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1989-11-29 第116回国会 衆議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年十一月二十九日(水曜日)     午前十時開議  出席委員    委員長 鳩山 邦夫君    理事 麻生 太郎君 理事 臼井日出男君    理事 北川 正恭君 理事 鴻池 祥肇君    理事 船田  元君 理事 中西 績介君    理事 鍛冶  清君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    梶山 静六君       岸田 文武君    工藤  巌君       斉藤斗志二君    杉浦 正健君       渡海紀三朗君    中村正三郎君       二階 俊博君    長谷川 峻君       鳩山由紀夫君    平泉  渉君       松田 岩夫君    渡辺 栄一君       江田 五月君    上坂  昇君       嶋崎  譲君    馬場  昇君       有島 重武君    市川 雄一君       伊藤 英成君    石井 郁子君       山原健二郎君    田川 誠一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 石橋 一弥君  出席政府委員         文部政務次官  町村 信孝君         文部大臣官房長 國分 正明君         文部大臣官房総         務審議官    佐藤 次郎君         文部省生涯学習         局長      横瀬 庄次君         文部省初等中等         教育局長    菱村 幸彦君         文部省教育助成         局長      倉地 克次君         文部省高等教育         局長      坂元 弘直君         文部省高等教育         局私学部長   野崎  弘君         文部省学術国際         局長      川村 恒明君  委員外出席者         参  考  人         (兵庫教育大学         長)      上寺 久雄君         参  考  人         (都留文科大学         長)      上田  薫君         参  考  人         (明星大学人文         学部助教授)  高橋 史朗君         参  考  人         (神戸大学教育         学部助教授)  土屋 基規君         文教委員会調査         室長      多田 俊幸君     ───────────── 委員の異動 十一月二十九日  辞任         補欠選任   青木 正久君     中村正三郎君   斉藤斗志二君     鳩山由紀夫君   渡辺 栄一君     二階 俊博君   佐藤 徳雄君     上坂  昇君   塚本 三郎君     伊藤 英成君 同日  辞任         補欠選任   中村正三郎君     青木 正久君   二階 俊博君     渡辺 栄一君   鳩山由紀夫君     斉藤斗志二君   上坂  昇君     佐藤 徳雄君   伊藤 英成君     塚本 三郎君     ───────────── 十一月二十七日  文化政策拡充等に関する請願小沢貞孝紹介)(第六八九号)  同(緒方克陽紹介)(第六九〇号)  同(小渕正義紹介)(第六九一号)  同(渋沢利久紹介)(第六九二号)  同(田口健二紹介)(第六九三号)  同(玉置一弥紹介)(第六九四号)  同(土井たか子紹介)(第六九五号)  同(中村茂紹介)(第六九六号)  同(永井孝信紹介)(第六九七号)  同(楢崎弥之助紹介)(第六九八号)  同(野口幸一紹介)(第六九九号)  同(前島秀行紹介)(第七〇〇号)  同(松前仰君紹介)(第七〇一号)  同(村山喜一紹介)(第七〇二号)  同(青山丘紹介)(第七八三号)  同(新井彬之君紹介)(第七八四号)  同(石田幸四郎紹介)(第七八五号)  同外一件(上田利正紹介)(第七八六号)  同(緒方克陽紹介)(第七八七号)  同(大橋敏雄紹介)(第七八八号)  同(長田武士紹介)(第七八九号)  同(北橋健治紹介)(第七九〇号)  同(草野威紹介)(第七九一号)  同(坂上富男紹介)(第七九二号)  同(田口健二紹介)(第七九三号)  同(中島武敏紹介)(第七九四号)  同(永井孝信紹介)(第七九五号)  同(伏屋修治紹介)(第七九六号)  新学習指導要領撤回に関する請願中島武敏紹介)(第七八二号) は本委員会に付託された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  教育職員免許法の一部を改正する法律案内閣提出、第百十四回国会閣法第四九号)      ────◇─────
  2. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これより会議を開きます。  第百十四回国会内閣提出教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として兵庫教育大学長上寺久雄君、都留文科大学長上田薫君、明星大学人文学部助教授高橋史朗君、神戸大学教育学部助教授土屋基規君、以上四名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにいたしております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  上寺参考人上田参考人高橋参考人土屋参考人の順にお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対しお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。  それでは、上寺参考人にお願いいたします。
  3. 上寺久雄

    上寺参考人 上寺でございます。  私の立場は、免許法改正が予定どおり進展しますことを期待いたしまして御意見を申し上げたいと思っております。  御意見を申し上げる前に、私と社会科関係についてお話を申し上げて、その立場から、高等学校二つ教科発展的分立をする、そういう立場のことについてお話を申し上げてみたい、こう思っておるのでございます。  私自身は、小学校教師から始めまして、昭和二十二年に学習指導要領一般編の試案が出ましたころは小学校教師をしておりました。翌年、二十三年ごろになりまして、ある県下、私、広島県でございますが、広島県で最初社会科公開授業をやったものでございます。それから、昭和二十六年から三十九年にかけまして、附属中学校におりまして、社会科担当教員として就職をしておったわけでございます。その間、中学校における社会科は、特に道徳教育との関係で非常に問題になった時期でございます。  それから後、昭和三十四年から三十五年にかけまして、ある女子高校教員をしておりました。そこで世界史を教えておったわけでございます。これは、ちょうどそのころ高等学校教科の統合あるいは整理が行われた時期でございまして、世界史あり方についていろいろ検討のなされておった時期でございます。  それから後、昭和三十七年以降、大阪市の教育研究所就職をいたしまして、そこで現場に近いところでいろいろ研究に従事したわけでございます。それから教員養成大学に参りまして現在に至っておるわけでございます。  その間、道徳教育並びにそういう教科教育につきまして研究もさしていただいたわけでございます。これが、職歴からまいりました社会科と私との関係でございます。  もう一つは、私の学問研究の方から考えまして、新教育の根源であるとされておりましたアメリカのジョン・デューイの研究、これが私の研究でございました。社会科も、ジョン・デューイの発想からかなり理論を得ておる、こういうふうに考えられておるわけでございます。  しかし、彼の教育課程論から考えますと、ハイスクールになりますと教科発展的に分立させる、こういうような立場が出てくるわけでございます。もちろん、中学校課程まではソーシャルスタディーズの立場から、社会科的発想社会科学に基づく教科を履修させる、こういう立場であったわけでございます。彼は一九三八年には「ホワット・イズ・ソーシャル・スタディー?」こういう本も書きました。その当時、ソーシャル・スタディーズがアメリカで非常にもてはやされておった時代に「ソーシャル・スタディー」という論文を書きまして、限界を明確にする、こういう立場をとったわけでございます。  そういうような職歴並びに研究歴から考えまして、私は社会科に対しては非常に愛着を持っておる者の一人でございます。しかし、愛着を持っておるがゆえに、高等学校になったらこれはやはり分立をして、それぞれ独立をしていく立場に向かうべきではないだろうか、こう思っておるのでございます。  高等学校社会科発展的分立と私は申し上げましたけれども、地理歴史科公民科独立をした教科をつくる、こういうことに対してのよりどころを何点か申し上げてみたいと思うのでございます。  一つは、教育課程発展的系列でございます。幼稚園では領域がございます。そこでいろいろ人間関係とか環境の問題を扱います。それから、小学校になりまして生活科が低学年で出てまいります。そこでは従来言われております社会科的なものと理科的なものとを一緒にした総合的な学習をする。これは経験主義あるいは生活主義によりどころを持った、そういう教科でございます。三年生になりますと、それが社会科と理科に分かれていくわけでございます。それから、中学校になりますと、社会科という枠の中でそれぞれの歴史的分野とか地理的分野、さらには公民的分野という分野に基づいてそれぞれがある種の系統を持って授業を進めょう、こういう立場をとるわけでございます。それが高等学校になるに至ってやはり地理歴史科公民科に分かれて、そうしてそれぞれが教科としての一つの主体性を持って、そうして学習をさせる、こういうことに発展をしていくわけでございます。  もちろん生活科社会科、基本的には総合的な学習でございます。さらには経験主義生活主義からだんだん系統主義へと発展をしていく、そういう流れにあるわけでございますが、それを高等学校になったらやはり社会科学的よりどころと同時に、人文科学的よりどころ、ころいうものをあわせて支えていく、こういう立場から二つ分立をしていくわけでございます。  そういう発展的分立を支持する理由として、一つ系統性の問題でございます。児童生徒はだんだん発達をしてまいります。その発達に即していわゆる教育課程もだんだん深化していかなければならないだろう、こういう立場で、言うならば教育的要請でございます。  二番目は、専門性深化でございます。これは、学問的な専門性を持ちながら、だんだん児童生徒発達に即して、そうして研究あるいは教育が深められていく。これは学問的要請でございます。  三番目は、現時点におきます時代的な要請一つは特に国際性を持った国民養成するという立場でございます。そのために特に世界史的な、全世界歴史的発展をいかにしておるか、こういう立場をきわめることによって国際性深化ができるのではないか。  もう一つは市民的、国民的な立場からの要請でございます。市民であることを通して日本国民であること、これを明確にすることによって世界の人類の平和を培っていくんだ。先ほどのものが国際性からの要請であるとするならば、今度は市民的、国民的要請として時代的要請立場がとれるのではないかと思うのでございます。  その次は高等学校の性格でございます。高等学校完成教育を一方でやります。そこで先ほどの完成という立場から二つ時代的要請にこたえる、こういう問題。それからもう一つは、ある意味高等学校から大学へといういわゆる通過のための過程の任務を担っておるわけでございます。これが大学教育へのつながりを持っておる。初めの完成教育中学校学習との継続関係を持っておる。それから後の大学へのつながりといたしましては教育研究との継続、こういう立場がとれるのではないだろうか。そのためには学問的発展ということを考えておかなければならない。そういうところから地理歴史系科目として世界史日本史地理、その中の世界史一つ必修にしていこう、こういう立場が出てまいりますし、公民系統の方で現代社会、倫理、政治経済、そういう中から一科目四単位の必修が出てくる、こういう立場になるのではないかと思います。  もう一つの私の立場からは、教員養成という立場から考えまして、やはり特に総合学習から学問的探求へ、あるいはその深さの追求へ、そういう流れの中で、特に教員といたしましては専門的な学問的教養を身につけておく、そういう教員養成が必要になってくるのではないだろうかと思います。そのためには高等学校から学問的、人文科学的なあるいは社会科学的なよりどころを持つ教科学習、これがなされておることによって将来の社会科教員、すなわち地理歴史教科担当公民科担当をそれぞれ分立をさせまして専門性を深めていく、こういう立場が必要になってくるのではないだろうか、こう思っておるのでございます。  以上のようなよりどころから、免許状として二つ教科免許状を取得できますように御推進をいただけば幸いだと思います。特に私の大学におきまして、教員養成上から考えまして、それぞれ今度の免許状改定に伴います、そういうものに対する大学の構えは一応できておるのでございます。それぞれの専門家教員を抱えておりますし、そういうことから免許状改正になりまして、そうして教養審教育職員養成審議会の方でプロセスを認められ、あるいはどういうふうにやるかということが指示されるならば、直ちにそれに対応して、そして来年度から入学をする学生に対する対応もできる、こういうのが一般教育系大学にも当てはまるのではないだろうか、こう思っておるわけでございます。  以上のようなことから考えまして、私の職歴から、さらには研究歴から、さらには現在置かれております教員養成に従事しております立場から、冒頭で申し上げましたように地理歴史科教科、さらには公民科教科分立が成立いたしますことを祈念をいたしまして、私の与えられました時間が参りましたので、一応終わらせていただきます。
  4. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 ありがとうございました。  次に、上田参考人にお願いいたします。
  5. 上田薫

    上田参考人 私は、高等学校社会科地理歴史及び公民分化いたしますこの法案については、反対の立場で申し上げたいと思います。  私、昭和二十一年に文部省に入りましてちょうど五年、この社会科というのができました当時、それに携わりました。それ以後ずっと大学での生活でございますが、社会科教育というのが私の専門分野一つということになっております。そういうことをお含みいただきましてお聞きいただきたいと思います。  率直に申しまして、今回のこの分化というものは、あるいは社会科解体というふうに一般には言われておりますけれども、このことはいろいろな意味において適当でない、また時宜に適さないということを申し上げたいと思います。  五点ぐらいに絞って申し上げたいと思いますが、まず第一点として大事なことは、この改訂一般高等学校教師あるいは教育界の広い意見の聴取が行われなくてやられているということであります。高等学校先生たちは唖然としたというような経過でございます。  これは、そのことの是非は第二といたしましても、私は、非常に望ましくない。これは、このことだけではなくて今度の教育課程改訂について言えることでありまして、私が知る限り、これほど一般意見を聞かないで行われた改訂はいまだかつてないというふうに私は考えております。このことが現在実は、御承知のように、中学校高等学校、小あるいは大もそうでありますけれども、殊に中高というあたりで学校が荒れているという事実がございます。それは何とかしなければいけないことであって、みんなが考えていることでございますけれども、今回のこういう改訂はますます高等学校教員の意欲を失わせると申しましょうか、真剣な取り組みを阻害する面を持っている、それは私は非常に重大なことだと思います。どうしてそういうことをお考えにならないか。まず今の学校教育がしっかり立ち直るということが前提であって、それなくしてはいよいよ混乱が増すということではないかと思います。そういうことから申しまして、非常に残念であります。  特にまた、その審議過程においても、今言ったような一般意見の反映がないだけではなくて、どうも不明瞭なところが多かったように思います。そういうことを含めて、今こういう大事な時期に行われる教育改革としては用意が甚だ不十分であったということは否めないと思います。そのことが単なるテクニックの問題ではなくして、やはり今後の日本教育に対して具体的に大きな影響を与える。余り強調いたすのはどうかと思いますけれども、日本学校の今の状況は非常に心配であります。そのことを何よりもまず第一に考えていただきたい。そういう点で遺憾であったということであります。  しかし、もちろん現在の高等学校社会科状況がもうベストであるというようなことはございません。いろいろ問題をはらんでおります。それを改善する必要は私も否定はいたしません。しかし、それには現在の社会科のままでいろいろやることがある、やれることがある、どうしてそういうふうにすることができないのか、どうして急いでこういうところに無理に持っていかなければいけないかということが理解できないのであります。  現代社会というのがございまして、これは今度必修が外れたのでございますが、これは確かに教えにくい面があります。しかしながら、そういう教育こそ高等学校先生が本当に取り組んでくれば非常に頻りになる子供が生まれてくる、大学ももっといい教育ができると私は思います。ところが、専門に入っていくということは何か高度になるようでございますけれども、実は教師からすればある意味では教えやすいのです。いわば生徒の持っている本当の必要というものを一応度外視して、系統的にと申しましょうか、与えるべきものをどんどん与えてしまうということができやすいですね。そういうやすぎを選んだということです。これも非常に大きな問題であると私は考えます。それが第二点でございます。  第三点は、系統とか系統学習とか経験学習、これはちょっと教育のテクニカルタームでございまして、その説明は今は省きますけれども、社会科という枠の中で地理歴史公民と申しましょうか社会経済等のことが学ばれるということは、これは人間が民主的な社会において生きるための新しい系統を生み出すということでありまして、これが最初社会科の考え方でございました。ですから、単に歴史事柄は覚えればいいということじゃない。残念ながら今の入試においてはそれでも通用するというところが悲しいのですけれども、とにかくたくさん知る、たくさん覚える、そういうことは学問でもなければ教育でもない。やはり現実に即して物を考えることができる、世界史にしても日本史にしても、そこに出てくる事柄を自分に引きつけて生かすことができるということがなければ歴史教育意味はないですね。  そういうことをやろうとしたのが社会科でございまして、今まで四十年も続いてきたのですけれども、そんなに簡単にはかばかしくはまいりません。しかし、徐々に効果を上げてきて、私はこれで日本人が今後民主的社会を担う者として世界に立っていく可能性がだんだんふえてきたと思っておりました。ところが、それを逆に戻すという形でございまして、これは人間知識を持つというときのあり方を非常に古いというかおくれた方へ持っていくのであって、学問性とか系統性とかいろいろありますけれども、それはその人間から離れてしまっている。アクセサリーのようなものを幾ら担いでもどうにもならないわけであります。  そういう意味で、今度の分化が結果としても恐らく今の受験体制をますます強めることになろうかと思います。これはゆゆしき問題ではないか。そして物知り的知識が世の中にいよいよ蔓延していくということになれば、今若い人たちは一人前の思考力をなかなか持ってくれない。大学生も、その点、私としては甚だ申しわけない状態にあると言うほかないのですけれども、そういうことに拍車をかけるということでございます。何とかそれを食いとめなければいけない。  社会科というものは、先ほども申しましたように、ただ今まであったいろいろな教科一緒に合わせるとかそういう問題だけではございませんので、学問に対する人間のかかわり方、もっと言いかえれば、人間学問観を変革する、変えるというのがその本来の趣旨でございます。今まで、とにかくたくさん難しそうなことを知っていれば尊敬されるというふうな行き方じゃなくて、余り難しいことはよくわからないようでいても、しっかり考えることができ、またその難しいことにみずから迫っていけるような人間をつくる、学問というものはそういうものであって、膨大な知識ではないのでございます。そういうことを教育の中で徹底するということでございました。  私は、三十年、四十年たてばこれができると思ったのですけれども、やはり百年ぐらいかかるのかもしれません。しかし、それを続けていかなければ日本の国は非常に恐ろしい状態になるのじゃないかというのが私の見方でございます。それが、社会科が本来どういうものかという問題で、第三点でございます。  それから第四点目といたしましては、国際化ということが言われまして、音は西洋史と申しましたが、今は世界史、今度の世界史必修というのは、実際、入試でも日本史の方が圧倒的でございまして、世界史をとる数が非常に少ないのです。私、前に立教大学におりましたが、そこでは社会入試で、日本史はみんなやっているからということがあったのですが、世界史必修にいたしました。ところが、受験者が激減するというようなことがございまして、大分持ちこたえておりましたけれども、ついに変更いたしました。とにかく世界史というのは受験では非常に難しいというかそういう感じがあるようでございます。そういうことも非常に大きいのでございまして、世界史をもっと子供たち生徒学習するためにはそういうところも考えなければ本当はうまくいかないです。ただ必修にすればいいということではないと私は思います。  そういうことで、世界史をたくさん教えればいいという簡単な問題じゃないのですが、同時に今出ております国際化国際性を高めるために世界史をというのは非常にわかりいい理屈でございますね。諸外国といろいろ交際していく、つながっていくわけですから、その国の歴史をよく知っているということは結構なことなんです。でも、本当に国際性を高める、国際化するということはそういうことなのか。  会話がよくできる、その国について物知りである、もちろんこれはおつき合いには大変よろしいのでございますけれども、本当に日本人がこの国際社会の中で堂々と生きていく、また世界に貢献するということのためには、世界に現在存在するいろいろな難しい問題に対しても我々が責任を持ってかかわっていく、そういうことが真の国際化であって、残念ながら今の若者たち若者だけを言うことはできませんけれども、そういう点での気迫は非常に少ないです。これは世界史必修にしないから、系統的に教えられていないからということなのか。むしろ社会科がねらった現実に対するアプローチが非常に弱いということではないのか。学校でもそれを重視していないということではないのか。入試に傾斜しているということではないのかということでございます。  そういう意味で、御承知のようにベルリンの壁は破れる、世界は動いている。しかし、高校生も大学生もさしたる反応というのか意識を余り持たないようです。だら、世界史をもっと教えれば事が済むのか。そうじゃないんじゃないでしょうか。世界史はもちろん必要です。私も非常に大事だと思いますが、そういうものを今の生きた現実につないで自分の問題として考えるということが足りないのです。それは社会科がねらっていることなんです。社会科分化させましたためにそういう視点がなくなって、物知り歴史になってしまったらこれはえらいことだと思います。  私はあえて申しますと、今度のこういう改訂あるいはそれを指示なさった方々の視野は狭いのではないか。ある局所だけを考えて物を見ていらっしゃるのではないか。今、日本というものは、世界というものはそういう状態にないです。しかも、教育は二十一世紀、非常に困難を伴う二十一世紀に活動する人間をつくるのですから、今いろいろ古いところを系統的に覚えさせておけば何とかなる、そういう生易しいことではない。そういう見方こそ私は非常に危険だと思います。  最後に第五点として、要するにこれからの世界に対して正面から迎え得る日本人を、子供たちをつくるためには、単なる歴史とか地理とか公民とかいうふうな、いわばだんだん難しいことを覚えましょうということではなくて、人間が正面からその難しい現実にぶつかってそれを打開していく、そういう視点を育てなければならない。それが社会科の目標でございますので、そういう意味からすると非常に心配な状態が起こりつつあると言わざるを得ない。まして高校教師が本当にそれに向かって自分をぶつけていくということがないとするとこれは非常に心配だ、ますます心配だということでございます。
  6. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 ありがとうございました。  次に、高橋参考人にお願いいたします。
  7. 高橋史朗

    高橋参考人 高橋でございます。  私は、このたびの教育職員免許法の一部改正案に賛成の立場から意見を述べさせていただきます。  この問題につきましては、占領下の社会科の誕生の経緯にさかのぼって考えてみる必要があると思います。私は、占領下の教育改革歴史専門的に研究いたしておりますが、戦後の社会科の導入の伏線になりましたのが、昭和二十年十二月三十一日にGHQが懲罰的見せしめのために出しました修身・日本歴史及び地理授業停止に関する指令であります。お手元に今お配りするのだと思いますけれども、そのコピーの中に書いてございますが、アメリカのバージニア州のコース・オブ・スタディーを台本として昭和二十二年五月に学習指導要領社会科編I(試案)、これは小学校のものでありますが、その翌月の六月にミズーリ州などのコース・オブ・スタディーを台本といたしまして、中学、高校の学習指導要領社会科編II(試案)というのが発行されました。この学習指導要領が我が国で最初学習指導要領でございます。その学習指導要領社会科編Iと一九四三年版のバージニア州のプランの一部を対照させましたものをコピーでお配りいたしておりますが、この両者を対照いたしますとほとんど一致していることがおわかりになると思います。九〇%はその翻訳したものであります。  また、今お手元にお配りしました「現代のエスプリ」の六ページをお開きいただきたいと思いますが、この本は私が編集いたしまして昨年六月に出したものでございますが、六ページの冒頭に、昭和二十二年三月に発行されました学習指導要領一般編(試案)の社会科に関する部分を記載しておりますので、ごらんいただきたいと思います。一行目から読ませていただきます。六ページであります。  「社会科は、従来の修身・公民地理歴史を、ただ一括して社会科という名をつけたというのではない。社会科は、今日のわが国民生活から見て、社会生活についての良識と性格とを養うことが極めて必要であるので、そういうことを目的として、新たに設けられた」と書かれております。ここに、社会科を新設した目的が明示されております。  また、学習指導要領社会科編I(試案)には次のように書かれております。先ほど読み上げました箇所から三行後のかぎ括弧から再び読ませていただきます。「社会科はいわゆる学問系統によらず、青少年の現実生活の問題を中心として、青少年の社会的経験を広め、また深めようとするものである。したがって、それは従来の教科の寄せ集めや総合ではない。……歴史の事実はそれ自身として重要なのではない。それは、今日の世界におけるその意義という点において重要なのである。……歴史教科の最も重要な目標の一つは、現在の生活を史的発展の結果として見る能力、及びその知識を結局現在の問題について用いることのできる能力を生徒発展させることである。」と書かれております。  私は、社会科が戦後の日本の民主化に貢献し、一定の啓蒙的役割を果たした点は積極的に評価いたしますが、そもそも戦後の出発点において、こういう歴史を軽視するアメリカのプラグマティズムに基づいて小学校から高校までの歴史地理社会科の枠の中に入れたこと自体に原理的な問題があったのではないかと考えております。  この最初学習指導要領(試案)によれば、「歴史の事実はそれ自身として重要なのではな」く、現在の生活に役立たせるための素材、手段として歴史教育の必要性をとらえているにすぎず、歴史に正当な位置を与えているとは言えません。  本来、歴史は知的領域の中から追憶を喚起し、時代の特色と意義とを認識することによって初めて成り立つものであります。それゆえに、歴史はそれ自身として重要なのでありまして、歴史教育はかかる時代史理解のための教育でなければならず、現在の生活に役立てるための単なる手段であってはならないのであります。  社会科という枠の中に置かれた歴史教育は、単に現代理解のための学習上の手段として扱われているにすぎませんが、歴史教育はそれ自身が目的を持ち、それ自身の構造を持つのが本来のあり方であります。  歴史社会科の枠の中に入れると、社会科学の側面が殊さら強調され、人文科学としての歴史の側面が軽視されることになり、さまざまな弊害が生まれます。現に我が国に社会科を輸出したアメリカでも、歴史地理教育が廃れ始め、歴史音痴や地理音痴の大学生が続出し出したのは、社会科というごった煮のような教科が流行したからであるとの反省が行われているとニューズウイークは報じております。  このように、社会科の出発点となった学習指導要領そのものに根本的な問題があったために、既に昭和二十七年の岡野文相時代社会科の改善などが教育課程審議会に諮問され、翌二十八年には「社会科の改善、特に道徳教育地理歴史教育について」の答申が出されております。このときの審議会の諮問理由説明には、地理歴史社会科から外して、独立した教科にした方がよいとの主張があったと述べており、既にこの時期から地歴独立論が表面化していた事実を物語っております。  また、歴史学者の間でも、地歴独立論が早くから主張され、元東大教授の坂本太郎博士は、昭和四十一年に発表された論文の中で、これは「現代のエスプリ」の百三十一ページの下の段をごらんいただきたいと思いますが、この中で坂本博士は、「社会科歴史は唯物的な偏向をおかした」と批判しておられます。坂本博士はこのような主張を当時の中央教育審議会においても開陳されたようでありますが、多数意見となるには至りませんでした。  その後、昭和五十八年十一月十五日の中教審の教育内容等小委員会審議経過報告、さらに、私自身も第一部会の専門委員としてかかわらせていただきました臨教審の第二次答申から最終答申に至る長い論議を踏まえて教育課程審議会の結論が出されたのでありまして、そういう意味からいえば、今回の地歴独立決定は決してマスコミが言うように拙速でも唐突でもないのであります。  このように、地歴独立をめぐる論議は四十年前から続いているのでありまして、戦後四十年というパースペクティブの中で今回の教育課程審議会の論議と結論を明確に位置づける必要があると思います。今回の地歴独立に至る過程を唐突だと批判する人々には、占領下における社会科の特殊な成立事情と、それによって必然的にもたらされた弊害についての基本的な認識が欠落しているように思われます。  在米占領文書の研究によって既に明らかにされているように、社会科の我が国への導入は、GHQの民間情報教育教育科の指示によるものであり、当時の日高第四郎学校教育局長は、社会科導入に強く反対し、歴史独立させるべきであると力説いたしました。また、教科課程改正委員会の野村武衛委員長もこの点を強く主張し、小学校中学校段階において日本史は分離すべきことを力説し、歴史編集者もこの意見を支持しました。  この日本側の根強い反対に対して、GHQの教育課は、歴史地理などを別々に教える伝統的方法よりも社会科として教える統合的方法の立場がすぐれていると主張し、最終的な妥協の産物として、日本史小学校五、六年の統合的社会科に含めるが、中学校二、三年においては独立教科目とし、高校の社会科は一科目を選択させることにしたのであります。  さらに私が申し上げたいのは、今回の地歴独立は、マスコミが強調しているように社会科の解体を目指すものではないという点であります。社会科がなくなるから社会科の否定だというのは余りにも幼稚な見方であります。そのことは、新たに改訂された新高等学校学習指導要領の地理歴史料の「目標」を見れば明らかであります。すなわち次のように書かれております。「我が国及び世界の形成の歴史過程生活・文化の地域的特色についての理解と認識を深め、国際社会に主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」ちなみに旧高等学校学習指導要領の社会科の「目標」は「広い視野に立って、社会人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」となっておりまして、民主的、平和的な国家・社会を担う資質を養うという高校社会科の根本目標は地理歴史科に確実に受け継がれているのであります。  社会科の「目標」にあった「公民的資質」という言葉がなくなったのは、国際化の進展に対応して国際的資質を養うことが新しい時代的要請になったためであり、地理歴史科は従来の社会科のプラス面を正当に評価し継承しつつマイナス面を補おうとしているのでありまして、決して社会科の解体を目指すものではありません。  社会科にも功罪両面があり、これを見直したり改革すること自体を危険視したりタブー視することはかえって危険であります。一部の知識人やマスコミは、地歴科の独立イコール戦前の亡霊、皇国史観の復活、憲法への挑戦、民主主義教育の危機などというおどろおどろしい批判をしておられますが、私たちはもうそろそろそのような単純な二分法論理に立った愚かなパターン思考から卒業してもよいのではないでしょうか。  今、私たちに求められているのは、社会科を全面的に肯定するか否定するかの二者択一的な選択ではなく、社会科のプラス面を生かしながら、不足していた歴史地理教育専門性系統性をいかに補い、両者をいかに調和、共存させていくかということではないでしょうか。今回の地理歴史科独立はその第一歩と言えます。  私は、この二月に、ゼミの学生を連れて韓国に卒業旅行に行ってまいりました。そのとき、韓国の大学生から、日本は経済大国ですけれども文化怠国だ、「たい」は怠けるの「怠」でありますが、そういうふうに言われまして返す言葉がありませんでした。また、三年間アメリカに留学をしておりましたが、そのときに、日本歴史や文化を余りにも知らない日本人留学生をアメリカ人学生が、在日日本人と嘲笑する光景を見かけました。また、マレーシアからの留学生と交流した際、自分は日本大学生とはお酒を飲まないことにしている、なぜならば、自分はマレーシアのことをしゃべりたいのだけれども、だれも関心を持たない、自分は日本人の学生から日本のことを知りたいけれども、日本のことを話そうとしないと言うのであります。  二十一世紀には、日本は十万人の留学生を受け入れる計画であります。しかし、自国の歴史も外国の歴史も十分に知らない現状のままでは、日本にやってくる留学生は対日不信を募らせるばかりでありましょう。臨教審第二次答申は、国際社会の中に生きるよき日本人教育、「そのためには、まず日本人日本自体のことを知り、その上で世界にはいかに異なる生活、習慣、価値観が存在しているかを具体的に学ぶことが必要である。」と指摘した上で、二十一世紀の教育の目標の一つに「世界の中の日本人」を掲げ、「多様な異なる文化の優れた個性をも深く理解」しつつ、「国際社会において日本歴史、伝統、文化、社会等について説得力ある自己主張のできる広く深い日本認識」を持ち、地球的視野に立った日本人を育てることの大切さを強調しました。  かつて、アメリカの雑誌「タイム」が、「世界の人々から賞讃されるが愛されない日本人」あるいは「世界の人々は日本人一つのレンズで眺め、日本人は別のレンズで自分を眺めている」と評しました。日本人は一生懸命働くけれども、自分の経済的利益のことしか考えていないので愛されないというわけであります。これからは、このエコノミックアニマルとしての日本人の限界を乗り越え、世界のために日本がいかに貢献するかが大切な課題と言えます。そのためにも、未来の日本世界を担う若者たち日本史世界史をしっかり学ばせる必要があると思います。  もう一点申し上げたいことがあります。それは従来の社会科歴史地理歴史科の中の歴史とは一体どこが違うのか、現場教師にはよくわからないのではないかという点であります。地理歴史科の目標と具体的内容についての議論をもっと深め、地理歴史科の中身、質をいかにつくり上げていくかを煮詰める必要があります。さもなければ仏つくって魂入れずになりかねません。  最後に、私は、現在大学社会科教員養成に携わる者といたしまして、従来の高校の社会地理歴史及び公民免許状に改めることは、より専門的に研究した教員によって地歴並びに公民教育を充実させるために必要不可欠な措置であると考えますので、この改正案に賛同いたしますことを申し添えまして、私の意見陳述を終わらせていただきます。
  8. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 ありがとうございました。  次に、土屋参考人にお願いいたします。
  9. 土屋基規

