運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1988-12-08 第113回国会 参議院 文教委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年十二月八日(木曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  十二月七日     辞任         補欠選任      中野 鉄造君     高桑 栄松君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         杉山 令肇君     理 事                 仲川 幸男君                 林  寛子君                 粕谷 照美君                 佐藤 昭夫君     委 員                 小野 清子君                 木宮 和彦君                 山東 昭子君                 世耕 政隆君                 田沢 智治君                 寺内 弘子君                 柳川 覺治君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 勝木 健司君                 下村  泰君    政府委員        文部大臣官房長  加戸 守行君        文部省教育助成        局長       倉地 克次君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    参考人        上越教育大学学        長        辰野 千壽君        専修大学経営学        部教授      嶺井 正也君        筑波大学教育学        系長       高倉  翔君        立正大学文学部        教授       浪本 勝年君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育職員免許法等の一部を改正する法律案(第百十二回国会内閣提出、第百十三回国会衆議院送付)     ─────────────
  2. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨七日、中野鉄造君が委員を辞任され、その補欠として高桑栄松君が選任されました。     ─────────────
  3. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として、上越教育大学学長辰野千壽君、専修大学経営学部教授嶺井正也君、筑波大学教育学系長高倉翔君、立正大学文学部教授浪本勝年君の四名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人皆様方に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様には、御多忙のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。当委員会では、教育職員免許法等の一部を改正する法律案審査を進めているところでありますが、本日は、本案について皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  つきましては、議事の進め方でございますが、お手元の名簿の順でお一人十五分程度意見をお述べいただき、全部の参考人から御意見を伺った後、各委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。  それでは、まず辰野参考人よりお願い申し上げます。
  4. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 私は、ただいま御紹介をいただきました上越教育大学辰野でございます。よろしくどうぞお願いいたします。  それでは意見を述べさせていただきます。  私は、現在国会において審議されております教育職員免許法等の一部を改正する法律案に対して、賛成の立場から意見を申し上げます。  御案内のように、学校教育の発展は、それを担う教員指導力にかかっているところから、教員養成採用研修の各段階の充実が常に強調されています。教員養成については、期待される教師像を目指してこれまでも種々の改善が加えられてきましたが、今日、社会変化児童生徒状況変化から生ずる学校教育の諸問題を解決するために、従来にも増して専門職としての教員資質能力向上が求められています。今回提出されたこの法律案は、このような社会的要請にこたえるため、開放制原則に立ちながら教員専門性向上を図ることを目指しています。  教員には、従来、教員としての使命感人間愛とともに広い一般的教養教科に関する専門的学力教職専門的教養などが求められていますが、社会変化児童生徒変化などにかんがみ、これからの教員には従来重視されてきた教科教授者としての役割だけでなく、学級、学年、学校経営者としての役割学級クラブなどの集団のリーダーとしての役割児童生徒の手本としての役割、カウンセラーとしての役割など、多様な役割が期待されます。このように多様な役割を果たすためには、教科専門的学力はもちろん、学習指導生徒指導カウンセリングなどについて専門的な知識技能を身につけることが必要になります。  本法律案において、教職専門教育科目として、生徒指導に関する科目教育方法、技術に関する科目を必須としたのは、この点から見て当然であり、教職専門教育科目単位数引き上げも、教員専門性向上から見て当然です。  教職専門教育科目の増加、単位数引き上げは、一般大学での教員養成を困難にし、開放制原則に反するのではないかといった批判もありますが、専門職としての教員養成を行うためには、この程度引き上げは当然であり、一般大学においても時代の要請にこたえ得る教員養成を考えるならば、この程度努力はすべきだと考えます。また、学生にとっても負担過重とは言えないと思います。むしろ大学院においても、教員を希望する学生に対しては、ある程度教職教育専門科目を履修させることが必要ではないかと思います。  次に、大学院修士課程修了者専修免許状を与えるのは、教員資質能力向上から見て適切な処置だと思います。従来も高等学校教員については大学院修士課程修了者一級免許状が与えられていましたが、今回の法律案では、高等学校だけでなく、小学校中学校など他の学校段階教員に対しても専修免許状が新設されるところに大きな特色があります。社会変化に対応するためには、小学校中学校においても、特定の分野について高度の専門的知識技能を有する教員が必要になります。  免許状専修一種、二種の三種類を設けるこ とに対しては、一方において学歴社会を助長する、学校現場に差別をもたらすといった批判もありますが、教員資質能力専門性を高めるという点から見ると、一定学歴研修を積んだ者にそれ相応の免許状を与えるのは当然と言えましょう。特に専修免許状について言えば、現在、大学院教育が普及し、教員養成大学のみならず一般大学大学院修了者教員になる者がふえてきたこと、現職教員大学院に入って研修する者もふえていることなどを思えば、この措置はむしろ積極的に評価すべきだと思います。これによって、高度の専門的知識技能を持つ者が学校現場にふえることは、教育研究を活発にし、教員全体の自発的研修意欲を高めるのにも役立つと思います。  しかも、一種免許状を有する者は、現職経験単位取得によって専修免許状取得できる道も開かれているので、格別問題ないと思います。さらに、このような免許状取得者には給与の面でも配慮することが必要ではないかと思います。  なお、二種免許状から一種免許状への切りかえについては、一種免許状取得努力義務を課すると同時に、任命権者にはその受講機会を提供する努力義務を課しているので、単位取得を希望する者は自発的に研修を受けることができます。これは、本人の意欲努力によって解決します。  社会人活用については、特別免許状特別非常勤講師制度が考えられていますが、さきに述べたように、社会の急激な変化児童生徒の興味、関心の多様化などを考えたとき、すぐれた専門的知識技能を持ち、しかも教育に情熱を持った社会人学校現場に迎えることは、学校教育活性化を促し、また児童生徒の個性を伸ばすことに役立つことになります。この制度に対しては、教員養成大学において行うという原則教職専門性を高めるという考え方に反するとか、運用が不公平になるのではないかといった批判もありますが、この点については一定条件がつけられていますので、歯どめはできていると思います。  最後に、教職特別課程について述べます。  これは大学在学教職専門教育科目を履習しないで大学を卒業した者や社会人教員を志望する者に教員への道を開く制度であります。この制度活用すれば、熱意のある人材教育界受け入れることもできるし、教育実習生受け入れ上の問題を緩和することもできます。もちろん、この制度に対しては、その乱用や教育水準低下といった面から批判もありますが、この課程は所定の手続を経て文部大臣の認定を受けることになっているので、問題はないと思います。  以上、この法律案審議に当たり意見を申し上げましたが、教員資質能力向上を実現するため、この法律案早期に成立することを念願いたします。  以上で終わります。
  5. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 辰野参考人ありがとうございました。  次に、嶺井参考人にお願い申し上げます。
  6. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 専修大学嶺井でございます。専修大学では教職課程を担当しておりまして、いわゆる一般大学教員養成に携わっております。私は今回の法律案には反対立場意見を述べさせていただきます。もちろん現在の教員養成あるいは教師教育といったものが十分であるからというわけではございません。私の反対理由は以下のとおりでございます。  まず、私立一般大学立場からいいますと、免許基準引き上げ大学院修士修了者などへの専修免許状の付与、教職特別課程設置等、本法律案の主な内容私立一般大学にとっては極めて困難な状況をもたらすことになりまして、結果的に衆議院段階でも指摘されたかと思いますが、戦後の開放制による教員養成を狭めるものになると思われます。  中学校甲教科、例えば社会等でございますが、これを例にとりますと、法律上は五十四単位でいいのですが、私の大学では既に五十七単位を取るようになっております。計算上は改正案が五十九単位ですから、あと二単位取れるようにすればいいわけです。しかし現状から申しますとやはりこれはぎりぎりの状態であるわけです。特に二部の学生夜間学生にとりましては大問題でありまして、今でさえ教職課程を履修しますと、ほぼ毎日の時間割りが埋まってしまいまして、ゆとりを持って学習し、研究することができない状態にあります。  改正案では、広く人材を求めるために社会人活用を取り上げておりますが、二部の学生教職を希望する学生のうち、かなり学生が既に社会人として働いております。特に私の大学のように二部への社会人受け入れを積極的に行っている場合にはこうした例は多いわけです。社会人として働きながら卒業単位取得し、さらに教職を目指して夜遅くまで学んでいる学生教職への道を狭めるようなことはしないでいただきたいと思っております。私としましては、こうした学生たちを積極的に教員として受け入れ方向での制度改革を望んでおります。彼らが教員になることは子供たちにとっても望ましいことではないかと思っております。それは本当にまじめに出席し勉強し、真剣に生きているからでございます。  余り条件のよくない中で教員養成を行っている私立大学にとりましては、専修免許状に必要な単位授与教職特別課程設置は極めて難しいことになります。したがいまして私立大学としましては、それを希望する学生に対しまして一部の修士課程のある国立大学条件の整っている大学などに入ることを勧めざるを得なくなります。そうなりますと、みずからの大学大学独自の方針に基づいて個性ある教員養成するということができなくなってまいります。  以上述べましたように、大学間の格差が拡大し、閉鎖制への移行が強くなるという理由が私の第一の反対理由でございます。  第二に、仮に私立大学でも専修免許状に必要な単位取得教職特別課程設置で困難が生じないとしましても、免許状種別化臨教審答申で目指されました学歴社会の是正の方向矛盾をいたします。衆議院での審議過程におきましても、専修免許状取得者に対する待遇面での有利な扱いについては明確な否定はなされておらず、将来的な含みがあるような答弁がなされております。私は、高学歴者優遇措置学歴社会の一層の強化につながるというふうに考えております。  また、特別免許状特別非常勤講師制度の問題をあわせて考えますと、教員の中が専修免許状取得者一種免許状取得者、二種免許状取得者特別免許状取得者特別非常勤講師というふうに区分けされ、その中の専修免許状取得者がやがて管理職へと至るというように階層化が一層強まり、ひいては教員管理が進んでいくと思われます。したがいまして免許状種別化を盛り込んだ改正案には反対でございます。  今回の改正案に伴い、教員資質向上を目指して教員研修体系化し、さらには将来的には、例えば管理職になる、あるいは給与アップするには専修免許状を必要とするというような資格向上を図ることが意図されております。しかし、これが本当に資質向上につながるかどうか私は疑問としております。私は資質という言葉は生まれついた能力というような意味合いが強いと思いまして、できたら資質という言葉よりは力量教師力量というような言葉の方が適当ではないかと思いますが、とりあえずこの言葉を使わしていただきます。  つい最近の文部省長期欠席者の調査に見られますように、いわゆる登校拒否子供たちがふえつつある状況等を考えますと、本当に子供たち学校へ引きつけられる教員資質とは何なのかが真剣に問われるべきではないかと思うのですが、この点についての議論が余りなされなかったのではないかと私は思っております。  受験勉強、競争の中で、人間としての生き方や連帯感を培うようなことがないままに大学に進学し、教員免許をとり、さらには激烈な採用試験を 目指して競争し、教員になるというのでは、本当の資質など養われないのではないか。私は、大学までの教育の基本的なあり方人間教育としてできていれば、かなりの部分、人間教師としての資質が形成されていくと考えております。ここまで踏み込んだ議論がないままに、資質向上研修資格向上に結びつけられるということには反対せざるを得ません。  また、ベテラン教員よりも、若い教員のフレッシュな感覚や行動が、子供たちを引きつけるという側面が多くあることも十分踏まえた上での資質論でないと、資質向上が図られれば図られるほど、子供から教員が遠ざかっていくような気がいたします。これが第三の反対理由であります。  第四に、私は、例えばサバティカルイヤーのような形で、教師社会的な体験機会を保障することで、あるいはさきに述べましたように、大学夜間課程などで社会人が学び、免許取得するという形で学校閉鎖性を是正したり、大学での教員養成という原則の維持を考えていくべきであって、今回のような特別免許状制には反対であります。  ILO、ユネスコの「教員の地位に関する勧告」の第九十五条の(1)は、「教員は、給与の全額または一部を支給される研修休暇をときどき与えられるものとする。」としておりますが、法改正審議過程では、残念ながらこうした観点は余り見られませんでした。また、教育職員養成審議会答申の中でも、今後の課題として見送られております。  教職に関するさまざまな研修への自主的、主体的な参加だけでなく、こうした休暇を利用した社会体験機会を設けることの方が、安易な社会人活用によって教員専門職性強化との間に矛盾をつくるよりはベターではないかと考えております。また、この休暇を設けることは、教員がフレッシュな感性を取り戻すことにもつながるのではないかと考えております。  現在でも、大学では二部、聴講生制度通信教育の形で社会人教員免許に必要な単位をとれるようにしております。大学での教員養成という戦後改革原則を貫くとしますと、前にも述べましたように、現在のこの形での教員養成を、条件整備によって充実させていく方が望ましいのではないでしょうか。この問題について、どうしていくのかについてはほとんど議論がなされなかったのではないかと思っております。  最後に、教育行政機関主体研修体系化による資質向上策は、学習指導要領による教育内容統制とも絡んでおり、反対せざるを得ません。昨年十二月の教育課程審議会答申では、教員養成現職研修改善最後の方で提言されております。つまり、教育課程審議会答申に沿った教育課程をこなせる教員が求められております。しかしながら、この答申には社会科の解体、再編、道徳教育強化などの内容への強い批判がありましたことは御承知のとおりであろうかと思います。教育内容を国がある方向へ持っていくこと、そしてそれを教員に強制していくということは、戦前のような教育徹底した国家統制への反省から生まれました戦後の教育改革を否定するものであり、やはり反対せざるを得ません。  この点と関連しまして、専門職として教職を位置づけるのであれば、自主的、自発的な研修を基礎にした研修あり方を全体的に、教員参加のもとであるいは教職員団体との協議に基づいて構想すべきであると思うのですが、その点の考慮もなされておりません。行政主導研修体系化のもとでの職能成長は強調されておりますが、専門職論のもう一つの柱であるはずの自律性や自由あるいは教師自身による主体的な意思決定という側面が軽視されているような気がいたします。これが最後反対理由でございます。  その他いろいろ述べたいことがございますが、とりあえず以上の五点を述べさしていただきます。
  7. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 嶺井参考人、ありがとうございました。  次に、高倉参考人にお願いいたします。
  8. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 筑波大学高倉でございます。よろしくお願いいたします。  私は、教育職員免許法等の一部を改正する法律案に対しまして、早期に成立を図るべきであるとの立場から意見を申し上げます。  現行免許法基本理念といたしまして三つが挙げられております。一つは、免許状主義徹底教職課程履修による専門職制確立二つ目に、大学における開放制教員養成三つ目に、現職研修の重視が挙げられます。私は、これら三つ基本理念に即しまして、今回の免許法改正必要性妥当性について、具体的に私の意見を申し上げたいと思います。  第一に、免許状主義徹底教職課程履修による専門職制確立についてであります。すなわち、現行免許法専門職としての教員資質能力の保持と向上を図るため、各校種に応じた免許状を所持すべきことを定め、かつ中学校及び高等学校においては担当の教科についての免許状を持たなければならないものとしているのであります。  しかしながら、他方、近年の急速かつ広範な社会変化教育内容多様化等に伴い、例えば高等学校において情報処理関係の学科が設置されるなど、新しい教育課程が編成されてきております。また、クラブ活動等多様化が見られます。このような分野については、大学教職課程を履修し免許状取得した者を充てるよりは、免許状を有しなくても、社会での実体験に裏づけられた深い専門的学識技能を身につけた者を充てる方が児童生徒の多様な適性やニーズにも対応でき、教育効果も大きいと考える場合が少なくないのであります。  また、広く一般社会から教育熱意を持つすぐれた人材教育界に迎え入れることは、従来とかく閉鎖的と言われていた教育現場を開かれたものにすることにもつながり、教員相互の切磋琢磨も期待でき、教員組織活性化にもつながるものと考えております。  このように、一方では免許状主義原則他方では免許状を有しなくても、社会での実体験に裏づけられた深い専門的学識技能経験等を身につけた者を教育界に誘致する必要があり、両者の調和を図りつつ特別非常勤講師制度創設することにより、学校教育多様化に有効に対応することができると考えるものであります。なお、特別非常勤講師制度運用に当たっては、免許状授与権者である都道府県教育委員会の許可、つまり禁止の解除が前提とされておりまして、さらにその際に審査を行う等のことにより、教員資質能力低下を招くことはないと思います。すなわち、免許状主義原則に反するものではないと考える次第でございます。  また、教職以外の専門家の適切な活用につきましては、既に一九七五年のユネスコ教員役割変化教師教育に関する勧告」にも見られるところであることをつけ加えさせていただきたいと思います。  第二に、大学における開放制教員養成についてであります。すなわち、高度の教育内容を提供する大学教育において、教員に必要とされる広い教養と深い専門的学識が養われるものと考え、すべての教員大学において養成することを原則とするとともに、すべての大学制度上均等に位置づけ、免許法に定める科目大学が開設し、学生がその単位を修得したときに免許状授与されることとしているのであります。  まず、大学における教員養成原則でございますが、特別免許状制度創設はこの原則に反するという批判があります。既に述べました免許状を有しない非常勤講師制度と同様の趣旨から、特別免許状制度創設する必要が認められます。特別免許状授与に当たり、適正な要件、手続を定めることにより制度的担保がなされており、特別免許状制度創設は、大学における教員養成原則との間に調和がとられているものと考えるものであります。  なお、学校現場においては、特別免許状制度創設等社会人活用について一部に拒絶反応があるようですが、教員資質能力向上は、学校現場の意向よりも、児童生徒という教育を受ける側の立場や利益に立って考えるべきものであります。児童生徒ないしは父母の立場に立てば、教員組織多様化活性化は望ましいと考えられますし、これらの制度が適切に運用され定着すれば、拒否反応もなくなってくるものと考えるものであります。  次に、開放制教員養成原則であります。一部に、今回の免許基準引き上げは、一般大学においては対応できず、開放制教員養成原則を否定するものであるとの批判がございます。しかしながら、教職は本来高度の専門職であり、教員を志す者は、単に専門教科についての知識ばかりではなく、個々の児童生徒等適性発達段階に応じた実践的な指導力を十分身につけておくことが不可欠であります。特に、今日のように、いじめ、非行、登校拒否等の困難な問題が生じていることを直視すれば、生徒指導カウンセリング等に関する知識技能が一層要請されるものであります。  また、情報化国際化に代表されるように、学校教育を取り巻く社会状況は急速に変化しておりますし、学校教育についても、学習指導要領改訂等教育内容方法改善が図られているところであります。今回の免許基準引き上げもこのような観点からの措置であり、このことは開放制理念のもとで教員養成効果を上げるためにも重要な手だてであると考えられます。  開放制原則について考えてみますと、教員と同じ専門職と考えられる医師、裁判官につきましては、大学修了するだけでは資格は得られず、それぞれ医師国家試験司法試験の合格によりその資格取得できるものであります。これに対し、教員の場合は、教職課程修了をもって免許取得できるものであり、それだけに教職課程設置する大学社会的責務は大きいものがあると考えております。この責務を認識し、学校教育を取り巻く社会状況変化学校教育内容方法改善に対応して、教職課程のカリキュラムに適宜改善を加える努力をしている大学にとっては、今回の免許基準の改定はさほどの負担にはならないものと考える次第であります。  第三に、現職研修の重視についてであります。すなわち、現行制度では、普通免許状一級免許状と二級免許状に区分されているのでありますが、他の種類の免許状または他の教科免許状取得する場合は、一定現職経験単位修得によることができるという方式を設けております。これは現職研修を重視し、教員研修を積むことにより自発的に高度の資質能力を備えることを期待するものであります。  今回、専修免許状を新設し、特定分野において高度の専門性を身につけた者を教育界へ招致するとともに、現職教員修士課程等における自発的な単位履修意欲を喚起する方策を講ずることは、この現職研修の重視の原則に沿うものであります。今日、養成研修の統合、つまりインテグレーションはいわば世界的な常識となっており、研修にプライオリティーが置かれるべきだという主張がOECDの政府間会議でなされていることについても想起すべきであると考えております。  なお、一部に免許状の三種類化は、学歴主義を助長するのではないかという危惧の声がございます。しかし、三種類の免許状はいずれも普通免許状である教諭の免許状であり、担当し得る教育活動は何ら変わるところがないということを考えれば、一部にある御懸念は、全くの杞憂にすぎないと言うべきではないかと考えております。  ちょっとつけ加えさせていただきますが、専修免許状取得者の待遇について申し上げたいと思います。  私は、給与の面でもここで十分な配慮をする必要があるのではないかというように考えております。その第一の理由は、学部から直接に修士課程に進学し、そしてその課程修了して教員に就職するというケースの場合には、これは三号俸のプラスがなされております。ところが、現職の教員がリカレント教育の形態でもって修士課程二年間を履修したというような場合には、その二カ年が二号俸として加算されるという形をとりまして、そこに三対二という数の開きが出てくるわけでございます。これについてもいろいろ御議論のあることは十分承知しておりますけれども、このあたりも十分御考慮の上、何らかの配慮が必要ではなかろうかというように考えております。  もう一つ理由は、国際的な関係で申しますと、いろいろな国の事情を通観いたしますと、何らかの形でより高い程度免許状取得した者ないしは長期の研修を積んだ者に対しては、給与の面で優遇策がとられるというのが一般的傾向である。こういったことをつけ加えさせていただきたい、こういうように思います。  最後になりましたけれども、ややオーバーな言い方かもしれませんが、教育はまさに国家百年の計であり、しかも国家社会の発展の基盤を培うものであります。この意味で次の世代の日本を担う青少年を育成することは、一日たりともゆるがせにできない課題であります。青少年の教育の成否を左右する教員養成免許制度基本理念に照らしても、今回の教員養成免許制度改善はぜひとも必要なものでありますので、本法案が早期に成立することを祈念しております。
  9. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 高倉参考人、ありがとうございました。  次に浪本参考人にお願い申し上げます。
  10. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 立正大学浪本勝年でございます。研究分野といたしましては、教育法、教育政策を専攻しております。現在、教育法の専門学会である日本教育法学会の理事及び教員養成問題の研究団体である全国教員養成問題連絡会の事務局長をやっております。  今回の教育職員免許法等の一部を改正する法律案については、問題点が余りに多いと思いますので、良識の府と言われるこの参議院で審議未了、廃案としていただきたいという立場、すなわち反対立場からこの教免法改正法案の問題について参考人としての意見を述べさせていただきます。  まず、大きく二つに分けまして意見を述べたいと考えます。  初めに、この法案の基本的な特徴及び問題点について、次にこの法案の個別具体的な問題点について意見を申し述べます。  まず、この法案の基本的な特徴及び問題点について次の三点を指摘したいと考えます。  第一は、この法案には、臨教審答申が「今次教育改革で最も重視されなければならないものとして、他のすべてを通ずる基本的な原則」として取り上げた「個性重視の原則」が全く反映していないという点であります。逆に教師に関しては国家統制が目立ち、結果として個性無視の原則で貫かれているといってもよいものとなっております。  第二は、現行教育職員免許法は、第一条で「教育職員の資質の保持と向上を図ることを目的とする。」とうたい、第三条では「教育職員は、この法律により授与する各相当の免許状を有する者でなければならない。」と規定していますが、今回の法案の内容は、教員資質向上に名をかりて、教育及び教員の統制を企図すると同時に、無免許教員をも公認するという点で、免許法の秩序、教免法の理念をみずから内部崩壊させていくという基本的矛盾を犯している、すなわち墓穴を掘ることになっているという点であります。  第三は、この法案の内容教師大学の行っている自主的努力を評価し、奨励するといった方向ではなく、逆に基本的には教師不信、大学不信の上にでき上がっているという点であります。  次に、大きな二番目の問題、すなわちこの法案の個別具体的な問題について述べさせていただきます。  まず第一は、普通免許状学歴別三段階化に関する問題についてであります。  現行免許法は普通免許状に一級及び二級を設けています。今回の法案はこの普通免許状の種類を 修士課程終了程度を基礎資格とする専修免許状、学部卒業を基礎資格とする一種免許状、短期大学卒業程度を基礎資格とする二種免許状三つ階層化すること、すなわち学歴別の三段階免許状制度採用する点や、新たに特別免許状創設をうたっています。この点がこの法案における最大の問題点であると考えます。  周知のとおり、現行教育職員免許法では普通免許状に一級及び二級を設けているとはいうものの、二級免許状の保持者の在職年数が十五年を超えるときは現職経験が尊重され、上進のための教育職員検定の際に新たな単位取得は必要としないことになっております。ところが、今回の法案ではこの制度を廃止し、一種から専修への上進に際しては最低六単位、二種から一種または臨時から二種への上進に際しては最低十単位取得がそれぞれ義務づけられることになっております。この点が法案の重要な大きな問題点であります。その理由をこれから申し述べます。  現行学校教育法施行規則は、校長及び教頭の資格として一級普通免許状を有することとされています。しかし、教頭となる年齢が四十歳代であるとすれば、二級免許状保持者であっても通常四十歳前後には在職年数が十五年を超え一級免許状取得できますので、現行免許状制度管理職登用という観点から見ても実質的に差別がないと言ってよいものであります。  ところで、この法案が成立すれば、それに伴って必然的に学校教育法施行規則は改正され、校長及び教頭の資格として専修免許状を有することとされます。そうなるとどうなるでしょう。教育現場専修免許状取得をめぐって出世競争が起こることは必然であります。このとき絶大な威力を発揮するのが、さきに触れた上進に当たっての十五年ゼロ単位の廃止措置、すなわち最低修得単位の義務づけであります。  今回の法案には、上進の際の単位取得方法として文部大臣の認定する講習が挙げられていますが、教育職員養成審議会答申によれば、その中に「任命権者等が実施する研修」「を含めることができるものとする。」とされています。したがって、さきの通常国会で成立した初任者研修法の言う教員の経験に応じて実施する体系的な研修とセットとなり、教師にとっては大学が実施する現職研修にかわって、絶えず行政研修を受けることが実質的に義務づけられることとなります。このことは教育公務員特例法の基本的精神であります教師の自主研修権を根底からゆがめるおそれがあるばかりでなく、教師現職研修に際しての行政当局の推薦、承認権が絶大な威力を発揮し、日常的な教師管理の仕組みを打ち立てていくことになるのであります。こうした制度子供の方よりも行政当局の方を向いた教師を増加させることとなり、大きな問題だと言わなければなりません。  今回の法案は、このような学歴別の三段階免許状制度を設けていますが、文部省によれば、これによって教員資質向上を図ると言っています。先ほど嶺井先生もお触れになりましたが、広辞苑などの辞書を引きますと、資質というのは「うまれつき。資性。天性。」という意味の言葉でありますから、そもそもこうした言葉遣いがおかしいと思いますし、学歴別三段階免許状制度は真に教師教育専門的力量向上させることにつながっていくでしょうか。答えは否であります。  もしこの学歴別三段階免許状制度が強引に持ち込まれ、さらに給与面での格差がもたらされることとなるならば、政策的なねらいがどのようなものであれ、客観的にはさまざまな弊害を学校に持ち込むこととなり、その結果、現在問題となっている学校の荒廃現象は解消するどころか、逆にそれに拍車をかけることとなることが予想されるのであります。  本来、学校という教育組織においては、教師相互間は対等、平等の関係であるべきですが、この法案は無用の上下関係や学歴という名の学校歴を絶えず意識させることになります。したがって、こうした制度が強引に持ち込まれるならば、教職員相互の協力、信頼関係は大きく損なわれ、教育効果低下することは避けられないのであります。同時に、子供、父母への悪影響も見逃せません。学歴別三段階免許状構想が実現すれば、子供や父母はあの先生は専修、あの先生は一種、あの先生は二種などといった見方で教師を眺め、正当な根拠もないまま専修の先生の担任や指導を希望し、二種の先生を敬遠することにつながっていきます。その結果、教師は誤った優越感を持ったり逆に劣等感を抱いたりすることになりかねません。  第二は、免許基準強化に関する問題についてであります。  私もその一員であります私立大学における多くの教職課程は、中等学校教員養成を担っていますので、その点から今回の法案と現行の普通免許状にかかわる最低修得単位数の比較を一覧表にしてみたいと思います。お手元に表が配付されていると思いますので、それをごらんいただきたいと思います。  まず、一つとしまして、現行の教科による甲、乙の区分が廃止される結果、乙教科教科専門教育科目の必修単位数が八増加することになります。二つ目として、教職専門教育科目の必修単位数が五増加することになります。この場合、教養答申の別紙参考案によりますと、「教育課程に関する科目」のうち「特別活動に関する科目」や、「生徒指導に関する科目」などの四科目が新たに必修となります。しかし、多くの私立大学では、こうした科目設置していないのが現状でありますから、実質的にはかなりの新設科目が必要となるとともに、単位数も大幅増となり、開放制免許状制度が危機に立たされることになるのであります。  新たに専修免許状創設されることになっていますが、その修得のための単位大学院修士課程等において修得するものとされています。したがって、各大学においても大学院における教職課程課程認定申請の問題が新たに登場してくることになります。大学院設置していない大学が自然に排除される結果となるのであります。  さらに、次のような問題も指摘しなければなりません。四つとしまして、現行教育職員免許法施行規則に倣って、教職専門教育科目の例示が行われるとすれば、その例示科目大学における教育内容を実質的に強く拘束することとなるという点であります。今回の法案では「教育の本質と目標に関する科目」等々と、科目の名称を特定していないようであります。しかし、そうした表現の中で、「地歴」、「公民」を初め、学習指導要領の伝達講習会を思わせる「教育課程に関する科目」や「生徒指導に関する科目」など、大学における教育内容を規則する科目を羅列している点は、厳しく批判されなければならないと思います。  五つ目としまして、教養答申の別紙参考案によれば、教育実習は三単位に増加することになっています。こうした単位増の措置よりも、むしろ現在の教育実習についての学校現場における教員の加配措置など条件整備こそ早急に望まれるところであると思います。  第三は、教員養成免許制度の弾力化に関する問題についてであります。  今回の法案は、教員養成免許制度の弾力化をねらっていますが、ここには次のような問題があります。  一つ免許教科が弾力化されますと、文部省令で免許教科及び特別免許状が決定されることとなり、免許教科法定主義の原則が形骸化します。  二つ、教職特別課程設置して一年間で免許取得を可能にするといいますが、このような課程設置できるのは事実上目的大学に限られてくるのであります。また、この課程運用次第によっては教師予備校化するおそれがあります。むしろ、現行の聴講生制度活用を図り、それを大学院にまで拡大することなどの措置を図るべきだろうと思います。  三つ特別免許状創設については、都道府県教育委員会教育職員検定の権限を付与するのでありますから、その運用に情実が入る余地があり ます。したがって、単位認定を大学で行った上で都道府県教育委員会免許状授与を行うようにすべきであります。  四つ、特別非常勤講師制度においては、その講師が教科にせよクラブ活動にせよ、責任が不明確なままで実質的に学校教育活動にかかわることになります。したがって、免許状保持者から委嘱すべきであります。  第四は、社会人活用に関する問題についてであります。  今回の法案は社会人活用に重要なねらいを置いています。しかし、社会人活用観点から特別免許状免許状を必要としない特別非常勤講師や、一年間の教職特別課程制度創設することは、その乱用の危険性及び教職専門性とのかかわりで大きな問題を含むものであり、その導入には賛成しがたいのであります。特に、都道府県教育委員会が具体的な採用候補者について教育職員検定を実施し、その合格者に授与する特別免許状創設は、大学において教員養成を行うという原則を否定するものであります。また、特定の大学——国立教員養成大学になるでしょうか、特定の大学設置することになるであろう一年間の教職特別課程は、通常の教職課程に大きなゆがみをもたらしかねないものであります。  第五は、法律事項としての免許教科の意義についてであります。  中学校及び高等学校教員免許状は、各教科について授与することとなっており、その教科の名称が法律で定められています。ところが、今回の法案では、新しい教科が設けられる場合には免許教科法律事項から外し、省令で決められるようにしようとしているのであります。  しかし、政策当局の主張するこのような例外的措置は、とかくエスカレートする傾向が強く、しかもそれが恣意的になされる場合が多いのであります。したがって、少なくとも国会のチェックを受けることが必要で、免許教科法律事項の枠から外すことは将来に大きな禍根を残すこととなるでしょう。もし免許教科の省令事項化が可能となれば、昨年の教育課程審議会答申以来、大問題となっています高等学校における新しい教科、すなわち社会科にかわってその登場が予定されている地歴科及び公民科がその適用を受けることは間違いないところであります。  最後に、教員養成に関する政府、教育行政機関の基本的役割は、憲法、教育基本法の精神からして、あくまでもその外的条件整備が基本であることに思いをいたし、その責務の遂行にこそ全力を尽くすことによって子供生徒学生、父母、教職員、さらには国民の期待にこたえられるよう切望し、私の意見陳述を終わります。
  11. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 浪本参考人ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより質疑を行います。  なお、参考人皆様に申し上げます。各委員の質疑時間が限られておりますので、恐れ入りますが、お答えはできるだけ簡潔にお願いをいたしたいと存じます。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  12. 安永英雄

