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高木健太郎君
教育というのは、その
教育者の意欲だとか熱意であるとか、愛情であるとか、そうい
うちょっとはかれないものがあるんですね。だから非常に私難しいと思うんです。研究はただペーパー書けばいい研究か悪い研究かすぐわかるんですけれ
ども、
教育実績というのはなかなか私、はかりにくいんじゃないか、こう思います。また、
自分は何年も
教育をしているという人はどことなく魅力がありまして、教え方が上手だとか子供がそこへなつくとか、そういうことがありますが、そういう実績を見失わないように、特に今度免許法が改定になりまして、そして学歴というようなものがそこにはっきり出てくるようになりますと、一生懸命でやっているというその実績はどこかへ飛んでしまう。大学で言うと、研究ばかりしている、そして余り
教育の方は熱がない、そういうことになりがちになることを非常に心配をいたします。
そういう意味では、今後、
教育委員会なりあるいは校長会なり、そういうものとよく御相談をされまして、そういう目に
見えないその人の評価というものをどうしたらできるかをよく御研究していただきたい、そういうように思います。また、そうやって認められることが、
自分が
現場で一生懸命
教育したことが実際に認められた、その喜びになるんじゃないかと思うんですね。そうでないと、ずる賢くて単位ばっかり取っている人が上がっちゃう。そうすると熱意がだんだんなくなっちゃうんじゃないか、そういうことも心配をしますから、ひとつ、その大学なんかの、大学教授で
教育に熱心な先生はどこかへ置いてきぼりになっちゃって、業績だけが立派なやつが教授になっちゃう。そうすると余り患者もよく診ないなんというのがおるんですよ。
そういうことでないように、ひとつ
教育に対する意欲、情熱、愛情、こういうものと、子供が、そこから出た子供がどんなになったかという、そういうことも判定される。それが単に入学試験で学校にたくさん入ったというようなことばかりがその評価の対象にならないように、非常に、あなたもおっしゃるように、
局長も言われるように、大変難しい問題かもしれませんけれ
ども、難しいからやらないというんじゃなくて、少しでもいい方向に行くように、この際、この改正法を出されたならば、それが悪い面が出ないように、十分ひとつ留意をしていただきたい、こう思います。
その次は、
文部大臣にちょっとお聞きいたします。
この免許状の改正につきましては単位がふえるわけですね。それから、大学院なんかにも入ってくる人ができる、こういうことになるわけです。いわゆる教員の資質の向上ということでありますが、一つの
職場に、まあ二種の人は幼稚園ぐらいの人でしょうか、幼稚園かあるいは小学校ぐらいにおられるんでしょうか。一種と専修の人が多いんでしょうけれ
ども、とにかく一つの
職場に何か三種類の教員がいるというのは、何か私、違和感を覚えるんですね。これはまあ直観的のもので、いい悪いは別にしまして。で、人間形成というものを目指している、あるいは人間を取り扱うこれは
職場でございまして、そこに何か種類があるのもおかしい。一種二種じゃなくて、何かABCでもいけないし、順番のあるやつはこれいかぬのですね。順番のないような番号ならいいんですけれ
どもね、順番があるのは。例えば赤青白とかいうならこれはいいですけれ
どもね。一種、二種、専修というと、やっぱり専がよくてそれから一がよくて二がいいというような順番が頭に来るわけです。
ところが、幼稚園の生徒を教えさせると二種の人が非常にうまいんだけれ
ども、専修の人に幼稚園の子供を教えさすと全然だめだ。私なんか全然だめだろうと思うんですね。だから、それはそれに向いた人があるわけなんだから、それを一種、二種、専修というような、そういう
名前が私ちょっと頭に響きます。それで、それをつけると、二種の先生が教えているから幼稚園は一番低いところだ、大学というところはその専修の先生を教えているんだから大学というところは一番偉いところだと。そんなことはないわけですね。
私は、それぞれの
職場で立派にやっている人、その人が立派な人だと思うんですね。その人しかできない仕事をその人がやっている。だからそういう順位をつけるということには私は非常に、抵抗と言っちゃ悪いけれ
ども、マラソンをさせて一等、二等というのは結構ですけれ
ども、何かもう少し幼稚園、幼児のとき、それから小学校、それぞれ違った、あるいは
職務の違ったものに一種、二種、専修というのにはちょっと抵抗を感ずるんです。もう少しそれもひとつ考えていただきたいんです。それがやがては幼稚園を低く見て大学を高く見る。
今度は大学の中ではお医者さんが一番、あれ六年やりますからね、一般教養から来るので六年やる。そしてやっぱり収入がちょっと多いんですね。工学の先生は、いろいろ工学の工場、企業にも
関係があるからそれは多い。理学部になると、あそこは理論ばかりで余り大した、えらくと言っちゃおかしいけれ
ども、お金持ちは少ないわけですね、あそこから出た人は。そして
教育学部になると一番低いんですね。教養学部はもっと低いんです。何となく大学の中でランクづけができてましてね。ランクづけができるのはいいんですけれ
ども、今度はそこから概算要求でも出しますと、医学部のやつはよく通るけれ
ども、こちらのは余り世の中にすぐ役に立たぬからといって
教育学部はなかなか通らない。そういうことはあってはならぬけれ
ども、あるようにも思うというわけですね、これは私の主観ですから。しかし私はまあ四十年ぐらい大学におりましたから何かそんな気がするんですね。そういうことがないようにしなければいかぬのではないか。
例えばお医者さんは、これは病気を診るわけですけれ
ども、昔は戦争中に臨時医専というのができました。しかし、その臨時医専はすぐ戦後だめになりまして医学部ができたわけですね。それでそういうふうに統一された。そして国家試験という医師国家試験で一つになっちゃっているんですね。人間の病気を診る、人間をさわるんだからというんで、それは一つになっているんです。
それから現在はり、きゅうというのが残っていますけれ
ども、はり、きゅうは医療類似
行為といいまして、これはいまだにごたごたしているんです、二つあるために。同じ医療をやっているのに片一方は医療類似
行為である、片一方は医療なわけですね。保険が片一方は使えない、片一方は使えるという、そういうふうに区別があるし、それで、それ何とかして同じ人間の体をさわるんだから一つにしたいと思って私なんかでも苦労しているんですけれ
ども、なかなかうまくいかないんですね。
そういうこともありまして、私は将来この教官というものは上下の
関係はなくて、その
職場職場によって尊敬を受けるような、そういう教員にならなければならぬのじゃないか。それは幼児
教育は幼児
教育として大事、小中学校は小中学校として大事である、それぞれの尊敬を受け、それぞれに評価されるべきじゃないかなと、そういうふうに思っておりますが、この点につきまして
文部大臣はどのようにお考えでしょうか。
もう一つは、もしも二種の人はできるだけ一種の研修を受けて一種をお取りなさいというのには、二種はできればなくなってほしいというふうにお考えになっているんでしょうね。そうすると、一種と専修ということになるのがいい形としてお考えになるんでしょうか。あるいは、もう将来は全部専修にする方が学校
教育としては一番理想的な姿であるとお考えなんでしょうか。その点についてひとつ
大臣の御所感を承りたいと思います。