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1989-11-24 第116回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年十一月二十四日(金曜日)     午前十時三分開議  出席委員    委員長 鳩山 邦夫君    理事 麻生 太郎君 理事 臼井日出男君    理事 船田  元君 理事 中西 績介君    理事 鍛冶  清君 理事 中野 寛成君       亀井 善之君    岸田 文武君       工藤  巌君    斉藤斗志二君       杉浦 正健君    中村正三郎君       野呂田芳成君    長谷川 峻君       平泉  渉君    三原 朝彦君       渡辺 栄一君    菅  直人君       馬場  昇君    有島 重武君       石井 郁子君    山原健二郎君       田川 誠一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 石橋 一弥君  出席政府委員         文部大臣官房長 國分 正明君         文部大臣官房総         務審議官    佐藤 次郎君         文部省初等中等         教育局長    菱村 幸彦君         文部省教育助成         局長      倉地 克次君         文部省高等教育         局長      坂元 弘直君         文部省学術国際         局長      川村 恒明君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      多田 俊幸君     ───────────── 委員の異動 十一月二十四日  辞任         補欠選任   青木 正久君     中村正三郎君   梶山 静六君     野呂田芳成君   渡海紀三朗君     三原 朝彦君   松田 岩夫君     亀井 善之君   江田 五月君     菅  直人君 同日  辞任         補欠選任   亀井 善之君     松田 岩夫君   中村正三郎君     青木 正久君   野呂田芳成君     梶山 静六君   三原 朝彦君     渡海紀三朗君   菅  直人君     江田 五月君     ───────────── 十一月二十四日  義務教育費国庫負担制度の堅持に関する陳情書外三十三件(第一八号)  公立文教施設整備補助制度等充実に関する陳情書外五件(第一九号)  私学助成充実に関する陳情書外二件(第二〇号)  私立高等学校に対する生徒急減対策に関する陳情書外一件(第二一号)  海外在留児童生徒及び帰国児童生徒に対する教育体制整備に関する陳情書外二件(第二二号)  現行教職員定数改善計画完全実施に関する陳情書(第二三号)  生涯学習推進のための基盤整備に関する陳情書外一件(第二四号)  全小学校養護教諭配置に関する陳情書(第二五号)  埋蔵文化財緊急発掘調査補助金大幅引き上げに関する陳情書外一件(第二六号) は本委員会に参考送付された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  教育職員免許法の一部を改正する法律案内閣提出、第百十四回国会閣法第四九号)      ────◇─────
  2. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 これより会議を開きます。  第百十四回国会内閣提出教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。麻生太郎君。
  3. 麻生太郎

    麻生委員 昨年に行われました第百十三回国会におきまして、御存知のように教育職員免許法の一部を改正する法律案というものができ上がっておりますけれども、まず基本的にその概要並びに内容について御説明をいただきたいと存じます。
  4. 倉地克次

    倉地政府委員 今お願いしております教員免許法改正案でございますけれども、その概要を申し上げますと、まず第一に、本年三月の高等学校教育課程基準改訂によりまして平成六年度から教科社会地理歴史、それから公民に再編成されることになっておる次第でございます。これを受けまして高等学校免許教科につきましても社会地理歴史公民に改める次第でございます。  それから二番目でございますけれども、これはごく技術的なことでございますが、免許状の授与、教育職員検定等に係る手数料の問題でございますが、これは適切な費用負担を図るため、その額を「実費を勘案して政令で定める」というふうに改正をお願いしている次第でございます。  このほか附則などにおきまして経過措置を定めているわけでございます。平成二年度から新しい地理歴史公民教科によりまして教員養成を行う必要がありますので、同年度からの大学入学者につきましてそういうことを実施するようその施行期日平成二年四月一日といたしておりますが、それ以外の者につきましては、「平成六年三月三十一日までは、なお従前の例による。」ということで、社会科免許状を授与することにしている次第でございます。これは、平成六年四月一日から現実に各現場で新しい地理歴史公民授業が行われますので、それまでにつきましては従前の例に従って社会科免許を授与するということにしている次第でございます。  概要を申し上げますと、以上のとおりでございます。
  5. 麻生太郎

    麻生委員 ただいまの御説明によりますと、平成二年にこれが施行されましてから平成六年までの間は従来どおりということでありますが、平成六年になった以降は、これまでの社会教免を受けられた方の扱いはどのような形になるのですか。
  6. 倉地克次

    倉地政府委員 これにつきましては附則の三項に規定があるわけでございますけれども社会科教科についての免許状をお持ちの方は平成六年四月一日に地理歴史公民の各教科についての免許状を持っている方というふうにみなす次第でございます。そういうことによりまして、特段の事務手続などを要することなく地理歴史公民教科授業を担当し得ることになる、そういうことでございます。
  7. 麻生太郎

    麻生委員 今まで社会免許状を持っておられた方は地歴公民両方持てるのであって、どちらかを選択しなければならぬということではありませんね。
  8. 倉地克次

    倉地政府委員 両方免許状を持てるということでございます。
  9. 麻生太郎

    麻生委員 今明らかに大きく時代が変わってきて、いろいろな意味で、日本に限らずいろいろなところで大きな変化が起きておるのに対して、私どもも当然その時代に合わせて教育というものが見直されねばならぬ、いろいろな形で新しい時代に合った教育をつくらねばならぬということで、文部省でもいろいろ考えておられるようですけれども、例えば今回の学習指導要領改訂によっても、同じように、今言われたように高等学校社会科地理歴史科及び公民科に再編成するということになっていくんだろうと思うのですが、今回の教科科目構成についても、その都度、趣旨を尊重して見直しを行うことは大変大事なことだと考えておりますけれども、どのような趣旨でそれを行ったのかについて伺ってみたいと思います。
  10. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 戦後、新学制の発足に際しまして、従来、修身、歴史地理公民科などという戦前中等学校教科がございましたが、それにかえまして社会科が設けられたわけでございます。社会科自体は戦後、小中高等学校を通じて大変大きな役割を果たしてきたわけでございますが、高等学校段階歴史地理教育社会科の中で、一つ教科の中で実施されるということにつきましては従来からいろいろな御意見があったのであります。教育課程基準改訂たびごとにこの議論が繰り返されてきたという経緯がございます。  そこで、今回の学習指導要領改訂におきましては教育課程審議会で十分御審議をいただいたわけでございますが、その答申に基づきまして高等学校社会科を再編成して地理歴史科公民科に分けようということになりました。  その趣旨と申しますか、観点としてはいろいろあるわけでございますが、一つは、高等学校段階生徒発達段階から申し上げまして、これは小学校中学校とはかなり違いまして心身ともに発達してまいります。その段階では、やはり科目専門性とか系統性というものをもう少し強める必要があるのではないかということがございまして、そうした背景にはいろいろなことがあるわけでありますが、一つは昨今の社会変化、特に国際化進展に伴いまして、二十一世紀に生きる子供たちにつきましては、国際社会に生きる日本人育成という観点から国際的な資質育成を大変重視しているのであります。  国際社会に主体的に生きていく日本人として必要な資質といたしましては、やはり我が国日本文化とか伝統というものを十分理解する、ただそれだけにとどまらず、広い世界的視野のもとに日本というものを相対化して見る。それは空間的にも、地理という学習を通して地理空間的にも、そして時間的歴史という学習を通しましても、日本というものを世界全体の中で相対化して見ることができるような資質育成が求められているということがございます。  そしてもう一つは、公民的資質育成を一層重視しようということであります。社会の急激な変化に伴いまして、最近の子供たち社会連帯感とか責任意識の低下というのがよく指摘されているところでございます。国家社会構成する一員としての自覚を深める、そして民主的、平和的な国家社会進展に主体的に寄与していく公民としての資質育成するということが強く求められました。  こうしました背景教育課程審議会では十分御審議になりまして、小中学校を通じます社会科学習の上に高等学校生徒発達段階に応じた専門性系統性のある教育を実施しよう、そこで高等学校教育におきましては、先ほど申し上げました国際的な資質とか公民的資質、そういうバランスをとった教科構成ということで今回社会科を再編成いたしたわけでございます。  社会科地理歴史科公民科の二教科に再編成をすることに応じまして、先ほど先生からも御質問がありました教員免許の体系を社会科免許のみから二教科免許に改めていくわけでございますが、これは当然教師専門性が高まるということになると思います。ですから、今後、専門的にも高まった、深まった教師による指導が行われるということでござまして、高等学校段階におきますこうした専門性のより高い教育を実施するということになると思うのであります。  こういうことを総合的に勘案いたしまして、現行社会科の枠の中で対応するよりも地理歴史科公民科に再編成していくというのが適切であるということで御答申をいただき、それに基づきまして学習指導要領を定めてきた、こういう趣旨でございます。
  11. 麻生太郎

    麻生委員 今御指摘がありましたように、これからの時代、例えば今地歴に限らずいろいろな公民といって専門化していくというのはとても大事なことだと思うのですが、今東ヨーロッパで起きている話にしても、バルト海三国などという言葉を聞いても、バルト海がどこにあるかわからぬのではどこの話かもわかりませんし、また、今のあの三国が少なくとも独ソ不可侵条約、一九三九年かな、に結ばれた独ソ不可侵条約によって当時ヒトラーとスターリンとで話を決めて、あの部分だけをソ連に割譲するみたいな話が決まったという歴史的背景がないと、今の独立運動意味理解がされないという意味で、そういった高等学校等義務教育を終えた段階でますます専門的な知識が要請される段階年齢構成からいっても十六から十八歳という段階になってきて、今申し上げたような歴史的事実なり世界地図の中における場所なりというようなものを頭に入れて社会情勢を見るのとそうでないのとでは、人間としていろいろな意味での知識の面に限らず社会情勢を判断する上、国際情勢を判断する上でも大変大事な要素だと思っておるのですが、そういった意味で分けていくという傾向にあるということは基本的に正しい、私はそう思っておるのです。  ちょっとつまらないことを伺いますが、地歴公民というのに分けていった場合に、一般的に今まで社会科だったものが地歴公民に分けた場合は、教員免許を受ける人の感じは地歴の方に多いものでしょうか、公民の方に多いものでしょうか、ちょっと感想だけでも教えていただけませんか。
  12. 倉地克次

    倉地政府委員 地歴と申しますと、地理歴史ということでございますので、文学部歴史学科でございますとか、地理の問題は理学部にもございますけれども、比較的入学定員が少ないのではないかと思う次第でございます。公民と申しますと、これは政治経済、それから法律、そのほか文学部哲学などというところについてもいろいろ学科があるわけでございまして、入学定員も多いわけでございますので、やはり公民関係の方が免許状をお取りになる先生方は多いのではないか、そのような感触を持っておる次第でございます。
  13. 麻生太郎

    麻生委員 そうすると、仮に今社会免許状をお持ちの方は、地歴及び公民と二教科持てることになるのですが、一教科しか持てないといった場合もやはり公民の方が多いということになりますか。ちょっと仮定を前提で申し上げておりますので、別にこれは非常に重要な問題ではないが、ちょっと興味がありますので。
  14. 倉地克次

    倉地政府委員 両方取れるかどうかということをお尋ねだと思うわけでございますけれども、これは現在は社会科ということで両方取っておるわけでございますが、やはりこれを分けまして専門性を高めるということでございますので、地歴については地歴関係科目が当然重点になるわけでございますし、また、公民関係については公民関係科目重点になるわけでございまして、現在と比較すれば、やはり両方取るというのは若干困難になるのではないか、そのように考えております。
  15. 麻生太郎

    麻生委員 いや、倉地さん、それではなくて、今いる方は両方、どのみち二つ持てることになるのですが、どちらか一つしか持てないということになった場合は、新しく受ける人は皆公民の方が多いのではないかという予想ですけれども、今社会科免許状を持っておられる方が二つのうち一つしか取れないとなった場合も同じように公民の方を選択する方が多いものだろうか、これはちょっと仮定で伺っておりますので、その意味です。
  16. 倉地克次

    倉地政府委員 現在の社会科担当教員専門領域別の人数というのがあるわけでございます。それによりますと、地理歴史の方は、大体これは日本史世界史で四八%、地理で一八%ということでございますので、現在教員になっている人の専門領域別人員から見れば、どちらか一つということであれば地歴の方が多くなるということでございます。
  17. 麻生太郎

    麻生委員 ありがとうございました。  社会科地歴公民科に再編成したことによりまして、当然のこととして専門性なり系統性なりというものが強まったということは望ましいと考えるのですが、参考までに伺いますけれども日本に限らずその他諸外国を見た場合に、地歴及び公民を別の教科としてやっている国というのはどのような国があるのか、教えていただけませんか。
  18. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 外国におきます教育といいますのは、御案内のように各国の歴史的背景とか教育制度とかさまざまでございますので、一概に比較するというのが大変難しいわけでございますが、外国でこの地理とか歴史とか公民というものをどういう扱いをして教えているだろうかということにつきまして見てまいりますと、これもさまざまございますが、しかし概して言いますと、アメリカを除いては地理歴史公民というのは分けて教えているというのが一般的でございます。それから、これも子供たち発達段階によりまして小学校中学高校初等教育中等教育とございますので、そこでまたいろいろ違いがございますが、少し大まかに国別状況を申し上げますと、以下のようになろうかと思います。  先進諸国の中で小学校から高等学校まで一貫して社会科といいますか地理歴史公民というのを一本にして教えている教科構成をとっている国はアメリカだけでございます。ただ、アメリカの場合も州や市によって異なるわけでございますが、小学校社会科中学校はこれも社会科ということでございますが、高校になりますといろいろなアメリカ史とかアメリカの憲法とか政治とか細かく分かれていまして、その中でいっぱいとっておりますので、社会科一本の授業をやっているというわけではないわけでございます。  それからイギリスでは、小学校段階地理歴史に分かれておりますし、中学校段階では地理歴史別々のに加えまして公民的な教科を実施しております。そして高等学校段階では地理歴史、いろいろありましてそれを選択する、こういうのが一般的でございます。  それからフランスでは、これもやはり小学校段階から歴史地理公民が分かれております。それから、中学校になりますと地理歴史と、それから経済が入ってまいりまして、あと公民に分かれて授業をする。高等学校段階では地理歴史公民と、それから経済社会が加わりまして経済社会ということでそれぞれ分けて科目構成をしているということであります。  西ドイツでは、これはちょっとフランスイギリスとは違うのですが、小学校段階西ドイツの場合は州によって違いますけれども、一般的には四年制の初等教育ですが、ここではちょっと変な名前なんですが、事実教授日本語に訳すとそういう科目がございます。これはいわば今度私どもの新しい学習指導要領小学校でつくりました生活科に大変よく似ている内容なのでありますが、子供たち自分自身ないしは自分の周り、学校とか家庭とか地域社会とか、そういうものの中でみずから体験しながら教育活動を行っていて、おのずから社会とか自然とか人間というものに対して認識を深めていくというような授業でありますが、西ドイツ初等教育では事実教授というもので社会科に類する教育をしている。そして中学高校になりますと、向こうは中等教育が一本になって中高一本の場合が多いわけでありますが、そこでは地理歴史政治というふうに分けております。ただ、州によりましては社会科という一本の教科を設けているところもあるというふうに聞いております。  さらに、ソ連では小学校段階では歴史地理を分けておりますし、中学校段階になりますと歴史地理国家と法という科目が加わるというふうに聞いております。  このように地理歴史公民に関します教育につきましては国によってさまざまな扱いがされておりまして、全体的な傾向として申し上げますと、社会科として一本で教えるアメリカのような場合ないしはヨーロッパのように独立教科として教える場合がございますが、いずれも生徒発達段階に応じまして高学年に至るほど系統性専門性を強めた教科構成をとるというふうに言えるかと思います。  今回、私どもの、日本学習指導要領改訂におきましても、中学校までは総合的な社会科学習を行って、その成果の上に先ほど申し上げましたような国際的な資質とか公民的な資質育成を強めよう、充実しようということで高等学校段階において社会科を再編成した、そして地理歴史公民科を分けて教えることにした、こういうことでございます。
  19. 麻生太郎

    麻生委員 アメリカの場合には文部省というような形のものがありませんし、西ドイツも同じくそういったようなものがありませんから、各州において極めて独自にやっておられるというのは皆さん御存じのとおりですが、一九八三年だったか「危機に立つ国家」というものがアメリカ教育委員会というか教育庁から出されて、アメリカにとって教育問題はいわゆるスプートニク以来の大きな影響を与えた。そして、今まさに識字率問題等々非常に大きく言われて、日本教育制度というものがある面で極めて見直されているというのは御存じのとおりなんです。  これは基本的には義務教育レベルの問題においてはかなり高い評価がされておるというのが私どもにとって非常に大きな支えになっているんだと思うのですが、高学年になるに従って、大学に進む段階になってくると、これがなかなか評価の分かれるところであって、日本大学は問題なんではないかと言われることになります。高等学校というのはその境目にあって、端境期的な時期、年齢、また学識のレベルからいってもちょうど中間的な時期になって非常に大事だと思っておるのですが、今回、ほぼ十年ぶりに高等学校学習指導要領改訂をされておるのですが、いろいろな意味で今日本という国に対していろいろな国々の評価がある面で高まり、ある面でまた敵対的なものも含めてふえてきていると思っておるので、これからの日本を支えていく我々よりはるかに若い世代の人たちが健全に国際慣行を持っているとか日本人考え方と全然違う文化考え方というものが存在しているということを知っておいた上でいろいろな人たちとつき合っていく等々は極めて重要なことだと思っておるのですが、今回、高等学校におきます学習指導要領改正されたのはどのような点を重視して改訂されたのか、その趣旨、またその概要内容につきましてぜひ文部省の見解を伺っておきたいと思います。
  20. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  まず、今度変えたのは、御指摘のとおり高等学校の点でございます。そして新学習指導要領は、これからの情報化国際化社会変化などに主体的に対応していくような資質を養わねばならないということが一番もとでございます。  そして、それはどういうことかと申し上げますと、心豊かな人間育成、そして基礎・基本、これの重視と個性を生かす教育、そして自己教育力、考えるということでありますが、これの育成、そしてさらには文化伝統、これの尊重と国際理解推進ということがねらいであります。これに基づきまして、高等学校におきましては、今御議論のありましたとおりの地理歴史公民科へ再編成をいたして目的を達成したいな、こういう考え方でございます。
  21. 麻生太郎

    麻生委員 ありがとうございました。  基本的に今いろいろ時代が変わった中で豊かな時代になって、日本において少なくとも今まで長いこと貧しい時代自分をこのように律していくという貧しいときの哲学、貧しいときの生活の仕方、貧しいときの倫理観なんというのは、私ども一千数百年貧しかったので、随分長いことなれ親しみ、少なくともそういったしつけなりというものができ上がっていると思うのですが、豊かになってからの哲学、豊かになってからの身の律し方というものは、これは残念ながら我が国ではやったことがないものですから、いろいろな意味で今の状況というものは今までなかった状況が出てきておりますので、それに合わせて教育なりまたそういった知識なりというものも変えていかねばならぬと思っております。  そういった意味で、地歴に分かれて世界史を必修すれば、必然的に西ヨーロッパギリシャ以外の系列からのギリシャ文明基本にしたものを黙ってでも覚えるだろうし、また同じく東ヨーロッパに出ていった文明は発祥をしているもとがビザンチン文化を引き継いだということもわかっているから、基本的に東ヨーロッパ西ヨーロッパに出ていった文化のもとのもとが違っているということを含めて何となく理解がいけるし、いろいろな国にそれぞれ違った文化文明が紀元前から既にあったものが幾つかに分かれていってというようなこともわかれば、黙っていても、自分の、日本人の考えているこれがええと思っていることもほかの国から見たらそうではないかもしらぬというようなことも、歴史地理というものを通して自分で覚えていきますので、ひとつそういった意味で、今後高等学校において学習指導要領を含めていろいろなものが専門化していくに当たって、これからの若い日本人をつくっていくために今回の学習指導要領に基づいて教育がなされて、そして専門化、系統化していく中においてより期待される人間ができていきますように、ぜひ御指導またお力添えを賜りますように最後にお願いを申し上げて、質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  22. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、馬場昇君。
  23. 馬場昇

    馬場委員 まず石橋大臣質問をしたいと思うのですが、石橋さんも戦前教育を受けられたわけでございますが、戦前は今の社会科でいいますと公民地理歴史、こういうぐあいにして分かれておったわけでございますが、それが戦後、社会科というものが創設されたわけでございますね。  きょうのこの免許法を議論するに当たって、なぜ戦後、社会科が創設されたか、温故知新という言葉がございますけれども、そこをきちんと踏まえてきょうの議論をしなければいけないと思いますので、戦後、戦前のその公民地理歴史が廃止されて社会科がなぜ創設されたのか、それをどう理解しておられるか、ひとつ大臣の見解を聞いておきたいと思います。
  24. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  私も、御指摘のとおり今の高校、昔の旧制中学ですね。ですから地理歴史ということになりますと大変懐かしく感じます。  そこで、それが廃止されてなぜ社会科に統一されたかということでありますが、いろいろな経緯があったと思います。思いますけれども、修身でありますとか公民でありますとか地理でありますとか歴史でありますとか、ただこれを一緒にあわせたというだけでなく、それの内容を融合して一体化させて学ばせる教科として、社会生活についての良識を養うということで新設されたものである、こう理解をいたしております。
  25. 馬場昇

    馬場委員 社会科の創設に当たって、憲法、教育基本法が昭和二十二年に施行されたわけですが、その後学習指導要領が試案という形で示されたわけですね。ちょうど私もこの昭和二十二年に教員になったわけです。そして憲法と教育基本法とこの学習指導要領を見たわけでございます。  そこで、社会科について学習指導要領の試案にはこう書いてあるのです。社会科は、戦前の倫理学、歴史学、地理学の知識のみを上から画一的に教えた反省に立ち、青少年の現実生活問題を中心として青少年の社会経験を深め、基本的人権の主張に目覚めさせることを重視して、下からみんなの力でつくり上げ、再び権力に屈服しない人間育成をめざす、その指導要領の中にこういう意味のことが書いてあるわけでございますが、今私が読み上げましたこの社会科創設の理念について石橋大臣はどういう感想をお持ちですか。
  26. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  あのときの時代変化、それともう一点は、日本国は大変な貧乏のどん底ということであります。そうした中において公民を主とした社会科というもの、社会での生き方、そんなようなものをやっていくのがまず第一であろうというふうに考えたであろう、私はこう思っております。
  27. 馬場昇

    馬場委員 やはりここに流れておりますのは、戦争の反省あるいは戦前教育の誤りの反省という基盤に立って、そして新しい社会科が創設された。私は当時なりたてのほやほやの教員でして、そう教えられて、それを信じて教育に携わったわけですけれども、やはり戦争の反省とか戦前教育の誤りの反省、こういう上に立ってこういうのができた。そこはさっき私が読み上げましたところに書いてあるわけでございますが、そういう意味からいって社会科というのは戦後教育のシンボルであって、やはり戦後教育の原点というのがここに集約されておる、戦後教育といいますと民主主義教育ですよね、そういうぐあいに私は理解しておるわけでございます。この点についてはもう大臣も異論はなかろうと思うのですが、どうですか。
  28. 石橋一弥

    石橋国務大臣 戦前教育の反省、そのようなこともあったと思います。そしてまた、それに対していろいろな意見もあったと思います。でも、日本国の置かれた立場、そしてまた将来どのような立国の精神を持ってやっていくかということを考えてみた場合に、反省、反省の上に立って平和国家、民主国家というものをやっていくという上に立って社会科というものに統一をされたであろう、こう考えております。
  29. 馬場昇

    馬場委員 日本国憲法が制定されて、教育基本法が制定されて、そして学習指導要領、その中に、今私が読み上げたように、社会科はこうだと書いてあるのですから、これはやはり戦後民主主義教育の原点だと私は思います。大臣も大体同じような意見です。  そこで、この学習指導要領に括弧して試案と書いてある。これはどうですか。何で(試案)と書いてあったのですか。
  30. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 学習指導要領ができましたのは昭和二十二年でございます。戦後、新しい学校制度の発足に際しまして、どのような教育基準でやるかということで、当時いわば大変混乱期でございますが、その中で文部省は、主として社会科につきましてはアメリカのコース・オブ・スタディーなどを参考にして、それを翻訳しながら学習指導要領をつくったというわけでございます。  そこで、当時の学習指導要領を見てみますと、御指摘のように試案という言葉がついております。が、指導要領自体がとにかく新学制に間に合わせようというので、混乱期の中で非常に急いでつくられた。それで、つくられましたのを見ますと、今の指導要領は小学校一冊、中学一冊、高校一冊でございますが、当時の指導要領は総則編で数百ページ一冊、それから国語編、数学編、社会科編、それぞれが分冊になっておりまして、全部合わせますと数千ページに及ぶ膨大なものでございます。したがいまして、当時の学校教育法の施行規則の規定によりますと、学習指導要領基準とするということになっていて、法の制度自体は現在とほとんど変わりないわけでありますが、今申し上げましたように、非常な混乱期の中で急いでつくった、しかもそれは基準というには余りにも膨大な内容であったということで、とりあえずの案ということで当時試案というふうにつけたのであります。
  31. 馬場昇

    馬場委員 あなたは年は幾つか知りませんけれども、今全然違った解釈をお聞きして私は驚いているのです。混乱期だったから試案になったのですよ、それから、急いでつくったから試案になったのですよ、膨大だったから試案になったのです、そういうように文部省説明していないのですよ。その当時文部省はちゃんと説明を加えております。試案としたことについて文部省はこう言っているのですよ。「これまでの教師用書のように動かすことのできない目的でつくられたものではなく、教師自身が自分で研究していく手引である」、こういうぐあいにこの試案というものの性格を手引書であるというぐあいにきちんと規定しているわけでございます。こういうことで、結局教師が主体的に自分教育課程編成していく、そういう研究するための手引であるということを文部省がきちんと試案というもので説明しておる。あなたのように、混乱をしておったから、急いだとか膨大だとか、全然違う見解ですから、それは改めてもらわなければ困ると思います。  そこで、この試案が外されたわけですよ。学習指導要領が一九五五年に改訂され、さらに一九五八年にまた改訂されて、この試案が外されて指導要領というものが拘束力を持つかのような動きを始めてから、この社会科内容というのがさっき言った原点からだんだん外れて知識を詰め込むというような方向にずっと変わっていきつつあるわけでございます。そうして、社会科だけじゃございませんで、ほかの教科でもだんだんそういう知識を詰め込む方向に内容が変わってきておるわけでございまして、そこで、私も学校現場のことをよく知っているのですけれども、非常に授業がつまらないな、社会科内容も受ける生徒知識を詰め込まれるだけでつまらないな、そういうぐあいに思ってまいりました。それから学校の荒廃ということがだんだん言われるようになってきて、落ちこぼれだとか、いろいろ言われるようになったわけでございます。  そういう経過を経て、もう多く議論しませんけれども、一九七七年に改訂が行われております。これはこの前の改訂ですけれども、御承知のようにここで社会科についてこういう反省の言葉が述べられて改訂が行われておるわけでございます。先ほど私が言いましたように、余りに知識の詰め込み教育で勉強嫌いだとか落ちこぼれができてきたという反省の上に立って、そのころ言われましたのは、もう皆さん御存じのとおりでゆとりのある教育、ゆとりのある充実した教育、こういうのをキャッチフレーズにして教育課程学習指導要領改訂が行われました。そこで、そのときの文部省社会科改訂の解説があるわけですけれども、こう書いてございます。やはり社会科においては「社会人間に関する基本的な問題についての理解を一層深め、現代社会に対する判断力の基礎と人間の生き方について自ら考える力を養い、生徒が今後の人生を生きていく上で自分自身の人生と社会生活充実したものにすることのできる力を育てることに重点を置く」、七七年の改訂のときに文部省社会科についてこういうぐあいに説明をしておるわけでございます。  この説明を見ますと、昭和二十二年に社会科が創設されたときのあの説明とほとんど同じように立ち返っておる、こういうぐあいに私は見るわけでございます。この七七年改訂は戦後の民主主義教育の原点に戻した改訂ではなかったか、私はこういうぐあいに思いますが、このゆとりのある充実した教育をキャッチフレーズにした七七年改訂、そこの社会科について、多く説明要りませんので、七七年改訂をどう評価されているか、評価の結論だけを簡単に言ってください。
  32. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 結論だけということでございますが、少し……
  33. 馬場昇

    馬場委員 いや、たくさん質問をしますから、結論だけ言ってください。
  34. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 そうですか。ちょっとその経緯につきましてもいろいろ先生のお話に対しまして私ども考え方を申し述べたいと思うのでありますが、それじゃそれは控えさせていただきまして、今の昭和五十三年の五十年代の改訂で現代社会高等学校で設けました。これは、ちょうど私、当時高等学校教育課長をしておりましてその作成担当者の一人であったわけでありますが、それを設けました趣旨は、高等学校の第一学年では原則として総合科目構成しようという基本的な理念が一つございました。これは教育課程審議会答申に基づきましてそうなりました。ですから、国語では国語Ⅰ、数学では数学Ⅰ、理科でも理科Ⅰというようなことで、社会科につきましては現代社会というのを設けたわけであります。これは、将来にわたる高等学校生徒は非常に多様な能力、適性、進路を持っておりますので、いろいろな選択をしていく、その基礎となるということも一つございました。ですから、現代社会はそういう高等学校のカリキュラム構成の中で第一学年を総合科目構成しようという一環として行われたというのが一つでございます。  それから、その内容にわたりましては、ただいま先生指摘になりましたように、この現代社会に生きる人間ということで現代社会についての理解を深めるということでみずから考える力などというのも当時強調されたわけであります。したがいまして、この現代社会の理念というのは、いろいろ申し上げたいのでありますが、御指摘のような理念も当然踏まえております。しかし、それは今回公民科の中で選択必修の方に回しておりますけれども基本的にはその理念は引き継いで新しい指導要領の中にも入れる、引き継いでいるというふうに理解しております。
  35. 馬場昇

