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千田参考人 今有島先生から御
指摘がありまして、第一の問題は、
劇場は営造物ではなく機能であるということが文化庁から発表されている文書の中にもはっきり出ておりまして、言ってみれば当然のことでございます。どんな機械も、それを使って人間が何をつくるかということによって決まってまいるわけでございますし、特に演劇の場合は、俳優が見物を前にして
自分の体を使って何かをあらわすという非常に人間的な、言ってみれば大変素朴な仕事でございます。
今やハイテクの世の中で、立派な
劇場ができます。そこでの舞台機構、
劇場構造その他については非常に衆知を集めまして、私、その建設過程のいろいろな会合にずっと
出席させていただいておりますが、私の知っております限り、世界でも決して引けをとらない
一つの構造を持った建物ができるだろうということについては大いなる
信頼を持っております。
問題は、それをどう動かすかということでございます。さっきも申し上げたとおり、演劇というのはただ一方的につくって、それでいい悪いということを言うものでも、専門家がそれについて評価を下すものでもなく、直接に観客の前で演ずる、これはなかなか難しい作業でございます。第一、毎晩
劇場の切符売り場に集まってこられて芝居を見てくださる数というのは、どのように
考えてみても非常に不定でございます。非常に不安定である。昔から芝居は水ものだなどと言われておりますので、お国の仕事としていろいろやっていくのには非常に不安定な、ある意味で投機的な面を持っていると言ってもいいぐらいな仕事でございますので、だから
劇場だけは建ててやる、あとは勝手に使え、その
運営に関して、特に
一つ一つの
公演の収支その他については
責任は持てないというふうに大蔵省さんがおっしゃるのもわからないではないのですけれ
ども、もともとある意味で水ものだという点、わからない点が芝居のおもしろさでもありますし、それを通じて芝居というものの質がますますよくなっていくということの出発点でもございますので、ただ国で
劇場をつくるというだけでなく、その
運営についても当然国が
責任を持つ、これがぜひ
お願いしたいことだと思っております。そこからいろいろ派生的な問題が起きてまいります。
私、きのう急にこちらへ伺うように言われて、
準備する暇もございませんでしたので秩序立ったことを申し上げにくいのでございますけれ
ども、思いつくままに申し上げることをどうぞお許しいただきたいと思います。
まず地方の問題。中央に
一つ劇場をつくるだけでなく、これは国がやるのだから全国を相手の仕事だということも大前提になっていると思うのでございます。
それで、私、
自分のやっております新劇に即して申しますと、日本での地方の演劇活動というものはかなり盛んでございます。外国でも珍しいぐらい盛んだと言ってもいいのじゃないかと思っております。それが最近はだんだん変わってきておりますけれ
ども、国の援助もなく、地方自治体の援助もなく、観客の自主的な運動として、観客組織と申しますか演劇鑑賞会と申しますか、そういうものの組織がこのぐらい発達している国はないと思います。ですから、受け皿はできている。単に中央からの指令でこれが一番いいものだということで地方に持って回るということではなく、地方がそれに対していろいろな注文をつける、おもしろいかおもしろくないかを決めるという、それを知らせる体制はどうやら整ってきております。
ですから、今後地方の問題を論じられる場合には、そういう人たちの意見を十分参考にして、今までの
国立劇場問題についての関連の中で、観客の問題というものが一番欠落しているような気がいたしております。組織の中に観客の声をもっとたくさん反映させる方法、それが情報活動ということの——
先ほどもお話がありましたけれ
ども、情報というものは決して上から下へ伝えるだけのものではなく、下から上へのフィードバックが非常に大事な問題でございます。それが、なお非常に理屈ばった批評とかそういうものじゃなくて、おもしろい、おもしろくないという
本当に単純なところでの情報の交換、それが非常に大事だと思います。
そのことがもっと反映されれば、地方との問題——既に地方のいろいろな演劇団体は、さっきお話がありましたように、地方でホールがつくられるたびに必ず意見を述べております。昔はやたらに大きな
劇場ばかりつくる。あそこの町は三千の小屋をつくったからおれの町は四千にしようとか五千にしようということで、芝居の