    土屋参考人 土屋でございます。  私は、教育制度・行政を主な研究領域としておりますが、教師養成・免許制度についてずっと関心を持ち続けてまいりまして、一九七八年、昭和五十三年に成文堂という出版社から教育職員免許法のコンメンタールを出したことがあります。また現在、全国教員養成問題連絡会の世話人の一人として教師養成の諸問題に取り組んでおります。  きょうは教師養成・免許制度をどう考えたらよいかという観点を中心にいたしまして、教育職員免許法の一部を改正する法律案について私の意見を申し述べさせていただきますが、次に述べます三つの理由から、この法律案に反対の態度表明をせざるを得ません。  第一に、学習指導要領に示された中学校または高等学校教科教育職員免許法に定める免許教科関係はほぼ同様ではありますが、必ずしも一致しておりません。資料として「高等学校教科名と免許教科の変遷一覧」を作成いたしましたので、ごらんいただけたら幸いです。高等学校学習指導要領の改訂によって社会科地理歴史公民に再編したことを免許教科改正に自動的に連動させることについては検討を必要とすると考えます。  この点について、教育職員免許法が施行されたとき文部省がどのような考え方をしていたのかを承知しておきますことは、今日なお必要なことだと思います。文部省の初代教職員課長であった玖村敏雄氏が一九四九年、昭和二十四年に学芸図書という出版社から「教育職員免許法、同法施行法解説」という本を出しております。そこで述べられていることを参考にすることができると思います。  すなわち、学習指導要領に示す中学校または高等学校教科教育職員免許法に定める免許教科が必ずしも一致しないのはなぜかという点につきまして、「免許状教科は、教員の資格の区別という立場から、学校における教科の分け方とは別個の見地から考慮さるべき問題であるからである」と説明しております。そしてその具体例として保健、職業指導、職業実習、農業実習、工業実習、商業実習、水産実習、そして書道を挙げています。  このうち、例えば保健について見ますと、次のように述べております。  保健体育の免許状を有する者は、同時に保健の免許を有するものとされるのであるが、この他に保健のみの免許状が認められるわけである。それは、保健教育は、体育料担当教員のみでなく、これと特に密接な関連のある社会、理科、家庭等の各教科の担任教員が併せて保健教育を行うことが望ましいのであるが、このことが適確に行われるようにするためには、保健のみの教科免許状を設けることが適当とされたのである。 というわけです。  そしてさらに、社会、理科、家庭などの教科についても説明しておりまして、これらを細分化しないで包括的な教科とした理由として挙げていることは、次のようなことであります。  これらの教科は、更に細分することが可能であり、且つ便利なこともあるのであるが、新教育における綜合的教育課程の方針よりすれば、これらの教科については、一人の教員が教授を担当することが適当であるとされたからである。 こう述べております。  高等学校学習指導要領の改訂によって社会科地理歴史公民に再編されたわけですから、それを免許教科に連動させようとするのは当然のことのように考えられがちなのでありますけれども、以上のような教育職員免許法が制定されましたときの趣旨を尊重する見地に立って今回の法改正を考えてみますと、戦後四十年余の実績を持つ総合的な教科としての社会科の性格を大きく変えるものでありますし、また免許法に定める社会、理科などのように広い領域を持つ包括的な教科についての教員資格の定め方を変えることにつながると考えられます。  第二に、今回の法改正の前提である高等学校社会科地理歴史公民への再編そのものが教育関係諸団体を初めとして十分な国民的合意を得て行われたものとは考えられないからです。  教育課程審議会の審議の経過を見てみますと、なるほど地理歴史公民への再編という考え方が出ておりました。一九八六年七月二十一日の中間まとめで示された方向では、小中高等学校を通じて学習内容の精選を図るということと、「身近な社会生活についての具体的な活動や体験を通した総合的な学習から、次第に歴史地理公民へと分化して、系統的な学習ができるように内容を構成し、各学校段階の特色を明確にする。」ということが示されておりました。  問題はその後にあるわけです。教育課程審議会の教科委員会審議されることになったわけですけれども、社会についての教科委員会での審議の結果をまとめた改善方針を見てみますと、高等学校歴史については、社会科の枠から外して独立教科にすべきであるという意見と、社会科社会諸科学の成果に基づく総合的な教科だから独立教科にすべきではないという意見が両論併記されておりました。  決着は教育課程審議会高校分科会に持ち越されたわけですが、そこでは、先ほど来お話がありましたような世界史必修という主張が強く打ち出されたなど、かなり激論が交わされたと伝えられておりますが、結論が出されました直後に社会科の再編に反対した委員が、たった二回の審議で決めてしまったのは禍根を残すというふうに述べておりましたし、また答申に至る過程社会科学習指導要領作成協力者会議の主査を務めた委員と全国社会科教育学会の会長を務める委員辞任するというかつてない事態が生じました。  こうした事態の進行に各方面からの関心が高まりまして、新聞報道もこの高等学校社会科の再編に対して、例えば沖縄タイムス、一九八七年十一月二十六日は「唐突な社会科”解体“」、また東京新聞の同年十一月二十八日は「強引すぎた”総決算“」などというふうに問題にいたしました。この審議の経過と結論に対して関係諸学会や教育現場から強い批判が相次ぐ中で社会科の再編が進められたという事実を見逃すことはできません。  高等学校社会科の再編問題は、小学校低学年での社会、理科の廃止、そしてこれにかわる生活科の新設、小学校上級学年での歴史学習の人物主義への傾斜など、全体として社会科を解体する方向に沿った具体的な措置であると考えられますし、戦後教育の総決算を象徴する一つ事柄だと言ってもいいと思います。戦後四十年余の実績を持ち、完全に定着している社会科をどう評価するのか、今後どのように創造的に発展させるべきなのか、こういう問題について教育関係者はもとより国民的な教育論議を尽くすべきであって、学習指導要領の改訂があったから直ちに免許教科改訂に連動させるべきだというふうには考えない方がいいと思うわけです。  第三に、免許教科地理歴史公民にかわりますと、事は大学にも当然波及するわけであります。大学での教師養成教育がこれに対応するのには現状では困難な問題がありますし、今回の法改正が行われたとしても、そのことによって必ずしも教師の資質の向上に結びつくとは考えられないからであります。  高等学校社会科地理歴史公民に再編されますと、その教科教育法はどうなるのかという疑問と不安が大学側にあります。これまで中学校及び高等学校社会科免許状を取得するのには、教職専門科目としての社会科教育法が必修であり、今後も教科教育法は必修なわけですけれども、これまでは中等教育のそれとして社会科教育法という名称で同一でありましたけれども、今回の再編に当たって、この高等学校地理歴史公民教科教育法がどうなるのかということまで含めて十分に検討して結論を出したのかどうか、疑問が残るということであります。  高等学校社会科につきましては、教員養成系の大学以外のいわゆる一般大学免許状の授与が多いと思いますけれども、これまでに社会科教育法を含む教職専門科目については問題が指摘されておりまして、マスプロ授業が多いとか非常勤講師に依存する比重が高いとかということが課題となっておりました。例えば国立大学協会教員養成特別委員会が一九八〇年に、「大学における教員養成」という調査報告を出しておりますけれども、ここでも社会科教育法の非常勤講師への依存率は大変高いわけであります。教育学部を持つ大学では一三・四%ですけれども、教育学部を持たないいわゆる一般大学では五〇%、教育関係の博士課程の大学院を持ついわゆる旧帝国大学系では六三・一%にもなっております。こうした現状を克服することが大学側の重要な課題であるわけですけれども、今回の法改正によってこれを解決する条件が整うというふうには考えられませんし、地理歴史公民になりまして、その教科教育法がどうなるのか必ずしも明らかではありません。  先般行われました免許法改定に伴う再課程認定に当たっても、この点では社会科教育法ということで高等学校課程の再認定は申請されているはずであります。  この地理歴史公民教科教育法がどうなるにせよ、その結果、資格要件を充足するだけの形式的な履修に陥ってしまうような事態が生じますと、到底そのことは教職の専門性の向上を図るということにはつながらないように思います。教員養成系の大学・学部には社会科教育担当の専任教員が配置されてはおるのですけれども、この方方は小学校中学校社会科教育法を担当いたしますので、これに加えて新たに地理歴史教育法、公民教育法というような教科教育法ができるのかどうかわかりませんが、これに対応するような教科教育法を設けるということになりますと、残念ながら現状では、これを担当する人的条件も学問的基礎も整っていないと言わざるを得ないと思います。  以上の三点の理由から、私は、今回の法改正には賛成しがたいという意見を持つものであります。  以上で終わります。
  10. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの御意見の開陳は終わりました。     ─────────────
  11. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鴻池祥肇君。
  12. 鴻池祥肇

    ○鴻池委員 土屋先生、私は神戸大学教育学部の附属住吉小学校中学校の出身でございます。六甲山のふもとの赤塚山で少年時代を送った懐かしさを持ってまず御質問を申し上げるわけでございます。  反対をされる論旨につきましては上田先生の方からも承りました。ただ私は、この免許法の改正というのは、今回は地理歴史科及び公民科担当教員の資質が高まっていく、その意味でも極めて重要な改正ではないかというふうに自分では思っているわけでございますが、先生はどうしても現在の社会科の再編成に反対して、この枠を残していかなければならない、このような御主張でございます。  四十年の歴史云々のお話もございましたけれども、もう一度、なぜこの枠が必要なのか、ひとつ明快に簡単にお教えをちょうだいしたいと思います。
  13. 土屋基規

    土屋参考人 私は必ずしも社会科教育法の専門研究者ではございませんので、的確にお答えできるかどうかわかりませんけれども、ただいまの御質問につきましては、社会科が創設されましたときの総合的な教科としての性格というものを大切にしたいというふうに思っている筋がございます。  一つの資料をお示しいたしますが、新教育の花形として創設された社会科が戦後初期にどんなふうに受けとめられていたかという一つのあかしでございますけれども、一九四九年に平凡社という出版社から「新教育事典」というのが出ました。ここに社会科教育ということについての解説がございまして、この担当は勝田守一東大教授でありますが、勝田先生社会科が始まる前から、一九四五年十月にできました公民教育刷新委員会のメンバーとして戦後文部省の中で社会科創設に力を尽くしたお一人でございますけれども、その先生が解説されているところにこの社会科というものの教科の性格が幾つか述べられていることを参考にしたいと思っているわけであります。  この社会科社会研究する教科でございますけれども、それは客観的、実証的な社会科学発展に伴って社会諸科学を媒介とする市民形成の教育として初めて真の意味を持つという趣旨のことが述べられております。そしてまた、社会科学という観点につきまして、これは社会現象について実証的、科学的研究というものがすべて社会科学の領域に含まれるわけであって、その点でいえば、その領域は経済学、政治学、社会学、歴史学、地理学、人類学、民俗学、社会心理学等種々の分野にわたっているということを問題にしております。この点で申しますと、歴史学や地理学という社会諸科学の領域が含まれているわけでありますが、このような出発をいたしました社会科が単に社会諸科学の学問系統性というものに立脚しながらそれのみに終わらないで、学校における教科として体系的に社会的な認識を育てると同時に、それが現代社会のよき市民を育成するという目標があって、そのことがこの社会科の出発に大変重要な意味を持っているということを説いてございます。  そして、この論文の最後を見てみますと、この中には、今問題になっておりますように、教育課程を編成する上で融合的な課程とするか分離的な課程とするかということが当時から論争になっていたということを説いております。そして、特に歴史を分離課程とするという主張については、教育課程を融合する形で編成をすることによって人間生活発展の総合的な理解、時代的意識の発展が望めないという批判が見える、こういうふうなことも説いております。これに反して、融合課程の主張については、歴史の分離課程というものはややもすれば児童生徒の経験と無関係な教授が行われがちであるということ及び歴史自身が既に経済、政治、文化の諸領域を融合している以上は児童生徒の経験と興味とを考慮すれば、融合課程を要求するという意見があらわれている。  このように論争的な問題になっておりまして、出発のときに総合的な教科としての性格を持っている、それをさらに現状に合わせて創造的に発展させていくという内容の発展ということで考えればいいのではないかというふうに考えますものですから、あえてそれを分化するということは要らないのではないかというふうに思っているわけでございます。
  14. 鴻池祥肇

    ○鴻池委員 私は、歴史というのは社会科学的思考というよりも人文科学的思考になじむものである、このように思います。学問的な詳しいことはわかりませんが、歴史学というのは、社会科学ではなくて人文科学に分類されているものではなかろうかとも思いますので、あえて申し上げたいと思います。  そして、現在テレビや出版界では歴史物に随分人気がございますけれども、子供たちは余り興味を示していない。それは、今の歴史教育の中で社会科学的は教え方に偏り過ぎているのではないか、人間的な歴史、こういったもののとらえ方というものが軽視されているのではないか、私はこのように思います。そういう意味でも地歴料の独立は必要ではないかと思うのでございますけれども、上田先生、時間が余りございませんので、大変恐縮でございますが、簡潔にお答えをちょうだいしたいと思います。
  15. 上田薫

    上田参考人 社会科では人文科学的な認識、思考が育たないというふうにおっしゃられているわけなんでありますが、そういう意見、ございます。しかし、社会科というのは、名前は社会科なんですけれども、社会科学的認識だけに閉鎖しているものではございませんので、むしろ問題は、社会科学的な物の考え方と人文科学的な物の見方というものがインテグレートする、融合するということが大事なんであります。それを分離して、こちらでは社会科学、こちらでは人文科学というふうにやってきたから人間を統一させなかったということなんです。そこのところでどうも、社会科学、ある意味でイデオロギー的に偏っている人たちがうんと戦後そういう方向に引っ張ったということはございます。しかし、それは本来の社会科が目指したことではないし、先ほどありましたけれども、最初学習指導要領等をごらんになればわかることなんです。ですから、それは融合統一されるべきものを分けるということにおいてまずいということでございますので、人文科学的認識が要らないとか重要でないということでは全くございません。社会科でそういうことはできるということでございます。
  16. 鴻池祥肇

    ○鴻池委員 あと四、五分になりましたので、高橋先生にお教えをいただきたいと思います。  先ほど明快な論旨でもって大いに共感を覚えたわけでございますけれども、お触れになりましたように、今回の再編成の問題につきましては、民主教育の否定であるとか憲法への挑戦であるとかという極めて厳しい表現、意見があるようでございます。そういったことは私どもにとっては非常に不可解でございますが、具体的にそういったことに当たるのかどうか、こういうところをひとつお教えをいただきたい。  もう一点、歴史独立させても従来の受験準備のための暗記専門歴史では独立意味がないのではないか、このように思います。それを改革、改善するためにどうしたらいいのでしょうか。  あわせて、日本史必修は必要ではなかろうかと私は個人的に思うわけでございます。こう言うと、戦前の国史の復活だと言う人がおられるようでございますけれども、やはり戦後四十年、国際化時代を迎えてもっと素直に日本の正しい教育あり方というものを求めていく時期であると私は思います。この三点につきまして、ひとつお答えをちょうだいしたいと思います。
  17. 高橋史朗

    高橋参考人 第一点目につきましては、先ほど申し述べましたように、地理歴史科の「目標」の中に「民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」というふうに民主主義教育を継承しておりまして、これは明らかに憲法の精神というものを踏まえているというふうに言えると思います。そういう意味で、あるいはまた別の観点からいいますと、民主主義という制度がどういうふうにでき上がったかということを知るためには歴史を学ぶことが必要でありますし、また、民主主義をより発展させていくためには歴史的な視点でとらえるということが必要でありまして、そういう意味歴史を学ぶことが民主主義教育の危機であるとかあるいは憲法への挑戦と言うのは私は観念論ではないかと思っております。  といいますのは、先ほど「目標」について申し上げましたけれども、具体的に例えば地理歴史科のどの内容が憲法に挑戦するのか、あるいはどの内容が民主主義教育の危機につながるのか、そういう具体的な批判というものはまだ私はお目にかかったことがありません。あくまで枠としてのレッテル張りで言っているだけでございまして、それはいわば短絡的な感情論ではないかというのが私の考えでございます。  それから二点目でございますが、教科書が大変細切れの知識の切り売りになっているということでございますが、これはまさにそのとおりであります。先ほど上田先生お話にもあったのですが、私は別の観点でこの問題をとらえております。というのは、逆に社会科という枠の中に歴史を置いているために、例えば人間生活あるいは人間の人物、そういうものをありありと描くことができない。そのために単に何年何月にだれがどうしたという暗記中心の授業になってしまっているのではないか。ですから、問題は教科書のあり方あるいは入試あり方、これは臨教審でもいろいろと議論したわけでございますが、教科書そのもののあり方入試あり方そのものを変えていかないとどうも根本的には解決がつかない問題ではないかというふうに考えております。  それから日本史の問題でございますが、これは必修ということを先ほどおっしゃったわけでございますが、私は基本的にはこのように考えております。今度の教育課程の改善で「中学校教育を中等教育の前期としてとらえ直す視点をこれまで以上に重視する」、こういうふうに書いてございまして、こういう観点から見ますと、本来高校の地理歴史科あるいは公民料に呼応して中学校においても将来的には独立させることが望ましいというのが私の考えでございます。  それからもう一点は、国際的資質を養成するためには自国認識と他国認識の両方が必要でございまして、日本史学習において世界との関連に留意するのみならず世界史学習において日本との関係に十分留意して考える必要がある。それから特に、世界史を見ますと、近代以前の日本については余り出てこないのでございますが、日本史世界史と同様に重視する必要があるのではないかというのが私の考えでございます。
  18. 鴻池祥肇

    ○鴻池委員 ありがとうございました。終わります。
  19. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、中西績介君。
  20. 中西績介

    ○中西(績)委員 時間の関係がございまして大変短うございますから十分な質問はできないかと思いますけれども、まず第一は、今回の社会科を分離をするというこのことに当たって、歴史的なものを重視をするというこうした中から、教育現場における論議だとかあるいはいろいろな教育学会における論議だとか、こういうことが無視されたような傾向があると私はいろいろな資料を見まして理解をいたしておるところです。  そこで、どのような理由からこのように急速に分離していったのか、この点がどうしても納得できないわけであります。このまま推移されるといたしますと、現場における教師などというものの主張などは全く不在になるし、あるいは父母の、あるいは研究者の十分な合意なしにやられてしまうということになりますので、この点どのようにこれが分離されるに当たっての過程を理解をされておられるのか。先ほど高橋先生あるいは上田先生指摘されておりましたけれども、もう一度四人の先生方にお聞きをしたいと思います。
  21. 上寺久雄

    上寺参考人 先ほどから話がございますように分離あるいは独立、こういう論につきましては、社会科が編成をされたときから四十年の歴史を持っておるわけでございます。これは教育課程審議会とかいろいろなところで論議もされる、それのもっと地盤にそういうものがある、こういうことも私たちは理解をしてきておるわけでございます。特に直前においても慎重な論議をされて、回数こそ少ないけれども、密度の高い論議をされたことも私自身は体験をしておるわけでございます。同時に、そういうことが起こりました問題につきましては、先ほどもお話が出ましたけれども、社会科が統合的な総合的な学習をし社会科学に裏づけられている、これについては私も先ほど申し上げましたとおり、中学校までは十分それを徹底していただきたいと思います。しかし、教育継続性あるいは系統性、そういうものから考えて高等学校においてはこれは発展的分立をするのだ、こう考えていただく、こういうことが一つでございます。  もう一つつけ加えさせていただきますと、社会科という枠の網をかぶせておきますこと自体が中での発展といいますか、地理歴史あるいは公民、こういうものの学問的発展というものに対して一種の神話的なものになっておるわけでございまして、非常にルーズになる、こういうことが一つ言えるのではないか。私たちは児童生徒発展ということから考えて、学問の厳しさなりあるいは発展、そういうものに即した教育課程の厳しさというものから逃げてはいけない、こう思っておるのでございます。真っ向から取っ組むためには発展的分立を祈念しておる、そのプロセスにおいては十分審議されたと私は思っております。
  22. 上田薫

    上田参考人 先ほども申し上げましたが、学問系統性とかある場合には発達段階ということ、これはかつての文部大臣も強調されましたけれども、そういうことで結論づけられて、こういう改変と申しますか、改訂が行われるわけでございますが、しかし、それが多くの人たちの中で論議され、今御質問ありましたようにそれに関する専門家意見も慎重に聴取するという過程を経れば私は文句がないと思うのですけれども、それができていない。できないにもかかわらず急がれるということは何であるか。既に社会科が発足いたしました四十何年前から歴史独立ということはございました。あっても当たり前なのでございます、全員が一致することではございませんので。その後、長い経過を現在まで経てまいりましたけれども、歴史独立しないままでまいりました。  それは社会科の中で満たされたということがあったということでございますけれども、もう一つここで特に申し上げたいのは、御承知かと思いますけれども、昭和三十三年に学習指導要領の第三回の改訂がございました。社会科については三十年に少しやっておりますが、三十年と三十三年は同じ内容でございます。このときに、内藤誉三郎さんがリーダーシップをとっていらっしゃったのですけれども、ここで日本的なというか、後に戻るというのは私の表現になりますけれども、戦後いわゆる日本の伝統を復活するというかけ声でやられたものでございます。その前後、いろいろな教育問題がございました。これは今は省きますけれども、その中で出てまいりましたこの社会科というのは最初社会科の考え方とは相当に違っております。  したがって、その後ちょうど三十年やってまいりましたけれども、私から申しますれば、その社会科は非常に不完全でございました。不完全というのは、子供が主体的に考えるということが非常に小さくなりまして、いわば教えられる、覚えるというところに傾斜してしまったわけであります。ですから、昭和二十年代では教師子供社会科が好きでございました。ところが、三十年以降は嫌いになりました。教師の方も、教育二法が出まして以来やりづらくなったということがあるのですけれども、とにかくそういう意味で非常に低調になりまして、低調な三十年を続けてきたわけであります。その低調は何ゆえかと申しますと、今、地歴独立だけではございませんけれども、そういう子供の主体性を余り、育てないと言うと語弊がございますけれども、強調しないという方向に動いていったということでございまして、それが道徳教育の面でもかかわりがございますけれども、現在の日本教育状況をつくったと私は思います。  ですから、ここでもう一度、主体的な責任ある行動ができる人間をつくらなければならない、それは社会科分化する方向であるはずはないと私は考えておりまして、そういう意味で先ほど憲法云々という言葉が出てまいりましたけれども、憲法ということは申しませんけれども、やはり民主的な社会で本当にしっかり生きることができる人間をつくるためには、高等学校においてもただアカデミズムと申しましょうか、そういうものに寄っかかっていくということでは困るのであります。そういうことでは日本がこれから本当に責任を持って世界で役割を果たしていくということはできない、日本の国内においてもいろいろな問題が生じてくるということでございまして、現在の教育荒廃というふうに言われるものと非常にかかわりがある。もし社会科がもっと健在であれば、現在の荒廃は今のような形には決してなっていないというふうに考えております。そういう意味で、社会科はずっと続いてまいりましたけれども、昭和三十年以降のものは本来の社会科からは外れてしまったと私は認識しております。
  23. 高橋史朗

    高橋参考人 このたびの地歴独立に至る経過についてどういう認識をしているかというお尋ねでございますが、私は二点申し上げたいと思います。  その第一点は、教育課程審議会の審議という尺度だけで見ますと、確かに時間不足であったし、拙速の感は否めないという印象を持っております。しかし、お配りした本の二百六ページから資料を掲げておりますように、既に中教審、臨教審の議論を踏まえて今度の教育課程審議会の議論が行われている。あるいは冒頭の私の意見陳述の中でも申し上げましたように、四十年間というプロセスの中でこの問題は総括をする必要があるといいうことが私の申し上げたい点でございます。  それで、中教審あるいは臨教審においてこの問題がどういうふうに書かれているかというのは、二百六ページから二百十五ページでございましょうかの資料をごらんいただければつぶさに抜粋しておりますが、例えば両論併記の形で臨教審の第二次答申は出ておりますし、第三次答申では、二百八ページの上段でございますが、「このような国際社会の中に生きる者として必要な知識については、比較文化的視点を重視し、地理教育とあわせつつ日本および世界歴史教育の中に織り込んでいくことが必要である。」あるいは最終答申の中では、中等教育段階における社会科の構成のあり方を検討するということを述べておりますし、こういう経緯を踏まえて議論が行われているということを申し上げておきたいと思うわけであります。  第二点目は、これは余り注目されていないわけでありますが、今度の場合は、社会科擁護あるいは地歴独立意見が闘わされたわけでございますが、その議論の質に目を向ける必要があると思うわけでございます。それは私の論文の中、百三十五ページにそのことに言及しておりますが、私は、このたびの地歴独立問題のポイントは十一月四日に行われた高等学校社会科教育懇談会にあったのではないかと考えております。  そこで、「なぜ社会科を地歴科と公民料に分離してはいけないのか。」という根拠を示してほしいということに対して、十分に分離独立してはならないという根拠が示されなかった。実は、この「懇談会は「相当の抵抗が予想されたため、当初は日程を二日間とった」」ようでありますが、実際には「一日で決着」をいたしました。つまり、この懇談会が、地歴独立を決定づけた最大のクライマックスといいますかポイントのところであったと私は思うのでありますが、数ではなくて議論の質において、なぜ社会科の枠が必要なのかという相当の抵抗がなかったと考えております。そういう意味で、今度の問題は決して力ずくのものではないと私は考えております。
  24. 土屋基規

    土屋参考人 社会科が再編された過程につきましては、先ほどの私の意見の第二点目にその概略を示したとおりでありますけれども、やはりかなり唐突な再編という感じが否めないというのが審議の経過を見てのことだと思います。教育課程審議会の議事録は公開されておりませんので、いつ、いかなる事実が重ねられてということを正確に掌握することは難しいわけですけれども、この間報道されたさまざまのことから見ましても、先ほど言いましたように、辞任した委員が、たった二回の審議で決めてしまったのは禍根を残すというふうに述べておりますので、実際に委員会に出ておられた方ですから、この二回の審議会ということは間違いはないのではなかろうかというふうに思います。  また、先ほども強調いたしましたように、社会科教育学会の会長を務めているような方もこの点について辞任をするという、かつてないような事態が生じたわけでありますから、そういう点から申しますと、やはり大変に慎重を期して、社会科教育学会やあるいは日本教育学会や、そういう関係学会などの意見聴取を十分にするというプロセスが必要だったのではなかろうかというふうに思います。  私は先ほど、こういう改訂の問題を、全体としては社会科を解体する方向での一つのあらわれだというふうに申しました。先ほど、小学校の低学年で理科と社会科がなくなって新たに生活科というのができるというお話が出たわけでありますが、これも教育課程審議会の答申の中間過程ですと、新しい生活科社会的認識と自然認識の芽を育てるということがこの教科のねらいとして書かれておりましたけれども、最終答申になりますと、この社会認識や自然認識の芽を育てるということは削られてしまって、生活の基本的習慣と技能を身につけるというふうになってしまいましたので、小学校一、二年の低学年のときには、自分の身の回りの社会を見つめ、そしてその社会の中で自分がどんなふうに生きていったらいいかというようなことを学習する教科がなくなったわけであります。そんな形から見ますと、小学校中学校高等学校全体を通じまして、系統的に社会を科学的に認識するという力を育てるということについては今後大変な困難が生ずるのではないかというふうに思う筋がありますので、全体として社会科を解体する方向での、つまり科学的社会認識を育てるという方向での一つの措置というものが高等学校段階での再編ということになったんだろうというふうに考えております。  あるいは、高等学校社会科担当教師たちの賛否両論で結構なわけですけれども、学会関係意見聴取が十分に行われたという形跡を発見できないのを大変残念に思っている次第です。
  25. 中西績介