    馬場委員 今お話ございましたように、現代社会が必修になったということも典型的な教育の、社会科の原点に戻ったと評価しておるわけでございます。石橋大臣、この七七年改訂というのは三木内閣のときに行われている。文部大臣は永井道雄さん、そしてそれを取り巻くバックグラウンドは、国会は与野党が伯仲の時代でございました。私は七七年の改訂評価するわけですが、やはり永井文部大臣だったからできたのじゃないかなという感じも、実は私は今強く持っておるわけでございます。  三木内閣のときは例のロッキード事件が摘発された時期でございまして、こういう時期、永井文部大臣、はっきり言いますと、言うならば政治権力どか何とかに支配されない教育行政の中の指導要領改訂、こういうことであったのじゃなかろうか、そして原点に戻ったのじゃなかろうかと私は思うのですが、この政治情勢なんかについて、七七年改訂状況について、文部大臣、何かそういうことを気づかれておりますか。
  36. 石橋一弥

    石橋国務大臣 動き等については政府委員から御答弁をさせますが、私は、やはり何といっても教育というのは中立性を損なわない、これが一番基本であらねばならないな、こう考えております。時日的には、確かに永井文相時代にいろいろ案を練り、考えられたことでありますが、これが決定され公布されたのは、私が初めて国会に議席を持ったときの今の総理が文相時代にこれは決定されたのであるな、このように思っております。ですから、バックグラウンドがいろいろありましても、社会の動きあるいは子供たちの心身の発達状態、そのようなことから考えて、そのときはそのときのこととしてやったであろう、今回は今回のこととしてまた社会の動き、国民のニーズ、いろいろな点からやった、私はこう思っております。
  37. 馬場昇

    馬場委員 なかなかはっきりしたことをおっしゃらないようでございますけれども教育の中立性というのは本当に一番大切なことですから今言われたとおりですけれども、やはりそれを、三木内閣時代の永井文部大臣の七七年改訂、そして今度の改訂というのを比較してみますと、今度の改訂は、後で詳しく質問しますけれども、やはり中曽根さんの戦後政治の総決算、戦後教育の総決算、そういうあの人の政治理念、そういう中で文部大臣が諮問しておるわけです。  そして、教育課程指導要領の改訂が行われたのは自民党が三百議席を持っている、こういうときに行われておるわけです。じっと考えてみますと、消費税の強行とこの学習指導要領改訂は根が同じだなということを実は私は感じておるわけです。そのことが学習指導要領の中の納税のことについても、七七年改訂のときの納税、これは憲法を教えるときに、こういう権利、こういう納税、こういうぐあいにある。今度は納税については、公共の施設をつくるためにその税金を使用するのだとか、納税に関する記述とかなんかも、消費税を強行した、その消費税というものに照らし合わせて納税を見てみますと、七七年の表現と今度の表現はずっと違っておるわけでございまして、やはりそういう政治的な背景、そういう中で指導要領の改訂が行われてきておる、こういうぐあいに七七年と比較して感じておるわけでございます。  そこで、時間がありませんので具体的な事項に入っていきますが、まず第一に、教育課程審議会の模様について、これは一言ずつ質問しますから簡単に結論だけ答えていただきたいと思います。  御承知のように、一九八五年九月、中曽根内閣のときに幼小中高の教育課程基準の改善についてということで文部省教育課程審議会に諮問をしておるわけでございます。この諮問に当たって、これはいつの諮問もそうです、どの諮問もそうですけれども、文部大臣が審議会に対して諮問をして、そしてあいさつをするときに、大体諮問の主な柱というものを説明されているのですね、こういうことをお願いしますと。この八五年の九月に諮問されたときの文部大臣のあいさつの中に、高校社会科の言うならば再編成、我々の言葉から言いますと解体と言ってもいいと思うのですが、こういうことがございますか。
  38. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 昭和六十年九月に教育課程審議会に「幼稚園、小学校中学校及び高等学校教育課程基準の改善について」ということで諮問しております。そして、その検討の観点として四項目示しておりますが、これは先生も御案内のとおり……
  39. 馬場昇

    馬場委員 文部大臣のあいさつの中にありますかどうかということを聞いているんだ。あるならある、ないならないと言えばいいんだ。
  40. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 ちょっとその諮問の経緯を申し上げておるのですが……
  41. 馬場昇

    馬場委員 後でまた中身は質問するんです。
  42. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 文部大臣のあいさつにはそこについては触れておりませんが、同時に行われました初等中等教育局長の補足説明におきまして「高等学校社会科科目構成の在り方について再検討すべきであるなどの意見があります。これらの教科科目構成やその教育内容について御検討をお願いしたいと存じます。」と審議会の初日に述べております。
  43. 馬場昇

    馬場委員 私もあいさつ文をまた読み返してみたのですけれども、重要事項として文部大臣のあいさつの中には全然触れていないのです。何が触れてあるかといいますと、具体的には二つ、「女子差別条約に関連して中高の家庭科教育の在り方について」、もう一つは「六年制中等学校(仮称)の教育内容の在り方について」、こういうことは大臣のあいさつの中にありますけれども高校社会科のあり方について、こういうものは出ていないわけでございます。  そういうことを質問しましたのは、当時文部省の中で、私いろいろ接触もしてみたというか情報も聞いたのですけれども社会科改訂については、文部省内では高校社会科については現状維持でいこうという態度をとっておられたようでございます。当時の小西高校課長も大体そういう態度をとっておったと私は理解しておるわけでございます。  そこで、この社会科の再編、解体の問題について教育課程審議会が中間まとめというのを発表しております。この中間まとめについては私の方から言いますけれども、一九八六年十月二十日です。高校社会科については「教科としての社会科の枠を外してはどうかとの意見がある。」「この問題については、社会科に属する科目相互の関連性、高等学校教育全体の教科科目の在り方、教員免許状とのかかわりなどについても考慮しつつ、引き続き検討する。」ものとする、これが高校社会科改訂についての教課審の中間まとめの報告であったと思うのですが、そのとおりですか。
  44. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育課程審議会審議は、通常中間まとめとか審議経過報告というような形で中間的な報告をいたしますが、この八六年十月二十日の中間まとめでは御指摘のような記述でございました。
  45. 馬場昇

    馬場委員 教課審の中に第三委員会、すなわち社会科教育について検討する第三委員会、この結論も一九八七年、昭和六十二年一月二十七日に最終の第三委員会をやっておられるようでございますが、この第三委員会の一月二十七日の最終的な会議でも引き続き検討していくというぐあいな結論になっておりますが、そのとおりですか。
  46. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは今御指摘のように七月二十一日でございまして、先ほどの中間まとめはその三カ月後の十月二十日でございます。したがいまして、まず教育課程審議会を開催いたしまして、主な課題につきまして幾つかの課題別の委員会を設けまして、その第三番目の委員会におきましては御指摘のように社会科の問題を扱ったのでございます。そこでそれをずっと当初から、六十一年三月から七月までの間議論いたしまして、それの課題別委員会としてのまとめをまとめたのが今の七月二十一日で、御指摘のように両論併記で引き続き検討ということになったのでございます。これを受けましてまた教育課程審議会審議を続け、その結果中間まとめが出ましたのが三カ月後の十月二十日で、これも引き続き検討、こういう経緯でございます。
  47. 馬場昇

    馬場委員 いずれにいたしましても、私が言いましたのは、一九八七年一月二十七日の第三委員会の結論も引き続き検討するとなっておりましたが、今言われたのはちょっと混線しておられるのではないかと思います。教科等別委員会社会科委員会がまた検討しておるわけでございまして、これが六十二年五月二十二日、今言われました両論併記という形でしておるのはここじゃないかと思うのであります。  しかし、この教科等別委員会の中の社会科委員会内容を聞いてみますと、現状のまま社会科を残すというのが多数であった、そういう方向でまとめようとしたけれども、名前まで言ってなんですが、諸澤さんが来ておって、これはここでまとめるようにしてくれとか、この人ではないけれども両論併記は文字数は同じで書いてくれとか、いろいろあったそうであります。河野さんがその主査ですけれども、多数が現状のままだということでまとめようとした状況もございましたし、またそこの中の人が多数が現状維持だったということも後で発言をしておられるわけでございます。いずれにいたしましても、少なくともあらゆる分科会、小委員会、そして教課審もこの段階までは継続審議にする、検討を続けるということで大体終わっておるので、ここでこの問題は終止符を打たれるのが当然だと私は思うのですが、そこでこういう問題が突然起こっております。  一九八七年十月二日、中曽根総理大臣と高石文部次官がこの日に二回会談をした。一回目は高石次官と塩川文部大臣も一緒だった。二回目は高石さん一人だった。こういうことが言われて、新聞に書かれておりますから御存じと思いますけれども、総理官邸で行われた。そこで、新聞にも伝えられておりますが、中曽根さんが地理歴史は非常に大切だということを高石さんに言って、高石さんがそれじゃそうしましょうというようにそれを引き受けた。その背景として、いろいろ言われておりますけれども、このころ高石さんは福岡県の知事選挙に出馬しようと考えておった。ところが、こういう会談の後、福岡三区から衆議院選にくらがえをした。そして、それまでは安倍派だったけれども、この会談以降中曽根派にくらがえをした。そういうことが言われておるわけでございます。  そこで、いろいろ書き物にも出ておりますけれども、この十月二日の中曽根さんと高石さんの会談で、高校社会科の問題、地理歴史が大切だという問題で何か取引があったのじゃないか、こういうことが当時も言われております。今もずっと雑誌なんかにも書かれておるわけでございますけれども、こういう点について文部大臣は、そういう記述があったとか、そういう評論、議論が行われておるとか、そういううわさがあるとか、こういう事実なんか何か御存じでありますか。
  48. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  私は、残念ながらそのような事実そのものをよく承知しておりませんでした。
  49. 馬場昇

    馬場委員 それじゃ文部大臣にこの議論をするために申し上げておきますけれども、この十月二日の中曽根・高石会談があった後、十日ばかり後の十月十六日にこの高校社会科の問題を担当しておった小西高校課長が突然横浜国立大学の事務局長に転出させられております。小西氏は高校課長ですから、当然この問題の事務担当をしておったわけで、その事務の責任者でございまして、この作業をしておったわけです。ちょうどこのころは教育課程審議会答申のまとめをする時期です。そういう時期に担当課長が突然横浜国立大学の事務局長に転出をさせられておる、こういうのは文部省の人事の中でも全く異例な出来事でございます。これについて伝えられておるところによると、社会科改訂について消極的であったとか、その改訂の案をつくらなかったとか、そういうことで転出させられたのだ、こういうような話も実は伝わっております。  それからもう一つ、この中曽根・高石会談の後に、高石さんを中心にして局長、ここにおりませんけれども局長クラスやその他の者が教課審の高校分科会委員にぜひ地歴独立させてくれと物すごい電話攻撃をかけたということが、また受けた人からも実は証言がされておるわけでございます。そういう動きの中で、六月二十六日に高校分科会が社会科解体問題について急にこの問題を取り上げて、しかしここでも社会科解体について議論をしたけれども結論が出なかった。そこで専門家の意見を聞こうということになりまして、その主査は諸澤さんですけれども、諸澤さんが私的に高校社会科教育懇談会というのをつくって、そこで分割すべきだという結論を出させて、そして十一月十三日に高校分科会を開かせてそこで分離を決めて押し切った、こういうことが言われておるわけでございます。  大臣、経過から言いますと諮問したのは六十年九月ですよ。そうして、先ほど言いましたようにみんな引き続き検討というのをいろいろ出しておる。二年間かけて議論してそういうことを引き続き検討と出している。しかし十月二日の会談以来十月、十一月の二カ月間で引き続き検討というのをひっくり返して解体、地歴独立公民科にするということを決めてしまっている。こういう状況が実はあるわけですね。  だから、このことについて教育課程審議会の協力者委員なんかが、例えば十一月二十五日に上越教育大学教授の朝倉隆太郎先生、この人は社会科学習指導要領の作成協力者会議の取りまとめをする役をしておったわけですが、抗議して辞任いたしております。平田という広島大学社会科先生辞任しておる。文部省の中島審議官も辞表を出したけれども受け取られなくて、後で定年を待たずにやめておる、こういう状況が出ておるわけでございます。  そこで、今度の教育課程社会科の解体問題というのは非常に政治的である。例えば、高石文部次官が自分の衆議院選挙に絡ませて中曽根総理大臣の意を受けて強引にやらせた、そういうことじゃないか、私はそう思います。  それで、この人の強引さというのは、今から高石問題について質問いたしますけれども、もう大臣も周知の事実でございます。一万株のわいろの問題、江副の教育課程審その他の委員の任命の問題、あるいはパーティーを強引に文部省ぐるみでやらせた問題、あるいは帝京大学の八億円の寄附の問題とか、たくさんいろいろなことをこの人は強引にやっておるわけでございます。こういうことでございますが、結論的に個人の名前がどうこうじゃなくても、例えばこういう政治的な動きで教育課程というものが、学習指導要領が変えられていいものかどうか。その事実は、もう個人の名前を言いましたから何ですけれども、そういう政治的な動きで学習指導要領なんかが変えられる筋合いのものじゃないということは、大臣、やはり原則としてきちんとここで答弁しておいていただきたいと思います。     〔委員長退席、臼井委員長代理着席〕
  50. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  私はただいま委員の御説明によって事実というものを初めてお聞きをしたわけでありますが、そのようなことが仮にあったといたしましても、その動きによってこの学習指導要領が動かされたということはないということを私は考えております。それはやはり審議答申というものが最終的にできて、それを尊重してやったことである、こう考えております。
  51. 馬場昇

    馬場委員 動かされたんじゃないのです。動いたんです。そういうことを申し上げておきますが、大臣も政治家ですけれども、私に言わせますと、自分の衆議院選挙のために教育を利用し、しかも戦後の民主教育のシンボルであった社会科を解体する、こういうことはあり得ない、絶対許されない問題だ。そういう動きはここで議論すればまたいろいろ出てくると思いますけれども時間がありませんから、厳に大臣、心の中にとめておいていただいて、そういうことがあってはならぬということをまず肝に銘じておいていただきたいと思います。  そこで、その問題と少しかかわりますが、やはり教育の原点、教育のためにという意味で触れておかなければならぬのは、戦後最大の疑獄事件と言われたリクルート疑獄事件の裁判がきょうから始まります。その日に私はこの教育にかかわる質問をしているわけでございます。きょうは労働省ルートですけれども、来月からは高石裁判が始まるわけでございます。このことについては国民も非常に緊迫した気持ちで注目しておると私は思います。だから、やはりこの問題も、何としても日本教育のために、決して道を過たせないために、大臣に真剣な気持ちで質問をしておきたいと思います。  それは、高石さんの最近の新聞報道等に出ておりますところの衆議院の出馬問題についてでございます。  まず、大臣ももうお聞きになっておると思いますけれども、十一月十八日に福岡県の柳川市、これは高石さんの郷里ですが、勤労者体育センターにおきまして高石前文部事務次官衆議院選出馬要請決起大会というのが開かれたと報じられておりまして、約千人近い人が集まったそのところで、あらゆる障害を乗り越えて出馬することを強く要請するということの決議が行われておる。前文部次官、リクルートの刑事被告人、そして教育界に与えた不信感ははかり知れないものがあるわけですが、こういう人が、ここの部分についていえば本人はいないわけですけれども、地元でこういうことが行われておる。こういうことについて大臣はどう思いますか。
  52. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  新聞報道は私も存じ上げております。本人との接触は私はありません。そこで何とも言えないわけでありますけれども政治への信頼あるいは文教行政への信頼の点から申し上げますと、さていかがかな、こう思います。  しかし、事、今申されたようなことにつきましては、最終的には個人の判断に属する事柄でありますので、文部大臣といたしましては意見を申し上げるのは差し控えさせていただきたい、こう思います。
  53. 馬場昇

    馬場委員 個人の問題ではないということを後でまた申し上げますけれども、これは支援者がやったんだということで言われておりますが、報道されるところによると本人も裏で動いているというようなことも伝わっております。  きょう裁判の始まる労働省の次官と対比すれば、あの人はどういう生活をしているということはよく伝わっておるわけですけれども、高石さんは母校の同窓会に出ていろいろやっておる。あるいは生涯学習振興財団の出版記念会、これは自分がつくって理事長になって八億円問題でやめたわけですけれども、そこへ出て生涯学習についてあいさつをしておる。東京で先輩に対して、支援者がこんな事件でくじけずに出馬しろなんて勧めて実は困っているんですよという話なんかも相談したとか、そして出馬要請決議に対して東京から感謝のメッセージを伝えておる、こういうことさえも言われております。リクルート裁判の初公判が十二月、来月あるわけですね。そこで自分は無罪だ、悪いことはしておらぬということを主張して、それから支援者が出馬してくれ出馬してくれと言うからその要請に応じて出馬表明をするのではないか、こういうことが地元で言われておるわけでございます。そこで、今大臣は、個人の判断ですからというようなことを言われ、大臣としては意見を差し控えるというようなことを言われましたが、前の西岡大臣が公約をしておることがございます。ことしの一月に西岡文部大臣は高石さんに会って、ここでも何回も議論いたしましたが、高石さんに会って衆議院選の出馬をあなたやめなさいということを強く要請いたしております。二時間ぐらい会ったということをこの場でも言っております。そして西岡さんは、文部大臣の責任で高石前次官は衆議院選に出馬しないということを公表しますということで公表されておるのです。そして西岡文部大臣は、高石さんは次期衆議院選挙に出馬しない、文部大臣の責任で断定的に申し上げますということをこの委員会で私の質問に対してはっきりと答弁をなさっております。これは文部大臣が国民に対して、高石さんは出馬しないということを約束した、公約したと同じである、私はこういうぐあいに思います。  そこで、このことを石橋大臣御存じなかったかどうか知りませんけれども、私が石橋大臣に言いたいのは、前の西岡大臣が国民に向かって公表し、この国会において、文部大臣の責任において出馬しないということを約束したこの西岡文部大臣の公約を石橋現文部大臣は踏襲なさいますかなさいませんか、そのことを聞いておきます。
  54. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えをいたします。  西岡前文部大臣の馬場委員に対する答弁でありますが、「次期の衆議院の選挙に出馬しないという、これは私自身の感触でございますけれども、私の責任においてそのことを断定的に申し上げることができる、このように受けとめましたので、あの時点でそのようなことを公表をした次第でございます。」という御答弁をなさっておりますね。  そこで私といたしますと、西岡前文部大臣はきちっと会って率直な話をしております。私は残念ながらまだ高石君と会っておりません。ですから、先ほど言ったように、本人と接触がないので何とも言えない。だけれども、信頼ということから考えてみますと、もし仮に本人が出馬するということであるならば、これはいかがなものかな、こういう考え方です。  しかし、この問題は今争われております。その結果の問題、また本人の主張の問題、いろいろなことが出てくると思われます。日本現行制度の中で突き詰めていいますと、立候補の問題というのは、本人がどのような態度をとるか。絶対出てはいけないよと言うことにもまた問題が出てくるであろう。西岡前文部大臣がそれこそあのような点の中において大臣としての識見、そしてその判断に基づいて行われたであろう、こう思っております。
  55. 馬場昇

    馬場委員 あなたは一カ所読まれたけれども、この議事録全部読んでください。西岡文部大臣は私に二カ所答弁しておって、私がさっき言いましたように、この委員会に対しましても、きちんと大臣の責任において断定的に申し上げますということを、公表したのはこういう意味で公表した、こういうぐあいに答弁されているから、これをひとつきちっとしていただきたいと思う。  今の答弁でまず不満というか理解できないのは、個人の立候補の権利の問題などに矮小化されて答弁されているのです。少なくともこの問題が教育界に与えた影響、教育不信という問題の答弁が今全然出ていないのです。  その後、西岡文部大臣は、高石さんの問題と関連して、古村初等中等教育局長、ナンバーツーで、だれでも次の次官と思っていました。加戸官房長、ナンバースリーと言ってもいいでしょう。齋藤生涯学習局長、ナンバーフォーと言ってもいいでしょう。この三人を更迭なさったわけでございます。こんなことはまさに異例中の異例の出来事でございます。何で更迭したか、何で退陣させたかということについて阿部次官が記者会見しておられる中で、文部省教育不信を起こした、世間の批判に襟を正すためにこういうことも行われたんですということを言っています。そしてもう一つは、国民の教育に対する信頼の回復を図るためですということも言っております。そして西岡大臣はリクルート事件にけじめをつける退陣であるということも言っておるわけでございまして、文部省内ではこのナンバーツー、スリー、フォーの三人を犠牲にして退陣させて教育の信頼を取り戻そうということをやっておられるわけでございます。  それだけではなしに、担当の山口調査官は停職でしょう。それから二人、戒告がありますね。局長を含めた九人に口頭厳重注意がある。この問題で文部省が国民に教育不信を与えた、それを回復するためにこういう措置をしたのだ。立候補するのは個人の自由ですよ。それなのにあなたはするなと、あれだけやったのは教育の信頼を取り戻すためです。だから石橋さん、あなたは西岡さんがやったようなことを踏襲して、教育の信頼を取り戻すことをやるべきではないか。もし立候補するようなことがあってみなさい。古村さんを呼んでまた次官に据えることと同じではないですか。こういうことですから、教育の信頼という面、そういう面から考えて、さらに言いますと、あの人のやったことは、もう繰り返すのも恥ずかしいぐらいのことをたくさんやっておるでしょう。  これは、だから繰り返しませんけれども、あの当時子供が、純粋な子供が何と言っておったか。私も家内を持ちたいと、子供が冗談、遊びごっこをしているのです。私も秘書を持ちたい。何でそんなばかなことを言うんだと言うと、悪いことをしたときに先生からしかられたら、親からしかられたら、おれはせぬだった、家内がしたんだ、秘書がしたんだと逃げられるから。二十一世紀を担う青少年の心にそういうことを植えつけたというのは、もう教育者としてだけでなく人間として罪は万死に値するでしょう。そういうことをしでかした人、そうして今教育界に物すごい不信を与えている、そういう人がまた立候補したら教育界はどうなりますか、教育の信頼というのはどうなりますか。  そのことについて、だからそのことを心配して西岡大臣も一生懸命やったんだから、あの人のやったことは私も踏襲して教育の信頼を回復しますと堂々と胸を張って国民の前に言ってください。
  56. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えをいたします。  西岡前文部大臣、そのときの情勢に応じて、本人ときちっと会って、そしてそのような見解を御判断なされて御答弁申し上げるし、公表もした、こう思います。  委員議論、高石君が立候補をするという前提に立っての御議論である、こう私は今伺っていてそんな気持ちに打たれます。しかし、高石君が本当にやる気であるかどうか、それが一番もとだと思います。もし本当にやる気があるならば、これはその前提に立てば、先ほど答弁を申し上げたとおり、まさに政治への信頼、特に文教行政への信頼という点から見て本当にいかがなものか、こう私も考えております。まず、本人との接触、本人がどのようなことであるか、これが先行すべきことであろう、こう思います。
  57. 馬場昇

    馬場委員 それじゃ、本人と接触をして、皆心配していますから、接触をされますね。この問題について。
  58. 石橋一弥

    石橋国務大臣 努力はいたします。
  59. 馬場昇

    馬場委員 文部大臣、一生懸命頑張っておられるわけですから、少なくとも今の憲法とか教育基本法、真理と正義を愛する人間をつくり上げるということ、そしてやっぱり行動としては真理と正義を愛して、正義を貴かなきゃならぬ、そういう人間をつくるというのが教育ですからね。文部大臣としては、憲法と教育基本法を遵守する義務があるわけですから、ぜひ会っていただいて、今努力するとおっしゃいましたが、会っていただいて、いや本人はそういう気は全然、西岡さんと約束したとおりですと言えば、こういういろいろな心配とかうわさも出てこないわけですから、そういうことでぜひ会って確かめていただきたい。  もし出るというようなことがあったら、さっき言われた西岡大臣、そして今大臣も言われた、これはやっぱり好ましくない、いかがなものかというような話をされましたけれども、そういう態度で対処をしていただきたいと思うんです。  それで、これは話を終わります。  教育基本法について大臣の考え方を聞いておきたいと思います。  教育基本法の第十条に、もう御存じのとおりでございますが、念のために読みますと、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」この教育基本法、遵守されますか。
  60. 石橋一弥

    石橋国務大臣 遵守をいたします。
  61. 馬場昇

    馬場委員 先ほどの高校社会科解体の経緯、学習指導要領改訂の告示までの経過を見ると、文部省政治権力や政権党の意向に操られている、こう私は理解し、この行為は明らかに教育基本法に違反しておると私は断ぜざるを得ないわけでございます。文部省がそういう権力に操られるという文部省であれば、もう教育の中立を語る資格もない、教育基本法を文部省自体が踏みにじっておる、こう私は思います。  しかし、これについてはもう議論はきょうはやめますが、文部大臣がこれを守ると今言われたわけでございますけれども、一九八五年、昭和六十年、自民党の中に教科書問題を考える議員連盟というのが発足いたしまして、会長は林健太郎さんで、石橋さんは事務局長だと聞いておりますが、そうですか。
  62. 石橋一弥

    石橋国務大臣 当初は事務局長ではございませんでしたが、途中から事務局長を拝命をいたしました。現時点はやめております。
  63. 馬場昇

    馬場委員 私が知る限りにおきましては、ちょうどこの学習指導要領改訂の告示がありますころは事務局長であったように記憶をいたしております。そして、文部省学習指導要領改訂内容を発表しましたのが二月の十日でございますけれども、この後、文部省石橋さんは五点について何か申し入れをなされたということが伝えられておるわけでございます。  私が聞いたことを言いますから本当かどうかだけでいいんですが、その五点は、第一は、北方領土は我が国固有の領土であるということを明記しなさい、太平洋戦争を第二次大戦と表現を適正化しなさい、神話、伝承について、古事記、日本書紀、風土記の中から適切なものを取り上げなさい、神武天皇を歴史上の人物に入れなさい、中学社会科日本国憲法の平和主義について理解を深めるとあるのを平和主義と自衛権についてということに改めなさい、この五つを実は申し入れたんですと、あるところで談話として書いてあるのを私は読みました。  そして石橋さんが、この一、二、三は聞いてもらったけれども、四と五は聞かれなかった、こういうようなことを発言しておられるようでございますが、こういう事実があったんですか。
  64. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  事実でございます。
  65. 馬場昇

    馬場委員 これは政権党の、しかもこの中には今の官房長官の御主人の森山さん、前の文部大臣の今の総理大臣の海部さんもメンバーですね。そしてまた、メンバーに前の文部大臣の奥野さん、いろいろおられるようでございますが、これについて、今言われたように、これをこうせい、一、二、三を学習指導要領改訂の中に入れさせた、これは政治権力の教育内容に対する介入ではございませんか。
  66. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  このようなことを、学習指導要領改訂等のような場合、従来もいろんな各団体からの意見を求めております。私も当時の教科書問題議連のまとめを文部省にお願いに行ったわけであります。
  67. 馬場昇

    馬場委員 お願い、我々から言いますと、そういう団体が持っていけば文部省がそれをお願いととるか、私は、立場上、お願いでも介入と思うのですよ。そういう点は、私はこれはもう明らかに政治権力の介入と思っておりますので、これはやるべきではないということを申し上げておきたいと思います。  次に、免許法の改正について申し上げます。  この手続の問題について、学校教育法施行規則の一部を改正する省令を制定して、そして幼稚園教育要領、小中高の学習指導要領改訂を公示したのが三月十五日ですね。教科の解体とか再編、しかも私どもに言わせますと、戦後民主教育のシンボルだった社会科、この解体を国会審議もせずに決めてしまうということ。それから文部省が規則で、省令で決めた。ところが免許法を変えなければならぬ。では国会、おまえはしりぬぐいをせいという形で今免許法の改正を出してきておる。そういう免許法の改正を伴うならば、社会科をこうしたい、こういう省令を出したい、どうだろうかというのをまず国会に諮って、そういう手続をとった上の省令改正ならばまだしも、何も国会にも相談せずに勝手に決めておいて、そして免許法を変えなければいかぬから、おい、おまえたち、法律改正をやれ、これはまさに国会軽視以外の何物でもないと私は思うのですが、いかがですか。
  68. 倉地克次

    倉地政府委員 高等学校教育課程改訂の問題でございますけれども学校教育法第四十三条と第百六条の規定によりまして、これは文部大臣が定めることとされている次第でございます。  この規定についてでございますけれども教育課程基準の設定のような事項につきましては、極めて専門的、技術的な事項でありますし、さらに時代進展に応じまして適宜改善を要する事項であるために、文部大臣に基準の設定を法律が委任しているということでございます。今回の教育課程基準改正によりまして施行規則が改正され、社会科地理歴史公民に再編成されたわけでございますけれども、これもこの法律の定めに従って行われているところでございます。  また一方、免許教科の問題でございますが、これにつきましては、一般的に資格について何らかの定めをするときには法律で定めることが原則になっている次第でございます。免許法の教科について見てみますと、中学校高等学校においてその教育課程構成する領域の指導の専門分化を行うために、教員の資格につきましてその担当し得る指導領域を定めたものでございます。このように免許教科教員の資格にかかわるものでありますから、原則として法律である教育職員免許法で規定されているところでございます。したがって、今回はこの免許法の改正をお願いしているところでございます。  以上申し上げましたように、省令以下の改正が先に行われたわけでございますが、免許法の改正を今お願いしているわけでございますけれども、これらはいずれも法律の規定にそれぞれ従って行われているわけでございまして、私どもといたしましては特に問題はないと考えている次第でございます。
  69. 馬場昇

    馬場委員 まさに法律の定めだとか何とかという法律――国会は国の最高の権威ですよね。そして民主主義というのは話し合いというのが一番の原則でしょう。  法律がありますからといって、では聞きますが、ここで免許法を私たちが廃案にしてしまった場合に、その省令はどうなるのですか。
  70. 倉地克次

