います。どうぞよろしく御協力のほどお願い申し上げたいと存じます。  それでは、まず庭田参考人からお願い申し上げます。庭田参考人
  4. 庭田範秋

    参考人庭田範秋君) 庭田でございます。  それでは、十五分間時間をいただきまして、私の意見をお聞きいただきたいと思います。  今回の年金改正と申しますのは、その性格づけをいたしますと、一つは過去の積み残し問題処理、つまり昭和六十年の前回改正と言われます年金改正で積み残された問題、特にそれは六十五歳問題と言われますが、その問題処理並びに平成七年を目途といたします、今後に向けましての年金一元化のための地ならし改正、この二つが性格づけされておるかと思います。したがいまして、その主題は、六十五歳問題並びに一元化に向けての給付負担公平化、こういうところに集中されるのではないかと思うわけでございます。  ところで、今回の年金改正法案を見ますと、多くの点で被保険者に大変ありがたいと言われるような部分があるわけであります。例えば、給付改善それから完全自動物価スライド在職老齢年金支給開始の刻みを三段階をさらに細かく七段階にする、二十歳以上の学生の国民年金強制適用、当然加入と申してもよろしいかと思いますが、このような問題点。それから厚生年金基金及び連合会運用拡大年金支給回数を頻繁にする、六回にする、それから地域型国民年金基金創設、これなどは国民年金上乗せ年金ができるというような意味で、被保険者、ひいては国民全般にとりまして大変ありがたい部分が多々あろうかと思います。  しかしながら、見ようによっては痛いとされる部分がないわけではありません。保険料率が引き上がる、修正をされるようでございますが、とにかく引き上げられるということは事実かと思います。  これにつきまして私のひとつ考えを申し述べますと、年金というのは、お金が入りまして、そしてそれを中間で処理いたします。場合によっては投資運用をして金利を稼ぐというようなことがありまして、そして給付として出ていくわけであります。ですから、保険料として入って保険資金として蓄積されて、あるいはこれを積立金と申すかもしれませんが、どちらでもよろしいかと思います、そして年金給付として出ていくわけであります。これは一連のお金流れの組織であります。あるいはお金一つの運営の制度と申してもよろしいかと思います。  したがいまして、例えば入る方と出る方と、これを両断いたしまして、それぞれ別個に論ずるということは、実は学理上の問題といたしましてはあり得ないわけであります。したがいまして、例えば給付が上がるというような場合、ほとんどの事例といたしましては、保険掛金年金の拠出、こういったようなものが上がる、つまり料率が引き上げられるというのが当然の成り行きになるかと思います。したがいまして、保険料率引き上げ給付引き上げ、この二つは関連した問題 でございまして、これを分断するというのは少なくも年金の学問としてはあり得ない姿勢だ、このように私らは考えるわけであります。  それから、主題となります支給開始年齢引き上げであります。  町の中ではいろいろの発言がありまして、よく聞く発言でございますが、現在定年がまだ六十歳になり切っていない、しかるに厚生年金支給開始年齢を六十五歳にする、そうすると、この五年間一般の者はどうやって生きていくんだ、給料は切られる、それから年金はまだ出ない、この辺のところをもう少し考えてくれ、こうなりますが、これは若干言葉のあやが過ぎるのではないかと私は思うわけであります。  確かに、現在すべての企業におきまして定年が六十歳になっているとは申せません。しかしながら、今の段階で言いますと、厚生年金支給開始年齢は依然として六十であります。したがいまして、定年が六十になっていない現在厚生年金支給開始年齢は六十である、こう申すべきかと思います。  したがって、今度は将来に向けての話になるわけでありますが、仮に十年、改正の原案を見ますと平成十年からということになります。そして、女性が仕上がるのが二十何年後ということになります。現在定年が六十五歳になっていない。しかしながら、これは大方の場合、もうそう遠くない将来にほとんど自動的に、あるいは決定的にと申してもよろしいかと思いますが、定年は六十になるわけであります、なると私は考えておるわけであります。そうしますと、六十五歳支給というのは今と同じことなりまして、つまり五年間の間隔ということになりまして、決して改悪といったようなものにはならないのじゃないか。確かに痛いことは痛いんでありますが、大騒ぎするような、改悪といったような表現は慎むべきではなかろうか、こう考えるわけであります。  定年がなぜ延びるか。これは大体どこでも言われているわけでありまして、例えば労働力の不足ということがあります。女性本格的就労ということを条件にし、かつまた海外からの何がしか労働力の流入ということを考えましても、今後百万人の労働力が不足するであろうということは大方見通しがついているわけであります。そしてなお、レジャーの多くなることあるいは休日の多くなること、こういうような点を考えますと、労働力不足は目に見えております。ですから、高齢労働力を活用するという意味におきましても間違いなしに定年は延びる、六十にはきっと二十年後にはなる、恐らく十年後にはなる、このように私は考えております。そして、高度技術化ということで高齢者機械を使いこなせないんじゃないかという心配も一面にはありますけれども、逆に高度技術化社会になりまして、年寄りでも簡単に使えるような機械というものがどんどん開発されてまいります。したがって、この点も余り心配は要らないのではなかろうか。  なお、医療保障の充実によりまして、高齢者の健康はますます維持されるものと思います。したがって、働ける力を持った高齢者が間違いなしに労働力不足の時代に雇用されるということを考えますと、定年は十年並びに二十年後には必ず六十にはなるであろう。必ずといいましても若干の例外はあろうかと思いますが、なるのではないか、このように推測をいたします。そうなりますと、定年が六十にならない今日、年金支給開始を六十五歳にするのはどうかといった話は、大変一つ表現としては訴えるのでありますが、どうやら少しオーバーのような気がする。定年は六十になる、したがって支給開始年齢は六十五にしても現在とそう条件が狂うわけでもないと。  なお、若者は、給付が上がる、そして支給開始年齢が六十五になると大変損だというような感じを持たないでもありませんが、実は六十五になり切ったころには、平均寿命が五年ほど延びるということも予想されております。したがって、受給期間全部としては、今のお方より将来のお方が決して少なくなるわけではありません。したがって、少なくも六十五歳から後生存を続ける期間の長さ、そして現在六十で生存を続ける期間、この両者の期間はそう狂いません。したがって、若者はそのように損をするというような発言も、我々としてはいささか問題があるのではないか、こう考えるわけであります。  もともとここで問題になりますのは、六十五歳案をとるか、さもなければ掛金を大幅に、今以上に上げるということのどちらをとるかという選択問題になろうかと思います。  ところで、支給開始年齢を六十にいたしますと、計算上は千分の三百十五、これ一〇〇%で言えば三一・五ということになりますが、そうなるわけであります。そして、支給開始年齢を六十五にしても千分の二百六十であります。現在、世界一高い西独の掛金率が二百四十であります。ですから、このままでいきますと、日本人の勤労者掛金率世界最高と、しかも相当大きく踏み出した最高になるわけであります。それをとるのもよし、それから六十五歳をとるのもよしと、こういう選択の実は立場に立っているわけであります。  私は、六十五歳にする方が、定年が六十歳になるということの見通しの上に立った場合、国民の痛みは少ないであろう、このように考えるわけであります。  そして、私が常々不思議に思うのでありますが、今回の年金問題鉄道共済財政窮迫に対しまして、相当厳しい批判というものが世間に出ております。そして、一体国鉄年金は今まで何をしていたんだと、こういう声が聞かれるわけであります。国鉄が今日、この痛い状態になるまでの間何をしていたんだという発言は、そのまま実は裏返しますと、今我々はたとえ少し痛くても将来に向けてのむべきものはのまなければならない、準備すべきものは準備しなければならないということを言っているわけであります。  国鉄を責めるときには、あんたらは手抜きをしておったと、もっと早くから頑張るべきだったと、こう言いながら、さて自分たちの場合になりますと、六十五歳はどうも考え物だ、掛金引き上げ考え物だ、こう言って後送りにしておりますと、国鉄に言われたと同じようなことも将来我々は言われるようになるであろう。しかも、いかに大きいといっても国鉄はあの程度のものであります。一千万からの人間を抱える厚生年金国鉄のような羽目になりましたら、もはや救済のしようはありません。したがいまして、私は少し痛いかもしれないけれども、六十五歳もやむを得ないのじゃなかろうか、こう思います。  もう一つ考え方は、支給開始年齢が六十五歳になった、それでは頑張って定年を六十にしようという、そういう発想も決してなきにしもありません。支給開始年齢が先送りになったから定年を頑張って延ばそうと、我々も若さを保って、そして現役をなるべく保てるようにしよう、こういったような発想もあるわけでありますから、あながち六十五歳にしたからといって、勤労者がもろに被害をかぶるというような筋のものではないと私は考えるわけであります。  もともと保険料率引き上げも、それから六十五歳案も、これは年金数理部会が正確に計算した結果出た改正案であろうと思います。昭和六十年のときに、年金数理部会創設してこれを独立させようと、厳正、中正な数理計算機関としようと、こう言って年金数理部会をつくって、そしてそこで計算をさせて、その結果、今回の案になったわけであります。この案に大幅に手を入れるくらいなら、何がゆえに前回数理部会独立を主張したんだと、数理というものは動かすべからざる厳正な結果である、こういうふうに認めたからこそ数理部会創設独立を認めておきながら、さて、そこが出した数字をいじくるのなら数理部会の権威はどこに行くのであろうか、こう考えるわけであります。やはり年金というのは大変数学的に厳格に組めるものでありまして、そこから出た結論というものは最大限に信用し、かつ活用しなければならないであろうと、こう考えるわけであります。  もう一つ、今回の問題で、被用者年金制度財政調整というのがあるわけであります。これは、一面では一元化へ向けてのワンステップであります。そして、サラリーマンを横に貫きまして、同一給付・同一保険料率の新被用者年金制度創設する、そしてこれをもちまして給付負担の均衡、公平を図る、こういうわけであります。ですから、これはサラリーマンのところにできる第二の基礎年金と、このように言われるかと思います。  ただし、当面は鉄道共済たばこ共済、これらの年金救済策になります。しかも、そんな小さな数字でないお金流れということになるわけであります。これは出す方にとりましては大変痛いわけで、反対の意見がたくさん各所に上がるのは当然だろうと思うわけであります。  しかしながら、とにかく鉄道の方も自助努力をいたすわけであります。そして、何よりも言われることは、前回改正で、国民年金の中に基礎年金をつくって非被用者である国民年金方々と、被用者である厚生年金その他の方々の間で財政調整をいたします。それを認めておきながら、今度は被用者同士サラリーマン同士の間での基礎年金による財政調整に反対するというのはいささか理屈が通りにくいのではないか、サラリーマンサラリーマンでない人の間の財政調整を前回認めながら、今回サラリーマンのところの財政調整には反対する。どうせ反対するなら、なぜ最初のときにそれが出なかったんだろうか、そういうような私は印象を持つわけであります。  仮に、鉄道年金見殺しにしたといたします、それはどうなるか。まさか何十万にわたる人たちを路頭に迷わすわけにもいかないと思います。きっと何かの形でもって救済を考えるだろう。場合によっては国民年金の方に抱え込んで、基礎年金でなどという案も出ないではありません。ところが、この基礎年金というのは財政方式賦課式でありまして、出るお金を全部の加入者頭数で割ったものであります。ですから、鉄道年金見殺しにして、それが全部そちらに移ってそれを頭数で割れば、多かれ少なかれサラリーマンのところにも負担が来るわけであります。どうせ負担が来るならば、ちょっときつくても、この際仲間鉄道年金見殺しにすべきではない。そして、国鉄自助努力を強いることによって各年金がもう少し自重した方法をとるだろうというような点も言えるわけであります。  このように考えていきますと、どうも見殺しもできない。ましてやサラリーマン年金一つである鉄道年金が破綻でもいたしますと、公的年金信用失墜はこれはもうはかり知れないものがあると思います。公的年金信用を保ち、そして第二の基礎年金という考え方財政調整に応じ、何がしか負担をする、何がしというほど小さくもないんですが、とにかく負担をする。こう考えますと、一応の理屈があるのでやむを得ずこれは認めるべきであろう。ただし、これはどこまでも一過性のものである、一回限りのものでありまして、これが流行されては大変だ、こういうことはぜひともここで言っておく以外になかろうかと思います。  今回の年金改正に、基礎的にどうしても底辺に流れておる考え方は、実は若者が損をするという考え方にあります。今はやりの言葉で言いますと、公的年金で得をしていたのに、これからは若者公的年金で損をしちゃうんじゃないか、こういう発言であります。損得大逆転などという言葉でありますが、若者の間では大変人気を得ております。人気を得ているということは、裏返しますと公的年金信用がそれだけ傷つけられておるということにもなろうかと思います。事業主が半分負担をし、国庫補助もあり、これが幾ら何でも損得で逆転することはないだろう、この辺のところは言い切れると思います。  そして、もともと社会保障というのは所得再分配の制度でありまして、損得論でいえば、こちらにもある、ここにもあるというような損得勘定は出ます。社会保障だの福祉だのということを損得勘定論を表に立てて論ずるのはどうかと思う。こう考えますと、若者の方もこの際は理解すべきではなかろうか、このように私は考えております。  これが私の意見でございます。
  5. 浜本万三