    ○中西(績)委員 それぞれ諸先生のお考えなり認識につきましては理解できましたが、私はもう一つだけ問題提起をいたしましてお聞きをしたいと思うのですが、それは何と申しましても、先ほども高橋先生ちょっと触れられましたけれども、教課審における論議なりあるいは説得等が十分ではなかったという御認識もあるようでありますけれども、いずれにいたしましても、私が感じますのは、この問題について、例えば十月の下旬であったと思うのですけれども、文部省初中局長の方に申し入れをいたしまして、いろいろ意見陳述をということでありました日本社会科教育学会の皆さんあるいは歴史教育者協議会の皆さん等のそうした要求等に対して全部これを排除しておるわけですね。話をしようと言ってもなかなかそれを受け付けないという状況。そうしたものの中で流れがございまして、今流布されているような、政治が介入した、こうした言い方が流されておるわけでありますけれども、もしこれが本当であったとすると、後世に大変な批判あるいは誤りを残すことになるのではないかと私は思うのです。  十月二日の日に二回にわたって高石元事務次官と当時の中曽根総理大臣が会った。それで、日本史世界史地理教育を小中高校を通じてしっかりやってほしいという要請をいたしたようであります。それで、御存じのようにこの高石というのは、私、福岡ですけれども、中曽根派で福岡から立候補するということで次官の当時から選挙運動をやっておった人ですから、これは当然聞き入れる人です。したがって、文部省内におけるそうしたまとめの段階における大変重要な役割を果たしたのではないか、こう私は思っています。  時間がもう四十二分までしかありませんので、お二方、上寺先生上田先生に、このような政治が介入するということになったとき、私たちは大変な危惧を持っておるわけでありますけれども、この点についてどのようにお考えか、お答えいただきたいと思います。
  26. 上寺久雄

    上寺参考人 教育はあくまで中立でなければならない、これが基本的な原則でございます。しかし、果たしてそれがどういうふうに介在をされたかということについては私たちもよくわかりませんけれども、先ほど高橋参考人から話が出ました十一月四日のこの会議には私も登場しておるわけでございます。これは新聞報道、いろいろなことで言われておりますけれども、そこで総決算をやる、こういうことで、それぞれの分野専門、主任の方々が出ておられたのでございます。そこで社会科教育とそれから道徳の問題も出ましたけれども、地理歴史、そういうものについていかに分立をするのかあるいは従来どおりでいくのか、こういう両論併記をどういうふうにまとめるか、こういう論が出たのでございます。  そのときに私も登場しておりまして、社会科を存続することに対するいろんな疑問点なり、こういうものを私自身が述べたのでございます。それに対して、それぞれ専門の方々六、七名おられましたけれども、残念ながら明快な御回答はいただけなかったのでございます。  先ほど上田参考人お話しになっておりましたけれども、現在の学校教育を乱しておるのは、あるいはそういう政治的介在があるのか何があるのかは別問題といたしまして、私は教育の不徹底だろうと思っております。世に知育偏重という言葉をよく言われますけれども、知育偏重ではなくて、知育が本当に不徹底である。知育がもし正しく行われるならば、知識を、さらにはそれを支える能力を、さらにはそれを支える意欲、関心、態度、ここまで貫いていかなければならない。それを言っていないのが、現在の知育がやまいだれのついた痴育になっていないか、こういうところに私は非常に疑問を感じております。徳育は損得ばかり教える得の得育になっていないか。体育に至っては怠惰な子供を育てる怠育、怠の字になってはいないか、こういうことが現実教育の現場にあるわけですから、それを踏まえていかに教育課程改訂するか、こういうことが起こってきたと私は信じておるのでございます。さらには、四十年の歴史があってさまよい歩きながらやってきたというところから、その集約が十一月四日にあった、こう思っております。
  27. 上田薫

    上田参考人 私は、先ほど申しましたように昭和二十一年から教育の問題にタッチしてまいりまして、社会科ばかりでございませんが、文部省ともいろいろかかわり、あるいはほかの進歩的団体ともかかわってまいりました。しかし、私自身の立場は、先ほど申しましたように、昭和三十年以降は文部省とはほとんど対立的な考え、意見を持っておりまして、そういうことに終始してまいりました。しかし一方、具体的に言えば日教組のような立場とも私は同調はいたしませんで、それは、要するに教育はやはり中立でなければいけない。中立というのは日和見ではございませんので、教育を守るためには政治が直接それに介入されてはいけない、そういうことを考え続けてまいりました。  結論として言えば、戦後の教育歴史は、はっきり言って不当なる政治支配に屈し続けてきたということだと私は思います。したがって、今必要なのは、そういうことから脱却して、政治も教育も改まっていくということであって、今回のことも、私は今言ったような政治との関係でしか実際理解することはできません。もっとゆったりと堂堂と、この問題を国民に開いて考えることがどうしてできないのか。何か結論が先取されたようなプロセスが非常に見え見えであるのでございますけれども、これはそのこと自体よりは、やはり教育と政治のかかわり方が非常に深刻に心配されることであると言わなければならないと思います。  そういう意味で、これから教育と政治のかかわりが何とかいい形に変わるということをぜひお願いしたい。今回のこともそれが確保された上であれば、これはいろいろ意見の違いでございますから、従うべきものは従うべきだと私は思うのですけれども、そういう過程でないです。これは教科書の問題、検定の問題をお考えになっても一目瞭然でございます。世界から見るとおかしいようなことがどうして日本教育の中枢において行われているのか。これはやはり政治的な、あえて言えば、党利党略とまでは申しませんけれども、とにかくそういうものによって教育がもみくしゃにされてきたということではないかと思います。それを何とかやめていただきたい。  こういうことは法制上難しいし、しかられるかもしれませんけれども、文部省も内閣に直結するのじゃなくて、何か一線を画していかれることはできないのか。それがないから、過去にありましたような文部省対日教組というふうな対立関係がどうしようもないところへいってしまうわけであります。国民がみんなが協力し合って教育を大事にしていく、そういうことをつくるのが文部省あるいは内閣の責任であると私は思うのですね。ところが、そういう方向へ行っていないのじゃないか。むしろそれより逆の方向に行っているのじゃないか。  今教師は、こういうことを言うとどこかへ飛ばされるとか痛い目に遭うとか、逆にこういうふうにやれば何かちょっとぐあいよく出世できるとかいうふうなことに振り回されております。それは教師が情けないには違いないですけれども、そういう状態に落とし込んでは、これは子供はまともに育たない。教育荒廃からは立ち直ることができませんよ。ですから、一教科というとあれですが、一つ教科をどうするかという問題だけではなくて、教育の問題はもっと多くの人たちがかかわって動かすことができるようにしていただきたい。  もちろん数が多ければいいということじゃないと私は思います。確かに、勉強をしない、親の立場に立つとそうなんですが、自分の子供本位に考えたりいたしますので、それだけに動かされるということは困る。残念ながら教師も自分の都合に合わせていろいろ希望したり、主張したりする面がございます。しかし、それを何とか乗り越えて本当にいい形をつくるということのためには、やはり教育の中枢にある者がもっと謙虚に多くの意見を生かしていくということが必要なのではないか。何かもう幾ら言っても結局はだめだというところにもし追い込まれているとすれば、これは本当に——今確かに中学生あたりもいろいろ難しいわけですよ。本当に皆さん御想像以上に荒れている学校もあるわけで、これはもう捨てておけないのです。それを何とかするということは、我々総ぐるみになってやらなければいけないのだ。  それは、例えば今出ましたように、高等学校社会科を一応解体、同時に生活課程というものを低学年につくる、そのうち小学校の高学年でも歴史独立させたいとかいろいろな意見があるようでございますけれども、それが一体何を本当に目指しているのか。これからを担ってくれる子供たち自体が、ゆがむというよりは何か本当に生気をなくしている、何かそれてしまっているということをそのままにしておいて、こういう学問系統をもうちょっとこうしたらいいとか、それはそれで議論するのは結構ですけれども、そういうことで事を考えていったのでは、これから十年たちますと、もう幾ら悔いても悔い足りないというふうに私は思います。  私は、五十年近くやってまいりましてもう大分年もとりましたので、もうこれ以上どこまでやれるかと思っているのでございますけれども、そういうことを考えますと、これからの教育というのは非常に心配をする、明るいどころではないです。今最初に申しましたように、世界は動いている。いろいろな今までのタブーが破れ、新しいものがどんどん認められていくような世界の中で、どうして日本教育は、政治は今までのようなところで縮こまって本当の意味で開き合って考えることができないのか。このままでは本当にどうかなってしまうということだと思います。これが老人の繰り言でなければ幸いだと思うのでございますけれども、ぜひ皆さんにお考えいただきたい。これは分化がいい、悪いというふうな問題を超えて、私は皆さん方に訴えたい、国民にも訴えたいことでございます。今のままでは非常に恐しいことになっていく。  今、校内暴力がなくなったように言っていますけれども、そうじゃないです。それがまたほかのいじめとか自殺とかいろいろなことに転化し、登校拒否がふえている。こういう状態というのはある意味では病的なんですから、それを何とかしていくという前提の上にカリキュラムも教科もすべて考えていただきたい。それぐらいせっぱ詰まっているということを私は申し上げて、終わりたいと思います。
  28. 中西績介

    ○中西(績)委員 ありがとうございました。
  29. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、鍛冶清君。
  30. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 鍛冶清でございます。公明党を代表して御質問を申し上げたいと思います。  きょうは、参考人の皆さんには本当にありがとうございました。私は、時間が限られておりますので、各参考人の諸先生最初にもう質問をずっと私の方から端的に申し上げますので、お答えの方も時間をにらみながら、配分をしながらひとつ端的にお答えをいただければ、こういうふうに思いますので、よろしくお願いをいたします。  最初上寺先生にお尋ねをいたしますが、先生には、教育大学で教えていらっしゃるという立場で、また総まとめをしていらっしゃるという立場でのお尋ねです。  社会科の免許を取るまでに、各免許を取ることを志しておる学生の皆さんはいろいろな単位を取りながら積み重ねていくわけですが、その単位の取り方というのは各人まちまちかもしれませんけれども、そういう単位を積み重ねて免許を取った人が社会科教員として高等学校に行って教えるという際に、こういうところが具体的に心配だというようなことがございましたら、ひとつお話しをいただければと思います。  次に、上田参考人二つお尋ねをいたします。  上田先生お話の中で、伺っておりましたら社会科は現在はベストとも思われないというふうにおっしゃいました。改善すべき点はあるということは否定はしない、こういうお話もございました。先ほど答弁の中でも若干お触れになってはいたようでございますが、その改善すべき点というのはどういう点を具体的にはお考えなのか、またそれを改善するにはどういうふうな形でやればできるとお考えなのか、これはひとつ端的にお願いをいたしたいと思います。  それからまた、先ほど最初お話の中で、社会科が今度は分離したということで再編成になっておりますが、これはもとへ戻すというような表現でお話がございました。大変失礼な申し上げ方かもわかりませんが、歴史を見ますと、歴史というのはいろいろな経験を経ながら、もとに戻るというのではなくて前へ前へ進んでよりよい方向に実際には進んでいっているというように私は思っておりまして、これは分かれていくということがもとへ戻る、それがすぐ戦前に戻るというような考え方に使われておることが多いわけですが、私はそうではないのだろうということは思います。  一つのことを、仮に同じ結論に達しても、最初はこれはだめだと思っても、議論を重ね、いろいろなことを試行錯誤する中で結局もとへ戻ってみたらそれの方がよかったという場合もあるということも、私も体験の上から、これは教育の方面じゃありませんがいろいろございます。そういった点で、もとへ戻すということの表現をなさっておったのですが、そういう表現というのはどうなのかなという疑問を私は持っておりまして、これに対してお答えいただきたいと思います。  高橋参考人に二点お願いいたします。  社会科はいい面、悪い面がある、それはいい面は生かしながら悪い面を直しながらというようなことでおっしゃいました。私も同感でございますが、このいい面、悪い面というものについて、ひとつ端的に具体的にお答えをいただきたい。悪い面はどうしたらいいのか、これもひとつお答えをいただければと思っております。  それから、歴史的に見てのお話を伺って大変参考にさしていただいたわけでございますが、社会科四十年の歴史の中でいろいろ議論がされてきた。そういう中で、教科改訂に伴っての確かに免許改定という流れのような形に今なってはおりますが、その間にいろいろなことはあったとは思いますけれども、今回の改定は私どもは賛成という立場で、よりよい改定になっているなというふうには思っておるのですが、先生のお立場から見て、いろいろ議論がある中で、こういう議論がある中で、もう一遍指導要領を改訂するまで、各先生お話を聞いていても社会科の中でもかえられるんだというようなお話もあったりする議論もございましたが、タイミングとして今回の指導要領改訂で分離したということは適当な時期であったのかどうか、それについて何かはっきりとしたお考えがあればお伺いしたいと思います。十年先に改定をしてもいいのじゃないかという方もいらっしゃるかもわかりませんので、そういう点の御意見があればお聞きをしたいと思います。  それから土屋参考人に二点お願いをいたしたいのです。  先生お話最初にお伺いした中で、今回こういうふうな改定になるわけですが、その中で学問的に見ても人的に見てもですか、何かそういうのがそろってないから無理であろうというような趣旨のお話があったと思います。私はやはりよりよいものをするためには、いないからこそ、ないからこそやるべき問題がある、やらなきゃいかぬという場合もあるのではないか、それがいろいろな物事を前進さしていく。今までそろっているものの中で、新しいものがあってもやれないからだめだというふうな形での議論というものはかえって創造性とか進歩的に前進していく、改善していくという考え方をそぐのではないかなというふうに思うのですが、その点、いかがでございましょうか。  それからもう一つは、実際にはこの前も免許法の議論の中で、文部省とのやりとりの中で言われておったのですが、高校に行きますと、実際的には社会ということでくくられてはおりますが、実際には各分野に具体的に分かれて担当がついておやりになっているというふうなお話も私は伺いました。そういう現実を見ると、四十年の歴史の中でそういうふうな形に高校はあるのが一番ベターであろうという中でやっておるのであろうというふうにも思いますし、そういう面から見れば、今回のような形で一歩前進して専門的にも進化し、また総合的にも考えていくという形をとっていくということは必ずしも悪いのではないのではないか、こういうふうに思いますが、その点、いかがでございましょうか。  以上、私の質問はまとめて最初に申し上げました。各先生方よりよろしくお願いいたします。
  31. 上寺久雄

    上寺参考人 私への御質問は高等学校教師、現場に帰って教育をする、あるいは現場において教育するにおいて心配はないのか、こういうお話でございます。  私の大学は御承知のとおり幼稚園から高等学校までの現職の先生が毎年二百名ずつ入ってまいります。その中にはいろいろな立場の人も入ります。創価学会でいろいろ教師研究をしておる人も入っております。そういうところで研究をして、二年間研修をして帰ってまいりますけれども、まず一番心配なのは、授業ができる先生かどうか、こういうことでございます。残念ながら授業のできない先生もたくさんおるのじゃないか、こう思っておるのでございます。教育というものは、私はやはり教師教師の道を歩むならば生徒生徒の道を歩んで、両方が一緒になって教育の道を歩んでいくところに、あるいは授業の道を歩んでいくところに成果が上がり、子供先生も成長するのだろうと思います。  現在、社会科の面を考えてみますと、昭和六十三年度の一部の統計でございますけれども、社会科免許状を持っておる者が社会科、地歴とそれから公民的な両面を教えているのが大体四六%、それから歴史的な関係のもの、それだけを持っているのが三四%、地歴的なものが二〇%、こうなっておるわけでございます。四六%の者が社会科という枠の中で両方にタッチしたときに、両方が本当に先ほど言いました知育の正しい道を歩む方に進み得るかどうか、そういう点で専門的なものを持っているかどうか、こういうことについていささか疑問を持っておるのでございます。  それぞれが地歴並びに公民と分かれた免許状を持つことによって専門性が高められる、教師の持つ人間性と職業性とが働き合って、そうして専門性が高まっていく、こういう点ではやはり教科に絞って研究を進めていってくれた方がよろしい。そのためには高等学校で既にある歴史的な素養と地理的な素養を持った者が大学へ入ってほしい。それを学問的に深める、これが大学の仕事であろう、こう思っております。
  32. 上田薫

    上田参考人 二つお尋ねがございました。  最初の方の改善すべき点と申しますのは、現在の高等学校社会科、殊に歴史関係、やはり受験の方に影響されているということでございますけれども、本当に生徒がよく考えて理解を深めていくというふうになっていないのです。これはやはり少しゆとりを与えて、そして広い見地から考える、それから生徒自体が問題意識を持つ、そのためには現代社会というのは非常に大事なんですが、そういうことがもっとできればもっと十分に生きるというのが私の考えでございまして、この点、まだまだ十分に改善の余地があるというふうに考えております。  それから、戻るということでございますが、歴史が、歴史といいますか事の展開がそっくり昔に返るというようなことはあり得ません。しかしながら、やはり過去から現在の流れというものは、あるときにはまたやや戻ったような形をしたり、またそれが越えられていくというような形でございますから、戻るという表現はそういう意味でございまして、正確にということで言えばそういうことは言えませんですけれども、決してこれからやっていく方向に対して枠をはめるということではございません。ただ、そういうことからも歴史の見方についてやはりちょっとお互い足りないのじゃないかということは感じております。
  33. 高橋史朗

    高橋参考人 まず、社会科のいい面、プラス面でございますが、これは社会の主体的形成者を養成するというのが社会科の精神でございまして、そこに尽きると私は思いますが、言葉をかえて言えば民主主義の徹底、あるいは現代性、総合性、主体制というのが私は社会科のいい面であろうと思います。  それから、マイナス面、悪い面というふうにおっしゃいましたが、社会科は戦後教育の功罪あるいは長短の両面を備えておりまして、そのマイナス面というのはそもそもの出発点に含まれているものであると私は考えております。  その第一は、歴史軽視の精神ですね。これは具体的には初期の、一番最初学習指導要領を見れば「社会科の重要な任務は社会生活の中にあるいろいろな種類の相互依存の関係を理解すること」、こうあります。その中に「人と他の人との関係人間と自然環境との関係、個人と社会制度や施設との関係」とあるのですが、歴史が完全に欠落しているのですね。そういう意味で、現代理解の手段として歴史がとらえられているという意味歴史軽視あるいは人文科学の側面が軽視されている、あるいは人間生活歴史性を否定している、あるいは歴史的な思考というものを制約しているというふうに私は考えます。その意味での歴史軽視であります。  二番目は、坂本博士がおっしゃったように、唯物的偏向という問題点であります。  三点目は、社会科における国家像の不在ということを指摘しておきたいと思います。個人と国家の関係というものが欠落をしている。私たち万人が生活している国家と国民関係を抜きにして民主主義の理解というものが一体あり得るのかということを私は基本的に思っております。  以上が一点の答えであります。  二番目の、タイミングの問題はよかったのかということでございますが、まず第一は、いわゆる国際化時代を迎えまして、あと十一年で二十一世紀を迎えます。留学生がどんどんやってくるわけでございますが、先日、私は在日中国人留学生の代表とお話しする機会がございました。彼が、アメリカにいる在米中国人の留学生はみんな親米派になる、ところが日本にいる在日中国人留学生の多くは反日派になるということを言いました。そのことを思いますと、一刻も早く、早ければ早いほどいいんだというのが私の基本的な考えでございまして、あるいはまた最近新聞等を見ましても、若者たち世界史を知らないで外国旅行してVサインで記念写真におさまっている、いわゆる観光摩擦がイタリア等でも問題にたっているようでございますが、そういう意味を含めましても、国際化時代においてより早くこの地歴独立世界史必修を行うのが賢明だというふうに私は考えます。
  34. 土屋基規

    土屋参考人 二つの御質問をまとめてお答え申し上げたいと思います。  教育職員免許法というのは、教員の資格を公証する大切な法律でございまして、昨今教員の資質を向上するためのさまざまな施策がとられておるわけでありまして、そのことに結びつかないといけないと思います。  この免許法は、さまざまな理念のもとに成立しておりますけれども、教職の専門性を高めるということが大変重要な理念の一つになっておりまして、私が教科教育法の担当の現状などを申し上げたのはその観点からでございます。なるほど確かに歴史地理公民になってその専門的な領域については免許法の改定によって四十単位という専門教科学習されることになるでありましょうが、実は教職の専門性というのは教える教科についての学識専門性が高まればそれでよいというのではございません。同時に、青年期にある高校生の発達の法則とかあるいはその心身の伸び方とか物の考え方とか行動の仕方、こういうことを理解していないといけないわけでございまして、その点で言えば、学識専門性とともに教職専門科目である教科教育法ということまであわせて考えていただきませんと、本当に分けたことによってその教師の資質が向上するというふうにはならないと思うのでございます。  恐らくこれは省令事項としてこの二つに分けたことに対する教科教育法をどうするかということは文部省から追って示される事柄ではないかと思いますが、これは法律が通った後で考えればいいということではなく、教職の専門性を高めるという戦後の立法理念に基づけば、やはり教職専門科目としての教科教育法もきちんと考えた上で法改正をするという手続を経ていただくことが正当かと思いまして強調したわけであります。  現状では、この教科教育法、社会科教育法を担当している先生方は先ほど言いましたような実情でありまして、十年前の統計でありますけれども、それがその後抜本的に改善されたということを私は承知しておりませんので、その点で言えばなお一層の努力を必要とする条件を持っております。免許法の改正は、そういう点で条件整備ということもきちんとやっていただくということをあわせてお願いしたいと思う次第でございます。
  35. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 どうもありがとうございました。
  36. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、中野寛成君。
  37. 中野寛成

    ○中野委員 民社党の中野寛成でございます。きょうは、参考人先生方には御足労いただきましてどうもありがとうございました。  まず、高橋先生にお伺いいたしたいと思いますが、この教員免許法の改正案を審議するということになりますと、随分電話やお手紙をたくさんいただきました。その中で一番多くの御指摘は、戦前の教育に戻るのではないかという御指摘がありました。私はそうではないと思いますが、しかし、そういう誤解を与える言動、そういうことをなさる方々が、文部省という意味ではありませんが、学者の皆さんを含めてやはりあるのかなというふうに思ったり、もう一つは、先ほど高橋先生は、それは非常に感情的な考え方ではないかとおっしゃいましたけれども、しかし私は、こういうものを感情的にではなくてやはり理性を持って教育の充実という視点に立って考えなければいけないだろうと思うのですが、そういう指摘、いわゆる誤解に基づく指摘と私は思いますけれども、それが起こる背景とこれに対する反論といいましょうか、そういうことについてお伺いをいたしたいと思います。  それからもう一つは、上田先生にお聞きをいたしたいと思いますが、私はどの教科も、それ一つ、単独では存在し得ないと思います。すべての教科は他の教科との関係が必ず必要であると思います。国語と数学、これも全く別物ではありませんし、社会や理科も別物ではないと思います。どこで線を引くかというのは、むしろ現代社会では離しいぐらいの状況になっているかと思いますが、しかし一方では、一定のそういう総合的な基礎知識のもとに一定年齢段階に来ますと、むしろ特定科目専門的にやることの方が時間的にも精神的にもゆとりを持つことができるのではないだろうか。  高校段階においてとりわけ世界史という科目を勉強するということは、今日まではむしろ中途半端な時間ですから、古代史から始まって近代史あたりまで来るともう息切れがしてあとはいいかげんになってしまう、私の体験でもやはりそういう経験があります。肝心かなめの現代に結びつけるところまでいかない。むしろ時間が足りないこと等も含めまして、世界史なら世界史の勉強の時間がタイトであるがために中途半端になる、中途半端になるがために記憶中心の教育になってしまっていないのか。先ほど先生はむしろゆとりを持たせてとおっしゃいましたが、高校段階に来ればこういうふうに専門化することによってゆとりを持たせることができるのではないのかというふうにも思うわけであります。  それから、これは学問的発展教育的要請時代的要請とおっしゃられた上寺先生にもお聞かせをいただければありがたいと思う次第であります。  とりあえずそれだけお尋ねをいたします。
  38. 高橋史朗

    高橋参考人 戦前回帰ということについての見解でございますが、私は基本的にはどうもこれは教育界だけではございませんで、戦後の風潮として、例えば戦前か戦後かとかあるいは個人か国家かとかという対立図式で物を考えるという、どうもそういう陳腐なパラダイムというのがまだ生きているような気がするのですね。しかし、実際には戦前の教育にもプラス面があったし、マイナス面があった。戦後の教育にもプラス面があったし、マイナス面があった。同じように社会科教育にもプラス面とマイナス面があった。つまり、そのバランス感覚というのは私は重要だと思うのですね。  例えばブレーキも必要だしアクセルを踏む必要もある。このブレーキとアクセルの関係が中庸を保ちバランスをとるということが大切なのでありまして、戦前回帰というふうに言われる方たちは往々にして二分法論理で物を考えるという、私はこれは一つの問題点じゃないかと思っております。  逆に申しますれば、ここにベネディット・クローチェという人が書いたものを持っているのですが、将来の展望に必要なだけ過去を見詰めよということを、このベネディット・クローチェという方が言っているのでありますが、私は、国際化時代においてこれから求められるのは歴史と未来を結ぶ教育という視点だと思うのです。国際化という時代に対応して過去というものをきちっと踏まえていく、それは単なる戦前回帰ということではないと私は思うのです。つまり、今回の地歴独立というのは、そういう新しい時代要請を踏まえて、きょう私が何度も申し上げましたように、社会科のプラス面を継承しながらマイナス面を補い発展させようとするものでありまして、これは決して戦前回帰ではないというのが私の考えでございます。
  39. 上田薫

    上田参考人 今おっしゃいました高等学校程度になれば分化すべきだというお話かと思います。  既に繰り返しましたけれども、分化するということが生徒に対してどういうプラスを与えるのか、やりようによるということだと思いますけれども、もし現在の高等学校のカリキュラムで歴史地理あるいは公民を本当は生徒が考える、また意味を持つという形でおやりになると、これは私は社会科になると思うのです。そういう意味でこれはごく自然なんです。それでは何か足りない、足りないといるふうにお考えになっているわけですけれども、何が足りないのか。例えば何か情緒的なと申しましょうか、そういう面で先ほど申しましたようは社会科だと渇いてしまう、こういうふうはお考えになるのですけれども、それはそういうやり方の社会がおかしいのであります。  先ほど数学、国語とおっしゃいました。それは分かれております。分かれておりますが、全体をインテグレートして教育が行われているわけでございまして、社会科の場合で考える、もちろん分けることも可能ですよ。分けたら今必要としているところの教育目標に子供を導いていくということが非常に難しくなるのです。これは実際におやりになればわかると思うのです。ただ、与えましたよ、こういう難しいことも知らせましたよということでおしまいになってしまえば、これは反省がないですから、それで生徒の方は一生懸命覚えてテストあるいは入学試験、そこで丸をとればそれでおしまい。大学へ行ってからそういうものがどう生きるか、それをよくお考えいただきたいです。  大学へ行き、あるいは社会へ出てから本当にそれが生きるようなそういう教育をやりたいというのが社会科なんです。ですから、そういう意味で確かは教科は幾らでも分けることはできます。しかし、そのことが人間形成の上で今のこういう社会の中でマイナスになるということはやはり排除しなければいけないでしょう、そういうことなのであります。ただ大人になればみんな分化していく。しかし、お考えになれば、社会人というのはそんなに分化して物事を考えることができるのか、むしろインテグレーションができないから困っているのでしょう。その辺のことをもう一度考え直していただきたいというのが私の見解でございます。
  40. 上寺久雄

    上寺参考人 教科独立をすればするほど横の関連がとれなければならなくなる、これはこういう一つの原則であろうと思います。社会科という網をかぶせただけで連携がとれるというふうにうぬぼれるわけにはいきません。このそれそれが独立をしていくから横の関連を十分とらなければならない、こういう論理が一つあると思うのでございます。  もう一つは、先ほど申しました学問的体系によって学習が進んでいく、社会科学と人文科学の両方に支えられて学問的な研究が進んでいく。これは、それによって結果的に能率化はできるわけでございますけれども、これを効率化しなければ能率化できない、こういうことを考えなければならないと思うのでございます。それぞれの教科が順序を追いながら学習することが効率を上げる、効率を上げればゆとりが出る。  ところが、従来この五十三年度の改訂でもゆとりをとりましょうと言いながら、ゆとりゆとりとゆとりをなくするゆとり談義で、かえって談義ばっかりしてゆとりがなくなった、こういうところに非常に反省の資がなければならない、そういう意味では、私は効率を上げることによりてゆとりをつくってくるんだ、こういう点でそれぞれの教科独立をして体系化していくことが大事であろう、これは児童生徒の成長発達の面からもくる、こういうことでございます。
  41. 中野寛成