    倉地政府委員 私ども免許法の改正をお願いしているわけでございますけれども、これが廃案になったらどうかということについては念頭にないわけでございまして、ぜひ御審議いただきましてお認めいただきたいということで努力している次第でございます。何とぞぜひお願いする次第でございます。
  71. 馬場昇

    馬場委員 こういうところになるとえらいよろしくお願いします、よろしくお願いしますと言って、さっきは法律に従ってやった、法律に従ってやった。  では、ここは法律が通らなかったということは、よろしくお願いしますと別にして、地歴公民、それをやった省令はどうなるのですか、通らなかった場合の免許はどうなるのですか。法律論で言いなさい。
  72. 倉地克次

    倉地政府委員 先ほど申し上げましたように、それぞれの法律に基づいてそれぞれ改正を行い、また改正をお願いしている次第でございます。  私どもといたしましては、今回の法律改正につきましてお認めいただくのが最善の方法ではないかと考えておるわけでございまして、それが万一通らないということをいろいろ考慮してやっているわけではございませんので、まだそこまで検討いたしていないというのが実情でございます。     〔臼井委員長代理退席、委員長着席〕
  73. 馬場昇

    馬場委員 法律で言うのですよ。例えば、何の法律でもいいですよ、省令でやった、それを追認する法律を出した、法律が通らなかった。その後免許は出せないわけでしょう。法律上からいえば当然でしょう。
  74. 倉地克次

    倉地政府委員 現在改正をお願いしております法律が通らなければ、今改正をお願いしているようなことができないということは当然でございますけれども、それぞれ法律がございましてその両者の整合性をどのように考えるかということになれば、今お願いしている法律改正をお認めいただくのが最善ではないかということで提案してこの改正をお願いしている次第でございます。そういうことでございますので、何とぞ十分御審議の上、この点につきまして御承認いただければ大変ありがたいと思っている次第でございます。
  75. 馬場昇

    馬場委員 それからもう一つ申し上げますが、廃案になったら省令がだめだということは今おっしゃったとおりでございますが、一九九〇年の四月一日以降大学に入った者が新免許状を取る際に、専門科目の単位数いかんによっては、単位数が非常に多くなってきたと仮定しますと、四年のうちで地歴公民の専門教科の単位は取れるのか。いずれにしても普通の平常な形でこの両方免許は四年制で取れるんだ、こういうぐあいに理解しておられるのですか。それを心配しておりますから、どうなりますか。
  76. 倉地克次

    倉地政府委員 今回、地歴公民免許教科を分けるということは、それぞれ専門性を高めるために分けようということをお願いしている次第でございますが、専門性を高めるということになりますと、地歴につきましては地歴系の科目重点になりますし、公民系につきましては公民系の科目重点になると考えている次第でございます。具体的な学校においての教育課程構成の仕方もあると思うわけでございますけれども、やはり現在よりは両者を取るということは困難になるのではないか、そういうふうに考えている次第でございます。
  77. 馬場昇

    馬場委員 本当はやはりその専門性を高める専門教科科目が多くなると二つは取れない、一つだというふうになってしまう。そうしますと、実際、辺地ですね、小さい高等学校で、今は社会科免許を持っておれば教えられるわけでしょう。ところがこれを分けてしまったら、あなたは地歴免許、あなたは公民免許。ところが、二人おらなければこの教科を教えられないわけです。今一人おればどっちも教えられる。小さい学校に二人配置できる、こういうことがあればいいのだけれども、それができないとなってくると、免許は取りにくくなったわ、小さい学校には先生がいないわ、実際困ることが起きはしないですか、どうですか。
  78. 倉地克次

    倉地政府委員 この点につきましては、まず定数上の問題があるかと思います。これは今回の改訂によりましても週授業時数三十二単位が標準ということになっておりますので、定数につきましては特に問題はないと思う次第でございます。  ただ、今回の改訂によりまして、地歴公民の問題も含めいろいろな教科についてそれぞれ出入りいうものがあるわけでございますので、具体的な人の当てはめの問題は残る次第でございます。  ただ、地歴公民につきましては平成六年からの実施でございますので、それをにらんで具体的に学校教育委員会が相談しつつ人員の配置を行うことになるというふうに思うわけでございますが、当面は社会科を持っておられる先生地歴公民両方を担当できるということになっておりますので、特段問題はないかというふうに考えておる次第でございます。
  79. 馬場昇

    馬場委員 当面はそれを持てますから、だんだん一つしか持たない者が卒業者で来たなら定数問題ということでよほど考えなければ、小さい学校だったら困りますよ。だからそういうことに困らないように、ひとつ今から考えておいていただきたいと思います。  それから、日の丸の掲揚、君が代の斉唱、これをやらせるようにしておりますけれども、どこかで見たんですけれども、これをやらなかった者は、教員でそれに従わなかった者は処分するとかなんとかというようなことをだれかが言ったというようなことも聞いておるわけですけれども、片一方では私立学校にはやれとは言えない、こういうことも言われておる、こういうことでございますけれども、やはりこのことについては、これは前の森文部大臣も文部省というのは強制はできない立場の法律上の省だということをここでも言っておられたんですけれども、これは少なくとも強制はしない、ましていわんや処分なんかあり得ない、私学に対しても公立の学校につきましても、やはり憲法十九条による思想、信条の自由はあるわけですから、それに差がつくということもおかしいわけでございますが、この辺についてはもう結論だけ、あと時間がございませんから、それは強制するものではない、あるいは処分なんかが行える筋のものではない、そう私は思うのですが、どうですか。
  80. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今回、学習指導要領におきまして国旗・国歌の扱いにつきましては明確化いたしておりますので、それに基づいて各学校学校行事等必要な指導を行っていただきたいと思っております。この指導が行われなかったときはどうなるかというお話でございますが、私どもとしては今回の指導要領の趣旨が徹底しますように、繰り返し教育委員会なり校長なり御指導をお願いしたいと思っております。  それから、私立学校につきましては、国公私立、指導要領の適用がございますので、これは基本的に同じ考えだと思っております。ただ、私立学校の場合は、設置者が学校法人でございますので、学校法人がこの問題についてどう対応していくかという問題は、国の場合ないしは公立の場合と若干ニュアンスの違った問題が出てくるかなというふうに考えております。
  81. 馬場昇

    馬場委員 大臣、最後に一言、大臣に学習指導要領の問題で聞いておって答弁してもらいたいのは、いろいろ学習指導要領でこうせいああせいと上から押しつける、それをしなければ処分するぞとかなんとか言って、とにかくそういう姿勢がずっとあるんですよね。しかし、教育というのは、一番大切なのはやはり子供と先生の触れ合い、そういう中で教職員が子供と触れ合い、父母と触れ合いながらその学校、その地域なりでいろいろな創意と工夫ということで話し合いながらやっていくというのは非常に大切であると思うのです。  これはもう法律云々、ここの条文をこうせい、あそこの条文をこうせいというのは、もう時間がありませんが、やはり生徒と話し、父母と話し、地域の人と話して、教職員がそういうものと一緒になって創意と工夫によってその教育を行っていく、そういう姿勢というのは非常に大切だと私は思うのですが、文部大臣、そういう姿勢は持ってやってくれという気持ちですか。
  82. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  私も委員考え方、非常に大事な点であろうな、こう思います。ただ、いわゆる学習指導要領、幼稚園から高校までであります。ですから、一つの国民としてのどのような形の教育が必要であろうかという指針、考え方、これもやはり私は必要なものである、こう思っております。  そのようなことの中で、大変たくさんな学識経験の皆様方と相談をなさいながらでき上げてまいった新学習指導要領である、こういう認識でありますので、現場の中、あるいはその社会社会、いわゆるふるさと創生的な歴史の中、そこにおいてこれを基幹としながら、地元の皆様方とも話し合いをしながらやっていくということを私も同感であります。
  83. 馬場昇

    馬場委員 大臣、前この委員会社会党の木島委員がおったわけですけれども、彼が本も今度出していますけれども、有名な雪が解ければ何になる、大臣は雪が解ければ水になると答弁されたのですが、寒いところに行くと雪が解ければ春になるんだ。そうすると、雪が解ければ春になると教えると、この学習指導要領は雪が解ければ水になると教えなければいかぬ、こういうような縛り方なんかは大いにおかしな話ですから、今言いましたのは、そういうことも含めて創意と工夫とか実情に応じながら教育をやるべきだというようなことで申し上げておきたいと思います。  それから、先ほど質問しました定数とのかかわりでちょっと困りはせぬかと言いましたけれども高等学校の第四次の改善計画、これは期日までにきちっと完成できますね。
  84. 倉地克次

    倉地政府委員 高等学校の定数改善計画でございますけれども、現在その計画が進行中でございまして、たしか六〇%程度の進捗率であったというふうに記憶している次第でございます。あと残されたのは二年度ということでございますので、私どもといたしましては大変厳しい状況にあるというふうに認識しているわけでございますけれども、なお目標に向かって十分努力してまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  85. 馬場昇

    馬場委員 国会の意思というのは当然これは行われるもの、それはなぜかというと、この前の百十三国会で、六十三年の十月十九日、この委員会で第四次以後の改善計画の検討を文部省は始めなさい、こういう附帯決議をつけているわけでございますから、これは当然のこととして、次の第四次以降の改善計画を文部省はこの前の附帯決議を守るならば検討しておかなければならぬ。この第四次以降のことについて何か検討されていますか。
  86. 倉地克次

    倉地政府委員 今先生の御指摘のありました附帯決議については私ども十分承知している次第でございます。その後の現在の計画の進行が終わった後の問題の検討ということにつきましては大変重要な課題だというふうに考えているわけでございますけれども、何分大変厳しい状況の中で現在の計画の完成を目指して努力しているところでございまして、まだ具体的な検討までに至っていないのが実情でございます。今後とも現在の計画の達成に十分努力してまいりたいと思っておりますので、何とぞその辺を御理解いただきたいというふうに考える次第でございます。
  87. 馬場昇

    馬場委員 大臣、この間大臣にも御要請を申し上げておった義務教育費国庫負担、それから栄養職員、事務職員を外すという大蔵省の意向が毎年あるものだから、もう今ごろになりましたら本当に学校現場というのは不安でたまらない。こんな不安な状況というのは教育上よくないわけでございますが、もう絶対にそういうことはさせぬ、大臣がもう安心しておけというようなことで今頑張っておられるのは知っておりますけれども、どうぞここで決意のほどをひとつ。
  88. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  大蔵は、財政当局という考え方でいろいろ申し上げていると思いますが、私を初め文部省一丸となってそんなことはさせません。
  89. 馬場昇

    馬場委員 本当に力強い答弁を最後になっていただきまして、非常にうれしい限りでございます。  最後に、子供の権利条約の問題について、国連が十一月二十日に全会一致で児童の権利条約というのを採択したようでございます。これは、あくまでも二十一世紀を担う児童の権利の向上のために日本政府は早急にこれを批准すべきではないか、こういうぐあいに思います。二十カ国ぐらい批准しなければ発効しないわけでございますから、日本がまず批准をして、ほかの国にも、批准をしようではないか、そして、二十一世紀に生きる児童の権利を保障して二十一世紀を豊かなものにしようではないか、こういうことでぜひ子供の権利条約というものを批准するようにやっていただきたいと思うのですが、これについてのお考えを聞いておきたいと思います。
  90. 川村恒明

    ○川村政府委員 御指摘のように、たしか二十日でございますか国連総会でいわゆるコンセンサスでこの条約が採択されたわけでございます。内容的には、大変幅の広い子供の権利を守るということで、これはもちろん教育だけでございません、生存にかかわる問題から幅広く規定をしているわけでございますので、コンセンサスで成立をしております。我が国としても賛成をしているということでございます。  今後、批准の問題につきましては、関連の国内法との関係も若干ないわけではないというふうに思っております。これは外務省中心に各省相談をして、差し支えがないようにこれから国内法上の問題点を整理していきたい、こういうことでございます。
  91. 馬場昇

    馬場委員 終わります。
  92. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時二分休憩      ────◇─────     午後一時開議
  93. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。鍛冶清君。
  94. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 私は、教育職員免許法改正案について御質問を申し上げます。  今回の本法の改正案につきましては、高等学校教育課程基準改正によって、平成六年度から教科社会地理歴史及び公民に再編成されることになったのを受けて提案されたものですけれども、一般的に言われるところでは、教科社会小学校低学年では生活科となって、高校段階で今回地理歴史公民、こういうふうに分離、再編成されるということは、戦後の民主教育の象徴とも言われましたこの社会科の抜本改正的なものであって重大な改正である、こういう認識に立った議論が多いわけでございますが、この点について大臣はどのようにお考えになっていらっしゃるか、最初にお答えをいただきたいと思います。
  95. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  私自身も大変大きな改正であるな、こういう認識を持っております。  御承知のとおり、社会科は昭和二十二年に新学制発足とともに設けられまして、以来我が国における民主主義の育成に対して重要な教育的役割を果たしてまいりました。今回の改訂において社会変化等に対応して高等学校社会科を再編成をしたところでございます。
  96. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 これは今もちょっと申し上げましたが、今回の改正については文部省社会科の再編成というふうにおっしゃっておられますけれども、一般的にはマスコミも含めて関係各界は社会科の否定、解体を目指すものである、こういう論議が強く言われているわけでございますが、大臣はこの点についてどういうふうにお考えなのか、お聞かせをいただきたいと思います。
  97. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えをいたします。  私の認識といたしますと、いわゆる社会科の否定あるいは解体を目指したものではない、このように考えております。今回のことは再編成である、時代の諸要請を踏まえ、中学校までの総合的な社会科学習の成果の上に立って、そして高等学校教育における生徒発達段階専門性系統性に即して地理歴史科公民科のそれぞれの教科内容充実を図るようにいたしました。  冒頭申し上げましたとおり、社会科の否定あるいは解体を目指すものではございません。
  98. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 これは事務当局の方でも結構ですが、重ねてお尋ねするようですが、戦後の民主教育の象徴と言われた社会科が現実には小学校低学年で生活科、そして高学年、さらには中学校では社会科が残っている、それで高校段階では地歴公民に分ける、こういうことになるわけですが、今お答え願ったことを趣旨としながら、今後はこの線でずっと内容を深めていくという方向でこれからもお続けになるということと理解してよろしいですか。
  99. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 社会科は今回小学校では一、二年の低学年で生活科をつくりましたし、高等学校ではただいま大臣から御答弁申し上げましたように再編成ということでやっておりますが、まだ小学校の大部分と中学校は、戦後教育一つの重要な柱でありました社会科がそのまま残っております。したがいまして、これからも小中学校社会科を中心に教育が行われるものというふうに考えております。
  100. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 お考えは大体わかりましたが、私がこういうふうな法改正案が出てくる過程において一番残念だと思っておりますのは、これは現実に私がそこに臨んでおったわけではございませんから、実際にどういう形でこうなったのかはわかりませんけれども、マスコミ等の報道によりますと、この件を検討した教育課程審議会では、こういった再編成の問題を含めて、世界史の必修等を含めて、審議が終盤になるほんの二カ月ぐらい前に急遽これが持ち出されてきて、そしていろいろと議論が交わされる中で、関係委員の方々でもむしろ社会科を再編成すべきではないという意見が非常に強くあったし、疑義を持っておられる方が大半であった。その中である委員の方々はおやめになる、委員辞任するという事態が起こったということが言われております。  記事をしっかりあちこち読んでおりますと、まさに文部省主導型で、突然出してきて強引に決定をした。先ほど大臣にもお答えいただいたように、この問題は極めて重大な改正であるというような御認識のお答えがございましたけれども、文部当局もそういう認識にある中で、そんな大切なものをそれこそいわば、悪い言い方をすれば戦術、戦略、手練手管的なものを駆使してまで通してしまうというふうなことは極めてよくないことである、むしろこういう問題はしっかりと議論をしながら進めていくべきであった、こういうふうに私は思っておりますが、この点についてどういう形で審議が行われ、決定を見たのか、お尋ねをいたします。
  101. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 お答え申し上げます。  まず、この問題は極めて短期間の間に議論されて決められたというものではございません。社会科、特に高等学校社会科の再編の問題につきましては、従来からの経緯がございます。  発足当初からの御議論もございますが、具体的に申し上げますと、昭和五十八年の中央教育審議会におきまして「社会科科目構成の在り方について再検討すべきである」ということが中央教育審議会の審議経過報告に出てまいります。それから、臨時教育審議会におきましてもこの問題は議論されまして、六十一年の四月に出ております第二次答申におきましても、社会科教育の問題が議論されております。その中で、歴史教育につきましては系統性専門性を重視する観点から、教科としての社会科の枠を外すべきだとの意見もあるし、現行どおりを適当とする意見があるとした上で、社会科としてまとめておくべきかどうか、これを見直すという答申が出されているわけであります。  こうした経緯を受けまして、今回の教育課程審議会議論になったわけでございますが、教育課程審議会では、発足の当初から課題別委員会の中にこの問題を扱う委員会を設けまして議論をずっと重ねてまいりました。そして、審議会の総会でも議論いたしまして中間まとめを出し、さらに中間まとめを出しました以降は、教科別の委員会社会科委員会を組織しましてこの問題を十分論議しているわけであります。そうしまして、高等学校教育課程分科審議会におきまして、昭和六十二年の十一月にまとめが出ているわけでありますが、そこでは、社会科を再編成して地歴科及び公民科を設け、それぞれの内容充実を図るということで全会一致で決まっているのであります。  さらにそれを受けまして、教育課程審議会の総会におきまして最終的な答申となって、今回の社会科の再編成が全会一致で決まっている、こういう経緯で、短期間に強引に決めたということとは違いますので、この点は特に申し上げておきたいと存じます。
  102. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 流れとしてはそういう形でいったのだろう、こう思いますが、最後の方で全会一致というふうなお答えもございました。  しかし、それ以前に、事実としては、委員辞任とかいうのがあったということは事実のようでありますし、そういう方々が出た後でいろいろな形で審議された中で全会一致というふうになったようにも思われるし、本当にその委員の方々が後でいろいろ取りざたされておるし、マスコミ報道等も見てみましても、非常に文部省の進め方に不満を持っておったし、そしてそれにあるいは抵抗する、ないしは警告を与えるために、警鐘を鳴らすためにやめたという話も言われているわけでありまして、この委員辞任とかいうことについては、そういうことはなかったのでしょうかね。
  103. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育課程審議会委員辞任はお一人ございますが、これは違う理由で、社会科の問題でやめられたわけではございません。いろいろお忙しくて、お住まいも遠くで北海道ということもございまして、途中でおやめになった方はございます。  新聞等でこの社会科の再編に関しまして辞任が伝えられておりますのは、審議会の委員ではなくて、そのもとに組織しております協力者会議といいますか、これは学習指導要領をつくっていく会議なわけでございますが、この方々は小中高全教科合わせますと六百人を超えるたくさんの方々に協力をいただいているわけでありますが、その社会科関係委員お二人がおやめになったという事実はございます。
  104. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 これは大臣にお答えいただきたいのですが、とにかくいろいろと疑惑の目をもって見られた教育課程審議会の流れであるし、決定であったというふうに周辺は見ているわけです。やはり答申やら指導要領の作成に当たっては、今後こういうことのないように、また、あるいはこれは事実の認識が違っておったのかどうか、私も実際にずっとそばで見ていたわけではありませんからわかりませんけれども、そういうことは大切な教育内容の問題でありますから、少なくともそういうことが言われることのないように、十分時間をかけて丁寧な説明議論を繰り返しながらまとめていくというのが大切なことだと私は思いますが、大臣はどのようにお考えでございましょうか。
  105. 石橋一弥

    石橋国務大臣 基本的に委員のお考え方と同じであります。  ただ、このことを考えてみますと、戦後の高等学校歴史地理教育社会科の枠の中で実施するということにつきましては、長い間の論議の経緯があったところであります。中央教育審議会、臨時教育審議会においても審議がなされたところでございます。こうした経緯を踏まえながら、教育課程審議会において審議を行い、最終的に社会科地歴科、公民科に再編成することを答申されたものと聞いております。  そこで、私といたしますと、今回の改正につきましても、審議は十分尽くされてその上でこれができ上がったものである、こんなふうに考えております。
  106. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 今後こういうことがないように、また答申指導要領等の作成については、今私が御質問申し上げたような趣旨で、ひとつ当局もぜひお取り組みを願いたいと御要望を申し上げておきます。  そこで、今回の教育課程審議会のまとめの内容についてちょっと触れてみたいと思っておるのでありますが、やはり今度は、こういう審議が突然あったとか委員辞任したとかいうことが、事実関係はどうであったかということは、先ほどから再々申し上げるように、私はこの目で見たわけでもありませんから確定はしにくいわけでございますけれども、その一つ背景には、この教育課程審議会のまとめの内容の中で、従来なかった点――なかったんじゃなくて、あったけれども、それが特に強調されて、文部省主導でどうも押しつけられたというようなとり方をしている人が多いようであります。  大体内容が、主な内容としては三つ言われておりますが、一つは、高校社会科の分離、再編成世界史の必修の問題、それから、国旗・国歌の掲揚と斉唱の明確化の問題、それから、道徳教育の強化がなされておるというようなこと、こういったことのまとめの中の内容との絡みの中で、この三つは大臣も御認識だと思いますが、やはり戦後から、新体制になってからずっといろいろと議論をされてきた内容であると思います。この論争は古くて新しい問題でもあると思うのですけれども、こういう絡みの中で、特にこの社会科の再編成の問題が取り上げられ、さらには審議会の内容の問題が強く世間の人たちの関心を引いておるんだ、こういうふうに私は思っております。  私はこれらの論争というものが、これは私自身の個人的な考え方を含めて申し上げてみたいのですが、これらの問題は大切な問題ですけれども、今までどうも右と左という争いの中でいわば保守革新とでもいいましょうか、その中で論争が繰り返されてきた、しかもそれが、どちらも多少イデオロギー的に偏った形でこだわり過ぎたといいますか、偏ったというよりこだわり過ぎた形で議論をされてきたんじゃないかなというふうな気がするわけでございます。そうだものですから、今度の社会科の分離分割に当たっても、片や戦後教育の改革はもうどうもやり過ぎで行き過ぎておったという議論がありますし、片一方は片一方で、これこそは民主教育のとりでであり、今言った三点を含めて、これはそういうふうに強化させてはならない、社会科のとりでは死守すべきであるというみたいな議論が随分と言われてきたように思うわけです。  私は、やはりそういうものから一歩抜け出して、日本教育は二十一世紀をにらみ据えたときどういうふうにあるべきか、さらには、これまでの教育の中で子供に与えてきた影響、社会に出てきたいろいろな現象、こういったものも踏まえながら、こういった問題は改めて現実を見据える中から、また大きく言いますと、日本の将来、それから世界平和ということをにらみ据えながらしっかりと議論をし、判断をして実施をしていかなきゃならない、こういうふうに思っておるわけですが、これについて大臣はどのようにお考えでございましょうか。
  107. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  要は、委員のお考え方、イデオロギーに左右されないで不偏不党の立場から冷静に現実を見据えてやってくれよ、こういう意味であろう、こう私は思います。左右のイデオロギー対立、これはやるなと言ってもあるものはあると思います。じゃ左でも右でもない、何が一体本体だということになりますと、これは私はやはり憲法の指さすところ、そしてまた教育基本法の定めているところ、そしてまたそれに関連する諸法令、これに準拠してやっていくのが私どものとるべき態度であるな、このように考えておりますので、今回の学習指導要領改訂につきましても、とにかく教育課程審議会答申を尊重し、そして各方面の御意見を承りながらやってまいったことであります。教育の中立性、これは貫いていきたいと思っております。
  108. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 大臣の御答弁は何ら非の打ちどころのないところでありまして、まさにそれはそのとおりであろうと思いますけれども、しかし憲法一つとってみても、表から見たのと裏から見たのと解釈の相違というものがあっていろいろなとり方がある。それらの中でいろいろとこういうことが行われてきたということもあるわけですから、中立性というのはある意味では非常にやさしいようであって、言うはやすくとりがたい姿勢かもわかりませんけれども、これは大臣おっしゃったような方向で、本当に小さく言えば、小さくというよりも大きいのかもわかりませんが、学習者の立場、そしてまたその人たちの将来を見据え、社会という中の一員として役立っていく人をつくる、または日本の国もそういう形での、世界の中の一国として頑張っていかなければなりませんが、そういうものを支えていける人をつくるための、現実に立脚したもので今後はひとつ取り組みを願いたいと思います。  そこで、小中高の社会科の問題につきまして、歴史的にさかのぼってお尋ねをしたいと思います。午前中もちょっと議論がなされておりましたけれども、まず私は、現在小中高において行われておる社会科内容について、戦前においてはどういうふうな教科科目で教えていたのか、そういった実態等についてひとつお答えをいただきたいと思います。
  109. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 戦前教育のカリキュラムは時代によって若干の差異がありますので、比較的一番長く行われていた、例えば小学校で申し上げますと、大正八年に決められました小学校令がずっとその後も続いて、昭和十六年の国民学校ができますまでは基本的に続いておりましたので、それによって申し上げますと、小学校では修身、それから日本歴史地理、この三科目社会科のいわば前身といえば前身であろうと思います。それから中等学校は、これは今のように中学校高校ではなくていわゆる中学校、女学校でございますが、その中学校の、これは昭和六年に決まりました中学校令によりますと、修身、公民科歴史地理、この四科目が戦後の社会科科目に該当するものであろうというふうに思います。
  110. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 教育の中で天皇を神と唱えながら教え込んできた軍国主義のあり方が批判をされて、戦後占領軍が進駐したときに、これにかわって小中高に社会科という教科が新たに設けられた、こういうことになると思いますが、これに至る経過と、どのような趣旨に基づいて設けられたのか、これについて確認の意味でお聞かせをいただきたいと思います。
  111. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 戦後の教育社会科の件に関しまして流れを申し上げますと、まず昭和二十年、終戦の年でありますが、十二月に連合軍総司令部から指令が出されております。それは「修身・日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」という指令でございまして、これによりまして日本歴史地理と修身の授業は停止されたのであります。しかし、日本歴史地理につきましてはその後解除されました。ただ、修身だけはその後もずっと停止されたままであったということがございます。  それから、昭和二十二年四月から六・三・三制の新学制が発足いたします。このときは学習指導要領文部省が出しまして、その中で新しい教科として社会科小学校から高校まで一貫して設けるということになりました。この社会科は、従来の修身、歴史地理というものを単にまとめただけではなくて、新しい理念に基づきましてそれをつくった、それを教えることにした、こういうことでございます。
  112. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 理念というのはどういうふうな形で言われておったのか、お答えをいただきたいと思います。
  113. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 当時の文部省が出しました学習指導要領によりますと、「この社会科は、従来の修身・公民地理歴史を、ただ一括して社会科という名をつけたというのではない。」「社会生活についての良識と性格とを養うことが極めて必要であるので、そういうことを目的として、新たに設けられたのである。」「これまでの修身・公民地理歴史などの教科内容を融合して、一体として学ばれなくてはならない」というようなことが書かれております。  また、従来の科目は「ともすれば倫理学・法律学・経済学・地理学・歴史学等の知識を青少年にのみこませることにきゅうきゅうとしてしまった」、「それがひとつに統一されて、実際生活に働くことがなかった」、そういう反省に立ちまして、「いわゆる学問の系統によらず、青少年の現実生活の問題を中心として、青少年の社会的経験を広め、また深めようとする」、そういう趣旨でこれを設けるものであるというふうに言っております。
  114. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 先ほど御答弁の中で、地理歴史というものはその後復活したといいますか、内容を変えてあらわれてきたけれども、修身は停止されたままであった、こういうお話がありました。  これは戦後いろいろ議論があったと思いますけれども、道徳というような言葉に変わったりしながら後に出てきたようでもございますが、戦後すぐの時期には確かに道徳、修身という言葉はもちろんでありますが設けられていなかった時期があったわけです。その理由はどういうところにあったのか、また当時、実際には子供たちに道徳内容というものは具体的に何か形を持って指導は行われておったのかどうか、この点についてお尋ねをいたします。
  115. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 戦前におきましては修身で道徳教育をやっていたわけでございますが、戦前の修身教育に対します反省から、戦後は昭和二十年に修身が停止されまして、それ以来修身ということは学校教育からは行わなくなったわけでありますが、しかし、道徳教育が必要ないというわけではもちろんございません。したがいまして、戦後のこの当時の道徳教育のあり方につきましては、学校教育全体を通じて行う、特に社会科がそれについて受け持つ分野は大きいという考え方に立っていたわけであります。  社会科におきまして、社会生活について広くかつ深い理解を基礎として道徳的判断力や心情を養うというようなことをねらいとしていたわけであります。ただ、道徳教育につきましては、学校教育全体でやる、ないしは社会科でやると申しましても、実際上はなかなか難しかったという経緯はあるようでございます。
  116. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 道徳というものが設けられなかったという理由に、今お答えいただいたように、社会科の中に、また全体を通じてというお答えがございましたが、それならそれでずっといけばよかったようにも思うのですが、その後、小中学校で道徳の時間というのが特設されて現在に至っておるわけでございますが、そのいきさつ並びに趣旨はどういうところにあったのか、これをお伺いしたいと思います。
  117. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 ただいま申し上げましたように、戦後、学校教育におきます道徳教育社会科を初めとする学校教育全体でやるということになっておりましたが、なかなか所期の効果が上げられないという悩みがございました。戦後、道徳教育につきましては常にこの当時から問題になっているわけであります。そして、戦後の新しい道徳教育ということにつきまして各種の実践研究や調査などが行われまして、また諸外国などの比較調査も当時盛んに行われたわけでありますが、教育課程審議会でもこの教育課程改訂審議の中で道徳教育をどうするかということでこれを大変重要な問題として取り上げております。  それで昭和三十二年には、教育課程審議会審議の中で中間まとめを出しているわけでありますが、そこでは道徳教育徹底のために道徳の時間の特設をする必要があるという中間的なまとめを公表したのであります。これを受けまして、文部省に教材等調査研究会というものを設けまして、ここで道徳の時間を特設するそのあり方を検討いたしております。そして昭和三十三年に教育課程審議会が正式の教育課程全般の答申をしているわけでありますが、その中で道徳の時間の特設を正式に答申している。そしてその場合に、戦前の修身とは異なるということで、この道徳の時間の指導というのは、道徳教育というのは学校教育活動全体でやるという基本方針には変わりはないけれども、道徳の時間で他の教育活動におきます道徳教育を補充し、深化し、統合する、そういう役割を持たせる時間を設けるのだということを答申しております。  そして、この道徳の時間は教科ではない。戦前のように教科ではなくて、したがいまして教科書は使用しないで、また点数によってその評定をしないというようなことも言っております。教科書は使用しないわけでありますが、道徳の時間を有効に使うためには読み物資料とか教師の説話とか視聴覚教材を用いて指導する、こういうようなことを教育課程審議会及び先ほど申し上げました教材等調査研究会等でいろいろ細かく検討して、それに基づいて道徳の時間が始まったということでございます。
  118. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 今の御答弁で、戦中の修身、地理、いわゆる日本歴史というものが戦後社会科ということに変わっていったということは、答弁あったそのとおりである、こういうように思いますけれども、私が今一番実感として感じておりまして、この点は少し文教委員会等でも議論をしていいのではないかなというふうに思ってみたり、また大臣との間でもやりとりをしたらいいのじゃないかなと思っておる点が一つございます。  内容議論はまた後々に送っておきたいと思いますけれども、それはどういうことかといいますと、社会科という関連で修身ばかりを取り上げているようでございますが、この修身というものも、先ほど御答弁がありましたように戦後は占領軍が駐留する中でいろいろ検討された中で、修身、地理日本歴史というものが一時停止ということで、内容をしっかり見直した上で新しいものをまた出す。だから要するに、修身そのものを全く一〇〇%否定したものではなくて、軍国主義に走りああいう過ちを犯した日本教育内容の一端がそこにも大きく働いておるということで、それを見直した上で、修身そのものの否定ではなくてもう一遍そういったものをきちっと整理をし、悪いものは改めながら修身というものをつくるという含みでどうも一時停止ということになったようにあるわけですが、その後いろいろないきさつの中で、いろいろな本を見てみましても、社会科という中で先ほど初中局長から答弁がありましたような形でやるのが妥当であろうということでその中に含まれていったというふうな形があるようです。  ところが、そこの本当のところの米国の意思といいますか、当時進駐しておったマッカーサーを頂点とするGHQの意向というものは、要するに戦中のそういうすべてを否定してだめだと言っておったのではなかったというふうに思うのですね。ところが実際には、民主教育というもの、これはもう大切な教育一つの流れで私ども否定するわけでは全くございませんけれども、そういうことが叫ばれる中で、要するに米国ですらそういうふうに思って一時停止という中で見直しを考えておったその中身の問題ですね。戦中におけるその中身の問題の検証というものがどうも全くなされないままに社会科という中へ吸収されたような形で事実行われてきた。その後、道徳の時間が特設されたということになると思うのですけれども、結局そういう中で全般的な空気としては、民主的教育というものをどんどん進める中で、要するに一時停止であって見直しというふうな意図であったものが、いつの間にか停止がこれは禁止であるというふうにどうも受け取られていった。意図的にそうなったのかどうかはよくわかりませんけれども。とにかく戦中の日本でやっていたことは、いろいろなことを含めて修身絡みのこと、道徳絡みのことは、地歴もその中に入っていたわけですが、一切いかぬ。いわゆる悪者扱いにされてきた。  そういう中で、やはりそうじゃないのだ、例えば道徳は必要だし、また子供に対するしつけも必要である、やらなければいかぬのだというようなことを胸に思っておっても、口に出して言うとそれは保守反動であるとか民主的ではないという言葉でどうも片づけられてきて、イデオロギー過剰の中で本当の意味でのそういう論議というものがなされていなかった。それが今日までいろいろな形で尾を引いてきているのではないか、私はこういう気がしているわけです。  そういう意味で、これらの問題も、戦後四十数年たちまして改めて検証してみる中で論議を交わしながら、正確な形の、またいい形の流れというものも、今後こういった社会科に属する内容のものについて、また道徳ということ、先ほどから申し上げているわけですが、そういうことを含めて正確に論議をし、検証してみる必要がある、こういうふうに思っているわけですが、そういう点については当局としてはどういうふうにお考えでございましょうか。
  119. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 初めに申し上げましたように、昭和二十年十二月にGHQの指令によりまして修身が停止され、日本歴史地理も停止されたわけですが、歴史地理はその後解除された。ただ修身だけは解除されなかった。この問題は、やはり戦前の修身が教育勅語を基本に置いて道徳教育を行っていたわけでございますので、その中の忠君愛国というような問題もございますし、軍国主義というような観点から、この修身の停止の解除はGHQもその後出さなかったのだろうと思います。  ただ、道徳教育自体が重要であるということは、これはもちろんだれも否定しないわけでございまして、昭和二十一年三月に来ました米国教育使節団の報告などにも、「道徳と倫理」という項目を設けましてその重要性を説いておりますし、それから、その後、昭和二十五年に来ました第二次米国教育使節団の報告でも、「道徳教育は、全教育課程を通じて、力説されなければならない。」というような指摘をしているのでありまして、道徳教育自体は当初から皆必要なものであるという前提に立っていたと思います。  そういう中で新しく社会科が始まり、学校教育活動全体の中で道徳教育をやりながら、特にこの社会科で中心にやろうということで関係者は一生懸命努力をしてきた。しかし、その実施の経緯を見ますと、どうもうまくいかないということで、先ほど申し上げました道徳の時間を特設しよう、こういうことでその充実を図って今日に来ていると考えております。
  120. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 お答えも多少いただいておりますけれども、ここで社会科の本願に戻りまして、その後、小中高校の中で社会科教育内容というものが時代変化に応じて改善されてきたと思いますが、そのいきさつについてここでお聞きをいたしたいと思います。
  121. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 戦後新設されました社会科の発足の当初の事情、趣旨につきましては、先ほど申し上げたとおりでございます。  ただ、このときの社会科は、先生も御案内のように、子供たち生活経験を重視するということで、単元学習、それから問題解決学習ということが強調されました。そのねらい自体はもちろんいいのでありますが、実際上これをやってみますときにいろいろ問題が出てまいりました。特に、「六三制野球ばかりが強くなり」なんという川柳が当時はやったわけでありますが、どうも基礎・基本をしっかりと身につけていないのではないかという指摘がございまして、特に昭和二十八年に教育課程審議会審議をいたしましたときには、こういうことが述べられているのであります。「地理歴史について、きわめて当り前の事実を知らなかったり、雑然とした物知りになるにすぎなかったり、教師はその指導において、児童・生徒の自主的活動を重んずべき意味をとり違えて」いる場合もある、こんな指摘もございまして、昭和三十年の改訂になるわけであります。  そこで、戦後の社会科の第一回の改訂は昭和三十年に行われておりますが、そこでは、小学校でも地理歴史についてもう少し系統的に指導したらどうか、そして中学校につきましてはこの系統性を強めて地理歴史政治経済、そういう分野について内容重点化を図ろうという改訂があるわけであります。その後、昭和三十三年の改訂におきまして、地理歴史教育の一層の系統化を進めようということで、小学校六年までに日本地理歴史については基礎的な理解ができるようにしよう、そして中学校については、もちろん社会科ではありますが、その中に地理的分野、歴史的分野、政治経済的分野という三分野を設けて、そして内容をもう少し系統的、組織的に教えよう、こういう改正を行っております。  そして、教育課程改訂はほぼ十年ごとに行われておりますので、次の改訂が昭和四十年代の改訂になるわけでありますが、昭和四十年代の改訂はその三十年代の改訂考え方を継承しながら、社会科公民的資質を養う教科であるということを明確にしよう、そして、社会的判断力などの能力の育成を重視しよう、そういう改善を行っているのであります。  そしてその十年後、昭和五十年代の改訂になりますが、このときは先生も御案内のように、ゆとりと充実というのが改訂の統一的なテーマでございました。社会科につきましても、国家社会の一員としての自覚を持ってその発展に寄与する基礎を培うということはもちろん重視しておりますが、小中高等学校を通じましてその教育内容の一貫性をしっかり持たせよう、それから、その教育内容もいたずらに盛りだくさんにならないように内容の精選を図ろうということで改訂を行いました。  そして、ちょうど十年たちまして、今回の平成元年改訂につながるわけであります。今回の改訂では、国際化進展などの社会変化に対応するということで、小学校低学年では生活科を新たに設けておりますし、高等学校では、ただいま御議論いただいております社会科の再編成ということになったわけであります。
  122. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 私どもは、この教員免許法改正については賛成の立場でございますので、いきさつも今お聞きしたのでございますが、それとの絡みの中で教科が変わり、そして免許も変わる、こういうことになっていくようでありますけれども、二十一世紀を目指しましてよりよい教育を行われるよう、この教育内容の改善は当然必要だと思いますけれども、しかし一方、これを実際に教えていくのは教師の皆さん方です。これは非常に大切な任を担っておられるのが教師の皆さん方でございますけれども、その教えるための工夫、努力というものがますます重要な時代になってきている、私どもはこういうふうにも思っております。  これらのことを含めて、本当に大変ではありますが、教員の皆さんにはその資質の向上をお願いしていかなければならない時代にいよいよ入っているな、またこれが大切だな、こういうふうに考えているわけでございますが、大臣はいかにお考えでございましょうか。
  123. 石橋一弥

