○下村泰君 私、実は本日の質問をするに際しまして、非常に悲しい気がするんですね。と申しますのは、
国会というところは、日本という国の
国民全体の
生活を
考え、世界における現在の日本という国の立場を
考え、どうあるべきかということを論議されるべき場所が
国会だろうと私は思っています。ところが、きのうときょうにかけまして論議されていることは何だといったら、リクルートという
一つの企業からおかしなことをされたということだけで、まさに日本の台所を預かる
大蔵大臣が針のむしろの上に座らされて、忠臣蔵の討ち入りじゃありませんけれども、あの大きな木づちで頭をたたかれているという姿がここに現実に映し出されているわけですよ。
じゃ、何でリクルートの問題がこんなに大きくなったんだろうか。通常の株の
売買、売り買いする、こんなことは常識のことなんです。だれがもうけようと知ったことじゃない。ところが、世の中には詐欺をする人かたくさんおりますよ。例えば豊田商事の事件であるとかいろいろあります。こういうことをやりなさい、もうかりますよ、あなたの今後の一生は楽ですよ、老後はこんなに楽になりますよと言って、なけなしの銭を巻き上げて、しかもその後は野となれ山となれ。その方たちの中には犠牲者も出ています。世の中では、もうけ話というのは昔からまゆつばもので、千三つ屋とか三百代言とかいろんな言葉で表現されます。本当にもうかるという話なんというものは、そうざらにあるものじゃない。ところが、このリクルートに限っては本当にもうかっているんですな。しかも、それが特定の人たちにもうけさせたというところに大きな問題があって、もうけさせていただいた方が職務権限などという言葉で表現できるような位置にいたということが、
国民から非常に疑惑を持たれて、不信感を抱いている一番大きな原因だと私は思うんです。
縄のれんだとか、こういった一般大衆の席で話を聞いていますと、一番私らがこたえるのは、
国会議員というのはみんなそんなもうかるのか、この一言で片づけられるんですよ。やったやらない、その立場にいるいないは別なんですね。議員と肩書がつけば全部そうやってもうかるのか、そういう話はのべつ幕なしあるのか、来るのか、こういうことで責められるわけなんです。
ここに、徳川時代に二本松の城主で丹羽高寛という方がおりまして、この方が古代中国で、これは戒石銘というんだそうですが、自然石に刻んだ文句があるんですね。これは現在二本松市の霞ケ城の公園の入り口に、旧藩庁の通用門のあった場所に、自然石に書かれて、ちょっと小さくてそちらから見えにくいでしょうけれども、こういう文句が刻まれておるんです。この文句は「爾の俸、爾の禄は民膏民脂なり」、これはもうお二人ともよくおわかりだろうと思います。民のあぶらであり、民の脂である。「下民虐げやすく上天欺きがたし」、下々の者はだましやすいが、上の者はだましにくい、殊におてんとうさまはだましにくいということなんでしょう。これはもう、こういう言葉を使うのは私耐えられないんですけれども、きのうからきょうにかけての
大蔵大臣の御返答の中に出てくる
服部さんというのは、まさに
大蔵大臣から見れば下民なんですね。下の方なんですよ。その方は虐げられているわけです、今。でも
宮澤大蔵大臣の心の中にはわだかまりがあって、何か私は耐えられないものがあるんじゃないか、そんな気がします。
今回のこのことに関して、
宮澤大蔵大臣がどうのこうのと私は別に申し上げる気はございません。むしろ、私の質問の時間には頭は休めていただきたいぐらいに思っています。ただ言えることは、
国民というのは甘くないよということですね。そして、見るべきものはきちんと見ている。この判断はきちんとしておかなくちゃいけないんじゃないか。
もう
一つ、ここに尼崎西署の競艇場との癒着事件があります。
この中に、警ら課の課長のある警部が余りにも
生活が派手だという内部告発から始まって事件に発展してきた。この警部が、これやめるどころか、別の署のやっぱり警ら課の課長をやっておるそうですね、この人は今。こういうことを言っているんですね。
関係者の証言でわかったということなんですけれども、本来これは辞職を勧告されたんですね、この方は余りにも癒着が激しいんで。そうしましたらこの警部は、「「接待を受けているのは私一人ではない。県警幹部や署長も同席している」と開き直っていた」そうです。しかも、県警もこの事実を認めていたというんです。
そうしますと、このリクルートの事件が始まってからこれも出てきているわけですよ。こういうふうに一番
国民の直接現場にいて、治安を維持しなきゃならない警察官がこういう感覚なんです。よく言われる言葉です。上正しからざれば下必ず乱る。しかもリクルートで、悪い言葉で言えば、かつて
大臣で今何でもない
関係の
方々、もう名前を列挙されています、きのうからきょうに。いけしゃあしゃあとしている。カエルの面に小便というやつだ。そういう姿を見るとこの人たちだって、何をぬかしてけつかるのじゃと、
国会の連中だってあれじゃないか、何でおれたちばかりが責められるんだという観念、これ、なって当たり前のような気が私はするんです。一番逃げ口上として使いやすいですからね、こういうのは。
そこで、政治倫理というか、政治姿勢というか、私はこれ口にするほどの人物、人間でもございませんけれども、
政治家というのはどうあるべきかと率直に伺いたいと思うんです。
総理と
大蔵大臣、ひとつぜひこれはお伺いしたいと思っていたんですが、お二人とも
政治家になろうと心にお決めになったとき、そのときのひとつ思い出を語っていただきたいと思うんです。何が動機で
政治家を志したのか、これもついでにお伺いしたいと思います。