    ○中野委員 もう一度、高橋先生にお伺いいたしますが、私は、例えば今の東欧の新しい自由化、民主化への動きとソビエトの動きとを関連させて学ぶときに、今の政治経済だけで論じることはできないですね。これはソビエトと東欧諸国とでは、おのずからよって立つ民主主義の歴史が違いますね。そのことを学びませんと、結局、東欧の次は、ソビエトは、中国は、となる。しかし、それぞれの国の歴史が違うわけですから、これから歩んでいくそれぞれの国の歴史はおのずから違ってくるであろう。言うならば我々の現代社会、政治も経済も、ある意味では倫理も歴史の上に成り立っているものだと思うわけです。  ゆえに、歴史から学ぶということは大変にすばらしいことですし、先ほど親米派にはなっても親日派にはなってくれないという例えは、私も実感としてそれを感じるところがありまして、これはやはり我々の歴史観の問題であろう。とりわけ、近い東南アジアの皆さんの歴史などというのはなお一層学ばなければならない。むしろ、今までの世界史はイコール西洋史になってしまっているという欠陥がある。西洋史になってしまっていることと、もう一つは近代から現代へのつながりが欠けていること、そういうことが今までの世界史の欠陥ではなかったか。そして時間が足りないがゆえに詰め込み、記憶中心、結局そこでむしろゆとりがなくなってしまっているのではないのか。ですから、おもしろくない。  私も大学受験では、世界史最初に志望しておいて、受験の用紙をもらった途端に、世界史でも数学でもよかった大学でしたから、私はその日、その受験当日の試験問題をもらってから急遽数学に切りかえたぐらいです。実に味気ない世界史、しかし私はむしろ単に記憶中心ではない、場合によっては人物の性格まで描写するぐらいのおもしろい世界史にこれを機会にできるのではないか、そのことによって日本人国際化というのは意識の中で大いに進んでいくのではないか、期待するわけでありますが、これらの考え方について、いかがお考えでしょう。
  42. 高橋史朗

    高橋参考人 全く同感でございますが、私、二月に韓国にゼミの卒業生を連れていきまして、韓国の日本語を勉強している学生と交流をしたわけでございます。そのときに、実はその一カ月後にテレビ討論をやりまして、そこで日韓の若者討論をやりたかったんですね。ところが、十分議論をしてみて、これは無理だということがわかりました。なぜ無理かとわかりましたかといいますと、まず日本の学生は、韓国の学生が例えば日韓の歴史についてどういうふうに学んでいるかという事実を全然知りません。仮にそれがわかっても、今度は日本立場というものを持っていません。十分議論すると、これは本当のディスカッションができないということがわかりました。  また、二十一世紀には十万人留学生を引き受ける、こういうふうに計画をされておるわけでありますが、その多くは東南アジアからの留学生だと予想されるわけであります。韓国の学生から日本の学生に、あなた方は韓国に対してどういうふうに関心を持っているかと聞かれて、彼らはオリンピックのことしか言えなかったんですね。余り関心を持っていないというのが実情であります。ほかの東南アジアの国に対しても同じだろうと思うのです。東南アジアからたくさんの留学生がやってきて、あなた方の国のことについて余り関心がないと言われることほど彼らにとってショックはないだろうと思うのですね。  その意味で、確かに先生おっしゃいましたように、もっと世界史の中に東南アジアの歴史が入ってこないと、私はこの留学生に対しても十分に本当の心の交流、文化の交流ができないのではないか、このように考えております。
  43. 中野寛成

    ○中野委員 ありがとうございました。
  44. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、石井郁子君。
  45. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  いろいろと御質疑がありましたけれども、まず今回の教免法改正の問題点の一つは、地歴料、公民科への分割がどのような手続で、どういう議論を経て決定されたのかという問題にあると思うわけです。この点では不透明でありましたし、新聞報道でしかうかがい知ることができなかったという問題がずっとありました。私も御質問したいと思っておりましたところ、上寺高橋参考人からも御発言がございました。  伺いますけれども、十一月四日の高校分科会長の諸澤氏が招集された懇談会で決まった、それが決定的なポイントであったということが言われましたけれども、この懇談会というのは正規の会合でしょうか。また、この議事録というのは公表されていないわけでありまして、私どもは見ることができないわけであります。  上寺先生にお伺いしますけれども、この懇談会の性格、それからこの内容は今もって公表されていないわけでありまして、こういう事態をどうお思いになられるでしょうか。また、こういう場での決定について先生の御感想をお聞きしたいと思います。
  46. 上寺久雄

    上寺参考人 今お尋ねの高等学校教育課程分科審議会の会長による専門家意見を聴取する会、これはもう高等学校社会科教育懇談会と称されておりまして、私のところへはそういう立場から招聘があったわけでございます。したがって、その性格そのものにつきましては私自身は十分心得てはいないわけでございますけれども、そこで討議されましたことは、それぞれの専門家社会科を存続させるべきなのか、あるいは二つ教科に分けるべきなのか、こういうことを専門的な立場で討議をされたわけでございます。私は、教員養成大学という立場からその会に呼ばれた、こういうことでございます。  そういう点で、私自身は私の主張をそこで述べましたし、あるいは社会科を考えておられる方にも今ある社会科に対してどうお考えですかと、こういうふうなこともお尋ねをいたしました。それが先ほど申しましたように明確なお答えはいただけませんでした。しかし、結果が、議事録がどういうふうになっておりますかわかりませんが、新聞報道では私たちは見ることができたわけでございます。
  47. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 この会合が私的な懇談会であるということでして、やはり正規の会合でないところでこういう決定がなされたということが重大な問題だと思うわけであります。それはまた後の問題になりますので、これにとどめたいと思いますけれども。  上田参考人にお尋ねしたいと思います。  先生は、先ほど今日の激動というか、こういう状況の中でこそ社会科の果たす役割が非常に大きくなっているという御趣旨で御発言いただいたと思うのですけれども、今回の分割は学習指導要領等の改訂問題とも連動しております。学習指導要領では歴史教育小学校では歴史の人物四十二人が必ず教えなければならないという形で盛り込まれる問題だとか、東郷平八郎が登場した問題ですとか、いろいろあるわげであります。  社会科が戦後民主主義を教える教科として登場してきたということから考えますと、今回この低学年社会科がなくなりましたね。高校社会科が解体されるという流れの中で、新指導要領との関連でこういう事態をどのようにごらんになっていらっしゃるのか、お聞きしたいと思います。
  48. 上田薫

    上田参考人 先ほども申しましたが、この高校社会科の解体という問題は、もっと全体的な一連のことだと私は考えております。生活科というのが小学校低学年でできました。その他現代社会、高校一年の必修外しというふうなこともございました。考えてみますと、逐次そういう動きが出てまいりまして、果たしてどこまで行けばとどまるかわからないのですけれども、あえて申しますれば、これはもともと社会という教科の名前がよくなかったのかもしれないのですが、とにかくずっとそういう保守的な立場からの社会科つぶしの攻勢が続いておりました。今回の学習指導要領もまさにそういうことでございます。  そういうことだけで申そうとは思いませんけれども、今回の学習指導要領は甚だ趣旨明確でないです。臨教審の審議を受けていると申しますけれども、ある部分は受け、ある部分は受けていない。あえて言うならば、都合のいい部分だけが生かされているということになりましょうか。ですから、例えば社会科について申しますと、東郷平八郎という名前が入った云々というふうなこともいろいろ言われておりますけれども、片一方において国歌とか国旗というものに対する指示、そういうものがかかわって出てきておりまして、したがってただ単に高校の社会科を分けてやるか、それとも従来どおり社会科としてやるかという問題としてだけ考えることができない。どっちかというと、もっと別の要素の方がどうも原因であるように思われる。これは非常に残念だと思うのですね。  私は、文部省立場もそれは大いに主張されればいいと思うのです。ところが、何かカムフラージュされたような形で出てまいりまして、そしてこれからいろいろ地方に対しても講習その他なさるわけですけれども、これは別のことみたいですが、この数年、文部省が地方の教育委員会に、あるいは教育主事に説明なさる場合も、ほとんど上意下達的な形になっている。これは、文部省がというのじゃなくて、一般に、もう質問しない、ただ受け取ってきて、また次に伝えるという形になっていますね。私は、これは非常に問題だと思います。しかも、これは文部省が強制するという形でやっているのじゃなくて、もう言ってもむだというのか、言うとまずいとか、何かそういう空気が非常に強まっているということでありまして、今回の学習指導要領も全体的にそういうものをバックに持っているということは、私は文部省としても非常に残念なことじゃないかと思いますね。  そういうこともございまして、今回の問題は、これは一つの、派生的と申しますか一つそこにあらわれたのですけれども、根は方々にございます。その根がつながっているということだと思います。それをやはり問題にしていただく必要があると私は考えております。  なお、それから高校の場合、ゆとりという問題がございまして、これは今の改訂関係があるのですけれども、社会科でやった方がうんとゆとりはございます。分化してまいりますと、しり切れトンボというようなことも起こってまいります。これも教育課程にはあるのに実際はやっていない、あるいは入試に出ないところはやらないというふうなことがますます強まってくる。それは非常に心配なことだと私は思います。それもちょっと申し添えます。
  49. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ありがとうございました。  土屋参考人にお伺いしたいと思います。  この免許法の改正によりまして、今度、地歴科、公民科という二つ免許状を出すということになりますと、関係する教員養成大学、また教職課程を持つ私立大学がいろいろと対応が大変だろうというように思うのですね。単位の枠がございますし、それからいろいろな人的な問題もあると思います。  二つお伺いしたいのですが、一つは、今、国会でこういう形で法案審議が進められていますけれども、決まりますと来年四月から実施ということであります。すぐ四月にどう大学が対応するかというのはあるのですけれども、大学側がそういう状況事柄が進んでいるということについてどのように認識されているのか。先ほど来、今回の経過の合意という問題があるわけですけれども、こういう二つ免許状を出すということに伴って大学で、対応する側で起こり得る問題について、大学関係者の間でどういう認識が現在のところなされているのか伺いたいと思います。  それから、もう一つは、先生の中で三つの問題点の三つ目に御指摘のありました点、具体的に予想される問題点がございましたけれども、もう少し詳しく御説明いただければというふうに思います。
  50. 土屋基規

    土屋参考人 二つの御質問ですが、この法律が通りまして来年の四月から実施されるということになりますと、高等学校のこれまでの社会科免許状を出すことを認定されておりました課程は、これに対応して再課程認定の手続をとることになるのではないかというふうに予想されます。実は、ことしの四月から実施された免許法の改定に伴いましても、高等学校社会科を含む免許状を出すところは再課程認定などをしたわけでありますが、そのときにはまだ高等学校社会科ということで手続をとっておりますので、これが教育課程審議会によって認可されますと、来年の四月からこの四月からの免許法の改正に対応するということになりますが、さらにそれに続いて社会科二つに分割されることに伴ってもう一度手続をし直さなければならないということが起こるように思います。  これは、この夏休み前後に起こった再課程認定の手続の中で、私どもいろいろ調べてまいりますと、従来の社会科ですと、もちろん歴史分野とか地理分野とかいろいろ含めまして四十単位というところでなるわけでありますが、今度は地理歴史で四十単位、それから公民で四十単位というふうに教科専門に関するところの単位がふえるわけでありますから、それに対応する研究スタッフがいないといけないわけであります。ところが、いろいろな大学をつぶさに調べてみますと、歴史なら歴史という分野あるいは地理なら地理という分野でも、例えば、私のところで卑近な例をとりますと、歴史先生日本史一人、世界史一人、そして地理一人というようなことになります。  したがって、この先生方が四十単位の専門科目を出すということになりますと、どうしてもその三人ではできませんので、もっとほかの非常勤の先生方をお願いするということも起こってまいるでしょうが、専門教科についての対応はいろいろやりくりをして何とか各大学するのではないかというふうに思いますけれども、手続が煩瑣だというよりは、現在こういう免許法の改定が国会審議されていること自身をも私ども大学にいる者がつぶさによく承知しているわけではございませんので、決まってから後でそういうことがあったということが知らされ、そしてそれに対応するという形になるものですから、十分な認識を持って対応するということが大変できにくくなると思っております。これは大学の規模によっても違うことでありまして、大きな総合大学で基礎的な学問領域の研究者がかなり潤沢にあるところですと対応もしやすいと思いますが、小さな規模の大学などではその対応に専門教科の面でも困るのではないかというふうに思います。  それから、先ほど来、社会科教育法の担当について私は特に強調しているわけでありますが、この社会科教育法の担当というのは教員養成系の大学ですと大体二人ぐらいの専任教員がおりますけれども、やはり何といっても、小学校課程の免許を取るのに必要な社会専門を教えることと社会科教育法を教えること、それから中学校課程社会科教育法も教えることになりますが、マスプロ授業を解消しようということになりますと、やはり分けてやらなくてはなりません。  一番心配なのは、先ほど来強調しておりますように、二つ社会科を分けたことによって従来のように高等学校教科教育法は社会科教育法というので包括的にまとめていくのか、それとも地理歴史教育法というものと公民教育法というものを分けるのか、この行き方によっては、私、後者になりますと、そのようなことを担当する研究養成の機関が大変対応していないと思うわけです。現在、社会科教育法の専門研究者は広島大学であるとか筑波大学であるとかのドクター課程まで持つところで専門研究者の養成が進んでおりますけれども、そういう研究養成の課程とも見合いませんと責任を持って教科教育法を展開することはできなくなります。大学側は何とか対応いたしまして、結局ある歴史学なら歴史学の専門先生歴史学に関する教科教育法をやるということになるでしょうが、これはその先生にとってみればそのことが専門ではないわけでありますから、学問的基礎という点については十分自信を持ってやれるかどうかという点では不安も残るのではないかと思います。そのような対応が大学の中では心配されることとして起こるように思っております。
  51. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 どうもありがとうございました。  以上で終わります。
  52. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ当委員会に御出席いただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。  午後一時三十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十一分休憩      ────◇─────     午後一時三十分開議
  53. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。嶋崎譲君。
  54. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 最初に、先般、十月三十一日から十一月一日にかけて衆議院の集中審議がございまして、大臣も御参加されておられました。その集中審議の際に、自民党の浜田委員から在日外国人の教育あり方について幾つかの御質問がありました。その中身はくどくど申し上げません。その質問に対して文部大臣は、「学校の管理権があるところともよく相談をいたしまして、適当な処置をしたいと考えます。」こうお答えになりました。これは、その前に浜田委員が在日朝鮮人の朝鮮大学が革命の拠点であるという前提に立って、そしてそういう学校あり方がいいのかという趣旨のことに対しての回答でございます。  また同時に、在日朝鮮人の学校に関連して、そのカリキュラムや教科について一定の、客観的な資料であるかどうかわかりませんが問題提起がありまして、それに対して、私もその問題についてはよくわかりますので、それを踏まえて管理者と相談をしたいと思いますというふうにお答えになったりしております。  先般のこの集中審議以降今日まで、文部大臣として適当な処置、これは何をなさいましたか。
  55. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 お答えいたします。  去る集中審議のときの質問に対する答えは今仰せのとおりであります。  その後の経緯につきましては政府委員から答弁をさせます。
  56. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 大臣が、善処したいと思います、適切な処置をとりたいと思いますとお答えになっているのですから、大臣は文部当局にその処置を命じたのですね。だから答えるのですね。
  57. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 朝鮮人学校は現在ほとんど各種学校として都道府県知事の認可を受けて都道府県知事の所轄とされておりまして、文部省はその管理運営につきまして直接に指導監督をする立場にはございませんことは御承知のとおりでございます。  そこで、御質問の、十一月一日の衆議院予算委員会において、朝鮮人学校の調査につきまして大臣から朝鮮人学校の所轄庁と相談したいというふうに答弁をしたわけでございまして、それに基づきまして、現在、その相談する中身等につきまして検討しているところでございます。
  58. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 じゃ、まだ調査中ということですね。
  59. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 検討中ということでございます。
  60. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 私も議事録を後で見まして、こういう議論が我が国の立法府で公然と行われているということになると、我々日本国民として、日本の主権のもとにあって保護しなければならない外国人のあり方の問題と深くかかわる問題であると思いまして、学校制度、カリキュラム、それから何が行われているかについて現地を訪ねながら私なりに調査をいたしました。したがいまして、文部省が調査されることと比較検討して議論をする機会も後で改めてあろうかと思いますし、肝心な法律の審議がありますので、その点は立ち入って議論をいたしません。  ただ、非常にはっきりしていることは、十月三十一日並びに十一月一日の審議以降、在日朝鮮人の児童生徒に対する我が日本人の側からの嫌がらせと言われるようなことが続出していることは、新聞報道で大臣も御存じだと思いますが、いかがですか。
  61. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 承知をいたしております。
  62. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 これについて、海部総理も記者会見で誤解を招く発言をしたことをめぐって、閣議で法相から発言があったと報道されていますが、いかがですか。
  63. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 その問題につきましても承知をいたしております。  また、私ども文部省といたしまして、どのようなことがどのように行われているかということについても、聞き及べる範囲の中において調査等もいたしたわけであります。その内容につきましては、これも政府委員から答弁をさせます。
  64. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 私は現に官房にその具体的な事例に基づいて総連の大幹部の方と申し入れに行きましたので、具体的な事例について、十一月二十日までのものについては新聞で報道されたもの——表に出たものです。裏には表に出ないものがいっぱいありますから。自分が外国人であるということを自覚されるために言わないという例もあるようですから。そういうのは僕のところにあります。それは政府を通じてそちらにも行っていなければいけませんけれども、恐らくそんな調査はまだしてないでしょうから、具体的な事例は新聞で皆さんがごらんになったことを想定していただければいいと思いますが、文部大臣、私は嫌がらせというふうに表現しておきましょう、このような在日朝鮮人の児童生徒に対する嫌がらせについて、日本教育行政の責任者としてどう感じ、どうなさいますか。
  65. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 私は極めて遺憾なことが起きたな、こう考えております。  学校内部あるいは学校の外であっても、小学校中学校高等学校等の学生の間でそんなようなことがあれば、これは極めて厳しく善導したい、こう考えております。
  66. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 私は、総理もしくは官房長官談話ぐらいで誤解を招くような所業があってはいかぬよというぐらいのことを日本国民に対して言うべき性質のものだというふうに政府側には申し入れてまいりました。そこで総理が発言をしたのがまた誤解を招いたために、改めて総理がこういう趣旨で言い直しましたということで官房から私の方に連絡がありました。  したがって今の大臣の御答弁のような考え方は、単なる委員会における答弁じゃなくて、閣議の場でそういう諸問題に対する今日あるような憂うべき事態に対してはきちんとした日本政府としても対処をしていくための努力をするということを改めてお願いを申し上げたいと思います。
  67. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 御趣旨、私ももっともだと思いますので、きちっとした処理をすべく今から行動を起こしたいと思います。
  68. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこでお尋ねしますが、在日朝鮮人、外国人ですけれども、外国人の学校並びにその児童生徒の人権、それから外国人の人権を含めて、こういう問題に対して文部省が今日まで対処した経過はどんな対処ですか。今の嫌がらせじゃありませんよ、基本的に。
  69. 川村恒明

    ○川村政府委員 お尋ねの件でございますけれども、現在我が国には、韓国、朝鮮の方を含めて外国人の子弟の方、五歳から十九歳の方が、統計によりますれば十八万五千人ほどおられるわけでございます。これは、年によってもちろん消長があるわけでございますけれども、こういう外国の学齢期の子供たちに対する教育政策はどういう変化をしてきたか、こういうことでございますけれども、我が国は、基本的には我が国の学校教育を受けたいという子供たちにつきましては、我が国の学校のそれぞれの年齢段階に応じた、発達段階に応じた学校へ受け入れるということでございます。一方、その人たちにとっては、そういう日本教育ではなくて、自分たちの国のやり方、自分たちの国の教育を受けたいという考え方もあるわけでございますから、そういう者につきましては、基本的に我が国の法令の範囲内でそういうものを認めていこうということでございます。  そこで、歴史的に申せば、御案内のとおり、かつてそういうための特別の枠組みとして外国人学校法案というものを国会に御提案申し上げたというふうな経緯もございますけれども、それは審議未了ということになっております。現在はそういう特別の外国人学校法というふうな枠組みではございませんで、現在の学校教育法に定められております学校制度、その枠の中でそういうものに対処していこう、こういうことでございます。
  70. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 具体的には、昭和四十年十二月二十八日の文部次官通達、ここで「朝鮮人のみを収容する教育施設の取扱いについて」という通達が出ておりますが、その後これについて変化はありますか、ないですか。
  71. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 ただいま御指摘の通達は、昭和四十年十二月二十八日の文管振二一〇号という通達でございます。これにつきましては、その後その内容を変更するという行為は特になされておりませんが、ただ、この通達は当時、ただいま川村局長から答弁がございました外国人学校に関する新しい制度を予定しておりまして、その予定したもとでなされた通達でございます。  それで、現在は実際問題といたしましてはほとんどすべての朝鮮人学校は各種学校として認可されているということから申しまして、私ども行政といたしましてはそうした現実を踏まえながら対処をしているというのが現実でございます。
  72. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そうしたら、こう理解してよろしいですか。この通達の1は、朝鮮人、在日韓国人、日韓条約が契機になっていますからこれを境にして、大韓民国の国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定における教育関係事項の実施についてということに伴って、在日韓国人で日本学校に希望し、就学する者については受け入れるというのが第1項ですね。  そして第二番目に「朝鮮人のみを収容する私立の教育施設の取扱いについて」という通達の(1)、(2)はかなりきつく書いてあります。(1)は「朝鮮人学校については、学校教育法第一条に規定する学校の目的にかんがみ、これを学校教育法第一条の学校として認可すべきではないこと。」これは学校教育法第一条と雑則の、あれは何条ですか、八十三条か雑則のところで各種学校を規定している、これの問題であります。(2)は「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとつて、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきではないこと。また、同様の理由により、この種の朝鮮人学校の設置を目的とする準学校法人の設立についても、これを認可すべきではないこと。」と四十年に通達したわけです。  ところが、その後にこう書いてあります。「なお、このことは、当該施設の教育がわが国の社会に有害なものでない限り、」条件つきで、「有害なものでない限り、それが事実上行なわれることを禁止する趣旨ではない。」「なお」にこういう文言があります。したがって、この通達の2項に言う(1)、(2)の(2)は、前段は非常にきつく縛っておりますね。ところが、その後に「なお」で息抜きするようになっている。  在日朝鮮人学校が認可された認可件数のデータがそっちにありましょう。それをごらんになればおわかりのように、この通達が出た後、続々と各都道府県において各種学校の認可を得て学校ができ上がっている。小学校もあれば中学校もあれば高校もあるし、同じく大学も置いていることは言うまでもありません。したがって、この通達が今まで文部省が対応している通達の初めであり終わりであるとすれば、戦後今までの間、とすれば、この通達の2について改めて通達を検討する必要はありませんか。
  73. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 この通達の今までお読み上げになりました部分はそのとおりでございます。その後に、(3)というところに先ほど私がちょっと触れました、この通達のいわば一つの前提として、外国人学校の新しい制度を検討して、そして「外国人学校の統一的取扱いをはかりたいと考えている。」という文章がございますように、御存じのように、当時外国人学校に関する法制度が案として検討されていた、それを前提として書かれているというふうに私どもは思っております。したがって、そういった中での全体の各種学校としての取り扱いの方針というのは、当時そのとおりであったというふうに思います。  それで、現在、先ほど申しましたように、その後この外国人学校に関する状況というのは全く変わってきているわけでございますし、それから現実に、ただいま御指摘のように、朝鮮人学校が各種学校として認可されていって、ほとんど全部なされているわけでございますので、私どもといたしましてはその現実を踏まえた現実的な行政をしていくという姿勢をもってきているわけでございます。
  74. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 歴史に残っている通達ですから、現実に客観的に事態が進行して変化していることと、ここできつく縛っている基本原理とは余りにも矛盾していると私は思うし、これを在日朝鮮人の方々が見ると、依然として我々の学校についてはきつい縛りだという印象だけが残っている古証文みたいな性格を今や持っていると僕は思う。したがって、今局長が言われましたように、これは四十年の通達でありまして、そして四十三年の三月に外国人学校法案というのが内閣提出で出されて、これが一つ前提になっていたと思うが、しかしこれは現実に廃案になりました。  したがって、この通達を出したときに予定された法案が現実に立法府では廃案になって今日に至っているわけでありますから、そしてその後ずっとたくさんの認可が行われてきて現実学校が存在しているということになれば、この通達の考え方を現状に合わせて一度検討してみるべきだと私は思います。それを検討する用意があるかどうか、それだけ御返事ください。
  75. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 ただいま仰せのように、朝鮮人学校現実の認可ということほほとんど全部なされている、それが各種学校にほとんどなっているというような現実一つございます。それから、特にそれについて新しく認可の問題というのが起こっているわけでもございませんので、私どもとしては、この制度あるいは新しい通達の発出とかそういうことは現在のところは考えていないところでございます。
  76. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 これはいじらざるを得ない事態にもっとなっていると思うのです。  その後、我が国の国会で、国連憲章は第二次世界大戦直後ですか、人権規約を批准していますね。
  77. 川村恒明

    ○川村政府委員 御指摘のとおり昭和五十三年に人権規約が締結をされております。
  78. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それのA規約十三条にはこう書いてあります。「教育についてのすべての者の権利を認める。」「初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。」外国人は、「その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」これが我が国が批准した国連人権規約の関連する部分と私は理解しますが、それでよろしいですか。
  79. 川村恒明

    ○川村政府委員 御指摘のとおりでございまして、ただいま先生はこの十三条を朗読されたわけでございますけれども、そのとおりでございまして、我が国はこの条約を批准いたしております。
  80. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 さて、そういう状況の中で現実には各種学校とはいえどもいろいろな形の学校が置かれている。そしてかつては、四十年の通達は認可に対して文部省は否定的であるが、道は開けている。中途半端なものを頭に置いて、ある法案を頭に置いて出していた。新しい人権規約を批准した。そこで出されたこの課題を日本の国内法の課題として今後検討する余地はありませんか。
  81. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 この四十年の通達というものは、やはりこの時点における考え方というものを十分よく示しているものではあると思います。ただ、その後いろいろと事情が変わってきたということでございますが、現実には朝鮮人学校が各種学校としてほとんど全部認可されているという現実があり、かつ新しく認可の問題が、特には私どもとしてはその動きは承知しておりませんような状況の中で、この問題について現在それを検討するという必要について私どもとしてはそういう感じを持っていないわけでございます。
  82. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 じゃ、お聞きしますが、日本人学校世界にある日本人学校ですね、日本人学校の現地での教育制度上の地位というのはどういうふうになっておりますか。  例えば、当該国の私立学校と同一の法令条項によって認可されているとか、それからまた当該国の外国人のための教育的施設として特別の法律条項で認可しているとか、そういう幾つかの条件に応じて、外国にある日本人学校についてそれぞれの外国はどのような扱いをしているかの幾つかの典型的な例として、当該国、ニューヨークならニューヨーク、シカゴならシカゴでいいです、ロンドンでもよろしい、そういうところの学校ではその国の私立学校と同一の法令条項によって認可されておりませんか。
  83. 倉地克次

    ○倉地政府委員 まず全般的なことでございますけれども、日本人学校のそれぞれの所在国における法的地位でございますけれども、これは現地の法制上必ずしも明確でない例が多いわけでございます。  それで、何らかの形で当該国の法令に基づく学校または教育施設として認められているのは、シンガポール、ニューヨーク、シドニーなど合計四十三校ということになっている次第でございます。
  84. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこの学校では、まず教師日本人であること、国語は我が国の日本語、つまり母国語で教育が行われているということ、それから日本学校制度に合わせて学校の制度がつくられているということ、つまりアメリカ学校の制度と違って日本学校制度をそのまま持ち込んで六・三・三制を前提にした学校として存在している。そういう意味で外国にある日本人学校はその当該国が日本人の文化と日本人の教養と日本人歴史というものをそれぞれ学ぶという自主権を認めながら、その国の私立学校と同じような取り扱い、認可をしているという姿になっていると思いますが、いかがですか。
  85. 倉地克次

    ○倉地政府委員 先ほども申し上げましたように、現地法制上必ずしも明確でない例が多いわけでございまして、現地の法令に基づく学校または教育施設として認められているのは四十三校でございますけれども、そのほかに在外公館の附属施設というふうになっておりますものや、それから文化団体としての現地の法令上の位置づけがあいまいとなっているものというのも多数ある次第でございます。例えば口上書、行政措置などにより所在国政府から大使館附属施設として認められているものが七校、それから所在国政府から黙認されている大使館附属施設というのが二十一校、それから所在国政府から認可を受けた文化団体などの活動の一環として運営されているもの十一校というふうになっているのが現状でございます。
  86. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 あなたの調査の仕方の角度で、私の言う当該国の私立学校と同じものとして認可しているというような分類の仕方をしてみないと、我が国における外国人の扱いをやるときの比較にはならぬと思うのです。  そこで、今言ったデータを、外国にある日本人学校の現地の教育制度上の地位について文部省、全部一度整理して、そして私の手元にその調査報告をいただきたいと思いますが、できますね。
  87. 倉地克次

