○角屋
委員 時間が限られておりますので、次に、
ソ連問題の
関係について
総理に若干お聞きいたしたいと思います。
日本の例えば毎年の防衛白書を見ても、これは防衛サイドからの問題でありますけれ
ども、いわゆる
ソ連の脅威論というのが基本にあって、そしてことしの場合は、特に各新聞の
報道等を全部取り集めて社説を見たり解説を見たりしていても、予想される一部の新聞ではそう書くだろう、というのは大体慎重な見方に賛成をするという書き方ですけれ
ども、それ以外のあらかたのところは、いわゆる今日の大きく揺れ動く中で進もうとしておるデタント方向というものに対して、ポスト中期防というものに対する
一つの布石として、従来以上に防衛白書においては、これでもかこれでもかと言わんばかりに、
ソ連の
極東におけるところの強力な力、そしてまた、それにポスト中期防を通じて対応していかなければならぬという布石的なそういうものが強く出ておるという見方をしておったと思うのであります。
私は、十数年来、たまたま
要請されまして、日ソ議員連盟の事務
局長というのを務めてまいりました。前任者の石田会長に仕え、現任者の櫻内会長にお仕えして、十数回、単独で、あるいは
国会からの白濵仁吉
先生を団長とする代表団の副団長として、あるいは円卓
会議の取りまとめ役としてやってまいりました。大体、三重県の選挙区からいえば余り
関係ないと言って事務
局長をお断りしておるのに、どうしてもということで引き受けたのがきっかけでありますけれ
ども、しかし、それは別にして、
ソ連というのは、
国民としては話してみると非常に親しみやすいし、スポーツはなかなか強いし、文学、芸能、いろいろな面でも
国民に親しまれておるわけでありますが、国対国とか、場合によっては政党対政党と言ってもいいかもしれませんが、なかなか手ごわい相手でありました。そういう中で、議員外交を通じて、
政府が進める施策が我々と同じ方向であればこれを強力にバックアップするという役割も果たしていかなければならぬということで、微力ではございましたけれ
どもやってまいりました。そして、政界から身を引くということもありまして、過般、事務
局長を新しい人にバトンタッチをしたのであります。
私は、第二次世界大戦のときには青年時代でございましたが、学校を卒業して、正規のいわゆる初年兵として入隊をし、幹部候補生として教育を受け、将校になるや
フィリピン戦線に小隊長として、さらに、一たん召集解除になって帰りましたら息もつかせず再び召集になって、今度は中支に中隊長として参りました。戦争が非常に終わりの段階になって、本土危うしというので、本土決戦
部隊で、慌ただしく満州、北鮮を通って、潜水艦の攻撃を受けながら新潟に着いて、艦載機の激しい攻撃が行われておる中を、九州の五島の
現地中隊長に行けという命令を受けて、長崎の惨たんたる原爆の惨状を体験して、福江で戦争が終わったわけであります。したがって、私は、戦後の自分の行くべき道というのは、やはり長崎原爆の惨たんたる惨状を原点として私の戦後のスタートが始まったというふうに思っております。再び広島、長崎のような惨禍を
日本が受けてはならない、そういう
意味で、
日本が戦後、平和文化国家としてスタートするその戦列にはせ参じようというふうなことで、労働運動や平和運動の中で、農林省の昭和二十八年時代は本部
委員長ということで活動したりしたわけであります。そういうことだけに、私の場合は、核廃絶に対する熾烈な願いというのが強いのであります。それは昔も今も変わりがないのであります。
そういう立場から見ますと、
米ソ首脳会談を通じて、わずか数%でありましょうけれ
ども、いわゆる中距離核戦力が全廃される条約が実施に移される、また、戦略核についても五〇%は少なくとも
削減しようということで
話し合いが粘り強く行われておる。もちろん
米ソが九十数%の核超大国であって、イギリスが持っておる、フランスが持っておる、中国が持っておる、その他にもここは持っているんじゃないかという国もありますけれ
ども、何といっても
米ソが思い切った核兵器の
削減、そしてこいねがわくは核廃絶を全体としてやっていかなければならぬというふうに思うわけであります。
それは、新しい方向が進んでおることは、私
どももやはり
日本の
国民の核廃絶への原水爆禁止の運動、そういうものが大きな国際的な力になったと思いますけれ
ども、しかし一方では、核抑止論というのが根強く防衛のサイドではあるわけであります。これは防衛白書を見ても、あるいは外交青書を見ましても、今日いろんな複雑な
情勢の中で大きな大戦にまで至らなかったのは、
米ソの核抑止力というものが大きく働いておるというふうに言っておるわけであります。
ただ、山口書記長等と
海部総理がやりとりをやられた議事録、また、市川さんとやられた議事録とか、いろいろそういう最近の予算
委員会の議事録なんかに目を通したりしたのでありますが、
総理もやはり平和が保たれてきたのは核の抑止ということが働いておる。これが余り
国際政治の舞台の指導者の中に根強くありますと、これをどんどん減らしていくという力が一定のところでとまってしまうということになる。言うまでもなく、従来の広島、長崎の原爆の威力からははるかに数百倍の核ができておる。私は、いつも防衛二法等の
議論のときに、竹下前
総理のときにもいろいろ言ったのでありますけれ
ども、今日のお互いの生きておるこの世界、
日本、これは一見極めて平和的な環境の中で生きておるように見えますが、一朝過って
米ソのいずれかの指導者が核のボタンを押すとかいうふうなことで、第三次と名のつくような世界戦争、絶対あってはならぬわけですけれ
ども、そういうことになった場合は、世界人類の破滅という
事態にまで追い込まれる。
日本が水爆をそんなにたくさん攻撃を受けなくても、北海道や東北や関東やあるいは東海やあるいは近畿、中国から九州というふうなところにそれぞれ一発ずつ投下されたとしただけで、恐らく全く立ち上がり不能な状態に追い込まれるだろうというふうに私は思うのでありまして、そういう
意味では、一見平和の時代に生きておるように見えますけれ
ども、さらに洞察して考えれば我々は恐怖の時代に生きておるという基本的な認識の上に立っておるわけであります。
そういう点で、核抑止力ということがどちらからも言われておると思いますけれ
ども、基本はやはりそれをなくするというところに理想と目標がなければいかぬといった点等も絡めて、
総理の御
見解をひとつお伺いしたいと思います。