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参考人(
加藤敏幸君)
連合の
加藤でございます。
私は、
労働組合の現に
仕事に携わっている
立場から、
労働と
余暇に関する
考え方を申し述べたいと思います。
お
手元に
資料として何ページかお配りをしております。
一つは、「一、八〇〇時間は〝可能だ〟」ということの
資料でございまして、ここに書いてい
る内容と申しますのは、
世界の
先進国の
労働時間等と比較しながら
我が国の
労働時間を少し説明をさせていただいたということであり、その趣旨は業種あるいは
企業規模によって大変大きな開きがあるということでございます。
なお、
連合あるいは
労働団体が当面どの
程度の
労働時間を
目標にみずからの
運動を進めているかということにつきましては、
一言で申しますと一九九三年度には総実
労働時間を一千八百時間にしたい、こういうことでありまして、それに向けて
完全週休二日制でありますとか、
年次有給休暇あるいは時間
外労働、そのような
項目ごとにいろいろな
目標を定めているということでございます。
歴史的に
我が国の
労働時間がどのように変遷してきたかと申しますのは、二ページの左の隅にその
グラフがございます。これは
労働省が作成をした
グラフでございまして、
昭和三十五年から
昭和五十年までの間に約四百時間近い総実
労働時間の
短縮に成功いたしました。
高度経済成長の波に乗り、十五年間で約三百八十時間
程度の
短縮を実現したということでございます。御存じのとおり、
昭和五十年以降二度の
石油ショック並びに円高等により
我が国の
経済界は労使ともそれらに対する
対応策に全力を尽くし、今日の
世界に誇るべき
経済大国を成し遂げたということでございます。
ただ、それを
労働時間の変遷ということの
観点から見ますと、そこにございます表のごとく
昭和五十年から
昭和六十二年、そして昨年の
昭和六十三年、十三年間
労働時間は減少しておりません。むしろ微増の傾向にあるという指摘が正しいかと思います。すなわち、
昭和三十五年から十五年間はマッターホーンを下るがごとくすばらしい
労働時間の
短縮を成し遂げながら、
昭和五十年以降は微増である、
つまりアメリカ大平原のような状況にあったと申せるわけでございます。ただ、この間
日本経済が沈滞であったかと申しますと、その間のGNPの伸び率というのは
世界の
歴史においても驚異的な内容であった、このように理解しております。
そういう
立場で
労働組合から申すならば、この十三年間はまさしく
労働時間に対する
生産性の成果配分においては見るべきものがなかった、むしろ停滞の十三年間であった、こういう認識でありました。したがって、一九九三年度一千八百時間という
目標は、五年間で三百五十時間の
短縮目標を掲げたわけでありまして、この
目標に関しましては、
労働組合の活動家あるいは職場を抱えたリーダー
たちの間からも極めて非現実的な
目標ではないかという指摘をたくさんいただきました。しかし、過去の十三年間、我々が
労働時間
短縮に見るべき成果がなかった現実を
考えるならば、あるいはその間の我が
日本経済あるいは
企業の体力の増強に比べるならば、いわば十八年間で三百五十時間の
労働時間の
短縮をする、このことが
歴史的な経過で言えば正しいのではないか、またそういう努力をすることが欧米との公平な
労働基準を確立するという
意味でも正しい
方向ではないか、このような主張をしておるということでございます。
三ページ目から「
連合時短「中期(五カ年)取り組み方針」(案)」という形でございまして、これは
部分的には来る二月十六日に追加提案をされて組織の中では確立した方針になるわけでございます。この
連合の基本的な
労働時間
短縮の方針というのは、主に活動領域を三つに分けて
考えております。
一つは「対
企業交渉を中心とした取り組み」ということでございまして、これはおのおのの
企業の社長に対して、
企業の経営責任者に対して、それぞれが労使交渉の場において要求し確立をしていく、こういうふうな分野でございます。この
考え方の中心は、やはり運輸・交通部門と例えば電機・製造部門とでは業種の実態、また
企業の状況等、大変差があるということから、
連合に加盟している五百五十万の組合を六つの部門に分類いたしました。それぞれ部門ごとに五カ年間の
短縮目標を
項目ごとに設定いたしまして、それらをお互いの約束事として、今度は自動車総連あるいは電機労連という
産業別
労働組合がこのガイドラインにのっとってみずからの五カ年計画を確立していく、こういうふうな
考え方でやっておるということでございます。これは主に対
企業交渉中心の内容であるということであります。