    ○安永英雄君 辰野参考人高倉参考人の論旨というのは大体よく似ておったので、辰野参考人に質問をいたしたいと思います。  今御意見を承りまして、高度の専門性というものを身につけさせなければならないということを強調されたわけでありますが、私は、もちろん大学の中でこの専門性という問題について深く勉強するということも必要だけれども、本来、教師というのは高度の専門性を身につけるということであれば、これはみずからのまず自覚に基づく自己研修、あるいは地域の方々の協力、あるいは父母あるいは子供、こういったところの関係の中から教師自身専門性が高められていく、ただ単に大学だけの問題ではないというふうに私は基本に思っておるわけでありますから、そういった立場からいって、今お話がありましたが、高度の専門性をつけるというその目的等について、経営者とかあるいはリーダー、こういう役割というものについての教育といいますか資質を養わなければならない、これが私はちょっと解せないのであります。教師という世界の中で、教育という世界の中で、あなたのおっしゃるのは大学の中のことかもしれませんが、例えば専修免というものをつけて、その専修免というものを取得するための講義その他の中で経営者としての資格をそこで教える、あるいはリーダーという形の役割を果たせるような教員養成、こういったものを考えていらっしゃるのかどうかというのが一つ。  それから二番目に、一般大学、私も随分調査をいたしましたが、今度の単位の増加によって、あるいはもうこの養成大学というのはやめなきゃならぬのじゃないかというふうなところもある。あるいは、とにかくこの免許法通ったらどうするんだという、特に私立大学等の教員養成課程を持っておるところはこれは不安で、まずどこから手をつけるんだ、今でもとにかく今の単位をこなしていくというだけでも必死になって、いっぱいいっぱいなんだけれども、これがふえたら我が校としてはどうするんだという大混乱に今入っておる。あなたの説では、この程度単位が上がったぐらいでへこたれちゃならぬので、この種の努力は当然そういったところもやるべきだという無慈悲なお話がありましたが、この一般大学というのを切って捨てるというふうな考え方があるんじゃないですか。そういった能力のないところはもう教員養成課程というものは切ってしまえ、短大も切ってしまえ、残るのは国立大学、昔の師範学校、これあなたねらっておるような気がするんだが、その真意を承りたい。  したがって、今最終的におっしゃった、給与というものについても差をつけよ、高めよ、こういうのも今の私が質問した三点の中から生まれてきたような気がするんだけれども、あなたのこの給与を高めるというのはどういう発想なのか。多少高倉参考人の方は具体的におっしゃったが、あなたがそういった考え方を持っておられるとすれば、あなたの今のお話からいえば当然なことのような気もするが、具体的にどういう、例えば専修というものを出たときには、これはもう一種あたりと当然格違いなんで、経営者としての能力も持っておるし、リーダーとしての能力も持っておる、当然給与は上げなきゃならぬ、こういう考えで給与の問題についての御意見をおっしゃったのか。この三点をまずお聞きします。
  13. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) それではただいまの御質問につきまして私の立場からお答えを申し上げます。  第一点、まず高度の専門性というものにつきまして、これはどの職業領域におきましてもだんだんに知識技能というものを深めていくことが必要である、それが自己研修で可能であるということは最も望ましい形かと私は思いますが、養成段階におきましては、私は、その基礎、基本になるものを大学一定のカリキュラムの中において身につけさせるということが、将来卒業してからの自己研修というものの基礎になるんじゃないかということで、特に経営者とかあるいは学校のリーダーというものだけを意図して申し上げたものではございません。  例えば、現在学校で学習意欲低下した子供がふえてきたとか、あるいは学業不振の子供がふえてきた、あるいは登校拒否というふうな問題のある子供がふえたというふうなことにつきまして、四年制の大学で見ますと、教員養成、まあ私どもはその専門の責任を担っておるわけでございますが、実際のカリキュラムを見ましても、カウンセリングというふうなものについての知識技能というふうなものを身につけさせる時間的な余裕というものが少ないのでございます。したがって、これはやはり大学院修士課程においてその面の知識技能を身につけさせる。そういう知識技能を身につけた者が学校現場に臨みまして、その学校で中心的な役割を果たしていくことによって、私は今日のいろいろの問題もある程度解決で きるのではないかという意味で、今カウンセリングを例に申し上げましたけれども、それぞれの領域において高度の専門性あるいは専門的な知識技能というものが必要ではないかというふうに考えておるわけでございます。特に、先ほど申し上げましたように、学校管理職養成するとかいうふうなことで申し述べているものではございません。もちろん、そういう管理運営と申しますか、学校の経営について識見もあり能力のある者が育っていくことは望ましいこととは思いますけれども、高度の専門性というものが、これだけに限られるというふうには考えておりません。  それから、第二の御質問の点でございますが、今度の教職専門科目の履修単位引き上げる、あるいは教職科目の幅を広げるというふうなことが一般大学教員養成を不可能にするのではないかという御指摘でございますが、私は、一般大学におきましても、本当に今日必要とされる教員養成しようと思うならば、それぞれの大学において自由選択科目とかいう、そういうゆとりをなお持っているんじゃないかというふうに考えるわけでございます。ですから、すべての学生にそれを強制するわけじゃございませんし、自分は教員になろうという意欲のある者であるならば、それ相応の努力が必要ではないか。私は、昔の教員と今日の教員では求められるいわゆる力量というものにかなり幅があり、難しくなってきているんじゃないか。子供の興味、関心が多様化するとともに、先生の方、教員の方におきましてもかなり力量を必要としておる。したがいまして、私はそれぞれの一般大学が自分のところも教員養成をしようというならば、大学はもちろん、それを志望する学生もやはりそれ相応の努力が必要ではないか、これは実際に可能ではないかというふうに考えるわけでございます。  それから、第三番目の給与の点でございますが、これは努力をいたしましてそれ相応の研さんに励んだ者については、やはり給与という面からも配慮する必要があるのではないか。特に教育界人材を得ようとするならば、精神論とかあるいは理想論からいえば、いや先生というものは金のことは言わないんだとは言うものの、一般社会の常識から見ますと、学生の就職活動などを見ましてもやはり給与の高い方へ流れていく傾向は、これは否定できないと思うんです。したがいまして、私は大学あるいは大学院等において努力をした者についてはそれ相応の給与は配慮することが必要ではないか、こういう趣旨で申し上げたわけでございます。  以上でございます。
  14. 安永英雄