    石橋国務大臣 教員資質能力につきましては、その養成、採用、そして研修の各段階を通じて豊かな人間性と専門性、そして、それらを基礎とする実践的指導力を総合的に培う必要があると思います。  まさに委員指摘のとおり、教員資質向上というのは極めて重要である、こう考えております。そのために教員養成免許制度、まず六十三年の十二月、国会で改善をいたしました。そして、新任教員の時期における組織的かつ計画的な研修として初任者研修制度を六十三年の五月に創設をいたしてやっております。  以上です。
  124. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 今回の免許法の改正によって、今もお答えの中で教員養成が大切だということが言われておりますが、教員の養成教育という内容が、各大学においても変わらなければなりませんし、これは大切なことになると思いますが、具体的にはどういう形になっているのか、この点についてお答えをいただきたいと思います。
  125. 倉地克次

    倉地政府委員 高等学校免許状を取得するための単位の修得でございますけれども、一種免許状の場合について申し上げますと、教科に関する専門教育科目について四十単位修得が必要だということになっている次第でございます。それから教職に関する専門教育科目については十九単位ということになっているわけでございますが、このうち高等学校社会の一種免許状を取得するために必要な教科に関する専門教育科目というのはどのようなものがあるかと申し上げますと、日本史外国史につきまして六単位、地理学について六単位、法律学または政治学につきましては、このうち一科目について二単位、社会学または経済学につきましては、このうち一科目について二単位、それから哲学、倫理学、宗教学、心理学につきましては、これらのうちで一科目について四単位修得することが必要になっている次第でございます。これらの科目のほかに大学の加える科目も含めまして、さらに社会に関する専門教育科目の中からは自由に二十単位を修得することになっている次第でございます。したがいまして、高等学校社会の一種免許状を取得するためには、地理歴史科目について最低十二単位修得することが必要でございますし、公民科目につきましては最低八単位修得することが必要ということになっている次第でございます。  それから、高等学校の一種免許状を取得するために必要な教職に関する専門教育科目があるわけでございますけれども、これは教育の本質及び目標に関する科目教育実習など、まだそのほかにもございますが、そういうものを含めまして最低十九単位を修得する必要があることになっているわけでございます。  それから、高等学校社会の専修免許状を取得する場合でございますが、これは社会の一種免許状を取得するのに必要な所要単位を修得した上で、さらに大学院などにおきまして二十四単位、専門教育科目を修得することが必要となっているわけでございます。この場合は、教職に関する専門教育科目、それから地理歴史系の教科に関する専門教育科目公民系の教科に関する専門教育科目のどれを修得してもよいということになっている次第でございます。  以上でございます。
  126. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 先ほど初中局長からもちょっと御答弁ございましたけれども社会科ができたときの考え方、理念というものについては私たちも肯定できるというふうに思っております。しかし、専門性の問題、それから教育技術的な問題の面から見ますと、中学校段階までは統合した形で一本の社会科でもよいのかなという気がいたしておりますが、高校なんかになるとそうはいかないだろう、各科目を一人で担当するというのは大変無理を生ずるのではないかな、そういうことの中から今回の改正に踏み切っておるのかなとも思っておりますが、そういう点についてはいかがでしょう。
  127. 倉地克次

    倉地政府委員 現在の社会科先生方の実態を見てみますと、日本史世界史などの歴史に関する先生方が五六%おられるわけでございます。それから地理に関する先生方が一六%、政治経済、倫理に関する先生方が二六%ということでございまして、各教育委員会学校などがともに相談しながら、社会科先生を採用するに当たりましても各学校におきます教科の時間数というものに比例して採用されている次第でございます。  そういうことから考えますと、社会科という同じ免許状をお持ちであっても、担当する科目を考えつつ各教育委員会学校が対応しておられるということがわかるわけでございまして、やはりその専門の先生をできるだけ養成した方が授業を受ける子供の立場から見れば適切ではないかというふうに考える次第でございます。
  128. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 私どもがなぜそういうことを申し上げるか、お聞きしたかといいますと、一つには、現行のままでも確かに、自分の専門分野でこれを主にやろうという場合にはそういう単位の選び方ができるわけですから、本来自分大学で専門に勉強した分野とか従来自分が興味を持っている分野でないところでも担任できないことはないだろうという気はいたしております。  しかし、今申し上げたように、中学段階までは総体的に見ながらいろいろな形で進めていくということはいいにしても、高等学校にいきますと専門性を持たせる必要がある。こういう観点から見てみますと、どうも倫理なんかは一生懸命やろうという方は割と少ないみたいで、単位は取るけれども場合によったら――現行の仕組みの中では、私も素人ですからわかりませんが、いろいろやってみましたら、倫理は単位を取らずとも免許をもらえるような形にもなるようで、ほかにもそういう形ができてくるようですね。しかし、これが、必修との絡みの中でいろいろやらなければいかぬというときにどうしても専門性を高めていかないと不合理な点が出てくるのではないかな、こういうことが非常に心配になるわけでございます。  そういう意味で先ほどから質問も申し上げているわけですけれども、今私が心配しておりますようなことは今回の改正によって、専門的、系統的な教育を行うために改正されているわけですが、カバーできると思っておりますが、その点はどういうふうに認識をしておられるのか。さらに担当教員につきましても一層、まだまだ専門性を高めていく必要がある、こういうふうにも思っておりますが、こういった点についてお尋ねをいたします。
  129. 倉地克次

    倉地政府委員 このたび、地理歴史公民社会免許教科を分けるということの御審議をお願いしているわけでございますけれども、これは教育課程改訂高等学校生徒発達段階に応じて専門性系統性のある教育を実施するということに目標があるわけでございますので、それに伴ってこのように免許教科を分ける以上は教員専門性を高めるようにその修得単位数などを構成していく必要があるというふうに考えている次第でございます。  地理歴史免許教科でございますと現在の地理歴史系の科目重点を置いて単位を御修得願うことになるわけでございますし、公民免許教科でございますと公民系の科目重点を置いて御修得いただくことになるというふうに考えている次第でございます。ただ、その具体的な内容でございますけれども、これはひとつ教員養成審議会においてどのような構成にしたらいいかということを十分御審議いただきまして、早急に決めてまいりたいと考えている次第でございます。  それから、大変恐縮でございますが、先ほど高等学校社会科の担当教員専門領域別人数の割合を申し上げましたけれども、先ほど申し上げましたのは新規採用社会科担当教員のパーセントでございまして、実際にいる先生方専門領域別人数のパーセントは若干異なるわけでございますけれども傾向としては大きな相違はないというふうに考えている次第でございます。
  130. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 高校社会科は再編成すべきではないという意見も、午前中ないしは私が先ほどまでいろいろ議論した中で申し上げたように反対の声も大変強いわけですけれども教育現場に行っていろいろ伺っておりますと、実際問題として、社会という一本の中でいろいろしているのじゃなくて、その中をさらに科目別に分けた形の中で専門的にもう既に担当しながら教えておられるという実態、そういう傾向の方がむしろ強いように思うのですが、実際にはどうなっているのでしょうか。
  131. 倉地克次

    倉地政府委員 先ほど公立高等学校社会科担当教員専門領域別人数と申し上げて実態のパーセントを申し上げたわけでございます。若干それは数字が異なっておったわけでございますけれども、大きな傾向としては先ほど申し上げたようなことでございますので、各学校、各教育委員会は、その先生が御出身になった学科などを勘案して、かつ学校の中の各科目授業の時数の実態などを勘案しつつ教員の採用を行い配置を行っているというふうに見られるわけでございまして、今先生の御指摘のあったような考え方に従って実際には先生たちの配置が行われているものと考えておる次第でございます。
  132. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 この免許法の改正案が成立しますと、来年度から地理歴史及び公民の担当教員の養成教育が開始されることになるわけでございますけれども、担当教員専門性を高めるということが一つのねらいであり、これがそのための措置であるとするなら、必修科目についても専門性を高める等の措置を行うべきであると思いますけれども、これについて教員の養成教育内容はどういうふうな形で行われるのか、お尋ねをいたします。
  133. 倉地克次

    倉地政府委員 先ほどもちょっと触れたわけでございますけれども地歴公民に分ける趣旨は、その専門性を一層高めるということでございますので、それぞれの教科の系統の科目重点的に修得していただき、その上でそれぞれの教科免許状を出すということになると考える次第でございます。  ただ、その具体的な構成内容につきましては、先ほどもちょっと触れましたが、教育職員養成審議会におかれまして十分御検討いただき、その結果をまって省令などの改正を行いたい、そのように考えておる次第でございます。
  134. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 教員の定員との関係で、小規模校において地歴公民の各科目の担当教員の配置が非常に厳しいというふうなことが言われているわけでありますけれども、この点については、実態を見ると、やはり特別な配慮をする必要があるのではないかと思いますが、これはいかがでしょうか。
  135. 倉地克次

    倉地政府委員 週当たりの標準授業時数を見てみますと、これは三十二単位を標準とするということで教育課程改訂前と改訂後と同じでございますので、全体の教員定数としては現在のままでよろしいかと思うわけでございます。  ただ、教科別に配置できる教員を見てまいりますと、現在のところ、社会科について三学級規模の普通科を見てみますと一人ということになっておりますので、これが分かれた場合には、公民に四単位について一人配するということはなかなか難しい問題ではないかというふうに考えるわけでございます。現在の定数のままであれば、非常勤講師で対応することになるわけでございますけれども、この点については将来の検討課題ではないか、そのように考えている次第でございます。
  136. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 やる以上は、どこの学校でも、どういうところで行われていても安心できるような形でできるように配慮をしながら進めていただきたい。これも御要望を申し上げておきます。  もう一つ、現実の問題でちょっとお尋ねいたしますが、現在、高等学校社会教員養成教育を行っている大学、ここにいろいろと戸惑いやいろいろなことが起こっておる。対応が大変でいろいろなことがあるようですけれども、この教員養成を行っている大学はどのような取り扱いを受け、今度の新体制、改正案に対して対応をしていくようになるのか、この点についてお尋ねをいたします。
  137. 倉地克次

    倉地政府委員 今度の法律改正をお認めいただきますと、これに基づいて、先ほど御指摘のありましたような地歴公民の具体的な修得単位数などを定めるわけでございます。その定め方は、教育職員養成審議会の御議論を踏まえた上で省令改正ということになるわけでございますけれども、それをできるだけ早急に出して大学に周知徹底したいと考えている次第でございます。  その作業が終わりますと、それに基づきまして、現在の社会の課程認定を受けているところについては、地理歴史または公民のいずれかで課程の認定をいただく必要が出てまいるわけでございます。それぞれの教育課程の組み方によりまして、地理歴史公民両方の課程認定を得ることがあり得るかどうかという問題もございますけれども、再課程認定という作業がその後に控えていることになるということでございます。
  138. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 この改正案については、この件を含めて直接的な質問については本日はここらあたりでおさめさせていただいて、あとは参考人質疑等もございますので、そういう方の御意見も伺いながら、二十九日に予定されておりますので、そのときにまた重ねていろいろな心配のある点について御質問を申し上げたいと思っております。  この改正案について、いい形ですべての関係分野でスムーズに移行が行われていい効果があらわれるようにぜひ進めていただきたいと思うわけですが、この体制あるいは進め方についての大臣の御決意のほどをお伺いいたしたいと思います。
  139. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  免許法案が成立をいたしました場合には、さらに教育職員養成審議会の御意見を承った上で所要の省令改正などの措置を来年三月までのできる限り早い時期に行いまして、そして大学側にも周知徹底させ、来年四月からの地理歴史及び公民についての養成教育の開始について支障がないようにいたしていきたいと存じます。
  140. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 ただいまの御答弁を含めて、二十九日にいろいろお聞きをいたします。  そこで、まだ少々時間がございますので、この教員の問題に関連をいたしましてちょっと御質問申し上げますので、お答えをいただきたいと思います。  私も文教委員になって随分長いのですが、あちこちを回っておりますと言われておりますのは、一般的に世の中にはよい人、悪い人がいるわけですけれども教員にまた焦点を当てると、一生懸命やっていらっしゃる先生が多いわけですから、その点、私も気持ちの上でちょっと心苦しいような思いもします。しかしあえて御質問させていただくのですが、教師のよい人というのは、特に退職された方々で地域のために本当に献身的にやっていらっしゃって、地域の信頼を得ながら、いわゆるリード役、まとめ役になってやっていらっしゃる方が随分いらっしゃいます。こういう方々には私は大変頭も下がるし、日ごろからすごい活躍をなさっておられるなということで感謝も申し上げているわけでございますけれども教師の経験があって、一方、反面悪い人がおります。この悪い人というのは手がつけられないくらい悪い感じの方が間々いらっしゃるようですね。  こういうことの中で、これはいろいろ原因があるのだろうと思いますし、個人的な差もあるというふうにも思うのですが、実は「内外教育」というのがございます。御承知だと思いますが、それを私がこの前読んでおりまして、ちょっとびっくりしたことがあったのです。  私の出身の福岡で調査したことですから、ちょっとただならぬような気がしまして、きょう関連の形で時間をいただいてお尋ねをしたいのですが、大きな見出しで「残酷ないじめの実態浮き彫りに」、こういうふうに出ているわけです。これは日本教育社会学会第四十一回大会のレポートをまとめたものとしてここに掲載されているわけですけれども教師集団の人間関係ということで、この大会で福岡教育大の秦政春助教授が「学校社会の規範状況に関する調査研究(IV)―教師集団の人間関係によるインパクトを中心に」というのを発表なさっておられるようであります。  これによりますと、とにかく私も実態をそれまでそこに焦点を当てて考えてなかったから、これを読んでびっくりしたのですけれども、今子供の間でのいじめというのが随分言われておる、校内暴力を含めて。ところが、うかつなことに私自身もそちらの方ばかりに焦点を合わせておりましたら、これを見ますと、むしろ子供を教える側の教師の方にいじめとかいうようなのがある。それで、私がこれを読んで何人かの先生に本音のところでいろいろお伺いをしてみました。やはりどうも存在するみたいなのですね。  これを見ておりますと、とにかくこっちもびっくりするような思いをするわけですが、この中には、具体的ないじめの例として、これは極端な例かもわかりませんけれども教員同士のいじめには、このアンケート調査の結果を分析すると非常に陰湿で残酷なケースがある。   職員室でのお茶くみ当番が、いじめの標的にされた教師の分だけとばしてしまう。その教師がお茶くみ当番になった時は、全員の分を入れ終わると同時に、みんなでお茶を捨ててしまう。   自分が休んだ時に、職員室のロッカーの位置が勝手に変えられていた。また、職員会議で遅くなって、弁当を注文した際、自分の分だけなかった。何かしようとすると、必ず妨害される。   一人の教師が徹底して無視、仲間外れにされた揚げ句、職員室にも行けない状態となった。仕方なく水筒にお茶を入れて、教室で飲んでいる。トイレは子供用を使う。 いじめられている先生がそういうふうに言っている。それから   標的になった教師の名前を絶対に呼ばない。「オイ」とか「オマエ」である。職員会議では、徹底的に糾弾される。そして、聞くに耐えない言葉でののしられる。   「人間のクズ」とまで言われた教師がいる。飲み会の時に、みんなの食べ残しを食べるように強要された。 こういうことを実際にあったこととしてアンケートに応じた人が自分の経験として書いておられる。  特に重立ったものを集約したので、これが全部だとは思いませんけれども、およそ人間だからそんなことぐらいあるよと言えばそれまでのことなのですけれども、やはり教える立場にある教師の皆さんですから、私は少なくとも子供を教えるという使命感に立って自分の姿勢は正していただきたい。子供の方に、いじめはけしからぬとか校内暴力はけしからぬと言ってやる方がむしろ自分たちの中でそういうようなことをやっているということは、私は極めて遺憾だと思うし、極端に言えば全くけしからぬことじゃないかというふうにすら思うわけです。  だから秦助教授も、ここに書いてあるのを読ましてもらいますと、「ここまでくると、もはや教師であることに疑問を感じざるを得ない」、こういうふうに言っているわけですね。そう述べた上で「こうしたいじめ行為の背景には、さまざまな事情が絡んでいると容易に想像できるが、教師集団の人間関係には、何らかの対立・不和の構造があると指摘した。」こういうことなのですね。  これが福岡県の中でやられたというものですから私はなおさらショックが大きかったわけですけれども文部省当局の方におきましては、こういった問題の実態の把握というものをなさっておられるのかどうか。そして、こういう問題が起こってくる原因というものは一体どういうところにあるのか、そちらの方でもし調べておることがございましたら、お答えをいただきたいと思います。
  141. 倉地克次

    倉地政府委員 今先生から御指摘のあったような実態につきまして詳しく把握はしていないわけでございますけれども、私どもも時々耳にすることがある次第でございます。それは、先生の御指摘にありましたように、話しかけないとかお茶を出さないとか、いろいろあるわけでございます。その原因といいますとなかなか難しいわけでございますけれども、多くの場合は、教員の組合の組織の対立の問題からそういうふうに発展することが多いということを聞くことが多い次第でございます。  ただ、私どもといたしましては、学校の中は校長を中心とした全教師の協力体制のもとに明るく生き生きと運営されるべきだと考えている次第でございまして、都道府県教育委員会を通じまして、校長がリーダーシップを持ってその学校を一体として進めるように、かつ教員の創造性も十分発揮できるようにという点について指導しているところでございます。今後ともそうした指導を十分尽くしてまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  142. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 原因については今細かくはお答えはなかったのですが、これもまたちょっと読ませていただきますと、こういうふうに秦先生は書かれておりますね。   まず校長・教頭と一般教員との対立がある。ある教師学校内の悪習を批判したところ、管理職から「そんなことを言っていると、ここで仕事をしていけなくなるぞ」と脅かされたという(逆に校長いじめや教頭いじめもあろう)。   教員組合の問題も深刻。組合員と非組合員の対立は根が深い。どちらかの多数派が少数派を圧迫する(同じ組合員でも、左右の対立があっただろう。日教組が分裂した場合、抗争は一段と激化する恐れがあるのではないか)。   また、教師の出世志向をめぐる問題もあげられる。「あの教師は校長にごまをすって、出世しようとしている」と誤解されて、いじめに遭うケースがある一方、出世志向の教師が管理職と組んで組合員教師を迫害するケースなどもみられる。   そのほか、男性教師と女性教師、ベテラン教師と若手教師、やる気がない教師や力量のない教師と他の教師の対立・不和があげられる。さらには学歴による差別さえ生じている。四年制大学出身者と短大・教員養成所出身者とで、職員室の机の配置が異なっていたり、地元の国立大教員養成学部卒以外の教師が仲間外れにされたりした例もある。 こんなことが書かれてあるわけですね。  これは私も実態を調べてないわけですし、この先生のアンケート調査でございますから、先生個人が発表していいということで、もちろん匿名でございましょうが、実態というものを自分自身がそのままお書きになったものを集約された問題です。先ほどからの局長の答弁もございましたけれども、私はこういう実態というものを調査していいのかどうかわかりませんけれども、いい意味で子供のためにいろいろと苦労していらっしゃる先生方ですから、少なくとも教室の中では校長を中心にしっかり力を合わせて子供のために頑張れるそういう学校というものをぜひつくっていただきたい、こういうふうに念願しているわけでございます。  いろいろ対応していきたいとはおっしゃいましたが、こういうことを前提に、こういうものを解決していくといいますか、よくしていく方向の何か具体的な考え方というものはお持ちでないかどうか、ちょっとお尋ねをしたいと思います。
  143. 倉地克次

