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村山国務大臣 今、
伊藤委員がおっしゃるように、税は何であるかということをよく考えてみますと、やはり一国なら一国の全体の歳出がある、これは
一つの
社会的な費用として考えねばならぬ、それを一体どういうふうに負担していただくのが一番いいか、その中にはいろいろな
理念があると思います。
租税体系の組み方の理論になるのだろうと思いますが、何といっても公平というものが一番大事であることはもう疑いを入れないだろうと思います。そのほかに、例えば
経済に対して中立的であった方がいいとか、わかりやすいという
意味で簡素であった方がいいとか、あるいは
徴税費が
余りかからない方がいいとか、さらに、今おっしゃったことにつながるのでしょうが、そこの
経済社会が
発展していくということを考えれば成長を阻害するようなものであってはいかぬとか、そのことは
委員のおっしゃった
国民が
努力を継続する意思を失わないような
税制でなければならぬ、こういうような問題があると思います。とりわけ公平という問題は、何にも増して大事な
理念であろうと思うのでございます。
ただ、公平というときに、何が公平であるか、それからどういうことが公平なのかということは人によってかなり違うわけでございますし、そのときそのときの
社会情勢に応じてかなり
変化があるだろうと思うわけでございます。
そして、
抜本改正前の問題として考えてみますと、何といいましても、
一つの税というものの大きな特色は、長所もありますけれども非常に短所のあることも事実でございます。
一つの税でやれば、それがすべて公平の
理念に合うということはほとんど求めてもできないことでございまして、
中立性とか、簡素であるとか、
徴税費が安いとか、そういった目的を全部兼ね備えた税というものは実はないわけでございます。
そして、
改正前の
所得税というものを考えてみますと、
勤労所得と
事業所得、仮に置いてみますと、そこにはどうしても水平的な公平という
意味で
調査に関する
限界があるということです。
給与所得の方は今全部支払っていますからほとんど一〇〇%基本は把握される、しかし、どんなに
事業所得をやってみても、別に
事業者がそれを隠すとかなんとかという
意味ではなくて、本来一〇〇%の把握というものが極めて困難であることはもう経験が示しておるところでございます。ですから、
余りにも
所得税というものに重点がありますと水平的な公平が失われる。ですから、よく言われるように、
住民税の
段階で出てくるのですが、あの人はどうも
自分よりは税金が少ないようだがいい暮らしをしている、これが率直に出てくる感じなのでございます。
それがまた今度は
累進課税の方にも響いてまいりまして、
日本の
累進課税というのは
世界に冠たるものでございましょう。しかし、今度はそういう水平的な不公平というものを含んだ
累進課税でございますから、そこは増幅されてくる。
〔
中川(昭)
委員長代理退席、
委員長着席〕
それからもう
一つ申し上げますと、
事業所得というものは、
青色申告になることにより、あるいは会社をつくることによりまして
所得の分割が可能なわけです。これは適法ですね。そうすると、
所得税の
世界においては、今までは一人の
所得であったものが全部に分割される。それぞれの人に
基礎控除が働き、
控除が働いてくる。そして
累進税率は各人について行われますからずっと低くなるわけです。しかも
給与所得が全部に働いてくる。さあ
勤労所得者は
所得を分割できるだろうかということになりますと、それはできないわけでございます。
ですから、
調査の
限界というものと今の
累進課税の
租税構造からいいまして、どうしてもその
給与所得と
事業所得というものには
限界がある。
余りにも
所得課税にウエートがいきますと、アンバランスというものは耐えがたいものになってくるという問題が
一つあるだろう、こういう認識でございます。
それからもう
一つは、
間接税を見ておりますと
個別消費税でございます。確かに今の
間接税は、酒税とかたばことかというものを除きますれば、ほとんどこの前の
シナ事変とか第二次大戦当時につくられたものでございまして、ほとんど
個別消費税でございます。これは
ぜいたく品であるとか
便益品であるとか趣味、娯楽のたぐいを押さえておったわけです。しかもその中には、物だけでございまして、サービスに対する
課税というものはほとんどないわけでございます。しかし、今は
消費といったらもう半分以上がサービス化しているわけでございます。それからまた、
ぜいたく品という概念も
価値観の
変化によって全く違ってしまった。だから、今の
物品税をこれでいいんだという権威を持って説明できる人は恐らく
日本に一人もいないだろうと思います。
ということは、もう
物品税のようなものを
改正するめどがなくなっているということでございます。同じようなことは
先進国に全部ありますから、すべてのものが広く薄い
消費税に移っていったというのは、やはりその限りの問題であろう、このように思っているわけでございます。
片や
法人税は、
実効税率からいきましても、かつて十年前は
先進国の中で最も低かった
日本の
実効税率が、今や
世界で一番高い
実効税率になっておる。このことも国際的に不均衡でありましょうし、それから留保に対する
課税と配当に対する
課税の
税率に差を設けていることも今や理由がなくなったのじゃないか。
こういう問題を考えてきますときに、これはどういうことかと言えば、シャウプ以来の四十年の間にこれだけ
経済が
変化したんだ、しかも
所得の
平準化が行われておる、こういうことを考えますと、公平という観念は全然別の角度からメスを入れていかなくちゃいけないのじゃないか、こういう考えで今度の
抜本改正が行われたのだろうと思います。
ただ、これは、
合租税体系上の公平という話をいたしましたが、いわゆる
所得課税におけるいわば不公平じゃありませんかというのは、
与野党でもってこの前は十ぐらい出されているわけでございます。そのうち手をつけましたのはキャピタルゲインの問題であるとかこういったものに手をつけている。しかしまだ残された問題はあることは承知しております。ただ、あれを全部不公平と言うのかどうか非常に多くの問題を含んでいるだろうと思います。また、医師の
優遇税制につきましても、ある種の前進が見られたということでございます。なお
与野党の協議の場で残された問題がたくさんある、こう言っておりますけれども、これはもう我々も長年検討してまいりましたが、果たして不公平と言えるのかどうか、それさえ疑問のものがたくさんあるだろうと思っております。しかし、これも断定するわけにはまいりませんので今後検討を進めてまいりますが、これはしかしあくまでも
所得課税という場における不公平の問題で、資産とか
消費とか
所得、そういう
体系的なバランスという問題とはまた次元の違う不公平の問題として提起されておる。
いずれにいたしましても、公平というものが最も大事な
理念であることは私はもう間違いないものと思っております。