○
冬柴委員 さて、私は司法研修所の修習を終えるとともに大阪市において弁護士を開業し、衆議院
議員に当選するまでの二十二年余り弁護士一筋で来た者でございます。主としていわゆる民事
事件を専門に扱ってまいりましたが、それでも相当数の刑事
事件も受任いたしました。
その経験の中で、検察官による常識を超えた接見拒否をされた二件の
事件の弁護を担当いたしました。この二件は接見拒否だけが論点ではありませんで、密室における
捜査官による拷問に近い自白の強要も行われました。私の経験では、残念ながらこの二件が全く特異なケースだったとは思えないのであります。今も弁護人の秘密接見交通権の運用の実情は、先ほどの
最高裁判所が示した思想とは遠く隔たったものなのであります。
刑事施設法案の審議の冒頭に、刑事裁判の証人尋問調書にあらわれた接見拒否の生々しい事実を
国会審議の場に顕出をいたしまして、このような事実の存在を
法務大臣にも十分に認識を求め、この認識を前提として今後の
法案審議が進められるべきであるとの考えからその要点を申し上げることといたします。人権に対する配慮から、検事の
名前な含めてすべて仮名といたしたいと思います。
一件は、大阪地方
裁判所、
昭和四十一年(わ)第四千八百十四号贈賄被告
事件で、その記録中、まず第八回
公判記録の中で証人
冬柴鉄三すなわも私の法廷での供述の要旨の一部を引用することとしたいと思います。
昭和四十一年十月の初旬ごろ、弁護士である私あてに本件担当のH検事から、甲野太郎さん、
これは仮名でございます。
告訴人としての調書をとりたいので検察庁へ来てもらうように連絡していただけませんかという電話がございました。そこで、私は依頼者である甲野太郎さんあてに電話をいたしまして、二十一日の午後一時に間違いなく検察庁へ出頭してくださいということを申しました。H検事へも電話をいたしまして、二十一日に本人は間違いなく伺いますからひとつよろしくお願いいたしますと申し上げました。
十月二十二日に私が
法律事務所へ出勤いたしますと、甲野太郎及び甲野花子の長男が来ていまして、非常に不安そうな顔で、実は昨夜お父さんとお母さんが帰ってこないんですと言うので、どうしてですかということを聞きました。お父さんは昨日先生の連絡で検察庁へ行きました、お母さんも夕方七時か八時ころ検察庁から車で迎えに来られたので出ていきました、けれ
ども昨夜帰ってこなかったのですということを言うわけです。それで私はびっくりしまして、まさか逮捕されたということは夢にも思わなかったのです。
それで、そこからすぐに特捜部長、検事に電話をいたしまして、実は私の依頼者で告訴人調書をとるためにきのう検察庁へ出頭したところ、ゆうべ帰ってこないので、どういう事情かお調べいただけないでしょうかと言ったわけです。そうしたら特捜部長は、検察庁へ行って帰ってこなきゃ逮捕したんですよということを言われたわけです。僕はびっくりしましてね、逮捕ってどうしたんですかと言ったんです。けれ
ども、電話じゃ言えないからまあ来てくださいと言われたので、直ちに特捜部長の部屋へ駆けつけました。特捜部長は、実は今担当のH検事が拘置所で本
人たちを調べているはずだという話だったんです。で、罪名は何ですかということを聞きましたら、いや、それも細かいことは一応H検事に聞いてくださいと言われました。その日、二十二日は土曜日で、私が会いに行ったのは十一時ごろだったと思いますが、すぐその足で大阪拘置所へ行きました。拘置所に検察官の控室がありますが、そこで、Nさんだと思いますが、検察
事務官が眠そうな顔をしてソファーに横になっていました。それからH検事さんもソファーでだらんとして疲れたような格好でいらっしゃいました。そのときは取り調べはしておられませんでした。
それで、まず接見をさせてくださいと求めたわけです。それに対しH検事は、会わさないとこういうことを言い出したんですね。それで、会わさないってどういうことですか、甲野太郎と花子夫婦は田舎の朴訥な人だし、どういうことで逮捕されたかもわからないし、また私はけさ両人の長男から弁護人として選任されていますから、それはいいんですけれ
ども、本人名義の弁護人選任届ももらいたいし、ぜひ会わせてくださいということを申し上げました。けれ
ども、言を左右にして会わせてくれないんです。もちろん
捜査の支障になるような状況じゃなかったんです。というのは、
事務官も検事も控室で休息をしていられますからね、
捜査の支障になるような状況ではなかったし、なぜ会わせてくれないのかと言い、検察官の処分なら処分でいいですけれ
ども、それじゃ顔だけでも見せてください、本人としてはショックだろうから、私はほかの
事件を通じて親しくしてもらっているから顔だけでも会わすようにしてくださいということを言ったけれ