    倉地政府委員 これまでそうした問題につきましては人事主管課長会議などで十分指導などをしているわけでございますけれども先生の御指摘もあるわけでございますので、そうした関係者と一度よく相談してみたい、そのように考えている次第でございます。
  144. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 私もこれを読みまして私なりにいろいろ考えてみたりもして、こういうことも歯どめの一つになるのじゃないかということがあるのですが、これはぜひ御検討いただきたいと思うのです。  一つは、学校の人事ですね。これは大体余り停滞しないように交流はしているようでございますけれども、余り長く人事が膠着し過ぎると、よくない面があるのじゃないか。こういったところは人事異動の面でお考えいただいてもいいのじゃないかな、これがいいのか悪いのか別の面の論議もあると思いますから、そういうものを含めながら御検討をされたらどうなんだろうかと思います。それと同時に、これは当然のことですが、その人事異動については公正にやる必要があるだろうと思います。現場に行きますと、これがえてしてそうでないというような話を私もよく聞くわけですけれども、そういうことがないような形にしなければならないだろうと思います。  それからもう一つは、校長のことも考えなければいかぬのだろうと思いますが、校長の人事の具申権というのが今あるのですけれども、こういうものに対してもう少しこの具申権を強化するといいますか、今は具申権があったって、具申したところでどうもそれがそのとおりにならないというのがほとんどみたいであります。校長が学校を責任を持って運営していくということになると、そこらあたりをもう少し考えてあげてもいいのじゃないか。場合によっては校長がいじめられているという場合もあるようですから、いろいろあるのでしょうが、そういうことも考えてもいいのじゃないか。  それから、随分前にも私がお尋ねしたこともあるのですが、一つは校長のポケットマネーですね。要するに、昔はよく肩をたたいて一緒に飯を食いに行ったりという中で本当につながりができておったというのですが、最近はどうも車で通う先生も多くて、そんな、飲みに行ったりしておると、とてもじゃないが大変なことになると言って、それもなかなか応じない人が多くなったというような話も聞かぬことはありませんけれども、何とかそういういい形で校長が、飯を食うというだけのことじゃありませんけれども、校長の裁量で生かして使えるような金、これは慶弔の問題も含めてであります。それと、やはり個人的に校長がポケットマネーを出してというような向きもあるようですけれども、そういったものもどうも一カ月四、五万程度しか使えないところがほとんどのようですが、それは本当は僕は四、五十万ぐらい使われるような金があってもいいんじゃないかな。実際そういう三十名、四十名、五十名という、大きいところは百名近くにもなるのかもわかりませんが、そういう組織ですと、それ相応にそういうお金を使えるような形にはなっておると思うのですね。そういったことも考えてあげてもいいんじゃないかというふうに思っておりますが、こういった点について、ひとつぜひお考えいただきたいと思いますが、いかがでございましょう。
  145. 倉地克次

    倉地政府委員 人事の期間の問題でございますけれども、私ども原則として、従来から余り長い間一つ学校に在職されるのはいかがかということで指導しているわけでございまして、できるだけ適正な期間で転任されることが適当ではないかというふうに考えている次第でございます。  それから、人事の公正という問題でございますが、これは先生指摘のように、人事は公正に行うべきだということで従来から指導しているわけでございます。  それから、校長の具申権でございますけれども、これは地教行法に規定があるわけでございまして、それなりの意味があるわけでございます。たとえ結果はそのとおりにならないといたしましても、市町村教育委員会が内申するに当たって十分考慮すべき要素ではないかというふうに考えるわけでございます。県教育委員会の方においてもそれ相当の配慮を払うべきだと思うわけでございまして、今後ともその点については留意してまいりたいと思うわけでございます。  それから、校長が自由に使えるポケットマネーということでございます。いろいろそういうお話も聞くわけでございますけれども、現在の会計制度から見ますと、校長さんが交際費として使うお金を公費で準備するということは極めて困難でございまして、その点についてはなかなか実現が難しいというような感触を持っている次第でございます。  なお、今後とも十分これらの問題については指導を徹底するなり検討するなりしてまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  146. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 もうちょっと時間が残りましたので、これは通告といいますか、こういうことを質問しますよということは具体的には申し上げておりませんでしたけれども一つだけお尋ねしたいのは、これとの絡みの中で、六十三年度じゅうにおける教員の懲戒処分、分限処分状況というものが発表になっているわけですが、それを見ますと、病気で休まれている方の中で、精神的疾患といいますか、こういうことで休まれている方がずっとふえてきているという現実があるようですね。  これは実際にこういう病気をお持ちの方は必ずしも学校だけではなくて、会社やどこのところでもこういう状況はあるようではありますけれども、大体いろいろな人のお話を聞いておりまして、専門家に聞いても教員の場合は普通の場合の二倍ぐらいの率で数が多いというふうに言われているわけです。今のいじめの問題とも絡みが出てくるのかもわかりませんけれども、それだけが原因だとは思いませんが、こういう状況についてどういうところに原因があり、これに対する対応をどうしていったらいいのか、今突然の質問で恐縮なんですが、お考えがあればお聞かせをいただきたい、こういうふうに思います。     〔委員長退席、麻生委員長代理着席〕
  147. 倉地克次

    倉地政府委員 適格性を欠く教員、いわゆる問題教員の問題でございますけれども、こうした方につきましては、指導力の欠如でございますとか異常な行動などによりましてその適格性に問題があって教育指導を担当させられない、あるいは担当させることに不安があるというような教員のことを言っているわけでございます。  こうした方々の実態の把握でございますけれども、これはなかなか難しい点がございますが、昭和六十三年度中に精神性疾患によって分限処分休職を受けた方の数は全国で千九十人ということになっている次第でございます。全教員の約千人に一人、病気休職の二七・七%を占めている次第でございます。それから、六十三年度中に適格性欠如によって分限免職となった方もあるわけでございますけれども、こうした方は六人ということになっている次第でございます。  こうした教員の方々についての対応の問題でございますけれども、これは各学校教育委員会において実情をできるだけ早く把握して校長から指導を行いまして、必要に応じて研修センターなどで研修を行わせるなどの措置を講じているところでございます。それでもなおかつ問題がある場合には、休職、免職等の分限上の処分を講じているところでございます。  ただ、適格性を欠く教員の対応の問題につきましては、何と申しましてもなかなか難しい問題でございますので、現在もなお対応が遅いとか甘いといった指摘があるところでございまして、今後とも各教育委員会に迅速かつ的確な対応がされるように指導を重ねてまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  148. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 敏速、的確に対応していただくことは必要だし、非常に結構だと思いますが、ひとつそれが締めつけたりやかましく言ったりというような形にならないように、本当にお医者さんが診断し、はたから見てもこの人は教師としては不適格だ、ほかのことはやれるだろうけれども教師としては不適格だという人も中にはいらっしゃるのだろうとは思います。数が多い中ですから、そうだと思いますけれども、やはり中には精神的なものの中で学校長や教育委員会等のバックアップがあり、本当にその人はせっかく教師の職についたわけですから、何とか立ち上がって頑張れるようにいろいろな形で対応する、温かくというのをぜひお忘れないように対応していただきたいのですが、現場に行くとどうも教育委員会文部省は冷たい、悪人の張本人みたいに言われることがよくありまして、必ずしもそうではないとは思いますけれども、そういう印象を教師の皆さんが受けているという向きも大変あるようです。  そういう意味で、教員自体に対する対応というものも、繰り返すようですが、温かくということをひとつ念頭に置きながら対応して、本当に我々の未来を担うお子さん方の教育をしっかりやっていただけるようないろいろな対応、配慮をしていただきたい、こういうふうに思います。これは大臣からもひとつお答えをいただいて、ちょっと時間が早いのですが、私の質問はきょうはこれで終わらせていただきたいと思っています。
  149. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  御趣旨、全くそのとおりであります。子供に対する影響あるいはまた御本人のこと、そうしたことをきちっと踏まえてこれからもやっていきたいと思います。
  150. 鍛冶清

    ○鍛冶委員 どうもありがとうございました。
  151. 麻生太郎

    麻生委員長代理 次に、中西績介君。
  152. 中西績介

    ○中西(績)委員 教員免許法一部改正に対しまして論議をするに当たって、私は、この問題はただ単に免許法の改正という矮小化されたものでなしに、大きく教育全般にわたるものとしてとらえてみたいと思います。  特にそうした意味で、私、時間制限されておりますから簡単にお答えを願いたいと思うのですけれども、まず第一に、きょうも馬場委員のときにお答えいただいておりましたけれども学習指導要領が試案として明記をされたこの意味、ここをもう一回、私、大臣よりもむしろ局長にただしておきたいと思うのですが、どうですか。
  153. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 昭和二十二年の学習指導要領は大変急いでつくられたものでございます。そして内容も、今の基準としての指導要領と比べますと非常に大部なものになっておりまして、各教科全部合わせますと数千ページに及ぶものでございます。したがいまして、これは当然現在考えております基準という姿からは少し違ったものである。そして、当時、試案と銘打たれましたのは、やはり暫定的な性格を示すものとして試案とつけられたと理解しております。
  154. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、さっきもちょっと問題になりましたように、試案ということの意味、なぜ試案なのか。一番肝心なところを答弁していないのですね。何でしょう。
  155. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 暫定的につくられたものという意味の試案であると理解しております。
  156. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなりますと、強制力はありませんね。
  157. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 当時の学校教育法の委任に基づきます学校教育法施行規則におきましては、現在とほぼ同様の趣旨学習指導要領教育課程編成基準とするということが明記されておりますので、本来予想していたものは現在の基準としての指導要領と同じものであろうと思いますが、先ほど来繰り返しておりますように、当時非常に取り急いでつくられたものという意味で試案と銘打たれた、こういうふうに理解しております。したがいまして、指導要領の性格に関しましては現在のものとは少し異なるものであると思います。
  158. 中西績介

    ○中西(績)委員 一番大事なことは、今言われるように短期間につくった、量が膨大だ、だから十分なものでないということでなしに、この中に書かれておる中身というのは今なお私たちが新しく継承しなくてはならぬ内容というのがあるはずです。私、一々、私に時間を三時間、四時間下さるならそうした論議をしたいと思うのですけれども、少なくともこのことによってすべて現場を縛ってしまうというようなことにはなっていないわけです。ここら辺が今一番の問題になっていくわけでしょう。改訂すればするほど今度はそれが枠になって、にっちもさっちもいかない、画一的になる、管理が強化をされるという格好になってくるわけであります。だから、もう一度原点に返ってこうした問題について論議をしておく必要があるからこそ、あえて時間をとって試案であるということの意味をもう一度私は確認しようと思っておるわけです。  ですから、先ほども馬場委員の方からも指摘をされておったように、特にこの点について、教師自身が研究していく手引であっても、あくまでもこれは指導助言という中身でしかないわけなのですね。これを誤り伝えていくと、前と全然変わらないのだということになると、それでは前にこれに違反をしたといって処分されましたか。
  159. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 学校教育法の体系におきます国の教育課程基準の立て方というのは、先ほど来申し上げておりますように、法制としては変わりはないわけでございますが、これも先ほど来繰り返しておりますけれども、当時は暫定的につくられたものということで試案と銘打たれた。これはテンタチブと訳されておりますが、アメリカでも新しくつくったときはテンタチブと銘打ってしばらくしてそれを外すということもありますし、西ドイツなどでも学習指導要領をつくりますと、とりあえず暫定的につくって、試案、テンタチブという趣旨の明記をすることもしばしばあることでございますので、我が国の場合のこの二十二年の指導要領もそういう性格を持っていたもの、ただし、その後、基準として明確にするために、基準というからにはこれはかなり大綱的なものである必要がありますので、昭和三十三年以来のあのすっきりした形になって今日に至っているということでございます。
  160. 中西績介

    ○中西(績)委員 だから、やはり一番の問題は、試案として出され、そしてそのことは、教師の自由――これが一番大事なんだね。教育の中に自由がなかったら教育などあり得ぬですよ。あなたたちは官僚だから法律に縛られるということ、生まれついてからずっとその中に暮らしてきているからわからぬけれども、現場における実態というのは、自由のないところに教育というのは存在しない。縛られて、その枠の中だけですべてを律していく、これでは教育などということは到底できませんね。だからこそ、あなたたちはことしの教育白書の中に、画一問題が大きな問題になってきておるからこそみずからそのことを反省し始めておるではありませんか。問題はそこなのですよ。  だから、教育の中身まで全部縛られてしまって、例えば東郷平八郎とかなんとか名前をずっと挙げていきますね、そうするとこれはやらなければならぬようになってくるのだ、あなたの言い方からするならば。そういう名前こそ、そのときどきの内容によって自由にやっていいわけですよ。ところが、それを縛るということを言い始めますと、それ以外は物を言えないのです。あなたはそれで教育ができるとお思いですか。     〔麻生委員長代理退席、委員長着席〕
  161. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育にとりまして、自由と申しますか創意工夫と申しますか、要するに教師の権限の幅の大きいことは重要であろうと思います。ただ、教師といえども、これは全くいかなるものからも無制約で自由があるということではなくて、我が国でいいましたら教育基本法、学校教育法、それの委任を受けました学習指導要領、こういうものの中で創意工夫を生かしてやっていただくのが教育であろうと思います。  そこで、学習指導要領を見てまいりまして、これが本当に教師のそういう創意工夫を生かすのを制約しているかという観点から見てみますと、これは最高裁の判決も言っておりますように、大綱的基準の枠内にあるということで、例えば世界史日本史で見ましても、規定していることはたかだか二、三ページのものでございます。それを年間数十時間、数百時間をかけて教えるわけでありますから、そこに教師の創意工夫の生かされる余地は非常に幅広いものがあると私は理解しております。ですから、学習指導要領によって教師をがんじがらめにしたり、教育から自由を全く奪ってしまったりということにはなっていないと理解しているものであります。
  162. 中西績介

    ○中西(績)委員 なるのですよ。あなたたちが中身を詳しく書けば書くほど全部それはなっていく。何ページしかないと言うけれども、それが問題なのであって、がんじがらめではないですか。特に今度の改訂の場合には、枠をつくるわけですから、それがまたさらに拡大をされて抑え込まれてしまう。そして、先ほど言われるように、無法的に自由ではないのですよ、自由というのは。無法が自由ではないのですよ。あなた、自由という言葉知っているのですか。そういう物の言い方をするところに、またごまかしがある。だから、あなたたちが教育の現場について本当に知っておるかどうかが問題なのです。そして、約束をしておっても、正式に交渉して約束しておったものを平気で打ち破るでしょう。無視するでしょう。そういうことをまた平気でやるのですから。その特徴は、私はここでもう名前が出るといろいろありますから言いませんけれども、どれほどたくさんあったか。そして、すばらしい人みたいに見えるけれども、地方に来て自分の嫁が物を買いに行くときに、徹底して教師は縛りそして処分をしていく人が、自分の嫁のためには自動車を出し買い物に職員をつけてやるなどということを平気でやっておるじゃないですか。  そういう事実を知った上で私は言うのです。あめとむち。ですから、その人の裁量一つでそれがどうだこうだということになるのですよ。その人が指導要領に反しておると言ったら、そうなるのです。それが今の現場の実態を暗くし、子供たちの勉強を嫌な方向に追いやってしまう。今まで職員会議は一切開かずに上意下達方式にやっておったところが、事件が拡大されて地域的に広がっていくと今度は職員会議をやって自分の責任逃れをしている。こういう体制というのは大体だれがつくったのですか。そういうものとこの問題は全部関連づけられていくのです。なぜなら、一人の教師がまじめに自由にやっておる、子供たちの意見を、父母の意見を十分しんしゃくしてやっていく、多くの人から物すごく慕われておる教師が今度どうされるかといったら、職務命令に違反したということだけでやられるわけでしょう。指導要領に反したということだけでやられるわけです。これをやる時間が長くなるとなくなっちまうからやめますけれども、私は、ただ矮小化してはならないと言うのです。  そこで、お聞きしますけれども、私は少なくともその試案というものの意味は、あなたが言われるようなことだけとはとらえてない。なぜなら学者の皆さんなんかが全部、立論するときにはこれを採用するのはなぜか。その実態と中身とそしてその経過というものがあってこの試案というのがみんな理解されたし、そのことがいかに重要視されたかということをあなたは何も見てない。そうとしか言いようがないのです。  そこで、日本教育の問題点として画一的で硬直化していると指摘されておる。そのことはこの前認めましたね。臨教審も管理主義の排除と学習指導要領ももっと大綱化すべきと提言をしておるわけですね。学習指導要領教科教科の目標、教科時数等の大綱的基準にとどめ、都道府県・市町村教育委員会あるいは各学校が創意工夫できるような指導助言文書にしないと日本教育というのは、特に私立の場合にはこれは制限されておりませんからね。公立学校の場合にはとめどもないところまでいってしまうんじゃないかということを、教育の現場じゃなくなるということを一番懸念するわけでありますけれども、この点、どのようにお思いですか。
  163. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 学習指導要領を定めますときには、国民に共通の教育をするという教育の共通性の要素と、それから先ほど来御指摘がありますように子供たちの実態に応じて教師が弾力的に教育活動をする、このいわゆる弾力性の要請、この二つを加味してその調和点において学習指導要領が定められるべきものだと思います。そして、今、現実の学習指導要領はそういう趣旨で定められている。ですから、これは若干の細目もございますが、例えば漢字とかそういう細目を定めざるを得なくて定めているところもございますが、基本的には大綱的基準の枠内にとどまっているものである。これは最高裁の判例も既にそれを認めているところでございます。  ただ問題は、先生指摘のように、教科科目、時間数程度にとどめるのが大綱ではないかという御議論がございますが、しかし、世界の諸国を見ましてもそういう教育課程基準を定めているところはないわけでございます。唯一イギリスが実はついこの間まで教育課程の国の基準はなかったわけでございますが、先般サッチャー首相が来てテレビでもそのことをインタビューで談話のときにお話しになっていましたように、イギリスも昨年、教育改革法をつくりましてナショナルカリキュラムをつくるということを決めたわけであります。そして現実に英語と、いわゆる向こうの国語でございますが、数学と理科の向こうのナショナルカリキュラムが出てまいりましたけれども、その内容我が国指導要領の決め方とそんなに基準の範囲としては差異はないというふうに私は理解しております。
  164. 中西績介

    ○中西(績)委員 外国のを聞いておるわけじゃありません。今あなたたちがどうするのかということを聞いておるのであって、このような大綱を――いろいろたくさんの問題があるわけでしょう。例えば画一性についてどうなのかということについてもう一度私はお聞きいたしますけれども、じゃああなたたちが言われた画一的あるいは硬直化という問題については、これはどこから出てきたのですか。
  165. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 画一性の問題につきましては従来から指摘がございますし、臨教審等でも指摘がございました。そして、我が国学校教育の実態を見ますに、教育の共通性ということを明治以来大事にしてきた、そしてそのために国民全体の教育レベル世界の中でも評価されるような高い水準に達した。しかし、その反面としていろいろ、教育が画一的ではないか、硬直的ではないかという指摘がある、そういうことを白書では述べたわけであります。
  166. 中西績介

    ○中西(績)委員 それは何から出てきたのですか、何を原因にして。具体的に言ってくださいよ。
  167. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 この場合はいろいろございますので、例えばあそこで制度の硬直化等の指摘をしておりますが、編入学一つとりましても、カリキュラムが実際上こちらの学校とこちらの学校が合わないということで学校の編入学がスムーズにいかないとか、外国から帰ってくると日本のカリキュラムに合わないというので編入学がうまくいかないとか、そういういわゆる硬直化した、ないしは画一化した制度じゃないかという御指摘もありまして、これは学校教育法の施行規則を改めましょうということで直しているわけで、例えば高校の入学試験制度をとりましても、ずっと県一律で一括してやるということが画一的ではないかという御指摘もございますし、それからこの前もちょっと申し上げましたが、校則一つをとりましても、非常に学校が硬直化した校則の取り扱いをしているのではないか、各所いろいろなところにそれが出てきているわけでありますので、そのことを申し上げているのであります。
  168. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、なぜそうなったかということを聞きよるわけです。だから、どうもようしゃべるけれども、私が聞いておることについては触れぬです。一番肝心なところでしょう。なぜそのようになったか、何が原因なのか。今あなたが言われるのは現象を出しただけでしょう。そうでしょう。それはなぜそういうようになったかということを聞きよるわけですよ。だから、もうちょっと素直に私の言うことを聞いて答弁してください。
  169. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 要するに、教育の共通性というものを非常に大事にしてきた、そういうことからこの画一化、硬直化の問題が起きているんだということは、先ほど来申し上げているつもりでございますが。
  170. 中西績介

    ○中西(績)委員 わかりません。具体的に言ってください。
  171. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育の共通性ということで、これはいろいろな制度とか内容とかに分かれるわけでありますから、それらを大事にしてきた、ないしは厳密に考えてきたということからそういう問題が起きている、そこで、直せるところは直していこうということでございます。  先生は恐らく学習指導要領が原因でそういうことが起きたのではないかということをもし御質問でありましたら、私は学習指導要領が原因でいわゆる教育の画一化、そのすべての原因が指導要領にあるというふうには考えていないものでございます。
  172. 中西績介

    ○中西(績)委員 だから、素直に答えてくれというのは、そうなんですよね。私は、学習指導要領がどうだこうだということを言っていないのです。例えば、あなたが言った、生徒の服装規定だとか校則だとかいろいろなもの、現象は言っているのですよ。ところが、それがどうなのかということは言っていない。問題はそこなんですよ。  なぜそういう画一化が起こってくるのか。今あなたが言ったから私は例にとっておるけれども、校則でがんじがらめに仕上げて、もうまゆの上から何センチだとか幅が何センチだとか、あらゆるものを百何十、二百近くも校則なんというのは決めてあるわけでしょう。  では、なぜそういうものが出てくるのですかと言うのです。そこが問題なんでしょう。
  173. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 校則の例で申し上げますと、これはもちろん学校が決めるものでありますから、学校の決め方でございますのでいろいろなものがあろうと思います。今おっしゃいましたように、非常に細かく決めている学校もございますし、ごく簡単に決めているところもございます。こうした対応につきましては、学校がそれぞれ生徒の実態に応じて対応していくということであろうと思います。  ただ、なぜ何百も決めるようになったのかということは、これはまた学校によっていろいろ理由なり背景があると思いますけれども一つには、やはり教育というものを非常に熱心に一生懸命考えているということの結果かもしれません。しかし、それが本当に子供たちにとっていい対応であるかどうかということにつきましてはやはり考え直さなければいけないということで、私どもは校則のあり方については、各学校の実態に応じて弾力的に見直してほしいというようなことの指導もしているのであります。
  174. 中西績介

    ○中西(績)委員 今たまたま熱心という言葉が出てきたのですね。こういう、熱心であればいいというわけにはいかぬでしょう。だから、その方法なりあるいは手段というものを選ばなくなってくるということになるのですよ。なぜか。管理するからでしょう。画一的であり、統制であり、そうなるとなりますよ。その中から枠をはみ出ると、その人は最も問題のある教師だということになるでしょう。  ですから、文部省に今流れておるそういう考え方、思想といったらいいのか、文部省哲学といったらいいのか、こういうものが変わらない限り、幾ら手先で物を当たって変えたって何にもならないということなんですよ。そして、文部省の皆さんがすぐ処分ということを言うわけでしょう。だものですから、あなたたちが今強行しておる、強要しておる管理された勉強会、研修、意見を言うと講師を誹謗したと言って処分される。だから、意見を言おうとすると、今度うわっと集まってきてやるなと言って抑え込む。  だから、もとはどこにあるのか。ここを追及せぬと、なぜ私がそのことをきょう強く言うかというと、福岡県、二十数年間、全部教育長、次長、どちらかでしょう、そして、教職員課長でしょう、みんな文部省から来るわけですよ。来て二年間、全部自分のやりたいほうだいのことをして帰るわけですよ。二年だからそのことは簡単にできるのですよ。  そういうものがあって今度の教育課程の問題に移っている、いかなければならぬようになるのだ。一番の根幹になる部分がやはり反省なり問題になっている。みんなでお互いに話し合ってそのことがなくなる。これならということを我々が合意できるような状況にならない限り、私は大変な状況だと思いますよ。  だから、私が所属する学校の場合などでも、小学生の時分だったら五つぐらいの輪切りですよ。そして一番下の子が来たって、まだ厚みがあるのですよ。拡大してこれが二十幾つになり、しかも二十キロも三十キロも離れたところから子供たちが通ってくるようになる。そのために今度輪切りにすると、二十幾つで切られた一番底辺の子供たちが例えば来たとする、どうなるか。だから、今度私たちが子供たちを本当に高等学校教科書が読めるぐらいにと思って一生懸命やる。二つクラスを分ける。その負担というのは大変なことですよ。クラスを二つにする。そして、一年生のときには小学校、二年生は中学、三年生になって高等学校教科書を採用してやるようにしたのです。そうすると、隣の学校、同じレベルより以上にある学校よりもこれの方がうんと伸びるのですよ。それがわかっておるから、そうしたものを今度は県教委にこのようにしてやりたいということを持っていきます。  そうすると、どうでしょう。絶対してはならぬと言うのですよ。それでも現場の実態としてはそれを超えることができないから、もう無理してやるわけだ。処分されますよ。処分の理由を読んだら、何ですか、指導要領から逸脱しておるということですよ。どうなんですか、問題はそこなんですよ。そういうことが平気で行われているわけでしょう。我々の同僚が何人も減給処分になりましたよ。たまったものではないです。  だから、今度私がここへ来て皆さんに要求して論議をしてもらって、習熟度別というのになって出てきたけれども、定数がついたのですよ。しかし、それはあくまでもそういう学力の低い子供たちのためにつけるのだというのだけれども、またこれ、画一的に全部配分をしてしまうから、ちっとも役立たぬ。全国で五、六千教師が増加されたけれども、本当にそれが役立っているかといったら、そうなっていない。これも画一的なんです。ですから、今言うように時間数にしても、それは小学校授業をしたらいかぬというのはわかっていますよ。しかしやらざるを得ない。指導要領だとか教育課程だとかいうものは、その現場に合った、実際に生きる教育をさせるようにしてもらわぬと、これがあるためにどれだけみんなが苦労するかということを考えなくてはならぬのじゃないですか。  そうした意味でもうちょっとあなたたちは、画一的という言葉だって何だって、何でこうなったかということを本当に追及しないでその言葉だけで逃げていくというようなやり方はいけません。だから、少なくともこうした点についてもう少し本当に生きた言葉を使ってください。生きておる、それが実際にみんなに勇気を与えるような言葉にしてください。これが今文部行政の中に一番問われていることじゃないかと私は思いますが、感想はどうですか、大臣。
  175. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 ただいまいろいろ御指摘がございましたが、学習指導要領は非常に弾力的に規定しております。特に高等学校の場合は、百人のうち九十四人まで高等学校に行っておるわけでありますので、非常に多様な生徒がいる。ですから、その授業というのは本当に御苦労が多いと思います。したがいまして、そういうときには子供たちの実態に応じた弾力的な授業ができるように、例えば指導内容の一部をカットしたり、ないしは軽重をつけたり、それから数学Ⅰに入れない子には各学校で工夫して例えば数学基礎という科目をつくって、やさしいステップからそれに到達できるようにするというようなことも今の指導要領でできるようになっております。  したがいまして、本当に先生子供たちの実態に応じて真剣にまじめに取り組まれて、それによって指導要領違反の処分を受けるなどということは全く考えられないわけでございます。
  176. 中西績介

    ○中西(績)委員 それでは福岡県教委、文部省から派遣された人を今度、私そのときのあれをちょっと今覚えていませんから、はっきりしたときには処分してくださいよ。我々現場は全部処分されたのですから。文部省から派遣されている人がやっているのですから。いいですね。
  177. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今申し上げましたように、指導の実態を子供たちのためにいろいろ工夫してやって指導要領違反を問われたということは考えられないと思います。  伝習館高校のように全く指導要領を無視して授業をやっておれば当然処分の対象になりましょうけれども、今の子供たちの多様な実態に応じた真剣な取り組みが直ちに指導要領違反ということは考えられないと思います。
  178. 中西績介

    ○中西(績)委員 何で伝習館高校の名前を出したのですか、局長。私は伝習館高校とは言っていませんよ。私のいた学校ですから。それを何で伝習館高校と言わなければならぬのですか。私はそういうやり方がいかぬというのですよ。私の学校は伝習館高校じゃありません、いた学校は。実際に処分されているのですから、教務を担当している人、そのクラスを担当している人、みんなやられているじゃないですか。しかも伝習館高校の場合だって、二名の処分は余りにも過酷だということになっているでしょう。だから、例にいろいろなところをとるようだけれども、私がまともに答えてくださいと言うのはそういうことなんです。伝習館だとかいう問題ではないのです。  時間がたってしまいましたが、それでは大臣、今までの論議をお聞きいただいたと思うのですけれども、今現場は本当に大変な状況になっています。ある教師が組合の仕事をすると、教頭はその人のしりについて回るのですよ。そして全部チェックするのです。むだでしょう。教頭制度なんて、定数つけていつもやっているけれども、あれは大変なむだ遣いですよ。授業をやらせた方がよっぽどいいですね。そうしないと、結局本人が何かをやって目立つようにしないと今度は自分がやられるのです。  おもしろい例を言って聞かせましょうか。私が行きますね。教頭がおらぬときの校長は生き生きとしておるのですよ。さあどうぞと言って、入っていろいろ話をして、職員にも話ができるのです。教頭が帰ってきたら、直ちにやめてくれと言うのですよ。この事態は何ですか。残念でしようがないのです。結局お互い監視し合って、そして県教委に全部報告ですよ、夜十時。そのための電話までちゃんと特設されているのですから。だから、もう教育の現場ではないと私、言っているのです。  先ほど私が言った、わざわざ倍近い授業をしながら、努力をしながらやっている人たちがやられるということは、そのことで生徒たちが伸びているわけですから、本当に僕らは喜んだのですよ。ところが、それが今度は厳重に減給あるいは戒告ということになると、もう本当にそこには――だから、文部省から来た人は文部省に帰るためには何かお土産を持って帰らなければならぬ、そういう悪循環でみんなそうなっているでしょう。  それはうそだと思うなら、今度私がお供をして鳩山委員長のもとで現地調査をやらせていただく。そして現場の教師たちに本当のことを皆さんに訴えてもらう。第一、県会議員が調査に行ったときに、今までだったらこうしてほしいというものを全部文章にしてそこの地区の校長が出していました。今は出さないのですよ。なぜ出さぬかということを県会議員諸君が聞いたところが、県教委から怒られるのですよ。そこまで来ているのです。こういう話、私が作り話をしますか。私はうそを言うあれじゃありませんから。だから、そういうものが底にあって、今度はこういう教育課程の問題だとか指導要領だとかにかかっていくと問題だから私は時間をかけて言っているのです。  さっきの、できない子たちが今度は逆転しまして隣の学校よりも学力的にはある程度高くなるという現象が生じた、そのやり方に処分することは正しいですか、どうですか。
  179. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  委員指摘のことは特異な事例ではないかなというふうに私は思います。私の地元のことを考えてみても、さてなという気がいたしております。  いずれにいたしましても、そのことはそのこととして、さてどのようなことが事実であるかなということも考えねばなりませんけれども学習指導要領そのものは全国的に一定の教育水準を確保し、実質的な教育の機会均等を保障するために国が学校教育法に基づいて教育課程基準として定めているものでございます。  そこで、学習指導要領指導すべき大容を示すものであり、その枠内において地域や学校の実態に応じて学校教師が創意工夫を十分発揮して教育課程編成、実施できるようにしているところであります。
  180. 中西績介