    ○安永英雄君 嶺井先生にお願いをします。  社会人教師活用する、この一連の特別制度が今度の免許法の中に盛り込んであります。無免許特別非常勤講師、それから教育委員会の検定による特別免許状授与、一年間で正規の免許状が取れる教職特別課程設置、こういうことですけれども、今もお話があったように教職専門職、これを原則として強く進めていこうというのに反しまして、他方、私はこれはもうはっきり言って無資格者と思うんです。この無資格者やそれと同様の社会人、こういった者を活用するということは同じ法案の中で、免許法の中でこれは相矛盾する考え方だと私は思うんです。いろいろ申し上げたら時間がありませんけれども、この点について先生の御意見を承りたい。
  15. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 今、安永先生がおっしゃいましたように、私も矛盾すると考えております。社会人活用が今回強調されておりますが、既に今の養成段階でも、例えばさきに述べましたように夜間課程でありますとか聴講生でありますとか、あるいは通信生では本当に意欲を持って教員になろうという社会人が既に存在しておりまして、その社会人たちが大学で既に学んでいるわけです。その人たちは非常に困難な条件の中で何とかして先生になりたいと思ってやっているわけですが、その人たちに対して、私たち大学の方ではやっぱり基本的には教育に関する基本的な知識、態度が必要であろうと、それを十分に踏まえた上で実践的な力をというふうに考えております。そうしますと、最低幾ら何でも二年ないし三年、四年という枠をはめて、できるだけ専門職性と、それから社会人としての意欲調和させるような努力を実際やっているわけなんです。ところが、そういうことは全然今回はなくなってしまうということはやっぱり矛盾を来してくるのではないかと思います。それと、今そういう形で学んでいる学生あるいは社会人に対して、そういう人たちを切っていくことになるのではないか、そういうふうな気がいたします。
  16. 安永英雄

    ○安永英雄君 そこで辰野先生にお伺いをしたいんですが、現在学生は、例えば四年間苦労しまして免許状を取っておる。そのためには学生もそうでありましょうが、これは学長以下各担当教授すべて全力を挙げて、とにかく四年間で免許状を取らしておる。ところが現在、免許を持って教員になりたいと思っているけれどもなれない人たちが全国で約九万人おるんです。  あなたの学校はほとんど就職するかもしれませんが、どうですか、そこら。後で言ってください。だから言えるんじゃないかと思うんだけれども。手塩にかけて免許も持ち、しっかりした教員が、これは数が限られておりますから、現在全国で九万人の、とにかく臨時の任用をされた者、臨時教員、こういった形の人もその中にはいるかもしれない、しかし、これは正規の教員として採用されていない。これだけの者がいるということであれば、別に民間から持ってきて、盛んに先ほどから申しますと、民間人を持ってくれば学校の中が活気づくとかいろいろ言いますけれども、少なくとも、教員になろうと思って一生懸命に、学長以下養成した者がたくさんおる、こういった者をまず私は採用できるような方途をとるのが学長の仕事じゃなかろうか、こう思うんであります。これはひとつ辰野さん、学長として、教員養成をやっておる大学の責任者としてそこらの兼ね合いをどう考えられますか。
  17. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) それではお答え申し上げます。  第一点のこの目的大学におきましても卒業生が全員就職できないという現状において、社会人を登用することはいかがかという御意見でございます。  その点についてはいろいろのお考え方があると思いますが、私見を申し上げますと、私は教員養成を目的とする専門大学におきましては、先ほど来申し上げましたように、今日の社会的要請にこたえ得る実力のある、あるいは指導力のある教員養成したいということで全力を尽くそうと努力しておるわけでございます。しかし、残念ながら全員一〇〇%就職ということは現在の事情では難しゅうございますが、できるだけ教員を志望する学生についてはその期待にこたえ得るように大学としては努力しておるところでございます。その点は御理解をいただきたいと思います。  第二番目に、それなのに社会人というふうなものを登用することについてはいかがかという御意見でございますが、私、自分のところの教育を見ておりましても、四年間ではあらゆる領域にわたって万能型の教員養成するということは実際には難しいんです。私どもは小学校教員養成を、自分のところを例にして申しわけございませんが、小学校教員養成を受け持っておるわけでございますが、現在、八教科をすべて担当し得ること、八教科を全部持ち得ること、しかもやはり水泳もできなくちゃいけない、それから音楽、美術、体育等の実技についても指導できなければいけないというふうにいろいろの要請がございます。そういうものを実際に四年間でこなしていきます場合には、必ずしも深みと申しますか、高度の知識技能というようなものを身につけさせることは難しいわけでございます。しかも社会が非常に変化している。先ほど来どなたか参考人の中で御指摘もございましたけれども、今日のコンピューターとかいろいろなものが入ってきますと、それをすべて一人前に育てるということはやはり難しいわけです。  したがって、私は、目的大学養成する教員につきましては、現在の学校あるいは将来の学校を考えた場合に、その基礎、基本を十分にこなし得る教員養成して、そうして時代の変化に伴って起こってくるその必要な領域につきましては、その時代におけるやはり教員免許状というふうなものを持っていなかった社会人というふうなものにも便宜を図りまして、そういう方々の知識技能というものを学校教育に入れていただくのが今日のような複雑な社会における学校教育には適応しているんじゃないか、むしろ積極的にそれを考えた方がいいんじゃないだろうかというふうに今考えるわけでございます。  しかも、今日の学校教育子供は非常に多様化しておりまして、能力適性あるいは興味、関心の面から見ても非常に多様でございます。したがって、すべての子供の興味、関心に合った教育というものを行うことはやはり大変な努力が必要でございますので、その興味、関心のあるところをできるだけ生かしていくには、やはりそれ相応の教員というものを用意していく必要があるというふうなことで、社会人の方をお願いするというのもそういう面から積極的に意義があるんじゃないだろうかというふうに考える次第でございます。  以上でございます。
  18. 安永英雄

