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大久保委員 この本でございますが、私も最近この話を伺いまして非常に感銘を深くいたしまして、ちょっと御紹介を申し上げたいと存じます。
今から十五年ほど前の、
北海道札幌の町にある
北海亭というお
そば屋さんで起きた
物語でございます。
大晦日の
かき入れ時が終わり、
最後の客が出たところで、そろそろ暖簾を下げようとした時。十歳と六歳ぐらいの男の子を
連れた
婦人が、おずおずと「かけ
そば……一人前なのですが……よろしいでしょうか」と入って来た。後ろでは二人の子供が
心配顔で見上げている。
「どうぞどうぞ」と暖房に近い二番
テーブルに案内しながら明るく「かけ一丁!」と声をかける
女将さん。かけというのは、大阪では
素うどんとか
素そばとかいうことでございますが、
それを受けた
主人はチラリと三人
連れに目をやりながら「
あいよ!かけ一丁」とこたえて、
玉そば一個と、さらに半分をさりげなく加えてゆでる。
額を寄せ合って食べている三人の声が
カウンター越しに中に聞こえてくる。
「おいしいね」と兄。「お母さんもお食べよ」と一本の
そばをつまんで
母親の口に持っていく弟。百五十円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と出ていく
母子三人に、「ありがとうございました。どうかよい
お年を!」と声を合わせる
主人と
女将。
翌年の
大晦日も、夜十時を過ぎたころ、
最後の客が出るのを待っていたかのように、三人は現れて、やはりかけ
そば一人前を注文した。
「ねえお前さん、サービスで三人前出してあげようよ」と耳打ちする
女将さんに、「だめだ。そんなことしたら、かえって気をつかうべ」と言いながら、
玉そば一つ半をゆでる夫を見てほほえむ妻
「おいしいね」「今年も
北海亭のお
そばを食べられてよかったね」「来年も食べられるといいね」食べ終えて百五十円を支払って出ていく三人。「ありがとうございました。どうか良い
お年を」と
夫婦が見送る。
その翌年の
大晦日の夜、二人は口にこそ出さないが、九時半をすぎたころからそわそわと落ち着かない。
十時を回って、そろそろ看板にしようかという時、
主人は壁のメニューの札を次々に裏返した。夏に値上げをして「かけ
そば二百円」と書かれた札が「百五十円」に早変わりをした。二番
テーブルの上には「
予約席」の札が
女将の手で置かれている。
しばらくして、母と子の三人
連れが入ってきた。注文は「かけ
そば二人前」になった。
主人は、
玉そば三個を黙ってゆでる。
母親の顔が例年になく輝いてこう話している。「
交通事故で死んだお父さんが
事故でけがをさせた人達への支払が今日で終わったのよ」喜ぶ二人の兄弟。
母親が夜遅くまで働き、兄は朝夕の
新聞配達、弟は夕飯の買い物と支度をして三人肩を寄せ合いながら生きて来たのだった。
中学生の兄が、働く母の代わりに弟の学校の
参観日に行ったことを話し出した。
「淳が作文を読んだんだよ。「一杯のかけ
そば」という題で、三人で一人前しか頼まないのに、おじさんとおばさんは、「ありがとう、良い
お年を」と言ってくれた。
僕も大きくなったらこんなお
そば屋さんになりたい。淳は大きな声で読み上げたんだ。
先生が、僕に
あいさつをと言うので、「あのとき……一杯のかけ
そばを頼んでくれた母の勇気を忘れません」ってそう言ったんだ。」
カウンターの中で聞き耳を立てていたはずの
主人と
女将の姿が見えない。
カウンターの奥にしゃがみ込んだ二人は、一本の手ぬぐいの端をたがいに引っ張り合うようにしながら、こらえきれずにあふれ出る涙を拭っていた。
また一年がすきて――。
北海亭では夜九時すぎから「
予約席」の札を二番
テーブルの上に置いて待っていたが、あの
母子三人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も三人は来なかった。その後、
北海亭は
商売繁盛の中で店内改装したが、あの古い二番
テーブルだけはそのまま残した。
不思議がる客に二人は、「一杯のかけ
そば」のことを話し、この
テーブルを見ては、
自分たちの励みにしている。
いつの日か、あの三人の客が来てくださる時は、この
テーブルで迎えたいと説明をした。
それから十年余たったある年の
大晦日の夜。まさに店を閉めようとした時。二人の立派な青年と和服の
婦人が現れた。
「かけ
そば三人前ですが、よろしいでしょうか」それを聞いた
女将さんの顔色が変わった。十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い
母親と幼い二人の姿が目の前の三人と重なる。
兄は今では医師、弟も
銀行員になっていた。母の実家のある滋賀県に引っ越して行ったのだという。
「一杯のかけ
そばに励まされて、三人で生き抜くことができました。ありがとうございました」と礼を述べる兄。
兄が
札幌の
総合病院に転勤になり、父のお墓への
報告を兼ねて三人で、「これまでの
人生で
最高のぜいたくをしようね」と言って
北海亭を訪ねて来たのだった。
オロオロしながら聞いていた
女将さんが、「……ようこそ、さあどうぞ、二番
テーブルかけ三丁!」いつもの仏頂面を涙でぬらした
主人が、「
あいよ、かけ三丁!」
おえつでくぐもってはいたが、
そば屋夫婦にとっても
〝人生最高の
掛け声〟が店中に響いた。という
物語でございます。
ここには、貧しいけれども一生懸命生きておる庶民の姿がうたわれております。また、
人間の善意によって支えられながら励まし合って生きている、必死になって生きている人々の姿が描かれております。
私が今なぜこんな
物語をここへ持ち出したかということは、もう申し上げるまでもない。こうした
人間の心の豊かさ、優しさが今多くの
国民に求められておるのは、この
政治にまつわる今のリクルート問題に激しい怒りを持っておる反面のあらわれではないか、私はこのようにさえ思うのでございます。
私どもは、このように必死に生きておられる一人一人の皆さんに信頼される
政治を実現しなければならない。今こそこの
人たちから我々
政治家の地に落ちた信頼を取り戻さなければならない。そういう重大なときを今迎えておるのではないかと存ずるのでございます。そういう意味で、いろいろ今までこのリクルート問題については本院におきましても議論がございましたけれども、私はこの問題を基本的なところから
一つ一つお尋ねをさせていただきたい、このように思うものでございます。
総理、前
内閣におきまして副
総理であられました
大蔵大臣がこの問題で
辞任をされました。第二次
竹下内閣におきましても、既に法務大臣が
辞任をされ、また、これまた副
総理格の
企画庁長官が
辞任をされました。私は、
総理がおっしゃるように‘
総理の不徳のいたすところというようなことでは済まされないのがこの問題ではないか。まず、この
主要閣僚辞任につきまして、
任命権者であります
総理の所信をお伺いいたしたいと存じます。