○中村(巖)
委員 刑事施設法の
審議ということでありますけれども、私はこれについては本
会議で提案の
趣旨説明に対して
質問をしたところでございます。そのときにも申し上げておりますけれども、この
刑事施設法については大いに問題がある、こういうことでございます。ただ、きょうは私の
質問時間はわずか二十五分、こういうことでありますから、本当の序論の序論しか聞けない、こういうことでございます。
刑事施設法それ自体については、これはたびたび言われておりますように
明治四十一年からの
法律でありまして、八十年を経過するわけであります。そういう
監獄法を
改正する、こういうことでありますから、それは何としてでも必要なことでありまして、
明治四十一年
施行の
監獄法が現に生きているということ自体がもう驚異的な、驚くべきことであるわけでございまして、その間に
現行憲法が
施行をされておるわけで、また八十年もたちますれば、やはり
世界の
行刑の思潮というようなものも変わってくるわけであります。にもかかわらず、そんな以前の
法律がなお生きておられたということ、それは、どうしてそんなことがあり得るのだろうかという感じがいたすわけでございまして、そういう意味ではこれは変えなければならないのは当然であります。
しかし問題は、その中身であるわけでありまして、私が既に本
会議で
指摘をしておりますように、
幾つかの重大な問題がある。
一つは、
代用監獄制度をなお
現状のまま
維持しようという、ここに大きな問題があるということでありますし、あるいはまたこれも
指摘されておりますけれども、弁護人の接見交通権について、憲法の
理念あるいはまた刑事訴訟法の
規定とこの
刑事施設法とが背馳をするというか乖離があるというか、いわばもっと言えば真っ向から違っているのではないか、こういう点があるわけです。そのほかにもいろいろな問題があります。
行刑についても、
自由刑の執行というものについても、一体今度のような
法律でいいのだろうかということが問題であります。つまり、
監獄法が大変古いということで、古いままに来ているわけでありますけれども、監獄、
自由刑の執行という、こういう部分というのは、やはり
人権を制限しようという場面でありますから、
人権の
考え方との間に非常に緊迫した、コンフリクトな場面があるわけでありまして、その
人権の方の
考え方が変わってくれば、やはり
行刑のあり方というものも大幅に変わっていかなければならない。そうだとすると、今の
人権に対する
考え方、そういうものを最大限に尊重したときに、今の
行刑のあり方でいいのか、こういう問題は出ざるを得ないというふうに思うのでございます。
そこで、きょうのところは
自由刑の執行、
行刑というものに限って若干序論的なことをお伺い申し上げたいというふうに思っております。
まず、今回の
刑事施設法を立法されるに当たって、
自由刑の
行刑の
目的というものをどういうふうに考えて立法化、立案がなされたのかということ、つまり
自由刑の
目的をどう考えておられるのかということについて大臣にお伺いをしたいと思います。
〔井出
委員長代理退席、
委員長着席〕