    ○倉地政府委員 できるだけ先生の御要望にはこたえたいと思うわけでございますけれども、なかなか実情の把握しがたいところもあるわけでございますので、その点はお含みおきいただきたいと思う次第でございます。
  88. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 最近、国際化国際化とやかましいのですから、国際化の中の日本人なんですから、そういうテーマについて、我が国の日本人学校が外国でどんな扱いをしているかがわからないで国際化もへったくれもないと思うだけに、きちんとした調査をして、今後我々の立法府での議論の資料として提出願いたいということを改めて申し上げておきます。  さてそこで、これはさっき私が聞いたことに答えてないのですけれども、外国の日本人学校教師はほとんど日本人ですね。そして日本学校の制度に合わせた六・三・三制に乗った仕組みになっている。それからカリキュラムの編成も日本式であります。そういう意味で、この言葉は余りよくないのだけれども、在外日本人学校日本の民族教育の自由を認めている。簡潔に言えばそういう表現をとりたいと思うのです。  さて、それを翻って今度は日本の場合にいきましょう。日本の各種学校における在日朝鮮人の学校は、国語というのは母国語、朝鮮語ですね。歴史は朝鮮の歴史ですね。それから同時に社会もあるかな。僕はカリキュラムをみんなここに持っていますけれども、そういういわば一連のものを独自にやるという意味では、中身は別として、形は、外国にある日本人学校と在日朝鮮人の学校とは法制度的な位置づけは違いますけれども、置かれている学校の姿は同じだというふうに言えますね。
  89. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 朝鮮人学校教育の中身というのは、学則が届けられておりますので、その学則によって都道府県を通じて知るほかにございませんけれども、それによりますと、今おっしゃいました朝鮮の地理歴史などがその教育課程を構成している中身になっておるというのが通例だというふうに伺っております。
  90. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それはこの間の集中審議の中でそういう教育あり方そのものが問題であるかのような——確かに一方で日本の公立学校に行くのもいます。そして独自のもある。韓国人で朝鮮人学校に来ておる人もおります。ですから、かなり行ったり来たりになっていますけれども、表現が誤解を招くといけませんが、一口で言えば在日朝鮮人の民族教育ですね。外国が日本人学校で認めているのと同じようにそれが実施されている。そのほかにただ一つだけつけ加えておきますと、朝鮮民主主義人民共和国の学校制度と在日朝鮮人の学校制度とは同じだと思いますか、違うと思いますか。
  91. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 これは全体としての詳細を存じておりませんので把握してございません。
  92. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 大事なことなんです。つまり、日本の場合は、外国にある日本人学校日本学校制度に合わせているわけです。六・三・三制なんです。在日朝鮮人の方は本国とは違うのです。日本の実情に合わせた学校制度に則して六・三・三制をとっている。これは非常に大事なポイントになります。今後いろいろな問題を考えるときのポイントになります。そういう違いがあるということを一つは念頭に置いて幾つかの課題を申し上げますので、検討をしていただきたいわけであります。  さて第一は、人権規約を批准した我が国としては、日本人については、外国で日本人学校はいわば他国の教育法制度上の地位を確保して、州ないし国からの補助とか奨学金とか、それからいろいろな交通のパスとかいうようなことにいろいろな意味の制度的な補助が行われているタイプが相当あると思う。これも皆さんに全部全国全世界調べてほしいと思うのです、どこはどんなふうになっているか。これに引きかえ我が国では、専修学校、各種学校ですから、各種学校なるがゆえにそういう意味学校教育法第一条で言うところのいわば学校としての保護は受けていない。受けられない。そのために生じている幾つかの問題、たくさんの問題がありますが、そういう諸問題について、外国にある日本人学校で保障されているのと同じようなことを我が国においても在日朝鮮人の学校について検討すべきだと私は思うが、いかがですか。
  93. 横瀬庄次