    ○中西(績)委員 いや、あなたの方のことではなくて、特殊なものだと言うけれども、それが何カ所もあったら特殊でなくなるのです。だから私はそこだけではないと言っているのですよ。  ですから、私が少なくとも先ほど自由と言ったのは、研修においても同じことが言えるのですよ。かつての研修というのは、例えば生徒指導などの研修は、みんなその地域で本当に生徒指導をやっておる人たちが集まってきて、全県下から集まるのだから、今度はどういうテーマでやろうかということでテーマ設定をするのですよ。そうすると、今度どうなるでしょう。今は指名された者以外は研修に行ってはいけないことになっている。学校で選んだのではだめなのです。まずそこが違う。そして、テーマは県教委が決める。ですから、つくられたものの中でしかやらせないというのです。そうすると、自由なあれになりますか。一番肝要なものになってこないでしょう。必要な討論になってこないでしょう。それを指摘をしたり、いろいろなことをやると問題になる。  今あなたがおっしゃるように、かつても私がこの話を持ち込んできて、二つを並べてどちらをあなたは選ぶかということを大臣に選んでもらったら、自主的にやる方を選ぶのですよ。それならと言って私が福岡県の例を出して、こういう問題についてはぜひ改めるようにしたいということを言うと、福岡県は県の独自性と教育の自治があるからそれはだめです、こういうことになってしまう。全部返答はそうなのです。文部省の答弁というのは画一的なんです。ですから、あえてこれを時間をたっぷりとってやったのは、そういう物のとらえ方なり考え方というのが中にあってこういうものをつくったって大変なことになるということを危惧をするから私は時間をかけてやるのです。それが間違いだというなら福岡県に私と一緒に行きましょう。全部私が案内しますから。本当に残念でならぬわけですよ。  それで、今福岡に行っている方もいらっしゃるのですよ。かつて福岡県にいて、今私立学校に行っている方がいる。理事長をやっておりますよ。この方なんかは、今度は、今まである慣行を全部破棄ですよ、私立学校で。地方労働委員会で何を言っているかと言ったら、経営者側も公益委員も、こんな人が文部省におったのかと言うのですよ。民間の経営者から言わせると、もう前世紀的な遺物なんです。先ほどの局長が言う法律ということになると、それがまかり通るわけです。だから私があえてこのことを強く指摘するのもそこにある。おたくから出た人は平気でうそを言うでしょう。高石君が言い、福岡に行った教育長だって言ったでしょう。変なうそを言うのだよ。だから、こうした中でこのようなものがつくられていって強弁されていくと大変なことになることを私はおそれておるのです。  そこで、もう余り時間がありませんから、具体的に聞いていきます。  先ほども論議されておりましたけれども社会科を二教科に、地理歴史公民と二つに分けましたね。ところが、先ほどちょっと言っておりましたけれども、朝倉隆太郎さんと平田さんは何で辞任をなさったのでしょうか。それと中島章夫文部審議官は、定年にもならないのに今何か聞くところによると、民間の教育機関に行っておるそうですが、大体審議官以上になると天下るはずだけれども、この人は天下ったのですか、それを教えてください。
  181. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今回の教育課程改正に当たりまして、協力者でありました朝倉先生と平田先生は六十二年十二月二十八日で辞表を出されております。私どもとしましては引き続きお願いをしたわけでありますが、お二人がおやめになりました理由等は辞表には特に書いてございませんが、一般的には、今回の教育課程社会科の再編成について本意でないというふうに言われております。
  182. 中西績介

    ○中西(績)委員 平田さんもですか。
  183. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 朝倉先生と平田先生両方でございます。
  184. 中西績介

    ○中西(績)委員 中島章夫審議官ですか、六十三年六月にやめておられますけれども、この方はふだんだったら、審議官くらいだったらどこかに天下るのですが、これは天下っておりますか。
  185. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 私も中島審議官がどういう理由で文部省をやめられたかは詳しくは存じませんけれども、今回の指導要領の改訂関係があるという話は一切聞いておりません。  それから、中島さんが再就職しましたのは民間会社でございまして、一応文部省をやめてからというよりか、途中からやめていっておりますので、私は転職というふうに思っております。
  186. 中西績介

    ○中西(績)委員 もう一つお聞きします。  小西さん、高等学校課長、ふだんの場合は、こうした大変重要な時期に転勤させられるのですか。
  187. 國分正明

    ○國分政府委員 小西課長の横浜国立大学の事務局長転出の件でございますが、私どもかねてから国立大学事務局の活性化ということで本省課長レベルとの交流等もやっているわけでございまして、特別の理由があるわけではございません。一般的な人事として行ったものでございます。
  188. 中西績介

    ○中西(績)委員 お聞きすれば全部そうでしょう。朝倉さん、平田さん、理由はわかりません。中島さんも、民間ですから転職をなさった、こういうことですね。  明らかになっておることは、例えば朝倉さんの言っておられること、これは報道されておりますから私が申し上げても問題にはならないと思いますけれども、「私は右寄りだ。しかし、戦後教育の柱である社会科を通じて民主主義を根付かせることに人生をかけてきたんです」、しかし、今度の改訂は、社会科関係では圧倒的な人が、これを見てみますと、歴史教育者協議会、日本社会科教育学会、全国社会科教育学会、日本地理教育学会、そして現場の教師、こういうようにみんな反対、そして先ほど言っておったこの委員会の中を見ましても圧倒的な数でもって改訂に反対をしておられるという数字が出ていますね。  ところが、こういう現場の人も、それからこのようなあらゆる人、そして今度はもう一つ大事なことがございますね。この中の教育学会の一つである梶さんを会長にする、こういうところの人が役員全員あるいは評議員、幹事、全部が署名、捺印して出したところが、先ほどから答弁のあっておる五百七十二人、指導要領作成協力委員というのがいるそうでありますけれども、本来だったらこういう重要な時期というのはほとんどかわらないんだそうですけれども、七人は解任、百二十三人は再任をされなかった。こういうのはもう本当に特異だそうですね。こういうように、あらゆる学会だとかこの関係のところが反対だと言い現場も反対、だのにこれをなぜ強行したのか。その点、私たち非常に奇異に感ずるわけであります。この点、どうでしょう。
  189. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 学習指導要領の作成協力者会議というのは、御指摘のように大変たくさんの方々で構成されております。高等学校の場合の社会科関係に限って申しますと、四十六人のメンバーでございますが、再任されなかった人がございました。これは要するにちょうど任期が来ておりましたので、いずれにしても任期がえないしは新しく補充ということになるわけでありますが、その再任に当たりましては、私どもとしましては、非常に会議の回数が多うございますので、常時会議に出席して協力を得られる方とか、それから答申で重視すべきとされました内容に精通していらっしゃる方、あとは大学関係者とか高校関係者のバランスを配慮して構成するわけでございますが、このたびの答申で示されました考え方について、やはりそれに基づいて指導要領をつくる会議でございますので、その答申に十分理解を示して積極的な参加が得られる方をこの協力者会議に選んだということでございます。
  190. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、先ほどから申し上げるように、例えば社会科教育学会というのは五回にわたって意見書なりいろいろ考えていることを提出をしているわけですね。特に五回目の場合は、今言ったように学会全役員、会長、副会長、評議員、幹事全員、しかもこれは一人残らず署名をしておるという特異な状況もあるわけです。そして意見聴取して意見を反映させてほしいと要請をしたけれども、これは実現しなかった。そして今言うように七人は解任、百二十三人再任されなかった、しかも主査の皆さんなんかやめさせておるのに連絡もなかった。だから、その人たちが言っておるのは、道徳教育重視の文部省がそういうことも無視してかかるという、まさに高石さんに象徴されるような体質というのが全面的に出てきておるのではないかということを言っておるわけであります。そして、おっしゃるように、やはり教課審の答申趣旨に沿って御審議いただけるような方々だけお願いをしましたと、今うそぶいておるようであります。  ですから、このやり方をずっと考えてみますと、社会科を解体するということが先にあってやられたとしか考えられない。諸澤さんがどうしたのこうしたの、諸澤さんが入って発言していいか、そういう問題だってあるわけでしょう。なぜ私はそのことを言うかというと、この方たちも皆さんがつくっておる社会科の部会の中に入ってきておるわけですから。そこで正式に発言をして取りまとめをさせておるわけでしょう。だから、やっておることをずっと日時的に細かく追っていきますと、これは異常なやり方でやったな、こういう感じがしてならないからであります。  したがって、今度のこの問題はただ単に指導要領の改訂ということだけでなしに、その裏に文部省の体質がそのまま出ておるとしか考えられないようなことがたくさん隠されておると私は思います。ですから、先ほども言っておったように、高石さんが中曽根さんと二回会って、それを今度は皆さんのところに持ってきて伝えておるわけですから。さらにまた文部次官あるいは局長クラスが同じ時期に高校分科会委員あてに徹底した電話をかけて対策をしておる。歴史独立協力要請をした。  そして、さらに私は非常に不思議に思いますのは、さっきも出てきておりましたけれども、今言う高校分科審議会、これでまとまらなかったら、今度は社会科教育懇談会という諸澤氏が座長になって私的なものじゃないかと言われていますけれどもね、ここで協力者会議の主査六名、それに木村、田村、上寺兵庫教育大の学長が入って、こうした内容について決め、十一月十三日の高校分科会に懇談会での結論を発表し、そしてこれが原案として採用されていったという経過ですね。問題は、従来であると新しい教科のねらいあるいは内容について趣旨説明されておったけれども、今回はそれがされてない。だから、これを知っておる人は、余り急だったから事務当局も対応できなかったのかなというようなことをちょっと漏らしておりました。  ですから私は、さっき名前を申し上げました二名の方、朝倉さんにいたしましても、平田さんにいたしましても、かつては文部省教科書の調査官をやられた方たち、随分文部省で協力をなさってこられた方が何でこのようにやめなきゃならぬかということを類推をしたときに、余りにも強引であったということがそこからうかがい知ることができるわけであります。私は、教育というのはこのようなことで推移して――あなたはさっき、二年前から手がけてきておりました、こう言うのです。二年前からずっと最後ごろまでは先送りになっておったものが急遽このようにして決められていった。ですから、今なぜそれをしなくてはならないのか、その理由を聞きたい。
  191. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 これは重要な改正でありますので、先送りとおっしゃいますが、十分時間をかけて慎重に審議した結果であるというふうに考えます。  それから、この今回の改訂は、もちろん教育課程審議会で十分御審議いただいたその答申に基づいてつくっているわけでございます。今回の改訂は、戦後の社会科の中で、歴史地理教育社会科という一つ教科の中で実施されてまいりました。しかし、これについては、先ほど来述べておりますように、いろいろの経緯がございまして、中央教育審議会とか臨時教育審議会でもそれの見直しの指摘がされてきていたわけであります。  そこで、今回そうした経緯を踏まえまして、審議会で慎重に十分御審議いただきまして、そして地理歴史科公民科を設けることにしたわけでございますが、その趣旨は、一つ高等学校生徒発達段階に応じてこれらの科目専門性系統性をもう少し強めようということでございます。それには、昨今の国際化進展に伴います社会の大きな変化というのがございます。国際社会に主体的に生きる日本人として必要な資質育成する、そのためには我が国文化伝統理解するにとどまらず、広い世界的視野のもとに日本を相対化して見る、そういう国際的な資質が必要であるということが一つ。(中西(績)委員「それは読みましたからいいです」と呼ぶ)それからもう一つは、公民的資質育成を図ろう、こういう趣旨から今回の再編成が行われたということでございます。
  192. 中西績介

    ○中西(績)委員 国際的云々だとかいう言葉だけがひとり歩きをしています。しかし、本当に人間というものを大事にする、この思想なしに世界史を勉強したら国際性を養うことにつながりますか。今、日本経済的に優位になったということで大変な迷惑をかけたり、平気でやっているでしょう、もうけさえすればと。  だから、やはり今一番大事なことは、地球規模的に物を発想し得るような子供たちをということになると、人種差別をまずなくしましょう。ところがどうですか、今や朝鮮人学校子供たちが大変な被害を受けておるといわれています。それはなぜかといったら、総理大臣である者が、日本には少数民族はいないなどということを外国へ行って平気で演説をするような人が政治を行っているからじゃないですか。その人が、この臨時教育審議会でしょう。言葉は羅列されていますよ、落ち度がないように。先ほどから申し上げる文部省のそうした体質、このことが私は変わらない限り――今度のこれをするに当たっても全部指摘しているわけでしょう。  確かに私は、それを推進するという資料も見せていただきました。これは経済同友会ですね。それから、これは協和と書いてありますから、財団法人協和協会会長岸信介、教育部会外会員一同という資料も見せていただきました。それから、これは日本教師会、六十一年の一月と十二月に、残念ながらこの資料が手に入りませんでしたから十分ではありませんけれども、この人たちのを読んでみましても、私は、これよりも教育学会の皆さんだとか、こういう方々が出しておられるいろいろな資料あるいは内容の方が大事じゃないかなということを感じます。こういうものは全部要請資料に出ていますからね。この点については皆さん方が、教育課程審議会の会長だとか何とか出ているわけですから、皆さん方も目を通されたと思うわけであります。  いずれにしても、この社会科を解体することの意味は、さっきの朝倉さんじゃありませんけれども、本当に戦後教育の柱である社会科を通して民主主義を根づかせるために私は頑張ったということを言っておられることが物すごく私たちを打ったわけですね。ここいらが、世界の情勢の変化だとかいろいろなことを理由づけて今社会科関係の中で論議されても、ほんのわずか一握りの人の意見がこのようにして生きていく。最後、決定するときだってそうでしょう。あの中には社会科教育の専門家は一人もいないのですよ。そのことをあなたたちは知った上で言われなくちゃならぬと思うのですね。そうした点をぜひお考えいただいて、私が指摘をするようなことが今本当になくなるということが前提でなくちゃならぬと思います。  したがって、飛び飛びになったり、全部を系統立ててやっておりましたけれども、時間がありませんでしたので、こうして指摘をいたしましたけれども、私は今度のこの改訂ということはかつての誤った統制強化あるいは管理強化、こういうことにつながっていく気がしてなりません。これは、生活科の問題もありますし、あるいはきょうできませんでしたけれども君が代・日の丸の問題もあるし、天皇家の取り扱いの問題だってそうでしょう。全部あるわけですから、もう一遍一般質問のときでも時間があれば具体的にやらせていただきたいと思います。  ただ、ひとつ大臣、私が指摘したようにならないようにしていただきたいと思うけれども、これについてのお答えだけいただきたいと思います。
  193. 石橋一弥

    石橋国務大臣 委員の見解は見解としてありがたくちょうだいをいたします。ただ、私といたしますと、やはり基本である憲法、教育基本法、そのような上に立ってこの問題もきちっとしたものでつくり上げられた。いろいろな意見があると思います。しかし、どこまでも主体的な考え方を持ってつくり上げた、こう考えております。委員の意見につきましては、十分その意を体していきたいと考えます。
  194. 中西績介

    ○中西(績)委員 終わります。
  195. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、中野寛成君。
  196. 中野寛成

    ○中野委員 教育職員免許法改正案について質問をいたしますが、法案自体だけではなくて、その関連する周辺の諸問題についても若干お尋ねをいたしたいと思います。幾つか質問通告はしているのでありますが、若干順番を変えさせていただいて、本来の教員免許法関係のそのもととなります教育課程関係につきましてまずお尋ねをさせていただきます。  戦後、社会科が果たしてきた役割につきましては先ほど来るる論じられてきたところでありますが、今回の社会科の再編成によって従来行われてきた民主主義教育が損なわれるという見解もありますし、先ほど来そういう観点に立っての質問もありました。なぜ再編成しなければならないのか、なぜ再編成すればよりよいものが生まれるのか、その再編成の積極的な目的と、そして今度は逆にこの時点に当たってしなければならないという必要性、その両面から文部省のお考えをお聞きしたいと思います。
  197. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 まず、高校社会科の再編成趣旨等でございますが、これは先ほど来申し上げておりますように、戦後、社会科ということで歴史地理公民等の教育が行われてきたわけでありますけれども、このこと自体、一つ社会科という枠の中でこうした教育をすることについてはいろいろな御意見がございました。論議がございました。特に、中央教育審議会では五十八年に既に再検討を指摘しておりますし、臨教審の答申でもその旨指摘しているところでございます。したがいまして、これは社会科、とりわけ高等学校社会科教育のあり方としては一つの大きな課題であったと思います。それから、諸外国状況を見ましても、先進諸国のうちアメリカ以外の多くの国といいますか、ほとんどの国では、歴史地理公民という教育は分けて行っておりますし、とりわけ中等教育段階では子供たちの発達から見ましても、その専門性系統性というものを重視してそれぞれ独立した教科としているというのが実態でございます。  そこで、今回の学習指導要領改訂に当たりましては、これが大きな課題として二カ年にわたって慎重な審議が行われた。そしてその結果といたしまして、社会科の再編成ということで地理歴史科公民科を分けたわけでございますが、その理由は、まず高等学校段階になったならば、小学校社会科中学校社会科の場合は歴史地理公民とそれぞれ三分野に分けてかなり専門的系統性を意識して指導しておりますけれども、その上に立つ高等学校でございますので、そこはさらに専門性系統性を強める必要がある、そのためには教科を分けて、そして同時に教師もそれぞれ専門の資質を持った人たちをそれに充てるということの方が高等学校教育としてはより適切ではないかということでございます。  こうしたことが今回の改訂でとりわけ大きな改革の一つとなった背景としましては、やはり時代の要請というものがあろうと思います。一つは、国際化の進みます今日、二十一世紀に生きる子供たち国際社会に主体的に生きていく日本人として十分教育しなければならないわけであります。そのためには広い世界的視野のもとで日本というものを相対化して見る、空間、地理という面からも、それから時間の流れ、歴史という面からも日本というものを世界の中から広い視点で相対化して見る資質というものが必要ではないだろうか。  それからもう一点は、昨今の社会の急激な変化に伴いまして、青少年の社会の連帯感とか責任意識とか、そういうものがひどく低下しているという指摘がございます。国家社会構成する一員としての自覚を深めて民主的、平和的な国家社会進展に寄与する青少年を育成するためには、やはり公民的資質というものを重視しなければならない、こうした二つの視点から今回社会科高等学校では地理歴史科公民科の二つに分けよう、そしてそれぞれ専門の教師が当たって高等学校段階におけるより専門性の高い教育を実施しよう、そういう制度的な担保をしよう、こういうことで今回社会科の再編成を行ったというわけでございます。
  198. 中野寛成

    ○中野委員 戦後、社会科に一本化した、それはそれで非常に大きな役割を果たしてきた、とりわけ民主主義教育の中でその必要性が叫ばれて一本化された、その役割はもはや果たした、終わったとお考えなのか。まだだけれども、それ以上に重要な時代の要請が生まれてきたという考え方なのか。もう一つ、その社会科として一本化していったままでは今局長説明されたことは行い得ないのか。これらのことをはっきりしませんと、反対論の皆様方に対する説得力に欠けると思うわけであります。  今なぜという疑問を解かなければならないわけであります。ゆえに、今局長はこういう時代的要請があるという前向きの形での必要性をお述べになりましたけれども、分けなければできないのか、そして、戦後の社会科の役割は終わったのか、今、なぜ。それについて反対の、裏面からのお考えをお聞きしたいと思います。
  199. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 戦後の教育カリキュラムの中で小中高を通じて一つの大きな特色は、社会科という形で従来の歴史地理公民教育を行っているということでございます。これは戦後教育の中で大きな役割を果たしてきたと私ども評価いたしております。それを今回の再編成によって社会科をなくするというわけではございません。小学校では社会科という一つの総合教科の中で教えることになっておりますし、中学でも社会科という中で、先ほど申し上げましたように、歴史地理公民という分野を分けて、それぞれ小学校よりはより専門的、系統的に指導するということになっております。  しかし、高等学校ではもう少しその専門性系統性を強めようということで今回地理歴史科公民科と二つの教科に分けたわけでございますが、これは要するに戦後役割を果たしてきた社会科を否定しようという趣旨では毛頭ございません。従来果たしてきた社会科の役割をより一層適切なものにしたいという趣旨から今回再編成を行ったということでございます。
  200. 中野寛成

    ○中野委員 小学校及び中学校では社会科が残っている。うがった見方で質問いたしますが、それでは現代の子供たちは、理解力が早くなって小学校中学校でそれらのことは十分理解できる、そして、今は国際性も進んできて、高校ではより一層難度の高いといいますか専門的なことをこなすことができるようになってきた、学校現場も子供たちもそれだけ進んだという考え方になるのでしょうか。
  201. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 子供たちに対します教育といいますのはいろいろな教科に分けて行いますが、結局は、最後は一つの統合した形で子供たちの力となって身につくものだと思います。したがいまして、教科の分け方というのは、大体共通ではございますが、国によっていろいろ違いがあるということは先ほどもここで御答弁申し上げたとおりでございます。したがいまして、今回の改訂でも、小学校中学校高等学校、どういう教科の立て方がいいかということはいろいろな御議論があるところだろうと思います。  ただ、従来の、戦後の日本教育としては、それは今日も同じでございますが、小学校中学校では社会科という形で人間とか社会とかそういうものをしっかり教えようということでございます。ただ、高等学校段階になったら、もう少し地理歴史公民というようなものにつきましてそれぞれ専門性を深めてしっかり身につけさせる、それが民主的、平和的な国家社会の有為な形成者としての教育としてより適切であるという観点から行ったものであるというふうに御理解いただきたいと存じます。
  202. 中野寛成

    ○中野委員 この問題については若干先送りをさせていただいて、少し質問を進めます。  今日まで中央教育審議会の教育内容等小委員会における報告や臨時教育審議会の第二次答申、第三次答申等々ございますが、検討しなければならないという問題の指摘はあるのですが、こうしなければならないという部分がかなりあいまいなんですね。ただ、臨教審も第三次答申ぐらいになりますとかなり細かになってきておりますが、その中で「国際社会に通用する日本人として、主体性を確立しつつも自らを相対化する態度と能力を有することが要請される。すなわち、日本文化について深い素養をもち、しかも、日本の在り方を相対化して、自らをらせん型に深めかつ高める視点が必要である。」こう書かれている。  そして次に、「国際社会での自らの立場を客観的に認識し、それに対処し得る日本人として、まず日本文化、つまり日本を今日の日本たらしめたもの、そしてまたそれが人類文化にとってもつ意義について、誇りをもたなければならない。そして、この日本文化を相手の論理、心理に即して説明できるだけの思考力と表現力をもつことが重要である。」また、三行ほど置きますと、「日本はアジアを離れて存立し得ないとの認識のもとに、近隣アジア諸国に目を向け、その実情を知る努力を怠ってはならない。このような国際社会の中に生きる者として必要な知識については、比較文化的視点を重視し、地理教育とあわせつつ日本および世界歴史教育の中に織り込んでいくことが必要である。」  この辺が一つのきっかけかなというふうにも思ったりいたしますが、必ずしも分けなければいけないというふうにここから即断的に結びつけることも余り必要ではなさそうにも思うわけであります。むしろ、相互の関連性を強調しているところを見ますと、分けない方がいいのかな、むしろ相互に関連させて学ぶことの方がいいというふうに臨教審でも答申しているように読めないことはないと私は思うのであります。これらのことについて、果たしてどこからこういう分ける考え方が生まれてきたのか、その経緯を少し御説明いただきたい。
  203. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 中教審は昭和五十八年でございますし臨教審は六十一年でございます。もちろんこの前から高等学校社会科のあり方についてはずっと論議がございました。改訂たびごとに論議が出てきております。ですから、一つの大きな懸案であったということはまず言えると思います。  それから、中教審と臨教審では方向性は出していると思いますが、具体的なことは決めていない、指摘していないといいますのは、当然これはその審議会の性格によるものであろうと思います。教育内容、カリキュラムにつきまして決めるのは教育課程審議会の役割でございますので、中教審、臨教審等はその方向性とか考え方指摘して、十分審議しなさいという指摘にとどまるのは、これはまた当然ではないだろうかと思います。したがいまして、教育課程審議会は、こうしました従来の経緯ないしは大所高所からの審議の結果を踏まえまして、では具体的にどうするかという形で二年間かけて慎重審議した結果こうした社会科の再編成という形になったわけでございます。     〔委員長退席、臼井委員長代理着席〕
  204. 中野寛成

    ○中野委員 教育課程審議会が果たして中教審または臨教審等の答申の方向で結論を出したのかということについても、やはり釈然としないものがまだ残るという感じがするわけであります。  それでは、その具体的な教育のあり方としてお尋ねをいたします。  国際社会の中で生きる日本人として必要な資質育成を図るということで地理歴史科において世界史を必須とした、そのことについてはそれなりに大きな意義があることは認めます。ただその際、その基礎となるべき日本史について、高校でもなくなるわけではありませんが、その関連性について世界史を学ぶ場合にもその素地としての日本史というのは極めて重要な意味を持つと思います。小学校中学校でやりますけれども中学校小学校での理解度と高校での理解度はおのずから違いがあるはずであります。高校においては高校における日本史の学ばせ方というのは当然あるでしょう。世界史との関連性をそこでどう植えつけていくかということが一つあります。  もう一つは、西欧、アメリカ等いわゆる欧米の歴史、とりわけ世界史といえば西洋史みたいなところがありますが、私たちと縁の深いアジア、アフリカ、特に東南アジアの歴史、朝鮮半島や中国と日本との関係、これらのことについて十分子供たちに学んでもらわなければいけない。ところが、これらの問題も古代史から始まりまして延々と勉強してくる。近代史、現代史的な部分になってくると息切れして、またはいろいろ国際問題を起こしたりすることがあるものですから現場の先生方がむしろ意図的にそれを避ける意味で近代史、現代史の部分ではしょる傾向もあると聞いております。  実は、この部分は現代社会に生きる我々としては極めて重要な部分なのです。息切れしてしまって現代史はおろそかになる、もしくはそれが政治問題化しないか、国際問題化しないかと意図的に避けるということはあってはならぬわけであります。そのためには、歴史上の事実を知った上で日本人としての意識や誇りを持たせることが必要であります。事実の追求に対して及び腰であってもいけませんし、逆に事実を羅列しただけでもだめであります。事実の上に立って、我々日本人がいかに国際社会で反省をするとか誇りを持つとかこういう役割を果たすとか、そういうことがあるべきかを教えなければ歴史意味がありません。それらのことについて十分踏まえた教育ができるという御自信がおありでしょうか。
  205. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 御指摘のように、日本史教育は大変重要であると考えております。日本文化伝統歴史というものをしっかり教えるということが国際化に当たっても必要でございますので留意しなければならないわけでありますが、これも先ほど先生がおっしゃいましたように、小学校の六年で一応日本史は一度やり、中学校社会科の中の歴史的分野ではもう一度やることになっております。  したがいまして、では高等学校で何を必修にするかというときには、やはり小中学校ではほとんど勉強してきていない世界史を必修にさせるべきではないかという審議会の御答申がございました。片や高等学校子供たちの能力とか適性とか進路とか興味、関心が非常に分化してくる多様な実態となっておりますので、その子供たちに合ったカリキュラムのあり方としてはなるべく子供たちの選択を重視していくということも大事でございます。したがいまして、世界史とあわせて日本史も必修にするということはカリキュラム構成上かなり無理がございますので、地歴科では世界史を必修にし日本史は選択に回さざるを得なかったということでございます。しかし、日本史は重要でございますし、各学校の履習の実態を見ましても、小中とやってきておりましても、なお高等学校で履習する者はかなりいるということでございます。  それから、世界史の中で重要なのはアジアの問題であるという御指摘はそのとおりであろうと思います。したがいまして、今回の学習指導要領では特に世界史の中でアジアの問題が重視されております。「南アジア・東南アジア世界の展開」ということで特別な項目を設けております。それからもう一つは、アジアをやっても途中で息切れがして現代には至らないという御指摘もございましたが、今回の新しい指導要領では世界史Aという中では近現代史を中心に理解させるという内容構成をしておりまして、もちろん古代、近世も若干やりますけれども、主眼は近現代ということで、大きな項目として「十九世紀の世界の形成と展開」と、もう一つは「現代世界日本」という大きな柱を立ててこれを重視している。その中で「現代世界日本」におきましては特にアジア・アフリカ諸国を大きな指導事項として内容に入れているところでございます。
  206. 中野寛成

    ○中野委員 その場合に、近現代史をやりますとその帰結は現代社会、現代政治、現代の経済ということになります。もちろん、文化はもとよりのことであります。結局そこまで深めていく言うならば教師としての素養が当然必要になってくる。そう考えると、トータルとしての社会科先生の方がいいという気持ちになりがちだと私は思うのでありますが、その辺はどう整理されましたか。
  207. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今回の社会科の再編成によりまして、地理歴史科の目標といたしまして「我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活文化の地域的特色についての理解と認識を深め」るということをはっきりうたっておりますので、現代を扱います際には、いわゆる現代社会の問題を取り上げます際にも常に歴史的な視点からこれを取り上げていくということでございますので、これも先ほど来申し上げております専門性というものを高めた指導要領となっているということでございます。
  208. 中野寛成

