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遠藤(武)
委員 昨日、
竹下総理が辞意を表明されました。私はちょうど一年前、
総理の初めての訪欧に随員としてお供いたしまして、わずかな期間ではありましたが、行動をともにさせていただきました。また、さまざまな諸会合で
総理のけいがいに接する機会がしばしばありまして、思うに、
総理御
自身はおのれの出処進退というものに対して明確な意思を持たれておる方だなと信じておりました。
総理は、辞意の表明が必ずしも総辞職であるとかあるいは解散とかにつながるものではないというふうなことの
意味を表されたようであります。ねらいはもちろん
予算の早期成立であり、また
総理が強く意図されておった
政治改革の実現であろう、こう思うのであります。
総理が辞意を表明するに至ったいきさつ、あるいはその後におきましてもいろいろなことがありまして、心中察するに余りあるものがございますが、我々はその意を体して国会の審議の
正常化に向けて努力しなきゃならぬ、こう思っておるところであります。
ちょっと古くなりますが、実は昨年の秋ごろの新聞に、論調でございますが、こういうことが書いてありました。
消費税は反対だ。多数決で負けるから審議は拒否する。国会にも
出席しない。そういうことでは自民党が
単独で強行採決するのと、反対の
意味で同じことだ。選挙が終わったら次の選挙まで国会が要らないことになる。一体議会制民主主義の殿堂たる国会をどう考えているのか。こういうことを述べておる新聞論調があるのであります。
私もこれを推し進めて考えれば、こんなことが続くと、普通の国だってテロとかファッショとか、そういう機運というか危機的な状況を醸し出しかねないという危惧を抱くのであります。きょうはここは
予算委員会の場でありますから、
委員長におかれましても、どうかひとつ各党に対するさらに一段と協力方を御要請していただきたい、かように
お願い申し上げる次第でございます。
さて、今、
政治改革が焦眉の急というふうなことで叫ばれておるわけであります。
政治改革の原点というのは一体何であろうかというふうに私は考えます。それはやはり今日の政治状況から考えると、声なき声が届く政治、わかりやすく納得のいく政治、こういうものを実現していくことが
政治改革の原点ではなかろうか。そして、そこを貫く
一つの柱は、国益というか
国民の生活の安定といったものが保障される政治というものの実現を図るということが原点でなくちゃならぬ、こう私は思うのであります。
政治改革が叫ばれている端緒といいますか、そういうものになったのは、やはり
消費税に対する違和感あるいは不公平感、それから理解のしがたさから来る政治不信、そしてまた、
リクルート事件にかかわる
政治家と金に対する疑惑と
自分の現実生活との余りにも大きな隔たりというものに対するふんまんというものがあったのではないかと私は
思います。
我々
政治家が
政治改革と言うときに、金のかかる政治活動あるいは金のかかる選挙活動といった実態、こういったことを声高く主張するのであります。しかし、その改革の必要性や現状の正当性というか妥当性というものを
政治改革の名をかりてやろうとするところにはちょっと無理があるのではなかろうか、こう考えておるのです。そして、金のかかる政治の弊害をなくすためには政治資金法など、つまり金の出と入りというものの見直しが必要だ、こう主張されております。また、金のかかる選挙といった実態をなくすためにも一票の重みというような考え方も存在いたします。選挙制度そのもの、つまり定数や選挙区の見直しということ、あるいは選挙法の改正といった
議論もこれまでなされてまいりました。しかし、
政治改革と言うときに、私は政治の仕組みそのものにまで目が届かなければ至難のわざじゃなかろうかと考えておるのであります。つまり、政治の仕組みを変えるというときには、それは意識の改革というものを伴うべきであります。
日本の政治というのは、非常に高度に発達した、いわば
国民がごく当たり前に考えることのできない、はかり知れない深さのようなものを持った膨大なあるいは肥大化した官僚機構というものがあります。この官僚による管理統制といった政治の仕組みというものが今度の
政治改革の中で論じられないということは、いささか問題を残しておるのじゃなかろうかと私は思っておるのであります。
例えば、政界、官界、財界、この三者の癒着というようなことがよく言われるわけですが、
日本人は四字の熟語が大変好きでありまして、例えば、今は政高党低の時代であるとか党高政低の時代であるとか、そんなようなことを言われておるわけですが、私は、官というか官僚機構というものが一番強いのではないかな、非常な強さを発揮している時代じゃなかろうかと思っております。許認可権や
予算の配分権、税の執行の権限、あるいは現場で法そのものの執行の権限を持っておられるわけであります。
そして今や陳情政治が当たり前という現実であります。
予算編成のときのあの大勢の、言ってみれば永田町銀座とも言うべき大勢の陳情団の動きはすさまじいものがあります。また整備新幹線の問題のときなどは、市長や県