二つ目の領域は「対政府交渉を中心とした取り組み」ということでございまして、これは政府あるいは国会に対し要求をしていく内容でございます。どういうふうな項目を我々が
考えておるかという内容につきましては、その
資料のページ数で申しますと、五ページから「対政府交渉を中心とした取り組み」ということで「時短に関する政策・制度課題」ということでまとめられております。
我々の基本的な
考え方は、
完全週休二日制を
社会的に定着させていくんだということから、金融機関の土曜閉店あるいは公務部門も含めました
完全週休二日制の実施を掲げていきたい、また
学校における土曜休日制も計画的に実施をしていきたい、あるいは審議密度の向上による国会及び地方議会の週二日審議休日制の確立等、こういうことも
社会的全般に及ぼす影響等を踏まえながら
考えていきたい、これが
一つの項目でございます。組織内の
議論の中には、市民サービスが
本当に保障されるのか、あるいは
学校の
教育としていかがなものであるとか、いろいろな
議論があることは事実であります。しかし、我々としては、
完全週休二日制を
社会的に定着させるためには、それらの
議論を乗り越えて、やはり端的に言えば割り切ることの必要性を組織的に確認してこういう要求を掲げてきた、こういうことでございます。
二点目は、
労働時間
短縮を進めるに当たって、大変厳しい状況にある中小
企業等の
産業に働く
労働者の時短をどう促進していくかということでございます。そのために
労働時間に関する労使協定の地域拡張適用という既に労組法の決まりがございますけれ
ども、その他時短促進援助を図る促進法というものを制定していくことが必要ではないか。また、下請事業所への発注方法の改善、規制に関する行政指導あるいは我々大
企業の
労働組合自身がみずからの
企業に対してそのようなことを要請していこう、こういうふうなことを
考えております。
大手
企業が三時に納品せよと、こういう命令を出しますと、下請
企業としてはそれを守らなければならない。従前は一週間分をまとめて納品しておったわけでございますけれ
ども、それが毎日の配送に変わり、最終的には時間指定になるということが下請関連業者の
労働時間の過重化につながっておる。あるいは皆様方御利用されるかもわかりませんけれ
ども、ゴルフの宅急便が大変普及いたしました。土曜日にあるゴルフ場で使い、それを月曜日にはまた福島から九州に転送するということのニーズが、結果的に運送業者をして日曜日ほとんど一日運送の業務をやらざるを得ない、こういう問題も発生しておるということも我々は大変留意していかなければならないということでございます。また自動車運転者等交通運輸
労働者の内容、
労働時間の長さというのは
世界共通事項でございまして、これらについて抜本的な改革案ということも
考えていかなければならない。こういう内容が
労働時間
短縮を進めるのに大変苦労する
産業に対する
対応策ということでまとめている内容であります。
三つ目が、豊かでゆとりある
国民生活を醸成するということから、長期連続
休暇でありますとか、あるいは五月一日の
国民祝日化を含めた太陽と緑の週の制定でありますとか、あるいは
余暇情報のネットワーク化など
余暇・自由時間を有効活用するためのシステム、ソフトウエアの開発、あるいは勤労者が安価で利用できる長期滞在型の
余暇・レジャー施設の拡充、そういう内容をまとめております。この
国民生活を豊かでゆとりあるということにいかなる方法で持っていくのかというのは、新しく結成されました
連合という
労働運動の推進体といたしましても大変重要な課題でありまして、このことに新しい提案をしていくことが大変我々喫緊の課題である、このように感じております。この件につきましては後ほ
どもう少し触れ
させていただきます。
次に、
労働基準法の関連の改正でございますけれ
ども、これは省略いたします。
最後に、地方、中央一体となった取り組みということから、
労働時間
短縮政策会議の地方版をつくるとか、そういうふうな内容の提案であり、また
労働時間、休日
休暇に関するILO条約の批准が
我が国の場合に
一つもされていないということでございます。これはILO条約の批准に関する
考え方が
日本の場合は大変厳しい批准の
考え方を持っておりまして、完璧でないと批准をしないというような状況にございますけれ
ども、しかし、
我が国がいまだ
労働時間に関するILO条約の批准がされていないということ
自体が一体いかなる内容のものであるのか、この件についても我々としては改善、前進をしたいということでございます。
「
国民運動を中心とした取り組み」と申しますのは、単に対政府交渉あるいは対
企業交渉のみならず、国全体としてこの
労働時間の問題あるいは自由時間の問題をどのように
考えていくかという、言ってみれば