    ○中野委員 結局、歴史を教える先生も現代の政治経済を知らなければその歴史の流れを最終結論まできちっと教えることはできないということなのです。ですから、あとは先生の素質の問題にもなってまいりますけれども、十分御注意をいただいて深めていただきたいと思います。  次に、教科関係について質問申し上げることを私は通告してあるわけですが、大臣にお聞きいたします。  去る十月三日、教科書裁判の判決が東京地裁でなされました。判決内容は、教科書検定制度は合憲、合法であり、個別の検定についても大部分が適法であるとされましたが、一カ所について損害賠償の請求を認めるというものでありました。そこで今回の判決について大臣はどのように受けとめておられるかお聞きします。
  209. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  今回の判決によりまして教科書検定制度の正当性、必要性が改めて確認をされたものである、こう考えております。文部省といたしましても、今後とも教科書の内容が適切なものとなるよう、さらに努力をしてまいりたいと存じます。
  210. 中野寛成

    ○中野委員 そこで、今日まで大臣はいい意味での文教族として努力をしてこられましたが、その辺の経験の中でお感じになったことをお聞かせいただきたいと思うのです。  よく教科書の記載内容政治問題になったり国際問題になったりする。とりわけ中国、それから朝鮮半島、韓国や北朝鮮との関係においてよく問題になります。また、例えば靖国神社の参拝問題についてもよく触れられるわけであります。これらのことについては今日までたびたび論議もされておりますけれども、しかし、何らかの整合性を持たせた整理というものが政治的にも外交的にも必要なのではないだろうか。  随分以前に御提案申し上げたことがあると思うのですが、それぞれの関係する近隣諸国との間に教科書問題に対しての共同研究ですとか、また、お互いの理解を深め合うための機関、そういうものを設けて、そして内外のコンセンサスを一致させる。もちろん学問ですからいろんな学説があるのは当然でありますけれども、事教科書についてはある程度のコンセンサスが必要ではないか。そのためにどういう手法があるだろうか。大臣としてのお考えがございますればお聞きしたいと思います。
  211. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  私自身、かつて党におりましたとき、しかも党の責任的な立場におりましたときに、例の教科書問題が起きたわけであります。そういうことで、私といたしますと、こうした問題については、例えば政党間あるいは学者と学者の間においてそれぞれの歴史、国々の文化について話し合いをして、お互いの認識を高めるようにぜひしておきたいな、こんな考え方を持っております。
  212. 中野寛成

    ○中野委員 関連諸外国との関係において何かお考えがありませんか。とりわけ韓国、中国等とは、近隣の国ですから、それこそいやが応でもと言ったらおかしいけれども、おつき合いが深いわけです。おつき合いが深いがゆえにいいこともありますが、摩擦もそれだけ多いわけです。言うならば、近い関係の国々との関係について将来ともに摩擦の原因や禍根を残す、そういうことがないように十分検討をしなければならぬと思いますが、今大臣のお答え、大変端的ではございましたけれども、もう少し突っ込んだ具体的なお考えがあってもいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
  213. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お互いの歴史があるし、お互いが独立国、そして学説によれば教育は主権に関することである。でありますので、おのずから踏み越えられない一線があるということもまたこれ事実であります。そうしたような中において、ある問題があった。Aという国から見ればそれは全くよくない、しかし、Bという国から見ると、それが全く正当ですばらしい正義であるということが幾つもあるわけであります。  そこで、主権を持っているところの国と国が、文教部と申しますかそんなようなもの、文部省というようなもの、それがぶつかり合ってやると、これはなかなか問題が解決できないと私は思っております。ですから、どこまでも民間の、特に歴史学者等を主とした者の構成において両方歴史文化を研究し合う、こんな考え方を持っております。
  214. 中野寛成

    ○中野委員 これ以上突っ込んで質問いたしましても、何か大臣いじめになってはいけませんので申し上げませんが、最後におっしゃられた歴史学者等によって、専門家によって大いに御論議をしていただく、お互いの理解を深め合う。一つの事実でもAという国から見る、Bという国から見れば、それぞれその考え方は違うということはおっしゃるとおりだと思います。しかし、一つの事象を実証していく努力はやはりしていくべきだろうと思います。  それに対してどう見るかはそれこそそれぞれの国の立場によって違いますが、それを、我々日本ではこう思っている、しかし相手の国はこう思っているということを教える能力は、また教育の現場には必要でありましょう。そのことによってお互いの理解を深めることができる。例えば特定の国に対して常に悪感情を持たせるような教育もいけませんし、また、日本に対するいわゆる反日教育が近隣の諸外国の中で行われるということがあっても大変残念なことであります。こういうことについては、今大臣がおっしゃられた専門家による共同研究等がむしろより一層文部省の御努力によって進められることを私は期待したいと思いますし、大臣にも御努力をお願いしたいと思います。     〔臼井委員長代理退席、委員長着席〕  次に移りますが、同じ教科書のことでありますけれども、まず私ども教科書に対する考え方を述べまして、それについてのお考えをお聞きします。  教科書は、児童生徒の心身の発達段階に応じ、学習内容として系統性を備え適正な内容を盛り込んだものでなければならず、また、何にも増してその内容は不偏不党でなければなりません。したがって、教科書検定自体は必要であると考えますが、文部省の運用といいますのは文部省の恣意または文部省だけの判断による部分も多く、法制上の整備が必要であるという考え方があります。このような観点から、我が党は新たに教科書法を制定すべきであると主張してまいりました。このことについていかがお考えでしょうか。
  215. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教科書が内容が適正で不偏不党でなければならないという御指摘は全くそのとおりであろうと思います。私どもも、教科書の記述が客観的で公正で適切な教育的配慮が加えられるよう、そのために厳正公正に検定を行っているところでございます。したがいまして、文部省の検定の運用は公正厳正でなければならないわけでありますが、その運用に当たって恣意的な検定があってはならないということも御指摘のとおりでございます。私どもは、教科書検定調査審議会という審議会を経由いたしまして、その答申に基づいて検定を行っているのでございます。  そこで、その検定を適正に行うために教科書法案があった方がいいではないかという御指摘でございますが、これについては、先生指摘のように法制度を一層整備するということも一つの有力な考え方であろうかと存じます。ただ、現在私どもが行っております教科書検定は、文部省設置法、学校教育法等に基づきます法律に根拠を置いて行っているものでございまして、また、その運用につきましても、教科用図書検定規則とか検定基準を定めまして、それに基づいて適切に行っているのであります。したがいまして、このような現行教科書制度が少なくとも法治主義とか適正手続の原則に反するものでないと考えておりますし、これまで教科書裁判でも各種の判決が出ておりますが、いずれの判決でも教科書の判断は法治主義や適正手続に反しないということをお示しになっているところであります。  私どもは、教科書検定がなお一層適切に行われますように、臨時教育審議会の第三次答申に基づきましてこのたび教科書制度を整備いたしまして、手続、基準等一層適正なものにしてまいりました。これは、新しい指導要領に基づきます教科書からこの新しい検定制度で適用していくつもりでございます。今後とも教科書が一層いいものになりますように努力をしてまいりたい、こう考えております。
  216. 中野寛成

    ○中野委員 今局長の御答弁で、法治主義や適正な手続に反していない、それはそれとして御判断として私も認めますが、今問われているのは教科書及び教科書の検定制度に対する国民の信頼感ではないかと思います。法治主義に違反していないという消極的な意味での正しさを証明するのではなくて、積極的に教科書に対する信頼感をいかに高めるかという方法について考えるときに、私ども教科書法も一つの方法だなと考えているわけであります。  現在、教科書裁判に見られますように、また、もちろん立場が違いますと、教職員組合の皆さんの御見解もいろいろあったりいたしますように考え方も違ってまいりますが、しかし、大多数の国民の皆さんがこういう手法ならばと納得できる手続というものが、文部省の判断だけではなくて、広く国民の皆さんが納得できる手法というものを工夫し、そしてより一層高めていくという努力が必要であろうと思います。こういう言い方をしますと、今の局長の御答弁のように、文部省文部省としても努力しているのだということで幾らかの今日までの経緯を御説明なさるだろうとは思いますが、果たしてそれで国民は十分納得し得ているのだろうか、この疑問が私どもはなお続いているわけであります。  このことについて、文部省当局としての手続論ではなくて、大臣としての御判断はいかがでしょうか。
  217. 石橋一弥

    石橋国務大臣 ただいまの見解、おっしゃっている意味はよく私も理解ができます。そして今の教科書のつくり方、法制度的には学校教育法というものがあって、それを受けて、そして省令をもって学習指導要領をつくるのだ、その学習指導要領をもとにして、これに反しないような、その考え方を具現するような教科書を編成をして、そのかわりいろいろな手続がありますが、そして審議会に諮ってやるという手続なんですね。そこら辺のところが、私自身も、さてな、教科書法というものを国民のだれしもがなるほどなと思うようなものをやった方が明らかでわかりいいではないかな、また法律的な根拠もきちっとするではないかなということを、野にあった時代は相当強く考えていたこともありました。  しかし、今の立場になってみますと、これも現制度を改めていくということになりますと、なかなかもってひとりで考えていたようなことにはおいそれとはいかないな、こう考えているのが実際の今の感じでございます。いずれにいたしましても、この問題、教育というものを考えてみた場合、まさに教科書の問題でありますから、大変な広がりと奥行きの深さを感ずるものでありますから、ぜひひとつ研究をさせていただきたいと思います。
  218. 中野寛成

    ○中野委員 大臣がひとりでお考えになっておられたことの方が正しいということが多分にあるのではないかと私は思うわけでありまして、決して大臣になった途端に文部官僚に丸め込まれたなどとは思いもしませんし、申し上げもいたしませんが、ひとつぜひ積極的な御検討を引き続いてしていただけるように御要請を申し上げておきたいと思います。  さて、次に、この教育課程教科書が整いましても、実際に教育をするのは教師、人であります。教員資質の問題についてお伺いいたしますが、国際化情報化といった言葉に代表されますように、近年、社会は急速に変化しておりますが、このような急速な変化の中で児童生徒状況もまた複雑化、多様化してきております。かかる児童生徒状況変化に的確に対応し、二十一世紀の日本を支える子供たちの健全な成長を図ることこそが、今日学校教育に最も求められていることの一つであると考えます。  申し上げるまでもなく、教育は人なりという言葉がありますように、学校教育を決めるのは、直接児童生徒に接し、彼らの人格形成に大きな影響を与える教員であります。このような重要な職務を有する教員であるがゆえにこの教員免許法も論じられているわけでありますが、この教師の本来あるべき姿と現在の教師の姿、現在の教師の姿といったってたくさんいらっしゃるわけでありますから一概に言えませんが、先ほど来同僚議員が指摘をされました、私も非常に驚くような現場の実情が一部である。逆にもうだれが見てもどうにもならぬような教員が処分もされないで結局放置されているという姿も、また一方で聞くわけですね。あるべき教師像をいかにつくっていくか、このことが極めて大切だと思うわけであります。  先ほどのこの問題、教員免許法の問題も、例えば地理歴史公民とに分けるけれども、分けても分けなくても、その教える教員がしっかりしている、人格、識見ともにしっかりしているということになれば、ここで教員免許法などというものを論議することさえ実は、ばかばかしいと言ってはおかしいけれども、どうでもいいことかもしれないのですね。  それからもう一つは、政治を論ずるときに経済を知らなければなりますまい。経済を論ずるときに政治が必要でしょう。また、国際性を論ずるときに倫理観は必要でしょう。歴史を論ずるときに現在の政治経済が必要です。現在の政治経済を論ずるときに歴史を知らなければなりません。これをより専門色を強める、国際化情報化時代の要請で分離すると御提案だけれども教員の質によってそれらすべてのもくろみは何の意味も持たないことになってしまうわけですね。そういう意味で、教員のあるべき姿と今後の教員養成についてどうお考えか、お聞きします。
  219. 倉地克次

    倉地政府委員 教員のあるべき姿ということでございますけれども、私ども教員には教育者としての使命感と児童生徒に対する教育的愛情、それから教科等に対する専門的知識、それから実践的指導力などが重要であるというふうに認識している次第でございます。  それで、先ほどの地歴公民の両者を分けてどういう意味があるかというお尋ねでもございますけれども高等学校段階になりますと、こうした教師のあるべき像の中でも若干専門的知識というのが重視される傾向があるのではないかというふうに考える次第でございます。高等学校段階で池歴と公民とを分けまして、それぞれの免許教科についてより専門的な単位などを修得していただきまして専門性を高めるということは、今回の教育課程改訂と平仄の合った措置ではないかというふうに考えているわけでございまして、そうした点から今回免許法の改正をお願いしている次第でございます。
  220. 中野寛成

    ○中野委員 少し詰めてお聞きします。  教員資質を向上させることにつきまして、大学での教員養成、それから初任者研修、現職教員の研修、こういうことのすべてがとても大切だと思うのですね。  またもう一つ国際化が進むと言われている。その中で世界史重点を置こうとおっしゃっているのですが、そのためには教員が実際にその世界史の舞台となるところを見るということも大変大きな意味があると思うのですね。教員の海外派遣の充実教員の国際交流を推進すること等々を含めまして、いかに教員養成及び、養成だけではなくて教員資質向上について努力をされようとしているか、お聞かせをいただきたいと思います。
  221. 倉地克次

    倉地政府委員 教員資質能力の向上の問題でございますが、これは今先生が御指摘いただきましたように、養成の段階、それから採用の段階、研修の段階を通じて資質能力を高めていく必要があるというふうに考えている次第でございます。  養成の段階では、今回免許法の改正をお願いしているわけでございますけれども、昨年の十二月には専修免許状の設置、一種免許状の設置、二種免許状の設置、それから特別免許状の設置などを内容といたしました養成制度、免許制度の改正を行いまして、この実施に今努めているところでございます。  また、研修の問題といたしましては、初任者研修制度を昨年の五月創設していただきまして、本年度は小学校についてこの全面実施を行っている次第でございます。来年度はぜひ中学校についても初任者研修制度の全面実施を行い、その充実を図ってまいりたいというふうに考えている次第でございます。  また、国際化観点で今先生指摘をいただきましたけれども教員世界を見せることが大切ではないかという御指摘でございます。私どもも全くこの点については同感でございまして、現在私ども教員の海外派遣制度を行っている次第でございます。この事業によりましてこれまで約六万四千人程度の教員が諸外国へ参りまして貴重な体験をしてきている次第でございます。諸外国へ参りますことによって国際理解を深めると同時に、そのことによって日本教育社会について改めて認識をするということもあるわけでございまして、そうした先生方が帰国後の活動におきまして十分成果を発揮しているというふうに考えている次第でございます。  また、これは新しい制度といたしまして、昭和六十三年度から、学校において国際化推進する中核となる教員を養成するという観点から、新たに若手教員の海外派遣という制度も実施しておりまして、今のところ約百二十名の若手教員が約二カ月間学校研修、それから外国における家庭滞在などをするために毎年派遣されている次第でございます。私ども、今後ともこうした教員の海外派遣については十分その充実に努力してまいりたい、そのように考えている次第でございます。
  222. 中野寛成

    ○中野委員 もう一つ、これはちょっと通告にございませんので、大臣の政治判断でお答えいただければと思います。  労働組合の連合が発足をいたしまして、新連合。日教組、教職員の組合が連合に入る、入らないというふうなことで、地方において分裂をしたりいろいろな組織再編が行われております。実は、そのことは教師の独自の意思でしょうから、そのことのよしあしを論じようとは思わないのですが、例えば以前、町田市の学校生徒先生に対していろいろ盾突く、または先生の方が辛抱し切れなくなって刃物を持って生徒を追っかけるというような事件があったりいたしました。そういうものをいろいろ調べてまいりますと、現場における先生方の組織の分裂とか、またはお互いの先生たちの協力関係が乏しくなっているとか、そういう問題等も当時指摘されたわけであります。  現在の教職員組合の動向や、それが学校に与える影響等について父兄も大変心配をしておられるわけでありますが、これらのことについて大臣はいかがお考えでしょうか。
  223. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えします。  ただいまの件、私自身も心を痛めている一つであります。  そこで、先般、都道府県教育会議を招集いたしました。それに今委員指摘の点について私から触れました。現場においてそれぞれがそれぞれの立場において分かれたとしても、いろいろな問題がそのことによって子供たち、あるいはまたもっと言えばPTAの中、いろいろなことに影響が起きて、そして教育的にマイナス、摩擦が起きたら大変だから、そのようなことがあった場合、どうぞひとつ十分配慮をしていっていただきたいということをそのときにも申し上げたわけであります。
  224. 中野寛成

    ○中野委員 微妙な問題ですから、これ以上お聞きいたしません。  最後に、教員免許法本論についてお聞きするわけであります。  先ほど来申し上げましたように、教育課程教科書、教員資質に問題がなければ、教員免許法の今回上程されている問題は、実はそう重要な問題ではないと私は逆に考えるわけであります。しかしながら、やはりこれによって影響を受ける先生方や、これから先生になろうとする方々、そしてまた一方では教育を受ける生徒たちがいるわけでありますから、もちろんあだやおろそかに考えてはならないことであります。  そこで、平成二年四月一日、これが施行日として提案されているわけでありますけれども社会科が再編成をされまして、地理歴史科及び公民科授業が開始されるのは平成六年度から。もちろん大学は四年制でございますから、学年進行で実施をする。その前にまず、来年四月一日に入学をされた学生諸君が先生になるまでの四年間、こういうことを考えると、当然の御提案かなとも思うのでありますけれども、何かもう少し弾力性を置いて緩やかに考えてもいいのではないかなと思ったりもいたしておるわけであります。  一つは、平成二年四月一日入学の方々からというのですが、もう既に入学をしておって、大学の中で留年した人はどうなるのでしょうかね、とか含めまして、これは一つの事例ですが、そういういろいろな弾力性というのはある程度考えられていいのではないだろうかという気がいたしますが、いかがでしょうか。
  225. 倉地克次

    倉地政府委員 先生お尋ねの現在大学にいる人を含めまして、現在、社会科免許状を持っている方々などにつきましては附則の方でいろいろと弾力的な措置をしている次第でございます。  直接お尋ねのありました現在大学に在学している方でございますけれども、それは附則の五項にございまして、今大学に在学している方が平成六年四月一日以後になって卒業される場合に、現在の社会に係る免許状の所要資格を得たという場合につきましては、その資格によりまして新免許状を授与できるような措置を講じているわけでございます。そういうことでございますので、たとえ留年されたといたしましても、卒業時点に社会科についての所要資格を得ておいでになれば新しい免許状が授与されるということになっている次第でございます。
  226. 中野寛成

    ○中野委員 これ以上深く各論についてお聞きしようとは思いませんが、先ほど来申し上げましたうに、まさに教育は人でございますから、教員養成についてぜひとも格段の御努力をいただきたい、また世界史等を教えるときにとりわけ近隣諸国に対する重点的な配慮といいますか、そういうことについて御努力をいただきたい、また歴史上の事実から逃げないでいただきたい、事実を知った上で日本人としての誇りを持たせる教育をしてほしいし、またそれができる能力のある教諭、教師を育てていただきたいというふうに思うわけでございまして、それらのことについての御要望を申し上げて質問を終わります。
  227. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、山原健二郎君。
  228. 山原健二郎

    ○山原委員 大変遅くなりまして質問いたしますが、一つはいわゆる教育を論ずる姿勢の問題です。  今回の法案は三月に文部省が一方的に告示をいたしました新学習指導要領に基づく教員免許法の改定案です。  改訂学習指導要領は、規模と内容において戦後最大のものと言われております。例えば小学校低学年における生活科の新設、それから君が代・日の丸の強制の問題、それから四十二人物名指定による東郷平八郎の登場、中学校での大幅選択制導入、習熟度別指導の導入、それから現代社会を必修から外し、社会科解体による地歴科、公民科の新設など非常に重大な中身があることはもう申し上げる必要はありませんが、これまでの学習指導要領改訂作業を見ますと大体十年に一回ですから、したがって今後十年間、つまり九〇年代の教科編成及びその内容を方向づけるものとして極めて重要な中身を持っております。  ところが、文部省の一片の告示でもってそれが既定路線として学校現場に押しつけられようとする状態でございますから、本来ならばこの学習指導要領に対して徹底した審議を行い、そして本法案の審議に入るのが当然だと私は思っております。ところが、本委員会においてこの学習指導要領についてはほとんど審議をいたしておりません。私は昨年の二月二十六日に予算委員会の総括質問でこの問題を質問いたしたのでございますけれども、それを振り返りながら経過をたどってみたいと思うのです。本当に将来に禍根を残さないように本委員会で十分論議することがこの委員会に課せられた責務である、こういうふうに思います。  この社会免許地歴公民免許にかえるという法案でございますが、前提として戦後四十年続いてきた社会科を解体して地歴科、公民科を設けるということに基づくものでありまして、これとて戦後教育のあり方を根本から問う問題であります。したがって私は、これは委員長に申し上げたいのですけれども理事会にも参加をさせていただいて申し上げてきたわけですが、これは本当に日にちをかけて論議すべきものであるということをぜひ認識をしていただきたいと思うのでございます。  拙速は許されないことだと思っておりまして、第一、この臨時国会の、しかもこの押し詰まった、あと十二月十六日の閉会日までもうわずかしかない、参議院の日程を考えましても本当に何日もないという状態の中でこんな大きな中身を持った法案を処理すること自体が、本委員会としてかつてなかったことだと私思っておりまして、どうも納得いかないわけでして、この点については強く強調いたしまして、委員長に対してもやはり慎重な審議を進められるよう御要請をいたしたいと思いますが、鳩山委員長の御見解をここで伺っておきたいのです。
  229. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 山原委員の御意見は御意見としてただいま承ったわけでありますが、私は文教委員長として、現在のところ、その日程等につきましては理事会にお諮りをして理事会で基本的に合意されたままに運営をいたしておりますので、今後もまたスケジュールについては理事会にお任せをしたいと思っております。
  230. 山原健二郎

    ○山原委員 そのことを申し上げて、この社会科の今回のいわゆる解体と私ども呼んでおりますが、その伏線となる現代社会を必修科目から外したことについて伺いたいのですが、これはなぜ外したのですか。
  231. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 現代社会は、昭和五十年代の高等学校学習指導要領改訂において入ってまいりました。必修科目として入ったわけでございますが、この五十年代の改訂のときには子供たちの能力、適性、進路、興味、関心に応じて高等学校は多様な選択があるべきだ、そのためにはその選択の基礎となるベースづくりを高等学校一年でやろうということで、総合科目を大体どの教科につきましても一年生に設置したわけでございます。  そこで、社会科につきましては、その総合科目として現代社会という科目を設置いたしまして、そして高等学校における社会科の主として第一学年で必修とする科目にしたわけでございますが、今回は、御案内のように社会科を再編成いたしまして地理歴史科公民科というふうに分けました。そこで、地理歴史科では必修科目として世界史を置き、そして公民科としましては現代社会または倫理、政経のいずれかを履修させるということにしたのであります。  前回のときも、現代社会を必修とはしておりましたけれども附則におきまして、必要によっては倫社、政経でかえることができる、履修を代替することができるという形でやっておりましたので、公民科に限って申し上げますと、今回と前回とはそんなに違いはない。ただ、社会科の再編成によりまして履修の形態が変わってきたということでございます。
  232. 山原健二郎

    ○山原委員 この必修を外すということは、昭和六十一年の十月二十日に出されましたいわゆる教課審の中間まとめ、「教育課程基準の改善に関する基本方向について」で、「「現代社会」については、中学校教育との関連、生徒の多様化などに配慮し、必修科目から外すこととする。」こう出ているのです。表に出ているのはこれだけなんですね。一九八二年、昭和五十七年に学年進行で始められた前回の学習指導要領に基づく現代社会の実施が、わずか五年そこそこでしょう。そこで必修から外す。これはいかなる理由があるかということは、こんな簡単な表現だけでは納得できないのですよ。これはもっと説得力ある説明がしてもらいたいのです。  これは重要なことですけれども、きょうは時間がそうありませんから先へ進むのですけれども、前回の改訂のときに出されました「高等学校教育課程の解説」、これは、当時高校教育課長であった菱村さん、あなたが編者ですね。その中の百九十九ページに、「「現代社会」は、社会科においてはこの科目だけが必修の科目として、原則として低学年において履修するように設けられた。」そして「必修科目については、中学校教育との関連を一層密にし、高等学校教育として共通に必要とされる基礎的・基本的な内容を中心として編成されることになった」としております。中学校教育との関連をこのように強調されています。  そしてまた、「「現代社会」を社会科の基礎的な科目として育てていくのは今後の実践的な課題である。生徒にとって、社会科の基礎的な力となるようにその科目を育てていくことが期待されている」というふうにあなた自身書いていらっしゃるわけですが、まさに実践のさなかですよ、しかも前回の改訂の際に留意したことをいとも簡単に否定をしてしまって、そして必修外しを行うということは、これは今申しましたように、もっと説得力のある説明が必要ですよ。簡単にお答えください。
  233. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 この現代社会のところを書きましたのは教科調査官でございますが、もちろん私の編集の図書でございますから私にも内容につきましては責任があると思っております。  ただ、このときは、要するに先ほど申し上げましたように、五十年代の改訂におきます一つの理念として、一年生で総合科目を置いて、それで基礎・基本をしっかりしてその上で多様な選択に発展する、展開するということでできたのでございます。そしてその後の実践にまつということも、当時としてはそのとおり考えていたわけでございまして、その後いろいろ実践いたしますと、もちろん問題点も出てまいりました。  それから、今回のように社会科教科構成を再編成するということになりますと、その履修のあり方については改めて検討するということでございまして、教育課程審議会でいろいろ御審議いただきました結果、先ほど申し上げましたような履修形態になったということでございます。
  234. 山原健二郎

    ○山原委員 必修外しですね。今おっしゃいますけれども、学年進行でもう真っ最中ですよ。そういう段階でこういう変更をするということ自体が、どうおっしゃろうとも無理がありますね。そして、この審議を行ったのは、今お話しになりました教育課程審議会でございますが、審議会の第三委員会ですね。第三委員会の座長、委員、その審議内容、これは公表しておりますか。
  235. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教課審が始まりましてから、重要課題を審議するためにたしか四つの課題別委員会を設けました。そしてその中の第三番目の課題別委員会でこの社会科の問題を取り扱ったわけでございます。ただ、この課題別委員会と申しますのはそのテーマごとに審議する機関でございますが、決定権というものは特になくて、ここでいろいろ御審議をいただいたのであります。そこでその審議のまとめを六十一年七月二十一日にいたしておりますが、これは課題別委員会からその親委員会であります総会に報告をするという形で、内部の報告でございますので、そのまとめにつきまして私の方からは積極的に外にお示ししたということはございません。
  236. 山原健二郎

    ○山原委員 今おっしゃった課題別委員会の第三委員会社会科教育のあり方について検討する委員会ですね。その委員は東洋、江副浩正、木村尚三郎、森隆夫、諸澤正道、山口薫氏の六名です。それで江副さんは第一回会合に顔を出しただけで、実質審議をしているのは江副さんを除いた四名ないし五名です。当時座長は、私が後から出します諸澤元文部省事務次官であります。この五人程度で審議を経た上で必修外しを行うわけです。  議事の概要にはそのことが書かれてあるはずでございますが、この議事録といいますか、議事概要というのは存在しているのでしょうか。もしあるとするならば、提出していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  237. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教育課程審議会の運営の仕方について初めに少しお話を申し上げたいと思うのでありますが、教育課程審議会が発足しますときは、まず親委員会として限られましたメンバーでスタートいたします。そして課題別委員会等を設けまして主要なテーマについてある程度の粗ごなしをした上で、今度は委員を補充しまして初等教育分科会、中学校分科会、高等学校分科会というふうに分け、その上に立ってまた横断的に小中高を通じます教科別の委員会を設けて審議を深めていくということでございます。  したがいまして、この課題別委員会のときは親委員会のメンバーがまだ少ないときでございますので、当然この委員は限られた、御指摘のように六名の委員で御審議になった、これはこの社会科だけ、第三委員会だけではなくて、他の三つの課題別委員会も同様でございます。そしてそこで審議されました内容は、先ほど申し上げましたようにここは決定機関ではございませんので、いろいろ審議した結果をまとめまして総会に報告する、そしてそれを総会が受けまして具体的にその内容を吟味し審議を深めていく、こういうことでございます。  そこでこの課題別委員会の第三委員会におきまして取りまとめました七月二十一日のまとめは、積極的には私どもは公表しておりませんが、そのまとめはございます。
  238. 山原健二郎

    ○山原委員 この審議会は本当に審議概要、今お話しになったように我々これは全くわからないのです。わずかの人間で、現代社会について集中的な審議がどのようになされたかもわかりませんが、昭和六十一年五月八日の第四回目の委員会で集中的に現代社会について論議をしております。それに第五回目もやっておると思いますが、その中で文部省はこういう発言をしているのです。  「社会的事象を総合的に、多面的に見ることが大事であるという考えに立って戦後の社会科は歩んできた。「現代社会」は、それを一つ科目で行おうとするものである。今の世の中では、一面的な物の見方しかなされないことが多く、社会科の果たす役割は大きい。」さらに続けて、「「現代社会」を設けることには反対があった。そのため学習指導要領附則で当分の間特別な事情がある場合には「倫理」「政治経済」の履修で「現代社会」の履修にかえることができることとした。しかし、施行してみると九八%の学校で「現代社会」が履修されている。なお、「現代社会」のような科目の向く学校もあり、また熱心にやっている学校もある。九八%の学校で施行されており、また施行も始まった、いわゆる端緒についたばかりであり、この「現代社会」を実りあるものにしなければならない」、こういう説明がなされているわけです。これが、先ほどから問題になりました高校教育課長をされておった小西さんのこの委員会に対する御発言なんですね。  そういうことを考えますと、文部省としましては本当にそういう立場で臨まれたわけでしょう。  それから菱村さんの書かれた「高等学校教育課程の解説」、これを見ましても、現代社会の目標と性格というのはずばり出ているんですね。これを読み上げることはやめますけれども、そういう状態。  そういう重みを持った、しかも九八%が現に実行している、しかも文部省自身がそれをまさに実りあるものにしなければならない、こう発言したものを、それをいとも簡単に必修から外す。それよりも、現代社会そのものを葬り去ろうとしたのではないかという問題が出てまいります。議事の概要を見ますと、四、五人の委員のうち必ずしも現代社会に反対、必修から外すことに全員が賛成しているわけではありません。そうすると、三、四人の意見によって社会科必修が外されたことになるのではないか、余りにも小ぢんまりした、しかも密室の中で必修外しが決められたのではないか。  しかも、この社会科委員会は現場の声も全く聞いておりません。ヒアリングも行っていません。まさに、政治的に現代社会を必修から外したと言わざるを得ない経過なんです。これは本当に許せないことですね。このことについてどう釈明されますか。
  239. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 先ほど来申し上げておりますように、課題別委員会では一応の中間的なまとめをしておりますけれども、そこはそれで決定したわけではなくて、それを親委員会である総会に報告をし、総会で十分審議し、そして総会だけではなくて高等学校分科審議会とか、ないしは先ほど申し上げました教科別の委員会におきましてその後も継続して審議を続けているわけであります。  そしてその中には、もちろん今回委員だけではなくて指導要領作成の協力者となるべき人たちが、これは主として教育の実践の場から来られている学校先生が多いわけでございますが、そうした方々も参加して、そして一緒に審議しながら最終的に教育課程審議会として今回の社会科の再編、そして現代社会を必修から外すということをその最終答申で決めているわけでございますので、私どもはそうしました慎重な審議に基づく答申によって学習指導要領を作成してきた、こういうことでございます。
  240. 山原健二郎

