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上田参考人 私は、
高等学校の
社会科を
地理歴史及び
公民に
分化いたしますこの法案については、反対の
立場で申し上げたいと思います。
私、
昭和二十一年に
文部省に入りましてちょうど五年、この
社会科というのができました当時、それに携わりました。それ以後ずっと
大学での
生活でございますが、
社会科教育というのが私の
専門分野の
一つということになっております。そういうことをお含みいただきましてお聞きいただきたいと思います。
率直に申しまして、今回のこの
分化というものは、あるいは
社会科解体というふうに
一般には言われておりますけれども、このことはいろいろな
意味において適当でない、また時宜に適さないということを申し上げたいと思います。
五点ぐらいに絞って申し上げたいと思いますが、まず第一点として大事なことは、この
改訂が
一般の
高等学校の
教師あるいは
教育界の広い
意見の聴取が行われなくてやられているということであります。
高等学校の
先生たちは唖然としたというような経過でございます。
これは、そのことの是非は第二といたしましても、私は、非常に望ましくない。これは、このことだけではなくて今度の
教育課程の
改訂について言えることでありまして、私が知る限り、これほど
一般の
意見を聞かないで行われた
改訂はいまだかつてないというふうに私は考えております。このことが現在実は、御承知のように、
中学校、
高等学校、小あるいは大もそうでありますけれども、殊に中高というあたりで
学校が荒れているという事実がございます。それは何とかしなければいけないことであって、みんなが考えていることでございますけれども、今回のこういう
改訂はますます
高等学校の
教員の意欲を失わせると申しましょうか、真剣な取り組みを阻害する面を持っている、それは私は非常に重大なことだと思います。どうしてそういうことをお考えにならないか。まず今の
学校教育がしっかり立ち直るということが前提であって、それなくしてはいよいよ混乱が増すということではないかと思います。そういうことから申しまして、非常に残念であります。
特にまた、その
審議の
過程においても、今言ったような
一般の
意見の反映がないだけではなくて、どうも不明瞭なところが多かったように思います。そういうことを含めて、今こういう大事な時期に行われる
教育改革としては用意が甚だ不十分であったということは否めないと思います。そのことが単なるテクニックの問題ではなくして、やはり今後の
日本の
教育に対して具体的に大きな影響を与える。余り強調いたすのはどうかと思いますけれども、
日本の
学校の今の
状況は非常に心配であります。そのことを何よりもまず第一に考えていただきたい。そういう点で遺憾であったということであります。
しかし、もちろん現在の
高等学校の
社会科の
状況がもうベストであるというようなことはございません。いろいろ問題をはらんでおります。それを改善する必要は私も否定はいたしません。しかし、それには現在の
社会科のままでいろいろやることがある、やれることがある、どうしてそういうふうにすることができないのか、どうして急いでこういうところに無理に持っていかなければいけないかということが理解できないのであります。
現代社会というのがございまして、これは今度
必修が外れたのでございますが、これは確かに教えにくい面があります。しかしながら、そういう
教育こそ
高等学校の
先生が本当に取り組んでくれば非常に頻りになる
子供が生まれてくる、
大学ももっといい
教育ができると私は思います。ところが、
専門に入っていくということは何か高度になるようでございますけれども、実は
教師からすればある
意味では教えやすいのです。いわば
生徒の持っている本当の必要というものを一応度外視して、
系統的にと申しましょうか、与えるべきものをどんどん与えてしまうということができやすいですね。そういうやすぎを選んだということです。これも非常に大きな問題であると私は考えます。それが第二点でございます。
第三点は、
系統とか
系統学習とか
経験学習、これはちょっと
教育のテクニカルタームでございまして、その説明は今は省きますけれども、
社会科という枠の中で
地理や
歴史や
公民と申しましょうか
社会経済等のことが学ばれるということは、これは
人間が民主的な
社会において生きるための新しい
系統を生み出すということでありまして、これが
最初の
社会科の考え方でございました。ですから、単に
歴史の
事柄は覚えればいいということじゃない。残念ながら今の
入試においてはそれでも通用するというところが悲しいのですけれども、とにかくたくさん知る、たくさん覚える、そういうことは
学問でもなければ
教育でもない。やはり
現実に即して物を考えることができる、
世界史にしても
日本史にしても、そこに出てくる
事柄を自分に引きつけて生かすことができるということがなければ
歴史教育の
意味はないですね。
そういうことをやろうとしたのが
社会科でございまして、今まで四十年も続いてきたのですけれども、そんなに簡単にはかばかしくはまいりません。しかし、徐々に効果を上げてきて、私はこれで
日本人が今後
民主的社会を担う者として
世界に立っていく
可能性がだんだんふえてきたと思っておりました。ところが、それを逆に戻すという形でございまして、これは
人間が
知識を持つというときの
あり方を非常に古いというかおくれた方へ持っていくのであって、
学問性とか
系統性とかいろいろありますけれども、それはその