国民が持っておる価値観
自体の大幅な変更ということも
考えていかなければならない、そういう
観点から
国民運動あるいはキャンペーン等に取り組んでいきたいということでございます。この内容は、お
手元には白紙になっておりますけれ
ども、既に今組織内で原案が出されております。例えばゆとりコンサートというようなものを開いたりあるいは全国の議会においてゆとり宣言を採択していただくとか、国際的なシンポジウムをしていくとか、そういうふうなことをもって世の中にそういう機運を醸成していくという内容でございます。
以上が
連合が今取り組んでおる
労働時間
短縮のいろいろな方策でございます。
さて、視点を少し変えさせていただきまして、なぜ
労働組合が
労働時間
短縮に取り組むのか、極めて当然のテーマでございますけれ
ども、多少の所感を述べさせていただきたいと思います。
第一点目は私
たちの
労働の価値の向上を図りたいということでございます。
最近、土地が急激な値上がりをいたしました。土地資産を持つ者と持たざる者との間に財産上の格差が拡大をしたということでございます。土地がこのように暴騰し、一生かかっても土地つきの住宅が購入できないという事実は、私
たちの
立場から申しますと
労働の価値が相対的に低下した、こういうことに尽きると思います。金融資産を持つ
人たちの資産価値は向上し、汗を流しながら働く私
たちの
労働価値が低下した、そういうふうな
観点から本質的に
労働組合として
労働の価値の向上を図りたい。これは相対的な
経済価値だけではなくて
労働の中身そのものの絶対的な価値の向上を図りたい。これは百年前の
労働者がつくっておった生産量あるいはその製品の質、両方あわせて私
たちはよりいい物をよりよく提供していく、そういうことを含めた
考え方であります。
二つ目は、豊かな
生活を築く上で時間というのは必要な他にかえがたい
生活資源であるという
観点でございます。
お金があっても時間がなければ豊かにはならない、この厳然たる事実を私
たちは見据えていきたい。かつて時間よりも賃金という志向が大変強うございました。しかし、そうやってためた
お金で一体どういう豊かな
生活が実現したのか、このことを振り返りますと、私
たち自身もまず時間資源を確保する、そういうことをやらなければ
生活の真の豊かさということは獲得できないのではないか、こういうふうに
労働組合に働く私
たちも
考え方が急速に変わりつつある、こういうことでございます。
三点目は、
労働能力への再投資のためにも時間が必要であるということでございます。
私
たちの
労働に対する打ち込み方というのは、私は
労働組合の役員であるから言うのではございませんけれ
ども、しかし大変すばらしい伝統があるというふうに
考えております。ヨーロッパに行きますとヨーロッパの
経営者が、我々ヨーロッパの
経営者に
日本の
労働組合があれば決して
日本の
経済に負けることはないんだというようなことを何回も言うそうでございますけれ
ども、私
たち自身としても
労働ということに関してやはり積極的に打ち込んでいきたい、そういうふうな
意味で、
労働の
人間化を図るということからも
労働能力を高めるということ、そのためには時間が必要だと。
四点目は、生きる
意味ということをやはり我々も
考えていっているということでございます。
個人的な話でありますけれ
ども、私ももうすぐ四十歳を迎えましていろいろ日々悩むことが多くなってきました。今まではこういう
運動の中で
本当に前ばかりを見て走ってきたのでありますけれ
ども、ここ一年、何のためにこんなに日々働いているのかということを
考えることが多くなったということであります。その
意味で、先ほど
山崎先生のお話がありましたように、生涯
学習というふうなものを単に知的な知識を獲得するという場だけではなくて、もっともっと広い
意味で、一人一人私
たちがどうやってよりよく生きていくのか、こういうことを
労働者、働く者自身も日々
考え出してきた、またそういう
時代になったのではないかというふうに思います。
連合の
運動方針は、「十人十色の幸せ探し」ということを言っております。十人十色でございます。すべての人が画一的に生涯
学習に打ち込むということではございません。ごろ寝でもいい、またそれも
一つの時間の過ごし方である、そういうふうな
意味で、一人一人が
自分はなぜ生きているのか、どのように生きていくのか、そしていかにすればよりよく生きていけるのか、こういうことを
考える時間がそういうふうな
意味でも必要である。
五つ目は
社会システムの再構築でございます。
一つの例を示しますと、高齢化
社会が近づいております。それに対するいろいろな方策が国会においても
考えられておる、そのように承っております。この高齢化
社会に対する