劇場の大きさも問題になっておりましたのが、今では必ず大
劇場と同時に中
劇場もつくる、同時に小
劇場もできたらつくるという方に変わってきております。手前みそになりますけれ
ども、そういう意見が地方のいろいろなホールの建設に際して出てきている。そういう傾向というものは、ここ十年ぐらいに建った地方のホールというのはなかなか立派なものです。非常に使いやすい。そういう点で、
一つの反映は既に始まっているので、今後も
国立劇場に向けて地方からのいろいろな意見の反映があると思うので、それをもっと取り上げていくようなことが図られたらいいのではないかと思っております。
それから国際
関係でございますけれ
ども、日本での国際的な文化、演劇交流を見ておりますと、やはりひどい輸入超過でございますね。向こうからいろいろなものが来るけれ
ども、こっちからは出すものが余りないというような
状況にあります。出すものといえば能、歌舞伎でございます。
しかし、向こうへ行きますとよく聞く話でございますけれ
ども、今のようなハイテクの先端を行く日本の
国民がなぜあの能だの歌舞伎を見て満足していられるのかというようなことを聞きますね。やはり現代、特に今のこの技術・科学革新の世の中を反映した芝居、そういうものをもっと持っていくべきだ。私
ども新劇は中国に行っているだけで、諸外国、ヨーロッパにはここのところ余り参りません。やっとシェークスピア物なんかが少し向こうへ出ていくようになりましたけれ
ども、そういう点で、現代演劇の国際交流という面では大変おくれておるように思っております。
特に問題になるのは第三世界、発展途上国との演劇交流の問題でございます。御
承知のように、今や東南アジア諸国その他が
一つの経済的な力を増そうとして
努力しております。近代化、現代化を図ろうとして
努力しておるのでございますけれ
ども、それに能だの歌舞伎だのを持っていくと、やはりちょっと違うのですね。それから向こうから持ってくるものも、ただ珍しい一種の原始的な芸術、そういうものが残っているのを珍重するのは結構なんでございますけれ
ども、それだけが今の発展途上国の演劇であるかという
考えについては、向こうの人は大変迷惑を感じているのではないかと思います。
一昨年でございますか、暮れに香港でブレヒト・シンポジウムというのがございまして、そこに世界じゅうの人、特に東南アジアの人たちがたくさん集まってきております。私はブレヒトを大変尊敬しているのでございますけれ
ども、これで一息に
国立劇場がブレヒトばかりやれなんて申す気は決してないのでございますが、例えば非常に科学的な芝居でございます。そのことだけは確かだと思うのです。それで、彼の言っているのも、技術革新の世の中に観客がシェークスピアの芝居を見るような気持ちで楽しめるような芝居をつくるということが彼の一番大事にしているところでございます。
ただちょっと、科学的ということと芸術というものを切り離そうとする傾向もございまして、日本では、あるいは文明国といいますか、ヨーロッパでもアメリカでもブレヒト疲れというような傾向が出てきております。これはどうも思考疲れであり、思考に基づいて行動するということにくたびれている、何だか先行きがないような気がして迷っているという
状況の反映でございまして、第三世界にまいりますと、ブレヒトヘの興味が非常に高まっている、そういう科学的な、
本当の意味で現代的な芝居を求める声が盛んになってきております。
我々も、皆さん御
承知のように第三世界との交流が非常に重要になっているときに、
我が国における現代演劇、いろいろな流派があって構わないのでございますが、あるいは思想的にもいろいろ違う方がおもしろいと思うのでございますが、とにかく一貫して科学的な根拠の上に立った演劇、そういうものの発展のためにそれを媒介として発展途上国とつき合わなければどうしようもないときに来ているんじゃないかということもあると思っております。それが国際
関係についてちょっと気づいたところです。
日本でももう外国のまねばかりしている時代ではございませんし、言ってみれば向こうも行き詰まっているという時期でございますので、それを切り開く道としてはさっき言ったように技術・科学革新の時代にふさわしい演劇、しかもそれによって人間性が失われていくような、そういうものではなくて、それに対する人間の抵抗としての演劇というようなところに向くべきときでありますし、将来できる日本の第二
国立劇場もその点であれだと思います。