○中村哲君 それから、続いて
外務大臣は、第一義的には政治と社会体制を異にしと、こう言われているんですが、政治の一番の違いは、戦争以来のあの軍隊を揚棄するというか、廃止するというか、それを捨てて平和な体制に持っていっているかというところがやっぱり私は問題だと思うんです。この点については毛沢東がある段階で、
日本という敵国がなくなった後でこの権力の体制をどうすればいいのかと、こう言っているところがありますけれ
ども、これは今までの
中国の内戦の
発展としてこの社会主義をやっているものですから、そこに断絶がないというところに問題がある。
それからもう一つ、社会体制の違いはもちろんあるわけですけれ
ども、
中国は
世界人権宣言を正式に採用したり国連との
関係はできているけれ
ども、
世界人権宣言を正面から
承認していないために、保留したような形になっているために、人権に対する
世界的な今世紀の常識から離れているという、これが問題だと私は思うんです。
したがって、アメリカの最近のアパルトヘイトやなんかの問題は、あれは
世界人権宣言的な線からいろいろ発言があるんだけれ
ども、
中国は最も早く社会主義をこうやって実現した国であるのに人権の問題についておろそかになっておる。このことはやはり
中国の政治家たちが自分たちでこの問題を
解決していくべきことであって、今そうなっていないからといって
中国を非難するわけにもいきません。これは
歴史的に
世界人権宣言を採用していないし、憲法の条文が多少違いますから。
日本憲法の場合は
世界人権宣言の人権の規定の部分と、
日本憲法の人権の部分とは全く同じ精神なんです。これはルーズベルトの四つの自由とか、あるいはさらにそのもとになっているのはイギリス労働党に深く
関係したH・G・ウェルズ、ああいう人の思想が
世界人権宣言に出てきているというのが一方の説ですが、大体においてそうだと思いますけれ
ども、そういうものと
中国が別の系統であるという、この問題はやっぱり
中国が今後とも
解決していくことをむしろ期待したいと思うんですね。それを非難することよりも、そういう問題を
解決することが必要だと、こういうふうに思うんです。
この「
価値観においても異なる」という、
価値観というのは社会主義等のことを言っておられるんでしょうけれ
ども、その言葉の続きに「
中国の
国内の問題と認識し」と、こう
外務大臣言っておられる。これは
中国側も今言っているのはそれなんですね、
中国の
国内問題だということを。これはよその
各国は必ずしもそうだけとは思っていない。つまり、人権の問題なんかになってくると
国内問題だけじゃないということがあるんでしょうけれ
ども、
中国は
国内問題なんだと、これが一つの今度の処理の仕方なんですね。だから、その
国内問題として革命をやってきた、その革命に対して反革命をやろうとすることになった、
政府を倒そうとした、これは
中国としては容認することができないという、
国内問題に対する干渉というか、
国内を撹乱させているという判断があるんです。これが一つの焦点だとやはり思います。
それから、続いて
外務大臣は、「
民主化を求める
学生・
市民に対して軍隊が発砲するがごとき行為」は人道上許せないと。これは
中国に対して好意的な国でも、あるいは
中国と
関係の深い人間でも、
世界的に
中国が今非難されているのは軍隊を発動したということで、さっき申しましたことであります。しかも、それは「人道上」ということがここに言われている。これもまさにそうだと思います。だから、政治問題や社会問題じゃなくて人道問題だと、これが大きいことだと思います。だけれ
ども、
中国は、これは
国内問題なんだと、
国内に干渉するようなことというので海外からの発言に対しては対抗しようとしておりますが、これはまさにこの人道上ということが大きいと思います。
それから、李鵬が鄧小平と最終的には話し合い、了解した上で今度の強硬な措置をとったわけですが、李鵬という人は本来割合に、何というか、国際的に通用するようなそういう要素を持っていて、
中国一本やりの、例えば最近の外電なんかで言うカリスマ的コミュニズムじゃない人ですね。実権派と言われて、そして文化大革命とはむしろ対決してきた人なんです。だから今、鄧小平がこういう措置を最終的にとったということだけで
中国を決めてしまうわけにはいかないと思うし、政治家のことですから、いろんな複雑な要素に苦慮してのことであると思うし、そしてこういうふうに戒厳を実施した以上、そこから残されているいろんな問題は未