    ○横瀬政府委員 これは先ほど来申し上げておりますように、各種学校という形で朝鮮人学校はほとんど認可をされている、そういう現実でございます。そこで、各種学校であるという点に関してほかの各種学校、別の内容の各種学校と取り扱いが異にされているということでは決してないと思います。  今仰せの外国人学校、朝鮮人学校に限ってということかもしれませんが、何か新しい別の制度を考えるということになりますと、かつて外国人学校法案で大変な論議を呼んだように、これは大変慎重に検討する必要があるというふうに思います。
  94. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 これだけ議論しておるわけにいきませんから、今後の検討課題を項目的に申し上げましょう。  在日朝鮮人が、朝鮮人学校が各種学校として認可されているということのために児童生徒にどんな問題が起きているかというと、高卒の資格が、日本の定時制へ改めて通うか日本学校制度にもう一遍振りかえて資格を取らなければ、日本大学に進学していく資格は満たないということになるのはおわかりのとおりですね。  しかも、地方自治体によっては奨学金を出しているところもあるのですよ。御存じだと思いますけれども、ちゃんと生徒に奨学金を出しているところもあるのですよ。それからまた、学校に対して市町村の段階で補助を出しておるところもあるのですよ。だけれども、そういう情勢の中で大学に進学しようという人たちは、高卒の資格を各種学校では持てないからもう一度日本学校制度の条件の中をくぐって、そこで資格を取り直すか検定試験を受け直さなければ大学受験することはできない、こういう制度的な枠の中にいるわけですね。そのために生ずる朝鮮の児童生徒、特に生徒の大きな負担という問題を、我が国の主権のもとにある在日外国人の規約に言っているところの教育権というものを考えた場合に検討すべき課題であると私は思う。これが第一点。その客観的条件があるかないか、皆さん、これも一遍調べてください。  在日朝鮮人の各種学校高等科を卒業して検定試験を受けて、東京大学、京都大学、そういう一連の大学にみんな合格をいたしております。現在、大学では、例えば慶應とか私立の学校と公立の大学、私立並びに公立の大学では各種学校の卒業生を受験資格ありと認定して受験をさせております。どこがやっていないか。国立だけであります。国立だけなのです。国立の大学では、各種学校であるから高卒の資格じゃないから、東大を受けたり京都大学を受けるときにはみんな大検の試験を受けるか、さもなくば昼は朝鮮人学校へ行って夜は日本の定時制学校へ通うのです。  しかも、何の奨学金もなければ大変な苦しい生活の中で学校へやっているのですから、現実には大変な負担の中で資格を取って続々と進学をしている。その進学率の上昇の率についても、私はここにデータがあります。きょうはそれだけ議論する暇もありませんからその資料を公にいたしません。したがって、私立、公立の大学で各種学校高等科卒を高卒に準じて受験を認めているという現状に対して、国立大学ではそれを認めないという現状のあり方はこれでいいのかどうか、これが第二点目です。  そして三番目には、そういう条件が満ちつつあるわけですから、在日朝鮮人学校について、地方自治体を経由してではあるにせよ、私学並みの対応についての検討が必要になってはいないかなということであります。  私は、日本の私立大学と同じようにせよと言っておるのじゃありませんよ。しかし、日本の主権のもとにある在日外国人で日本に永住権を確保し生涯日本に住むという人が、現に自国の民族や文化について学びながら母国語についてもしっかり身につけておいて日本語と英語と数カ国の外国語を勉強している各種学校の高等科卒が大学入学資格を持たないという条件の前提になる、余りにもひどい対応が今日行われていはしませんか、それを先ほど申し上げた。日本人の外国にある学校と比較してみて、私たち日本人の方は、ロンドンにいたってニューヨークにいたって向こうの教育法制上の地位をもらって、そして向こうで民族教育ができる。我が国の在日朝鮮人についてその条件がないということになれば、中教審答申で国際性豊かな日本人とか国際的な視野でもって世界に対処しなければならぬとおっしゃるなら、まず我が国の足元から、在日朝鮮人で永住権を確保している人たちについて学校制度上どのように検討するか、これをやらなければならぬと思います。  したがって、法律条項上の問題として言うならば、学校教育法第一条の学校、今のところ雑則、八十三条で認可を受けているわけでありますから、この雑則の八十三条による各種学校を第一条の学校に準じた扱いにするという場合の法技術的対応はどうしたらいいのか。皆さん専門家たちですからどういうふうに対応したらいいのか検討してください。僕は法制局に聞きます。  これを法律でいじりますと、また外国人学校法案みたいに、今の社会科公民、地歴の分化みたいなもので、イデオロギーの対立になっては大変ですから、そういう面倒くさい対立を起こさせないで、在日外国人の教育権というものを保障していくための法律でないとすればその他の方法。通達で可能だとはちょっと思えぬけれども、学校の認可権者は市町村ですから国があまり干渉することはできませんが、それに対する次官通達ならば指導助言的意味を持つのですから、そういう意味の対応で対応の仕方があるかなと考えてみたり、法律でいじるとまた事が複雑になるとすると別の方法はないか。私も今のところわかりません。もう少し法制局の方と詰めたいと私は思っております。そういう課題について検討する用意があるかどうか。  大きく言って三つですね。その三つの大前提は日本学校制度に合ってはいるが、カリキュラムや中身についてはそれぞれの国の人たち教育の自由権というものがあるのです。日本の制度は合わせなければ金を出さぬというようなことには日本人学校の場合にはなっていないのですから、わかりますね。日本人の場合と比較してみて、在日朝鮮人のあり方というものについて、そういう三点について私は提起いたしましたが、今後検討して、また改めて委員会で私は討論に立ちますので、今国会は十六日までですから、その間にやれといったって無理でしょうけれども、次の通常国会か予算委員会で私はやりますから、そういう時期までには一定程度の判断を文部省、行政当局として持ちながらこの問題に対処していただきたいということを申し上げるのですが、検討していただくという用意があるかだけ御返事ください。
  95. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 お答えいたします。  今三項目のお話があったわけでありますけれども、いずれにいたしましてもこの問題につきましては我が国の学校教育体系の根幹にかかわる事柄であります。そこで、国際化への対応の観点等も含めて慎重に対処すべき事柄である、こう考えております。
  96. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 今の答弁だと検討せぬみたいな話だけれども、根幹にかかわるというのは何ですか。日本教育の根幹にかかわりますか。私立学校の設置の自由、認可の問題と外国人の学校の設置の問題を同じような権利の問題として外国でも皆扱うのですよ、そういう扱い方を検討せいと言っているんですから、何もあなた、大変なことじゃないじゃないですか。いずれにしても、ここでこんなことを議論していると肝心な議論ができなくなりますからこれでおきますが、この問題について執拗に、私が政治家である限り今後とも追求をし、御協力も賜りたいし、私はそれをやることが大事だと思います。  というのは、現在、日本人で朝鮮民主主義人民共和国に二人の人が富士山丸事件というものに連座して刑に服しております。私はこの刑は不当だと思っています。だから釈放しなければならぬと思っています。その人権外交という問題と我が国内における在日外国人に対する対応の問題は密接不可分に連動していると考えるからであります。そういう観点が要る。だから三月の三十日に予算委員会で前の竹下総理は、朝鮮半島政策について新たな発言を議事録に残されたのです。それはもう時間がありませんからここで説明しません。非常に重要な観点です。第二次世界大戦前の植民地時代について反省して改めて考えるということ、その後の日朝の関係たついても冷たい関係があったのでこれを検討する、その認識の上に立って今後の日朝関係を新たな方向に向けて検討したいという発言をなさっています。  そういう重大な日朝関係の新たな課題、外交問題と国内のこういう外国人に対する対応の問題は相互に密接不可分な関連を持つと考えるがゆえに、朝鮮半島も、東ドイツは壁が破られたようでありますから、南の方も、朝鮮もあの壁が破られるような時代が早く来なければならぬと私は思うが、そういうことを含めてアジアの中における日本、アジアにおける朝鮮、こういう問題をお互いに隣国として考え、戦争中に私たちが彼らに大変なことを強いてきた経過を反省してみて基本的に検討すべき課題であるということも私は切に感じますので、今言った点の検討を今後とも要請を申し上げまして、このテーマは終わります。  今の問題も、我が国における社会科教育ないしは地歴、公民日本人公民としての自覚、それから日本人の地歴の理解、太平洋戦争というのか第二次世界大戦というのかいろいろ議論があるようだが、そういう問題に対する我々の歴史認識、こういうものと密接不可分でありますから、それだけに学校教育における問題として密接な関連のある時事問題だということを申し上げて、次の質問に入ります。  先週、私としては委員会不在で、皆さんの質問をお聞きすることがでさなかったために重複する部分があるかもしれません。  昭和六十二年十二月一日、日本社会科教育学会名で「高等学校社会科」の改定に関する質問書」という文書が十二月十四日までに回答を要請して届いていたと思いますが、そのとおりですね。
  97. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 御指摘の質問書は、「高等学校社会科」の改定に関する質問書」というので六十二年十二月一日に出ているものだと思いますが、これは教育課程審議委員に対しまして出されたものでございます。
  98. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 教育課程審議会に出されたのに対して回答があったでしょうか。
  99. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは個々の委員に出されておりますので、個々の委員で御回答になった方があるかも存じませんが、全体としてどういうことになっているのか私ども承知しておりません。
  100. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 では、ここに書いてある三点をお聞きします。  「一、教育課程審議社会委員会では、社会科存続の意見が大勢であったと報道されております。」これは「報道されております。」です。「それにもかかわらず、高校分科会で社会科廃止が決定されたのはいかなる経緯からでしょうか。また、それを承認された理由をお示し下さい。」こう書いてあります。  この一の問題は私も同じ質問を申し上げたいわけであります。今の一の質問ですね、今私の言ったこと、これは質問なんです。回答はこの先生方にはなかったのですから、今度皆さん方の方で法案を提出して、この決定に従って対応なさるわけですから、「教育課程審議社会委員会では、社会科存続の意見が大勢であったと報道されております。それにもかかわらず、高校分科会で社会科廃止が決定されたのはいかなる経緯からでしょうか。また、それを承認された理由をお示し下さい。」答えてください。
  101. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育課程改訂につきましては、審議会の答申に基づいて行っているわけでございます。そこで、この審議会でございますけれども、審議会の発足いたしますときは、まず委員が少人数と申しますか、二十七名だったと思いますが、その親委員会をまずつくりまして、そこで課題別の委員会などを組織して審議していくわけでございます。そこで粗ごなしをしましてから、今度は初等分科会、中学校分科会、高等学校分科会という三つの学校段階別に分けまして審議を深めていきます。それと同時に教科別の委員会もつくりまして、教科別にまた審議を深めていくというプロセスを経ております。  そこで、御質問の社会委員会でございますが、これは今申し上げましたように審議会の総会、それから課題別委員会等の審議を踏まえまして、その後、昭和六十二年三月からこの社会委員会審議がいろいろ行われているわけでございます。そしてその間には、いろいろな方のさまざまな意見がございますので、この過程には各種の論議が行われたことは当然でございますが、もともと社会科委員会といいますのは、何か物を決める機関というよりは、その審議を個別の問題について深めていくという委員会でございますので、ここではその審議を深める論議を行いまして、それを高等学校の分科会に報告して、そして最終的に高等学校分科会でその具体的な社会科の再編について決定をしたということでございます。
  102. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ではその経過について二、三、私もわからないものですからお聞きします。  私は、この四十年の蓄積を持った社会科教育というものを、小学校生活、中学の社会、そして今度の公民、地歴というふうに高校の段階で分化させていくということの理由がどうしてもわからないのです。なぜ、先ほども参考人先生方四人の意見を聞いても全く表現が違う、全く違う、このぐらい難しい問題はないのじゃないですか、ある意味では大変難しい問題。だから、それだけにこの問題の決定というのはかなり慎重な経過というものが必要であったし、その経過としては私はかなり慎重であったなと思います。  皆さんの高等学校課から出ている資料で最初にお聞きしますけれども、かつての中教審の段階でも社会科を検討されなければいかぬなという議論があっていることは、私も長い間ここにおりますからよう知っております。しかし、学習指導要領の改訂の方向に向けてアクティブにというか表面に出て動き始めたきっかけは、やはり臨教審の発足ではないかなと思うのですが、この社会科問題についていわば積極的な審議にかかった時期をとれば、いつになりますか。
  103. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは長い経緯があるということは先ほど来の参考人意見陳述にもあったとおりでございます。戦後、社会科が発足いたしますときから、この社会科という総合教科に対しましてはもちろん異論がございましたし、そして特に昭和二十七年に社会科教育の見直しにつきまして教育課程審議会で議論いたしましたときは、この社会科あり方について分離論なども出ております。それから、その後も常に学習指導要領の改訂のたびに社会科あり方について論議としてはございます。ただ、政府の正式の審議会で報告の形でこの問題に触れられたのは、私の知る限りではこの昭和五十八年の中教審の審議経過報告からではないかなというふうに思っております。
  104. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 私もその認識では一致しています。昭和五十八年十一月十五日、中教審ですね。このいわば第一段階は、私は、この時期からが社会科問題について積極的な動きが始まったときではないかなというふうに思います。この昭和五十八年というのは参議院選挙のあった年ですね。六年前だからそうでしょう。それで林健太郎さんが参議院全国区で御当選になるわけです。ここが一つのポイントだと私は見ているのです、これからの経過でいきますと。  そこで、大臣にお聞きしますけれども、自民党で教科書問題を考える会ですか、林健太郎さんが会長で事務局長は現大臣であるという文書を読んでおりますが、そのとおりですね。
  105. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 そのとおりでございます。
  106. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それで、臨教審の発足は一九八四年、昭和五十九年発足でありますが、それと同じ時期に教科書問題を考える議員の会がほぼ並行してできているというふうに理解してよろしいですね。
  107. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 今御答弁を申し上げましたが、現職になってからは事務局長の職は辞しております。  そして、ただいまの御質問でございますが、教科書問題の懇談会の中において、教科書のあり方についてということ、ひいては学習指導要領の問題等について大変精力的な研究を行っております。
  108. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 一九八二年、昭和五十七年に日本教科書問題をめぐって韓国や中国あたりから、侵略、進出問題で話題になったのはその前の年の一九八二年だと思いますが、そうですね。
  109. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 中国、韓国との間での教科書問題が出ましたのは、昭和五十七年六、七月からであったかと思います。
  110. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 その対応に大臣は随分苦労された。あなたも私も長い間ずっと十何年文教ですから、何か追っかけていれば大体やっていることは見えるのですけれども、そのときに努力されたことも聞いていますが、教科書問題を考える会というのは、そのような前の年に出ている日本教科書問題をめぐる国際的な論議の中で出てきている問題なども受けて、今後の日本教科書問題を考える会として扱うような課題を中に含んでおりましたか。
  111. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 お答え申し上げます。  昭和五十七年、中国、韓国から教科書問題が起きたわけでありますが、そのときには私はまだ教科書問題の事務局長にはなっておりませんでした。ただ、従来よく委員も御承知のとおり、当時は私は党の文教部会長でございました。
  112. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 まず確認しておくことは、片や五十九年臨教審が発足し、そして今言った参議院選挙を受けまして当時は東大の林健太郎先生が参議院議員になられましていよいよ考える会の会長になって、その時に事務局長におなりになっている。その前は文教部会長でしょう。それで事務局長に就任されたのは五十九年でしょう。  そこで、臨教審の第二次答申、第三次答申、第四次答申、それぞれには、この社会科問題について一定の見解らしきものが抽象的な形でいろいろ盛り込まれてき始めております。しかし、今日のように社会科公民、地歴と分けるというような具体的な内容としては、臨教審答申の中では具体化されておりません。臨教審としては、そこで教育課程審議会を発足させて、教育課程審議会にこの一連の問題を審議してもらうように要請をするという形で教育課程審議会が発足するのは、臨教審答申の第二次答申直後の昭和六十一年だと思いますが、そうですね。
  113. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育課程審議会が発足しましたのは、昭和六十年九月でございます。
  114. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 六十年ですか。  そこで、僕がざあっと整理してみますと、この高等学校における社会科問題の臨時教育審議会、それから教育課程審議会から高等学校の部門、それから課題別の社会科、それから学年別分科会などに発展していきます。それを時期的にずっと見ますと、昭和六十二年六月二十六日までの段階だと思うのですが、昭和六十一年の大体一年間に随分議論しています。社会科の課題別委員会、第三委員会では三月、四月、五月、六月、七月とやっていますね。そして、七月二十一日に総会に報告しています。昭和六十二年に入って、高校分科会も社会科委員会との兼ね合いを持ちながら三月、四月、五月、六月と集中的な審議をやっています。この六十年、六十一年、六十二年までの段階を私は第一段階だと思うのです。それ以前、臨教審が出てくるまで、つまり中教審などで問題になりたまでの時期が前段だと思うのです。それから臨教審ができて、教育課程審議会ができて、その後動いて、昭和六十こ年の六月二十六日までが一つの段階だと思うのです。  要約的に言いますと、その段階の特徴は、よくわからないのですけれども、文部省側としてはどうも協力者会議意見を聞き、この協力者会議というものは構成がどうで、どういう時期にどうなるのかというのは一つ問題なんでしょうけれども、いずれにしても文部省としては、臨教審から出てくる、片や臨教審の要請を受けて動き出してくるというのに対して、文部省文部省なりに日本の戦後四十年の社会科教育の経験を生かそうと努力しながら対応していた時期。片や、そういう経験を生かそうとしているのに対して、もう一つ、臨教審やそちら側から社会科を積極的に検討せいという課題が提起されているというこの時期が大体六十二年の六月までじゃないかと私は見るのですが、いかがですか。
  115. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 いろいろ見方があるのかも存じませんが、私どもは、昭和六十年に教育課程審議会が発足いたしまして、当初は全体的な議論をしまして、次の、六十一年三月から課題別の委員会を開いて、その中の一つとして第三委員会では社会科教育あり方についての審議に入っているわけであります。そして、その課題別委員会というのも、これも先ほどちょっと申し上げましたけれども、何かを決定する機関ではなくてある課題について審議を深めるという性格の機関でございます。これは先ほどの教科別の委員会社会科委員会とそういう意味では同じなんでございますが、そこでこの課題別委員会でいろいろ社会科教育あり方について審議をして、そしてそれを受けて中間まとめが六十一年十月に出る。そして、その中間まとめに基づきまして、今度は拡大した教育課程委員会、当初二十七名で発足しましたのを約三倍の六十四名の委員会に拡大いたしまして、小学校、中学、高校というそれぞれ学校種別の分科会を発足させて、そこで審議をして、そしてその中で当然この問題も扱ってきたというわけでございます。  その前段階としてもちろん中教審や臨教審がございます。しかし、これはカリキュラムについて専門に検討する審議会ではございませんので、そこでは一応の方向性なり問題点を指摘してとどまるのは当然だと思います。それを受けて教育課程審議会が六十年九月からこの社会科の問題も含めて審議を進めてきたということでございますので、どこで区切るという問題はいろいろ見方があるのかと思いますが、私どもは特に六十二年六月で一つの区切りというふうには考えておりません。
  116. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 というのは、この時期までは社会科委員会であれ、同時に高校分科会であれ、この辺での報告文書に見る限り、高校における社会科教育公民歴史分化するという意見歴史教育重視、国際性強調、そういう議論と、それまで、今日まで蓄積しているものを学校の制度やカリキュラムなどを考えてみて現状の対応でいくべきだという、この二つ意見が常に両論併記型でもって事態が進行していたのが六十二年の六月から十月までいくかどうか、まあ六十二年の半ばまでがそういう動きたったのではないか、こう見るのですが、どうですか。
  117. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 社会科の再編成の問題は、これは教育課程審議会として大きな課題だと思います。今回の高校のカリキュラムの改訂では大きな課題の一つであると私ども認識いたしておるところであります。  したがいまして、当然こうしたことに対しましては論議が分かれ、そして論議が積み重ねられるのは当然だろうと思います。それだけ慎重に審議をずっと続けてきた。ただ、教育課程審議会として決定するのは、これは最終的には総会、最終答申を決める総会でございます。しかし、その前にはもちろん高校教育の問題でございますので、高校教育分科会においてある種の結論は出す。ですから、結論を出すのは当然高校教育分科会ないしは最終的な総会であるというふうに理解しておりますので、その間慎重に審議が続けられてきたというふうに理解いたしております。
  118. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 先ほど兵庫教育大学学長の上寺先生が十一月四日という点を非常に重視されました。十一月四日に専門家意見を聴取するということで、この問題に関連する懇談会を持った、そこで結論的な判断を下したというふうに理解すると言われました。十一月四日にこういう会議が開かれたようでありますが、そのときの構成メンバーはだれが招集し、だれが招集されたのですか。
  119. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 六十二年十一月四日に高等学校社会科教育懇談会が開かれております。これは教育課程審議会の正式の機関ではございません。ただ、これを開催するに当たりましては、分科会長であります諸澤会長と私ども御相談といいますか、依頼を受けてと申しますか、文部省で会場も用意し専門家にお集まりいただいたということでございます。  ただ、こうしたことはこれだけではなくて、これまでの教育課程改訂のたびに審議会を数年にわたって開いておりますが、いろいろなこういう懇談会的なものは常にやっております。今回の教育課程審議会におきましても、この問題以外にも生活科をつくるに際しまして、ごく当初でございますが専門家意見を聞いたこともございます。それから道徳教育の今回の改訂に当たりまして、倫理学者とか道徳の教科指導を専門にやっていらっしゃる方とか何人かの方にお集まりをいただいて意見を聞いているということはこのほかにもやっているわけでございます。
  120. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 さっき兵庫教育大学の学長がその懇談会に参加しているメンバーについてはおっしゃらなかったのだけれども、社会科科目のいわば研究協力者会議のキャップになる主査の方六名は参加されておりましたか。
  121. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育課程審議会でいろいろ審議をするに際しまして、学習指導要領作成協力者会議というものを小中高教科別にそれぞれ委嘱しております。したがいまして、その数は六百名を超えると私は記憶をしております。高等学校につきましても、社会科学習指導要領作成協力者を同時に並行して委嘱して、審議会の審議が深まるようにいろいろ御議論をいただいてそれをフィードバックしてこれを進めているわけでございます。各科目の主査、日本史世界史地理、倫理、政治経済等の主査にはもちろん出ていただいております。
  122. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 主査以外にはどういう方が参加していましたか。
  123. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 そのほかには高等学校分科会の委員であります木村尚三郎先生、田村哲夫先生、それから教員養成大学の代表として上寺先生に御出席をいただいております。
  124. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 つまり、協力者会議というのは事実上教育課程に関連する専門家でありて、学習指導要領やそういう問題の相談ができる専門家に委嘱して、かなりの人間になっているけれども、そこに各科目の主査がいますね。その主査以外に選んだ人たちはどういう基準で選んだのですか。
  125. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは諸澤分科会長のいわば研究会でございますので、諸澤分科会長と相談をして選んだわけでございます。
  126. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこで、東大の木村教授の名前がさっき局長から出ましたから、木村さんだとか——その後昭和六十三年四月にいろいろな人事の変化が起きますね、その際にいよいよ表舞台に登場してくるのが木村教授であることは御存じのとおりであります。したがって、先ほども兵庫教育大学の学長が言っているのは、この懇談会で協力者会議の主査の方々が参加した上で高校社会科公民、地歴に分けるということについて異論はないと判断をしたので、これが一つの決定として次の十日の運営小委員会発展する、こういう説明をなさっていたが、そういうふうに理解してよろしいですね。
  127. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは、出席された上寺先生がそういうふうに思われたということだろうと思います。ただ、御案内のように教育課程審議会の答申に基づいて行っているわけでございまして、教育課程審議会の決定は、六十二年十一月二十日の分科審議会、最終答申の六十二年十二月の教育課程審議会の総会で満場一致で正式に決まった、私どもからいえばここで決まったということでございます。ですから、先ほどの上寺先生のお考えは先生のお考えだろうと思います。
  128. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 あれは上寺先生の個人の考え方。——高橋先生もそう言ったか。僕はこっちの方の参考人を記憶しておりますが、そっちもそういう意見だったか。そうすると、その懇談会は高橋史朗さんも参加していたのですね。
  129. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 高橋先生は参加されておりません。
  130. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 さっきのでは、これが節目だということを符合するようにおっしゃっているのよ。十一月四日の懇談会が社会科分化させるという問題を決断していく重要なきっかけになった会議ですということは、参加されてないこっちの参考人の方も確認されたところにお二人という意見が今出ているんだと思います。  いずれにいたしましても、これを境にして社会科公民、地歴というふうに分かれる正規の議題が運営小委員会やそれぞれの課程審議会等々で動き出してきた転機だと学長もおっしゃっているように、私もいろいろなところから資料を探ってみると、そこが転機のように思います。  そこで、十月二十九日に、学習指導要領作成協力者会議文部省の高校課長に、社会科問題が新たな公民、地歴というふうに分かれるといういよいよ議題が方向づけられつつあるなあと判断をされて、そして社会科科目に関連する協力者の全員の合同会議でも開くか、もしくはその主査たちの集まる会議でもって事前に高校教育の課長にその会合を申し入れたというのは御存じですか。
  131. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 私は承知しておりません。
  132. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それがどうしてそういうことになるかというと、その申し入れをやった方々の中に、次の四月に再任されないことに関係する人たちが証言として雑誌「世界」だとかいろいろなものにお書きになっているのですよ。いろいろなものにそのときの経過をお書きになっているわけです。だから、そのお書きになっているものを私なりに精読をして整理してみると、十一月四日の専門家のいわゆる懇談会というものは、ここでいよいよ社会科二つ分化するという方向に向けて機関に議題にのせるためのいわば根回しというか、事前の懇談会的性格を持っている。そういう判断に基づいてそれ以前に文部省の高校課長に対してその申し入れをやろうというわけで、申し入れているのは二十九日です。そういう話が出ていたが、これを高校課長のところでは、だめです、そういう会合はできません、皆さん方の意見は聞く必要はないというので却下されてしまった。事実上行われなかったということです。  そして十一月四日にその協力者会議なるものの主査六名が参加する今の懇談会になったわけです。そこには、木村教授やその他の方も含めてその事前懇談会になった。懇談会をやることが悪いと言っているのじゃないですよ。その懇談会が学長が言うように、今後公民地理歴史社会科を分解していくことを正規の議題にしていく決定的な方向づけの会議になったと言っているのです。としますと、それ以前に、十一月四日以前の六月ぐらいまでの段階、私はさっき第二段階というふうに言いましたが、その段階までにいろいろ分科会であれ課題別であれ議論してきたまとめの中では、依然として四十年の蓄積を持った社会科というものを現行の体制の中で維持しつつ改革すべきであるという議論と、それからこれを新たに再出発し、西洋史必修にして今のような格好に持っていくという考え方とが両論併記で、恐らく文部省の当時の初中局の方では現状維持的な方向で出てきている問題に対処するしかないという判断でまとめようとしていた時期ではないかと僕は思うのです。  現に横浜国立大学の事務局長に行かれました課長がそのぎりぎりに追い込まれたときに、彼はこの直前、十月二十六日に国立大学に行ってしまうのですから。その直前に協力者会議先生方と話をして、ここまでぎりぎり来たから、こうなるとまとめる方法は、全体の社会科という枠をつくっておいてそして問題になっている歴史教育というものを単位数で生かすか選択科目制でどういうものにして生かすかというような運用の方法で事をまとめるしかないなと判断をされていたという文書があちこちにあります。発表されております。ですから、実際にはそんなものを公に文部省は今こんなことを考えていますなどということを文書に残すはずはないですから、インフォーマルな情報でしかないと僕は思う。  したがって、当時の高校教育の課長が、軸になっていた周りにいる協力者会議や分科会に集まっている先生などの意見を聴取しつつ、役人の方が内容を決めるわけにいきませんから、学者の議論の中で決めて文部省が推進するしか方法がないのです、行政ですから。そうすれば、その委員の中の、いわば構成としてはどうも力関係というか、全体の様子の中では社会科を維持していくという、現行の情勢を維持していて今の足りない部分を改革しなければならぬ課題はあるけれども、積み重ねてきた四十年の日本教育の経験というものを生かしながら、今出ている新しい問題に対応すべきだというふうに考えていた時期が私は六、七、八月くらいだと思うのです。その時期にはそういう判断であったのではないかなという私は気がしているのです。気がするしかありません。資料を読んで判断するしかないのですから、当事者じゃありませんから。  ただ、はっきりしていることは、それ以前の分科会のまとめやそれを見る限りは両論併記、両論併記で事が進んできた。それが十一月四日を境にして分離するという方向に非常にはっきり動き出して、その先は早いです。十一月十三日第十二回、十一月二十日第十三回、審議のまとめの討議なのです。そして十二月二十四日に教育課程審議会に出てその結論が文部大臣に答申される。非常に後、早いです。これから先は早い。さきでいっぱい長い議論をしたのだからこの時期早くてもいいというのは、そういう理屈もあるでしょう。だけれども、この十一月四日を境に、十二月二十四日の文部大臣への答申に向けて事態が急速に進行したということだけはどうも歴史段階的には非常に特徴がある、私はこう見ます。  その変化は、この懇談会に出た六名の方々は、さっきの兵庫の学長の話だと、分化することに対して反対でなかったようにおっしゃるが、六人とも口をそろえて社会科存続ということをこの懇談会の直後に発言されています、私の調査では。そうすると、その数日前に文部省の課長が動いてしまっていますが、課長に向けて、新しい課題が出てくるが今までのまとめと違った方向に誘導されはせぬかということから協力者とも一遍対応してくれという提案が文部省側にあってもそれをけらざるを得ぬだろうし、そして十一月四日の懇談会となって、それを転機にして二十四日の答申に向けて急速に動き出した、こういうふうに理解せざるを得ないのですが、どうですか。
  133. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 十一月四日を大変重視されていらっしゃいますが、これはもちろん審議を深めるということでやったわけですから、重要な会議であろうと思います。しかし、上寺先生は、先ほどおっしゃいましたのはそれまでの審議に参加されていらっしゃいませんので、どういう審議があったかというようなことは全然御存じなくて、たまたまこの日の会議だけ御出席でございますので、それが非常に重要な決定の要素になったのじゃないかというふうにお受けとめになるのは、これは上寺先生の御認識の問題だろうと思います。  ただ、事実は、先ほど来私が繰り返し申し上げておりますように、当初の課題別委員会、それから高校分科会、さらには教科別の委員会等でずっと審議を深めてきているわけです。そして、常に協力者会議との議論をフィードバックしながらずっときて、慎重に審議した結果この結論が最後になった。しかし、いずれにしましても正式に決定をいたしますのは、この高校分科審議会、それから本来の教育課程審議会でございます。そこの決定は全員賛成で決まっているということを御理解いただきたいのであります。
  134. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それは、今まで上寺さんはそういう懇談会の重要なのに出てなくて、大変重要な転機とも考えられる議題に呼ばれたのですか。これもまたおもしろい話ですね、今の局長の話は。今までの審議の中で重要な位置を占めている人たちでこの際もう一度詰めた議論を最後にせにゃいかぬというて人を集めたんじゃなくて、このときにたまたま出られたというような、そんな表現は僕もちょっと解せないけれども、そんなことを言っていたってしようがない。  ですから、いずれにいたしましても、この時期、これが十一月四日だということは、さっき参考人が二人とも実証しているのです。上寺さんと、高橋さんは出ていないのに十一月四日だと言っているのですから、つまりそういう重要な会談をきっかけにしたというこのこと自身も、参考人の言っていることもそれは個人の意見ということには僕はならぬと思う。というのは、高橋さんはこのメンバーじゃないのですよ。だけれども、自分は臨教審以来この経過に深くかかわっているものだから、これを非常に重視して同じ意見を述べられたんだと思いますよ。これが一つの転機だとおっしゃったんだと思うよ。  いずれにしても、つまり、そういう懇談会の持つ性格がどうもあいまいだというふうに言わざるを得ぬし、そしてこのあいまいな人たちの会合でもって出た議論で、もはや分離というのは多数の意見として判断できるという御判断で次のステップを踏み出したのか、それとも、もはや反対する人は切り捨てて賛成する人たちで結論を持っていくというふうに運営しようと決断なさったのか、そのどっちかの時期なんではないですか。
  135. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これだけの大きな問題でありますから、その審議過程にいろいろな御議論があり、いろいろな御意見の方がいらっしゃるということは当然だと思います。ただ、いずれにしましても、最終的にこの答申を決めるのは、先ほど来申し上げておりますように高等学校分科審議会とこの教育課程審議会の総会でございます。そこでどういうふうに決まったかということが重要だと私どもは考えておりまして、そこの二つの正式の決定機関におきましては異論なく社会科の再編成が決定されているということを御理解いただきたいと思います。
  136. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ですから、上越の朝倉教授、それから平田教授が辞任されたのもこの直後なんです。それも参考人の方々もおっしゃっている。この直後に辞任されている。そして同時に、その次の二月に、協力者会議の皆さんにはまあそういっても御協力いただくんだということで二月に一回協力者の会議を開いています。そして、四月でそれらの人たちの人事がぽろっと変わるのです。つまり、六十三年の二月の段階から四月の段階に、ここでまた一つ転換が起きるわけです。その前段の布石が十一月四日から十二月二十四日の答申、そして次の年の四月の委員の差しかえです。五百七十二名中百二十三名再任されないのですから。  ということが、最初のうちはそういうものに参加された方々が、大事なことだから、外に向かって言うべきことではないと思うが、しかし、そこに参加されている人たち文部省の側で当時のことについて明らかにする人たちが出始めたので、私もその経過について語りたいといって語っておられますよ。したがって、どう見てもこの十一月四日を境にして、それは一つの契機であったにせよ、急速に十二月二十四日の答申にこぎつけるまでのこの短期間に、それまで慎重に両論併記で対処してきた諸機関の対応がここで分化するという方向に議題が変わり、そこに結論づけが急がれたということだと思うのです。  だから僕はわからぬのです。何でこんなに急ぐのですか。なぜこんなに急ぐのかということと、そして参考人もおっしゃっているように、協力者の先生方の差しかえ自体の持っている意味だって重大ですよ。電話もかからないでそのままになってみたり、今までなかったということが幾つかあります。主査の人にさえ連絡なしに再任されなかった人もいるという、それはみんな文書になって公になっているのですから。そういう経過があって、急激な展開の結論として今日の、その後のいわば文部省の公示になるわけ。  そういう過程を見ると、どう見てもここに何かがある。その何かがある重要なあかしとしてそこらじゅうに語られているのは、中曽根総理と高石事務次官の会談というのがちょうどその直前、大体六月段階で両論併記で現状維持的な方向でまとまっていたのが、ある時期から急速に転換が始まる、文部省の内部でもそういう話がささやかれ始めるという意味で、政治的なものの介入があったのではないか、もう今やそれが文書になって天下に出ているのですから。文書になってそこらじゅうに出ているという意味では、もはや不信だけが残るような結果になっているのじゃありませんか。それだけに、参考人上田先生や、今申されましたように現場の教師たちや、それからまた今まで学習指導要領その他に協力をしてきた、教育課程審議会に協力してきた、そういう専門家人たちから不信を買うような結果になることはこれからの日本教育にとっていいのですか、大変心配だという参考人の発言が出てくる背景はそこにある、参考人意見を聞きながら、私はこう思いました。  これ以上議論していっても時間がありませんから詰められませんが、そういう意味で大変大事な転機がここにあって、政治的なものが介入したと私は判断をしますが、そのときに、私は文部省を弁護するために一つ言っておきますと、僕はこんなふうに判断しておるのです。これは文部大臣、部下に官僚がいらっしゃるのですから、これから頭に置いておけばいいと思うのです。中曽根臨教審が発足したのに対して、文部省の中ではこれを快しとしない文部官僚のグループがいた。そして、今までの中教審路線が臨教審路線に変えられていって、ここから主導権が握られて、今までの文部省の延長線上がここで転換しやせぬかという不安を持つ。そういう意味で、文部省の内部にも臨教審に対してかなり警戒的な時期があったと僕は思う。現に僕はかなりのトップの人たちから聞いています。  だから、高校教育なら高校教育の一番中心になるのは課長クラスですから、その課長クラスの人たちが、ある意味では、臨教審やそういう動きに対して協力者会議などの文部省方の懇談会を逆につくって対抗しながら、今までの経験を生かしていくという学者のグループを一方に持ちながら、他方でそれを代表する学者が出てくるのですから、学者のけんかをさせながら、役人はどこかに持っていくしかないのです、役人が決めるわけにいかぬのですから。  そこで、学者をおとりにしながら、自民党と文部行政との間に厳しい緊張関係を維持していく中で、六十一年、六十二年を経て、そして六十二年の十一月四日が一つの転機になって、簡単に言えば文部省の側は総崩れになるのですよ。私はそう思う。その前に、まあ栄転なんでしょう、課長は、横浜国立大学の事務局長ですから栄転なんでしょうが、その責任者がぽっと動いて、その後事態が急速に変わる。協力者会議がいよいよ首が飛んでいく、こういう仕組みになる。  だから、そういう意味でどう見ても、今出ているいろいろな経過の資料を私なりに精読してみると、私は昔は政治史、権力と政治の政治過程専門家ですから、政治過程的に見ると、政党と行政の緊張関係の中で、政党のイニシアチブのもとに行政が屈して今日のごとき転換になっているというのが私の判断です。そういう意味で、非常に拙速であるとか、突然に変わった、マスコミで報ぜられているのが一定の真理性を持っていると私は判断します。  残された時間がもう余りありませんから、最後にもう一つのテーマに移ります。  そこで、今度は学習指導要領に関する手続論的な問題に関連し質問します。  菱村さんの著書も、また片一方、有斐閣の法学全集の「教育法」もマスターしていますが、法律事項としては、教科に関する事項という法律に基づいて委任された施行規則があり、そして施行規則の中でその学習指導要領の公示手続を決めて再委任するという手続になっていますね。これは、菱村さんの本にお書きになっているとおり。それは大体法学者の見解も同じです。  さあ、ここを前提にしましょう。  そこで、省令と告示、公示というのですかな、公示だ。省令と公示の法的な性格というものをどう理解するか、これをひとつ問題にしてみたいと思っている。  省令というのは明らかに行政立法ですね。一つの法律に基づいている委任の行政立法ですね。さて、告示、公示というのはどういう法律的性格を持ったものですか。
  137. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 告示につきましては、一般の行政措置の公示の形式でございますので、普通は必ずしも法規命令といいますか法規たる性格はないのが普通だろうと思います。ただ、物によりましてはその法の内容を補充する法規たる性質を持つという告示も当然あるというふうに考えております。
  138. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 これは、言うまでもなく国家行政組織法の十四条か何かの規定に基づくものでしょう。だから、国家行政組織法の十四条で言っている意味は、行政機関の行為を国民に知らせるという目的でやるのが告示、公示ですよね。だから、知らせるための告示というものと省令で言うところの立法措置とを同じように、違法性はないけれども、適法の範囲ではあっても省令事項と告示事項が同じような法的な性格を持つものと理解できますか。
  139. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 告示の内容によるのだと思いますが、これは田中二郎先生の「行政法総論」の「法規命令」のところにも「法規命令として行政権の定立する法規たるその形式として告示も法の内容を補充する法規たる性質を持つものがある」というふうにはっきり書かれておりますし、私は、学習指導要領は形式は告示でございますが、法規命令の一種であるというふうに理解しております。
  140. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこは教育法と教育立法の持っている独自な領域の課題に関する省令から告示に至るいわば姿、他の行政と同じようには扱うことはできぬと僕は思うのです。それはあなたの本にも書いてあるとおり。  例えば、細かに議論をする時間はありませんけれども、学テ判決などの最高裁の判決は、そこでは学習指導要領そのものを大綱的な基準といったような理解に立って教育内容について指示をしたりしていくことは適法であるということをもちろん言いながらも、片一方ではそれの及ぶ一定の限界的な性格のものを、法的拘束のあり方についてあいまいに残した判決として理解できると私は見ているのです。菱村さんと私の見解は恐らく違うでしょう。私は、兼子仁先生が最近ジュリストにお書きになった「戦後の教育判例の歴史的性格」について整理された最近のものを見ても、菱村さんの理解と私は違うように思うのですけれどもね。  だから、私はもっと教育法というものを条理的に解釈するという考え方を持たなければならぬという考え方ですから、そこは意見の違うところですが、いずれにしましても、学習指導要領をめぐる省令から委任された公示というものが同じような法律的ないわば性格というものを持つというふうには言えないのじゃないかと私は思うのです。どうですか。
  141. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 もちろん、その定まっている内容によりましていろいろでございましょうから、学習指導要領は教育の指導基準でございますので、その基準のあり方ないしはその基準の運用の仕方には教育というものを十分考えてやらなければいけないと思っております。  ただ、先生の先ほどの御指摘で、学テ判決の最高裁の判例を見ましても、この告示、もちろん指導要領、告示、それを見ての判断でございますが、原判決が法的拘束力を伴わない指導助言にとどまると解すべきだと判示しているけれども、これは当裁判所はとらないということで、それに反論しているということが一つございますし、それに引き続きまして、ここの普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合にはという前提で現在の学習指導要領が大綱的基準の範囲内にあるという認定をしているわけです。  ですから、遵守すべき基準と言うからには、これは当然法的拘束力があるといいますか、法的性質を持つものを前提にした判断であるというふうに考えておりますし、この五十一年の最高裁判決が出ました後、伝習館高校の高裁の判決が昭和五十三年に出ておりますが、そこでもはっきりと、この学習指導要領の効力について考えるに法的拘束力を有するものと言うことができるというふうに明確に判断しているわけでございまして、形式は告示でございますが、その内容は学校教育法の委任を受けました省令、さらにそれの復委任を受けました告示が、この法的拘束力といいますか法規命令たる性格を持つということは明らかになっているというふうに理解しております。
  142. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ここは、教育行政に関する法的なものと教育内容の行政というものについての一定の指導監督的な性格とは区別しながら全体として教育行政をとらえなければならぬと僕は思っております。  ですから、あなたがお書きになったこの本に関する限りは何てことはないのですよ。非常に柔軟に言っていらっしゃる。ところが、実際には学習指導要領の学年ごとの科目編成、それから時間編成などを現場の子供たち発達段階に合わせて変更せざるを得ないようなことをやることによって、一方的な自主編成と判断して現に懲戒処分その他が過去において行われてきたことも事実であります。福岡のそれは典型だと僕は思っております。  ですから、学習指導要領の基準ですから、その基準で、別表で時間数だとか科目数だとか分けますね、そういうものをやろうとする大枠の基準があっても、その基準を具体化しようとするときには、現場の教師がそれぞれの持っている地域における生徒の特性もありましょう。それは、炭鉱地帯みたいなところの青年とそうでないところの青年の置かれている状況による違いも出てくるし、都市と農村だって違うでしょう。そういうようなところで、当然現場の教師が主体的に自主的に対応していくという教育権としての側面を尊重しながらこの適法性というものを論ずるしかないというふうに思います。その点は意見が違わないと僕は思う。  だから、そういうふうに判断をすると、この省令に基づく再委任の告示というものを同じように、法的拘束力という言葉をあなたが使いましたから、僕が拘束力という言葉を余り使うとその言葉に拘束されてしまって、どこまで拘束するのかとか相対的にそうでないとかというような議論が起きるから使わなかったのだけれども、そういう意味で、法的拘束力といえども一定の教育内容の行政については適法的な指導助言的なものと同時に現場の教師子供の成長発達段階や親の教育への参加などを含めて、そこに一定の、柔軟な対応をしつつ教育実践で確かめられていかなければならぬといういわば性格を持つものとして、学習指導要領というのはあくまで指導助言的性質の文書というふうにむしろ規定しておく方がいいというのが私の理解であります。  ですから、そこは最高裁の判決なんか持ってきて適法性だけを強調しますと、法的拘束力がずっと及ぶかのような、またそれに対する反発も絶対だめだというような議論になってしまって、極端な理解を両方してしまうということになりがちだと僕は思うのです。いずれにいたしましても、この学習指導要領をそういう意味の指導助言的性格のものとして一方で押さえながら対処していくということを前提にしなければ、今の教育界におけるこの教育問題への対応はますます混乱し、今までの混乱が解決されないまま深まっていきはしないかなということを案ずるわけであります。  さて、そこで最後にお聞きしますが、今までの学習指導要領で、高等学校なら高等学校の最低教育水準というのは、だれがどうやって決めるのですか。
  143. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 ただいまの質問の前に、先ほど来先生の御指摘の点は私もうなずくところが多いわけでございまして、法的拘束力という言葉をあえて使わない方がいいと私は個人的に思っております。ただ、先ほど判例を引いたこと、それから先生が法律学者でいらっしゃるものですから誤解はないだろうと思ってあえて使わせていただいたわけでございますが、学習指導要領は教育の基準でございますので、その運用に当たっては本来弾力的であるべきものであろうというふうに考えております。そして、そのことはこの学習指導要領の冒頭の第一にも、学校の実態や生徒発達段階、地域の実態に応じて適切に編成するものとするということをまず冒頭に掲げているということを指摘しておきたいと思います。  それから、指導要領の最低基準ということでございますが、これは指導要領をつくりますときは、先ほど来申し上げましたように教科別に委員会を設置しまして、専門家を集め、教育の実践の場にいらっしゃる先生方もたくさん入っていらっしゃいます。そういう方々が長年の経緯を踏まえて、そして、例えば数学なら大体初等教育ではどの辺をねらっているか、どの辺の内容を決めているかという世界的な動向にも注目しながら慎重に審議して定まっているものでございまして、ここにありますのが高等学校なら高等学校についての標準的な基準である、ただ、生徒の実態はさまざまでございますから、これをそのままそっくり適用することができない場合も多々ございます。したがいまして、これも指導要領の総則の方に書いてあるわけでございますが、生徒の実態に応じて適宜その内容の精選をしなさい、内容に軽重をつけなさい、そういう形で実態に応じた指導をしなさいという内容になっているわけでございます。  したがいまして、各学校の実態に応じてそれぞれの教科の目標がございますので、その目標を達成するに当たって、今いる子供たちがどこまでどういう形でどういう方法でこれを達成したらいいかということは実態に応じて御指導をいただくという性質のものだろうと思っております。
  144. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 もう時間がないからこれでやめますが、基準の最低という問題は七七年の学習指導要領の改訂の際にも精選しなければならぬとか、経験の中で、相対的なものですよ。そしてまた、歴史的に変化していくものですよ。だから、それだけに現場の教師教育実践とその地域の学校への参加、現場の教師教育権、そういうものを含めて総合的に考えながら変化していくものだと思うのです。だから、国の方で決める基準というのは、まさに基準なのであって、こんなものは大枠でしかない。こんなものはなくたって教育ができると僕なんか思うけれども、それは基準なのであって、そういう意味でその基準というのは相対的に変化していくという中に、教育立法や教育の対応というのは、単に外の行政的な対応と違う側面を持っているということを最後に強調しておきたかったのであります。  要するに今度の高校社会公民、地歴分化というのは決断の過程が拙速であるということ。そこには政治的な介入、特に政党の行政に対する介入のおそれがあるということ。しかも、これを実施すれば今後大学における専門教育と、それから教職の単位という意味でのカリキュラムの編成について多くの問題をまた残しているということ。そして新たにそういう科目を設定すれば、それに基づいて今度教科書が問題になりますし、また現場での教育実践を改めてやり直さなければならぬ、そういうときに今までの経験を、現場の意見を聞かずに決めるということは、ここしばらく混乱を招くことになると僕は思う。そういう意味の警告を発して、反対の私の考え方に立ったきょうの質問を終わります。
  145. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、鍛冶清君。
  146. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 私は、二十四日の質疑に引き続いて教育職員免許法の一部改正法律案について質問をさせていただきます。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕  前回のときも各委員からの御質問はあったのでありますが、最初に、私は改めてなぜ今の時期に社会科公民科と地歴科の二つに再編成しなければならないのか、その理由を明らかにしていただきたいと思います。
  147. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 なぜ今社会科公民と地歴科に分ける、再編成するのかということでございますが、先ほど来の御議論にもございますように、戦後、歴史地理教育社会科という一つ教科の中で実施されてきたことにつきましては、この社会科発足の当初からいろいろ御議論がございました。特に高等学校段階では、もう子供たち発達段階からいいましても、もう少し系統的に専門的に歴史地理教育を行うべきではないかという形で、社会科の中で行うことについての反対意見もあったわけでございます。その後の教育課程審議会が何回かございます。大体戦後十年ごとにカリキュラム基準を改訂いたしておりますので、そのたびに審議会でもこの論議が重ねられてきたのであります。  また外国の状況を見ましても、欧米先進諸国の中で社会科一本でやっているというのはアメリカ、まあアメリカも大変広い国で州がいろいろございますので、州によってスクールディストリクトによって違うわけでございますけれども、アメリカだけでありまして、特に中等教育段階において歴史地理公民等を一括して社会科という形で行っているのは、フランスも西ドイツもイギリスもないわけでございます。それぞれが独立した教科として実施している。  そこで、今回の学習指導要領におきましては、高等学校社会科を再編成いたしまして地理歴史科公民科を設けるとしたわけでございますが、これはやはり小学校中学校という社会科学習発展の上に高等学校生徒発達段階から考えまして科目専門性系統性をもう少し強めたらどうだろうということがございます。  そして、教育課程審議会の答申に基づいてそれが行われているわけでございますが、教育課程審議会の答申にも触れているわけでありますが、その背景としては時代要請がある。二つあるわけでございますが、一つ国際化の進展でございます。国際社会に主体的に生きる日本人として必要な資質を今後一層重視しなければならない。そのためには我が国の文化、伝統を理解するにとどまらず、広い世界的視野のもとに日本を相対的に見るといいますか、比較文化的視点から相対化して見るということができる、そういう資質を養成する必要がある。それから、いま一つ要請は、公民的資質の一層の重視であります。これも、社会の急激な変化に伴いまして、青少年の社会連帯感や責任意識の低下が見られます。そうした中で、国家・社会を構成する一員としての自覚を深め、民主的、平和的な国家・社会の進展に主体的に寄与する、そういう公民としての資質を育成しよう、そういうことから、今回の地理歴史科公民科の二教科に再編成するという御答申をいただいて学習指導要領も改めたというわけでございます。
  148. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 学校教育法第四十二条の高等学校教育の目標の中の三のところで「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。」というふうにあるわけですが、その中の「健全な批判力を養い、」というところに対応して中核となって今まで教科の中にあったのが社会科である、それが今回解体された、こういうふうなことをマスコミの批判の中でも言われているわけでありますが、この点についてはどうお考えでありますか。
  149. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 御指摘のように、学校教育法四十二条に高等学校教育の目標を定めておりますが、その中に「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努める」ということがございます。このねらい、要するに広く深い理解と健全な批判力を養う、そして個性の確立に努めるというねらいは、この目標は、高等学校教育全体で担うべき目標であろうと思います。したがいまして、健全な批判力を養うためにはいろいろな判断力も必要でございます。合理的な判断力を養うためには数学なども重要な役割を果たしますし、そのほか各教科でそれぞれ分担しなければならない重要な事柄であろうと思います。  もちろん、御指摘のように社会科におきましてもこうしたことを十分培っていくということは重要でございまして、現在の学習指導要領におきましても社会科で「広い視野に立って、社会人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」というのを掲げておりますが、この健全な批判力は、まず社会についての深く広い理解があって養われるべきものと思います。したがいまして、今回の改訂におきましても、地理歴史科公民科においてそれぞれ社会についての広く深い理解をまず養う、それに基づきまして健全な批判力を培っていくというふうに改めているところでございます。
  150. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 さらにまた、いろいろな批判の中で言われておりますのは、現行の社会科は、教科目標として「民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」ということを掲げてあるわけであります。新しい公民科はほぼ同じ内容を引き継いでいるのですけれども、地歴料では「民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」というふうに変わっておって、国家・社会の形成者ということ、それから公民的資質というものが落ちてきているわけですね。この点について、いろいろな学者や教師の間では、地歴科では社会科の理念は生かせないという批判が非常に強いようでありますけれども、この点についてはいかがでしょうか。
  151. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 御指摘のように、従来は社会科教科としては一つでございましたので、「広い視野に立って、社会人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」という中で地理歴史公民等の科目を構成していたわけでございますが、今回は、教科を分けたことによりまして、まず公民科の方に主として従来の社会科教科目標を引き継いでおります。したがいまして、新しい学習指導要領の公民科をごらんいただきますと、従来のように「民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。」ほぼそのままの目標を掲げて、こうした視点から高等学校生徒教育しようということにしているのであります。  また、もう一つ独立しました地理歴史科においては、御指摘のように従来の社会科の目標とは若干字句が異なっておりますが、これは当然教科を分けたことによるわけでありまして、新しい地理歴史科の目標におきましては「我が国及び世界の形成の歴史過程」すなわち大きな歴史流れと、「生活・文化の地域的特色についての理解と認識を深め、国際社会に主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」となっております。  御注目いただきたいのは、ここで「主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質を養う。」となっておりまして、これは従来の社会科の目標であります「公民的資質を養う。」という中の一面を地理歴史科の目標に即して掲げているわけでございます。  いずれにしましても、高等学校教育というのはいろいろな教科でやっておりますが、その学習をした結果、子供たちの中では一つの統合といいますか総合として人格形成が行われるわけでありますので、こうしたものを総合していけば従来の公民的資質の育成以上に充実した教育ができるものというふうに考えております。
  152. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 そこで、今回の免許法の改正案についてお尋ねをいたします。  この免許法が仮に通りますと、来年四月に大学に入学し、そして地歴、公民の免許を取得したい、こういう意欲を持つ学生に対して、大学側はこれに対応して学内での体制をつくり上げていなければなりません。実際にそういうことが可能なのかどうなのか、三月末までにそういう体制というものはきちっとでき上がり得るものなのか、この点についてお尋ねをいたします。
  153. 倉地克次

    ○倉地政府委員 免許法案が成立した場合でございますけれども、早速教育職員養成審議会を開きまして意見をお聞きし、教科専門教育科目など所要の省令改正の措置を来年の三月までのできるだけ早い時期に行いたいというふうに考えている次第でございます。そうした上で大学側にそのことを周知徹底いたしまして、来年四月からの地理歴史、それから公民養成教育の開始についてできるだけ支障がないように努めていきたいと考えている次第でございます。  特に一年次に教科専門教育科目を開設している大学が一部にあるわけでございますが、そのような大学に対しましては地理歴史公民の免許に必要な単位の内容についてあらかじめ十分新入学生に説明を行うよう指導してまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  154. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 具体的に言いますと、私も、私立大学ですが親しい人がいるものですから、二、三の大学でいろいろと聞いてみましたけれども、事務的に考えてみても、今申し上げたように本免許法が仮に今国会通過してもあとわずかな日数です。三カ月余ですね。その間に、いろいろ説明を受けて書類を作成して文部省に提出をして課程認定を受けるということについては、従来の例から見て極めて不可能に近い、こういうふうなことを言っておりまして、この点について文部省ではある程度弾力的に対応を考えていくべきであろうというふうにも思っているのでありますけれども、この点について具体的にお考えがあればちょっとお伺いをしたいと思います。
  155. 倉地克次

    ○倉地政府委員 教育職員養成審議会意見をいただいた上で省令改正などを行いまして、大学にその内容を周知徹底いたしまして、できるだけ来年の四月からの養成教育の開始に支障がないように努めてまいるということは先ほど申し上げたとおりでございます。  ただ、具体的に課程認定の話になりますと、こ、れは先生御指摘のような大変な事務手続になるわけでございますので、この点につきましては、大学側における対応の状況を踏まえつつ、来年度の適当な時期までに課程認定の申請をいただきまして、認定の効力を四月に遡及させるというようなことも考えまして大学側の準備に支障がないようにしてまいりたい、そういうふうに考えている次第でございます。
  156. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 それはひとつ、ぜひ的確に対応をお願いしたい、こういうふうに思います。  同時に、今までは一応社会科で課程認定をやっているわけですが、これは新たになれば再度出すということですけれども、ある程度幅を見て、ある時期までは弾力的に考えようということですから、それはそれで現実に対応していただくようにお願いしたい。  同時に、こういった手続関係というのは非常に煩雑であるというような声が随分あるのですね。この際、手続等も簡略化してやるというふうにもお考えいただきたい、こういうふうに思いますが、いかがでしょう。
  157. 倉地克次