    委員長浜本万三君) どうもありがとうございました。  次に、今岡参考人にお願いをいたします。今岡参考人
  6. 今岡秀蔵

    参考人今岡秀蔵君) 今岡でございます。  私は、生後一年半でポリオのため全身に障害を受け、以来三十九歳の今日まで、脳性麻痺や筋ジストロフィーを初め、幼いときからの全身性障害を持つ全国仲間たちとともに、障害者が一人の人間としてみずからの人生を築き上げていくことのできる社会的基盤の整備のために、当事者の立場からささやかな活動を続けてまいりました。  幼いときからの全身性障害者にとって最も切実な問題は、職業的な自立が困難であり、そのハンディキャップを補う所得保障が極めて不十分なことです。幼いときからの障害者は、経済的独立が困難なために成人に達しても親がかりで生かされ、その親が年老いたときに、行く末を案じられて殺されたりあるいは一家心中の道連れにされたり、そうでなければ、見も知らぬ遠く離れた施設に収容されるという悲惨な歴史が続いてまいりました。  私たちのこうした状況に初めて光が当てられたのは、ちょうど国際障害者年昭和五十六年の五月であります。我が国普遍的所得保障制度である公的年金制度から、確かに幼いときからの障害者は落ちこぼれ、人間として生きる条件を奪われてきたことを、今は亡き当時の園田直厚生大臣は、直接訴えに行った私たちに率直に認められ、厚生省内に障害者所得保障プロジェクトが設置されるに至りました。プロジェクトを統括する総務審議官に、たびたび意見書を提出してきた私たち要望が踏まえられ、厚生大臣が設けた障害者生活保障問題専門家会議で、私たち意見陳述を行う機会も得ることができました。  国際障害者年完全参加と平等の理念に基づき、すべての成人障害者自立基盤となる所得保障を整備すべきという提言が、この専門家会議によって行われ、当時の大蔵大臣の竹下元総理が私たち要望に直接こたえて、社会連帯理念に基づいてその具体化の方向づけを約束されたことと、その後、私たち要望を直接受けとめてこられた、林、渡部の歴代厚生大臣が、六千万人の年金加入者の中に障害者家族がいることを踏まえ、社会連帯の思想に立って社会保険の原理をより普遍的に発展させることを推進したことにより、我が国公的年金制度一元化に向かう大改革に幼いときからの障害者所得保障が取り込まれ、国民全体が支える基礎年金制度に位置づけられました。  私は、この国民共通障害基礎年金を受給できるようになりまして、大変心強くなってまいりました。家族への経済的依存から解放され、実際に親から独立して生活する大事な基礎となっておりますし、生活保護とは異なり、わずかでも自分の能力と努力によって働いた成果を生活に生かすことができ、全国どこに暮らしても権利として確立された所得保障だからです。  しかしながら、現在の制度は、私たちが真の完全参加と平等を達成していくための基盤としては極めて不十分なものであり、相変わらず、幼いときからの障害者等に対する制度的差別が立ちはだかり、親兄弟からの独立が阻害された状況が続いていると言わざるを得ません。  第一は、年金給付水準問題です。一般的に給付水準七〇%といえば、それは定額部分基礎年金所得比例の二階建て部分を合わせたものを指して言われます。障害者も同様で、働いていて病気やけがで障害者になった場合は、障害基礎年金と二階建て部分を合わせて受給して初めて所得保障となり、生活が維持されているわけです。障害者であれ老齢年金受給者であれ、この二階建て部分がなければ生活できるはずがありません。国民年金の場合は基礎年金だけですが、実態的には貯蓄や生命保険など、自助努力による蓄積過程を 多くの加入者が持っているわけです。しかも、今や国民年金においても、二階建て部分としてより普遍的な地域型国民年金基金が設けられようとしています。ところが、幼いときからの障害者だけは、障害程度にかかわらず基礎年金部分しかなく、残念ながら蓄積過程も全くありません。  私たちは、先輩たち運動を含めて三十年にわたり、一貫して、少なくとも生活保護基準基本生計費障害加算とを合わせた額を超える程度所得保障水準要望してきましたが、現在の障害基礎年金では、この最低保障にも及んでいません。基礎年金自体大幅アップ制度の仕組み上難しいと言われますが、専門家会議提言に基づき、幼いときからの障害者所得保障公的年金制度に位置づけるという政策決定厚生省年金局は行ったのでありますから、幼いときからの障害者のための二階建て部分を構築する責任があると考えております。  例えば、障害が認定された幼少期から、親が加入する被用者保険に一定の保険料を追加して納めるか、あるいは主婦の保険料が夫のものに含まれているとみなされるのと同様、親の保険料に含まれているとみなし、満二十歳になった時点の保険事故として障害基礎年金の上に二階建て部分給付を行うなど、年金制度の改革の過程で何らかの措置が講じられることを願ってやみません。  厚生省年金局基礎年金創設過程で、完全参加平等実現のために、社会連帯理念に基づき世代間の相互扶助から当該世帯を越えた扶養へと、社会保険システム年金をより普遍的な制度に発展させたと、制度改革の意義を高らかにうたったことを私たちは今でも鮮やかに思い出します。  同世代の同胞市民と等しい生活水準を享受する権利の実現を求めた国際障害者年長期行動計画に向けた国連勧告は、当時の厚生省年金局スタッフの高い理想と熱い情熱によって描かれてきた制度統合のデッサンのモチーフであったはずです。しかるに、現在の年金局はそうした経過を忘れてしまったのか、先日来の審議を傍聴させていただいておりますと、年金局長さんは社会保険原理の一点張りで、五万円の基礎年金で生きられない障害者は施設に入るしかないと言われたのをはっきりと聞きました。これは単なる差別発言というより、働けない障害者は社会的に抹殺するという宣告として、聞いていた私たちの心を一瞬にして凍らせ、その後から抑え切れぬ怒りを込み上げさせました。  第二は、無年金障害者問題です。  さきに述べた専門家会議提言に大きく背反しているのが、障害基礎年金発足に当たっても学生時等における無年金障害者が包含されなかったことです。専門家会議提言は、すべての成人障害者を対象としていました。この提言の実行が留保されているのがそうした無年金障害者だとも言えます。厚生省は、少なくともこれらの人たち所得保障を他の障害者と同水準に整備すべき責任があります。所得保障を所管する年金局が、学生時の無年金者に対して任意加入しなかった本人とその親が悪いとし、制度に不備はなかったとしておりながら、今ここで強制加入制度を改めようというのは理屈も筋も通りません。社会保険原理の建前にこだわって、ただ意図的に無年金グループを見せしめとして放置しようとしているとしか思えません。  全く所得保障がなされぬ無年金障害者の多くは、家族の庇護のもとで年老い、施設で人生の終末を迎えるか、生活保護によって制約された生活を営むほかなく、このことはそれぞれの能力と可能な条件に応じてささやかでも生産的な活動に取り組もうとする意欲を奪い、かえって社会の負担をふやす結果を招くこととなります。したがって、政府は、国際障害者年長期行動計画の見直しの中に無年金障害者所得保障の整備を盛り込み、とりわけ年金局においては、無拠出の幼いときからの障害者社会保険を適用するという拡大解釈が行われましたように、学生時の無年金障害者専門家会議提言制度上の不備という理由に基づき、障害基礎年金の受給対象に位置づけるなど、特段の措置を講じられるように心から願っています。  第三は、働いている障害者問題です。  障害を持ちながらも、自治体や一般企業、福祉工場などに雇用されている仲間たちも切実な状況に置かれています。  一般の勤労者は、定年を迎えて退職し、老齢厚生年金を受給しながら老後の生活を送ります。また、人生八十年時代と言われ、年金支給時期や定年引き上げられてきました。しかし、これはあくまでも障害のない一般勤労者のライフサイクルに対応したものです。  障害者の場合は、職能訓練等を経てかなり高い年齢から就業します。我が国の雇用形態や労働環境の厳しい中で、障害者は懸命になって働き、体を壊したり機能低下を招いたりして、定年に達せず四十代前後で退職するケースが非常に多くなっています。したがって稼働期間が健常者に比べて明らかに短かく、現在の被用者年金では、障害者は働いている間保険料を納めなくてはならないのに、精いっぱい働いて退職しても受給資格が得られず、障害基礎年金だけで、生活保護を受けたり、施設に措置されたりして、それまでの努力もむなしい老後を送らねばなりません。  自治体や一般企業、福祉工場などで働いている全身性障害者が、その障害のために早期に退職した場合、働いた期間とその間に得ていた報酬に応じた額の年金給付を受けられる十年から十五年の早期退職年金制度被用者年金制度の中にぜひ設けていただきたいのです。働ける間は基礎年金に頼らず、一定程度勤め上げて早期退職の認定を受け、障害基礎年金の上の二階建て部分としてこの年金を受け取ることができるならば、働いてきたことの意義を感じつつ、みずからの責任で退職後の生活を住みなれた地域で営む希望を持つことができるわけであります。  最後に、年金の受給資格を判定する障害認定の問題があります。  障害基礎年金は、日常生活動作能力の喪失の度合いを医師が判定し、認定基準に基づいて審査が行われておりますが、この純医学的な認定方法が現実には多くの矛盾を生じさせております。  年金の基本は、もともと老齢化して働けなくなったときに所得を保障するために給付されるものであり、障害者に対しても、障害を受けて突然老齢化したとみなして、所得保障のために年金支給されるわけですから、障害があるために働くことが困難だという実態が正しく判定される必要があります。ところが、現在の方法では、言語や両手の機能が完全で、実際にコンピューターなどの新しい職種で活躍しマイカーで通勤しているような人でも、下半身が麻痺していると一級の障害基礎年金が認定されるのに対して、言語を初め全身的にけいれんや緊張があっても、よたよたとどうにか一人で歩くような脳性麻痺の人々などは、職安にどんなに通っても雇用の対象にならないにもかかわらず、医学的には軽度と判定されることが多く、年金を受給できないという矛盾が各地で起きています。この問題は、幼いときからの全身性障害者だけではなく、精神遅滞や精神障害人たちの間でも深刻な問題であります。  年金は、だれもが一人の独立した人間として生き、社会に参加していくための所得保障としての目的を持っているのでありますから、現実の社会的、経済的ハンディキャップの度合いを正しく反映した認定基準や判定機関に改善していただきたいというのが全国仲間たちの切実な訴えであります。  以上でございます。
  7. 浜本万三

