○飯田忠雄君 ただいまの御答弁を拝聴いたしておりまして、私の申し上げました言葉の意味が大変間違った方向に御
理解を願ったということで、これは私の言い方が悪かったかなと思っております。
私が申しました
国民主権ということは、
国民が最高なんだ、つまり
国家よりも
国民が上にある。あるいは、こういう例を申し上げて悪いですが、国の総理
大臣とかあるいは象徴であられる天皇とか、そういう国のどの機関よりも
国民は上なんだという意味で
国民主権です。その
国民主権の
国民を代表するのが
国会議員と、こうなっておりますので、それは
国会議員よりも
国民の方が偉い。主権といったら最高で、これ以上のものがない。昔は神様が一番最高でしたが、今はもう神様じゃなくて
国民が最高だと、そういう意味の主権なんです。
従来国際法あたりで
国家主権と言われておりますのは、
国家が最高なんだと。つまり国連であろうと何であろうと、あれは
国家よりも下だという考えですね。ですから、
国家の投票で国連の議事は進めます。多数決でやっておるわけでございます。どんな小さい国でも一票を持っておりまして、それが反対すれば反対なんです。それが最高なんですね。
アメリカ合衆国とあるいは日本と比べてどっちが上かといったら、日本の
立場からは日本が最高なんです。
アメリカは下なんです。それが
国家主権です。
そういう
国家主権的な考え方では世の中がうまくいきませんので、したがいまして人間主権ということに国連は持っていくべきだという考え方が、今、学者の間で行われておるわけでございますね。国連が
国家主権でやっておる限り、これは話がつかない、世界はよくならない。だから、人間が最高だということで、国連に参加しておる
国家は人間の幸せを願うためにはすべてを犠牲にしても人間の幸せを願うようにやるんだという考え方、これが人間主権という考え方でございまして、そういう考え方の方向に今世界の大勢を何とかして持っていこうという努力がなされておるわけでございます。それは実現しておりませんが、そういうような将来の世界の向かっていく動向というものをしっかり見きわめて、その上での国の
政府のあり方、その中での
防衛のあり方というものが検討いたされませんと
国民が納得する
防衛というものはできてこないわけでございますね。
それで、この予備
自衛官というものを私は頭から否定するものではございませんが、置くなら置くで
国民が納得する部面に置くということが必要ではないかということです。例えば、考え方としまして
防衛庁のお考えと私と少し食い違いましたのは、ただいまの御答弁では、パイロットのよう
なものは専門的だからこれは
自衛隊の方で持って予備
自衛官にはしない、こういう御
見解でございました。
それも一つの考え方かもしれませんが、せっかく予備
自衛官制度を設けるなら、そしてそこへ
国家予算を組むということでありまするならば、やはりパイロットというものの養成もやりまして、そのパイロットを予備
自衛官として保存するということの方が本筋ではないか、こういうことを申し上げたんです。
そして
訓練の問題ですからなんですが、これからの本当の専守
防衛、先ほどもおっしゃいましたが、専守
防衛というもののあり方というものは、決して大部隊を組んで日本の国内で戦うことではないのです。これは日本の近海において戦うとしましても、大部隊でやるということはまずないだろう。一つの戦闘機で相手の戦闘機一つを倒す一対一の戦い、敵が上陸しまして国内で戦う場合も一人が一人を倒す、百万人上陸したら百万人の軍隊でもって一対一で相手を殺す、そういう形の
防衛がこれからの凄惨な
防衛の態勢なんですよ。行われるのは、空想じゃなくて本当の起こってくる
防衛はそういうものになります。殊に専守
防衛の形で怖いのは、
国民を巻き込んだ戦いになりますから、そういう点をよく御
理解願って
防衛訓練なり
防衛体制を考えておいていただかないと大変なことになると思います。ちょうど沖縄戦における沖縄の
状態がそうであるし、前の戦争の末期における満州の
状態がそうです。あれは専守
防衛なんです。あの結果というものはどんなに悲惨であったかということを頭に置いた上での御検討を願いたい。それで、予備
自衛官を設けられるなら、そういうときに役立つ予備
自衛官でないと困るではないかということを申し上げたわけでございます。
こういう点についてどのようにお考えでしょうか。