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坂上委員 きのうかおととい私の
名前であったということをわかりましたという
答弁でございます。これは率直でよろしゅうございます。しかしながら、ここに至るまで大変な手数と
国民の疑惑を渦巻きのように起こさせたことは間違いないのであります。
まず、うちの矢田部君の
質問についてこういう巧妙な御
答弁をなさっています。参議院です。「秘書といいましても、やはり秘書の本体にだれがいるか」、秘書といってもその本尊はだれか、宮澤
先生だと思うのです。「秘書の本体にだれがいるかということは世の中で当然知っておられることと
考えるべきものでございますので、そういう
意味で
名前を貸したということはまことに軽はずみなこと」でございました、こういうことです。秘書は秘書の
名前を貸しました、しかし、この秘書は宮澤の秘書であるということを世間は知っておるものだから貸したのでしょう、だものでございまするから、このことはまことに軽はずみのことでございましたと御
答弁なさっているわけであります。これは、はっきり服部であります、こうおっしゃっておるわけでございます。しかし、私の秘書であることもわかっている、こう御
答弁になっておるわけなんです。どこから見ても、今さらもって宮澤
本人でございましたなどというようなことは言えるような状況の
答弁ではないのでございます。ちょっと注意をして調べてみれば、宮澤さん個人であるということはすぐわかったわけでございます。
国会はこれだけの英知を集めて、いまだもってそれすらわからないで、こうやって
質問しなければならぬという情勢であります。だから、私
たちは証人の喚問の要求をしております。だから、株主名簿の
提出を要求しておるわけでございます。
さっき申しましたとおり、
国会は
国権の
最高機関、そしてその機能の遂行のために
国政調査権が与えられ、証言、書類の
提出要求、こういうようなことが実はできているわけであります。そういうようなことを素直にぴちっとやらぬものでございますから、こうやって何カ月も手数をかけて、
国民の皆様方から我が党にこのような御投書をいただくというような状況でございます。しかも、この投書がなければまだ私
たちは宮澤さんの周辺をうろうろしているというような
状態であったろうと思うのでございます。いわば
竹下総理おっしゃいましたとおり、内閣副
総理の
立場にあり、この
税制国会の最高の責任者である宮澤大蔵
大臣がこのことのためにこんなに長い時間をおくらして、その
真相の究明がまだまだこれは百分の一、千分の一程度だろうと私は思っているのです。やっとどうやら入り口に入りつつあるなという、まだその瞬間でございます。まだとてもじゃないが戸はあかないのであります。窓口はあかないのであります。やっとその付近にたどり着いたという
状態です、今の
答弁は。
どうかひとつ
大臣、私は、
大臣のここに至るまでの経過について少し申し上げてみたいと思うのでございますが、ことしの七月の六日に、いわば宮澤さんあるいは服部さん、このいずれかが株の
譲渡を受けたというようなことが
新聞紙上に言われるようになりました。宮澤
大臣は十日間ノーコメントを続けました。知りません、存じません、そんなことありません、こうおっしゃいました。そして、今度十日目ぐらいに
記者会見をなさいまして、六十年の一月ごろ服部の
名前で
譲渡を受けたようだということを
記者会見なさいました。これもまた重要な
意味なんです。六十年の一月というと、あれでしょう、自民党の総務会長でございまして、大蔵
大臣の地位についていないわけであります。これが六十一年の九月というようなことになりますと、もう大蔵
大臣の地位におつきになっておった、その時代でしょう。そういたしまして、
竹下総理の秘書の
名前のは六十一年の九月である、これは口座によってわかった、こうおっしゃった。今度、それに合わせられるように
国会で御
答弁になったわけであります。しかも、どうも宮澤さん、あなたの個人のものじゃございませんか、こう言ったら、絶対にそういうことでないと言って必死になってここで御
答弁なさったわけでございます。
しかも、間もなく、今から数日前、服部秘書官が突然秘書官をおやめになった、解任になった。
新聞ではこう書いてある、なぞを深める突然の
辞任、こう書いてあるわけであります。これは十月七日の
新聞です。十月七日というのは、今申しましたとおり、私
たちがこの
リストを入手いたしましたのが先月の末でございます。そして、いろいろとこの
リストの信憑性を確かめるために
調査に入ったわけであります。宮澤さんはこのことを多分感知されたのだろうと思うのです。そこで、秘書官をどうもやめさせざるを得なかった。いわば秘書官と言えば官吏でございます。そこでまた黙っておられたわけであります。だから、
新聞は何で突然今ごろやめたのだろうといって報道なさった。そこで今度はこの
リストが出回った。そして、ようようきょう初めて私の
名前でございました、こうおっしゃったわけです。どうも
大臣、いかがでございますか。その場その場のつじつま合わせをずっと今日までやってこられたのじゃございませんか。いかがです。