    ○倉地政府委員 地歴、公民の課程認定のお話でございますけれども、これにつきましては、やはり法案成立後教育職員養成審議会の御意見をいただくことになると考えている次第でございます。  それで、さらに簡略化するかどうかということでございますけれども、御指摘の趣旨もございますので、大学側の事務負担が大きくならないようにできるだけ配慮してまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  158. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 弾力的に考えた場合に、来年入学する人が初年度の単位を取ることについては、大学側で初年度から何らか新しい形で対応しておかなければ間に合わないというようなことはございませんか。
  159. 倉地克次

    ○倉地政府委員 専門教育科目を初年度から始める大学も一部にあるわけでございまして、そういう大学につきましては初年度からいろいろと準備する必要があるかと思う次第でございます。ただ、専門教育科目を三年度あたりから行う大学が多いわけでございまして、それまで若干の余裕がございますので、十分準備はできるのではないかというふうに考えている次第でございます。
  160. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 要するに、初年度で専門的なものの単位を考えるところもあるだろうけれども、そこも含めてそれは弾力的に考えていきたい、こう理解していいと受けとめさせていただきます。  次に、これも大学側に実情を聞いてみますと、国公立の大学文部省を控えてのことですからこういう法案が通ったについての対応はまあまあやれるのだろうと思いますが、私学関係では、いろいろ意見を聞きますと、公民の課程については比較的置きやすいけれども、地歴については教える側の教員が少ないのでこの課程を置きにくい、特に地理の方が少ないと、私の聞いた範囲では耳にしたわけです。そうすると、公民の課程を置く大学が必然的に多くなって、全体的なバランスからいきますと免許の出し方が偏るのじゃないかという心配をするわけですが、実態は最終的にはどういう形になるというふうに考えられるのか、わかればお聞かせをいただきたいと思います。  そしてこのアンバランスは教員として採用する際に何か影響が出てくるのかどうなのか。また、このことに対応して、教員の配置についても、この際、文部省としてもこの実情を配慮する必要があるのではないかと思いますが、これらの点についてお聞きいたしたいと思います。
  161. 倉地克次

    ○倉地政府委員 地歴、公民の免許の取り方の実態でございますが、直接的な統計資料がございませんので、地歴、公民関係の学科の入学定員ということで申し上げますと、現在社会科の課程認定を受けている学科の中で地理歴史に該当するもの、公民に該当するものに分けたものでございますけれども、これは地理歴史の方が圧倒的に少ないということになっている次第でございます。ただ、現在の高等学校社会科担当教員の採用におきます志願状況を見てみますと、九・九倍の志願者でございますので、そういう実態から見れば、免許の取り方について公民の方が圧倒的に多いとは申しますけれども、需給状況についでは特に問題はないのではないかというふうに考える次第でございます。  それから、具体的に各学校の問題でございますが、定数上の問題は、週当たりの授業時数が変わっておりませんので特に問題ないわけでございますけれども、今回の教育課程改訂によりまして教科ごとの授業時数の変更がございますので、その定数の中での若干の出入りはあるのではないかと思うわけでございます。ただ、これは平成六年からの実施でございますので、それまでに学校教育委員会が十分相談をいただき、その辺の対応には遺漏のないようにしていただけるものだというふうに考えている次第でございます。
  162. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 今回の免許法の改正に関連して、前回改正案が通りました専修免許状のことについてちょっとお尋ねしたいと思っています。  専修免許状取得のための大学側の開講というのが明年四月から実際に始まるわけですけれども、免許法が通ってから来年開講までの間、今日までの間、いろいろな状況が起こっているようでありまして、心配な点が二、三ございますので、その点をお聞きいたしたいと思っております。  まず最初に、各大学から課程認定についての申請書が出ていると思うのですが、現在までの提出状況等についてお聞きいたしたいと思います。
  163. 倉地克次

    ○倉地政府委員 昨年十二月に改正をいただきました免許法によりまして専修免許状が創設されたわけでございますけれども、十一月三十日までに課程認定の申請を行うこととしている次第でございます。現在申請を受け付け中でございますけれども、十一月二十八日現在の集計によりますと、百八十四大学が専修免許状の申請をいたしている次第でございます。
  164. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 百八十四大学という御答弁がございましたが、その大学について内容的に見まして、その教科科目はどういうような傾向になっているのか、お尋ねいたしたいと思います。
  165. 倉地克次

    ○倉地政府委員 その申請の実際の状況でございますけれども、これは教科専門教育科目を中心とした専修免許状の課程の認定を求めるものが多いということでございます。
  166. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 実態的に言えば、先ほどから申し上げているように私も幾つか知っている大学で、内輪の話ですが、いろいろ話を承りますと、今まで大学院の中で設けられている教科科目について、それを生かしてそのまま専修免許状に持ってきて認定を受けるような形で申請を出しておるところが多いように思うのです。そういう状況というのは今のお答えの中では余りはっきりはうかがえませんでしたけれども、やはり傾向としてはそういう状況が多いのでしょうか。
  167. 倉地克次

    ○倉地政府委員 専修免許状は教職科目、それから教科専門教育科目、いずれについても二十四単位修得すれば専修免許状が出るという制度でございます。教職科目だけについて取得すれば専修免許状が取れるという制度は、昨年の改正によります全く新しい制度でございますので、やはり従来の教科を中心とした申請が多くなっているのが実情であるというふうに考えている次第でございます。
  168. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 せっかく専修免許状という制度をつくったのですから、私はその内容というものが特に教育現場、最近昔と違ったいろいろな傾向がたくさん出てきているわけですけれども、その中で特に生徒指導面で必要な事項というのが随分と考えられるわけですね。そういう意味合いから、従来あったものをそのまま持ってきて専修免許状に充てる、免許状ということ自体は新しいけれども中身は昔と変わらないものがずっとこっちに移行した形の中で専修免許状が出されておるということだけでは、せっかく専修免許状をつくった意味というものが非常に薄れるのではないかというふうに私は私なりに考えているわけです。  そういう意味で、この専修免許状等についての単位の取り方についての内容を、教科科目等についてはもっとそういう今申し上げたような角度から考えて、どんどんこれは免許状を出すような形にした方がいいのじゃないか、こういうふうに思うのですけれども、文部省としてはどういうふうにお考えでございましょうか。
  169. 倉地克次

    ○倉地政府委員 今先生御指摘のありましたように、学校教育現場で生徒指導でございますとか特別活動でございますとかそのほかの教育の方法・技術でございますとか、そういうことが非常に重要になっている次第でございます。  そういう実態を踏まえまして、昨年の十二月の法律改正におきましては免許基準の引き上げを行いまして、今申し上げたようなことを教職科目として必ずお取りいただくというような措置を講じた次第でございます。そうした全く新しい措置を新たに講じたわけでございますので、今にわかにそちらを重点とした専修免許状の申請が多くなるという状況にはございませんけれども、大学側におかれましてもその辺の学校の現場の重要性を今後十分御認識いただきまして、おいおいそうした点についての専修免許状の申請も多くなるのではないかというふうに考える次第でございます。  ただ、国立の教員養成大学・学部におきましては、おおよそ生徒指導などにつきましての専修免許状が出せるような措置も講じられるのではないかというふうに推測している次第でございます。
  170. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 繰り返すようですが、いい意味で今までの教科を越えた教科を専修免許状の中に新しくつくっていかなければならない、こういうふうに思います。  とにかく、ここで私がなぜそういうことを特に申し上げておるかといいますと、一つには今申し上げたような形の新しい学校現場に対応しなければならない。例えばカウンセリングの問題一つにしても、やはり専門的に力量を持った人が必要なわけですけれども、そういうことを含めて必要な時代に入ってきているということの現場からの要請にこたえる意味でのものも必要であるであろう。  同時に、私が心配しているのは、前回の改正のときに質疑の中で、一種、二種、専修という、特に一種との間で上下関係とかいうものがあってはならぬというようなことで文部省からも答弁があったと思うのですけれども、現実には走り出してみると、今特に私立大学側では専修免許状を出せるという状況に持っていかなければならぬということで大変いら立っている向きがある。それはなぜかというと、専修免許状を出さなければ大学としての格が落ちるのだ、こういう考え方ですね。  要するに、今までの教科科目大学院にあるものをそのまま持たせるということも一つは作用しているのではないかと私は思うのですが、要するに学歴別の免許状あり方というふうにどうも置きかえられて今考えが浸透していっているように思うのですね。学生もそう考えておる。だから要するに専修免許状を出す大学がいい大学である、格がよろしい、それから学生も当然そのことであるというふうなことがあるので、そういう意味からもやはりこれは今申し上げたようなことに実際取り組みながらやっていくという必要がある、こういうふうに思うのですが、この点について再度お答えをいただきたいと思います。
  171. 倉地克次

    ○倉地政府委員 これまで専修免許状に相当する免許状と申しますと、高等学校の一級免許状ということでございました。ただ、これは二十二単位、教科に関する専門教育科目だけを修得すればいいということになっておったわけでございます。これを今回専修免許状については教科または教職いずれかを二十四単位取ればいいということにしたわけでございます。そうした新しい制度でございますので、まだ大学側がにわかに対応し切れていないという実情もあるわけでございます。  ただ、先生も御指摘いただきましたように、生徒指導でございますとか特別活動でございますとか教育の方法・技術、コンピューターの問題も含めまして学校の現場が非常に重要としている問題でございますので、大学側もその辺を御理解いただいて、おいおい整備されるのではないかと考えるわけでございます。ただ、各大学教科科目の設定の問題でございますので、私どもといたしましては各大学の自主的な判断におまちしたいと考えている次第でございます。
  172. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 自主的にということは非常に大切なことだし、大学の自治、学問の自由ということもよく言われますから、それが一番大切なあり方だし、そういう方向でいくのが一番正しいのだろうと私は思いますけれども、残念ながら大学側のこれまでのいろいろな状況というものを見ておりますとどうも安易に流れる傾向があるわけですね。お一人お一人意見を聞くと大変いい御意見をおっしゃるし、傾聴に値する、尊敬に値する、教員の場合でいいますとそういう方が大変多いのですけれども、全体としてまとまっていざ何かをやろうというときには、どうも新しいものをつくっていろいろなことをやろうということを多少何か避けていらっしゃるのかどうかわかりませんが、そういう傾向があるようです。  ですから、教員の体制やら今まであった教科科目というものをにらみながら横滑りで楽な方向に、要するに大学側が専修免許ということについての意義なり学校現場の本当にいい対応ができるような先生をつくるというような形での意図を余り持たずに、何となく学校で一番やりやすい形で安易に専修免許状を出せるような、そういうシステムにして申請を出してくる、どうもこういう傾向があると僕は思うのです。先生によっては、自分自身のことも含めてといって笑いながらおっしゃる方もおりますけれども、大学教員というのはどうもエゴの塊みたいなのが多くて困るなんというようなこともおっしゃいまして、そういう中で本当にいい意味での前進がなかなか出てこない。  そういう意味で、私は必ずしも文部省がいろいろなことに手を突っ込むということがいいというふうには思いませんけれども、今回こういうことについてはむしろ文部省の方で場合によってはガイドラインを示す、どんなことを教えたらいいのかという新しい形のものを入れ込んだ中でガイドラインを示すということが必要ではないか、私はこういうふうに思っておるわけでありますが、この点についてどういうお考え方を持っていられるか、ひとつお聞きをいたしたいと思います。
  173. 倉地克次

    ○倉地政府委員 ガイドラインを示したらどうかという御提言でございます。大変貴重な御提言であるというふうに私、認識するわけでございますけれども、専修免許状は昨年法律改正によって新たに設けられたものでございますし、その内容も今までの高校一級とは違った新しい試みがされているわけでございます。ガイドラインをつくればその効果は早いかもわかりませんけれども、やはりここはひとつ専修免許状の趣旨を各大学で十分御理解いただきまして、若干遅いかもしれませんけれども、各大学の自主的な判断でこの法律改正の趣旨を御理解いただき、適切な専修免許状を出し得る課程をおつくりいただくのが最も妥当ではないかと考える次第でございます。
  174. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 先ほど御答弁の中で、国立大学の中で多少新しいものを考えながらやってくるものが出てくるであろうと思っております、こういう推測のお話でのお答えがありました。そういうようなところが見えるのならば、ガイドラインまでいかないのならば、むしろ国立大学の中で積極的に話し合いのできるところをアドバイスしながらそういう新しい形のものを専修免許状を出せるような形でつくるという方向も考えられてもいいのではないかな、それが子供のためにとっても教員自身のいろいろな資質の向上にとっても大変いいことになるのではないかなというふうにも思いますが、こういう点についていかがでしょう。
  175. 倉地克次

    ○倉地政府委員 国立大学につきまして今先生御指摘のようなことをされたらどうかということでございますけれども、国立大学の中でも教員養成系の大学におきましては、大体今先生の御指摘いただいたような生徒指導とかそういうものをとりましても専修免許状は出せるような対応がされるのではないかということを推測しているわけでございます。私どもも、できるだけそういうふうになりますよう高等教育局の方と十分連絡をとってまいりたい、そのように考えるわけでございます。
  176. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 これは午前中の参考人の方々の御意見の中でも、やはり学校現場が特に荒れておって、専門的な英語とか国語とかも大切ですけれども、そういう面で本当にじっくりといい雰囲気の学校現場ができ上がらないと、やはりすべてのものが本当に中身が充実してこないというふうな意味のやりとりもあったと思いますけれども、それも含めて、今言ったようなことはひとつ御努力をいただきたい。  先ほどちょっといろいろと例も挙げておられましたけれども、そんなものに加えてカウンセリングの問題だとか家庭教育の問題だとか非行に伴う矯正教育とかいうようなこと等も考えてもいいのじゃないかなというふうな気が僕はするのですね。だから、いろいろな形で正しい、現場に必要な専修免許が与えられるように内容のあるものにこれが生かされていくようにひとつ努力をお願いしたい。御要望を申し上げておきたいと思います。  ここでちょっと話は変わるみたいですが、教師の力量というものは非常に大切になると思います。教師の力量というようなことについては内容的にはどういうことを指しておるのか、文部省でお考えになっておることをちょっとお聞きをしておきたいと思います。
  177. 倉地克次

    ○倉地政府委員 教師に求められる力量の問題でございますけれども、これは教育者としての使命感、それから児童生徒に対する教育的愛情、教科などに関する専門知識、これらを基礎とした総合的な実践的指導力であるというふうに私ども考えているわけでございます。こうした点に十分留意して今後とも教員養成には努めてまいりたいと思うわけでございます。
  178. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 これも昨年通って今日までの間の経過の中で、現場といいますか、大学の方面でいろいろな形が出ておるのを見ながら最近感じておりますのは、教師の力量というものの中で実践的というようなことをおっしゃいましたけれども、実践的というのはやはり教師としての教えた経験というものが物を言ってくると思うのですね。ところが専修免許については、残念ながら教えたというものがないままに免許をもらえるということになっているわけですね。現場で教師経験のある方は一年の自分の勉強の中で単位を取れば専修免許がもらえるということには一応なっておりますけれども、全くそういう教えた経験のないままに大学院と同じ資格の中で専修免許がもらえる、こういうことになりますと、やはり教師の力量という点でいかがかなというふうな気もするのですね。  今さらこれを変える云々とか急に朝令暮改的なことはできるわけもございませんから、今にして思えば、その免許の単位は単位で取っておいて、教育現場に出て五年ぐらいは一応やった上でやはり両方兼ね合わせてそれを認定して免許を出すというようなことでもよかったのではないかなと私は思ったりはしているのですが、そういう教師の力量という中で実践的に教えた経験というものがとにかく大切になってくると思います。こういう点について、やはり専修免許を取られた方々が、特に教えた経験のない方々がそういう力量をしっかりつけていくという流れをつくる必要があるのだろう、こう思うのですけれども、こういう点については文部省としてぜひ考えるべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。
  179. 倉地克次

    ○倉地政府委員 専修免許状を与える前に、その前に若干現場での経験を積むべきではないかという御提言というふうに考える次第であります。ただ、昨年の十二月に専修免許状を創設していただいたわけでございますけれども、その一つの考え方といたしましては、大学院の修士レベルで専門的な事項について学識を積んだ方々をぜひ教育界へ誘致したいという意味もあって専修免許状が設けられたわけでございます。そうした意味からは、学部を修了し直ちに大学院の修士の方へお入りになった方につきましても、専修免許状を差し上げるという誘因を一つといたしまして教育界に誘致するということもいたしたいというふうに考えるわけでございます。  それから、学部を卒業し一種免許状で現場にお入りになった方につきましても、若干の現場経験をお積みになってから大学院の方へお入りいただき専修免許状をお取りになる道もあるわけでございます。教育界におきましては、一つのパターンと申しますか、そうしたものだけではなくて、いろいろな経過を通られた方が教育界にお入りになることがより教育界の活性化につながるというふうに考えるわけでございまして、現在の専修免許状もそれなりに十分意味のあるものというふうに考えるわけでございます。  ただ、実践的指導力をどのようにして養っていくかということは大変重要なことでございまして、それにつきましては、私ども、この免許法とはまた別でございますけれども、初任者研修制度によりまして一年間の初任者についての実務に即した実践的研修を行っているわけでございますので、そうした初任者研修の問題、免許法の改正の問題と両々相まちましてそうした実践的指導力の養成に努めてまいりたい、そのように考えるわけでございます。
  180. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 先ほどちょっとお聞きするのが漏れておりましたのでお尋ねしますが、新しい対応の形で生徒指導等を含めてということを申し上げました。今局長もその方向で努力をしたいというふうなお答えがあったわけですが、そういう教科の設定はそれとして、これも教える側の先生の方の問題があると思うのです。やはりそちらの方は、専門にやっていらっしゃる先生方というのは新しいものをつくる場合、案外少ないだろう。そういうことからいきますと、どうしても教員の異動、いい意味での異動を含めて教員の再配置ということも考えるべきではないか、こう思います。したがって、私立大学では当然難しいことですが、国公立等についてはそういうことについての配慮もすべきであろうと思いますし、実質のところで実質を行うというふうなことはぜひ考えてやるべきである、こういうふうに思いますが、いかがでございましょうか。
  181. 倉地克次

    ○倉地政府委員 ことしの春から行っております認定課程の再課程認定の過程を通じまして生徒指導とか特活とか、そういうものを御指導いただく教員の方々の問題があったわけでございますけれども、申請される各大学におかれましては、それなりにいろいろ御苦労はあったということを承るわけでございますけれども、おおよそ適切な先生方にその担当をお願いされまして、現在再課程認定の事務が進んでいるところでございます。  そうした状況でございますので、そうしたことを専門にされている方が少ないのは事実でございますけれども、おおよその対応が可能になっている状況でございます。そういうことでございますので、それを報告させていただくことによってお答えにかえさせていただきたいと思う次第でございます。
  182. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 私が予定しておりました質問は大体終わりましたので、最後に、これは大臣の出番でお答えをいただきたいのですが、今まで私もやりとりを事務当局とさせていただきました。前回も大臣にこの重要性もお尋ねをしたわけですが、本当にこれは大切な改正法案であると思います。そういう意味において、今私が申し上げたようなことはぜひひとつ前向きで対応していただきたい。  やはり鉄は熱いうちに打てという言葉もございますし、これも先ほど申し上げたように自然な形で置いておきますと、大学当局は恐らく専修免許の出し方についても余り昔とかわりばえしないような形の中でその申請が出てくるということも考えられますし、それでは免許法を改正した本当の意味が半減してくるのではないかとすら私は思うわけでございまして、下手をすると形骸化したままで三つに分かれた免許状ができたというふうなことで将来に禍根を残すようなことになりかねないという心配もしているわけでございます。  私がいろいろ御質問申し上げたことを踏まえて、大臣、これが通った場合、この教免法を今後実施していくわけですが、それに対する御決意のほどを最後にお尋ねして、私の質問を終わりたいと思います。
  183. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 お答えいたします。  ただいま委員の御指摘の点、まことに重要なことであるな、こう考えるものであります。  そこで、昨年及び今回の改正によりましてこの新しい制度による教員養成は来年度から開始される。したがって、時期は極めて短うございます。当面新しい制度の円滑な実施に十分留意をいたしまして、教員専門性への一層の向上に努めてまいりたい、こう考えております。
  184. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 どうもありがとうございました。  以上で終わります。
  185. 船田元

    ○船田委員長代理 次に、石井郁子君。
  186. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 免許法の改正という問題は教員養成学校の現場に非常に重大な影響を与える問題だというふうに思っているわけです。慎重な審議が必要だということは言うまでもありません。昨年教免法の改正がありまして、私は初めにこの四月から実施されています教免法の経過措置の問題をちょっとお尋ねをしたいと思っています。  二種から一種への免許取得での十五年ゼロ単位の特例措置の適用がございますけれども、勤務年数に産休をどう位置づけるかという問題がございます。ことしの四月一日で十年以上の在職者にこの特例措置が適用されるわけですけれども、その際、この産休の期間が引かれた数、それで在職年数が十年未満になる場合はその経過措置が適用されないという問題が出てきております。  まず文部省に、これらの期間が含まれないというふうに解釈をしているのですが、この点は検討が必要だ、見直しが必要だというふうに私は思っているのですが、いかがでしょうか。
  187. 倉地克次

    ○倉地政府委員 これは免許法の別表第三に規定があるわけでございますけれども、その最低在職年数については教員としての資質能力を向上させるに足る良好な成績で勤務した期間ということになっている次第でございます。そういうことから考えますと、産休、育休の期間をここへ含ませるということはなかなか難しい問題でございまして、従来から産休、育休の期間はこの最低在職年数に通算しない扱いになっているわけでございます。そういうことで、なかなか困難な問題ではないかというふうに認識しているわけでございます。
  188. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 しかし、産休という問題は女性にとっては避けられないことでありますし、当然の権利だというふうに思うのですね。それでは、まず産休そのものを文部省はどのようにお考えですか。
  189. 倉地克次

    ○倉地政府委員 女性がお勤めいただいた場合には避けて通れない問題でございますので、そうした点から非常に重要な問題であるというふうに考えておる次第でございます。
  190. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 良好な期間ですか、資質形成の期間というふうにみなさないということですけれども、それは本当におかしいと思うのですね。初任者研修のときにもいろいろ論議がありました。今の教師の研修をもっと多面的にというか、いろいろな経験を積まさなければいけないという文部省の見解の中に、例えば店員をやってみるだとかホテルやデパートなどでも経験を積むだとか、そういう話までもあるわけです。  だから、教員としての資質ということ自身は非常にいろいろな中身があるわけですけれども、こういう子供を産み育てるということ自身も重大な、重要な資質形成の期間だ、教育の活動に生かしていく中身を持っている、そういう意味には考えませんか。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
  191. 倉地克次

    ○倉地政府委員 女性の教員子供を産み育てるということ自体を教員としての資質能力を向上させるに足る良好な成績で勤務した期間というふうにみなすことにつきましては、まだ若干議論の余地があるのではないかと考えるわけでございまして、現段階ではなかなか難しい問題ではないかというふうに考えるわけでございます。
  192. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 産休というのは、私たちがこの期間を選んで休むという問題ではなくて、法律的に決まっている期間です。まさに強制休暇なんですよ。だから、経過措置に該当する教員についてはそれをしゃくし定規に押しつけたのでは困るわけです。そういう点で、文部省はこの問題を教員の資質のまさに向上という中身からもぜひ前向きに検討してほしいというふうに私は思うわけです。  さしあたり、学校の実態や教員の個々の実情もいろいろありますから、都道府県教育委員会が柔軟に対応できるようにそういう余地をやはり残すべきだと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  193. 倉地克次

    ○倉地政府委員 先生のおっしゃいました都道府県教育委員会が柔軟に対応できるということの意味でございますけれども、それはやはり産休、育休の期間をこの最低在職年数に通算することをおっしゃるのではないかと思うわけでございまして、従来長年指導してきた観点から見ますと、今にわかにそういうふうに変更することはなかなか難しい問題ではないかというふうに考えるわけでございます。
  194. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 この問題だけで余りやりとりできませんけれども、今回はその経過措置ですから、十五年ゼロ単位の特例措置の適用をどうするかという問題ですから、従来のことと別に考えるべきだと思うのですね。ぜひとも文部省に検討していただきたいということを強く申し上げておきたいと思います。  もう一点は、養護教員一般教員の一種免許状取得の相違というか格差の問題についてでございます。  二種から一種への免許取得で、一般教員は取得義務が課せられております。十二年たつとあと三年で十単位取れば一種免許が取得できるわけですが、養護教員にはこうした努力義務もなく適用もされないわけであります。どうしてこのようなことになっているのでしょうか。
  195. 倉地克次

    ○倉地政府委員 養護教員のうち二種免許状を有する教員の実態でございますが、これは約六二%の方が二種免許状を有しておられる方でございます。これと若干似ておりますけれども、幼稚園の教諭についてもこれは実態が八〇%ということでございまして、養護教員と幼稚園の教諭につきましては採用後十二年経過時からのいろいろな措置につきましては適用をしない措置になっている次第であります。これは、このような多くの方々につきまして研修を行うための大学を指定することは事実上なかなか難しいわけでございますし、また、こうした多くの方々が学校を離れて研修されることも事実上難しいという認識に基づきましてこのような措置を講じた次第でございます。
  196. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、やはりそういう認識では全然本末転倒していると思うのですね。つまり、研修の条件が整わないからこういう特例から外すという問題ですね。その研修の条件を整えることを文部省がやはり真っ先にやるべきじゃありませんか。それから、そういうことに対しての条件整備の計画や、また前向きな取り組みということが問われているわけでして、その点ではどうなんですか。
  197. 倉地克次

    ○倉地政府委員 研修をしていただくことのためにいろいろな条件整備をするということは大変重要なことと考えている次第でございます。ただ、そうした措置も実態を踏まえてすべきだというふうに考えておるわけでございまして、養護教員六二%すべての方に研修すべき大学等の課程を指定したり、またそうした方々が十二年経過時に一斉に単位修得のために学校現場を離れるということは、実際、行政上の問題として不可能でございますので、幼稚園の先生方と同じようにこの規定の適用を外したということでございます。
  198. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 研修の問題では本当に不十分なんですね。養護教員先生方が専門的力量を養いたいというふうに思っても、都道府県によっていろいろ差異がありますけれども、年間四単位ぐらいしか取れないという実情のようです。大学院での研修も含めてもっと積極的な対策については文部省はどうお考えですか。
  199. 倉地克次

    ○倉地政府委員 養護教員の方々の研修も大変重要なことというふうに考えている次第でございまして、本年度から養護教員の新規採用の方々につきましても、今までとは別に新しい研修をしていただくよう予算措置をした次第でございます。最近新たに措置したものは、養護教員の新任教員の研修の方々についての問題でございますけれども、今後ともそうした点につきましては十分考慮してまいりたいと思っておるわけでございます。
  200. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ですから、二種から一種への免許取得の問題では、これからのことでございますから、ぜひそういう研修体制もつくっていただきたいというふうに思いますし、そういう条件が整わないからということで十五年ゼロ単位の特例措置を外すというようなことはやはりすべきでないと思うわけです。  養護教員先生方が、現実学校の中で大きな教育活動の役割を担っていらっしゃるのは言うまでもないと思うのですね。子供たちの体や心の異常が多発している中で、養護教員先生方というのは本当に苦労されているわけです。ですから、こういう免許の資格取得で格差をつけたり差別をするなんてこと自身が全く、そういう位置づけの問題としてはやはりやるべきでないというふうに思うわけです。こういう点で再度、こうした一般教員との格差というか差別というか、やはりそれをなくすべきだということでの文部省の御見解を伺いたいと思います。
  201. 倉地克次

    ○倉地政府委員 養護教員の職務は学校の運営上大変重要なものだというふうに認識しているわけでございます。そうした観点から本年度の養護教員の初任者研修についても予算措置をしたわけでございます。  ただ、私ども十二年経過後のいろいろな措置について適用しない措置をしたわけでございますけれども、これは先ほども申し上げましたように、六〇%を超える方々が二種免許状をお持ちでございますので、そうした方々に一斉に研修すべき大学等の課程を指定することは事実上困難でございますし、またそうした方々が一斉に学校を離れるということも困難だというふうに考えまして、そうした行政の実態に応じての措置でございますので、これはひとつやむを得ないものとして御理解いただきたいと思うわけでございます。
  202. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、重ねてそういう条件を整えるために文部省がやはりもっと努力をする、それと相まってこういう格差づけを解消するという立場でぜひ御努力をしていただきたいというふうに思います。  次に、今かかっております教員免許法の改正案の中身について質問をしていきたいというふうに思います。  時間が限られておりますから、具体的な問題でちょっとお聞きをしたいわけですけれども、教員養成大学の側の問題ですね。今回の地歴、公民という免許状の二本立てということに伴って、教職課程を持っている大学あるいは教員養成大学がどうなるのかということでちょっと具体的にお聞きをしたいわけです。  教免法の施行規則には教科専門それぞれ二十単位というふうにございますけれども、まず、この二十単位の中身がありますね、教科専門、これがそれぞれ地歴科、公民科にかわるのでしょうか。
  203. 倉地克次

    ○倉地政府委員 現在、社会科教科に関する専門教育科目で修得すべきものは、教育職員免許法施行規則の第四条に定められているわけでございます。そこでは社会科につきまして日本史を初めずっと規定がございまして、計二十単位あるわけでございますけれども、これにつきまして地理歴史公民教科に分かれるわけでございますので、それぞれそれに応じた科目を設定することになるというふうに考えるわけでございます。
  204. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それは何か案はございますか。
  205. 倉地克次

