○鍛冶
委員 それならばそれで、私はやはり一番いかぬと思うのは、私大参加のためには必要だということで大枠計算されて十二月下旬とされたのでしょうね。だけれ
ども、いよいよ反対が多くて、やってみたらそれでなくて一月でもできた、そして高校側の要望もある程度受け入れるような態勢ができたというようなことでしょう。何でそうなるのでしょうかね。私はそれが不信を買う
一つだと思うのです。
大枠の新聞論調やら一般の人の考え方は、結局私大参加が少なかったから高校側の要望に押されてまた一月にしたのだろうという
認識なんですね。ここではそういうふうにお尋ねすれば、そういうことを含めて私大参加ということが――それにしてもちゃんと十二月下旬にしたと同じような形でやれるのですよというようなこと、これは私も今確認をしてなるほどと
理解をしたのですけれ
ども、大方の人とか新聞論調というのは、読んでごらんなさい、そんな書き方はしておりませんもの。またまた節を曲げて妥協してしまったというふうな感覚なんですね。
要は、これは一事が万事であって、この何年かの間はそういうふうにどこかで何かがあったら猫の目のようにくるくる変わっている。これはいかぬと私は言っているわけです。それができるのなら、もともと一月ということでやっておけばいいじゃないか。それを私大参加のため必要だから十二月としておいて、やってみたらできたからこうしましたと言う。しかし、それは外には余りPRされていない。
だから、これで私大参加の様子を見ているグループがあるだろう、善意に解釈してですよ、この次には参加するだろう。私は、私大の入試も難問、奇問も随分あるようだと実際聞いたりしておりますから、そういうのを直すためにはやむを得ないのかなと思ってみたり、どうなのかな、いろいろとやってみなければわからぬ向きもありますから、私自身も多少迷いがないとは言いませんけれ
ども、しかし、やる以上はやはりきちっとした形でこうだということで貫き通さなければいかぬと思うのですね。確かに
内容的にはもうその線は通っておるという話にはなっておるのだけれ
ども、やはりそういう問題についての配慮とPRを含めての
あり方がよくないのじゃないか。また、マスコミに対しての説明とかいうことも不足しているのじゃないか。
しかし、それができたということは、高校側は十二月は前から反対していたわけですから、本当に努力をしていれば当初から一月でやれていたわけでしょう。そこらあたりも、これだけ人材をそろえておりながら、スタッフもいてどうしてそんなことがころっと変わるようなことをして、これでもう十分ですということになるのかな、そこはやはり私は今不信を持たれている大きな原因じゃないかなという気がしますよ。結局、今までの何年間、この三、四年の流れというのはどうもそこで軌を一にしているみたい。どこかで圧力がかかる、どこかで声が上がるとそれにひょろひょろと変わっている。
これは確かに私大側の
対応というものがむしろ大きく影響しているのかもわかりません。
文部省がなかなかそこに首を突っ込めないということもあるのかもわかりませんけれ
ども、しかし、これはやはり受験生の
立場で私は毅然として取り組んでいただきたい。共通一次を導入したときも私は申し上げたことがあるのですよ。共通一次だけではないのじゃないか、共通二次の方と抱き合わせだ、そうしたら大学はほっておいたら二次にいい形で今のようにだんだんバラエティーに富んだことになりましたけれ
ども、そういう形を最初からとってもらわなければいかぬのだから、むしろ
文部省がこういうときこそ少し強硬でもいいから、大学の自治、学問の自治ありましょうけれ
ども、大学の尊重ありましょうけれ
ども、受験生の
立場からこう言わなければならぬということは強く言うべきだぞというようなことを私は申し上げたことがある。だけれ
ども、それはなさらなかった、やはり大学を尊重するということで。
私は強く言っていいときとそうでないとき、大学自体の考えを尊重しなければならぬというときはやはりあると思います。そこのけじめというものをもう少しおつけになった方がいいんじゃないかな、この大学入試問題では本当にそう思っています。だから、そういう大学入試センターテストでいくというならばこれでもう押し通してしまうというような線がないと、受験生は、何か見ているところころ変わるな、
文部省は何をやっているのだというふうな評価なんですよ、確かに。これはひとつ、私が痛切にそういうことも感じておりますし、我が党の議論の中でもそういうことが出てきておりまして、ひとつ受験生の
立場を尊重しながら、大切な大学に入るお子さんの問題ですし、またそれを含めて父母の問題でもございますし、ひとつ厳に取り組みをやっていただきたいというふうに思っております。
それじゃ、時間がそろそろ来ていますが、最後に、大学改革の一環としていろいろ考え方があるのですが、私
たちが従来から申し上げていたことをひとつ確認しながらお答えいただきたいのです。
やはり
日本の大学、大学院の
あり方の改革というものは、これは
日本の
教育の中で一番取り組まなければならない問題だろう、その中でも入試の
あり方というものを考えなければいけぬのだろうと思いますが、その中で私
ども特に二つのことを議論をしつつあるのです。
これに対する
文部省のお考えをお聞かせいただきたいと思いますが、よく、入るはやすく出るはかたい方向に
日本の大学は考えるべきであるというようなことが言われます。これはいろいろ技術的にも、また財政的にも
現状をそう変えていくということは非常に困難なこともあろうかと思いますが、大枠でこういう形の方向はやはり大学改革の大きな
一つの考え方として持つべきではないかなということも思っておるわけですが、
文部省はこういう考えに対してはどういうふうなお考えを持っていらっしゃるか、ちょっと承りたいと思います。