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1988-10-27 第113回国会 参議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年十月二十七日(木曜日)    午前十時七分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         杉山 令肇君     理 事                 仲川 幸男君                 林  寛子君                 粕谷 照美君                 佐藤 昭夫君     委 員                 木宮 和彦君                 山東 昭子君                 世耕 政隆君                 田沢 智治君                 竹山  裕君                 寺内 弘子君                 柳川 覺治君                 久保  亘君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 下村  泰君    国務大臣        文 部 大 臣  中島源太郎君    政府委員        文部大臣官房長  加戸 守行君        文部省生涯学習        局長       齋藤 諦淳君        文部省初等中等        教育局長     古村 澄一君        文部省教育助成        局長       倉地 克次君        文部省高等教育        局長       國分 正明君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    説明員        厚生省児童家庭        局母子福祉課長  炭谷  茂君        労働省労働基準        局賃金時間部企        画室長      石川  透君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○学校教育法の一部を改正する法律案(第百十二回国会内閣提出、第百十三回国会衆議院送付)     ─────────────
  2. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は既に聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 粕谷照美

    粕谷照美君 このたび提案されました学校教育法の一部を改正する法律案、極めて内容的には二つの項目に分かれているという簡単なような形ではありますけれども、しかし問題は非常に根深いものがある、大きなところに波及するものがあるという意味で、これ重要な法案だというふうに考えているわけであります。  それで、この法律提案理由をいただきましたけれども、まず何といっても最初にお伺いしておきたいのは、定時制教育通信制教育というものが戦後始まったわけでございますが、その理念というものは一体どういうところにあったのだろうか、大臣の御認識をお伺いいたしたいと思います。
  4. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 粕谷委員から定時制通信制についての理念を御質問でございました。  高等学校教育そのものあり方というものにつきましては、学教法の四十一条にも、四十二条にもございますように、まず中学校教育を基礎といたしまして社会において果たさなければならない使命の自覚に基づいて、またそれぞれの個性に応じて将来の進路を決定させ、そして一般的な教養、専門的技能を習熟せしめるということがございますが、その一般論の中で特に定時制通信制となりますと、一つには働きながら学ぶ方々勤労青少年方々に魅力ある学びの場をお与えするということが中心になってきたと思っております。同時にまた、現在の状況からいたしますと、この定時制通信制後期中等教育に対します理念あり方として、勤労青少年以外にもその履修の多様な後期中等教育であるし、また一方では生涯学習一環としての後期中等教育の場でもある、そのような要素を心に置きながら定時制通信制教育の充実に今後も努めてまいりたい、このように考えておるところでございます。
  5. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部省にお伺いをいたしますけれども、今の大臣の御答弁で私はわかったわけなんですが、しかし定時制高校を創設したころの理念というものと現在の定時制高校というのは一体何か隔離があるのか、変革があるのか、その辺についてはどういう認識を持っていらっしゃいますか。
  6. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 戦後始まりました定時制高校に対する理念と、現在置かれております定時制高校に対する理念の間には基本的には差はない、考え方としては差がないというふうに思っております。ただ、時代が変わってきておりまして、現在、生涯学習というようなことがありますと、やはりある程度の年齢を越えてリカレント教育一環として定時制教育というものも作用をしていくだろうというふうなことがありますが、基本的にはその考え方の差はないというふうに考えております。
  7. 粕谷照美

    粕谷照美君 考え方の相違はないと言われても、結局内容が随分変質していると思うんです。そういう四十年たった定時制、まあ通信制はそう変わっていないと思いますけれども、定時制教育の具体的な変わり方、そういうものをどういうふうに押さえていらっしゃいますか。
  8. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 現在、例えば生徒数で見ましたときに、定時制在学者というのは大体十四万八千人でございます。定時制生徒数が一番多かった時期は昭和二十年代の後半、五十六万人ぐらいをピークにいたしましてずっと下がってきたということはございます。通信制課程は、在学者が十四万八千人で、これは余り変化がないという実態がございます。と同時に、生徒側実態を見ましても、入学動機でありますとか年齢でありますとか、あるいは勤労形態、あるいはその生徒が持っております経歴等がさまざまになりつつあります。そして、勤労青少年でありましてもパートタイムの者が増加するなど勤労形態そのもの多様化しているということで、今日の定時制課程実態としては昔と比べるとかなり変わっているというふうに思います。  そういったことはどこから来るかということは、よく言われますように、やはり戦後の技術革新あるいは経済成長というものに支えられまして大きく産業構造就業構造変化をいたしました。と同時に、全日制課程への進学率が非常に上昇いたしております。そういった点から定時制高等学校へのいわゆる数というのがずっと下がりつつあるというのが実態かというふうに理解をいたしております。
  9. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部省からいただいた資料を見ますと、昭和二十五年には四十万人ほどいました。昭和三十年には五十三万、二十八年には五十六万とこの辺がずっとピークになっておりますが、昭和五十五年、六十年、六十一、六十二、六十三とここの五年間ほどは約十四万台を維持しているわけです。ことしは十五万ですから一万人ほどふえているのでありましょうか。それに比べまして通信制というのは最初は非常に少なかったけれども、ずっと年々増加をしているように思います。特に、ことしなどは十五万六千人で定時制よりは通信制の方が数が余計になってきている。こういう数字というのは、一体国民教育を受けたいという願望一緒になっているのかどうなのか、その辺の分析をどうやっていらっしゃいますか。
  10. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 確かにこういうことでずっと定時制は下がりつつあり、通信制は若干増加している。そして全体で国民高等学校への進学率が九四%ということで、大体高等学校へ入りたいという子供のほとんどが高等学校に収容されているだろうというふうに認識いたします。そうしますと、いわゆる高等学校教育を受けたいという願望がずっと毎年毎年昭和三十年代から比べればどんどん上がってきて、そしてそういった高い進学率、全体で言えば高等学校への進学率が九四%というものになってきているのではないかというふうに思うわけでございます。
  11. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、この定時制数字を見ている限りにおいては、子供たちは大体勉強したがっている、高校卒業したいと思っているというのが出ていると思いますけれども、しかしこの定時制数字だけでは物事を判断することはできないのではないか。先ほどお話がありましたように、定時制というのは本当に勤労青少年のための学校であったわけですね。それが一体今どうなっているのか、具体的な数字がありますでしょうか。
  12. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制高校におります生徒のいわゆる職を持っている、あるいは職を持っていないという数字から推論いたしますと、有職子供が七八・六%、無職子供が二一・四%ということでございますので、そういったことで、いわゆる働きながら学ぶという数が八〇%というふうに御理解いただければというふうに思います。
  13. 粕谷照美

    粕谷照美君 それでも八割近い有職子供たちがいるというんですが、この有職は一体どういう有職の形になっているんでしょうか。
  14. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 有職の中身といたしましては、いわゆる正規社員というふうに考えますのが三四・九%でございます。それからパートアルバイトという部類に入りますのが三七・三%、それから自営あるいは家業の従事といいますのが六・四%ということでございまして、これを足しますと七八・六%ということでございますので、大体半分がパートであり半分が正社員だというふうに思います。
  15. 粕谷照美

    粕谷照美君 ちょっと数字がよくわからないんですが、正規労働者が三四・九%、パートアルバイト、まあこれでも働いているということになりますが、三七・三%、自営といいましても例えば農業をやっているとか林業をやっているとかいろいろあるわけで、そういうものを含めて六・四%、そうすると、その他はどうなるんですか。
  16. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 失礼いたしました。  ただいまのは有職者全体の七八・六%を割っていったときの数字でございまして、二一・四%というのが無職として残っているわけでございます。
  17. 粕谷照美

    粕谷照美君 このパートアルバイトというのが本当に労働者有職という数字に入れられるのかどうなのか、その点の内容についても非常に問題があるという実態を私はつかんでいるわけでございますが、定時制教育の精神は変わらないけれども、具体的にいろいろな形態では変わっていかざるを得ない、これもよく今は把握をすることができると思います。こういう状況というものはずっと年々発足当時から進んできているわけですけれども、これに対して行政というのは一体どういう対応をしてこられましたか。
  18. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制通信制の働きながら学ぶ生徒に対します措置といたしましては、教科書の無償給付でありますとか、あるいは修学奨励費援助でありますとか、あるいは定時制生徒でございますが、夜食費の補助でありますとか、そういったものを中心にしていろいろな財政的な措置を講じてまいりました。と同時に、生徒が学びやすいようなことということで、履修形態といたしましては、定通併修でありますとか、あるいは本日提案いたしております技能連携制度を三十六年に創設いたしましたとか、そういったような形でいろいろな履修形態多様化というものも進めて子供の勉学の機会を確保するように努力してまいったところでございます。
  19. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、この定時制教育というものに対して行政というのは非常に冷たかったのではないか。確かに今局長がおっしゃったように、財政的な努力はありましたでしょうけれども、しかしそれでも働きながら学ぶという青少年のための、本当にその心を大事にしていくという、お金の出し方というものは不十分であったのではないだろうか、こういうふうに私は思っているわけです。そして、どうも産業界要望している子供たちをそれに合わせてつくろうという、そういう方向文部省は軌道を変更していったのではないんだろうか、そんな感じがしてなりません。それは定時制発足当時から日経連は新制度を再検討すべきである、こういう意見を出していますね。そして昭和三十年ごろから経済がどんどん復興してくるわけですけれども、そのころになりますと、資本家側の要求も非常に強くなってきた。昭和三十一年に文部省定通教育整備要綱を発表いたしましたね。この要綱の中には、必要があったら二年で終わる短期課程を設定するとか、職業教育に重点を置いて技術教育を強化していくとか、青年学級技能者養成所などと協力をするようにしていきたい、生徒が少なく配置が適当でないものは統発合を行う、こういうような方向を出してきた。つまり定時制の統廃合ということに随分早いころから目をつけていた、こういう感じがいたしますが、行政としてそれでも十分に定時制振興のために努力をしてきたと言い切れますか。
  20. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 二十数年前からのお話でございますが、いろいろな定時制通信制教育に対しての世の中の御指摘、そういったものがあった。それに対してある程度学校をそういった方向に持っていくようなことをするというのは、これは社会の趨勢としていたし方ないことだと思いますが、それはそれとして、私は、これまでも定時制通信制高校については、いろいろな制度面での措置ということで、先ほど申し上げました修学奨励に係ります財政援助でありますとか、子供の学びやすいような履修形態を奨励いたしますとか、そういったことで定時制通信制教育については一生懸命に力を入れてまいったというふうに理解いたしている次第でございます。
  21. 粕谷照美

    粕谷照美君 行政側対応については了解をいたしましたが、しかしそれに対応してやっぱり学校現場というものも、教職員は随分努力をしてきたというふうに思いますけれども、その教職員の取り組み、努力、そういうことを文部省としてはどのように考えておられますか。
  22. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 確かに教職員方々は大変全日制に比べて定時制の方が難しい職場であるというふうに思います。生徒が昼は働き、そして夜来るといった生徒に対する健康上の配慮でありますとか、それぞれの経歴を持っておりますから、それに対しての生徒指導の難しさ、いろいろなことがあって定時制高校先生というのは大変難しい仕事である。なるがゆえに、定時制高校先生には手当というものをつくって何分の一でもそれについてお報いをしたいということで参ってきたのが現状だろうというふうに思います。そういうことで、今までも定時制高校先生方については大変御努力を願っておりますし、それで今までずっとやってまいったのではないかというふうに思うわけでございます。
  23. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、今局長現場教師大変努力をしてきたということをおっしゃっていただいたので非常に安心をしているんですけれども、何か定時制先生授業時間数が短いからいいじゃないかとか、特別の手当をもらっているからあれは有利じゃないかとか、そういうような声が巷間から聞こえてくるわけですね。でも定時制に勤務する教師たちは、本当にさまざまな経歴を持った人たち相手に、出てくるか出てこないかもわからないようなそういう子供たち相手に、きょうは一体どういう授業をやっていこうかと苦悩しているわけですね。そしてさらに家庭でいえば、お父さんと一緒夕飯を食べたことがない、お母さんと一緒夕飯を食べたことがない、そういう家庭的な犠牲も払いながら、働く青年のために、少年のためにと、こう思って努力をしてきたわけです。ところが最近は、働かないで学校へ来ているという子供たちが先ほどの報告で二割以上ある、これも大きな変革だと思うんですね。それに対応して何とかしようという対策が今度の法律にも一つあらわれてきたんだと思いますが、この法律を出すに当たって大臣がこの間おっしゃったように、臨時教育審議会答申を受け、そしてこういう法律を提案するんだ、こうおっしゃったわけですけれども、この臨教審答申を受ける前からそういう実態があって、そして現場からいろいろな声が起こって行政もそれに対応して動いてきたのではないですか。なぜわざわざ「臨時教育審議会答申を受け」と、こう書かなければならないのですか。
  24. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 御指摘のありますように、確かにこの問題は非常に古い時代から定時制高校修業年限弾力化したらどうだというお話はございます。  いわゆる審議会に類するものといたしましては、昭和四十六年の中央教育審議会におきまして、既に定時制通信制高等学校修業年限教育内容形態などを実情に即して弾力的に改めたらどうだという御提言がされておりますし、その後、私の方で学識経験者を集めまして調査研究協力者会議を開きましたところでも、昭和五十一年に修業年限については三年以上にしたらどうだというふうなことを御提言いただいておるわけでございます。したがいまして、臨時教育審議会以前にもこういった話がございますし、それから高等学校校長会あるいは定時制の関係の教頭会などから今回の措置について要望をされてきたということはございますが、臨教審におきましても答申においてそういったことを提言されたということで、いろいろなことをひっくるめて提案理由では臨教審答申がありましたという提案理由を述べさせていただきましたが、背景にはいろいろなところからの御要望があったということは事実でございます。
  25. 粕谷照美

    粕谷照美君 それでは次に、この法律内容について質疑に入ります。  まず最初に、修業年限を、四年以上、こうなっているものを三年に改めるという、一年短縮の件でございますが、この修業年限については定時制発足当時どういうことになっておりましたでしょうか。
  26. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 新制高校発足当時は、高等学校については修業年限を三年と定め、そして定時制高校については三年を超えることができるという形になっていた、それを二十五年になりまして現在の定時制高校については四年以上というふうになっていたというふうに思っております。
  27. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうですね。「新学制の実施について」というのには「三年を原則としながらも、それ以上の年限とすることの余地を残す方針がとられた。」、定時制についてはそういうふうになっていますね。それが二十五年に四年に変わったという。四年に変わったというときの提案理由、これはどういうことになっていましたか。法律で変えたんだと思うんですけれども、法律で変えるには理由を説明するわけであります。
  28. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 当時の考え方高等学校修業年限、全日制と比べまして定時制においては生徒実態勤労形態から見た実態から見れば三年で修業するのは困難だということから四年に引き上げたというふうに考えております。
  29. 粕谷照美

    粕谷照美君 局長、簡単におっしゃったからあれですけれども、文部省初中局の百七十八号、これが昭和二十五年の五月六日に出されております。初中局長通達です。「学校教育法の一部を改正する法律について」、長いのですけれどもちょっと読んでみます。   昭和二五年に本法の一部改正が行われ、本条のただし書の部分が「但し、定時制課程を置く場合は、その修業年限は、四年以上とする。」のように改められた。   この改正趣旨は、「特別の技能教育を施す学校、例えば美術や音楽の課程を置く学校の場合でも、三年で高等学校としての正規課程を修了させ、更に必要な場合は、専攻料として精深な教育を施すことにした方が、大学への連絡その他を考慮して適当であるので、特別の技能教育を施す場合であっても、修業年限は三年と改正されたのである。また、定時制課程は、勤労青年を対象とする課程で、通常の課程の三年分の教育を、これと全く同等の程度内容をもって行うには、最低四年を要し、しいて三年にすれば教育上、保健上、勤労青年のために憂うべき事態を生じ、かえって勤労青年に対して思わしくない結果を招き、ひいてはこの課程から勤労青年を閉め出されることをも考慮され、定時制課程修業年限を一律に四年以上とすることになったのである。」 と、こう示しているわけであります。  八割がいまだにまだ勤労青年である。その勤労内容は違っていたとしても勤労青年である。そうすると、このときに出した初中局長古村局長でないですか、二十五年ですから。この出した時代に心配されたことは今ないのでしょうか。私は本当にこういう心配を文部省がして、今まで三年だけれども全日制の高等学校と同じような教育程度を授けて、そして高校卒業生というレッテルを張るためにはやはり勤労青年には三年は無理だと。それもこういうこと言っている。教育上も問題だ、保健上も問題で憂うべき事態を生ずる、こういうふうに書いているんですね。大変香り高い私は初中局通達だと思うんです。それと今どういうふうに変わってきているかということでございます。
  30. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 確かにおっしゃいますように、昭和二十五年当時はそういう通達定時制高校修業年限を決めてまいりましたが、その間この近年の状況というのはかなり変わってきているだろうというふうに思います。子供修業形態がかなり変わってきている、勤労時間そのものも短くなりつつあるというような情勢でございます。そういったこともありますし、片方履修形態として定通併修でありますとか、あるいは技能連携でありますとか、そういった履修方法弾力化というものが取り入れられまして、子供の二重学習の負担がなくなるということは、学校へ来る時間が少なくて済むというふうな実態、そういったものを見てみますと、現在でも八十単位を三年間で取り得る学校というのがかなり出ております。  ということで、私たちが今提案いたしておりますのは、三年間で無理なく卒業ができるという学校、そういった子供の状態である学校については三年でいいではないか。何も定時制高校全体を三年にするというふうなことではなくて、三年の学校もあれば四年の学校もあっていい。それはまさに学校におきます子供実態というものからくるものではないかというふうに御提案申し上げているわけでございます。
  31. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部省の机で考えれば三年で卒業する生徒があってよろしい、四年で卒業する生徒があってよろしい、こういうことになろうかと思います。学校現場の具体的に生徒を教えている教師たちは、一体そのことについてどう考えているんだろうか。ここのところが私は非常に大事なことだというふうに思います。大体が四年でやっていることを三年でやるということは教育を詰め込まなきゃいけない、あるいはどこか簡略化しなきゃいけない。それが単位の互換ということになるのかもしれませんけれども、しかし、それは私は学ぶ者の利益にはならない、こういうふうに考えざるを得ないのであります。  それでは、一体カリキュラム、これは三年間で無理なくやっていけますよということになっておりますか。
  32. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) これはカリキュラム工夫でございますが、一つは、もう一つ申し上げておきますと、いわゆる二十五年当時からずっと高等学校卒業に必要な単位数というのは八十五単位でございました。昭和五十五年になりまして、全日制高等学校も含めて、高等学校卒業するに必要な単位は八十単位ということにいたしたわけでございます。そういった片方単位数の引き下げというものもございました。  そういった中から、現在八十単位を無理なく履修できるというふうな学校というのを全国調べてみますと、既に八十単位以上を取っている学校定時制高校普通科で十三校、職業科で三十三校ございます。それから、通信制普通科で五校、職業科で七校というのが既に八十単位以上の単位を三年間で修得させているという学校でございます。それに加えまして、例えば七十単位から七十九単位を既に三年間で取っているという学校については、ある程度のカリキュラム上の工夫をすればそれが八十単位に上がる。私たちの方はこれを何もそうしろという形でやっているわけではございませんで、八十単位、そういうことが取れるのならば三年でいいんではないかという道を開きたいということでございますので、そういった七十単位以上の学校が八十単位になることを奨励するということは考えておりませんが、そういった学校実態を見てみますと、定時制普通科で七十単位以上三年間で取っているのが四十七校、職業科で五十七校、そして通信制普通科で五校、職業科で七校といったような学校がかなり八十単位に近い単位数を取っているという実態があるわけでございまして、そういった学校については無理なく卒業できるというカリキュラムを組むならば、そういった措置も必要ではないかというふうに思うわけでございます。
  33. 粕谷照美

    粕谷照美君 こういうことに対して、一体学ぶ側の生徒たちはどういうふうに受け取っているんでしょうか。何か統計をとるとかアンケートをとるとかいろいろなことをやっておられますか。
  34. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) これは六十三年の一月でございますが、定時制高校八十六校、通信制高校十六校の生徒約四千四百人を対象にいたしまして修業年限に関するアンケート調査を行ったわけでございます。この調査結果によりますと、三年間で卒業を希望する者が定時制課程で約六〇%、通信制課程で約七〇%の生徒が三年で卒業を希望いたしているというのがアンケートの調査結果でございます。
  35. 粕谷照美

    粕谷照美君 その調査の方法というのは一体どんなふうにしてやりましたか。子供たちが随分賛成をしているような感じですね、何か。
  36. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 高等学校を通じまして生徒に対しての反応というものを聞いたわけでございますが、一学級程度の生徒を対象に三年でも卒業が可能となる制度ができた場合、三年での卒業を希望するかどうか、そういった希望等をお聞きいただいた上でその結果をお知らせ願いますということで、そのアンケートの内容といたしましては、「是非三年間で卒業を希望する」という欄、それから「できれば三年間で卒業を希望する」という欄、それから「希望しない」、「わからない」、「その他」といった欄を設けまして、そこへ人数を入れていただくという作業を各校にお願いしたわけでございます。
  37. 粕谷照美

    粕谷照美君 この定時制高等学校というのは、大体小規模校が多いですね。定時制の大規模校なんというのは聞いたことないわけですけれども、その実態の御報告をいただくと同時に、そういう実態の中で、三年で卒業する課程と四年で卒業する課程と別に設けることは、教師の配置あるいはその他の勤務条件、そういうことで何か問題が起きるというような考え方は全然起きませんでしたか。
  38. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 規模別の学校数というのは、ちょっと資料持っておりませんので御容赦いただきたいと思いますが、確かにおっしゃいますように、そういう定時制高校で大規模校というのは大体ないだろうというふうなことは、これは私たちもそう思っておりますし、ただ大体半分以上の学校は一学年一学級以上のクラスは持っているというふうなことを考え、そういう実態だというふうに一般的に認識いたしておりますが、そこで一つ学校で三年制のコースと四年制のコースと分ける。これはあくまで申し上げておりますように、三年制でやれるという、そういった実態というものがあれば、無理なくやれるという実態があれば三年制のそういったコースをつくることができる道を開くということでございますから、いろいろとさまざまになると思いますが、一つ学校で三年制、四年制ということもこれはあり得る、方法論としてあり得るわけでございます。したがって、その場合についての定員措置については今後検討をしていく問題だろうというふうに考えております。
  39. 粕谷照美

    粕谷照美君 定員措置は今後検討するとおっしゃったわけですが、そのことについては後でまた質問をしていきたいと思います。  この定時制卒業というのは大変早いころから問題になっていたんですね。私の調べたのでも、昭和二十八年にもう鳥取県教育委員会が文部省に質問をしておりますね。また、同じようなことが広島県教育委員会からも出ている。やっぱり定時制で働いている子供たちが、単位制と学年制があるわけですから、単位を取っても卒業時期までずっとその学校にいなければならないのか、早く単位を取っても卒業のときまでずっといなければならないのかというような質問が出ているわけです。早く高校卒業資格を取ればまた次の就職をすることができるのに、このままでは困るというようなことも含めての質問だったというふうに思いますから、そういう実態対応できるという点ではいいかもしれませんが、また逆の意味で教師の悩みは私は深くなる、そう思います。三年でどうしてもやれるという、今までよりも子供たちに過酷な教育内容を押しつけるのではない、教育の質を落とすのではないというその保証がやっぱりまだぴんとこないですわ。そういう意味で、この三年間の無理なくカリキュラムが編成できるかという点については私は大変な疑問を持っております。  それとあわせて、こういうことをやってきますと、大学受験に大変有利だ、定時制行けば早く単位を取ることができる。そうしたら、後予備校でも行ってしっかり勉強して、それで早く学校へ行こうではないか、こういう考え方を持つような子供たちもふえてくるのではないでしょうか、今の子供たちですから。その辺はどんなふうにお考えになっているでしょうか。
  40. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) これは、確かにどの学校を選択するかというのは子供考え方により、あるいは子供の自由であるというふうなことで言えばそういった心配も出てくるわけでございますが、ここのところは、私は全体的に中学校から高等学校へ行く場合の進路指導の問題だというふうに思います。したがって、私たちといたしましても、進路指導については中学校先生として十分なことをやってほしいということは、高等学校へ行って、高等学校に対して非常に飽き足りない思いをしている子供もたくさんございます。そういったことから見れば、中学校の進路指導というのは非常に重要だというふうに思います。そういうことで、先ほどおっしゃったように、大学へ行くために定時制高校へ行って、後は予備校へ行ってというふうな進路選択というものは、中学校の方ではぜひそういったことを十分注意しながらやっていただきたいということを希望いたしておる次第でございます。
  41. 粕谷照美

    粕谷照美君 進路指導といっても難しいですね。子供たちの自主性をどのようにして尊重していくのか、そして教師自身の考え方をどのように子供たちにわかってもらうのか。口では簡単に言いますけれども、本当のことを言えば親も含めて悩みのいっぱいあるところだと思います。  今週号の週刊朝日に「国土庁初の女性キャリア近藤共子さん」、この方は大検から東大へ進んだ二十三歳だと、こういうふうに、非常に頭のいい人たちは大検の道を歩いて自分のやりたい勉強というものをやっていくということになっているようですね、最近は。この大検の数字なんというのは文部省では調査をしたことがありますでしょうか。
  42. 齋藤諦淳

    政府委員(齋藤諦淳君) 大検の受験者は近年非常にふえているわけでございますけれども、例えば近年の数字の推移を申しますと、いろいろな統計のとり方があるわけでありますが、受験者数で申しますと、六十三年度は一万三千六百七十五人でございます。これは昭和六十年度と比べてみますと、六十年度は七千四百六人、そういう意味で非常な勢いでこの総数は伸びているという、こういう状況でございます。
  43. 粕谷照美

    粕谷照美君 そういう数字を見ていて、いろいろなことを分析されると思うんですね。例えば十八歳未満の受験生がこうだと。そうすると、それはちょうど高校教育を受けた時代年齢子供たち、それは一体どういうふうに文部省としては情勢を分析するといいますか、していらっしゃいますか。
  44. 齋藤諦淳

    政府委員(齋藤諦淳君) 今七千四百人から一万三千人までふえたという事情を申し上げましたですけれども、そのうちで中学校卒業だけという者が、それが二千八百から五千六百までふえておりますし、それから高等学校の中退というのが三千七十四人から五千六百九十人という、そういう数字になっているわけでございます。そのほかの者も、もちろん普通の家庭婦人等もふえているわけでございますけれども、そういうふうな中学校卒とかあるいは高校中退が非常に多いというのは、そこにはやはり現在の公教育についていけないで、いわゆる特に高校中退の場合には高校をドロップアウトした、そういう者が非常にふえているという、こういう分析をしているわけでございます。
  45. 粕谷照美

    粕谷照美君 今ドロップアウトとおっしゃったけれども、この方なんか特別なんですね。ドロップアウトどころの話じゃない。県立緑ケ丘高校へ進んで、普通高校で非常に問題を感じて、そして通信制高校に転校して、そして駿河台の予備校に通って、そして大険の資格を取って東大へ進んだ、こういう方もいらっしゃるのよ、まあ特例だというふうに思いますけれども。今局長のおっしゃったような、高校教育についていけない、ドロップアウトした子供たちがいる、それは大問題なんですね。それは一体定時制に多いのか、あるいは全日制に多いのか、この辺の数字、統計というものは出ておりますか。
  46. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 高等学校の中途退学者の数は全体で、六十一年度では十一万三千九百人ということになっております。その内訳でいきますと、全日制の生徒の中で中途退学者が九万人、それから定時制は二万三千八百人ということで、いわゆる全体の母数が非常に全日制の方は多うございますから、数字そのものは九万人と二万人で全日制が多いということになっておりますが、いわゆる生徒数におきます比率を見てみますと、全日制の中途退学者は一・八%の生徒、それから定時制の中途退学者は一六・三%の生徒でございます。
  47. 粕谷照美

    粕谷照美君 大体、定時制の入学者が十五万人、こういうことになりますと、その中から二万人も落ちるということは、これは大変なことですね。一体その落ちていくという、ドロップアウトしていくというその原因はどこにあるとお考えになっていますか。
  48. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制生徒の中途退学の理由でございますが、一番多いのが学校生活あるいは学業に不適応であるという、言ってみれば学校嫌いというふうなことになっておりますのが二六・八%の六千四百人でございます。それから次に多いのが進路変更といいますか、こういった学校へ行ったけれども、この学校は自分の気にそぐわなかったというふうなことで進路変更をいたしますのが二四・六%で五千八百六十六人、それから三番目に多いのが学業不振、ついていけないといいますか、勉強がなかなか思うようにいかないというのが一三・一%の三千百人、そういったのが内訳でございます。
  49. 粕谷照美