会議員やその他永年勤続議長のバッジをつけた
地方の議員、自治体の関係者が我々に廊下で土下座して
お願いしますというようなあの実態を、私は陳情政治の悪というか欠陥とみなさざるを得ないのであります。全く情けないような政治の仕組みではなかろうかと思うのであります。
私は、政府機関の
地方移転というのは、今列挙されておるような機関が移転しただけでは根本的な解決にならぬ、こういうふうに思っております。いわば大幅な権限移譲、税または財源の配分、こういったものなしには政治の仕組みを変えることはできぬだろうと思うのです。
それから、国
会議員の職責の問題もあると思うのです。いろいろ限定するわけにいきませんが、やはり小選挙区制あるいはプラス比例制といったことが改革の一連の考え方として主張されている以上、私
どもは国
会議員の職責というものをある程度、限定すると言うと語弊があるかもしれませんが、あえて恥を承知で申し上げるならば、すべきではなかろうか。つまり、憲法であるとか外交、軍事、防衛、災害、エネルギ丁、そうしたものに国
会議員の職責をある程度枠をはめる。橋をかけるだとか道路をつくる、学校を建てる、あるいは教育であるとか
地方の文化だとか
地域の医療といったようなものは
地方の議会、議員にゆだねていくという、いわば最高の権限を持った国
会議員を利益誘導的なものに近寄らせないということが肝心ではなかろうか。また、そのことが
国民にこたえる
一つの道でもあるのではないかな。これは私個人の考えですが、そういう感触を持っているのであります。
金のかかる選挙であるとか金のかかる政治活動といいますが、かからないようにするには私は簡単だと
思います。いろいろ調べてみますと、公職選挙法、政治資金規正法、その他衆議院、参議院の申し合わせ事項というのがありますが、これらを完全に守れば、金のかからない選挙は簡単なはずであります。それができないというところに問題がある。それをあえて外側から環境を整えていくとすれば、行政やそういう政治の仕組みを変えていく強い政策的意図がなければならぬと私は思っているのであります。
そこで、
総務庁長官にお伺いいたしますが、
地方の財源を大幅にふやしていく、交付税制度を見直していく、
地方債などの許認可の権限を見直していく。固定資産税の不均衡等、
地方税としてこれを残しておくことがいいか悪いか問題があると
思いますし、また相続税だって、都会と
地方との評価が違うわけでありますから、この相続税も国税として置くということはいかがなものであろうかと私は思っておるのであります。
また、
地方の
予算の比率を見るときに、細かい数字は申し上げませんが、
単独公共事業の少なさというものは大変な実態であります。いわゆる県単事業と称しておるものですね。ちょっとした雨で崩れたがけや流れかかった橋、河川、こういったものを直すにも国の補助金や県からの援助がなければ改修、補修できないというような現実は、全く不合理ではないかと私は思っておるのであります。いわば、
民間よりも、財界よりも官僚が強いとかいう実態が陳情というものを生み出しておるのでありますから、だとするならば、じゃ
政治家は、政界は、国会は官僚機構より強いかというと、必ずしも私はそうじゃないと
思います。
今回の
リクルート事件や文部省あるいは労働省との関連にしましても、規制する側と規制緩和を願う側との相克であります。大体、規制と緩和はイタチごっこみたいなものでありまして、
日本の
官庁機構というのは非常に親切過ぎるのじゃなかろうか。ああしちゃいかぬ、何か問題が起きると、こうしなくちゃならぬというふうな方向へすぐ動くわけであります。こういった行き過ぎであるかどうかなどということは、私は、
国民の判断にゆだねるぐらいの
一つのそういう受けとめ方をしなければ、
国民の政治感覚も成熟してこないのじゃなかろうか、こう思っておるのであります。伏魔殿のように精密に構築された官僚機構というのは、哲学者はだれであったか忘れましたが、組織はそれ自体で肥大するという言葉がありますが、まさにそのとおりでありまして、上下の縦組みだけで横のつながりがありませんから、
政治改革の原点だと私が申し上げた、声なき声が届く政治やわかりやすく納得のいく政治は到底不可能ではなかろうか。特に、
民間の要請というのは、膨大な官僚機構にのみ込まれて、気の遠くなるほどかかり過ぎる時間、複雑な手続、規制する
法律の難しさ、こういったものがありまして、それを超えることができない。私は、大いに国益というものを損なう仕組みじゃなかろうかと考えておるのであります。
私は、官僚の数をもっともっと
思い切って減らすべきである、権限を大幅に
地方に移譲すべきである、裏づけとなる財源負担も考えてやるべきである。そして、
官庁に対する陳情政治というものを何とかして改めていくという強い意思がなければならぬ。最後に、定年及びその他の事由により退職したときには、一定期間他の職につくことを、特に特殊法人などの職につくことを禁止し、政界への進出をも禁止するという勇断がなければならぬと思うのでありますが、
総務庁長官に所感の一端をお伺いいたしたいと
思います。