    委員長浜本万三君) 今岡参考人、どうもありがとうございました。  次に、跡田参考人にお願いいたします。跡田参考人
  8. 跡田直澄

    参考人(跡田直澄君) 跡田でございます。  今回の国民年金法の改正、そして被用者年金制度間の費用負担調整に関する特別措置法案、その両案について、若干考えておりますことを述べ させていただきます。  基本的に、年金制度に対しましての改革ということが必要であるということは、私自身も思っております。ですから、改革をしようということに対しては賛成なんですが、しかし改革を行うということは、やはりその背後にかなり長期的なビジョンを持ったものである必要があるのではないか。年金制度は、これから二十一世紀の高齢化社会を迎えるに際しまして、財源がかなり厳しい状況になるという、そういう参考資料もついております。そういった点から考えましても、二十一世紀に明るい社会、高齢化社会とは言われますけれども、みんなが希望が持てる社会を築くような年金制度を想定して、そういったビジョンを持った改革を実行していただきたいというのが、まず基本的な考え方であり希望であります。  そのビジョンを持った段階年金制度を改革するに当たっての基本的な考え方、それをもう一度考え直していただきたいというのが、きょう最初に申し上げたい点でございます。  第一点は、公的年金制度と申しますものは、これは教科書どおりのことでございますが、社会保障の中で老後の所得を保障するということが最大の目的でございます。しかも、それを社会保険方式で行う、保険料を徴収してそれをもとに給付を行うというわけでございます。あくまでも老後の所得保障をするということでありまして、無意味な保障をする必要はない。つまり、高額の所得を得ているような人に年金給付するような必要はないというのは、既に原則的にあるわけでございます。それが、最初に申し上げた老後の所得を保障するということの第一の考え方であります。  そしてもう一つは、私の年代でございますので、比較的若い方と自分では思っております。その立場から申し上げるならば、年金制度をこれから続けていく上で、やはり世代間の対立を生まないよう、むしろ連帯を維持できるような年金制度を維持していく必要があるのではないか。つまり、負担を公平にしていく。これは各世代間での負担もできるだけ公平にしていく必要がありますし、給付される年金においてもできるだけ公平なものを実現していく必要がある。  若い世代の年金の額がかなり悪くなるということは、ほぼ周知の事実でございます。寿命が若干延びるという考え方もございますが、年金への加入期間がより長くなります。既に三十五年加入から四十年加入になるということが厚生省の資料からも出ております。したがって、給付が今と変わらない期間は受給できるとしても、負担が長くなっているということは事実でございますので、若い世代、私もそうですけれども、私たちのさらに子供の世代が二十一世紀に成人になって労働力市場に参加をしてくるわけでございます。その子供たちにいきなり所得の二六%、二六・一%ないしはもう少し高いかもしれませんが、そういった社会保険料を負担しなさいということが本当にいいのかどうかということが考えられなければならない点だと思います。  年金改革を考えるまず基本的な考え方最初に申し上げましたが、こういった点をもとにしまして、今現在提案されております改正案について若干述べたいと思います。  まず、決してすべてが悪いというわけではございません。よい点も多々ございます。例えば、制度間でかなりの格差のあった年金制度一元化していく。これは六十一年の改正のときにも既に出ておりましたが、それをさらに具体化しようと。その中で、鉄道共済に対してはもう少し自助努力もしなさいという案、今回の修正案の中に含まれておりますので、こういった方向は一層進めていく必要があると思います。それに対しまして、国民年金法の一部改正の中で、中でと申しますか全体に対しての考え方、これには非常に私は不満でございます。若い世代にとっては、将来真っ暗やみというような改正案になっているのではないかと思います。  と申しますのは、すべて規模を拡大することばかりでございます。物価スライドをするなというわけではございませんが、今現在の年金給付レベルをアップするということ、これもしか年金の規模を拡大していく方向に進んでおります。そして、保険料引き上げる。さらに最悪なのは、地域型の国民年金基金という新たな年金制度をつくって、年金制度をさらに膨大化、莫大化させようとしています。つまり、大きな政府に向かって突き進むような改革案を今現在提示されていて、それに対しまして規模を縮小しようとしていた六十五歳支給という最も大事な部分が消えてなくなっていく、引き延ばされてしまったと、こういったものがない改正案というものは、ほとんど我々にとっては将来負担だけをふやすものになっていく。我々にとっても、さらに次の世代にとってもです。このような改正案が今審議されているということは、非常に我々にとっては将来不安であり、悲観的なものでございます。  もう一つ、さらに今学生の強制加入ということも出ておりますが、これは今現在の、結局は中高年の方々負担をふやすことになるだけだと考えております。これに関しても、ほとんど無意味改正案だというふうに私自身は思っております。基本的に、大きな政府を志向しているということが将来を決定づけるものであり、かなり危険なものではないかと考えております。  高齢化社会で年金制度を維持していくためには、負担の増加は避けられないわけでございます。若い世代にある程度負担を求めていくということは必要なわけです。しかし、その負担をできるだけ抑えてやろうというのが先に生まれた世代の本来の役目ではないか。それがどこにも見られない改革案になっております。基本的には、負担を軽減していくために必要なことというのは歳出を削減する、つまり年金給付の額を、個人個人の給付の額ではなくてトータルの額を削減するしか方法はないわけです。歳出を少なくすれば歳入を少なくすることができるという当然の考え方でございます。その歳出のカットのためには何が必要かというのは、もう先ほども申しましたように、六十五歳支給をできるだけ早く実現していく。  したがって、今回の改正ですぐに六十五歳支給を実現するという法案にしなくても、少なくとも修正の段階では、六十五歳支給を実施するための方策を五年以内に検討するぐらいの措置が必要なのではないか。五年たったらもう一回考えましょう、それじゃまた、まだ無理だからやめましょう、そうしたら十年後になってしまいます。それでは年金制度を維持していくことがほぼ不可能になります。三〇%以上の保険料を若い世代に払えということになります。これで本当によろしいのでしょうかというのが一つであります。  もう一つは、最初にも申しましたが、老後の所得保障をするということであれば、高額所得者に対しての年金給付は完全にカットすべきである。そうすれば、少しでも年金の支出を減らすことができるわけでございます。今現在、支出をカットする面としてはこの二つぐらいであろうかと思います、思い切ってできることというのは。歳出面でのカットで、こういった方向をぜひとも今後の議論の中には検討していただきたいという点が一点です。  もう一つは、今度は負担問題に関しまして、保険料引き上げていくということはいたし方ないと。ただし、その保険料負担をどこまで求めていくのか。簡単な数字を申し上げますと、私もそうですけれども、今現在平均的なサラリーマンの収入、それに対しまして、所得税、地方税、社会保険料、この数字を毎月の給料袋でサラリーマンが見ると、ほとんど等しい金額になっております。地方税が同じになっておりますのは、サラリーマンの場合ボーナスの中で引かれてないから等しくなっているわけですが、しかしバランスよく今かかっているもの、それをあと十年から十五年後には二倍近くに引き上げていくというのが今考えられている年金制度の改革、長期的な改革、その第一段階として今回の保険料引き上げがなされるというふうに考えられますので、今後もずんずん上がっていくということは、もうこのままいけ ば受け入れざるを得なくなってしまいます。その保険料をできるだけ抑えていくには何らかの他の負担で補っていく必要があるのではないか。しかも、それを若い世代だけに負担を求める。若い世代というのは、結局勤労世代とここでは申し上げますが、労働した所得からの保険料ないしは所得税、地方税というものからだけではなくて、より広く負担を求めていく。つまり年金をもらっている世代、高齢世代からも一部負担を求めて、そして若い世代の負担を軽減していってやろうということが今後必要になってくる措置ではないか、二十一世紀に際してです。今すぐ求めるものではないですが、二十一世紀の高齢化社会を迎えるまでにはそういった準備をしていけば、若い世代の負担を軽減し、そして世代間の不公平をできるだけ回避することができるであろうということでございます。最終的に、こういった年金改革の長期的なビジョンというものをぜひとも早い段階で提示をして、それを議論していただきたい。  年金数理は、確かに毎年毎年の数理は確実な数字が出てまいります。しかし、十年、二十年を見通した場合には、一番大きく変化するであろう女性労働力の参加率というもの、そういった変数があいまいな形で取り扱われているはずでございます。長期的な予測に対してはそういった側面をきちんと考慮した上で、将来の若い世代の負担、勤労世代の負担をどの程度にしていくのか、そしてさらには、年金のレベルをどういうふうなレベルに維持していくのか、そういった財政全般の中での年金のあり方を位置づけて、長期的な年金改革の道を検討していただきたいと思います。  以上でございます。
  9. 浜本万三

    委員長浜本万三君) ありがとうございました。  次に、草島参考人にお願いいたします。草島参考人
  10. 草島和幸

    参考人(草島和幸君) 私は、本委員会で審議されている国民年金法等一部改正案及び制度間の費用負担調整法案に反対の立場から意見を述べたいと思います。  私は、つい最近できました全国労働組合総連合、全労連と申しますけれども、そこの国民運動局というところで仕事をしております。  全労連は、過日、議長の松本道廣の名前によって、審議されている「年金法案に反対する要請」を文書にして、参議院の各会派にもお届けしたところであります。  その要点をここで申し述べたいと思いますけれども、要点は第一に、政府提出法案は衆議院において一部修正されましたが、広範な労働者や国民にとっては到底納得できる修正ではないというふうに考えているところです。第二は、こうした立場から、参議院での審議を通じて、ぜひとも原案に含まれている改善部分だけを切り離して成立させていただくようにお願いしたいという点であります。  これらの要請をいたしました理由について、以下簡単に申し述べたいと思います。  第一は、支給開始年齢六十五歳に関することです。周知のとおり、政府は一九九五年までに日本の全年金制度の統合一元化を図るということで、この法案もその一環であるわけですが、予定をしております。統合一元化の最も重要なポイントとされているのが支給開始年齢引き上げであるというふうに見られております。この政府の統合一元化の方針は、もともとは一九八二年七月の第二臨調第三次答申、基本答申とも言っておりますけれども、それを具体化したもので、八六年から実施をされている現行法、それが統合一元化に向けての第一段階、今回が第二段階というふうに見られているものであります。  今国会に政府が提出した法案における最大の問題点は、年金制度のこれは抜本改悪というふうに私ども考える中身であるわけですが、その焦点に当たる問題が、支給開始年齢を六十五歳にするスケジュールを具体化するというところに置かれていたことは明らかであります。既に、第一段階における法改正によって、本則に盛り込まれていたものを具体的に日時を明らかにしたという点にあったわけですが、この点から見るならば、衆議院修正でこのスケジュールが削除されたということによって、なおかつ附則がつけられて、次期財政再計算の際に見直しというふうになったことについては、とりあえずはスケジュールが削除されて大いに結構ですけれども、しかし政府の考えている、年金統合一元化の第三段階に先送りしたにすぎないというふうに言わざるを得ないと思います。  第三段階に当たるのが次期財政再計算期、強いて言うならば、一九九五年からの統合一元化に向けての法改正ということになるんだろうと思います。したがって、削除されたスケジュールによる法改正と具体的な移行の実施時期、その法改正と実施時期の期間が多少短くなったとはいえ、六十五歳後退への中身をいささかも変えるものではないというふうに私どもは受け取っております。したがって、私たちがここで、支給開始年齢六十五歳がとりあえずは計画としてなくなったというふうにとらえることはできず、政府の原案における最大の問題点が残されているというふうに考えざるを得ない問題であります。  多くの議論、ただいまの参考人の中の議論にもありましたけれども、年金支給開始年齢が六十五歳になるということについての議論は、ともすれば定年制との関連で論議されております。私もその点は大変重要な議論だというふうに考えますけれども、それを定年制における年齢のありようによってだけ年金支給開始年齢を接続するという考え方は必ずしも賛成ではございません。なぜかといえば、もともと定年制というのは雇用における契約を年齢を理由にして法的に、一方的に事業主が解除できるという考え方からするならば、年齢を理由にする雇用差別という性格を持っているからです。  この議論は本日さておくといたしまして、仮に六十五歳まで何らかの形の雇用保障が行われるというふうになったならば、じゃ六十五歳支給でいいのかということについて一言意見を言わざるを得ないというふうに考えます。  日本の労働者の労働現場における実態は、これはすさまじいばかりの労働強化、長時間労働、さらには過密労働ということになっております。その上に、大都市の労働者の場合ですとますます住宅事情が悪化して、ラッシュの通勤距離が一時間半、二時間というふうに延びております。仮に六十歳まで働くという前提で考えましても、この労働条件やあるいは通勤条件を考えたら、肉体的に衰えてくる労働者にとっては大変な負担であります。さらに六十五歳まで働けるようになったからといって、その状態が続けられるかといったら、日本の多くの労働者はそれは不可能だ、もういいかげんにしてくれというふうに考えるのが現状だろうと思います。単に定年問題ではない根本的な問題がここにあるのではなかろうかというふうに考えます。  まして、最近多数進出しております婦人労働者の場合を例にとって考えてみれば一層明らかだと思います。婦人が多く働いている看護婦さんとか保母さんという職種で、六十五まで働けるんだから働けというようなことは、事実上これは不可能に近いというふうに考えるからです。当委員会審議を通じて、六十五歳支給へと後退させる火種は完全に消し去っていただきたいということを強く要望するものです。  第二は、厚生年金保険料引き上げに関することです。これもまた、衆議院修正で若干少なくなったようでありますけれども、基本的には負担の大きな増加という点は変わりません。消費税によって既に家計が大打撃を受けるという事態のもとで、来年一月以降、賃金の一%近くを給料袋から天引きされるというような事態は、到底許すことができないというふうに考えます。  この点では、制度財政調整による厚生年金等からの拠出額、これも負担増の要因ではありますけれども、当面一人当たりに直せばそれほどの金額とならないかと思いますが、しかしこれについ ては別の側面からやはり考え直していただきたいというふうに考えます。鉄道共済年金の財政危機の原因と責任がこのやり方によってはあいまいにされ、棚上げにされてしまうというふうに考えるからです。鉄道共済年金の財政危機は、長年にわたる政府の公共交通運輸政策を国鉄に押しつけてきたという問題、さらにはそれが一層加速されたのは国鉄の分割・民営化、大量の人減らしを含む国鉄分割・民営化によって、今日の危機が加速されてきていることは明らかであります。他制度保険料負担に転嫁するなどということではなくて、政府とJR各社の責任で措置すべき事柄だろうというふうに考えます。  保険料負担のあり方で、最も深刻で重大な事態となっているのは国民年金だろうと考えます。来年四月から月一人八千四百円、以後毎月四百円ずつ引き上げていくという政府案について、これは衆議院でも全く修正もされずに衆議院に回ってきております。国民年金保険者は種類が三号まであるわけですけれども、一号被保険者について、政府、厚生省は、あたかも自営業者、農林漁業の従事者あるいは自由業者だけで占められているように言っておりますが、これは実態を隠すことと言わざるを得ないと思います。対象がほとんど同一の国民健康保険の被保険者の職業構成から類推しますと、約三〇%は零細企業に働く、厚生年金の適用から除外されている労働者というふうに見られます。したがって、一号被保険者問題というのは労働者の問題でもあるというふうに私はとらえて、若干意見を申し述べたいと思います。  もともと自営業者にも、農漁民の場合にもたくさんの低所得層がおります。ましてや零細企業に働く労働者は、厚生年金に適用されている労働者よりもはるかに低賃金、劣悪な労働条件で働かされております。夫婦で月一万六千八百円、これが来年の四月からですが、それに加えて健康保険も自前の国保にしか入れない。国保の保険料もほぼ同じぐらい、あるいはそれ以上になろうかと思いますが、この高い二つ保険料は低所得、低収入の零細企業の労働者にとってみるならば、その比率は圧倒的に高いということになり、とても負担に耐えられる状況ではないというふうに考えます。  急激に保険料が増加していくもとで、とりわけ先ほど言った年金統合一元化に向けての第一段階を経過した一九八六年以降、国民年金保険料の、未納者、滞納者、厚生省言葉では検認率と言っておるようでありますが、結局は、未納、滞納の累積でありますが、大体一号被保険者の一六%に及ぶと言われております。数に直すと三百万人前後ということで急増を続けてきております。これらの中に、零細企業の低所得の労働者、自営業者、農民が含まれていることは予想するまでもない事態だと思います。保険料が、未納、滞納という状態が続くならば、これは将来年金受給資格を得られない、あるいは年金がもらえない無年金者をつくり上げていくということになるわけです。  無年金者を急増させるということは、これらの低所得層、最も公的な所得保障が必要とされる低所得層の方々公的年金から排除していくということにほかならないというふうに考えます。こういうことが許されてならないことは明白だと思います。国民年金保険料引き上げはやめていただきたい。それよりも、すべての低所得者も含めて公的年金所得保障を受けられる措置をとることが今国政に問われる緊急の問題ではないかというふうに考えます。  学生の強制加入について一言触れておきますが、結局のところは親の負担に返ってくるわけです。年間十万円を超える息子、娘の国年の保険料負担、これは親にとってみるならば、それでなくてさえ高い学費を負担しているその事態をさらに加速するものである、困難を加速するものであるというふうに思います。これは年金制度の仕組みの問題としてだけではなくて、すべての国民が大学進学の機会が均等に保障される、就学の機会が保障されるか否かの問題にもかかわる問題だろうと思います。強制適用をするというのであるならば、特別な学生の保険料免除制度を法定していただいたらよいのではないだろうかというふうに考えます。  こうした政府の年金制度改悪をやめさせ、公的年金を改善するためにはどうすべきかという点について、若干意見を申し述べたいと思います。  七月の参議院選挙の結果、参議院の議席構成は、自民党少数、野党多数、大変喜ばしい事態になったのが現実であります。こうした国民の審判は専ら三点セット、リクルート、消費税、農業だとされていますが、もう一つ国民の大きな選択の基準があったというふうに私は考えます。  参議院選挙を前にして、マスコミ各社が選挙についての政策で、各党に何を望むかという項目で多くのマスコミが世論調査を行っておりますが、私の見る限りでは、その三点セットというのは、税制問題、政治倫理問題福祉問題、これで政党の選択をするんだ、政策の選択をするんだと言っております。農業問題は、都市部の多いアンケートの対象者が設定されればちょっと落ちるのは当然でありますけれども、福祉問題を含めて、三点セットで各党の政策が選ばれているという点をぜひとも御留意いただきたいというふうに考えます。こういう点からするならば、三点セットに加えて福祉問題における自民党政治も、国民によってノーと回答されたというふうに私は考えます。  私はここに七月十七日付の週刊社会保障という雑誌を持ってまいりましたが、これは参議院選挙を前にして各党の社会保障政策を一覧したものであります。丹念に調べていきますと、大変本日の法案審議に当たって共通する興味ある中身が上がってまいります。各野党の方々の公約の中には、現在の基礎年金に対する国庫負担を、現状三分の一ですけれども、当面は二分の一にせよ、さらには三分の二、将来は全額国と企業の負担によって日本の最低保障年金制度を確立せよということが公約されております。この政策提言は、かねてから私たちが主張してきたことと全く一致するものであり、全面的に賛成であります。また、これによってこそ国民の老後保障確立の基礎が本当に定まるのではなかろうかというふうに考えます。公的年金への国民の不信拡大にストップをかけて、一層の改善がこの措置によって可能になると考えております。  議席多数の野党の方々が、ぜひとも公約の実行を図っていただくことをお願いし、私の意見を終わらせていただきます。
  11. 浜本万三