    粕谷照美君 私も昔高等学校の組合と一緒教育研究集会を持ったことがありますけれども、そのときに高等学校の副委員長がこういうあいさつをされましたね。義務制の先生にお願いをいたします、二分の一足す三分の一は、分母を足して五、分子を足して二、五分の二などというような、そういう生徒高校に送らないでください、卒業させないでください、ちゃんとわからして高校へ送ってきてくださいと。別に義務制の先生だって、そういうことをわからないで送り出したいとは思ってないわけですね。どうしても一人一人を大事にして落ちこぼれをつくらせない、本当に一人の子供たちの能力に応じてその能力が花開くように教育をしてやりたい、こう念願しているわけですけれども、そのためにはいろいろな悪条件が出てくる。これはもう義務制だってそうですよ。そして、そういう中に文部省の出してくるあの教育課程カリキュラムがもう年々高度になっていくというんですね。  昔、前に小学校の四年生で教えたものがもう二年にくるとか、中学校で教えたものがもう小学校の段階にくるとか、大変習うものがたくさんになってくる。そして一クラスまだ四十人にならないんですから、四十五人だ、五十人だ、それに教えていかなければならない。教育課程に沿っていかなければならないというと、結局そういう、何というかドロップアウトしてくるのが出てくる。そして義務制ですから、小学校から中学、中学からそして希望すれば高校に、こう行くわけですね。じゃ、そういう今の学業不振のような子供達が高等学校に入学をするということは、これは文部省としてはいいことだというふうにお考えだと思うんですが、いかがですか。
  50. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) おっしゃいますように、全く基礎、基本を十分修得しないまま高等学校へ行くということについては、これはやっぱり高等学校教育が大変だろうという気持ちがいたします。しかしながら、小中学校では基礎、基本をしっかり修得してほしいということで、私たちも御指導申し上げておりますが、現実問題なかなかそうはいっていない。中学校のレベルを修得した段階で高等学校へというのが普通でございますけれども、中学校の水準まで達していないというふうな子供高等学校へ行っているという現状は確かにございます。それは否めないことでございますが、私たちとしては、そういった子供がそれじゃ高等学校へ行っていることをどう思うんだという御質問でございますが、国民教育水準、いわゆる教養の水準といいますか、一般的に言えば、私はそういった子が入っていることが日本全体の文化水準を押し上げている問題だろうというふうに思うわけでございます。
  51. 粕谷照美

    粕谷照美君 学校の水準に子供たちを合わせるんじゃなくて、子供たちの水準に教師が、学校がおりていって、そしてその子供たちの能力を伸ばしていきたい、こういう気持ちを随分先生方持っていると思うんですね。しかし、そのためにはやっぱりいろいろな条件が必要なわけです。四十人も一緒に詰め込んでおいて教える。とってもそんなことはできないわけです。そういう教育条件が野放しにされたまま、私はそういう子供たちを構えて、今まで四年間で教えていたものが三年間で卒業させるぞということが本当に子供たちのためになるんだろうか。そこのところがどうしても解釈が違うわけですよ。どんなことでもいいからいろいろな努力技能連携などをやって、三年で卒業できるような条件をつくりたいということと、そうじゃないんだ、高等学校というある程度の水準をマスターさせていきたいんだ、それには四年間必要なんだという、こういう考え方をお持ちの方とは、私はどうしても議論がかみ合わないような感じがいたしますが、生徒がそれでも三年生で卒業したいと思っている人たちもたくさんいるということになれば、これまたいろいろと考えていかなければならない、こう思うわけです。それと絡まって技能の連携というところに、質問を入れたいと思うんですが、その前にひとつ質問の方向を変えて単位高校の問題に入りたいと思います。  単位高校、これについての施行令が三月三十一日に出されて、四月一日から学校がもう既に発足をしておりますね。これは私大変問題があると、こう思うわけですが、文部省としては、この学校教育法の一部改正とその施行令改正というものは全然別なんです、単位制とこの問題は別のことです、こういうふうにおっしゃいますけれども、でも私は非常に関係が深いと思います。だって、この法律が通れば単位制が即三年で卒業できますよという、そのことを見通してもう既に発足しているという現実もあるわけです。今、単位制を計画中の都道府県も、この三年で卒業できるということがはっきりした段階で自分たちは結論を下したい、こう思っているところもあるのじゃないかと、こう思うんですね。その施行令を変えてきたという、先に変えてしまった。この法律のときに私たち一緒に審議をしていきたい、こう思っていたわけですけれども、先に出してしまったということについてはどういうふうにお考えです
  52. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 私たちは、単位制高等学校とこの修業年限弾力化の問題とは、事柄としては別であるというふうに考えております。  といいますのは、単位制高等学校の問題につきましては、要点は結局今の学年ごとに課程を修了するという、学年ごとに課程の修了の認定を行うという学年制を外しまして、いわゆるその単位の集積でもって卒業まで行ける、そういった仕組みの学校というものを考えておりますし、こちらは実態に合わせて修業年限を三年以上にするというふうなことでございますから、事柄は違う。現実の方向といたしまして、既に発足しております石川県の単位制高等学校でありますとか、岩手県の単位制の高等学校でありますとか、そういった高等学校はいわゆる三年制でもそういった無理なく卒業できるというカリキュラムが組めるということから、三年以上という法律案が通過すれば、これによって三年以上ということに行きたいという希望を持っているように聞いておりますが、このことと、それから単位高校とは、事柄としては別であるというふうに認識いたしております。
  53. 粕谷照美

    粕谷照美君 言葉としては別であっても、学校としてはそのことはもう直接に関連しているわけですからね。私はやっぱり一緒に審議をすべきであった、そういう対応文部省としてはとるべきであった、こういうふうに考えているところでございます。  その石川県の金沢中央高校、私は先回行っていろいろなお話を具体的に聞いてまいりました。今盛岡と石川とそれから松本の筑摩ですか、こういう学校発足をしていると思いますが、概要を御報告いただきたいと思います。
  54. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) まず岩手県の杜陵高等学校は、定時制課程からの転換をいたした高等学校でございます。入学の定員及び入学者、志願者ということについて岩手県の杜陵高等学校について申し上げますと、昼間部と夜間部がございまして、昼間部の普通科では入学定員四十人でございます。入学者が七十六人。夜間部は普通科がございまして、入学定員八十人のところで入学者は五十人ということで、志願者は百三十九人であったというふうに言っております。それから教員の加配状況といたしましては、四人の加配をしておるというような現状でございます。  それから石川県金沢中央高等学校定時制からの転換でございまして、午前の部と夜間部と二つに分かれております。午前の部につきましては普通科職業科がございまして、そこでは生徒の入学定員が百六十人、志願者が二百七十九人で入学者の数が百六十六人。それから夜間部の普通科職業科がございまして、これは入学定員が百二十人、志願者が八十一人、入学者が六十二人でございました。  それから長野県立松本筑摩高等学校でございますが、これは通信制課程の一部を転換いたしたものでございまして、普通科がございまして、八十人の入学定員でございますが入学者は八十五人といった、余り詳しいデータ持っておりませんが、概要はそういうことでございます。
  55. 粕谷照美

    粕谷照美君 この中央高校に行きまして私どもは県教委、それから学校当局、それから現場教職員、その三つの責任ある場所の方々にお会いしてきたわけですけれども、大変な問題があるというふうに思いました。  一つは、この考え方は、我々は臨教審答申でこの単位高校やったんじゃない。教育長がアメリカに行きまして、そしてアメリカの高校を見てきて、非常にたくさんの選べる授業内容があって、子供たちが実に生き生きとしていたと、こういうお話があって、何とか我が県でもそれをやりたいと常々思っていた。それがたまたま中教審答申もあったり、あるいは臨教審答申もあったり、その間におけるいろいろな答申もあったりしてそして話を具体的に持ってくることができた。ところが、この話を現場の教員たちが聞いたのが実に遅いんですね。だから、その話を聞いて、その学校にどうやって対応していくのか、その学校は一体どんなものであるかというふうなことをきちんと討議をする時間もないままに過ぎてしまった。こういうことを言っていらっしゃったわけです。理解がないままに過ぎちゃった。  そうしたら教育長は、いやそんなことはない、学校長には早々とお話をしてありますと、こう言うのですね。しかし現場教師たちの問題は、学校長の話ではない、経営者の話じゃない、現場で一体どうやって対応するかということですからもっときちんと話をしてほしい。責任ある教育長の方から、教育委員会の方から話をしてほしい。こういうことを言うというのは私は当然の話だと思います。校長だけじゃないですね。  その言う理由は、まず第一に教職員の疲労が大変だ。そして、ようやく県費単独、県単の教員もふやしてもらったけれども、その科目をふやしたものに即応してふえていかないから本当に大変だ。しかも、長いことそういう定時制教育に携わってきた方々はそれでもある程度なれていました。理解もあるわけです。午前中だけの授業とか、あるいは午後からだけの授業とか、あるいは夜の授業とか、こういうことになれているけれども、全然そういうことについての知識もない。教員としては立派ですけれどもそういう知識もない方が人事異動で来られた、まことに学校の中はてんやわんやだと、こういう話をしておりました。  それから子供たちは一体どういうふうな反応をしているか。好きな授業だけ選べばいいですね、単位制ですから、単位さえ取ればいいわけですから。そうすると、一時間目の授業、この授業は好きだから受けましょう、二時間目はこれ嫌いだからだめです、三時間目は受けましょう。そうすると二時間目があいちゃうんですね。その二時間目のあいたのが非行だとかいろいろな問題を起こす原因になってくる、こういう話もしておりました。  それから、どこの学校でもそうなんですけれども、中学校でも高校でもそうだと思いますが、授業時間を入れて、そしてだれがその授業に出ていくかというのは、時間割り、時間の割り振りですね。あれ大変なんですね。一人一人のこまをつくって間違いなく入れていくというのは大変なんですけれども、そういうことができない、とっても難しくて僕はお手上げですという、具体的にそのことに当たった方もいらっしゃいました。  それから、一クラスの人数が、こんなにいろいろな多様な生徒が入ってくるんですからもっと少なくしてもらいたいのに、本当にもう大変だ、こういうことについてももっと教職員団体の意見というものを教育委員会は聞いて、そしてやるべきであったというようなことも厳しく追及をしておりましたし、また施設にしても、それだけ多様な学校なんですから多様に対応をしなければならない。グラウンドなんかにしたって体育館にしたって、そういうものが十分にならないままに発足をしているということについても大変な問題がある、こう言っておりましたが、それでも何とかこの一年やってきた。それは教員の中にも、この制度賛成だ、もうとっても問題がたくさんあって、うちの学校をもっと活性化するにはこういうことにトライしてみなければならないのではないかという考え方も持っていらっしゃる方もおりまして、私どもにも具体的に、賛成だ、しかしやってみたら大変だということを言っておられたわけでありまして、今こういう単位制についてやりたい、もう施行令出たわけですからやりたいと計画をしている都道府県というのがたくさんあろうかと思いますが、それは具体的にどういうふうになっておりますか。
  56. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) まだ制度が変わって間もないことでございますから県の方も十分な検討が進んでいない状況だと思いますが、具体的に検討いたしておりますのは、埼玉県が六十四年度からやりたい、それから東京都が六十六年度に構想したい、こういったことを聞いております。
  57. 粕谷照美

    粕谷照美君 計画中に当たっての文部省の指導などというものはないんですか。例えばこういうことについて配慮をせい、今私が言いましたね。教職員の団体とちゃんと話をしなさいと。特にこういうところは夜の授業なんというのがあるわけでしょう。それと同時に、土曜日休みのところもあるし、土曜、日曜というものに授業をやるようなことがあるわけで、教職員の労働条件とも深いかかわりを持ってくるわけであります。したがって、そういう意味でちゃんと話し合いをするべきであるというふうに思いますが、いかがですか。
  58. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 新しい高校定時制から単位高校に、あるいは通信制から単位高校に切りかえていくというのは、いろいろな学校運営に当たって新しい問題が生じてくることは当然でございます。そういった点で、そういったことを構想するときには当然学校の校長あるいはその学校先生方の意見、そしてそれと同時に生徒実態というものをよく見た上で構想するのが通常のやり方だろう。したがって、私の方は当然そういったことを十分意見を聞いた上でやっていくということが通常はやられる方法であり、そのことについてそういうことをやりなさいということを細かく、そこまで都道府県の教育委員会に指導するのはいかがかというふうに思うわけでございます。
  59. 粕谷照美

    粕谷照美君 指導しなくてもやるのは当たり前だ、こういうふうにお考えになりませんか。
  60. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 先ほど申し上げましたように学校の運営形態を変えるわけでございますから、そういったことについて学校現場との十分な意思疎通というものをやった上でやるべきだというふうに考えるわけでございます。
  61. 粕谷照美

    粕谷照美君 現場ともそういうことは必要だと思いますけれどもね。例えば東京都なんか、もう独立の新しい学校をつくるわけですね。新しい学校をつくりますと、その単位高校あり方に従って、現在ある定時制、しかももう小規模の学校も出てきているわけですから、そういう学校が非常に大きな影響を与えられると思うんですね。こういうことを考えてみますと、現場先生もさることながら、全体的に定時制教育教師たちが団結をしている場所というのはあるわけでありますから、そういう教職員集団とも当然話し合うべきだというふうに思いますが、その点はどうですか。
  62. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) どういうふうな学校をつくるかというのは、まさに教育委員会がいろいろなその地域の実情を見た上で、そこで総合的に判断してやるわけでございまして、それはそのときにいわゆる教職員団体と交渉しなければならないというふうなことではないだろう。いろいろな状況を勘案して、そしてこれが一番今の取り得る方法としてはいいというふうに教育委員会も発想し、そして財政も、新しい学校をつくるとすればかなりの金も要るわけですから、そういったお金を投入するについて都民の理解も得なきゃなりませんから、そういういろいろなことをした上でやっていくようなことになるんではないかというふうに思います。
  63. 粕谷照美

    粕谷照美君 そのいろいろな中に含まれているというふうに理解を私はいたしまして、そういう話し合いをすることはもう当然当たり前のことなんだということを文部省としては私は肝に銘じていただきたいと思います。  それで、石川に行きましたときに、本当にそんなにたくさんの課程をやるためには教師の数が必要なんだと。教室がたくさんになりますから、それだけ教師をふやさなきゃならない。先生ふやさないでそれだけやりなさいなんて、そんなばかなことありませんから、それで学校長も一生懸命に教育委員会に交渉したし、あそこの教職員組合、高教組も交渉しているわけでありますが、この教員定数というものについて、文部省は一体どういう具体的な対策をとられましたか。
  64. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 単位高校の教員定数の問題でございますが、これにつきましては文部省では、本年の七月十五日に高校標準法施行令の改正を行いまして、一定規模以上の単位制の定時制課程につきましては、開設科目の授業時数が高等学校の標準的な授業時数を超える場合には、適切な加配を行うことができるようにしたところでございます。
  65. 粕谷照美

    粕谷照美君 この教員定数だとか今の設備のままで単位高校を設けるのは大変難しいから、単位高校発足を見送っている県もある、こういうことを聞いているわけですが、そういう対策を講じていただいたのは結構です。しかし、金出すのは文部省でないんですから、文部省がお金出してやれるんだったら、もうそれは通知出せば即そういうことになろうかと思いますけれども、今出された、七月十五日に出されました施行令、これは大変問題があるというふうに思います。  まず、何人上乗せできるのか、これ規定で明示をしておりますか。
  66. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) おおよその基準につきましては財政当局との了解がついているわけでございますけれども、今のお話の金沢中央高校につきまして、どのような加配を行うかということについて、目下財政当局と協議しているところでございます。
  67. 粕谷照美

    粕谷照美君 規定で明示しないわけですね。具体的な学校に対して文部省が自治省などと協議をして人数を決める、こういうシステムをとるんですか。
  68. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 算定方式につきましては自治省とおおよそ協議が調っているわけでございまして、現在のところ一名ないし二名の加配をするということになっている次第でございますが、中央高校についてどのような加配をするかは今協議しているところでございます。
  69. 粕谷照美

    粕谷照美君 もう発足しているのに今協議中って、それ何ですか。
  70. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 一番の問題点でございますけれども、現在まだ中央高校では完成年度まで至っていないわけでございまして、そうした経過中の学校についてどのような加配をするかについて協議しているところでございます。
  71. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、やっぱりそういう条件もきちんと一緒にやって単位高校発足させるということでなければ、せっかく文部省が考えて、私たち単位高校、問題がある、いろいろな問題点について議論したいと思ったんですけれども、もう発足しているところがあって、今その点については自治省と協議中ですなんというんでは、これはもうお話になりません。しかし、地方交付税の算定と絡みますから自治省との調整というのは必要だと、このことは認めますけれども、もっときちんとした対応というものをとっていただきたい、こういうふうに思います。  通信制単位校については加配というのはゼロなんですね。
  72. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 加配いたしておりません。
  73. 粕谷照美

    粕谷照美君 自治省の態度なんですけれども、大体抑えようということがまず先頭に立っているわけですから、地方自治体の財政も非常に厳しいから。だから、そういう意味では定員増については大変厳しい態度をとっているんではないか、こう思いますけど、どうですか。
  74. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 単位制による問題につきましては、現在のところまだ数校あるだけでございますので、当面先ほど申し上げたような加配措置で行っていこうということになっている次第でございますけれども、私どもとしては単位高校の実情を十分御説明申し上げて御理解を願うよう努力しているところでございます。
  75. 粕谷照美

    粕谷照美君 それで、私が非常に気にしますのは、あの行革が始まった時代にこのことが話に出て、自治省はどういう態度をとったかといえば、単位高校発足させるということは理解をする、しかし地方自治体がたくさんの金を持ち出さなきゃならないということについては大変難色を示した。そういう意味で、トータルコースがプラスにならないように、これが自治省の態度じゃないですか。トータルのコースがプラスにならないようにということは、単位高校をふやした分だけどこかを整理しなさい、こういうことになるんではないですか。それはどうでしょう。
  76. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 私どもといたしましては、自治省の方がそういう御方針であるかどうかということまで承知していないわけでございますけれども、単位高校の重要性について御理解いただくよう努力しているところでございます。
  77. 粕谷照美

    粕谷照美君 発足しているところがこういう問題で大変苦難の道を歩くなどということは、私は許されないと思いますので、ぜひ文部省としても一生懸命に自治省と早期にこの問題を解決するように努力をしていただきたいということを要望いたします。  この単位高校が議論をされていたときに全国高等学校長協議会がいろいろな意見を申しておりますね。単位高校ばかりではない、六年制についてもいろいろなことを話をしているわけですが、その中で特に、全日制課程との二重在籍、それから他の高校単位高校の分校として利用する、他の高校授業を委託する、こういうことについては好ましくないということを言っておりますが、これは絶対に認められないですか。どうでしょうか。
  78. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 具体的にそういった校長会の御意見がどういう考え方で出たのかよく私ども承知いたしておりませんが、今の高等学校を見てまいりますときに、やはり非常に高等学校自身に問題がある、全体の高等学校制度というものについて。といいますのは、九四%の生徒が在籍いたしておりますから、生徒が非常に多様化しているという中で、現在の特に普通科高等学校中心としたカリキュラムあり方、あるいはそういった履修形態あり方というものが本当にこれでいいのかどうかということを十分考えていく必要があるということで、去る七月に高等学校教育の個性化の推進に関する調査研究会というものを学識経験者に集まっていただきまして発足させました。  そこで、やはり今後の高等学校を見通したときに、今の例えば学年制でありますとか単位制でありますとか、そういったものをどう考えるか、あるいは普通科職業科をどう考えるかとか、そういった高等学校がより活性化し、一校一校が個性化した学校になっていく、そして多様化した子供を受け入れていく高等学校になりたいということを目的にして、そこで十分検討をしていきたいということを考えておりますので、いろいろな課題を将来の検討テーマということで、ざっくばらんに高等学校制度について研究をしていきたいということを考えておりますので、今おっしゃいました問題点、そのことは好ましいとか好ましくないとかという、それは一つ制度改正していく問題でございますので、今後いろいろな方々の御意見を聞きながら、どういったことをやれば高等学校教育というものが活性化するかということを真剣に考えてまいりたいというふうに考えております。
  79. 粕谷照美

    粕谷照美君 従来この定時制通信制課程在学生徒経済的な負担を軽減して修学を奨励するために特別の措置をとってきたんですね。一定の条件のもとに都道府県が実施をすることに対して国の補助が出ている。都道府県が実施しなければ国から補助が出ない。こういうことになるわけですが、そして定通教育振興の役に立ってきたと思うんです。具体的に言えば、修学奨励費の支給、教科書等の給与、夜食の補助、修学指導事業、これがあるわけですね。定通が働かないで、全く無職人たちがそこの学校に入っている。定通というのは働きながら学ぶ子供たちのための教育だったからこういう措置をしてきた。こういう問題はこれからどういうふうになるか。例えば単位制は定時制通信制の特別のものであるとすれば、それもこの中に該当するのか、どうなのか、このことを伺っておきたいと思います。
  80. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 単位制高等学校定時制課程通信制課程一つ形態であるというふうに思っておりますので、当然その対象になり得るものでございます。
  81. 粕谷照美

    粕谷照美君 この単位高校の出現というのが、先ほども質問いたしましたけれども、定時制教育の衰退につながらないか。これはどういうふうにお考えになっていますか。
  82. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制高校というのは一番先に、冒頭に申し上げましたように、生徒数そのものはずっと減ってきている。その減ってきているよって立つ要因というのは社会構造の変化、いわゆるそういったこと。そして、全日制への進学率が高まっていったということから定時制生徒数が減ってきております。そういった社会状況から見て、将来その定時制高校生徒数がどうなるのかということを考えますときになかなか予測しがたい。やはりある程度全日制高校へ行きたいという希望が強くて、定時制からの生徒がそっちへ回っていくということが将来として予測されるかもしれません。しかしながら、私たちといたしましては、少なくとも働きながら学ぶ生徒に対して修学の機会は十分保障してやるという基本的な姿勢でこの問題に対処いたしたいというふうに思うわけでございます。
  83. 粕谷照美

    粕谷照美君 鳴り物入りで発足した石川県の金沢中央高校ですけれども、さっきお話したようないろいろな問題の中でもう四月から入学ですけれども、まだ半年たたないうちに既に十八人脱落しているわけですね。それはどういうことかと言えば、その学校がどういう学校であるかということについての本当の理解のないままに低学歴の、まあ低学力というのですか、授業についていけない子供たちが入ってきたり、送り出す先生もまああそこだったら入れるんじゃないかというような形で送り込んできたりする、そんな実態が出ております。これはそういう単位高校に対するやっぱり県民の理解が、あるいは住民の理解が十分ではなかった。特に送り手にも、それからそこを受けようとする子供たちにも十分でなかったわけですから、私はこの学校発足は慎重に慎重に討議をすべきだ、こういうふうに思っております。  それで、もう時間がありませんから、技能連携については全然触れることなしに最後の質問をしていきたいと思います。  そういう意味で、先ほどから定数定数ということを言いましたけれども、教員の数ということを言いましたけれども、八九年をピークに中卒者は急激に減っていくわけであります。第四次高校定数法は一九九一年に達成する、必ず完成しますと、こういうことが言えますでしょうか。大体一九九〇年からは中卒者の減少期に入るわけで、可能な地域からでもやっぱり高校も四十人学級ということをやるべきではないかと思いますが、いかがですか。
  84. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 公立の高等学校教職員定数の改善でございますけれども、これは五十五年度を初年度といたしまして大変な急増期ではございますけれども、第四次の教職員定数改善計画を実施しているところでございます。着実にその推進について努力しているところでございますけれども、その後の問題につきましては、この計画の終了後におきまして臨時教育審議会答申なども踏まえながら種々検討すべき課題だというふうに考えている次第でございます。
  85. 粕谷照美

    粕谷照美君 下向いて局長しゃべるから、私のところに聞こえてこないんですよ。こっちの方向いて口がよく、それで耳に入るようにもう一遍答弁していただけますか。  要は、第五次定数法というものは次にもうスタートする、一九九一年に第四次定数法は終わる、第五次は九二年から発足をしますと、その辺明らかにしていただきたい。
  86. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 今高等学校生徒につきましては、先生御存じのように大変な急増期でございますが、この急増期にもかかわらず教職員定数改善計画を進捗させ、その実施に最大限の努力をしているところでございまして、その後の問題につきましては、その計画の終了後におきまして臨時教育審議会答申趣旨などもそんたくしましていろいろ検討すべき課題ではないかと、そういうふうに考えている次第でございます。
  87. 粕谷照美

    粕谷照美君 まだそういうことを考える条件になっていないと、こういうふうに今お答えになったんですか。
  88. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 先ほども申し上げましたように、今改善計画が進行中でございますので、その着実な推進に最大限の努力を費やしてまいりたいと、このように考えている次第でございます。
  89. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、その答弁に不満でありますけれども、もう時間来ましたからこれで終わりますけれども、やっぱり中学校卒業生が激減していくわけですね。大体七十万人ぐらい減っていく。そういう時期にこそやっぱり高校においても中学校に引き続いて四十人学級をやっていく、そして後期中等教育を希望するすべての青年に保障できるという体制もまたそれとあわせてやっていくべきであろう、これを実現すべきであろうというふうに考えるわけでありまして、文部大臣の私はこの高等学校の定員、定数に関するお考えをお伺いしまして終わりにいたします。
  90. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) いろいろの御指摘をありがとうございました。拝聴いたしておりました。  最後の御質問に対しては、政府委員からも御答弁をいたしましたけれども、今六十六年に向けまして最大の努力をいたしております。その結果を見ましてさらに努力を続けたいと、こう思っております。
  91. 安永英雄

    ○安永英雄君 先ほど大臣の方から定通課程についての所信といいますか理念、こういったものを述べられたわけでありますが、それを要約したり、あるいは局長の方の答弁等を総合しますと、定時制通信制の何よりの目的というのは勤労者への学習機会を保障する、こういうことが貫かれておったわけです。そこで、大臣の答弁の中でちょっと気がかりな点は、生涯教育一環としても考えていきたいという言葉があったわけです。このことが非常にこの法案とのかかわりができてくるわけなんでありますが、文部省の生涯教育についての局まではっきりつくられてやっていますが、生涯教育というものの概念といいますか、文部省が考えている生涯教育というのはどういうものか、これをお聞きしたいと思うんですよ。  この生涯教育という関係になってくると、私はかねがね言っておるように、いつでもどこでもだれでも一生涯勉強できるという機会を提供するというのが私は生涯教育の真髄じゃないかと思うんです、一口に言えば。ところが今からお聞きしたいのですけれども、生涯局あたりでそういった理念に基づいての考え方とそれから施策、こういったものは一体どこにあるのか。これは予告してなかったけれども、お話し願いたいと思うんです。
  92. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 具体にはまた政府委員から補足をいたさせますが、先ほどの私のお答えに対して御質問でございますので、私は大前提といたしまして学校教育あり方、これは生涯を通じて学んでいくという生涯学習理念の重要な基礎部分であるというふうに位置づけてよろしいのではないかと、こう思っておるわけであります。そういう中で特に後期中等教育というのは非常に重要な部分だと思いますし、その後期中等教育あり方というのはどういうものであるかということのよりどころとしては、やはり私は学教法の四十二条に明記されておりますように、その生徒諸君そのもの社会に対する使命の自覚、これがまず一つある。それから自分の個性に応じた進路を決めていくということが二つ目にある。そのために一般的な教養と専門的な分野の修得をしていく場であろう、こういうふうに思ってよろしいのではないか、こう思ったわけであります。  大きい意味ではそういう意味で生涯学習一環と、こう申したわけでありますが、また具体の方では、特に定時制の方は年々やや減っておりますが、通信制の方は大体十四、五万人の方々通信制で学んでおられる。その中には新たな参入がふえております部分は、一度社会人に出られた方々通信制を利用して生涯学習一環として通信制を利用なさっておられる方々もだんだんふえておるように聞いておりますので、そういう意味で具体にも生涯学習一環としての面があるであろう、こういう二つの面から先ほど三つ挙げました。一つ勤労青少年のため、これを一番目に挙げました。二番目には履修多様化が進んでおる。三番目に生涯学習一環という立場で後期中等教育を考えていくということもこれから必要であろう、そういう意味で申し上げたわけでございます。
  93. 安永英雄

    ○安永英雄君 これで時間余りとりたくないのですけれども、基本になる問題ですからお聞きするんですけれども、今大臣がおっしゃったのは、各方面から、私が申し上げただれでもが一生涯勉強していくという機会を与えていくというその一環としてという形で定通関係が出てきたというふうに理解するわけですけれども、私は全貌を聞かなきゃわからぬのですけれども、これは私の推測ですけれども、今までこういった生涯教育の問題が出てきた場合に放送大学がある、これも利用しよう。まだできていませんけれどもね、全国の国民が期待できるような放送大学じゃないけれども。あるいは今おっしゃったような定通のこの学校というものを、定通の現在の在校生徒というのはもちろんのこと、外部からも来てそこで自由に勉強ができるというふうな機会をつくってやろう、こういうふうな発想が強いんじゃないか。そのためにこの生涯教育一環としてということになれば、現在学校教育法の系列の中にある定時制あるいは通信制のこの課程というものを、現在の規制をだれでもどこでもいつでもというこういった方針のもとにどんどん緩めていって、自由に入っていくという、自由にできるというそういう発想があるとするならば、私はよほど考えて慎重にいかなければならぬと思うんですよ。  それが非常に強いんですね、今度のこの改正の問題にしろ、先ほどの話の単位制の高等学校の問題にしろ。生涯教育というもので一般の人が急に勉強をもう少ししたいとか、資格を取るとか取らぬとかいうことじゃなくて、勉強したいという人が入れるような形でやるとすれば、現在のいわゆる、はっきり言えば、学校教育法とかあるいは施行規則とか、こういったものをどんどん緩めていって、さあおいでなさいという体制そのものが生涯教育文部省の構えであるというふうなことが色濃く出てくれば、これは学校体系の中で大混乱を起こします。私は常にこの問題については、二十一世紀に向けての生涯教育を構想するならば、予算取りにしてもあの国土審あたりにもどんどん申し入れをしてみたり、あるいは予算の上からも現在の予算の別枠として生涯教育を進めていく各地域における施設とか、そういったものをどんどんつくっていくのが本来の使命であって、どうも文部省の生涯教育への取り組みというのは、既に自分のところにある何かをちょっとという形ですね。  長くなりましたけれども、この前も私は言ったように、都会の子供に田舎の緑の生活をさせようというんで国土庁は出しているけれども、文部省が出したのは廃屋ですね。田舎の方でもう使えなくなった学校、廃校、これをそれに使うとか、実にみみっちいんですよ。今度のこの改正についても、生涯教育一環のついでだから私はこの際申し上げるんだけれども、もう少し幅広い、まあ文部省の中のあの生涯学習局あたりで考えればこんなことしか出てこないんですよ。もう少し大きな立場で、現在の学校体系というものを壊していくような生涯体系をつくっていくというのには私は賛成できないんですが、どうですか。
  94. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 私が申し上げました趣旨は、先ほど重ねて申し上げさしていただきました。そして、私どもは先生おっしゃることは理解できることでございまして、生涯学習というのは生涯を通じて八十年の平均の人生を常にどこにあっても学ぶということでありまして、それは学校教育の場以外の方がむしろ多いと思いますけれども、それはスポーツもあります。それから趣味的なこともありましょうし、新たな時代に即した学び加えるものもありましょうし、これは非常に広範囲なものでございます。それで、生涯学習一環としてというよりは、生涯学習の中の重要な基礎部分を学校教育というふうは位置づけておるのはそれでよろしいのであろうと。ただ、そういう学校教育を、そういう場には例えば公開講座もありますし開放講座もございますけれども、そういう意味で学校は、ある意味では閉ざされた学校でなくてもよろしいけれども、しかし生涯学習一環学校をどんどん使いなさい、そういうことで今の学校制度をいたずらに乱すということを含めて申し上げておるわけではございません。当然先生の御趣旨も理解をいたした上で申し上げておるわけでございます。
  95. 安永英雄