ども、それもだめ、こう言うんですね。それじゃ選任届をとるだけでいいから会わせてくれと。これも会わさない。じゃあ検察官立会でもいいから、
捜査の妨げになるようなことはしないから、じゃあ検察官立会でもということを言ったんです。それも拒否されたんです。罪名も
犯罪事実も何も言ってくれないんです、私は当然執拗に聞きましたけれ
どもね。
それで私は、その日は土曜日でしたけれ
ども、直ちに
裁判所へ行き、準抗告の手続をとりました。
裁判所の廊下で、夜十時半か十一時ごろまで待ちました。そして準抗告認容の
決定をもらい、翌二十三日日曜日に接見をしました。
それから、後でわかったことですが、勾留中に甲野花子さんは大阪拘置所の中で自殺未遂を起こしました。余り執拗にやられるしするので、
自分としてはもう検事さんの言うとおりに、はい、はいと言いました。しかし、そうすることによって主人に非常に迷惑がかかるということを本人は非常に気にしまして、
自分は死んでおわびするつもりということで独房の中で帯締めで首を絞めた。その前に、ミカンの皮で独房の白い壁へ遺書を書いたということです。
以上が、第八回
公判記録中の
冬柴の証人供述の一部でございます。
次に、この
事件の第九回
公判記録中で証人Hすなわち本件の
捜査検事の供述を求めた部分の要旨を述べたいと思います。
証人は本件
被告人の甲野花子、夫の甲野太郎をお調べになったことがありますか。
はい。
その呼び出しをするについてどういう方法をとられましたか。
告訴代理人に連絡をしました。
冬柴弁護士あてですね。
弁護人の
名前は忘れましたが、告訴状に記載してある告訴代理人を通じて呼び出しました。
逮捕状を執行したのは何日ですか。
当日、裁判官のところへ逮捕状を請求に行きましたのが午後十一時過ぎだったと思いますから、午前零時かあるいはちょっとそれから過ぎていたかもしれません。
結局甲野花子、太郎夫婦の供述に基づいて両名を逮捕したというのですね。
はい、そうです。
逮捕当日の朝の段階で弁護人が甲野花子と甲野太郎に対して接見を
申し出ましたね。
弁護人が来られて接見を
申し出られたことは記憶しています。
それに対する処置はどういう処置をとられたのですか。
お断り申し上げました。
どういう理由だったのでしょうか。
収賄者をまだ取り調べてなかったからです。
しかし、収賄者を取り調べるか取り調べないかは接見交通には
関係のないことだと思うのですけれ
どもね。
そうですね。
それはお認めになるのですね。
ええ、接見交通というのはあの段階ではまだ、こう言っては弁護人に大変失礼ですが、少なくとも現在、よく贈賄者を調べて、こういうことを供述しているということを収賄者の方に通報される方がたまたまありますので、仮に弁護人に接見をさせますと、それが収賄者に通報されるおそれがあったからです。
それだけが理由ですか。
そういうことです。
そうすると、そのときに検察官立会の上で被疑者らの弁護人選任届の署名をとるだけでいいから会わしてくれということを申し入れたということを御存じでしょうか。
覚えております。
それに対してどういう処置をとられましたか。
あのときもお断り申し上げたのですかね。
それは、通報を恐れたのであれば、立会の上で面会して、弁護人選任届をとるだけでしたらそのおそれはないと思うのですけれ
どもね。
私は、弁護人の接見交通というのは秘密交通
権だと
理解しておりますので、検事が立ち会うということは妥当を欠いておると信じておりますので、接見させる以上はやはり秘密に交通させるべきであると思っておりましたから、立ち会いの上で接見ということはお断り申し上げました。
しかし、弁護人がそれでも差し支えないとわざわざ折れている場合でもやはり断る理由があるのですか。
ええ、いつもそういうことには妥協はいたしません。筋を通すことにいたしております。
接見を拒否された処分について当弁護人から準抗告の請求がありましたね。
覚えています。
その際、裁判官の仲介に対して、あなたは上司の意見を求めてくるということで退室されたのではなかったのですか。
そういうこともあったと思います。
ところが、
裁判所と弁護人らはあなたのお返事を夜中の十一時ごろまでお待ちしたのですけれ
ども、結局何らのお返事もなかったですね。
お断り申し上げました。
まだたくさんありますが、接見拒否に関する供述部分の要旨のみをここで申し上げたわけでございます。
この
事件は、約二年の審理を経た結果、第一審
裁判所において、検事調書はすべて任意性なしとして取り調べ請求却下、そして無罪が確定したわけでございます。
大変古い
事件ではありますけれ
ども、
刑事局長、このH検事みずから調書の中で認めていられる接見拒否の件についてどのような感想を今お持ちか、それをまず伺いたいと思います。