    委員長浜本万三君) 草島参考人、どうもありがとうございました。  次に、五十嵐参考人にお願いいたします。五十嵐参考人
  12. 五十嵐清

    参考人(五十嵐清君) 五十嵐でございます。本委員会意見を求める事項ということで、その意見を私は率直に申し上げてみたいというふうに思います。  私は、この十一月二十一日に新しく官公労組と旧民間労組統一大会を開きまして、日本労働組合総連合会、いわゆる新しい連合、新連合の中で福祉関係を担当しております。これまで連合として取り組んでまいりました方針、あるいは私の意見を添えて申し上げてみたいと思います。  御承知のとおり、本委員会に付託されております年金改革関連法案等につきましては、給付内容の改善とか大変評価をする面もあろうかと思います。しかし、それ以上に私どもが問題にしなければならないことがあります。そういう点では、衆議院段階で修正がされまして参議院の方に送付をされてまいりましたが、それらの案件も含めまして、ぜひ参議院段階での独自性を生かしたといいますか、ここに参議院ありというような形で御熱心な御論議をいただき、国民生活の向上に資していただきたいということであります。  私どもが今回のこの年金改革関連法案の中で問題にいたしますのは、一つ保険料の大幅な引き上げであります。二つ目には、支給開始年齢の六十五歳への繰り延べであります。そして三つ目には、制度財政調整なるものであります。  言うまでもなく、保険料の二・二%の引き上げ につきましては、私どもことしの春の賃金闘争で、連合傘下の組織を平均しますと五・一%の賃上げになりました。当初五月段階で消費者物価が、東京都の平均でありますが、それを見まして三・三%、そして十月からこの年金改革による二・二%の保険料引き上げによって、五・一%の賃上げが実質可処分所得でどの程度ダウンをするのかという試算をしたことがございます。詳しい数字は申し上げませんけれども、年収が高くなるに従って、この保険料負担も加えて大幅な実質可処分所得の低下をもたらしております。  そういうことから、何としましてもこの保険料引き上げ問題については、前回の制度改正で一・八%という数字を出されていて、五年後、今日の段階平均寿命が三歳延び、そして年金受給者が三年程度延びたというようなことから試算をされたという数字を出されておりますが、私どもは、今回の出された政府の財政再計算数字になるものについては、どういう基準で、どういういろんな経済諸要因を導入して計算をされたのか明らかにしてほしいと、審議会段階から実は提起をしてまいったわけでありますが、その内容についてはまだ納得できるものは示されておりません。極めて私どもは不満でありまして、その合意ができない段階では、この二・二%にも上る保険料引き上げは圧縮すべきである、あるいは五・一%の賃上げの状況から試算をしました実質可処分所得の動向からいって、これは圧縮をしていただかない限り勤労国民生活は大変厳しいという実態で訴えてまいったわけであります。  また、支給開始年齢の六十五歳の繰り延べについても、先ほど参考人のお一人からいろいろ御意見がありました。これについても言われるとおりでありまして、現在六十歳定年制をしいている事業所の数は昨年度の調査で約六二%であります。まだ三八%の事業所は六十歳には満たないわけでありまして、それも大部分は中小企業の事業所が多いわけであります。つまり、中小企業の事業所が多いということは、それだけ労働者の数で言えば多いということでありますので、そういう点の配慮が全然ないと言って過言ではないというふうに思います。  同時に、政府は、まず年金を六十五歳支給開始年齢ということでいけば、それに準じて雇用、定年問題も、将来は六十五歳になるだろうという甘い見通しを述べられるわけでありますが、それならそれなりに、雇用をめぐるいわゆる環境づくりといいますか、その要請に応じた環境づくり、あるいはまた雇用ビジョンというものを、これはまさに絵にかいたもちではなくして、具体的に政府がこういう方向で実施をする、そういう裏づけをきちんと示すべきではないかというふうに思います。  今回のと申しますか、六十歳の支給開始年齢にされた時点から現在まで三十数年経過をしているわけでありますが、三十数年間経過をしても六十歳定年制になっている事業所というのは先ほど申し上げた数字でございます。そういうことから私どもは、この支給開始年齢六十五歳への繰り延べについては何としても同意はできないということであります。  そのほか、制度財政調整問題については後ほど申し上げますが、いずれにしましても、これらの問題について、去る十一月二十九日深夜、衆議院社会労働委員会の与野党の理事の皆さん方の御努力によりまして修正が行われ、そして確認事項が取り交わされました。それを含めて本委員会に付託をされているということでございますので、私はこれらも含めてさらに意見を申し上げたいというふうに思います。  衆議院社会労働委員会で修正された内容の幾つかについては、いまだ納得できるものがございません。ですから、そういう点では本院においてぜひとも、重ねて申し上げますが、勤労国民、特に民間サラリーマンの切実な気持ちを十分に理解していただきたいというものでございます。  率直に申し上げますと、衆議院段階において支給開始年齢の六十五歳への引き上げは、私どもは、まだ附則の問題がありますけれども、これは我々の努力いかんによって事実上撤回することも可能になったというふうに認識をするわけであります。と同時に、給付改善が行われたことについても評価をするものであります。しかし、その一方で、やはり不満を表明し、納得することのできないものとして挙げなければならないのは、保険料率引き上げであり、そしてさらに制度財政調整と言われるものであります。この二点についてまず意見を申し上げてみたいと思います。  保険料引き上げでありますが、これは平成二年一月から十二月までの来年一年間は一・九%、平成三年以降は二・一%で、五年間を平均しますと二・〇六%になると言われております。しかし、この根拠は一体何なのでしょうか。修正合意の段階ではそれが明らかにされておりません。政府としては、政府の計算が正しいならば、今回の改正案では二・二%の引き上げが提案されていたものでありますので、安易にやはりこれは譲歩をすべきものではないと思いますが、それにもかかわらず、物の見事にこの二・二%なるものは撤回をされたわけであります。それがなぜなのかということをぜひお聞きをしたいなという感じがするわけでありまして、我々は、つまり政府の二・二%を引き上げなくても十分に対応できるんだということの証明以外の何物でもないというふうに見てもよろしいのかなというふうに思うわけであります。ですから、これ以下でもできないとは言えないのではないかというふうに思いますので、平均で二・〇六%の保険料率は、これはさらに圧縮をすべきであるというふうに思います。  前回の制度改正時の保険料率引き上げが一・八%と出されました。この一・八%と当初保険料率引き上げ案の二・二%と、今回の修正による二・〇六%の関係はどう説明されるのでしょうか。政府が示された年金財政計算基礎資料をまず国民の前に明らかにしていただきたいというふうに思います。  同時に、今回の年金改革の重要なポイントは、高齢化社会を迎えて、現行の給付水準を維持するならば大幅な保険料率引き上げか、あるいは現行の保険料率を維持するならば大幅な給付水準の低下か、そのどちらか国民の合意が得られなければ、さらに緩やかな保険料率引き上げ支給開始年齢引き上げしかないとして提案をされているわけであります。衆議院では、これらはいずれも修正されたわけでありまして、将来の財政見通しは改めてやはり示されるべきものであるというふうに思います。  私ども連合では、この十一月に総合福祉ビジョンを示しまして、高齢化のピーク時における保険料率は、政府案の三一・五%よりも低い水準でも制度の維持改善は十分可能なことを提言しております。そういう点で、ぜひこの点を明らかにしていただければ大変ありがたいということで、御意見を申し上げておきたいというふうに思います。  それから、制度財政調整でありますが、今回の制度財政調整一元化の地ならしを口実としておりますが、その内容は、鉄道共済年金の財政破綻救済以外の何物でもないというふうに私どもはとらえているわけであります。その点から、その原因は何かということはやはり追求をされなければならないのではないか、それは挙げて私は政府の責任にあると言って過言ではないというふうに思います。  先ほども、公的年金一つとして、鉄道共済年金救済のためにサラリーマンは一致団結すべきだというお話がありました。しかし私は、仮に厚生年金鉄道共済と同じような立場に置かれたときに、他の共済年金の皆さん方が厚生年金を助けてくれるでしょうか。そういうことはまず考えられないというふうに思います。なぜならば、共済年金は退職年金であり、厚生年金は老齢年金である。性格が全然違うというような反論が多分返ってくるのではないかというふうに思いますし、挙げて国の責任にある鉄道共済年金の財政破綻問題をなぜ民間の我々サラリーマンがそのために救済しなければならぬのか。もちろん救済することにやぶ さかではありませんけれども、多額の拠出金をなぜ出さなければならないのかという問題があろうかと思います。  そういう点では、私どもは、この鉄道共済年金救済について厚生年金から、あるいは他の年金制度も含めてと言ってよろしいかと思いますが、多額の拠出金をもってすることについては何としても納得はできないわけでありまして、ぜひこれは国の責任というものを明らかにしていただきまして、その中で対応をしていただきたいというふうに考えるわけであります。  その点では、改めて今日の鉄道状況をもたらした国の交通政策なりあるいは鉄道共済年金の現状をもたらした財政的な面も含めまして、政府として、国としての責任を明らかにしていただきたいというふうに思います。  時間が参りまして、そのほか公的年金制度一元化に向けた問題なりあるいは学生の適用の問題なり、さまざまな問題について意見を申し上げたいようなことが多々ございますが、最後に、繰り返しになりますが、私は、参議院は参議院としての、参議院の独自性をひとつぜひ遺憾なく発揮をされまして、衆議院段階で合意された内容というものも十分検討をいただきまして、国民生活の向上、そしてこの参議院段階で論議が注目されている、あるいはまた勤労国民の期待にこたえるものとして、この委員会で十分な御審議を賜りますように私の意見として申し上げ、大変僣越でございますが、意見の開陳を終わらせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  13. 浜本万三