対応策というのはいろいろございます。しかし、介護の問題あるいは老人の生きがいの問題、そういうことを
考えた場合に
社会システム全体が少し構造を変えていかなければ対応できないのではないか。例えば、もう引退をしてもらって、隠居
生活でどうそのんびりと暮らしてくださいということが老人の方々にとっていいことなのか。私は、私の経験からいろいろ聞いておりますとそうではないというふうに感じます。すべての人が
社会に対して
一定の役割とつながりを持って生きてこそ生きがいというものがあるのではないか。そういうふうな
意味でワークシェアリングというような
概念を導入し、すべての人が
自分の力で
社会に貢献していく、そういうシステムをつくっていく必要があるのではないか。
また、一人一人のヘルスケアを行う
意味でも、現在のように、
労働人口、例えば二十から六十歳までの人が集中的にわき目も振らず働くというシステムではなくて、一人一人がゆとりと余裕を持ちつつ
労働に参加していく、そういうふうなシステムも必要ではないか。いろいろなことを
考えていきますと、
社会システムを少し変えていかなければ二十一
世紀に対する
日本の
社会というものが対応できない。そういう
観点から、
一つは時間のあり方というものをもう少し
考え直す。もっと言えば、生涯の
労働時間の分布の仕方も改善をしていく。年々の
労働時間というものを千八百時間
程度にしまして、そのかわり生涯
労働に参加する期間を、一人一人の都合にもよりますけれ
ども、押しなべて平たく延ばしていく、そういうふうなことも必要でありますし、また健康に対するケアの問題、あるいは老人に対するケアの時間を確保していく、こういうことも必要だというふうに思います。
私
たちは、みずからの両親の老後をやはり家族がみとっていく、家族が世話をしていく、そういう
社会を目指したい、このように
考えております。もちろんそれができないという人のためのことも
考えることが必要でありますけれ
ども、大きく言えば、やはり金さえ出せば後は外国人
労働者の導入ででも老後を面倒見ればいいんじゃないか、そ
ういう
考え方は持ちたくない。やはり真心を込めた対応が必要ではないか、そういうふうな
意味で
考えていきたい。そういうふうなことをいろいろ
考えますと、職場における
労働慣行というもの
自体も私は変更していきたい、またそういう努力を
連合としてしなければならないというふうに
考えております。
卑近な例でありますけれ
ども、私はある大手電機会社の社員でもありますが、その職場で、今度の金曜日に
休暇をとりたい、こういうふうに例えば課長に申し上げたといたします。
休暇の取得
目的はこれは問う必要はないわけでありますけれ
ども、今の
日本の
労働慣行で言えば必ず問いかけます、何でとるんだと。そうすると私が、いや実は今度の金曜日家内の誕生日なので、コンサートなりあるいは演劇でも鑑賞し、夜は食事でもとりたい、そういうことで
休暇をとるのですと。こういうことを申しますと、今の
日本の大手
企業の課長の頭脳は恐らく二、三分は思考を停止するのではないか、こういうふうに感じるわけであります。また、周りにおる同僚あるいは部下も恐らく、またいい格好してというのか、あるいは唖然とするのではないでしょうか。そのぐらい
日本の職場は、そういう家庭の幸せということを前面に打ち出す、そういうことを潔しとしない、そういう規範が確立をしております。
これは
世界の職場においては大変異質なものであります。しかし、
日本の
経済がそういうことを許さない職場のノルマがあるがゆえに
世界で最高の競争力を持つとするならば、これは私
たちの家庭を犠牲にした上での競争力である、このように言わざるを得ないのではないか、このように思うわけであります。
私は、職場にあっても一人一人の家庭の事情、そしてまた一人一人が家庭の幸せを確立するということを大いに認め合う、援助し合うということを目指さなければ、何のために
世界最高の競争力を獲得したのかという根源的な問いかけが職場で起こってくるし、また戦後生まれの新人類と言われている方々、あるいは私の家内を初め戦後に育った者が持つ価値観というものは急速に
変化をしておるわけでありますから、
社会を健全に発展させるためにもそういう新しい価値観を獲得していくということも必要ではないか、このように
考えておるわけであります。
労働組合が担う責任も大変大きいわけでありますけれ
ども、また一方、
労働組合としての限界もあるわけでありまして、やり過ぎますとまた少し問題が起こります。そういうことを
考えながら、
労働組合としての
労働時間
短縮ということの取り組みを強化していきたい、このように
考えておるわけであります。
とりあえずの私の
意見の陳述を以上で終わりたいと思います。ありがとうございました。