    ○安永英雄君 それは私は大学教育が間違っていると思います。あなたが今言う、社会人も必要だというその点を四年間でもってたたき込めばいいわけです。そこらのことは言わずに、自分のところといった、コンピューターも使い切らぬと、だから社会人を持っていく、そういう無責任なとにかく大学養成機関の立場というのはないですよ。  次に嶺井先生にお聞きいたしますが、この教員免許取得に要する大学の最低履修単位が大幅に引き上げられた、それから授業科目も全面的に改編する。このことは、これは時間がありませんけれども、私は随分研究してみましたけれども、各養成大学のカリキュラムの編成等を見てみますと、いっぱいいっぱいですね、今。そこで、その大学の特徴のある、自分のところの特徴を出そうというカリキュラムのところが余裕がだんだんなくなってきておる。それ以上になってくると、もうもはや文部省あたりが要求しておる単位をこなすのにいっぱいいっぱいで、窮屈なものだろうというふうに私は思って、現在の制度の中におけるカリキュラムの編成の改善が必要だと思うんです。  そこでやっぱり今後はいっぱいいっぱいになってくると、文部省の意向というものをそのままもう詰め込んでいっぱいいっぱいになる。かつて戦時中の師範教育がそうだったように、いわゆる国家の考え方、文部省の考え方というのはもうそのままびたりやって、それいっぱいなんですから、そういう介入が私は随分進んでいくんじゃないか。そうして教員のできた方というのは非常に画一的な教員というものができてくる。これはもう開放性の一番果たさなきゃならぬところでありますが、個性豊かな人間的な魅力を持った教師力量のある教師と、こういったものが当然養成されなきゃならぬのに、いよいよやっぱりこの戦時中、戦前のような師範の、あの当時はカリキュラムとは言っていませんでしたけれども、私はそれ自身受けてきた人間なんですけれども、そういうやっぱりこの戦後の教育の新しい方向というものに逆行しながらいくような気がする。第一、当該の学校はもうとにかく余地がない、今度加えられた単位で。そういう現状を私は知っているんですが、どうでしょうかね、そういう点。
  19. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 二つほど論点があったかと思うんですが、一つ単位数が上がることによってカリキュラム編成が窮屈になって一方的な教員養成になってしまうのではないかということをお話しされましたけれども、現実的に目的大学では非常に細切れの単位でカリキュラムが組まれておりまして、非常に窮屈な状況にあるというふうに私は思っております。それがより一層強化されるのではないか。今安永先生がおっしゃったとおりであると思います。  二つ目は、開放性の問題とかかわっていると思うんですが、私立大学等でやはり免許基準引き上げられますと、現在でも私立大学なかなか教員合格者がない。それから私立大学の財政はなかなかふやせられない。それから先生の手当てをするにも予算がないということになりますと、私立大学では、もしかしますともう教職課程要らないというふうに経営者側が言ってこないとも限らない、そういう危惧を持っております。そうしますと、一般の私立大学では教員免許の幅がだんだん狭まってくる。そうなりますと、やはり開放性原則が崩れてくると思いますので、先生のおっしゃったとおりではないかと考えております。
  20. 安永英雄

    ○安永英雄君 終わります。
  21. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 辰野先生にお伺いいたします。  私は、先年、上越教育大の大学院生徒にちょっと論文を書くからということで資料を求められました。いろいろお話をしておりましたら、彼女は上越教育大の学部を卒業して教員採用試験を受けました。採用試験に不合格でありました。先生になれなかったから大学院に入りました。そうして二年終わって先生になりますと、同じ学部を卒業した同級生に比べて彼女は一号俸高いわけでありますね。つまり勤務年限一年に対して給与は一・五。在学期間中は一・五に見ますから、二年間あると三と二。先ほど高倉先生のおっしゃったとおりの給与差がありました。  そういうことになって、それでは車修免を取ったAさんと、先生をしていながら車修免を取ったBさんが給与において違いがあるのはおかしいから、一生懸命に頑張った人にも車修免並みのお給料をあげなさいと、こういうことを仮に言うと、私たちが承諾をするといたします。私たちは反対なんですよ。何しろ中曽根前総理だって総理大臣をしているときには総理大臣の給与ですけれども、一議員になれば、きのう入ってきた議員と同じ議員歳費なんですからね。ここにいらっしゃる方も、古い方も新しい方もみんな同じ歳費で、だから賃金というのは何が正しいかというのは私わからないと思うんですけれども、まあそういうことで専修免を同じに取っていて、頑張って専修免を取った人を大学院を卒業してきた人と同じにしたいという気持ちはわかります。それでは、ぜひ専修免を取りたいと思った人は私は平等の専修免を取るチャンスというものが与えられなければならないと思っております。  上越教育大にも三分の二は大学院生徒で現職者を入れなければならないというのがありますね。ここに入れてもらうためには、校長先生のお墨つき、教育委員会のお墨つきがなければ入れない。私はそれはおかしいと思うんですね。例えば全国なら全国、教育大学大学院に行きたい人は何人いるか、その中で、その大学院の枠はこれだけしかない。じゃ、その枠に当てはめるには、一体何人どういうふうな形で選考するかならいいですけれども、そうじゃないんです。おめがねにかなった人しか入れないという、こういう不合理の中で、私はやっぱり問題がある制度だというふうに思います。そういう意味で、公正に専修免が取れる条件を与えられるようにするためにはどのようなことが考えられるかということをお伺いしたい。  それから、私の時間は二十七分までなので、あと五分しかないんですけれども、嶺井先生に、そういうことも含めて、何かちょっといい免許状とか何か位を取りますと、月給が上がるというような制度をとっている国もほかにありますね。そういうようなところは一体どのような状況が出ているかというふうなことを御存じでしたらお伺いいたします。
  22. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) それじゃ、お答えを申し上げます。  ただいまの問題は、私はこれからの大学教育を見てまいりますと、大学院修士課程かなり広くそれぞれの大学で設けるようになってきておるということから見まして、専修免許状取得でき る道が大幅に開けてくるんじゃないだろうか。一般大学におきましても理学部、文学部等には大体修士課程というふうなものはありますので、一般大学の方々でも専修免許状取得する機会はある。  それからもう一つは、大学院を出なくても、研修それから経験年数という両方合わせたものによって専修免許状取得する道も開かれておるということから見まして、私はそれぞれの人が努力をすることによって専修免許状取得していく道が開けておるんじゃないだろうか。したがいまして、その専修免許状を取った者、取得した者については、待遇の面でもやはりある程度配慮していただくのがいいのではないかという点を申し上げたわけでございます。  お答えになりましたかどうか。
  23. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 時間がありませんから結構です。
  24. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) すべてを存じているわけではありませんが、例えばアメリカの幾つかの州等では、修士を取りますと給料が上がるとか、ある一定研修を受けて、ある一定条件を満たすとかなりボーナスが出るとか、そういうふうに先生たちの間を幾つかにランクづけしまして、そしてお金を出すことによって動機づけをしていって、そして資質向上させるという、そういうようなことが確かになされておりますが、アメリカの場合ですと、基本的にやはり教員給与水準全体が低いわけです。低い中でランクをつけて競争を先生たちにさしていくというのは、私はこれは間違っているんではないかと考えております。むしろ先生たちの給与水準、職員も含めて全体の水準を上げることによって、そして学校での働く条件改善することによって先生たちの研修あるいは研究意欲を高めるという方向でやっていかないと、本当の人材教育界に求めるということにはならないのではないかというふうに思っています。  確かにソ連でも教員給与は非常に少ないです。低いと思います。あの中でも上級教員制度みたいなものをつくってやっておりますが、私は、そういう制度はやはり全体としていい人材、人物を教育界に呼び寄せるには不十分ではないかと考えております。
  25. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 高倉先生に一言だけお伺いいたします。  先生、随分子供たちの現状に触れて教員養成はもっと充実しなければならない、こういうお話をいただきました。本当に今の教員養成で欠けている部分というのは一体何なんでしょうか。望ましい教員養成というのは一体どうなんでしょうか。実はあと二分ぐらいしかありませんので簡単に、十分お心のうちが出ないと思いますけれども、お願いします。
  26. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 一口で言ってしまえば、プラクティカルトレーニングということに欠けている、こういうことかと思います。もっと突っ込んで言いますと、理論的な研究あるいは知識中心の養成というものが先行しておりますけれども、それと実態をブリッジするようなそういった配慮が欠けている、一言で言えばそういうことになろうかと思います。それを私はプラクティカルトレーニングと、こういうふうに呼んでおります。  以上です。
  27. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 参考人皆様方には大変御苦労さまでございます。  今回の免許法改正、一部改正でございますが、これは私見でございますが、前の現行法に比べて五十歩百歩で、余り反対だ賛成だと言うのはちょっとおこがましいような気もいたさないわけではございませんが、先ほど嶺井参考人がおっしゃっていましたが、今回は三つに分ける、言ってみればこれは階級化だ、あるいは差別化だ、だから反対だというひとつ反対理由をおっしゃったと思います。しかし、現行法を見ていますと、これは同じ学校じゃないけれども、義務教育小学校中学校高等学校免許状を見ますと、高校の場合、大学の学部を出てくると二級だし、大学院を出なければ一級はもらえないんですね。ところが、義務教育では学部卒業と同時に一級がもらえる。もう既にここで差別されている、現行法ですら。にもかかわらず、それ以上に給与面でも、義務教育の先生方と高等学校の先生方とは給与面で最初十年ぐらい一緒ですが、あとだんだん変わってきちゃうんですね。まあ、昔に比べると大分近くなってまいりました。  特に大学卒業同時、昔はそれは同時のときに高校の教員か小中の教員かによって最初のスタートから変わっておった。これはやはり明治以降ずっと小中学校の方が、義務教育の方が昔の中等学校、今の高等学校に比べれば先生は楽なんだと、本当は楽じゃないんですけれども、そういう意識があったんじゃないかと思うが、そう考えていただくと、今回の改正は私は先生のおっしゃったとおりのことをむしろやっているんじゃないか、私はそういう感想を持つんですが、四先生いらっしゃいますので余り長くなりますと困りますので、一言ずつでいいですが、そういう意味において、今度は三つに分けたことについての御感想と私が今反論したこととかみ合わせて、御意見がありましたらひとつ陳述をいただきたいと思います。どうですか。
  28. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) じゃ、お答えいたします。  ただいまの御指摘の点につきましては、私は、おっしゃるとおりでございまして、小学校中学校、そういう教員に対しましても高等学校教員と同じように扱うべきだということを考えるわけであります。したがって、高等学校については従来一級があり、今度は大学院を出れば専修免許状になる。したがって、小学校段階でも中学校段階教員でも、同じように専修免許状を出すことが私はよろしいんじゃないだろうかということを申し上げたわけでございます。
  29. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 中学校ですと、ほぼ全員が一級免許ですから、それはそれでいいと思いますが、問題は高校の場合にかかわってくると思いますが、二級から一級へは、御存じのように、経験年数が加味されまして、必要な単位を取れば自然に一級免許へと変わる、そういう制度になっておりますので、それが今度はやはり研修をきちっと受けないとそれが取れないということになりますと、やはりこれまでの制度とは違ってくるのではないかというふうに私は考えております。
  30. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 先生、最初におっしゃいました義務教育とそれから高等学校教員給与のスケジュールが違うという点、私は前々からあれ非常に疑問を持っておりまして、いろいろ調べてみますと、高等学校の先生の方が管理職になるパーセンテージが非常に低いから、その分だけ上乗せして全体でいえばバランスがとれているようになったんだというような話を聞いたことがあります。これが本当かうそか知りませんけれども、わかるような気もしないではないわけです。  しかし、それはちょっと暴論かもしれませんが、日本ばかりではなくて、やはり教師給与を決めていく場合に、一般に言ってアカデミックな度合いが高い学校段階教師ほど給与が高いというのがどこの国でも一般に見られることだと、こういうことが言える、このことははっきりデータも示しているとおりです。そういった考え方が非常に安易にと言っちゃ語弊があるかもしれませんが、日本の給与制度に持ち込まれているんではなかろうか。私は、よく引き合いに出されるように、小児科の先生と内科の先生とどっちが難しいんだと。小児科の先生は簡単だから治療費が安くていい、そんな議論が成り立たないというのはむしろ逆じゃないかというような議論もよく出てまいりますけれども、三人でこんな議論して大変申しわけございませんですけれども、私が言いたいのは、義務教育高等学校教員給与というようなものをもう少し一体としてシングルトラックシステムといいますか、単一給与制度のような形でもって改定していくべきだと。それと今度の三種化というのは直接関係があるかどうかは知りませんが、何かこの三種類化がシングルトラックシステムの導入にインパクトになれば私は大変ありが たいなと、こういうふうなことを個人的には思っております。  以上です。
  31. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 今回の学歴別三段階化と申しますのは、特に小中学校あるいは盲聾養護学校、幼稚園などについてでありまして、ここが大変問題だと思うわけです。専修免許状というのは現在はだれもが持っていないものになるわけでありますから、これから全員が取得しなければならないということになります。高等学校の場合は専修に読みかえられる教員もいるわけでありますから、その点で若干問題は緩和されるかもしれませんが、ただし先ほども申し上げましたように、上進に際しての単位取得が義務づけられるわけでありますから、ここで選別が行われるという点で、やはり基本的には共通の問題点があるように思います。  以上です。
  32. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 大体御意見よくわかりましたが、確かに小中学校の場合、専修は別に今ないと。大体の人は一級を持っておる。二級の人も将来は寝ておって毎日てんぷら揚げていても一級になっちゃうんですから、考えてみれば非常にぬるま湯につかったようなもので、そうばかりとは言いませんけれども、悪く言えばですよ。決して全部がそうだというわけではございません。(「厳しいですね」と呼ぶ者あり)厳しいですよ、私は。  ですから、そういう意味では確かにいろいろな意味で刺激にはなると思います。ただ、教師というものは評価がなかなか難しゅうございまして、ほかの例えば営業をやっている人でしたら、売り上げがたくさん出たりしたら非常に成績がいいというふうに言えますけれども、教師の場合はそれが言えませんので、そう簡単に区別ができないと思います。しかしながら、教師という名のもとにすべてがすべて平等でいいかというと、私はこれはまた素朴な疑問を持っているんです。これは国民全員がそう思っているんじゃないですか。  ですから、その辺を加味しながら高倉先生にもお伺いしたいんですが、今言ったように特別免許状というものを、今度特殊な技能のある人にはその免許状を与えて社会人の登用をする、先ほどの先生のお話ではそれはけしからぬ、専門の先生が余っているのに何もそんな余分なことをするなという御意見もございましたけれども、しかしとかく教員というのは閉鎖的で一般社会と遊離してしまいますので、そういう意味で、むしろ風穴をあけるという意味で大いにこれは私は推奨したい。今回の改正の第二の要項がこれでございますが、その点の御意見をひとつお伺いしたいと思います。
  33. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 二点について答えさしていただきたいと思います。  私は、特別免許状制度社会人の積極的な活用というのは賛成でございます。実はこの問題、先ほどちょっと私触れましたように、一九七五年、ちょっと古うございますけれども、ユネスコの第三十五回国際教育会議でもって私、日本政府の代表でずっとこれフォローして出ておりましたけれども、そのとき採択された「教員役割変化教師教育に関する勧告」という中で議論された問題でございます。  簡単にでございますが若干触れさしていただきますと、先ほど来御議論いただいておりますように、教師役割というのは非常に多様化した、それで学校で、大学養成された教員ではそれに到底対応できない、したがって、もっともっとたくさんの、スペシャリストあるいはプロフェッショナルという言葉が使われておりましたけれども、これをインバイトすべきだ、こういうふうな議論でございました。一方からは教員専門職性というふうなことでそれに反対というような議論があって、これ半日間この議論ユネスコでやったわけです。  それで、どういうところで決着をつけたかというと、決着は二点です。一点は、最初のドラフトが社会人をモアインボルブド、積極的に導入せいというふうに言ってきたそのモアというところをアプロプリエートリー、適切にという言葉にしかえることによって、そこのドラフトがクリアした。その適切にということはいろいろな意味があると思います。今度の改正法でいけば、社会人の有効活用というのは、何もオールラウンドに、すべての教科にということは言ってないんであって、ある限定つきのことであるし、しかも許可の問題、それからいろいろな要件がある、そういったことをひっくるめてまさにアプロプリエートリーということが加わったということで、これはやはり運用の面でもって大いに考えなきゃいかぬということに対する警鐘かと思います。  それから第二番目の点は、それではこれまで専門的な養成を受けてこられた先生方との関係はどうなるのか、こういうことで議論になりました。これもやはり半日議論しましたけれども、結局は教育の最終的な責任はクオリファイドティーチャー、有資格教員が、何といいますか、手に持っているといいますか、預かっている、掌握しているということを前提にした上で社会人をインボルブしよう、こういうふうな条件をつけることによって解決した、こういうふうな経緯があるわけでございます。  したがいまして、私、ずばっと申せば、今度の問題というのは制度をどう変えるかという問題と、その制度をどう運用するかという二つの問題があろうかと思います。決して切り離しては考えられませんけれども、制度がどんなによくてもそれが運用がまずかったらこれは機能は果たせない。そこでもってやはり私、今申しましたアプロプリエートリーとか、あるいは教育の最終責任が云々というような議論が出てきてそれが国際的な合意になったんだというようなことは、十何年か前にこれはユネスコで見られた国際的合意でございますけれども、それは私どもやはりここで十分に考えてみていいんではなかろうか。  ちょっと長くなりましたけれども。
  34. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 嶺井先生、ちょっと先ほどの御意見の中に、私立大学ではいわゆる教職課程単位余分に、特に特活であるとか、あるいはコンピューターであるとか、あるいは生徒指導、いわゆるカウンセリングですか、これらをとらないと今度教員免許状取れなくなりますね。それに対して非常な、何といいますか、いろいろな意味でもって開放制が損なわれるんじゃないかという話がありますけれども、どうも私の見た点では、現在ですら今の現行法以上にとっている学生も多いし、五単位というのはそれほど大きな圧力には必ずしもならない。むしろ今これから取ろうとする、もう大学卒業して社会人になった人間にとってはつらいかもしれないけれども、学校そのものあるいは学生そのものにとって、一年か二年生のときに教員免許状取ろうと自分で覚悟決めた者に対してはそんなに大きな支障はないように私は、実は自分は考えておるんでございますが、その辺先生も冷静にお考えいただいて、そうじゃないですか。
  35. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 確かに今私どもの大学ではかなり単位出しておりますから、単位数としては二単位増ぐらいで最終レベルはなると思いますけれども、私立大学で特に問題としたいのは、今でも担当の教員数が非常に少ない条件下にあります。そして学生数は非常に多いわけです。二部もございます。そういういろいろな条件の中で本当に学生たちと一緒になって教員あり方について考えようとしましても、そういう条件面が非常に立ちおくれている。そういう中で、もうひとつそこで何とかしようと思っているときに、わずかでありますが単位数がふえるということは、これはやっぱり私どもにとりましては非常に大変なことでございます。教育原理の授業でももう二百人程度学生がとってまいりますし、教育実習でも私たちはもう既に事前指導、事後指導やっておりますが、多い先生ですと七十人ぐらいを持っているわけです。そこで十分やろうとしましても、これはなかなかできにくい。ですから、むしろ私は、今教員養成を本当に変えていくには、私立大学等でも十分やっていけるような条件整備の方を優先 さしていただきたいというふうに考えております。
  36. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 ごもっともなお話で、それはまあ確かにそういう一面もあろうと思います。ただし、この五単位が致命的な欠陥だとは私はどう見ても思えないという私の感想なんでございまして、これは平行線でどこまで行っても合わないかもしれません。  いろいろ今回の免許法改正、これが出たそもそものいわれは、やっぱり臨教審の問題があったと思うんですね。臨教審がなぜできたかというと、別に中曽根さんが好きでやったわけではないと思うんで、やはりそれまでの教育現場が荒廃したという一つの現象が、やっぱり国民がこのままじゃいかぬじゃないかということで、大勢の人がたくさんの時間を費やして一生懸命、まあそれはある人に言わせれば意に沿わないことかもしれないし、ある人に言わせれば非常にいいと言うかもしれないし、私どもに言わせれば、どうも中途半端でいかぬから、やるんならもっと徹底的にやれ、こういうふうにそれぞれ考えるわけなんですね。だから、それはそれぞれの考え方が違うんでして、これはやむを得ないことだと思うんです。  時間も余りありませんし、小野先生にあとやっていただきますので、最後にそれじゃ教師というのは何ぞや。  きょうは幸い日本を代表するような立派な教育行政に携わる人が大勢いらっしゃいます。私も実は皆さんと同じようにかつて教員もやりましたし、今学校も経営していますんですが、よく私は教員に言っているんですけれども、人間は動物かと言ったとき、お前何と言うか。動物だと言う人がいると、いや、人間は動物じゃない。これは意見の分かれるところなんです。先生もそうだと思うんですよ。教師は労働者かと言うと、そうだな、労働者だと言う人もあるし、いや、労働者だけじゃないよと言う人もいる。いや、これは専門職だとか、これは聖職だとかいろいろあると思いますが、先生方は端的に教員とは何か。私はそう思っているんですが、皆さんはどう思っていらっしゃるのか、一言ずつで結構でございますから、ひとつ教員というものはどういうものか、よろしくお願いします。
  37. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) ちょっと御質問の意味が……
  38. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 教員とはどういうものか。
  39. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) はい。  私は、簡単に申し上げますと、教員というのは子供の持っております、先ほど来お話しの資質能力というものをできるだけ伸ばし得るように、個性に即し、個性を伸ばし得るように指導、助言してやるのが教育である。したがって教員というものは、私はどういう教員がいいかということを本当に日常的な用語で申し上げますと、子供が好きで、それから自分も勉強が好きで、それから、教えると言うと語弊もあるが、面倒見がいい、この三つが私は教員の最低の条件じゃないかというふうに考えます。  以上でございます。
  40. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 私は、今の先生の質問は、特に子供たちにとって魅力のある先生というのは一体どういう先生かというふうにとらえさせていただきたいと思うんです。といいますのも、先ほどからどうも社会的な要請があって教員が変えられるというような発想の方が強いような風潮がありますが、登校拒否子供たちの問題、あるいは高校を中退していく子供たちの問題を見ますと、今既に子供たちがいっぱい学校とか先生たちにいろいろな注文を持っているんじゃないだろうか、今ある子供たちをどういうふうにしていくかということを抜きにして社会要請を強調することは、ちょっと問題があるんじゃないかというふうに考えております。  そういう観点で申しますと、今特に先生に求められているのは、本当に私は、普通の人間として子供たちと向き合ってくれる先生じゃないか。そう言いますのも、いろんなアンケート調査を見ますと、子供たちの中で圧倒的に人気がありますのは、指導のうまい先生とか授業が上手な先生というよりも、何か一緒にやってくれる先生、それから子供の側に寄り添ってくれる先生、あるいは人生の問題を同行者的に考えてくれる先生、そういう先生が本当に子供たちから求められているような気がするんです。そういう先生たちがいますと、やっぱり今もう四万人を超えたと言われるような長期欠席の子供たちの問題なんかも、まずきちっと受けとめてくれるんではないだろうかというふうに思っております。
  41. 高倉翔