    委員長浜本万三君) 五十嵐参考人、どうもありがとうございました。  以上で五名の参考人方々からの意見聴取は終わりました。  これより参考人の皆さんに対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  14. 前島英三郎

    前島英三郎君 それではお伺いをします。  どうも参考人の皆様、意見の開陳御苦労さまでございました。ありがとうございました。  まず、電動車いすで八王子からおいでいただいた今岡参考人にお伺いします。  障害者所得保障運動、そしてこの障害基礎年金の導入、そのプロセスの中で私も深くかかわり合いを持った一人として、基礎年金というものには大変感慨深いものがあります。  きょうはちょっと写真のパネルを持ってまいりましたが、(パネル提示)さっき竹下大蔵大臣の話をされましたが、私の部屋で、今岡さんを含めてみんなで竹下大蔵大臣をお迎えして最後の詰めをし、そして、だれしもみずから障害者になりたくてなったわけではない、それはお互いに年金という形で公的な中で助けてもらえないか、そしてそれを何としても我々の所得保障として確立してもらいたいという、昭和五十八年十一月十二日を私もきのうのように覚えておりますし、そういう流れの中で私も自由民主党に入っていった一つのプロセスを思いますと、この年金問題というのは大変私たち障害を持った一人一人にとっての重要な課題であるというふうに思います。  そこで、今岡参考人に一、二点だけちょっと確認さしていただきたいわけでありますけれども、これまでの制度改正流れの上に、大きく分けて三つの課題をあなたは提起されております。一つは二階建ての問題、それから無年金者の問題、それから支給開始年齢障害者としての生き急ぎをしている人々の一つ支給年齢の問題というようなことを挙げていただいたわけですけれども、いずれも重要な課題でありますし、十分に考えなければならない問題であると思います。ですけれども、今回改正に上乗せしてほしいというようなことになると、これは到底間に合わないと思うわけでありますが、また解決の手法についても二階建て論とかいろいろありますが、その手法についてはもっと多様に考えることも必要ではないかなと、このように私は思っているんです。  今回の改正への要望かどうかという点と、そして解決のための手法についての二点、ひとつ今岡さんの考えを聞かしてもらえればなと、こう思います。
  15. 今岡秀蔵

    参考人今岡秀蔵君) 今回要望した各内容につきまして、今直ちに実現してもらいたい、こう申し上げているわけではありません。しかしながら、できるだけ速やかに公的年金制度一元化の中に、そのプログラムに私たち要望を改善措置として位置づけていただきたい、これが私たちの願いでございます。  また、具体的な政策のあり方については、やはり政策決定立場にある人々によって十分検討していただきたい。できるだけ速やかに私たちの願いの実現をお願いしたいと思います。
  16. 前島英三郎

    前島英三郎君 次に庭田参考人にお伺いをしたいわけですけれども、公的年金の仕組みに関してなんですけれども、払った保険料に対する給付額の割合を見ますと、若い人ほど不利になるという説がありまして、きょうも他の参考人方々からもそういうお話がございました。それが国民の間に不安を与えている、こういうふうな意見もあるわけですけれども、私としては、公的年金というのは現役で働く世代が高齢世代を支える社会的仕組みであり、こうした損得論はいかがかと思うわけですね。支える側もやがて支えられる側になるということを忘れてはならないと思うわけですけれども、これらの点を含めて、公的年金の仕組みについて庭田参考人は基本的にどのようなお考えをお持ちか伺っておきたいと思います。
  17. 庭田範秋

    参考人庭田範秋君) お答えをいたします。  若い世代が現在の高齢者に向けて確かに比較の上で損をする、これは数字の上で出てまいります。しかしながら、だからといって出した保険料と受ける給付保険金といいますか年金給付、これの総計同士でもって比較して逆転するというようなことはまずない、これはどうも素直に認めるべきだと。したがいまして、損得論からいっても、今受けているお方よりは損だろうけれども、出したものと受けたものの間で損得を言えば、損得というのは非常に悪い言葉なんですが、より多く受けるということは間違いございませんので、まずそこを否定しておくことですね。  それから、御質問のございました年金の仕組みということでございます。  年金は、発足当初は積み立て方式、こう言いまして、例えば今ここでぱっと年金が開始されるといたします。私が若い者で入りますと、私は給料の中から源泉徴収されまして、せっせせっせとお金を払ってまいります。それはしかるべきところへ預けられまして、投資運用して応分の金利がつくわけであります。そして、私が支給開始年齢になりますと、それから細かく月々に砕かれまして年金が私の手元に届けられます。そして、私が例えば八十歳なら八十歳、八十五歳なら八十五歳の平均余命が終わるころに、ちょうど私がそこまで一生懸命ためた分が減っていってゼロになる。一応これが年金の一人一人における仕組み、こういうことになります。  これは同時に、大きな物の動きで見ますと、今度は全員がせっせとためていきますと、年金積立金は物すごく大きなものになります。その積立金の大きな数を見まして、ああ年金は大丈夫だとこう思いまして、悪い言葉で言えば給付の大盤振る舞いになる傾向がこれは生じます。積立金がとにかく目の前にたくさんありますから、少しぐらい給付を上げてもいいだろう、取る方は少し手を緩めてもいいだろうといってやりますと、さて、私が積み上げてそれが減り出すと同じように、みんなが出したお金がみんなが高齢者になると減り出すわけであります。そして、大体原則としまして、積み上げるのに十年かかれば引きおろすのは一年で引きおろしてしまう、そのくらいに速度は速いものなのであります。  ところが、大体世間の高齢化のスピードというものがある程度落ちつきますと、積み上がったお金がどんどん削られていく。そして、積立金がある程度の額まで減ったころにちょうど社会が成熟化する。人口構成が成熟化して安定いたしますと、 今度は、見ようによっては積み上げておろすというような考え方も依然としてできますが、その世代でどのくらいに年金を受ける人がいるか、その人たちにどのくらい年金を差し上げるかといいますと、年金給付額掛ける年金受給者数というのが算出されます。そして、今働いている人はどのくらいいるかというその頭数でそれを割りますと、それではお一人お一人にこのくらい保険料をいただけば今いるお年寄りにはこの程度年金を差し上げることができる、こういう計算も成り立ってくるわけであります。これは賦課式と申しまして一人一人に割りつける、こういうことになります。  しかしながら、やはり賦課式のもとでありましても依然として、例えば加入者はせっせと長い間年金保険料を出して、いずれ自分の出した年金保険料と金利をある種の権利のよりどころにいたしまして、平均余命が大方絶えるころまで年金を受け取る、今度は受け取る権利が出る、この式そのものが否定されるわけではありません。  ところが、これで問題が出ますのは、なかなか成熟化というものが安定いたしません。特に、現在の日本は類例を見ない高度の高齢化現象、こういうことになります。そうしますと、予定よりも物すごい勢いで高齢者の数がふえていく。そうしますと、積み上げてそこからお金が出るという式が、積み上げ切らないうちにもうお金の方が減り出してしまう、こんなような現象にもなるわけであります。そうすると、勢い一人一人のお方のところに割り振る金額が大きくなります。これが保険料引き上げということの主因になります。ですから、日本の年金の仕組みといたしまして、世界各国に類例を見ない人口構成の高齢化現象が、すなわち保険料引き上げを結果する、それも相当なスピードで保険料引き上げることを結果として醸成してくる、こういうことになります。  しかしながら、そうは言いましても、若い世代はそうそう保険料をたくさん負担できません。それならば年金支給開始年齢を繰り延べる以外ない、こういうことになりまして、六十歳を六十五歳に繰り延べることによって若者の頭の上に割り振られる保険料を軽減しよう、こういう措置がとられざるを得ない、こういう仕組みになります。これを年金の学理で言いますと、年金は当初積立方式をとりながら成熟化につれて賦課方式になる。ただし、この賦課方式になるのも高齢化現象のスピードの速さと成熟化の速さ、厳しさ、そういうものによりまして狂わざるを得なくなる。そして、今日本の年金制度が揺れ動いているのは、実は類例を見ない高齢化現象が主因である、こういうことになろうかと思います。
  18. 前島英三郎

    前島英三郎君 大変よくわかりました。  損得論という表現が適切かどうかは別といたしまして、跡田参考人の方もそういう考え方部分がありました。しかし一面では、またそれはそれなりに違う税制の中で、応分の負担をしつつ財政というものを考えていくべきだと。我々は、今消費税問題で大変苦しんでいるわけですが、そういう一つのやり方もあるのかなという思いもしたんですが、跡田参考人はどのように思いますか。
  19. 跡田直澄

    参考人(跡田直澄君) 余りここで税制のことを言うのもどちらかの政党に味方することになるかと思いますが、つまり勤労世代、働いている世代の所得にすべての負担を求めていくという考え方、今の年金改革は、基本的にはそちらの方向をとっているわけです。それを用いますと二六・一%までの保険料が必要になる、ただし六十五歳支給をすればということですが。しかし、それの負担部分を少しほかに回す、つまり現役世代だけではなくて高齢世代にも負担を求めるという措置をとれば、現役世代の保険料をさらに抑えることができるという道はあるわけでございます。  その高齢世代に負担を求めるという方法は、一体どういう方法があるのかといいますと、税制の中では、勤労世代だけではなくてすべての世代が負担をするような税を用いればよいというわけでして、その一つは、確かに消費に課税をしていく。消費税かどうかは別にいたしまして、消費というものを、しかも比較的所得の高い層が支出をするようなものも課税していけば、ともにうまく現役世代の負担の軽減につながるような財源をつくり出すことができるのではないかと考えております。
  20. 前島英三郎

    前島英三郎君 草島参考人は、余りにも私と考えがかけ離れていますから違う方が御質問すると思います。  五十嵐参考人に伺いたいんですけれども、厚生年金保険料は、政府案では二・二%引き上げるとされておりましたが、この引き上げ幅については、衆議院におきまして修正で平成二年一月から〇・三%抑えられました。それから、平成三年一月から〇・一%抑えられることとされたわけですね。この引き上げ幅についてさらに抑えるべきであるとの意見がありますけれども、これはずるずると負担を先送りすることでありまして、そうした運営方法は、長期にわたる制度の運営方法としては好ましくないし、非常にこれは受給者も、また負担をする側も戸惑いが起きるという気がするんです。  給付はよし、されど負担はけしからぬというのは、今度の税制改革でも、減税分はよし、されど消費税はけしからぬという理論と非常に似ているんですが、その辺のお考えを伺って、私の担当時間が終わりましたので質問を終わらせていただきます。お願いします。
  21. 五十嵐清

    参考人(五十嵐清君) お答え申し上げます。  私どもは、やみくもに保険料引き上げについて反対しているわけではありません。将来の展望をきちんと示して、負担に見合う給付を設定していただきたいということであります。  私どもは自前の計算をしました。将来展望として我が国の就業状況をどう見るのか、高齢化社会の中では、今後ますます高齢者とそれから婦人の就業も進んでくるということになりますと、その就業率をどう見るのかという問題もあろうかと思いますし、あわせて完全雇用の達成を図っていくという問題もあろうかと思います。さらにはまた、雇用者比率をどう引き上げていくのかということもあろうかと思います。  それらによって全体の負担は平準化されていくわけでありますので、厚生年金加入者だけが多くの負担をするというようなことは緩和をされてくるのではないだろうか。そういう点では、さらに六十歳の完全支給を持続していきましても、私どもは、政府の試算をしております三一・五%よりは三%程度下げることが可能だという試算を出しております。さらに、年金積立金の自主運用枠を拡大することによって、この負担比率というものは下げることができるのではないか。  いずれにしましても、素人の私どもがそういう計算をしているわけでありまして、政府の年金数理のいわゆる基礎資料というものをもっと公開していただきまして、いろんな条件、要件をインプットすることによってさらにいろんな数字が出てくるわけでありますので、それを示していただきたいというのが私の意見でございます。
  22. 堀利和

    ○堀利和君 私は、障害者問題から今日の公的年金について見てみたいと思います。  年金は、保険料給付水準との密接な関係があり、かつ数理計算という客観性が重要かと思うわけです。しかしながら、同時にやはり基本的な考え方、哲学というものも大事だと思っております。    〔委員長退席、理事糸久八重子君着席〕 その意味では、国の責任、公的年金の役割というものが考えられなきゃならないと思います。そこで、障害者年金について三点ほど伺ってみたいと思います。一点は人権の問題についてです。二点は給付水準問題について、三点目は支給開始年齢問題についてです。  そこで、今岡さんにお伺いしますけれども、一点目の人権の問題ということになりますけれども、所得保障におきましての柱には、公的扶助、生活保護公的年金二つがあるわけですけれども、いわば支給額、給付額というものを見ますと、明らかに生活保護の方が障害基礎年金給付額よりも高いわけでございます。にもかかわらずといいますか、そうでありながら公的年金の重要性ある いは必要性ということを言われましたので、その辺について生活保護との関連でもう少しお話を伺いたいと思います。
  23. 今岡秀蔵