    ○安永英雄君 つい横道にそれましたけれども、私は大事なことだと思うんですよ。後でまた私質問しますけれども、単位制の高等学校とかあるいは大検とか、とにかく手元にあるものを集めておいて、そして生涯教育の構想でございますのなんのというのは、とにかくこれはけちくさい構想ですよ。私は余り賛成しないんですけれども、臨教審あたりはまだ幅広い答申をしていますよ。  粕谷さんの質問とほとんどダブってしまいましたので、その中でもう少し確かめたいところがありますので、現行の定時制通信制課程の問題について質問をいたしますが、先ほど学業不振、進路変更、こういうことが大きな中退者の状況の要素になっているようですが、もう少し学業不振というのはどういうところからこういうケースが出てくるのか、進路変更ということで中退がどんどん出ていくというのは実情はどうか、もう少し突っ込んだ実情があればお教え願いたいと思います。
  96. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学業不振あるいは進路変更というのは先ほど申し上げたような数字生徒がいるということでございますが、あと大体中退者についてその後の進路状況の調査とかそういったものをやってみました。これについて御説明をいたしたいと思いますが、入学した学校について希望どおりでなかったとする者が五六・五%というふうに半数を超えております。それから、授業が大変難しかったとする者が六〇・九%ございました。それで、高校を中退したときの気持ちについては、高等学校の生活が合わなかったというふうなことを申しておりますのが五五%、かなりいわゆる自分の考えた高等学校高等学校が違っていたというふうに申しておる子供が半分以上いるという実態でございます。  さらに中学校のときの進路指導への要望として、やはり将来の職業についてもっと教えてほしいという者が三五%でございます。それから、高等学校の生活や勉強についてもっと教えてほしいというふうに言っている者が三五%というふうなことを考えますと、私たちは中学校におきます進路指導というのはもっときめ細かにやるべき事柄ではないかというふうに再認識した次第でございます。
  97. 安永英雄

    ○安永英雄君 私はこのあたりの問題を今度の法改正一つのやっぱり観点として考えていかなければならぬと思うんで、時間があればもう少しこれは直接関係がありますので聞きたいと思うんですが、時間がありませんからやめますが、先ほど文部大臣の方でいわゆるこの定通というものについて、特に勤労青少年の学ぶ機会を保障する、このためにあるんだからこれはひとつ大事なことなんだというふうにお述べになりましたが、ちょっと粕谷さんもお触れになったんですけれども、それじゃ実情予算面の問題あたりからお聞きしたいと思うんですが、振興奨励費です。高等学校定時制及び通信制教育振興の奨励補助費、これあたり定時制でどんなふうなことをやっていますか。
  98. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制生徒にかかりますいわゆる定時制通信教育の振興奨励費という中身を申し上げますと、教科書の給与というのが一つございます。それから修学奨励費の補助というのもございます。それから、これは定時制生徒でございますが、夜食費の補助、それから修学指導事業業費の補助というのが生徒との関係で文部省で行っております奨励的経費でございます。
  99. 安永英雄

    ○安永英雄君 一番私が関心を持っておりますのは修学奨励費の問題ですが、ことしの概算要求ではどんなふうに出していますか。
  100. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 修学奨励費につきましてはいわゆる公立と私立とございまして、特に今度の概算要求では私立の生徒に対する修学奨励費の単価アップということを概算要求の中に入れてございます。  具体的に申し上げますと、新しい一年生につきましては月額一万六千円の貸与額にいたしたい、これは前年度に比べまして二千円のアップでございます。それから新二年生につきましては、一万三千円でございましたのを一万四千円にしたい。それから三年生につきましては、一万二千円でありましたのを一万三千円にしたい。それから四年生につきましては、一万円でありましたのを一万二千円にしたいということで、総体修学奨励費については月額単価をアップしたいということで概算要求を行っている次第でございます。
  101. 安永英雄

    ○安永英雄君 私は結構なことだと思います。しかし進みぐあいが非常に幅が狭いと思うんですが、これは公立の場合は前年度と同じような要求をやっているんですね。そして、私立と公立でもう随分差があるんですけれども、これはどういうことで差があるんですか。
  102. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 公立の場合を申し上げますと、確かに大体一月八千円ということで概算要求を出しておりますが、前年と大体同じということでやっております。結局、私立の方は授業料も高いですし、いろいろなものに金がかかるだろうということで、私立について手厚く補助をいたしたいということでございます。
  103. 安永英雄

    ○安永英雄君 現行の定時制通信制に対する熱意というのはわかるけれども、内容は非常にやっぱり貧しいですよ。例えば今の奨励費あたり、これは実際は貸し付けでしょう、貸与なんでしょう。卒業したときにはパアになるんじゃないですか、これは。
  104. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) これはまさに修学奨励費でございまして、とにかく高等学校卒業してほしいということでやっておりますので、無事卒業できればこれは返さなくても結構でございます。途中で学校をやめたということになりますと、それは返していただくということで、何とか卒業をしてもらうために奨励費を出しているということでございます。
  105. 安永英雄

    ○安永英雄君 私は、ここらが貸与という形だから、私学もそれから公立関係も思い切ってここらあたりの金額をふやして要求する考えはないかと私は思うんですよ。貸与なんですよ、これは。実質はこれは卒業すればやるというんですけれども、これだけ中退者が出たときに取り返すんですか、これは。どういう方法で取り返すんですか、卒業しなかった中退は。
  106. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) それは具体的には各設置者の方で戻していただくわけでございますが、その方法論というのはちょっと私も具体的にどうやって返させるかということについては、そこまで承知いたしておりませんけれども、考え方としてはそういうふうになっておるわけでございまして、なるべく卒業してほしい、返さなくてもいい、そして卒業してほしいということで修学奨励費を運用いたしたいというふうに思います。
  107. 安永英雄

    ○安永英雄君 この奨励費の問題は、時間がありませんからこれ以上聞きませんけれども、やっぱり返還をめぐってのトラブルがあるんですよ。特に二年まで行っておったらこれ返還しないでいいとか、一年のときならば返還してもらうだとか、いろいろあって、これはこれだけ国の方で予算を要求していくわけで、これに各県がどれだけつけるかという問題は別としても、これはあくまでも返還という形になっている問題で、これは追跡調査をやる必要があると思うんです。わずかな金とはいっても、ここらあたりは国の方の、先ほど定通を重視するというふうな考え方からいけば、これはそういった各県の解決方法というのはいかぬのじゃないかというのがたくさんあるんですよ。これあたりは要望しておきますから、これはぜひひとつ調べていただきたいというふうに思いますし、対策を打っていただきたいというふうに思います。  次に、ちょっと出ましたように、留年ということがあるんですね。これは公私立高等学校におけるいわゆる原級とめ置きですね。これの実情というのはどういうふうになっていますか。
  108. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 昭和六十一年度の公私立高等学校定時制におきます原級留置者数は九千二百五十一人でございまして、全日制と定時制と合計いたしますと三万七百四十二人という状況になっております。原級留置者の在籍者に占める割合といいますのは、全体合わせますと〇・六%でございますが、定時制におきましては六・三%でございます。なお、学年別に見ますと、一年生で四千七百人、それから二年生で二千四百人、三年生で千五百人、四年生で五百十六人というふうに、低学年になりますほど原級留置者が多いという状況に相なっております。
  109. 安永英雄

    ○安永英雄君 ここあたりが非常に定時制ではまた問題になってくるわけで、今後我々もやっぱり考えなきゃならぬ点だろうと思うんです。  後で掘り下げて質問いたしますけれども、今度の改正案、その前に出された省令、これあたりで学年の枠というのを一応外すというふうになっているわけですが、これはこれで一つの救済措置はできないものかと私は一応考えるわけですが、これとの関係はございませんか。
  110. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 現在、定時制高校につきましては、やっぱり学年制ということでやっておりまして、現在の御提案しております法律案修業年限を変えたわけでございまして、学年制の方はさわっていない。したがって、学年制というのが基本になっております。ただ、単位高校につきましては学年制を取り払いまして、単位の集積でもって卒業ができるということでございますので、単位高校の方については原級留置という問題は余り生じてこないのですが、定時制問題については今そこまで踏み切っておりませんので、その問題はこれからの検討事項だというふうに考えております。
  111. 安永英雄

    ○安永英雄君 今の現行法規の中ではできないということでしょうけれども、これは検討するとおっしゃるけれども、例えば実態としてその学年学年でもう少しなれば進学できるのにという、まあ成績の学業不振という、てんで話にならぬというのは、これは別ですけれども、出席その他の問題で、仕事の関係その他の問題でもう少しで取れるのに、原級とめ置きでまた四月からそれをずっと進めていっているというような、私は気の毒な実態を知っているんですよ。  そういった点でこれの救済措置というのは、何か追試をやってやるとか、それから休暇中あたりにまた出席をして取らせるとかしないと、これは特別な場合でして、勤労青少年の場合は学校に行きたくても自分の会社、工場、その他の大きな仕事が入ってきてどうしても学校に行けない、行けないから出席の時間が足らない、もう少しで二年生に行くのに一年生でまた四月から同じことをやる。こういうところの配慮というのは、検討しますということでございますけれども、早急にやっぱりこの問題の解決はしてあげないといけないんじゃないか。もうてんで先ほどのように方針変えて今から行きますよというのやら、ただそこでいっときおればいいという、そして大検の勉強ばかりやって籍だけは置いておるというふうな者もおりますしね。そんなのはいいとしても、本当に勤労青年が働いて、決まった単位、決まった出席、そういったものの中で確かにそういうことで切れていくというのはやっぱりかわいそうだと思いますので、これは検討してもらいたい。  これは検討するということですから答弁要りません。一応終わります。
  112. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時まで休憩いたします。    正午休憩      ─────・─────    午後一時二分開会
  113. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、学校教育法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  114. 安永英雄

    ○安永英雄君 本法案の内容に少し入る前に確かめておかなければ質問がとんだところに行きますのでお聞きしておきたいと思うんですが、提案された法案の提案理由あたりを読みますと、高等学校定時制課程と通信課程修業年限を現在の四年以上から三年以上に改める。定時制通信制との連携による技能教育施設の指定を現在の文部大臣の指定から都道府県の教育委員会の指定とするという改めをやる。この法律案内容はこの二つだけだというふうに言われております。  後でまた申し上げますけれども、お聞きしたいのは、これを四年のものを三年にするという、その提案の趣旨というのは、先ほどからもお話がありましたように、現在でも八十単位というのを取っておるところが相当ある。したがって、取っている人がこれは三年で取っているわけですから、後の一年間どうにもならないということで、三年の人がそんなにおるから今度四年を三年に改めたんだという極めて単純な方向であるという説明を受けたんですが、そのとおりですか。それだけですか。四年を三年に縮めるというのは、現在おります、八十単位を悠々と取る者がおるので、この人のために四年を三年に持っていったということですか。
  115. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 先ほど御説明いたしましたように、現在でも八十単位を三年間で修得している学校がございます。その学校については既に卒業に必要な単位が取れているわけでございますので、そういった学校は三年で卒業をさせようとすればできるわけでございますので、そういったところについて道を開くということでございます。
  116. 安永英雄

    ○安永英雄君 それだけ聞いておけばいいわけです。それだけの理由ですね、提案の理由というのは。わかりました。それじゃ、やっぱり相当問題があります。  まず、本年の三月三十一日に文部省令の五号、六号、そして学校教育法施行規則の一部改正と、これにかかわります単位高等学校教育課程というものを内容とした省令が出ている。察するに、近々の問題だということで単位高等学校というものをつくるためには、現在の施行規則というものと、それから規程というものをつくらなきゃ間に合わないということで三月に出されたというふうに推測するわけですが、そのとおりですか。
  117. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 単位制高等学校につきましては、従来からこういった高等学校の発想というのがなされておりまして、臨教審でも御指摘もあり、そしてまた都道府県の教育長協議会等でも御検討が進んできたわけでございます。そこで単位制高等学校はいろいろな形で学習者が学びやすいような方法ということで新しいタイプの定時制通信制課程の中にひとつ単位制高等学校というものを発想したいということで今度そういう制度を設けたわけでございます。
  118. 安永英雄

    ○安永英雄君 それでは、二つに分けて、まず第一番目に施行規則の改正内容、それから趣旨を説明してください。
  119. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学校教育法の施行規則の改正内容は、学校教育法の施行規則によりますと、高等学校におきます学年の課程の修了を認めるに当たりましては、生徒の平素の成績を評価してこれを定めるということで学年制というものを、学年で課程を修了させるんだという学年制というものを基礎に置いているわけでございます。したがいまして、学校教育法施行規則を改正いたしましてこの点を外す、といいますのは、学年制の枠を外して単位制の集積で高等学校卒業までいけるという、いわゆる学年制を外すというのが学校教育法の施行規則の改正の目的でございます。
  120. 安永英雄

    ○安永英雄君 私はこれは相当学校法律、規程そのものの中では非常に大きい、そして初の問題じゃないかと思うんですよ、この施行規則の改正は。だから、私は基本的にはこれは法律事項だと、そして我々はここで十分審議しなきゃならぬのだという認識を持っているわけです。そういった意味で私は申し上げるんですが、そうすると、これは先につくろうとする、またもう既に発足をしております単位高等学校ももちろんそうでしょうけれども、現在の定時制通信制高等学校、これにも施行規則というのは及ぶのじゃないかと思うんですが、そこらはどうですか。
  121. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制あるいは通信制課程については、原則は学年制ということでやっておりまして、その特例として単位制高等学校というものを設けた、そして単位制高等学校教育規程というものを設けているということでございまして、定時制通信制が全部単位制になっているということではございません。
  122. 安永英雄

    ○安永英雄君 そこが非常にあいまいなんですね。あなた方はあくまでも単位制高等学校というのを現在のいわゆる定通課程というものの何かちょっと変形したものなんだと。だから現在の定通、その中で生まれたのが今度の単位制の高等学校なんだという大体考え方でしょう。そこは間違いありませんか。いわゆる法制上、この単位高等学校というのはどこに入っているんだ、法制上は。
  123. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 法制上は、今高等学校は全日制、定時制通信制と三つの学校がございます。そこで単位制高等学校というのは定時制通信制の中の一つ形態であるというふうに理解いたしております。
  124. 安永英雄

    ○安永英雄君 だから、実際の場合は単位高等学校の方のいわゆる学年の枠を外す、しかし現実には現在の定時制通信制高等学校の方は学年は外しません、こういう法的な配列というのはありますか。当然あの法律まじめに見れば、まともにいけば、これはそれを適用する適用せぬは別として、現在の定通課程の方にもこれは門戸を開いておるという認識に私は立っているんですけれども、そういう解釈はできませんか。それだったら別ですよ、これは。わざわざ施行規則を改正する必要はない。
  125. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 先ほどから申し上げましたように、定時制通信制の中に入っている一つ形態としての単位制高等学校ということで申し上げましたので、単位制の集積で出れるというのは単位制高等学校である。しかしながら、ですから、今あります定時制通信制高等学校がそういった単位制高等学校に転換をするということができる道を開いた。ですから、一般的な定時制通信制高等学校については、これは学年制というものを、従来どおりそこまで緩めておりませんので学年制というものがある。単位高校については単位の集積だけでいけるというふうなシステムにしたわけでございます。
  126. 安永英雄

    ○安永英雄君 あなた方ね、今そう言っているけれども、いつの間にか取っ払うんですよ。法律の中で改正したところの中に、単位制高等学校だけとは書いてないんですよ。施行規則の中で現在の定時制高等学校、通信制高等学校、この中の学年というものについてこれを学年を設けないでもいいことにできると、こう書いてあるから、あの法律そのものを読めば一応形式的には、やるやらぬは別として、形式的には既に学年を取っ払ってもいいような内容法律の表現の仕方はなっているというふうに私はこれは素直に見るんですが、それはどうですか。
  127. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学校教育法の施行規則の改正は、従来から学年の枠をはめておりましたその学年制というものを定時制通信制に限ってはそれを枠外にすることができる、枠の外に置くことができるというふうな規定を置いて、そして単位高等学校教育規程の方で、単位制高等学校については単位の集積でいいです、学年の枠ではなくていいというふうな両方の規定を読み合わせることによって、単位制高等学校単位の集積でいく、通常の定時制通信制についてはそこまで枠が外れていないというふうな解釈をいたしております。
  128. 安永英雄

    ○安永英雄君 それは言い逃れですよ。あの法律そのまま並んでいるんじゃないんだから、並んで次の箇条に書いてあるんじゃないんだから。片一方は規程でしょうが。片一方は施行規則でしょうが。施行規則の方でそれを勝手に解釈、読むということじゃなくて、こっちの方が主体なんだから。だから答えなさいよ、あなた。これは定通のこれにもやろうと思えば、これは学年の枠も外すことができますよということになっておるわけですから、法律の施行規則の中にあって、そんな言いわけ書いたものないんです。私はその点の取り扱いはおかしいと思うのですよ。もう一遍言ってください。
  129. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学校教育法の施行規則と単位高等学校教育規程はそれぞれ文部省令でございます。法令の重さといいますか、優劣ということはございません、この二つの法律については。したがいまして、同等の文部省令両方をつけ合わせて一つ制度ができているというふうに理解いたします。
  130. 安永英雄

    ○安永英雄君 あくまでもそう言うなら次の方に進んで反論しますけれども。  そうであれば、学年の枠を外すということになれば、これは私は規則じゃなくて、これは学校教育法改正の段階にならなければいかぬし、これは立法府も行政府もどこもそれはやっぱり法律の中で討論をし、結論を出し、そしてやらなければ、ただ文部省の方の権限に属する行政の指導の立場から、勝手に現在の学校教育の中における学年を外すということは、私は重さが違うと思うんですよ、これは。  これは大臣にも聞いてもらいたいと思うんだけれども、私はいつも言うようにあの膨大な、私に言わせれば二百五十箇所ぐらいの、二百五十点ぐらいの教育全般にわたる臨教審答申、全部法律の頭の中にはこのごろ臨教審答申によりと全部書いてある。その取捨選択について私は申し上げたことはあるけれども、何か文部省錯覚しているんじゃないか。国会以上にあの臨教審答申というものを考えているのじゃないかという私は気がする。臨教審答申の中にこうあるからといって、国会にもかけずに自分のところの権限の将来における施行規則とか、省令とか、こういうもので、こなしていこうという考え方というのはこれは危険ですよ。大臣その点どうでしょうか。今みたいな形の重要な学年のほか、まあ大学は別ですよ。私は大学は別と思っています。少なくとも義務制と高等学校の間においてこの学年の枠を取っ払っていってしまっていこうという考え方というのは、これは画期的なことなんです。よほどの理由がなければこれはできないですよ。  先ほども言ったように今後の問題もありますから、臨教審答申に出てきている、だから国会にはかけずにその点を、先ほども申しましたようにたった二点、四年制というものを三年にする、それで研究してと、たったこの二つを皆さん審議してくださいと、こう言っているけれども、まず第一番に私は施行規則でこれを片づけようとする考え方というのは危険だと思うんです。そして今局長に聞きますというと、非常にわからないですけれども、わからないけれども、何だか現在の定通教育課程の中で学年を外さないのだ、そして片一方の単位高等学校については外すんだ、そのために政令をかえたのだと、こういう説明では納得いかないんですけれどもね。これはもう現行法の枠内でとか、あるいはまたみみっちい規則とか何とかせせくって、そして何といいますか、学年を取っ払うなんていうのは、そんな文部省内でできる仕事じゃないと私は思うんです。その点についての文部大臣、ちょっと御意見を伺いたい。
  131. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 二つの御指摘があったと思いますので、端的に申し上げますが、一つは何でも臨教審によってこの国会を軽視しておる点がありはしないか、こういうことでございます。  私自身は臨教審の前に既に大前提があったと考えておるわけでありまして、それは社会そのものが成熟度を増しますと、社会そのもの多様化、個性化、国際化をしておる。そういう大前提がありまして、その社会変化にみずから対応できるような青少年を育てるにはどうしたらいいのか。そのためには学校教育そのものがやはり対応して改革していく必要はあろうな、こういう大前提がありまして、そしたらどうしたらいいのかということを臨教審で御審議をいただいたというふうに私どもは考えておるわけでございます。ですから、その社会変化対応していくことについては私ども常々考えておかなければならぬ、こう考えております。  二番目の点でございますが、それほど重要なことを法改正でなくして施行規則の改正でやっていいのかなと、こういう御指摘でございます。私どもは学校制度の基本にかかわる問題、これは当然のことながら法律、学数法によるものと考えておりますが、今回の問題、少なくとも学年制による教育というものの中から、学年制が余りにもある意味で生徒諸君の履修を縛りつけているところはありはしないかと。これは午前中の御質疑の中で、例えば一科目取れなかったために留年をしなければならない、こういうことは、あとはもう履修したにもかかわらず働きながらもう一回同じことをやらなければならぬということは、やはり履修の上で過分な負担をかけるものではないだろうか。一方では、先生おっしゃるように、これは追試験をやって取らしたらどうかということもございます。  また一方で、それほど学年制が縛りつけるものならば、この学年制というものを緩めてみたらどうであろうか。これ特に働きながら学ぶ方々にとっては一つの福音としての方向になるんではないだろうか。したがって、特に働く方々定時制通信制という中で、その履修形態を変える部分を設定したらどうであろうかと。この部分はもちろん定時制通信制学校教育としての基本は変えないわけでございますから、その中の履修形態をやや変更してみよう、それは働く方々にとってプラスであろうということがありまして、しかもこれは中等教育の個性化を推進していくというような協力会議方々にも十分御審議をいただきまして、単位制、つまり学年制にこだわらない教育方法というものをとってしかるべきであろう、こういう御討議もいただいた後で、まあ履修形態の変更でございますので、これは私どもの施行規則の変更でお願いをできる部分であろうと、こういうふうに考えて行ったものでございます。
  132. 安永英雄

    ○安永英雄君 大臣がおっしゃるのはわからぬことはないですけれども、あくまでもやっぱり単位高校というのを現在の定時制通信制というものと結びつけて、その一環として学習形態が変わったものをつくろうという、そこに問題がいろいろあってきて、こちらもぐあいが悪い、こちらもぐあいが悪いんですよ。  私はもうはっきり結論申し上げますと、単位高校というのは一つ項目を起こして、そしてはっきり法的にも裏づけして、こういう高等学校なんだというのを新しくつくるというふうにしないと、現在の定時制高校通信制高校にも迷惑をするし、こちらの方にも迷惑がかかるんで、これははっきり断ち切って、そして今度の国会あたりはこれを一緒に出すべきなんですよ。それをもう省令の中で片づけたり、そしてその根拠を定通に求めておるからですよ。だからそういうことになってくる。だからこっちの方は改正したけれども、これは学年の枠は破らぬのです、こちらの方は破るんです、そのために通達出したんですと、こういうことを、ややこしいことを言わなきゃならぬということで、私は基本的にはそういう考え方を持っている。  そこで問題が、一環として学習形態一つの変形として単位高校をつくって学年の枠を外すと、こういうふうなところに私は問題があると思う、学年の枠を外すということについて。私は大学はいいと思うんですよ。大学はいいと思うんだけれども、例えばこのカリキュラムの配列あるいは単位の配列、単元の配列、こういったものについては何を一番考えなきゃなりませんか。局長にお聞きしますけれども、この教育課程審議会とかいろいろあって、現在の審議会課程、これがいいのか悪いのか、どこを改正すればいいのかという物差しは何ですか。
  133. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学校カリキュラムを組みますときには、やはりカリキュラムの系統性というのはもちろん基本にあると思います、順序というものが。しかしながら、いわゆる生徒、今度は生徒の個性、生徒の意思というものによって単位を取っていくという方法論も考えた方がやはり生徒側の立場に立てばいいのではないかということで、現在行われております単位高校というのはかなり選択の単位をたくさん提起をいたしたりしている、いろいろな形で単位の幅広い選択ができるようにしている。したがって、そういったことで子供が自分の適性に応じた単位をずっと取っていって、そして最終的に高等学校卒業するということまで行きやすいような方法ということで単位制高等学校は志向したわけでございます。
  134. 安永英雄

    ○安永英雄君 行きやすいようなという形で学年を取っ払う理由にはなりませんよ。だからいろいろな人がおるという、個性を伸ばすためには学年も何も考えぬでよろしいという結論は出ませんよ、これは。そうでしょう。どうですか。普通の一般的な学校にも考えてごらんなさい。これは同じ学校で学ぶ形態として考えてごらんなさい。個性を伸ばすためにはもう学年のことも要らない、あの子はもう二年の課程へ行ってもよろしい、三年課程へ行ってもよろしい、あの子はいかぬからといって個人個人にしたら個人個人のカリキュラムつくらにゃならぬ。とてもじゃないがそんな学校教育できませんよ。私の言っておるのは、一般論として小中学校、義務制、それから高等学校、この段階においては学年の枠は必要だ、単位高校にしてもしかりと私は言っておる。  これはもう時間がありませんから私は申し上げますけれども、これは現在の文部省の規制緩和とかなんとか言っていますけれども、頑として譲らないのはいわゆる教育課程の編成。変な編成したら今処分の対象ですからね、法的拘束力あるからさわっちゃいかぬと、こう言うわけです。ここらあたりも緩和した方がいいんですよ。私はこれは別の機会に申し上げるつもりなんです。こんなところで緩和したら大変なんですよ。  だから、例えば私ども、文部省が一試案として学習指導要領を示して、それでこれをおまえ一つの参考にして、そして自分自分でその学級のカリキュラムをつくりなさいと。あの時代の私は教師をやっておったから、私は大体小中学校から高等学校までこれはカリキュラムはもう随分研究し、つくったものなんですよ。そのときの原則というのが、一つはやっぱり児童生徒の心身の発達の段階というのをよく見きわめなきゃならぬというのが大原則なんです。その次に、学問の体系を崩しちゃならないという、崩れておりはせぬかという問題。三番目が社会の要求なんですよ。これは国の要求と言いかえてもいいし、社会の要求と言いかえてもいい。この三本柱が今でもやっぱりあの審議会で、現在の教育課程は間違っていないか、時代の変遷によってこれは変えなきゃならぬのじゃないかとかいうあの検討のときには、この基本にあるのはこの三つですよ。  この三つで見ているわけです。心身の発達の段階にここのところはやっぱり無理があるんじゃないか、ここでこれを教えてはちょっと無理なところがある。だから今改定案何か検討して出すんでしょう。あれがまた大々原則としての学問の系統の中を飛び離れてやっておったら困る。これは点点とやっぱりあるんです。そして、最後のいわゆる社会の変遷とか社会の要求、こういうところがやっぱり今の時代では要るんだというのを考えながら、この三つでやっていくわけです。その一番原則的なものは、何といっても小中高においては心身の発達段階というのをよく見なければならぬわけですね。  もう時間がありませんから私は申し上げますけれども、高等学校まではこれをやらないと高等学校の一年生と三年生というのは随分違うんですよ。大学に入ったときと卒業するときは余り変わりやせぬです、入ったときから勉強せぬですからね。これは余り変わらぬからどこで単位取ってきてもいいけれども、高等学校まではやっぱり今いる学年に応じたカリキュラム教育課程というものを組まなきゃならぬ。それが今度はその枠を外すんですからね。あなたが言うように、取りいいように取りいいようにと説明するけれども、取りいいように取りいいようになんて、一年生のときに三年生の大体今の相当数単位を取っておいて、あそこから持ってくる、ここから持ってくる。それをためておいて、おお、これで八十単位になった、おまえはもうこれで卒業させる。これは余り便宜を考え過ぎて、基本を忘れていませんか。学年の枠を外すというのは、根本的にまた討論をして国会の中で十分やっぱり練り直してやらなければならぬ問題なんだということを私は申し上げたんですけれども、その点はどうですか。
  135. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 高等学校全体について、全日制、定時制ひっくるめまして、今の学年制でいいのか、単位制でいいのかというのは、これは非常に十分考えて検討すべきことだというふうに思っております。  そういった点で、午前中ちょっと私はお答えいたしましたが、今の学年制に見直すところはないのかということから、学年制と単位制の兼ね合いの問題というものは、やっぱり今後の検討課題として重要な課題だろうというふうに認識いたしておりますが、この問題は、この単位高校というのは、定時制通信制課程の中におきます一つ形態である、履修形態を変えたものであるということで、働く生徒の側から見れば、おっしゃるとおり、午前中にも御議論がありましたように、勤務の都合で一単位取り損なったということが、やっぱり学年で押さえ込んでおく方がいいのかどうか、そういったこともございます。そういったこともございますから、単位の集積というものによって卒業ができるという学校があってしかるべきである。  もう一回繰り返しますが、全体の単位制か学年制かという問題は、これは私は十分検討を今後すべき問題だというふうに考えております。
  136. 安永英雄

