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竹下内閣総理大臣 まず、私が書きおろしいたしました「ふるさと創生論」の
防衛政策につきまして、私
自身これは
総理大臣の資格を取るための論文であったというふうには思っておりません。したがって、読み返してみて書かなければよかったなというのは、今も
角屋さんからいみじくも触れてちょうだいしましたが、ならないということで、なろうと思ってもなれるものではないという書き方はあるいは間違ったのかなというような
感じも持ったりして反省をいたしております。
そもそも
日本の
安全保障というものを
昭和二十二年以来議論されたのを全部こうずっと読んでみますと、やはり
最初は、国際連合においていわば平和に対して軍事的なものをも含めて力を持つまでの間は、いずれかの国との
安全保障体制ということで、それの対象として、もとより占領下ではございましたがアメリカとの日米安保
体制というものができて、したがって、日米安保
体制賛否両論の問題を根源にさかのぼれば、やはりあのときの
基本的思想の上に立って今日継続しておると私は思うわけであります。
そこで、大綱というものができまして、だから大綱を逸脱すべきでないという
基本的な
考えがあって、さてそこで一%議論というのが
昭和五十一年でございましたか、私は建設大臣でございましたが、そういう議論がありまして、それから
昭和六十年九月の十八日午前六時半、未明でございましたが、十八兆四千億の中期防というものが、四次防の先取りで随分
国会で
角屋先生なんかに批判をされて、あれからが中期業務見積もりというような形になってずっときましたので、私は、いつの日かやはりきちんとした
防衛計画があって初めて、これは足らないじゃないか、これは過ぎるじゃないかというのでシビリアンコントロールというものも本格的にできるものだ、だから、まず一%ありきではなくしてまず計画ありきだというような
考え方を大蔵大臣時代から持っておりまして、それを主張して、私が大蔵大臣のときでございました
昭和六十年九月十八日午前六時半ぐらいに十八兆四千億を決めたわけでございます。
しかし、
基本的にもう
一つ大事にしなければな
らぬのは、たびたびの御主張にありましたいわゆる憲法、非核三
原則、そして周辺諸国に脅威を与えるというようなことがいろいろ言われますが、断じて軍事大国にはならない、専守
防衛です。このことを事あるごとに私は
外交場裏等においても主張することによって、そうした心配をも払拭して真に平和国家としての
日本の国是というものを貫いていきたい。したがって私は、
防衛問題についてあの書物の中でもちょっと述べておりますのは、いわばミリタリーの分野に限定した
防衛ということを
考えないで、可能な限り、このたびも打ち出しております金のみでなくアフガンとかイラン・イラクとかそういうところへ人も派遣しましょうというような
外交努力を含めた平和
協力、あるいはODA等
経済協力、そうした広範な
立場における
安全保障というものを、
日本の国是を世界に明らかにしながら、世界の平和全体にこれが波及していくことを期待しながら、これから私の歴史の一こま、短い期間でございますが、精いっぱい
努力をさせていただきたいものだ、このようにみずからに言い聞かせておるところでございます。