○小
田中参考人 小
田中でございます。
ごく一般論、抽象的なレベルで申しますと、
地家裁支部の
適正配置の問題というのは、これは
検討に値する問題でありましょうし、また場合によっては必要な
改革を加えるということが出てまいりましょう。ただしかし、問題は中身だと思うわけでございます。
検討する際の姿勢といいますか、もっと正確に言えば理念、目的、それからさらには
検討する際の
基準の問題、さらには結果ないし影響をどう予測するかという問題、さらには
改革をする場合の手順の問題ということになろうかと思います。
先ほどから出ておりますところでも明らかなように、その評価の
基準というものは、私は
国民の
裁判を受ける権利というものでなければならないと考えるものでございます。この
国民の
裁判を受ける権利というものは、御承知のように憲法三十二条で保障されている
国民の権利であるわけでございます。この権利につきましては、その沿革をたどってみれば、十七、八世紀ごろからのイギリス、それから
フランス、ドイツ、さらにはアメリカ等の沿革があるわけでありますが、我が国に限ってみましても、明治憲法
時代からこの権利は保障されてきているところであります。
ただ、ここで我々が考えなければならないのは、現在のように
基本的人権というものを非常に保障しようとする、しかもそれを
司法、
裁判によって保障していこうとする、そういう
基本的な方向をとっております現在の憲法のもとにおいては、この
裁判を受ける権利というものは、単に消極的あるいは形式的なものではないということでございます。この権利は、いわば
基本的人権を保障するための
基本的人権ともいうべき非常に重要な位置を持っているものであり、憲法上重要な意義を持っているもので、そしてその発現態様というものも豊富な形でとらえられなければならないというふうに私には考えられます。そして、このような考え方は、最近では憲法学界のみならずその他の
訴訟法学者等の間でも非常に有力というよりは、むしろ通説になりつつあるというふうに言っても過言ではないように思われるわけであります。
具体的にその権利が
裁判所の
配置等の問題についてどのように発現するかということが問題になるわけでございますけれ
ども、それをわかりやすく言えば次のようなことになるのではないだろうかと私は考えるものでございます。
それは、まず第一に、
裁判所が身近にあるということでございます。それから第二には、その
裁判所が
国民に対して平等に開かれているということだと思います。それから第三番目には、その
裁判所が人的、物的両方の側面において
充実したものでなければならないということだと思います。
国民に身近な
裁判所というのは、これは距離だけの問題ではございませんで、もちろん距離もありましょうが、それだけではございませんで、
執務体制等も含めて、とにかく
国民に対して身近な、手の届くようなものでなければならないという
意味でございます。
それから、
国民に対して平等に開かれるということの
意味は、これは
国民の間にはさまざまな階層、条件の差がございます。端的に言えば、過疎地におられる方もおりましょうし、またこういう大都会、過密地におられる方もおられます。あるいは経済的なレベルで言えば、貧困な方もおられますし富める方もおられます。あるいは教養のある方もおれば教養のない方もおる。
法律的知識のない方もおればある方もおる。いろいろな条件の違いがあるわけでございます。しかし、その条件の差にもかかわらず、
国民に対して平等に開かれている、平等に利用しやすい、そのことが
裁判を受ける権利の非常に具体的な、重要な中身の一つではなかろうかと考えます。
それからまた、第三に、
充実した
裁判所でございます。単に
裁判所があればよいというのでは決してないわけでございまして、
国民の
要求、ニーズにこたえるような、人的、物的に
充実した
裁判所でなければならない。
以上の点が、私は
裁判を受ける
国民の権利というものが
裁判所の
配置等の問題について発現する場合の具体的な態様であるというふうに考えるものでございます。
このような
基準に照らして、今回の
最高裁一般規則制定諮問委員会の御
答申、あるいはその基礎になりました
最高裁でおつくりになりました
要綱というものが果たして充足されているであろうかというふうに私は問題を立ててみたいと思うわけでございます。そして、そのような
基準に照らして見た場合に、この
要綱及び
答申には、
基本的に見て、理念、目的の点が一番はっきりしていると思いますが、
国民の
裁判を受ける権利というものについての観点が希薄という印象を免れないのではないだろうか。これは権利の問題でございまして、単に便益、便宜の問題でもなければ感情の問題でもないわけでありまして、権利の問題として考えてみた場合に、これは非常に重要な問題ではなかろうか。先ほど申しましたように、
裁判を受ける権利というものは、
基本的人権を確保するための
基本的人権、もっとつづめて言えば
基本的人権の
基本的人権ともいうべき重要な権利でありますので、その権利については十全な保障が必要である。にもかかわらず、今回の
適正配置に関する
答申及び
要綱にはその姿勢が希薄ではないだろうか、これが私の一般的な感想、印象でございます。