    ○安永英雄君 これは検討を私は要望しておきます。  学年のあれというのは、私が心配しているのは、今の話は単位高校の問題なんですけれども、あくまでもやっぱり今度の施行規則を変えたときには、現在の定通制の方もあの枠は入っているんですよ。ただ、しないだけなんですよ。学年を守るというだけの話であって、法律上は変えられるんですよ、もう改正したんだから。学年を越えてもよろしいというただし書きつけているんですから、今度改正して。私はそこまで波及していったら大変だと思って言っておるわけです。だから、これは検討の余地が十分あると思うんです。いつの間にか取りやすいように取りやすいようにと、それでこれは成人教育とか、何とかこういううちに取りやすいようにと。それならちょっと定時制に行ってこようかと。定時制に行ったら学年も何にもない、単位を集めたらいい。私は、夜は放送大学の方の単位も持っておる、これもこっちへ使えはせぬかというふうなことで安易にだんだんなっていったら、現在、午前中、大臣が非常に定時制高校の重要性というものについてお述べになりましたけれども、私はそれが壊れていくような気がする。高等学校全体の教育というものが壊れていくような気がするんです。今、あしたこれができたからといって普通の全日制の高等学校もどこも学年を取っ払うようなことはしないと思うけれども、だんだん、その法律というのはそのままあるんですから、いつの間にかそういったら大変なことになるという私は心配をするものですから、この点については、当面出ておる単位制の問題についての学年を外すという施行規則の改正についてはさらにその弊害をなくすような事後の手当ても必要だし、この点についての検討をお願いしておきたいと思います。  それでは、単位高等学校教育規程、この三条について説明してください。
  137. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 第三条は入学、卒業の時期の特例に関する規定でございまして、現行制度におきましては、入学は四月、そして卒業は三月とされておりますが、現実問題、既に社会人になっているといったような多様な生徒を受け入れるためには学期ごとの入学あるいは卒業というものも可能にいたしたいということで設けた次第でございます。
  138. 安永英雄

    ○安永英雄君 これがまたとにかく学校形態を整えておるのかという、先ほど申し上げました学年を取っ払うという問題と、今度はこれは学校教育法の中でぴしゃっと書いてあるんですよ、四月に入学して三月に卒業すると書いてあるんです、皆。それを取りやすいように、いろいろな人がおるからということで、とにかく学期の区分に従って生徒を入学させるというんです。いつでもとにかく入学ができる。三月まで待たぬでいい。こういう緩和の仕方はちょっと学校形態の上からいけば異様な感じがする。ここらあたりを実際の問題として取りやすいようにという考え方からいくのか。あるいはこれを一たん個々にやっていったら広がっていって、別に四月に入学せぬでもいつでも入れるというふうに、これが先ほどと同じように逆流してくると非常に危険があるわけです。この点については、実際これはどんなのでしょうか。現在もう三校出ているんですが、こういう例はもう既に出ていますか。四月に入らないで二学期のところから入ってきたとか、そういう実例はどうですか。
  139. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) ことしの四月から三校が開いたわけでございまして、まだ三校は四月入学ということで、その他の学期の区分に従った入学ということをやっているところはございません。
  140. 安永英雄

    ○安永英雄君 これはまとめて後から要望したいと思いますが、四条の説明をしてください。
  141. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 第四条といいますのは編入学の規定でございまして、現行制度におきます編入学の規定は学年制を前提といたしておりますので、そういった学年制を前提としたということを今度取りました関係上、その所要の調整を図ったという規定でございます。
  142. 安永英雄

    ○安永英雄君 この四条は「相当年齢に達し、相当の学力があると認められ」、「相当の期間を在学すべき期間として、これを許可することができる。」と、非常にあいまいなあれなんですけれども、現行法はどうなっていますか、ここは。
  143. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 現行法は一般的な学校についての書き方でございますが、学校教育法の施行規則の六十条で第一学年の途中または第二学年に「入学を許可される者は、相当年齢に達し、」当該学年に在学する者と「同等以上の学力があると認められた者とする。」ということになっております。
  144. 安永英雄

    ○安永英雄君 そこの違いを説明していただきたいと思うんですが、表現でも「相当」というのは「相当年齢」のところは「相当」ですね。「各学年の課程を修了した者と同等以上の学力」、これでないとだめなんですね、現行法は。ところが、今度は相当相当というのを全部つけちゃって「相当の学力」、「相当の期間」、いわゆるそれだけの学力以上のものがなければ入れないのに、相当相当というのも、これも先ほど言った入りやすいということなんですか。ここらあたりを簡単に変えられちゃ大変なんですが、幾ら単位制高等学校といえども。前学年の「課程を終了した者と同等以上の学力がある」ものと認められる者でしょう。大体これを読みますと、大体の、ちょっとは悪くても適当な、「相当の学力」というのは解釈のしようがあってだれでも入れる。確かに入れます、これをやると。これはもう「同等以上の学力」となっておらないと今受けつけないんですけれども、これは実際問題から来た問題ですか。  例えば、昼の全日制の高等学校を中途でやめちゃってこの単位高等学校に入ってきたときの前の学力、こういうのは、あそこをやめてくるのだから大抵よくはなかろう、だから学力以上と言うたら全部入れぬから、相当相当ということで大体入れるように、こういう実情でこういう変更をしておるんですか、どうですか。あいまいな学校ですよ、これ。
  145. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 現在の学校教育法の施行規則は、これは学年制をやっていますから、第一学年の途中で、あるいは第二学年に入学する者、学年制ですからそういうふうに表現ができるわけです。しかしながら、今度の単位制高等学校は学年制をとっておりませんから、その第何学年という言葉がここでは表現できない。とすると、これは非常に法律技術的な話になりますが、考え方は変わったものではありませんけれども、考え方を踏襲しながら、学年制をとっていない高等学校についてはその学力が同等である、そして相当の年齢に達しているということは、高等学校の二年生であれば十七歳、十七歳になっていれば二年生のところに入ってくる。そういう学年制をやめたということに伴います法令上の表現の仕方として非常にわかりにくいことになっておりますが、従来と変わったところはありません。
  146. 安永英雄

    ○安永英雄君 それならまた表現の仕方があると思うんです。学年を取っ払ったからどこから入ってくるって、どこから入ってくるかというと、大体学期制をとっておるんです。だから、この中でその学期において同等以上の力を持っておる者を入れると書けば、変わらないのなら書きようがあるけれども、「相当」というのは相当これはぼかしておるんですよ。この点は私は不明確だと思う。前と変わらぬなら変わらぬ表現を使った方がいい、私はそう注文つけておきます。  とにかく、何かこのあれを見ますと、落ちこぼれをとにかく全部ここのところでさらえばいいんだ、優秀な者だけが高等学校から大学へ行けばいいんであって、落ちこぼれたのは全部ここに入れて、相当相当ぐらいのところを集めて受け皿にしようというような感じがしてならないんですけれども、この単位高校というのは。  六条の説明してください。
  147. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 六条は、科目の開設等に関する規定でございまして、単位制高等学校におきましては履修形態多様化弾力化を図るために多様な科目の開設、あるいは昼夜開講制等も行うように努力をしてほしいという規定でございます。
  148. 安永英雄

    ○安永英雄君 多様な科目を開設してよろしい。これはあくまでもあなたの説明によると、現在の高等学校の中における定時制高等学校、通信制高等学校という性格を根っこに持ちながら、多少違ったという形態単位の中で、ここだけは多様な科目を開設して「複数の時間帯又は特定の時期における授業の実施その他の措置を講ずるよう努めるものとする。」、校時もへったくれもあるものじゃない。学年の枠を取っ払い、学期、これを取っ払ってしまって、入学するときのあれも取っ払う、そして教えることは何か。学校には校時というものがありますよ、一時間目何時何分。その校時も取っ払ってよろしい。  私はもう時間がありませんから申し上げますけれども、説明は要りません。とにかく八条、十条、次々にいきますというと、先ほど局長がおっしゃったように、取れるように取れるようにというふうにやって、この学校はいわゆる学校教育法における学校じゃない。何にもないですよ、これは。とにかくこれは、仮にも専修学校見てごらんなさい、各種学校見てごらんなさい。ちゃんとやっぱり現在の学校体系の中できちんとやっていますよ。一時間目は何する、二時間目は何する。一年制で三月に卒業して四月に入学する。何でもきちんと全部学校という名のつくところは決まっているけれども、余りに、だれが要求しておるのか知らぬけれども、臨教審がこういうことを私は望んで出しているんじゃないと思う。生涯教育の中に取り入れるなんというような学校じゃないですよ、これ。  学校はとにかく大事な単位さえ集めればそれでよろしい、卒業させる。こういったことで、取りいいように取りいいようにと。親切はわかるけれども、そのことによって与える他の方にはね返る影響というのは大きいですよ、これ。将来この学校一つのまともな、あなた方が言うように現在の定時制、いわゆるこれは高等学校だというふうにこれがいつの間にか、国会にもかけないで法律もかけないで、いつの間にか政令で何とは知れずに認知されぬまま一つの立派な高等学校の資格を待ってくる。しかしやっていることはとてもじゃないがそういうものじゃない。単位さえ取ればよろしい。学年のことも考えずに入学はいつでもいい。教えることはとにかく多様な科目をどんどんつくってよろしい。教え方によっては、何といいますか、ある時間ぶっ続けにやったり、重複を兼ねてもいい。校時も自由。これは私は学校じゃない。文部省が各部道府県に推奨するほどのものじゃない。やるのなら各都道府県に任せなさい、そういった対策は都道府県がやるよ。そしてあなた方の方はそれについての援助を資金的に予算的にやっていくという方がいい。  文部省の恥ですよ、こんなの指導して、今三校できているというけれども。そして何か聞くと各県に推奨しておると言うけれども、文部省が推奨するほどの高等学校じゃないですよ、これ。推奨して受ける方は何かといったら、粕谷さんが午前中に説明しよったように、各県に行ってごらんなさい、定時制もてあましておる。入る者も定時制少なくなっておる。もう定時制をやめようと思うけれどもやめられない。金だけはかかる、県費が。そこに三年制のやつが来た。予算上もこれは非常に金要らぬのじゃないか。先生の数も四年制から三年制になるのだから要らぬのじゃないか。文部省も腰入れているから多少は補助金くれるだろう。高等学校だけれども、県のこれは設置の責任だけれども、文部省が推奨するならそれだけの文部省の見返りというものはちゃんと来るだろう。だからもう少し見ておってみよう。これが単位高校についての各地域の見方なんですよ。だからといって余りこういうものを推奨していったら、高等学校の品位にかかわりますよ。  今言ったような生涯教育一環にしようとか、あるいは、もうはっきり言えば落ちこぼれ、こういったものを救済するところが要るじゃないですかと言うんだったら、別の法律でもって、きちんと、私はその趣旨に沿った高等学校というものをつくるべきだ。無理にとにかく現在の定数に関係させない、こういう考え方でいかないと、今度提案されておりますこの一部改正というのも、こういうにおいがぷんぷんするんですよ。ただ単に四年を三年にというだけですと言うんだけれども、その単位の取り方その他については、これが波及していったら学年もいつでも外す体制はできている、今は外さないが。そして、多様な単位の科目をつくってもよろしい。場合によっては落とさぬように、先ほどは、午前中質問したように、落とさぬようにすると、学年、ちょっと枠を外しておって、留年はさせないで、次の単位足らぬときその次に頑張らせるとか、こういう方法もできるということで、これは文部省が考えておるこの単位制の高等学校というのは私はとんだ方向に行く。それが波及していって定時制高校、そして現在きょう提案されておるこれにも私は影響してくる。そういう考え方が、あなた方先取ってどんどんやるとすれば、私は肝心なところを、まだ法案に入っていませんけれども、どうですか。  現在楽々と八十単位をこの三年間で取っている。だから四年を三年に圧縮して三年でも卒業できるようにする。こういった場合に私は、現在でも、四年でも、先ほど報告がありましたように、中退がどんどんおる。三年でやるとすれば、それは取りたい者は取りなさいとこう言っておるけれども、四年制が三年制になったとすれば、今四年で卒業してやろうと思って一生懸命勉強しておる人も、その門戸が開かれたら、だれだってやはり三年で卒業したいわけですよ。一生懸命やる。そこには無理があるですよ、四年でやるものを三年でするんですから。これは確かに無理がある。無理がない、現在取っていますとあなた方言っても、それは私は取った人のもう少し追跡調査やってみたいと思うけれども。それは何も働かないで、昼は通信制、夜は定時制、いろいろなこと、あっちやらこっちやら走り回れる人が八十単位取れるんであって、本当に働いておる人はやはり四年要るですよ。しかし、三年で卒業できるとなれば、それは焦りますわな、四年制の人も。そうすると無理が来るんです。そうすると、今言ったような、これは単位制の高等学校のような取り方で取っていったらいいがなというふうに思いつつ、それが大勢になり、実際は、単位高等学校みたいな形になるんじゃないですか、今改正する方向は。  長くなりましたけれども、その点について、いわゆる単位高等学校だけを、性格をもう少しはっきりして、独立した高等学校、あるいは高等学校の名がつかぬでもよろしい、高等学校卒業程度の資格が取れるという学校、こういうものを構想して、提案すべきじゃないか。あくまでも定時制と切り離して、この単位高等学校というのは別のコースをつくってあげるのが親切じゃないか。生涯教育の人も、年がいった人も、年寄りでも若い人でも、いつでもどこでもだれでも学習できるとすれば、そういう性格のものを特定すれば非常に利用しやすい。そっちの方にも益がある、高等学校の方にも害がある。そうなれば独立したものをもう一つ、私は今度の国会で提案されるものと思っておったけれども、提案されないで、そのままほおかぶりでいこうということですから、あえて私は聞いたわけです。大臣、私の考え方は、別にやっぱり切り離して、すっきりしたものをつくった方がいいんじゃないかという考え方についてはどうですか。
  149. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 直接教鞭をおとりになった御経験のある安永先生お話でございますので、傾聴すべき点は多いと思います。特に、お話を伺っておりまして、学校教育というものは、そういうお言葉は使われませんでしたけれども、ある意味での系統性というか、ある意味での集団性の教育の意義というものもあるんではないか、こういう御趣旨が含まれておったと思うんです。私もそれは否定をするものではございません。  ただ、ここにありますように、この定時制通信制の生まれてきたそのものが、やはり根本は勤労青少年方々にとって学びの場を提供したいということにあったわけでございまして、そういう意味で、特に通信制高校などは、そういう意味でやはり集団性というのは残念ながら損なわれても、しかしやはり教育の場は提供し、そこで学んでいただくことが学びやすいという点を考える必要がある、そういう定時制通信制の性格がございます。そういう中で、先ほどおっしゃったような点で、そういう中で余りにもある科目そのものにこだわって学年制で据え置かれるということもいかがであろうかということから、私どもは素直に同じ基本理念の中で履修形態を多様に考えることも働く方々にとってプラスではないか、こういうふうに考えたわけでございまして、先生がおっしゃるようなもともと学校教育はこうありたいという、それはもうばらばらにとるんでなくて、もっと系統的にとっていき、そしてそれぞれの学年の中である一定の定まった集団性の中で得ることも多いであろうというお気持ちはよくわかるんです。ただ、お気持ちはわかるんですが、そういう履修形態にそぐう環境の方はいいけれども、それにそぐわない環境の方に教育の場が与えられないということは、これは大変なことになりますから、そういう方々にも履修の機会がとりやすいようにということを考えて創設したものでございますので、御理解をいただければと、こう思います。
  150. 安永英雄

    ○安永英雄君 終わります。
  151. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 それでは、私からいろいろ今回の法律を踏まえまして、特に定時制につきましてお尋ねを申し上げたいと思います。  最初に、定時制に入る前に、先ほども問題になりましたが、最近大学入学資格検定試験、いわゆる大検でございますが、年々歳々応募者がふえているという新聞報道がございましたが、実態はどうなっているか。そしてまた、そういう傾向というものは、まあこういう言い方は非常に極端だと思いますが、ある意味では高等学校を否定しているんじゃないか、そういういわゆる人間というか、そういう人口がふえているんじゃないかなという危惧を私は抱くのでございますが、その辺の御見解をちょっと承りたいと思います。
  152. 齋藤諦淳

    政府委員(齋藤諦淳君) 大学入学資格検定試験受験者の数で申しますと、例えば昭和六十年度をとってみますと、七千四百六人でございまして、それが年々ふえておりまして、一万三千六百七十五人と、こういう数字になっておるわけでございます。この一万三千六百七十五人のうち、内訳が、中学校卒業生が五千六百人、それから高等学校の中退者が五千六百九十人、こういう数字でございまして、中学校だけの卒業者あるいは高校の中退というものが相当ふえているわけでありまして、その結果受験者の数全体が非常に大きくなった、こういうことでございます。  これについては、そもそもやはり高等学校の中退者の増加というのがこの近年の傾向でありますけれども、なお生涯学習の立場からいいますと、本来学校教育は、それが行われるべきことは当然でありますけれども、他方何らかのことでその機会に恵まれない者につきましてはまた挑戦する機会を与えるという、それも非常に重要な面もありますので、この点についてはそういう生涯学習の立場からは、この大検の制度というものは積極的に活用されることは望みたい。しかし、本来の学校教育あり方については初等中等教育行政全体の中で本来の機能を発揮していただくようにいたしたい、これは私どものこの大険を預かる者としての立場の考えである次第でございます。
  153. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 私もそういうことで一つの新しい傾向であることにはまず間違いないと思うんでございますが、これにつきまして高等学校教育というものが現在、義務教育もそうでございますが、いろいろ委員の質問もございました。    〔委員長退席、理事林寛子君着席〕 今ある意味において非常な過渡期に入っているんじゃないかな、こう思うわけです。特に定時制につきましては、私はたまたま静岡県の選出でございますので、静岡県は非常に経済的にも恵まれているという嫌いがあるのかもしれませんが、どうも定時制の本来の勤労青少年教育するという、そういう意図はほとんど少なくなってしまって、むしろほかの用途に使われる。例えば自分の目的とする高等学校へ入れないので、一年間予備校的に、浪人といいますか、それに利用するとか、あるいは中退した受け皿として定時制を活用するとか、あるいは社会人が生涯教育としてここへ入ってくる。  それは非常にいいことなので、決して悪いことじゃないと思いますが、しかし本来の機能が失われている以上は、新しく脱皮し、そして多様化に備えるというのは当たり前の話でして、むしろ文部省さんは、私に言わせればちょっと対応が遅いんじゃないか。そんなことは臨教審に言われなくたって、もっと早くやるべきじゃないか。また学校制度も、今安永委員から話がありましたが、単線じゃなくて複線で、もっともっと弾力的に、やっぱりこれからの学校制度というものを大いに、まあ複雑にしろということじゃございませんが、対応すべきであるというふうに私は考えますけれども、その点いかにお考えか。ひとつ定時制を含めまして、これからの学校制度あり方について、これは非常に大切なことだと思いますので、ひとつ大臣に伺いたいと思います。
  154. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 木宮先生の御指摘も拝聴いたしまして、特に学校教育そのものは人の一生の中で非常に重要なものでございます。繰り返すようでございますが、私どもの認識では、やはり生涯をかけて学んでいくという生涯学習の重要な基礎部分として学校教育を位置づけるという認識に立っておるわけでございます。そうすれば、特に今話題になっております初等中等教育の中の、特に後期中等教育、このものは学校教育の中でも非常に重要な部分だと思うわけでございます。  その後期中等教育がどのような立場で教育を施す、また学ぶ方がどういう形で学んでいかれるのであろうかなということにつきましては、私のよりどころとしては学教法四十二条に描かれておる形でございまして、学ぶ方々がやはり社会に対する使命感の自覚をまず持っていただく、それから同時に自分の進路をしっかりと見定めていただく、そういう中で一般の教養とかあるいは専門的な技術部門とかを十分に学んでいただく、そういうことが主でございます。ですから、そういうことを主にすれば、いろいろな形の、そして新しい形の学びやというものが考えられてしかるべきでありましょうし、これは教える者と同時に学ぶ方が学びやすい、そして社会多様化に即し、また個人の個性多様化に即したいろいろな学び方があっていいのであろうな、そういう意味で先生の御指摘は非常に意義ある御指摘として拝聴した次第でございます。
  155. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 臨教審でいろいろと答申が出されました。私も全部というわけではございませんが、ほとんど読ませていただいて、大変いいことがたくさん書いてございます。しかし、確かに教育というものは、教育だけの一つのほこらにこもっているんでは、これは対応できませんでして、やっぱり世界の大勢あるいは社会の動き、これらに常に対応していかない限りは、国民が遊離していってしまう、私はそう思うんです。  そういう意味では、特に今までは英米に追いつけ追い越せでもってキャッチアップするために忙しかったわけですから、これに追いつくためには何だかんだ言っても、やっぱり能率のいい教育をしていかにゃならぬです。そのためには同じような教科書で、同じような校舎で、そして同じような授業で、始業も北海道から沖縄まで同じだし、昼飯食べるのも同じだし、給食も大体同じことをやるし、すべて大抵はもう大体同様なことをやっておる。これはある意味においては非常に能率がいいが、しかしまた画一的なんですね。  ですから、そういう意味では、私は個性を無視しているとは言いませんが、個性を非常に軽視している教育であるというふうに言わざるを得ない。今度は高等学校を受けるとき、あるいは大学を受けるときには、これはいい面もたくさんあった。それによって質のいい労働力がたくさん得られるから今日の経済発展があった。それを私は否定するわけじゃございませんし、また事実そうだと思うんです。今までの文部省のやってきたことは正しいと思うんです。しかし今ここまで来てもう追いついてしまったんですから、これからはやっぱりもっと工夫があってしかるべきだ。今までは追いつけ追い越せで一生懸命一つの画一教育をやってまいりましたが、それがいわゆるいい意味では教育が普及して大勢の人が大学に行くようになったし、今じゃ四〇%が大学へ行きますし、九四%は高等学校へ行って、義務教育に至ってはもう一〇〇%完璧と言っていいくらいの就学率でございます。  それらを考えてみると、非常にそれは多といたしますが、もう追いついた現況と言いますか、現在の日本はこれからはむしろ考える人あるいは感ずる人、あるいは価値感をしっかりと判定できるような、自分でもってそれがつかめるような、そういう人材をつくっていかないことには、もう世界をリードすることもできませんし、クリエイティブな思想も出ませんし、世界じゅうからばかにされると私は思うんです。そういうことで、今の教育体制というものは、むしろ私に言わせてみれば、もう教育基本法からある意味においてはこれを聖域化しないで、やっぱり国民みんなでもってこれからの教育というものを考えていく時期にもう至っているんじゃないか、そんな気がしてならないわけですが、その辺についてひとつどなたでも結構でございますが、これからその一環がきょうの学校教育法の一部改正につながっていくような気がいたしますが、いかがでしょうか。
  156. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 今先生のおっしゃったこと、大変ごもっともだという点が多いわけでございますが、学校教育というのは集団の教育でございます。したがって、ある程度の画一性というのは必要とせざるを得ない、そういったこともあるわけでございまして、特に子供の発達段階に応じてどれくらい個性の伸長を認める教育をするかということになろうかと思います。  一般的に言えば、小学校段階というのはそれぞれの子供がまだ個性、能力が多様に分かれる前の段階でございますから、ある程度同じような教育をする。中学校段階に行けば個性がある程度分かれてまいりますから、それについては学校教育におきます選択も幅を広げていくとか、高等学校へ行けば、なおかつ現在九四%の生徒高等学校へ行っているわけでございますから、非常に多種多様な個性、能力、いろいろな関心、そういった興味の置き方も全部違います。そういったことについては、高等学校教育というのはもっと弾力的でありたいという、そういうふうな発達段階に応じてそれぞれの学校あり方というのは変わってくるだろうというふうに考えますときに、今後高等学校の、今の高等学校教育というのはそれでいいのであろうか。やはり少しかた過ぎる面があるのではないかというふうなことを考えます。  そういった点で、ことしの七月に高等学校教育の個性化等の推進に関する調査研究会議を設けましたのも、そこでひとついろいろな各界の御意見を聞いて、高等学校に対してどんなふうになっていったらいいのかということで議論をしていただきたい、そういった基本理念を固めていただきたいということがございます。そういったことはこれから積極的にやっていきたいということでございますが、基本的にはやはり高等学校教育多様化し、弾力化していくということがもとにあるだろうと。ということになりますと、現在の今御提案しております法案は、その弾力化一つ一環であるというふうに私たちは考えておる次第でございます。
  157. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 私は、大いに定時制に限らずいろいろな学校においてもっともっと弾力化していただいて、一番実態を知っている地方の教育委員会、あるいはその学校学校でもって工夫がなされて私はしかるべきだと思うんです。特に、高等学校などでは何も五十分授業をせぬでも、学校によっては九十分でもたえられる学校もあるでしょうし、あるいは五十分じゃとてもじゃないが授業もたないから三十分にしようという学校があってもいいじゃないですか。  そういう意味で、やっぱり実態に合わせた教育をして、子供たちが何だかんだ言いながら、だましながら、すかしながら、怒りながらやっぱり一生懸命ついてくるような工夫をさせるようなあり方がしかるべきで、一片の法律なり、施行令だけではかえって私はそれは危険では、これからは、まあ今まではそれでよかったと思いますが、これからは何とかそういうものに一歩踏み込んでいただく。そのために今回修業年限を短縮なすったということは大変賢明なことなんで、これに対して異議を申すというのはちょっと私に言わせるとどうもおかしいなと思うんです。こんな気がいたしてならないわけでございます。  むしろそれ以上に定時制は枠をもっと取っ払って、変な話で例えばの話ですが、例えば定時制というのはできるだけ駅に近い方がいいのでして、どこかのビルのワンフロアを借りて、そして、そこでもって子供たちが来やすい、そして、しかも先ほどお話がありましたように、だれでも、いつでも入れるような、そういうやっぱり学校というものが私はある意味においては非常に望ましいし、それが生涯教育につながって、ただそれは何も今までの高等学校のイメージだけに固執しているのはむしろおかしいので、その辺は私は今までの高等学校は今までの高等学校の行き方もあるでしょうが、また定時制定時制として新しい一歩を踏み出していただく方が私は国民も非常に喜ぶと思うんですが、そういう意味でぜひひとつ今法案は速やかに通したい、こう思っておりますが、その辺文部省の意図も私の意図と大差ないと思うんですが、ひとつお答えいただければありがたいと思います。
  158. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) いろいろな形で高等学校教育多様化弾力化するということで、こういったことも御提案を申し上げ、あるいは先ほどから御議論いただいております単位制高等学校というふうなことも発足さしたわけでございますが、それと、やっぱり高等学校でございますから、ある程度高等学校としての基本というものが私は必要だと思います。したがいまして、世の中にはいろいろな教育機関あるわけでございますが、専修学校、各種学校あるいは民間のカルチャーセンターといったものも有益な活動していると思います。そういったものとはやっぱり違った高等学校としての基本というものを置いた上で、いかに弾力化していくかというふうなことを考えてまいりたいというふうに考えております。
  159. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 これは考え方がありますから一概にどれがいいとは、特に教育の問題につきましては絶対的なものというものは私はないと思うんで、いろいろそれぞれ理屈があるし、それぞれ欠点もあるし、利点もあるんで一概にどれがいいとは私は言えない。ただ、日本の今まで歩んできた教育というものは決して間違いじゃなかったけれども、しかし、今までが正しいからこれからもそれに追従していけば正しいということには私はならない。だから、文部省さんも勇気を持ってやっぱりこれからの見直しをぜひしていただきたいということを私は言い添えておきたいと思います。  教育はやっぱり何といっても先生の熱意だと思うんです。先生の熱意なくしていい教育が行われるはずはございません。ですから先生方が相当な意図を持って、何か一つの意識を持ってやることも大事だと思います。しかしまた逆言うと、先生が全然考えていない行動を子供たちが見てあの先生嫌になっちゃったとか、あるいは逆にあの先生好きになっちゃったとかというようなことがたくさんあると思うんです。  これは人と人とのやっぱり触れ合いといいますか出会いが大事だと思うので、例えばの話でございますが、本居宣長という人はあの古事記伝を三十年かかって書いた。しかし、その動機は賀茂真淵という遠州の国学者と一晩会ってそれに刺激されて、私はやろうということでもってあの鈴屋でもって三十年間やって、生涯一回しか会ってないんですが生涯の師として仰いだという。クラーク博士も日本に滞在した札幌農学校におったのはわずか十カ月でございます。それでも立派な新渡戸稲造さんだとか、そのほか大勢のやっぱり立派な学者なり先駆者がたくさん出たわけですから、それらを考えてみますと、やっぱり先生の質の向上と先生の熱意というものがないことには、どんなに制度を変えようが法律を変えようがいい教育はできないと思います。  これはきょうの主題と若干変わりますけれども、しかし一番大事なことでございますので、ひとつ文部省さんとして今後教員の資質の向上と、そういう何といいますか、意欲を燃やすような方策というようなものは、もう既にやっていらっしゃると思いますがおありでしたらひとつまたこの機会にお話しいただければ幸いだと思います。
  160. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 今お尋ねの件でございますが、これにつきましては昨年の十二月の教育職員養成審議会の御答申がございまして、その中には教員の資質の向上につきましては、まず第一に養成の問題がありますし、それからさらには、教員を採用するときの採用の方法にも問題があるということの御指摘をいただいている次第でございます。さらには、教員におなりになってからの現職教育についても十分意を注ぐ必要があるということを御指摘いただいた次第でございます。  そこで、文部省といたしましてはことしの春に法案を提出いたしまして初任者研修の制度を認めていただいた次第でございます。目下、これにつきましては来年度から本格実施をすべく準備をいたしているところでございます。また、養成の問題につきましては、養成諸学校におきます免許の問題でございますとかそれから免許基準の引き上げ等に関しまして免許法の改正法案を今国会で御審議いただいているところでございまして、このような措置によりまして総合的に教員の資質の向上に努めてまいりたいというふうに考えている次第でございます。
  161. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 通り一遍のお話で大変ぴんとこなかったんですけれども、やっぱりこれはなかなか文部省の側からおっしゃりにくいと思いますが、質の向上のこと、それからもう一つ、一人一人の先生が自覚しなきゃいかぬですね。これがやっぱり一番、機会あるごとにこれが必要で、それには教育委員会なりあるいは現場の校長さんなり、そしてまた人事の問題いろいろあると思いますけれども、やっぱり一人一人がやろうという情熱といいますか、使命感といいますか、それらをぜひひとつ植え込むような、そしてまた、それが出てくるようなそういう人材育成ということをぜひひとつ機会あるごとにひとつ、それにはやはり今言ったような施策も大事だと思うし、また広く社会のいろいろな経験者のお話を聞かせることも大事だと思うし、いろいろな意味でもって今後教員の資質向上並びに熱意が高まるようにぜひひとつ御尽力のほどを心からお願いをいたしたいと思います。  もう時間も余りございませんので、もう一つ最後に、これは大臣にお伺いしたいんですが、今言ったように、なかなか先生方というのはやっぱり世界が狭いせいだと思いますが、非常に保守的なんですね、先ほど来のお話聞いていてもそうですが。私も教員のなれの果てでございますので余り大きなことは言えませんけれども、非常に保守的で、やっぱり自分のやっていることが一番いいというふうに考えがちなんです。それが一つの欠点だと思います。非常にやっぱりやっていることが秘密じゃないんですが、何とか外にぼろを出さないようにする、保身的といいますか硬直的なところがある。これは何とかこれを打破していかないとやっぱり社会についていけない。  それがいわゆる学校の今まで、最近大分おさまってきましたけれどもまだ根っこあると思うんですが、いわゆる学校の暴力あるいは登校拒否とか、これは学校だけの責任じゃなくてやっぱり御父兄も子供が少なくて非常にいろいろな意味で、これは要素がたくさんあるから必ずしも学校だけの責任だとは思いませんが、しかし学校にも責任がないとは言えない。何とかしてそういう意味でこれから先生方の意識改革をしていかにゃいかぬ。だから、必ずしも文部省通達が地方の委員会へ行って、それがこうちゃんと現場へ行くように、それがさあっと通るというのはおかしいし、逆に通らなくて今度は違う方向から、組合の方から来たりするのも、これもおかしいと思うんです。やっぱり個々の学校先生方子供を踏まえて自分たちは何をすべきかということを考えさせることが、私は一番必要だと思うんです。  かつて中教審でもって、高村先生がちょうど会長のときだと思いますが、カリキュラムの中にゆとりのあるカリキュラムということで特設をいたしました。ところが、実際にはそのカリキュラムのこなし方が現場でわからなくて、どうしたらいいか一々教育委員会、文部省へ聞きにいったわけで、それじゃ何のためにそういうものを特設したか意味がわからないんです。それを逆に今度は英語の時間が足りないから英語にしちゃおうとか数学にしちゃおうとかという、そういう発想しか出てこないところに今の日本の教育の一番貧しい点がある。何とかそれを直す方法は、これは一概にはわからないと思いますが、また文部大臣だってわからないと思いますけれども、こんなことを聞くのは酷かもしれませんが、やっぱり大事なことでございまして、何とかひとつみんなでもってこれを打開していくことが今や一番急務だと思いますが、これにつきまして何か御感想ございましたら、それをお伺いして私の質問を終わります。
  162. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 木宮先生の貴重な御経験からの御提言でございまして、傾聴すべきことだと思います。  教員のあるべき姿については政府委員からお答えをいたさせましたけれども、求められる教員像というものには幾つかの要点がございますが、その中でやはり一番必要なのは教育に対する使命感だと思います。それから児童、生徒に対する愛情と申しますか公平感と申しますか、それから教育そのものに対する情熱、熱情、こういったものが教育職員の方々のやはり根本にあるということが必要であることは言をまちません。その上で、いろいろみずからがあるべき姿を模索し、そして実践的な指導力を持っていただくということが必要だと思います。  それには二つありまして、一つは非常に視野を広くしていただくということでありましょうし、それから二つ目は、御自分が考えた上でさらに先輩の御意見も十分にいただいていく。私はこの生涯学習の中の重要なテーマがそこにあると思うわけでありまして、そしてすべての方々がみずからも、きのうよりはきょう、きょうよりはあす、心が豊かになるために学び加えていくということであれば、やっぱり人生すべて前を向いて前進していく、限られてはおりますけれども長いレースの中で常に前進していく、そういうことであればやはり先輩の知識を得て、それを後輩に伝えるということも必要であろうと思います。  私は、常々やはり先輩の指導を拒否する者は後輩を教える資格はないのではないか、またそういう人が教えれば、子供さんが、児童、生徒先生の教えを拒否する場合もあるかもしれない。しかし、それは自分が学びとるという素直さと真摯な態度があって初めて後輩である新しい生命体に対してまた教えるという資質も生まれてくるであろう、こういうことが大前提にあるであろうと。そして先生の御経験上の御提言でございますが、私もおっしゃることを素直に拝聴いたしておりまして、そういうことが、全国の教育職員の皆様方御自身の中で研修を積み、またそういう研修に対して私どももできるだけいい機会、いい計画を与えてさしあげるように、ともどもに努力をしていかなければならぬな、このように考えました。
  163. 木宮和彦

