○中村哲君 どうも私は長年講義しているものだから、質問しているのか講義しているのかとなりますけれ
ども、質問をしたいのは、今、
宇野外務大臣が伝統とおっしゃったんですが、伝統ということ、コンサバティブとトラディショナルという概念の相違をマンハイムがはっきりと言っているのです。保守と訳されているコンサバティブというのは、古い様式や儀式をそのまま保持しようとすることではないのです。マックス・ウェーバーが言う伝統というのは、ある
一つの昔の型をそのまま守ろうとすることで、政治の世界でそれなりに時代とともに発展を認める価値体系としての保守の概念とは違うのです。だから、伝統芸術だとかお茶とかお花とか、ああいうものを守る、あれは伝統なんですね。ところが、そこの伝統というのとコンサバティブというのとがごちゃごちゃになって、このごろはどうも伝統を重んずるようなことが強過ぎているんじゃな
いか。それは必要なことはあるんですよ、例えば能だとかお花だとか、そういうふうな芸能は決まった型を守るんですね。だけれ
ども、皇室制度を厳格に守らうというんなら、それはやっぱり
国民とはちょっと切り離さなきゃいけないですね。そういう昔の型だけは守る。伝統だというけれ
ども、例えば天皇を火葬にしなくなったのは幕末なんですよ。これは幕末の孝明天皇の前だったと思うんです。それまでは火葬にしていたんです。そうしたときに京都の奥八郎兵衛という人だったと私は思うけれ
ども、この人は宮中の魚屋さんで、京都で天皇の葬儀をそういう仏式にするのは
いかぬということをこの人が言ったんですね。それで、そのころから天皇の葬儀が神式になった。それからもう
一つ、神道の方は余り葬儀に関係しなかったんです、伝統的に、汚れということで。そうしたら平田篤胤が、神道を時代に合わせるために神道の葬儀をすべきだと。それで、明治の維新の志士で土佐藩の人ですが、京都で明治維新の志士の葬式というのが神道で行われたわけです。これが始まりなんです。
そういうことで、天皇制の伝統といっても、果たして伝統かどうかという問題はあるし、伝統であるよりはやっぱりいいところは守り、そしてその時代に合わせるところは合わせないとヨーロッパの君主制とは非常に違ってしまうと思うんです。それが異常な感じを与えるんじゃな
いかと思うんです。
それで、もう一言ですが、テレビに天皇の容体がもう嫌なほど時間ごとにああやって出てくる。これは個人の天皇としても非常に酷な感じがしましたですね、むごたらしい感じがした。私は、さっきのことに一言関連したことを申しまして終わりたいんですが、旧憲法の講義から始めたものですから、私は美濃部達吉
先生の憲法学者としては最後の弟子でありまして、そして天皇機関説が全国で問題になったときに、私は本来は南原繁
先生の助手でありまして、ドイツ国家学をやっていたんですけれ
ども、無職だというので、台北帝大の憲法の講座があいたときに、東大の公法の関係から台北帝大の憲法の講義に派遣されたというか行きまして、そして天皇の講義からずっとやったんです、実際は天皇機関説的なのが東大の伝統でありましたものですから、今でもそうですけれ
ども。そのころなんか例えば新聞でも天皇のことを新聞の半分から下に書けば編集長が
責任とるとか、もう実に天皇問題というのはタブーみたいになっていたんです。つまり、かしこきあたりと。何かそういうふうに今でも、私が
国会で天皇のことをこうやって
議論すると、何を言うのかというふうな空気があるんじゃな
いかと思って、こういうことが問題だと思う。やっぱり自然に天皇のことを、制度のことや何かを
議論するというような空気がありませんと、国際的な波長と合わなくなると思うんです。
一言それだけ申しまして、私の話を終わります。