    ○倉地政府委員 これは今回の法律を通していただいた後で教育職員養成審議会におきまして十分御審議いただきたいというふうに考えるわけでございますが、今回教員専門性を高めるということでございますので、公民につきましては公民系の科目に重点を置くことになるわけでございますし、地歴につきましては地歴系の科目に重点を置いたものになるというふうに考えているわけでございます。
  206. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 教員養成審議会がつくられるということですね。そこで省令にかかわる部分が審議されるということですか。
  207. 倉地克次

    ○倉地政府委員 教育職員養成審議会で御審議いただきたいというふうに考えているわけであります。
  208. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それは四月実施、この法案は四月実施ですから、間に合うのでしょうか。これからつくられるのですか。どのくらいの見通しでされるのでしょうか。
  209. 倉地克次

    ○倉地政府委員 できるだけ早く行いたいというふうに考えるところでございますけれども、来年の一月ないし二月の初めまでには教員養成審議会を開催してそうしたことを御審議いただきたいというふうに考えているところでございます。
  210. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 次に、教科教育法について伺いますけれども、午前中の参考人質疑の中でもございました。この施行規則には、教科教育法の単位は受けようとする免許教科ごとに修得しなければならないというふうにありますけれども、この条文どおりに読みますと、地歴科教育法、公民科教育法というふうになるのでしょうか。
  211. 倉地克次

    ○倉地政府委員 これも教育職員養成審議会で十分御審議をいただきたいと考えていることの一つでございますけれども、現時点では地歴、公民についてそれぞれ教科教育法が設けられることになるのではないかというふうに考えるわけでございます。
  212. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 そういう教科教育法の専門家というのがなかなか大学の中ではいなくて大変だという実情があるのですが、そういう新しい地歴科教育法、公民科教育法で大学の方が対応できるというふうに文部省はお考えですか。
  213. 倉地克次

    ○倉地政府委員 今回の高等学校の地歴、公民でございますが、これは中学校社会科の基礎の上にそれを発展的に分けるということになるものだというふうに考えているわけでございます。現在の社会科教科教育法についてそれぞれ学問が成立しているわけでございますし、また地理歴史などにつきましてもそれぞれ学問が成立しているわけでございますから、新しい教科教育法についても十分そうした学問としての領域の成立は可能ではないかというふうに考えているわけでございます。
  214. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 そう言えば、来年から実施されて、再来年からには開講しなければならない、そういう実情ですよね。だから、本当にできるんでしょうか。それから、そういう教科教育法を新しくつくっていくわけですし、単位もそれぞれに二十単位ずつ開講しなければならないということになりますと、当然カリキュラム増、ですから教員の負担増というふうはなると思うのですね。それはいかがですか。
  215. 倉地克次

    ○倉地政府委員 地歴につきまして教科に関する専門教育科目二十単位、それから公民について教科に関する専門教育科目二十単位ということになるわけでございますが、これは本来卒業の要件となっている履修科目を履修すればそうした単位が取れるわけでございますので、新たに新しい科目大学の方で開設するというような必要はないのではないかというふうに考えるわけでございます。そうしたことから、この両者を分けることについてはそれほど難しい問題ではないというふうに考えるわけでございます。
  216. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 いや、具体的に地歴科教育法という開講をしなければいけないわけでしょう。それは新しく開講になるわけですよ。それは先生方の負担増というか、プラスアルファとして出てくるわけですね。だから、そういうことで今回のこの免許法改定に伴って、非常に教員養成大学で実際上やはりその人的な保障をどうするのかという問題が出てくるわけです。それは文部省はどうお考えですか。ちょっと伺っておきます。
  217. 倉地克次

    ○倉地政府委員 これまでも社会科社会科教育法が行われていたわけでございますし、これが二つに分かれてそれぞれの教科教育法になったといたしましても、大学の方では十分対応できるのではないかというふうに私ども考えているわけでございます。教員養成大学におきましては、その他の大学と若干違う事情もあるかと思いますけれども、それほどの困難な問題ではないというふうに考えているわけでございます。
  218. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それほどの困難な問題じゃないというふうに言われたら、私は本当に現場の先生方はどう思うだろうかというふうに思うのですね。教員養成大学で言いますと、中学校では社会科教育法を開講しなければいけませんよね。高校では地歴科、公民料というふうに開講しなければいけない。だから、今までのをやめて新しくするんじゃないわけです。今までのをやりつつ、さらに新しいことをしなければならないというのが今度の中身じゃないですか。違うんですか。  だから、現実にそういう問題になると大混乱が起きるんじゃないでしょうか。私は、そういうことを大学先生方がこんなふうになるなんというのは、まさかというか、思ってないという実態もあると思うのですね。だから大学の側の、そういう合意は得ているでしょうか。どうやってそれを大学に押しつけようとするのですか。
  219. 倉地克次

    ○倉地政府委員 そうした点も含めまして教育職員養成審議会で十分御審議いただき、その上で正式の決定をいたしたいと思うわけでございますけれども、今申し上げたように、今のところはそれぞれの教科教育法を前提として考えている次第でございます。
  220. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 だから、先ほどというか、前回来の質問の中で、社会科にかわって系統性専門性を強化するんだという点が今回の分けた一番の理由だということだったと思うのですね。だけれども、教員養成大学のその実態から見ますと、専門性が本当に高まるのでしょうか。地歴科教育法を開講しても、それを担当される専門家はいないわけですよ、そういう地歴科なんという科目が戦後なかったわけですから。そういう教科教育法というのはどういうことになるのですか。だから、免許法の施行規則にあるということが全く形骸化されますし、結局社会科と何ら変わらないということにしかならないということではないのでしょうか。  それから、そういう大学の実情、教員養成が実際に行われている実態、それと全く離れたところでこういう分割を押しつけてきてどういうことになるのかという問題ですね。私はそういう面でも大学関係者はこぞって恐らく反対をしていると思います。それぞれの大学が自主的にいろいろカリキュラムを決めてやりたいというふうなことが起こってきた場合には、文部省はどう対応しますか。
  221. 倉地克次

    ○倉地政府委員 今まで社会科でやってまいりまして新たに地歴、公民教科を設けるわけでございますから、そこに移行する間にいろいろ大学の現場で御苦労いただくことになるというふうに考える次第でございます。そういう点でございますから、先生の御指摘のようにいろいろな問題があり、御苦労いただく点はあるかと思うわけでございますが、それはやはり新しいものを設けたときに伴う問題でございまして、それなりにひとつ御理解いただき、御対応いただくことになるのではないかというふうに考えるわけでございます。
  222. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 じゃ、この法案が通って大学で実際に動き出した段階で、教育職員養成審議会がどのように出されるかはわかりませんけれども、教員の負担増だとか、あるいはそういうマンモス授業ですとか、そういう問題が今以上に出てきた場合について、文部省はどのように責任をおとりになりますか。
  223. 倉地克次

    ○倉地政府委員 おおよそのところはそんなに負担増が生ずるというふうには認識していないわけでございます。ただ先生が御指摘のように、教員養成大学などにおきまして、中学、高校、小学校すべて取るということになりますと若干の問題はあろうかと思うわけでございますけれども、その辺につきましては今後十分対応措置などを高等教育局の方と連絡しつつ考えてまいりたい、そのように考えるわけでございます。
  224. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 負担増にならないという前提で文部省がそういう楽観的な御判断だったらもうしようがないわけですけれども、負担増になった分については現場に押しつけないというふうに考えてもいいですか。
  225. 倉地克次

    ○倉地政府委員 新しいことに取り組むわけでございますから、現場におかれましてもそれなりの御苦労をいただくことになるのではないかということを考えるわけでございます。新しい制度の意味をよく御理解いただきまして御協力いただければありがたいというふうに考える次第でございます。
  226. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ですから、やはり拙速でして、本当にこの実施に伴って教員養成課程がそれぞれどういう問題を抱えるのかということをもっと責任を持ってつかんでいただきたい。そして大学先生方が本当に専門性を高めるという趣旨でできるのかどうかということで、大学の方々にも納得いくようにしていただきたいというふうに思うのですね。だから、全く秘密裏に、そして決まったからそれを押しつけるということでは、本当に教員養成大学は今でも大変な中でますます大変になっていくというふうに思うわけです。私は、教員の資質向上にはこんなことをやったら何ら貢献しないというふうに思います。そういう点をちょっと強調しておきたいというふうに思います。  申し上げたいことはいろいろあるのですけれども、やはり先ほど来問題になっておりました地歴科、公民科という分割が一体どのように決まったのかという問題、やはり今回ここを明らかにしなければならないというふうに思うわけです。先ほど嶋崎委員の御質疑もありましたけれども、私は再度伺いたいというふうに思うわけです。  地歴科、公民科の分割が十一月四日の高校社会科教育懇談会で決定づけられたという報道や、先ほど二人の参考人の方からもそのように強調されたわけであります。これは文部省もそのように認識されているのでしょうか。このように認識してよろしいですか。
  227. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 お答えいたします。  先ほどの嶋崎委員の御質問、そしてまた石井委員の御質問でありますが、私は本当のことを言って、当時野におりましたので経過のことについてはよくわかりません。初中局長から答弁をいたしたものでありますけれども、結論的には、その間いろいろな問題があったといたしましても、最終的には教育課程審議会の答申をいただいて、それに基づいて、そして今回の改正を提案をいたしたわけでありますので、よろしくお願いを申し上げます。
  228. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ちょっと具体的に伺いたいのですけれども、局長がいらっしゃらないと困りますね。これは重大な問題なのですから。大臣は、経過はよく知りませんとおっしゃられて質問などできないわけですから。どうしますか。
  229. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 私の手元にありますこれには初中局長は入ってないのですが、これは助成局長だけ。——今もうすぐ見えますけれども、他に助成局長や大臣の方への質問が先にあればお願いできますか。
  230. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それではちょっと大臣に伺います。  この高校社会科教育懇談会が私的な懇談会であると言われているのですが、それでよろしいですか。また、正規の機関ではないということで理解してよろしいですか。
  231. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 先ほどお答えをいたしたとおりであります。  私といたしますと、何年の何月何日にどのような人々が集まってどのような会議をやってというようなことについては全くよく存じておらないわけであります。  ただ、何度も御答弁を繰り返させていただきますが、最終的には審議会の答申をいただいた。その間いろいろな経緯があったといたしましても、一つの物事を判断するに当たって当然賛成の方もいらっしゃるでしょう。また、反対の方もいらっしゃるでしょう。その討議が済んで、そして終局的には答申をいただいたわけでありますので、それに従って今回の改正法案を提出をした次第でありますので、よろしくお願いを申し上げます。
  232. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 社会科の存続について、ずっと長い経過でいろいろ問題があった、論議もあったということはそうだと思うのです。それから、歴史独立についても、あるいは地理独立ということでのそういう意見がずっと根強くあったということもそうだと思います。  ただ、私が問題にしたいのは、今回社会科を解体して地歴科、公民科——歴史科でなくて地歴科になったということです。地歴科、公民科という設定は、いつの時点で、どういう議論で、どこから出てきたのでしょうか。これは、経過の中には地歴科というのはいつ登場したのでしょうか。それをお尋ねしたいと思うわけです。
  233. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 何度もお答えをしてまことに恐縮でありますけれども、そこのところが私といたしますと存じ上げておらないわけであります。  戦後の教育全般の中において長い間、地歴の問題、公民の問題、分離すべきかどうか、確かにたくさんの議論が進められておったということは、党内におりましても私は十分承知をいたしております。今回のことについては、申し上げたとおりのことで提案をしたわけでありますので、よろしくお願いをいたします。
  234. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 でも、やはりその経過がはっきりしませんと、先ほど質問いたしましたように、一つ教科として今度は教科教育法をそれで教えなければならない、こういう学問研究教育の中身に立ち入ったことまでがここで決められるわけですよ。重大な問題だと思うのです。先ほど上田参考人の話もありましたけれども、社会科教育法というのは学問として成り立つのかどうかということを私たちは長い間議論してきました。  それと同じような意味で、地歴科教育法というのはどんな学問として成り立つのですか。だから、これは一から始めなければならないという問題にもなるわけです。重大な問題だと思うのです。そういう現場あるいは学問研究教育体制に重大な影響を与える免許法の決定というか改正の問題で大臣がよくそのことがわかってないで決められるというのは、もう何とも国民は納得できないと思うのです。大臣、いかがでしょうか。——結構です。  では、局長に伺います。質問を改めてやり直します。  十一月四日に重大な決定があったということはもうはっきりしているわけであります。そこで高校分科会長の諸澤氏から、社会科を地歴、公民に分ける場合に、それぞれの方から意見をいただきたいという提案があったというふうに新聞報道されているわけですが、それで確認してよろしいのでしょうか。
  235. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 十一月四日の懇談会でございますか、それにつきましては、ここは教育課程審議会の正式の機関としての位置づけの会議ではなくて、いわば教育課程審議会におきます審議を深めるために分科会長の一つ研究会として催されたものでございますので、その中でいろいろな御議論があったことは事実でございますけれども、結果的には分科審議会のまとめないしは教育課程審議会の答申で審議会全体の御意思というものははっきり出ているわけでございますので、この答申によりまして御理解をいただきたいと存じます。
  236. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 質問したことにぜひお答えいただきたいのです。この懇談会の席で諸澤会長が社会科を池歴、公民に分けるという発言をなさったというのは事実ですか。
  237. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは外に公表して行っている会議ではございませんので、だれがどういう発言をしたかということにつきましては申し上げるのを控えさせていただきたいと思います。
  238. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 そうなるとおかしいのですね。先ほど参考人先生方はこの会合で決定づけられたんだ、これが決定的なポイントだったんだ、この決定があるから今日ここまで進んだんですというふうに強調されているわけです。それから、先ほど配られました「現代のエスプリ」の九ページにも地歴独立を決定づけたのは十一月四日の高校教育懇談会であったと書かれているわけです。こういうことがどんどん公表されているわけですから、それを文部省がお認めにならないというのはどういうことなんでしょう。
  239. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 私どもは教育課程審議会の答申に基づいて学習指導要領を作成したわけでございまして、教育課程審議会の御答申は、いろいろな経緯がございますので、十一月四日の研究会で深めたのももちろん中には織り込まれているとは思いますけれども、いずれにしましても最終的に答申という形でまとまっているわけでございますので、それを決めました高等学校の分科審議会及びその総会の全員一致で決まったというところで御理解をいただきたいと思うわけであります。
  240. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それでは、先ほどの参考人の公述については文部省としては若干異議があるというふうに受け取っていいのでしょうか。  私がお尋ねしていますのは、要するに地歴料、公民科という分け方はいつ具体的に上ったんでしょうか。では、これは最終的に十一月十三日の高校分科会で登場したということで理解していいでしょうか。
  241. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 高校社会科の再編につきましては、御案内のように課題別委員会、総会、さらには教科別の社会科委員会でずっといろいろな御議論を経てきているわけでございます。最終的に決まったのは答申でございますけれども、事実上決まったのはその前の高等学校分科審議会の審議のいわば最終日というのが正しいと思います。
  242. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 最終的に全会一致で決まったということを強調されるのですが、これはもう審議会の構成というか運営の仕方の面からそういう形になっているというわけでありまして、実際上は高校分科会あるいは社会科委員会で具体的な決定がされていくということだと思うのです。ですから、最終でまとまったということだけを強調されても、全く説得力がないわけであります。  十一月十三日の高校分科会に地歴科、公民科という分割がどういうふうに出されたのか。私どもはこの議事録は一切見ていないわけであります。こういう議事録は当然公表すべきだと思うのです。結論だけがまとめられたことをもって、その審議の経過が一切明らかにならないということでは到底納得できないと思うのです。  私は、私的懇談会の議事録、十一月十三日の高校分科会の議事録はやはり今の時点でぜひ文部省が出すべきだ、そうしなければこの審議は到底まともにできないと思うのですが、どうでしょう。
  243. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 この社会科再編成の問題につきましてはずっと当初から審議会で御議論が継続して行われているわけでございます。しかし、審議会の議事の内容につきましては、他の審議会と同様公表しないということできておりますので、御了承いただきたいと存じます。
  244. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 重ねて伺いますけれども、十一月四日の懇談会で決定づけられた、先ほどお二人の参考人先生が強調された点につきまして、文部省の正式な見解を伺っておきたいと思います。
  245. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは先ほど来申し上げておりますように、この審議のプロセスの間におきます一つ研究会でございまして、最終的に決まったのは高校分科審議会の最終まとめ、教育課程審議会の総会におきます決定が最終的な決定であるというふうに御了解いただきたいと思います。
  246. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 そういう形式的なことはよくわかっているわけであります。ただ問題は中身でありまして、どうなったのかということです。  ですから、今の経過からしても、社会科委員会は地歴科、公民科ということについては一切かかってないということですね。
  247. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教科別の社会科委員会ではこの問題は十分審議されております。ただこれも、本日も繰り返して申し上げておりますが、課題別委員会ないしは教科別の社会科委員会は何かを決定する機関として置かれているものではなくて、最終的に決定します高校分科会ないしは教育課程審議会の総会の審議を深めるために置かれているものでございます。繰り返しになりますが、その点も御了承いただきたいと思います。
  248. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 だから、そういう審議を深めるべきところで十分審議がされてない、まとまってもいないということですよ。それを強引に地歴科、公民科というふうに分割したのが私的懇談会じゃないのですか。しかも、それを地歴科、公民科と分けるというふうに提案したのが諸澤高校分科会長ではないのですか。まさに個人見解がここで押しつけられたということなんですよ。それが問題だと思うのです。だから、ルールに沿ったというか委員会審議が十分積み重ねられてこういう案が出てきたということにはなってないわけです。だから、これは重大な問題なんです。  そういうことで、私は、この私的懇談会と十三日の高校分科会についてはきちっと議事録も公表する、いつ、どこで地歴科、公民科の分割が決まったのか、このことについてはっきりお答えいただきたいというふうに思うのです。
  249. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 議事録の公表につきましては、これも先ほど来繰り返しておりますように、恐縮でございますが、他の審議会と同様に公表しないことにしておりますので、御了解いただきたいと思います。  それから、何回も繰り返し最終的に決まったのはどこかと言われますが、最終的に決まるのは、決定権があります高校の分科会ないしは教育課程審議会の総会であるということを、これも繰り返しで恐縮でございますが申し述べさせていただきます。
  250. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 最終的に決まったのを聞いているのではありません。地歴科、公民科という案が具体的に上ったのはどこですか、それを聞いているのです。その答えがありませんでした。  時間が参りましたので終わらざるを得ないのですけれども、社会科は四十年の歴史があります。いろいろな問題もありますけれども、どうしたら成果を上げることができるかいろいろな実践が取り組まれている。現代社会もその一つでありました。それだけに慎重な審議が求められているというふうに思います。今国会はあとわずかの日程を残すのみとなっていますし、拙速にならざるを得ないことを私は大変残念に思っています。文部省の方も、私どもが納得できるような御答弁がありませんでした。こういう点でも強く反省を求めまして、質問を終わりたいというふうに思います。
  251. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     ─────────────
  252. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これより討論に入ります。  討論の申し出がありますので、順次これを許します。臼井日出男君。
  253. 臼井日出男

    ○臼井委員 私は、目的民主党を代表いたしまして、教育職員免許法の一部を改正する法律案について、賛成の立場から討論を行うものであります。  今回の教育職員免許法の一部改正案は、高等学校学習指導要領の改訂により、高等学校における教科社会」が平成六年度から「地理歴史」及び「公民」に改められることを受けて、高等学校の免許教科社会」を廃止し、「地理歴史」及び「公民」を新設すること等を内容とするものであります。  今回の学習指導要領の改訂による高等学校教科社会」の再編成は、高等学校生徒発達段階に応じて科目専門性系統性を強める観点から行われるものでありますが、その背景として、次の二つ時代要請を挙げることができると思います。  まず第一は、国際的な資質の育成の一層の重視であります。我が国社会の経済発展、通信手段の発達等による国際化が進展する中で、国際社会に主体的に生きる日本人として必要な資質の育成を一層重視する必要が生じてきております。つまり、地理及び歴史教育を重視し、我が国の文化、伝統を理解することにとどまらず、広い世界史的視野のもとに日本を相対化して見ることができる国際的な資質を育成することが求められているのであります。  第二は、公民的資質の育成の一層の重視であります。社会の急激な変化に伴い、青少年の社会的連帯感や責任意識の低下が見られる中で、国家・社会を構成する一員としての自覚を深め、民主的、平和的な国家・社会の進展に主体的に寄与しようとする公民としての資質を育成することが求められているのであります。青少年による事件が相次ぐなど、青少年問題が大きな課題となっている今日、かかる公民的資質の育成を高等学校において図ることは重要であると考えます。  今回の学習指導要領の改訂は、このような時代要請を背景として、中学校までの教科社会」の学習の基礎の上に、高等学校生徒発達段階に応じた専門性系統性のある教育を実施するとともに、高等学校教育において育成すべき国際的な資質と公民的資質とをバランスよく身につけさせることのできる教科構成とするために、教科社会」を再編成したものであり、まことに時宜を得た改訂であると高く評価するものであります。  かかる高等学校教科社会」の「地理歴史」及び「公民」二教科への再編成に応じて、免許教科社会」についてもこれを「地理歴史」及び「公民」に改めることは、「地理歴史」または「公民」の専門的な教育を受けた教員養成するために必要なことであり、「地理歴史」または「公民」の養成教育を受けた教員学習指導要領の実施される平成六年度から学校現場に送り出すためには、一刻も早く本法律案を成立させなければなりません。  以上のような重要な意義を有する本法律案が速やかに成立し、急速に進展する我が国の国際化社会経済の進展に伴う青少年の状況の変化等に一層適切に対応した教育が一日も早く高等学校で行われることを期待し、委員各位が本法律案の趣旨に賛同されんことを願って、賛成討論を終わります。
  254. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、中西績介君。
  255. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、日本社会党・護憲共同を代表して、教育免許法の一部を改正する法律案に対して反対の立場で討論を行います。  まず、本法律案学習指導要領の改訂により高校社会科が「地理歴史科」と「公民科」に分割されたことに伴う教育免許状の変更を行うものであります。しかし、学習指導要領は文部省令である学校教育法施行規則に委任された基準にすぎないものであります。その学習指導要領が法律を拘束し、国会に法改正を急遽求めるというのは、国会を国権の最高機関と定める日本国憲法に手続上違反する疑いのあるものであります。私は、このような違憲の疑いのある本法律案に賛成するわけにはまいりません。  次に、本法律案が、学習指導要領の改訂に伴う高校社会科の「地理歴史科」と「公民科」への分割に伴うものである以上、学習指導要領の検討及び高校社会科の「地理歴史科」と「公民科」への分割の可否について慎重な検討を要するものであります。にもかかわらず、参考人意見聴取を含めてわずか二日間で審議を終了しようという本委員会の運営に対しても、重大な異議を表明せざるを得ません。この二日間で十分な審議が尽くされたとは到底言えないものであり、この点でも本法律案に反対するものであります。  また、教育課程審議会の審議は、社会科担当教員関係団体、学会等の意見も十分聞くことなく拙速的に行われたものであり、政治権力の介入の疑いさえも持たれているものであり、この点でも到底容認できないものであります。  さて、教課審も文部省も再三強調しますように、個性の重視がますます重要になっております。ところが、このたび改訂された学習指導要領を見ますと、その個性重視の時代の潮流に逆行して、画一的な教育学校現場に強いるものとなっております。個性重視とは、教育現場において、個々の子どもの発達段階に配慮して柔軟に対処することによって保証されるものではないでしょうか。この意味で、この改訂学習指導要領自体が再検討されねばならないものであります。  また、高校社会科の「地理歴史科」と「公民科」への分割自身にも問題があります。社会科は、新生日本の主権者として平和で民主的な社会を担う総合的な社会認識を持った子どもたちを育成しようとして生まれたものであります。この総合的な社会認識の必要性は、今日に至っても変わるものではありません。  社会科解体の理由に国際化が挙げられており、そのために「世界史」が必修となるものとされております。他方で「公民科」が設けられ、日本人としての自覚を植えつけようとしております。もとより「世界史」を学ぶことは重要なことであり、日本人としての自覚も重要であります。しかし、「世界史」を学ぶということは、他国についての知識を得るだけのものではありません。また、日本人としての自覚も世界歴史や現代国際社会の構造と無縁に存在するものではないはずであります。  例えば「世界史」で朝鮮半島やベトナムについて学ぶ場合、過去にどのような事件が起きたかを学ぶのみならず、今日の在日韓国・朝鮮人問題やベトナム難民の問題がなぜ起きているのかを知り、それらの人々の自助努力にどのように協力するのか、それらの国々との関連において日本はいかにあるべきか、またその中にあって私たちはどう生きるのかを考えることが重要であります。  「社会科」を「地理歴史科」と「公民科」に分離するということは、こうした総合的な社会認識を育てることに逆行するものであります。教課審や文部省は、国際化社会における日本人の自覚を言いつつ、矛盾の拡大を図っているとしか言いようがないのであります。  私は、このような時代に逆行する学習指導要領に基づく本法律案には断固反対せざるを得ません。このことを強く訴えて、私の反対討論を終わります。
  256. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、山原健二郎君。
  257. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、日本共産党・革新共同を代表し、本法案に対して反対討論を行います。  本法案は、戦後四十年にわたって、青少年に科学的で総合的な社会の見方を培い、民主主義をはぐくむ上で大きな役割を果たしてきた高校「社会科」を「地理歴史」と「公民」に分割するという新学習指導要領に沿って必要な教員養成を図ろうとするもので、重大な内容を持つものであります。にもかかわらず、わずか二日間の審議で議了しようとすることは極めて遺憾なことであります。  しかも、社会科の解体と分割が決められた教育課程審議会の経過を見るならば、圧倒的多数の社会科教育関係者の反対を押し切り、政治的介入によって決着が図られたことは明白な事実であります。結論が先にあり、理屈は後からつけるというこのようなやり方は、教育を冒涜し私物化するものであって、断じて許すことはできません。  なぜこうまでして社会科の分割に固執するのか。それは、今回の新学習指導要領自体が、君が代・日の丸教育の義務化を初め徹底して非科学的な台皇国史観教育を押しつけようとする反動的なものであって、その延長線上に位置づけられているからであります。  戦前の軍国主義教育の推進に重要な役割を演じた柱の一つが、国史、地理、修身という細分化された教科だったのであります。この反省に立って、教育基本法第八条の「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」という精神のもとにスタートしたのが社会科であります。ところが、歴代政府・自民党は社会科誕生直後から一貫して社会科を敵視し、さまざまな攻撃をかけてきたのであります。  既に一九四九年、当時の吉田首相が、健全な国民道徳育成のため修身、歴史地理教科目を復活したいと発言、その後五五年の社会科のみの学習指導要領改訂、「うれうべき教科書の問題」、家永教科書裁判に見られる教科書検定制度の検閲的強化、八〇年代の社会科教科書偏向キャンペーン、そして「現代社会」の必修外しと続き、今回の社会科解体に至るのであります。  こうして見ると、社会科解体のねらいが、国民的教養の基礎を完成するという高校教育の段階において国家や財界の言うがままに従う青少年づくりを目指すことにあることは明らかであります。  本法案は、このような反動的教育遂行に手をかす教員養成とその確保を免許制度において明確にしようとするものであり、断じて容認できません。しかも、免許法本来の趣旨からいって学校教科と免許教科とが一致しなければならない根拠も乏しいのであって、こうした施策の押しつけは、教員養成においても学校現場においてもさまざまなしわ寄せと混乱を招くことになりかねません。  以上の理由と教育課程審議会の非民主的審議経過から見て、学習指導要領の白紙撤回は当然のことであり、それに基づく今回の改正も撤回して出直すべきであります。私はこのことを強く主張いたしまして反対討論を終わります。
  258. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これにて討論は終局いたしました。     ─────────────
  259. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これより採決に入ります。  第百十四回国会内閣提出教育職員免許法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  260. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 起立多数。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     ─────────────
  261. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 ただいま議決いたしました法律案に対し、北川正恭君外三名から、自由民主党、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議及び民社党・民主連合の四党共同提案による附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  提出著から趣旨の説明を求めます。中西績介君。
  262. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、提案者を代表いたしまして、ただいまの法律案に対する附帯決議案について御説明申し上げます。  まず、案文を朗読いたします。     教育職員免許法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、教育職員の免許と高等学校教育の重要性にかんがみ、次の事項について、特段の配慮をすべきである。  一 教員養成課程における「地理歴史」及び「公民」の専門教育に当たっては、国際理解と国際協調の精神の育成について配慮すること。  二 高等学校における教科科目の設定については、生徒の様々な学習要求にきめ細かく対応した教育ができるようその条件整備に努めること。  三 第四次公立高等学校の学級編制及び教職員定数の改善計画について、その計画期間内達成を図るとともに、その後の改善計画について検討を進めること。 以上でございます。  その趣旨につきましては、本案の質疑応答を通じて明らかであると存じますので、案文の朗読をもって趣旨の説明にかえさせていただきます。  何とぞ御賛同くださいますようお願い申し上げます。  以上です。
  263. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。  採決いたします。  本動議に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  264. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 起立総員。よって、本動議のごとく附帯決議を付することに決しました。  この際、本附帯決議に対し、文部大臣から発言を求められておりますので、これを許します。石橋文部大臣。
  265. 石橋一弥

    ○石橋国務大臣 ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処してまいりたいと存じます。     ─────────────
  266. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 お諮りいたします。  ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  267. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     ─────────────     〔報告書は附録に掲載〕     ─────────────
  268. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次回は、来る十二月一日金曜日午前九時五十分理事会、午前十時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十六分散会