人間から離れてしまっている。アクセサリーのようなものを幾ら担いでもどうにもならないわけであります。
そういう
意味で、今度の
分化が結果としても恐らく今の
受験体制をますます強めることになろうかと思います。これはゆゆしき問題ではないか。そして
物知り的知識が世の中にいよいよ蔓延していくということになれば、今若い
人たちは一人前の
思考力をなかなか持ってくれない。
大学生も、その点、私としては甚だ申しわけない
状態にあると言うほかないのですけれども、そういうことに拍車をかけるということでございます。何とかそれを食いとめなければいけない。
社会科というものは、先ほども申しましたように、ただ今まであったいろいろな
教科を
一緒に合わせるとかそういう問題だけではございませんので、
学問に対する
人間のかかわり方、もっと言いかえれば、
人間の
学問観を変革する、変えるというのがその本来の趣旨でございます。今まで、とにかくたくさん難しそうなことを知っていれば尊敬されるというふうな行き方じゃなくて、余り難しいことはよくわからないようでいても、しっかり考えることができ、またその難しいことにみずから迫っていけるような
人間をつくる、
学問というものはそういうものであって、膨大な
知識ではないのでございます。そういうことを
教育の中で徹底するということでございました。
私は、三十年、四十年たてばこれができると思ったのですけれども、やはり百年ぐらいかかるのかもしれません。しかし、それを続けていかなければ
日本の国は非常に恐ろしい
状態になるのじゃないかというのが私の見方でございます。それが、
社会科が本来どういうものかという問題で、第三点でございます。
それから第四点目といたしましては、
国際化ということが言われまして、音は
西洋史と申しましたが、今は
世界史、今度の
世界史必修というのは、実際、
入試でも
日本史の方が圧倒的でございまして、
世界史をとる数が非常に少ないのです。私、前に立教
大学におりましたが、そこでは
社会の
入試で、
日本史はみんなやっているからということがあったのですが、
世界史を
必修にいたしました。ところが、
受験者が激減するというようなことがございまして、大分持ちこたえておりましたけれども、ついに変更いたしました。とにかく
世界史というのは
受験では非常に難しいというかそういう感じがあるようでございます。そういうことも非常に大きいのでございまして、
世界史をもっと
子供たち、
生徒が
学習するためにはそういうところも考えなければ本当はうまくいかないです。ただ
必修にすればいいということではないと私は思います。
そういうことで、
世界史をたくさん教えればいいという簡単な問題じゃないのですが、同時に今出ております
国際化、
国際性を高めるために
世界史をというのは非常にわかりいい理屈でございますね。諸外国といろいろ交際していく、つながっていくわけですから、その国の
歴史をよく知っているということは結構なことなんです。でも、本当に
国際性を高める、
国際化するということはそういうことなのか。
会話がよくできる、その国について
物知りである、もちろんこれはおつき合いには大変よろしいのでございますけれども、本当に
日本人がこの
国際社会の中で堂々と生きていく、また
世界に貢献するということのためには、
世界に現在存在するいろいろな難しい問題に対しても我々が責任を持ってかかわっていく、そういうことが真の
国際化であって、残念ながら今の
若者たち、
若者だけを言うことはできませんけれども、そういう点での気迫は非常に少ないです。これは
世界史を
必修にしないから、
系統的に教えられていないからということなのか。むしろ
社会科がねらった
現実に対するアプローチが非常に弱いということではないのか。
学校でもそれを重視していないということではないのか。
入試に傾斜しているということではないのかということでございます。
そういう
意味で、御承知のようにベルリンの壁は破れる、
世界は動いている。しかし、高校生も
大学生もさしたる反応というのか意識を余り持たないようです。だら、
世界史をもっと教えれば事が済むのか。そうじゃないんじゃないでしょうか。
世界史はもちろん必要です。私も非常に大事だと思いますが、そういうものを今の生きた
現実につないで自分の問題として考えるということが足りないのです。それは
社会科がねらっていることなんです。
社会科を
分化させましたためにそういう視点がなくなって、
物知り的
歴史になってしまったらこれはえらいことだと思います。
私はあえて申しますと、今度のこういう
改訂あるいはそれを指示なさった方々の視野は狭いのではないか。ある局所だけを考えて物を見ていらっしゃるのではないか。今、
日本というものは、
世界というものはそういう
状態にないです。しかも、
教育は二十一世紀、非常に困難を伴う二十一世紀に活動する
人間をつくるのですから、今いろいろ古いところを
系統的に覚えさせておけば何とかなる、そういう生易しいことではない。そういう見方こそ私は非常に危険だと思います。
最後に第五点として、要するにこれからの
世界に対して正面から迎え得る
日本人を、
子供たちをつくるためには、単なる
歴史とか
地理とか
公民とかいうふうな、いわばだんだん難しいことを覚えましょうということではなくて、
人間が正面からその難しい
現実にぶつかってそれを打開していく、そういう視点を育てなければならない。それが
社会科の目標でございますので、そういう
意味からすると非常に心配な
状態が起こりつつあると言わざるを得ない。まして高校
教師が本当にそれに向かって自分をぶつけていくということがないとするとこれは非常に心配だ、ますます心配だということでございます。