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上寺参考人 兵庫教育大学の
上寺でございます。
今
国会に
提出をされ、現在審議されておられます
教育職員免許法等の一部
改正法律案につきまして、この推進を、早く
成立をさせていただくことをお願いしたい、こういう
立場から二、三の御
意見を申し上げさせていただきたい、こう思うのでございます。
まず第一に、
教員の
資質の
向上につきまして、この問題に関しまして、なぜ
免許法改正をしてでも
資質を
向上しなければならないか、私はこういう点について三点申し上げてみたいと思います。
一つは、これは
社会的要請でございます。国家的、さらには
世界的要請でございます。
教員の
資質向上ということに
関連をいたしまして、
世界は皆その手を打とう、こういうふうに考えておるわけでございます。幸い、
日本の国は憲法や
教育基本法そのほかに基づいて
関係者が非常に
努力をしております。
日本における
学校教育は、
世界においてある
意味の
評価を受けておるのでございます。アメリカを初めとしてイギリスも西ドイツも、さらには
発展途上国も、
先生方の
資質の
向上をいかにして図るか、こういう問題に
関連をして、
日本の
教育はよくいっておるじゃないか、こういうふうにも
評価をされておるのでございます。
もっとも、そういう
評価に該当するだけ
教育が
向上しているか、こう考えますと、多々問題はあると思うのでございます。確かに
知識は
向上いたしたでしょう。しかし、果たして
人間としての
教育が徹底しているのかどうか、こういう問題もあるかと思うのでございます。そういうことに取り組める
教員、これをいかに
養成するか、こういうことが非常に大きな目標になっておるのじゃないか。そういう点で、
日本において
教育の成果が上がると同時に、
問題点もある。その点をどういうふうに解決するか。さらには、二十一世紀を目指しまして、
情報化とか
国際化とか
個性化とか、いろいろ言われております。これにたえられるような
子供を
養成するのにどういう
先生方が必要なのか、こういう問題が出てくると思うのでございます。
二番目に、
教員の
資質向上を図る、こういうことに
関連してでありますが、これは
教育の
本質からきておると私は思うのでございます。
教育とは
教師が
子供を引っ張るだけではございません。
教員と
子供とが
体当たりをしながらともに
成長していくのが
教育でございます。
教師が、あるいは
教員が
教員になり続けていく
努力を払わない限り
子供の
成長もあり得ない、私はそう信じておるのでございます。幸いにして
人間は学ぶ
動物として生まれついておるのでございます。
子供一人一人が学ぶ
動物として
努力をし続ける。同じように、
教員自身も学ぶ
動物という
基本的な特質を持っておるのでございます。
教師が
教師になるために学び続けていかなければならない、これが
教育の
本質からきた
要請であろうと思うのでございます。
三番目には、現在、
教員自身が求めておるのでございます。先ほど
小川参考人からいろいろの
問題点の御指摘をいただきました。しかし、五十三年
開学をいたしまして、私
たちの
大学には今既に
大学院生の
修了者が千五百五十名、北海道から沖縄まで散らばって
努力をしてくれておるのでございます。その
教員に問いますと、学び続けたいんだ、そういう
チャンスをつくってほしいんだ、こういうようなことが常に
意識調査の結果出てくるのでございます。
もちろん
教師の
資質能力をどう考えるか、この辺にもいろいろ問題があると思います。私はこう思います。まず
人間性と
職業から起こってくる
職業性とが解けがたく結びついてそこに
専門性が生まれてくるのでございます。一人一人の
教師がそれぞれの
専門性を持って、それは
人間性と
職業性に支えられておるのでございます。質がそれぞれ違うはずでございます。そういう面から、
教員の
資質向上に対して
機会あるごとに勉強できる
チャンスをつくる、こういう張り合いのあるシステムにしていく、こういうことが
要請されるのではないか。
では、今度の
改正案の
特徴はどこにあるか、こういう点について四点ほど申し上げてみたいと思います。
ねらいが
教員の
資質向上を備えた
人材確保にあるということは言うまでもございませんが、まず、
免許状制度の
拡充整理がこれによって可能になるのではないかと思うのでございます。と申しますのは、従来は、
大学院卒業生で
免許状関係で道が開かれていたのは
高等学校だけでございます。このたびは他の
校種全部に三本立てで行こうというねらいがあるわけでございます。
