○渡部(一)
委員 私は
天安門事件が発生した際、六月四日でございましたか、六月六日に日中議連の正副会長
会議をやりまして、七日、日中議連
理事会、拡大
理事会を行いまして、国
会議員の中で五百三十名を擁する議連でございますから、そこにおける深刻なお
話し合いというのを行わしていただいたわけでございまして、
局長もそこへ御出席になり、情報を教えていただいたいきさつがございます。その結果として、その議論の中で
中国に余り厳しいことを言うなという議論も相当あったわけではございますけれ
ども、これはいかぬ、人道上の問題である、これは内政干渉にわたるわけではないという、その言葉は出しませんでしたけれ
ども、みんなの意見としてこれは言うべきは言い、ただすべきはたださなければならぬという方針を議員同士で打ち出したいきさつがあるわけでございます。その結果として、両院にわたる議員の絶対的大多数を占めるこの議連としては、
中国の
天安門事件について極めて遺憾である、しかも武装力をもって青年を初めとする民衆に対して銃撃を加えたことはよろしくないという極めて厳しい調子のものをつくり出したわけでございます。
ところが、それに対しまして
政府の方は、むしろ欧米諸国と組んで、これに対する対応を少し厳しくなり過ぎないように、
中国の
立場をそんたくした
立場をとられたように国際
関係において見られてきたわけでございます。私は残念ながらこの対応は明快でないと思います。ということは、
中国に対して一番の友人であり、一番の隣国のものであるならば、こういうときこそ
政府として明快な見解を述べることが重要であると私は思うわけであります。私は、その上に立って
中国側に対して今こそ言うべきことを言わないと、これはむしろ将来に禍根を残してしまうと思われるわけであります。
中国は、中華の国であり、自尊心の高い国でありますから、とても謝るものではないという状況もあり、また国際
関係の中において、
各国政府が高官をあちらに派遣することはよろしくないというので自制されているのはわかりますが、私たちは議連の代表という形で
中国側に対して
日本側の不快の限りを申し伝えました。伊東正義氏は内政干渉をするつもりはないがという前提で、角砂糖をなめながら、糖尿病の体を押して、
中国側に対してそれこそありとあらゆることを正規の会合あるいは影のレセプション等で申されました。私は、李鵬氏に対して
中国側の態度が良好でないことを申し上げた上、青年を殺したことがどんなに大きな被害を招くか、またデモ隊を禁圧したりしたことがどんなにひどい問題になるかをるる
説明をいたしましたところ、先方は深い反省の意を表するとまで述べたわけであります。
私
どもは議員としてそこまでいたしましたが、
政府の対応がそれに続いてないことを残念だと思っているわけであります。円借のところだけをぎゅっと絞って、欧米諸国の後ろで絞っているだけ、そして注意は本格的にしないというだけでは、何ともかんとも底意地の悪い官僚的手法ではないかと思われかねないからであります。
日本政府として青年を銃撃することはよくないと明快に言うべきであります。しかも、デモ隊をやっている、この
世界で民主化する御時世において、それをブルジョア民主主義などと言ってデモをすることを禁圧しようなどと
考えることはとんでもないことであると
日本政府が言わなければならないと思う。そして、その上において円借については、むしろ
世界の国々に対して
中国を経済的に追い込むということがどんなに大きな波乱要因になるか、
世界の不景気の引き金になるかということをるる申し上げなければならないと私は思います。
三年間の調整政策の実施などということは、それこそまるで昔の輸血の反対の瀉血を長期間にわたってやるようなものであって、国民生活に対する打撃ははかり知れない。最近は経済
協力の
資金は枯渇し、回転
資金は枯渇状態になり、そして農民や工場の一部における給与の支払いも、また手形で行われるとか国債で行われるとか、しまいには繰り延べが起こるとかいう状況にもなっている状況であって、こういう波乱要因を起こすことは好ましくない。事なかれ主義だけで推移するのではなく、聞きにくいことを堂々と言うという態度でなければ第二次の日中
友好関係はできないのではないかと私は思うわけであります。第一次の日中友好は、国交
正常化のための共同声明と平和友好条約との二つででき上がってありますけれ
ども、これは
政府間の協議でおります。しかし
政府間の協議のほかに今見詰められているものがある。それは
中国の大きな民衆の目であり耳であり声であります。
これに対して対応できるだけの態度を
日本人はとらねばならない。そうすると言うべきを言わねばならない。そして、その上でけがもある程度しなければならない。その上で私
どもはこの隣国を我々の力で穏当な道を切り開くべく助言を与える必要があるのではないか。私は、これは内政干渉の道ではなく、
日本国民という一番
中国に対して何かをしなければならない道義的な負い目を持っている
国家としてあるいは
政府としてやるべきことではないかと思いますが、いかがでございますか。