解決でまだ手をつけていないことですから、そこはまさに
日本は
外交の手段で、隣国としての友好的な
関係がありますから、いろんな発言をやはりしていくべきだと思う。これをもって
中国を決めつけていく必要はないと、こういうふうに思います。
それで、私は今度の問題で注意しましたのは、読売新聞にキッシンジャーが連載しておりますわね。彼が書いている中に、胡耀邦それから趙紫陽の線が
経済的な面での社会改造をしようとした、そのことが必ずしも成功でなく、むしろそこに非常にいろんな矛盾があって、その問題が趙紫陽、胡耀邦との対立の一つの点になっているということ。これはやはりキッシンジャーのような今の
世界の本質的な問題をついている人だからそれを言っているので、これは
日本が
中国に対するときも忘れてはならないことだと思います。胡耀邦と鄧小平の政策の違いがどこにあるかというのは、かなりこのことにあると思います。このことを、
外務大臣は
経済関係のことはよく知っておられるわけですから、こういう問題の今後の
解決を
中国がどうしていくかということについて、
日本としてやれることを積極的にやるということが必要だと思います。
で、大体キッシンジャーというのは今世紀の国際問題の焦点をきちんとつかんでいる一人でありまして、私は割合にジョージ・ケナンのデタントの
考え方を注意してきたんですけれ
ども、やっぱりこれだけの大きな事件が起こりますとキッシンジャーは問題の本質をよくつかんでおりますね。それで、彼は
中国にはもう何回も行って、しかも
中国に行って普通の観光をしたというようなのじゃなくて、要路の連中と問題のあるときに話し合っておりますからね、やっぱり今世紀における
歴史的な観察者だと思いますが、そのことはさておきます。
それから、
一言申したいんですが、
アジア人が人命についてどうもヨーロッパ人ほど尊重しないような要素があるということ。これは戦争が終わる段階でルース・ベネディクトが「菊と刀」、あれで
日本の軍隊とアメリカの軍隊との相違を
指摘したわけです。それはミッドウェーの海戦でしたか、航空母艦が撃沈されたときに将兵が海にほうり出されたでしょう、それを司令官が一人残らず救済しようとした。そのことで最高の勲章をもらった。その話を
日本の捕虜にしたところが、なぜそんなことで勲章をもらうのかと言うんだが、戦争は戦争、しかし人命を徹底的に救助したその司令官に勲章を与えたということで、このことの意識が
日本人にはないんです。
日本人は、私も戦場に行きましたけれ
ども、戦争へ行けば死ぬのは当然だということてすが、この点がまさに民俗学――フォルクロアーとかエスノロジーと言っているあの民俗学が戦後急速に高まったのは、このベネディクトの
日本軍とアメリカ軍のその人命に対する尊重の仕方の違い、それの追求から始まっているのでありまして、まさに
中国の場合もこの
アジア人の人命をおろそかにするその一例だと思います。ですから、学問的にも、この人命をおろそかにするということは文化史的に非常に大きな問題であります。そんなことからいろんな問題を感じます。
なお、この
外務大臣の
あいさつの中に
邦人の身の安全のことを言っておられますが、これは恐らく
外務省のことですからベストを尽くしておられると思います。ただ、
中国の留
学生で
日本に残っている者、これのいろいろな権利の
保護というもの、これは特別にしなければならないと思うんです。というのは、そういう
中国の留
学生の一人で、やはりデモに参加したりなんかしているけれ
ども、家族が
中国にいて、それで送り返された場合、その場合に起こることを非常に心配しておる。
中国の政治家たちはああいう戒厳をやむ得ずやったけれ
ども、それ以外の一般の
学生や
市民に対する権利の保障というものは特別にやっぱり配慮することがあっていいと思うんです。それによって国際的な非難も緩和されるだろうと思います。その点について、
日本の
外交は慎重に対処されておりますから、どうかそういう
意味での人命とか人権の保障を留
学生に対してされることを希望します。戦前、私は台北の大学の教授をしていたものですから、台湾の
学生がアメリカで蒋経国反対というのでデモをやって、そのときの写真をある新聞が撮った。それで送り返されると、送り返されれば場合によっては死刑になる、こういうことで救済してくれと言われて、当時その問題で
外務省の方に行ったり……