    参考人高倉翔君) かつて学校制度が伝統的にセカンダリースクールとプライマリースクールという複線型に分かれていたときに、セカンダリースクールの教師というのは学問の教師だ、それからプライマリースクールの教師というのは方法、メソドロジーの教師だ、こういうふうに言われていた。最近はその二つを、学校制度も一本化されたんだから一緒にせよ、学問・方法教師、そんなこと言っても始まらないわけですが、仮にそういった言い方で言うとすれば、私は今日の教師というのは学問の教師方法教師人間教師というひもで束ねたものだ、こういうふうに思っております。  以上です。
  42. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 教育とは子供の持つ可能性を無限に花開かせるべく、その教育専門性あるいは教育科学性というものを身につけて子供の前に立ちあらわれるべきものだというふうに思います。今日の学校教育の影響でしょうか、大学生にこういう教育とは何かというふうなことを聞きますと、教え込まれることが教育なんだというふうに受けとめる学生が多くて、エデュケーションというのはもともと可能性を引き出すというふうな語源から出てきているんだよというふうなことを話しますと、初めて知ったと大変驚くわけでありますけれども、今の学校教育の現状がそういうところからも感ぜられるのではないかというふうに思います。  教育科学性あるいは教育専門性、あるいは芸術性といいましょうか、そういうものを豊かに身につけた人間性豊かな教師が望ましいというふうに思います。
  43. 小野清子

    ○小野清子君 諸先生のいろいろな御意見を拝聴させていただきまして大変参考にさせていただきました。また、こちらの委員の方からの御質問も大分出払った感じもするわけでございますけれども、この教員免許法の一部を改正する今回の法律案が出てきたこと自身がやはり現在の教育のいろいろな問題からこういう法案が浮かび上がってきたものと思いますし、私はそうした意味の中で何がそれを解決するかということが問われたときに、これは教員資質によるものであるというところがまず一番先に出てきたような気がいたします。    〔委員長退席、理事林寛子君着席〕  先ほどからのお話の中にもありますけれども、時代が変わってきまして、私どもが学んだ時代というのは一つの学問を学べば十年二十年とその学問というものは光り続けたわけですけれども、このごろは非常に変化の時代になりますし、歴史すらまた書きかえなきゃならないような時代になってきますと、まさに学んだことをさらに学んでいかなきゃならない。これはすべての人にとって変化の時代に対応するための生涯教育というものが必要になってきているのではないかと思います。  さらにまた輪をかけまして国際化時代という中に入ってきますと、日本人が日本人としての考え方をしっかり持つと同時に、いろいろな人の考え方も理解しながら、それを自分たちの日本人としての考え方にどう生かしていくかということができなければ国際社会にも対応していけない。ですから私は、先生という職業もこれ本当に大変なことだと思いますし、これから学んでいく子供たちもまた大変な時代に入ったと思います。ですから、今問題になっておりますのは、教員資質向上ということと同時に、先ほどから諸先生お話がありますように、専門的な能力がより必要になっていこうかと思いますし、そうした意味では基礎 学力というものが逆になおざりになって、専門性を乗っけられますと、これまた子供たち自身も登校拒否を起こしてしまうような現状になってしまいますし、私は今この教育荒廃の中で大変な思いをしているのは子供たちばかりではなくて教える側の教師も相当大きなさまざまな不安を抱えているものと、そんな認識をいたしております。  そうした中でやはり今回出てまいりましたそうした時代背景、現状を踏まえながら教員資質をどうしていくかということを考えたときに出てきておりますのが教員免許の三種類化ですか。私などは二級免許保持者というわけでございますけれども、嶺井先生先ほど高学歴、いわゆる専修免許状、この問題というのは学歴社会をつくるのではないかというお話をちらっとされました。私も卒業して三十年目の同期会というものをつい先日行いまして、その名簿を今ちょっとひっくり返してみましたら、やはり大学院、修士を出た者が高校の教師になり、そしてただ大卒の者が大学の今や教授になっているというぐあいにいろいろで、中学、高校、小学校一人ですか、そんなちらばり方を同級生の中にしております。そうした中で、私自身学歴というものが、今回は三種類になって、一級二級が一種二種と、そして専修免許三つに分かれるわけですが、従来のものと余り変わりがないように感ずるんですけれども、先生その辺はいかがか、まずその点について御意見をお伺いしたいと思います。
  44. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 先ほども申し上げましたが、従来も確かに一級と二級の免許の違いがございました。しかしながら、先ほど木宮先生は寝ていてもというふうに言われましたけれども、私たちは、学校で先生たちが子供たちと格闘しながら経験を積み重ねたことがそのまま二級から一級への上進に変わるという、現在はそういう制度であったかと従来は思うんですが、今回は、明らかに修士課程をきちっと出るか、あるいは認定講習で単位取得しないと専修免許状をもらえないという、その上でもらってからはそれに給与面でのプラスアルファがこれまで以上にプラスされるということは、やはり学歴によって差がつけられるということにつながっていくのではないかというふうに私は考えております。
  45. 小野清子