    参考人今岡秀蔵君) 生活保護障害基礎年金給付を比較します場合には、生活保護基本生計費障害加算とを合わせた額と年金額とをまず比較すべきだと思います。  そこで、生活保護は一般的貧困に対して一時的な救済を行うことを目的とした制度であります。働くことが困難な状態が永続する障害者に着目した制度ではありません。この制度の根幹である補足性の原理によって、年老いた親や結婚している兄弟に扶養を迫られたり、障害の実態を無視した厳しいミーンズテストによってプライバシーが踏みにじられ、あるいは保護の申請に対して施設への入所を強要されるなど、非常に屈辱的な扱いを受けてまいりました。生活保護は、こうした制度自体の制約と地域によって被保護世帯への差別と偏見が根強いことなど、どうしても普遍的な権利とは言えない実情にあるわけです。さらに、生活保護を受けた障害者は少しでも自己努力をすれば保護費が削られ、ケースワーカーに干渉されたりしますので、働く意欲を失い機能も低下して障害が重くなり、ますます保護に丸抱えされていくことになりがちです。  このような生活保護とともに生きてきた幼いときからの障害者の苦難の歴史が、まず金額よりも人間としての権利の確立を願い、その権利としての所得保障年金制度に求めてきたわけであります。生活保護やその他の公的扶助、障害者を対象とする社会手当が社会経済情勢の変化の影響を受けやすいのに対して、国民全体が支える年金制度障害者も位置づけられた方が、改善の速度は遅くとも将来に向けた共有の制度基盤こそノーマライゼーションの理念に合致するものであり、基礎年金創設を推進してきた私たちがその運動を推進してきたゆえんもそこにあるわけであります。
  24. 堀利和

    ○堀利和君 それでは次に、今岡さんに続けて二つ目の問題についてお聞きしたいと思います。  それは給付水準のことなんですが、地域型国民年金基金創設されることになりました。ということは、老齢年金基礎年金部分だけでは老後の豊かなかつ安心した生活ができないという心配から基金が創設されたというふうに理解してよいかと思うんです。ただ、この基金におきまして考えても、つまり滞納者が現実にはたくさんいる中で定額の保険料を納めることが大変な方々のことを問題に考えれば、この国民年金基金はどうしても税金控除の問題からいいましても金持ちには非常に有効なものになろうかと思いますけれども、滞納者が多いという現状から見て、貧乏人にとってはなかなかこの基金に参画することができないという現状があると思うんです。  そういう意味では、老後の安定した生活がどのように保障されるかということが大きな問題になりますけれども、同時に障害者にとっても、この基金に対して保険料を払うことができませんから、結局障害者にとっては相変わらず基礎年金給付水準にとどまらざるを得ないということで、ますます格差が広がっていくんではないかというふうに私は思うんですけれども、今岡さんはどのようにお考えでしょうか。
  25. 今岡秀蔵

    参考人今岡秀蔵君) 先ほども述べましたとおり、例えば給付率七〇%という年金水準は基礎年金に報酬比例部分の二階建てを上乗せしたものです。言われますとおり、国民年金もそうした部分が構築されなければ生活年金にはならないわけです。サラリーマンだった人が障害者になった場合は、加入期間がどんなに短く、納めた保険料がどんなにわずかでも、当然この二階建て年金の対象になるわけです。国民年金基金が設けられましても、今のままでは、幼いときからの障害者だけがまたしても制度の谷間に落ちこぼされ、生活できる所得保障は未確立のままになってしまいます。  私たち障害者家族年金加入者であることを踏まえ、社会保険原理の普遍的発展の中で障害者をその被保険者に位置づけることや、あるいは児童家庭局が所管しております心身障害者扶養共済保険などの抜本的な改正をも含めて、社会保険の仕組みの中に幼いときからの障害者を対象として障害基礎年金の二階建て部分が設けられるような何らかの措置を講じていただきたいわけであります。
  26. 堀利和

    ○堀利和君 次に、三番目のことでお伺いしますけれども、支給開始年齢問題が今回先送りということになりました。やはりそこにおける問題は、雇用と年金のすき間のない連動ということが基本的になければならないということが考えられるかと思うわけです。そうしますと、障害者にありましては、今岡さんが言われておりましたように、どうしても健常者のライフサイクルと障害者のライフサイクルとは違いますし、あるいは就職して働いていても、健常者のようにいわゆる六十歳近い定年まで働き続けることができるかどうか。障害による機能低下等で途中でのリタイアということも、それは個人の責任ではなくて、障害問題としてそういった事態が現実に起きてくることもあろうかと思うんですけれども、あくまでも年金というのは雇用との関係で見なければならない、雇用における収入という関係で見る必要があると思うんですけれども、そういった観点からもう少し詳しい実態をお聞きしたいと思いますけれども、今岡さんよろしくお願いします。
  27. 今岡秀蔵

    参考人今岡秀蔵君) 現在雇用されております障害者の中で、特に脳性麻痺や筋ジストロフィー、頸椎損傷などの全身性障害者平均寿命は四十歳台から六十歳台というデータもあるほど、人生八十年と言われる健常者に比べますと明らかにそのライフサイクルは短く、最も活動的な期間も二十年前後と見られております。多くの場合、やっとつかんだ職場で身を粉にして働き続け、機能と体力が四十代前後で急激に衰えて退職し、療護施設や生活保護法の救護施設あるいは病院での暮らしに追い込まれるケースが次第にふえております。  そうした人たちが退職後短い老後をもう少し活力とゆとりを持って生きられるよう、せめて十年から十五年保険料を納め続けた被用者年金から相当額の年金障害基礎年金に上乗せされるよう、かつての婦人の厚生年金同様、早期退職年金障害者のライフサイクルに合わせて創設していただきたいわけです。それによって障害者の労働意欲を喚起し、また労働能力が低下してきた場合安心して職場を離れることができます。社会への参加と自助の努力を続け、保険料を納めてきた人が全く報われないということのないよう、制度の改善を要望する次第であります。
  28. 堀利和

    ○堀利和君 以上でございます。
  29. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それでは、最初庭田参考人にお伺いをしたいと思います。    〔理事糸久八重子君退席、委員長着席〕  年金は老後の所得を保障するものであると。特に、基礎年金は憲法第二十五条で宣言しております人権保障、最低生活を保障するという意味で非常に大きな意味を持つものであると私は思いますけれども、先生のお話、私聞き違いであるといけませんので復習させてもらいますと、現在定年六十歳がまだ行き渡っていないと。そういうときに既に六十歳支給を開始しているんだから、六十五歳支給になってもその状態が同じようにいくのではないかと。伺っていきますと、空白期間を埋めなくてもいいとおっしゃっているように聞こえたわけです。  それで、もう一つ資料の問題がございましたので、私医者でございますので平均寿命のことは若干詳しいので、先生は支給開始年齢のころには平均寿命はもう五年ぐらい伸びますよとおっしゃいましたが、現代医学をもっていたしまして主要死因のトップのがん、脳卒中、心臓病、この三つの病気が全部仮に完全になくなったとして、平均寿命の伸びは六年または七年なんです。だから、二〇一〇年までに、資料によりますと一九八八年からの平均余命が書いてございます。伸びは男で年一・五ぐらいですね。女で一・七から八ぐらいなんです。ですから五年伸びるということはないので、これは別でいいんですよ、これは別にさしていただきます。  ですから、そういう意味で老後の所得保障はやっぱり定年制と雇用との間の空白をどう埋めるかというところが非常に大事だと思うんですが、先生はこれは現在のままで無視してもいいというふうに聞こえたんですが、いかがでしょうか。
  30. 庭田範秋

    参考人庭田範秋君) お答え申し上げます。  きょうは厚生年金あるいは国民年金のところが主でございましたので、企業年金その他について私は触れるのを控えたわけでございますが、実はサラリーマンの多くの者は退職一時金あるいはこれを年金化いたしました企業年金というようなものがございます。これも、最近の企業の努力というようなものもありましてそんなに少ないものでもないというふうに数字は出ております。  そして、企業年金の機能ということを論ずるいろいろの検討その他勉強会もございますが、企業年金というのには二つの使命がある、こうなっております。一つは上乗せであります。とにかく公的年金、仮に厚生年金が二十万円来るといたしましてもいささか心細い、こういうわけになりますと、それに企業年金で上乗せをしてほしい、これが上乗せ年金という一つの性格のとらえ方であります。  しかしながら、もう一つ別のとらえ方もありまして、企業年金の主たる任務は実はつなぎ年金であるべきだと、こういう見解もごさいます。どういうことかといいますと、定年が幾つとこう出まして、そして公的年金が出るまでの間の空白、この空白を企業年金の機能によって埋めるべきだと、こういうような意見が強いわけであります。そして、どちらかというとつなぎの機能をとる人は、企業年金もさることながら一時金で取る場合も非常に多くございます。  したがいまして、すべての企業が企業年金を持っている、あるいは退職一時金という制度を持っていると、私はそれほど楽観的に、また世の中をそれほど都合よくは理解はしておりませんが、なおかつ多くの企業の努力によりまして退職一時金、この退職一時金を年金化する、こういうような努力が盛んに行われているということは事実だろうと思います。  そして、今後考えられていることは、その辺の組み合わせ方を自由にしよう、こういう見解であります。ですから、仮に私に一千万円退職金が来るといたします。そうしますと、つなぎを考えて、それでは五百万円は一時金でもらって、あと五百万円は実は年金原資にしてもらって企業年金でもらう、こんなようないろいろの組み合わせの弾力化というようなことも考えられておりまして、恐らくそう遠くない将来に達成されるだろうと思います。こう考えていきますと、空白のところは企業の福利厚生並びに企業年金のあり方でぜひ埋めるべきだ、そして現在その方向にあることは事実であります。決してその努力が実っていないとは言えないんじゃないか、私はこのように考えております。  それからもう一つの方の平均寿命あるいは平均余命の件でございますが、これは実は私はもう公表された資料をただうのみにするしかない、そういう知識しかないものでございますが、「年金制度の課題と改正の視点」という冊子が厚生省年金局から出ておりまして、「平均余命の推移」というようなことになっておりまして、六十歳の人の平均余命は昭和五十年では十七・四年、平成二十二年では二十一・三年、男性を今言っております。時間をとると申しわけありませんので男性だけで言わしていただきます。それが六十五歳になると、六十五歳平均余命というのは、昭和五十年、男性十三・七年、それから平成二十二年、十七・四年と、こういうような一応の資料がここに出されております。  私はこの資料を見まして、昭和五十年のときに六十歳からもらい出しても平均余命十七・四年間年金を受けられる、そして平成二十二年に六十五歳になっても十七・四年ですから同じ期間だけ年金を受けられるから、年金というのは給付額掛ける受給期間でありますから損はないだろう、こういうふうに言ったわけでございます。厳格な医学的な見地に立つ余命の動向という点に対しましては全く素人でございまして、この厚生省年金局の資料をうのみにして実は自分の理論を組み立てたわけであります。
  31. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 どうも恐れ入りました。  先生の企業年金の件を承りましたが、きょうは国民年金法の改正でございましたので、先生の御意見として承っておきたいと思います。  時間が大分切迫してまいりましたので、あと跡田参考人にひとつお伺いしたいと思いますが、二点ありますので、できるだけうまく説明していただきたいと思います。  世代間の不公平を抑えるために若い世代の負担をなるべく少なくした方がいいと、何だか若い世代の代弁をして言われたように、先生お若いからそう思われたなと思ったのでありますが、それだけに切実なような気がいたしました。その最善策というのは何なのだろうかということが一つございます。  先生は、所得税、地方税、社会保障に関する部分ですか、それが全部一緒だというふうにおっしゃったと思うのですが、その辺どこを操作しよう、どういうふうにしたらいいのかということがあるのかなと思ったのです。  もう一つは、先生は基礎年金に対して国庫負担をどう考えるかというのを、先生が何かお書きになったものでちょっと見たのですけれども、その国庫負担金アップで保険料率引き上げを少し圧縮できるかというようなことで、何か先生は得意のシミュレーションがおありのようでございましたが、わかりやすく説明していただければありがたいと思います。  以上、二点でございます。
  32. 跡田直澄

