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猪木寛至君 もう既に日ソの
関係あるいはODAの話が出ておりますので、私は最後なので大分重複すると思いますが、私は、きょうは日ソの
関係と、またODAにちょっと触れてみたいと思います。
まず質問の前に、甚だ恐縮ですが、私自身レスリングを通じて
世界じゅうを歩きまして、そんな体験の話をちょっとさせていただきたいと思います。
昨年、ソウル・オリンピックがあった折に、ソ連の選手たちが大変プロに転向する興味を持っているという情報を私が手にしまして、ちょうど一年と三カ月前の話なんですが、当時としてはそんな話は信用できないよ、実際には不可能だという意見が大多数を占めたわけなんですが、私もその話の
調査をしまして、みずから去年の十月にソ連に乗り込み国家スポーツ
委員会のメンバーとも話をしたわけなんですが、そんな中で、大変話が難航したんですが、私も一生懸命スポーツ
交流の意義を訴え、何回か話を重ねていくうちに非常にお互いの信頼感が生まれてきまして、まああなたがそういうことであれば、日ソの
関係においては非常に今冷え切った部分があるけれども、我々としてもぜひ
日本とももっともっと友好を持っていきたいんだということで、我々としても、国ともまだ話ができてないけれども、とにかく努力してあなたの希望に沿うようにしようじゃないかということを言ってくれまして、その後何回か
交渉を重ねまして、当時本当に不可能と言われた話で、ことしの四月二十四日に東京ドームにおいて日米ソの対抗戦を行いまして大成功をおさめることができました。
そんなことから、私自身大変向こうの
政府の要人たちとも
交流が生まれまして、前同六回目の訪ソをしてまいりました。ちょうど六月に、私が選挙に出る前だったんですが、ソ連に参りまして、クレムリンの方へ呼ばれまして、当時副首相であったカメンツェフ副首相とも話をしました。そのときに、何でも構わないからお話ししなさいというので、じゃ遠慮なくさせていただきますということで、我々
日本人から見たソ連というのは非常に暗くて笑いがなくて信用がおけない人種であるという話をしましたら、非常に苦笑いをしました。まあしかしながら、こうやって我々がスポーツを通じて
交流を始めたらそんなことはない、本当に気さくでみんなすばらしい人がいるよということをつけ加えました。ソ連側も、じゃ私にも一言言わせろということで、カメンツェフ副首相も、実は私は最初に
日本との漁業問題で
日本に行ったときに、本当に
日本人は暗くて、あなたが言うように信用のおけない人種だと思った。実際
会議を始めたら、下を向いて我々の話を一向に聞こうとしないということから、逆に
日本側が話を始めたら同じ態度をとってやろうということで、全員目をつぶってやったと。会談が終わったら、全員が立ち上がって握手を求めて、我々の話をよく聞いてくれたというようなことで大笑いになりましたけれども、そういう偏見の中に日ソの
関係というのは今あるのではないか。そんなことで私も日ソに
関係する部分についていろいろ今積極的にやらしていただいております。
そこで、とみに今
世界交流が叫ばれているわけですが、今政治家の方も随分
日本に来られます。
交流がだんだん高まっていくという中で、先ほどから話が出ておりますヤコブレフ政治局員というんですかが来られる。大変これは期待が大きいということも
大臣からお話を伺っておりますし、今現実に
経済ミッションの
専門スタッフが来られているというふうに聞いておりますが、これはどのようなことのレベルでお話をしているんですか、ちょっとお伺いしたいと思います。