    ○小野清子君 浪本先生にお伺いしたいと思いますけれども、専門性というものをこれから高めていかなければならないというお話が今たくさん出てまいりました。よく私などもテレビで拝見させていただいておりますけれども、ノーベル賞をとられた方とか企業のある程度までいかれた方々が自分の母校を訪ねたり、いろいろな学校現場で指導していらっしゃる風景をそういうもので拝見することも私ございますけれども、先生はどんなぐあいにあの姿をごらんになっていらっしゃいますでしょうか。
  46. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 恐らく今小野先生おっしゃったのは、NHKのテレビの「シリーズ授業」とか、そういう番組のことを念頭に置かれてお話しなさったんではないかと思いますが、これはなかなか私もいい番組だし立派なお話、内容だと思います。あれにはその方の最も専門とするところ、あるいは相当な準備を重ねておやりになっているんだと思うんですね。ですから、教師もそういう専門性という観点からいうならば、それだけの研修とか準備ができた上で授業ができるといいましょうか、子供の前に登場できるような、そういう時間的ゆとりといいましょうか、特に子供たち変化あるいは時代の変化は確かに激しいわけですので、それに追いついていくだけでも大変な状況なのに、それに輪をかけて教師を見る親の目も厳しくなっていますから、一層教師研修といいますか研さんの必要性が出てきているんではないかというふうに強く感ずるわけでございます。
  47. 小野清子

    ○小野清子君 情報化社会とか高い専門性というのがいろいろ先ほどからお話があるわけですけれども、私たちのころは学校ではほとんどそんな教科は学ばなかったコンピューター関係とか、ああいうものが出てきた場合に、五十過ぎた者がこれからそれを自分で時間をつくって学ぶということの効率性と、専門的な知識能力を持っている者が現場にそれなりの段階を踏んで新しい今回のシステムの中の社会人学校教育への活用というこの特別免許状を持って入ってくるということは、私は、同じ現場で教師もともに学べるという立場から考えますと大変すばらしいことではないかと思うのですけれども、先生はそのあたりどんなふうにお考えでしょうか。
  48. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 部分的活用といいましょうか、学校の側から言いますと、そういう点では非常に役立つ面があるかと思います。しかし、子供たち立場に立ってみますと、非常勤講師であれ一年間なりある程度の長期間授業を担当されますと、子供の方は専任の先生か非常勤の先生かわからない状況で授業を受けてしまうといいましょうか、そういう状況で、つまり教師がその特定の分野だけを教育するということで教壇に立つにしても、その分野以外のものも当然それに伴って必然的に指導せざるを得ないような場面がたくさん出てくるわけですね。ですから、そういう点からいいますと、やはり特定の領域の専門性だけが身についている方が教師としてふさわしいかどうかということになりますと、やはり教職専門性というふうな観点からやや問題のように思いますね。  現在の教員養成の基本的仕組みは、御存じだと思いますけれども、一般教養のほかに教職教養、あるいは教科に関する専門教養、こういう三つを柱にして教員養成されてきているわけでありますから、できるだけその三つを総合的に兼ね備えていて、かつ専門性の高い方ということであれば免許状を十分取得できるというような感じになると思うので、特別とかそういうことをつけなくてもいいんではないかというふうに私は感じておるんですけれども。
  49. 小野清子

    ○小野清子君 私は体育の方を専攻した者ですけれども、辰野先生にちょっとお伺いをしたいと思います。  やはり先ほどの教師像というものの中に、子供が好きであるとか楽しく学ぶとか、いろいろなことが出てまいりました。私は、ことしオリンピックで日本の選手が金メダルをなぜとれないかという話題がいろいろ出ましたときに、別に金メダルをとるためにということで今お話しをするのではないわけですけれども、免許を取るときに図工、音楽、体育の中から二教科選択というのが現在小学校教諭の資格を取るときの一つの基準になっている。やはりこれから生涯教育という時代に、生涯を通して人生を豊かにしていくという観点から考えますと、労働と余暇という問題と絡めても、やはり最初の取りかかりの折に図工、音楽、体育というのはその国の文化であり、生きていく上での人間資質そのものを高めていく教育科目だと思います。そういうものがやはり欠けているということに対して、私なりに非常に何というのでしょうか、心配をしておりましたのですけれども、今回はこれが、授業全体が今後は単位数がふえるということの中において解消されていくということで、私は大変期待をしておりますのですけれども、先生その辺どんなぐあいにお考えになっていらっしゃいますか。
  50. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) はい、お答えします。  ただいまの御指摘のように、音美体というふうなものについての教員免許の取り方については、従来三つのうち二つというふうなお話ございましたですが、私どものところでは、自分のところを申し上げて恐縮ですけれども、そういう点偏りがあってはいけないということから、現在のところは音美体のすべて履習をさせております。できるだけ円満な教養あるいは力を持った教員をつくって送り出したいということ。それで、それによって子供も広い意味の影響を受けるのではないかということでございます。これは先生のおっしゃるところと私は同じ方向を目指しているんじゃないかというふうに感じておるわけでございます。
  51. 小野清子

    ○小野清子君 最後になりました。嶺井先生にお伺いしたいと思いますが、先ほどから理想的な教師像というお話ありましたが、教員養成制度の理 想性というものを一言お話をお伺いさせていただいて終わりたいと思います。
  52. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) これは個人的な見解でありますが、私は大学自体の教育あり方をまず基本的に変えていくことが必要であろうというふうに思っています。その中で、教員を目指す学生たちにとりましては、十分に子供の問題とか人間の問題を考えられるような、そういう授業をつくっていくべきである。それを四年間でやる。そして私は修士課程もちろんあってもいいと思うんですが、基本的にはそれぞれの大学教職研究センターみたいなものを置きまして、四年終わった後そこへ行って実践的な能力を身につける、そこには現職の先生たちも参加していくという、そうしますとそれは一方では学歴社会とは関係なくなりますし、もう一つ大学を通して実践的な能力を身につけられるという、ちょっと一石二鳥のような関係なんですが、そういう制度を私は考えております。
  53. 高桑栄松

    高桑栄松君 参考人の先生方の御意見、大変ありがたく承りました。  それでは質問さしていただきますが、各参考人全部に逐次お願いしたいと思います。    〔理事林寛子君退席、委員長着席〕  一つは、教員養成の中で資質向上ということを皆さんうたっておられるわけでございますが、そうすると資質に欠けている点というのは、完璧な人はいないわけですから、大まかに見て何が目立っているのか、そういうことをちょっと承りたいと思います。  それから、専門性ということがよく出てまいりましたんで、これは私に関係がありますのでちょっと申し上げますと、私は戦時中に、実は大学出たばかりのころ、師範衛生というのを教えに行きました。これは私は専門性でございます。もう一つは英語が敵性語だからだめだからドイツ語だと言われて、私は医学部なものですから、おまえだと言われて私が教えに行きました。これは非専門性でございますけれども。問題なのは、特に現代におきましては健康ということがもうすべての人のアンケートのトップに上がっておりますけれども、私が教えたころは師範衛生は必須であったわけです。今やそれが選択になったというのは、甚だ私は決してうまくないんじゃないかと思います。それから、日常生活の中で保健教育というものをしなければならぬのに、先生方はそれは必須でないということは大変うまくないんじゃないのかなと。教員免許必須科目の中に少なくともこれを入れるべきではないか。特にエイズなんかが今出てまいりますと、性教育というのはもはや倫理道徳ではできなくなったということもございまして、そういう性教育を含めまして、やはり保健教育を必須にした方がいいという私の考えがありまして、この二点をそれぞれひとつ承りたいと思います。
  54. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) まず第一の御質問でございますが、資質に欠ける者はどういう教員かということでございますが、大変難しい、私先ほど積極的な意味で子供が好きで、自分も勉強が好きで、それから教えるあるいは面倒見がいいというのが教師として必要だろうと。資質に欠けるというのはその裏返しでありまして、子供が嫌いで、勉強が嫌いで、人に教えることも嫌いだというのがやっぱり教員としては適性がないんではないか。それで非常に具体的に申し上げますと、意地の悪い先生とかいうふうなのは資質に欠けているんじゃないだろうかということでございます。  それから第二番目の保健というものについては、私も全く同感でございまして、それで一つは身体的な健康、それからもう一つは精神的な健康、両面から見て教員養成においては、これは重視すべきものであるということで、私どものところでは学校保健というふうなものを講義の中に取り入れ、それからカウンセリングなども重視しております。先生の御指摘のように、できるだけ心身の健康を図り、それで子供にその教育ができるようにということを心がけております。  以上でございます。
  55. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 第一番目の問題につきましては、現在非常に体罰問題がクローズアップされましたり、子供たちの人権の問題がクローズアップされておりますが、本当に信じられないような出来事が今学校の中で起きている。これはやっぱり基本的には人間的な共感力、そういうものが今失われてきているんじゃないんだろうか。それは受験教育の中で、競争競争の中で培われてきたものではないかというふうに私は思っております。そういう意味では、人間的な共感力のないというところが私は一番今の先生に欠けている大事なところではないかというふうに考えております。  それから二つ目の保健の問題ですが、私は障害を持つ子供たちの問題にもずっとかかわってきております。そうしますと、まず健康というのをどういうふうに考えていくか。これは自然の問題もありますし、今議論されています原子力等の問題もありますし、いろいろな環境汚染の問題もあります。非常に重要な問題だと思います。ですから、単に子供たちの身体面とか精神面での健康というよりも、基本的に障害を持った子供たちも含めた人間全体にとっての健康とか病気というのは一体どういうものであるんだろうか。ちょっと最近少し健康強迫症みたいになっているような気がしないでもないと思います。  もう一つは、この問題は先ほど言いました環境汚染の問題とも絡んでおりますので、もう少しやるとしましたら大きな目での、大きな意味での環境教育といいますか、そういうものが必要ではないかというふうに考えております。
  56. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 二点にわたってお答えさせていただきます。  資質に欠ける云々、これは大変難しいことですが、私の経験から進歩のとまった指導者ほど魅力のない指導者はないというふうに私は思っておるわけです、私自身に対する自戒の念もあるわけですが。そこで、もし資質に欠ける教師というふうなことを申すならば、進歩しようとする意欲が平均的な社会人より弱い先生はやはり資質に欠けた先生と言わざるを得ない、私はそう思います。  それから第二点ですが、実は私、先生のいろいろな御議論はテレビやラジオでよく伺っておって感心して、感服しているわけですが、実は私、大平先生のプロジェクトでもって東南アジアからの留学生を人づくり協力という形で日本にインバイトするプログラムをつくる作業を文部省中心にさせていただいたわけですが、そして一九八〇年に東南アジアの方々たくさん、たくさんといっても最初は四十人、今は百四十人になりましたけれども。それで何を勉強したいかと、こういうふうに聞きましたら、ポピュラーエデュケーションを勉強したいと。私はポピュラーエデュケーションというのは何のことかさっぱりわかりませんで、しかしよくよく調べていったら性教育のことをポピュラーエデュケーションと、こう言うんだというように考えれば、それはそれでいいんだというように思いまして、要するに人口教育ですね。  ですから、そういう意味で私はそのあたりから大変留学生ショックを受けまして、それ以来ポピュラーエデュケーション、薬物教育、ドラッグエデュケーション、さらには開発教育人間社会、何といいますか生態系とのバランスをどう考えるのか、あるいは嶺井参考人が先ほどおっしゃいました広い意味での環境教育といってもいいかと思いますが、こういったものを一つ一つ教科を立てるかどうかということはまた別としまして、もう何らかの形でもって学校教育の中にどんどんこれをインポルブしていく、こういうことは非常に大切なことだと思いますね。  そういった場合に、先ほどの社会人の有効活用じゃありませんが、将来の先生方はこういった教育に本当にまさにアプロプリエートリーに対応できるかもしれませんが、今現在の先生がドラッグエデュケーション、ポピュラーエデュケーション、開発教育、環境教育というようなことを、言葉を並べるばかりが能じゃありませんが、ばらばらと、出てきた場合に、とてもじゃないですが、 私だったらギブアップですね。そういったときにやはり社会人の有効活用というものがあっていいんではないだろうか、そういうふうに思います。  長くなって申しわけございませんでした。
  57. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 私、先ほどこの資質という言葉についてちょっと辞書のことなど言いましたけれども、資質向上、私なりに言わせていただきますと、教師力量向上が今求められているんではないかということだと思います。  先ほど嶺井参考人もおっしゃいましたが、やはり今求められていることは人権感覚といいましょうか、非常に抽象的ですけれども、これが非常に大事だということ。基本的人権の尊重の精神をしっかり身につけた教師、これが本当に養成されているのかどうかという問題、これ私たち大学の方の責任もあります。もちろん養成制度をつくる文部省の側の施策の問題もありますが、あと採用方法ですね。教員採用あり方、これもやはり大きく問題が指摘されていますので、その点での改善といいましょうか、そういうことも求められているんではないかというふうに思いますが、基本的にはやはりその教師自身が自由に研究できるというんですか、研究の自由あるいはゆとりといいましょうか、精神的なゆとり、それが必要ではないかというふうに思います。  それから、公衆衛生等々の問題でありますけれども、これも私は、家庭科教育などを含めまして基本的人権の尊重という観点から物事をしっかり考えるということが必要だと思います。健康についてはWHOの定義などもございますけれども、やはり例えば、ここにたばこの灰皿がありますけれども、たばこの問題今大変問題になっております。私もそういう運動の一端に加わっているわけでありますけれども、やはり他人への配慮といいましょうか、そういうこともしっかり考えられるような子供あるいは大人を育てていくということが必要ではないかというふうに思っています。ですから、家庭科が男子も今度高等学校の場合必修になるようですけれども、そういうことは私としては賛成で、男子もそういう問題についてもいろいろ考えるという、そういう場が与えられることが必要だと思っております。
  58. 高桑栄松