    参考人(跡田直澄君) お答えいたします。  私自身がシミュレーションをやった数字も後でちょっとお話しいたしますが、先ほど来ちょろちょろと言葉として出ておりましたが、私の基本的な立場は、公的年金という制度も日本人というか我々国民が、世界の人だれでもそうですが、その制度に対して影響を受けて経済活動をしているものである、それだけ公的年金制度は既に定着化している、消費税とは違うという認識を持っております。公的年金制度から影響を受けるということは、それを経済的な活動の中で影響を受けるわけですから、どうしても損得勘定というものは何らかの形で出てこざるを得ないものでございます。それがなくなれば経済活動ができなくなってしまいますので、保険料引き上げられれば何か影響が出てくる、自分所得の中から少し払うわけですから所得が減る、そうすれば使う金が減るというような、そういうメカニズムが必ず起こってまいります。  そこの部分での影響があるにもかかわらず、損得勘定はいけないというのは、どこかの国でイデオロギーで抑えつけていたのが今解放されようとしているようなのと同じで、倫理観でそれは間違っているというような考え方は私どもはしておりません。あくまでも経済的な分析の中で年金制度を考えていこうとしている。その関係から、経済的な分析としてシミュレーション分析という形で年金制度がこれからどうなっていくのかなという分析をしております。  基本的には厚生省も財政再計算でやっていらっしゃると思いますが、パンフレットを少しいただきましたが、余りその背景がわからない形で数字だけが出ておりますので、今後はこういったものも先に公表されて、しかるべき議論をしていただきたいと思うのです。  余り長くなりますのでこの辺で前置きはおきまして、先ほどの現役世代の負担を削減するというその方法としては、先ほど私が陳述しました中でも申し上げたとおり、第一は歳出のカットをするということ、それがまずベストに近い方法であろう。その方法は六十五歳支給であり、高額所得者の年金給付をカットするという、その二つを申し上げたわけですが、その六十五歳支給というのが今度は逆に世代間の不公平をもたらすであろう。六十歳で支給を受けていた世代と六十五歳からの 給付しか受けられない世代ということであれば当然何らかの影響が出てくるはずで、その世代間のギャップというものをどう埋めていくかというその方法として何かないかというので、先ほど申し上げましたが、何か全世代が負担をするようなものを求めよう。それを税に求めれば消費の課税というという方法一つある。そしてもう一つは、資産に対しての課税というものも、こういった全世代にわたっての負担を求めていくという点で考えられる方法だと思います。  こういう形で税負担を求めていけば、一たん税として入ってきたものを今度は年金制度の方に回すという考え方、現時点でもやられております国庫負担という考え方でございますが、その国庫負担部分にその原資を回していく、今よりも国庫負担をふやしてやろう、そうすれば現役世代の保険料を抑えることができる。そして、現役世代も国庫負担の一部を払っているわけですが、全額ではないわけです。その一部分を高齢世代からも取っていこうという、そういうことを二十一世紀になる前までに準備をすれば、世代間の不公平というものをかなり緩和することができるというシミュレーションを現在やりまして、若干公表をいたしております。  具体的に申しますと、大体保険料率にして二〇%ぐらい、最初の原案では二六・一%ぐらいというような将来の負担率が出ておりましたが、二〇%ぐらいで国庫負担率を今よりも若干ふやす、三分の一を四〇%、五分の二ぐらいまでふやしていく。これをもっとふやせば保険料をもう少し抑えることができるというようなそういう形になってまいりますが、一つ計算としてこういうものが考えられる。こういったいろいろな形での影響をシミュレーションも行いながら、全体的により望ましい年金改革ということを考えていく必要があるのではないかと考えております。  以上でございます。
  33. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 参考人の皆さん、どうもありがとうございます。  私、持ち時間が大変短うございますので、草島参考人に二点についてお伺いしたいと思います。  参考人方々からこもごも出ましたけれども、今日の私ども勤労者の暮らしの中で社会保障費用負担というのが大変重くなっているということが大問題一つになっております。私ども日本の社会保障では、やはり勤労者、労働者の費用負担というのは大変重くて、逆に事業主負担というのが相対的に軽くなっているのが特徴ではないかと思うのです。  そこで、今後のとりわけ年金改革について、特に財源対策の方向について御意見があればひとつ伺いたいというのが一つです。  それからもう一つは、国民年金の上に二階建て、基礎年金の弱さから二階建て部分をということで、今回法案に新たに国民年金基金の導入というのがございますけれども、これに対する御意見を伺いたいと思います。  その二点です。私の持ち時間は八分ですので、簡潔にお願いいたします。
  34. 草島和幸

    参考人(草島和幸君) 先生がおっしゃいましたように、日本の社会保障費用負担における労働者と雇い主、企業の負担割合は、労働者が大変重くて雇い主が国際的に見て大変軽いというのは明らかです。  労働省あるいはILOが毎年まとめております労働費用のコスト構成という統計がございますけれども、それを見ていきますと、これはコストの中には賃金、法定社会保険料、企業内福祉費用等が入るわけですけれども、賃金部分以外の法定社会保険料、企業内福祉の費用について日本は大体一六%ぐらい、アメリカ、西ヨーロッパ等の国々を見ていきますと大体二〇%から二五%ぐらい、多いところは三〇%ぐらいにもなっているということでも明らかだろうと思います。  労働費用のコスト構成以外に、日本の労働者は社会保険料について言うならばほぼ雇い主と同じ額、五、五の負担、二分の一の負担ということになっておりますから、それで全体の社会保険あるいは社会保障財源が構成されておるわけですが、この一事を見ても日本の労働者の負担が重くて企業の負担が軽いということは明らかだと思います。  このことから、翻って次の財源対策を考えてみるとき、アメリカ、西ヨーロッパで、労働費用のコスト構成の中で日本よりもはるかに高いものが企業によって負担されているというところに大きな財源のポイントがあるだろうというふうに考えます。  経済企画庁で出している社会保障費用負担の労使の負担割合等の資料もございますけれども、これを基礎にして考えてみますと、相当有力な財源が存在していることは明らかだというふうに考えております。  我々、日ごろから社会保険の費用については労働者三、雇い主七の割合にしろということを要求しております。一気にできなくても、その方向に近づけていくことによってかなりの有力な財源が生まれてくる。確実に生まれてくるというふうに考えます。国民所得統計の雇用者所得の中の雇い主が負担する社会保障費用負担というのが、大体年間十四兆円ぐらいあります。これは年金、健保も含んでおりますが、一ポイントずつ負担割合の五対五を変えていくことによって大体一兆四千億円ぐらいずつ新しい財源ができてくるということになりますので、そういう点をやはりもっともっと重視すべきではなかろうか。これは国際的に見てもコスト構成上の不均衡是正になるというふうに考えます。  二番目に御質問とされた国民年金基金の問題です。私は結論からいいますと、国民年金の新しい基金の導入というのは、先ほどの意見の中で申し上げました、低所得層の負担がたえられない状態が広がるという側面から無年金者が出るという一つの方向と、もう一つは、その中間層まで切り捨ててしまって、より豊かな者だけが享受できるという内容を持っているところからするならば、公的年金の自殺行為になるのだ、むしろ公的年金の中に高額所得者だけより有利になるようなそういう仕組みを持ち込むことはやめてほしいというふうに考えているところです。  以上です。
  35. 乾晴美

    ○乾晴美君 それでは私は庭田参考人さんにお願いしたいと思うんですけれども、保険料率問題なんですが、先ほどから政府案では高齢化のピーク時、いわゆる二〇二〇年には三一・五%になるということをしきりにおっしゃっているわけなんですけれども、これは三一・五%と出されたのには、やはり一定の条件があったり、またその計算基礎があってなされただろうと思うんです。ところが、その一定の条件というのが変われば、この三一・五%の数字もまた変わってくるのではないかと思うわけです。先ほども平均寿命のところで、厚生省が出されておるのをうのみにいたしておりますということなんですけれども、国民感情からすればもっともっと下げてほしいという要望がやっぱり皆さんからあるわけなんです。  それで、政策努力としてこういうことも数字をもっと低くするように、そしてうのみにせず、もう一遍ちゃんとみずからが計算してそれを直してみるということが必要であるというふうに思われるんですが、どのようにお考えでしょうか。
  36. 庭田範秋

    参考人庭田範秋君) お答え申し上げます。  医学のことは、さすがに自然科学の最先端の問題を社会科学者がとやかく言えませんが、今の問題ですと何がしか意見は申し述べることができると思います。  数字というものは変わるものである、したがって千分の三百十五という数字を金科玉条のごとくに信じて、そしてうのみにしてはいけない、この御指摘でございます。もともと我々はあらゆるものを疑ってかかるのが一応研究者の立場でございますから、疑わないでもございません。ただ、疑った答えがお気に召すかどうかは恐らく疑問だろうと思います。  昭和六十年の法改正というときには、運用利回りというのを七にいたしました。そして、賃金上 昇率即年金改定率を五にしてあります。そして、消費者物価上昇率を三にいたしております。確かにこのとおりいきませんで、今回の年金改正基礎数字を出すときに検討されたその三大要素でございますが、運用利回りは五・五にいたしておるようであります。そして賃金上昇率四、つまり年金改定率も四%ですね。そして消費者物価上昇率を二、こういうふうにいたしております。ですから数字は変わっておりまして、事ほどさように数年のうちに数字が変わるんだから、もっと六十歳支給で、千分の三百十五というのもそんな深刻な数字にならないのではないかと言いますが、大変残念なことにこれらの数字は、まず私の考えでは厳しくなることはあっても楽になることはないと思います。  例えて申しますと、婦人が本格的に社会に出まして、そしてお仕事につくわけであります。当面、年金にとりましては大変好都合であります。なぜかといいますと、年金制度は、先ほど申しましたように積み立ての要素があります。ですから、今本格的に就労して給料を取ってくださっている御婦人は、せっせせっせと年金掛金を出してくださっております。したがって、減りつつある積立金はある程度食いとめられるわけであります。しかしながら、その御婦人が六十なり六十五歳になりまして年金をいよいよ受け取る場合、これが民間保険会社や信託などの行っている個人年金ですと、出したものに見合って年金が来るというわけでありますから問題はありませんが、公的な場合には、それにいろいろ扶養的要素とか扶助の要素とか、それから福祉で上乗せされる要素というようなものがあります。はっきり申せば、出した分よりは余計我々は受けることになろうかと思います。といいますと、せっせと今出している人は後日余計に受け取る人たちであります。ですから、その御婦人が高齢者になれば年金はますますたくさん必要になり、そして年金財政は悪くなるであろう、こう思います。  それから、医療保障も今後やはりますますよくなっていくだろうと思います。ありがたいことに、そうなりますと、我々は働いてそして健康になって、そして長寿化するだろうと思います。長寿化する人がふえればその分だけ年金総額はかさみますから、その面からいってもやはり年金のボリュームは膨らむわけであります。  そのほかまだいろいろの要素がございます。賃金もやはり上がるであろうというようなことを考えますと、日本国民が一生懸命働いて生産性が上がって賃金に反映されますと、それがいずれは年金額に反映されます。なぜかといいますと、平均標準報酬月額の六九%、早く言えば給料の六九%という基本線が守られる限り、給料が上がればそれだけ年金のボリュームはふえていくわけであります。それから金利であります。だんだんとこれは下がるんじゃなかろうかと思います。経済が成熟化いたしますと産業は大方飽和状態になります。そしてお金余りの現象は進みます。そうなりますと金利は下がってくるわけであります。  こういうふうな諸般の事情を考えますと、仮に六十歳支給をとれば千分の三百十五は間違いなしに変わります。ただし厳しい方に変わることはほとんど間違いがありません。この場合、有利な条件だけさらい出してくると上げないで済むことになります。しかしながら、私はそれはとるべきではないと思います。世間にはたくさんデータがありますから、その中で有利そうなものを全部拾ってきますと結構ありがたい結論が出ます。太平洋戦争だって、いろいろな有利な点だけ拾ってくれば勝つことになりました。最後に神風が吹くなんていう有利な条件まで入っていたわけであります。  しかし、年金は長期の制度であります。ですから、今入った人は三十年後、四十年後の制度であります。この間に有利な条件でもって仕組んで、いよいよ年金をもらう段階になって、どうも少し有利な数字でもって組み過ぎたからここで泣いてくれと言われても高齢者は泣けません。そう考えますと、もしいろいろの数字があるなら余り有利な数字だけ集めるようなことはしないで、ひとつ厳しい数字でもって組み上げて、三十年後、四十年後の年金がそのかわり確実に来る、こういう保証がつく方がやはり若い世代にとってはありがたいのではないか、こう考えます。  確かに数字は変わります。したがって掛金率は変わります。ただし、多分厳しくなることはあっても楽になるということはありません。そして、私は、長期の保険制度という年金においては、余り有利な自分の好ましいようなデータを使い過ぎるのは疑問である、このように考えるわけでございます。
  37. 乾晴美

    ○乾晴美君 時間がございませんので、二つだけお聞きします。簡単に申し上げますので簡単にお答えしていただきたいと思います。  先ほど積立金問題が出ましたけれども、年金積立金は現在厚生年金国民年金合わせても七十一兆円以上、七十一兆七千億円ぐらいあるわけです。その中で一応運用額というか、先ほど出ました信託や生命保険なんかに運用されているというのは六兆七千億円で、約一割弱しかないわけです。これをもっと運用する方に回していけばこの保険料率も下げれるのではないかということが一点。  もう一点は制度調整問題なんですけれども、国鉄年金ですけれども、これは国がもっと責任を持たなきゃならないと先ほどから皆さん方もるるおっしゃっていますけれども、私は、この制度調整というか、他の制度からいわゆる拠出していくのじゃなくて、国の方がもっと見るべきであるという立場ととらさしていただいているんです。  この二点について簡単にお願いいたします。
  38. 庭田範秋

