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滝沢委員 委員長、御苦労さまです。
大臣初め皆さん、御苦労さま。
朝ほど
長官より、
地球環境の
保全あるいはまた
オゾン層の
破壊をいかにして防止するか、
モントリオール議定書のことにも触れて高次元の所信の披瀝をいただきまして、敬意を表する次第であります。
ところで
長官、しかしそのような大きな理想は、実行という面からいうと、本当に小さな細かい足元からのいわば
国民の
生活実験の中から出てこなくてはならないというふうに思うのであります。
ところで、この人間の体は、いわゆる
一般の音は右の脳で
処理される。ところが、人間の
言葉というのは左の脳で
処理される。虫の昔や鳥の声、動物の鳴き声というようなものも、そういう
意味では
一般の音と同じように右の脳で
処理されると
一般に思われていた。事実、西洋人の体はそうである。しかし
日本人の体は、鳥の声や虫の声、動物の鳴き声をも人間の
言葉と同じに左の脳で
処理されるということが発見された。これは
日本人であれば血液的にだれでもが、ヨーロッパに生まれてヨーロッパに育ってもそうかというとそうではなくて、
日本語を語っている、
日本語を聞いているところに、いわば
日本語が非常に母音が豊富であるというところに原因があるというふうに言いますと、私が大変学のあることを申すようでありますが、実はそうではありませんで、これは東京医科歯科大学の角田忠信先生が数年前にイギリスの学会の雑誌に発表され、このほど「
日本人の脳」ということで単行本にまとめられた中に書いてあるわけであります。
ところで、これをさらに敷衍されまして、
石井教育研究所所長の
石井勲先生という方は、それはそうであろう、だけれ
ども鳥の声や虫の音も人間の
言葉同様に左の脳で
処理されるということは、
日本語を語ればということだけではないのではないか、その
日本語というもののとらえ方は、例えばウグイスはホーホケキョと鳴く、これは法華経というお経の題目だというふうに昔から言われていた。だれが聞いてもホーホケキョと聞こえる。あるいはまた秋、今ごろになりますとツヅレサセ、ツヅレサセと虫は鳴く、そこでお母さん方は冬物の支度を、お布団を繕ったりするのだ、こういうふうに子供のときから教わって、そういうふうに聞いているわけであります。あるいはまたブッポーソー、あれはミミズクの一種でありましょうが、ブッポーソーと鳴くんだということになっている。でありますから、
日本人は子供のときから虫の鳴く音も鳥の声も人間の
言葉として聞いているものですから、人間の
言葉と同じに左の脳で
処理する、こういうふうなことをおっしゃっておりました。なるほどそうであろうかと私も思うのでありますが、要するに
日本人の心というものは西洋人のそれとは非常に違っている。
何が違うかというと、自然と人間との
関係というものを西洋人は、例えば登山、ヒマラヤを征服した、あるいは海を越えて航海するにもこれを征服したという言い方をする。しかし
日本人はそうではなくて、お山は晴天、六根清浄、あるいはまた山の木、森にはこだま、魂があるというふうにとらえておりまして、
日本人にとりましては自然即人間、西洋人にとりましては人間と自然は相
対立し、相征服し合うもので、対決するものだというとらえ方というふうな違いがあると私は信じて疑わないわけであります。しかも
日本人の宗教というものは、これは万有皆仏、皆、仏でありまして、やおよろずの神とも申すわけであります。西洋人は一神教でありまして、神は人間を統率したり刑を与えたりする神だ、恐れの神だということになる。
日本の方は融合の神、和合の神というふうにとらえている。仏に対しても
日本はいわゆるほどける、解放というふうに説いているのでありまして、そもそも
日本文化と西洋文化の違いが
認識されるところに、私は
日本人が
環境に対してどのように生きておるかということの基本があるのではないかというふうに――けさほどの
大臣の
お話のごとく、
日本こそが
アメリカととも
どもにとおっしゃいましたが、
経済とか政治という面においてはそのとおりだけれ
ども、精神的には、
日本こそが
地球環境、
自然環境を
保全する使命を神より託され、
日本人自身もそのようにあるべきだと思うわけです。
ところが最近、食
生活が西洋と大体同じになって、住
生活もそうなりまして、しかも
日本語を、
言葉というものを非常に軽んじて、学校においても
日本語の教育時間と英語の教育時間が同じ、ないしは英語の方が多いみたいなことになってきまして、非常に豊かな
日本語、
日本人の心、これが西洋並みになりつつある。しかもそれが文化のごとく、進化のごとく誤り理解されている面もありまして、まことに残念である、こう思うのであります。
そのようなことをまずもって申し上げながら、
環境行政というものがそのような高い心、文化に対する基本的な
認識と相一致しまして、きょうは文部省の方も見えているはずでありますが、教育の面でもそのようなものを失ったならば、単なる西洋のものはもうそろそろ
日本は卒業して
日本本来のものを教育の面でも取り戻す、これがまたあわせて
環境保全の原点でもあるというふうに思うわけです。
私は、
環境行政を進める中で、
一つには今申し上げました教育面との接点をいかにしようか、もう
一つは、県市町村などとの
関係あるいは民間団体との協力
関係というものを基本的に見直していかないことにはいけないのではないか、このように思うのでありますが、
大臣、いかがな御所見でございましょうか。