    高桑栄松君 大変貴重な御意見で、私は、今後また文部省にもいろいろと意見を出すのに非常に役に立ちまして、大変ありがたいと思っております。  次は、これは国立大学の両先生、辰野先生、高倉先生に伺いたいと思うんですが、先ほど来嶺井先生、浪本先生、私立大学の先生方は、専修免許状というのを、つまり単位強化されたというか、そういうことで今の段階ではとても設置するのは困難ではないか、こう言っておられます。特に専修大学から専修免許状が出ないという、そういうことが出たものですから、ますますこれは間違ったかなと思って字を見直したぐらいでございますが、そういうことで、国立大学としては今の私立大学と平等に並ばなければ教育機会均等でないと思うんです。  それで、国立大学としてはそれでは私立大学に平等に並んでいただくためにはどういうことをしたらいいか。それは文部省に対してでもよろしいですし、私大に対してでもよろしいと思いますが、国立大学として平等に並んでもらうためにはどういうふうなことを希望されるかということをひとつ伺いたいと思います。
  59. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 大変難しい御質問でございますが、私、国立大学同士を見ましても、現在指摘されますそれぞれの教員養成系の学部、教員養成大学の中でまだ修士課程を持っていない大学あるいは学部も幾つかあるわけですね。それを同じように持て、あるいは持たせたいというのが我々の同じ仲間の意見でございますが、これは結局私は、一つは同じ国立大学の中で大学努力による。それはなぜかと申しますと、先生方が御案内のように、大学院設置する場合にはそれを担当する教授、助教授資格審査がございまして、それが審査が通らなければ大学院設置はできないわけでございます。したがって、私どもの大学、新構想の教員大学をつくります場合にも、文部省の方で条件が整い次第、順次その国立大学、他の学部にも修士課程を置くんだという趣旨の話があったわけです。したがって、現在は条件が整い次第、それぞれの大学学部で修士課程をつくっているわけです。  同じことを言えば、私は、私立大学におきましても同じように大学側として努力することによって、それは例えば経済的な面でいろいろ難しい点もあるかもしれません。それはまた、やっぱり理事者側の努力によって条件を整備していくことが必要ではないか、それによって私は同じようになるんじゃないかというふうに考えるわけでございます。  お答えになりましたかどうか。
  60. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 国立大学立場から申しますと、筑波大学の場合には先生方のいろいろな御協力でもってこういう専修面に対応するという場合に全く問題はございません。もういつでもウエルカムというようなこと、ただ、地理的に遠うございますからこれはお通いいただくのに大変困る、そんなこともございますので、実はこれは予算絡みその他がありますので、どうなるかわかりませんけれども、今度は筑波から東京の方に逆に進出してまいりまして、もとの東京教育大学のキャンパス跡に夜間大学院創設してはどうかというようなことでお願いしているわけです。  ただ、夜間大学院ということになりますと、現行法制では夜間に授業を行う研究科等を置くことができるというような法制上の規定がございませんので、禁止規定はございませんけれども、横並びでいった場合に、高等学校大学については夜間に云々というのはあるわけですから、横並びの論理で言うとどうもぐあいが悪い。そこで、大学設置基準の教育方法等の弾力化というところを極めて弾力的に考えさせていただいて、限りなく夜間に近い昼間の大学院を開設する、これは一つの弾力化だと思いますけれども。そんなことで対応することによってサービスのネットワークを広げよう、こんな努力をしているところでございます。結論的に言いますと、地理的なことを除いては全く問題はありませんが、さらにサービスのネットワークを広げようと努力しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  それから第二番目に、私立大学と平等に並ぶような手だてはどうするのかと。これ大変難しいことだと思いますけれども、例えば単位の互換性というようなことを口でだけ言うんじゃなくて、もっともっと積極的にやっていくというようなことはどうであろうか。あるいは人的交流というようなものをどこどこの先生ということに固定化せずに、そういうマンパワーというものを共通に活用する。社会人活用するのですから、大学同士の人間が、国公私立というような所属上の区別はあったにしても、もっともっとそれの活用というのはあっていいんで、教育界でもってお互いに教育に関係する者の有効活用をせずに、社会人の有効活用するというのはこれはおかしなことだ。ですから、もっともっと大学人同士の有効活用することによって、先ほど出ましたマル合や合の話もありますけれども、そういったこともかなり程度解消できる部分があるんではなかろうか。  それから第三番目に、私立大学、ただいまいろいろな公開講座その他でもって、単なるカルチャーセンターじゃ困りますけれども、要するに相当高度な公開講座等を積極的に御推進なさっていること、十分私承知しております。そういった公開講座について適切なものを行政当局が認可いたしまして、それによって単位取得が可能になるというような形で、必ずしも修士課程終了と、修士の学位取得ということにこだわらずに、そのあたりをもっともっとフレキシブルに運用するというふうなことも十分考え、そういったことを通して国公私立の、何といいますか、ある意味での不利益みたいなものを解消していく、こういった努力大学人が全体としてやっていく、そういったやはり姿勢が必要ではないか、こういうふうに思います。  長くなって申しわけございません。
  61. 高桑栄松

    高桑栄松君 私立大学の先生方にはお伺いしないつもりでしたけれども、今お二人の話を伺っておりますと、多分一言あると思うんです。それで、嶺井先生と浪本先生、それぞれ今の問題について、先生方が反対されているのはいろいろ理由ありましたけれども、その中の一つに、やはり大学院設置は困難ではないか、つまり、大学に入る入学のときからその意味ではエスカレーターの上がないわけですから少し不利であろうかと、私はかつての大学人でございますので、そんなふうに思います。そんなことでお二人の先生にそれぞれ御意見を承りたいと思います。
  62. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 私立大学では現在でもだんだん教員の合格数が、これは私立大学だけではございませんけれども減っております。そうすると経営者側としましては、お金はかけているけれども合格者が出ないということで、そんなのにお金をかける必要があるかというような発想が出てこないとも限らないわけです。できましたらば、やっぱりまず先生たちの数を全体としてふやしてほしい。四十人学級と言わず三十五人学級等実現して、やっぱりきっちり先生を養成してもそれが受け入れられる基盤があるということをまず前提にさせていただきたいというふうに思うんです。  それから第二番目に、そういたしましても、本当に私立大学の中では大学院のないところもあります。あるところもあります。あるところについては単位数をふやせばいいんですが、それにつきましても今はとにかく非常勤の先生を一人ふやしてもらうのにも大変な努力を要しておりまして、私たちができるだけ自助努力をしてカリキュラムを改正してやろうと思っても、なかなか大学当局の方が金がかかるということですぐ切られてしまいます。そういう意味では本当に不十分な条件でありますので、これは本当に抜本的に、もし教員養成を充実する方向で考えるのであれば、そういう条件整備をきちっとしていただきたいというふうに思っております。
  63. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 国立大学大学院のある大学でも、まだ学部だけしかない大学も結構あるわけですね。五十ぐらい教員養成系の大学があるうち二十ぐらいしか大学院がないわけですから、国立大学間の格差もこの専修免許状でできてきますが、私立大学の場合はもっとそれが増幅されてあらわれるというふうに思いますね。  もう一つの点は、課程認定をどのようにするのかという文部省課程認定の基準といいましょうか、審査基準ですね。これをどんなふうに決めるかによって私立大学にやや開かれるか、あるいはもっと窮屈になっていくかという大きな問題が出てくると思います。  それから、先ほど問題になっていました必修単位単位ぐらい増加するだけだから大したことではないだろうというふうな御意見もありましたけれども、必修ということになりますと、大学としては科目設置をまず一時間だけ置くのではなく最低二つは置かなきゃならないという問題もありますし、また五単位というならば五単位のものが開講できるかというと、そうではありませんので、実質的にはかなり単位増ということになるわけですね。  それから、その単位の数え方ですが、御存じだと思いますが、大学設置基準によりますと、一時間授業に出ていたら二時間外で学習してこいというのが大学単位の基本なわけですね。ですから、そういうことを、まあまともにといいましょうか、当然のことでありますが、大学設置基準にのっとって考えますと大変窮屈になって、学生が朝から晩まで勉強だけしていて、やっと単位が取れるか取れないか。嶺井さんもおっしゃいましたように、特に二部の学生などにとってはもう事実上無理だということになってくるわけですね。そういう点で今回の改正法案は私学に対するインパクトが非常に強いというふうに感じております。
  64. 高桑栄松

    高桑栄松君 時間がもうあと一分半ぐらいなんですけれども、皆さんにやっぱり共通でお伺いしたいのは、特別免許状というのが今度できるわけですけれども、この効力には地域とか年数とか限定があるわけで、そうすると果たして社会人に出てきてもらう誘致に本当に効力があると思われるかどうか、簡単でよろしゅうございますけれども、各参考人の御意見を承りたいと思います。
  65. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 時間がございませんので簡潔にお願いいたします。
  66. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 私は運用次第によって効力があるというふうに申し上げます。
  67. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 私はないと思っています。
  68. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 制度的にエクステンションが認められていますので可能だと思います。
  69. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 脱サラの人に利用されたりすると大変問題が起こってくるように思いますね、これは。
  70. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 きょうは先生方御苦労さまでございます。まず浪本先生に二点質問をいたします。  今回の法案で免許状なしの非常勤講師制度ができるわけでありますが、一昨日の私の質問で、文部省教科の一部について現職の自衛隊員が授業を持つことが法の仕組みとしてあり得るということを認めたわけでありますけれども、そうしますと、これ自衛隊法五十四条の一項「隊員は、何時でも職務に従事することのできる態勢になければならない。」、あるいは六十条の一項、職務専念義務、「勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務」、すなわち自衛隊員としての職務「遂行のために用いなければならない。」という、こういう自衛隊員が柔道とか剣道とかを初めとする教科の一部、これを担当する、こういうことになるわけでございますが、一方、教育基本法の前文の中で、いろいろ書いていますけれども、例えば「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」こういうふうに明記をしておる。この点で、こういう現職の自衛隊員が授業を持つということに道を開くこの問題は、教育基本法の基本精神に反することが起こるのじゃないかというふうに私は思うんでありますけれども、先生の御見解をお尋ねするものであります。  二点目は、この教員養成政策における教育行政機関の役割として、時間の制約の関係だったと思いますけれども、上からの統制政策じゃなくて条件整備こそ重要だというふうに、最初の陳述では簡単に述べられまして、多少同僚議員の質問の中で具体的なことも出てきておりますけれども、具体的にその条件整備として何が教育行政機関として必要か、少し補足をしていただきたいと思います。
  71. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) まず第一点の、現職の自衛隊員が教壇に立つことができる、それも違法ではないというふうなお答えがあったということですか。
  72. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そういうことが法律の仕組みとしてあり得る、法理上あり得る。
  73. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 私は、そういうことが直ちに違法だというふうに言えないにしても、大変問題がある、好ましくないというふうに思いますね。その理由は、つまり非常に一般的な議論としては、憲法の平和主義原則に反するというふうなことになるでしょうし、何よりも、先ほど教育とは何かという御質問もございましたけれども、教育という営みと、それから自衛隊の基本的任務ですね。これとは正反対だといいましょうか、自衛隊はやはり、戦闘準備の訓練といいましょうか、生命を脅かすものでありますけれども、子供について人間的な成長とか発達を図ることが教育の基本的任務ですから、これは、命を大切にして平和ということが前提になければ成り立ち得ないわけですから、そういう事態は教育にとって大変不幸な事態だというふうに私は感じております。  それから第二点の、教育行政機関の役割という点でありますけれども、私は基本的には、教員養成制度につきましても、条件整備ということが基本であるべきであろうというふうに思っております。その例を例えば教育実習ということについて考えますと、現行免許法あるいは施行規則で教育実習が必修になっているわけです。ですから、教 職の免許状を取ろうとする学生はすべて教育実習に行かなければならない。ごくごく一部例外はありますけれども、そういう仕組みになっていますから、大学生が六〇年代から七〇年あるいは八〇年代にかけて急増しました。それに伴って、教職の需要も多かったということもありますが、大量の学生教育実習に行くという事態を招いたわけですね。ところが、受け入れ教育委員会もしくは学校あるいは教師立場からしますと、教育実習を受け入れる法的な義務といいましょうか、そういうものが何ら規定されてもいないわけですね。  ですから、私なども実際に、静岡県のある町の教育委員会だったと思いますが、教育委員会としては受け入れる義務はないんだから、もし教育実習をやりたいということならばあいさつに来いとか、そういうことを言われたりしましたし、また、教育実習に実際に行きますと、私ども訪問指導と称して研究授業などにも行きますが、そのときに若干のお礼といいましょうか、私もこの二年間ほど全国私立大学教職課程研究連絡協議会という私立大学教職課程の集まりの団体で役員をしていた関係もありまして、教育実習の謝礼、私ども委託費というふうに言った方がいいだろうというふうに言っているわけですが、その委託費を持って各学校に参るわけです。このお金の処理というのが大変実際に問題なわけであります。公立学校でも正式に受け取って領収証を出すというようなことをしない学校もありますし、そのお金をめぐって、学校内が平和的な状況であればいいですけれども、いろいろなことで対立していた場合など、その金銭の使い道について問題を起こしたりする場合があったりするわけですね。  ですから、私は教育実習を必修にしているのならばそれに対応した仕組みをやはりつくって、学生あるいは大学側から教育実習をお願いするといいましょうか、教育実習は法的には大学が主体となって行うということでありますけれども、事実上お願いするというふうなことになっておりますので、頭を下げて参るわけでありますけれども、そういうことがなく、教師も、自分たちの後輩を育てるという温かい意識と責任感でもってしっかりと指導していただけるといいましょうか、そういう条件を整えていただくように努力していただきたいというふうに思うわけです。  そのほかいろいろな問題があります。例えば現在の課程認定の仕組みそのものにおいても、やはり私立大学の場合最低二人でいいというふうなことになってしまう審査基準も問題ではないかというふうに私は感じております。具体的に言えばいろいろありますけれども、長くなりますので。
  74. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 それでは、辰野参考人にせっかくお出ましもいただきましたので、これを機会にできればお答えをいただきたいということでお尋ねをするわけでありますけれども、今回の法案も、御存じのように、これが臨教審関連六法案の一つと言われますように、臨教審答申、これが根元になっているわけでありますけれども、この三年間の臨教審の事実上事務局の中心役をしておった前事務次官高石氏、これが今大変議論を呼んでいます。一昨日の当文教委員会でも質問者すべてこの高石問題に大なり小なり触れざるを得ない、こういう実情にあるわけであります。  そこで、御存じのとおり、高石氏が現職のとき事務次官室において公然と株の取引の話をした。文部大臣の言によりますと、神聖たるべき事務次官室がそういう場に使われたということはまことに遺憾だというふうに大臣も見解を表明しておることは新聞などで御存じのことかと思うわけでありますけれども、いわゆる高石問題、これについて何か御見解があるかということと、それからきょうも各種の新聞に、前に三重県、それからその後栃木とか福井とか埼玉だとか長野だとか等々、こういう教育委員会、それから国立大学、ここにも高石氏のいわゆるパーティー券、これが持ち込まれたという報道もあるわけですけれども、きょうも東京都教育委員会を通して持ち込まれたという報道が幾つか複数の新聞に出ています。また、きのうの都議会でも議論になった模様でありますけれども、そういう点で先生のところは国立大学でありまして、先生のところへは持ち込まれたかどうかということをお尋ねいたします。
  75. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 私は記憶がありません。持ち込まれたかどうか記憶ありません。
  76. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 二問聞いているんですけれども、前段のいわゆる高石問題について何か御意見ございますか。
  77. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 私は新聞等で拝見するだけで、細かい事情も前後の文脈もよくわかりませんので、この席ではお答えを差し控えさしていただきたいと思います。よろしくどうぞ。
  78. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 やむを得ません。
  79. 勝木健司