    ○木宮和彦君 ありがとうございました。
  164. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それでは質問をさせていただきます。最初に、今まで御質問された委員の先生方といろいろダブるかもしれませんのでなるべく外しますけれども、その辺はひとつ御容赦いただきたいと思います。  まず、文言としては書いてありますけれども、改めて文部当局から承りたいのは、定時制通信制教育の目的とするところは何かということを承りたいと思います。
  165. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制通信制教育は、戦後の新しい高等学校発足と同時に芽生えたものでございまして、いわゆる後期中等教育の重要な一環をなすものでございます。全日制の学校と比べて、いわゆる勤労青少年が全日制の子供と同じような教育を受ける、そのための、確保するための機関であるというふうに認識いたしております。
  166. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 その役割を現在十分に果たしていると考えておられるかどうかということですけれども。
  167. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 現在の定時制、通信制高等学校については、定時制高等学校について、特に戦後の六十万近くの生徒がいた時代から比べまして、現在かなり減ってきておりますけれども、それはそれとして、定時制高校通信制高校はそれぞれ重要な役割を現在も果たしているというふうに思っております。
  168. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 私は人数を申し上げたんでなくて、それは多分キャパシティーもいろいろあることですから、人数じゃなくてそういう目的が十分に達せられる、つまり機能しているのか、こういうふうにお伺いしたつもりなんですが。  その次に、これは長野県の教師が報告をされたのが紹介されてあったんですね、新聞見ますと。    〔理事林寛子君退席、委員長着席〕 その中で、私が今の質問に絡んでおやと思ったのは、通信制高校は現在高等学校、つまり全日制の中退者の受け皿になっている、こういうふうな報告なんですね。確かに六十何%かが、高校中退者が通信制に入ってきている。これ、どういうふうに受けとめられますか。つまり、全日制が機能しているのかどうか、それの受け皿としてあるのか、それとも別個に存在しているのかというつもりで聞いておるんですけれども。
  169. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 全日制高校の中退者の受け皿であるというふうな御指摘でございますが、確かにそういった面があろうかと思います。といいますのは、全日制高等学校の中途退学者というのもかなりの数に上っております。そしてその中で、学校をやめたけれどもやっぱり学校へ行けばよかったなというふうな希望を持って、そういう定時制なり通信制にもう一回再入学しているというふうな子供もかなりおります。ということで、私はそういった中途退学者がもう一回学びたい、そしてそれが片方では働きながら社会を見て、そして片方で勉学に励みたいというふうなことで通信制教育が機能しているのならば、それはそれとして非常に価値のある機能の仕方だろうというふうに思うわけでございます。
  170. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 その中退者のアンケートなんですね。どうして中退してこちらへ移ったか、二つの点が一応分析として出ているんで、これが正しいかどうか別としまして、一応これを見ますと、まず全日制に比べて規則が緩やかである、もう一つ生徒教師の間が険悪になることが少ないと書いてあるんですね。その裏を言うと、全日制は大変規則が厳しくて教師生徒の間は険悪の度合いが増している、こういうふうに裏が書いてあると思うんですよ。これ、どういうふうに理解されますか。
  171. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 確かに全日制高等学校は、まとめて集団的な教育を行いますから、それはいろいろな規則というものがあるでございましょう。と同時に毎日学校へ行かなきゃならぬということがございます。と同時に毎日先生がじかに教えるわけですから、先生子供、これは私は非常に一番いい形態だと思いますけれども、あるそういったことについて、かなり抵抗感のある子供から見れば、それは非常に毎日毎日学校へ行かなきゃならぬ、そして先生にしかられてばかりというふうな気持ちを持つ子供もいるというふうには思います。思いますが、かといって今度は通信制高校へ行けば、これは言ってみれば通信教育ですから家へおって学べばいいわけでして、そして面接授業というのは一年間に何時間もない。いわゆる先生との間が非常に希薄になっている。これはそういう何か縛られたくないという子供から見ればいい形態教育であるかと思いますけれども、そういった角度で通信制教育というものが発足したわけではない。通信制教育というのは、まさに全日制へ行けない子供にそういったところで学ぶ機会を与えようということでございますので、私はそういった子供通信制へ行くことについて悪いと言っているわけではございませんけれども、それが通信制学校の目的であり、何でも緩くなっているのがいいことであるというふうな評価をしているわけではございません。
  172. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今の規則の問題というのは、最近の新聞紙上では随分校則が厳しいということが指摘されておりましたので、この新聞は十月二十五日の朝日新聞でございますけれども、やはりそういうふうに受けとめている子供たち生徒が大分いるんだなと。やっぱり、だから普通のノーマルの教育から離脱していくというのが教育目的としてはよくないのではないか。やっぱりそれに対して文部省はそれなりの司をしているわけですから、これに対してはお考えが、まあ反省というと悪いですけれども、そうじゃなくて過去のまずい点は改正していくということが要るんだろうと思いますが、この点は何かおやりになっているんでしたか。
  173. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学校子供に対する教育を行っていく場合には、やはりかなり数の多い子供を入れておりますから、それについて一定の校則というものは必要だろうというふうに思います。しかしながら、それが非常に細かいところまで入り込んで、そして本当は生徒の一人一人に対する生徒指導でやればいいことまで規則化して、そのことが生徒に対して非常に窮屈な形になっているという、そういったことが今反省を求められておるわけでございまして、私たちといたしましては、都道府県の指導部課長会議におきましても、とにかく校則というのはそれは一つのこうあるべきだというものを示すというものではない。学校の従来の生い立ち、学校を取り巻いております環境も必要でしょうし、あるいは御父兄の方の考え方生徒考え方、いろいろな考え方があって、それぞれの学校でそれぞれの規則というものはつくられてしかるべきだろう、したがって、従来型のそういった細かいところまで入っている校則というのは十分見直して、そして子供との間がうまくいくような形にしてほしいということを、検討の依頼を申し上げたところでございます。
  174. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 前の方の質問があって、そのやりとりで同じようなデータがあったわけですが、定時制昭和二十八年がピークであった。どんどん人数が減っていって、今約十五万。通信制は少しずつふえていって、現在やっぱり十五万ということですね。この数字はそれでいいわけですね。つまり定時制は減ってきて通信制がふえてきたというのは、定時制から排除したわけじゃないわけで、何かやはり理由があるのでしょうか。  それから、もう一つは、数字としては出ていないんですが、私の知っている範囲ですけれども、パートとかアルバイトとかそういう生徒がふえてきているのではないか。それについてちょっと伺いたいと思います。
  175. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 通信制がふえている理由はというお話でございますが、これもはっきりとした根拠といいますか立論ができるわけではございませんが、通信制に在籍しております生徒状況を見ますと、いわゆる年齢状況でございますが、三十歳から四十歳のところが大変ふえております。そういった点でいわゆるもう一回高等学校教育を学びたいという、中年層といいますか、そういった方々がかなり入っている。ちなみに申し上げますと、三十歳から三十九歳までの通信制におります方は一万九千五百、大体全体の一三・二%でございます。それから四十歳から四十九歳までの在籍しております方は一万二百三十五といったことで、十四万人のうちのその部分を占めているということが、定時制に比べて通信制が数を保っているという現状ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
  176. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それじゃ、次にひとつ入らせていただいて、「就業年限に関する生徒の希望」、昭和六十二年度、文部省高等学校課が調査をしておられますね。これはお持ちでしょうね。この最初数字の人数とパーセントが書いてございますが、このパーセントを全部足したら幾らになるかおわかりでしょうか。足してみてください。
  177. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) いわゆる就業年限についての子供の意識調査というものを全体足しますと、確かにおっしゃるとおり一〇〇%を超えます。
  178. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 何%になりますか。
  179. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 一〇三%ぐらいになりますか。
  180. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 ちょっと後ろの人、ぐらいという数字はないんですよ。いいですか、一〇五・四です、違いますか。
  181. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 大変失礼いたしました。おっしゃるとおりでございます。
  182. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 いや、私は局長に言ったのじゃないんだから、足した人に言ったんですから。言わないでいようと思ったけれども。初任者研修済んだ人たちでしょうか、これは。  統計というのは、この前のときも私申し上げたんです。数字というのは、これは意見じゃないんですよ。したがいまして、論議の余地がないわけなんです。それを間違った数字を出しておいて、我々は結論だけ見るわけでしょう。いや私は見てません、私はちゃんと調べますから。これで私がついこの間からで二度目です。もっと調べればいっぱいあるのじゃないかと思います。ですから、数字というのはひとり歩きをするんです、結論だけが。私は恐ろしいと思うんです。これは本当のミスだということはわかってます。しかし、私は足したんです。そうしたら一〇五・四というのはどういう数字ですか。これの誤差は〇・一のところがあってもいいんです、それは四捨五入しますから。しかし、あったらその人は統計を知らない人なんです。どんなことがあっても一〇〇・〇に直さなければいけないのは統計をする人の基本的な知識なんです。これを知らない人はもうだめだな。統計の数字をいじくってもらっては困るわけだ。どこでどういう間違いがあるかわからないですよ。  ですから、私はそれから出発をして、これからお話をしようと思います。いいですね。これは間違っているので、もし数字をお持ちの方は「その他」というところが七・六というのが二・二になります。したがって「わからない」、「その他」は二〇・三ということになります。その三になった理由があるんですけれども、これは四捨五入のとり方で、一方を上げましたので、一方を下げましたから。それでないと一〇〇にならない。それで一〇〇になるんです。これはこれでいいですよ。一応ちょっと文部省でございますから。いや、文部省だけじゃない、これは官庁全部ですね。これはもう全国津々浦々に流れる数字でしょうから、まあ伺いたいと思ったわけです。  そこで、定時制高等学校三千三百七十人で、賛成が五八・四、通信制で見ると七三・九%が賛成であったというアンケートですが、粕谷委員も質問されておったように私は思ったんですが、教師側のアンケートというのはあるんですか、これは。
  183. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 教師用のアンケートはございませんが、この調査表をもらいますときに一番最後にその所見を書くところがございまして、そこには先生の意見が入るようになっております。
  184. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 私はやっぱり現場教師の意見というのは大事だと思うんですね。それは年々歳々変わっていく生徒に対して接してますから、そして考え方もこの構成の割合が変わってくるんでしょう、これ。変わっていっているわけですから、変わってくると思うんです。ですからこれはやっぱり片手落ちではないのかなと思うんですね。だからそういうことでいくと、この数字がそのままひとり歩きをするわけにはいかぬのではないか。それで、もうちょっと突っ込んでみます。  これはサンプリングによって幾らでも違うんですね。それでサンプリングの方法はどうされたんでしょうか。
  185. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) これの調査のやり方は、高等学校校長会を通じまして各県で数校ずつ選んで各県から出してくださいと、こういうふうなことでやっておるわけでございます。
  186. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 極めて信頼度の低いサンプルですね。それではわからない。サンプリングというのは全数を代表するものでなければサンプルにならないんです。サンプリングというのはそういうものです。出してきたサンプルから全体を推計するんですから。これは特定のサンプルであったとしたら特定のものですね。三千三百ですから、十五万人でしょう、一つはね。片一方は千人ですね。それで十五万分の千ですよ。百五十分の一ですよね、下は。上の方は百五十分の三、五十分の一ですね。ですから、こういうもので全体を推計するとなれば非常に信頼度を高めなければいけないと私は思います。選挙のときの世論調査というのは、極めて少数な、千分の一以下のサンプリングで十分答えているんですね。これはやっぱりサンプリングの方法が問題なんです。これも統計学の基本にかかわることなんですね。ですからこれがわからないとこれを論ずるわけにいかないんではないかと一つ思います。まあいいです、それはそれで結構ですから。  そこで私がもう一つ条件をつけたいのは、例えば「是非三年間で卒業を希望する」というのは三三・九%、定時制ですね。できれば希望するというのは二四・五%で、計五八・四%、これは質問項目はこれだけですか。
  187. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 質問の仕方といたしましては、修業年限につきまして一学級程度の生徒を対象に三年でも卒業が可能となる制度ができた場合、三年での卒業を希望するかどうか、希望等をお聞きいただいた上でその結果をお知らせ願いますということで、この欄を設けて出したわけでございます。
  188. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 これは四年より三年といえばだれだってそれはそう言うんじゃないですか。それはもう文句の余地がない。なぜほかに反対した人がいるかと思うぐらいですよ。私はなぜ一〇〇%出てこないのか、学校にいたい人がいるのかなと思いますよ。だって四年を三年なら授業料からすべて少なくて済むんですからね、理屈を言えば。後での質問と今関連をいたしますが、例えば三年に短縮する場合に、今はもう五時から九時までですか、定時制、どうなるんですか、時間、これでやるんですか。
  189. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 三年に短縮するということは、それは物理的に申し上げれば確かに時間数をふやさなければなりません。しかしながら、私たちが申し上げておりますのは、時間数をふやし得る場面があるでしょう。といいますのは、生徒のいわゆる勤労形態が変わってきているということに着目すれば、それに対応できる子供の集団があるでしょうということと、それから片一方、履習方法として技能連携でありますとか、定通併修でありますとか、そういったものをとりますれば、いわゆる定時制高校に来る時間がフルタイムでなくたっていいわけですから、そういったことで三年になり得るということで、今四年にあるやつを三年に無理無理圧縮するということを私たちは申し上げているわけではございませんで、現実そういった履習形態多様化を取り入れながら、三年で八十単位を取っている学校があるから、そういったところについてはそういう制度を導入したらどうだろうかということでございます。
  190. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そうしますと、そういう条件をつけてアンケートしなくちゃいけないんですよね。例えば五時から九時だと、ちゃんと勤めている子供は四時半から九時半までにするよと。大体四年間を三年間で圧縮しますと三分の四ということですから一・三ですね。三・三です。詳しく言えば三・三三ですね。三割三分三厘、三三・三%はふえなきゃいけないんです。そういたしますと、例えば私が言うのは、五時を四時半と言ったら困るなら五時から十時までだ、一時間延ばすとすると。そういう条件をつけてアンケートをしたら話は違うと思うんですよ。そうじゃありませんか。それから家へ帰れというわけだ。例えば女性なら十時まで学校にいて家へ帰ってきたら十二時だなんていったら、とても困るわけで、それならお断りということだと思うんです。  ですから、私はサンプリングで今物を言っているんですけれども、サンプリングというのはそういう条件をきっちり整備をして聞かないと、返事をする方が、四年を三年というのを何で反対する人がいるのか私は不思議ですよ。だから、その条件がないからあいまいなんですよ。一番確かな答弁は「わからない」ということだったと思う。この人は極めて頭のいい人ですね。この人たちは極めて優秀な人たち、一八・一%、定時制で。この人を褒めてやってもらいたいと思う。「わからない」というのは正確な答弁です。文部省はイエスかノーか。これはもう何でも二者択一を求める今のアンケートの方式からいいますと、「わからない」というのは極めて性格があいまいかと思うと違うんです、これは。これはこのアンケートなら「わからない」というのが最も正しいと思います。条件がないんだから。四年を三年にする制度ができたら賛成ですかと、当たり前ですよ、賛成と言うのは。なぜ少ないか、分析したことがあるかと聞きたいぐらいですよ。  ですから、これはそれ以上私は今触れないでおこうと思っています。おわかりだと思うんです。しかし、少なくとも四年を三年ということは希望だと思いますので、少しぐらい無理をしても、そういう制度があればそこに組み込まれたいと思うというのが私は普通だと思うんです。そうしますと、まず授業そのものに非常に困難がかかってくる。例えば夕飯を食べる時間をどこでとるかというのが出てくると思いますね。帰りをどうするのかというのが出てくると思います。  それから、私は医者でございますから、やっぱり一番心配なのは健康問題なんです。殊に発育盛りの子供たちというのは、我々は実験をいたしますと、幼弱な動物を使うんですよ。大人はだめなんです。どうしようもないんだ、頑固なんだ。頑固というのは頭じゃないんですけれども、体が、反応が鈍いというか、もう固まっているんですね。若いと、だめな場合にはがたがたとだめになるし、よければ非常にいい。したがって、幼弱の動物を実験に使うものです。つまり勤労している少年たちはやっぱり幼弱人間なんだわ。したがいまして、あるストレスがかかりますと、それに対するリアクションというのは、やっぱり我々大人が思う以上にきついだろうと私は思います。したがって、その健康診断ということを、もし四年を三年にされるんならば今までの健康診断体制をどういうふうにするのかというふうなお考えがあるなら聞きたいということであります。
  191. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 先ほどから申し上げておりますように、四年を三年にするということを積極的に奨励をするということではございませんで、現在三年で単位が取れている学校がある、そして若干のことを考えれば三年で単位が取れる学校が出てくるという実態の中で、三年制の道を開くということでございます。このことについては、確かにおっしゃいますように、生徒のアンケート調査についてはかなりのそういったサンプルのとり方とかいろいろな問題点があります。したがって、そういった生徒がこうきたからということを私たちは申し上げているわけでございませんで、この問題は随分古くからいろいろな関係者の間で要望がされ、そして定時制関係の校長さんの集まりでありますとか、教頭さんの教頭会の御意見でありますとか、そういったところについては、今の四年以上という形でなくてもうちょっと緩めてほしい、いわゆる三年以上ということでやれる道を開いてくれという強い要望が今までございました。したがいまして、そういったことで今回提案をいたしたわけでございます。
  192. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 私が聞き損ねたかもしれませんが、安永委員が聞かれたんだったかなと今思いますけれども、そうすると、その高等学校の中に二種類の高等学校ができるというふうに受け取れるんですね、今のお話ですと、二種類なわけだ。カリキュラムが全部違うわけですから、多分そうなるんじゃないかなと今思うんですが、その分だけ先生の負担もふえるんじゃないかと思います。  ただし、私は、四年制であってもできる子は試験を受けたら三年卒業ができるということもあってもいいのではないか。つまりやや英才教育ですね。後で六年制中等学校の質問をしたいと思いますけれども、今は六年が終わらなければ大学受けられませんね。私たちのころは、旧制中学は五年でありますが、四年で旧制高校を受けられたんですね。一種の飛び級ですが、飛び級じゃないんですけれどもね、本当はこれは。ちゃんとそれだけの履修をしておって試験に合格すればいい、そういうのが私たち時代でした。だから、それで大学へ入ってみたら高等学校の三年でやっていたことをまたやっているといって、大学一年目はレジャーに走るというのがよく言われますね。だからそういうことでは困るわけですよ。  しかし、今の問題は、私はやっぱり四年と三年に二種類置くんだなと今思いましたけれども、もう一つは、そういうことであっても試験を受けたら三年で卒業できるようにならないのかなという気がしないではないんです。いかがでしょうか。
  193. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) その問題は、飛び級の範囲に入らないとおっしゃいますが、飛び級の議論をされますとき必ず出てくる問題がございまして、昔の旧制中学校の四年、五年の問題と比較されまして、大学受験が三年の高等学校、二年でもいいじゃないかというふうな弾力的なことをやれというふうな御意見もございます。しかしながら、現在のところ私たちはまだそこまでの検討も進んでおりませんし、学年、修業年限というのは定時制については四年、全日制については三年ということでございますから、試験を受けて能力があったから修業年限を満たさないで卒業をその子に限ってさせるというわけにはまいらないのが現状でございます。
  194. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 私はすべてのところで飛び級やれと言っているんじゃないんで、高等学校二年で一挙に卒業させるというのは大変面倒だなと思うんです。やっぱりカリキュラム、学年進行ですからね。ただ、一つ学校で四年制と三年制があるというそういう並列というのは何だか面倒、まあ面倒というか、そういうところならばやれそうだなと思ったので、私確信があって言ったんじゃないんです。私が勧めているわけではないんです。お考えいただきたいということです。  それでは、六年制の中高一貫教育のことを伺いたいと思うんです。これは臨教審の第一次答申で六十年六月に出てきたものである、こういうことでありますが、公立学校でこれのパイロットスクールというのはないんでしょうね。いかがでしょうか。
  195. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 今現在公立学校でそういったパイロットスクールは置いておりません。
  196. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 実質的には私立学校で一貫教育という形、六年制中等学校じゃなくて、一貫教育という形でそこがエスカレーターで行くようになっているというふうに聞いておりますが、その実例はどんなふうなものなのか。その場合私がよく知っている範囲で言うと、中学三年終わって高校へ入るときに一部よそから採る、何かそういうのが、私が知っている女子高校であるんですけれども、一般にそうなっているのか。つまり完全エスカレーターなのか、途中乗車を許しているのか、その辺はどんなふうになっているんでしょうね。それで何校ぐらい私立でありそうですか。あるんですか、ありそうなんですか。
  197. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 完全エスカレーターかあるいは途中から入るかというところまでの数というものはよくつかんでおりませんが、私立の中学校が六百十校ありまして、中高併設のものは五百八十五校ということでございます。五百八十五校が中学校高等学校が併設されているというのが現状でございます。
  198. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それ女子高が多いんですか。どうでしょうか。
  199. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) ちょっと男女別まで数字を持っておりませんで、失礼いたします。
  200. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、臨教審のに対して文部省が、いや、これは私ある記事で読んだので本当かどうか伺うんですけれども、高校の個性化等に関する研究の協力会議を五月に発足をさせると書いてあったんですが、それは四月ごろのものに見たんですが、させたんですか。どうですか。
  201. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 結論的に申し上げますと、七月に発足させました。
  202. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、これは文部大臣が聞いていただいたかどうか忘れましたけれども、個性化という言葉を私は前から異議申し立てておりますので、高等学校の個性化というのはあるんだろうか、私そう思うんですよ。それは目的が効率的、一貫的、ゆとりある教育で個性をはぐくむ、その個性を取り出して個性化と言っているんですね。個性という言葉は本当に字引を引っ張ってお話をしましたけれども、遺伝なんですね。変わらないものなんです。だから変えることができるのを個性化とは言わないですよ、大体。いつでもまた変わるんですから。個性化というのは非常にこのごろはやっていて、臨教審が使ったのか、だれが使ったのかわかりませんが、こんなに個性的な表現はないと思いますね。学校なんというのは個性化はないんですね。生徒がかわり先生がかわり校長がかわれば、そこの集団としての特性が変わっていきますから、その特性を個性化と言うのであったら同じ特性を維持していくなんて、そんなことは不可能なんですね。人間が変わるものなんだから、情報によって知識も変わりますから、こちらが変われば変わっていくんですから。  ですから個性化なんという言葉じゃなくて、特色ある教育とか、そういう特徴的なとか、それはあってもいいと思う。個性という言葉を言葉の府である文部省がどんどん使うということはないと思うな、高校の個性化等に。そうしたら一遍個性化を完成したらもう永久に変わらない、そんなばかなことはないんです。だから、これはやっぱり考えてもらわなきゃいけないと私は思うんです。私が興味を持っているのは、個性化に関する研究協議会という、個性化がどういうつもりなのかなと。これは答弁要りません。これはもうしようがないですものね。まあ委員の方々も大部分はこの話は知っておられますので、文部大臣お話ししたかどうかわからなかったものですからね。(「森文部大臣のとき」と呼ぶ者あり)森さんのときでしたか。よく覚えていていただいてどうもありがとうございました。  それで、その文章の中にいろいろと指摘されておったのは、やっぱり一貫教育のエリート化ということですね。やっぱり六年というと同じことをダブってやる部分を減らすことができるから、六年の中で、五年間で六年分を上げることができる。あとの一年は受験本位でやれる。そういう学校があるんでしょう。ですから、そういう学校、まあ名前を言いにくければ某でもいいですが、そういうことをやっているんじゃないでしょうか。どうでしょう。
  203. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 私立の中高等学校という、私学の自主性ということがございまして、教育内容についてなかなか物を申し上げることがしにくいわけでございますが、私たちが聞いておりますところは、おっしゃるとおり中学校高等学校六年間のうちカリキュラムは大体五年で終わって、あと一年は別途上積みの教育をしているというふうな学校があるように漏れ伺っております。
  204. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 その文章の終わりに文部省の説明によるとというのがあるんですよ。学歴偏重社会風潮が改まらない限り具体的な防止策はない、改めることができるのかということですね。そこが今度は第二番目の私の意見なんですけれども、入試制度が改革されない限りなくなりませんから、どうしても入試、受験本位の勉強になりますね。そして、一点を争いますからこれは偏差値です、間違いなく。ですからこれはどうしても入試改革というものをやらなければ教育改革はあり得ない。私はもうそう思っています。論理的にそうだと思うんです。それ以外方法がないもの。社会考え方変えろなんてできるわけないでしょう、今のところ。それは何世代かかかると思いますね、そういう考え方というのは。やっぱりワンゼネレーションが二十年だとしますと、それは何世代かいってようやく変わるんですね。だから、そこの辺は大変だと思いますけれども。  明治のころの森文部大臣、今の元文部大臣じゃなくて森有礼という方ね、日本語をやめて英語にしろと。これはもう大した愉快なテレビドラマがございまして、本当に笑いながら見ましたけれども、それから胎教が大事であると。今や背が小さくて黒い目玉では国際化が成らないから、背が高くて鼻がとんがっていて青い目玉でなきゃやだめだと。そう信じていればそういう子供が生まれると。奥さんはそう信じていたら、生まれたら青い目玉の外国人の子供であったと。周りの奥様方が、森様——あれ、これは記録になるのはうまくないな。まあ、いや大臣、これはおもしろかったんですよ。そしたら、森文部大臣が、まあこれはフィクションですから、全然フィクションで笑わせているんですから——日夜つけておった秘書、セクレタリーがフランス人であったというのが落ちみたいなんですね。そういうことがございましたけれども、大変、日本人が鼻がとんがって青い日玉になるのには何世代もかかりますよ。これはどんなに結婚の中で変えていってもそれは大変なことだと思うんです。それくらい難しいんでないかと私は思うんです。  ですから、そういう社会の意識改革なんというのは極めて抽象的で、政治に関与している方は抽象的な論議というのはほとんど非常にハイレベルに格調高く見えますけれども、これは政策としては生きないわけだ。ですから、政策として生かすのを考えるのが政治ではないのかと私は思うんです。その中で、だから私は入試改革、これがもう一挙にそういう考えを変えていくんじゃないか。一点を争う、一点多ければ頭がいい、そういう考え方を変える方法というのがそうだと思うんです。  そういうことを申し上げて次のところにいきたいんですが、学校五日制というのが、これまた何だか文部省御推奨なんですか、これ。ところがこれは高桑お勧め品でもあるんです。これは昭和六十一年四月二日の文教委員会で私はこれを主張してあるんです、文教委員会ですから。  これは前にも例として申し上げましたが、私が北大の医学部長をしたときに、授業五日制というのを開始したんです。学校五日じゃないです。学校は六日あるんだと。しかし授業は五日で六日目は自主ゼミ、クラブ活動、何でもやれ、フリーだぞということに踏み切って、これはもう大変な抵抗がありましたが、つまりカリキュラムが一割減るということですから。四十四時間のうち土曜日を減らしますから四十時間なんです。だから、全教授が一割カリキュラムの自分の授業数を提供するということでやりましたので、大変時間がかかりましたがとうとう、まあ私がワンマンだったわけじゃございませんが、私の説得が功を奏しまして、北大は昭和五十年ごろからやっております、現在もやっております。国立では北大医学部だけじゃないかと、今もそう思っております。  先ほど木宮先生が言われましたが、世界の大勢という言葉をお使いになったので、私も早速これを使いたいなと思ったんですが、私がアメリカへ留学したのは一九五四年ですけれども、既に学校五日制でございました。ですから、日本はもう非常におくれていますね。先進国なんだから、授業五日じゃなくて、もう学校五日制というのは国際対応の中でもやらなければ、今まではエコノミックアニマルだと言われましたけれども、今度は勉強のし過ぎ、勉強アニマルだと言われるようになるのではないか。しかも、木宮先生言われたように創造性に欠けますから、これが入試なんですね。入試というのは模範回答だけを要求しますから、それ以外の考えが入ったらマイナス、失点なんです。ですから画一なんです。木宮先生、一生懸命画一主義をおっしゃっていましたけれども、画一主義を排する教育はどうするのか。これはそれを要求しない入試しかないわけです。きょうは本論ではございませんのでこれはまた別にさしていただきますけれども。  学校五日制は、その意味で私は伸び伸びとした学生の、まあこれ大学でやったわけですが、高校も同じだと思うんです。小学校も同じだと思います。アメリカはその当時全部小、中、高、大学、皆一緒ですから。ですから、やっぱり子供たちが伸び伸びと暮らすために、そして自分の好きなことをさせるのが例えば土曜日だと私は思ったわけです。ですから、大学の場合には図書館をアルバイトを雇って時間を延長いたしました。午後でも勉強しな、そういうことをいたしました。それで、私はそれに対応するために、あのころは日本は貧乏でございまして、一ドル三百六十円のころですから。私の月給が助教授のころで八十ドルぐらいしかもらってないころの話です。ですから本が買えないです。だから私は医学部の図書費を一挙に百万、あの大学紛争のころ百万毎年出して学生の図書を充実いたしました。研究者用じゃないです、学生の勉強用です。そういうことをして、自由に勉強する時間を与える。クラブ活動もやれ、変なエネルギーで先生方を攻撃してもらっちゃ困ると。まあそれは冗談ですけれども、そういうことをやったんですが。  これは文部省はどれくらいの覚悟で取り組むつもりになっておられるんでしょうか。
  205. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 社会が週休二日制ということで徐々に動いてまいっておりますし、官庁も閉庁方式取り入れといったようなこともありまして、学校五日制の問題はかねてから検討課題であろうというふうに思っておりますが、学校五日制のときに必ず議論になりますのが、そういうことをして教育水準が落ちないのか、そして教育水準の問題を考えますと、今度は子供学習負担が月曜から金曜にかかりますから、それが負担オーバーにならないのか、そして土曜日に子供学校に来ないということになりますと、それは学習塾へ行くんじゃないかと、そういったいろいろな意見があるわけです。と同時に、片方社会はそういうふうに動いている。そして、一般の親の意見というのが、総理府で調査いたしますと、六〇%を超える人間が学校は今のままでよろしいというふうな意見がいまだにある。根強い。  ということになりますと、この学校五日制については、やっぱりそういうもろもろの問題についてある程度対応ができるような形にしておきたい。ということになりますと、ちょっと私たちといたしましても十分な調査研究が要るだろうということで、来年八ブロック、全体で六十四校の学校で研究指定をしていただきたい、そして地域で子供をどういうふうに土曜日受け入れるのか、そして土曜日のあいた学校はどういうふうに開放していくのかとか、いろいろなことを総合的に調査研究をして、そして世の中の国民考え方というものがどういうふうになっていくだろうかということを見るための余裕期間も欲しいということから、来年から調査研究に入りたいというふうに考えている次第でございます。
  206. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 何となく常識的に土曜日休みと普通思うようでありますけれども、米英は土曜日だがフランスは水曜日だそうですね。私が昔新聞記者に聞かれて、どういうところにどういう休日をやった方が労働衛生上、つまり疲労が多くてけがをするとかということはないかというと、統計とってみますと月曜日にけがが多いんです。日曜日休んでいますから、体が条件反射的に動かない。ひょっとしたらきのう飲み過ぎて疲れたとか、いろいろなのあると思うんです。それで私は月曜日半ドン制の意見を出しましたら、これ日本じゅういなかったわけでしょうから新聞記者はびっくりして飛びついてくれましたけれども、あとはだれも飛びつかないんですね。しかし、そういう発想があってもいいと私は思うんですね。  ですから、今お話しの、局長言われるのはやっぱり守る側の考え方で、世論がこうならだめだと。それはまあそうですね。やっぱり世論というのはそうだと思いますが、世論の言っている人たちは昔のノスタルジーがあるわけですね。自分がやったことは一番、大過がなければいいんだ、僕らもそういう気持ちありますものね。何で六、三、三なんだと、昔の方がよかったと大抵の人が言いますね。大臣もひょっとしたらそう思っておられるけれども、口では出さないとおっしゃっているんじゃないかと思いますが、旧制高校のあの古きよき時代なんというのはやっぱり今はないものね。だから、ああいうところ、人格の陶冶というけれども、裏表、高等学校六年やったのが偉くなったり、あるんですね。ですから、人間教育というのは学校の知識教育だけではない、これはもう本当にそうだと思うんですが、方法論がわからぬわけだ。  そこで今の、五日制にしたら学力が落ちるのではないか。何の学力なんですか。なぜ塾へ行くの。やっぱり一点余分に取りたいからですよ。そこへ全部行っちゃうのだ。これ入試の制度が一点を争う制度でなくて、しかもだれが見てももっともらしくて、選抜をするときに文句の出ない方法しかないわけです。ですから、そういう方法を考えなきゃいけないんです。今やっている新テストもすべて一点を争う教育には変わりありません。新テストなんか何にも入試改革になっていません。前と変わりないです。しかもグループ分け、分離分割、何が何だか文教委員である私にも、よく読まないと質問するのにも間違いそうですものね。そんなばかげたことをやって、それで東大が分離分割に動いたら東日本雪崩を打ってそうなると書いていますよ。そんなことでいいのかと思いますね。  ですから教育というものが知識偏重である。知識偏重の最たるものが一点を争う入試だと、どうしてもここへ行きますから、ですからここはやっぱり、まあ私も何遍も申し上げた入試改革ですから、改めて時間をもらって一回やってもいいとは思いますけれども、何としても、それよりもいい方法があればそれでいいんですから、なければ私の方法というのがあるのではないかと思っているんです。私のがベストなんて思っていません。今よりはいいはずだ。ですからベターだと思っているんです。よりベターなものがあれば、それはそうすればいい。  具体案がなくて入試改革を中曽根さん以来言っているわけだ。その入試改革というのが一番の諸悪の根源なんですね、と私は思っています。ですから、そこを打破する具体的な方法を出すのが政治だと思いますね。政策というのはそういうものだと思うんです。具体策を出さなければいけない。入試改革を題目を唱えただけではだめだな。これ意味ないですよ。ですから、私はそう思うんで、大臣答えにくいかもしれませんが、その辺のお考えを少し伺って私の質問を終わらせていただきます。
  207. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) お答えする前に、先生の例の個性に対する御高説、私も拝聴いたしております。個性を伸ばすというのはおかしいのではないか、正しくは個の資質、その中にも、先生の御説ですと、いい資質と悪い資質があるから、より正しくは個のよき資質を伸ばすというのが正しいであろうと、こうおっしゃられたのをよく覚えております。したがって、個性化という言葉を使うたびに高桑先生のを思い出しましてじくじたる点がございますけれども、強いて言えば、先生おっしゃるように、それぞれの特色あるというふうに御解釈いただいて、それを通念として個性的とか個性化とか言っておるということでお許しをいただく部分が多かろうと思います。  それとまた、入試改革について高桑先生のたしかハードル論の御高説も拝聴いたしました。こういう点でハードルを一つ一つやはり飛び越えていくということで、一回の査定でなく、そういうことも一つの方法ではないかとおっしゃられたのも記憶にしっかりございます。そういうことも含めまして、確かに今一点を争うという受験地獄というものから児童生徒を解放するということのために、あらゆる知恵を集約していくべきときであろうということ、それには全く賛成でございます。  ただ、今例を引かれましたように、例えば六年制の中学にいたしましても、五日制にいたしましても、私ははっきり言えば、五日制というのも世界の波の中で可及的速やかに検討すべきことだと思いますし、六年制中学もいい面いろいろあると思うんです。私もいい面が多いと思うんですけれども、なるほどその反面で必ずいい面と悪い面が御検討の中には出てまいるわけでございますね。例えば、効率的な一貫教育ができるという反面では、長いから惰性に陥るのではないかとか、それから、あるいは生徒の個性、適性に応じた教育課程の編成ができるという中で、逆に言えば生徒の発達段階数が拡大して序列化が進むのではないかとか、もう両面いろいろございます。こういう点を一方に偏らずにやはり見ていかなければならぬという立場でもございます。そういう点では学識者の協力会議その他の御意見を伺いつつ進めていくということが必要だと思います。が、ただ先生がおっしゃっている論点はよく理解できます。  もしつけ加えさせていただくならば、それに一点を争う、例えば試験の方法が変わったといたしましても、もう一つは、やはり学歴偏重から脱却するような社会風潮がもう既にあるわけでありますけれども、その風潮からむしろおくれているのは、そう言うと怒られるかもしれませんが、学校教育あるいは家庭の面でまだ学歴へのこだわり方というものが家庭の中にもあるかもしれない。その考えを変えるのは相当長くかかりますよという先生のお考えもわかりますけれども、既に社会変化の方がスピードが速いという感じは私は惻々といたしております。したがって、せめてその社会変化対応できるような青少年を育てるためには、それにまた対応できるような教育の改革はせめて一日の休みもなく進めていくべきであろう、先生のお考えを拝聴いたしつつ、そんな感じを持たしていただきました。
  208. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 ありがとうございました。
  209. 高木健太郎