    参考人庭田範秋君) 簡単にお答えいたします。  運用でございますが、私的な民間保険積立金ならいざ知らず、公的な年金積立金には福祉運用とかというようないろいろの原則がありまして、例えば社会環境の整備とか、余りもうからないけれども住宅建設の資金に使うとか、そういうような要素もあるわけであります。したがって、有利に運用をするからには、社会環境整備とか財政投融資の方に回ってそちらの方に行く水道の蛇口のコックを締める以外ございません。果たしてそれが世間から許容されるかどうかという点で一つ心配がございます。  制度調整、これは国が面倒を見るべきだ、こうなります。しかしながら、JR年金と言われる鉄道年金、たばこ年金、後日は国家公務員共済年金なんかも入るんじゃなかろうか、農林年金もいずれは受ける方の側になるんではなかろうか。こういうことを考えますと、すべてこれを国の責任で国のお金でやると物すごい金額に今後なってまいります。そして悪いことに、これは長期に続きます。年金は長期の制度ですから、例えば医療保障お金が足りなくなったから一回だけどすんとお金を出せば万事解決するわけではありません。そのままずっと受給者がふえ続ける限り拡大していくわけでありまして、どうもこうなりますと国を挙げて処理する以外ないと。そうなりますと、同じ勤労者として年金信用を支え合わなければならない、一般勤労者も一肌脱ぐ以外なかろう、このように考えるわけでございます。
  39. 小西博行

    小西博行君 大変きょうは参考人の皆さん方にはお世話になりました。ありがとうございました。  特に、それぞれの参考人のお立場が専門的にもそれぞれ違いますので、庭田参考人には理論的に、跡田参考人も研究者としてのお言葉をいただきました。なるほど年金というのはこういうものかという、その理論というのについては大変わかりやすい思いがいたしました。そして草島、五十嵐両参考人には、組合の大勢の皆さん方の代表という立場でのかなり具体的なあるいは悲壮的な気持ちを持ってお答えでありました。そして今岡参考人の方は、みずから障害を持ちながら皆さんのお世話をしていると。そういうふうに見てみますと、全く立場が違いますと随分表現の仕方も違うなと思って私も聞かしていただいておりました。そう いう私も十二、三年前まで大学で経営工学という学問を教えておりましたので、理論と実践という意味ではやっぱり現場に近い方が具体的だなというのが実は実感でありました。  したがいまして、きょうは庭田参考人にお願いしようと思ったんですが、大変詳しくて時間が長いもんですから、跡田先生の方にちょっとお聞きしたいと思うんです。  つまり、年金というのは国民が将来に向けて安心して生活が維持できる、安心できる。したがいまして、我々から見ますと、やはり北欧であるとか東欧であるとかいうような先進諸国というのは豊かな生活環境だなというのを、行くたびにそれを実感として感じているわけであります。  先ほど草島参考人の方からは、中小零細企業の皆さん方というのは大変なんだ、ある意味では弱者という立場でありますので、掛金がふえるとかあるいは六十五歳というのは大変なんですよというお話がありました。しかし現実に、厚生省でいろんなこういう問題を進めていく場合には、どうしても平均的な数字ということで走ってしまうという面が、どうしても実態まで目が届かないという部分が私はあるんではないだろうかなということをつくづく感じました。したがって、そういうような弱者という面も十分に見詰めた上でのこの法の改正というものが私は大切じゃないかと。したがいまして、六十五歳というふうに一気に皆さん方の前に法案という形で出すのは非常に下手な出し方、早計過ぎるんじゃないか、私はそのように感じておりますので、先生はどのようにお考えかということ。  それから五十嵐参考人の方からは、例の二・二%が二・〇六にダウンした、そんなに簡単にいくんならもう少し中身の研究を大いにやって負担率をやっぱり少なくすべきじゃないかと。非常に私はこれ現実論だと思いますので、この二点について御意見がありましたらお伺いして、私はもう時間がありませんので、二点だけでお願いしたいと思います。
  40. 跡田直澄

    参考人(跡田直澄君) 簡単にとおっしゃるんですが、ちょっと難しいかもしれませんが、まず基本的に考えておりますことは、最初にも申し上げたとおり、豊かな明るい二十一世紀ということを望んでいるわけでございまして、その望んでいることは同じなんですが、しかし東欧型の社会保障を日本に実現しようということが本当にいいことかどうかという点では私は懐疑的に思っております。  それは、要するに政府がすべてをやるという、大きな政府、社会保障のすべてを政府がしょい込んでその負担国民に求めて、それで拠出をする、確かにこれは一つ方法としてあると思います。しかし、それがもたらすことというのは経済的には非常にマイナス面の方が多いのではないか。端的によくマスコミ等で取り上げられるのは、スウェーデン、デンマーク、そういった国々から高額所得者が逃げていくというようなことが起こっております。これは恐らく日本においてもそれに近いもの――日本民族は余りそういうことがないかもしれませんけれども、しかし将来大きな政府になり三〇%以上の社会保障負担を求められ、年金だけでそれだけですので、さらに社会保障負担、それから税負担を求められれば五〇%を超えてしまうような状況が発生してくると思われます。そういった中で過ごさせるのが本当にいいのか。確かにそれによって弱者は救われるのかもしれません。ですから、まず負担という面をよく考えて、大きな政府でいくのか、それとも軽い政府でいくのか。しかし、軽いといっても全く何もしないというわけではございませんで、六十五歳支給というものを年金で実施する際にも、これも最初の陳述で申し上げましたが、そのための方策を考えたらどうかという点が申し上げたかった点なわけです。  ですから、雇用の問題においても、六十五歳まで定年を延長するのか、ないしは六十三歳ぐらいまでであとの二年をつなぎ年金でいくのか、そういったところをまずはっきりとさせて、雇用をどう安定的に延長させるのか。企業活動をそぐようなことをしてしまえば結局は日本が終わってしまうとも言えるかもしれません。ですから、その辺の調整を五年間かかって財界ないしは組合の方たちが話し合いながら、政府がそういったプランニングをまず立ててみてはどうか。それが最初に必要なことではないのか。まず経済の一般的な動きを五年間見て、それから六十五歳支給が可能かどうかを考えようというのでは大抵何もしないで終わってしまう。まず六十五歳支給という目標を立てて、それを実現するための方策を考えていけば、弱者という六十歳から六十五歳の無年金という状況を何とか回避する方法が見つかってくるのではないかという点が一点です。  それからもう一つ国民年金の中での地域型国民年金基金をつくるという点ですが、僕はこれは最初に申し上げたとおり反対でございます。ただし、高額所得者を優遇するとかそういうことではなく、大きな政府をつくってしまう。四十七都道府県、そして医師、税理士等でもう一個、四十八個の新しい年金システムを公的につくるようなものです。こういうシステムをつくれば、当然行政経費もかかってまいります。その行政経費は国庫が負担するわけです。国民年金基金の上乗せ部分を国庫負担をしないということであっても、国庫負担は増加してしまいます。この負担を一体だれがするのか。四十八もつくられたらば、今は一個なわけですが、四十七都道府県に全部、今よりは少しは人数は少ないかもしれませんが、そういった職員を置く。悪い言葉で言うならば、これはある先生が申されたことですけれども、天下り先をたくさんつくりたいんじゃないかというほど疑わしいと思っております。  むしろそういった方向ではなくて、厚生年金の上乗せ部分の方を改善する方がもっと我々若い世代にとってはよいのではないかというふうに考えております。そして自助努力をさせる。保険料を引き下げておいて残った部分自分たちで運用しなさいと、私的な年金、個人年金と言われるもの、そういったものをこれから助長していく、あくまでも個人の自由な選択行動をこれからは重視していく方が重要なのではないかというふうに私は考えております。
  41. 西川潔

    ○西川潔君 それでは、私は最後に庭田先生に締めていただきたいと思います。私は八分間ですので、質問は一分にします。あと七分は先生お一人でおしゃべりください。よろしくお願いします。  一つは、滞納率が大変高いわけですが、滞納率が高いのはなぜでしょうか、素朴な僕の疑問なんですが。  二つ目に、現在の徴収制度問題がないのかな、あるのかなとこう考えるんですが、これひとつ御説明お願いします。  滞納率が下がるということはだんだんゼロに近づくわけですから、そうなりますと今度は我々の納める保険料率、この料率がどの程度下がってくるものなのか。  この三つをお伺いしたいんです。五百万人とも言われているように私は聞いておるんですけれども、このあたりを素朴な疑問としてお伺いしますので、よろしくお願いいたします。
  42. 庭田範秋

    参考人庭田範秋君) 具体的な問題で、大変難しい問題であります。滞納率が高い、これはごく一般的に言えば所得が低くて払う余裕がない、こういうような言い方になろうかと思います。しかしながら、取り方が下手だというような理由もあるわけであります。同様に、国民年金だけじゃなくて、国民健康保険の方も滞納率、これは高いわけであります。しかしながら、これは各年金団体が努力をすることによって大分改善をされてまいりました。ですから、この滞納率のようなものを、余り譲歩をするというか、そういうような姿勢でなくて、びしびし取り上げるというのは嫌な言葉なんですけれども、出すべき義務のあるものは出さなければいけない、払うのが原則である、こういうような観点に立ってそれなりの手を打てば私は下げることは可能であろうと思います。  特にこの問題は、学生の国民年金強制適用とい う問題についてもこれから生じてくるわけであります。例えば、学生は収入がないんだから申請免除にする、そして障害年金だけは出す、それから四十年加入の実績だけは上げさせる、こういうわけでありますが、私は余りみだりに申請免除というようなことを認めるべきでない、今の学生諸君は言うほど貧乏ではない、こういうふうに思っております。それは慶応だからだなんて言いますけれども、慶応は実は最近は貧乏な学校の方で、早稲田や東大の方がよほどいいところのお子さんがおるわけでありますから、それでも例えば奨学金が余るというような事態であります。ですから、余り表面だけ見て貧乏だ貧乏だと言うことはできません。  したがって、学生を仮に国民年金強制適用にして申請免除を緩くしますと、この免除率というのが上がりまして、またまた国民年金の財政に別型のゆがみを生ずるであろう、こういうふうに考えられるわけであります。私はどこまでも年金は払うものは払って受けるべきものである、こういうふうに考えます。よほどのことがない限り払うことができないというようなことは現代の日本では流行するはずがない、こういうふうに思いますので、取り上げ方という点で一層の厳正性、厳格性とは申しません、厳正性があってよろしいのではないか、こう思うわけであります。  そして、徴収制度を改革するにはどうしたらいいかといいますと、これは年金というものが、ここがちょっと泣かせ場でありますが、決して損にはならない制度だと。福祉という観点に立つ限り必ず受益といいますか、より多くの福祉を受ける制度だということをやはり広くPRする必要があると思います。私は今得な制度だと言いましたけれども、この言葉は使うべきではないとは思いますけれども、俗語で言えば得な制度であります。特に国民年金の方は厚生年金よりもっと得であります。ところが、芸能界の皆さんなんというのは、あんなけちな年金おかしくてもらえるかと言って手続をとりません。それから第三号被保険者サラリーマンの奥さんなんかも加入手続をとらないで後日基礎年金を受け損なうというわけでありますが、年金はやはり入っておくものだと、しかも入っておいて、ただ老後保障だけではないと。例えば女性だったら遺族年金も来るのだ、障害年金も来るのだ、しかもそれらはインフレスライドするんだと。六カ月入っていると、ほんの短い期間入っていれば遺族年金ももう来るわけであります。  そういうふうに福祉の面が多々ある。しかしてなお老後生活の保障につながるものであるということを適切にあらゆる機会を用いましてPRしながら、だからきちんと保険料も払って、保険料支払いの期間を満たしておいて満額受けるべきである、こういうPRに努めましたならば、恐らく滞納率のごときは大幅に減るであろう。あたかも国民健康保険でそういう面が改善を見たということを考えますと、決してこのことは不可能ではない、このように考えております。  ちょうど八分ぐらいだと思います。
  43. 西川潔

    ○西川潔君 いえ、まだ八分いっておりません。ありがとうございました。  学生さんの一番最初のお話なんですけれども、私も三人子供がおるわけですけれども、大学にも通っておるんですが、これは二十の子供がいて二十二歳の子供がいてというふうになりますと、大変年間何十万というようなお金になるわけですから、これは子を持つ親として大変だなという部分もわかりますが、きょうは大変いい勉強させていただきました。時間になりましたので終わらせていただきます。ありがとうございました。
  44. 浜本万三

    委員長浜本万三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  一言参考人方々にお礼を申し上げます。  参考人方々には、長時間にわたりまして御出席を願い、貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十九分散会