    ○山原委員 いや、その総会の問題が出まして、総会で決めているからそれはそういうことではないという、これは去年も西崎さんの答弁の中にそういう言葉があって、私もちょっとそうかなと思ったんですけれども、実際は、これは「現代のエスプリ」の中に高橋史朗さんが書いておりますけれども、これは諸澤さんかな、高校分科会で決めたことは教育課程審議会で決めたこととみなすという規定になっております。だから総会というのは委員会審議を了承する場だ、委員会審議が絶対的なんです。そういう形でその少人数の委員会社会科の現代社会を必修から外したことが決められるということは、これは総会の決定にもうほぼ自動的になるという仕掛けになっておるわけですね。  しかも「現代のエスプリ」という雑誌を見ますと、これは昨年の六月に出ておりますが、その中で「社会科歴史教育」という座談会をやっております。社会科解体に携わった人たちの座談会であるわけですね。  その中で田村哲夫さんが、これは教育課程審議会委員でありますけれども社会科解体の急先鋒だった人なんですよ。その人がこういうふうに座談会で話しております。「その前にちょっと経緯をお話させていただきます。」と言って「評判の悪い現代社会を、実は、必修から外したのも諸澤部会長です。そういう一つの流れがあるだろうと思います。」という発言をしている。これは諸澤さんも参加している座談会でございまして、そういう意味で、地歴独立問題の経緯を聞いたときの発言がこういう発言になっておるのですが、こういう少数委員会で座長の占める役割はまことに大きいと思いますね。  その座長は現代社会に対してどういう見解を持っておったかといいますと、これは諸澤さんの発言ですが、その座談会の中で御自身が言っております。「実は、私は、それが前回の教育課程審議会で決まった後、局長になったんです。そして現代社会については反対しましたが、決まってしまった後でしようがなかった。」こういうふうに言っておられるわけですね。諸澤さん自身が現代社会反対論者であり、みずからの思う方向に結論を導いていったのではないか。極めて政治的な、いわゆる官僚の個人的な見解がこの分科会を大きくリードしておるのではないかと思われるわけでございます。  そして、この現代社会を必修から外しておいて、今度は、今問題になっている社会科の解体ではなかったのか。この問題だけでも教育課程審議会のあり方が問われるし、それに基づく学習指導要領改訂問題も、本当にこれらのことが徹底的に明らかにされなければならぬと私は思うわけです。したがって、本委員会教育課程審議会の全議事の概要を提出していただきたいと思いますが、文部省、その提出の用意があるでしょうか。
  241. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 審議会ではいろんな御議論がございます。したがいまして、もちろん賛成の方も反対の方もあるわけでございますが、各委員がどのような議論を行われたかということにつきましては、従来から審議会の運営の円滑を図るなどのために、その内容については公表しないということで来ておりますので、そのようによろしく御了承賜りたいと存じます。
  242. 山原健二郎

    ○山原委員 この社会科の今回の分離といいますか解体問題ですけれども、戦後四十年続いた社会科、これはもう先ほどからも皆の委員が申し上げておるところですが、ここで先ほど話のありました朝倉隆太郎さん、それから平田嘉三さんが辞表を提出しているわけですね。その理由がわからないとかいろいろおっしゃっておられますけれども、朝倉さんの場合は、四十年一貫して文部省に協力してきた、こう言うのですね。事実、そういう人なんです。まるでクーデターだなということをおっしゃっているわけですね。  それから平田さんにしましても、「私は全国社会科教育会の会長であり、社会科解体でけじめをつけたかった」ということで辞表を提出したことが報道されているわけでございます。  こうしますと、本当に文部省に誠心誠意、戦後教育の中核と言われる社会科問題について協力してきた人が離反をする、しかも一部、先ほどこの問題は保守とか革新とかいう見方によるとかいうようなお話がありましたけれども、そんなんじゃないんですね。御自身が言っておられるように、朝倉さんなどは、私はそんな革新とかそんな人間じゃないんだということをはっきりおっしゃっている。そして、文部省を支えてきたんだ、日本教育の中軸を支えてきた、そういう方が離反するというのは大変なことです。  そしてその後、これもお話のありました文部省の中島章夫審議官が辞表を提出したわけですね。けれども、それも余りにも影響が大きいというので、辞表を押さえられて、六十三年の六月に定年を前にしまして文部省をやめることになったわけです。これらを見ますと、異常なんですよ。この動きは異常です。  そして、さらにこのような動きに対して、全国の教員養成大学あるいは学部の社会科教育担当者及び幼稚園、小学校中学校高等学校社会科教育関係者で構成する日本社会科教育学会は「社会科教育に関する要望書」並びに「高等学校社会科」の改訂に関する質問書」を教育課程審議会に提出しておりますね。要望書とかそんなものを見ますと、地理教育研究者常任委員会の要望書、歴史教育者協議会、社会科教育全国協議会も「高等学校社会科に関する要望書」を出しておられます。  そういう中身を見ますと、時間がありませんからすべてを申し上げることはできませんけれども教員免許現行のままで、公民地歴免許新設は避けてほしいというのがほぼ教育界の要望でございます。全国歴史教育研究協議会も、「社会科は四十年にわたり学校現場に総合教科として定着していること。社会科からの歴史地理の分離は望ましくない」というふうにおっしゃっているわけですね。そのほか圧倒的多数が反対なり疑問を投げかけているんですよ。これを無視することができますか。日本教育を前進させる上において、反対、賛成あろうとも、それらの意見をやはり正当に包含をするという姿勢がなくしては文部行政は必ず失敗すると私は思います。  この点については石橋文部大臣にお伺いしたいのですが、これだけ多くの反対や疑問などがあるものを押し切っていいのかということですね。教育に携わる政治姿勢として大臣の御見解を伺っておきたいのです。
  243. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今回の教育課程改訂に際しましては、各種団体から多様な意見がさまざまな形で寄せられております。六十一年九月には第十六回の総会でこれらの百十団体の要望を紹介し、御審議に供しておりますし、六十一年十月に中間まとめを出しましたときには、それこそいろいろな団体からございました。私どもに来ましたのは二百三十四団体の要望がございまして、これらをそれぞれ初等教育分科審議会、中学校分科会、高校分科会等に紹介をして審議に供しているわけであります。また、審議のまとめを公表しましてからも七十団体から寄せられておりまして、総計四百を超える各種団体から多様な意見が出ております。  したがいまして、私どもとしましては、これらの団体をなるべく忠実に、そして審議の参考になりますように審議会にお取り次ぎをしているのであります。したがいまして、いろいろ寄せられました意見、要望につきましては、こうした審議の過程の中で御参酌いただいているということでございます。
  244. 山原健二郎

    ○山原委員 先日も日本学術会議もこの問題でシンポジウムを開いておりますように、やはりいろいろおっしゃるけれども、問題は残っているわけですね。私も文部大臣に本当に意見を聞きたいのですが、最後にお伺いしますから、先へ進めたいと思います。  この社会科の解体論議、これは本当に教育課程審議会ではどのような取り扱いが行われたのか。これは、ちょっと見てみますと、まず中央教育審議会が教育内容等小委員会におきまして社会科目構成のあり方を再検討する必要があるとして、社会科枠の見直しの方向を示唆したということがあります。それから、臨教審も第二次答申で、「系統性専門性を重視する観点から、教科としての「社会」科の枠を外すべきであるとの意見と、現行どおり地理歴史公民などを「社会」科の枠の中で指導することを適当とする意見がある。このため、高等学校については、「社会」科としてまとめておくべきかどうかを見直し、中学校についても、その在り方を検討する必要がある。」要するに、よく見てみますと、両論併記なんですね。具体的な検討を教育課程審議会にゆだねたわけでございますが、その意味教育課程審議会の論議が非常に重要になってくると思います。  そして、具体的に検討した委員会はどこかというと、これまた諸澤さんが座長の第三委員会ですね。先ほど私が申し上げましたように、現代社会の必修を外したところにまたかかってくる。そこでは結論が出なかった。次に、河野座長の社会科委員会が行われていますけれども、ここでも結論が出ていないのですね。そして、諸澤座長の高等学校教育課程分科審議会、ここで強引に社会科解体、地歴科の独立の結論を出したわけですが、ここで問題になるのが社会科委員会での審議状況、そして高等学校教育課程分科審議会の審議状況です。社会科委員会では、まとめでは両論併記という形になっていますが、実質の審議ではどうだったのかということを見てみますと、社会科存続が委員の圧倒的多数を占めているわけですね。  そのことについて指摘しますと、この「現代のエスプリ」では、いや数じゃない、質の問題だというような発言がなされておりますけれども、こういうふうに社会科委員会の議事の概要を見ますと、ここでは学習指導要領協力者会議委員が十名参加をして、そして社会科委員会第一回の会議でこの社会科解体問題が焦点となり、歴史独立を言う田村さん、木村さんの発言はここでわずかに四回です。ところが、それに反対する意見は十九回も出ておりまして、圧倒的に社会科の存続、歴史独立反対の意見であったと聞いております。しかも、歴史独立の四回目の意見は木村氏によってなされていますが、その意見も、「歴史独立させるなら地理はどうなのだという議論があるので、現実問題として歴史独立させることは難しいが、将来的にはなってほしいと思っている」という願望の発言で終わっております。  だから、委員、協力者会議委員のだれもが歴史独立社会科存続問題はこれで決着したと思っておったのです。結局、第二、第三、第四回の委員会ではこの問題は取り上げられておりません。ところが、まとめの段階になりまして、つまり第五回目の委員会で、取りまとめ文書について、歴史独立独立に反対する意見の説明は量的に平等に扱ってほしいという意見が出されまして、第六回目の五月二十二日の会議で強引に両論併記で、独立社会科存続はほぼ同数の文章に取りまとめられたわけですね。これが後で問題になるわけです。  ところで、社会科委員会に諸澤さんが初めから参加しているのでしょう。諸澤さんはこの社会科委員会委員でございましたか。
  245. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 諸澤国立科学博物館長は高等学校教育分科会の委員でありまして、それの座長、分科会長でございます。そして、教科別の社会委員会、ここの委員ではございません。
  246. 山原健二郎

    ○山原委員 もう時間がなくなりましたのでこれでおきますけれども委員じゃないのですね。ところが、この委員会にずっと参加をしておりまして、最後の取りまとめの際に、河野氏が社会科存続論が大勢を占めているという方向でまとめようとしたのを、これは高校分科会で結論を出すからと横から助言をして、その社会科委員会では決定させずに、そして自分が座長である高校分科会に持ち込むわけですね。こういう経過です。  時間の関係でこれ以上申し上げませんけれども、本当に無理していますね。そしてこの中で、いわゆる小西さんが横浜国立大学の事務局長に転任をする、それから、けさから問題になっておりますところの、この過程におきまして中曽根さんと高石元事務次官の会談が行われる、そして諸澤さんがここへ出て高石氏の政治的打算をここで擁護するという経過をたどっておるとしか思われません。  もっと時間があればいのですけれども、諸澤氏は私的懇談会を開いて、そこでまとめて、その案を分科会でまとめる、こういう結果になっておるのですが、その最後にこう言っておりますね。「時間も切迫したこともありましたし、要するに社会科から出ることが先決であって、地歴科か歴史科かについては深い論議はなかったように記憶しています」と諸澤さん自身がおっしゃっております。そして、その社会科解体が行われれば、あっさり言えば後は野となれ山となれという全く無責任な決定ですね。  これを考えますと、私は文部大臣にお伺いしたいのですが、こういう経過、私の言っていることはすべて正しいとは言いません。けれども、これだけマスコミに書かれて、これだけの疑惑を持った経過を見てみますと、この問題については白紙撤回すべきである、少なくとも教育行政を今後やっていく上については広範な人々の賛意も必要でしょうし、そういう意味で白紙撤回をすべきだというのが私の見解でございますが、文部大臣、この点についてぜひ良識ある態度をとっていただきたいと思うのですが、お答えをいただきたいと思います。
  247. 石橋一弥

    石橋国務大臣 私の見解は異なります。本答申を撤回するという意思はありません。確かにいろいろなことがあったと思いますけれども、何をやりますにも賛成と反対は必ずつきものだと思います。三カ年間もかけて慎重審議をして、最終的に社会科地歴科、公民科に再編成するという答申でありますので、これを重んじて本法案を出した次第です。
  248. 山原健二郎

    ○山原委員 何をやるにも確かに反対、賛成あるわけでございまして、私ども文部省と政府の出してきた教育政策に対して長年にわたって反対してきた経過もあります。けれども、賛成、反対はありましても、どんなに客観的に見ましても、四十年も続き、しかも文部省に皆さん協力をし、日本の戦後教育の柱とも言われるこれを支えてきたものを変えるのには、双方の意見を十分聞いて、そして国民的コンセンサスを少なくとも得るための努力が必要なんです。政治家の一部が自分の見解を押しつけて、せっかく審議会を開いて、審議会も多数は反対なんです。でもそれを解体に強引に持っていくというやり方は断じて許されないことでございますから、今後の行政をやる上におきましても十分御注意をしていただいて対処されますように強く要請をしまして、きょうの質問は終わらせていただきます。
  249. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次に、石井郁子君。
  250. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 残りの時間を少し質問させていただきます。  山原議員の質問でも明らかになりましたように、今回の社会科解体、それから地歴科、公民科独立という問題には、最初から結論あって、それに合わせて理屈づけが進んだというふうにしか思われないわけであります。  本日の質疑も、いろいろ伺いましても納得できるものではありません。そういう点で、これからこういう方向で現場に押しつけられるというか、導入されるわけですから、現場の先生方、また子供たちも、そして研究者も納得できるようなものでなければならない、納得はできないわけですけれども、そういう点で地歴科、公民独立の理由、またその内容という面で少し質問してみたいというふうに私は思っています。  端的に伺いますけれども地歴科、公民科独立が最終的に決まったのはいつ、どこの場所でございますか。
  251. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 最終的に決まったのは昭和六十二年十二月二十四日の答申でございます。
  252. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それはそういう答弁では話にならないわけでして、それは当然のことでありますから、その教育課程審議会の最終答申に至るまでにこういう中身が実質的に詰められる、そのことをお伺いしているわけですね。  これは先ほど山原議員も質問いたしました。文部省の中では大先輩になるのかどうか、諸澤氏が話していることであります。これは「法令に基づく小委員会で、「高校分科会で決めたことは教育課程審議会で決めたこととみなす」という規定になっているんです。」ということがあるのですね。これがもし違うのだったらあなた方は当然訂正なり修正なりを言わなければなりません、公開になっているわけでありますから。ですから、そういう答申で決まったということではなくて、実質的に審議をした場面がどこなのか、それはいつなのかということを伺っているわけです。
  253. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 委員会とか課題別委員会教科委員会、これは決定権がないことは先ほど申し上げましたとおりでございます。決めるのは各分科審議会、初等教育分科審議会、中学校分科審議会、高等学校分科審議会、分科会ですね、それぞれでそれぞれの学校段階別の審議をいたしますが、実質的にはここで決めていくということでございます。  そこで、そういう意味で言いますと、昭和六十二年十一月二十七日でございますか、分科審議会で審議のまとめをしておりますが、そこで社会科の再編成につきましては全員一致で決まったということでございます。
  254. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ですから、高校教育分科会で決まったということですね。それで、社会科委員会ではその辺では結論が出ずに、高校教育分科会の方で最終的に決まったというふうに理解していいですか。
  255. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 先ほど来繰り返しておりますが、教科委員会社会科委員会では、ここは審議を深めるところでございますので、いろいろ御審議がございます。そして、その審議を深めた結果をある程度文書にまとめて分科会や総会には報告いたしますが、実際上決める権限は各分科会、要するに今回の社会科再編で申し上げますと高等学校の分科会で実質的に決めて、そしてそれを総会に持ち上げて総会で最終的に決める、こういうことでございます。
  256. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 四十年続いた社会科という教科を、高校に限ってですが、解体をして地歴科、公民科という新たな教科に分割をするというか独立させる、こういう重大な問題ですから、やはり教科として独立をするというのに当たっての根拠が必要なわけですね。  その教科というのはどういう目標なのか、どういう新たな教科となるのかということだと思うのですが、そういう議論高校教育分科会でどのようになされたのか、議論概要を簡単に御説明ください。地歴科、公民科という新たな教科を設定することの理由です。
  257. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 社会科の再編をいたしまして、地歴科、公民科の二つの教科に分ける。そしてその場合の地歴科におきましては、日本及び世界における各時代や各地域の風土、生活様式や文化人間の生き方、考え方などの学習充実を通して国際社会に生きる日本人としての自覚と資質を養う観点から、また、公民科におきましては、広い視野から現代社会基本的な問題に関する理解人間としてのあり方、生き方についての自覚を深めさせる観点からそれぞれの教科を設けるということで、ある程度の教科のねらい等はここでも議論し、まとめております。  具体的には、最終答申でございます六十二年十二月二十四日の答申の中で、改善の基本方針といたしまして、趣旨とねらいをどうするか、科目構成内容構成考え方はどうするかということの議論の結果をまとめて公表しているわけでございます。
  258. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今御答弁なさったことは教育課程審議会答申にも盛られていることでありまして、十分見ているわけであります。それに至るまでに高校教育分科会でこの教科独立させる必然性なりが議論されているわけですから、その議論概要をお示しになられなければ――これは最終的にまとまった、いわば作文ですよ、教育課程審議会答申について言えば。  ですから、その前段の部分をきちっとお示しいただかなければ到底納得できないと思うのですね。高校教育分科会で地歴科、公民科を分離、独立させるということの議論について議事は公表されますか。
  259. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 審議会、分科会、委員会等もすべて同じでございますが、その中ではいろいろな立場からいろいろな御意見が出ているわけでございまして、その一々につきまして審議の経過を公表するということは従来の審議会の運営上やっておりませんし、このたびの教育課程審議会についても、個別のどういう意見が出てどういう審議経過があったかということにつきましては公表をしないことにしているのであります。  ただ実際上、審議が行われて、その審議の積み重ねで最終的なまとめになっていくわけでございますから、まとめがこの審議会ないしは分科会、委員会の最終的な議論の積み上げの結果であるというふうに御理解いただきたいのであります。
  260. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 この教育課程審議会答申の文章では、新しい教科を設定する理由というのは非常に大まかでありまして、なぜこういうふうになるのかというのはこれだけでは到底納得できないわけです。  新しく公民科地歴科という教科になるわけですから、以前の社会科と何が違うのかということで見てみましたら、現行社会という教科の「目標」には「広い視野に立って、社会人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」と書かれているわけですが、新しく出されています指導要領の公民のところも、「目標」のところで見ますとほぼ同じ内容なのです。「広い視野に立って、現代の社会について理解を深めさせるとともに、人間としての在り方生き方についての自覚を育て、民主的、平和的な国家社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。」だから、趣旨としてはほとんど同じだというふうになるわけです。  ですから、社会という教科にかわってその二つの教科を設定して、新しく何が違うのかということについて言えば、社会という教科の目標を引き継がなければならないという面もここにはあるかとは思うのですけれども、新しく教科として分割する必然性、社会にかわってなぜ公民としなければいけないのか、名前が変わっただけじゃないかということだって言えるわけです。これでどうして納得できるのでしょうか。
  261. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 したがいまして、私ども社会科の解体ではなくて再編成だと言っている趣旨は今御指摘のとおりでございまして、従来の社会科のねらっております目標ないしはその内容の大部分は引き継いでいるわけであります。  ただ、今回は公民科地歴科に教科を分けましたので、教科目標もそれぞれできたわけであります。したがいまして、地歴科の方で申し上げますと、先生が御指摘になりました従来の社会科の「広い視野に立って、社会人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」という目標から、地歴科では「我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活文化の地域的特色についての理解と認識を深め」云々ということで、その歴史地理教育のねらいを、より専門性をはっきり明確に出したということでございます。そして公民科におきましては、従来の社会科で主要なねらいの一つとしておりました「公民的資質を養う。」ということを引き継ぎまして、先ほど先生が御指摘のようなねらいに教科目標を定めた、こういうことでございます。
  262. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 専門性を深めるという立場で地歴科、公民科というふうに高校段階で設定をするという説明が再三あるわけですけれども、現在は高校では、免許社会というふうにくくっていますけれども、実際は科目ごとに授業は行われています。それでは、そういう現状は専門性が弱いのでしょうか。現在では専門性が弱いという具体的な欠陥なり矛盾なりをどういうふうに考えていらっしゃるわけですか。
  263. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 カリキュラムにおきまして教科構成をどうするかというのはいろいろな考え方がございますので、学校段階によりましても、また国によりましても、それから我が国でも時代によりましてもさまざまでございます。しかし、今回は地理歴史科公民科専門性を重視しよう、系統性を強めようということで、教科目標をまず明確にした。それから、今回御審議いただいております教員養成免許等についてもそれぞれ分けていくということにしているわけでございます。  では教科専門性を重視するということはどういうことかという御質問でございますけれども、これはその背景にそれぞれの科目の学問的性格というものが基礎になっております。そしてその学習内容の範囲とか深さを定めるわけでございますが、新しく設けましたこの地理歴史科公民科におきましては、先ほど私からも申し上げましたように教科目標を明確にしている、そしてその内容におきましても精選を図りながら、新しい変化に対応していく重要な事項を取り入れていくということでやっているのであります。
  264. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 教科目標を明確にしたら専門性が深まるのかどうかという議論もあるのですけれども、現実に戦後高校社会科はいろいろ科目変化はありましたが、現在は六科目で行われています。その科目の中から地歴科と公民科教科として独立をさせるというときには、何かやはり位置づけなり、それがどういう内容を持たなければいけないのかということがあると思うのです。政治経済教科にならなくて、なぜ地歴科が教科なのか、やはりこういうことに答えていただかなくてはならないと思うのです。その点では、ちょっと簡単にいかがでしょうか。
  265. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今回の教科をどうするかということは、先ほど来御論議がありますように、いろいろな観点から御審議をいただいたわけでございますが、最終的にはこの教育課程審議会答申にございますように、「国際化進展が著しい今日、歴史地理学習を重視し、日本及び世界の各時代や各地域の風土、生活様式や文化、人々の生き方や考え方などの学習を通して、異った文化をもつ人々と相互に理解し協力することができる、」ように、そういう国際社会に主体的に生きる日本人としての必要な資質を養おうということと、それから、今日の社会情勢の中で公民的な資質というものをもう少し重視していこうという観点から、今回教科を分けることになったのであります。
  266. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ですから、国際社会に生きる主体性のある日本人育成するというのは非常に大きな話でありまして、そのためになぜ地歴科なのですか。  では、政治経済という科目はなぜ教科にならないのですかということであります。  それともう一つ歴史地理がなぜ一つ教科なのですか。歴史地理というのは非常にこれまでも論争がありますから、歴史科というふうに独立ではなくて、歴史地理という教科になったのはなぜですか。その二つ。
  267. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 教科をどのように分けていくかというのは、その学問的な背景の問題もございます。  そこで、先ほど来申し上げております、それを背景にした専門性を強めていくということもございますが、そのほかに教育課程におきまして、教科教科外の関連をどうするかとか、それから、これだけ九四%も高校進学が高まっております中で、生徒の興味、関心は非常に多様化しております。そして高等学校段階では、発達段階も小中とはかなり違ってまいります。そういうことから、子供たちの興味、関心とか発達段階をどのように教科構成上見ていくか、いろいろな要素がございまして、そして先ほど来申し上げております教科編成趣旨をあわせまして、今回このような措置をとったということでございます。
  268. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私の質問には全然まともに答えていただけてないと思うのです。  だから、現在でも高校では社会という教科を教えてはいないわけですね。現代社会など六つの科目であるわけです。その六つの科目の中から、しかも歴史地理というのは独立科目です。これこそ専門的に深めて教えられているのではないでしょうか。それが地歴科というふうになるわけですよ。これこそ専門性と反するではないですか。なぜ地歴科であり、なぜ公民だけが教科として独立するのですか、このことをお尋ねしているのでして、その御答弁では全く私の質問には答えになっていないと言わざるを得ません。もう結構でございます。  時間がありませんので、最後に、盛んに国際化ということが教育課程審議会でも言われますので、この点でちょっと今まとめをさせていただきまして、私は終わりたいというふうに思います。  国際化進展とか時代の要請ということが盛んに臨教審から言われまして、教育課程審議会答申にも盛り込まれているわけです。しかし、これ自身は非常に中身がはっきりしない漠としていることでありまして、どのようにもとれるわけですね。ですから、まさに今その中身を問うことが問題だというふうに思うわけです。  こういう中身について言えば、この間、文部省が行ってきたいろいろな対応という中で、とりわけ教科書検定等の問題を見ても、非常に国際社会に反するようないろいろの問題が起きてきているということがありますね。アジアへの侵略問題を進出というふうに書きかえて、外交問題になったということもありました。今、新しい学習指導要領になりまして、まさにそれに沿って地歴科、公民科内容が今度決まっていくというのは、私たちは直線的にするのはおかしいと思いますけれども、やはり指導要領に沿って内容がいろいろ整備されていくということで考えますと、非常に重要だというふうに思っているわけです。  一つの例を申し上げたいと思うのですが、これは社会の現在の指導要領では、幕藩体制という問題で、私も余り詳しくわかりませんけれども、江戸時代の鎖国政策に関連して、鎖国政策ではあったけれども、オランダ、清との交易の問題で、現在の指導要領では鎖国を扱う際にも、オランダ、中国、朝鮮との交易というのは存続していたということが書かれているわけです。それは学会や先生たちのいろいろな研究などから盛り込まれるようになったわけですけれども、新しい指導要領ではその朝鮮というところが抜け落ちているのですね。  だから、ではこういう方向でこれから教えられていくのかということになると、新たにまた、果たしてこれが国際社会の認識にふさわしいのかということが問われていくわけですね。こういう内容は、先ほど山原議員もお話しになりましたように、学習指導要領について本委員会では本格的な審議をしていませんから、そういったことで私ども尋ねたいこともたくさんあるわけですね。だから、そういう問題と関連をして教科独立や再編成の問題を考えていきませんと、いろいろな問題を残すのではないかというふうに思うわけです。  私はきょうの質問では、地歴科、公民科にするというその教科の存立の意義も必然性も全然納得できないし、御説明いただけなかったというふうに思うのですが、ここに一つそういうことに関係してちょっと御紹介したいことがあるわけです。ちょっと厳しい言い方になるのですけれども、こういう本が出ております。  政府・自民党はさらに、教科書検定という手段によって、過去を美化し、史実を歪曲する形で、みずからの思想を日本の若い世代に押しつけようとしている。若い世代がこのような歴史を教えこまれ、日本軍国主義が犯した犯罪的行為に対して正しい認識をもてなくなった場合、そのような世代が国際社会に対して日本を代表する時代になったとき、どのような事態となるだろうか。政府・自民党が進める、国際社会理解が得られようのない内容教育政策は、重大な政治問題となっている。   外務省のなかには、政府・自民党の進めるこのような政策に対し危険性を感じる向きもないではない。 というのがございます。これは岩波新書で「日本外交 反省と転換」という元中国課長、大使館にも勤められた方が書かれたものでございます。  私は、こういう危惧は相当広く政府の中にも出てきているというふうに思うわけです。そういう国際社会理解が得られないような今回の指導要領の改訂であり、地歴科、公民科のこういう政治的な介入とも言える再編だというふうに私は思っているわけですが、この岩波新書の指摘に対して、最後に局長と大臣の御所見をお聞きして質問を終わりたいと思います。
  269. 菱村幸彦

    ○菱村政府委員 今回の改訂では、国際化、二十一世紀に生きる子供たち国際社会の中で生きる子供たちでございますので、国際化に対応していく、社会変化に対応していくということで、その中で主体的にみずから生きていく、そういう能力をつけていこう、そういう態度を身につけさせようということで改訂が行われているわけでございまして、随所に国際化の視点からの改訂を行っております。その国際化の視点は、もちろん国際社会の中で十分理解をされ、尊敬されていく日本人でございますので、御指摘のような懸念はないというふうに考えております。
  270. 石橋一弥

    石橋国務大臣 お答えいたします。  いわゆる国際社会になればなるほどやはり各国の地理歴史、そして文化、当然我が国もであります、それを児童の発達度合いに応じて、特に高校の場合は専門的にこれを学ばせてやった方がいいという考え方でございます。
  271. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 終わります。
  272. 鳩山邦夫

    鳩山委員長 次回は、来る二十九日水曜日午前九時四十五分理事会、午前十時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時五十分散会