    高木健太郎君 提出しました質問の予告とちょっと逆になりますけれども、今個性とか個というような話が出ましたので、私の考えを申し上げておきたいと思います。高桑先生とちょっと意見が違うかもしれませんけれども、高桑先生に後からまた御了解を得たいと思います。  私は、個というもの、いわゆる個性というものと我というものとは違うものじゃないかなと思っておるわけです。それで、いわゆる我を通すというような言葉もありますし、我を矯めるとか、そういう我というような言葉がよくあるわけです。一方ではしかし、自我というと非常に個性が強いような印象を受けるわけなんですけれども、私は我というものと個というものは違うのじゃないかというふうに思っているわけです。現在、教育の基本として個性を伸ばすというときに、我と個というものを混同して使われているときがあるのではないか、こういうのが私の考え方なんですね。  我というものは、実は大脳生理学的に言いますと、非常に、生まれつき、まだ脳が発達していないとき、いわゆる大脳皮質が発達していない、いわゆる人間というものができていない、いわばワニだとか爬虫類ぐらいの状態の脳を持って人間は生まれてくる。生まれてから、あるいは受精をしてからと言ってもいいかもしれませんが、その間に大脳皮質がだんだん発達して、そしてその我というものを自分自身で抑えて、より環境に適応できるように自分自身を矯正していくといいますか、生きやすくしていく、あるいはうまく生きていくようにする、そういうものだと思うんです。だから我というものは、一般的な言葉で言えば本能的なものじゃないかなと。いわゆる性欲であるとか食欲であるとか、そういうものは動物もありますし人間にもあるわけですけれども、人間ではそれに節度というものがあるわけですけれども、そういう本能的なものが我であって、これはそのまま伸ばし続ければ動物的な人間ができるのじゃないかなと思うわけです。  それが、人間はいわゆる大脳皮質ができる、特に前頭葉の前野ですね。前頭葉前野という、前頭葉のまだ前の方ですが、そこは理性のあるところだと言われておりまして、それらを適当に抑制をしていく、そしていろいろな経験とそれから教育とによって我というものを抑えつつ自分というものができていく、いわゆる個性というものがそこでできていくのではないかと思うんです。  戦後、民主主義というものが日本に導入されましてから、いわゆる自由である、あるいは個性を伸ばすというようなことが盛んに言われるわけですけれども、我と個を間違えると、そうすると野方図もない人間ができる。こういうふうに私は思うわけです。だから、我というものはいい面は伸ばさなきゃいけませんけれども、我の中で余り社会的秩序を乱す、あるいは他人に迷惑をかける、結局は自分の身に非常に危険が及ぶというような我はできるだけ遠慮をし、できるだけ抑えていくことが大事じゃないか。個性を伸ばすということが我を伸ばすというふうに取り違えますというと、本当に野性的な、人間らしくない、いわゆる教育を受けてない、教養のない、そういう人間にいってしまうのではないか。  これが、実は後で幼児等の教育のことについてお話ししたいと思っているんですけれども、母親の中にそういう気持ちがあって、子供の言うとおりにしてやるということが、あたかもいいことのように考えている母親がある。これが中学ぐらいになってしまいますというと、これをもう一度もとに戻すということはこれはもう絶対に不可能である。それで、私の言うことを聞かない子供ができた、この子は憎いというような子供になれば、子供はまた両親を余り愛することはできない。こういうふうにして家庭内の紛争が起こっている可能性が十分あるのだろうというふうに思いまして、後で幼児等の教育のことについて大臣にひとつお願いを申し上げたいと思っております。  今、高桑先生は個の確立と言われるのですが、私もしょっちゅうその話を聞くわけですが、個の確立というのは我の確立ではない。だから、大脳を含めたそうしたものがいわゆる磨き上げられた我であると言っても私はいいんじゃないか、こういうことを最初に申し上げて、個と我を取り違えた教育にならないようにしていただいたらどうか、余りこういうことを言う人がいませんので、そういうことを申し上げた。  それからもう一つは、動かないものと動くもの、変えられるものと変わるものというのがありますが、変わらないものというのはどちらかといえば文化というようなものじゃないか。いわゆるそこの土地、環境に定着して出てきて、その中で長く育てられてはぐくまれてきたもの、それが何か文化と思うわけですね。文明というのはどちらかというと、これは外から入ってきた、いわゆる変えられるもの、それが進歩していくもの、そういうものが文明だと。いわゆる文化と文明というのは、これは使い分けておく必要があるのだというふうに思います。  これを話すと長くなりますけれども、私は文明というものは、もっと言いますとディジタルなものじゃないか。いわゆる知識というようなもの、そういうものがいわゆる文明じゃないか。文化の方はどちらかといえばアナログ的なもので数で勘定できない。いい人だ悪い人だ、気分がよい悪いというようなものは、これは勘定することができないわけですね。もう一方のディジタルの方は大脳的な働きですけれども、これは勘定できる。だから、現在の入試の話も出ましたけれども、入試で一番問題になっているのはディジタルの面だけを見る。すなわち文化というものの試験はしていない。アナログ的な試験ができない。それは数で勘定できないからできないものである。そのできないものをどうやって見ようかといって、面接とかいろいろなことがやられておりますけれども、なかなかそれでもって人間の優劣を決めにくいものがある。こういうところに入試の悩みがあるんだろうと私は思っているわけです。これをどういうふうに今後解決していくかということが我々に課せられた一つの任務だと、そういうふうに思っております。  高桑先生から個の話が出ましたし、入試の話が出ましたので、これはまた高桑先生と後でゆっくりひとつ討論をしてみたいと思います。私の考えとして大臣にお伝えをしておきますので、大臣もひとつ入試の件、個と我の件、そういうことをもっと深くひとつお考えいただきまして、単に条文さえ変えれば文部行政は足りるというようなものでは私はないと思うんですね。いろいろなものをつくればつくるほどややこしいこともたくさんふえまして、それで条文ばかりふえてしまってわからなくなっちゃう。御趣旨はわかるんですけれども。  先ほど安永さんとか粕谷さんも言われましたように、いわゆるそういう夜間、定時制をおやりになると、そうすると時間数を四時間以上だったのを今度は三時間以上にする、高桑先生のように、そんなことをしたら圧縮されて、あるいは二つ並列にはできぬじゃないか、学校先生の方はどうするんだ、いろいろな問題が起こってくるんですね。お気持ちは安永先生も言われたように、いつでもどこでもだれでも勉強ができる、その気持ちはわかるけれども、現実にそれを入れると、いろいろな不都合な点が出てきて、かえって非常な面倒になってくる。面倒でもやろうというならば、相当の金出して、人間もふやして、施設もよくしていくというふうにしなきゃならない。それは許されないということになるとどこかにしわ寄せがいってしまうということのあらわれじゃないかなと、こういうふうに思っておるわけです。  そこで、本題に移りまして、技能提携の施設のことをお聞きいたしますが、この技能提携施設というようなものは、高等学校へ行ってその中の科目の幾つかを、実習的なものはそういう施設のあるところで、文部大臣の指定したところで勉強すればそれを単位として認めるんだと、そういうことですね。間違っていればひとつ御指摘願いたいんですが。私よくわからぬものだから、お聞きしながら御質問いたしますが。それは私非常にいい考えで、その実習的なものというものは実際に教科書なんかでやるよりも、現場に行ってやる方が頭に入るし、それからまたもう一つは、実際に実社会に出てそれがすぐ役立つだろうと、そういう意味でおつくりになったんでしょうか。その趣旨はどういうふうな御趣旨でしょうか。
  210. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 技能連携制度を創設いたしましたのは昭和三十六年でございますが、この趣旨は、働きながら学ぶ青少年学校技能教育施設の両方にいる。例えば定時制高校に通いながら職業訓練所に行っているといったことについて、同じような職業に関する教科が両方で行われているということになりますと、それは両方受けなければならないということでは子供の二重負担であるということから、職業訓練所でやっております教科を高等学校の教科としてみなして、そしてそれを高等学校の修得単位数に入れていくという制度で、いわゆるその生徒学習の二重負担というものを軽減していこうということで始まった制度でございます。
  211. 高木健太郎

    高木健太郎君 わかりました。  これもいい考えだと思いますが、その質の問題はもちろんあるでしょうから、これは文部大臣がこういう教官で、こういう施設であれば十分これは高等学校の教科の一つとして加えてもよろしいと、こういうことを十分審査された上で認可されるんでしょうね。もちろんそうだと思うんです。  この数が、いただきました資料を見ますというと、全体で定時制の人は二千七百五十人ぐらい、それから通信制の人は三万三千二百五であるということが載っていますが、定時制が十四万、片一方は十四万八千、割合で見ますと、定時制の方は一・九%、これもまた計算が違っているかもしれませんから後でよく見ていただきたいと思うんですが、それから片一方の方は、通信制の方は二二・四%、これを見ますとかなりこれ少ないように思うんですね。一・九%、二%足らずですね。この定時制の人が二%しか利用していないということの理由はどういうことでございましょうか。何か理由がございますか。
  212. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 結局、定時制高校に通っている生徒がいわゆるそういった技能教育施設に現在学んでいるということが必要でございます。そこのところがどうも私どもその実態を十分調べたわけではございませんが、その数が大体余り数がいない実態なんではないかということが、全体におきます比率を小さくしているのではないかというふうに思うわけでございます。
  213. 高木健太郎

    高木健太郎君 これは女性も男性もいるんでしょうけれども、余り、二%程度の者ですね。これは何とか少し考えないといかぬのじゃないか。何かほかに理由もよく調べる必要があるんじゃないかなと思うわけですね。それで、そのためにまたいろいろな手続もありますし、単に二%の人のためにどうしてもやらなきゃならぬのか。じゃ一%になっても〇・五%になってもこれはやる、あくまでも続けるんだというほどこれは大切なことであれば、それは別でございますけれども、そうでない場合は何とかこれは考えておくべきじゃないかと思うんですが、今までの傾向はどうでしょうか。ここ例えば五年なら五年の傾向は。
  214. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) ここ数年は余り変わっておりません。それで、その中身を見てみますと、連携をいたしております技能教育施設の分布状況を見ますと、一番多いのは大阪でございまして、その次が愛知、その次が福岡、そして岩手、それから埼玉、静岡と、こういうふうになっておりまして、必ずしも一番数の多い東京というのは上位ランクに入ってないということがございまして、これについてどうしてこういう分布になっているのかということはなかなか私の方もよくわからない点があるわけですが、実態はそういうことになっております。  そこで、今御提案申し上げておりますのは、技能教育施設の指定の権限は、今まで文部大臣が、この技能教育施設は指定をするに足りるということを個々に文部大臣が指定をいたしておりました。それを都道府県の教育委員会に委譲するということになりますと、やはり都道府県の教育委員会といたしましては、自分のところにおります生徒のことを考えれば、これは積極的にある程度その中の橋渡しをしてくれるだろうということも考えられますし、やはり文部省におって全国から技能教育施設の指定の申請が上がってくるという受動的な話ではなくて、ある程度教育委員会といたしましては、生徒学習負担がこういうふうにやれば解消ができるということを考えれば、教育委員会に権限をおろしたことによって、そこのところは、まあ私は何もかも全部こういうふうに連携をするということがいいというふうには思っておりませんけれども、できるならば学習負担の軽減という角度でいいものはきちっと拾い上げていくということができるのではないかというふうに思っておるわけでございます。
  215. 高木健太郎

    高木健太郎君 後でそのことはお聞きしようと思いましたけれども、まあ委譲する、権限を委譲するということで、その地方の事情がよくわかるので、それでそれの利用方法というものが、利用が向上するのではないか、そうおっしゃったことなんですね、そういう御意向なんですね。  ただ、表面的な理由としては、二十五年間もやった、だからよくわかった、だからもう委譲してもいいと。ところが、よくわからないから委譲したというふうに今の言い方では聞こえるわけですね。文部省がやっておったんではよくわからぬ、だから地方によく事情のわかったところへやらなきゃいかぬ、こういうふうになるので、ただ年数が二十五年たったから、もうこの制度は定着したからもう地方へおろす。そうじゃなくて、今度は地方におろしても、これ本当にうまくいくかどうかわからぬのだから、今までどおりできるだけこれに力を入れなければ、ただ委譲してしまったというんでは私はよくないんじゃないか。その点はひとつお考えいただきたい、十分考慮していただきたい。もう委譲しちゃったんだから、わしらの方に何のあれもない、どうぞ御勝手におやりください、それではこれはうまくいかない、いかそうと思うならやはりある程度の努力が必要じゃないかと思います。  その次にお聞きしたいのは、現在、こういう技能連携施設というものは大体どのぐらいあって、そしてその施設者は、ころいう施設のいわゆる設置者ですね。それは国公私立、まあ国はないでしょうけれども、国公私立、あるいはどこか分布とかあるいは施設者はよって差異が出てきているんじゃないか、違いが。あるいは国庫が幾らかこれに対して補助をしておられるのかどうか。それから、そこに通っている学生はどれぐらい学費を必要とするのか。定時制の方にも授業料を払い、施設の方にも何か授業料を払っているのかどうか。それは大体どれぐらいのものなのか。両方に行けば高くつくのか。片方だけならばそれで済むのか。そういうことをちょっとお伺いしておきます。
  216. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 各般のお尋ねでございますので漏れるかもしれませんが、今のことをずっと申し上げますと、指定技能教育施設の数は全部で三百二十五施設ございます。そこで、その中身を見てみますと、いわゆる専修学校、各種学校という系列のものが百五十四校でございます。それから職業訓練所が六十七ありまして、その中で公共職業訓練所が四十一所、それから企業内職業訓練所が二十六ということでございます。それから准看護婦養成所というのがありまして、これが百二、それから農業大学校高等科という範疇に入りますのが二、合わせて三百二十五という施設が現在技能教育施設として指定されておるわけでございまして、いわゆる公立といいますか、そういったものにつきましては設置者別に見るという数字を持っておりませんが、公共職業訓練所はこれは公立のはずでございます。したがって、これは、この数は公立であるということと、それから各県にも専修学校で県立の専修学校を持っているところもございます。そういったところもこの百五十四校の中には入っているということ、現状はそういうところでございます。  それから、学費の問題でございますが、技能教育施設で学費を取るかということにつきましては、今申し上げました専修学校、各種学校は当然そういった学校でございますから授業料を徴収されておるわけでございまして、職業訓練所については徴収がないのではないかなというふうに思っておりますが、この辺は定かでございません、私ども調査いたしておりません。そういった点でございます。
  217. 高木健太郎

    高木健太郎君 だから両方に行けば高くなるということがないようにするべきじゃないか。両方へ行くから、それは片一方であるいは給与をもらっているところもあるかもしれませんけれども、そういう学校に行っているときには両方から取られるということになりますね。その単位だけは施設で取るんだと。授業料はこっちで払わなきゃならぬということになると、時間の上では負担が減りますけれども、経費の上では負担がふえる。 それもちょっとまずいんじゃないか。そこら辺もひとつお調べいただいたらどうかと思いますが、いかがでしょうか。  それから教官なんですけれども、教官はこれは定時制の教官と同じことでございましょうけれども、幾らかそれに歩合というか、幾らかつけておられるんですね、何%か普通の高校の教官よりも多いと。それは大事ですが、それぐらいでいいでしょうか、夜中、夜が多いんでしょうけれども。それからちょっと質がいろいろじゃないかとも思いますし、御苦労も多いんじゃないかと思いますが、今何%ぐらいでございますか。
  218. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制通信制先生につきましては、いわゆる定率手当といいまして、給与の月額の一〇%を手当としてお出ししているわけでございますが、この額につきましては、これずっと長い間これできていまして、この額、そのパーセントのアップというふうなお話を余り聞いたことはございません、今までその本俸が上がればスライドして上がっていく話でございますので。大変面倒な夜間の時間ですし、そして、入ってきます生徒というのは勤務を持っているとか、いろいろな多様な生徒を扱うということで、御面倒が多いわけでございますが、それに報いるに一〇%の定率手当で処理しているというのが現状でございます。
  219. 高木健太郎