高等学校だけに
大学院卒業の
修了者の
免許状が必要だということではないと思います。小
学校、中
学校においても
教育についての
スペシャリストも要ると思います。さらには
教育課程についての
スペシャリストも要ると思うのでございます。
先ほどもお話が出ましたように、
教員の
免許状なり
教員の
組織につきましては
三つの
特徴がある。
開放制であって、
大学で
教育をいたしましょう。二番目は、
免許状をそれぞれ与えましょう。しかもそれは別の
機関で、
教育委員会から与えましょう。三番目は、それに伴う
研修というものについて
専門性が出てくるということも当然の裏づけとして
義務づけられておるのでございます。そういう点で、
各校種ともに三本立てにしたこと、これは
整備されたことにつながると思います。
それに
関連して
上進制度がございます。二種から一種へ、さらには特殊な特別の領域の専修へ、そういう道が開かれたことでございます。私自身は残念ながらかつて幼稚園の
教師はしておりませんけれども、あと
小中高・
大学と
教育委員会、それぞれいろいろと歩き回りました。その都度、何とか
成長してみたい、こういう気持ちは
先生方にあることをそれぞれの
校種で感じ取ってきておるのでございます。そういう
意味で、
研修への道が開かれた、しかもそれの裏づけとしての
免許状の裏づけが出てくるんだ、こういうようなことも言えると思います。
さらには、このたびの
養成段階から
初任者研修の
段階へさらに継続した
研修、研さんへとつながっていく過程において
大学と
教育委員会とがいかに
研修の体系化で結びつくことができるか、こういう面でも私は道が開けたのではないかと思っておるのでございます。今後の認定講習にしても
大学がかなり参画をして一緒にやらせていただく、こういうことも大事かと思うのでございます。
その次は、
教職特別
課程の設置でございます。一般の
大学を出られて、そうして一般の
社会で働いておる人で
教職につきたい、こう念願してこられた方はたくさんあります。今まではなかなかそれは道を開く
チャンスがなかった。それを
教職特別
課程の設置において道を開こう、こういうことになっておるのかと思うのでございます。もっとも、そうやって
免許状を得てこられました
方々、あるいはあとの特別
免許状、こういうことにつきまして、それを受け入れるに当たって
学校側で体制づくりをしておかなければならないこともまた半面の
問題点であろうかと思います。これをそういうふうな
努力をしながら
一般社会の
方々を受け入れていく、このことによって
学校教育は
活性化できるのではないか、こういうことであろうかと思います。
次は、
専修免許状の新設につきまして、先ほども触れましたけれども、御承知のとおり、
修士課程は広い視野に立って精深な学識を修めさせる、同時に高度の
専門性を有する
職業等に必要な高度の
能力を養う、こうあるわけでございます。先ほど言いましたように、
教育の面での
スペシャリスト、さらにはカリキュラム構成上の
スペシャリスト、こういうような面でその
専修免許状の新設というものがまた新しい道を開き、
学校教育における
先生方の
組織を一層重層的なものにするのではないだろうか、こう思っておるのでございます。これがとりもなおさず自発的
研修への意欲を駆り立てていく、こう思います。
さらに、先ほど申し上げました
社会人の登用がどれだけの
意味を持つか。特に、非常勤の方でございましても、その道のうんのうをきわめた人に
子供たちが
教育を受けるということは、余人をもってかえがたい人から
教育を受ける、こういう長所があるのではないか、こう思っておるのでございます。特別
免許状授与に当たっても、もちろん
大学の
開放制を乱しては困ります。しかし、一緒にやるということは可能ではないか。
最後に、私
たちの
兵庫教育大学十年の経験がございます。先ほども申し上げました千五百五十名の
修了者が出ておるわけでございますけれども、彼
たちにアンケート
調査をしてみますと、七割の者が勉強してよかった、二割はまだ足りない、こう言っておるのでございます。若干の者がある
意味では批判もしておると思いますけれども、九割九分九厘までは勉強してよかった、こう思っておるのでございます。
以上、いろいろ申し上げましたけれども、
教員の
成長する道と
子供たちの
成長する道とが同時に行われる
教育の道を両方で歩んで
成長していくことが大事なのではないだろうか。そのためにこのたびの
法案につきましては一層の御
努力をいただいて通していただけば幸いだ、こう期待しておるわけでございます。ありがとうございました。