    ○勝木健司君 それでは、辰野先生に二点ほどお伺いしたいと思います。  教員養成大学院を持っておられます大学の学長とされまして、修士課程修了者に専修免許というものを授与することについてどのように評価をされておるのかということ。そしてまた、この制度の導入によりまして、教員養成大学大学院における指導とかあるいは教育について、現在とどのような変化が生じて、どのような対応が必要になってくるのかということを手短かにお答えいただきたいというふうに思います。
  80. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) ただいま御指摘の、私どもの大学修士課程を置きまして、その成果はいかがかという第一問かと思いますが、これはまだ私どもの方は五十八年の四月から大学生を受け入れたところでございまして、余りまだ卒業生が出ておりませんけれども、現在の時点で見ますと卒業生はそれぞれの領域においてよく活躍しておる。それで、採用者側の教育委員会あるいは現場の校長さんたちのお話でも高く評価をされているというふうに理解をしております。  それからもう一つ、これが新構想の教員養成大学設置されますときには、先生方も御案内のように、かなりいろいろ御意見もございました。教員養成系の大学等におきましても意見がございましたけれども、いよいよ発足いたしまして教育研究、カリキュラムその他において工夫を凝らして進めてまいりましたその結果、現在では他の教員養成大学等におきましても、ある程度インパクトを与えた、僣越ですけれども、先導的役割を私ども果たしておるのだというふうに考えて努力しているところでございます。
  81. 勝木健司

    ○勝木健司君 今度、先生として、教員として経験を積んだ標準免許の所持者が改めて上越教育大学のような大学大学院で学ぼうとするケースというものがこれからどんどんふえてくるだろうというふうに思われますが、こういうときに現職の教員大学院での現職教育とか、研修についてのどのような対応というものが今回の免許法改正によって必要になってくるのかということをお答えをいただきたいと思います。
  82. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 私どものところでは、この免許法が改正になりましてもほとんど影響はない、現在の教育課程等で十分賄えるというふうに考えております。
  83. 勝木健司

    ○勝木健司君 高倉先生に二点ほどお願いしたいと思いますが、教育学の専門家として先生は専門家であられるわけでありますけれども、今回の免許法の改正に当たりまして、大学での養成段階も含めてどのような配慮というものをすれば、教員資質向上というものがうまくいくのかということをお答えいただきたいというふうに思います。
  84. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 私、率直な言い方をさせていただきますけれども、私どもの大学、元東京教育大学が筑波に移りまして、そのときにいろいろな変化があったわけでございますが、教員免許状絡みで一つあった変化を申しますと、それは教員養成に対する意識なり熱意なり、そういったものがやや下降ぎみになった、こういうことかと思います。  こういう席で言うのがどうかと思いますけれども、全体としてやはり医学、工学その他のさまざまなファカルティーが出てきますと、全体として やはり水を薄められた感じになってくる、そういうようなことがありますので、この機会にといってはいけませんけれども、ひとつ内部で各ファカルティーメンバーがそれぞれ教員養成ということの持つ社会的責務というものに対してもっとこの辺で自覚と反省をいたしまして、そしてよりよいプログラム開発とその提供にどう努めていくかというようなことに努力しなければならぬ、こういうふうに考えております。また、そういった動きが内部的に出てきているということを御報告させていただきます。
  85. 勝木健司

    ○勝木健司君 もう一点でありますが、教特法とかあるいは免許法といった問題が今進められておるわけでありますけれども、そういった教員養成あるいは研修等々のそういう教育の大改革が今進められておるわけでありますけれども、その背景にはやはり教員資質に対する国民の疑問というものがあったのじゃないかというふうに思うわけであります。教員養成に直接当たっている先生としてこれからの教員に求められる資質というものは、先ほどいろいろな先生方の質問でもお聞きしたわけでありますけれども、求められる資質というものは改めてどういうものなのかということ、あるいは今後教員養成とか研修あり方についてどのように先生考えておられるのか。また今回の免許法の改正で積み残された課題についてどういう点が問題点として残っておるのかということを御教授をいただきたいというふうに思います。
  86. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 研修が重要視されてきた背景に、やはり教員資質能力の育成というところに問題がなかったのかということがあるというような御指摘でございました。研修が重要視されてくるという背景には、確かに我々の地肌に感ずるところとしては、資質能力向上という点があろうかと思いますけれども、必ずしもそればかりではございませんで、教職専門職として認識することによって専門職それ自体がいわゆる職能成長あるいはキャリアデベロップメント、そういったものを伴わなければ、これは専門職と呼び得ないんだという、専門職そのものに対する基本的な認識がもう一方にあったかと思います。  先生の御疑問に答えるのはその前半の方でございますが、私率直な言い方をいたしまして、私実は教員養成には携わっておりませんが、かつて昭和三十七年から五十年まで十三年間、大阪教育大学という教員養成大学に奉職したことがございます。そのときの感想を率直に申しますと、その当時ですと、やはり教員養成大学というのは御案内のようにもともとセカンダリーレベルの師範学校が戦後の教育改革でもって大学レベルになったというような経緯がございますので、何とかこれまでの旧制の大学に追いつき追い越せといういわゆるキャッチアップポリシーが大学の中の非常な努力としてほうふつとしていたわけでございます。これは、それはそれで私は結構なことだと思うんです。  ところが、そのことが教員養成する、教員資質とは何かという関心よりもウルトラアカデミズムに徹する、あるいはアカデミックスタンダードを高めることによって、大阪で言えば京大、阪大に匹敵する大学になるんだと、そちらの方に関心が向いてしまったために、実は教員養成教員に求められる資質とは何なのか、具体的にそれをどうするのかという点にやや配慮の欠ける点があったんではなかろうか、これは私の独断と偏見だったらばお許しいただきたいですが、そんなことがあった。そんなことの積み重ねがやはり今浮上してきたことの一つ理由ではなかろうか、こういうふうに思っております。  なお、これからの積み残しの部分、こういうようなことでございますが、これはやはりいろいろあろうかと思います。いろいろあろうかと思いますけれども、私は積み残しというのはどういう点で言うか、つまり教員養成制度それ自体を変えていくというような意味での積み残しなのか、それとも省令事項で定める中身についてどういった点をどういうふうにしていったらいいのかというようなことはちょっと分けて考えなきゃならない、こういうふうに思います。  事柄が大変複雑でございますので、省令事項で定めることに関して先ほど若干の御発言等がありましたので、若干言及させていただきますと、例えば校長とか教頭というような資格をどうするかというようなことに関して、余り早急に専修面というものとリンクさせるというようなことは当分の間お避けいただいて、スムーズに移行できるような、そういった御施策というものは考えていただけないだろうか、こういうことです。  それからもう一つは、これまでいわゆる教員の認定試験で小学校教員及び高等学校大学においては養成になじみにくいインテリアデザインとかその他さまざまあるいは特殊教育関係の養護訓練とかでもって認定試験というのがございましたけれども、その認定試験と今度新しく発足する新しい免許制度というものをどういうふうに調和させ統一していくのか、このあたりもかなり大きな問題ではなかろうか。  思いつくままに述べさせていただきました。
  87. 勝木健司

    ○勝木健司君 ありがとうございました。終わります。
  88. 下村泰

    ○下村泰君 参考人の諸先生方は御苦労さんでございます。  先ほどからお伺いしていて、きょうはえらいことになったなと私は思っているんです、今腹の中で。と申しますのは、今お答えになってくださっている先生方はとにかくその道のエキスパートでありましょうし、大ベテランでもありましょうし、当然この文教委員会というところへ参考人として御出席なさる以上、それ相当の学識のある方だとお見受けいたしております。したがいまして、今の先生の資質の問題、先生の免許の問題、教師の育成なんて、資質の問題になるなんというと、とてもじゃないけど私自身には言う資格がない。むしろ私自身の資質の問題の方が大事なんです。まして最近この国会では議員の方の資質問題の方がとやかく言われている。そんな連中が偉そうに教師資格がどうだのこうだのと言えるのかいなと。これは私は本当正直に言って先ほどからここに座ってじっと聞いていた感想です。  それだけにえらいこと聞かなきゃいかぬなと思って今実は悩んでおるんですよ。私自身はそんな純然たる教育者じゃございませんし、「あゆみの箱」という慈善運動やって今日まで来て、何とかして障害者の方々の福祉のためにと国会へ参りまして、社会労働委員会というのが私の一番の働き場所であったというふうに自負しております。それがどういうわけか国会の中の機構で文教委員会でここへ来ている。こんな恐ろしい委員会に来ようとは思いませんでした。えらいところへ来たなと思って悩んでおるんです、今実は。そんな資質のある人間じゃございませんから、私は。で、先生方がお越しになるというんで嶺井先生だとか高倉先生、辰野先生、浪本先生がそれぞれお書きになった、あるいは座談会だとかいうような資料を見せていただきました。この中のことを拝見しまして、私は障害児教育のことだけについて諸先生方に御意見を伺います。  まず、辰野先生にお伺いしたいのは障害児教育における免許あり方です。特殊教育免許といいましょうか、そのあり方について御所見があったらお聞かせ願いたいと思います。  それから嶺井先生の座談会のお話も伺いました。日の丸とかいろんなことがありました。そんなことについても聞こうかなと思ったけれども、きょうはそれは論外ですから伺いませんが、障害を持った子や、もちろん障害でも障害を持った子供にはその障害というそのものがあるいはその子の個性であるかもわかりませんね。登校拒否をしている子供子供だけじゃなく人間というのはもう本来が多様な感覚と個性があるわけですから、その意味からそうした子供たちを排除せず、ともに生きていく立場から教員養成あり方資格あり方について御所見を伺いたいと思います。  それから高倉先生には、諸外国における障害児教育、特殊教育に携わる教員免許養成ですね。そ れの諸外国と日本との違い、これについてちょっと伺いたいと思います。  それから浪本先生には、特殊教育免許の所持率が非常に低いんですよ、日本は。なぜ低いのか、それについての御所見をそれぞれお伺いさせてください。  私はこの一点だけで質問を終わりますので、どうぞよろしくお願いします。
  89. 辰野千壽

    参考人辰野千壽君) 障害児教育のことに関係いたしまして免許あり方ということについては非常に重要な問題であるというふうに考えまして、私どもの大学では、学部は先ほど申し上げましたように小学校、幼稚園の教員養成でございますので、直接それを専攻するという学生はおりませんけれども、全部の学生に障害児教育というものについてのその指導のあり方を身につけさせるためにこれを必修科目にしております。全員が十分とは申せないにいたしましても、障害児教育についての理解を深めていく。それから大学院におきましては障害児教育を専攻するというコースがございまして、これは障害児教育を専門に教育する課程でございます。これが先ほど来お話しの今度は専修免許状というものを与えられるんじゃないかと思って私は期待をしているわけでございます。  それで、障害児の教育というものは、これはちょっと時間とって恐縮でございますが、非常に広範囲にわたるいわゆる学際的な領域でございますので、私どもの経験から言いますと学部段階ではなかなか十分な教員養成は難しかろうと。ですから、むしろ大学院修士課程において障害児教育教育徹底いたしまして、そうしてそれについての免許状を出すのが将来のあり方ではないだろうかというふうに考えております。
  90. 嶺井正也

    参考人嶺井正也君) 私は、基本的には障害を持つ子供も持たない子供も一緒に学び育つことがこれからの社会の基本ではないか。これはいわゆるノーマライゼーションという考え方と合っている方向だと思っています。そういう方向からいたしますと、私はこれからの教員になる人たちは、まず基本的には今の学校の中でいろいろな障害を持つ子供たちと出会ってほしいと思っております。そして養成段階におきますと私は余り障害児教育を専門にする先生を、それだけを養成するという方向には余り賛成ではございません。むしろ一緒に学ぶ立場からいいますと、障害を持つ子供たちのいろいろな要求にきちっとこたえるには、あらゆる先生がこの問題を考えるべきでありまして、特定の領域の特定の先生だけが障害児教育の勉強をするという方向には私は基本的には反対であります。
  91. 高倉翔

    参考人高倉翔君) 諸外国と申しましてもいろいろございますが、私、実はことしの七月に、アメリカの六つの大学と日本の六つの大学でもって、一週間ほど缶詰になって教師教育についてのシンポジウムをやった。来年は我々がアメリカへ行く番だ、こういうことになっているわけでございます。たまたま筑波大学に割り当てられた課題が障害児教育のための教師教育、こういうようなことでございまして、若干いろいろな議論をしたわけでございますが、簡単に申してしまいますと、アメリカとの比較でございますが、アメリカの場合には、障害者教育そのものをやはり民主主義教育のバロメーターというような感覚を非常に前面に出しているんではなかろうか。日本の場合には、果たしてそれがどこまでいっているのかなと、これは私の思い違いかもしれませんが、もし思い違いだったらお許しいただきたいと思います。  それから第二点ですが、これは高桑先生いらっしゃって、御専門の先生の前で大変申しわけないんですが、申しわけないというか、こんなことを申し上げて笑われると思うんですが、今日、障害のあらわれ方というのを見てみますと、インテグレーション、セグレゲーションの問題は嶺井参考人もちょっとおっしゃいましたけれども、それとはまた別に、障害の具体的なあらわれ方を見てみますと、これまでは例えば耳、目、いろいろな障害が単純障害としてあらわれていることが多かった。最近は、それが重度重複障害という形であらわれるケースが非常に多くなったというようなことが統計的にも報告されているというようなことを私承知しているわけでございます。そういうことが背景にあるのかどうかは私わかりませんが、やはりアメリカあたりのある大学でいろいろ考えられていることは、障害者教育用の免許を障害種別に分けてしまうということをせずに、むしろ重度重複障害ということに全体として対応できるような免許ないしはそのための養成、学習をしたらどうかというような動きが出ているやに伺っております。  そういう点を考えてみますと、日本の場合には、今度の免許改定でも障害者の免許というのは依然として三本立てになっておりますけれども、何かそこのところを全体として縛るような、これ免許として縛るか、あるいは教師養成段階ないしは研修段階のカリキュラムとして縛るかは別としまして、何らかの形で重度重複障害ということに対応できるような制度ないしはその養成の仕方というものを今後研究開発しなければならないんではないか。  お答えになりませんけれども、そういうことを感じているわけでございます。
  92. 浪本勝年

    参考人浪本勝年君) 基本的には養成が非常に困難であるということだと思います。そして大学にはそういう養成コースが少ない。そして、それに対しての需要が多いということです。そして養成する人が少ない。そして、そういう実態がありますから、私ども一般大学を出た学生教員になる場合に、障害児の学校に回わってくれなんという事態も現実に多く起こっているわけです。ですから、需要に見合った制度を拡充していくということがぜひとも必要だというふうに思っております。
  93. 下村泰

    ○下村泰君 ありがとうございました。
  94. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 他に御発言もなければ、参考人に対する質疑はこれをもって終了いたします。  この際、一言であいさつを申し上げます。  参考人の方々には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表し、厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十五分散会