    高木健太郎君 どんなふうな、幾つぐらいの先生が多いんでしょうか。例えば定年退職した方とか、ここには定年制というのはあるんでしょうか。あるいは幾つぐらいの先生中心になって教えておられるんでしょうか。
  220. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 定時制高校通信制高校というのは大体公立学校が多いわけでございますので、そうしますと当然地方公務員としての定年制ということが働いてまいります。したがって定年制度はございます。現実問題として、それでは若い人が多いのか、年輩者が多いのかということについては、今ここに数字がございませんが、まあなべて言えば普通の全日制高等学校定時制高等学校先生年齢別の分布状況というのは、そう大きく変わっているものではないというふうに私は考えております。
  221. 高木健太郎

    高木健太郎君 私が心配しているのは、先生の質が落ちないように、あるいは定時制高校は昼間高校よりも大体落ちるんだというような考えを持っていると、だんだん質の悪い先生がそこに行ってしまう。それじゃいけないじゃないか。だから、給与も待遇も十分見てあげる。そしてまた、定時制高校も質は高いんだというようなことをやっておかぬと、定時制というと初めから低いというような先入観を持たれないように、ぜひその点はしっかりやっておいてもらいたいということを心配して申し上げるわけです。  それから、次にお聞きしたいのは、この定時制高校といいますか、施設も含めてなんですけれども、昼間、施設に行っておって、そして夜は定時制高校に行く。昼間働いているようなものなんですね、あるいは勉強しているのかもしれませんが、そうすると、昼も夜も勉強しているということになるんですね、これは。そして体育なんかはどうなっているんでしょうか。日曜日はお休みでしょうけれども、体育とか遊びというようなものはどういうふうになっておるでしょうか。というのは、頭がよくなるという本がこのごろたくさん出ているわけですけれども、そういう本を見なくても実は運動するということは、体をよくするということもありますけれども、頭をよくするというのが、最近はよく言われでいるわけなんですね。  あくびをするというのは、皆さん方、眠いからあくびをするというふうに一般に考えられていますけれども、あくびをすると、ここの筋肉が引っ張られて、それから頭にいって、それで起きろと、こういうことであくびをする。そういうふうだから、眠くなったら大いにあくびをしろという説を、昔時実君が言ったことがございますが、体育は、体育というよりか運動、遊びというものは極めて重要な教育の、あるいは勉学の要素であると私は思っているわけです。こういうふうに昼も働き、あるいは昼も勉強し、夜も働くという生徒たちはどのように遊びをとっているだろうか、あるいは運動をしているだろうか。  遊びと言えば、遊びというのは、人生のアクセントだ、主目的を達成するための潤滑油であるということを言っている人もございますし、まただんだん国がこういうふうに忙しくなって、文明が発達すると忙しくなってくる。子供たちは暇を失ってしまう。そして、そのために遊び場も失う。次には群れを、コミュニティーも失ってしまう。やがて兄弟姉妹ともうまくいかなくなるということを言っている人もあるくらいなんですね。私は遊びというのは非常に大事じゃないかと思います。  ネズミをこういうかごの中に飼うわけなんですけれども、それを群れで飼っておきまして、中に遊び道具を入れておいたネズミと、全然そういう遊び道具がなくて、一つのかごの中に一匹だけ入れておく。えさと水はちゃんとやる。ところがもう小さなかごに入れておいたネズミは脳の発育が物すごく悪いわけですね。 それから、神経細胞の電線の伸びが全然悪い。そして、そのネズミは非常に変質的なネズミができちゃう。もちろん人間で言えばインテリジェンスも落ちるんじゃないか、こう思いますし、あるいは人とのコミュニティーもうまくいかない。こういうことはもう実験的にわかっておって、ネズミと人間とはすぐにはこれは持ってこれませんけれども、ある程度これは参考になる私はデータであると思います。  定時制とかこういう施設、まあ施設と言えばちょっと聞こえが悪いんですが、連携施設の方に通っておられるそういう生徒さんたちは、どうも夜は夜でそういうところへ、学校へ行ってる。今度は、昼は昼でどこかで、閉じ込められたところにいる。そして機械と向き合っている。夜は先生の言うことを聞いて、友だちと余り話す機会もない。そういうふうな私から言わせると人間らしくないかなり異常な環境に私は置かれているようにも思うわけです。だからこれをどこかで晴らしてやらないといけないんですが、もちろんそのことについてもお考えで、体育の時間とか、あるいは雨天体操場で何かおやりになるとか、いろいろなことをお考えになっておるでしょうけれども、それにも増して、日にも余り当たらないという子供は、もう普通の高校の人よりももっとずっと健康だとか健康を通した脳だとか脳の働きとか、そういうものに気を使うべきだと思うんですけれども、それについてはこの技能の提携高校あるいは定時制ではどんなふうにお考えでございますか。
  222. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 技能連携は職業に関する教科について連携をいたしますので、体育のような教科についてはこれは技能教育施設ではやらないということにしております。したがって、それは定時制高校の方で、本体の方でやるということでございまして、定時制高校も全日制高校と同じで、いわゆる体育については必修科目でございますから、それぞれの学年において定められた単位の体育はやられているというのが現状でございます。と同時に、おっしゃいますとおり、いわゆる全日制高校ですと、クラブといいますか部活動といいますか、そういったものをやる時間が昼間ですからかなりあるわけでございますが、夜の生徒ですと、九時に終わってから余りその時間がない。余りおそくまでやれないという、そういったハンディというのは当然考えるわけでございます。しかしながら、私たちといたしましても、そういった夜間に活動できるような夜間照明施設、運動場の夜間照明であるとか、あるいは体育館の夜間照明施設であるとかというものを十分整備して、そういった生徒さんが十分夜間も体育ができるようにということで配慮をいたしておるわけでございます。  ちなみに、夏の甲子園大会のときに、いわゆる神宮球場において定通の野球の全国大会というのも開かれております。毎年毎年かなり参加する学校の数が多くなって、各県選抜になっておりますが、そういったものを見ましても、そういった点で非常に少ない時間の中でも生徒の方は一生懸命にそういった体育、運動をやっているというふうに見受けられるわけでございます。
  223. 高木健太郎

    高木健太郎君 よくこれは中曽根さんの時代から心技体、心技体と言われるんですね。もちろん甲子園出たことも私聞いておりまして喜んでおったわけですけれども、何といっても体育館というのは人工照明ですから太陽に余り当たらないということなんです。だから、例えば日曜日とかあるいは休日をどこかでとりまして、やっぱり野外へ連れていくとか広々した山にでも行くとか、そういうことは特に考えておく必要が私はあるんじゃないかと思うんですよ。私たち自身はそんなことわかりませんけれども、文明というものはいつの間にか人間をむしばむということがあるわけですから、やっぱり余り自然から離れたそういう生活をする、特に子供たちですから、その子供たちにはそういうことに細心の十分な心配りをしていただきたいものだと思っております。何も甲子園に出て活躍したからもうそれでいいというんじゃなくて、やはり野外にもいつか連れていってやる、昼間もどこかで日を見せてあげるというふうにされることを強く要望しておきたいと思います。  それから次は、地方に文部大臣の指定が今度委譲されたということなんですが、そうすると、先ほど申し上げましたように地方は自分のところで抱えているから事情もよくわかって、それだけに行き届くだろうというお考えもあると思いますが、一方では、今まである程度水準が保たれておりたのが、その水準が落ちるんじゃないか。だから、ばらばらのばらつきが非常に多くなるんではないか。画一ということから言えばいいかもしれませんけれども、ばらつきが起きることに対しては何か方策を考えておられますか。
  224. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 具体的な指定の権限は都道府県に委譲いたしますが、どういったものを指定するかに足るその基準といいますか、指定基準というものは文部省令で定めておるわけでございまして、例えば技能教育施設については、修業年限でありますとか、指導時間が何時間以上でなければならないとか、あるいは技能教育担当者の資格の問題でありますとか、実習担当者の資格の問題でありますとか、そういった基本的なところはその水準が落ちないように文部省令できちっとしておりますので、その範囲内においてできるところについて各県が指定を具体的にいたすということに相なるわけでございます。
  225. 高木健太郎

    高木健太郎君 ぜひその点も御配慮いただきたいと思います。  もう一つは、これは臨教審の第二次答申で書いてあった文句ですけれども、高校職業科卒業生、これは施設も含んでいると思いますけれども、「大学入学者選抜において特段の配慮を加えるように」ということが述べられているわけですが、その「特段の配慮」というのはどういうふうにお考えになっておられますか。  それからまた、先ほどからも高桑委員からもお話がありましたけれども、一方は三年で一方は四年と。三年以上でもいいというんだから四年でもいいわけですけれども、そういう場合に就職というようなもので不利益をこうむらないか。あれは四年もやっている、普通三年で出てくるのを四年だというふうに見られることはないか。それによって不利益をこうむることはないか。それから、大学入試で「特段の」と書いてあるのは、何かそれがあるから「特段の」と書かれたんではないかという気がしますので、「特段の配慮」とは何ですか。入社のときにそれが不利益になるということはあり得ないか、そういうことをお聞きしたいんです。
  226. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 大学入試につきまして職業高校との関係をどう考えるかというのは、それぞれの大学の入学試験をする側の考え方によるわけでございますけれども、私たちとしては、例えば推薦入学についての枠をきちっと設定していただくとか、そういったことで職業高校の方が大学へ入りやすい道を開くということが必要ではないかというふうに思います。この辺は担当局であります高等教育局とそして大学側と十分今後相談をしていきたいというふうに思っております。  なお、就職の問題について不利にならないかというお話でございますが、今考えておりますのは、そういった三年制でもいいよといった道を開くということでございまして、元来定時制高等学校といいますのは、現に職にある人、働いている人がそこへ来ているというのが建前といいますか、それが建前でできている学校でございますので、新しく就職問題でそういった差別ができるということはあり得ないだろうというふうに思っておりますが、そういった点について十分配慮してまいりたいというふうに考えております。
  227. 高木健太郎

    高木健太郎君 というのは、あれは一年浪人したんだと、それが一生尾を引いてしまうんですね。そういうことのないように、たとえ四年で出ても三年で出てもその事情さえわかればよくわかるわけですし、四年で出たからあれは頭が悪いんだ、だからこれは採らぬで三年で出た者を採るというふうな、そういう見方を企業の方でやると、それは非常に不利益になるんじゃないか、そういうことも心配される、こういう意味なんです。それらも十分地方の方に指導をしていただきたい。それから、大学入試だけじゃなくて入社、就職というようなことについても十分細かな指導をしておかれなければいけないんじゃないかということを申し上げたかったわけです。  次に、単位高校のことについてお聞きしようと思ったのですが、少し時間が切迫してきましたので、先ほどお約束しましたので幼児教育のことについてちょっとお尋ねいたします。せっかく厚生省の方も見えていると思いますので、ちょっとお聞きしたいと思います。  これは文部大臣も、このごろそういう幼児教育の本がたくさん出ているということは御存じのとおりだと思うんです。私もいろいろそういう本を読ましていただきました。一つは森信三という人の小さな本ですし、片方はあの有名な井深大さんの本なんですけれども、それに共通したところがあるのは、おもしろいと思いましたのは、例えば母親というのは子供教育にとって非常に重要であるということは、私これは両方ともに共通したことであると思います。またそのほかの本でもそういうことが書いてある。例えば母親の胸は生まれたばかりの赤ちゃんにとっては最良の教室であるとか、これは井深さんの言葉です。それから森という人の言葉は、子供のしつけは母親の全責任であるというふうに書いてあるんですね。それから、子供をどういう人間に育てたいかということは両親が決めることで、子供のときからそれはしっかり目標を決めておくべきじゃないかというようなことも両方に共通しているところです。また、二歳から三歳までは押しつけでもいい、しつけはその間にやれ、例えばおはようと言えばおはようと言うことを教える、はいという返事を必ずさせる。くだらない非常に小さいことですけれども、それは両方ともに書いてありまして、しつけは二、三歳までの間にやったらどうかという、これは一つのこの人のお考えだろうと思うんです。  私も、これがひとつ子供のことでございますが、最近NHKで胎児教育といいますか幼児教育というものを放送あったのをごらんになったでしょうか。実は私もびっくりしたんですけれども、最近そういう子供それから母親の教室が非常にふえているわけですね。お母さんが大きなおなかを抱えて、その方々が十人とか十五人ぐらい並んでおられて、それでそのお母さんが先生に倣ってツインクル・ツインクル・リトル・スターというふうに歌うんですね、お母さんが。それは子供がそうすると英語がうまくなる。これはちょっと私はまゆつばものだと思うんですね。だからそれは方言で歌えば子供は方言の英語になっちゃうんじゃないかということを皮肉を言う人がありますが、とにかく母親というのは胎教があるということになると、やっぱりそれを信じてそういう教室に行くわけです。そうすると、二回行って一万五千円だそうですね。それぐらい月謝をとられるということですね。一週間に二回行くと一万五千円。そういう胎児教室というのがございます。  それから例の公文研究所、有名な公文の教室というのがございまして、人間の可能性をどこまでも追求する。それには生まれたらすぐに歌を聞かせましょうというようなことで公文さんは書いておられますね。それから和泉学園というところがありまして、これは英語だけで教育をする、英語をその間やらせる。五歳までに外人だけの中に置いて、そして英語を教えれば国際的な人間になると。これは私は変だと思うんですが、そういうのがある。それからめばえ教室というのがありまして、これが多分子供さんを連れていって、二歳から六歳までが一番伸びる時期、それで二歳でかなりの差ができて七歳で知能指数を一〇以上伸ばすというのが楽だと、ここにいろいろなカリキュラムが書いてありまして、こういうめばえ教室というのがあるわけですね。  それからこれは、スセディックという人、これはイタリーの人でしたかどこの人でしたか、四人の女のきょうだいがいて、それがスセディックがうまく教育してIQが一六〇以上であるというようなこと。これが、それも妊娠のときからなんですね。妊娠五カ月前後から育児教育をやる。ここにテープコーダーが置いてありまして、これを聞くというと、だんだん子供が非常に早く成長し頭のいい子供ができる、こういうことが書いてありまして、これには、四カ月から一歳半、それが週二回で一万五千円っていうようなことが書いてあるわけです。  私がこんなことを言うのは、今の保育園というようなものができてきたり幼稚園ができてきたというのは、明治の初めごろにそういうことがあったということを読みました。その保育園ですけれども、保育園の歴史というようなものがあるんですけれども、初めは非常に貧窮な人、因っている人、そういう者のお子さん、あるいはお母さんが病気であるとか、そういうのをちょっと預ける。あるいは労働運動、三池炭鉱であるとか、炭鉱であるとかあるいは紡績会社であるとか、そういうところで企業の中にこれは子供を預けるというわけで、託児所であったわけですね。それがだんだん変わっていって、昭和に入って、昭和十三年、それが幼稚園と保育所がごっちゃになっていましたけれども、託児所から今度は児童の福祉というので、お母さんということではなくて、生活、お母さんという考え方から、児童の福祉所である、だから託児所から保育所に移ってきているわけです。最近はしかし、豊かになってきまして、託児所に預けるお母さんも少なかったんですけれども、それがまた今度は、いわゆる男女雇用法案なんかが通りまして、女性が外に出て働くというようなことが多くなりまして、それで、既婚婦人の職場進出とか、あるいは核家族化というふうなもので世の中が変わってきまして、子供さんを今度は保育園に預けるとか幼稚園に預けるという人が多くなりまして、数なんかは省きますけれども、今度はやっぱり婦人のためっていうようなことが一つ頭の中にきている、そういうことなんです。  私、厚生省の人がおいでになりましたので、まず先に聞いておきますけれども、保育所の現状と、その保育所が、まあ婦人公論にも載ってましたけれども、今、保育所の数だけはあるけれども、どんどんサービスが低下している。それで、保育所の先生方の質も落ちている。これじゃいかぬじゃないかというようなことを訴えている婦人もたくさんおられるわけですし、現在、保育所の現状と、数だけは十分ですと言うんですけれども、実際はその内容は非常に貧弱である。十分保育がしてもらえないというようなこと。それに、先ほどの民間のこういうのが出てきまして非常にサービスをよくしているわけなんですね。  これは文部大臣にも聞いておいていただきたいんですけれども、いわゆる高等学校生徒、それから大学入試の生徒というのが、あるところでピークになってこれから減ってきますですね。そうすると、予備校とか塾の生徒の数がどんどん減ってくるわけなんです。そうすると塾とか予備校がそれで経営が困難になるというので、そこで今のうちにお母さん相手のこういう託児所を、まあ託児所というか、お母さん相手のものをつくろうとしている、そういう考え方があるらしいんです。ところが、保育所にしろ幼稚園にしろ、小学校からは非常に臨教審も熱心におやりになりましたけれども、保育所それから幼稚園というものについてはもうちょっと力が足らないんじゃないか。何かそこのところが抜けているような気がするんですが、せっかく厚生省の方がおいでになりましたので、保育所の現状と対策を簡単に言ってください。
  228. 炭谷茂

    説明員(炭谷茂君) ただいま先生のおっしゃられましたように、保育所につきましては量的な面では十分行き届いたというふうに思っております。次に私どもの課題といたしましては、先生指摘のように、質の向上ということになろうかと思います。  質につきましては、特に保母の質の向上、これは養成施設等への指導とかまた現場における研修というものを充実させることによって保母の資質の向上を図らなければならないというふうに考えているわけでございます。また一方、保育所の保育の質の向上でございますけれども、内容の向上でございますけれども、最近、保育所におきましては非常に保育需要が多様化しております。例えば保育所において障害児を保育する、また場合によっては、東京のように非常に通勤時間が長うなりまして、五時、六時ではお母さんが引き取りに来れない。そのようなものに対しましてもやはり保育所が対応していかなくちゃいかぬというような保育需要の多様化というものについて、これから私どもは積極的に対応していかなければいけないというふうに考えている次第でございます。
  229. 高木健太郎

    高木健太郎君 実は脳のことをお話しして御参考にしようと思っていたんですが、とてもそんな時間がありませんので、きょうはやめますけれども。  ここに厚生省の保育指針というのをいただきました。それから文部省の方でも何か指導書というものをお出しになっているそうですね。これは保育一元化というのではありませんけれども、お互いにオーバーラップしているところもあるわけですね。そういうことで、子供が片一方は保育所へ行った、片一方は幼稚園に行っている。四歳から、三歳から幼稚園に行く。片一方は保育所でずっと五カ年やった。それがこの指針が違っていると、とんでもないことにはならないけれども、何か国としてはさっぱり原則がないというようなことになっても困るじゃないか。こういう意味では、保育一元化ということを何か今までさんざんおやりになってできないんだから、こうしろというようなことを私は申し上げられませんけれども、母親のことを考える、生活を考えるいわゆる社会政策としての保育所の任務というのは必ずあるわけですね、これは。それから一方では、母親としては子供というものを将来とも立派にしたいということがあるわけです。だから、それが片一方は幼稚園で、片一方はその両方の任務を持っている。しかしそれはオーバーラップするところはあるんですから、これはどんなことがあっても、国民としてはぜひ将来を担う子供の、文部省側から言えば将来の社会を担う子供教育を両方力を合わせてやる。母親のそういう福祉政策についてはそれが十分国民、母親方の満足のいけるようにしてあげながら、一方では子供というものの将来をぜひ私は考えなければいけない。  というのは、ここにありますけれども、御存じのようにインドの山でアマラ、カマラという二人の少女がつかまったんですけれども、これはもう人間ではなくてオオカミのようなものだったということはお聞きになったことがあるでしょう。このごろ、フランスの南フランスでアヴェロンという少女がやっぱりつかまったんですけれども、これは動物のように走るわけなんですね。それはもう一度は人里に連れてこられたんですけれども逃げ出して、その後連れてきて、お医者さんが、こういう心理学者なり生理学者が十分念入りに調べた。しかしもう言葉を教えることはほとんどできない。それから、歩くのも疲れないときはよたよたで歩くんだけれども、疲れると四つ足で歩く。それで、カマラとアマラというインドの少女は、これはもう初めからそういうふうなものであったかもしれませんから、これは学術的な根拠はないんですけれども、このアヴェロンの森の野生児というのは明らかにこれはもうはっきりしているわけですね。それで、子供のある時期までにあるものをやっておかなければこれは永遠に取り返しがつかないという、そういう証拠にこれはなるわけですね。  だから、小学校からの教育に非常に重点を置いておられ、インテリジェンス、ディジタルなことを教えになることはいいけれども、幼稚園、いわゆる小学校に入るまでの教育を十分にやっておかれないというと、いかにインテリジェンスを与えても、これはむだなことを、むだというか、かえって危ないことをやることになるかもしれぬと、そういうふうに思います。  特に、このごろは若いお母さん方が多くて、おばあさんがおりませんで、若い夫婦が子供を育てる。育児は何とかして読めばわかるでしょうけれども、そのほかのことはそのお母さんは知らないわけなんですね。それで、ここにある胎児教室なんかに通うわけなんです。これは捨てておいちゃいけないんではないか。何とかして私は画一的教育をお母さん方にするのはいけないけれども、将来子供を産むべき母親に対する育児と幼児期における幼児に対する母親の教育、これは何とか考えなきゃいけない。これは現在は大学にもそういうカリキュラムはありませんし、高等学校にもない。あるのは生理衛生で健康だ健康だと言っているだけである。そういうことではいけないので、子供をどのように育てるか、いつしつけをするのか、そういうことを、これはただ遊びなさいとか、いろいろなことを書いてあるんですけれども、それじゃなくて、もっと原理的に、あるいは脳生理学あるいは心理学、そういう先生方も集めて、幼保一元化なんてことは言いませんけれども、幼児はいかに育てるべきであるかということぐらいは十分検討しておく必要が私はある。そうでなければ、かえって教育はその人を毒することがある。それが先ほど申し上げましたように、お母さん方は子供を伸び伸びと育てるのがいいなんて思っているというと、我の強い子供ばかり生まれますよ、それは社会に害毒を及ぼすこともあり得ます、こういうことを私申し上げたかったわけです。  いろいろ資料は持ってきましたんですけれども、いつかそういう機会があればまた申し上げることにしますが、私、非常に日本の子供の将来、子供教育の将来を考えると、インテリジェンスはできる、ディジタルにはできるが、アナログ、情緒だとか人間性だとか、そういうものはもっと子供のときにできるんじゃないか、そういうことを思いますので、ひとつ文部大臣に、一遍そういう審議会をつくるなり、そうして、幼児の教育をこういうでたらめで、ツインクル・ツインクル・リトル・スターを歌わせるとか、そういうものがはびこらないうちに、母親が迷わないうちに、母親はどういうように教育するのかということを母親に教える、それの指針を何らかの方法で示して参考にこれを見せるということをぜひやっていただきたい、こう思ってきょうはお話ししたわけです。もし御感想があれば、ひとつお聞きしておきたいと思います。
  230. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 高木先生から、我のお話、個のお話から始まりまして、法律案に対する御質疑の最後に、幼児教育の大切さを御指摘いただきまして、私ども全く同感でございます。私どもも幼児期の教育というのは非常に重要だ、これは人間形成の上で一番重要な時期だと、こう思っておりますので、母胎、お母様、それから社会環境、それから教育というものが三位一体で努力をしていかなければならぬ、それにはより正しい教育の場をみんなで考えて、そしてしかるべき早くそういうものをつくったらどうかというお話でございまして、まことに当を得ておる御指摘だと思います。これはぜひ勉強させていただきたいと思っております。  それと同時に、伺っておりましてもう一つつけ加えさせていただければ、これから出産をなさる若いお母様方、奥さん方ですね。あるいは育児にいそしまれる方々が、この間ラジオを聞いておりましても、育児書をお買いになって、その活字から出産、育児の知恵を学ばれるということでありますが、確かにそういう御環境の方もいらっしゃるでしょうけれども、また核家族の中でありますが、先ほどの生涯学習理念からいきましても、できれば先輩と申しますか、お母様やおばあちゃまの生きた御経験を参考にして、そういうことから出産に備える、育児に当たるということも、私はやっぱり生まれくる新しい生命体に対してぬくもりのある教育であり、それが人間の生命のリサイクルというか、親から子へ、子から孫へ伝わっていくという欠かせない一面だろうかなと。そのぬくもりを感じさせつつ正確な教育をする場ができれば一番いいのであろうと、このようなことを感じながら拝聴させていただきました。
  231. 高木健太郎

    高木健太郎君 終わります。
  232. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 法案に先立って一言言っておきます。  天皇の病気を理由にさまざまな行事や祭りの中止が相次いでいますが、各大学の学園祭の中止やその内容の縮小を文部省としてどのように数的に把握をされているか。その中には、大学当局が学生の意思を抑えて学園祭の中止をさせている例が二校あると思いますが、お答えください。
  233. 國分正明

    政府委員(國分正明君) 大学の学園祭等の状況についてでございますが、文部省として全体として把握しているわけではございません。新聞報道によれば、パレードとかあるいはミスコンテストというような派手な行事と申しますか、そういったものを中止したり、あるいは期間の短縮等を行っているというような大学もあるようでございますが、学園祭そのものを中止する大学は非常に少ないというふうに承知いたしております。
  234. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 当初に比べてマスコミもいわゆる自粛の行き過ぎ、これに対して反省の弁が出つつあると思うんですけれども、現状を数字的にも十分文部省として把握できてないというのは私はいかなることかと思うんですね。私の調査では、回答いただいた大学四百五十六校のうち、中止をしたのが八校、内容の縮小、例えばブラスバンドを中止するとか、仮装行列を縮小するとか、そういうもの七十三校、なお今後ふえる見込みということでありまして、いわんや学生はぜひ記念すべき大学生活の中の行事として学園祭をやりたいという希望があったにもかかわらず、それを大学当局が中止をさせたというのが甲南女子大学、金沢医大、この二つあるわけであります。縮小の中には国立大学も含まれています。  そこで、官房長官も政府を代表して何回かの記者会見で自粛の行き過ぎを戒めておられますし、文部大臣も九月三十日でしたか、国体の開催にもかかわりながら、九月三十日の記者会見で、常識の範囲で従来どおりの学校活動はやった方がいいという発言をされている新聞報道がありますけれども、ひとつ実情をよくつかんで、いわゆる自粛の行き過ぎ、こういうことに対しては適切な指導を文部大臣としてもしてもらいたいというふうに私は思うのでありますけれども、どうでしょうか。
  235. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 先生わざわざお触れいただきましたので繰り返しませんけれども、官房長官もこれについて発言をされております。私もプレスに対しましてそのような発言をいたしました。繰り返すことはないと思いますけれども、いろいろな行事につきましてはあくまでも自主的な判断が主になると、こういう立場ではございます。しかし、強いて聞かれれば、やはり国民として天皇の御病状に対してはやはり一日も早い御快癒を願う、この心境はよく理解できますし、当然のことであろうと思います。  ただ、文教行政を預かる身といたしましては、学校教育はもちろん、学校行事、特に児童生徒あるいは学生に対しまして、それぞれたまたま時期が運動会、学芸会を含めていろいろな行事がございます。そういう面で、一つ一つは申しませんけれども、運動会といえばスポーツの一つのイベントでございます。それから学芸会は文化的な行事の一つでありますし、また集団で練習をする、それで一つの目標に向かって連帯の行動をするというのも有意義なことでございますから、こういうことは、自主的な判断はもちろんでありますけれども、整斉と粛々とおやりになることがよろしいんではないかというふうに発言をいたしました。きょうも強いて繰り返せばそのように考えておる次第でございます。  ただ、文部省からこれは特に指令をいたした、あるいは指導をいたしたということはございません。それから内部で、聞いていましたら、具体の問い合わせがあったということもないようでございます。事実をつけ加えさせていただきます。
  236. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 もちろん大学の自主的判断に任せているということは大学の自治から一つの建前ではありますけれども、国立大学も含まれているのでありますからやはり等閑視すべきではないというこの教育的見地を堅持してもらいたいということで、また次回、一般質問の機会がありますので、この続編はいたします。  それでは法案についてお尋ねをいたします。  戦後の高校教育理念制度、同僚委員からもしばしば発言がありましたとおり、全日制高校修業年限を三年とし、定時制通信制高校については修業年限を四年以上というふうにしたのは、基本的に全日制高校定時制通信制高校との間には教育内容の水準において差があってはならない、こういう考え方に基づくものですね。
  237. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) おっしゃるとおりでございます。
  238. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、この基本原則、基本理念、これが今回の法案によって変わるというものでもありませんね。
  239. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 今回の法案によってそういった基本理念が変わるということはございません。
  240. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、法案で、従来四年以上で卒業できるというのを三年以上で卒業できるというふうに変えた理由をもう一遍簡潔に述べてください。
  241. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 昭和二十年代の四年以上というふうに定時制高校をいたしましたのは、当時の生徒実態というものから見て四年ぐらいはかかるであろうということから四年以上としたわけでございまして、その後四十年近くたちましていろいろと生徒の態様が変わってきております。勤労形態も変わってきております。そういったことから現在の定時制高等学校でも既に三年間で八十単位をこなしているという学校もかなり出てきてまいっております。と同時に、昭和五十五年に高等学校の修得単位数を八十五単位から八十単位に引き下げておりますが、そういったこともありますし、あるいは定通併修あるいは技能連携措置、そういった履修形態多様化によって定時制高校学校へ来なくてもある程度のところができるというふうなことをかみ合わせますと、そういった三年で卒業ができるという学校も出てきつつありますので、そういった実態を見た上で三年でもいいという道を開きたいということでございます。
  242. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 今ありましたように、幾つかの学校で既に卒業に必要な最低単位数八十単位を三学年で修得をしているというところも出てきておるので、そういうところは三年で卒業できるような道を開いた、こういう説明でありますけれども、どうなんでしょうか。文部省はこの方向をできるだけ多くの定時制通信制に広げようということなのか。自然体に任せるということなんですか。
  243. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 多くの学校に広げよう、そういった積極的なことではなくて、やはりある程度そういった社会状況といったものに自然に任せていきたいというふうに思っております。
  244. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 積極的に広げようということになると非常に重大化するからそういう答弁をなさっているんじゃないかというふうな私は気がしてならぬわけですけれども、それならば聞きますが、そもそも卒業に最低必要な八十単位というこの意味はどういう意味なんでしょうか。もう少し言いますと、八十単位以上勉強をして、日本の未来を担っていく青年としての教養を高めるというのにこしたことはないというふうに私は思うんです。それで、文字どおり八十単位というのは卒業の、言ってみれば多少ちょっと年間の中途で病気したということでとれなくなった単位も学科も生まれたけれども、トータルで見れば八十単位というのは修得ができたということであれば卒業資格を与えようという、文字どおりのそういう最低必要単位数ということであって、それ以上に勉強したら悪いというわけじゃない。むしろそれはいいことですね。
  245. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 高等学校におきます卒業単位数といいますのは、学校教育法に定めております高等学校教育の目的、目標というものを踏まえまして、生徒卒業するまでに修得する必要があるという最低限度の単位数というもので八十単位を決めたわけでございます。したがって、おっしゃいますとおり学校におきましてその単位数をふやしていくということについては、私たちは否応と申し上げることではございません。
  246. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 現在どうでしょう。全日制高校では卒業時平均して何単位ぐらいとっているんでしょうか。
  247. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 全日制高校では、やはり平均しますと大体九十単位を超えてという学校が多いんではないかというふうに思っております。
  248. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そのとおり、いやむしろそれよりも以上だということで、昨日文部省からいたださました資料でいきますと、九十六単位以上履修をしているというのが大体七五%を超えているんですね。それから修得単位、要するに単位として認定を受けたというのが、九十五単位以上修得単位として認定を受けたというものが六二%と、全日制はこういう状況でありますからね。だから、八十単位とっていればそれで大丈夫なんだということで、三年をもってもう卒業してよろしい、それ以上勉強せぬでもよろしいというふうに、もちろん全部の定時制がそうなるんじゃないというふうにおっしゃっているということはようよう知っています。しかし、そういう道をつくるということについては、これは明らかに全日制教育定時制教育との格差を認めるということにはなりませんか。
  249. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 卒業に必要な単位数を、最低単位数といたしましては文部省で八十単位ということを決めておりますが、具体的に何単位にするかというものはその学校の置かれております実情といったものに照らし合わせながら各学校が決めていくということになっておりますので、私たちといたしましては、現在八十単位が既にとれている、そしてそういった定時制高等学校側の御意見もなるべくそういった三年制の道も開いてほしい、何も四年制全部ではない、三年制の道も開いてもいいんではないかというふうな御意見を前々からいただいておりますとすれば、私たちは、全日制と定時制とを区別するということではなくて、実態に応じた、実態に合わせた改正を今回提案をいたしているわけでございます。
  250. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そのように言われましても、私は今数字を挙げて指摘をしたように、今回の法案というのは全日制と定時制との画然たる格差容認の道だというふうに言わざるを得ないんです。  ちょっと別の質問をしましょう。この六十一年十月の文部省の中等教育改革の推進に関する調査研究協力者会議の「単位制高等学校の基本的在り方について」という報告がありますね。この中で、修業年限についてはまだ六十一年度当時でありますから、「4年以上」という報告になっています。それが今回の法案がもし通過しますと、単位高校は三年以上で卒業できるという道が開けるわけですね。こういう道をつくるということはどこで調査研究したんでしょうか。
  251. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) この三年という問題につきましては、四十六年の中教審の答申にもそのことについて検討したらどうかということが言われておりますし、五十一年の文部省におきます協力会議でもその問題が提起され、そして五十九年に定通教育協力会議におきましてもこの三年という問題については提言がされております。なお、その前にそれと並行いたしまして臨教審答申が出ておるわけでございます。
  252. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 もちろん私は今引用いたしました中等教育改革の推進に関する調査研究協力者会議なるものが、広範な教育関係者の意見を広範にくみ尽くす、そういう立派な構成になっておる会議だというふうにはさらさら思わぬわけでありますけれども、少なくともそういうところで相談をやってきた。ところが、今度の三年以上と、こういう方向を打ち出すに当たっては結局は臨教審答申、これが一番の背景じゃありませんか。その臨教審答申なるものは、それは委員を選ぶのは私ら反対しましたよ。しかし、一応国会の本会議にかけて臨教審委員というものは選んだにせよ、あの答申について、これが大筋よろしいということを国会で公式に議論をしたというようなことは一回もないんですよ。しかし、にもかかわらずそういうものが出まして、答申が出ましたからということで専門家チームによる検討らしい検討もやらないで今回のこういう法案を出してきたというやり方は、これは安永先生も言われておったけれども、私は文部省の職権乱用とも言うべきやり方だと思うんですよ。  そこで、この三年以上で卒業できるという、こういう道を開くということになりますと、どういう現象が出るか。それは修業年限が短縮をされるわけでありますから、どうしたって今までの一週間当たりの授業数、こういう点でふえてくる。生徒にとっては負担がふえてくる。それから教職員にとっては教員一人当たりの授業時間数がふえるということになる。それから学校施設上の問題としては、その三年間でがっと詰めて単位をとらせる、そういう授業を組まなくちゃならぬということになるわけでありますから、ケースによっては授業の開始時刻を早めるということは全日制の教育計画とぶつかるという問題が出てくるんじゃないかというおそれがあるというふうに私は予想するんですけれども、こういった問題についての解決策はあるんですか。
  253. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 先ほどから何回も申し上げておりますが、確かに四年の八十単位を三年にした場合、若干の時間数をふやしていくということはあり得ることだというふうに思います。現実に、現在既に八十単位を超えている学校もありますが、七十単位のところが八十単位にしたいというふうなことになれば、そういったことが出てくるだろう。ただ、それは私たちとして、それが本当に無理なくそういったことがやれる、これはやっぱり生徒の修学状況というものが一番大きなポイントになるわけでございまして、生徒側状況を見た上で、それが無理なくやれるというところについては、それは御判断でもって三年でいいではないかということを言っておりますので、これが無理無理詰めていく、詰め込んでいくということにはならないように私たちは指導をしていきたい。そういった無理なことをやらないようという基本的な姿勢は貫いていきたいというふうに思っております。
  254. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 ことしの七月二十七日を初会合にいたしまして、高校教育の個性化等の推進に関する調査研究協力者会議というものが発足をいたしました。以来、二回ほどやっておる模様でありますけれども、この調査研究協力者会議で、一つはこの会議を開いた日時、それから何をテーマに議論をしているか、今後の議論すべき課題は何かということをひとつ資料で出してもらいたいということで要求をしていましたら、味もそっけもない資料が出てきまして、一回目も二回目も三回目も、調査研究の進め方についてフリートーキングをしておるということだけしか書いてない。時事の「内外教育」というあれが出ていますね。それの八月二日号によりますと、全日制高校修業年限弾力化一つは三年を二年にすることもできるという方向、それから一つは、もっと高度の専門教育をやるということで三年を四年にするという道もつけるという、両様の意味での修業年限弾力化、さらには、各高等学校ごとの入試制度にするということなどなど、こういったことが議論に上っているという報道があるんですけれども、事実そういう議論が出ているんじゃないですか。
  255. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) この会議を持ちましたゆえんは、九四%の子供高等学校に進んでいる。九四%といいますと、ほとんど大体全部の子供。ということになりますと、子供の能力、適性というのは非常に分かれております。その中で、やはり七割以上を占めます普通料におきますと、どこの高等学校でも同じような授業が行われる。そして、子供はそこでのいわゆる何といいますか、修得いたします率というのは、もう三〇%ぐらいしか高等学校教育を修得しておらぬのではないかというふうな批判がございます。  そういったことを考えますときに、今のままの高等学校教育でいいのだろうかということは、やっぱり真剣になって検討すべき時期が来ているだろうということ。そういう背景のもとで、私たちといたしましては、いろいろなことをここで幅広に検討をしていただきたい。そして、そのことについていろいろな御意見を聞きながら、いいものから順番に制度改正なり、そういったものをしていきたいということをお願いいたしたわけでございます。  その中で、私たちが検討してほしいと申し上げましたことは、一つ方向性を持って申し上げているわけではございませんが、課題として考えられることは七つばかりございます。  一つは、高等学校の個性化の推進、それぞれの高等学校が、やはりどこへ行っても同じような高等学校ではなくて、それぞれいろいろなバラエティーに富んだ高等学校があってほしい。それについての推進の方策、あるいはそういった高等学校というものはどういうふうに理解すればいいかというのが第一点。  それから第二点は、普通教育職業教育、専門教育との関係をどういうふうに考えるか。普通科高等学校においては、職業教育、専門教育といったものは余り入ってない。そういったものについて、本当にそれでいいんだろうかということをやはり検討してほしい。  それから三番目といたしましては、高等学校同士の連携ということを考えることができるかどうか。  あるいは四番目といたしましては、高等学校におきます学年制と単位制の問題をどういうふうに考えるかということ。  それから五番目では、高等学校におきます修業年限弾力化。これは私の方としては全日制を二年にするという考え方は持っておりません。それよりも、今全日制の高等学校は三年でございますが、もうちょっとある程度深い学問をするとすれば、三年でなくて四年ということが考えられて、それが果たして社会的に受け入れられるかどうかといったようなこと。  それから、高等学校の入学者選抜制度が今の選抜制度でいいであろうかという問題。  そして、高等学校と、いわゆるかなり近ごろは専修学校というものが非常に専門的な教育を行っております。高等学校と専修学校との関係をどう考えるか。  こういった非常に幅広の問題をこの協力会議で御検討をお願いしたい。私の方は、これをどういう方向性ということでお願いしているわけではございませんが、こういったことを、考える問題点としてあるのではなかろうかということで御提示したわけでございます。
  256. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 やっぱり質問をしてよかったというか悪かったというか、話が具体的になってきたと思うんですけれども、なぜそういう話を、私が資料要求をしたときに素直に、こんなようなことが課題に上っています、別に方向性を持っているわけではありませんけれどもということで資料としてもっと素直に出したらいいと思うんです。ということで、それはひとつ御注意をしておきますけれども。  それで、今ありましたように、高等学校の三年を二年にするということよりも、四年でそういう専門学習を深めるという、このことを検討課題の一つとして念頭に置いておるというお話でありましたけれども、そうなりますと、これ、定時制修業年限を落とすわけでしょう、部分的にしろ、どの程度かにしろ。それで、全日制は修業年限をさらに高める、年限を延長する道を考える。これはますます全日制と定時制教育内容教育水準の格差が広がっていくという、この道に私はならざるを得ない。  さっきは単位数の問題で言いましたけれども、こういった教育制度上の、その点から見ても、その心配が非常に大きい。まさにこれは定時制、通信教育をどうするかというそんな狭い問題じゃなくて、全日制も含めて、戦後の高校教育の根本理念、根本制度、これにかかわってくる実は重大問題が今後起きかねない問題として私は非常に重視をするんです。そういった点で、ぜひ調査研究協力者会議での議論は極力オープンにして、せめて国会には必要な会議の模様なんかは、国会から求めをしたときにはちゃんと出してもらって、ひとつオープンの議論でこのことを進めていくようにやってもらう必要があると思うんです。重大なことになりかねないということを強調しておきたいと思うんであります。  それと、いわゆる技能連携ですね。これはどうなんですか、今次法案及び単位高校、ここを通して、現にある学校教育法施行令及び規則、これは変わるのか、範囲が広がっていくのか。どうでしょう。
  257. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 今回提案いたしておりますのは、技能連携施設の指定の権限を文部大臣から都道府県の教育委員会に移譲したという内容でございます。これに伴いましていわゆるそういった政省令というものをさわっていくということはございませんが、いわゆる指定施設を都道府県がやりますにしても、指定施設の水準というのは確保しておかなければなりません。したがって、この水準については従来文部省で決めております技能教育施設の指定基準、それはそのまま堅持いたしてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
  258. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 しかし、このいわゆる技能連携に関する省令並びに規則があるわけですけれども、現在は職業に関する技能ということで限定をしているわけですけれども、それを英語、音楽、美術、こういう分野までに、今直ちにでないにしても行く行く拡大することを検討するという点はあるわけでしょう。
  259. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) この法律とリンクしての政省令の改正はいたしませんが、将来、それでは今職業に関する教科だけであるのをそのままでいいのかということにつきましては、やはりある程度それは見直していく、その観点といたしましては音楽とか美術といったものにつきましては、専修学校、各種学校でかなり高い水準のものがありますから、そういったところでの連携というのは考えられてしかるべきではないかというふうなことで、今後の検討課題にいたしたいと思います。
  260. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 この実務代替の規定、これもどうなんでしょうか、将来に向けて少し解釈を広げるという方向なんでしょうか。
  261. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 実務代替につきましては、将来これについて範囲を広げるとか、そういったことは今考えておりません。
  262. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、さっきも引用いたしました六十一年十月の「単位制高等学校の基本的在り方について」という文書、そこによりますと、単位高校は「学習指導要領に定める必修教科・科目を履修することを条件とする。」と。だから全日制であろうと定時制であろうと単位高校であろうと、最低この点は必修科目ということで、それはきちっと修得しなくちゃいかぬということでありますけれども、しかしその後の方で、「社会体育活動や家事労働をそれぞれ「体育」や「家庭一般」の履修と認め」、特別教育活動、ホームルーム、クラブ活動、こういったもの「については自主参加」という、弾力化をするということもあり得る、こう書いているんですから、必修教科といいながら、例えば体育なんか必修教科ですね。こういうものまで弾力化するということになると、これはうたい文句と実際とはかなり変わってくる危険があるんじゃないか、高校教育の最低必要な教育水準、これの切り下げが起こるんじゃないかという心配があるんですが、どうでしょう。
  263. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 今、私たちは実務代替について新しい範囲の拡大でありますとか、そういったことを現在考えておりませんと申し上げましたが、そういったいわゆる協力会議の御意見もございます。この辺はもうちょっと実態及びその学校の関係者の意見というものも十分聞いて、それがいいという方向ならばそれは考える余地がありますが、今のところ具体的にそれをスケジュールにのっけるということにはなっておりません。
  264. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 やっぱり逃げ道を考えておられるというふうに、私はちょっと心配がありますね。  具体的例でいきましょうか。カラオケのスナックに勤めたら音楽の単位になるんですか。
  265. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) それはなりません。
  266. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 スイミングスクールに通ったら体育の単位になりますか。
  267. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) これも結局あれですが、今のところそれは単位にはならないということでございます。
  268. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 あやしいですね、今のところはというのは。  さらにこの報告によると、大学入学資格検定試験の合格科目、あるいは職場での勤務、これをもって単位認定にかえる、こういうこともあり得るというくだりも出てきます。こういうところまで事が進んでいきますと、単位さえ、いろいろあるやつを合算して数が合ったらそれでいいということになるわけでありまして、私はそもそも教育という営みをどう心得るのか。  大臣、よく聞いてくださいよ。教育というのは、授業を通して教師生徒の間での対話、これによって、そういう人格的な触れ合いも媒介にしながら子供が未来に育つ、人間として成長をしていく、あるいはまた、クラブ活動やらホームルームの活動やら、こういうことで子供同士が切磋琢磨、触れ合いで人間的に高め合っていくというここは、単に国語ができるか数学ができるかということだけじゃなく、欠かすことのできない教育の営みの重要な部分だと思うんです。ところが、ここがもう軽視をされて、とにかくどこでもいい、いろいろなところでかき集めてきて単位数の合計が合ったらそれでいいという、こんなことで私は教育というものは成り立つものではないというふうに思うんですけれども、そこの基本的な考え方、どうでしょうか、大臣
  269. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 先生のおっしゃる意味は理解できます。  なるべく端的に申し上げますけれども、私は教育というのは、再三申し上げておりますように、学校教育、重要な部分ですけれども、八十年という平均寿命の中で生涯かけて学習していくというその重要な基礎部分であるというふうに考えてよろしいのであろうということが一つであります。二つ目は、じゃ、後期中等教育というのは何かと申しますと、この四十二条で書かれておりますように、社会への使命感をまず自覚していただく、二番目は自分の進路をしっかり定めていただく、その中で一般教養と特殊な技術、専門的な技術を習得していただく、そういう部分であろうと思うんです。  したがって、そういう教育が本来どういう形で持たれるべきかということになりますと、先生がおっしゃいますように、ある意味では系統性が一方で必要であり、もう一つは集団性というものができれば必要であるということは私は理解できるんです。ただ、そういう系統性と集団性に必ず環境が合う方しか学べないというのでは、やはりそれは働く方々にとって大変な失礼だと。したがって、そういう環境にない方にもなるべく合わして、そこで出てきたのが定時制であり通信制であるわけでありますね。だからそういう、ある意味では環境、つまり働きながら学ぶという方の環境はやや多様化しておりますから、それに合わせるには多様化していくことも必要だと。もちろんこれは集団性、系統性が一切要らないんだということではございません。それは必要でありますけれども、学ぶ方の多様性に合わしていくということもこれは必要であろうということから御提案をしておるところでございます。
  270. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そもそも教育とはいかなるものかということについて私が申し上げた点、前段はほぼ同感の意を表されたんですけれども、だからということで、多様化という名前で今回の法案に示されておるようなこういう方向、合理化をされるような御発言なんですけれども、今回の法案の考え方というのはその前段の、繰り返しませんけれども、教育というものはそもそもどういうものであるべきかという、これにむしろ結果として逆行をする結果をつくるんじゃないかということで、こんな、もう繰り返しませんけれども、全日制は四年間のこういうコースもつくる、しかし定時制は今四年のを三年でというこういうコースをつくるということで、学習する内容の差をますます広げる。そういうようなやり方というのが、この多様化の名によって、本当に未来を担う子供たちに役立つ方向なのかどうかということで私は承服しかねるということで、今定時制、通信教育の真の充実発展のために何よりも優先して考えなくちゃならぬ問題は、一つは、かつての時期は働きつつ学ぶ青年というのが大部分だったと思います。それが、今まだその部分が大きな部分ではありますけれども、少なからざる部分に全日制に合格できなかった子がやむを得ず定時制に通ってくるという、いわばそういう受け皿としての定時制になっているということで、結局そうなるというのは希望者がなかなか全員入れない、高校増設がしかく進まないというこの問題があるわけですから、働きつつ学ぶ者のための定時制教育という本来の機能を回復するためにも高校増設という問題をもっと真剣に考えなくちゃいかぬということが一つ。  それからもう一つは、ただでさえ昼間働いて疲れ切って夜間へ来るそういう子供たちに、しかし本当にある意味では全日制以上に、一人一人に親切な相談相手にもなれるし目も配れるようなそういう教育の体制、したがって、これは大臣御記憶と思いますけれども、三月三十一日の参議院の文教委員会で私が四十人学級問題を取り上げました。今、義務制については進んでいます。完成年度昭和六十六年、これをもう早期に完成させる。これがしかしテンポがちょっとスローダウンしておるから果たして大丈夫かという、ここの問題で、それは何としてでもやりますと。それと同時に、六十七年から、今や国際的課題として三十五人学級という問題がある。六十六年が終わってから三十五人学級という問題をやおら調査検討に入るということじゃなくて、もう同時並行的に今からそのことの検討を始めてもらう必要があるという問題と、特におくれているのが高等学校だ。高等学校については今や四十五人はおろか四十六人、七人、八人という、こういうところさえ全国的に見ると出てきているんだから、これも義務制の四十人学級完成の努力と同時並行的にこの問題についても検討を開始していただく必要があるということを申し上げて、加戸前局長ちょうど入ってきましたけれども、当時の加戸局長もそうだと。大臣教育条件整備は片時も忘れることなく力を入れていかなくちゃならぬというふうにおっしゃってきたんです。これは何も私うそを申し上げておるんじゃないんです。そこで、現在は高等学校について言うと、全日制が四十五人編制、定時制が四十人、こうですから、全日制を四十人へ持っていこうということは定時制を三十五人編制に持っていこうというこの課題に相見合うわけです。  ですから、ちょっと前置きが長くなりましたけれども、本当に定時制子供たちに行き届いた教育を施していくために三十五人学級、これをひとつ早く、そのための必要な調査研究、これを文部省として早く始めてもらう必要があるという、高校増設とこの二つの問題について、これこそが今大事じゃないかというふうに、文部省サイドの問題としてはこの二つをお尋ねしますが、どうでしょう。
  271. 倉地克次

    政府委員(倉地克次君) 最初にお尋ねの高校の増設の問題でございますけれども、これは従来高等学校におきます施設の整備等につきましては、地方交付税とか地方債によって財源措置をしてきた経緯がある次第でございます。しかしながら、昭和五十年代の初めから御承知のように高校生の急増の事態になりまして、六十四年がピークでございますけれども、この間都道府県におきましては大変な財政需要が必要だということにもかんがみまして、高校急増対策の一つとして設備、施設に対する補助制度を創設した次第でございます。それによりましてそれなりの効果を上げてきたわけでございますけれども、ちょうどピークが六十四年でございまして、これ以後は児童生徒の急減期に入るわけでございます。現在のところはそうした事情から私立高校と公立高校の調整を十分しながら、その後につきまして都道府県で適切に対処するように指導しておるところでございます。  また、定数の問題でございますけれども、これは御指摘のように五十五年から六十六年までの十二年かけまして約一万名の定数増を図る計画が現在進行中でございます。六十四年がピークではございますけれども、生徒の急増期に定数の改善を行うということでございますから、私どもも鋭意その着実な実施に努力しているところでございますけれども、六十六年に向けてさらに一層努力を重ねてまいりたいというふうに考える次第でございます。その後の問題につきましては、そうした計画の終了後におきまして慎重に対処してまいりたいと考えておる次第でございます。
  272. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 もう時間が迫っていますのでこのことで繰り返す余裕がありませんけれども、今のお話だと六十四年をピークにだんだん高校生は減っていくから高校増設の必要はないと言わんばかりの言い方ですけれども、地域的不均衡があるんですね、よく御存じのように。県全体で見れば減っているにしても、ある特定の人口急増地域というのはあるんですから、そういうところでは高校増設が差し迫った問題になっておるというこういう事情もあるわけなんで、そこをよく考えてもらわぬといかぬということと、それから定数改善について努力してきていますと言うんだけれども、四十人学級計画が文部省まだないんですよ、高等学校については。ここを差し迫った問題として考えてもらわなきゃいかぬ。これは同時進行で検討を始めますというふうに三月三十一日答えているんですから、この会議録で。ですから、これは消えませんから今後その都度何遍もちくちく言いますからひとつやってください。  労働省に尋ねます。働きつつ学ぶそういう青年学習権を保障する上で、とりわけ今労働基準法が改正されて変形労働時間制、このもとで注意をしてないとなかなかうまくいかないという、こういう問題が出てくるので、変形労働時間制のもとでも働きつつ学ぶ権利が保障されるように、それから下手すると賃金カットが起こるということが起こりかねない、そんなようなことがゆめゆめ起こらないように企業に対する指導をひとつよく注意をし、強めてもらいたいということを労働省にお願いします。
  273. 石川透

    説明員(石川透君) 本年二月に労働省で実施いたしました「職場における勤労青少年福祉に関する調査」というものがございます。これによりますと、定時制高校等の夜間部に通学していらっしゃる勤労青少年方々に事業主の方で労働時間等の何らかの配慮をしている事業所は全体の九六%ということになっております。その内容は、残業させない、早退を認めている、そういったものになっておりますが、ほとんどの企業で勤労学生に対しましては何らかの配慮をしているのが実情であるというふうに考えておるところでございます。もちろん定時制学校に学んでおられる方々は大変な御苦労をなさってお仕事と勉強とをやっておられるという事情を十分私どもも承知いたしております。  昨年の労働基準法の改正で変形労働時間制を導入したわけでございますが、労働省令の中でも、こういった職業訓練あるいは教育を受ける方に対しまして必要な時間を確保できるように努めなければならないというふうに規定しているところでございまして、また、その旨通達でも指示しているところでございます。今後とも必要に応じまして事業主を指導してまいりたいというふうに考えておるところでございます。
  274. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 それでは、最後にもう一遍、単位高校制度に関する問題でありますが、大体ずっと同僚委員の議論を通して、今直ちにということではなくとも、将来全日制にもこの考え方を導入していくんだと……、じゃないんですか。そうじゃないんですか。なら答えてください。
  275. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 単位制高等学校といいますのは、先ほどから申し上げておりますように、学年の枠を外して、そして単位の集積でもって出れる、そして入学時、卒業時の弾力的な措置をするといったいろいろなことで単位制高等学校発足させましたが、これはこういった考え方をもろに全日制高等学校に入れていく考えはございません。今申し上げました全日制高等学校におきます、全日制高等学校定時制高等学校一緒でございますけれども、先ほど高等学校教育の個性化の調査研究会議で問題提起をいたしておりますいわゆる学年制と単位制という問題は、単位制高等学校ということでなくて、今の学年制、今ですと一単位落とせばそのまま学年に原級留置になる。そういったことによって、子供が大変学習が難しくなっているんではないかというようなことを、どういうふうに学年制と単位制というものをかみ合わしていったらいいかということの工夫をしたいということでございまして、単位制高等学校を全日制に持っていくということを考えているわけではございません。
  276. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そうしたらそれはそういうことで確認をしておきましょう。  それなら言葉かえて聞きますけれども、全日制に無学年制を導入するそういう意図もないということでいいんですか。
  277. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) ですから、いわゆる私はその方向性を明示して個性化研究会議にお願いしたというんでなくて、全く方向性なしで、これについていろいろと従来から問題になっているからどういったことを考えればいいかということの研究をお願いいたしたわけでございますから、いわゆる学年制というものを堅持していくのか、単位制というものをもっと強く持っていくのか、単位制と学年制とはどうあった方がいいのかということを本当に虚心坦懐にそういった会議で御検討願いたいということでございますので、それについての方向を、こっちに行くんだこっちに行くんだということを事前に予測して私の方は言っているわけではない。ただ、先ほど単位制高等学校は、これはいわゆる働きながら学ぶ人のためになるべく修学しやすいようなという角度から単位制高等学校というものを発足さしたわけでございますから、何もそういった考え方を全日制高等学校に引き入れるということは考える必要がないんではないかというふうに申し上げたわけでございます。
  278. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 私も高等学校の教員やってきましたから、ちょっと言葉は正確に使ってもらった方がいいんですけれども、単位制と単位高校制度とは違うんですよ。単位制というのは新制高校発足して以来単位制やっておるんですよ、高等学校は。  問題は単位高校制度を全日制に導入するかどうか、それは導入は考えてない。単位高校制度と無学年制とが実は表裏一体の関係なんですよ。表裏一体というより同義語なんですね、ある意味では。それについては、今のお話によると、研究協力会議、そこで話題になっておるということで、そこが心配なんですよ。ということでそういう方向を全日制までとっていくということになればこれは大問題ですよということを先ほど来るる私も申し上げた。安永さんもおっしゃっていた。ほかの方もおっしゃっていたということなんでありまして、いわんやそれを、安永さんも言われたように、というのは、それやったら、そんなこと考えていませんとおっしゃっても、結果として今の卒業は三年だという制度が二年で卒業できるケース、四年で卒業するケースいろいろと出てくるんですよ、理論的には。  こういうことを実際化しようと思ったら学校教育法改正が必要になるんでしょう、現在定時制についてこの法案が出ておるように。そうすると、必ずや結果として法律改正に結びついていかざるを得ないような単位高校制度の問題に、ことしの三月ですか、あのときに規則改正だけで一方的にやったのはけしからぬじゃないか、いわんや全日制にそれを同じように規則改正だけでやるというようなことはもう許さぬよという、これが問題になっておるということなんでありまして、大臣、この問題は本当に高校制度の根幹が変わるかどうかというところの問題でありますので、ひとつ慎重に、必要なときには国会にも中間報告などをしてもらって、国会の意見もよく聴取してもらうということで、事を慎重に進めてもらいたいということで、最後に大臣の御所見を聞いて、時間ですから終わります。
  279. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 今の御質問は概して政府委員答弁をいたした中に入っておると思いますが、重ねて申し上げれば、現在御提案を申し上げております四十五条の二あるいは四十六条につきましては、これは働く方々に対する定時制通信制の中でより履修していただきやすい形を考えておるということでございます。  後段におっしゃいました全日制の問題は、政府委員からお答えしましたように、こちらからは何の前提条件も今はつけておらない。ただ、高等学校の個性化を進める上でどうしたらいいかという協力会議を開いていただいて自由に御討議をいただいた、その御討議をいただいた中で、今までどうなっているかと言われますと、こういう話題が出ておりますということでございまして、この点はもちろん慎重に御討議の結果を見守っていきたいと、こう思っております。
  280. 杉山令肇

    委員長杉山令肇君) 本日の質疑はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後五時十八分散会